2004年07月19-20日(一般信者地域教会訓練7月)



第1講: みことばの規則
(イザヤ 40:6-81)
 
 
小教理問答第2問答
(問) 神は、私たちに神の栄光をあらわし神を喜ぶ道を教えるため、どんな基準を授けていてくださいますか。
(答) 旧新約聖書にある神の御言葉だけが、私たちに神の栄光をあらわし神を喜ぶ道を教える、ただ一つの基準です。
 
→序論
▲イザヤ40:6-8節です。小教理問答の第2問答を細かく見ましょう。
(1)第1問答は、人のおもな目的は、何ですか。人のおもな目的は、神の栄光をあらわし、永遠に神を喜ぶことです。これは開始であり、また結論です。
(2)すると、第2問答は、何の規則を与えて神様の栄光をあらわすようにされたのでしょうか? "みことばの規則"を与えられたのです。これを持って神様の栄光をあらわすようにされました。みことばの祝福を受けることを望みます。みことばが宣べ伝えられた後に答えがくるのです。確かにみことばに恵みを受ける時、信仰が成長します。神様のみことば、神様の祝福をまさに受けます。私達がみことばを正しく理解することが、最も重要です。とやかく言う必要はありません。
 
▲序論でいくつかのことをつかみましょう。
(1)完全福音、伝道、祈り
▲完全福音、完全伝道、完全祈りを理解するほど、みことばが分かります。伝道を理解できなくて、福音を理解できなければ、聖書が分かりません。伝道現場を正しく見ることができなければ、聖書のみことばは、死んだみことばです。この部分が体験できるほど、神様のみことばが生きているみことばだと理解できます。
(2)宗教- 占い
▲他の宗教にも、あらゆる経典があります。それで、その経典では足りないという証拠で、吉凶を占っています。福音を正しく知っている信徒は、吉凶を占う必要がありません。なぜでしょうか?
1)ローマ15:4 聖書は記録された通り成就にする、みことばであるためです。これが神様のみことばです。
2)Iコリント10:11 聖書はずっと成就します。
3)Iペテロ2:6 絶対に、このみことばはずっと成就するのです。
4)伝12:11
5)イザヤ22:22-24節を見れば、イスラエルの栄光がかかるはずです。イスラエルの栄光がかけられます。このみことばは、生きているみことばです。序論部分で、この部分を確かにしましょう。
(3)創世記1:1-3 みことばで天地を創造、みことばは今でも生きて働きます。死んだ人の話は、教訓であって、実際的には力がありません。
1)イザヤ40:8節を見ると、永遠なみことばです。
2)マタイ5:17-18節を見ると、必ず成就します。
3)黙示録1:1-3節を見ると、最後に起きることが預言されています。
4)マタイ24:1-25:46節を見ると、最後の時に起きることが預言されています。このみことばは完壁な神様のみことばです。
5)それで、詩119:10節を見ると、心に入れましょう。神様のみことばを、教理にも理解できますが、中心に置きましょう。神様のみことばを神学的に理解しても良いのですが、心に入れましょう。私たちは頭で理解することができないので、心に入れましょう。
6)それで、詩篇103:20-22 みことばが成就する時、天の軍隊が動員されます。そうならば、ものすごいのです。相当なのです。それで、みことばがすべてなのです。みことばが成就すれば、全てのものが成就します。
7)説教とは何でしょうか? 神様のみことばが宣布されることです。その他には説教ではありません。福音を伝え、みことば成就することが説教です。ペテロの説教です。使徒2:14-21節です。ヨエル預言者のみことばが成就しました。今日、みことばの祝福を受けましょう。このみことばは、とても重要です。
▲あなたがたは、私をよく理解できないでしょう。お互いの間でも理解を間違ってしまいます。これをどれだけ重要に思っているかというと、私の話をしないように、いつも祈っています。それで緊張する程です。こういう部分を理解してもらうのが難しいのですが、私は重要だと考えます。説教する前には、一人で何時間もいます。なぜでしょうか?とても重要なためです。私の話をしてはだめだからです。重要な時点で私の話をすれば、大きい罪を犯すことになります。神様の計画を伝達しなければなりません。みことばを伝達しなければならないのです。それで、郵便屋が自分の手紙を渡しても良いでしょうか? 郵便屋は、人の家に自分の意見を伝達しても良いのでしょうか? 郵便屋は、人格が足りなくても良いのです。手紙だけ正しく渡せば良いのです。愛する父から米国から手紙がきました。郵便屋がブスだから手紙を受けない。そのようにするでしょうか? そのような事はありません。父の手紙を受けとらなければなりません。郵便屋が違ったものを持っていってはだめです。これくらい、神様のみことばは重要です。高い山で話しなさい。頂上で話しなさい。イザヤ40:8-9節です。違うことではありません。
▲仏教信者に尋ねました。仏典があるのに占いをなぜするのですか? 返事が出来なかったのです。聖書のみことば中にすべての答え、ずっと生きて働かれます。
どの部分を読むべきか? 心配する必要がありません。どこを読んでもかまわないのです。聖書66巻を暗記して、博士になる必要はありません。コリント地域の人々は、コリント人への手紙を読んで救われました。ガラテヤ地域にいる人も同じです。マタイの福音書、創世記の中にあらゆる救いがみなあります。どこを読んでもかまわないのです。むかしのものでありながら、永遠なのです。ここに真の答がないならば、祈りの答えがありません。牧師は、牧会、説教が難しいでしょう。私は説教が一番難しかったのです。準備しようと、いろいろな本をみな読みました。線を引いて、とても難しかったのです。
神様のみことばがなにかを知って、説教がとてもやさしくなりました。私の話をする必要がありません。知識を足す必要がありません。哲学、誰かが何を言った、この話をするだけ損です。神様のみことばを聞くために来ます。人の話を聞かないのです。人の話を聞けば錯覚です。そのような人がいるならば、救われた人ではありません。未信者のために、信じない人のためには仕事をしません。私たちは救いのために仕事をするので、地獄のためには仕事をしません。本当に答えを受ける日になることを希望します。
まず、私達が理解すべきことは、聖書みことばには、未信者も分かる部分があります。未信者もたくさん見ます。しかし、救われた人だけが分かる部分があるのです。血の契約は、救われた人だけが分かります。聖書は、偉大なみことばなので、救われた人も分からない部分があります。これをむやみにするのでしょうか? 分からない部分は、過ぎ越しましょう。それが聖書をよく読むことです。知らないことは、過ぎ越せば良いのです。聖書的です。聖書が分からないです。耐えましょう。ものすごい神様のみことばを、自分の頭で理解するのでしょうか? それから違っているのです。理解できない部分が多いのです。聖書に、こういう事があったのでしょうか? たくさんあります。私たちを救う祝福のみことばです。
▲みことばの規則、この祝福を受けましょう。伝道者の立場で説明するようにします。
 
