2004-05-29 サムエル上(01) - 08 (核心訓練)


サムエルの生涯と業績
( Iサムエル16:6-13)

 
要約資料
 
▲富と誉れは御前から出ます。あなたの御手によって、すべてが偉大にされ、力づけられるのです。(I歴代29:10-14) 真の家庭の祝福も主が祝福なさってこそなります。(詩127:1-7). 神様は、サムエルをなぜ、どのように用いられたのでしょうか?(Iサムエル3:19) それなら今、私たちは何を悟って、この祝福を回復しなければならないのでしょうか?
 
1.大きい働き人として用意されたサムエル
(1)両親の祈り(Iサムエル1:1-3) - 苦しみの中で回復した祈り
(2)両親の悟り(Iサムエル1:4-11) - 誤った祈りから正しい祈り
(3)両親の献身(Iサムエル3:1-18) - 生涯一度だけの時代的献身
(4)ミツパ運動(Iサムエル7:1-17) - 神様が願われる教会、伝道、宣教
 
2.サムエルが味わった彼の職分と祝福
(1)祭司長の祝福(Iサムエル3:1-9)
(2)預言者の祝福(Iサムエル3:10-18)
(3)王の祝福(Iサムエル3:19, Iサムエル7:5-14)
 
3.最も重要な働き人を立てる祝福
(1)民の問題と要求を聞くこと(Iサムエル8:1-9)
(2)神様の御声を聞くこと(Iサムエル8:10-22)
(3)サウルに油を注ぐ(Iサムエル9:25-27)
(4)イスラエルの歴史上、初代王を立てる(Iサムエル11:12-15)
(5)サウル王の失敗で主なる神様に見捨てられるようになったので、サムエルがダビデを王に育てる(Iサムエル16:1-13
 
4.結論- 聖徒がサムエルの祝福を味わわなければならない
(1)ナジル人の祝福(Iサムエル1:1-11)
(2)祭司長の祝福(Iサムエル3:1-9)
(3)預言者の祝福(Iサムエル3:10-18)
(4)王と同じ祈りの答えの祝福(Iサムエル3:19)
(5)レムナントを育てる祝福(Iサムエル16:13)
(The end)
 
