2001年 12月 23日 東三第一教会 聖日メッセージ


1部:ちょう弄されるキリスト
(マタイ27:27-31)
 
 
∈監獄は、罪を犯した人達が行く所です。しかし、歴史で見るとそうではなくて、監獄には正しい人が行くこともありました。もちろん、一般的に罪を犯した人達が行く所ですが、正しい人達が行く場合もたびたびあるのです。今日まさにイエス様が、そのような場合です。
 
∈今日、ここで結論から出して入っていくべきしょう。信仰生活と生きて行く間に最も重要なキリストがだれかを知らないことが大きな問題なのです。大韓民国には、教会がたくさんあります。人々もたくさん集まっています。それが重要なのではなく、キリストがだれか? ここに対する明らかな答が出なければなりません。それが聖書の結論です。
 
∈今日、パリサイ人と法廷の多くの裁判官、こういう人々がイエス・キリストを知らないのです。教会に通っている私たちにとっても、最も深刻な部分がまさにこの部分です。キリストがいったいだれか? ここに対する解釈にしたがって信仰生活ができる、できないになります。これが聖書 66巻の主題です。
 
 聖書には、このように生きなさい、あのように生きなさいということがたくさんあります。それは付録であって、聖書のおもな核ではありません。‘このようにすれば成功するはずだ。あのようにすれば失敗するはずだ' こういうことが聖書にたくさんあります。聖書には、ほとんどあらゆる答がみなあります。しかし、聖書の目的はそれではありません。聖書の主な目的は "キリストがだれか"ということです。たぶん皆様がこの部分が良くならなければ、信仰生活が良くならなくて失敗するはずです。
 
∈率直に私が3つの経験をしました。何をしてもよくならない時期がありました。成功する事がなかったのです。ですから、信仰生活が正しくできるでしょうか? 何もできない時があったのです。キリストを正しく知ることができなかった時です。キリストを知って恵みを受け始めました。ところが、2番目の段階がきました。恵みは受けたのに、現実とはよく合わなかったのです。当惑する程でした。確かに恵みは受けるのに、現実とは合わなくて、世の中とも合いませんでした。そのような時があったのです。そのような信者達が多いのです。しかし、ある日キリストを味わい始めました。そこで、神様のみことばと現実が一致するようになり始めたのでした。その時からは、行ってみると祈りの答えがきていました。いまはそのような場合が本当に多いのです。いまは‘伝道をどのようにしなければならないか'というような立場ではありません。仕事があまりにたくさんあるので、どのように減らすかが問題であるくらいです。
 
∈今回もヨーロッパに行ってみると、多くの実を見ることができました。いまは行く所ごとに答えを確認するようになっています。2002年度には、神様が本格的な伝道運動を許されるはずです。たぶん、あなたがたが多くの答えを受けるようになるはずです。キリストを本当に知って味わう時、そのような答えがきました。今日、あなたがたにキリストを知るようになる貴重な祝福が始まることを願います。キリストを本当に味わう真の祝福があることを希望します。
 
∈実際に、クリスチャンにこれがないのです。これがだめになるので、色々なことが出てくるようになったのです。実際には、福音を言っているかの様に見えるのですが、変に神秘主義に行くようになるのです。もう一度お話ししますが、神秘な力がないという話ではありません。福音の中、聖書の中には、神秘な力がないということではないのです。キリストをよく味わうことができないから、良くならなくて、神秘の方向に方向を探すような教会があまりに多いのです。そのようになれば、まちがいなく失敗が起きるようになっています。
 
∈あなたがたが信仰生活をするのに、キリストが誰か?が重要な質問で、キリストを味わうことがすべてです。2001年の今年が終わる前に、皆様に必ずこういう祝福があるように願います。事業する皆様が行く所ごとに本当に答えがきているならば良いのです。世の中を生きていく学生の皆様が行く所ごとに答えがきているならば、良いのです。東三第一教会と瑞草地域教会、蔚山路教会、100箇所余りの地域教会、インターネットで礼拝する所がたくさんあります。最も簡単な方法は、行ったら答えがきていれば良いのです。答えがないから当惑するのであって、答えがきていればやさしいのです。それで、私たちの信者にこういう祝福が本当に、必ずあるようになることを希望します。皆様は、おかしな神秘主義にならず、キリストを知って味わう信仰の人にならなければなりません。これが正しいか、正しくないかという律法主義にならず、キリストを知って味わう信者にならなければならないのです。
 
∈とてもはっきりしていたイスラエルが、何故失敗したのでしょうか? 今日、この場面を見ましょう。今日 28節に見ると、イエス様の服をはがして、緋色の上着を着せたと記録されています。この緋色の上着を着せたということは、囚人服を着せたということです。面会に行ってみれば、韓国では囚人は青い服を着せられています。しかし、イエス様の当時の凶悪犯には、真っ赤な服を着せたのでした。ですから罪人の中でもとても特別な罪人だと、イエス様に真っ赤な上着を着せたのでした。そして、イエス様に罪名をつけたのは、どのようにしたのでしょうか! 罪名がなければならないでしょう。イエス様の罪名を何としたかとすれば‘自称ユダヤ人の王'ということにしました。それで、イエス様の頭に王冠をつけたのでした。‘あなたが王であるならば、冠をかぶるべきではないか' それで、いばらで作ったとげの冠をかぶせたのでした。この人達が、どれほど冠をかぶせたかというと、あまりにぎゅっとかぶせたので、血が流れる程でした。そして、イエス様に‘ユダヤ人の王よ' というように言いました。簡単に話せば、イエス様をちょう弄したのです。どれくらい侮辱でしょうか。‘おまえがが王なら、王冠をかぶるべきではないか'と言いながら、いばらの冠をかぶせたのでした。
 
∈それとともに、29節にイエス様に‘ユダヤ人の王さま。ばんざい。'とも言いました。30節に見ると、イエス様につばをかけ、葦でたたくこともしたのでした。
 
 これは単純に、イエス様を裁判することではありません。この人達がイエス様につばをかけたということは、相当な感情を持っているということです。裁判官が裁判をする時、あなたはこの罪を犯したゆえに、監獄刑がこれくらいだと言って、降りてきてつばをかけたりはしません。そのような裁判官がいるならば、狂っているのです。検事が立って、あなたはこういう罪を犯したゆえに何年だ、というようにするのであって、検事が立って、つばをはいたらどうなるでしょうか? 今、ユダヤ人は完全に狂ったのです。イエス様にあることないこと、ちょう弄を全部したのです。それから、ゴルゴタに連れて上がったのでした。ここまでが、ユダヤ人が犯した罪のすべてでした。それで十字架にかけるために、ゴルゴタに連れて上がりました。イザヤ 53:1〜6節に既に預言された事件です。イエス様は苦難を受けるはずだと預言されています。
 