1.聖書全体を理解
▲聖書全体をまず理解しましょう。聖書のみことばを受けるための重要な部分です。聖書全体を理解できなければ、こまります。道を行く時、一筋の道だけ行くのではありません。道をよく知っている人は、全体を知って行くのです。
(1)五つの事件
▲聖書には、教会以前に五つの事件がありました。 "5事件" これをまず理解しましょう。
1)暗闇、混とん、空虚(創世記1:1-2)
▲創世記1:1-2節です。暗闇と混とんと空虚の中にいた時、天地を創造されました。人間は神様を知らなければ生きられません。空虚、混とん、空虚の中にいた時、みことばで創造されたのです。ところが、創世記3章で-
2)創世記3章1-20節を見ると、この祝福をサタンが奪いました。
3)創世記4章1-24節で、礼拝をよくささげることができなかったのです。真の福音を知らなくさせます。
4)創世記6章1-22節で、ネフィリム時代に勝つことができなませんでした。これがノア時代です。
5)創世記11章1-9節で、神様がなくても成功します。それが問題です。バベルの塔です。この五つの事件がありました。これを理解しましょう。
▲ベル・ハウゼンという人は、創世記は神様のみことばではないと言いました。理由は何でしょうか? 3つがあります。「その当時、文字がなかったのに理解できるのか? モーセが死んだ後に、年代が合わないのに記録できるのか? 中を見ると、矛盾して違う部分が多い。エジプトに400年いたとか、430年とか言うのに、違う部分が多い。」それで神様のみことばではないと言いました。ところが、それは錯覚です。勉強を多くした方がその意見をひっくり返しました。モーセの時代に文字が通用されていることを発見したのです。そして、記録されたこのみことばが、その時、記録されたみことばであるという考古学の資料が出てきました。その次のことは、話す必要がありません。何歳か? 26歳です。何歳か? だいたい30歳になったと言うでしょう。それを持って聖書のみことばが違うという必要がありません。エステルは29歳です。私はだいたい30歳になったと言っても、この人を詐欺師だと話すことは、あまりに激しいことでしょう。そのように話すこともあります。その時に使った慣用語をそのまま書いたのです。聖書は小説ではないので、アブラハムができないこと、良くしたことをそのまま記録したのです。事実、そのままを記録しました。私達が見る時には、話しが合わないこともあります。
▲それで、この5つの事件を知らなければ、今でもここにやられてしまいます。ベル・ハウゼンに尋ねたいのです。この世に起きる暗闇、空虚、混とんは、どのようにするのでしょうか? サタンの戦略と原罪は、どのようにするのでしょうか? 崩れる教会、宗教は、どのようにするのでしょうか? 悪霊文化がいちばん優れているのに、ネフィリム文化はどのようにするのでしょうか? 成功した人はどのようにするのでしょうか。人間が必ず、このようにやられてしまうのでしょうか? 神様がそのようにされませんでした。はじめから、福音を与えられたのです。1:3 光、創世記3:15、血のいけにえ、箱舟、それで、アブラハムにカルデヤから出てきなさいと言われました。この契約を捕まえた家系を選ばれたのです。
(2)家系- 回復
1)創世記- この契約を成し遂げる家系を選択されました。この人が、アブラハム、イサク、ヤコブです。死ぬ峠を越して、この話がわかったイサク、契約は幼い時から悟ったヨセフ、それが創世記です。聖書全体の重要な部分を理解しましょう。
2)出エジプト記、レビ記、民数記、申命記- この契約をまたなくしたのです。これが出エジプト記、レビ記、民数記、申命記です。
3)ヨシュア、士師記、ルツ記- それで、イスラエル民族がカナンの地へ行きました。これがヨシュア、士師記、ルツ記です。
4)サムエル上下、列王記上下、歴代上下- それで、神様がこの祝福の秘密を伝達するのに、王、預言者、祭司を立てられました。これがサムエル上下、列王記上下、歴代上下です。
5)預言者の書(大預言者の書、小預言者の書)- サウルエル上下、列王記上下、歴代上下で、王と預言者、祭司を立てたに、捕虜になりました。捕虜から帰ってくることができるメッセージを与えられました。これが預言者の書です。その核がメシヤです。王も、預言者も、祭司長もだめだ.. 真の者を送る。これを一人で役割を成し遂げた方を送る。ここまでが旧約です。
6)四福音書- このメシヤが来られました。四福音書です。証拠になります。イスラエル人に向かって話しました。これがマタイの福音書です。異邦人に焦点を合せたのがマルコの福音書です。ギリシヤ人を対象に送った 聖書がルカの福音書です。ユダヤ人、パリサイ人に宣べ伝えました。これがヨハネの福音書です。角度を違うように与えたのです。
7)使徒行伝と書簡- イエスがキリストであることが間違いないのか? そこに対する証拠が使徒行伝で、各しもべの書簡です。
8)ヨハネの黙示録- すると、最後の時にはどのようなことがおきるのか? それが黙示録です。福音、契約を握った人は絶対に滅びません。黙示録の勉強しながら分けてするのですが、そのような所に行かないでください。黙示録の序論、結論は、その話ではありません。最後にみな起きてもかまわない、その話です。みな起きても 天国は備えられています。変に解釈して、不安を与えるのですが、それは間違って理解したのです。ここまでが聖書です。
▲聖書全体を正しく理解しましょう。信仰生活がどこから出てくるのでしょうか? 5つの事件から出てきます。今でも続くのです。皆様がこの契約を捕まえる時、働かれるはずです。まちがいなく答えが与えられます。
▲この中で最も重要なのが何でしょうか?
 
2.霊的部分の理解
▲聖書全体を理解するならば、霊的な部分を理解しなければなりません。
(1)災い- サタン、地獄、罪の力
▲なぜこの世に災いが来るのでしょうか? 知ってみたら、サタンゆえにです。サタンと地獄と罪の力ゆえにです。これゆえに災いがたくさんくるのです。罪を犯さざるをえません。私達に勝つことができる力があれば良いのですが、そうではありません。サタンに会えば、百戦百敗です。勝つことはできません。災いが来るしかないのです。それで、この霊的部分を解決 ようと、キリストを送ってみことばを下さいました。聖書が強調する部分が何でしょうか?
(2)偶像崇拝- 霊的問題
▲偶像崇拝は、サタンが作りだしました。それで、霊的問題がきます。霊的問題が来ないようにということであって、他人の宗教を批判することではありません。家に何かを作っておいてお辞儀をします。何というのでしょうか? その後にくる霊的問題をどのようにするのでしょうか? どれくらい貴重な方でしょうか? その方に来る霊的問題は、どのようにするのでしょうか? 顔をつぶすように何かと言うのではありません。聖書はそれを言っているのであって、悪口を言っているのではありません。聖書は、こういう重要な部分をいうのです。
(3)福音の根がないクリスチャン
▲イスラエルが呪われました。 "福音の根がないクリスチャン" は、より深刻化します。両側のすべてだめです。未信者は最初は良くできます。ところが、こういう人は最初にはできません。ですから、福音の根がおりていないクリスチャンは、これもあれもできないのです。その例が
1)ユダヤ人
2)捕虜
▲聖書はこれを言うのです。霊的部分を知らなければ、信仰生活ができません。
 
