2001年 12月 30日 東三第一教会 聖日メッセージ


1部:礼拝で送る1年
(エゼキエル47:1-23)
 
 
 今、全世界は多くの発展をしています。しかし、益々難しくなっていきつつあるのです。軍人が政治をするので、たくさん腐敗するという話がありました。しかし、その後には、もっと腐敗するようになったのです。時間が過ぎながら、いまはもっと腐敗するようになっています。希望を持って開始をすべきですが、聖書通りになれば、これからはもっと腐敗するようになるはずです。聖書は、最後の時になれば、益々不法と混乱へ行くようになるはずだと預言しています。それで、終わりまで耐える者は、救われると聖書は話しているのです。そして、聖書はもうひとつ語っているのは、福音が宣べ伝えられた後に終わりが来ると預言されています。間違いないことだと思います。
 あなたがたが、いくつかのことを知っていてこそ、世の中を生きることができます。すなわち、聖書の中にある内容のいくつかのことは、必ず知っていなければならないのです。多くの指導者に言いたいことがあります。この土地に災難が何故、どんどん起きるのでしょうか? その程度は知っていてこそ、指導者になることができるのです。指導者ではなくても、必ずこの程度は知っていなければなりません。聖書は、確かに明らかにしています。アダムとエバの家庭が始まる前にサタンの存在がありました。この暗闇の存在の親分であるサタンは、アダムとエバの家庭を押し倒したのです。それが創世記3章の事件です。今でも全く同じです。知っていなければなりません。
 何故、災難がどんどん起きるのでしょうか? 科学が発達して、文化が発展すれば、よく生きることができるようになるはずなのに、何故どんどん難しくなるのでしょうか? むしろ反対に、先進国に精神病の患者がもっと多くいます。ここに日本人がいますが、アジアでは日本が一番発展しました。しかし、精神病患者は、アジアでは日本が一番多いのです。その理由を知っているべきです。知っていてこそ、指導者になったり、商売をしたり、教授になったりできるのではないでしょうか? これだけ知っていれば、牧会もやさしくて、生きることがそんなに難しくありません。皆様は、十分に理解できるでしょう。そうすると、自分の家庭をどのようにすべきか答も出てくるようになります。
 2番目に、何故人々は易、シャーマニズム・占術に陥って生きていくのでしょうか? それが創世記6章です。洪水の災いが下される前に "ネフィリム"という単語が出てきます。そのネフィリムは、今で言えばムダン(霊媒師)です。はじめからいました。何故、人々がここに陥るのでしょうか? 新聞を見る機会がたくさんあります。飛行機にたくさん乗るためです。今日も飛行機に2回乗るはずです。飛行機に乗ると、しばしば新聞を見るようになります。新聞を見ながら、ちかごろは大変なことになったという気がします。政治などがいうことが問題ではありません。韓国日報、中央日報等の下に途方もなく易、シャーマニズムの紹介をしています。新聞にそのようにしても良いでしょうか? 私たちの民族がそのようになっても良いでしょうか? イエスを信じていても、信じていなくても、勉強しなければならず、勉強もせず占いをしていても良いでしょうか? イエスを信じていても、信じていなくても、科学的に熱心に努力をしなければならず、占いをして事業をしても良いでしょうか? とても後進国でだけ起きることです。こういうものを韓国の有名な新聞にとても大きく出しているのです。お金になるからのようです。しかし、未来はお金になりません。今、韓国は、普通の問題ではありません。では、何故吉凶を占う易、シャーマニズム人がみな滅びるのでしょうか? 易、シャーマニズムの子供 100%が何故滅びるのでしょうか? こういうことは、現場でも見ることができます。ここに易、シャーマニズムをしていて、帰ってきた人々がたくさんいます。その個人が受ける苦痛と呪いを知っています。これは、悪霊の活動です。聖書は確かに明らかにしています。いくつかのことは、必ず知っていなければならないのです。何故成功するのに、成功の後に失敗がくるのでしょうか? それを知らないから、有名人が麻薬をするのです。それを知らないから、成功した人が密室で酒を飲むんでやられてしまうのです。 何故成功した人に失敗がくるのでしょうか? 肉体だけを知っているからです。それが創世記11章です。バベルの塔が崩れたのです。聖書は、確かに明らかにしています。
 何故この地には偶像がこのようにも多いのでしょうか? 何故偶像に仕える国が強大国になるのでしょうか? 強大国になってから、どのようになるのでしょうか? それが創世記12章です。アブラハムにカルデヤを離れなさいと言われました。あなたの故郷、父の家を離れなさいと言われたのです。簡単に話せば、偶像国家を離れなさいということです。まもなく滅ぼされるバビロンを離れなさいということです。カルデヤは、バビロンです。聖書を見れば、創世記にすでに答がみな出てきています。
 簡単に話せば、神様は皆様を石や木の悪霊に仕えるように造られませんでした。神様は人間をこの地に送る時、獣に仕えるように送られなかったということです。人間自らが人間でないことを選択するために、困難がしばしば訪れるのです。神様が私たちに救いの門をあけてくださいました。宗教を作ったのではなくて、私たちに救いを下さったのです。教会堂を作って人間的な仕事をしろと言われず、救いの秘密を下さったのでした。
 この四つのことだけを知れば重要なこと一つがあります。それが何でしょうか? それが礼拝です。皆様が礼拝に成功しなければならないのです。人は誰でも年末になれば、心が浮き立つこともあります。突然に雪が降れば、心が浮き立つこともあります。クリスマス礼拝をささげていたら、外で雪が降りました。子供達がとても熱心に走って遊んで寒気がしたということです。そのようなこともあります。雪が降れば、犬達もうれしくて飛び回ることもあります。特に女性は、扉を開けて行きます。悪いことではないと思います。しかし、万が一下手すると浮き立ってしまうのです。ある程度は必要ですが、しかしより重要なことがあります。
 
 皆様がこの1年をどのように送れば良いでしょうか? 礼拝しながら送らねばならないし、礼拝を回復しなければなりません。皆様は獣ではないために、1年を送る時に回復しなければならないことがあるならば、礼拝を回復しなければならないのです。どんなに IQが高い犬でも礼拝をささげることはありません。ただ人間だけが礼拝をささげるのです。それで、神様が人間にだけ話すようにされたのです。あらゆる動物が話せば、騒々しくてだめです。人間にだけ話すようにさせて、人間だけ礼拝するようにさせられました。それならば、礼拝を回復できない人は最も不幸な人ということができます。礼拝を間違っている人々がいます。メンタイにもおじぎして、石にもおじぎして、こういう人々は悲惨だと言えるでしょう。
 礼拝を英語では "Worship"とも言って "Service" とも言います。おもにWorship と言います。wor-は価値あるという言葉です。価値を返すという言葉です。私たち人間に最も価値あることがあるならば、礼拝です。ちょっと無知な人々は、こう話します。‘礼拝堂に行けばご飯をもらえるのか、お金がもらえるのか?' と言うのです。もちろん一理はあります。礼拝を本当に理解するならば、そのように言うことはできません。私はイエスを信じない人も礼拝をささげねばならないと考えます。皆様が緑を全く見ないならば、精神が異常になります。神様が人間を創造されて、礼拝をするように造られたのです。獣は礼拝しないように創造されたのです。皆様はネズミ達が集まって礼拝をささげるのを見たことがありますか? 豚が礼拝をささげるのを見たことがありますか? すると、私達が豚のように生きなければならないのでしょうか? 犬は礼拝をささげるでしょうか?
 
