2004年 06月 29日(ソウルイエウォン教会) 70人要員



共同体と地域教会- 冠、いのちの書
(ピリピ書 4:1-9)


→序論
▲ピリピ書4:1-9節です。交読します。
70人要員の皆様は、地域を生かす地域教会で動くために“共同体と地域教会”(ピリピ4:1-9)です。もう一度、共同体に対するメッセージを理解しなければなりません。
(1)教会(コロサイ1:23)- 教会は、救われた人々を集める所です。コロサイ1;23に暗やみの中から呼び出したのが共同体です。教会という意味です。未信者は共同体を使う権限がありません。神様の子ども、家族共同体です。
(2)一つのからだ(Iコリント12:12)- それで、未信者は分からない話です。一つのからだを成し遂げる私たちは肢体です。Iコリント12:12節です。これが共同体です。
(3)救い(エペソ4:11-12)- 救いを受けた者です。救いの意味である教会です。エペソ4:11-12です。
(4)聖霊(Iコリント3:16, ヨハネ14:16-17, 使徒1:8)- Iコリント3:16(内に), ヨハネ14:16-17(私たちと共に), 使徒1:8 (永遠に共に) このからだが共同体です。これを知らなくて地域教会をしてはなりません。すると、寄り集まって、別に集まります。方向をのがすようになるのです。
▲今日の本文に、天国に行けば冠があるのですが、金の冠、銀の冠と説明されています。私たちの最も大きい冠は何でしょうか? 今日、確かに話しています。皆様が伝道して救われた者が、天国にきていることが冠です。これが喜びで、冠だとなっています。
特に重要な話を多くするなかで、ピリピ4章3節を見ると“この人たちは、いのちの書に名のしるされている” こういう集いが共同体です。それで、このように教会を運営すれば、最も良くすることなのです。
 
 
1.パウロの感激(背景)
▲共同体宣教の走者、パウロが持っている感激と背景を見る必要があります。とても重要です。こういうことがなければ、地域教会の運営をする時、ずっと答えを受けねばならないのに良くできません。今くらいは、答えがずっと来るように、整理をしなければなりません。ほとんどみな人々は、私たちと見ることと違うのです。
▲私が2週連続、釜山に行くことができなくて、髪が長くなって、髪を刈りに行かなければならなくなりました。イエウォン教会の信徒がしている所があります。クリックという所です。そこに入っていったのです。電話をして行かなければならないのですが、そのまま行ったのです。全く知らない人のようにしました。イエウォン教会に行っている人なのかも知りませんでした。前にいるその人かも知れませんが、分かりません。昨年に一度行ったのですが、ちょうどお客さんがいました。お客さんが出たので、私に座りなさいと言いました。イエウォン教会に行っているのでしょう。そうです。私を知らないでしょ。知らないです。衝撃になるからです。電話でもして来るべきだけれど、忙しくてそのままきたました。別人だと思っていたのです。その方が言うのに、昨年5月に来られませんでしたか? 女の人たちは、表情の管理を良くします。全く表に見せませんでした。
それで、どうも教会のおとなも比較意識が強いのです。おとな、子どもという必要がありません。私達の孫を見て長く挨拶して抱っこすれば、孫娘の顔が変わります。孫娘に親しいようにするならば、孫の顔が変わります。人々はそうなのだなと思います。ほとんどみなそうです。職分者も、大部分そうです。こういう中で仕事をするのには、方法がひとつしかありません。
▲中心- 私たちの中心が福音にならなければなりません。方法がこれしかないのです。他のことでは、説得できません。
 
(1)証人(使徒7:54-60)- ステパノが石に打たれて死ぬ時、そこにパウロは証人としていました。本当にむかしの話です。しかし、忘れることはありえない話です。キリストを宣べ伝えたステパノを死刑にしたのですが、一番に石を持った人が投げるのですが、単に投げるのではなく、上衣を脱いで渡します。石を当然に投げます。 その人がする事が当然です。上衣を渡されて、先ず一番に打つ人が証人です。上着を脱いで、誰が受けたでしょうか? パウロが持ちました。
(2)迫害(使徒8:1-3)- こういうパウロが、使徒8章を見れば、本格的にイエスを信じる人を迫害しました。
(3)衝撃(使徒9:1-15)- そうしながら、パウロがキリストに会ったのです。この部分は、パウロに衝撃でした。
(4)メッセージ(使徒11:25-26)- パウロがキリストに対する本格的な、あらゆる旧約に起きた事に対して、今、起きたことに対してメッセージを受けるようになりました。
(5)最初の宣教師(使徒13:1)- この時、中心に神様のみことばを完全に入れて、使徒13:1節で宣教師として派遣されたのです。ステパノを石で殺したサウロが、最初の正式宣教師として派遣されました。パウロがどれくらい感謝したか、断食しながら、祈って聖霊の導きを受けたのです。
(6)ローマ(使徒19:21)- ローマにも行くべきだ。この途方もない福音をローマに伝達すべきだ。このように悟っていました。ものすごいことです。
 
