2001年 12月 9日 東三第一教会 聖日メッセージ


1部:イスカリオテ・ユダの最後
(マタイ 27:3-10)
 
 
 今日の箇所には、イスカリオテのユダの最後の瞬間が記録されています。簡単に話せば、イスカリオテのユダは使徒の中にひとりでした。他の人が見れば、キリストの使徒であり、しもべだったのです。こういう人がイエスを裏切って売ったのです。後ほどは、金を受け取らなかったので、畑を買ったとなっています。あまりにも後悔したあまり、イスカリオテのユダは自殺してしまいました。
 
1.主のしもべ達は、どれくらい多くの恵みを受けなければならないでしょうか? 主のしもべ達が恵みを受けることは、言うまでもなく、とても重要なことです。いろいろな行動も重要ですが、主のしもべ達がどんな考えを持っているかが、あまりにも重要なのです。
 
・先週に、私はロシアに行ってきました。ロシアに行くためには、ヨーロッパを通らなければならなくて、ヨーロッパまでは10時間かかります。学生や信徒達が信仰相談とか、手紙を多く書いてきます。その週に手紙二通が来たのですが、深く考えさせられました。ロシアまで行く間、私はずっと祈りながら考えてみました。もちろん、私たちの信徒が送った手紙ですが、二通ともみなとても一理があるので、多く考えるようになったのです。ところが重要なことは、その手紙の内容が反対だということです。
 
・ひとつは“牧師様がずっと働きをするためには、良い働き人を使わなければならない! タラッパンの周囲には、良い働き人がいない! 重要な指導者は、人の選択を上手にやる人でないのか?” ということでした。たくさん考えさせられました。ところが、もう一つの手紙は他の内容でした。“キリストはあらゆる問題の解決者ではないか? それならば、私たちに実力がある人、能力がある人が必要でしょうか?” という対照的な手紙でした。
・私たちは、それほど教役者が何の考えを持っているかが、とても重要なのです。それで、多くの牧師と主のしもべ達が、多くの恵みを受けなければならないのです。そして、皆様が祝福受けるためには、役員が恵みを受けなければなりません。役員が本当に神様の恵みを受けなければならないのです。私は教会の働きをしながら、そのようなことを本当に多く感じました。私は幼い頃、顔色を読むのがとても早かったのです。幼い時、私の両親が状態がどうも良くないという気がすれば、私は要求することをしないこともありました。金を受け取って学校に渡さなければならない事があっても、両親の立場を考えて言いませんでした。それで困ることもありました。
 
 私が普通の主の働きをしていれば、教役者と共にするようになっています。大部分の役員は神様の働きと言いながらも、人中心でするように感じます。例えば、このことを成功させるためには、ある人の心を引くようにしなければならないと考えて、その中心でするのでした。自分中心で仕事ができなければ、しないこともありました。ここで主張すれば、あの側から反対して、向うで主張すればこの側から反対するということを、私はあまりにたくさん見てきたのです。その時は、私も頭を使いました。これを主張すれば反対することをあらかじめ知って、対処したのでした。ですから、私の信仰はますます落ちました。副教役者生活しながら、私が感じたのです! 教役者、役員が恵みを受けなければならないのです。私たちが今日、この本文を見ながら、教役者は本当に恵みを受けなければなりません。結局、この人が自分の利益に付いていって、このようになったのです。人間的に話せば、自分の利益に付いていった教役者の末路はこのようになるのです。
 
 私と皆様は、いつもこの部分を考えなければなりません。伝道も重要で、みな重要ですが、この部分ができてこそ伝道ができるのです。私たちはこういう部分を多く祈らなければなりません。私は集会に行けば、たくさん見ます。一般信者が恵みを受けようと前の席に詰めて座っています。一般信者が前の席に座って、ノートを準備して座っています。ところが、教役者達は、そこに座らないで動き回っているようなことをたくさん見ました。教役者が本当に重要なのに、ということです。あのような人々が、要所要所の現場に行くはずなのに、現場がどうなるのでしょうか?
 
 皆様、これから多くの教役者が韓国から排出されるはずです。どのようにすれば説教を上手にできるだろうか? としながら、説教準備を多くして行く人は、信徒達が恵みを受けることができません。自分が受けた恵みですれば、信徒達が恵みを受けるのです。
 私が副教役者でいた時、明け方祈りを3年ほど導きました。夜ごとに、翌日の夜明けに導く題目を探すことがあまりにも難しかったのです。ところがなぜか信徒達は、説教が良いと言いました。ところが、明け方祈りにみわざが起きませんでした。毎日そのままでした。明け方祈りを2年したのに、そのままだったのです。
 私が恵まれたみことばを持ってしなければならないのに、そのまましたからだめだったのです。それで、私が恵まれたことを持って、私がまず恵まれて明け方祈りを導き始めたら、その時からすぐに働きが起き始めました。説教は準備することではありません。もちろん、準備しなければならないのですが、私が恵みを受けるべきで、恵みを受けることができなくて準備して良いでしょうか? 教役者や役員がどれくらい重要か、話では出来ないほどです。
 
 仮りに、神様の恵みを理解するならば、教役者ぐらい重要な人はなくて、役員ほど重要な人はいません。今週には、全羅道光州で教役者、役員の任職式がありました。それで、総会長の牧師から説教を頼まれました。私がその方達に言いました。第一に、嘘にだまされないで! 牧会は難しい! そのように話します。もちろん、その話し自体は偽りではありません。私はその話し自体が、サタンの話しだと考えます。正しい話ですが、神様のみことばではないのです。ここにいる長老達、牧師達、勧士達ほど祝福を受けた人はいません。私が福音を持った牧師ならば、どれくらい大きい祝福を受けた人々でしょうか?
 
 牧師達が旅行に行ったのですが、木がひとつあったということです。ところが、その中に木が‘洞(ほら)’になっていたのが一本あったそうです。それで、の牧師達の中の一人が “この木は牧会をしたのか? 何故、中がみな洞になってしまったのか?” と言ったということです。ところが、そばにいた一人の方が“牧会を長くしたみたいだ” と言ったということです。本当に教役者が牧会を長くすれば、内側が洞になって、真黒になるのでしょうか? 誤った考えです。そのような考えを持った牧師ならば失敗するはずです。
 
 神様の民の前に、説教をすることがどれくらい幸いなことでしょうか? 礼拝をささげるということが、それならどれくらい重要でしょうか? 福音を持った長老様、勧士達がどれくらい幸いな人でしょうか?
 