∈今日ここで信仰生活しながら、本当に悟らなければならない部分があります。イエスがキリストでないのに私達が信じるならば、愚かではないでしょうか? 神様がないのに信じるということは愚かです。私は、その悩みを持って20年間悩んだのですが、神様があってこそ、信じるのではないでしょうか? 万一、神様がないのに信じるならば、天下にこれほどのバカはないだろう?私はそれで二十何年間、苦闘したのでした。"神様があるのか?" この悩みがどれくらい大きい悩みであったか分かりません。それから"イエスがキリストであることが間違いないのか?" これが問題です。ところが、驚くべきことに、イエス様の生涯は、すべて預言されたそのままで、そのまま来られ、行かれたのでした。
 
∈旧約聖書は別々に書いたものです。一気に書かれた小説ではがないということです。この人が書いて、あの人が書いて、これは未信者も認める証拠がみなあります。モーセ5書は、BC1500年に書かれたという根拠が出てきています。聖書のあらゆる写本が記録に出てきています。本当に幸いです。ところが、驚くべきことは、聖書の隅々にイエス様についての預言が出ていることです。
 
 マタイとイエス様はなんの関係もなかったのですが、約800年前にイザヤが啓示を受けたのでした。"処女がみごもって男の子を産む。" これが理解できるでしょうか。 "処女がみごもって男の子を産む。その名前をインマヌエルと呼ばれる" これがすでに預言された事実です。すごいことには‘イエス様は、道を行く時に泊まる所がなくて、人の家のうまやに生まれるはずだ’それまで預言されています。‘飼い葉桶に入れられるようになるはずで、どこで成長するようになるはずで、どのようにちょう弄されて、十字架を背負うようになるはずで、三日間死むのに、誰の墓を借りて入って、そして、キリストという証拠で復活するようになるはずだ。’みな預言されているのです。それで、パウロがIコリント15章に ‘聖書通りに死んで、聖書通りによみがえられた'と記録しているのです。この部分を実際に確認しながら、イエスを信じれば救われるということを確信するようになりました。
 
∈皆様もそうでしょうが、私は性質がひどかったのです。今でもそうです。他人が話すことを絶対にそのまま聞きません。それは疑う性格だからではありません。確認できなければ、絶対に聞かない性格です。ですからどれくらい強い性格でしょうか? イエス様をむやみに信じるでしょうか? 信じられませんでした。ある日、イエスがキリストだという事実を知るようになったのです。
 
∈今日、イエス様が苦難を受けられることは、全部預言されたのです。創世記3:15を成し遂げられる事件です。創世記6:14は、影にしかならないのです。それを成し遂げる事件です。出エジプト3:18は、影にしかならないのです。それを成就させる事件です。イザヤ7:14は預言にしかならないのです。それを成就させる事件です。ペテロがこう話しました。 "主は生ける神の御子キリストです" このように告白しました。これが、その事を成就させる事件です。
 
∈皆様が今日、キリストを理解する事は、相当なことになるのです。キリストを知れば、おもしろいことがとても多いのです。キリストを知った後に変わったことは、1つや2つではありません。キリストを知ったら、新聞のようなものを見れば、おもしろいことが1つや2つではありません。
 
∈例をあげるならば、シナイ山祈梼院があります。みな終わったのに、シナイ山に何をしようと上がるのでしょうか。言わばシナイ山祈梼院は、律法祈梼院です。そのような名前が本当に多いのです。大部分、旧約の名前です。ある牧師は、幕屋を作って教会の後に置いていることもあります。むかしには、そのようなことを知りませんでした。そのようなものをなぜ作って置くのでしょうか? 偶像のように教会の後に作って置いていました。タラッパンをする教会に行ってみたら作って置いてありました。それで尋ねたのです。‘牧師様、これは何故作ってあるのですか? ’これは幕屋だけれど、自分が教育を受けたのだということでした。それで‘これを作るのにいくらかかりましたか?'と尋ねたのです。お金がなくて小さくさせたのに、百五十万円くらいだったということでしたよ。それで内心、お金ももったいないと思いました。福音を知ったならば多くのことが変わります。必ず名前をつけるのにエリヤと言います。エリヤは旧約時代の人ですが、そのようなのです。ソウルに行けば、そのような教会が多いのです。箱舟教会等、みな旧約の名前です。本当にせつないことです。
 
∈キリストを知った後、多くのことを知るようになりました。キリストを知った後、途方もないことを知るようになったのです。
 
 皆様、キリストがだれか? これだけを知っていれば、あらゆる問題がみな解決するのです。今日、ここから重要な教訓いくつかを得なければなりません。今日の礼拝をささげながら、本当に答えを受けなければならないのです。その最初が、キリストがだれか? です。それが今日、皆様の質問と答にならなければなりません。今日、イエス様が法廷に立って裁判を受けられるのに、キリストがだれか、この質問に対する答が出てこなかったのです。皆様が信仰生活をするのに、キリストがだれか? とすると結局失敗します。どんなに信仰生活を良くしても失敗するのです。
 
∈一時、力あるわざを行なったある牧師がおられました。はじめには、そちらに行って恵みを受けたのでした。この方が讃美歌405番(日本の聖歌では「驚くばかりの(Amazing Grace)」)の賛美を歌うのに、20回ほど歌ったのです。はじめは一緒に泣いていたのです。この人は、自分がむかしにはやくざだったのに、自分のような罪人が生かされたと言いながら歌うので、どれくらい恵みを受けたでしょうか、しかしそれは感情です。ある日、神学を勉強する中で、キリストを知るようになりました。その時、私が見る時、あの方は本当にかわいそうな方だな、それではだめなのにという気がしたのです。ある日見ると、一気に問題が起きて、亡くなってしまいました。私の考えでは、そのようなことです。これがどれくらい重要なのか分かりません。これは誤って聞けば、短い時間に話すために、人に対する批判のように聞こえるのですが、そうではありません。私が他の教会の名前を何故話すのでしょうか。これは批判ではありません。ある人が話しました。‘牧師様、幕屋のことは話さないでください。幕屋を作る人が多いのです' その人に対して話しではありません。あまりにもかわいそうだから言っているのです。
 