2.ルデヤ
▲私たちの牧師の中心を信徒は見るようになります。また、私たちの中心を他の弟子が見ることができます。私たちは失敗も、足りないこともあります。最も重要なことは、私たちの中心にある福音です。この福音を確かに知るようになります。神様もそれを見られるのです。神様は、私たちの姿かたちを見られるのではなく、中心を見られます。これを持って福音の働きをしなければなりません。牧師の胸の中にある福音の中心に勝つ人はいません。問題は、私たちの中心です。胸に福音があれば、どんな勢力も勝つことができません。この時から、祈りの答えがずっとくるのです。これをそのまま習ったルデヤです。
 
(1)転換点(使徒16:6-10)- パウロが、道がふさがって祈った中に、相当な転換点がおきました。マケドニアへ行きなさい。パウロが、伝道の門がふさがったのに、相当な転換点を迎えました。世界地図を変えるみわざが起きたのです。その当時には分かりませんでした。パウロがマケドニアに行ったことが、マケドニアを変えたのです。マケドニアとは、ヨーロッパということです。世界を変えました。ここに座っている席が世界の地図を変える席ですが。誰が敢えて知っているでしょうか? 祈るのにマケドニア人が来て下さいと言いました。それで行ったのですが、世界を変える転換点になりました。
(2)心(使徒16:11-14)- 先ず一番に会った人物がルデヤです。どれくらい意味が大きいでしょうか? 初めて起きた人物がルデヤです。すごいことです。主がルデヤの心を開かれて、パウロが話はしたのですが、心は誰が開かれたのでしょうか? 主がルデヤの心を開かれて、この福音がルデヤの心に入ったのです。
(3)家(使徒16:15)- 私を主に忠実な者と思われたら、私の家に来てお泊まりください。あなたのあらゆる働きに献身する。そして、ピリピ地域を生かすように、私の財産と全てのものを献身する。この話は、ルデヤの中心に福音が入っていったということです。これが地域教会です。私が世界福音化と主のしもべと伝道者のために、あらゆる生活をささげます。私の家に来てお泊まりください。ミッションホームにもなりますが、これが地域教会になったのです。ピリピ教会、相当なことです。
(4)占い(使徒16:16-18)- このように行われたことが、医者も出来なくて、家族も出来なくて、科学者も出来ないことが行われました。占い師を直す驚くべき奇跡がおきたのです。
(5)監獄(使徒16:19-40)- このようにして、使徒16章19-40節に、監獄にみわざが起きました。看守が帰ってきたのです。開始にしかならなかったのですが、これが大きい働きで起きました。
▲ルデヤの中心に、私を主に忠実な者だと思われたら、私の家に来てお泊まりください。これが地域教会になりました。皆様、絶対に中心を見ましょう。ルデヤがこれくらい、中心が良かったのです。しかし、この契約を悟ることができなかったのです。これを記憶しなければ失敗します。今日、ルデヤが失敗した部分が出てきました。ピリピ4:2に “ユウオデヤに勧め、スントケに勧めます。あなたがたは、主にあって一致してください。”この意味がまさに共同体です。
 
