2001年 08月 20日(一般信者地域教会訓練)(江西路教会)
一般信者地域教会8月



福音手紙 3課 - 4課

 
 
福音の手紙 3番目の出逢い "インマヌエル" (ヨハネ14:6)
 
<序論>
 イエス様が、あなたがたは心を騒がせてはなりませんとおっしゃいました。神様を信じて、またわたしを信じて、心を騒がせてはならないと言われました。神様に会う道は、イエスしかないので、わたしが道であり、真理であり、いのちなのです、と言われました。
 一般信者が職場を終えて、首都圏に来ることがあまりにせつなくて、序論を二回する場合もあります。
 日本集会に参加したのですが、驚きました。夕方 7時 12分に開始となっていたので、驚いたのです。終わる時間も 8時 27分だとなっていました。たいした国です。正確に終わりましたよ。しかし、恵みという単語をよく知らないようだなというようにも考えました。今日、神様の御声を聞いて、個人が力を得る機会になるように願います。ヨハネ14:6を理解するならば、救われたのです。
 今日は福音の手紙 3番目の出逢いです。
<人>
 私達が、一生の間、出逢いの祝福がいくつかあります。神様との出逢い、父母、友人、配偶者との出逢いです。しかしより重要なことは、神様を知るようにしてくれる人との出逢いです。人を通じて起きる働きは相当な差があります。
 
柳) 以前に説教を聞けば恵みを受けたが、信仰生活を上手にやる人を見て、恵みをもっとたくさん受けました。説教を聞いて伝道すべきだという気がしたのではなくて、一般信者が伝道するのを見て、伝道しなければならない考えるようになったのです。祈る人がそばにいれば、祈るようになっています。福音の手紙を講義する理由をよく知っていなければなりません。色々な出逢いの中で、私にとって神様を知るようにしてくれる人との出逢いは非常に重要です。私に恵みを与えた人を終生忘れられません。しかし、その方自身はよく知らないのです。
 
 ある事業する執事ですが、信仰生活を上手にする方でした。この方が、車にガソリンを入れるのに、その少しの間に福音を伝えるのを車に座って見ました。従業員がそのメッセージを聞くのを見て、私が衝撃を受けたのです。本当に伝えたくて伝道するのを見て、果して私の中にいのちがあるのだろうかということに対して葛藤するようになりました。とても清潔ながら、話しも静かにする方なのに、福音の熱情で福音を伝えるので、メッセージを受けるのを見て驚いたのです。違うと感じました。特別なことは話さなかったのに、従業員が福音を受けるのを見て、二度驚いたのでした。
 
柳) 伝道師の時期に、講師として招へいされて伝道に関する集会を 3日間しました。集会を終えてタクシーに乗って家に帰ろうとしたら、姉妹一名が、方向が同じだから共にタクシーに乗りました。ところが、すぐに福音を運転手に伝えるのでした。自分自ら福音を伝えるのでした。するとタクシーの運転手が、陸橋の下に車を止めて、涙を流しながら福音を受け入れるのを見ました。受け入れた後に、私に祈りを一度してくださいと言いましたよ。
 
柳) 人の誰に会うかが、生涯を左右します。ある男の方に会ったのですが、単純で清潔な方でした。話しがそれほどない人でした。わざわざするのではなく、自分自身の中から出てきた恵みを話すのでした。その時、新鮮な衝撃を受けました。表現を上手にできないのですが、クリスチャンだということを感じるようになりました。お互い対話をするのに、宣教師として行くようになったと言いましたよ。銀行の良い地位を置いて宣教師で行くと言いましたよ。明け方祈りをしながら、祈るのを見て驚きました。誰かと話をするように、真実に祈るのでした。ある寄宿寮に行って私にメッセージを放送としてくださいと言って、働き人300人をその日に救いました。フィリピンに行こうとするなら、1ケ月後に運転免許を取らなければならないというので、難しいと話したところ、自分は時間が1ケ月しかないから、神様がそのようにさせてくださると言いました。そして1ケ月後に免許を取ってきたのです。信仰が清潔で単純でした。宣教地域ごとにみわざが起きました。
 