∈皆様がキリストを知らないことは、結局、人生の最後になると、失敗するようになるのです。何ゆえに献金して、信仰生活を全部みなしておいて、最後になって失敗するのでしょうか? 最後に何年もないのに、失敗するようになります。何ゆえに、そのような信仰生活をするのでしょうか? 一生、信仰生活をしたのに、なんにもならないということは話になりません。皆様は、今、困難を受けているけれど、信仰生活をすればするほど、知るようになるはずです。皆様はひょっとして、既に困難を受けているかもしれませんが、時間が経てば経つほど知るようになるはずです。
 
∈伝道運動を少ししかしなかったのに Remnant 運動を見れば、本当に驚くべきことだということを知るようになりました。ある学生が麻薬をしていて、切って帰ってくるのに、キリストの力でなければ、どのように麻薬を切るでしょうか? 今日、皆様が信仰生活しながらまず最初に尋ねなければならないことが、キリストが誰か?です。
 
∈ある方は、こういう質問をしました。いったい文章をひとつも書かなかったのに、その方はいったいだれか? 戦いも一度しないで世界を征服したのに、その力はいったい何か? もちろん、キリストをよく知らない人々がする質問です。イエス様は、本を一冊も残されませんでした。この地では 33年間以外はおられませんでした。ところが、世界を征服されました。ある図書館の学科でコンピュータで分析をしたのです。いままでの主題で一番たくさん分析するために書かれた本とその人がだれか? それが分析されました。イエス・キリストでした。その次に想像外でナポレオンに関することが多かったのです。それは、未信者がみてもそうなのです。今は2001年12月23日です。これは、イエス様がこの地へいらっしゃってから、そのようになったということです。2001年ということは、全世界がみな使っています。いったいだれでしょうか?
 
∈皆様が信仰生活に本当に勝利しようとすれば、本当にキリストがだれなのか? 聖書 66巻の主題になるキリストはだれか? これが分からなければなりません。すると、皆様に約束を1つできます。皆様は時間が経てば経つほど、正しい答えを受けるようになるはずです。恐ろしい程に受けるようになるはずです。
∈今回ドイツに行きました。学生ひとりに会ったのですが、父はドイツ人でお母さんは韓国人でした。ところが、お母さんが子供をあまりに韓国式で育てたということです。ピアノも教えて、バイオリンも教えて、教えなかったことがなかったのです。この子供が耐えることができなくて‘私はとうていお母さんと住むことができない'と言いました。この子供がどれくらい重苦しかったのかというと‘お母さんは韓国人であるから、韓国へ行きなさい'言うほどになって、後ほどどの程度まで行ったかというと、殺人まで考えたということです。この子供が深刻になったのです。それでも、そのお母さんが理解できなかったのです。私はあなたのためにあなたを正しく育てようとしたのではないか? だから、この親子に深刻な霊的問題がきたということです。ところが、ある日福音を聞いて、キリストを知るようになったのです。驚くべきことには、お母さんが自分がどれほど間違っていたかとのことを悟ったということです。ところが、この子供にも変化が起き始めたのです。学生達が変化するということは、簡単なことではありません。この子供がどの程度変わったかというと、学校に休学届けをだして、集会に参加したのでした。私は、心配ではないのですが、心配になりました。その子を見て‘他の人が福音をどのように説明するか? その子を見て信仰生活をどのようにしろと話すか?’と思ったのです。人々がものすごく称賛を多くしました。‘それが、その子の負担にならないか? いったいその子がどんな考えをしているのか?’たまたま食堂で私の前に座りました。その子供の名前がテニというのですが、テニに約束をしたました。‘どんな人の話も聞かないように。あなたは一つだけ記憶しなさい。あなたは神様の子供で、Remnantだ。それだけ記憶しなさい。ひょっとして、生きている途中で失敗してもかまわない。失敗せねばならないことはないが、失敗してもかまわない。あなたは神様の子供で、Remnantだ。ひとつ約束をする。神様がずっと答えを下さいますだ。すると、その答えを追って行きなさい。するとあなたはまちがいなく成功するはずだ。’この子供がどれくらいわかっているかは知りません。よく分からないようでした。時間が経てば分かるようになるはずです。
 
∈皆様が、キリストを理解するという、このことは、普通のことではありません。皆様がキリストを理解するということは、皆様が行く前に、行く所ごとに暗闇の勢力がみな崩れることを話します。本当にそうです。この場で信じるように願います。キリストはいのちであり、光です。今この瞬間に、皆様の現場に事業にキリストの光が照らすということです。他の人が見る時にはバカのように見えるかもしれないのですが、私はある日、この秘密を知るようになりました。私が行かなくてもかまわないのです。力がなくてもかまわないのです。キリストが私とともにおられるゆえに、私と関係する現場にキリストの光が照らすようになるのです。
 
∈ある日、私が変わるようになりました。子供をないがしろにしてはだめですが、私がよく教えることができなくてもかまわないのです。私が本当にクリスチャンならば、私たちの子供にキリストの光が照らすようになるはずです。ある面では、でたらめになる程、私が全く教会の仕事を出来ずにいます。ちかごろは、二箇所を行ったり来たりするからよりそうです。人間的に考える時は‘これで良いのだろうか'という気がします。しかし、こう考えました。本当に私がキリストの者であることが間違いないならば、神様は私たち信徒達に答えられるはずです。単なる答えではなくて、光を照らされるはずです。
 
∈今日のマタイ27章、この事件が何故繰り広げかとすれば、キリストを知らなかったからです。知っているでしょう。イスラエルの子孫がどのようになったでしょうか? キリストを知らなかったからです。知っているでしょうか? あなたがたの子孫がどれだけ祝福を受けるでしょうか? 例を上げます。米国です。聖書を持って福音を伝えようと1人か2人が考えたのです。何名もいなくて、数名です。英国やヨーロッパで信仰生活ができないから、私達は聖書を持って福音を伝えよう。すると、その子孫がどれくらい祝福を受けることができたでしょうか? それが米国です。その人々が知らないで高慢になったのですが、信仰の先輩の福音の祝福です。皆様、米国をどれくらい祝福なさったのか知っているはずです。そのようにも要塞だったアフカンが崩れました。むかしにソ連が十何年攻撃しても勝つことができなかったのに、いまは全然身動きができないでいます。はなはだしきは、ある人は‘米国は、わざわざ犯人を捕まえないのではないか?'と言う程に、それとともに全体を触っているのです。やはり強大国です。勝てる国がありません。神様がどれくらい祝福なさったのか、米国は滅びるのにも何百年かかっているのです。20世紀の人物 100人を選んだのに、その中に韓国人は一名もなくて、九十何名かが米国人でした。その力はものすごいのです。
 