3.共同体 (主と共に)
▲そんなにも祝福されたルデヤも、この意味を知らなくて、結局は相当な失敗をしたので、パウロが話したのです。名前を言いながら話しました。ユウオデヤ、ルデヤです。どのくらい、話したのでしょうか? 同じ心を いだきなさい。その話は、同じ心にならなかったということです。パウロが相当なメッセージを与えながら言う話です。どのくらいでしょうか? その名前がいのちの書にあります。それとともに、5節に「あなたがたの寛容な心を、すべての人に知らせなさい。主は近いのです。」「何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。」(ピリピ4:6-7)
▲この部分(序論)に対する重要な悟りがなければ、救われたのにもかかわらず、簡単に話せば、歳月が過ぎながらルデヤという人物が障害物になりました。こういう失敗をしないように願います。永遠に用いられることを希望します。ですから、ユウオデヤ、スントケと出して話をしたのです。個人のことをいうことができないのに、世界福音化の祝福された家、相当なマケドニアの援助、世界福音化の祝福された家、ルデヤの家、土台を 置いたルデヤの家、歳月が流れて、ピリピ4:1節を見ると “そういうわけですから、私の愛し慕う兄弟たち、私の喜び、冠よ。どうか、このように主にあってしっかりと立ってください。私の愛する人たち。” これが共同体です。主にあって共に立つことです。共同体、これを知らずに地域教会をしてはなりません。必ず記憶しましょう。皆様に神様の祝福があることを希望します。ユウオデヤとスントケに手紙が回ります。ユウオデヤに勧め、スントケに勧めます。あなたがたは、主にあって一致してください。少しの間だけ序論を知らなかったのです。
▲コリント教会に紛争がたくさん起きました。霊的高慢が起こったのです。私は何かの恵みを受けたということです。その時、また話をしました。序論です。Iコリント12章です。恵みを自慢するから、恵みの中で一番良い恵みが愛の恵みです。それとともに、各々、からだとして呼ばれたのではないでしょうか? それとともに、この話をしましょう。この意味が共同体です。地域教会をどのようにすれば良くできるでしょうか? 引続き、神様の働きが起きるのでしょうか? ルデヤ、ユウオデヤ、スントケに書きました。障害物になってはだめです。ルデヤ、ユウオデヤと書いていますが、同じ人物であることを注釈家が書いています。とにかく初めて聞く人物です。ユウオデヤは、ルデヤです。これを知らなければ、そのようになります。これを知らないとだめです。共同体の意味を悟ることが、どれくらい重要か分かりません。聖書をもう一度見ます。
(1)コロサイ1:23節に、暗闇の中から私たちを呼ばれました。これが共同体の意味です。
(2)エクレシア- エクレシアという言葉は、外に呼び出したということです。暗やみの中にいる人を外に呼び出しました。どれくらい重要な話でしょうか?
(3)使徒20:28 血の値で買われた教会、血の値で生かされた人間が集まったのです。だから、相当な共同体の意味です。
(4)エペソ4:11-12 "こうして、キリストご自身が、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を伝道者、ある人を牧師また教師として、お立てになったのです。それは、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためであり"
▲牧師として、教師として、預言者として呼んだのには、理由があります。何だとなっているのでしょうか? 聖徒を整えるためだと。奉仕の働きをさせるためだと。三番目の話しが重要です。前のことは分かります。奉仕のこと、聖徒を整えることは分かったのですが、三番目、キリストのからだを建て上げるためだと言われています。これが共同体です。そこに一つの体です。
さっき牧師たちに話をしたのですが、信徒の中のおかしな信徒は、どのようにするのでしょうか? からだの中でおかしな部分を、どのようにすれば良いのか? そのように考えればよいのです。目が異常です。体なのに目が異常です。抜き出して捨てますか? そうではないでしょう。からだで異常なのがあれば、集中的に世話するでしょう。病院に行きます。体です。あなたがたが、現場でみことば運動をしている途中で足りないとしたら、その人を足りなくないように、集中的に生かさなければならないのです。これが体の意味です。
体の中で一番に味わうのが何でしょうか? 一番に味わうことが口です。そして、思うとおりに話して、おいしいことはみな食べて、一番味わうことができないのは足です。回りながら苦労します。足と脚が一番苦労します。歩いて仕事をして、良いものは口がすべてします。この口を目も手助けして、手も足も手助けします。すると、もし脚が私たちは死ぬほど苦労するのに、口だけ良いことをさせると、それで口が閉じて食べないと、足が苦労するのです。食べないと先ず一番に脚の力が抜けます。その時に、口が私のためにあるんだなと分かります。事実、口はおなかが空いていないし、食べないほうが良いのです。
▲このパウロが、一つの体の思想を話をしながら、相当なメッセージをしたのです。これが共同体です。地域教会が、こういう意味で生きる時、聖徒は生かされるしかありません。より重要なことは、自分自身が祈りの答えを受けるしかないのです。どれくらい重要か分かりません。牧師に仕えている教役者だと考えれば、疲れます。表情も見えて、最も重要なこの方に仕える体だ。この方は頭で、私は体だ。このように考えれば、正確です。教会の中での働きも、このようにしなければなりません。清掃をしながらも、そのようにしなければならないのです。多くの職務の中で、清掃を良くすることができなければ、病気になって死にます。ここに体として仕えるのです。幹事を見れば、うっとうしい。一日中、難しい。そのように見てはだめです。神様の一つのからだを成し遂げる世界福音化の共同体の中で、他の人が出来ない、他に誰もしない仕事をしているのです。これが共同体、必ず記憶しましょう。長老は、どのように考えをせねばならないのでしょうか? 長老くらいになれば、教会の予算に神経がたくさん行きます。そして、献金する事も多いのです。あちこちから要請を多くします。老会、総会の要請、海外の要請が来ます。とても多いのです。とても多いと見ると、意味がなくて疲れます。共同体を悟らなければなりません。
もしこの意味を悟って、100ケ所に献金をすれば、100ケ所の体の中に入っていきます。ものすごいのです。この意味を知らなくて疲れるのですが、この意味を知っていれば、神様の大きいからだを成し遂げるのです。驚くべき事実です。この契約を必ず捕まえましょう。その程度で終わるのではありません。
(5)Iコリント12:12 確かに話しました。一つのからだを成し遂げる体です。共同体です。
(6)Iコリント3:16, ヨハネ14:16-17, ヨハネ14:27, 使徒1:8
▲神様がその中にいらっしゃるために、神殿です(Iコリント3:16)。私たちと共に、私たちと永遠におられる聖霊様(ヨハネ14:16-17)、それで、私たちに真の平安を下さり、完壁な答を下さいました(ヨハネ14:16-17)。それで、全世界を征服できるようにされた(使徒1:8)。共同体です。共同体の意味と祝福を知って、こういう3つを知っていながら作りだした地域教会です。
 
