2002-05-02 
2002年 4月 地域教会



EBS 基礎訓練 10-12
(Uテモテ3:14-17)
 
<序論>
▲今月にEBS 基礎訓練の本を終わらせます。それで重要だと言えるでしょう。先ほど、長老が祈った通り、平日教会と聖日教会だけ成功すればよいのです。皆様が平日に答えを受けることと、聖日に恵みを受けることだけ良くすればよいのです。伝道が難しいと言いますが、それはみな間違った話です。
▲ある国に行ったところ言うのに、本当に礼拝をささげて、福音を受けてみたいのに、言ってくれる人がいないということでした。ですから、福音を伝えて人を生かす所はたくさんあるのです。
▲ある人は、タラッパンをしてもだめで、タラッパンゆえにむしろ困難になったと言いました。それで、良いのか?と、その教会を手助けしようと、長老と信徒達何名かに私が尋ねたのです。牧師がタラッパンでする福音運動が良くないと言うのは、何故そうなのか? 信徒達が牧師をよく助けるべきなのに、何故そうなのか?と言ったら、助けるべきなのだけど、自分たちが足りないとしながら言う話が、現場で伝道して教会に連れてくれば、その時から2週だけ説教を聞いて、それから来ないということでした。いまは逃げることが出来ない親戚だけが何名か残っていて、みな逃げたと言いました。
 私が知っていることでは、福音を伝えるべき所が多くあります。皆様が少しだけ現場で良くすれば、救われる人が途方もなくたくさんいます。あなたがたが受ける祝福が、現場にはものすごくたくさん待っているのです。
 そうだとする時、私たちはものすごく重要な現場に関するメッセージを進行しています。
▲先月は、神様が用いられる働き人、どんな色合いか?を語りました。今晩と明日の夕方に終えなければならないために、皆様が必ず記憶しなければならないことがひとつあります。
▲他の人より、ここにいる私と皆様に重要なことがあります。
(1)'過去'を 完全に解決しなければなりません
▲このことが簡単な話のように見えるけれど、みことば運動の最も重要な部分です。皆様がメッセージをする以前に、この部分に最も多くの恵みを受けなければなりません。皆様が伝道すること以前に、この部分に最も多くの答を持っていなければならないのです。
▲私は 6.25(1950年朝鮮戦争)世代を生きたので、ものすごく貧しくて、無能で、人々が異常だということを見てきました。それが私たちの過去です。私はそれをしてはならないと考えたのです。神様がそこに多くの答えを下さいました。皆様、イエスを信じる人々は、イエスを信じたらみな終わったのです。
▲したがって、過去にだまされてはだめです。皆様からここを早く解決しなければなりません。イエスを信じてみな終わったのに、自分でも知らずに持っている霊的な隠された性分があるのです。
1)霊的な隠された性分- こういう部分を早く発見しながら、解決しなければなりません。すると、相手を見て説明しないでも伝達されます。皆様が答えを受けるために、相手が見て受けるようになっているのです。
▲私たちの教会で夫婦がいつもけんかして、家庭にいつも問題が起きる人がイエスを信じるようになりました。イエスを信じたらとても良かったので、家庭に変化が起きたのでした。それを見た人が分かったのです。すると説明しないでも良いのです。家庭はこうすべきだ、夫婦はこうすべきだというメッセージをしないでも、この人達が見て分かるようになるのです。その人たちにあった古い霊的な性分です。
▲皆様が本当に伝道運動をしようとするなら、これから早く解決しなければなりません。
▲では、教会史に流れている戦いは何でしょうか?
@宗教- 変に教会が復興すれば、宗教になって滅びるのです。いつでもそうです。
A福音運動- 教会が宗教になるから、神様が福音運動することをしきりに作りだされるのです。
この戦いです。皆様が、今、この戦いの隊列に立っています。
聖書を見ましょう。生きているうちにまた変になって、後ほどは奴隷になってしまいます。それで福音を知るようにさせて引き出され、また出てから生きているうちにまた変わってしまって、ものすごい神殿を建てておいて礼拝をささげて、この人達がまた宗教に変わってしまったのです。だから、また捕虜になってしまって、捕虜になってしまったので、その人々に福音を知らせてまた引き出して... だからまた祝福を受け、祝福を受けたらまた宗教に行って... それがパリサイ教会です。だから、神様がまたパリサイ教会を福音で変えられたのです。だから初代教会が祝福を受けるしかありません。ところが、初代教会がものすごく大きくなって、宗教へ行ってしまったのです。それが中世教会です。中世教会がまた堕落してしまったので、神様はそこで改革教会で変えてしまわれたのです。まだ 2世紀もならないうちに、福音はまた教会の権力に変わってしまいました。その時、神様が起こされた人物が、ウエスレイ、ムーディー、フィニ、キプリング.. こういう人物などです。ところが、科学が発達して、文化が発達して、ちかごろはもっと完壁な宗教で、教会の権力に行ってしまったのです。
▲この時に、小さな位置にあるけれど、皆様が福音運動をするために出たのです。皆様がこの話をわかることができなければ、本当に教会史もしらずに、聖書も知らないことです。これは高慢になる理由ではなくて、自慢せねばならない理由でもありません。せつない部分です。こういう隊列に立ったとするなら、私たちは限りなく謙遜にならねばならず、限りなく動機を捨てるべきです。私達がこの部分を悟ったとすれば、私たちは限りなく感謝して、限りなくおりて行かなければなりません。
▲私はせつないのがそのような部分が残念なのです。福音ならば終わりであって、何でそのように問題になることがあるのでしょうか? イエス・キリストが足りないということでしょうか? タラッパンでは、聖書も解釈せずに、聖書にあるそのままをします。方法も聖書にあるそのままをするのです。それをする、しない、なる、だめだ、そのように話すことが異常です。するとそれが結局、何を言うのか?というと、イエス・キリストが足りなくて、聖書が足りないという話になるのです。
 今、タラッパンの特徴は、聖書の解析もそんなに多くしません。聖書を読んで説明して、イエスを話すのです。マルコのタラッパンで始まった運動を、あのローマ征服まで私たちはそのまま聖書を参考にするのです。ただイエス・キリストだけが問題の解決者です。するとできるのか! そこになぜ言い訳があるのでしょうか? なぜそこに葛藤があるのでしょうか?
 ただイエス・キリスト!ならばみな終わったのに... 待ちさえすればできるのに...生きればどうで、死ねばどうなのですか? パウロは生きても、死んでもと言ったのに... 今、皆様が早くこの部分を直さなければなりません。
▲今、どれくらい福音がないから、韓国教会があざ笑われ、どれくらい福音がないから、私たちのような人を呼んで福音運動をしようとされるのでしょうか? 既に宗教の味を知った人は使うことができないために、私たちを呼ばれたのです。
2)過去-
▲あなたがたにある多くのことの中でも、皆様には過去があります。完全に終えなければなりません。今日、一番目に終えることは、自分自身に隠れてある霊的性分です。私達が福音運動をするのに、私が本当に福音か?違うか?について、確実にしてしまわなければなりません。すると終わったのです。すると、答えになればどうで、出来なければどうなのでしょうか? ここに何の言い訳があるでしょう? なんの言い訳もありません。万王の王なるイエス・キリストを私たちの主に送られたゆえに終わりです。だからスパフォードのような人は、自分の息子が二人も死んだのに、感謝すると言いました。単に感謝したのではなく、自分のたましいが平安だと言いました。キリストで終わりなのに...それで終わるものではありません。その人の後には、とても大きな働きがついてくるのです。
▲皆様がみことば運動をしながら、必ず記憶しなければなりません。皆様がやや下手すると、むかしのことがしばしば出てきます。自分の過去がだめなことを知っていながらも、むかしのことにしばしば戻ります。神様のみことば運動を通じて、こういうことを完全に終わりにしなければなりません。神様の力を見ても、しばしばエジプトのことを話すのではないでしょうか? しきりに律法を話すのではないでしょうか?
 私たちの霊的問題を律法では解決できません。しばしばこのようにするならば、私たちはものすごく違ったことに体質化なっているのです。
3)体質-
▲私たちは、早く悟らなければなりません。違ったことに体質化なっているからです。
 もしここにはじめて来られた方がいるならば、この話が難しいこともあります。説明を少しすれば、皆様が本当に福音を理解するならば、みな終わったのです。これを知らないので、しばしば崩れるのです。
 そして、私たちはむかしにみな経験したゆえに、むかしのことを無視できません。むかしに私はこのように生きたんだなあ! これがまさに霊的な問題だな! こういう部分をあなたがたは悟りによって答えを受けるようになります。
 私たちは、私たちも知らない間に違ったことに体質化なっています。
@律法- こういうことに体質化なっているのです。
A神秘- 祈ろうとするので、するしかないので神秘側に体質化なっています。
B熱心- そして頑として熱心にします。
C博愛- そうしたあと見ると、人間的に博愛側に多く体質化なっています。
▲間違っているということではありません。こういう部分にだまされてはだめなのです。
 律法は、私たちに知らせることです。あなたが罪人だということを知らせることが律法なのですが、その内に入っていって、どうするのでしょうか? あなたは死ぬと知らせるのに、そこを見て入って行っても良いのでしょうか? 人間が滅びるしかない理由がこれだというのに、その内に入って行ってもよいのでしょうか?
▲神様の福音を正常に知らなくて、しきりに違ったことで脱皮するのが神秘なのに、そちらがわへ行ってよいでしょうか?
▲ある牧師が私を見て聞きましたよ。「先生、私には実際にはひとつ悩みがあります。福音がとても良いのに、他に話せない悩みがあるのです。私はこの福音運動、タラッパン運動があまりにも良いのに、いのちをかけて反対する人があるのですが、それが牧師夫人なのです」と言いました。私が一気に診断をしてたずねました。「奥様は神秘主義でしょう?」と尋ねました。そうしたところ、この人が手の平を打ちながら、どうして分かりますか?と言いましたよ。絶対に神秘主義は、福音運動をしません。しないということではなくて、できないのです。それで、皆様は注意しなければならないのです。神秘主義は、一つの自己満足です。損害をこうむったとしながら、自分一人で錯覚をするのです。福音も知らないのに、やたら体験したとしながら... ここで他の宗教に負けるのです。
 私が一日、釜山で一番復興している寺に行ってみました。一万名くらいが集まっていました。はっと驚いたのです。施設は言うまでもなくて、僧侶のメッセージ(説法)が良かったのです。それが重要なのではなくて、本論は別にあったのですよ。明け方 2時頃になったら、すっかりみなを気絶させてしまったのですよ。完全に人をひっくり返してしまいました。私がそれを見た時、これは普通の問題ではないな! これだから、教会が勝つことがないのです。教会がさえない律法、神秘、熱心、博愛主義運動をして勝つことはありません。
 宗教運動で正そうとするなら、教会が水準が一番低いのです。解答でないから、水準が低いのです。ヨガや瞑想する所に行ってみるならば、どれくらい深くしているか知っているでしょうか? 気功をする所に行ってみると、相当な段階に入っていきます。
▲あなたがたが、本当に福音運動をしようとするならば、霊的問題、過去、体質化なったものをみな終えなければなりません。みな終わったのです。終わっていないと言いますが、終わったのです。イエス・キリストが律法も完成なさって、あらゆる力も完成なさって、私たちの人生の全てのものをみな責任を負われました。それで悟れば良いのです。こういう部分を、メッセージを通じて聖書勉強する人々が悟らなければなりません。
▲ある方が、私を見てこういう話をされました。私は福音を悟ったことをどれくらい感謝しているか分からないと言いました。自分が初めてイエスを信じるようになった時、病気がよくなってイエスを信じるようになったのに、神様の恵みで祈梼院で祈っていたら、よりよくなったと言いました。ところが、祈梼院の院長が問題で。しきりに要求をしたのです。最初の要求が何でしょうか?あなたは祈りの使命を受けたゆえに、祈らないならば死ぬということでした。神秘、律法がみな含まれていたのです。皆様、神秘の人が律法を持って押さえれば、これが人を殺します。どれくらい恐れるでしょうか? あなたが神様の恵みで病気が良くなったのに、あなたが祈らないならば良いだろうか? どれくらい正しい話のようでしょうか? どのように祈りすれば良いかと聞いたら、毎日きて徹夜祈りしなさいと言われました。どれくらい恵みのように思えますか? 祈りなさいというので... それで、死ぬかと思って、昼には自分がする重要なことをして、夜には祈ろうと行くのです。人ができることでしょうか? 昼に遊んでいる(何もしていない)人ならば良いのですが、昼に仕事があるので... 夫が見るとせつなかったのです...だから夫人を連れて祈梼院に行くのです。夜通し祈って夫は車で待って...すると恵みを受けるか、受けないのか、とにかく何かに充満して降りてくるではないでしょうか? それで車に乗せて家に帰ったのです。毎日いっしょに... 神様がそんなに悪質でしょうか? そうしながら、この福音を聞いたのでした。終わったのです。もちろん、祈ることは良いことです。しかし、そのような方法でしてはだめなのです。福音を知らなくて、そのようなことをどんどんします。