説明資料
→序論
▲今日の本文を見れば、サムエルが最後の仕事までしたと見ればよいでしょう。
サムエルが話したことは、一言も地に落ちませんでした。サムエルが生きている間には平和がありました。この二つだけあっても、ものすごく大きいのです。サムエルという時、祈りの人で、最高の指導者で、ミツパ運動をした人です。その中では、特に忘れてしまうことですが、サムエルがダビデを育てました。
▲私たちも、こういう祝福を味わうことができます。まず序論部分を必ず記憶しましょう。聖書が何を言っていて、イスラエルがなぜだめになるのでしょうか?
▲福音(定刻の祈り, 常時祈り) - 聖霊充満
結論はこの部分です。福音を聞くのには、5分ならば良いのですが、深く理解するのには無尽蔵です。福音を味わえば、定刻の祈りとなります。それでなければ、むずかしいのです。山に登らねばならなくて、断食しなければなりません。福音を味わっていれば、本当に事実的になることが定刻の祈りです。
結婚をした人や、愛す人がいるならば、相手を考えることは難しくありません。愛しているためです。過ぎ行く知らない人を考えなさいと言われたら苦しいでしょう。
これと同じように、福音を本当に味わっていれば、これと同じで定刻の祈りになります。定刻の祈りができれば、ずっと答えがきます。
ずっと答えがくるために、それでできるのが常時の祈りです。皆様、祈りが重要なのではありません。福音を持っているか、それが重要です。祈りが重要なのではなく、本当に福音を味わうかが重要です。このようになれば、心配がきても心配でなくなります。なぜなら、福音でいっぱいだからです。問題がきても問題になりません。力でいっぱいだからです。
▲そうであって、救われた者が、この祝福をずっと味わっていれば、どんな結果がくるのでしょうか? 聖霊充満がきます。旧約時代には、行ったり来たりしたのですが、新約でキリストの救いがなされた後には、私たち の中に永遠に離れないと言われました。聖霊は永遠にあなたがたとともにいますと言われました。これが旧約と新約の差です。旧約では離れることもありましたが、新約では救われた皆様に永遠におられます。ヨハネ14:16-17節に記録されています。永遠になくなりません。ローマ8:2, 30-39節に確かに記録されていて、私もそのように確信しています。
▲このようになる時、気を遣わなくても来る結果があります。
(1)力の働き- これが行われます。まず最初に、これがきます。これがきてこそ事がなります。これがこないと、事がなりません。皆様の事業、家庭、仕事も力がなければなりません。風のような、火のようなみわざが起きました。ついてくるしかありません。
(2)証拠の働き- 証拠のみわざが起きます。そんなにも邪魔して、異端に行くなと言ったのに、そこに15ケ国が集まって、そこに行くなと言ったのに3000人が集まりました。証拠が起きたのです。証拠の前には、話すべき言葉がありません。
(3)みことばの働き- みことばのみわざが起きました。本当にそこまで正確に成就にするのかというほど、仮りに事業する人が聖書を見れば、事業に成功するようになっています。もし政治をする人が聖書を見れば、政治に成功するようになっています。どれくらい驚くべき言葉なのか分かりません。皆様が福音の中にあるならば、みことばを聞けば聞くほど益です。正しく知っている人は、メッセージをずっと聞きます。正しく知っている人は、メッセージを聞くことを抜かしません。その人が福音の中にある場合にです。福音がなければ、このことをしてはなりません。聞くほどみわざが起きます。使徒2:14-21節だ.
(4)弟子- それだけではありません。そんなにも妨げたのに、あなたがたが人を教えたら、弟子のみわざが起きます。私たちの大学生が祝祭を終えた後にきて、今日、一部を見せてくれました。私は今回の木曜日の夜に大学生が集まっている所に行ってみました。希望が生じたのです。こういう弟子がたくさんいるんだな。福音を 悟った働き人がたくさんいるんだな。いままで国会議員の中に、福音を味わった人はいません。長官、科学者 の中にもいませんでした。今まで福音を悟った人がいませんでした。これから出てくるようになったのだな。希望が生まれました。ですから、こういう弟子の働きがずっと起きるのです。
(5)現場の働き- いよいよ現場のみわざが起きました。使徒2:46-47節に、これができて、毎日家で、神殿で、この時から真のことになります。これがなっていくみわざがあります。
(6)宣教の働き- それが、まさに宣教の働きです。アンテオケを通じてなされました。そうではないでしょうか? 私が一万円があれば、他の人に5千円をあげることができます。私が千円しかないのに、他の人に一万円をあげることはできません。この秘密を持っていれば、宣教も可能です。かたちではなく、実際にそのようにできるのです。
(7)共同体の働き- それがまさに共同体です。ローマ16章、コロサイ4章、使徒28章、あちこちで起きました。このままの祝福がくるはずだから、じっとしていても来ます。この部分だけができれば(福音、定刻、常時、聖霊充満) 当然についてくるのです。そして、暗記するのも良いでしょう。聖書にある、そのままマルコのタラッパン、アンテオケ教会、ローマ、このように出てくるようになっています。どれくらいすてきでしょうか?
▲こういう基準で聖書のみことばを与えられるのですが、どのように神様がサムエルを用いられたのでしょうか? 一言も地に落ちなかったということは、祈りの答えをみな受けたということで、メッセージを伝え、成就したということなのですが、どのように祝福を受けたのでしょうか? そんなにイスラエルには、戦争がたくさんあったのに、サムエルがいる間には戦争がなかったし平和がありました。
いったい、どのようにしたからそうなのでしょうか?
▲富と誉れは御前から出ます。あなたの御手によって、すべてが偉大にされ、力づけられるのです。 (I歴代29:10-14) 真の家庭の祝福も、主が祝福なさってこそなります。(詩127:1-7). 神様は、サムエルをなぜ、どのように用いられたのでしょうか?(Iサムエル3:19) それなら、今、私たちは何を悟って、この祝福を回復しなければならないのでしょうか?
 