 前に犬を飼って見たのですが、頭が本当に良かったのです。この犬は、愛を受ける程、頭が良いのです。どれくらい利口か、足音を聞いて主人なのかどうか理解できます。ある時は、人よりもっと鋭いのです。私達が足音を聞いて人を見分けることができるでしょうか? すでに犬達は、足音を聞いて私が行けば、犬小屋に入っていくのです。私は犬がそれほど好きではありません。ところが、私の娘が行けば、すでに出てきて尻尾を振っています。音を聞いて理解するのです。どれくらい利口か分かりません。一度、区域礼拝に入ったら、犬が付いてきたようでした。ところが、ついて来ているのも知らなかったのです。遠くに行ったのに、 犬がついて来たのでした。しかし、区域礼拝に入っていって出てこないので、犬が道に迷ったのでした。本当に驚くべき事実です。二日後に帰ってきました。どこをたずねて分かったのでしょうか? どのように探したのでしょう? 犬は頭が良いということを知りました。時々、空港で犬が行ったりきたりします。何をする犬でしょうか? 犬が麻薬がある所を捜し出すのです。鼻もものすごく発達ていることが分かります。それでも、犬が集まって礼拝することはありません。人間だけが礼拝できるのです。最も重要なことをのがしてはだめです。
 
 あなたがたが礼拝の時に与えられる本当の祝福を知っていなければなりません。創世記13:18にアブラハムが悟ったのです。カルデヤを離れてカナンにきたのですが、アブラハムはさまよったのです。異常に困難がしばしば差しせまりました。アブラハムが創世記13:18に見れば悟った証拠が出てきます。祭壇を積んで祈ることを始めたのです。どのようになったのか、あなたがたが知っているでしょう。ヤコブという人を知っているでしょう。兄と戦って死にそうになって逃げるようになりました。その時まで、ヤコブは恵みを受けることができなかったのです。礼拝が何か知らなかったのです。皆様がご存じの通りベテルという山の中で横になっていて礼拝ということを悟ったのです。それで、ヤコブは後ほど成功したのです。家族に困難に会いました。想像もできない事が起きたのです。娘が道を行く時、ならず者らに捕まって強姦されるようになったのです。息子がそれを知って、そちらがわと戦うようになりました。ところが、その人々がじっとしているでしょうか? その事件ひとつゆえに、家族と村全体が火の海になったのです。その時、ヤコブがどのようにしたでしょうか? 創世記35:1を見れば ‘ベテルへ上ろう'と言いました。ベテルとは何でしょうか? むかしにヤコブが恵みを受けた所です。ヤコブが危険を避けて行く途中で神様に会った場所、ベテルです。礼拝の回復です。あらゆる問題が解決し始めたのでした。
 
 神様が奴隷になったイスラエルを連れ出すために、モーセを呼ばれました。重要な一言をくださいました。 出エジプト3:18に、犠牲のいけにえをささげにいきなさい。それ一つで終わったのです。真の礼拝の回復です。血のいけにえをささげに行きなさいということです。私と皆様は、なんの資格もありませんが、イエスの十字架の贖いの血で神様の子供になったのです。何の話なのか分かるでしょうか? イスラエルが荒野を40年行くときにしたことは一つだけです。三つの祭りです。その次に、幕屋を作ることです。何を意味するのでしょうか? 礼拝です。
 
 その礼拝は、単なる礼拝ではなくて、宗教的礼拝ではなくて、福音的礼拝です。ずっと血の話が出てきます。福音的な礼拝です。イエスを信じる人が何故滅びるのでしょうか。福音的な礼拝を知らないからです。韓国には、教会がこのようにも多いのに、何故霊的問題が解決しないのでしょうか? 福音的な礼拝がないからです。あの人は熱心にしているようだでもないのに、どのようにあんなに多くの恵みを受けるのか? 福音的な礼拝であるためです。言わば、礼拝をむなしくなるようにささげなかったのです。むなしい礼拝をささげていて、どのように恵みを受けることができるでしょうか?
 
 血の契約を抜いてしまえば、むなしい礼拝です。ちかごろ、人々が変になって、こういう話をあまりしません。血のようなことを話せば、人々が変に考えるのです。最近、放送で他の人の説教を聞いてみることがあります。本当に上手です。説教を聞きながら、この方は本当に話が上手だという考えを多くします。特に、ある教会の牧師の説教を聞くと、この方は、本当にみことばを上手に語るという気がしました。優秀な語り方を持っていました。話しも大きくしなくて、巧みにします。ふと聞き始めれば、吸い込まれていきます。その方の説教聞くやいなや、深々と入っていきました。本当に説教が上手だと思いました。そのようにするので、多くの人々が集まったりもします。説教が上手な方達が、本当に多いのです。あちこちで立派な方達が、どれくらい説教を上手にしているか分かりません。ところが、韓国教会はますます暗くなっていきつつあるのです。これから、後継者問題とか、経済問題がどんどん出てくるはずです。過度に建てたゆえに、経済問題がくるようになるはずです。ずっと立派な方達が出てくれば良いのですが、そうではないから、後継者問題が起きるようになるはずです。私はその方達に、申し上げたいのです。血のささげ物をささげましょう。礼拝を回復しましょう。重要なことです。
 皆様がひょっとして聞くのがいやでも、あなたがたに必要な言葉です。仮りにこの話が理解出来なければ、正確に話して、救われていないことです。皆様の人柄に合わないかもしれませんが、そのようなことす。ひょっとして、皆様の耳に楽しくないかもしれなくても、そうです。ひょっとして、皆様の趣味に合わないかもしれませんが、そうなのです。血のささげ物、十字架が皆様の趣向に会うことは出来ません。しかし、正確で厳格な基準があります。それならば、皆様は救われていないのです。十字架の他には、救いがありません。血のささげ物でなくては、罪を赦されることもありません。正しい礼拝を回復しなくては、恵みを受けることができないのです。聞くことがいやでも、そうなのです。多くの方達が、私が韓国教会を批判すると言いますが、それでもそうなのです。どんなにそうでも、事実は事実です。
 パウロはこう話しました。とても知識のある人です。‘滅びに至る者には十字架のことばは愚かに見えるはずだ。しかし、救われた私たちには神様の力にです。’旧約には、血のささげ物がたくさん出てきます。今日、皆様が礼拝を回復する祝福があることを主の名前でお祈りします。
 ヨシュア3, 6, 10章に起きた事をすれば、奇跡があります。全部、契約の箱を中心にして回ったことです。イスラエルにサムエルという指導者が現れて、ミッパに民全体を集めたのです。あらゆる偶像を捨てて、神様に帰ってきなさいと言いました。その時、サムエルがこう話しました。‘あなた達が本当に生かして欲しければ、あらゆる偶像を捨てて、主なる神に帰ってきなさい。’その時ささげた礼拝が、イスラエルを生かしたのです。
 皆様がこの1年を送って、新しい1年を迎えながら、最も重要なことが、礼拝の回復です。皆様がご存知のとおり、アッシリヤ軍18万5千人が攻めてきた時、ヒゼキヤ王はどのようにしたでしょうか? 色々な方法があったのですが、ヒゼキヤ王は、神様の前に祈り始めたのです。どれだけ祈ったかというと、いのちをかけて祈り始めたのです。あらゆる王とイスラエルの自尊心を御前に出して祈り始めたのです。どんなことがおきたのか、あなたがたはご存知であるはずです。共産主義が攻めてきて、釜山だけが残った時、韓国教会で初めて全国教会の牧師と長老達が祈りし始めたのです。その時、どんなことがおきたのかは、あなたがたがご存知であるはずです。
 礼拝が何か知っているでしょうか? 途方もないことです。礼拝を正しく知っていれば、ものすごいのです。時々、男の人達より女の人が恵みをたくさん受ける場合があります。それは、すこし礼拝をよくささげるためです。礼拝がどれくらい重要か分かりません。詩100:4に感謝を持って、大庭に入るとされています。臣下が特別な命令を受けて王宮に入っていったかの様に、礼拝しましょうということです。詩22:3に賛美の中に住まわれる主と言われています。今日、皆様自身を見ながら、滅びていく世界を見ながら、早く礼拝を回復しなければなりません。
 