 イエス・キリストが、全てのものを終えてしまわれました。皆様の霊的問題、過去をみな終わりにして、皆様の体質をみな責任を負ってしまわれたのです。メッセージを聞く皆様は感じることができなければなりません。この方が感じることができたゆえに私に話をしたのです。みな終わったのです。山に行かず、家で祈りましょう。足が痛いのに折って座って祈る必要もなくて、横になってかけぶとんを掛けて、安らかに祈りましょう。私たちは、祈りをあまりにも間違って話します。もちろん、聖書に断食祈り、徹夜祈り、山祈りはみなあります。そのようなことは、しなければならない時があるのです。問題は、律法、神秘、熱心、博愛、こういうことを絡み合わせたら大変な事になるということです。
▲皆様が福音もなく、無条件に熱心にすれば、後ほどどのようになるでしょうか? 私は博愛主義運動をする人を見ました。むしろ憎い気がしたましたよ。自分のためにするのです。主のためにするのではありません。何ゆえにそのように救済運動を多くしながら、教会のなかで戦うのでしょうか? そして、教会のなかで、牧師、伝道師が謝礼を引き上げてもらうことを持って、そのように戦って、また救済をしに行くのです。それは博愛でもなくて博愛主義です。そのようにせねばならないと考える博愛主義です。人を愛すなという話ではありません。博愛主義は、実際には怖いのです。福音をみな防止してしまうのです。
▲一時、釜山に貧しい老人がいました。むかし釜山駅を見れば、荷物を運んで謝礼を受けることがありました。大きい収入ではなかったんどえす。ところが、この人が、その背負子を背負って、自分はうどんを買って食べて、お金を集めて大学生をいつも助けたのです。どれくらい感動的でしょうか? だから、新聞になんども出ました。私はこの人がなぜそのようにするか? 注意深くみたのです。本当に良いことですが、その個人は哀れなのです。私は新聞を読みながら把握しました。 6.25(1950年朝鮮戦争)時、息子の手をつないで逃げてきている途中で、息子に少しここにいなさいと言って、帰ってきたら息子がいなかったのです。その時から、この人がこの息子をいままでさがそうとしたのに、さがせなかったのです。この人はほとんど狂うようになったのに、お金を儲けて息子に勉強をさせようとするのに、息子がいない? それで難しい大学生がいれば、訪ねたのです。間違っているというのではありません。素晴らしいことです。しかし、私が話すことは、そのような話ではありません。その人のたましいがどれくらい難しいことで、その人個人がどれくらい難しいでしょうか?
▲なにか人々は、こういうこと(律法、神秘、熱心、博愛)が体質になっているのです。当然にしなければならないことを、ある思想に...
ここに、私たちにものすごい動機です。
4)動機-
▲皆様、動機ということは、刺激になるために悪いものではありません。政治家たちを見れば、本当に国を愛すと感じられませんでした。政治をすべきだという動機です。もちろん、動機があるべきです。しかし、動機ということは、限りなく行ってみるならば、左右の区分ができずに迷宮に陥るのです。国家のために献身する! このようにするならば、それは動機ではありません。そのような人がいるでしょうか? 信仰生活もそのようにしてはだめです。お金に狂った人を見てみましょう。お金! お金! と言いながらついて行くのですが、迷宮に陥るのです。お金が必要ではないということではありません。それが自分の動機になって、死ぬことを知らないのです。名誉も同じです。なにか仕事をしてみて、成就すれば動機が強くなるのです。
▲絶対に教会の働きをそのようにしてはなりません。福音運動をそのようにしてはなりません。福音運動は、ただ福音だけとしましょう。すると、皆様には大きい神様の働きが起きるようになるはずです。
 皆様に残っている個人の問題、家系の問題を早く悟らなければなりません。
5)個人の問題, 家系の問題-
▲皆様がこの部分を本当に悟らなければなりません。皆様に会って聖書勉強をする以前に皆様が 1)-5)の部分がならなければなりません。ものすごい答えがきます。自分の家系、自分の家がずっと律法主義できたのではないか? 早く解決できなければ、皆様の子供に不信仰が入っていきます。皆様の家系に、格別な苦しみがなかったでしょうか? これを悟ることができなければ、必ずそのまま伝えられます。必ず悟らなければなりません。皆様、この部分が小さな部分ではありません。これを悟ることができなければ、ある日、やられてしまいます。
▲私たちが完全な福音を受けたのに、なぜここにだまされるのでしょうか? 私が先週説教しながら話したのですが、勉強ができないのも、まず霊的問題です。勉強をするのがやたら嫌いで、学校に通っているのに、放棄することがまず霊的問題です。私がそのようなことを見ながら、これは他の霊的問題ではない、と思いました。どうかといえば、その息子、娘、孫たちがが似るのです。
 それで、私は私の息子、娘達、孫たちがそのようにしてはだめだ! と思います。これは小さな問題ではないのです。私は律法主義の教会で大きくなりました。これが小さな問題ではないのです。信徒を半殺しにするのです。あ! このようにしてはだめだ! と悟ったら、神様が恵みをくださったのです。皆様が持っているこの問題! 解決を受けるように願います。悟りさえすればよいのです。そうだな!と悟りさえすればよいのです。
▲代案学校の学生達と相談する中で、私がおもに何を言ったのか知っていますか? 学生達に必ずする話があります。「あなたの父、母が歩いてきた道を歩いて行かないように。今、あなたが歩いて行っている。その道をあなたが歩いて来た。早く止めなさい。」そのように話した時、わからなかった子供は一名もいませんでした。「やめなさい! あなたは祝福を受けるのです。どれくらい神様の恵みを感謝しているのか。イエス・キリストだけが、あなたを生かすことができる。あなたの家系の問題をイエス ・リストだけが終えることができる。分かったか?」その話をわかって感動受けたり、反応を見せた子供がいます。驚くべきことに、この子供達がみな成功しました。即刻、答えを受けたということです。
▲ある子供が、私を見て話すのに、学校に行くのが嫌いで、家に帰るの嫌いだと言いました。それで、私がその子供を見て話したのです。「あなたはその2つが、まさに使命だ。あなたがまさに学校を生かさねばならなくて、家庭を生かさねばならない。あなたの使命だ。あなたはその霊的問題に引っ掛かった。あなたがここで勝たねばならない。」その子供がわかったのです。すぐ回復しました。
▲あなたがたが、今晩に本当に重要な時間になることを希望します。
 皆様の中に、何も問題がないと考えている人がいますか? 私は、イエスを信じる人々の中で、特に問題がなく良い生活をする人々を見ました。特に、ある教会では、金持ちだけがずらっと集まっていました。教会員は全部ソウル大出身で、良い生活をしていたのです。頭が優れています。基本的に頭が良いのです。小学校の時から勉強を良くした模範生でした。信仰生活も良くするのですが... 私は、その人々から深刻な霊的問題を発見したのです。その人々が最も持っている病気があります。律法です。律法に捕われています。だから、子供が死ぬのです。子供達に信仰が入っていかないのでした。入っていっても、律法的に入っていくのです。ですから、ある日、霊的問題がやってきたら、耐えることができないのです。
 それで、この部分をメッセージで話をしました。パウロの話を多くしたのです。パウロがどれくらい家系が良かったでしょうか? どれくらい学があったでしょうか? エリートの中のエリートです。普通の人と遊ぶこともない、かしこい人です。この人が福音を悟ったのです。自分に律法が最も重病だということを発見したのです。これを折ってしまったのです。どれほど折ってしまったでしょうか? あの人が律法を破棄する人ではないか?と言われるほどに折ってしまいました。私はパウロを理解します。
 例えば、酒ゆえに病んでいたのに、イエスを信じた人々は、酒のビンだけ見ても拒否反応を起こします。その人を見て、あの人はちょっと異常ではないのか?と言ってはだめです。パウロが律法ゆえに、どれくらい苦労したのでしょうか? だから、福音を知って、律法だけ見ればやたら拒否反応を示したのです。後ほど、パウロを見て、律法を破棄する人と言われるほどでした。それくらいの話を聞くくらい、はっきりとしてしまうのです。
▲牧師たちが、メッセージをする時ごとに、いつもこういう内容が出なければなりません。
また、信徒がメッセージを聞きながら、こういう部分がいやされなければなりません。地域教会運動がたくさん起きるはずです。福音が良いからと、方法を学んでもなんの効果もありません。幼い子供達を連れてきて訓練をさせるのに、見たら未信者六種類の状態、信者の七つの祝福をみな暗記していたのですよ。教えてやることがありません。タラッパンメッセージをみな暗記していました。しかし、その子供達の中にある、まさにある傷は解決できないのです。これを解決してあげることがいやしです。
 あなたがたに、本当に驚くべき神様の祝福があるようになることを希望します。
▲すると、私たちの人間が、動機もみな捨てて、それで生きるのでしょうか?
 それで、テサロニケ教会での信仰と希望と愛です。
(2)テサロニケ教会
1)信仰、希望、愛
▲私たちは、動機がないのではありません。私たちは希望を持っているのです。
▲私たちは、本当に神様の愛を受けて、愛すために、主の働きをするようになるのです。滅びるしかない私が救われたゆえに、これを愛で伝えるのです。呪いを受けねばならない私達が祝福を受けたのです。私たちの体質が滅びるしかないのに、ところが、神様が救いと祝福を下さったのです。だから、これがどれくらい感謝なことでしょうか? どれくらい神様の愛が大きいでしょうか? だから、自分のような人に行って、このメッセージをしなければならないのです。これが愛です。私達が実力や方法を持ってするのではなく、愛で...愛すならば、どんなに苦労してもかまいません。それで愛の労苦だと... 私たちは、人の祝福程度ではなく、大きい希望を持っているために、どのようなことも耐えることができるのです。祈ればまちがいなく、答えがくるために耐えるのです。神様のみことば、契約を捕まえて、まちがいなくなるから..
▲今日、皆様の家系、皆様の背景、暗闇の勢力が全部崩れるようになることをイエスの名前でお祈りします。これになってこそ終わりになるのです。そうなってこそ、未信者が「あ! そうだな!」と知るようになるのです。
 皆様が知っているのか知りませんが、人々がどれくらい霊的問題に苦しめられているか知っているでしょうか? 本当にせつないことが、あまりにたくさんあるのです。
 キリストのなかで、信仰と希望と愛を...
2)力、聖霊、確信- そのまましたのではありません。力と聖霊と確信で。これがテサロニケ教会です。
▲皆様にあるあらゆる霊的問題が、今日、発見でき、解決される祝福があることを望みます。
▲私は、一度テレビを見ていたら、顔がとても変になった人が出てきたのですが、この女性を愛する男性がいて、結婚をしたのに、家で命をかけて反対されたのです。この女性は、単純な女性ではなくて、特別な売春婦のような女性でした。身長も普通の人の半部しかならず、顔も見れば、変に間違って生まれた顔で... ところが、その女性を愛した男性がいたのですが、男性の家で反対したのです。二人が結婚して住んでいるのに、家にきて見ることもしないのでした。ところが、この女性が子供をみごもるようになったのです。赤ん坊が生まれるのに、この夫婦に悩みがあったのです。夫は話さないのですが、女性が悩みがあるのに、自分に似た子供が生まれたら、どのようにするか? 自分がよくないことを知っているから...こういう深刻な悩みをする中に、子どもが産まれたのですが、似ていませんでした。そのような問題を見ながら、本当にあの人々が福音を知っていれば良いのに... 本当に珍しく思いました。そのような人々が結婚すれば、その代は大丈夫でも、その次の代にまた反復して、そのように生まれるらしいのです。
 遠くを見ることもありません。家庭の中に起きる霊的な問題が深刻です。
▲今日、私たちが深刻な話までしなくても、小さい一ケ所から恵みを受けなければならないのです。
▲私が教会に福音がなくて、伝道をしないことを悟ったのに、神様が答えを下さったのです。そして、見ると大部分の信徒は貧しくて、無能で、献金もよくしないよ!と感じられました。その部分を考えていたら、神様は向こう側に対する答えを下さったのです。ほとんどの信徒が、エリート方向に入っていくことができなくて、福音を伝えることができないでいるんだな! その祈りをしたのに、神様がエリートとレムナントをたくさん立て起されるのを見ました。それなら、私達が考えだけすれば良いのではないでしょうか? 今日、悟りさえすればよいのです。今日、皆様に本当に神様の祝福が臨む日になることをイエスの名前でお祈りします。
 