 イスカリオテのユダは、誤って考えたのです。今日からあらゆる教役者と役員は、新しい祝福を受けなければなりません。目に見えないで副教役者が恵みを受ければ、多くの影響が及ぼされます。信徒達が試みに会っても、教役者が訪問しに行けば力が出るようにもなります。信徒達が試みに会っても、礼拝をささげて行けば、その試みが解決することもあります。
 それならば、その職分は普通の重要な職分ではありません。神様の民が気落ちしても、神様のみことばを聞いて力を得るならば、どれくらい貴重な職分でしょうか? 今日、私たちは使徒イスカリオテのユダの末路を見ながら、考えを少しの間してみましょう。イスカリオテのユダに対して誤った考えをする人があります。
 
 ある人はこう話しました。ペテロはすぐに悔い改めて赦されたのですが、イスカリオテのユダは悔い改めなかったと言います。そのようなことではありません。今日の本文を見ると、イスカリオテのユダは、ものすごく後悔しています。それが重要なのではありません。イスカリオテのユダは、救われていない福音がない人でした。福音がない人の当然の開始であり、当然の末路でした。救われていないイスカリオテのユダは、イエス様が相当な働きをされたので、そこに追いすがったのでした。
 
 あまりにも着実に従って、ここに追いすがっていたのでした。12使徒の中の一人として従って、その中でも財政を預かったのです。イエス様が力を行なわれる時、その弟子として相当でした。ところが、イエス様が十字架にかかられる話を続けてされ、結局、イエス様が十字架にかけられるようになったので、イエス様を裏切ることを選択したのでした。それで、賞金をもらうようにしたのでした。
 
 私が見るには、悪い人というよりは、未信者として当然だと考えます。今日、私たちは未信者の特徴を数種類知っているべきです。
 
 救われていない人は、あらゆる考えと全てのものを自分中心でします。そのようにするしかありません。しかし、救われた私達は、あらゆる考えを神様中心にするようになります。救われていない人は、自分中心で生きざるをえません。しかし、私たちは救われたので、神様中心で生きなければならないのです。
 
 イスカリオテのユダは、はじめから終わりまで自分中心で生きました。信じてイスカリオテのユダのようになることはありません。イスカリオテのユダは、元々救われることができなかったのです。信仰生活を上手にやっていて、イスカリオテのユダのようになることはありません。聖書にも、イエス様を先生だと呼んで、主と呼んだことはありませんでした。今でも、エホバの証人は、イエス様を主と言わずに先生と言っています。また、イスラム教でも預言者だと言います。問題はそこにあるのです。イスカリオテのユダは、イエス様を主と呼んだことがありませんでした。ラビと呼びました。ラビは、先生という意味です。立派な先生について行くようになったのです。
2. 未信者は、運命 6種類から抜け出すことはできません。未信者は、サタンの力から抜け出すことができないのです。それで偶像崇拝、霊的問題、肉体の失敗、地獄の権勢、家系に流れる霊的問題から抜け出すことができません。これが未信者の末路です。
3. 未信者は、どんなに熱心に生きても、無駄骨になるのです。未信者が使う言葉の中では、虚しいという言葉をたくさん使います。釈迦のような人もものすごく虚しいと話しました。本当によく悟ったのですが、未信者の末路です。私と皆様は、無駄骨がありません。Iコリント15:58に、私たちの労苦は、むなしくならないと言われています。
 
 私と皆様は、イスカリオテのユダを見てたくさん考えなければなりません。どんな考えをするべきでしょうか?
1.役員や主のしもべ達は、とても祝福になった職分ですが、恵みを受けねばならないな!
2. 救われていない者は、どんなに努力をしても無駄骨になるのだな!
 
 私達は神様の子供であるゆえに、時間が過ぎれば、神様がどれくらい祝福なさったのかを知るようになるはずです。すると今日、いくつかのことを理解すべきです。4つのことをよく理解すれば良いのです。
 
1. イスカリオテのユダのようにならずに、福音を理解しなければなりません。主のしもべ達は、信徒がよく聞かなくても、福音を十分に理解させなければなりません。万一、福音を理解させることができなければ、ある日、困難に会います。より重要なことは、学生達、青年達が福音を理解できなければ、後ほど外に行ってやられてしまいます。いまは知らずにここに座っていますが、世に行けばその荒々しい波に勝つことができません。そして、この人達が成長して成功をすれば忘れてしまうのです。年を召した人に福音を説明しようとするなら大変です。それで、最初のことが福音の理解です。創世記3章をはじめとする未信者の運命から完全に解決されました。私達は、サタンの権勢から完全に解放されたのです。
 それならば、私達は心配する必要がありません。その問題に陥る必要がないのです。私達は、福音を理解することが最初です。イエスを信じたならば、心配する必要がないのです。皆様が今日、福音を完全に捕まえる祝福の日になるように望みます。皆様がどんなに疑っても、神様は確かに生きておられ、イエスはキリストです。それで、福音を本当に理解すれば、あらゆる問題はみな終わるのです。必ず終わったと言われたので、そうなのです。イエスを信じる人の中で不安な人があまりに多いのです。そのような必要はありません。みな終わったのです。 イエス・キリストによって、あらゆる問題はみな解決したのです。今日、福音を理解するように願います。皆様が持っている、その心配をする必要がないのです。
 
 皆様は私の家族のように思って話をしますが、私がどれくらい攻撃をたくさん受けたか知っているでしょう? 精神を整えることができない程でした。私はその時ごとに、この契約を捕まえたのです。だまされてはなりません。私は確かにキリストを信じます。主は私の神様です! 私は絶対に違ったことにだまされる必要がないのです。心配する必要もありません。それで、勝ち抜いたのです。そうでなければ、病気になります。人々がつまらないという言葉、仕事をどれくらい多くするのでしょうか? それをみな受けるならば、死にます。特に、私のような場合には、文で、言葉で攻撃を受けました。
 その時ごとに神様は恵みをくださいました。皆様、本当に福音を理解する祝福を受けるように願います。すると、自然についてくる 2番目のものがあります。
 
2. この福音は、あまりに良いことであるゆえに、福音のために生きなければならないのです。信徒達は、考える時も福音のために考えるべきで、教役者も同じです。判断も福音のためにしなければなりません。すると、神様はまちがいなく答えてくださるはずです。
 
3.すると、今は一つだけなせば良いのです。熱心に仕事をしながら祈るのです。私たちは、熱心に勉強しながら祈るのです。祈るのに神様の力に、どうして勝つことができるでしょうか?
 
4.すると、自然に残ったひとつがあります。困難を受ける人に福音を伝えねばならない! 昔の私のように困難を受ける人に福音を伝えねばならない!
 
 すなわち、4つのことの理解です。福音の理解、福音のために生きること、祈りを理解すること、伝道を理解することです。すると、まちがいなく答えを下さいます。皆様が行く所ごとに答えを下さいますはずです。それがタラッパンです。
 皆様が行く所ごとに出会いの祝福を下さいますはずです。それがチームの働きです。出会いの祝福がどれくらい重要でしょうか? 私は、とても良い女性が男性に誤って会って、一生涯苦労するのを見ました。また、とてもおかしな女性が、男性によく会って苦労しないことも見ました。どれくらい出会いが重要でしょうか?
 