 信仰がない人に会えば、使い道がない話が多いのです。祈らなければなりません。正しくなった信仰人に会うように、祈らなければならなくて、皆様も信仰の影響を正しく与えるのです。出逢いを通じて助けも、試みも与えることができるということを覚えなければなりません。
 
1. 人間に最も祝福である祝福は何でしょうか?
 人間に最も大きい祝福は何でしょうか? - インマヌエルです。
 私達が家を買うか、服を買うか、良い車を買うかすれば幸福になります。しかし、人間は神様に会うならば、言葉で表現するのことが難しい、自分だけの幸福が生じます。神様に会ったり、それを感じる時持つ幸せです。イエスを何十年信じても、インマヌエルの幸福がない人もいます。
 
柳) 以前に、私はインマヌエルがよく分からないように感じて、よく信じられませんでした。体験もありませんでした。インマヌエルに対する葛藤がたくさんありました。一回は断食しながら、私が恵みを受けなければならないから、神様が私にわかる祝福と祈りの答えをくださいと祈ったのです。3年ほどたってから答えが来ました。
 
1) 既存信者
 実際にインマヌエルの祝福を味わうとができずにいます。私達個人に神様がともにおられるならば、どれくらい大きい祝福でしょうか? 既存信者は、これを味わうことができないことが最も大きい弱点です。牧師達もなにか知らずに、これが感じられなければ、恵みになりません。すると説教も難しくて、他の人もこういうことを感じるようになります。この問題を今日、祈りの課題としなければなりません。インマヌエルの祝福を、新しい祈りの課題として受けなければならないのです。ところが、人々は必ず問題が生まれれば、インマヌエルを感じるようになるのです。
 
柳) 信仰生活を一生して、役員なのにインマヌエルの祝福を感じれることができない人がいます。未信者が私達を見る時に、感じなければならないのです。印象も良くて、夫人について教会に行って長老になったのですが、インマヌエルの祝福がない人がいました。私もその方に会って、一回もインマヌエルを感じることはできませんでした。ある日、この人が癌にかかって、死ぬ生きるは神様の御手にあると言って祈ったら、初めて私を捕まえた手が違うことを感じました。
 
 既存信者がインマヌエルがむずかしいと感じました。神様が私たちとともにおられるということが感じられてこそ、教会も生かされるのです。子供達に教訓できるとしても、インマヌエルが感じられてこそ、生かすことができるのです。これが感じられないから、役員や牧師の子供が誤っていくのです。この子供達が負担を持ちながらも、多くさまよっています。しかし、インマヌエルが感じられないからさまようのです。
 
 私にイエスが必要だと感じられるようにさせてくれた人々がいました。それが重要なのです。私達が敢えてどこかに行って伝道をすべきだと思わなくても、未信者が見れば分かります。
 
柳) とても気分が良い時がありました。金剛山に集会しにいった時が、私の誕生日でした。それで、船内で祭りを開いたのでした。順番に回して話をしました。私の妻の順番になったのです。すこし心配をしたのですが、いままで見てきて神様が私たちの牧師と共におられることを感じたと話しましたよ。一番重要なことを話したのです。これを知らない牧師の息子であったニーチェは神様がいないと言いました。
 
 未信者に神様がおられると思うか、と尋ねたら大部分がいると言いました。それならば、あなたは信じないと失敗するではないかと話すのです。
 
・ 創世記1:27 - 人間だけが神様のかたちに造られたのですが、これより大きい祝福はありません。どんなに困難にあっても、確かに神様がご存知であるはずだという信仰があるならば、問題になる必要がありません。
・ I歴代29:10-14 - ダビデは人間を富ませることも、貧しくさせるのも、高くも貧しくもするのは、神様がなさることだと告白しました。私の力にである主なる神。私は主を愛します。主は私の城、私の盾、私の救い。たとえ親が私を捨てたとしても、主は私を捨てないと言いました。これを実際に味わうならば、大きい祝福です。
 
 皆様の子供が社会に行く前に、インマヌエルの秘密を感じられるようにする人がいないならば、どのようになるでしょうか? 今日、祈りの課題にしなければなりません。私がインマヌエルを感じるだけでなく、他の人が私に神様が共におられることを感じなければならないのです。
 