∈皆様がキリストを理解するという皆様の未来を知っていでしょうか? 私は知っています。皆様の子供達をみれば、皆様がどれほど祝福された人かいつも確認できます。私たちの教会の中に、まだ未熟ですが、福音ゆえに生きるという勇敢な学生達がたくさんいます。少し前に学生達が訪ねてきました。どれくらい感心したか、なる、ならないは問題ではありません。これからどれだけ成功するでしょうか。それが問題ではありません。これから福音ゆえに生きるという心が確実なのです。それならば、良いのです。難しい世の中を生きていかねばならないのに、神様が共におられるのです。今日、皆様が必ず記憶しなければならないのです。キリストを本当に知っているでしょうか? それが今日、あなたがたが必ず捕まえねばならない祝福です。
 
∈その次に、2番目に悟るべきことがあります。すると、苦難と試みは何故来るのでしょうか? 皆様がキリストを本当に知る時、この試みが何故来るのかが分かるようになります。皆様がキリストを本当に知るようになれば、問題が来ても答が出てくるようになるのです。私達がキリストを知れば知るほど、困難が来れば、すぐ答が出てくることになります。どれくらい驚くべきことでしょうか? パリサイ人は、答を探すことができなかったのですが、あなたがたは読んだ瞬間に答が出てくるはずです。まさにそれです。読む瞬間に分かるはずです。皆様より IQがはるかに高いユダヤ人が、イエス様を十字架にかけてちょう弄しながらも知らなかったのでした。これがキリストを理解するという祝福の差です。
 
∈すると、もう一つのことを悟るようになります。
 
 人によって動く世論信仰がどれくらい危険でしょうか? 人々が群集心理で動くこの信仰が、どれくらい危険でしょうか? 99%がイエス様を異端といって、1%もイエス様をキリストと言う人がいないのに、これはいかに怖いことでしょうか? 時代時代ごとにそうです。‘人々はわたしを誰だと言いますか' これは世論を尋ねられたのです。今日、あなたがたが悟らなければならない重要なことは、失敗する信仰です。
 
∈最後に記憶しなければならないことがあります。イエス様が今日、ゴルゴタに上られる道です。ゴルゴタに上がる道は苦痛の道です。ヨセプスという人がこういう記録を書きました。イエス様が十字架を背負って行かれる時、みな行くことができなかったということです。ですから、他の人が代わりに背負って上がったということです。ですから、イエス様がゴルゴタに上がられる前に、14回倒れたということです。聖書にはそのような記録はありませんが、歴史研究者ヨセプスの記録によれば14回倒れたということです。そして、記録によれば、倒れる場所ごとに血を吐いたということです。それは、どれだけ苦痛が与えられたかということです。たぶんたくさん殴られたのです。胸をたくさん殴れば、血が出てきます。ですから、ヨセプスが研究したことによれば、14回倒れるごとに血を吐いたから、それ以上行くことができなかったのです。それを見ながら、イエス様が私たちのあらゆる苦難をみな背負って下さったのだということを知るようになりました。それがゴルゴタの道です。
 
∈しかし、ゴルゴタの道はそれだけではありません。苦難の道ですが、サタンの勢力を完全に破る勝利の道です。イエス様が十字架にかかられた時、最後におっしゃったみことばに、何かちょっと足りないと話されませんでした。みな成し遂げました。本当に、皆様は心配せず、道をさがすように願います。‘完了した'とおっしゃいました。勉強する学生は、上手にやろうとせず、正しくしなければなりません。完了したと言われました。勉強する学生は、心配する必要がありません。正しくしましょう。ここに全国と世界から多くの教役者がいます。他の心配をせず、皆様が正しいことを正しくなせば良いのです。既に完了したとおっしゃいました。
 
∈この道は何の道でしょうか? 完成の道です。何故、イエス様が十字架を背負われたのでしょうか? 聖書にあらかじめ預言されていました。何故でしょうか?贖いの道です。イエス様がゴルゴタへ行くことは、単なる道ではなくて、その道がまさに復活の道です。
 
  皆様が今日、本当にこの祝福を回復する日になるように望みます。今日、皆様に本当に重要な祝福の門が本当に開かれる祝福の日になることをお祈りします。
 
(祈り)
 神様に感謝申し上げます。今日、キリストを知る日になるようにしてください。キリストの秘密を味わう日になるようにしてください。本当に霊的な目が開かれる日になるようにしてください。神様が今日、私たちの暗い部分を照らしてくださって、答えを見る目を開けてください。これから 2002年から、私たち東三第一教会に大きい復興の働きが起きると信じます。多くの主のしもべ達が用意されています。今まで私たちの信徒達が訓練をたくさん受けました。これから答えと変化を受ける時がきたと確信します。今日、キリストの秘密を知って、霊の目が開く日になるようにしてください。これから六日間、世に行って世の中を見る目が開くようにしてください。これからキリストによって、暗闇の勢力を見る霊的な目が開かれるようにしてください。
 主イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン
(The end)
 
 


2部:キリストの服
(ローマ13:14)
 
柳)) ある学生が、私たちの高等部、大学部をたどりながら、長い間訓練を受けていたのですが、ある日しょげた姿で私を訪ねてきました。高等学校や大学に通っていた時には、みことばを受けて、訓練を受けながら良かったのに、さて社会に出てみたら、とても難しいという話をしました。簡単に話せば、間違いではなかったのですが、うまくできないために自分の存在について考えるようになったのでした。それで、力も抜けたのです。たぶんそのようなことでしょう。世の中はそんなに簡単ではなくて、行って見れば世の中はいんちきも多く、はなはだしきは陰謀も企んで生き残るために犯罪もして、高位層、知識層、宗教人なども同じなのです。それで、青年達や学生達が社会に行って、生きるのが難しいのです。産業現場に行って見れば、表現するのが難しいくらいの凄じい事が起きています。
 
柳)) 昨日も学生が話すのを見ると、職場のなかで勤めるのがいやだから、いっそ勉強するほうがよりよいと話していました。とてもはっきりしている学生なのにかかわらず、そのような話をするのでした。あの学生が行政高試に受かった人であることが間違いないのかという疑問が起きる程に、頭も回らず、偏狭な考えをしているのを見ました。こういう中で、どのように自分が一生、生きていられるのかと考えるのでした。青年達が悟った心で勉強して行けばそうで、周囲からサタンが働いて、色々な暗闇の文化に引きずられるようになります。世の中は、このように簡単ではないのです。
 