 私達が、本当にこの祝福を持って生きれば、私達の家系の暗闇の勢力が破られ始めるのです。 いよいよ私達が食べて、生きる理由を知るようにさせてくださり、職業や勉強に祝福なさるはずです。いよいよ私たちの学生達が、何故勉強すべきかを知るようになります。4つのことだけ理解していれば良いのです。
 
 本当に福音を理解したとするならば、心配する必要がないのです。本当に福音のために生きるならば、自分の主張もする必要がありません。すると、私達がこの地を生きる中にどのように生きるべきでしょうか? 神様が祈りの秘密を下さったのではないでしょうか? 特に成功しようとするなら、普段にずっと祈る秘密がなければなりません。ある人は、祈りの秘密がなくて夜に寝ないで祈りをします。もちろん、徹夜祈りをする時もあります。しかし、私たちは祈りの秘密を知らなければなりません。
 
 祈りの祝福として受けた、いろいろな祝福を悟らなければなりません。家庭の主婦や規則的な生活をする人は、明け方祈りをせねばならないのですが、夜遅くまで勉強する学生は、明け方祈りをすべきではありません。夜遅くまで勉強する学生は、普段の祈りを知っていなければなりません。
 
 私が知っている人は、昼には思い切り遊んで、夜に徹夜祈りをするのです。それで職場に行くといつもうとうとしています。失敗するならば、まちがいなくこの人がします。また、いつも病気です。それで、人々がイエスを信じる人は、みなあのようなのか?と言うのです。皆様が事業をする人、重要な出張にでかける人ならば、明け方祈りはできません。それは、するなという言葉ではありません。夜明けに祈る人は別にいます。多くの勧士や、こういう方達が祈りの隊です。勧士が事業をするのでしょうか? 出張に行くのでしょうか? 教会にきて祈らなければなりません。祈りということの理解をよくしなければなりません。
 また私たちはいつも祈る秘密がなければなりません。祈りの人! なにかがある人です。もちろん、徹夜祈りをするなということではありません。皆様が教会の事で徹夜する時には、全信徒がみな集まって祈るはずです。教会が生きれば、明け方祈りがぎっしりとあふれなければなりません。祈りに対して誤解をしてはだめです。
 本当に伝道は何でしょうか? 教会復興の手段ではないのです。私が衝撃を受けたことを話すこともありません。本当に福音が必要とする人に福音を言うことです。すると祝福をなさるようになっています。皆様個人に門がずっと開きます! それがタラッパンです。出逢いの祝福がくるのです(チーム)。また家系の問題が崩れ始めます(ミッションホーム)。職業や勉強に祝福なさるのです(専門の働き)。それとともに地域に福音の門が開きます(地域教会)。
 
 今日本当に祝福を受けるように願います。私たちの中には、イスカリオテのユダはいないけれど、恵みを受けなければならないのです。地獄に行く人はないので、地獄の研究はする必要がありません。しかし、天国の祝福は味わわなければなりません。神様の祝福があふれ出ることをイエスの名前でお祈りします。
 
 


2部:美しい人生
(ローマ 10: 15)
 
 
 多くの人々が学校を卒業して検事になることは、そんなに簡単なことではありません。私が知っている方は、小学校の時から勉強がよくできたのですが、司法高試に合格して検事になったのです。しかし、この方を見れば、生活もすべてがむずかしいのです。昔、検事といえば、良い生活をすることができたのに、月給も少なくて余裕もありません。検事という職業が、法的に頭が痛くなる仕事をたくさん扱うから、健康もよくない状態でした。それで、この方が接待を受けて、酒も飲んだりしたのですが、これが発覚して悪いことをしたのでもなかったのに、検事を止めなければならなくなりました。これを見ながら、私がもし神様の子供でなくて、福音を受けなかったとすれば、あのようになっただろうな.. というように考えました。気苦労が あまりの多かったのです。そして、よりせつないことは、私と親しいから私が福音を伝えたのですが、わかることができないのでした。知っていることはたいそう多くて、本当に恐ろしい程に知っていることが多い方なのに、わかることができませんでした。はなはだしいことには、世界銀行の利率まで知っている方でした。家庭、個人的に模範的な方なのに、小学校の時からずっといままで模範的な人であったのに、わかることができないのです。性格が変に変わって、酒を隠れて飲むくらいになったのに、わかることができませんでした。福音がなく、私の話を理解できなかったのです。しかし、福音を伝えてもわからないのです。
 
・Iコリント12:3 聖霊でなくては、キリストを主と認めることができないというみことばと、エペソ2:8-10 救いが神様の恵みであるということが理解できます。努めて説明したのにも、わかることができないことを見ました。それを見ながら、本当に感謝だなという気がしたのです。私も救われなかったなら、あのようになっただろうに.. それで、伝道すべきだという考えをしながら、世界を見て回りながら、ヨーロッパ、米国の教会を見ながら、牧師を見ながら、復興も伝道も祈りの答えもないことを見ました。貧しくて、家庭も問題が多くて、病気もあって.. 悪い条件はみな揃っていましたよ.. 福音を持って伝道運動をすれば良いのに.. できなかったのです。
 
・詳細にながめて驚きました。統計的にとても成功した家、頭が良い家に自閉症の子供がたくさん出て来ているのです。成功して、頭が良い家庭なのに、とても立派な家庭なのに、そのような子供達が多くて、隠された悩みがあまりに多いのです。私はそれを見て、福音を受けたということが、とても感謝なのだということを知りました。以前に教会に通いながら、礼拝だけささげている時は知らなかった事実です。私が世界を回りながら、人々に会いながら、福音を理解するということは、普通の祝福ではないということを知るようになったのです。
 
柳)) 私が外国の財閥の家に行ってみました。ぱっと見れば、入っていく出入り口が自動で開いて、警備員がいてヘリコプターの着陸地もあって、プールもありました。家をいくつも建てて住んでいるのに、一つの建物を偶像のために作っていたのです。ところが、この方自身の家系を詳細に話しながら見たら、代々でみな滅びていました。この家系の人々が、お金のことでいつも戦っていたのです。兄弟、家族達が集まって、話合いをしながら、お金のことで戦うのでした。財閥の息子なのに、教会に献金を正しくすることができない程でした。この人がイエスを信じるようになりました。そうして見たら、自分の兄弟、姉、家族がみな滅びるのを見たのです。この人がせつなくて、福音を伝えようとするのを見ました。福音を理解するということは、驚くべき事実です。
 
・聖書の本文を見ましょう。13節 - '主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる..' 知らずにいる人々が、イエスを知ってその名前を呼べば、救われるということです。とても簡単ではないでしょうか.. 司法高試を合格した人が、お金をたくさん儲ける天才的な人々が、この話を分かることができないのです。あらゆる偶像崇拝をしながらも、分からないのです。14節- 'しかし、信じたことのない方を、どうして呼び求めることができるでしょう。聞いたことのない方を、どうして信じることができるでしょう。宣べ伝える人がなくて、どうして聞くことができるでしょう。遣わされなくては、どうして宣べ伝えることができるでしょう。次のように書かれているとおりです。「良いことの知らせを伝える人々の足は、なんとりっぱでしょう。」'
 
