3部. 使徒7:54〜60 / ステパノの殉教
<序論> ステパノというと、短く生きて殉教した、そのような人だと見るが、しかし、ステパノを通じて重要なことを'発見'しなければならない。なにかをするのではなく、なにを'発見'するのか?これだ。
何故、ヨーロッパ、米国教会が戸を閉めているのか?
信仰生活がどれくらい重要なのかを発見できなく、そのようになる。すると、反対にどうして初代教会は、その少ない信徒で世界を変化させることができたのだろうか?
韓国はこんなにも教会が多いのに
何をするかより、もっと重要なことは、何を見るのか?
なにかをすることができなくて問題がくるのではなく、なにを発見できなくてそうなのか、その理由を探さなければならない。
1. ステパノの発見
(1)キリストと福音がなにかを発見したのである
@ 神様の子供になったことが何の意味なのか知る瞬間から変化
A その答を持って、学校に通いながら福音を話してあげる開始
B パウロはこの答を発見して - ピリピ3章を証し(ちりあくた)
C この告白が開始であり、全てのもの
D ならないと言う方達は、まさにこの答がないから。
E あらゆる教会の仕事、働き、宣教の限界は、この答がなく始めること
(2)福音を正しく伝えようとするなら、必ずブレーキがかることを発見
@ 真の福音が入っていくことができないように、サタンはいつもだましてくる
A それで、聖徒には戦わなくても勝つ力がなければならない
(3)ここに対して、ステパノは殉教信仰で対処
@ 死ぬ覚悟 - 故チュ・キチョル牧師
A しかし、ステパノ殉教の後により驚くべき事が発生
B 迫害者サウロをダマスコで破ってくださった
C 殉教の歴史とその後の祝福をよく研究してみよう
(4)聖霊充満して殉教したステパノ
@ 一個人の臨終が、重要な時間
A ステパノ - 聖書は表現することを'眠りについた'
B わざわざ殉教しなさいではなく、死んでもかまわないほど発見するべき
C 以前に正しく信仰生活した姿を本で読んでみる必要も
2. 信仰生活を回復しよう.
(1)なにをよく信じてみるのかということではなく、正しく発見からして
(2)死ぬ生きるが問題ではなく、よく発見からして
(3)なにをするかではなく、よく見ることができてこそ
(4)福音を受けた私が誰なのかをよく知っていてこそ
@ 正しい信仰を持っていれば、答えは受けるようになっている
A 正しい福音を持っていれば、理由ある祝福を受けるようになっている
祈りの課題 : 殉教してもかまわないほど、価値があることがなにかを知るようになって感謝