▲他の話を聞くことはありません。本当に新しい家族を見て話してあげましょう。
 
訓練10-神様が用いられる働き人 3
(聖書を知る人, Uテモテ3:14-17)
▲それならば、聖書はどうなのでしょうか?
1.聖書の性格
(1)聖書は、神様のみことばです(Uテモテ 3:16).
@聖書は、神様の霊によって、預言者あるいは使徒を通じて人間に与えられたみことばであるから、私たちには、いのちの道案内となります。
▲16節に見れば "聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。"神様の霊感で書かれたとされています。英語の聖書をみれば "by inspiration of God"となっています。すると、完壁なのです。これが聖書です。みことばを捕まえましょう。
▲皆様がいままで疑ったとしても、今日からみことばを捕まえましょう。どの程度になれば良いのでしょうか? 神様のみことばが、皆様の現実と答えと合えば良いのです。聖書は神様のみことばです。
(2)聖書は預言の書です(黙示録1:3)
@将来に起きる事件を正確に預言しているので、このみことばを知らなければ、災いを受けるようになります。
A黙示録1:3 "この預言のことばを朗読する者と、それを聞いて、そこに書かれていることを心に留める人々は幸いである。時が近づいているからである。"
▲聖書は、私たちにいのちの道となります。黙示録1:3に見れば、聖書は預言の書です。これからある事が正確に預言されているゆえに、そのままみことばで捕まえれば良いのです。
▲ローマ15:4に見れば "昔書かれたものは、すべて私たちを教えるために書かれたのです。それは、聖書の与える忍耐と励ましによって、希望を持たせるためなのです。"とされています。
▲Iコリント10:11に見れば、このみことばは、単に記録されたのではなく、私たちに重要なことを鏡として与えるために記録されたのです。 "これらのことが彼らに起こったのは、戒めのためであり、それが書かれたのは、世の終わりに臨んでいる私たちへの教訓とするためです。" 必ず記憶しなければなりません。
▲Uペテロ2:6にも見れば、私たちに鏡として、教訓として与えられたのです。
"また、ソドムとゴモラの町を破滅に定めて灰にし、以後の不敬虔な者へのみせしめとされました。" したがって、神様のみことばを捕まえれば良いのです。
▲キリストのなかで、すべての問題の解決を受けた人は、人の話を聞かず、神様のみことばをよく捕まえましょう。敢えてたくさん解釈する必要もありません。それも間違いです。神様のみことばそのままを捕まえましょう。牧師の最も大きい失敗が何でしょうか? 聖書をたくさん解釈しようと、多くの資料を見ることです。それが失敗です。みことばをそのまま信じることが最も良いのです。どうして、敢えて人間が解釈をするのでしょうか? 解釈もたくさんしないのが良いのです。
(3)聖書は永遠な約束です(イザヤ40:8)
@この約束は、一つも偽りがないのみならず、永遠に存在することを預言されました。その理由は、神様が永遠であることを証しするためです。
@イザヤ40:8 "草は枯れ、花はしぼむ。だが、私たちの神のことばは永遠に立つ。"
▲永遠なみことばです。それで、イエスを信じる人は、吉凶を占う必要がないのです。永遠に存在するみことばです。
1)聖書が、私たちに与えられた方法(Uペテロ1:21)
@Uペテロ1:21 "なぜなら、預言は決して人間の意志によってもたらされたのではなく、聖霊に動かされた人たちが、神からのことばを語ったのだからです。"
2)聖書の優越性(Iコリント2:13)
@Iコリント2:13 この賜物について話すには、人の知恵に教えられたことばを用いず、御霊に教えられたことばを用います。その御霊のことばをもって御霊のことを解くのです。"
(4)聖書は必ず、この地でみななされる(マタイ5:17-18)
@マタイ5:17-18 "わたしが来たのは律法や預言者を廃棄するためだと思ってはなりません。廃棄するためにではなく、成就するために来たのです。まことに、あなたがたに告げます。天地が滅びうせない限り、律法の中の一点一画でも決してすたれることはありません。全部が成就されます。"
▲ひとつも違わずに成就されます。一点一画もなくなりません。ですから、点ひとつもなくならずに成就するはずです。
(5)聖書は誰も加減出来ません。聖書を変更すれば、呪いを受けるようになります(申4:2, 黙示録22:18-19)
@聖書を信じなかったり、足したり、引いてしまえば、呪いを受けるようになります。
@申4:2 "私があなたがたに命じることばに、つけ加えてはならない。また、減らしてはならない。私があなたがたに命じる、あなたがたの神、主の命令を、守らなければならない。"
A黙示録22:18-19 "私は、この書の預言のことばを聞くすべての者にあかしする。もし、これにつけ加える者があれば、神はこの書に書いてある災害をその人に加えられる。また、この預言の書のことばを少しでも取り除く者があれば、神は、この書に書いてあるいのちの木と聖なる都から、その人の受ける分を取り除かれる。"
(6)聖書は、人生を明るい道に導いて、堅くするみことばです(詩119:105, 使徒20:32)
@詩119:105 "あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。"
▲聖書は、私たちに重要な道となるために、勝利するしかないのです。
(7)聖書は、神様のみこころを発見して、悪いことと悪魔を勝つ武器です(マタイ 4:4, 7, 10)
 
▲難しく考える必要はありません。皆様がみことばを正しく知っていれば、みな終わってしまうのです。イエスがキリストだ!という話も、みことばを正しく知ることです。福音は、すべての問題の解決だ! これもみことばを正しく知ることです。皆様が、聖書を正しく知るならば、伝道は全てのものの時刻表ということを知るようになります。この契約を皆様が本当に堅く捕まえるのです。
皆様が、私の話が正しいか、正しくないかを確認してみるように願います。
▲今日、集会を終えて牧師たちは、帰って行きながら過ぎた日の週報を一度取り出して見るように願います。皆様の説教のタイトルだけを一度書いてみましょう。たくさんせず、3年だけできるならばしてみましょう。そのまま答えられたことを知るようになるでしょう。皆様の説教が右往左往したとするなら、教会が右往左往したでしょう。特別な核がないならば、教会に核がないでしょう。説教がなにか律法的ならば、教会は全部律法の信徒になっています。教会がなにかメッセージが福音的ならば、教会は福音的になっているでしょう。おもに殴る説教ならば、信徒はみな殴るようになっています。
みことばは、そのまま成就するのです。皆様が、はっと驚くはずです。私がした説教が、このように重要なのか!と。
▲一般信者も一度考えてみましょう。この場に座るまでを一度考えてみましょう。いつ祝福を受けたか知っているでしょうか? みことばを聞く時、「あ! そうだ。」恵みを受けたと言う時です。「あ! イエスがキリストだな! 福音はすべての問題の解決だな! 」それを悟る時、一番祝福を受けた日です。いつが一番呪われた時だと思っていますか? みことばが信じられなくて、特に価値がないと感じる時、だからなぜ説教が重要でしょうか? すぐには滅びなくても、最も呪われる時です。
▲神様のみことばが、ほとんどすべてです! 聖書は、神様のみことばなのに、たくさんあるけれど、七つのことを話しています。イエス様が悪魔を勝たれたのは、みことばでみな勝たれました。全部、申命記 6章、8章のみことばを引用されたのです。
▲それなら、聖書は何の内容が入っているのでしょうか?
 
2.聖書の内容
*聖書が表す主題は何でしょうか?
(1)人間の滅亡- 人間が悪魔の誘惑を受けて、神様を知らない罪人になって、その罪によって地獄へ行くという事実を警告しています。(創世記3:1-13, エペソ2:1-3)
▲人間が、なぜ滅びるのでしょうか? 正答は、聖書にだけあります。他では教えてくれることがありません。知ることができないから...
(2)救いの約束- 罪の中にいる人間に、いらっしゃるメシヤ、イエス・キリストを信じれば救われるようになるという約束です(創世記 3:15, ヨハネ8:56)
▲救いの約束、これが聖書です。
(3)メシヤ、キリスト- 旧約に400回以上約束されたその方が、この地へいらっしゃったという証拠が新約聖書です(イザヤ7:14, マタイ1:21)
▲このことが、聖書の核です。
(4)受け入れ- このイエスを信じて受け入れる者は、救われるようになるという約束です(ヨハネ3:16, ヨハネ1:12, ヨハネ8:44)
▲旧約は、おもに救いの約束で、新約で成就したのです。
(5)導き- このイエスを受け入れる者は、その中に聖霊がいらっしゃって、その人を導かれるという約束です(ヨハネ14:16, ヨハネ14:26, ローマ8:2)
▲聖書には、他の話がたくさんあるようでも、この話が「主」です。皆様がこのように悟るならば、よく悟ったことです。
 
3.聖書を学ぶべき目的(ヨハネ 20:31, ローマ 15:4)
*ヨハネ20:31, ローマ15:4, Iコリント10:11
(1)いのち- ヨハネ20:31 "しかし、これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるため、また、あなたがたが信じて、イエスの御名によっていのちを得るためである。" 聖書の目的を下さいました。この事実を信じて、いのちを得るためだと言われました。
(2)教訓- ローマ15:4 "昔書かれたものは、すべて私たちを教えるために書かれたのです。それは、聖書の与える忍耐と励ましによって、希望を持たせるためなのです。"
▲むかしに記録されたことのように見えますが、これからのための教訓です。
(3)終わりの時に鏡、警戒- Iコリント10:11 "これらのことが彼らに起こったのは、戒めのためであり、それが書かれたのは、世の終わりに臨んでいる私たちへの教訓とするためです。"
 
▲これが、神様のみことばです。神様のみことばを正しく捕まえれば勝利します。牧師たちが、説教しにいく 時、今日のこのみことばは確かに神様が私に与えられたみことばだと捕まえれば、大きい祝福が臨みます。
▲牧師が説教を正しくするようにしなければならないのですが、説教が問題ではありません。今晩に牧師と奥様は記憶しなければなりません。単なる説教ではありません。本当に神様の計画、御声を聞いて伝達しなければならないのです。これが皆様、全部すべてです! 信徒は、教会にくる時、本当に今日、礼拝を重要に思われる神様が、確かに主のしもべを通じて私にみことばを下さるはずです。どんなみことばを? 今夜に出てきて、私たちの家系のすべての霊的問題が解決したのに、過去に捕えられることはありません。そして、神様のみことばを捕まえるのです。すると成功したのです。それをしなさいと皆様を呼ばれたのです。牧師たちが、説教にいのちをかけてもかまいません。説教を良くしようとせずに、神様の御声を聞きません。他にありません。皆様の教会が息をふきかえすようになるはずです。タラッパンでメッセージがたくさん出てくるのに、それを 皆様が消化して、信徒達に神様の御声を聞かせてあげるべきです。
▲信徒が、最もしなければならない祈りは何でしょうか?「牧師に神様のみことばを与えてください。牧師の考えの中に神様の計画を入れてください。」そのようにしなければなりません。普通、牧師たちが説教準備を、金、土曜日に多くします。字が重要なのではなく、牧師に確信が与えられるべきです。牧師が説教準備ゆえに 悩んで苦労するならば、それは既に牧会が終わったのです。ところが、私たちは今、そのようなことを話すのではなくて、神様の計画が何か?です。毎週、礼拝をささげるのに、今回きて聞かないとだめな神様のメッセージがあるのではないでしょうか? これを探し出さなければなりません。ですから、ある牧師は、土曜日になれば、たくさん苦闘します。それが祈りです。そのような時は、奥様が感づいて、可能ならば家族とともに食事しにいこうとせず、子ども達を連れて祈りにいって、そのようにしなければなりません。土曜日になれば、説教準備に答が出なければ、歩き回ることもします。その時、しばしばどこに行くのか?と尋ねる奥様は、ちょっと無知な奥様です。テレビを座って見ていても、それが入りません。何となく見ているのです。説教準備が正しくできなかったのに... そうしながら、夜 12時、明け方 2時になって、必死で準備するのです。そのようなことがあります。それも知らずに、昼や夕方には、ずっとテレビを見て、夜に人も寝ることができないとする、そのような話をしてはだめです。説教も一度したり、復興会をすることは誰でもできます。教会で毎週説教するということは、やさしいことではありません。大学の教授でしょうか? ノートを準備して、新しいものが出てくる情報ですればよいのです。すると、どんなに悪い人でも4年だけすれば行きます。ところが、教会が休みがあるでしょうか。卒業があるでしょうか? 死ぬ以前には増えてくるために、これが並大抵のことではないのです。そして、大学生にメッセージすることはやさしいけれど、教会は小学校に行かなかった人もいて、大学教授もいて... 皆様が神様の御声を聞く方法を知らなくては、説教の水準を見ようとするならば、水準が低い人はどのようにするのでしょうか? これは、普通の問題ではありません。
▲私の場合は、月曜日から聖日までメッセージを続けるのですが、土曜日、聖日がもっと難しいのです。そのままメッセージをするから、そのまましているようでも、いつも考えています。説教で最も重要なのが、序論です。序論はだれにするか?が参考になるために... そこに集中祈りをしなければなりません。説教する人が、この答がなければ、なにか本論が伝達できなくて、なにか力がないのです。
私は、ある時は、土曜日の講義七回と、聖日一日中しています。全く同じメッセージをしているようでも、序論が違うのです。例えば、この手拭いを伝達することが本論ならば、この手拭いを誰に対して伝達するか?にしたがって、序論が違います。私がこの手拭いをキム・ドンコン牧師に差し上げるとすれば、それでも私が おりて行って差し上げるべきではないでしょうか? ところが、この手拭いをエステルに持っていくのに、私が 敢えて震えながら、そのように持って行く必要はないでしょう? エステルならば、さぁ! と投げ掛けても良いでしょう。ところが、これをキム・ドンコン牧師に投げたら、他の人が何と言うでしょうか? 全く同じことを するのにも、序論が違うのです。
私の場合は、考えます。ある時は、何の声も聞きたくありません。それほど敏感になります。
説教もしにいく人と、説教して来る人とまた違います。
牧師の使命です。説教しにいく時どうなのか? を見る目が違うのです。説教をしたのに、神様がともになさったとするなら、帰ってくる時、良くしたという以前に、なにか確信が生じます。それがないなら、どのようにするのでしょうか? このような時、来る異常なことがあります。
簡単なことではありません。牧師は、説教にいのちをかけなければならないのです。資料の心配はしないでも良いのです。タラッパンで出てきた資料が無尽蔵にあります。資料を伝達するのではなく、説教をするのです。
▲すると、神様の民のあなたがたは、神様のみことば、本当に聖書 66巻を神様のみことばだと思って、説教を聞くことが、ものすごく重要なのです。
 
4.聖書を悟る方法
*詩119:10 "私は心を尽くしてあなたを尋ね求めています。どうか私が、あなたの仰せから迷い出ないようにしてください。"
▲この神様のみことばを心から受けましょう。心から受けるということは、信仰で受けるということだと言ってもかまいません。皆様が神様のみことばを頭で受ければよいのでしょうか? 私たちのIQは、神様ではありません。無尽蔵な神様のみことばを私たちの頭で受けるということは、大変なことになります。心から受けましょう。信仰で受けるのです。どれくらい重要でしょうか? 私が生きるか、死ぬかです。このように見れば、間違いありません。
▲すると、このメッセージが、伝道現場で一般信者や新しい家族に伝えられたとすれば、うまくいったのです。どんどん開くのです。皆様が必ず伝道しようと行かなくても、門がどんどん開きます。この祝福を牧師たちが受けて、一般信者たちが受けて、現場地域教会で成就するようになることをイエスの名前でお祈りします。
明日の夕方には、残りのことをすべてします。
 