・序論で話したことを思い出す時.. 「良いことの知らせを伝える人々の足は、なんとりっぱでしょう。」...私はこの話が実感できます。とても美しい歩み、あまりにも美しい人生だということを感じます。これが感じられなかったとするなら、信仰生活を誤ってしているということです。救われたということは、とても感謝することです。本当に美しい者の足であることが分かります。
 
・本文を逆に見てみましょう。15節 - '遣わされなくては、どうして宣べ伝えることができるでしょう。' 行く人もなく、送られた人もないのに、どのように分かるでしょうか.. 14節 - '宣べ伝える人がなくて、どうして聞くことができるでしょう。' 宣べ伝える者がいてこそ、聞くことができるのではないでしょうか.. 聞いたことのない方を、どうして信じることができるでしょう。.. 信じたことのない方を、どうして呼び求めることができるでしょう。..と書かれています。検事になるまで、勉強を多くしながらも、一度も聞くことがなかったのです。未信者の人格が作られて、滅んでいるのに、わかることができないのです。
 
▲3種類を-
(1)何故、美しい人生になるのでしょうか.. 私達が、福音を知って伝えることが、何故美しい人生でしょうか.. 理由があります。
 1)ひとつは霊的な理由です。福音を知るようになれば、未信者が知らない霊的問題がみな崩れます。だから美しい程度ではないのです。地球上で困難を受ける多くの人々がいるのですが、福音でなくては解答がありません。良い生活をするどころではありません。ものすごく難しく生きています。理由を知らないのです。偶像を作ったが知らないでいるのです。それで、美しい者の足というのです。それで祝福されるということです。神様の恵みで、霊的な暗闇から完全に抜け出したのです。
 
・未信者は、どんなに勉強しても、申し訳ないけれど、サタンの力から抜け出すことができません。ヨハネ8:44節にイエス様が直接診断なさって、あなたがたの父と言われました。ある方は、インターネットでサタンの話をするのかとたずねたのですが、聖書に出てきているみことばです。イエス・キリストを信じる信仰で、神様の子供とされることによって解決されるのです。未信者は、実際に引越する日にも、船に乗って行く日にも、神経を使うべきのです。未信者の人生が、そのまま生きているかのように見えるのですが、運命の中に生きていて、失敗して、地獄の権勢の下で滅びて行っているのです。
 
2)より重要なことは、来世と子孫です。それで、聖書に美しい知らせを伝える足といったのです。
 
柳)) 重要な方に会ったのですが、食事をしていたが、教会奉仕を多くする方法.. 報いに対して聞いたのですよ.. 教会の仕事は多くしても滅びる人がいて、しなくても滅びない人がいます。本当に福音を知って、福音のために仕事をすれば仕事を多くしなくても滅びませんが、反対に福音を知らなくて反対になる仕事を熱心にすれば滅びるのです。この方が詳細に聞きましたよ。
 
・簡単に話せば、世の中の人々が知らない、サタンと暗闇の権勢から解放されて、運命から子孫に霊的な問題がくるのですが、これが解決されたのです。家系の暗闇が崩れたのです。学生達、青年達は祈りましょう。皆様の家系に流れる霊的な問題と、父母に流れる霊的な問題が、崩れることを願います。これゆえに信仰生活をする皆様が、美しい程度ではありません。
 
柳)) 私は何年か前に、長老と執事達に、教会が小さな地下にあった時に、こういう話を申し上げました。一つだけ記憶なさることを願います。本当に福音を伝える人に間違いないでしょうか.. 私が仮りに伝道する人でないなら、その方達の苦労がむなしい苦労になるはずです。仮りに私が足りなくても、福音を伝える者に間違いないならば、皆様を祝福なさるはずだと言いました。そのようなのに、何年か過ぎながら、祝福程度ではなく、目に見えないように影響を与えています。レムナント達が起きるみわざが起きているのです。本物の福音ならば、皆様が礼拝堂に行き来するそのこと自体に意味があるのです。
 
(2)どのように美しい人生を生きていくのでしょうか..
 1)正しく福音を理解すれば、謙遜と感謝が出てこざるをえません。皆様が上手にやったからできたと考えるのでしょうか.. 私が上手にやった、教役者達が上手にやったので復興したと考えるのでしょうか.. 私達が上手にやって世界を福音化できると考えるのでしょうか.. 絶対に そうではありません。神様が、私たちに福音を下さって、考えるほど感謝することです。簡単に話せば、福音を正しく理解したということは、結果が2つです。ガラテヤ2:20 私中心ではありません。それで、キリスト中心に生きて、感謝が出てくるのです。すると、素晴しい人生になります。未信者が皆様を見て格好が良いと言うはずです。今日からこの祝福を受けることを願います。
 
・私達には、運命と呪いとサタンが終わったのです。今、死んでも終わったのです。あらゆる問題が解決したのです。キリストの中で生きるようになったのです。それならば、感謝が出てくるはずです。本当に感謝ができれば良いのです。精神病院に伝道しようと行ってみたでしょうか... 感謝が出てくるはずです。伝道現場で困難を受ける現場を実際に見れば、感謝するようになります。自慢する必要はありません。神様が私たちに恵みをくださったのです。どれくらい感謝なことでしょうか..
 
2)皆様と私がすることがあります。どんなことがあっても、味わう祈りの理解です。心配をしながら徹夜祈りをしたり、疑問が多い人が明け方祈りにくるということはむなしいことです。祈りは、皆様が寝ながら、話しながら、職場に行って、問題がきて、答えを受けることです。問題が起きれば神様の計画を早く発見して、感謝が出てくるようになります。素晴しい生活を送りましょう。祈りの理解.. 行く所ごとに答えの門が開かれるようになるはずです。良い知らせを伝える足よ.. 良い知らせは、英語ではgood newsです。滅びて死んでいく人々に伝える良い知らせです。どれくらい良い知らせでしょうか.. 祈りを理解しましょう。
 
3)伝道理解
・伝道紙を持って通うことではありません。伝道を理解しなければなりません。私が知っている方は、真っ赤な服を着て、イエス天国、不信は地獄という札を持って歩いて回ったのに、家庭は破産しました。伝道を理解できなかったのです。福音を理解できないのです。本当にできなかったのです。その事が悪いということではありません。救われた人であると思います。悪いことでもありません。問題は、この方が福音と伝道が理解できなかったことです。
 
柳)) メッセージを聞く中でも祈りを理解するように願います。先週の土曜日には、あまりにメッセージが多かったのです。とても疲れて、目が真っ赤になりました。あまりに話を多くして.. こういうことでは、死ぬと考えました。といえども、祈りをするのです。神様が万一、私に祈りの秘密をくださっていなかったなら、どのようにこの働きができるでしょうか.. 世の中を生きていくことができるでしょうか。
 