3.肉体的な部分
▲これが律法です。聖書には霊的部分もあって、律法的な部分もあります。ここに対して正確に理解しましょう。律法を下さった理由が3つあります。
(1)人間は罪人
▲人間は罪人であることを知らせています。国家に法律がなぜあるのでしょうか? 罪人であることを知らせるためです。罪人を作ろうとするのではなくて、罪があることを知らせてくれます。
(2)福音の必要性
▲福音の必要性を知るようにさせるのです。律法が必要ないということでしょうか?
(3)生き方のバランス
▲生き方のバランスが入っています。こういう意味は、未信者にも必要です。これは救われるためではなくて、未信者にもバランスを持つために与えられました。ですから、こんにちのクリスチャンは、バランスだけ悟っています。バランスが良くなっていないのに、これを持って、正しい、正しくないと時間を過ごすのです。これも必要です。聖書にも良いものがたくさんあります。食べるな、あんなものを食べなさい。たくさんあります。バランスに関することです。救いと関係がありません。
 
▲肉体的な部分は、聖書にないのではありません。聖書の重要な部分を知る時、応用できます。子どもにどのように教えるのでしょうか? どのようにこの部分を知らせるのでしょうか? やさしい答が出てきます。これを 持って神様に栄光を帰すようにするのです。このようになっています。どんな結論が出てくるでしょうか?
(1)福音理解- 福音を理解することが、神様に栄光を帰すことです。
(2)伝道理解- 伝道を理解することが、神様に栄光を帰すことです。
(3)生き方のバランス- 整えることが神様のためのことです。ある時は、耐えねばならないことは神様の栄光のために、譲歩すること、いのちをかけて福音を伝えねばならないでしょうか? 神様が最も喜ばれて、大切なので、これゆえに勉強、事業、お金を儲けるのです。これが生き方のバランスです。こういう部分がものすごく 重要です。
▲牧師、長老は注意しましょう。子どもを育てます。お金がないこともあります。私がお金がなくて、勉強をさせることができない、このように話せばおかしな父母です。私は息子にこう説明しました。「あなたも学生で、パパも学生だ。むかしにそのようにした。あなたも学生、私も学生、あなたは赤ん坊学生、私はおとなの学生だ。節約して使わなければならない。おとなになって、パパの話を思い出しなさい。たくさんしてあげることができるけれど、それでしてあげない。世界福音化のために訓練を受けているので、持ちこたえなければならない。」こういう話を子どもにしました。パパ、あの家では肉だけ食べるのに、私たちは食べない。それで、説明したのです。その子に何がわかるだろうか? それで説明をわかる程度にしました。幼い時から私たち の娘は、座り込んでタクシーに乗ろうと言いました。大きい人物は、大きい車に乗るのです。娘はタクシーに乗ってみたいと言いました。説得をしてはなりません。成長してまた説得しました。ないという話は恥ずかしいのです。説明しましょう。私達がお金がなくて、これが子ども達に教育が出来なければ、大変なことになります。私は中高等部を預かった時、そのように教えました。修練会に行くのに、おとなの教会の金を受け取ることは間違いだ。私達がキャンプして遊びに行く時、私たちのお金で行くだろう? 修練会をするのに、教会にお金をもらって行くのは間違いだ。私達が祈ろう。足りなければ、神様がくださるはずだ。一度は、キム執事が代案学校の子ども達が何かをするとお金のことを言いました。まず、このように教えてはなりません。もらってしていたら、大変なことになります。自分たちは最善を尽くして、残りは神様が祝福されるようにしましょう。教育を正しくさせましょう。間違った教育をしてはなりません。教会がないというようにしてはだめです。なぜないでしょうか? それなら、牧師、皆様の無能です。神様は無能ではないでしょう? 子ども達にそのように教えてはなりません。神様は、必ず必要なことを与えられます。必要なことをするためです。果敢に投資するのでしょうか? 必要なことのためにピリピ4:19節に必要を満たされます。説明を正しくしましょう。
 
▲神様のみことばを、正しく知りましょう。みことばを持って神様の栄光のために生きましょう。みことばの規則を持って神様に栄光を帰しましょう。
神様の子どもなのに、途方もない祝福をのがしたことを赦してくださいと祈りましょう。レムナントのために献身するようにしてくださいと祈りましょう。祈りを正しくすれば、答えを正しく受けます。
みことばを捕まえましょう。みことばを下さって、答えを与えられないことはありません。ただ私たちの信仰が問題です。
神様が、イスラエル民族を荒野で祝福されてはなりません。少しずつ、少しずつしましょう。神様に問題があるのではなくて、受ける人が問題なのです。ぎりぎり食べなければなりません。イスラエル民族が、このようにしていたならどうなっていたでしょうか? 主が今日まで導いてくださった。エジプトで起こった奇跡を見たので、紅海は分かれるはずだ。ここで殉教するはずだ。苦労なく、答えを下さいますはずです。この人たちは、苦労する水準です。
みことばを悟る水準が答えです。話すことを聞いてみましょう。エジプトにいた時、汁を食べたではないか? ご飯をちゃんと食べたではないか? 死ぬよりよくないか? この人たちは、偽りのようにもらって食べなければならないと言います。常時、なしにすべきです。たくさん与えれば、大変なことが起きます。こういう人にたくさん与えれば、どのようになるでしょうか? 信仰とみことばの水準に答えらえます。みことばの規則を持って、神様に栄光を帰すのです。一番目と連結します。私達が生きることはIコリント10:31節です。ご飯を食べるためではありません。神様に栄光を帰すのです。動物のように生きるのではなくて、神様に栄光を帰すためです。みことばの規則を持って、みことばの中に重要な核を知っていなければなりません。そのみことばを持って生きなければならないから、人生を理解しましょう。これを持って神様に栄光を帰すのです。この契約をよく捕まえて、結論を結びます。
 
4.結論
▲みことばを受ける時、起きる事を知っていなければなりません。みことばを正しく受ける時に起きる事を知っていなければなりません。
(1)みことばを受ける時- 人々が手紙を送ります。元気か? と、みな尋ねます。それは本論ではないのです。送る理由があります。それをキャッチしなければならないのです。私に手紙がたくさんきます。尊敬する先生。これはあいさつです。これで感動を受けてはればなりません。これは足りない人です。手紙を送った理由があるのです。それを知っていなければなりません。みことばの重要な部分を知る時、みわざが起きました。
1)直接- ダビデがした言葉です。そして、みことばを受ける時、間接的なみわざがたくさん起きます。
2)間接- ずっと答えがきます。これが
3)ずっと- これが神様のみことばです。
 