1.大きい働き人として用意されたサムエル
▲サムエルは、福音ゆえに用意された人です。
(1)両親の祈り(Iサムエル1:1-3) - 苦しみの中で回復した祈り
▲それで、私たちは今から準備をします。両親の祈りのように準備するのです。皆様がそれで、この場に集まって、ずっと祈りをするのです。今日、せつないけれど、皆様の子どもにある暗闇が完全に崩れるように願います。私たち両親の祈りが必要です。子どもの思い通りにはなりません。暗闇の勢力が完全に崩れることを希望します。
(2)両親の悟り(Iサムエル1:4-11) - 誤った祈りから正しい祈り
▲ハンナの祈りです。ハンナが苦しみの中から祈りだけしたのではなくて、悟りを得ました。ナジル人です。このように得た息子です。
(3)両親の献身(Iサムエル3:1-18) - 生涯に一度だけの時代的献身
▲私たちの両親の献身です。サムエルは、単に生まれた人物ではありません。幼い時から神殿に入っていったのです。このようにして、サムエルは育って、後にも先にもない指導者になりました。ミツパ運動を起こしたのです。このように用意された人です。答えを受けざるをえません。
(4)ミツパ運動(Iサムエル7:1-17) - 神様が願われる教会、伝道、宣教
▲皆様は、ミツパ運動よりもっと重要な運動をしなければならないので、答えを受けるしかありません。この中からまちがいなく未来が出てきます。いまや正しくキリストを味わう人が出てくるべきなのだな。すでに私たちは入っていることがあまりに多いのです。いまや彼らに真に福音の秘密、良い姿を伝える働き人が出るべきだな。答えを受けるしかありません。そのように考えたのに、全部、答えを受けました。私は分かります。Iサムエル3:19節を見れば、サムエルが述べた言葉が一言も地に落ちませんでした。サムエルが立派だという話ではありません。この働きをしなければならないためです。
▲私はいままで説教をして、聖書を読んで答えを受けました。はじめには、少し知らなかったのですが、私がこの1節が分かりました。時間が過ぎながら、ミツパ運動をしなければ、私たちのレムナントを育てなければ、未来を育てなければなりません。世界福音化をすべきだから一言も地に落ちない方法以外にないのだなと分かるようになりました。
福音の中にある平安です。愛する人がいれば平安があると思っていたのに、真の平安ではありませんでした。真の平安は一つの所から来ます。 "わたしがあなたがたに平安を与えます。わたしが与える平安は世があたえるのとは違います。"(ヨハネ14:26-27) マタイ11:28節です。
司法試験に成功すれば、大丈夫だと思っていたのですが、平安とは関係ありません。真の平安は人間が神様に会う時に与えられるのです。乳を飲む子には、指輪も必要ありません。乳を飲む子どもには、お母さんの懐が必要です。これと同じで、私たち人間もそのようです。この秘密を伝えるために用意された働き人です。答えを受けるしかありません。
 
2.サムエルが味わった彼の職分と祝福
▲これは私達が味わう職分と同じです。
(1)祭司長の祝福(Iサムエル3:1-9): サムエルは実際に祭司長でした。
(2)預言者の祝福(Iサムエル3:10-18): 実際に預言者でした。
(3)王の祝福(Iサムエル3:19, Iサムエル7:5-14)
▲その当時、王がなかったし、実際にサムエルの言葉通りにしました。実際に、王の役割をしたのです。王を 立てました。単に過ぎ行く話のように見えるけれど、とても重要な部分です。キリストが真の王、真の預言者、真の祭司長として来られました。それで私たちに与えられた職分です。サムエルに旧約時代に与えられた祝福は影にすぎません。しかし、私たちには、実際に与えられたのです。実体です。
皆様、のがさずに今から使うことを願います。皆様が行く所ごとに、災いが崩れて、皆様が行く所ごとに聖霊の光が臨んで、救いの光が臨むように、皆様が行く所ごとにサタンの力が縛られる祝福が臨むことを希望します。Iペテロ2:9節に確かに出てきました。王のような祭司、そして、この光を宣べ伝えるために呼んだ。確かにそのように出ています。私はこの本文を読みながら、そうだと思いました。私にこの祝福があるのです。
これは、神様が他の人を救おうと与えられた祝福です。その時から、味わうことが始まったのですが、その時から驚くべき神様のみわざが始まりました。
 