柳) 慶州代案学校のある牧師の息子と話をしました。自分の父があまり貧しくて、力がなくて、神様は間違って自分を息子されたと考えたということです。しかし、今は自分が福音を伝える伝道者になることに決心したということでした。タラッパンに反対する牧師でしたが、今は父が考えを変えたということです。この子供に思いきり祝福してくださったのです。
 
2) 過去 - 検討
 過去に偶像崇拝を多くしたり、占いをたくさんした方達は、検討してあげなければなりません。インマヌエルほど良い祝福はないのです。
 
3) 客観性
  他の人も知るようになります。正しく福音を持った人が職場に通えば、職場にずっとみわざが起きるのです。
・ 主観性 - 私だけが知っている祝福です。
・ ローマ8:28 全てのことを益としてくださる祝福がなければなりません。
・ インマヌエルを味わう時に発見すること
  ・ 罪人
   私はキリストが必要である罪人であることを発見します。
  ・ 恵み
  ・ みことば(ヘブル4:12, ローマ15:4, Iコリント10:15)
   以前に書かれたみことばですが、今日生きて働くことを知るようになります。
 三番目の出逢いを持つ前に、インマヌエルの祝福を必ず確認してみるべきです。あらゆる宗教は占いがありますが、キリスト教には占いがありません。生きて働かれる神様のみことばがあるためです。
 
4) 礼拝が良い.
 送迎だけに出てきてもあまりにも感謝するようになります。
5) 伝道
 ますます簡単になります。相手方が訪ねてくるまでして、問題を出してくるようになるのです。
 
3番目の出逢い: どのように神様に会うことができるのでしょうか? (ヨハネ14:6)
 わたしは道であり、真理であり、いのちです。わたしを通してでなければ、誰一人父のみもとに来ることはありません。どれくらい光のようなみことばでしょうか? 大部分の既存信徒が 神様の恵みなのかもしらずに裕福に暮らしているのですが、ある姉妹は生きることが不安で狂うようだったと言います。長老と勧士の下で勤務を長くしたのに、聞くことができなかったのですが、ある人を通じて福音を聞いて、自分を 30年間困らせた暗闇が崩れたと告白しました。祈りの答えを受ければ、堂々とします。私達ゆえに職場、近所が生かされるならば、堂々としているではないでしょうか? 恥ずかしいならば、インマヌエルの祝福を味わうことができないためです。「人の前でわたしを知らない(恥ずかしい)と言うような者なら、わたしも、そんな者は知らない(恥ずかしい)と言います。」と言われました。
 
 人間が獣と違う点は何でしょうか? 神様に会うことです。万物の霊長の人間だけが、神様のかたちに創造されたのですが、神様に会うことができなければ、人間には真の幸福がないのです。その時から、人間が正しい人間になるのです。すると、どのように神様に会うことができるのでしょうか?
 
1. 神様は霊です。
 それで会うことができないのです。
1) 霊であるので、肉の目には見えません。 (ヨハネ4:24)
 それで問題になるのです。目で見た神様は、むなしいのです。福音を持った教会は、イエス様の写真もかけません。夢にもむなしいものを見るかと思って、写真もなくすのです。神様は見えない方です。それで真理です。
2) したがって、誰にも制限を受けません。人の手で制限されることは、神様ではなく、偶像であり、その中に悪霊が入っていくのです。石で作られた所に閉じ込められている方ではありません。(Iコリント10:20)
3) 偏在 (どこでもいらっしゃる.)
4) 全知。全てのものをすべて知っておられます。創造主なる神様。 (詩139:1-10, ピリピ4:7)
5) 全能 (イザヤ40:28)
6) ヤーウェ(主なる神) (出エジプト3:13-15) - 自ら存在するという意味です。
7) 人間は霊的存在であるゆえに、霊である神様に会うことが救いです(イザヤ40: 18-31)
 
2. 人間は肉体を持っているので
1) 肉眼で神様を見ることはできません。
2) 霊が肉体の中に制限されています。
3) 死 - 霊魂が肉を離れる状態
 4) 機会 - 霊魂が肉体の中にとどまっている時だけ、救われることができるのです。
  肉体の中にある時、奉仕したことが報いになります。
 