(2)適用
▲このみことばが適用されるのです。適用される時、牧師、一般信者、副教役者、たくさんいます。自分に合うように適用するのです。その時ごとに答えがたくさん来ます。ここには多くの方達がいます。
1)預言者- 教役者はいつも記憶しましょう。神様が皆様を預言者として呼ばれたのです。
2)民- 一般信者は記憶しましょう。神様の民です。この中から王が出てきました。預言者の中からは王が出てこないで、一般信者の中から出てきたのです。
3)長老- ここには、多くの役員がいます。聖書に見れば、長老です。長老ということは、年をとって古くなった指導者という話です。
4)祭司- 祭司がたくさん訓練を受けていていました。教会の中には働き人がたくさんいます。
5)レビ族- 祝福の原理を理解をしましょう。
▲私が教会清掃をするのではなくて、レビ族がしたことをするのです。そして、副教役者は難しくても、祭司がした訓練を受けているのです。
牧師は、預言者がしていた事をするのです。みことばを受ける前に適用しましょう。そして、より重要なことは、みことばを受ける時の考えが重要です。牧師は、教会を自分の思い通りにしようとしているならば、考えを変えなければなりません。教会は、神様の民が集まった所で、お手伝いをすると考えましょう。
長老は、教会の主人だという考えは、本当に誤った考えです。一般信者、牧師を助ける重要な人々です。それでこそ答えがきます。牧師は、メッセージをお手伝いをするのです。恐れでなく、震えてしなければなりません。教会が民主主義でしょうか? 長老が主人でしょうか? これより大きい罪はありません。外でしていることを持って入ったのです。神様の民を世話する指導者です。ものすごく重要です。そうでなければ、答えを受けることができません。
▲話すべき言葉ではないのですが、韓国を見れば、いつも心配です。与党は野党を押さえて、野党は与党を批判しようとして、それは16世紀の考えです。良くしていることは、心より良くしていると言わなければならないのです。批判することをジャーナリズムの機能だと考えています。16世紀の思考です。収拾する記者が格好つけて通い、おかしなことを話します。部分的にするのです。本当の祝福を受けるためには、そのようにしてはなりません。国家、人を生かすことをしなければならないのです。牧師で、教会を勝手にしようとする人が多いのです。違っているのです。長老が教会を勝手にしようとします。違っているのです。これは誤っているのです。神様のお手伝いをするのです。教会は、共産主義、民主主義ではありません。教会は神様主義です。99人が賛成しても、違うことは違うことであって、一名が正しければ正しいのです。牧師がイエスがキリストではない、違っているのです。お寺でもイエスはキリストだ、それが正しいことです。教会には思想が 入ることができません。教会ということは、むかしのようですが、時代を引っ張っていくのです。こういうものすごい事に私達がお手伝いをするのです。この考えを変えなければなりません。そうでなくては、みことばが適用できません。
牧師は、神様のみことばを民にお手伝いをするしもべです。私は神様のみことばをお手伝いする作男です。担任牧師は、作男の中では親分です。伝道師は作男の中では下っ端です。
長老は教会の主人ではありません。主の民のために献身する者です。いつもそのような考えを持っていてこそ、みことばが正しく成就します。みことばをどのように解釈するのが良いでしょうか?
 
(3)福音+栄光
▲福音的でなければなりません。これが正しいのです。神様に栄光を帰すことです。そうすれば、解釈がうまくいくのです。
▲米国に集会に行きました。講師十名のなかに私を招いたのです。前の人が何をいったのか知りません。たぶん、前の講師がもう少し再臨を強調したようです。私がそれを知りませんでした。再臨強調を私は批判したのです。日を定めて待つのか? いつでも歓迎だ。私たちといつも共にいらっしゃる。日を正すのか? 浮気している女ではないか? 浮気をしている女は、夫がいつ来るのか気を遣う。前の人が再臨を強調したので、信徒が混乱したのです。若干、幸いなことは、私の話に恵みを受けたのでした。
▲韓国で有名な人と集会の講師を共にしました。この方は夜にして、昼にしました。お互い聞かねばならないのに、聞かなかったのです。夕方に、この方が損害を受けたのでした。損害を受ける人は精神を整えましょう。どれが正しいのでしょうか? 黒人が私の話を聞こうと目をきらっと光らせていました。そうしたら、一般信者が混乱します。教役者が混乱するのに、一般信者はどれくらい混乱するでしょうか? これが信仰生活を間違うことです。
▲皆様は、2つを入れなければなりません。 "福音+栄光"を基準に解釈しなければならないのです。いつでもみことばの判断する時には福音的に、神様に栄光で解釈しましょう。このようにすれば、必ず正しいのです。神様の目的が福音であり、その次の目的が栄光です。私達が方向をこのように合せることが、最も良いのです。嫉妬する神様を変に解釈したのです。神様はサタンのしもべのようになることを嫌われます。罪のしもべのようになることを嫌われるのです。そのような意味で嫉妬されるのです。栄光を帰すとすると、みな奪って行くかのように思っているのですが、神様の栄光を見上げる時、その時でやっと人間になるのです。みことばの規則で神様に栄光を帰そうとするなら、永遠な祝福を下さいますはずです。明日は3問答をします。今日、みことばを受けること自体で、皆様を祝福されるはずです。
(The end)
 



第2講: 信仰と本分(義務)
(イザヤ 40:27-31)
 