3.最も重要な働き人を立てる祝福
▲より重要なことは、サムエルはどのように答えを受けたのでしょうか? サムエルは、働き人を立てる人でした。こういう祝福を受けた働き人を立てました。サムエルは、あらゆる民の声を聞きました。それを無条件にしたのではありません。
(1)民の問題と要求を聞くこと(Iサムエル8:1-9)
(2)神様の御声を聞くこと(Iサムエル8:10-22)- 神様に祈って神様の御声を聞く、そのような指導者です。
(3)サウルに油をそそぐ(Iサムエル9:25-27)- サウル王に油を注ぎました。
(4)イスラエルの歴史上、初代の王を立てる(Iサムエル11:12-15): そして、サウルを王に立てたのですが、歴史上、最も重要な初代の王を誰が立てたのでしょうか? サムエルが立てました。
(5)サウル王の失敗で、主が見捨てられるようになったので、サムエルがダビデを王に育てる(Iサムエル16:1-13)- 皆様、そのまま過ぎないで、ダビデを一度を見ましょう。ダビデが王になるやいなやしたことがあります。それが何でしょうか? 神殿を建てる準備をしました。目的が何でしょうか? 主の契約の箱を置くためでした。ダビデの願いです。ダビデが、なぜそのような願いを持ったのでしょうか? 簡単なことではありません。アビナダブにある契約の箱をダビデの町に移すのに、ダビデが踊りました。ダビデの願いはひとつしかありません。王を長くすることではありません。主の契約の箱を置いて、神様を賛美することです。どうしてダビデの願いになったのでしょうか? Iサムエル3:1-2節を見れば、サムエルがまだ幼い時に、エリは自分の所で横になって、幼いサムエルは主の箱の前に横になっていたということが、普通の話ではありません。その箱が奪われて、奪い返してきたこともありました。契約の箱が行く所ごとにみわざが起きました。サムエルが契約の箱のそばで横になったとされています。サムエルが、ダビデに将来に王になるはずだと油を注ぎました。サムエルが一言も言わずに、ダビデを油を注いでしまって、話しもしなくて行くでしょうか。推測なのですが、そのようにしなかったでしょう。エッサイという人が、大預言者がきたのに、全くごちそうの接待もせずに行きなさいと言うでしょうか? そのようにしなかったでしょう。確かにエッサイという人は、ダビデのためにだけでなく、サムエルにものすごく誠意を込めて接待をしたでしょう。そして、サムエル指導者が、ダビデに油を注いだ時、サウル王の失敗、そして、サウル王の弱点も話をしたでしょう。そして、その中に最もたくさん 話をしたことの福音と契約の箱です。
▲指導者一名が、このように重要です。皆様がここになぜきたのでしょうか? 方法できたとすれば、いつかはだめになるでしょう。皆様はなぜきたのでしょうか? 目標できたのでしょうか? 皆様の目標は、なされる時はだめになる日があります。時代的な成功した人々はみな "切なる思い"を持っていました。すると問題は皆様がこの切なる思い持っている人で、その人がこれを悟ることができなければ、これゆえに滅びるのです。この切なる思いが契約にならなければなりません。ダビデを見ましょう。ダビデが他人が見るほどに、異常でした。契約の箱が入る時、踊ったのです。自分の奥さんが悪口を言いました。ダビデには理由があったのです。
▲レムナントは、切なる思いを経験することができません。何で学生達が、切なる思いを持てるでしょうか? この学生達が、これを抱くことができるのは、メッセージしかありません。指導者しかいません。ダビデは、どんなに困難が来ても揺れませんでした。王になるはずだから、ダビデの願いは神殿を建てることでした。私たちは良い家に寝ており、主の契約の箱は風が吹く所にあるから、これで良いのか? ダビデが言った言葉です。神殿を建てて、契約の箱を移すのです。このメッセージが、単に出てきたのではありません。これが、切なる思いから出たのです。誰ゆえに、サムエルゆえに出てきたのです。これくらい重要です。サムエルの一言も落ちなかったし、サムエルが生きている間には平和があって、ペリシテが入ってきませんでした。
 皆様が福音のために、韓国、地域、世界福音化を準備するならば、今から準備をしましょう。すると、できます。私たちの力がないことはかまいません。このように準備しましょう。確かに皆様ではできません。これがあります。これを神様の子どもになる特権と言います。権能は自分にあることで、権威は与えられることです。今日から長官をしなさいと言われたら、権威です。権能とは違う言葉です。神様の子どもになる特権を与えられました。絶対に錯覚してはなりません。皆様は確かにできません。しかし、神様はなさることができるのです。あまり基本がない、それも神様は直すことができます。明らかです。私達がとても知恵がありません。それも神様が直すことができます。王、預言者、祭司長、これで私たちは働き人を育てるのです。一言も地に落ちません。今日、契約を握るように願います。
 