 イスラエルが最も危機に会った時です。その時現れた人物がダニエルです。ダニエルは、イスラエル回復のために行動し始めました。何をしたのでしょうか? エルサレムに向けて、一日に三回ずつ膝を屈して祈りながら礼拝し始めたのです。礼拝する時に起きることは途方もないことなのです。皆の目に見えない事実がなされるのです。皆様が祈る時ごとに、聖霊の働きが起きるのです。礼拝する時ごとに、悪い霊が崩れるのです。本当に礼拝するとすれば、天の門が開いて、皆様が知らないうちに天の使いを送ってくださって、皆様が知らない働きをなさるのです。
 それで、イエス様が公生涯を始める時、悪魔が現れて先ず一番に試みたことが何でしょうか? 私を拝めば全てのもの皆上げると言いました。簡単に話せば、私にに礼拝すれば全てのものを皆上げるということです。その時、イエス様が‘主なる神様にだけ礼拝しなさい、と言われた'と言われました。その話はなんの話でしょうか? イエス様のみことばは皆知っています。しかし、その意味は何でしょうか? 今でも、目に見えないサタンは、皆様の礼拝を奪って行こうとするということです。敢えてイエス様にきて、自分に礼拝しろと言ったのです。それも途方もないことを見せながら、礼拝せよと言ったのでした。なぜならば、詐欺師が詐欺を働く時、良いことを見せて詐欺を働きます。このサタンは、世の中の良いことを皆見せて、私を拝みなさい、すると皆上げると言ったのです。だまされてはなりません。
 私は、私たちの後輩に言いたいことがあります。私が恵みを受けることになった理由があります。礼拝回復です。私が説教を多くするようになったのですが、説教をしながら受けた祝福があります。礼拝回復です。そうしてこそ、神様のみことばをよく伝達できるのです。そうでなければ、自分の話をするようになります。この貴重な人々、全世界のメッセージの聞き手に私の話をしても良いでしょうか? 今、インターネットで米国全体、ヨーロッパでも礼拝しています。そちらに私の話をしても良いでしょうか? それで、私が礼拝を回復をしなければならないのです。私は私の後輩にしたい話は、これしかありません。あなたがたが礼拝回復をしなければなりません。そうしてこそ、生きるはずです。しかし、これは、即、表に現れません。時間が経てば経つほど、変えることができないことになります。役員の皆様が、子孫代々で祝福される道があります。それがまさに礼拝回復です。礼拝回復ができなければ、試みに会うしかありません。礼拝回復せねばならないのです。必ず記憶しなければなりません。
 今日、エゼキエル 47章を長く読みました。重要な部分だけ私達が確認せねばなりません。水が流れるのに、生かすこのいのちの水は、講壇からまず流れたという記録になっています。1〜2節までです。神殿の門からまず恵みの水が流れたということです。韓国を生かそうとすれば、礼拝堂からまず恵みの水が流れるべきです。この水は海に流れたのですが、8節に見ると海がみな生かされたとあります。海が息をふきかえすので、魚がみな息をふきかえしました。このいのちの水が流れて、川に行くようになったのです。だから川がみな息をふきかえすようになったと記録されています。川が生かされたので、木が生きるようになりました。川の水がみな腐ってしまえば、木がみな死ぬようになります。ですから、川が生きるようになれば、木が生きて、葉が生きて、葉は薬の材料になったということです。普通のみことばではありません。私が見る時は、どれくらい重要な話しなのか分かりません。
 特に3〜5節には、面白い表現があります。水を測量したら、足首まで浸りました。その次にまた測ったら、腰まで浸りました。そして、また測ったら、水が背丈を越えてしまったのです。それで泳いだのでした。海に行ってみたことがありますか? 海では、足首に水が浸れば歩くのは簡単です。皆様が海の中に入っていって、腰まで浸れば、走るのが難しくなります。しかし、私たちの背丈の2倍や3倍になる水では、走ることができません。その時は、水に自分のからだを任せて泳がねばならないのです。これが、聖霊充満を受けるべきだという重要な基準になるのです。結局、自分の力のままに生きれば、限界にぶつかるようになるのです。私たちは神様の子供であるゆえに、神様の祝福の中で生きねばなりません。あなたがたは神様の子供であるゆえに、神様の力を受けねばならない理由があるのです。私の思い通りに生きることは、自分の水準ですが、私たちは神様の水準で生きねばならないのです。礼拝の基準です。あなたがたが、この程度に充満される祝福を受けねばならないのです。時間がかなり過ぎました。これくらいなら礼拝がどれくらい重要かということが理解できたでしょう。
 3つの礼拝に成功するように願います。するとまちがいなく成功します。約束します。あらゆる神様のみことばにかけて約束します。
 第一に個人礼拝です。個人礼拝に成功しなければなりません。ひとりで恵みを受けて祈る時間があるべきです。皆様が説教を聞くことも礼拝です。一人でいる時、賛美を聞く、祈りをする、これも礼拝です。そのようなことが一度もない人と、ある人は差があります。人々が車に乗って通いながら、説教を聞くことと聞かないことは、差がたくさんあります。それが礼拝です。個人礼拝です。
 その次に2番目の礼拝があります。ローマ12:1〜2に、生きた礼拝です。その話は、皆様の生活の中でずっと祈れば、祝福を味わうということです。はた目には見えません。なぜならば、仕事をしながら祈ることだからです。皆様が世の中を生きていきながら祈ることであるゆえに、相当なことなのです。
 三番目の礼拝が、この2つができている人が教会でささげる教会の礼拝です。
 
 3種類の礼拝に成功なさることを望みます。
 すると、こういう結果が現れます。行ってみるならば答えがきています。すると、難しくないのです。私達が知らない道を行くのに、行く道に道しるべがあれば難しくありません。車に乗って行くのに二股に分かれた道で道しるべがないならば、どのようにしなければならないでしょうか? もちろん、二つの中のひとつですが、これから混乱が起きるのです。ところが、道しるべがあれば簡単に行くことができます。また行ってみると案内版が出てくるのです。すると、それを見て行くのです。そうすれば、簡単におもしろく旅行することができます。ある町には、行ってみても、はじめから終わりまで道しるべがありません。道は二股、三分岐もあるのに、道しるべはなくて、その日の集会に行く道は苦労する道です。入っていって、また出てきて、出てきたがまた入っていって、こういう事が起こるようになるのです。ところが、ある村に行ってみれば、道しるべがはじめから終わりまで出ています。その時は旅行は難しくありません。
 皆様が3種類の礼拝を回復してみれば、行ってみるならば答えが来ています。そちらへ行けばよいのです。すると失敗もありません。確実だからです。これをしなければならないことかという悩みもなく、答えが来ています。一つも難しくありません。すると、メッセージをすることも難しくありません。私が先週にこういうメッセージをしたのですが、神様がどのように働かれたのかを見れば、次のメッセージは何をしなければならないのかが分かります。何も難しいことがないのです。そのようにすればよいのです。すると、事業に成功の門がどんどん開くようになります。
 礼拝の回復は、人間に最も重要なのです。実際に神様を最もお喜ばせすることが礼拝です。神様は、礼拝を受けることを望まれると記録されています。私たち人間に最も必要な働きがあるとすれば礼拝です。私たち人間に最も混乱してしまうことがあるならば、礼拝に関してのことです。自分の思いのままに生きることです。それが最も混乱してしまうことです。
 ちかごろは、子供達そうで、自由ということをよく知らないのです。自分の勝手に生きることを自由だと考えるのです。それは自由ではありません。車に乗って回りながら、自分の勝手に通えば自由でしょうか? 自由ということは、そのようなことではありません。赤信号では進まないで、青信号では進むことが自由です。相手側から車が来たら、行かないのであって、行けばそれがどのように自由になるのでしょうか? この頃の子ども達や女の人達は異常です。自分は夫なく自由に生きると言いながら、自分勝手に回るのです。自由ではないかと言いながら。それが自由でしょうか?
 
 一度は友人と食堂に座っていたら、女の人が魚を持ってきました。家庭の主婦のようなのに、食事してどこか遊びにいくのではないかとたずねました。だいたい意味を察したのですが‘何故か' と尋ねました。‘カラオケのような所に行かないか?' ということでした。それで、わざわざ‘私は歌をよく歌えない'と言いました。‘おじさん達が、カラオケに行くならば一緒に行こうと思った'ということでした。‘おばさん、早く終えて家へ帰らないと、何のカラオケを歌うのか' と言いました。'子供達が待っていませんか?' ‘あ、私は皆分かってしている'と言ったのでした。私はそれを自由だとは考えません。それがどのように自由でしょうか? 米国に行けば、自由といいながら、めちゃくちゃに遊びますが、私はそれを自由だとは考えません。それが、どうして自由でしょうか? 自由ということは、自分が選択をこのようにすることができるということです。しかし、正しい選択をして自由になるのです。子供達が自由と言いながら、していることは滅びることです。
 
 私たちは、神様の前で最も重要な自由人の礼拝を回復すべきです。真理を知り、真理があなたがたを自由にします。今日、礼拝を回復する1年になることを、主イエスのお名前でお祈りします。今日のみことばに証拠されている祝福が、皆様にまちがいなくあるようになるはずです。お祈りします。
 
<<祈り>> 神様に感謝をささげます。今日、私達に重要な祝福を回復させてください。礼拝を回復させてください。私達は獣でないので、礼拝を回復する祝福を与えて下さい。それで2002年度、毎日勝利するようにさせてください。イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン
 
 


2部:赦して送る1年
(ピレモン1:1-25)
 