 
小教理問答 第3問答
(問) 聖書は、おもに何を教えていますか。
(答) 聖書がおもに教えている事は、人が神について何を信じなければならないか、また神は人にどんな義務を求めておられるか、ということです。
→序論
▲イエス様がこのように話されました。イエス様を訪ねてきた者に、あなたの信仰通りになるように。
教会では、することがたくさんあります。最も重要な鍵は信仰です。教会はいつでも、経済、人材で足りません。それで、信仰がない役員は、教会で信仰生活するのが本当にむずかしいのです。教会は輸出する所ではなくて、信徒の信仰で維持されるためです。それで、伝道者は大きい信仰がなければなりません。小さな信仰を 持ってはできません。もちろん、中身がない信仰でなくて、本当に大きい信仰でなければならないのです。
▲神様に栄光と帰すことが私達が生きる目標です。何を持って栄光を帰すようにするのでしょうか? みことばの規則で栄光を帰すようにするのです。みことばからはずれれば、栄光を帰すことができません。
▲すると、第3問答でみことばで重要に教訓として言われていることは何か? という質問です。神様のみことばに重要な教訓は何でしょうか? 真に重要です。それでこの事実を信じる信仰と本分(義務)です。私が見るのには、小教理問答を作る時、聖霊が働かれたと思います。順序も正確に良く書かれています。私たち人間が方向を握らなければならないのですが、生きる目的は、神様に栄光を帰すことです。犬のようにご飯を食べて 死ぬのではありません。たくさん食べることが幸せならば、牛が幸福なので、私達が幸福でしょうか? それで、私たちは他のところに目的があるのではなくて、神様に栄光を帰すのです。ところが、栄光を帰す方法を知らないのです。それで昨日は、みことばを見ました。そのみことばが正しくても、信仰がなければならないのです。何でもないことのように見えても、信仰の通りになります。
写真でフィルムのとおり出てくるのです。結局は、私たちの信仰通りになります。本当に不思議です。
▲サタンは生きている存在なので、サタンは心配することをそのまま捕らえます。皆様、サタンがいるという ことを信じれば、色々なことが変わります。今、多くの神学者が、サタンがいるということを信じません。それで、サタンの話をすべきではないと言います。多くの科学者が、サタンがいるということを信じません。それで、霊的問題がくるのです。これは不思議な存在です。皆様を触ることができるのが、ひとつしかありません。この存在は、皆様が不信仰する時に来ます。あなたがたの敵である悪魔は、ほえたける獅子のように食い尽くすべき者を探し回っていますと言われました。(Iペテロ5:7-9節). 聖書はそのように話しています。皆様は、どのように考えるかも分かりませんが、私たちの戦いは、これとの戦いです。サタンは、未信者が問題ではなくて、信者を攻撃します。正確に捕らえます。心の中に不信仰が入ってきても、不信仰にならないようにしましょう。皆様が冗談でも、子どもを呪ってはなりません。意味を知らなくてしても、冗談でも家族を祝福しましょう。しばしば不信仰にならないように。それが正しくても、正しくなくても、サタンは皆様の手助けをします。不信仰をする時にです。どれくらい正確か分かりません。
イ・ビョンム牧師が、そのようなことを話しました。サタンは、横になることもしないということです。正しいです。悪魔は、横になることもありません。皆様が寝ている時にも触ります。この存在は、深刻です。福音を知らなければなりません。不信仰に陥れば、どんどん触ります。正しいことを正しいと言うのに、どうして不信仰と言うのでしょうか? それでも、不信仰になってはなりません。私達が紅海がふさがったので、死ぬようになったが、戻らねばならないだろう? しかし、不信仰です。荒野で水がなければ死ぬではないか? 正しい話です。しかし、不信仰です。不信仰は成功しません。どんな場合でも成功できません。皆様は、不信仰になる必要がありません。問題がきても、聖書はこのように話しています。神様に任せなさい。人でない神様に任せなさい。詩編 81篇に、その時、力ある御手でともにいると言われました。
医学者が証拠を出しました。医者が証拠を出したのです。日本人が書いた文章を読んでみたら、気分が良い時、信仰が生じる時には、からだの中に力が生じるらしいのです。その力が外側からくるより強いということです。
▲信仰も育ちます。そして、不信仰も育つのです。これが相当なことを作り出します。それゆえに聖書が最も 要求することが、信仰と本分(義務)です。これを通じて神様は栄光を受けられるのです。
▲序論でいくつかの話をします。
 
(1)仕事− 信仰
▲皆様は仕事を熱心にせずに、信仰を正しく持ちましょう。私達がどのようにすれば、神様によく仕えることができるのでしょうか? 信じることが重要です。聖書では、信仰を強調しています。これだけ大きい科学的な 話はありません。信仰なしでは、救い、赦し、霊的問題、答えを受けることができないのです。すると、科学的な話です。それで、あらゆる職分者、地域教会をする方達は、信仰を回復することを望みます。
 
(2)伝道者- 大きい信仰
▲単なる信仰を回復するのではなく、伝道者の大きい信仰を回復しましょう。伝道者の大きい信仰を、今日、回復しましょう。ある日、アブラハムが悟ったのです。その時から答えを受けました。ところが、アブラハムが悟ったことは、他のことではありません。心配がずっと生じたのです。全能なる神様より、心配が生まれたのです。不思議にアブラハムには、心配な事だけが生じました。ある日、アブラハムが悟ったのです。その時から答えがきました。本当に驚くべき答えがきたのです。
1)アブラハム(創世記22:1-20)
▲完全な信仰を告白したのが創世記22章です。この時、信仰を告白しました。いまあなたの信仰を知った。神様は、私たちに信仰を下さいます。それであなたが大きい民族を成し遂げるはずだ。そして、敵の門を勝ち取る。あなたの子孫によって、国々が祝福される。世界宣教を話されたのです。完璧です。そして、敵の門を勝ち取ることです。私たちには、敵があるので、信仰が必要です。その時に、敵の門と勝ち取るのです。救われたのに、何の信仰が必要なのでしょうか? じっとしていれば、天国に行くはずなのに、信仰が必要なのでしょうか? そうではありません。私たちには、敵と肉体があります。残っている人生があるので、信仰が必要です。
2)イサク
▲皆様、一生、祈りの答えを受けた人がいます。誰でしょうか? 何の問題もなく、祈りの答えが来た人がいます。 ヨセフは問題が多かったのです。全く問題なく、祈りの答えだけを受けた人がいます。だれでしょうか? イサクです。イサクが、死の中で悟ったのです。イサクが死にそうになりました。刀を取って、イサクの首を突こうとしたのです。この時、生かされました。雄羊ゆえに生かされました。イサクは、雄羊がなかったなら、死んだだろうな。幼い時、イサクの胸に正確な福音が入っていったのです。それで、神様が生きておられるという信仰があったのです。この信仰がありました。創世記26章を見れば、イサクが農作業をすれば100年の ものが出てきました。
3)ヤコブ
▲苦しみの中でずっと悟った人があります。この人がヤコブです。これから、あなたの名前をヤコブと言わず、イスラエルと言いなさい。それで、ヤコブよ、どうして、ヤコブはむかしの人なのに、ヤコブにどうして疑うのか? このように呼ばれました。イスラエルよ。祈りが答えられないと言うのか? そのように話されました。ヤコブが葛藤したのです。ものすごく重要です。
4)ヨセフ
▲問題がたくさんきても、はじめから信仰を持ったヨセフには、祝福に変わりました。一時代を生かしたのです。伝道者の信仰を持ちましょう。
5)ダビデ
▲ダビデを見ましょう。幼い時、聖霊充満を受けました。幼い時に、いのちをかけて信仰を告白したのです。ダビデがどんな人物なのか、ダビデは人であるので、失敗をしたのですが、ダビデがどんな信仰なのか神様は ご存知でした。伝道者の信仰を持っていたのです。
6)捕虜になった人々の信仰
▲皆様、捕虜になった人々の信仰を見ましょう。皆様、小さな信仰を持たず、大きい信仰を持ちましょう。
皆様、一般信者が教役者を見る時、軽んじることは失敗ではありません。信仰がない時です。なんの価値もありません。一般信者が牧師夫人を見て侘びしい時がいつでしょうか? 信仰がない時です。ある教役者が、一番 良い人でしょうか? 信仰がある人です。皆様、私たちの長老、役員が、どのように尊敬を受けるのでしょうか? 私たちは良くすれば尊敬を受けるかのように理解します。信仰がある人です。私たちの長老は、信仰があるんだな。私たちの勧士は、大きい信仰だな。ここで生かされます。ここで暗闇の勢力が崩れるのです。
7)初代教会
▲何ゆえに初代教会を用いられたのでしょうか? どれだけ信仰が良かったでしょうか? 死が迫るのに恐れなかったのです。
8)パウロ
▲その中で、特にパウロを見ましょう。パウロは科学的ながら、大きい信仰です。パウロが言う話が、私が監獄のなかで神様の栄光が現れれば、私はここにいてもかまいません。キリストも苦難にあったから、私が苦難にあうことを感謝します。キリストの最高の名前を持った方であったので、私もそのような答えを受けるはずです。私を強くしてくださる方にあって、どんなこともできるのです。パウロの信仰です。パウロは、何と言ったでしょうか? 神様が与えられた救いをいつも賛美します。この救いを受けて、福音を伝えるのに命をかけることができる。この福音は世界を生かす名前だ。それで、悪い存在に勝つ道も福音しかない。一番最初に言う話が、賛美します。これがエペソ1:3節です。挨拶をして、賛美します。これがパウロの信仰です。祈りを多くする必要があるでしょうか? 祈りを多くする人が、こう話しました。あなたはエルサレムに行ってはだめだ。祈りを多くした人の話です。これがでたらめです。パウロは、わざわざ行きました。わざわざローマに行ったのです。カイザルの前に立たなければならない。この程度の信仰にならなければなりません。
私に良ければハレルヤで、それでなければサタンの働きで、これはサタンから受ける信仰です。パウロを見ましょう。どれくらい信仰が良いのか、神様の恵みです。
 