訓練11-神様が用いられる働き人 4
(相手を知る人)
→序論- 午後の講義
▲私はこのように考えます。私達が特別な働きをしなくても、私達が行く場所、この場所が神様が希望されるならば、違ったことでも答えられるはずだと考えます。また、私と皆様が慣れていなくても、私達の中心が福音のためにしているならば、神様が直して答えを下さるはずです。この契約を持った人が、現場で祈れば、神様は、天の門をあけて、確かに答えられると私は考えています。
 したがって、私が皆様に会ったこと、皆様がこの場に座ったことは、重要な時間だと私は確信しています。簡単なことのように見えますが、私たちは、この考えをいつもしなければなりません。
私は、時々、教会復興やこういう欲が生じる時があります。そのあと見れば、そこにともなう行動をするようになります。その時ごとに、これが本当に間違いなく福音のためのものか? という考えを多くしてみます。そうしてこそ、私が方向を失わないのです。それが何でもないことのようでも、皆様とともに一生、祝福を受けて世界の福音化ができるのです。
実際に、私がソウルに説教しようと来る時、数ヶ月間、神様に質問しました。私が今、福音のために行くのでしょうか? 本当に、この方達が福音のためにこのようにするのでしょうか? すると、私達が本当に福音のためにしなければならないことではないでしょうか? こういう考えをする中で、多くの祈りの答えを受けました。神様が祝福なさる事実を私が直接、間接でたくさん見るようになったのです。
▲私と皆様が福音ゆえにこの場に座っているならば、神様が天の軍隊を送ってくださるので、神様が神様の働きをみななさるはずです。もしそうでないならば、私達が熱心にしても、後ほどだめになるはずです。すると、 方向を失うようになります。この話は単なる話のようですが、私が思うのは、私がしたい一番重要な話です。タラッパン運動をしながらも、しない人が多いのです。今していながらも、できない人が多いのです。今しているけれど、これからしない人もいるでしょう。それは、理由がひとつしかありません。だめになるから、しないのです。なぜだめになるのでしょうか? 答は他にあります。福音のためにではなかったためです。皆様が、教会のために、そのように働きをするのに、なぜ祝福を受けられないのでしょうか? 福音のためではないためです。結局ある日、できなくなります。神様が、私たちに適当にだまされてくだされれば良いのですが、だまされることはありません。神様は、私たちの全てのものをご存知であるために、私達がとても小さな人生ですが、福音のために生きるとすれば、道をすべて見せてくださるようになります。
私と皆様が、救われたゆえに、福音のために生きなければならないと決心すれば、すこし不足しても、神様は私たちを用いられるはずです。教会でそれほどする働きがなくても、教会を祝福なさるはずです。今晩に皆様は無限な働きをしなければならないために、決定をしなければなりません。
▲すると、これを神様の前でせず、人の前で考えを一度してみましょう。もしエステルと私をみる時、あの牧師は福音でない!という判断がきた時、どのようにするでしょうか? すると、心に決定するはずです。私がいつか道があれば行く! そのようなことです。どれくらい損害になるでしょうか? 人の前でもそうです。私達が 神様の前では、より一層そうです。
 私達が信仰生活をしていれば、困難が来る時があります。私が本当に福音のためにならば、大丈夫です。またある時見れば、仕事がうまくいく時があります。そのような時、私たちは浮き立ちやすいのです。しかし、私が本当に福音を知って、福音のためにならば、浮き立つ理由がありません。福音を理解するということは、全部皆知ったことなので、他のことを知る理由がありません。一番に重要な質問であり、答です。
すると、このようにしてみる必要があります。「私が今から福音のために生きねばならない。私が今から福音のために牧会せねばならない。」本当に、そのようにせねばならないのです。すると、全てのものがみな終わります。時間がどんどん過ぎれば、終わりになり始めます。時間がどんどん過ぎれば、祝福が整頓され始めるのです。
▲私が今日も少しの間きて司会した牧師と過去にタラッパンした話をしました。教会がまた困難にあったと 話していました。そのようなことでしょう。私たちは、そのことだけを、いつもくり返して去って行かなければならないのでしょうか? そうではありません。皆様は重要な方達で、重要な方達に会わなければならないために、今晩に決断を下さなければなりません。「たとえ、私が持っていることがなくて、なんの力もないけれど、私が小さなことでも福音のために生きる。もし神様が私を祝福なされば、私が福音のために献身しなければならない。」本当に福音のためにすれば、みな解決するはずです。
本論に入っていく前に、皆様がなにかよく解けないならば、答をそこでさがせばよいのです。なにか福音のためにではなかったのです。そのように考えれば、ほとんど答がそこでみな出てきます。
 
▲ローマ3:23-24を見ましょう。“すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。"
教材の26ページです。
私たちは、これから多くの人々の前にみことばを準備しなければなりません。
 
1.知っておく必要性
(1)相手に従って、単時間でイエス様を受け入れるように案内しなければなりません。
(2)新しい信者は、タラッパンで質問を多くしてくるためです。
(3)伝道は、相手の霊的状態によって伝達しなければならないためです。
(4)急いでみことばで導くことが生じるためです。
(5)会う人やタラッパンにくる人の中でおもなのは
1)無神論者
2)確信のない人
3)気落ちした人
4)偶像崇拜者(先祖祀り)
5)悪霊につかれた人
6) 病気の人
7) 律法主義者
8) 仏教, 他種信徒
9) いろんな神に仕える者(ムダン(霊媒師))
10) カトリック
11) 異端
 
2.具体的な伝道法
(1)無神論者
▲この地にいる人々は、無神論者が多いのです。私は神様を信じない、私は罪がない!と言う人々が本当に多いのです。ここで重要な答を与えなければなりません。罪人ということは、他の話ではなく "すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、" 神からの栄誉を受けることができずということは、 神様をわからない罪に堕ちたということです。
▲私は、無神論者に会った時、そのように話します。「あなたが信じようが信じるまいが、神様は確かに生きておられます。あなたがどんなに努力をしても、あなたが死ぬのは、神様の御手にあるのです。あなたが、どんなに長生きしようと苦闘しても、あなたが生きることは神様の御手にあります。それならば、あなたは神様を知らないから、あなたは最も損害をこうむる人です。それを聖書は、ローマ3:23に "すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、"と言うのです。」
 私がこの話をした時、相手方で noと言う人はいません。むしろ悩む顔をするか、noとは言いません。どんな無神論者でも、「神様を信じないことはあなたの勝手にできます。それでも、神様はいらっしゃるので、いないと言っても関係がありません。もし神様がいらっしゃるとすれば、あなたは最も損をする人と違うでしょうか? なぜか? 信じないでいるから、いないと言うから... あなたがどれくらいくやしい人でしょうか?そして、あなたがどれくらい悲惨になるか? 」無神論者に与えなければならない答です。
▲ルカ16:19-31 それで、あなたは避けることができません。ルカ16:19-31です。こういうメッセージを無神論者に確かにしてあげるべきです。こういうメッセージは、胸の中に持っていなければなりません。そして、いつどこででも話すことができなければなりません。
 「どんなに強い人でも確かに死ぬようになっています。ところが、聖書が語っているのは、地獄と天国があるとなっています。救い主のイエス様が直接説明なさいました。すると、あなたはまちがいなく地獄に行かなければなりません。なければ良いのですが、あるならば... ところが、私はまちがいなくあると確信します。あなたが行かなければならない道があるのに、なぜそうなのでしょうか? あなたはものすごく重要なことをのがしています。あなたがどこからきて、どこへ行くのでしょうか? あなたのたましいは、誰が作って、どのように作られたのでしょうか? あなたが死ねば、たましいが離れて行くのですが、どこへ行くことのでしょうか? 明らかです。」分からないとしても、正しく話さなければなりません。
実際に、結論的に私と皆様の祝福は、誰の手にあるのでしょうか? これを本当に知っていれば、心配する必要もなく、そんなに頭を使う必要もありません。
もし、主のしもべや役員が神様の力を信じないならば、無神論者と違いがありません。
この時、言ってあげましょう。神様がないと話した共産主義! 最も地球上にあった思想の中で、共産主義の思想! 神様がないということです。精神病者になって、あとで死んでしまったニーチェは、神様は死んだと言いました。それが、その人のたましいを最も荒廃させた考えでした。もし本当に神様がいないならば、私達が正しく生きる理由もありません。本当に神様がいないならば、私たちの人生を勝手に生きて行くならば... 話にもならないことです。それで、殺人犯も出てきて、泥棒も出てきているのです。後に起きる祝福を知らないからでしょう?
「問題は、あなたが神様に会う道があるのに、それをあなたが知らないことです。」と、この人の側を少し聞き入れてあげるべきです。そして、正しい話をしてあげるべきなのです。「あなたが神様に会う道を知らなくて、神様 に会えなかったから、神様がいないと考えたのではないですか? それは最も正常です。むしろ、私は神様に会ったと言う、その人が足りない人です。私は昨日の夜に神様に会ったと言う人が、おかしな人です。ところが、神様はいるのか? と言う人が正常です。」
「それで、キリストを送られたのです。"わたしは、道であり、真理であり、いのちなのです。" "私達がまだ罪人であった時に、キリストが私たちのために死んでくださることによって、神様は、私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます"」
私たち人間は、物のように来て死ぬ、そのような人間ではないのです。確かに聖書に記録されています。いままで完壁に成就した神様のみことばに記録されているのです。もちろん、あなたと私がここ(天国と地獄)に 行ってみたことはありません。しかし、行くようになるはずです。聖書にそのようになっています。いままで 完壁に成就したみことばの中に、これがあるとなっています。
もっと重要なことは、生きている間にこの(天国と地獄) 影響を受けるようになるのです。怖い結果です。こういうことが頭の中に整理されていなければならないのです。こういうことを話してあげることができなければなりません。
▲ローマ3:23 聖書の節をよく見ましょう。それで、人間の根本問題が解決できないのです。ローマ3:23 ここでこれは、原罪を話しているのです。すべての人が、神様を知らなくなって... すべての人が、神様を離れたので、万物の霊長の人間が神様を離れたので、最高の被造物である人間が、動物のように生きるために、神様を知らないために問題がきました。たぶん相手が分かるでしょう。
 すると、相手が心の中で、こういう質問をします。いや私たちの親戚もそうで、私の周囲にイエスを信じる 人々が、私よりできなくてでたらめなのに、なぜそうなのか? では、その人が先ず最初にその質問をしたいでしょう。最も信じようとする時、最も障害物が何でしょうか?イエスを信じる自分の親戚です。それを連想するしかありません。この人の話を聞いてみると、神様がいらっしゃるようで、イエスを信じれば神様に会う道になると言うのだけれど、信じようとするのです。ところが、静かに考えてみると、自分の会社の執事をみたら、そうではないということです。
それで、私が未信者に会えば、先ず最初にする話があります。あなたがいままで会ったクリスチャンは、でたらめに会ったのです。本当にイエスを信じる人に会ったとするなら、あなたはこの驚くべき秘密を知っているようになるでしょう。この話をしたところ、韓国教会を批判したという話をしています。今でも私はその考えが変わることはありません。イエスを信じることは、ものすごいことではないでしょうか? 知らないながら、しばしば知ったかぶりするから、どんどん問題がくるのです。だから、未信者の無神論者に福音を伝えることができないのです。そして、私が伝道する時、一番の障害物は何でしょうか?その人が普段に知っているクリスチャンです。福音を伝えるのに最も障害道になるのが、何かというと、普段にこの人が経験したキリスト教に対する考えです。それで早くたたき壊そうと、いままであなたが見てきたクリスチャンは、それが誤って信じていると言うのです。どれくらいせつないでしょうか?
▲有名な政治家に会ったのに、この人が言うのに、自分はイエス様を信じることができないと言いました。信じるクリスチャンを見ると、信じることができないと言うのです。イエスを信じる人々を見ると、とても熱心なのに、私はそのようにできないし、自分の下で仕事をする人もみな教会に行ってしまい、どれくらい熱心に 信じているか、私はそのようにできないと言いました。いっそ、このままいるのがよりよいと言ったのです。
それで、私がその方に言ってあげたのは、その方達が福音を誤って理解しているからです。救いは教会に熱心に通うものではありません。教会に熱心に通うことは、その次です。救いは人間になぜこういう問題がきたのか? なぜ人間は、どんどんこのようになるのか? 今、あなたみたいな立派な政治家が多いのに、なぜどんどん世界は難しくなるのか? そこに対する答えが救いです。それを知らせることが福音で、そこに対して知ろうと行くところが教会です。ほとんど誤って知らせているのです。
▲ローム6:23 未信者に会ったら、確かに言ってあげましょう。ローマ6:23に罪から来る報酬は死だと言われています。罪を確かに理解させなければなりません。もちろん、エステルに悪口を言ったとするなら罪です。救い派の特徴がそれを主張することです。「あなたは、小さい罪を犯したこともないでしょうか? 嘘をついたこともないでしょうか? 」それであると言うと、「あなたは、地獄に行くでしょう。」正しい話なのかもしれません。しかし、私達が地獄に行くようになるのは、その罪ではありません。神様に会う道があるのにもかかわらず、会えなかったからです。罪から来る報酬は死です。この話を無神論者が理解できなければなりません。すると、あなたがたが無神論者を説得するに値する論理を持っていなければならないのです。そして、罪ゆえに地獄に行くということです。すると、無神論者が考えるのは、クリスチャンが罪をもっとたくさん犯しているのに... 説得力がないのです。そして、一方的にイエス様があなたのために十字架で死んだと言うのです。そうして、また罪を犯して... だから、無神論者が理解ができないのです。それでいて、神様の恵みと言います。だから、彼らが思うのは、これは悪い奴ではないか? その人々が見て、仏教の理論が正しく思えます。「みな罪を犯したことの報応受ける。受けたくないとするならば、善行をたくさんしなさい・」それが無神論者には、説得力があるのです。「正しい! 私のこの罪をみなどのようにするか? あ、道があるんだな! 善行を多くすることだ。」これが仏教の理論です。説得力があるでしょう。そうしながら、この人に霊的問題がくれば、どのようにするでしょうか? この説明をしないのです。
▲皆様が無神論者に福音を伝えるのに、同じようにでたらめな福音をしばした伝えてはならないということです。
 人間は動物のように生まれたのではなく、たましいを持った存在なのに、神様を知らなくなったのです。これがいつ始まったのかというと、創世記3章から始まったのです。これが説明されなければなりません。それで、神様が創世記 3章を解決する道を開けてくださいました。
▲ヨハネ福音 3:16です。 "神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。" もちろん、救いは聖霊の働きでわかろるのだと私たちは話します。今、私たちクリスチャンは、未信者に全く説得力がない論理だということを知っていなければなりません。それで、教会に誰かが行くというと、死ぬほど殴られることが出来ない人だけ来るのです。無神論者があまりたくさん殴って、見ろお前がイエスを信じないからだと、これで来るのです。
 "神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。"
 すると、簡単です。「信じられるでしょうか?」「よく信じられないはずです。」「理解できますか?」「理解はできます。私も神様を信じたい。」「ならば、その道がイエス・キリストです。」これが対話できる時、起きることがヨハネ1:12です。
▲ヨハネ1:12 "しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。"
 最も確実なことは、信じる時、聖霊が内住されることです。
 皆様、 (1)番を単に知っていることだと考えてはだめです。今、クリスチャンの説教と説明が、未信者が聞く時、信じないようになっています。
 倫理的に罪悪が解決してというように話せば、未信者が見る時、すると、クリスチャンがそのように罪をたくさん犯すのか? と理解ができないのです。はなはだしきは、刑務所に行ってみれば死刑囚が、イエスを信じる人が多くて、はなはだしきは牧師もいるのです。するとそれは何でしょうか? 私がある方を見て、イエスを信じなさいと言ったら、その方が自分の妻ゆえに信じないと言いました。自分の妻より私がはるかに正しく生きるために、信じないと言ったのです。
▲私が某教会で、私と一緒にいた執事が長老になりました。その方が、やっとの思いで長老になって長老として立てる式をするようになったのですが、その式をする時、夫人もくるようになります。ところが、その時でも夫人が信じないのです。教会にこないのです。式の時、夫人が来なければならないので、先輩の長老と牧師が行って話をしたら、この夫人がとても驚くべき返事をしました。自分の夫が長老になれば、長老になれば良いことで、自分は教会に行かないでも、自分の夫よりはるかによいと言いました。あらゆる行為と考えが自分がはるかによいということでした。その方が夫を見ながら、福音が何か、原罪が何か? 理解ができなかったのです。それから後、体面上説得されて教会に出てきたのに、まだ信じたのか、信じないのかはよく知りません。
▲皆様、(1)番が簡単な話ではありません。未信者が、この部分だけ理解できれば、全てのものがみな分かるようになっています。私たちは、無神論者というと、教会を理解する人を言うと考えるているのですが、そうではありません。教会の中に無神論者がどれくらい多いでしょうか? 長老の子供、牧師の子供が何故崩れるのでしょうか? 神様がいないようだったら...私が信じることもせず、信じる理由もなくて... 無神論者です。まさに、ローマ3:23の罪を犯したということがなんの話なのか理解できないのです。人間が元来から、身分が本質的に、御怒りを受けるべき子で、死ぬようになった理由を知らなかったのです。これゆえに終わりまで滅びるという事実、この地でどんなに苦闘してもだめだという事実を知らなかったのです。
▲私は、教会に通いながら、ローマ3:23, ローマ6:23のみことばをわからなかった信徒が、一番かわいそうです。間違いありません。ある日、未信者と全く同じ問題がきます。ところが、自分が知らなかったという考えをしないのです。だから、聖書を律法的にみるしかありません。私がそんなに教会を熱心に信じて、そうであるのに、私が何故だめなのか?という大それた考えをするのです。私が教会にたくさんよく仕えなかったからなのか? 主のしもべに誤って会えば、呪われるということだから、それでそうなのか? 私がむかしに十分の一献金をせずにいたのに、それゆえにそうなのか? 私が教会の奉仕をせねばならないのに、教会の奉仕をしないで、そうなのか? その前に伝道師がきて、教会学校の教師をしなさいと言ったのに、私がしないから罰を受けるのか? やっと悟ることが、律法的に悟るのです。これは、普通の問題ではありません。
 私はこれで、現場で学ぶ時、その人々に聖霊が共におられることをたくさん見ました。仕上げを良くしなければなりません。
 