3. 神様に会う道
1) 受肉
  神様が人のからだを着ていらっしゃいました。 (ヨハネ1:14)
 愛の神様、真理、力の神様が私たちにいらっしゃったのです。悪魔の権勢に押さえられた人間に真理で死を担保として来られたのです。宗教は人間が作ったことであって、福音は神様がくださったことです。宗教は人間が神様を探していくことで、福音は神様が私たちを訪ねられたことです。
2) したがって、その方は罪がなく、その霊は神様です。 (Iコリント15:45-50, Iヨハネ5:20)
3) 運命 - 罪(原罪)を解決しなければなりません。 - 祭司長
・ サタンの権勢の下 - 抜け出す - 王
・ 地獄の民 - 抜け出す - 預言者
 この3つのことが解決できなければ、みな滅びます。誰かれを問わず、どうすることもできないのです。
 この3つのことろみな解決する単語がキリストです。それで、あなたにキリストが必要なのです。
 イエスを信じなければならないと言えば、未信者はよくわからないでしょう。人間にキリストが必要であると送られた方が、まさにイエスです。私達とこの地球に、人間にキリストが必要なのです。キリストは一人だけ送られれば良いのです。イエスは名前で、キリストは役目です。この説明ができ、悟るならばみわざが起きます。
4) イエスは神性、人性を持たれた方 (マタイ16:16-19, ヨハネ14:1-9)
  旧約ではメシヤ、新約ではキリストです。
5) 受け入れ = 信仰 (ヨハネ1:12, 黙示録3:20)
 イエス・キリストを受け入れることが救いです。受け入れた人々、すなわちその名を信じた人々は救われるとされました。私達の中に神様の聖霊が臨んだとするならば、どのようになるでしょうか? イエスを受け入れる時、とても重要なことがおきるのですが、これを話してあげるべきです。
6) 聖霊が臨む。 (ヨハネ14:16, ヨハネ14:26-27)
 反対は悪霊です。それでグッ(降霊術)と法事を行なわなければならないのです。そうでなければ滅びるのです。
 皆様が受け入れる瞬間、神様の霊が皆様の中にいらっしゃるのです。ここで信者と未信者が分かれるのです。聖霊は、すなわち神様なのですが、皆様の中におられるならば皆様は絶対に滅びません。聖霊がその中におられるのに、どのように暗闇が入っていくでしょうか?
 
・ Iコリント3:16, ヨハネ14:16-17 - 聖霊を追い出す者はいません。
7) この時、サタンの権勢は永遠に離れるようになります。
8) この時、イエスを受け入れる祈りをするのです。ある人は、その場でみわざが起きたり、ゆっくり起きる人もあります。
 
4. 神様が私と共におられる証拠
 インマヌエルの証拠がくることを約束するのです。
1) 聖霊の導き - 聖化 (ヨハネ14:26-27)
2) 聖書を正しく受ける時、聖霊の導きを受けるようになります。
(1) 聖書は生きている神様のみことばです。 (ヘブル4:12)
(2) みことばを受ける時、私たちの霊が生かされるようになります。 (詩119:25)
3) 過去、体質、罪と戦えば大きい力を得るようになります。 (詩66:18, ガラテヤ5:16-18)
4) 祈り
 はじめには良くならなければ、少しだけ努力して定時祈りからすれば、答えがき始めます。少しだけ祈れば大きい力が生じます。 (黙示録8:3-5)
5) 聖霊充満が臨むはずです。
聖霊充満は、信仰を持ってそのまま受けることです。断食や特別祈りは、特別な時にすることです。この瞬間、聖霊充満をくださいと言えば、聖霊充満を受けるのです。結果として病気もいやされて問題も解決するのです。
6) 権威
  自分自身、世の中、サタンに勝って勝利するようになります。
7) 伝道の門が開きます。
8) 他の人も見るようになります。 (ヘブル11:1-6)
9) ヨハネ14:6が理解できるでしょうか?
 宗教が間違っているということではありません。しかし、運命、サタン、地獄の問題は、解決できないのです。ただイエスだけが解決できるのです。それで、わたしを通してでなければ誰一人父のみもとに来ることはありません。と言われました。ヨハネ14:6を理解したとするなら、救われたことで、その時から暗闇は崩れるのです。
・ 最後に3つのことを話さなければなりません。
(1) 解放
あらゆるサタンの権勢から解放されました。必ず話してあげるべきです。ローマ8:2 罪と死の原理からあなたがたを解放したと言われました。霊的に苦しめられる人はすぐわかります。
 