▲伝道者の信仰、信仰を持った者は、問題がくればより大きいみわざが起きます。それで、何の心配もする必要がありません。それで、神様が最も重要に話されたことが信仰と本分(義務)です。今晩に皆様が信仰を回復することを希望します。苦しい事が起こったのに、信仰をどのように回復するのでしょうか? 私は尋ねたいのです。その苦しいことを解決する方はだれでしょうか? 信仰を正しく持ちましょう。だから、人の力でいらいらが解決できないのです。ですから、神様の力で可能です。それで、どんな信仰を言うのでしょうか?
 
1.どんな信仰
▲これが重要です。未信者も信仰を持っています。未信者が皆様より良いのです。問題はどんな信仰でしょうか?
ある軍隊の集会に行ったら、礼拝堂を格好良く建てていました。そのそばには、寺を大きく建ててありました。ものすごく建てたのです。その後に教会を建てたのに、小さいのを建てたのです。未信者は、私たちより信仰がより良いのです。どんな信仰を話すのでしょうか? 私達が本当に信仰を持たなければなりません。私達が人生を生きながら、人生の峠を越えることができます。
(1)救われる信仰- 全てのもの
▲救われる信仰です。神様はこれゆえに、全てのものを下さいます。皆様にある風邪を直そうと、イエス様が釘づけられたのではありません。そのようなことは、アスピリンを飲めば良いのです。そのように思っているならば大変です。キリストを送られたのは、私たちを救おうと呼ばれたのです。この信仰に確信を持ちましょう。この中に祝福を見る目がなければなりません。ここに感激がなければならないのです。このようになれば、持続、答えられるしかありません。パウロは死ぬことも感謝しました。これゆえに苦しめられることも感謝すると言いました。とても良いことは、そのように分かります。この福音があまりに良いために、死んでもかまわないと言いました。
▲私たちが好きな人からお手伝いをさせられれば、お手伝いもうれしいのです。いやな人が与えれば、与えられることもきらいです。そうでしょう? 学校に通っていた時、女の先生がとてもきれいだったのです。キムチがとても良いことを知らずに、先生はキムチを食べるのか? と思っていました。一度は、女の先生がお手洗に入るのを見つけて、私が試みにあいました。先生もお手洗に行くのか? 試みにあったのです。私が見たら先生が天使のようでした。とてもきれいだったのです。この先生が、一度、私を呼びました。手を触ったのに、震えましたよ。なぜ先生が私の手を触ったのでしょうか? 私は手をなぜ触ったのか知りませんでしたが、つめを見たのです。私のつめは長かったので、切ってあげようと言われました。つめを切るのに、心臓が止まりそうになりました。震えたのです。先生がお手伝いを頼んだら、お手伝いに行く時、こけました。それで、行ってきたのですが、座っていたら、そばの友達が血が出ていると言いました。どれくらい感激していたか、血が出ていることも知らなかったのです。
▲私はパウロの言葉が分かります。福音を知って、感激なのです。
皆様、これを本当に考えてみたことがあるでしょうか? 皆様が滅びる存在なのに、イエス様を送ってくださいました。ですから、そこに感激が出てこないから、ずっと崩れるのです。ここを銘記しなければなりません。 ここに発見がなければ、霊的問題が続きます。それでなければ、信仰生活をする必要がありません。救われれば終わりでしょう。絶対に重要です。パウロは、本当に知っていたのです。ここで感激したのです。イザヤは、本当に知っていました。イザヤ7:14節です。イスラエルが解放されました。
▲あなたがたは、本当に記憶しましょう。それで、救われたことは、肉的なことより、霊的な祝福がものすごいのです。これを知っている信仰です。これを知らなければ、霊的なことをのがします。
 
(2)霊的な祝福
▲これを知る信仰です。この部分を知らなければ、祈りが分かりません。祈る時、聖霊の働きがわからないのに祈るのでしょうか? 確かに祈る時、神様が主の天使を送ってくださって、あらかじめ答えてくださいます。それで、あなたがたが他のことに感激するからです。本当に祈れば、サタンの力を破ってしまいます。それで、この信仰が必要です。
 