1)人間の問題(金持ちラザロ、ルカ 16:19-31)
2)根本問題(ローマ 3:10, 3:23)
3)罪の結果(ローマ 6:23, エペソ 2:2)
4)解決策(ヨハネ 3:16)
5)受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった(ヨハネ 1:12)
*神様は確かに生きておられるのに、神様を知らなくて、会えずにいる。
 
(2)確信がない者
▲教会に通うのは通うのに、確信ない者がどれくらい多いか分かりません。
 メッセージを真っすぐ与えるべきです。本当に教会をはっきりと正しくしなければなりません。教会に通うのに、確信がないのです。ない外に何があるでしょうか? (1)番がだめなのに...信徒が、ほとんどみな信じるふりをするのです。そうするしかありません。しきりに困難にあうのに、教会に来ざるを得ないのです。それで、教会にきている男の人がキリスト教の家庭以外は、ほとんどみんなが殴られてきている人たちです。 ほとんどだどこか前科がある人々です。
 ですから、仕方なく教会にきて座っているのです。だからどのように信仰生活になるでしょうか? かと言って、教会に通うってみれば、事故がいつも起こるのではないでしょうか? 朝夕に、いつも問題が起きて、祈れば大丈夫と言われるのですが、そうでないから...だから、結局、確信がないのです。伝道現場で確信がない人が、ものすごくいます。だから、はっきりと話す異端があれば、そちらへ行ってしまうのです。
 霊的問題を持った人々は揺れます。ところが、教会の信徒を見ると、答がないから。説明を力強くすると、答えを得るのではありません。問題は(1)番が理解できないのです。皆様、元々人間が身分上、本質上、死ぬようになったのにこれの解決という話を知らないのに、どのように信仰生活ができるでしょうか? 私はクリスチャンを見れば残念でなりません。単にただ熱心に通うのです。そうしながら、ある日問題が来るということです。だから教会が復興できるでしょうか? 伝道は難しいでしょう、だから、これがどのようになるでしょうか? それはそうと滅びるのに、どのようにするのでしょうか? すると、ヨブ記 23章を捕まえて、私を鍛練なさるのに...一生それを捕まえて行くように願うのです。
 賛美も一番たくさん歌うのが、‘よるべなきわれは(悔い改めの歌)’です。もちろんその賛美を歌う時があります。本当に私達に重要なことが生じた時、私達が誰を信じるでしょうか? 私達が義とされることがあるでしょうか? 人生の重要な問題に会ったのに、解決する義があるでしょうか? そのような時に歌う賛美です。本当に‘よるべなきわれは、主に近づきます’。ところが時間がありさせすれば、それを歌うので... 確信がないからです。
▲エペソ2:1-3 滅びが何かを知らなくて... これを知っていてこそ、信じるか信じないかすることなのに...エペソ2:1に罪過と罪で死んだとされていますが、罪という言葉がなんの話なのかも知りません。エペソ2:2に空中の権威を持つ支配者に従っていたとされていますが、空中の権威を持つ支配者という言葉が何なのか? を知らないのに...エペソ2:3に生まれながら御怒りを受けるべき子と言われていますが、これが何の話でしょうか? エステルが罪を犯すこともしなかったのに、生まれながら御怒りを受けるべき子! これが原罪です。これを知らないから、教会に通っても確信もないのです。ですから、これを知ってこそ、救いがなにかを知るのです。
▲エペソ2;1-3, 6 救いが何か?を知るのです。救いが何か?を知っていれば、確信が生じるのです。この部分を知っていてこそ、イエスを信じて受け入れるという話がなんの話なのか、知るようになります。
▲マタイ16:13-19 受け入れ、このような時、神様の子供になる多くの祝福を与えられるようになります。受け入れた時、神様の子供になった時、マタイ16:13-20がどれくらい重要でしょうか? だめだから、キリストを送られたのです。それで "主は生ける神の御子キリストです" この時、確信が生じるのです。確信が生じると、答えがき始めるのです。とにかく、クリスチャンが普通の問題ではありません。私がこの運動をしたところ、またとても確信が生じて問題が生まれました。考えてみましょう。このメッセージを聞いてきている上に、電話をしてあまりにもひどく話したのです。「私がいままでにせ物で信じた。あなたが信じることは、にせ物だ。」このように話せば、聞く相手方は、あれは異端に陥ったのか? と考えます。確信がないながらも、私がよく信じているのに、なぜそうなのか?と考えるのです。それがなにか "主は生ける神の御子キリストです" と確信もないながら、それをこれから知ったのか? と話します。「あの人は異端に陥ったんだなあ! 」このようになるのです。
▲皆様が、残り部分の質問と返事を持っても、充分に答えをもらい、人を変化させることができます。
 
1)滅んでいる状態とは何でしょうか?(エペソ 2:1-3)
2)救いとは何でしょうか?(エペソ 2:1-3, 6)
3)受け入れる者が味わう祝福(マタイ 16:13-19)
*神様の子供になった感激と喜びを味わわなければなりません。
 
(3)気落ちした者
▲教会に通っていたのに、止めた人があまりにも多いのです。今、私がする話は全部、現場の話です。救いが何で、神様が何で、私が誰なのかも知りません。だから、無神論者になるしかありません。それで、教会に通っているのです。なにを信じるかも知らないのです。聖書の箇所もたくさん暗記しているのに、それが問題でしょうか? ある人は、聖書勉強もたくさんして、その上に、ある人は神学までしたのに、それが問題でしょうか? 確信がないのに... 私が何を得たのかを知らないのに... そうしたあと見ると、結局は教会に通うが止めるのです。
▲私は教会に通っていて放棄した人に会った時、確かに話してあげます。
 あなたは、教会に通ったのではなくて、教会堂に通ったのです。あなたは教会に通ったのではなくて、教会の建物の中を行ったり来たりしたのです。神様は確かにいらっしゃるのに、会えなかったのです。言わば、神様の子供になるべきなのに、だめなのです。明らかな話をしてあげるべきです。あなたは、教会に通ったのではありません。教会堂、建物をきたり行ったりしたのです。私達の言葉で、教会だけ通ったのです。それで、あなた気落ちした者になったのです。それならば、あなたがこれからどのようになるでしょうか? 気落ちした人がものすごく多いのです。
▲(1)〜(3)だけ話してもかまいません。教会に通って、放棄した人がどれくらい多いかわかりません。
▲確かにヘブル11:6 神様は生きておられ、信仰を喜びながら、信じる者とともにおられるとされています。
▲ところが、なぜこれを知らなくなったのでしょうか? ここに対する答を与えるべきです。重要な核を投げてあげるべきです。あなたが、本当に教会を通ったのに、知らなかったのです。それで、キリストの説明だけ正しくするならば、すぐわかるのです。すると、キリストという言葉が何の話でしょうか?あなたが信じる前に知らなければならないことではないでしょうか? キリストが何を解決しようと来られたのでしょうか? 3つを解決しようといらっしゃいました。
 最初、私達が解決できない罪の問題を解決しようと来られました。
 二つ目、サタンに誘惑を受けたのです。この問題を解決しようといらっしゃいました。罪は私たちの責任ですが、誘惑はサタンがしたのです。エステルが私を誘惑して盗みをしたら、誘惑はエステルがしたのです。しかし、盗みを私がしたゆえに、私の責任です。サタンの誘惑を受けて罪を犯すことで、生まれながら問題がきたのです。  
 三つ目、それで地獄と呪いの問題を解決しようといらっしゃったのです。
 あなたが、今、この三つに陥っているのです。あなたがこの三つを知らなかったのです。この三つを解決することが、真の祭司長、王、預言者です。その職分を果たされたのをキリストと言うのです。あなたが知って信じる瞬間から働きが起きます。その時から、神様の子供になるのです。それで、あなたは気落ちした者でではなくて、救いを受けていないのです。すると、ここで深刻な問題にずっと会うのでしょう。
 私が気落ちした人に説明したのに、一名も noと言いませんでした。教会復興はむずかしいと話さないで。
▲確信がない者、気落ちした人が救われて、救いの喜びを味わえば、伝道するなとしてもするはずです。これが霊の目を開いて見れば、完全にでたらめにしているのです。これでは、この中で三重の苦労をします。
 皆様が自分は神様が信じられないと言う人と、確信がないとする人と、教会に通っていて止めた人だけ触っても、大きなみわざが起きます。幸いなことは、韓国の人々は非常に熱心に教会に引っ張っていって、放棄するようにさせた人が多いために、説明しやすいのです。それで、私は伝道する時、それに気がついて教会に行ってみたことはありますか?と尋ねるのです。すると、以前によく信じたと言う人も本当に多いのです。いまは信じなくて寺に行くと言いました。その言葉だけ握っても、伝道の門が開きます。「あなたは、重要な祝福をのがしたんですね。教会だけ通ったんですね。あなたが深刻な罪、サタン、地獄と呪いの問題を知らなかったのですね! あなたには、こういう問題があるでしょう?」すぐ心の門をあけて、その場で受け入れる人がほとんどみなでした。どれくらい簡単でしょうか?
▲前に、イ・ゴンソン牧師と何名が食事をしにいったのに、食べ物を持ってきた女の人がしばしば話かけるので、福音を伝えるべきだと考えました。簡単です。確かに三の中のひとつです。無神論者でなければ、確信がない者、でなければ気落ちした人なのです。この三つがものすごく重要です。それで尋ねました。教会に行ってみたことがありますか? 20年も通ったと言いました。夫が非常に反対して、今は通いませんということでした。それでうまくいったと思って言ったのは、「あなたが20年間、教会だけ通ったんですね? 」なぜか知らないで、「はい!」と言いました。「救われなかったんですね。神様の娘にならなかったのですねぇ! あなたが神様の娘になれば、夫を変化させる力が生じるのに、あなたが夫に負けてしまったのです。教会だけ行ったり来たりしたゆえに、神様の娘でないために、夫を変化させる力がないのです。大変です。どのように20年通っていたのですか?」自分も死にそうだったと言いました。その時、福音の核心を説明したのです。この女の人が肉を焼いて、切っている途中で、ひざまずいてイエスを受け入れました。私が悪口を言ったのか? 殴ったのか? やたら泣きながら... これがなんの話か? 知ったいうことです。「すると、あなたが救われたのです。これからあなたが教会に行くように祈るのです。これから教会に行く門が開けば行って、開かなければ行かないで。敢えて夫と戦う必要もありません。聖霊があなたとともになさるのに、夫を変化させる力がないでしょうか? 」短い時間なのに、この人が確信を持ったのです。私が20年間、教会に通いながら知らなかったのに、これからなんの話なのか知ったということです。「あなたは救われた神様の娘です。その時から私達が食べたがっていると思って、あるものをみな持ってきたのです。それほど食べたかったのでもないのに...この人が食堂で仕事をしている途中で、大きい福音を受けたのです。
▲皆様が本当に福音のために生きるならば、多くのことが新しく見えるはずです。話をもう少し変えて話せば、皆様が福音のために生きねばならない理由を発見したとするなら、多くのことを発見するようになるはずです。いまだにその発見が出来なかったならば、皆様は本当に重要なことができないのです。すると、愚かな人のような話をするのです。伝道がすべてなのか?! 私は伝道がすべてだとは言いませんでした。キリストがすべてだと言ったのです。それゆえに伝道するのです。どれくらい、でたらめのような質問をするのでしょうか? だから一つや二つの問題がくるのではありません。格好は、教会に通うだけであって、すべての問題はみな持っているのです。そして、重大な問題がくることは時間の問題です。私は信徒、長老を見れば、かわいそうに思えます。だから私が悪口を受けるようになりました。こういう式で話せば、すべての教会の信徒が、みな問題があるという話になるので、この人がなぜこんな話をするのか?としながら問題が生まれれば、警戒をするのです。
▲私たちが今、無神論者、確信がない者、気落する者に対する答だけ持っているならば、どんな人も変化させることができます。
 