柳) 影島である女の人がぶるぶる震えていました。僧侶が通りすがりに、あなたの家に災いが臨んだと言ったら、長男が死んだということです。しかし、福音を聞いてイエスを受け入れれば、全てのものが終わるのです。
(2) 新しい開始(ピリピ1:6)
 キリストの日まで成し遂げていかれるのです。
(3) 問題
 ・ 過程
 ・ 機会
  この三つのことを必ず話してあげるべきです。
 
宿題を渡さなければなりません。
すると、キリスト教は何故そのように迫害を受けたのかを考えてみてくださいと言いましょう。
イエス様が、わたしがあなたがたを呼んだのは、わたしがあなたがたとともにいるためだと言われました。わたしは世の終わりまで、いつも聖霊で一緒におられるということです。死んで天国に行く前までは、聖霊で私たちの中に働かれて共におられるのです。
 
 
4番目の出逢い: 何故私たちにイエスだけが道になるのでしょうか? (Iヨハネ3:8)
[序論] 個人
一名も例外なく祈りを深い段階まで行くことができる時間が少しだけあれば、私達の前で全てのものが変わるはずです。福音は知れば知るほど恵みが悟れ、謙遜になって感謝するようになります。福音を知らない人々が答えを受ければ、大きい問題が起きるのです。
 
・ 使徒3:1に ペテロが午後3時の祈りの時間にと書かれています。
・ 学生達がもし少し個人的に祈る時間を持つならば、学業に途方もない奇跡がおきるはずです。ひとりで祈りることができる時間が少しだけあれば、それが聖霊充満です。
・ 使徒10:1-6 - ペテロが祈っていた時間
・ 私達が人に会ったり、講壇に立つ時、聖霊のなかでよく調節しようとするなら、祈る時間が必要です。学生達と相談する時、この相談を多くします。少しだけできれば良いのです
・ 使徒16:11, 13
・ 使徒16:16-18 祈る所へ行く途中で
・ Iコリント2:1-10
・ 力 - 私達ひとりで力を得なければなりません。そうでなければ、多くのことをのがすようになります。残っている生涯に他の力でなく、聖霊の力を得れば、殆どなるようになっています。
・ 4番目の出逢いで、とても重要な質問をしなければなりません。
(1) 失敗
(2) 精神的な苦痛
はじめからこういう質問をするよりは、4番目の出逢いでこの質問をするのが良いのです。
(3) 病気
(4) 偶像(グッ(降霊術))
(7) 宗教生活 - どんどん事がだめになります。
(8) 占い
(9) 教会
 