(3)神様の力
▲そして、そのたあと見ると、救われる神様の力が信じられるのです。神様はなさることができます。神様は、世界を動かしていらっしゃいます。神様は確かにいのちを治めておられます。神様が人間のいのちを治めてられるということが分かります。そんなにも神様を信じないで、霊的問題が多い人々が死ぬのを見て、神様がいのちを治めておられるのだなと思います。ある人は、癌になっても死なないのに、ある人はなって死にます。 神様がいのちを治めておられるのだなと思います。私の親戚のおばあさんは、盲腸が破裂しました。だめで、覆ってきたのに、帰ってきて7年も生きました。とうてい医学的には理解できません。いのちが神様の御手にあるのです。すると、野の草も神様が養われるのです。あの雀も神様が養っておられます。間違いないでしょう。その時、勇気が生まれました。私は足りないけれど、草より尊いです。私がどんなに価値がない存在でも、雀より良いのです。あなたがたは知らないのか? 聞いていないのか? 全能なる神様、地の果てまで創造なさって、疲れることもたゆむこともありません。あなたがたは知らないのか? 若い男も疲れ倒れるが、主を待ち望む者は、力を得ます。それも、新しい力を得るのです。
▲中央アジアに行って、飛行機に乗って、アルマタで降りました。途方もない広い大地を見ました。どれくらい美しいか分かりません。無限に大きいのです。あまりに大きくて美しいから、表現できませんでした。ですから、私の心が変な感じになりました。あまりに大きくて美しいから、表現することができません。その時、私の口からこのような言葉が出てきました。主なる神様は、広く大きいのだな。主なる神様は、偉大な方だな。この答しか出てこなかったのです。神様はどれくらい大きい方なのか、地の果てまで創造なさった方は、疲れることはありません。この神様が、私たちにみことばを下さったのです。このみことばを信じる信仰です。それで、聖日に礼拝をささげに来るのです。それで、私たちは世界福音化をしようと、みことばの前にきました。この信仰が神様を一番喜ばせるのです。皆様、この祝福を受けてみわざが起きることを希望します。
 
2.本分(義務)
▲本分とは、何を言うのでしょうか? これは、私たちの身分を言うのです。信仰と本分を持って、栄光を帰すように願います。単純な本分ではなくて、私たちの使命です。これを望まれるのです。神様が私たちにくださったのは、身分、使命、本文を皆尽くしましょう。これが信仰生活を良くすることです。
(1)身分
1)7つの祝福- 神様は完壁な祝福を7つくださいました。救いから天国まで、この完壁な祝福を味わうことを願います。この完壁な祝福を味わうように願います。
2)祈り- 祈りです。この完壁な祝福を味わうように願います。祈りです。
(2)使命
1)未信者状態6つ- 死んで行く未信者。6つのことから抜け出すことができない人々に
2)伝道- この人たちを生かす働きをすべきです。伝道です。
3)見張り人- 私たちの使命は、まさにこれです。それで、私たちはこれを持って神様に栄光を帰すようにして、祝福を受けるのです。
▲私たちは信仰と本分を神様が聖書を通じてくださいました。こういう完壁なことをみことばでくださったのです。そして、後ほど救いを受けるということではありません。生きている間、このようにするように、こういう祝福を与えられたのです。ものすごいのです。今晩に完全に信仰を回復することを望みます。仏教式信仰ではなくて、信仰を回復しましょう。冷水を浴びてする信仰ではなくて、聖書にある信仰を回復しましょう。儒教式信仰を言うのではなく、聖書にある信仰を言います。そして、どんな場合にも、未信者は苦しむようになります。それで信仰と本分を持って神様に栄光を帰すのです。
 
3.信仰+本分 → 神様に栄光
▲神様はこれを持って栄光を帰すことを願われるのです。最も重要なことは、こういう答えが来るのに、最も 良い信仰は問題がきた時です。私たちは、こういう祝福がずっとくる時もありますが、問題がくる時です。それで、この信仰が、この時にわかります。この信仰が真に持っているのか? 持っていないのか? この時、わかるのです。それで、信仰と本分は良い時も行いますが、私達に問題がきた時です。皆様が本当に、祈りの答えを受ける時は、これがきた時です。教会の中には、職分者に問題が来た時、信仰がわかります。皆様の家庭にも問題がきた時、その人の信仰がわかります。個人にも問題がきた時、分かることができます。この祝福を味わうことを希望します。問題がきてもかまわないのです。いくつかのことを記憶しましょう。
(1)Iペテロ3:8-12 教会に行ったら、他人の話、人を批判してはなりません。人を難しくしてはならないのです。あなたがたの中で、通常に言う言葉が多い人々が、困難にあうことがあります。Iペテロ3:8-12節です。悪を悪で返してはなりません。悪口を言われても、人に悪口で返してはなりません。
1)祝福- かえってその人を祝福しなさい。本当に不思議です。なぜ祝福するのでしょうか? これゆえにあなたがたが呼ばれたのです。
2)受け継ぐ- そして、この祝福を受け継ぐために呼ばれたのです。悪い者の話か? 主の目は義人の上に注がれ、主の顔は、悪を行なう者に立ち向かうのです。皆様が信仰で祝福を味わうならば、本物の信仰なのか、問題がくれば分かります。ですから、金の専門家は、相場を調べれば理解できます。にせ物だ。何 %だ。私達が問題がくれば理解できます。この話は、救いと関係なく、私達が答えをここでのがすのです。私たちは、ここで神様の大きい祝福を受けます。必ず記憶しましょう。価値ない言葉、人ゆえに試みにあわないようにしましょう。
(2)試み- それを持って感謝しましょう。皆様が本当に信仰を持っていれば、このようになります。試みがくる時、感謝しましょう。皆様に問題がある人を見る時、祝福が出てきます。皆様が福音を持っていればこのようになります。福音を持った人は、試みが来るのに感謝をします。本当にこの祝福を味わう人はそうです。皆様、祈りの答えがずっと来る人は、試みが来たら感謝をします。神様が私にまた驚くべき機会をあたられるのだな。それでみことばで試みを区分して出すことができるのです。
(3)レムナント- 聖書をよく見ましょう。レムナントで成功した人物を見ましょう。レムナントを育てた指導者を見ましょう。聖書で本物の答えを受けた伝道者を見ましょう。聖書で本当に、教会史で本当に、時代を動かした人を見ましょう。困難がきた時、答えをみな受けました。もし、ヨセフを兄たちが売らなければ、大変なことになりました。これを祈る人は理解します。ポティファルの家に奴隷で行ったことがとても幸いなことです。おかしな女が汚名をかぶせたことがものすごい幸いです。本物の答えは、問題の中から来ます。ある面では、大きい祝福が試みという仮面をかぶってくるのです。大きい答えは、窮乏が迫りながらくることがあります。神様が趣味が異常なのでしょうか? 詐欺師に奪われないで、本当に与えるためです。反対に見ましょう。単に教会に出て、献身をしたら、祝福を受けるとすると、大変な事になります。詐欺師がみな押し寄せます。なにか試みが似ているようにくるのです。絶対に大丈夫です。
▲私は幼い時、ジョン・バンヤンが書いた天路歴程を読んで見ました。本当に表現を良くしていました。皆様がおわかりの通り、ジョン・バンヤンという人が書いたのです。監獄に16年いたのです。私たちならば、苦しいことなのに、この人はこのなかで計画を発見したのです。そのなかで、本を書いたのが天路歴程です。それを書かせるために、私を送られたのだな。聖書の次にたくさん売れました。聖書を見て書いたのに、重要で、おもしろい話が出てきます。クリスチャンが、天の都に向かって行きます。日本語では滅びの町と言います。滅びの町を離れて天の都に行く話です。行く時に、友人と一緒に行きます。友人と一緒に行くのに一名の名前を固執、一名は軟弱です。日本語ではそうです。固執ということは、滅びの町にあるということです。二人は、話をよく聞く軟弱を連れて行きました。軟弱が気落ちしたのです。どこで気落ちをしたかというと、虚しい町という所に入って行きました。ものすごく華麗な所ですが、虚しい町です。ここで真理の商品を買おうと通うのにありません。軟弱がよく付いてきたのですが、虚しい町が良いと言って、軟弱が来ないと言いました。クリスチャンは、止むえず、 軟弱をおいて真理の商品がないのを知って、クリスチャンは一人で行きます。ある日、城門に入っていこうとしたのに、門に入ることができません。どんなに入ろうとしても、入っていけなかったのです。門が自分より大きいのに、入っていけません。その時に、門番が話しました。あなたの背中の荷物があなたより大きい。あなたが担っている荷物が大きくて、多いから、入るならば下ろしなさい。それで、心配の荷物をみな下ろしたのです。城門を通過します。入っていったところ、門番がいました。明け方を守る 人です。この人がクリスチャンに贈り物二つを与えます。前を防止して、いのち保護する胸当てを与えました。これをつけて行きなさい。そして、刀をひとつ与えました。小さな刀です。持って行きなさい。それで、胸当てを見たら、背中がありません。つけてみました。それでこれを着て、刀を持って行ったのです。行くのに見たら、アポリオンという悪魔が現れました。翼がついていて、身長も大きいのです。槍を持っていました。行くことができませんでした。立ちはだかっているから、行くことができません。方法は何でしょうか? 戦うことなのですが、これが翼がついていて、槍を持っていたのです。クリスチャンが、戦おうとしても戦うことができません。それで、クリスチャンがこういう気がしたのです。逃げるべきだな。勝つことができない。それで引き返そうとして、瞬間に悟ったのです。背中には防備がないということを知りました。私は背を向けたら、死ぬことを知って、そのまま戦ったのです。すこしあとで悟ったのです。この胸当ては、普通の胸当てではありません。悪魔が刺しても入っていかないのです。刺せば入っていかなければならないのに、入っていかないのです。どんなに攻撃しても大丈夫なのです。神様が与えられた信仰は、どのようなことも防止することができるのです。神様が与えられた信仰の盾は、攻撃する者がいません。クリスチャンが悟りました。これを持って戦うべきです。悪魔がどんなに刺してもだめなので、悪魔も悟りました。これは殺すことができないな。ですから、悪魔に悩みが生じました。悪魔が試みにあったのです。死なない。悪魔も試みにあうと、いろいろなことができません。小さな刀は両側が鋭い、鋭利な刀です。これをアポリオンの胸に刺したら、その場で死んだのです。それで勝利して行くのです。最後に行ったのですが、その次に獅子が待っていました。獅子二頭が、口を広げています。もっと大きいことが起こったのです。獅子二頭にどのように勝つのでしょうか? 謹んで目を覚ましていなさい。しっかりして見たら、獅子の足は鎖に縛られていました。叫ぶだけで、力がありません。堂々と通過しました。獅子が声を出しただけで、かみつくことができないのです。サタンの勢力は、既に縛られています。ある者にはなんの効果もありません。ジョン・バンヤンが悟ったのです。よく書きました。このようにして、天の都に入っていきます。何も心配する必要がないのです。
 