1)神様の存在(ヘブル 11:6)
2)神様と同行する体験(箴言 3:5-6)
3)知らない理由(Iコリント 2:10-14)
4)神様を体験しようとするなら(ヨハネ 1:12, マタイ 12:28, 14:26-27)
5)祈り(使徒 2:.1-13)
*生きておられる主を受け入れてこそ、いのちがあることを教えてあげなければなりません。
 
(4)偶像崇拜者(先祖祀り)(Iコリント 10:20)
▲だめだから偶像崇拝をするのです。
▲偶像崇拝の中で、先祖崇拝は、悪霊に仕えるのです。絶対に両親が悪霊になってくるのではありません。 汚い悪霊が父母のまねをして来るのです。もし夢に死んだおじいさんが来ても、容赦なく殴ってもかまいません。それが、おじいさんの仮面をかぶった悪霊です。夢でも見えれば、すぐに打ち飛ばしてもかまいません。早く確実に具体的に説明しましょう。
 
(5)悪霊につかれた人
▲だめだから、悪霊につかれた者を訪ねて、悪霊に取りつかれるようになるのです。
 深刻なのは、悪霊につかれた人が益々生まれて、より深刻なことは、こういう人を益々訪ねることです。
▲どのようにすれば良いのでしょうか? 簡単、簡単に説明してあげなければなりません。創世記 3章から始まったサタンは、悪霊を使うのです。それゆえに完全にだまされるようになるのです。話してあげましょう。悪霊につかれたムダン(霊媒師)や、悪霊に捕われた人が、一名も最後になって成功した人はいません。
1)開始(創世記 3:1-10)
2)イエスが来られた目的(Iヨハネ 3:8)
3)聖徒を呼んだ目的(マルコ3:13-15)- "さて、イエスは山に登り、ご自身のお望みになる者たちを呼び寄せられたので、彼らはみもとに来た。そこでイエスは十二弟子を任命された。それは、彼らを身近に置き、また彼らを遣わして福音を宣べさせ、悪霊を追い出す権威を持たせるためであった。"
4)解決策(ヨハネ 1:12, マタイ 12:28-29)
 
(6)病気になった人- イエス・キリストを受け入れた後に、聖霊のいやしを受けなければなりません。
▲だめだから、おかしな病気に捕われるのです。病気にならない人がいるでしょうか? この話はそのような話ではありません。家系が、不思議におかしな病気でみな死ぬのです。私は、人が癌になって死んだとして、罰を受けたと考えません。しかし家族全員が癌になって死んだとするならば、考えるべきではないでしょうか? 人は、精神がちょっと狂う人がいますが、それを呪われたと考えません。しかし、次々、家族がみな精神が狂う時は、考えるべきではないでしょうか? 私が今そのことを言っているのです。
▲あるムダン(霊媒師)の娘が尋ねました。お母さんの精神が狂って、兄さんは精神が狂い、その次の兄さんは死んでしまい、自分は肺病になって...以前に弟が突然にてんかん病が生じて、職場を止めて... 簡単な話ではありません。原因は創世記3章にあります。簡単な答を与えることができます。
▲この教材(EBS)は、私が15年前に書いた文章です。現場でした話です。
 
(7)不治病にかかった人
▲だめだから不治病に陥るしかありません。
1)病気の開始(創世記 3:15-19)
2)病気の原因五つ
@生理的なこと - 過労、年齢
A失敗によること - 悪いことをした, 酒
B神様のみこことがある病気
C罪による病気
D悪魔(悪霊)がもたらす病気
3)解決策
 
(8)律法主義者
▲だめだから、教会に通う人は律法主義者に陥るしかありません。
 最も目を暗くさせてしまうのが律法です。間違いなく、良くありません。目をみな暗くさせるのです。(1)-(3)を知らなくて...
1)努力する信者
2)苦しみにあう信者
3)嘘をつく信者(ヨハネ 3:1-8)
4)2つの質問
 
(9)仏教、他種信徒
▲教会に通ってもだめだと思って、他の宗教を探していくのです。
 福音なく教会に通うこともそっくりです。
1)原罪とは何でしょうか?(創世記 3:1-5, ヨハネ 8:44)
2)あらゆる人は原罪がある人です(ローマ 3:23)
3)あらゆる宗教人が罪の結果を見て悩んで努力しました。
4)神様であられる人間の姿のイエス
5)処女降誕
 
(10)雑神に仕える者(ムダン(霊媒師))
▲だめだから、その程度で終わらず、おかしな雑神に仕えてムダン(霊媒師)のようになるのです。そこに行って、自分のいのちをかけるようになります。これが話になるでしょうか? 悪霊にいのちをかけたから、どのようになるでしょうか? 
 私は大韓民国のすべての政治家たちに頼みます。悪霊につかれた者を訪ねて、生き方を尋ねたから、その人生が悪霊の生き方になるのです。
 あらゆる新聞とテレビが、悪霊のプログラムを流すので、国全体が悪霊の手中に置かれるようになるのです。
▲鍵は前の (1)-(3)にあって (4)-(12)は結果です。これを話してあげるべきです。現実の中にあります。 そのような問題がないと言う人は、ほとんど律法主義に陥っています。
▲占いを訪ねれば、なぜ滅びるのか? を説明してあげるべきです。悪霊は活動です。悪霊はサタンの卒兵です。すると、深刻な問題がくるのです。
1)災いを受けるようになります(出エジプト 20:4)
2)常に苦しみ(マルコ 5:1-10, 使徒 16:16-18)
3)苦難が積まれる(マタイ 12:43-45)
 
(11)カトリック
▲ある人は区分ができないから、いっそカトリックへ行こうということです。私が現場で見た順に書いたのです。
 カトリックは何でしょうか? 皆様がこの説明をしてあげるべきです。
 私たちのような部分があります。イエスを信じようと話して、聖書を持っています。しかし、違った部分があります。マリヤを通じて祈るとして、いろいろな違った部分があるのです。聖書は偶像崇拝するなとしたのに、偶像崇拝を本格的にします。もっと重要な問題は、イエス・キリストも原罪がないけれど、マリヤも原罪がないと話すのです。この人達が原罪が何か?を悟ることができなかったのです。そのような式でイエスを信じるならば、信じるのではありません。皆様がむかしにイエス様とマリヤの絵を見れば、イエス様の頭にも後光があり、マリヤの頭にも後光があるのに、そちらが太くしてありました。それがカトリック人のあらゆるしわざです。そしてなんのゆえにロシアは教会が多いのに、滅んでいっているか知っていますか? 博物館に行けば、絵がたくさんあります。イエス様が十字架を背負って行く時に倒れました。誰かがイエス様の手をつかんで起こすのに、その絵がマリヤです。これが、その人が持っている信仰です。大変なことになったのです。
 私は確かに話します。カトリックのなかでも聖書通り信じれば救われるのですが、カトリックの方式通り信じれば救われません。カトリックが悪いと話す理由はありません。カトリックに通うけれど失敗して聖書通り信じれば救われます。失敗した人が何名か来ているではないでしょうか? カトリック通り信じれば、救われません。
 こういう似た論理の異端がやたら起きるのです。これが異端と似たのに、勢力があれば異端でなくて、勢力がなければ異端になるのです。
1)偶像崇拝
2)聖書変更(黙示録 22:18-19)
3)原罪否認(マリヤ無罪説)
 
(12)異端
▲はなはだしくは、ある人は異端に陥ってしまいます。これが全部、教会の責任です。上の (1)-(3)を語ってあげなくて...人間が神様を信じなくてはだめなのに、信じていません。教会に通うことは通うけれど、なんのゆえに通うのかを知らないのです。そうしながら、教会に通っていたのに止めます。この三つがおもになっています。私が現場に行って、この三つにポイントを合せました。ところが小学生もわかったのですよ。具体的な説明もしてあげるべきです。聖書箇所もよくみましょう。
1)イエス・キリスト否認
2)サタンの民そのまま
3)行為を主張(Iヨハネ2:20-27)
*Iヨハネ2:20-27 "あなたがたには聖なる方からの注ぎの油があるので、だれでも知識を持っています。このように書いて来たのは、あなたがたが真理を知らないからではなく、真理を知っているからであり、また、偽りはすべて真理から出てはいないからです。偽り者とは、イエスがキリストであることを否定する者でなくてだれでしょう。御父と御子を否認する者、それが反キリストです。だれでも御子を否認する者は、御父を持たず、御子を告白する者は、御父をも持っているのです。あなたがたは、初めから聞いたことを、自分たちのうちにとどまらせなさい。もし初めから聞いたことがとどまっているなら、あなたがたも御子および御父のうちにとどまるのです。それがキリストご自身の私たちにお与えになった約束であって、永遠のいのちです。私は、あなたがたを惑わそうとする人たちについて以上のことを書いて来ました。あなたがたのばあいは、キリストから受けた注ぎの油があなたがたのうちにとどまっています。それで、だれからも教えを受ける必要がありません。彼の油がすべてのことについてあなたがたを教えるように、・・その教えは真理であって偽りではありません。・・また、その油があなたがたに教えたとおりに、あなたがたはキリストのうちにとどまるのです。"
 
▲教会がこの部分を明らかにしないならば、どのようになるでしょうか?
 皆様がこの部分を知らないならば、どのようになるでしょうか?
 皆様がこの恐ろしいところから解放されたのです。福音のために生きるということが理解できませんか? 今夜から、すべての問題は解決し始めるはずです。それなら、自分の力はないけれど、福音のために生きるはずです。もし神様が私に大きい祝福をくださらなくても、福音のために生きるはずです。
 神様がご覧になる時、どれくらい素晴しい人生でしょうか? 信者が見る時もどれくらい素晴しい人生でしょうか? 長老が近くで見る時あまりにも素晴しい牧会! 福音のために! この方が、弱くて失敗もちょっとしたが福音のために! これを中心だと知っていれば、本当に尊敬します。長老でも下の人を脅迫して尊敬を受けようとするなら、これが話になるでしょうか? それがいつまで続くでしょうか? 私達がなにか制度で引っ張っていくならば、いつまで引っ張っていけるでしょうか? 人が行政的に引くならば、いつまで引けるでしょうか? 行政が全く失敗がないならば知りませんが、自分の行政に失敗が生まれたとするなら、どのようにするでしょうか? 信徒が主のしもべを見る時、この方が本当に福音のために生きる人だな! 皆様の子供が皆様を見る時、福音のために生きるとこのようになるのだな! この祝福が伝達されなければなりません。
 
訓練12-神様が用いられる働き人 5
(相談できる人)
(1)質問を扱うこと
@狼狽しないこと
A論争を避けること
B謙遜に答えること
▲いろいろ質問が出てくるはずです。話はしないけれど、一般的な質問をたくさん持っています。
1.聖書が絶対的であることが信じられない
▲聖書が神様のみことばという証拠があります。どんな本でも、一つの時代にみな出てきました。しかし、聖書だけは、あらかじめ預言されて、成就された文が集められたのです。聖書はひとりが書いたのではありません。千年前に一人の男子がメシヤがくることを預言しました。イザヤ書です。歳月が千年過ぎながら、イエスがいらっしゃることを証ししたのです。マタイの福音書です。同時代の人ではありません。こういうように、集められたのが聖書です。そして、重要なことは、あなたの人生の問題、答はどこにあるのでしょうか? 聖書にあります。他の宗教、経典が誤っているということではありません。倫理、道徳的に、色々と宗教は良い話です。しかし、聖書はこの問題(2番の問題)を解決することです。
(1)イザヤ 40:8
(2)マタイ 5:16-18
(3)Uテモテ 3:16)
(4)Uペテロ1:21
 