<何故 - ただイエスだけが道なのでしょうか? >
質問ですでに答が出てきました。してみてもよくならなかったのです。教会に通いながらも良くならないのです。
 
柳) 米国集会に初めて行った時、長老が食事を招いてくれて、食事をしないで自分が失敗したことを話しましたよ。ほとんどみなこういう困難にあっています。
 
・ 神の子が現われたのは、悪魔のしわざを打ちこわすためです。
・ 創世記 3章の事件を解決しようといらっしゃったのです。これを解決した方は、一人しかありません。
・ 神様
・ 災い
・ 奴隷 - サタン
・ 教会に通って救われた人も欺くのです。
・ 4番目の出逢いで、あらゆる答を出さなければなりません。一番重要な出逢いが4番目の出逢いです。
 教会がどんどんイエス様の話をいいかげんにして、違ったことを熱心にしています。本当に福音を伝えたとするなら、牧師が引退してもみわざがずっと起きます。教会が無秩序に見えても、イエス・キリストが教会の主人ならば、行けば行くほどなるようになっています。本当に福音を持った牧師ならば、神様の働きを成し遂げるようになります。
 福音をだいたい知っていたのに、韓国全体が十字架で覆われるようになりました。福音を正しく理解するならば、相当なのです。結局だめだから倒れるのです。イエス様がすべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのところに来なさい。と言われました。熱心に宗教生活するパリサイ人におっしゃったみことばです。
 未来を心配する人がもしかしたらおられるでしょうか? ペテロが気落ちした時、イエス様は また訪ねて、小羊を飼いなさいとおっしゃいました。三番目の出逢いまでは、純粋に福音を伝えるのですが、4番目の出逢いでは結論を下さなければなりません。主は生ける神の御子基督です。という告白が正しくできなければなりません。ハデスの門も勝つことができなく、天国の鍵をくださいました。役員も注意しなければなりません。経験を持ってキリストを弱化させて、違ったことを強化することがあります。
・ マタイ25:41 主が再臨なされば、サタンは永遠に完全に縛られるのです。それ以前には、ほえたける獅子のように回っています。まちがいなく信じる者にも働くので、それと戦えと言われました。ペテロが神殿の美しの門の足のきかない者を起こした時、祭司長がイエスの名前を言うなと言った時、ペテロが世界中でこの御名の他には、私たちが救われるべき名としては、どのような名も、人間に与えられていないからです。と言いました。
・ 一番重要な出逢いです。残りは重要ですが、これが解釈できた後にすることです。
・ キリストはあらゆる問題の解決者です。堂会員が教会の心配する程、牧師が教会を心配する程、キリストは無力な方ではありません。弱い者を呼んで、強い者を恥ずかしめるとされました。出会った人の以前のことをみな抜き取らなければなりません。私達の過去の問題、霊的問題が結局門になるのです。
 
柳) 10年前から韓国教団でタラッパンを攻撃する理由は、度々自分のとがをあらわすので、嫌うのです。統合側チャンシン大学で講義をした後に大騷ぎが起きました。イエスなしに救いがあるのか? イエスなしに創世記 3章に勝つことができるのか? 何故、多元主義を話すのか? それが死ぬことです。それで大騷ぎが起こったのです。米国に行くと、韓国日報の後に新聞で大きい全面に何故、柳光洙牧師は異端かが書かれていました。そこに柳光洙牧師は、イエス・キリストだけずっと主張するために異端ということでした。大変なことです。
 
・ 今日からは、信仰告白して心配しないように願います。ペテロは弱かったのですが、キリストを告白した時、途方もない祝福を下さいました。4番目の出逢いで悟れば、大きなみわざが起きるのです。キリストはそのような程度ではありません。
・ ただイエスだけということは、普通の話ではありません。何故、イエスだけが道なのでしょうか? 独善的な話に聞こえる事もでき、他の宗教から聞けば気分が悪いはなしでしょう。しかし、救いはイエスを通じてだけ可能なのです。ここで答を得て、その次の日から心配がなくならなければなりません。
・ 今からあらゆる心配をみな出してしまいましょう。嘘をつかず証しをしましょう。うまくできなくなるのに耐えていてはなりません。ほとんど人々がここに引っ掛かります。
 
柳) 何故ロシアが共産主義国家になったのでしょうか? 98%がクリスチャンでした。しかし、その文化はイエス・キリストがない文化でした。
 
・ カトリックでは、何故イエスを話しながらマリアを取り出すのでしょうか? それで死ぬのです。ただイエスだけではないのです。ここに座っていらっしゃる方の中で未来が心配になる方はいますか? キリストを与えられた方は、全てのものを恵みでくださらないでしょうか? あらゆる心配をみな出してしまうように願います。
・ キリストは、あらゆる問題の解決者であることは確かです。霊的問題を持った人がどこへ行かなければならないのでしょうか? 福音がある教会へ行くはずです。主が来られれば、どこへ行かれるでしょうか? キリストは世界を征服なさいました。ここで充分な話をみなしてあげなければなりません。誰でも関係ありません。本当に不信仰する理由はないのです。
 
1. 大部分の人が、救いと人生を区分できません。
(1) あらゆる宗教はみな同じだと考えます。
 ここで錯覚をするのです。皆様とタラッパンをする方達が、宗教はみな同じだと考えることがあります。あらゆる宗教は、悪霊を崇めることです。イエス様がはじめから私たちを呼ばれたのは、私たちと共におられるためだと言われました。ここで答を出すことができなければ、もともとのことに戻るのです。何の心配もする必要はありません。
 