 
 今日は、2001年を送る最後の聖日です。それで、1部礼拝の時は、人間だけができる特権- 礼拝回復-に対して話しました。1年を送りながら、2部礼拝の時、必ず記憶しなければならないことは、皆様が赦しながら送る一年になるべきだということです。
 イエス様がこういうことをおっしゃられました。ある人が借金をとてもたくさんして、返せない程度になったのです。一生、ご飯を食べないで儲けても、とうてい返すことはありえないお金でした。不可能になったのです。この頃ならば、約 10億ないし20億程度になることです。途方もない負債を負ったのに、王が見て、この人がこの大きいお金を返すことが出来なかったので、滅びるように見えたのです。知恵ある王が、この人を呼んで、こう話しました。"どんなに見ても、あなたには返すことも出来なくて、返す能力もない。今から一生儲けても返すことができなくて、不可能ではないか。そうなれば、あなたが死ぬべきだが、そのようには出来ないでしょう? 私がそれを君に返してもらったことにして、実際には返してもらわなくて良い。" と言いました。そのようになったので、この人は生きる道が開いたのです。どれくらい気が楽になったでしょうか? 一生、監獄で住んでも返すことができないお金であったのに、非常に気分が良くなったのです。爽快になって行くときに、向うから自分にすこし借りた100デナリを借りた人に会いました。どのようにしなければならないでしょうか? 飲物やご飯でも買って与えながら、借金を返さなくても良いとせねばならないことではないでしょうか? 当然にそうでなければならない人が、自分にすこし借りたその人が過ぎゆくのに喉首をとらえて、何故借金を返さないかと脅かしたのです。いったい、日時がどれくらいなったのに、このお金を返さないことか? ということです。そばでこの事実を見ていた人が、やり過ぎると感じて王に行って告げました。すると、王がこの人を呼んでたずねたのです。‘お前はどうしてそのようにしたのか? お前が一生返すこともできないお金をすべて免除されても、となりのその小さなことを理解できないのか?それなら、借金を私にみな返す時まで監獄から出てくるな’と言いました。イエス様のお話です。悟らせるためにおっしゃったのでした。
 皆様と私にあったあらゆる問題と、私達が知らないでいた先祖の偶像崇拝と原罪と、私達が呪われるほかなかったことを神様はみな赦してくださいました。それは、新しく生きなさいということです。そうであるのに、自分のとなり、自分の親戚、自分の家族、そばにいる人の小さい事にとうてい赦すことができないならば、問題がある人ではないでしょうか? ということです。 絶対に赦してあげることができないならば、それは本当に問題がある人です。途方もなく呪われるほかない事実を赦されても、神様の救いの祝福を受けて置いても、自分のそば人の一回の小さな失敗を、またそれしか仕方がなかった失敗を赦すことができないならば、話が道理に合うでしょうか? イエス様が比喩をおっしゃったのでした。今日、皆様が一年を送りながら、一番良い祝福 1部では礼拝を回復すべきだということ..
 
## 2度目としては、赦しながら一年を送るべきということです。理由があります。
1. 最初、一般の人達は、よく知らないけれど、聖書には答があるために、皆様はよく見なければならないのです。使徒ヨハネがなんの誤ちもないのに、福音を伝えていて捕えられて死の島というパトモスに島流しになりました。あのパトモス島という死の島... 人が住めない所に福音を伝えるという理由で行ったのでした。だから、このヨハネの心には、多くの恨みがが生じたのではないでしょうか? 単に祈ったのではなく、号泣したとなっています。その時でした。神様が、ヨハネ黙示録 12:1-9節を見せられたのです。一人の女が子供を産もうとしたら、龍がこの女を殺そうとしました。 ところが、その女が子供を産んだのですが、彼がメシヤであったのです。黙示録12章 9節に見ると、昔のへびとなっています。ですから創世記のサタンを詳細に話したのです。それを見れば、ヨハネがむしろ力が生じました。‘これは単純に王が、教会が、迫害することではなくて、途方もない霊的なサタンだ'と悟ったのです。この時からヨハネは祈り始めました。それがヨハネの黙示録です。
 皆様が信仰生活を上手にやりながら見るべきです。黙示録 12 :1-9節を見れば、昔のへび、古いという文で答を出しました。既にアダムとエバが家庭を始めた時、サタンは目に見えないために親しくよく過ごす賢いへびに入っていって、完全にアダムとエバを欺いて滅亡させたのです。また、このサタンはそのままいないで、人に入っていって易、シャーマニズム人などをたくさん作りました。今でもそのようにして、みながだまされていて深く入っています。暗闇の勢力は、そのまま終わりません。皆様が見れば錯覚する程、知識人を起こして立派な人を通じてバベルの塔を作りました。これがまさに人のかたち、偶像に入っていき始めたのです。聖書には、これらすべてに答を出しています。聖書の他には、どんな本にもこういう話がないのです。私たちは、この事実を知っているのです。いよいよ、この暗闇の勢力は、家庭を破壊させようとして、青少年を破壊しています。簡単な話ではありません。これは嫌う話ではないのです。皆様の夫を嫌って、子供を、父母を嫌って... そのようにする理由が、知ってみればないのです。それは、未信者が悟ることです。 私達がよく悟ってみれば、嫌うことは絶対にありません。最も早くしなければならないことが、まさに赦しです。
 赦さなければならない理由が聖書にあります。慈悲を施す次元ではありません。一般の倫理、宗教ではそのように教えています。善を積んで..努力を重ねれば、祝福を受けるのではないか? ということです。もちろん、それも含まれています。しかし、聖書はそれがすべてではありません。私たちの戦いは血肉に対するものではなく、天にある悪い霊に対してです。主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対することです。聖書は、明白な答を持っています。それで、ひょっとして怒りを持って、血気を出しても、何日も持つなはということは、エペソ4:20-27 悪魔がスキを突くことできないようにするということです。皆様はどのように考えるのでしょうか? 私がこの説教をすれば、多くの知識人は理解をすることができないのです。人が間違ってそのようにすることがあります。しかし、世の中は時間が経つほど、異常になるのです。私が見れば見るほど、聖書は間違いありません。これは単純な人の言葉ではありません。ヨハネの黙示録を読んでみれば、末世に行くほど凄じい事が行われます。それで、私達が福音を知らなければならないのです。
 今日聖書を見ながらよく理解しなければなりません。皆様の子供が麻薬を続けることを簡単に見てはなりません。健全な人が麻薬をすれば、切るこおができます。これをすべきではない、と決心できます。しかし、精神的に問題がある人が麻薬をすれば、切ることはありえません。一般の人々は、酒を飲みます。正常な人は、酒を飲むことも出来て、飲まないことも出来て、切ることも出来ます。しかし、精神がおかしな人が酒を飲めば、アルコール中毒になるのです。そこには、霊的な問題が共に行われたのです。麻薬を切るためには精神治療からしなければなりません。簡単に話せば、これまた精神病です。子供達が友人と交流して、知らずにシンナーに好奇心を持ったとするなら、その子どもは治ります。しかし、すでに精神に問題がある子供は、霊的にサタンに捕えられているために、抜け出すことができないのです。してはならないと思いながらもするのです。はなはだしきは、ある子どもは、ガスを一缶だけ吸っても理性を失うのに、夜通し何缶も吸うのです。その子供の未来は、どのようになるでしょうか? 皆様は、麻薬をすることを単純に見てはなりません。まず麻薬する人は、霊的な問題からきたのです。 
 
## 何故、救われた私達に赦しが必要なのでしょうか? 最初の理由は、霊的存在が別にあるためです。
2. 2番目は、多くの人々が傷を持っていることです。これを理解しなければなりません。理解することができなくて、赦せるでしょうか?
 
- 皆様があまり孤独に生きたり、あるいは孤児、放置されて生きたり、隔離されて生きたり、あるいは父母と別に生きた人間は、傷があります。こういう部分を理解して、赦すことしか、この人が息をふきかえすことはありません。あまりに貧しかったり、あまりに無知だったか、生活に困っていた人は、傷があるのです。仮りになければ、ないとおり堕落していれば、あるまま異常になります。田舎であまりに無知で生きた人間が、外に出てくれば、おかしな行動をします。幼い時に持った傷ゆえにそうです。こういう人がお金を儲けるならば、とてもよくない程に金があるような行動をします。こういうものがみな持っている傷です。疾病の中にいたり、あまりに虚弱だったり、おかしな経験をした人々は、ここをサタンがスキを突くのです。彼らに最も必要なことは赦しです。
 今日一年を送りながら、ひょっとして家庭に葛藤がある方達は、簡単に考えてはなりません。簡単に考えればだまされます。皆様が育ってきた背景、それが自分でだまされるのです。家族が生きてきた背景にだまされるのです。ここに聖書の他には、絶対に話をすることができない答があります。"悪魔が絶対にスキを突くことができないように"一般の人々は、そのように話さないでしょう。アナニヤとサッピラに "この悪い人達"と言わなければならないのに、聖書は "アナニヤ、あなたはどうしてサタンに満たされて.."と話しています。他の所にこういうみことばがあるでしょうか? ここにいる青少年と多くの青年達が、祈ることは皆様が傷を持っていれば、必ずサタンが利用をしてそこに陥ってしまいます。それで私達が、理解せず、赦さなければ、生かすことができないのです。
 