・祈りゆえに、素晴しい人生になるのです。祈りが理解できれば、世の中に勝つことができます。世の中を理解できたということです。
 
(3)この福音の事実を持っていれば、いくつかの答えが与えられます。
1)既に持っているならば、行く所ごとに重要な門が開きます。これが使徒27章です。私は答えを作りだすことではなく探します。タラッパンです。
 
・伝道、祈り、福音の秘密を味わっていれば、事業現場に、職場に門が開きます。産業をする方達にこういう驚くべき五つの門が開かれるように願います。私はこれを説明するために、訓練を作って、タラッパンを作ったのです。
 
2)私たちの力通りでは生きることができないために、祈りを理解して、この後にくる答えがチームの働き、アンテオケ教会の答えです。ここで起きる祝福が、弟子と会う祝福です。
 
・私たちの青少年、青年達が行く所ごとに、出逢いの祝福があることを希望します。女学生達が、信仰生活するなかで出逢いの祝福を知っていなければなりません。祈りが必要です。女学生達が、福音を持って育っていて、おかしな男に会えば問題がくるのです。
 
3)福音を理解して、伝道を理解して、祈りを理解すれば、両親が苦労してきた家庭、家系の問題が崩れます。これを説明するためにつけた単語がミッションホームです。初代教会に家の話がたくさん出てきます。
 
 4)成功するための職業、お金を儲けるための事業ではなく、漠然な勉強ではなく、本物の学業が.. これを私は専門の働きと言いました。
 
  5)要所要所に弟子達が集まってみことば運動をすることが地域教会です。釜山地域に700教会の答えがおきるようになるはずです。
 
・皆様が、残っている生涯に格好良くて美しい人生になるように願います。この祝福を誰一人もれることなく受けて、味わうようになることをイエスの御名でお祈りします。
 
(祈り)
 感謝, 賛美をささげます。私達が価値ないこと、違うことを捕まえず、たとえ弱くても、神様の契約を捕まえる、本当に福音を理解して、祈りを理解する、また人を生かす伝道を理解する真のみことばを与えて下さい。感謝を神様にささげて、このみことばが成就されることを現場で六日間味わうようにしてください。
 私たちの主イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン
 
 


3部:ヨハネのバプテスマと聖霊のバプテスマ
(使徒18:24-28)
 
 
 
・今、教会問題は他のことではなくて、主のしもべ達が困難を受けることは、プリスカ夫婦のような一般信者を作り出すことができないためです。反対に、主の民の問題は、パウロのように福音を持ったしもべに会っていないことです。この二つが問題です。私たちは、今日みことばを見ながら、プリスカ夫婦に対する話をまたしてみなければなりません。
 
・今日の題目は 'ヨハネのバプテスマと聖霊のバプテスマ'です。難しく考えないで、答から早く得なければなりません。ヨハネのバプテスマを受けたということは、イエスを信じて救われた人にヨハネがバプテスマを与えました。バプテスマを受けたゆえに救われたのではなくて、イエスを信じるためにバプテスマを受けるのです。原則通りすればそうです。イエスを信じる人が、信仰の告白でバプテスマを受けるのです。皆様が受けたバプテスマもヨハネのバプテスマです。救われた人には、全く難しく考える必要がないことが、皆様の中に聖霊がいらっしゃることです。そこで、あらゆる答を探さなければなりません。神様がお望みの重要なことをしたり、恵みを受ければ、聖霊のバプテスマが臨むのです。そのように考えれば簡単です。その時は、力が生じて、力を受けるはずだと言われ、多くの門が開かれます。今日、静かな中で皆様がこういう答を得なければなりません。
 
・私たちも、プリスカとアクラ夫婦のように生きるべきです。あらゆる牧師達が、パウロのように、そのような祝福を受けなければならないのです。この部分を確認しなければなりません。一般信者がプリスカとアクラが受けた祝福を受けることは、私たちの目標ではなくて、当然なのです。主のしもべ達が、パウロのようになるべきだということではなく、当然、パウロが福音を伝えたように伝えるべきなのです。ある面では、パウロの時代より、もっと良い時代です。 より上手にやることができます。私はそのように思っています。プリスカとアクラが受けた祝福でも、仕事をする皆様がより上手にやるだろうと考えられます。
 
・もし皆様の中で '私は救われたようではない'という気がする方達は、別に考えるべきです。'私は神様の子供であることが間違いない'という気がすれば、プリスカとアクラ夫婦がしたそのままなせば良いのです。すると、まちがいなく勝利するようになっています。最も難しいのは何でしょうか。救われたということ、信仰生活すること、主の働きをするということ、これは最も貴重なのですが、知らなければ難しくなります。
 
・私が幼い時、江華島領とチョルチョン王という映画がありました。その時は、面白く見たのですが、今考えると一理がある内容です。王宮に王の後継ぎが切れてので、探した中に江華島にいた青年を一人捜し出したのです。王の家系に最も近い人でした。それで立てた王がチョルチョン王です。この青年は、山で木と、簡単な弁当を食べていた人でした。この人が、王にんったので起きることです。王服を着たのですが、これがどれくらい貴重なのか知らないのです。 不便で仕方がないのです。歩みもちょこちょこ歩いてはだめで、王のように歩くべきなのに、普通の難しさではありません。飛び回った習慣があるからです。王が王宮に入ってみたら、あまりに良かったのです。すると王らしくしなければならないのに、口がいつも開いているので、威厳がないように見えたりしました。弁当のようなものを食べていたのに、豪華なごちそうを見たので、やたら食べて腹痛が起きたりもしました。今静かに考えてみると '王の座ということは、悟ることができなければ、あのようになるのではないか'と思います。
 
・私が中学生だった時です。私より三才上のお姉さんが一名いました。その人が、良い家に連れて行ってくれて、最高に良い劇場(映画館)に私を連れて行ってくれたりもしたのです。その時見た映画が 'ローマの休日'でした。その映画の内容は、王女が家を出ることでした。王宮にいた王女の座がどれくらい貴重か知らずに出て苦労する内容です。救われた神様の民が、これを知らなければ、どれくらい難しいでしょうか。最も良いことをもらった神様の民なのに。全世界には、神様のしもべ達がたくさんいます。福音の価値と祝福を本当に知っていれば、主のしもべ達ぐらい美しい人生はありません。信徒達、役員が恵みを受ければ、どれくらい大きい祝福でしょうか。しかし受けることができなければ難しいのです。
 
・どのようにすれば、プリスカ夫婦のように、神様の貴重な祝福を受けているかを最初に考えてみるべきです。使徒2:9-11 聖霊充満を受けたその現場に、初代教会が開始して、福音の説明を正しく聞いて始まった初代教会に、そこにプリスカ夫婦の中のひとりが参加したことは、確かです。この人達は、パウロに福音を受けたのではありません。パウロに会った時、まさに使命者でした。プリスカ夫婦が、マルコのタラッパンで始まった五旬節の日に、使徒2:10 そこで、福音を正しく受けたのです。それで、今日の本文の中で、アポロを見て質問した内容が、そのような内容です。聖霊のバプテスマを受けたのかとたずねたのです。ですから、アポロがいう話がヨハネのバプテスマしか受けることができなかったと言うから、聖霊のバプテスマを受けなさいと言った内容です。その内容の基準は、マルコのタラッパンで恵みを受けたことを持って話すことです。
 