(2) 善を行なうことがあらゆる宗教の目的だと考えます。
 宗教はそうです。救いはその上のことです。それで、世界と韓国教会に困難がきたのです。
 
柳) キリスト教倫理を立てなければならないと主張する方がいました。正しいのですが、間違ったものだと思います。韓国教会は倫理を行なういのちがありません。大韓民国の立派な牧師達が後援をみなしたのに、今、その方達は全部、教会世襲問題を体験しています。4代目でイエスを信じる教授が書いた本には、李舜臣が善を行なったゆえに救われたとありました。
 
 ある日霊的問題が迫れば、解釈もできず、解決もできません。原罪の問題は、私達と家庭、子供に永遠になくなったのです。
 
(3) 力を注いで立てることが救いの道だと考えます。
(4) キリスト教は、宗教ではなくて「いのち」そのものです。
(5) 宗教は人が作って、福音は神様がくださったのです。
(6) 宗教は人が探していくことで、福音は神様がいらっしゃったのです。
(7) 宗教は人の行為が基準で、福音は神様の救いが基準です。
 
 ここで質問を新しくしなければなりません。こんにち、日が経てば世界と教会が困難にあう理由は何でしょうか? とても重要なことを知らないのです。この部分が話にならなければなりません。私達は原罪、創世記 3章の問題が完全に解決したのです。牧師達も、年を召した方も何をするかを心配する必要はありません。それは未信者がする心配です。
 
2. 救われていない者は、滅びの状態を知らないからです。
 地球上に宗教がなくて、善行がなくて問題がきたのではなく、霊的問題です。教会奉仕をするようにして、そのようなことではありません。
(1) 原罪は救われていない状態を話します (ローマ3:10, 23) - あらゆる人
 おもに成功した知識人達がよくわからないのです。隠すのですが、結局、問題が表れた時、知るようになります。
(2) その意味は、創世記 3章に出現したサタンの手にそのまま掌握されている状態を話します。 (エペソ2:2, 3)
 空中の権勢を握った者の手にそのまま捕えられているのです。
(3) 滅びの状態は怖い状態です。
1) その霊がサタンの霊を受けた状態です。
 それで占って、グッ(降霊術)をしなければならないのです。
2) 呪われた霊魂です。
3) それで、自然に偶像崇拝、お参り、お守り、お祓い、易、迷信、宗教で苦しんで滅びるのです。
4)現実的に失敗をして世の中を離れます。
5)三代まで滅びます。 (出エジプト20:4-5)
6) 精神的な病気、悪霊につかれた病気、名前が分からない病気で、肉体が苦しみます。(マタイ8:16-17)
 この話を悟る時、わたしは道であり、真理であり、いのちなのです。という言葉が理解できるのです。これが救いです。
 
(4) そして、地獄へ行くようになります。 (ルカ16:19-31, 黙示録14:1-9)
 より重要なことは、この地に生きる間に地獄の権勢に押さえられるようになるのです。
・ 4番目の出逢いは、教材通りしようとせず、充分な話にならなければなりません。
 
3. 救うお方はただ一人だけ
(1) このサタンの権勢をに勝つ権勢を持った方でなければなりません。
(2) 必ず人間のからだを着なければなりません。 (ヨハネ1:1, 14)
(3) しかし、罪がなしであるべきです (ヘブル4:15, Iペテロ3:18)
(4) アダムの子孫でなければなりません。 (処女降誕)
(5) 罪の代価で、罪のないからだが死ななければなりません。 (創世記2:17)
(6) 神様という証拠で、必ず復活しなければなりません。 (Iコリント15:3-5)
(7) その方が、まさにイエス・キリストです。
(8) 神様と同じ方であるイエス(ピリピ2:6-9)だけがサタンの権勢を滅ぼすことができて、人間を救い出すことができるのです。
(9) 現実にも証明されています。 (使徒16:16-18)
 