4.結論- 聖徒がサムエルの祝福を味わわなければならない
(1)ナジル人の祝福(Iサムエル1:1-11)- 聖徒が祝福を受けることが出てきました。ナジル人を育てる祝福を受けたのです。この話は、正しく弟子の祝福を受けたということで、これを育てることです。弟子を作ることです。単に教会に通うことではありません。
(2)祭司長の祝福(Iサムエル3:1-9)- 祭司長の祝福です。これを味わうことができなければだめです。これを味わわなければなりません。皆様ゆえに家庭がみな生かされるはずです。
(3)預言者の祝福(Iサムエル3:10-18)- 単なる祝福を受けてはなりません。預言者の祝福,
(4)王のような祈りの答えの祝福(Iサムエル3:19)- 単純な王ではありません。
(5)レムナントを育てる祝福(Iサムエル16:13)- ダビデを育てたということは、レムナントを育てたということです。こういう祝福があることを希望します。今日から、皆様に一言も地に落ちない答えが臨むはずです。
 
▲モデル- モデルになりましょう。どんなモデルということでしょうか? こういうモデルが何名かだけ出てくればよいのです。
(1)成功- 自分の仕事に勝利しながら、成功しながら、伝道弟子をあちこちに探し出すのです。こういう弟子がいます。事業を良くする事業家だと思っていたのに、実際にそれは副業で、弟子を探しました。その程度、能力がある人です。普通の能力ではありません。ある人は、自分の仕事もできなくて、難しい人がいますが、聖霊充満を受ければ、自分の仕事を通じて弟子の祝福が臨みます。こうい モデルになるのです。私は教会でこういう働き人を見ることができませんでした。
それで、今でもキム・ジュンゴン博士を尊敬する理由は、最後に政治に加担しなければ良いのですが、C.C.C.からこういう人物が出てきたのです。教会からは、出て来ませんでした。教会では、長老が試みだけ与えないとありがたいのです。教会は、他人に傷だけ与えなくてもかまいません。私はそれで教会に通いませんでした。教会に通えば、人間らしさをそこなうと考えたのです。成長してから、教会に通わなくなりました。福音を知らなければ通えません。福音を知ったり、教会を理解するということが、大きい損になるのだと思っていたのです。
それでも、ナビゲイトで見たのです。これをする人がいました。弟子を探して育てるのを見たのです。この団体に根本的に違った思想が何でしょうか? '弟子は生まれるのでなく、作られることだ.' 元々、努力しなさいということです。私はそのように考えません。 '弟子は作られるのではなく、生まれるのだ.' 本当に逆に見たのです。これが律法か?福音か?ということです。神様が準備して置かれたのです。この祝福を味わうモデルになりましょう。
 