・私が見るには、まちがいなくプリスカ夫婦が、マルコのタラッパンに参加して恵みを受けた人か、そうでなければ、そこで参加した人から恵みを受けたり、二人の中のひとつは確かです。私が見るのには、参加したことがより近く感じられます。そうでなくて、このように細密に説明を上手にやることができないし、信仰生活をこのように上手にやることはできません。マルコのタラッパンで福音を受けてローマへ行ったのですが、またきたのです。信仰生活の開始をとても上手にやったのです。
 
・プリスカ夫婦が、突然にクラウディオ皇帝の時、ユダヤ人を見て出て行けと追放令を下されました。この時、この人達がローマから出てきたのですが、会った場がまさにコリントです。そこでパウロという人物に会いました。どれくらい祝福された出逢いでしょうか。私たちも信仰生活をそのようにして行けば良いのです。聖書に見れば、どれくらい働きを上手にやったのでしょうか。アポロという人は教役者、簡単に話せば副牧師です。アポロという人にメッセージをしました。また、アポロは全く拒否反応なく受けたのです。プリスカの信仰生活が思い浮かびます。この人達が正しく信仰生活を上手にやる人だったのです。アポロという人が全く拒否反応がなかったし、むしろ牧師が平信徒に学んだのです。聖書に一般信者が牧師に教えた場合は、ここしかありません。
 
 プリスカという女性が、アポロという副牧師にメッセージを与えたのです。恵みを受けて、なんの問題もなかったのです。
 
・ローマ16:3-5 プリスカ夫婦は、パウロと主のしもべのためにいのちをかけたとなっています。たぶん、私が推測するのには、生命をかけたということは、死ぬ生きるという問題ではないでしょうか。重大な危機に会った時ごとに、この方達がよく耐えられたのだと思います。どれくらい信仰生活を上手にやったのでしょうか。皆様が信仰生活をなさるなかで最も大きい祝福は何でしょうか?主のしもべが、プリスカ夫婦のような人を作り出すことで、またそのような人に会うことです。皆様が、プリスカ夫婦のようになれば、信仰生活に成功するのです。今日、その祝福が皆様に本当にあるように望みます。
 
・すると、どのようにこの祝福を受けることができるでしょうか。私は信仰生活をしていて、こういう部分に悩みが多かったのです。どのようなことが信仰生活を上手にやることなのか、本当に難しかったのです。大部分の人々が、そのようなことです。以前は、貧しい人々もたくさん見ました。偶像崇拝をして、家庭も崩れて、男性が異常で、子供達が学校も行かないことをたくさん見ました。彼らに福音を伝えるべきだなという考えをしました。年を取りながら身分の高い人々に会ってみると、表に出さない途方もない問題があるということを知りました。 それで彼らに福音を伝えろということだなと考えました。それとともに、ひとつずつ見え始めたのです。どれくらい多くのクリスチャンが、この祝福を受けることができなくて、困難にあうのでしょうか。あまりにも簡単なのにです。神様が私たちに与えられた祝福の中で、プリスカが受けた祝福、全国、世界の教会にいる皆様がパウロが受けた祝福を全部回復しなければなりません。
 
・いくつかのことだけ理解すればよいのです。最初、マルコのタラッパンでどのように開始したのでしょうか。この恵みを受ければよいのです。マルコのタラッパンにあった恵みが、どんな恵みでしょうか。マルコのタラッパンで、おもにあったメッセージは3つです。私達が旧約時代に待って待ったその方、私たちの力では私たちの問題をどんなに解決しようとしても解決 することができないのに、神様が解決することを約束なさいました。その主人公がいらっしゃって、その方がまさにイエス・キリストです。それがマルコのタラッパンの開始でした。その契約を持っている人にイエス様が直接約束なさったのが、聖霊充満を受けることを約束なさったのです。簡単です。本当に神様のみことばを受けるように望みます。 'マルコのタラッパンに臨まれた聖霊の充満を私に与えて下さい'。するとみな解決します。それが初代教会の開始でした。この説明をアポロにしたのです。誰でもできます。
 
・この秘密を悟った後に、信仰生活がやさしいということを知りました。救われた者に神様が特別に与えられた祝福があります。祈る時ごとにイエス様が 40日間説明なさった天の御座の祝福がおきるのです。今日、釜山で今、合宿を受けています。合宿訓練は何故しているのかというと、マルコのタラッパンを理解するためです。その恵みを確かに受け取らなければなりません。瑞草地域教会と全国の多くの信徒が、本当にこの契約を捕まえて、答えを受けるべきです。どのようにすれば、マルコのタラッパンを理解できるかとして作ったことが合宿訓練です。皆様の考えがどれくらい重要か分かりません。
 
・ある人は、合宿訓練にきて試みを受けて行きました。何故でしょうか?席が複雑で、席戦いをして、試みを受けたと言いました。私のようならば恵みを受けますが、本当におかしなことです。世界教会がからからに空いているので、礼拝をささげる所は後席から座るのに、前の席から座るならばどれくらい驚くべきことでしょうか。私はそれを見たなら恵みを受けるので、試みを受けることではありません。瑞草地域教会にきて礼拝をする方の中で不便なものが多いでしょう。私が見るのには、神様が思いきり礼拝して、思いきり祈って、思いきり対話して、世界を見通して、福音を伝えることができる根拠地を下さるはずだと確信しています。神様が準備されます。私達がその道によくついて行けばよいのです。この中に入った皆様に神様は祝福なさるはずです。
 
・プリスカ夫婦は、初代教会の当時にいない人のように見えたのですが、マルコのタラッパンが始まるその恵みを受けたのです。だから、私たちもその契約をそのまま受ければよいのです。いったいプリスカ夫婦は、どのように信仰生活を成功したのでしょうか。使徒18:1-4 危機がきてもかまわないのです。それは機会です。もし問題があるならば、機会にするように望みます。皆様に重要な困難がきたとすれば、それは神様の恵みを受ける機会です。この人達が困難にあって、コリントに追い出されたのですが、それがまさに機会でした。そこで始まった運動がミッションホームです。Iコリント16:19 プリスカの家という言葉が出てきます。神様が与えられた答えの祝福が皆様の家庭に、家系に臨むように願います。そのまま契約を捕まえて祈ればよいのです。
・それで終わったのではありません。プリスカ夫婦は、どのようにしたのでしょうか。ローマに向かって、パウロとともに世界の福音化をしたのでした。聖書の記録に見れば、プリスカ夫婦の墓がローマにあるということです。それとみるとローマに行って死んだという話に間違いありません。記録者の記録を研究してみれば、プリスカ夫婦はそのまま死んだのではなくて、殉教したということです。信仰生活を正しくしていて、行ったのです。パウロも殉教をしました。ローマまで征服してしまったのです。一つも難しいことではありません。神様が共にする祝福が本当にあるようになることを希望します。
 