4.地域教会
▲今日から新しい答えを受けることを希望します。必ず記憶しましょう。3つです。
(1)集まった人- 体「一体」
▲集まった人がキリストの体なのですが、この知恵が集まって神様の計画を成し遂げる正常な一つの体です。これをいつも探さなければなりません。私たち地域教会で、からだを成し遂げながら、神様の計画を成し遂げて行くのです。
(2)本教会- 頭
▲本教会を頭として、皆様は節々の体を成し遂げます。このように記憶しなければなりません。より大きい祝福を受けることができます。
 
(3)老会, 総会, 他教会、他教団
▲皆様は老会(牧師の会議)で体です。あなたがたは総会というところで、祝福の枠の体です。そこで体です。多くの21世紀をはじめとする宣教チームがあります。その宣教チームの体です。そうすれば、祝福を途方もなく受けます。はなはだしくは、他教会と神様の祝福を成し遂げる体です。他の教団が救われた人であることが確かならば、その教団とも一体を成し遂げる体です。方法は、本教会を頭として、体の役割をするのです。神様が与えられた大きい祝福を受けるように望みます。
 
5.答え
▲この時から来る答えです。
(1)神様(救い)- サタン(分離)
▲一番、神様が喜ばれることが何でしょうか? 皆様が一つの家族で、一つの共同体で、神様の家族です。反対に、サタンが最も喜ぶことは何でしょうか? 神様は私たちを救われた神様で、サタンは私たちを分離させる者です。このように見れば、ものすごいのです。知ればものすごいのです。祈りの答えを正しく見る時、神様と サタンは反対です。レベルが同じ敵ではないけれど、活動が反対です。神様は私たちを救おうとされるのですが、サタンは滅ぼす方法が分離です。皆様も知らずに、誤った霊が入っていけばだめです。絶対に“仲間同士” 絶対に仲間同士にはならないように。最も大きい霊的問題です。堂会、教会は体です。他の教団は同じ体です。そして、救われたあらゆる人が体です。これが正しい精神です。これができなければ、深刻な霊的問題が迫ってきます。
(2)霊的問題- 1順位
▲皆様、霊的問題は、色々なものがあります。霊的問題の第1順位です。皆様がそうなると、失敗します。みわざがずっと起きれば、来なくなります。それで、私が言うことは、絶対に分離してはなりません。この話は、私達が違ったことは分離しなければならないのですが、絶対にこの話が重要なのです。
▲私の話しが分からないと、皆様は困難になります。よく見て下さい。タラッパンで心配になる人がいます。これは伝道運動だなと、伝道運動をする時、相手の自尊心に触ります。それで、させてもらえなくなって、出てきます。問題になる必要がありません。100倍に祝福を受けます。しかし、そうでなく、元々回る人があるのです。教団に仕えることができなくて、教会に仕えることができなくて、タラッパンができた、良かったと出てくるのです。これが問題です。これも、ここにいることができなくて、また行かなければなりません。霊をそのように受けたのです。
▲それで、私たちは、私が分かって “自ら” できる人は誰もいないのです。自らできる人は、一人しかいません。“神様”です。“わたしは自らある者だ” 私たちは全部、自らありえません。
▲それで、私の場合は、何かを決定すれば、他のおとなに尋ねます。祈りも多くするのですが、秘書、職員にも尋ねます。こういうことは、どのようにするのか? なぜなら、自ら生きることができる人はいないからです。そして、重要なことが生じれば、他のおとなに知らせましょう。共に祈るようにしましょう。私が知っていて する、そうではありません。これは間違った言葉です。人間は自ら存在出来ません。老会、総会に監督を受けなければなりません。干渉ではなくて、人間はそうなのです。これは相当な霊的問題と関係があります。もしそのように感じられても、そのようにしてはなりません。