∈いくつかのことを確かに記憶しなければなりません。聖書や教会史に世の中で勝利した人物が出ています。しかし、その方の話を説明するということは、そんなに簡単ではありません。簡単に話せば、ヨセフが勝利したということですが、簡単なことではありません。ダビデは困難に勝って、立派な将軍になって、イスラエルの王になったということですが、いざ話そうとすれば大変です。重要な人物の中から出てきたのです。
 
∈私たちは、どのようにこういう難しい世の中を勝ち進むことができるのでしょうか.. 特に学生達や青年達は記憶しなければなりません。必ず3つをしなければならないのです。
 
(1)第一に、本文 14節のみことばのように、キリストの服を着なければなりません。私達が世に出てみれば、意外に弱いのです。そして、世の中が私たちの好きなようにはなっていきません。皆様のために用意されていることはありません。一回くらいは、まぐれのようにできる時があるでしょうが、そのような場合は、ありふれたことではありません。そんなに世の中は簡単ではないのです。それで、私達が本当にキリストの服を着るべきですが、これが最初です。
 1)この話は、なんの話でしょうか.. 未信者ならば、そのような必要はありませんが、信者であるゆえに、キリストで服を着るというこの話をよく理解しなければならないのです。聖書が記録されたその当時には、今と違って、服はそのまま着る服ではなく、身分別に決まっていました。この話をその次元で理解しなければなりません。服を着たということは、身分を言うことです。私たちは、キリストで服を着た神様の子供であるゆえに、その身分に合う権威があるのです。その祝福をよく探して味わうことが重要です。これを知って、恵みを受けなければなりません。この部分がだめになれば、仕事ができなくなることで、後からも自分自身がよくなりません。私達が信仰を維持出来ないために、キリストで服を着なければならないのです。   
 2)服は保護を話します。夏には薄い服を着て、冬にはからだを保護するために厚い服を着ます。キリストで服を着るということは、権威を使用して答えを受けて保護を受けることです。
 それで終わることではありません。
 3)服は良い姿を表すこともあります。服を見て流行を知ったり、人の印象を左右します。
 
∈私達がキリストで服を着るということをよく記憶しなければなりません。まず神様の祝福を受けることなしでは、世の中の人々に勝つことができません。神様の力が実際になくては、未信者と戦って勝つことができないのです。それで、皆様が神様のみことばを聞いて祈るのです。他の理由はありません。皆様が救われていない人ならば知りませんが、救われた神様の子供であるゆえに、キリストで服を着て、力を体験するならばやさしいのですが、それでなければむずかしいのです。皆様が職場に行けば、皆様を通じて神様の祝福がそこに現れるはずなので、誰も皆様に勝つことができないのです。職場や世の中の人々が、私たちの勝手になるのでしょうか.. しかし、皆様が神様の祝福を受ければ、考える以上に簡単です。
 
柳)) 私が教えるある学生が、伝道を全くしないのに、神様の祝福を受けて卒業する時まで一等を取りました。それとともに、この学生の周囲で勉強をよくする学生達が集まってくるので、伝道になるのでした。勉強がうまくできない学生が、自分自身も動くのが難しいのに、他の人を動かすことは大変です。ところが、この子供が神様の祝福を受けた子供のようでした。福音も確実で.. これから大きい働きをするのではないだろうか..と思いました。若い時から大きい祝福を受けるのを見ました。
 
∈キリストで服を着るということは、色々なことがみな入っているのですが、私達が失敗していてもキリストで服を着るということは、新しい答えを受けるということです。先週にも私が証しをしたのですが、私はキリストを知る前には、何んにもならない無能力なことをたくさん見ましたし、そのように生きていました。私の周囲もそうで、私の家庭もそうで、私が行く所で会う人ごとにみな無能力に感じられたのです。ところが、神様がある日私に力を与えて下さったのです。その時、キリストを知って.. 服を着たということは、生活と関係があります。これがキリストの秘密です..
 
∈今日あなたがたが礼拝をささげる時、信仰が必要な理由がここにあります。皆様は、明日から職場に行くはずです。皆様の周囲に祝福が現れなければ、その人々をリードできないことは確かです。反対に皆様が仮りに祈りの答えを受けるとすれば、その人々に話すだけでもリードすることができるのです。キリストで服を着るという、この契約を捕まえるように願います。
 
∈職場に行って、あなたがたを通じて祝福がずっと現れれば、どのようになるでしょうか.. 私はそのような人をたくさん見ました。しかし、皆様を通じてずっと失敗がくれば、どのようになるでしょうか... キリストで服を着るということは、ものすごく重要なことです。身分であり、保護であり、良い姿ということです。それでキリストで服を着なさい.. 世の中は、そんなに簡単な世の中ではありません。私たちの学生達に攻撃してくる世の中であるゆえに、キリストで服を着なさいというのです。これが1番目です。キリストで服を着る日になるようにお祈りします。
 
(2)これから社会生活と重要なことをせねばならないために、3つのことをしなければなりません。
 1)専門性- 専門性を持たなければなりません。学生達の例を上げるならば、基礎的な職業があります。なくてはならない判事、検事、薬剤師、教師という職業は 1次的な職業です。しかし、美術、文学、音楽は美しくするための2次的な職業です。それで、この部分に専門性を持つことができなければ、一生ご飯の心配をするようになります。職業を持つのは難しいのです。それで、大部分の学生や青年の時に理解をすべきなのですが、出来ずにいて、おとなになれば問題になることがあるのです。専門性が必要となのです。若い方達がたくさんいますが、大韓民国に牧師だけでも 10,000人が出ています。仮りにあなたがたが伝道という時代的な答をタラッパンにきて得ることができなくて牧師になれば、ご飯を食べることができません。私達がご飯を食べるために牧師になるのではありませんが、ご飯を食べることができなければ、することができません。使命者は、ご飯を食べるために牧会するのではありませんが、専門性がなければ、することができないようになります。これが、私たちの青年達と学生達が記憶せねばならない部分です。
 
柳)) 初期の頃から教えた学生達の中に、一名は勉強がとてもよくできました。他の一名は勉強を普通の水準でしました。信仰生活は、二人とも良くする子供達でした。勉強がとてもよくできる子どもは良い大学の英文学科に入っていって、普通の水準で勉強した学生は師範大に行って先生になりました。私たちの普通の考えでは、勉強がよくできれば成功すると考えます。しかし、英文学科を卒業した学生は、いままで遊んでいるのです。この子供に葛藤が生じるのです。これから、どのようにしようかということに対してしばしば混乱するのです。反面に、先生をしている学生は、子供達におもしろく伝道をしているのです。祝福もたくさん受けて、昇級発令もとても確かに受け取るのです。専門性に差があるのです。特に、音楽をする人々は、分野に専門性を持っていなければなりません。これが土台です。これがなければ、社会に食い込んで行くことができません。
 