 今日、本文に重要なみことばが出てきました。このピレモン書の背景を知っていますか? オネシモというしもべは、ピレモンの家にいた奴隷でした。この奴隷が向こう見ずで、ピレモンの財産を持って逃げたのでした。そうしながら捕えられて、監獄に入っていったのですが、その中でパウロに会って、本物の福音を受けたのです。このオネシモはが過去に、奴隷で生きた背景は、盗みをするしかなかった霊的問題、命をかけて逃げて監獄に入ったオネシモ、ここに福音が入っていって、オネシモが完全にいやされたのでした。この人がどこから来た人でしょうか? パウロが福音を伝えた時、最もたくさん手助けしたピレモンの家のしもべでした。驚くべき縁、必然でした。コロサイ教会を立てた最も力があるという人が、ピレモンでした。とてもお金があって、水準が高く、福音を正しく知っている人でした。このピレモンのしもべが監獄に行ってパウロに会ったのです。そのようなオネシモが、監獄に入ってきてどんな人になったのでしょうか? 今日の聖書を見ると、パウロの腹心になりました。本当に驚くべきことです。この時、パウロがコロサイ教会の指導者、長老のようなピレモンに手紙を書いたのがピレモン書です。オネシモは、私の腹心になった。以前には無益な人でしたが、今はもはやパウロとピレモンに有益な人になりました。オネシモを送るから受け取ってくださいと書いたのです。この手紙を書いたことは、無理にしたことではなく、心からすることだと書きました。ピレモンという人が、パウロの話を聞いて、自分を背信した泥棒、自分の財産を持って逃亡したオネシモを受け入れたのですが、どのように受け入れたかが重要です。それで、私がオネシモの記録を調べたのです。後にこの地域の教会を総管する人としてオネシモが立つようになりました。大きい人物になったのです。これはピレモンがこの人を本当に受け入れたということに間違いありません。
 皆様が信仰生活するなかで、必ず記憶しなければなりません。これを理解できなければ、皆様が恵みは受けるけれど、進んでいって良くなりません。この話をわかることができなければ、皆様の現場が復興しないで、家庭に祝福がおきません。皆様の地域地域に伝道の門が開かなければならないのに、それもできません。そして、より理解するべきことは、核心の時に話すでしょうが、霊的問題が深刻な人は、教会生活ができないのです。ある程度、深刻でなければならなくなるか、それともできないのです。ですからどんどん回るのです。この事実を牧師達が、理解しなければなりません。そして、霊的問題が深刻な人は、何の話しも聞くことができません。ただイエスだけ、この話の他は聞けば熱を出します。広告も聞くことがいやで、はなはだしきは、献金も出さないで賛美することも嫌います。何故そうなのでしょうか? 霊的問題ゆえです。これを牧師が理解できなければ、永遠にできません。こういう人が米国とヨーロッパにとても多いのです。それで、私が見ると米国とヨーロッパ牧会は、とてもやさしいのです。しかし難しくしているということを知っています。ひとつだけ悟ればとてもやさしいのです。簡単な傷ではありません。傷があっても、皆様は知らず、そして未信者は絶対に教えてくれず、ソウル大と他の一流大学では拒否する -こういう問題を彼らは拒否している- 傷ついたこちらにまちがいなく存在するサタンの勢力が重なるのです。皆様は理解して戻らなければなりません。そして新年を始めなければ、それでなければ、葛藤ゆえに生きることができないのです。
柳)) 名前は明らかにできないのですが、韓国の最も重要な位置にある方の家族のことです。その家族は、イエスを信じる家です。女の方がまったく夫を理解することができないと言いました。夫は執事なのですが、酒を一度飲み始めれば、一週間飲むということでした。それが可能でしょうか? そのようになれば、仕事をすることもできないのです。一週間、ご飯も食べないで飲むというが、短ければ三日、長くは一週間、飲むということでした。一旦倒れれば、病院に行くのですが、病院でも知っているということです。 "また来まいたか..”と挨拶する程でした。病院に行ったのに、そのままいることがあるでしょうか? 応急治療も受けて、血を吐くこともしました。そして、病院で祈りと悔い改めをして、退院して三日程過ぎれば、また飲み始めたらしいのです。その時は、がまんしていた分もともにもっと飲むのでした。まったく理解でなくて、その本人も理解ができないということでした。どんなにするまいとしても、できないらしいのです。悟りさえすれば、信仰が本当に良い人なのに、突然に変わるのでした。私はその方を見て、話を聞いた瞬間に分かりました。家庭は、とても重要な家庭でしたが、正しい福音の秘密が正しく適用されないのでした。それで、この人に葛藤が生じて、霊的問題が深刻になったのです。それで夫人に本当に理解を良くして助けるべきだと話しました。皆様がこの部分を知っていなければならないのです。
 何故、私たちは赦す信仰を持たねばならないのでしょうか? 単純に赦すことではありません。何故、私達は赦さなければならないのでしょうか。単純に心が広く、うつわが大きいためである訳ではありません。知っていればするしかないのです。この暗闇の勢力が、確かに存在しながら、皆様の家庭、私たちの青少年、今、私達の社会を静かに押し倒しています.. それで、午前 1部礼拝の時、創世記 3章, 6章, 11章, 12章を理解できなければ、その次に聖書全体が分からないと話しました。これが分かれば、赦しという単語を知るしかありません。2番目に皆様が知らなければならない理由が、多くの人々が、背景、家庭、環境に傷があるのに、この部分がいやされていないのです。そのような状態で、霊的問題がくるので、やられるしかありません。本当にいやそうとするなら、私たちの赦しが必要で、理解が必要です。皆様にこういう祝福が本当に2002年度に始まることを希望して、1年を送って本当に悟る祝福があるように願います。
柳)) この前に話 たことのように、ある方がずっと牧会をしながら、用事を見にでかけることでなく、何日かずつ出て行く方がいました。奥様が知恵がなくて、福音がないから、理解できなくて戦わざるをえなかったのです。戦うことも、一回くらいならばよいのですが、この方達は毎日戦うのでした。ところが、奥様がそのまま是非を論じることでなく、戦いになるようにふっかけて、この方も戦って... 私は理解できます。この方が私に話したのです。私は理解できました。私に告白して、自分と一番対話できない人が夫人だと言いました。私も肯定しました。自分自身の過去を私に話しました。父が3歳の時に死んで、5歳にお母さんが家を出て行ったのです。それで行く所がなくて、叔父の家で住んだのですが、自分は夕方ごとにお母さんをさがそうとそとに出て行ったと言いました。その時には、お母さんはもういなかったのです。夕方になれば眠ることもできなくて、お母さんを探しに行ってみてみたいらしいのです。まだ帰ってくるかもと信じていたということです。この方には、幼い時に既に霊的問題がきていたのでした。通いながら、中学校の1学年時から喧嘩をして乱暴にしたということです。世の中的に見れば、ならず者だったと話します。実際には、ならず者ではないのに... そうして、キリストに会ったのでした。イエス・キリストに会って、どれくらい衝撃を受けて感激したか、この方の話しでは1ケ月間ずっと泣いたということです。それにもかかわらず、幼い時からの傷があったのでした。3歳の時からの傷が簡単になくなりません。告白されたのは、日が暮れたら、やたらに異常になると言いました。絶対に家にいることができなくて、出て行かねばならないということでした。そのまま足が行くままに歩き回るのでした。家に帰ってくれば夫人と戦いになるので、家にも帰らないのでした。相手方には、これを理解する頭がなかったのです。私は理解できます。この人がその状態、そのままをずっと持って行くのです。ある時は無理に耐えることであって.. それが簡単なことではありません。ずっと戦いになって、問題になるのです。誰か一名だけが理解して良くなることではなく、最も近くにいる人ができなければならないのです。それで私が奥様に会って話をしました。自分の実家に行って話をするので、正しく話できるでしょうか? 正しく言い表す人ではありません。私が電話をして、牧師がおられるかとたずねたら "用事で出かけました"と言えば良いのに、最初から "知らないんですよ、私も!"と言うのでした。私が電話をしたから幸運であって、他の人が電話したならば、どのようになるでしょうか? 水準がその水準でした。その方を直すことができるでしょうか? 私が牧師の状態を話したら、わかることができなかったのです。するとずっと苦労します。簡単な話ではありません。
 