▲私たち釜山で見れば、そのようなチームが時々あります。メッセージは講壇から出てくるのですが、成就は私たち地域教会でなります。まちがいなく、おかしな霊を受けたら、失敗します。絶対に、そのようになりません。共同体、その中で一つの体です。皆様と共に行く共同体の体です。なぜなら、この話を知らなければ、すぐにサタンの攻撃を受けからです。これでできなくなります。みな崩れるのです。私が話しても、この霊を受けた人はわかることができません。霊ということは重要です。按手を受けるなはということは、霊を受けるからです。メッセージが変わります。あなたがたが知らなければ、問題がきます。一時代の責任を負った重要な方達なので記憶しましょう。体質的にそのような人がいます。すると、大変なことになります。一生、歩みの中で問題がきます。これを説明するのは難しいのです。この話は、この問題がある人は、絶対にわかりません。既に霊的問題がきているために、あなたがたにはみわざが起きるはずなので、この部分を話します。共同体、一つのからだです。
▲パウロはガラテヤ2:20に “私はいない。私の中にキリストが生きておられる。私は毎日死ぬ” 私が私になったのは、神様の恵みで、使徒の中で極めて小さな者だ。そして、月足らずで生まれた。教会を迫害した者だ。と言いました。
無理に述べた言葉ではありません。巨大な神様の秘密を見たので、その中で私が一つの体なのだな。重要な一つの体だな。皆様が重要な一つの体だな。ということです。それでこのようにしましょう。今から私が引き受けた働きを良すべきで、主観的であるべきなのですが、霊的問題に落ち込まなければ良いのですが、絶対にこのようにしてはだめです。ある日、霊的問題が迫ります。止めることができません。すると100%です。可能ならば、こういう専門性だと見ることができるのですが、これが誤れば、仲間同士になります。別々にするのです。大変なことになります。必ず記憶しましょう。このように考えればよいのです。
肉体的にこのように考えればよいのです。中、高等生が学校に通わないで、小学校の時から検定試験を受けて、大学に行きました。大学に適応できません。大学が全部、霊的問題となります。適応できません。学校に行って、子ども達と鼻血を出したり、弁当も盗んで食べたり、そのようにして育ちます。先生に殴られたり、先生と葛藤も生まれ、先生に仇名がつけて悪口を言って、みなするでしょう。肉体的にそうであるように、霊的には話す必要がありません。それで霊的に最も深刻なのは、共同体の反対語です。霊的にそれよりも深刻な ことは、共同体に対する誤った解釈です。そうなれば、困ります。精神が狂ってしまいます。
永生教を見ましょう。こういうケースです。自分が神様だと言います。この前、聖水大橋が崩れたのは、チョ・ヒソンを捕まえたからだと言います。言う言葉がありません。今は死んだということです。そのような方法で理解をするのです。この前、捕えられて入っていきながら、あなた方、私を捕まえたら罰を受けるという、おかしな頭です。拍手することを見たでしょう。正常ではありません。
▲私たちが、気が合うことだけ見るのは、未信者の共同体です。クラブです。私達が話す共同体は、こういうことではありません。皆様のような人が救われて、神様の子どもとして集まった所です。共同体です。足りない部分は、痛いからより重要です。父母に息子が2名いれば、大丈夫な子がいて、そうでない子がいます。親は、具合が悪い子がいつも心配になります。そうではないでしょうか? 10人がみな貴重ですが、親は弱い子に心が傾きます。しかし、健康で勉強を良くすれば、いやなことではないし、心にないことはないのですが、安心しています。神様も同じです。この部分を、必ず地域教会で記憶しなければなりません。
▲この部分を強調することは、時刻表になったのです。皆様が大きい答えを受けなければならないためです。これをわかることができなければ、韓国教会に及ぼす影響が相当なことなのに、知らなければ、悪影響になります。地域教会という話を、寺の僧侶が悟ったら大変なことになります。たぶん、それで説教を放送に出さないほうが幸いです。もし他の宗教でタラッパンの戦略を悟ったら、大変なことになります。もし悪用すれば、大変なことになるのです。とても聖書的に、福音的にしましょう。地域教会、共同体、救われた者の集い、全体が一つのからだを成し遂げる体、とても重要です。このようになる時、相当な答がくるのです。
(3)聖書- パウロ- アンテオケ教会
▲聖書にあるそのままが来ます。聖書は生きている神様のみことばです。その中でも、パウロが受けた答えが そのまま来ます。本当に驚くべきことでしょう。アンテオケ教会が受けた答えがそのままくるのです。テサロニケ教会、アンテオケ教会がこの話を悟ったのです。
 