∈昨日、集会をしにいく道で、ある学生が相談に来ました。専門性を持ちなさいと言いました。そして、福音が確実だから、神様が祝福なさるはずです。韓国よりは米国の方向で法律を勉強するのが良いと言いました。国際弁護士について答になるはずだと言いました。クリスチャンが生きていく間に、こういう部分をものすごくたくさんのがすのです。
 
 2)世界化 - 職種がどんどん変わっています。世界化にならないと、多くのことをのがすようになります。
 
 3)福音化 - 福音化をさせることができなければ、後ほどそのこと自体が失敗となります。
 
∈これを捕まえるべきです。福音化をさせることができる力が必要です。
 
(3)私達が正しく伝道訓練を受けながら、出会いの祝福を味わわなければなりません。これは年齢に関係なく受けなければならない祝福です。これを逃してはなりません。本当の福音を持って成功しようとするならば、世界化をのがしてはならないのです。
 
∈今、年齢が40才以上になっている方達はすこし違います。そして、45才以上の女の方達はもっと違います。今、来ている学生達は、キリストで服を着ることなしでは生きることができません。勉強をちょっとすることができなくても、勉強がよくできても、専門化、世界化、福音化に答を出さなければなりません。そして、重要な事実.. 伝道訓練されただけ、神様は出会いの祝福を下さるということです。神様がご覧になる時、訓練されただけ、出会いの祝福を下さいます。特に、学生達、青年達はよく記憶しなければなりません。これから世の中を生きていく時、神様の力なしでできるか.. ということです。キリストで服を着ましょう!! そして、なんとなく生きるのではなく.. 専門化、世界化、福音化... 神様が、私達がみことばを悟って訓練されただけ、人を付けられます。東三第一教会をよく見れば、道がみなあります。人も見るべきですが、よく見ましょう。段階別に祝福をみな作られてきました。タラッパンから全部みなあります。歩いていかねばならない道がものすごくあるのです。タラッパンからキャンプする地域教会まで基礎でして、訓練が五つ、向かっていこうとする目標五つの道がみなあるのです。訓練が重要です。訓練されただけ、出会いの祝福は神様がなさることです。忙しく熱心にしなさいということではなく、よく活用しなさいということです。キリストで服を着ることなしでは、神様の祝福を未信者よりも受けることができません。キリストで服を着ることなしでは、未信者に勝つことができないのです。私達が戦うのでしょうか.. 詐欺を働くのでしょうか.. キリストで服を着ることなしでは、未信者と対決して肉体的に彼らに勝つことはできません。私達が霊的な力を持って、彼らをリードしなければならないのです。話しで戦ってはなりません。まず祝福を受けなければなりません。それがキリストで服を着なければならないということなのです。それを着ることができないでいれば、未信者と生きていかなければならないためです。
 
∈今でも未信者は、後ほど滅びようが滅びまいが、熱心に勉強しており、山に入って人々と交わっており、ハイクラスは集まってゴルフで遊んでいます。しかし、私たちはここで礼拝をささげているのに、キリストで服を着ないで、福音の秘密がなく彼らと対抗するということ自体が、既に敗れているのです。これが暗闇に敗れたことです。
 
∈学生達が最も記憶しなければならないことは何でしょうか.. 皆様が永遠に滅びないことは何でしょうか.. キリストで服を着ることです。それで終わらないで、具体化させて、キリストが専門化、福音化、世界化にならなければなりません。どのようなことをしてもかまわないのです。専門化、福音化、世界化させればよいのです。ユダヤ人は、一等になれとは教えません。一等は専門化がないとして、違ったことをしろと言います。他人がしない違ったことをして、専門性が生じると教えるのです。私が見る時は、本当によく教えると思います。
 
∈タラッパンと聖書にある重要な教えは何でしょうか.. 正しく訓練を受ければ、重要な出会いの門が開かれます。詐欺師と開拓者は紙一枚の差です。出会いを正しくすれば分かります。皆様が歩いていく道に神様の祝福を受けることがあります。出会いです。神様がくださるのです。3つのことを記憶しなければなりません。学生達に頼みます。勉強がよくできなくてもかまいません。それは頭によります。数学はよくできても、語学はよくできない人があって、反対の場合もあります。専門性を揃えましょう!! 今、選択しなければなりません。専門性がない職業を選択することがあります。仏文学、中国文学科は漠然としています。職は通訳をしてあげるお手伝いをする人です。何か専門性を探さなければなりません。これは少しだけ祈れば出てくることです。
 
柳)) ある大学生が、私を訪ねてきて話しましたよ。他の教会の大学生はむやみに起きていると.. 報告をするので、私はこのように話しました。起きる必要はないと.. 大学生や青年は、礼拝を真っすぐささげて、福音の根をおろして、準備をしなければなりません。私たちの教会の青年達は、よく成っていると言いました。私が若い時、教会の学生達が休みごとに汗を流して謄写して印刷物を作りました。そして、賛美の練習をして、発表会をしたら時間がなくなりました。それで、ほとんど大部分が大学に落ちて、大学の発表日になれば教会がみな憂うつになりました。私が福音を悟っていままで間違っていたことを知って、福音と霊的問題に対して話しながら、勉強を始めたら、大学に合格し始めました。門が開き始めたのです。私達が万が一間違うとこのようになります。少しの間のことです。
 
∈基本的な小中高の学生達は、基礎を堅くして勉強すれば良くて、大学生や青年達は専門性を早く持たなければなりません。年を取っている方達は、いのちをかけるように願います。契約を捕まえて行くように願います。あなたがたがキリストで服を着るということは、負担になることではありません。とても祝福なことです。そして、専門化、世界化、福音化ということは、人間中心主義ではありません。神様が、救われた皆様に重要な祝福を下さいますことに定められたのです。あなたがたが正しく祈って目覚めながら、神様の祝福を正しく捜し出すのです。何ゆえに私達が時間、時間に訓練を受けるのでしょうか.. 訓練されただけ、神様は出会いを下さるのです。神様が多くの人々を通じて世界を動かされるなかで、福音中心であるゆえに、訓練されただけ出会いを下さいます。
 