4. 救いとはどのようなことでしょうか? (エペソ2:1-6)
(1) 必ず滅びるべき罪から解放されたのです。
1) 原罪 - 永遠に呪われる罪(エペソ2:1)
 私達が犯した罪ではなく、もともとから降りてくる罪です。
2) とが - 原罪の結果にきたとが (エペソ2:1)
3) 先祖の罪 - 偶像崇拝の結果で、子孫に災いが及びます。 (出エジプト20:4)
(2) 現在サタンの権勢とその運命から抜け出すことです。 (エペソ2:2)
(3) 来世に天国の御座に座ることです。 (エペソ2:6)
(4) 現実の中で証拠が表れます。 (エペソ2:7)
・ 救いは、過去、現在、未来の問題の解決です。イエスを信じて天国に行くといえば、未信者は理解すぐできません。あなたが今、神様の子供になる道があると話さなければなりません。神様の子供になる瞬間、過去の問題は終わります。心配しなくても、天の祝福を味わって、天国へ行くようになるのです。来るいろいろな世代に証拠がくるのです。
 
5. いやし - 悪霊に苦しめられている者
 現場に行くと、このような人々がとてもたくさんいます。それで解答を与えるべきです。記憶しなければならないことは、たくさん悩まされて来た人であるということを知っていなければならないのです。
(1) 信仰、創世記3:15- 女の子孫- その主人公がイエス・キリストです。
・ マタイ16:13-20 - エリヤ, バプテスマのヨハネ, エレミヤと言いました。
・ マタイ17:1-8 - キリストだけが残りました。
・ マタイ28:16-20 - 天と地のあらゆる権威をもって私たちと共におられます。
・ 使徒1:8 - 聖霊で私たちとともにおられます
 この話を聞く瞬間、未信者に相当なみわざが起きるのです。以前に教会に通ってみたことが問題ではなくて、この部分を知っていなければならないのです。
 
・ 宿題を出さなければなりません。イエス・キリストの名前が何か体験してくださいと宿題を出してあげましょう。
 イエス・キリストの名前で私のあらゆる弱い部分がいやされるようにと祈ってみましょう。ある瞬間にいやされているのです。
 
(2) 霊権 - 定時祈り、常時祈り、霊的権威
1) 体験
2) 定時祈り
3) 2種類の形態の祈り
4) ヤーウェの神
5) イエス・キリストの名前で権威を使用する祈り
・ ピリピ3:21 万物がイエス・キリストの名前の前に膝を屈するとされています。
・ 家系と家庭に働く不信仰と貧困にする働きは、イエス・キリストの御名で離れるようにと祈りましょう。すると、人々がすぐ体験するはずです。このようにして、病んでいる所があるならば、手を当てなさいと言いました。イエスの名前で祈っていやされる恵みを自分のものにするように、祈ってみましょう、と言うのです。信仰の証しをすることが多くなります。本当に驚くべきことです。子供達にもイエス・キリストの名前で祈ってみるように教えなければなりません。
・ すぐにその人に確信が生じます。生きているイエス様を悟るようになるのです。4番目の出逢いをよく悟るように、もう一度説明をしなければなりません。説明した時、よく悟ればナザレのイエス・キリストの名前で祈ってみるようにと話をしてあげるべきです。
 
柳) ある島の酋長の息子が、イエスを受け入れたのに突然に病気になって死にそうになりました。宣教師が初めてこれがサタンがすることだと悟って、静かに手を当ててナザレのイエス・キリストの名前で退けられるようにと祈りました。その次の日に良くなったのです。
 
・ 霊的問題だと思うならば、万王の王であるイエス・キリストの名前で祈りましょう。もし病気の人がいるならば体験してみるように願います。この体験ができれば、他の目が開きます。復活なさったということを実際に体験するようになって、祈りの門が開くようになるのです。
・ その次に会って証しをするように、定時祈りの時、聖霊で満たしてくださいと祈るようにと言って、常時で神様と対話しながら祈るように言ってあげるべきです。
・ 4番目の出逢いでほとんど答をみな出さなければなりません。
・ ヨハネ14:6
・ 使徒4:12
 それでも理解できないかと思って絵を描きました。
 大きい家に奴隷が生きています。どんなに善行をしても奴隷です。ここから抜け出てくるべきです。
・ 4番目の出逢いで、すべき話をみなしなければなりません。それでなければ、次からみわざが起きません。学生達にも物静かにみな話してあげるべきです。
*Iヨハネ3:8を理解してみましょう。