2.私は罪があまりに多い
▲そうです。あなたが罪が多いということは、最も良くした告白です。しかし、知らないことがあります。しかし、あなたは罪の原因を知らないでいて、本当の罪を知らないでいます。あなたがサタンの手に捕まって、原罪の中ですべての罪過をみな作りだしたのです。その説明ができなければなりません。
(1)Iテモテ 1:15
(2)マタイ 8:13
(3)ヨハネ 3:16
(4)イザヤ 1:18
(5)Iヨハネ 1:9
(6)イザヤ53:6
*原罪がもっと重要です
*罪過は、原罪解決後の問題です
 
3.信じてみたいのにだめです
▲信じたくないから信じられないのではなく、信じてみたいのに信じられないことが、最も大きい霊的問題です。この説明をしてあげるべきです。
パク・テスン氏の長男に福音を伝えました。その方が、私に泣きながら言ったのは、神様を信じてみたいのに、信じられないと言いました。私は自分の父を見るから、神様が信じられないと言ったのです。自分の父を非難する人々を見るから、神様が信じられないと言いました。自分の口で、自分の父は間違いなく異端だと言いました。ところが、なぜ神様がそのようになるようにしたのか?と言うのでした。高等学校の時から、自分の父を非難する本を買って読んだら、ぜんぶみな嘘だったということです。どうして、そのようなやつらを信じるのか? 神様はいないようだと言いました。私は信じてみたいのに...その時、私が「本当に普通のことではない。そうです。あなたの父を非難した人々は、口で登場するとおりぺちゃぺちゃしゃべっているだけで、わざわざ非難したのではない。あなたの言葉通りあなたの父が異端であるのは、明らかなのではないか? あなたが信じてみたいのに信じられないのか? それがまさに最も大きい霊的な問題だ。」と簡単に創世記 3章を説明してあげました。この方が、とてもメッセージを深刻に聞きましたよ。時間が多くなくて、次にまた会おうと言ったのですが、会えませんでした。皆様が答を与えるべきです。
(1)ローマ 10:9-10
(2)ローマ10:17
(3)マタイ7:7-8
 
4.時間がない
▲この話を一番多くします。イエスを信じれば、神様があなたに全てのものを増し加えると約束なさいました。確かに話してあげましょう。「あなたは時計をはめているので、時間をはめているのではない。時間は、神様の御手にあります。もし神様があなたを呼べば、時間は終わるのである。もし神様があなたを祝福なされば、時間はいくらでもあるのです。分かるでしょう。時間があなたの勝手にできることはない。どうして、その重要な救いの秘密を置いて時間がないと話すのか?」話してあげるならば、早く食いつきます。
(1)ヤコブ 4:13-14
(2)Uコリント 6:1-2
(3)ルカ 12:19-20
(4)マタイ 16:26
(5)マタイ 6:33
 
5.信じればあきらめることがとても多い
▲本当に誤って悟ったのです。信じればあきらめるようになることは、何にもありません。
ある人が私に言うのは、イエスを信じれば良いことはなんにもできないと言いました。イエスを信じれば、あきらめることがとても多くないか?と... それで、私が言ってあげたのは、「私があなたを見たら、あきらめてはならないものは、なんにもない。錯覚しないで。」ものすごく錯覚を多くするのです。イエスを信じれば、聖書には皆様が滅びることをするなと言われています。悪霊を崇めること等...実際には、全てのものがみな回復されます。
▲私がある判事に福音を与えたら、カトリックに行って2週目になると言いました。あらーと思いました。なぜカトリックに行ったのかと聞いたら、答えるのに、自分がイエスを信じたかったからと言いました。自分は 判事なのに、あまりにも頭が痛いと言いました。家に帰って酒を一杯飲んで寝るということでした。ところが、教会では酒を飲むなと言うので、どうせならカトリックに行って、酒も飲みながら信じればよいでしょう?と言ったのです。自分はやめることができないと言いました。それで、私が説明してあげました。そうではありません。私たち韓国の人々は、酒を飲む習慣が外国人とは違います。私たち韓国がはじめの頃、酒を飲みなさい、飲んではいけないという話をしませんでした。そうしたところ、教会にきてどぶろくをあまりにも飲んで、教会でけんかして大騷ぎが起こったのです。それを宣教師が見たら、理解ができなかったのです。どぶろくを 飲むのに、うつわ一個を持って回りながら、夜通し飲むのです。それで、飲むなと言ったのです。オランダや ヨーロッパの人々は、こういう話をしません。水準の話です。韓国の人々だけ、特別にこういう話を多くします。皆様、英国やヨーロッパのホテルに行ってみれば、友人たちが座って酒を一杯ずつ置いて話をします。私が仕事をすべて終えて、そのまま座って話しているのに、その杯はまだ半分しか飲まなかったのです。それを 敢えて酒を飲もうと話す必要があるでしょうか? 私たち韓国の人々は、やたら飲んで、腹がこのように飛出してくる程に飲みます。あの強い洋酒を夜通し飲んで、腹が膨らんでしまいます。後進国の特徴です。特にロシアのようなところに行けばそうです。それで、「あなたは大丈夫です。イエスを熱心に信じて、家に帰って熱心に飲みなさい。」と言いました。「正しく信じなければならないのです。そして、あなたが恵みを受ければ、あなたが切れば良いことで、何の問題になることはありません。」
▲教会が教えるべきことは教えてくれなくて、教えなくて良いことは教えて、二重、三重に錯覚するようにさせます。明らかな話をしてあげましょう。逆に知っているのです。人々が教会に行けば、酒をみな切らねばならないと思っています。もちろん、飲む必要もないことです。ところが、その原理を話してあげるべきです。韓国だけがしばしばそのようにするのです。私達が未信者に福音を伝えるのに、今、未信者があまりにも逆に 知っているのです。
(1)マルコ 8:36-37
(2)マルコ10:28-30
(2)Iヨハネ 2:15-17
(4)ヤコブ 4:4
(5)詩 1:1
 
6.イエスを信じる人に失望した
▲そして、何と言うでしょうか? イエスを信じる人に失望したと言います。こういう話を一番多くします。2つのことで話さなければなりません。
最初、イエスを信じる人も、人であるゆえに、あなたを失望させることがあります。
もしあなたが本当にイエスを信じた後に、他の人を失望させることがあるのではないでしょうか? それで、この地に永遠に生きるのではなくて、天国へ行くのではないでしょうか?
二つ目、実際に福音を知らずに教会に通う人がとても多いのです。あなたが、たぶんそのような人に会ったのかも知れません。そのような人が、実際に多いのです。率直で明らかな話をしてあげましょう。
(1)ヘブル 12:2
(2)ヤコブ 3:2
(3)ヘブル 10:24
(4)ピリピ 3:12-14
 
7.貧しくて信じることができない
▲ある人は、私は信じてみたいのに、貧しくて信じることができないと言います。教会に行けば、献金もしなければならないのに、私はお金もなくて...と言う人がいます。大きく問題になることではありません。愚かでなければ説明できることです。この人が、うわべだけ見たのです。
(1)ヨハネ三 1:2
(2)ルカ 7:22
(3)ルカ 4:18
(4)ヤコブ 2:5
(5)Uコリント 8:9
(6)ピリピ 4:19
 
8.イエス・キリストが神様であることを信じられない
▲ある人は、どうしてイエス・キリストが神様なのですか?イエス・キリストは誰で、神様は誰ですか?こういう人がいます。かなりたくさん出てきます。
ある人が聞くのに、私はイエスを信じなければならないですか? 神様を信じなければならないですか? 私は祈る時、主イエスよ!と言わなければならないですか、神様と言わなければならないですか? と聞きましたよ。質問すべき内容です。三位一体の神様の秘密を説明すればよいのです。
 
父なる神様があらゆる万物を創造なさったのですが、私たちを救ってくださるために人のからだを着て、御子なる神様を送るしかなかったのです。その方が肉体を着て永遠にここにおられることができないので、昇天なさって、聖霊なる神様が私たちと共にされるのです。その程度、説明すればよいでしょう。
(1)マタイ3:17
(2)ピリピ 2:6-10
(3)ヨハネ 10:30
 
9.宗教はみな同じではないのか?
▲宗教はみな同じではないですか? 違うと見てはだめです。同じです。ひとつが違います。創世記3章の問題の部分が違うのです。創世記3章の問題だけ解決ができません。
(1)使徒 4:12
(2)ヨハネ 14:6
(3)ローマ 5:8
 
10.なぜ教派が多いのか?
▲このことを説明しようとするなら複雑です。牧師が戦いをたくさんして、教派がたくさん生じたと話をしてあげれば、最も正答ですが、そのように話すことができないのです。実際に私達が教派の中で一つだったのですが、追い出されて教派になったのです。私達が恵みで生きようとしたのに、どんどん追い出すから... 人々が 柳光洙牧師が異端になればよくないと言いながら悪口を言ったのでなく、柳光洙牧師が異端になるべきだと言いながら悪口を言いました。だからだめなのです。本当の神様の人ならば、私の説教を聞きながら、誤った説教が出てくれば良くないと言うべきなのに... そうすべきではないでしょうか? 切実な心から誤っているか、いないをさがすので... そのような人種ゆえに教派がたくさん生じました。このように話してしまえば、試みにあいます。これは後ほど信仰が生まれてから話してあげるべきで、簡単に言ってあげればよいのです。韓国には、姓が百個ほどあるではないでしょうか? だから、こういう教派、ああいう教派があって、こういう式で伝えて、あんな式で伝えて、福音をたくさん伝えるのではないでしょうか? 聖潔教は聖潔に伝え、純福音は純福音で伝えて、そのようにするのです。バプテストは水につけながら伝えて、そのように細いのです。そのようにだけ伝えてあげればよいのです。韓国に教派が生まれたのは、全部けんかして生まれたのです。
(1)Iコリント 12:12,20, 28
(2)エペソ 4:25
 
11.私は罪がない
▲ある人は、反対に私は罪がないと言います。私は法律なくても生きることができると言います。説明しやすいのです。そうです。あなたが強盗をしたのでもなくて、盗みをしたのでもなくて... それではありません。あなたが神様を知らないという最も重要な原罪を持っているのです。するとわかります。より重要なこと、本当にのあなたが犯した罪はないでしょうか? 小さいことも罪なのに... 前の話が分かるならば、この話もわかります。前の話をわかることができなければ、認めません。すると、イエスを信じる長老はなぜ罪を犯すのか?と出てきます。それで、その話に試みにあわないようにするために、そのような罪を話すのではありません。
(1)ヤコブ 2:10
(2)ローマ 3:20
(3)ヨハネ 16:9
(4)ローマ 6:23
(5)イザヤ 64:6
(6)伝 7:20
 
12.私は母胎信仰だ
▲また、ある人は私は母の胎の内からの信仰であるゆえに、救われていると話します。説明しやすいのです。救いは個人です。祝福は共に受けることができるけれど、救いは個人です。
(1)ヨハネ 1:12
(2)黙示録 3:20
(3)ローマ 5:12
(4)詩 51:5
(5)ヨハネ 3:3
 
13.信じても効果がなくて、祈っても答えがない
▲やさしく話せば、あなたがでたらめに信じるからです。
(1)詩 66:18
(2)イザヤ 55:6-7
(3)ヤコブ 4:2-4
(4)詩 10:17
(5)詩 149:4
(6)箴言 3:34
(7)イザヤ 58:6
(8)ヨハネ 14:16-17
(9)ヨハネ 14:26-27
 
14.先祖供養するゆえ信じることができない
▲タラッパンメンバーならば、この説明は十分にするはずです。
(1)Iコリント 10:20
(2)マルコ 10:28-30
 
15.天国と地獄を信じることができない
▲このことも率直に話してあげましょう。私たちも行ったことはありません。聖書にそのようになっています。神様のみことばにそのようになっているのです。私は信じます。いままで神様のみことばは、私たちに救いを下さって、真理であったゆえに、私は信じます。そして、気分を悪くしないで。あなたを見て地獄に行かず、天国に行きなさいというのです。それが何で気分が悪いのでしょうか? 万一あなたがだまされるとしても良いのに、行きなさいと言うことは、だまされても良いでしょう? あなたをだまして悪いところに送るならば悪いけれど、良いところに送るのならば、悪いことはありません。しかし、もしこれが本当に事実であるならば、あなたは問題はないでしょうか? これは話を分かった時にする話です。はじめから、このように話せば、けんかになってしまいます。けんかにならなくても、感情が悪くなります。
(1)ヘブル 9:27
(2)Iコリント 15:19
(3)黙示録 21:1-4
(4)マタイ 25:41
(5)マタイ 25:46
 
16.善良に生きればよい
▲こういう人がものすごく多いのです。
(1)イザヤ 64:6
(2)ローマ 3:23
(3)伝 7:20
(4)ヤコブ 2:10
(5)ローマ 3:11
(6)使徒 4:12
 
17.信徒はあまりにも狂ったようだ
▲ある人は、信徒があまりに狂ったようだと話します。これも2つのことで言ってあげなければなりません。最初、とても良いことを本当に知った時、そのようになるでしょう?
二つ目、福音をよく知らないのに、変に信じる人もあります。それが基準でないことを説明してあげましょう。
(1)黙示録 3:15
(2)ローマ 8:15
(3)ルカ 18:7
(4)詩 47:1
(5)ヨハネ 8:32
 