柳)) 私は神様の前に恥ずかしい考えをしたことがあります。学生達が私に挨拶をして行った後に、こういう気がしました。私は東三第一教会の人々がどんなことをするのか.. という考えをしていたのですが、その方の子供達が勉強を正しくして、信仰も正しくて、正しい考えをしているのを見て驚いたのです。重要なことがあるんだな.. こういう考えが瞬間的に頭に浮かびました。あなたがたが、キリストで服を着るという話をわかるように願います。大きい祝福を受ける日になることを願います。
 
(祈り)
 神様に感謝申し上げます。今日、キリストで服を着る日になるようにしてくださって、神様の祝福をまず受ける日になるようにしてください。これから答えの現場で専門化、世界化、福音化になる祝福を受けるようにしてくださり、私達が訓練を通じて出逢いの祝福を味わうキリストで服を着る重要な人々になるようにさせてください。新しく始まる年になるようにお祈りします。これから 2001年は過ぎて、新年を私達が準備するようになりました。私達がキリストで服を着て、私達が多くの話や声を聞いたりすることもあります。 神様の前に、私達自身を立てる貴重な機会になるようにしてくださり、私たちを愛される神様の前に、私たちを立てる機会になるようにさせてください。私たちに新しい力を与えられる主なる神様の前に私達自身を立てる機会になるようにさせてくださり、キリストを通じて神様の恵みを受ける機会になるようにしてください。
 イエス・キリストお名前でお祈りします。アーメン
  (The end)
 


3部:ツラノ運動
(使徒19:8-22)
 
 
∈今日は、聖誕特別賛美があるために説教を早く終えるようにします。神様が永遠なので、みことばも永遠で、私たちの魂も永遠です。私たちの魂が永遠でないならば、救われる必要はないでしょう。私たちの魂と神様のみことばは永遠です。そうであるために、神様がパウロとともになさったとするなら、今、私たちとも共にされるのです。すると、この短い時間にどのようにすれば、そのようになるでしょうか? これが重要です。
 
∈神様が本当に生きておられ、私たちの問題を解決できて、私達が神様を正しく信じるならば、どのように信じなければならないのか?ということは、話で出来ない程にたくさん説明できるでしょうが、今日、重要な一つの単語が出てきました。その単語を捕まえねばならないのです。まちがいなく答えなります。
 
∈19章 8節だ. "それから、パウロは会堂にはいって、三か月の間大胆に語り、神の国について論じて、彼らを説得しようと努めた。" これが答です。とても驚くべき答です。皆様の家に何故、問題がくるのでしょうか? 暗闇の国が臨んだのです。世界と韓国は何故滅びるのでしょうか? 反対語が、神様の国が臨むことです。なんの話なのか分かるでしょうか? とても重要な話です。
 
∈主の祈りの一番最初が何でしょうか? "御国が臨むように祈りなさい!" そして何とおっしゃったでしょうか? "あなたは神の国とその義とを求めなさい! そうすれば、全てのことが与えられます!" とても重要な答です。より重要なことは、ヨハネ16:12を見ると、重要な答が出ています。 "世の中の王" だれでしょうか? サタンです。Iコリント4:4に "世の中の神々"と言われています。この話を誰もが知っているでしょうか? それで、私が見るには最も大きい祝福が "神様の国"です。神様の国が臨むことです。
 
∈私たちは、神様の国に行くはずですが、何故そうなのでしょうか? 救われる瞬間に、神様の国が臨むので、 皆様の家系の暗闇の勢力が崩れる瞬間が、神様の国が臨むことで、マタイ12:28-30 サタンの国が追い出されれば、神様の国が臨むと言われました。聖霊が臨めば、神様が臨むのです。これが答です。
 
∈今日、皆様は必ずこれを捕まえて祈らねばなりません。創世記3:15, 出エジプト3:18, イザヤ7:14, これが、聖誕のメッセージです。マタイ16:16がこれに対するメッセージです。神様の国が臨むことです。ここにどんなに皆様が立派でも、暗闇の勢力が臨むことには勝つことができません。簡単な答が、神様の国が臨むことで、これが答です。
 
∈どれくらい重要なのかというと、パウロが 3ケ月間 "大胆に" "神様の国"について論じたとされています。私はこれを見ながら、パウロがどのようにこのようにまで聖霊の充満を受け、神様の国に対して論じることを上手にやったのだろうか? と言いたい気がしました。神様の国が臨まない伝道はするほど損です。私達が何故伝道するのでしょうか? 何故、子供達に何かを教えようとするのでしょうか? 私達はどのようにして国を愛するのでしょうか? "神様の国が臨むように!"です。Iペテロ5:4-8 サタンはほえたける獅子のように、食い尽くすべき者を探し回っていますと言われています。確かに探し回っているとなっています。私たちの用語では、訪問して回るということです。
 
∈神様の国が臨んだということは、とても重要です。皆様がこの祝福を受けねばなりません。すると、今日2番目に、どこに神様の国が臨むのでしょうか? あらゆる人に、個人に臨まねばならないけれど、とても重要なことは、8節に答がみな出てきています。
 
∈"会堂に入っていって3ケ月間!" 皆様が救われて祝福を受けねばならない理由が、会堂です。初代教会とイスラエルの最も大きい戦略が会堂です。申6:4-9に正しく教えなさいと言われました! 地域、地域に会堂を作れば、人材が集まるようになっています。学生達が、雰囲気がパン屋ならばパンを食べねばならなくて、酒場があれば酒を食べねばならないように、会堂があちこちにあれば、そのような雰囲気になるのです。とても重要なのです。
 
∈U列王2:1-10に見れば、神様がエリヤ、エリシャを呼ばれた理由が何でしょうか? こういう働き手を育てろということです。会堂戦略です。この会堂でしていて、ツラノでみことば運動を開きました。瑞草地域教会が大韓民国にいる牧師等と手を取合って世界の福音化をしようという重要な理由は何でしょうか? "ツラノ運動"です。ここに神様の国が臨むのです! 答えを受けるはずです。今日、ここに神様の国が臨む祝福が現れるように願います。既に救われた人々には、神様の国が臨んでいます。これからは、行く所ごとに神様の国が臨まねばなりません。ツラノ運動! これが重要です。
 
∈私達が何故このようにするのでしょうか? まさに会堂戦略です。いままで私達が訓練したあらゆる内容が この内容です。それで、今日短い時間に重要な答を得なければなりません。イエス様が主の祈りを教えられた一番はじめに "天にまします我らの父よ。願わくは御名をあがめさせたまえ" と言われ、まさに "御国を来たらせたまえ!"と言われました。簡単に言えば、神様の国が臨むことです。どれくらい重要でしょうか?
 