▲今日、重要な祝福を回復する日になることを希望します。神様を喜ばせることは、神様を信じることです。神様の力を信じることです。神様を神経質にさせることは、神様を信じないで、神様の力を信じないことです。いままで成就した神様のみことばと力を信じます。救いを下さった神様の働き、そしてこの世に生きる私達が受ける祝福です。レムナントたちに話をします。心配せず待ちなさい。だまされず、待ちなさい。
ダビデを見ましょう。その困難がきた時、信仰を知っていました。一度も死なないで、ダビデは勝利しました。
▲来る結果- 詩81:1-16, ピリピ4:6-7
不信仰も育ちます。信仰も育ちます。答えが来れば、また育つのです。この結果は、誰も変えることができません。先生が、私の事情を知らないからと言います。私は知らなくても、神様は理解しておられます。その時、信仰を持つのです。本物の信仰を持つのです。確かにその時、神様が解決なさいます。神様が力ある御手をあげて解決なさいます。(詩81:1-16) あなたがたの思い煩いを任せなさい。ピリピ4:6-7節です。パウロの告白です。それで皆様は、今から気落ちせず、問題と戦いましょう。病気の人も、聖霊充満を受けましょう。
 
4.結論
▲それで、私はこのようにします。ひとりで-
(1)定刻の祈りをします。
▲時間がない時、私に聖霊充満を与えて下さい。聖霊充満は誰が受けるのでしょうか? 神様の子どもが受けるのです。聖霊充満を受ければ、賜物が与えられるでしょうか? くる事もあり、くださらないこともあります。皆様が誤って学ぶならば問題がきます。聖霊充満を受ければ、ふうふう息をしながら通うのでしょうか? なにかを誤って思っています。ある女の人は、聖霊充満を受けたとしながら、男の声をして通います。そうではありません。聖霊充満は最も正常です。最も水準が高いのです。最も知恵がある人間を作ります。祈る人が受けるのではなくて、信者が受けることです。信者が信仰で受けることです。短い時間に私に聖霊充満を与えて下さい。みことばを受ける時、聖霊充満を与えて下さい。今日、この時間も子ども、牧師、主のしもべのために、私に聖霊充満を与えて下さい。これだけなせば良いのです。
(2)常時祈り
▲残りは、動き回りながら常時で祈ります。長老たちのために、全世界のために祈ります。
▲この二つだけすれば良いのです。皆様に信仰が必要です。違ったことが必要ではありません。断食する必要がありません。この契約だけ握れば良いのです。この契約を握れば、一生に重要な答えがずっときます。教会堂の心配もしないで。この信仰を持っていれば、皆様の後にみわざが起きます。正しい人が来ます。未信者が 救われて来ます。すると、たくさん集まるのです。たくさん集まれば、建物が必要になることが分かります。すると神様が答えをくださいます。
私は35坪に1000人が来るのに、私は粘ったのです。1, 2, 3部をささげながら粘ったのです。私が苦しいのではありません。35坪にあるから、救い、伝道ができないでしょうか? 苦しいことは、神様がうっとうしいのです。神様が皆くださいました。心配しないで。皆様がそのようになれば、教会復興も殆どできます。どんどん愚かに心配をするのです。職場でこのようにすれば、どのようになるのか? と心配をします。この祝福を 味わっていれば、神様が皆様に祝福されます。神様が祝福されれば、未信者も見て理解できます。これが力です。それで、信仰を回復する夜になることを希望します。本当に回復することをお祈りします。
(The end)