・信仰生活をするなかで、恵みを受けることができなければむずかしいのです。私が信仰生活をするなかで恵みを受けることができなくて、とても難しかったのです。神様の恵みを少しだけ悟っても、あらゆる問題が解決します。牧師達、教役者、役員は必ず記憶しなければなりません。これから私たちの教会と皆様に神様がどれくらい祝福なさるはずでしょうか。つめぐらいも心配する必要はありません。そのような心配は、未信者である場合です。私達が役員で、教役者で、牧師で、神様の民で、どのように神様の恵みを受けることができるか。それが重要です。それだけできれば、みな解決します。今日、皆様に神様の子供に臨む祝福があることを主の御名でお祈りします。
 
・若い時、教会に行ってどれくらい試みを受けて、信仰生活ができなかったか。私は絵をよく描けないのに、よく描けることがひとつあります。私は人の顔は、漫画家ぐらい描けます。教会に行って座れば、ボールペンを取り出して週報に牧師の顔を描いたからです。毎週描くから、実力になったのです。私はそのような人でした。だから滅びるしかないでしょう。恵みを受けることができなかったのです。皆様がどのようなことをするかは問題ではありません。今日、考えを完全に変えなければなりません。皆様が生きる道は、誰が治めておられるのでしょうか。神様が治めておられます。仮りに皆様が役員ならば、神様の恵みを一番たくさん受けなければなりません。主のしもべの奥様や家族ならば、神様の恵みを最もたくさん受けなければなりません。牧師は、神様の恵みを一番たくさん受けなければなりません。皆様は間違いない神様の子供であるゆえに、未来を心配する必要はないのです。
 
・私は、シン・ヒョンキュン牧師に会って感謝すると挨拶をしました。シン牧師の教会に私を復興会講師で招請してもらった時、感謝するとお話ししました。私が初めて説教を聞いて、おもしろいと考えたためです。道を行く時、友人が一度行ってみようと言った話しで入っていくようになったのです。座った時に、シン牧師を初めて見ました。礼拝をささげていて、時計を見たのに、はじめて時間が早く過ぎるということを感じました。笑わせるのに、説教に骨があったのです。友人を見て、明日も参加しようと言いました。心が開き始めたのです。それが分かってみると、私の人生をひっくり返した瞬間でした。恵みを受けるということは、どれくらい重要か分かりません。先日講師として招請された時、むかしの話をして感謝すると伝えました。
 
・信仰生活をするなかで最も重要な部分、恵みを受け始めれば、その時から目が開き始めます。創世記3章以前に暗闇の権勢がこの地に存在したという事実です。アダムとエバを破って、人間を完全に滅ぼしたのです。目に見えないように暗闇の中に捕えられたのです。それで、創世記3:15がなんの話かと知るようになりました。創世記6 章、ネフィリム時代に会って家庭が死ぬようになりました。創世記11 章、バベルの塔を立てたのですが、それが国家の問題になったのです。創世記12章、カルデア、バビロンがものすごく復興したように見えるけれど、偶像に陥って死ぬようになったのです。それがこんにちとそっくりです。それで神様がアブラハム, イサク, ヤコブ, ヨセフを呼ばれたのです。それが聖書です。簡単な話ではないでしょうか。人間はしばしばこれを忘れてしまいます。問題は、恵みを受けることができないことです。他のなんの心配をする必要がありません。恵みを受ければよいのです。ひょっとして、皆様が神様の子供ではないように見えれば、受けなくても良いです。神様の子供であることが間違いないならば、恵みを受けなければなりません。
 
・恵みを受けられないから、ある日奴隷になっているのです。これが話になるでしょうか。世界を征服して、神様に栄光を返さなければならないイスラエルの民が、身動きすらできない奴隷になりました。今とそっくりです。このような時、神様が恵みを受けた人を選び出して、イスラエル民族を呼び出されたのです。それが出エジプト記です。そこに重要な箇所が出エジプト3:18です。犠牲の羊、犠牲いけにえをささげなさいと言われました。その話しがまさに十字架です。皆様は今から心配することが、何にもありません。日ごとに私がこの恵みを受けているか、受けていないかを確認しなければなりません。仮りに皆様が聖日に恵みを受けることができなければ、その部分に即、心を整えて祈らなければなりません。それではなく、全てのものを心配するなと言われました。皆様の職場も、事業も、何も心配してはなりません。神様はあらゆる伝道の門を確かに開いてくださるのです。すると、人の仕事を何もするなという話でしょうか? 神様はするようにされるのです。皆様に真の勝利があることをお祈りします。この中で政治をする方、高級公務員がいらっしゃるでしょうか。恵みを受けなければなりません。そうしてこそ、世の人に勝つことができます。世の中の方法ではできません。どれくらい簡単でしょうか。プリスカ夫婦のような人。パウロのような主のしもべ。 みななるように主の御名によって祝福します。
 
・イスラエル民族に荒野を行く間、40年間、苦難を与えたことのように見えます。神様の恵みを正しく受けるように、根をおろすようにさせられたのです。それがレビ記, 民数記, 申命記です。レビ記には 5種類の礼拝することが出てきます。民数記は神様が一名も捨てられず、ご自分の民をみな導かれることが書かれていて、申命記はカナンに入っていけば、偶像とともに戦うことをおっしゃられます。カナンに入っていけば、悪霊に仕える人があまりに多いから、彼らと戦うべきなのです。世の中には目に見えないように偶像崇拜者がぎっしりいます。彼らと戦って勝つ秘密を教えています。その次に与えられた命令が、契約の箱について行きなさいです。契約の箱について行けば、イスラエルを征服するようになるはずです。それがヨシュア、士師記、ルツ記です。皆様の事業も契約の箱について行きましょう。恵みを受けて、恵みに従って行きなさいということです。絶対にだまされてはなりません。
 
・皆様ができないように見えるけれど、ならないことではありません。ここにいらっしゃる皆様は、神様の民であることが明らかで、神様の祝福の受ける人であることが明らかなために、神様の恵みを受けるように望みます。東三第一教会と蔚山路、タラッパンの役員は神様の祝福をみな受けなければならないのです。簡単です。絶対に恵みを受けることをのがさないようにしましょう。恵みを受ければ、ある日変化があるのです。事業も変わっているます。それが証しです。恵みをずっと受けているのに、ある日、教会も復興するようになっています。間違いありません。これからは瑞草地域教会は、名前も変えて、可能ならばみことば運動をする教会を助けるはずです。重要な理由があります。ある日、神様が皆様に驚くべき門をあけてくださるのです。私たちの教会は、何の心配しなくても良いのです。恵みだけ受けましょう。今は恵みの時、今は救いの日です。
 