柳)) それならば、この地に生きているほとんどすべてがそうで、青少年はどうなのでしょうか? 子供達がすでに学校に通う時、話をしません。自分自身が立派な人物になるべきで、そのような人物になるという話はしないのです。学生達が絶対に話すことができない悩みがあります。相談する時も話しません。それが何でしょうか? 勉強ができないことです。学生達が勉強ができないと、どんどん悩みが積まれていくのです。絶対に話をすることもできないのです。こういう状態が積まれているのですが、こういう状態ですこしでも霊的におかしな環境に会えば倒れるのです。これが、現在の学生達の問題ですが、私たちは理解しなければなりません。理解できなければ大変です。未来指導者訓練院の子供達を私が見たら、本当に優秀な子供達でした。その子供達の両親、環境がこの子供達を保護するのに助けにならなかったことが事実です。皆すべてではありません。ある父母は、子供達に関心もない人もあります。私達が相談するために電話をすると、知らないという人があるほどです。こういう部分をよく知っていれば、皆様に生じる思いは、単純にこの子供達を助けなければという気がするのではありません。胸に愛が生じるのです。それでこそ、本当に祈りができ"この子供達は哀れだな" この程度の心で働きをすれば、相手方は気分が悪いのです。そうではないでしょうか? 私達が働きをしながら重要なことが相手を理解することです。
3. 三番目に赦さなければならない理由を知っていることは、福音でなくては絶対に解決できないためです。この地にいる人の霊的問題が、福音でなくて解決できるでしょうか? そして、私が福音を受けなかったのに、どのように理解して寛容になれるでしょうか? できません。簡単に話せば、泥棒だったオネシモが、教会の監督になったという事実、簡単に話せば罪を犯して、逃げたオネシモが、パウロという人の腹心になったことです。今日1年を送りながら、皆様は必ず考えなければなりません。まず起きた小さな事が問題ではありません。だから、人が小さなうつわになるのです。荒野を行くのに水がない、それが問題ではないのです。荒野を行くのにご飯がない.. それが問題でしょうか? 私達が生活していて、すこし葛藤が生じたことが本当の問題でしょうか? 私達が生きていくのに、兄弟姉妹の間で、信仰の人々の間で良くない事があったことが、大きい問題になるのではありません。本当の大きい問題を正さなければなりません。それでこそ、皆様は勝利できるのです。この席にいる皆様の中にいる、長い間他の宗教をしていて福音を受けた人、長い間、易、シャーマニズムをしていて福音を受けた人々は、皆様も知らない間に深い傷があることを悟って、信仰生活しなければならず、そばにいる人が助けるべきなのです。
 最後に結論を結びます。皆様が福音のなかで理解と赦しをこえば、どんな祝福を受けるのでしょうか?
 
(1) 多くの人物がいますが、その中のヨセフがいます。ヨセフは単純に赦したのではありません。兄達がヨセフを殺そうとして、奴隷で売りました。ヨセフは神様の計画を知っていたので、兄達に会った時述べた言葉があります。"兄達が私を売ったのではなく、神様が.."と言いました。ヨセフは総理になりました。神様の大きい祝福を受けたのです。
(2) 悪霊に取りつかれた、精神がおかしなサウル王が、地位は高くて悪霊に取りつかれて、政治をどれくらい異常にしたでしょうか? 彼は、ダビデを殺そうとしました。ダビデが王になることと、力があることを知って殺そうとしたのです。数万名の軍人を率いて行きました。ダビデがどんな人であったか、皆様がよく知るでしょう? 彼は、元々戦争を良くして、戦いを上手にやる人ではないでしょうか? ダビデは終わりまで逃げ通しました。サウル王を殺すことができる機会が、三回もありました。しかし、殺しませんでした。神様が誰を祝福なさったでしょうか? ダビデを祝福なさいました。サウルを祝福されたことはありません。
 
 今日あなたがたが暗闇の勢力に勝つ道は、最初は福音で、2番目はみことばで、3番目は祈りですが、最も重要な最後のは赦しです。青少年達は、必ず記憶しなければなりません。あなたがたが家庭で受けた傷を外にそのまま持って行けば大事になります。皆様はそれを充分に理解して、感謝するようにならなければなりません。すると土台になります。それでなければ、いつかは引っ掛かって倒れます。だいだい見れば、人々は表に現れます。学生達と相談してみれば、年をとって常に否定的な人を見れば、その人がしっかりしているとかいうことではなく、何か傷が内にあるのが現れるのです。これをよく知って助けるべきです。皆様がチームの働きをする時も、よく知っていなければなりません。どんなに正しい言葉でも、正しい話にはなりません。私たちの教会がこうで、父母がこうで..という話は、その話が正しくても、そこに同調してはなりません。どんなことがあってもかまわないのです。パウロは、四方八方から苦しめられても、窮することはなく、途方にくれても行き詰まらない、と言いました。自分は、土のうつわだけど、宝を持ったと言いました。
 外国に行く子供に、私は誰も手助けする人がいないと思いなさい、と言いました。それは孤独に生きなさい、ということではありません。どんな状況でも生き残るべきだという意味です。祈りの秘密、福音の秘密を持って行きなさい、と言いました。それが正答です。どこからか助けを受けて生きるのでしょうか? その考えから違っているのです。信仰生活の中でものすごく重要なことです。ひょっとして、皆様が持っている傷とか皆様が持っている恨み、こういうものは、なんでもないことのようですが、サタンの通路となるのです。ところが、救われることができなくて、福音を受けることができなかった人は、理解することができないのです。仮りにものすごく傷が多い人が成功すれば、問題が現れます。麻薬をするというようなことが重なるしかないのです。
 
 今日、福音の中に私たちを呼ばれた神様の前に感謝を申し上げて、皆様が今日1年を送って新年を迎えながら、赦しが何かを知るべきです。赦そうということではありません。赦しを知っていてこそ、赦せるのです。この祝福を受けて、神様の大きい答えを受ける皆様になられることを主イエスの御名でお祈りします。
契約の祈り>> 神様に感謝申し上げます。今日、私達に救いを下さいました神様が、これから私達の現場へ帰れば、霊的なことを理解することができる目を与えて下さって、赦しが何かを分かる力を与えて下さい。神様の真の祝福を受ける1年が新しく始まるようにしてください。主イエスの御名によってお祈りします。アーメン>>
 


3部:祝福して送る1年
(ローマ16:1-27)
 
 
 2001年を送りながら、今日の最後の聖日に私たちは必ず記憶せねばならないみことばを考えています。今年が行って、来年がくる前に、必ず回復せねばならなくて、上手にやらねばならないことが、一番目のことが礼拝です。賛美がとても良い賛美を上手にやりました。獣は話すことができなくて、賛美が出来なくて、礼拝を出来ません。人間にだけ礼拝する特権と権威を下さいました。牧師達が研究を多くすれば、礼拝をよくささげることができるとしても、それは一部分です。牧師が恵みを受けて、個人が礼拝に成功して、礼拝の重要性をよく知っていれば、説教を上手にやることができます。神様が願われるメッセージが出来る訳です。そうしてこそ信徒達が生かされます。
 そして、2番目に必ず回復しなければならない事が赦しです。赦すということは、理解したということです。これを知らなければ、霊的戦いで勝つことができなくて、人を正しく手助けすることができません。また、重要な祝福を受けることができないのです。これを2部でお話しました。今日、ソ・ギョング牧師、チョン牧師が礼拝の導きをしてくださって感謝します。他の理由ではありません。今、礼拝する心から首都圏福音化しようという心です。他の意味は、何にもありません。そのような意味が伝えられるようにしたいのです。このように礼拝を一緒にささげようとする、それだけでも首都圏が一つになる祝福が与えられるはずです。牧師様の教会と個人に大きい祝福があるように望みます。
 