∈まず最初に伝道する時 "悔い改めしなさい! 天の御国が近づいたから!" と言われました。イエス様が直接説明なさって、あなたがたの家庭で暗闇の勢力が崩れないで事がなるだろうか? と言われました。どんなに事業を上手にやって、政治を上手にやっても、暗闇の勢力が臨めば事がよくならないのです。それで神様の国が臨むということです。
 
∈イエス様が直接おっしゃって、この話を分からないならば "わたしとは関係ない”と言われました。マタイ12:29-30に、神様と関係ない人と言われました。とても重要です。皆様の心に、家庭に、神様の国が臨むように願います。どんなに私達が世界の福音化をするといっても、家が地獄だったらどうしますか? 神様の国という単語は、とても重要な単語です。簡単に話せば、暗闇の勢力が打ち破られて神様の聖霊が働かれるということです。クリスマスの最も正確な解釈は何でしょうか? 神様の国が臨んだということです。
 
∈"受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には神様の子どもとなる特権をお与えになった!" と言われました。私は皆様に約束する自信があります。神様の国が臨まれれば、どのようになるのでしょうか? 出エジプトのみわざ、捕虜になっていて解放されるみわざ、出エジプト11:14に主の使いが先立ち! こういう働きが起きるのです。神様の国が臨めばU列王19:35にアッシリヤ軍 18万 5千をみな呼んでいかれるみわざが起きるのです。こういうみわざが起きます。
 
∈使徒12:1-25 明日になればペテロが死ぬはずだったのに、その日の夜に監獄に神様の天使が臨まれました。神様の国が臨まれれば、どのようになるのでしょうか? 9節を見ましょう! "しかし、ある者たちが心をかたくなにして聞き入れず、会衆の前で、この道をののしったので、パウロは彼らから身を引き、弟子たちをも退かせて、毎日ツラノの講堂で論じた。"と言われています。神様の国が臨めば、どんなに困難が来ても神様の弟子が臨むということです。私達がそれだけさがせば、することをみなしたことなのです。私達がそれゆえに答えを受けるという事実を知っているべきです。
 
∈私は、私たちの福音を持った教会、役員等、多くの事業する方達が祝福を受けることを確信しています。何故でしょうか?神様の国が臨まなければならないからです。もし悟れば、神様は即、働かれるはずです。本当に神様の国が臨まれるならば、こういう働きをなさるしかありません。考えてみましょう! 世の中のことで少しだけ善良に仕事をしても祝福されるのに、このことは普通のことでしょうか? 
 
∈10節を見ましょう! "これが二年の間続いたので、アジヤに住む者はみな、ユダヤ人もギリシヤ人も主のことばを聞いた!" 瑞草地域教会と東三第一教会、蔚山路教会、今衛星で礼拝するタラッパン教会がどのようにすべきでしょうか? こういう visionが見えないでしょうか? 皆様の家に、職場に、神様の国が臨まねばならないという visionが見えないでしょうか? 暗闇の勢力が完全に崩れるべきだということです。みことばが 全地域に広まる visionです。二年間したところ起きた働きです。
 
∈10節! そうしたところ、パウロの前かけのようなものでも病気がよくなるなどの、不思議なみわざが起き始めました。力が臨んだということです。皆様の家に神様の国が臨めば、皆様の事業に神様の国が臨めば、皆様の胸中に神様の国が臨めば、確かに霊的な暗闇の勢力が崩れます。
 
∈13節を見ましょう! にせ物はできないようになっています。ところが、19節を見ると、暗闇の勢力が完全に打ち破られるみわざが起きました。今日みことばを聞く方の家や事業にこの祝福が臨むように願います。ずっと聞いても良い単語です。
 
 "神様の国!" 神様の国を持続的に成し遂げようとするなら 3つのことを捕まえれば良いのです。
 
(1)あらゆる分野にイエスがキリスト! 暗闇勢力に勝つ単語! "イエス・キリスト" これを必ず捕まえなければなりません。
 
(2)皆様が行く所ごとに絶対恐れないで! 行く所ごとに神様の国が臨むという事実を記憶しましょう! いつ 臨むのでしょうか? マタイ12:28-30に聖霊が臨まれる時です。それで、イエス様がただ聖霊の充満を受けなさいと言われました。 "イエス・キリスト!" 簡単な単語ですが、すべての単語です。
 
(3)皆様が行く所ごとに神様の国が臨むのです。神様の国が臨む重要な秘密は何でしょうか? イエス・キリストの名前で臨む聖霊のみわざがそれです。この祝福が、皆様に確かにあるように望みます。
 
∈今日、全国、世界の教会、あらゆるメンバーにこの祝福がそのまま臨むように願います。教会が正しい祝福を受ければ、民族が生かされ、世界が生かされます。本当に感謝なことです。とても狭くて難しいのにもかかわらず、座っても、立っても礼拝をささげています。ある人が瑞草地域教会には、水準が低い人だけが集まっていると言ったのですが、それは真っ赤な嘘です。水準が高い人々、戦いを嫌う人々が集まっているのです。
 
∈祈りを多くしていたのですが、ある学校の講堂が良いということで、それを私達が借りて使おうと言ったり、また京畿道地域に2万坪ある土地があると言ったりしています。私が車に乗って行ってみると、副牧師達が全部きていました。三つの中の一つでしょう。学校を選択して京畿道をあきらめるか? 京畿道を選択して学校をあきらめるか? でなければ二つともするのか? 長老達が全員一致で二つみなするようにしました。たぶん、来年にはこのように難しく礼拝をささげなくても良くなるはずです。
 
∈将来にはソウルでは世界の福音化はできません。それで行かなければならないのです。ところが、今すぐには京畿道がとても遠いのです。それで、神様が二つみな準備されたのです。ところが、問題はお金ですが、 神様が祝福なさるはずです。
 
∈今日、賛美を準備された聖歌隊の人々に、礼拝をともにささげたあらゆる方達に、主の聖霊が共にされるように主の御名でお祈りします!
 
(祈り)
 神様に感謝申し上げます。多くの答えを私たちに与えて下さったことを感謝申し上げます。困難を受けている方達が、神様の恵みで力を得るようにして、今まで家庭と現場で地獄のような生活を送った人々が、神様の国を見る答えを与えて下さい。今まで、人との関係で、家族の関係で、地獄のような生活を送った人々が神様の国を見る祝福を与えて下さい。
 イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン
(The end)