・イスラエルがいよいよカナンに到着して、国を再建しました。そこに初めて立てられた王がサウルです。2番目の王がダビデです。三番目の王がその息子ソロモンです。この人達から国が始まりました。この時、神様がイスラエルに大きい祝福 3つを与ええらました。祭司長、預言者、王の順序で立てられたのです。そのようなある日、イスラエルが捕虜になりました。滅びたのです。23代のユダのゼデキヤ王の時、イスラエルが崩れて、エルサレム神殿が燃えました。全国民が見ている前で、ゼデキヤ王の目をえぐり出しました。手足に青銅のかせで縛って、首にひもを付けて、獣の首にかけて引っ張っていったのです。その道が数千里にもなりました。 なぜこのようになったのでしょうか。この時、聖書は王, 預言者, 祭司長ではできないと語っているのです。恵みをのがしたイスラエルにもう一度恵みを悟るようにさせられました。メシアを送ると、また悟るようにされました。
 
 それで重要な聖書箇所がイザヤ7:14です。見よ。処女がみごもって男の子を産む。その名をインマヌエルと名づける。
 
・私たちは福音の恵みをしばしばのがしてしまいます。それで滅びるのです。それだけ回復できれば、何も心配しなくても良いのです。これが新約になって成就しました。人々がわたしを誰だと言いますか。その時、ペテロが答えました。主は生ける神の御子キリストです。この言葉を理解できない方がいますか。皆様の家系に静かに起きる問題の解決者。その時、主が 'バルヨナ・シモン。あなたは幸いです。このことをあなたに明らかに示したのは人間ではなく、天にいますわたしの父です。この岩の上にわたしの教会を立てます。ハデスの門もあなたに勝つことはできません。わたしはあなたに天国の鍵を与えます' あまりにもすごいことなのです。そこに対する証拠が使徒の働き全体に現れています。この恵みをプリスカ夫婦が悟ったのでした。滅びることができません。
 
・しかし、私達が信仰生活をして行くのに、この恵みを受けても難しい部分がどれくらい多いでしょうか。それで聖霊の充満を受けなさいと言われました。定刻の祈りの時間に少しだけ時間を作って '聖霊充満’を祈ってみましょう。マルコのタラッパンに臨まれた、ローマを征服した主の聖霊が働いてくださいと祈ってみましょう。皆様がたぶん数ヶ月だけ祈れば、事業に証拠がくるはずです。私は体験しました。数ヶ月だけ祈れば、牧師のメッセージで息をふきかえすはずです。どんなに無知なメッセージでも、人が息をふきかえします。どんなに準備しても、聖霊の働きを知らなければ、人が息をふきかえしません。私は確信します。瑞草地域教会とメッセージを受ける教会は、どんどん息をふきかえすはずです。東三第一教会も席がありません。重要な牧師と釜山に7百ケ所みことば運動を開くはずです。瑞草地域教会は 2千箇所に向かって首都圏にみことば運動を開くはずです。ソウル、釜山に重要なことがおきるはずです。 私はここにいのちをかけています。世界の福音化は必ずしなければなりません。暗闇の中にいる民族と世界を生かすべきなのです。
 
 イエス・キリストの名前で。イエス・キリストの契約を受けた人は、プリスカ夫婦のようにみな生きるようになります。
 
・何故、皆様が聖霊充満の祝福を受けなければならないのでしょうか。 地の果てまでわたしの 証人になります、と言われたので、いつも話す 5つの祈りの課題を心に込めましょう。レムナントを生かすために。正しい福音を持って。私たちは産業現場を生かすべきです。エリートに福音がないためです。みな死んでいっています。生かさなければなりません。全世界に隠された問題に簡単な答でいやさなければなりません。そうすれば良いのです。全世界は偶像の文化に陥っているために、彼らを生かすために神様が約束なさったのは、聖霊充満を受けなさいということでした。 'しかし、聖霊があなたがたに臨まれる時、あなたがたは力を受けます。エルサレム、ユダ、サマリヤと地の果てまで証人になります。’
 
・整理します。聖書の創世記からヨハネの黙示録までの主題が何でしょうか。キリストという話をわかりなさいということです。心配することもありません。疑う必要も、おかしなことをいする必要も、頭を回す必要もありません。キリストという単語を知っていればよいのです。その次に、聖霊充満のために祈ればよいのです(使徒1:8)。祈る時ごとに聖霊充満が臨めば、神様は天の軍隊を送られます(使徒1:3-4)。この三つのことが主題です。信仰生活がおもしろくないでしょうか。まさにその問題を解決できなければなりません。これが誰がすることでしょか。不信仰の勢力がすることです。この不信仰の勢力を破ってくださったのが、イエス・キリストです。
 
・私が知っている一人の方は、信仰生活を変にして、祈りもしなくて、ある日見えなくなったら、良いところから嫁をもらったのでした。夫人を医者で迎えました。問題は、この人に信仰がなかったことです。すこしあとで見たら、学校に来なくなりました。そのようなある日、重要なことが起きました。アパートの10階から落ちたのです。他の人のうわさで聞いたのですが、アンテナを付けようとして落ちたということでした。ところが、この人が霊安室に入っている時に息をふきかえしたのです。その人の話では、イエス様が白い服を着て現れて、自分を連れて来られたから息をふきかえしたということでした。それで神学校にまた入学して、難しく牧師になりました。人は恵みを前もって受けなければなりません。紙一枚の差です。神様の恵みをいつ受けるかが重要です。前もって受けなければなりません。皆様が問題を迎えた時も、恵み受けなければならないけれど、問題を迎える前にです。バスに当たって恵みを受けることができます。しかし、その前に恵みを受けることがより重要です。こういう祝福を私たちの教会のあらゆる信徒が受けることをイエスの御名でお祈りします。
 
(祈り)
 神様。プリスカ夫婦のように、パウロのように、神様の祝福を味わう証人になるようにしてください。キリストという単語をのがさないようにしてくださって、聖霊充満という祝福をのがさないようにしてくださって、今この時間も天の門をあけて、主が天の軍隊を主のしもべの家庭と事業体と職場に送ってください。明日行ってみると答えを確認する恵みを増し加えてくださって、残った生涯は答えを確認する勝利するしもべになるようにしてください。それでプリスカ夫婦のように、ローマまで征服する恵みを増し加えてくださることを信じます。特に役員に祝福なさって、恵みをあふれるように受けるようにしながら、神様が与えられる上からおりる霊的な恵みを受けるようにして、世界の福音化を必ずすることができる神様の証拠をくださることを確信します。今日、この席に参加した方達、神様の力ある御手で祝福してくださって、主が十字架で勝利なさった御手で按手してくださり、主が復活なさった力の御手で祝福してくださり、目に見えない聖霊の御手で完全に導いてください。それで暗闇の勢力が完全に逃げるみわざが起きるようにしてください。
 私たちの主イエス・キリストの御名でお祈りします。 アーメン