2002年 6月 9日 聖日礼拝メッセージ要約版

1部.マルコ4:21〜25 /現れる光

<序論> 19世紀フランスで、学者達が集いを持ちながら、地球上に最も影響を与えた人物と 著書を研究したのに、まさにその方がイエスで、その本が聖書であることが明るみになった。本当にたくさんの人達が、イエス様について知っていて、聖書をたくさん読んでいる。しかし、私達がこういう礼拝をよくささげること以前に、より重要なことは、実践以前に理解をまずすべきだということだ。

1.あかりをつけて枡の下や寝台の下に置くか。
(1)イエス様がおっしゃられた光 -電灯の光?ランプの光?
@ 創世記1:1〜13,創造の光 A イザヤ60:1〜2,栄光の光
B ヨハネ1:1〜14,いのちの光 C Iペテロ2:9〜11,驚くべき光
(2)神様が私たちに'光’をくださって、 '光’を伝えることが私たちの使命
@ '光'に反対になることを考えてみよう.
A 夜道を走る車にヘッドライトがないならば?
B 夜の海に燈台のあかりがないならば?
(3)それがまさに、創世記1:2〜3,混とん,暗闇,空虚
@ 偶像国家,偶像の家庭 -なにか暗やみに包まれている雰囲気
A 家庭不和の雰囲気をよく知っているだろう?
B イスラエルにまさにこの'光’をもらったのに、それを升の下に置いた
(4)'光’を受けてもわからない人々 - "全てのものを失うようになるはずだ."
@ 全く同じ兄弟が光を受けたのに一名は失敗 -カインとアベル
A ヨセフの兄達 -いつも食べて生きる水準で一生を終わった
B 王,預言者,祭司長を送ったが、悟ることができなかったパリサイ人,ユダヤ人
C みことば(聖書)を持っていながらも悟ることができなかった者の意味
D 暗やみに陥っていることを知らない、それ自体がまさに暗やみ
E 祝福がなにか知らない、それ自体がまさに暗やみ
F 福音なく律法争いするほど -神秘主義,世俗主義を膨脹
G 教会が正しい福音の '光’を照らしていない結果
2.マタイ16:16の答が完全に出なければならない.
(1)イエスはキリスト!ここであらゆる答をみな得なければならない.
@ 私が受けるあらゆる呪いをみな解決なさった(マルコ10:45).
A 神様を知ることも、会うこともできないのに、救いの道を開けてくださった(ヨハネ14:6).
B サタンの策略と攻撃にそのままさらされていた問題を終えた(Iヨハネ3:8)
(2)神様は、私たちに創造の光を照らされたことを、本当に知っていなければならない.
3.本当に福音に完全に答が出なければ
(1)私個人に、今日、この光が照らす時間になるべき -この光が照らすべき
@ 私たち人間は、神様が与えられる光を受けてこそ生きるようになる.
A 一名だけがこの光を受けても、全体を生かす -ムーディー,ウエスレイ
B 私は、既にこの光を受けたことを悟るだけでも、人生を勝利する
(2)福音なく熱心に生きる宗教人が、キリスト教徒の姿ではない.
@ 思い切り仕事をして成功したのに、徐々に崩れるようになる.
A なにか解けなくて、締め付けてくる霊的問題に勝つことができるだろうか?
B 伝道しても、結局、限界にぶつかるようになるはずだ.
(3)本当に霊的問題を解決する神様の '光’を理解するならば、生きるようになっている
@ あらゆる暗やみは出て行くようになっている.
A 時間が過ぎれば、福音のなかで成功するようになっている.
B それで、使命がひとつあるならば -レムナントにこの光を伝えてやること
C この光をあらわして照らしてこそ、人々がわかるようになる.
D この福音の価値を私が知らないのに、どのように人々が知るだろうか?
E 自分の生命より尊いものなのに、その価値を知らなくて、他人がわかるだろうか?
(4)生活の中で光が照らすようにしてこそ -その具体的方法
@ この光が照らしてこそ、考えが変わる.
A どんなに大声で叫んでも、暗やみは出て行かない -灯りを明らかにしてこそ
B 自分の子供,事業,未来が、この光の中に入っていてこそ
C 人の助けでない、神様の助けを受けるようにしてこそ
D 一般信者宣教会の下で、あらゆる機能別の集いをしよう
E 産業宣教の下で、専門担当者の集いを可能にしよう
祈りの課題 :永遠な創造の光、いのちの光に呼んでくださって感謝