18.家族が反対する
(1)創世記 12:1-3
(2)マルコ 10:29-30
 
基本重要聖句
1.救われることができなければ
▲救われることができなければ、どのようになるのでしょうか? 創世記3章の問題が解決できなければ、どのようになるのでしょうか?
(1)罪人(ローマ3:23, ローマ3:10)
*ローマ3:23 "すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、"
*ローマ3:10 "それは、次のように書いてあるとおりです。「義人はいない。ひとりもいない。"
(2)悪魔の子供(ヨハネ8:44, エペソ2:1-2)
*ヨハネ8:44 "あなたがたは、あなたがたの父である悪魔から出た者であって、あなたがたの父の欲望を成し遂げたいと願っているのです。悪魔は初めから人殺しであり、真理に立ってはいません。彼のうちには真理がないからです。彼が偽りを言うときは、自分にふさわしい話し方をしているのです。なぜなら彼は偽り者であり、また偽りの父であるからです。"
*エペソ2:1-2 "あなたがたは自分の罪過と罪との中に死んでいた者であって、そのころは、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者として今も不従順の子らの中に働いている霊に従って、歩んでいました。"
(3)罪のしもべ(ローマ6:17, ローマ8:2)
*ローマ6:17 "神に感謝すべきことには、あなたがたは、もとは罪の奴隷でしたが、伝えられた教えの規準に心から服従し、"
*ローマ8:2 "なぜなら、キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したからです。"
(4)地獄の刑罰(ローマ6:23, ルカ16:19-31, 黙示録14:9)
*ローマ6:23 "罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。"
*黙示録14:9 "また、第三の、別の御使いも、彼らに続いてやって来て、大声で言った。「もし、だれでも、獣とその像を拝み、自分の額か手かに刻印を受けるなら、"
 
2.救われようとするなら
▲すると、どのように救われるのでしょうか?
(1)イエスを知るべき(ヨハネ3:16, イザヤ53:5)
*ヨハネ3:16 "神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。"
*イザヤ53:5 "しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。"
(2)受け入れるべき(創世記3:15, ヨハネ8:56, ヘブル11:4, ヨハネ1:12, 黙示録3:20)
*創世記3:15 "わたしは、おまえと女との間に、また、おまえの子孫と女の子孫との間に、敵意を置く。彼は、おまえの頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく。"
*ヨハネ8:56 "あなたがたの父アブラハムは、わたしの日を見ることを思って大いに喜びました。彼はそれを見て、喜んだのです。」"
*ヘブル11:4 "信仰によって、アベルはカインよりもすぐれたいけにえを神にささげ、そのいけにえによって彼が義人であることの証明を得ました。神が、彼のささげ物を良いささげ物だとあかししてくださったからです。彼は死にましたが、その信仰によって、今もなお語っています。"
*ヨハネ1:12 "しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。"
*黙示録3:20 "見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところにはいって、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。"
(3)口で認める(ローマ10:9-10, マタイ10:32-33)
*ローマ10:9-10 "なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。"
*マタイ10:32-33 "ですから、わたしを人の前で認める者はみな、わたしも、天におられるわたしの父の前でその人を認めます。しかし、人の前でわたしを知らないと言うような者なら、わたしも天におられるわたしの父の前で、そんな者は知らないと言います。"
3.イエス様を受け入れれば
(1)子供になる(ヨハネ 1:12, ヨハネ5:24)
*ヨハネ5:24 "まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしのことばを聞いて、わたしを遣わした方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきに会うことがなく、死からいのちに移っているのです。"
(2)悪魔の力から解放(ローマ8:2, エペソ2:1-6)
*ローマ8:2 "なぜなら、キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したからです。"
*エペソ2:1-6 "あなたがたは自分の罪過と罪との中に死んでいた者であって、そのころは、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者として今も不従順の子らの中に働いている霊に従って、歩んでいました。私たちもみな、かつては不従順の子らの中にあって、自分の肉の欲の中に生き、肉と心の望むままを行ない、ほかの人たちと同じように、生まれながら御怒りを受けるべき子らでした。しかし、あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、罪過の中に死んでいたこの私たちをキリストとともに生かし、――あなたがたが救われたのは、ただ恵みによるのです。――キリスト・イエスにおいて、ともによみがえらせ、ともに天の所にすわらせてくださいました。"
(3)聖霊がおられる(Iコリント3:16, Iコリント12:3)
*Iコリント3:16 "あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか。"
*Iコリント12:3 "ですから、私は、あなたがたに次のことを教えておきます。神の御霊によって語る者はだれも、「イエスはのろわれよ。」と言わず、また、聖霊によるのでなければ、だれも、「イエスは主です。」と言うことはできません。"
(4)聖霊の導きを受ける(ヨハネ14:16, ヨハネ14:26, Iヨハネ2:20, Iヨハネ2:27)
*ヨハネ14:16 "わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。"
*ヨハネ14:26 "しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。"
*Iヨハネ2:20 "あなたがたには聖なる方からの注ぎの油があるので、だれでも知識を持っています。"
*Iヨハネ2:27 "あなたがたのばあいは、キリストから受けた注ぎの油があなたがたのうちにとどまっています。それで、だれからも教えを受ける必要がありません。彼の油がすべてのことについてあなたがたを教えるように、――その教えは真理であって偽りではありません。――また、その油があなたがたに教えたとおりに、あなたがたはキリストのうちにとどまるのです。"
▲すると、残りすることがひとつあります。聖霊充満が、私たちのすることです。それで福音と律法を区分するのです。
 
4.聖霊充満
(1)主人になられたイエス(ガラテヤ2:20, 黙示録 3:20)
*ガラテヤ2:20 "私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が、この世に生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。"
(2)からだ全体をささげる(ローマ12:2, ガラテヤ5:18, 使徒2:17)
*ローマ12:2 "この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。"
*ガラテヤ5:18 " しかし、御霊によって導かれるなら、あなたがたは律法の下にはいません。"
*使徒2:17 : 『神は言われる。終わりの日に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。"
(3)地上の使命成就に対する献身(Uテモテ4:1-2, Iコリント4:5)
*Uテモテ4:1-2 "神の御前で、また、生きている人と死んだ人とをさばかれるキリスト・イエスの御前で、その現われとその御国を思って、私はおごそかに命じます。みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。"
*Iコリント4:5 "ですから、あなたがたは、主が来られるまでは、何についても、先走ったさばきをしてはいけません。主は、やみの中に隠れた事も明るみに出し、心の中のはかりごとも明らかにされます。そのとき、神から各人に対する称賛が届くのです。"
(4)心とからだを きれいに(Iヨハネ1:9, 詩66:18)
*Iヨハネ1:9 "もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。"
*詩66:18 "もしも私の心にいだく不義があるなら、主は聞き入れてくださらない。"
 
5.福音と律法とみた 聖書
(1)律法主義字の生き方(ヨハネ 3:1-4)
(2)福音主義者の生き方(ガラテヤ 2:20, ローマ8:4)
*ローマ8:4 "それは、肉に従って歩まず、御霊に従って歩む私たちの中に、律法の要求が全うされるためなのです。"
 
6.三位一体に対する理解
▲神様が私たちを救うことをあらかじめ約束なさって創造なさったのです。
 それを成就なさった方が、イエス・キリストです。
 今、イエス・キリストは、御座に座ってくださって聖霊で働いていらっしゃいます。
(1)人間に神様の霊を下さいました(創世記1:27)
*創世記1:27 "神はこのように、人をご自身のかたちに創造された。神のかたちに彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。"
(2)神様の霊が離れたので、その霊が死んだ(創世記 3:1-10, エペソ 2:1-2)
(3)イエスを通じて神様のいのちを預言(創世記 3:15, イザヤ7:14, イザヤ 53:5)
*イザヤ7:14 "それゆえ、主みずから、あなたがたに一つのしるしを与えられる。見よ。処女がみごもっている。そして男の子を産み、その名を『インマヌエル』と名づける。"
(4)神様がイエス様として来られた(ヨハネ1:1-5)
*ヨハネ1:1-5 "初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。この方は、初めに神とともにおられた。すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。"
(5)イエスを受け入れることが、神様のいのちを受け入れること(ヨハネ 3:16, ヨハネ 1:12)
(6)イエスが昇天された後、聖霊を下さった(Iコリント12:3)
*Iコリント12:3 "ですから、私は、あなたがたに次のことを教えておきます。神の御霊によって語る者はだれも、「イエスはのろわれよ。」と言わず、また、聖霊によるのでなければ、だれも、「イエスは主です。」と言うことはできません。"
(7)イエスのいのちが、すなわち聖霊(ローマ 8:2)
 
7.異端の根本的な特性
(1)イエスの救いを否認(三位一体を否定)
*答- ピリピ2:5-6, ヨハネ10:30, Iヨハネ2:5-20
(2)たましいが滅絶することを主張
*答- 創世記1:26, 創世記5:1, ヨブ32:8, 使徒7:59, Iコリント11:7, ルカ16:19-31
(3)イエス・キリストの神聖を否認
*答- ヨハネ1:1, コロサイ1:15-19, コロサイ2:9, Iヨハネ5:7-8
(4)イエス キリストの完全な贖罪を否認
*答- ローマ3:24-25, コロサイ1:20, Iペテロ2:24, Uコリント5:20
(5)イエスの霊的再臨を主張
*答- Iテサロニケ4:16-17, 使徒1:11, マタイ24:30, 黙示録1:7
(6)地獄を拒否
*答- マタイ5:22, マタイ8:11-12, マタイ13:42, マタイ13:50, マタイ22:13, ルカ13:24-28, ルカ16:19-31, Uペテロ2:17 ユダ1:13, 黙示録14:9-12
 
8.結論- 個人の聖霊充満!
▲このように信仰生活を始めます。
 信仰生活をして行くのに、困難が全くないのでしょうか? この地を生きていく間に救われた者には問題がこないのでしょうか? 驚くこともなくて、うろたえていることもありません。今からどのようにするのでしょうか?
(1)教会生活をどのようにすべきでしょうか?
▲イスラエル民族が、荒野を行くときに失敗してしまったのです。イスラエル民族が、全部、神殿の奉仕をしながら、王政時代に失敗してしまったのです。教会生活を通じて試みに会うことがあります。揺れないで。
(2)現場- 私たちは現場に行けば負けやすいのです。
(3)環境- 難しい環境に会う時、揺れやすいのです。
(4)問題- 問題に会った時、揺れやすいのです。
▲このような時、重要な判断を良くしなければなりません。ここで大きい祝福を受けるか? 損になるか? 悪魔にだまされるか? 大きい祝福を受けるか? 二つの中のひとつです。マタイ25:41を見ると、再臨していらっしゃる時まで、悪魔が活動するために、だまされるようになるのです。4つのことでだまされるようになります。教会の人々をみつめてだまされることになります。絶対にだまされないで。現場、個人と環境、問題の中でだまされるのです。途方もない祝福を受けるはずなのに、だまされて、後ほど途方もない祝福を受けるはずなのに、現在を見てだまされるのです。問題が迫る時、だまされます。判断が重要です。この時、あなたが偉大な信仰の判断を良くしましょう。
▲この4つのことを良くしようとすれば、良くせねばならないことがひとつあります。
 これから、あなた個人です。イエス・キリストが、あなたのために十字架にかかられ、あなたの救い主になられました。あなたは、神様の子供です。私たちは神様の子供です。
▲まちがいなく、聖霊が私たちの中にいらっしゃるのです。聖霊が、私たちの中にいらっしゃるために、一日に一分以上、聖霊充満をくださいと祈りましょう。すべての問題が解決するはずです。聖霊充満してくださいというのに、だめになる方達はいやされなければならない部分があるからです。皆様が一日に10分ずつでも聖霊充満してくださいと祈れば、すべての問題が解決します。
 個人が聖霊充満を受ける秘密! これを話してあげるべきで、分かるようにしてあげるべきで、味わうようにしてあげるべきです。すべての問題はみな終わったのです。
 個人が聖霊充満の秘密がないならば、途方もない祝福を見るのに、しばしばのがしてしまいます。もちろん、根本的な祝福は変わりません。しかし、時刻表をよく見ることができないようになります。そして、全てのものをみな持って、味わうことができません。
 聖霊充満ができれば、味わえるようになります。
▲私が6時頃に皆様を考えて祈りました。何の祈りをしたかというと、聖霊充満をください。私に5つの力を与えて下さって、聖霊充満とともに弟子の門をあけてくださり、聖霊充満とともに七つの現場の門をあけてくださいと祈りました。神様は私に相当な確信と力を与えて下さいます。
 私がすることは、これでしょう?
▲このように仕上げをしてあげるべきです。あなたがたは答が出た人であることは確かです。しかし、個人の聖霊充満が出来なければ、いつも過ぎてから知るようになります。大きい祝福を受けた後に「あ! そうだったんだな! あ、神様が私に困難を与えているようだったのに、私にこのように大きい祝福を下さったんだなあ!」と分かるのですが、個人の聖霊充満をするようになれば、困難に会わずにあらかじめ分かるようになります。ですから、祝福は受けるようになっているのです。例えば、私の娘ならばよく悟るならば、あらかじめ与えるでしょう。よく悟ることができなければ、与えるのは与えなければならないが、いつも過ぎてから与えるでしょう。一旦、皆上げるけれど、常時割って与えます。幼いとき、 そのような話があるでしょう? あなたをこれを何となくするか、正しくするか? ということです。
 祝福は与えられるようになっています。この祝福をどのように受けるか、殴られて受けるのか? あなたが本当に神様の祝福を正しく受けているのか、苦労してから受けるのか? その差はただ一つしかありません。個人の聖霊充満!です。すると、困難が来て、問題が来れば答があるので大丈夫なのです。危機がきても、チャンスが目にちゃんと見えます。これをすべきだ、すべきでないと区分できます。すること、しないことが区分できるのです。個人の聖霊充満を常にしていれば、私が捕まえるべきこと、のがすべきことを区分するようになります。結局はなるようになっています。
 現場も変化になることが見えます。個人の聖霊充満がだめになれば、後ほど現場変化になったことだけ見るようになります。必ず悟るようになる祝福があるように希望します。