1部. マルコ2:18〜22 / 断食に関して
<序論> 今日の本文を簡単に見れば、断食をしない話のように聞こえるけれど、それではなく、祈りの答えの秘密を正しく知っているべきだという話に間違いありません。人間は、どれだけ祈りの答えを受けることができるのか? 創造の神様が創造の祝福を下されば祈りの答えを受けることができ、反対にどれくらい失敗するのか? 悪魔のようになって、悪魔のしもべのようにする程、失敗ようになる。

1. 断食祈りとその力
(1)モーセ - 荒野の道を行く間、重要な時に断食して祈り
(2)ダニエル10章 - 20日間、ダニエルが断食して祈り
(3)エステルの 3日間の断食祈り
(4)使徒12章、ペテロは獄に捕らえられて、初代教会の聖徒は断食して祈り
(5)使徒27章、暴風に会って(14日間) 死にそうになった時
(6)ところが、イエス様は何故断食祈りをするなとおっしゃったのか?
@ 福音を知らない断食の祈りは、意味がないという話
A 宗教的断食 - モスレム(ラマダン), 律法的断食 - ユダヤ人たち
B 福音を知らないイスラエルは結局 - 奴隷, 捕虜, 植民地, 放浪
C 本当に問題が解決しないならば、時間をつくって本当に祈ってよう
(7)真の断食は - イザヤ58:1〜6.
@ 宗教と福音を区分することができることが信仰生活
A 必要ないのではなく区分することができるべき
B 律法は重要なだけれど終わったこと - 福音は成就された

2. 私達がしなければならない断食の祈りとはどのようなことなのか?
(1)使徒12:1〜25, 神様のみこころを発見しなければならない時
(2)使徒13章, 聖霊の導きを受けなければならない重要な時
(3)使徒27章, 神様のみこころを知っているけれど危機がきた時

3. 断食の祈りの原理 - 祈りの答えの原理
(1)"自分"を克服する程祈ろう
@ 問題は自我、'自分'が問題
A 教会が問題でなく、自我が問題
B 仕事をすることが問題ではなく、自我が問題
C ガラテヤ2:20 私の中にキリストが生きておられること
D これは社会生活、教会の復興とも関係がある
E '自分'のために生きる、その方法が全部
F 願望が多いのか? - まさに'自分'が問題
G あらゆる宗教は、結局'自分'がその中心 : 解脱、得度
H 福音はそのようなことではない - ガラテヤ2:20
I 私が私を見れば、本当に福音が必要とする以外にはない
J あらゆる事を自分中心ですれば結局だめになる
K ボス、リーダー、指導者はそれとは別
: 人を行くようにする者が指導者
L 私をあらわす必要はなく、私はお手伝いすれば良い
M 私が牧師だから私にしたがえということは宗教式牧会
N 祈りでなにかを下さいとだけすることは宗教式祈り
N どのようにすれば、あの人がより祝福を受けるようになるか? その事で、私の役割はなにか?(配慮)
N 職場生活しながら、上司もだが他のそばの人を配慮してあげよう
(2)ピリピ2,3,4章 : 環境を克服するほど祈ろう
@ ピリピ2章 : 苦難が来ても良い。イエス様も苦しみにあわれた
A ピリピ3章 : キリストは全て!
B ピリピ4章 : 私を強くしてくださる方によってどんなことでもできるのです!
(3) 視空間を克服するに値する信仰はあるべき
@ 私はここにいるが、私と関係している所に聖霊が働かれる
A こういう秘密を持った者が断食祈りをすれば?
B それならば、断食はしてもかまわなくて、しないでもなる
※ ここにいるレムナント - 特に学生達が銘記しなさい.
@ 女学生 : おとな、夫の前に従順に、何でも尋ねてしなさい。親戚にまで神経を使って。
A 男子学生 : 何でも前後左右を注意深くみて仕事を進行しなさい
B 指導者であるほど、このようにしなさい
C 反対に、霊的問題を持った人、精神病者は自分の他には何にも神経を使わない - 霊的体質
D 創世記3章の中で、私は死ぬほかない私、同時にこれからキリストの中にある救われた私!

祈りの課題: 自我に勝って、キリストの中の私に生まれるようにさせてくださって感謝