▲共産主義- 私たちは、思想を持って生きていきます。私は共産主義は、はじめから違った思想だと考えます。 なぜなら、共に分けて食べるのです。何ゆえに共に分けて食べるのでしょうか? 能力通りに食べるべきで、話にもなりません。共産主義は、滅びるしかありません。台風が来ても行きません。自分のことでないからです。そして、共産主義は泥棒がいません。自分のものを所有している時、成立することです。ところが、自分のものがなければ、あなたのものでもありません。共同であるから泥棒もないのです。食べてしまえば、自分のものです。共に食べてみましょう。速く食べれば、自分のものです。北朝鮮の人々は、用心しなければなりません。盗みを良くします。ロシア人は、もっと良くします。一度、ロシアに行ったところ、夜に寝ていたら、タイヤを持って行きました。少しの間入っていって食事をしにいったのに、盗んで行きました。共産主義は、盗みが悪いことではないのです。なぜなら、思想自体がそうなのです。大声を張り上げていましたが、70年後に滅びました。
▲民主主義- 共産主義よりましです。民主主義は、良いということではありません。簡単に話せば、人が主人になることです。より正確に話せば、民が主人をして回ることなのですが、多数決が勝ちます。ここには、反対派があり、賛成派があります。話合いをして行くのです。神様なしでは、方法の中で一番良いでしょう。私たちは、他の考えをしなければなりません。
▲神本主義- 私たちは、神様の中心で生きなければならないのです。神本主義です。そのために、99人が反対しても、1%が正しいければするのです。民主主義は99%が賛成すれば行きます。神本主義は、1%が正しくても行くのです。私たちは、神様のみことば通りに行くのです。
 
▲ もう一度思い出しましょう。“そういうわけですから、私の愛し慕う兄弟たち、私の喜び、冠よ。どうか、このように主にあってしっかりと立ってください。私の愛する人たち。”(ピリピ4:1)
いくつかの単語を覚えましょう。“冠” 私の同労者を助けましょう。“いのちの書” 助ければ助けるほど祝福です。その名がいのちの書に記録されています。これが共同体です。こういう人々の集いです。このようになる時、霊的問題はいりません。霊的問題が、自然に解決する祝福になることを希望します。
パウロが受けた答えを本当に回復する皆様になることを希望します。イエス様のお名前でお祈りします。
(The end)