 また、三番目には、祝福して送らねばなりません。皆様が知っていなければならないことがあります。未信者に対してイエス様はこのように正確に評価をなさいました。"あなた方の父である悪魔"と言われたのです。うそつき、そこに属する者だと言われたのです。ぞっとする話です。道を行く未信者にこの話をすれば、これは相当な話しです。イエス様がその話しをなさったのですが、静かに見てもそうです。最も重要な人生を悪霊に取りつかれた者に行って尋ね、問題が生じればグッ(降霊術)をして、そのようなことをしない人はそれほど成功しない人なのです。悪魔のお手伝いをするしかありません。成功した人々は、不安だから宗教を持とうとするのですが、それですることが偶像崇拝です。だから困難が来るしかありません。 "あなたがたの父である悪魔"と言われました。ほとんどみなここにだまされているのです。
 
 すると信者が受けた祝福を知っていなければなりません。ヨハネ1:12に、神様の子供となる特権を与えられたと言われています。光の子供であり、王のような祭司として呼ばれ、神様の子供になる祝福をくださったのではなく、特権を与えて下さったのです。ところが、知っていなければならないことは、特権の特徴があるのです。特権の特徴は、使用しなければならないことです。使用しないと、何らの力もありません。神様の子供になる特権を与えられました。皆様に途方もない権威をくださったことを知っていますか? 神様の子供になる権威を下さったのです。権威は権能とは違う言葉です。権能は "Power"という力です! 使おうが使うまいが私にある力です。ところが、権威は誰かが私に与えたものです。例を上げれば、長官がなん名かいますが、その人々は、大統領が任命をしなければ、その権威はないのです。平民でありながらも、大統領が任命すれば、その特権が生じるのです。
 
 例えば、ある女性が文化長官になったのですが、特権を使わないで、他の仕事をしていて、解任させられました。長官としての特権よりは、自分自身がする仕事を重要視したのでした。私が見るのには、自分の仕事も重要ですが、国家で、それも大統領が与えた特権ですから、より重要だと思います。もちろん、文化的側面で見れば、たいした方ですが、国家的側面では誤っていたのでした。のがせばそのようになるのです。
 
 皆様がものすごいからではなく、神様が子供になる権威をくださったのです。これを使えばよいのです。ところが、これを私たちは祝福する所に使わなければならないのです。皆様に祝福できる権威があるのです。私たちは光の子供であるゆえに祝福できます。すると、今日祝福しながら生きるべきなのですが、どのようにせねばならないのでしょうか?
 
1. 祈りでできます。最高の権威です。信者が主の御名で話したゆえに、イエスの名前で話すのです。これが祈りです。実際に皆様が言う話は、みななされるます。考えから話が出てくるのです。話をむやみにする人は、考えがむやみな人です。すると、むやみな人生になるのです。結局、話はそのままなされます。話しがどれくらい重要でしょうか? 未信者が使う言葉も、実際にはそのままなっています。否定的な人は話しも、人生も否定的です。止むを得ません。話はそのまま成就になるようになっているのです。
 
 ところが、私達が祈るということは、イエス様の名前で話すことです。これは大変なことなのです。こういう祝福を下さいました。私たちは、祈りで祝福できるのです。クリスチャンが話すべき言葉がないから、祈りをしようというように、何でもないのでするのではありません。話す言葉がない時 "祈りでもしようか”というそのようなことではないのです。これは最高の祝福です。
 
 ローマ1:9 - "私が御子の福音を宣べ伝えつつ霊をもって仕えている神があかししてくださることですが、私はあなたがたのことを思わぬ時はなく" パウロがどれくらいローマのために祈ったでしょうか? その祈ることに対して、神様が証人ということです。祈りは小さなことではありません。
 
 Iコリント1:4 - "私は、キリスト・イエスによってあなたがたに与えられた神の恵みのゆえに、あなたがたのことをいつも神に感謝しています。" 重要な信徒を置いて、パウロが常に神様に感謝すると言いました。パウロがどれくらい貴重な人物でしょうか? 今日、この恵を受けなければならないのです。
 
 Uコリント1:3 - " 3 私たちの主イエス・キリストの父なる神、慈愛の父、すべての慰めの神がほめたたえられますように。神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。こうして、私たちも、自分自身が神から受ける慰めによって、どのような苦しみの中にいる人をも慰めることができるのです。それは、私たちにキリストの苦難があふれているように、慰めもまたキリストによってあふれているからです。もし私たちが苦しみに会うなら、それはあなたがたの慰めと救いのためです。もし私たちが慰めを受けるなら、それもあなたがたの慰めのためで、その慰めは、私たちが受けている苦難と同じ苦難に耐え抜く力をあなたがたに与えるのです。私たちがあなたがたについて抱いている望みは、動くことがありません。なぜなら、あなたがたが私たちと苦しみをともにしているように、慰めをもともにしていることを、私たちは知っているからです。兄弟たちよ。私たちがアジヤで会った苦しみについて、ぜひ知っておいてください。私たちは、非常に激しい、耐えられないほどの圧迫を受け、ついにいのちさえも危くなり、ほんとうに、自分の心の中で死を覚悟しました。これは、もはや自分自身を頼まず、死者をよみがえらせてくださる神により頼む者となるためでした。ところが神は、これほどの大きな死の危険から、私たちを救い出してくださいました。また将来も救い出してくださいます。なおも救い出してくださるという望みを、私たちはこの神に置いているのです。あなたがたも祈りによって、私たちを助けて協力してくださるでしょう。それは、多くの人々の祈りにより私たちに与えられた恵みについて、多くの人々が感謝をささげるようになるためです。
 
 ガラテヤ1:3 - "どうか、私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたの上にありますように。キリストは、今の悪の世界から私たちを救い出そうとして、私たちの罪のためにご自身をお捨てになりました。私たちの神であり父である方のみこころによったのです。どうか、この神に栄光がとこしえにありますように。アーメン。" 
 
 エペソ1:3 - "私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神はキリストにおいて、天にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。.." このように19節まで見ましょう! 希望、保証され、受け継ぐものを知るように祈ると言いました。19節 "また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、あなたがたが知ることができますように。!" これが、私達がしなければならない祈りです。これが子供のために私達がしなければならない祈りです。神様の力と恵みを知るようにする祈りということです。
 
 ピリピ1:3 - "私は、あなたがたのことを思うごとに私の神に感謝し、あなたがたすべてのために祈るごとに、いつも喜びをもって祈り、あなたがたが、最初の日から今日まで、福音を広めることにあずかって来たことを感謝しています。..." 祈りをどのように考えているでしょうか? これは途方もない祝福です。皆様が祈りで聖徒を祝福するのです。
 
 牧師と主のしもべ達は、役員や信徒達のためにいつも祈らなければなりません。動く時ごとに祈らなければならないのです。まちがいなく答えられます。皆様は時間がある時ごとに主のしもべのために祈らなければなりません。私はいままで祈ったのに、答えられないことは、一度もありませんでした。今までは訓練の答えを下さって、来年からは本当に伝道するようになるでしょう。今日本当に契約を捕まえなければなりません。
 
 本当に祈っているでしょうか? 答えられます。私と主のしもべのために祈っていますか? そのまま通り過ぎることはありません。多くの方達が、常に自分が引き受けた学生達、信徒を考えなければなりません。どのようにすれば、その人達に神様の祝福を受けるようにさせられるだろうか? この考えがいつもあってこそ、常時祈りができるのです。これはパウロが真実に話したことです。
 
 コロサイ1:9 - "こういうわけで、私たちはそのことを聞いた日から、絶えずあなたがたのために祈り求めています。どうか、あなたがたがあらゆる霊的な知恵と理解力によって、神のみこころに関する真の知識に満たされますように。また、主にかなった歩みをして、あらゆる点で主に喜ばれ、あらゆる善行のうちに実を結び、神を知る知識を増し加えられますように。"皆様がすることがこのことで、祝福して生きなければならないことの中にひとつが祈ることです。
 
 Iテサロニケ1:2 -"私たちは、いつもあなたがたすべてのために神に感謝し、祈りのときにあなたがたを覚え、" 不思議に祈りができるでしょう。すると、受ける祝福が途方もないということです。祈りが出てくる人があります。皆様の教会の牧師が何故いるのでしょうか? 皆様に祈りの秘密がないためです。牧師になって、私たちの教会の長老、教役者、信徒のために祈らないということは、途方もない特権をあきらめることです。常にこの話が分からないとこまります。心から考えて、心から祈らなければなりません。
 