(2)色合い- なにか知らなく、自分のものがあります。問題は、これを持続できるのかという色合いです。他の 集いをせず、福音運動をしましょう。
1)福音- 異常なこともしないで。本物の祝福を受けるならば、福音です。
2)謙遜, 大胆- 謙遜で、大胆にしましょう。絶対に "私が"ということは話しません。皆様、他の人が見る時、色合いがあります。なにか福音なのに、違ったことが混ざるのです。すると、皆様は大きく用いられることができません。なにか福音と言いがら、なにか引き出してきます。モデルになれません。それはなくならなければならない人です。モデルではありません。なにか知らなく、福音というと、グループを作ります。モデルでなくて、それはなくならなければならない人です。そのようにしないで。頼みます。
 タラッパン、教会で重要なことをする人に、「あなたは右腕のようだ」という話を聞けば、それを言わず、本人はそうでないと考えましょう。それを表に出さないようにしましょう。そのようなことを思っていれば信徒は嫌います。ものすごく重要です。うつわは、謙遜にしましょう。
3)たましい- それとともに、本当にたましいを愛すのです。復興は好むのに、たましいを愛さない人がいます。それは、悪い人です。その人がたましいを愛すなら、目立ちます。
4)みことば- 会う時ごとに、私は普通で聞いたのですが、答えを受けたことを話します。
5)祈り- 会う時ごとに、少しの間だけ話をするのに、祈りの秘密があります。これは相当な影響を与えます。秘密があります。
この五つがものすごく重要です。色合いです。なにか知らなく、こういう部分が他の人に影響を与えるのです。もし皆様が、「自分が」というようにすれば、その人々は笑って喜んでも、心の中にはわだかまりがあります。しかし、本当に自分でないように話す、こういう感じがある人には、平安がきます。そうだな。このようになります。
 
(3)フォーラム
▲このようにできる時、フォーラムができます。特に話しにならないのに、フォーラムになるのです。言わば、皆様を見ながら、福音だな。皆様を見ながら、自分の自慢をするよ。このように感じないで、主の恵みが見えるよ。皆様を見ながら、祈りたいな。こういう色合いが出てくるべきです。それでこそ、フォーラムができます。
 
(4)動機
▲皆様を見ると、全く動機がなくて、ヴィジョンが見える、こういう弟子が一名だけいても、教会にみわざが起きます。こういう弟子10人だけいれば、みわざが起きます。副教役者がいれば、パートが生かされます。こういう牧師がいれば、教会が生かされます。違うことがありません。弟子のモデル、他のことは知らなくても、牧師を見る時、こういうことを見ましょう。牧師が伝道弟子を探すのだな。こういうことが見られなければなりません。これがモデルです。聖書勉強をしても、結論をのがしてはなりません。
この人がなにか福音を持っています。動機がない。どれくらい清潔か。どんなに見てもものすごいヴィジョンを持った人です。
▲こういうモデルを立てましょう。ソウルに来るやいなや言った言葉があります。2つです。 '子を産むことができない千頭の羊よりも、子を産む一頭の羊がよりよい' 、 '故障した時計より、動かない時計が良い.' ソウルで言った言葉です。横行するなということです。違ったことをインストールしてはならないのです。
正確にしなければなりません。契約を確かに捕まえましょう。今日から、一言も地に落ちないで、皆様ゆえに平和が臨むはずです。当然にそうです。
▲私たちにはできません。しかし、キリストにあってできるのです。ピリピ4:13節です。確かにそのようになっています。私はこの部分を見て、知っていることで、恥ずかしくなく言えます。私はすることができないが、私を強くしてくださるキリストにあってできます。全てのことができます。
家庭、職場、子どもの暗闇の勢力が、完全に打ち破られることをイエス・キリストの御名でお祈りします。
(The end)