 働き手はすごいのですが、人々は本能的に非難しようとするのです。本当に祈りの人ならば、そのようにしないでしょう。私もむかしには、本能的に非難しました。しかし、祈ってみると、そうではなかったのです。教会が困難に会うこと、人々が困難を経験すること、長老達が力が抜けるということ、みな理解できて、祈りができたのです。こういう気がしないでしょうか? しないならば、にせ物です。教会の働きを引き受けた人々、教会学校の教師のために祈りが出てこないでしょうか? 祈りが出てくるべきなのです。
 
 Uテサロニケ1:12 - "それは、私たちの神であり主であるイエス・キリストの恵みによって、主イエスの御名があなたがたの間であがめられ、あなたがたも主にあって栄光を受けるためです。" 常にあなたがたのために祈ると言いました。
 
 Iテモテ1:1 - "私たちの救い主なる神と私たちの望みなるキリスト・イエスとの命令による、キリスト・イエスの使徒パウロから、信仰による真実のわが子テモテへ。父なる神と私たちの主なるキリスト・イエスから、恵みとあわれみと平安とがありますように。" パウロがテモテのためにどれくらい祈ったでしょうか? 真実のわが子と言いました。このくらい、副教役者のために祈らなければなりません。これほどになれば殆どなるようになっています。
 
 Uテモテ2:1 - "そこで、わが子よ。キリスト・イエスにある恵みによって強くなりなさい。多くの証人の前で私から聞いたことを、他の人にも教える力のある忠実な人たちにゆだねなさい。" パウロがテモテにわが子と言いました。
 
 テトス1:1-4 -"神のしもべ、また、イエス・キリストの使徒パウロ・・私は、神に選ばれた人々の信仰と、敬虔にふさわしい真理の知識とのために使徒とされたのです。それは、偽ることのない神が、永遠の昔から約束してくださった永遠のいのちの望みに基づくことです。神は、ご自分の定められた時に、このみことばを宣教によって明らかにされました。私は、この宣教を私たちの救い主なる神の命令によって、ゆだねられたのです。・・このパウロから、同じ信仰による真実のわが子テトスへ。父なる神および私たちの救い主なるキリスト・イエスから、恵みと平安がありますように。"
 
・聖徒達、弟子達がこういう祈りが出てくるべきです。パウロが何かの時にしたことではありません。そのような話ではありません。どれくらい祈りを多くするのか?ということです。これがものすごく重要です。私達が何で祝福しなければならないのでしょうか? 祈りです! 祈る時ごとに祝福するのです。仮りに皆様が教会と主の民と主のしもべのために最も祈りがたくさん出てくるならば、まちがいなく成功する人です。皆様の教会は生きるようになっています。
 
2. 福音のために、福音、宣教のなかで祝福するのです。福音の外ですることは、むなしい事です。これは肉体的だけです。私たちは常に肉体的です。祝福も、出会いも、皆、肉体的です。本当に真実の愛と交りをしたければ、福音のなかで、キリストのなかで、伝道のなかでしましょう。人間的な話もしなければならないけれど、それでも福音のなかでしましょう! 途方もない祝福になります。
 
 パウロが獄に入った時に、ローマ16章を見ればわざわざ獄に一緒に入った人がいます。使徒7章に、ステパノが最後にメッセージをしたのに、死を知っていたが、福音ゆえになんにも恐ろしくありませんでした。聖書をよく見ましょう! 2番目タイトルの "福音のために"ということの結論を結びます。使徒9章, 14章、働き人がおきることも福音のためです。皆様が福音のためにしたことは、一つも地に落ちないで、全部、神様の前に届くだけでなく、答えられます。私は、むかしに行ったけれど、実が結ばれなかったことも、今、答えが来ています。本当に恥ずかしいけれど、知らずに伝道しにいったのも、今、みわざが起きます。むかしに、何にも知らずに訪ねたのも今、答えが来ています。伝道は永遠なのです。福音のためならば、そうです。聖歌隊員や働き人は、難しく仕事をしています。しかし、福音ゆえにすることなので、祝福を受けるはずです。この福音のなかで聖徒を祝福しましょう!
 
3. 皆様自身と本人の位置を知って、祝福しなければなりません。牧師達は、各教会公認であるゆえに、それを知って手助けすべきです。ここにいらっしゃったあらゆる牧師夫人は、公認の夫人であるゆえに、それを知って感謝して、手助けすべきです。それを知らなければ、どんなに働きをしてもみわざが起きません。皆様が長老ならば、その位置が何か?を知って、祝福しなければならないのです。新しく来た信者がだれか? これを知ってしなければなりません。全く正しいとしても、問題がくるのです。
 
 何の話なのか分かるでしょうか? ローマ16章を見ましょう! ある人は、保護者、同労者、愛する者、労苦する者、親戚、認められた者、家主、このように出てきました。これは何の話でしょうか? 自分の役割(role)をよく知ることです。心理学に見れば、Role expectation(役割期待)という言葉があります。自分自身の役割に合う期待が必要です。そこに合わないとだめなのです。自分自身の役割を知っていてこそ、その人を手助けすることができます。必ずそのようにしなければなりません。この人達の役割が合わさって、大きい働きを成し遂げるのです。すると、個人はなんにもないのでしょうか? 個人は神様の子供であり、子供になる祝福と権威を受けたのです。
 
 インマヌエルという名前で始める理由があります。釜山に暗闇の勢力を早く破るためには、同時に700ケ所に食い込まなければなりません。平日教会が必要です。首都圏に 2,000ケ所が必要です。今年中に突然にだめでしょうか? 正しく心を抱いた人100人だけがいもかまわないのです。地域、建物、殆どできています。本当の福音を持って行けば、ほとんどできます。
 
 私がむかしにペク・ウンギュ牧師とともに下段に福音を伝えに行ったのですが、地域教会を心に決めて、そのまま行きました。行ったところ、大福食堂という食堂があったのですよ。その食堂の社長が、私がよく知っている長老の息子で、むかしに私にお兄さんと言いながら付いてまわった子供でした。何か別の物を必要としていますか? 建物の地下をお金も必要なく、使って下さいと言いました。こういうことが一日でいくつが生まれました。本物の祝福もみなのがしているのです。明日の夕方に話そうとしています。聖徒達がみな起きる必要はありません。ここにいる方達の中から、オープンする人だけ捕まえて、首都圏 2000ケ所に食い込むのです。この時、どのようなことがおきるでしょうか? 神様の奇跡がおきるはずです。神様の国が臨んで、暗闇の勢力が打ち破られるのです。
 
 その人々が、私たちの教会にこなくても良いのです。近い教会に行くようにして、伝道を一緒にするのです。私たちの教会に初代教会の働きを起こすのです。今はこれをする時刻表がきました。今は悟ったゆえに、キャンプに行くのではなく、一地域でずっとするのです! この話をそのまま聞かず、少し目をとじて考えてみましょう! 客観的に考えてみましょう! 所々、数千ケ所にみことば運動がおきるようになるのです。この教会に出席する、この働きに参加する人々を、神様は祝福なさるしかありません。
 
 これがまさにツラノ運動であり、エペソ運動です。アジアに住む人は一名ももれなく福音を聞いたとされています。暗闇の勢力が、どれくらい打ち破られたのか、偶像崇拝をしないお金が銀 50,000もなると書かれています。この運動を来年には容赦なくしなければなりません。この中でする人一名だけ出てきても、2,000ケ所できます。例をあげてみます。私が釜山中央教会に行ったのですが、教師30名余りの中で6人以外には、青少年の働きに関心がなかったのです。残り 24人は、そのまま聖日に共に礼拝して、その 6人と周囲の学校に食い込みました。みわざが起きました。そのようになれば、そばにいた24人も一緒に祝福を受けたのでした。
 
 今は時がきました。重要な心がけを持ってしなければなりません。本当のみことば運動を開かなければならないのです。釜山市内の暗闇の勢力を焦土化させましょう。今、正しく伝道する人がいません。全部、個教会主義、教会権力主義、利己主義に陥っています。する人だけすれば良いのです。できない人は待てばよいのです。無理にする必要はありません。重要な祝福が2002年度に起きることを信じます。
 
 祝福すれば生かされます。礼拝に成功し、赦して生きる一年になるように願います。
 
<<契約の祈り>> 神様に感謝申し上げます。これからは残った時間に神様の導きをずっと受けて、今回の年末年始に礼拝しながら、祝福しながら、赦しながら迎えることができる大きい恵みを増し加えてください。イエス・キリストのお名前でお祈りします。-アーメン-