(2002年 01月 27日 インマヌエル教会 聖日メッセージ/ 柳光洙 牧師)


1部: 墓に横たえられたイエス・キリスト
(マタイ27:57-66)
 
   
・いままで世界で頭が一番良い民族は、ユダヤ人だということが証明されています。そのようなユダヤ人が、どうしてこのような大きい失敗をしたのでしょうか? いよいよイエス様を釘づけて、墓に葬るようになった場面です。私たちは、この時間にいつ人がこのように霊の目が暗くなるのかを考えることができます。仮りに皆様が霊的な目が暗くなるならば、みな暗くなるのです。いつこのように暗くなるのでしょうか? 簡単に考えることができます。私たちは、これを毎日点検する必要があるのです。結局は、何かがうまくできないのは、霊の目が暗いということです。結局は、牧会がよくできなければならないのに、うまくできないのは、見ることを見られなかったためです。必ず牧会でなくても、あなたがたも同じです。簡単に話せば、目が暗くなっているということです。
 
・私達は、年をとった人を社会から引退させます。理由はひとつしかありません。考えがどんどん暗くなって、支障になるために引退させるのです。しかし、その中でそうでない方達もたくさんいます。しかし、法律でそのように決まっているために、退くのです。人が年を取っても、考えが暗くならないならば、価値あるように使われるはずです。時々、年をとった人の考えが暗くなれば、もうろくしたと話します。実際にそのようになれば、社会では終わりだと見ます。それは、必ず年をとった人にだけそのようなことではないのです。若い人でも、考えが暗くなって霊の目が暗くなれば、難しくなるのです。とても頭が優れたユダヤ人なのに、こういう失敗をするようになったのです。霊的な目が暗くなる理由は、とても簡単なことにあります。もしイエス様が教えられたとおりになれば、ユダヤ人は崩れます。そこにユダヤ人の霊の目が暗くなったのです。ユダヤ人は、聖書をたくさん知っているために、もしかしたらこの人はメシヤではないか? という考えを一度くらいはしたのです。そして、聖書をあまりにもよく知っているために、イエス様の行なわれることを見ながら、旧約聖書に預言されたこととあまりにも同じだと感知していたのです。しかし、ただひとつゆえに目が暗くなったのです。もしそのようになれば、パリサイ人の社会がそれほど価値がなくなるのです。もっと簡単に話せば、パリサイ人の仕事がなくなってしまうのです。ここにユダヤ人が一斉に目が暗くなったのです。
 
・私達は、こういう部分をよく注意しなければなりません。あまり自分の利益だけを考えるならば、目がみな暗くなるのです。皆様が自分個人の肉体的なことだけをずっと考えるならば、目がどんどん暗くなるのです。特に指導者が悟らなければならない部分です。指導者でなく、一般信者だとしても、皆様は指導者の位置に立つ時があるために、よく記憶しなければなりません。教会では長老や執事でも、家に帰れば家長であったり、会社では社長であったりします。もし知恵がないならば、どれくらい難しいでしょうか? 家庭主婦であるとしても、家に帰れば生活しなければならなくて、子供を育てなければなりません。皆様に最も必要なことは、知恵ではないでしょうか? それなのに、これが暗くなれば、どうするのでしょうか? 何にもすることができません。そうすれば、重大な結果が出てきます。今、ユダヤ人が自分自身の利益ゆえに、霊の目が暗くなって、このように大きい失敗をするようになったのです。事実を開けることで、大きく悟らなければなりません。
 
柳)) 私が伝道運動を20年しながら、これと全く同じことを見ました。あまりにも驚くべきことです! 伝道師の時からこういうことを見たのです。伝道運動が起きれば、そばでがまんできないのです。いろいろなことをします。信じる人がそのようにするのです。それを見て、人はあのようになることがあるんだな!と思いました。例を上げれば、私が教会学校を預かって、教会学校の伝道を熱心にしたのです。すると、他のパートは、伝道をしないでじっとしていました。それで、私たちのパートだけがずっと復興したのです。そのようになったら、相当な問題がずっと起きました。私が見る時には、ユダヤ人と全く同じ状況でした。
 
・私たちには、霊的な目が本当に必要です。今日、あなたがたが聖書を見ながら、重要なものを悟るべきです。今、韓国、世界の教会の状況を見ても、全く同じ状況です。それならば、個人も全く同じ状況なのです。私達がどこで霊的な目が暗くなるのかを早く知っていなければなりません。すると、家族関係でも同じです。すると、個人生活でも同じなのです。今日、皆様が序論部分で重要な答を得るべきなのです。霊的な目が暗くなったユダヤ人が、どれくらい大きい失敗をしたでしょうか!
 
柳)) 私が知っている牧師の中に、こういう方が一人いました。この方はものすごく誠実でした。とても心も善良な人でした。この方は、みことば通りに生きていたのです。みなそうですが、この方は特にそうでした。一生、この方を見たが一度も横道へそれたことがありませんでした。いつでも祈っていました。しかし、この方は牧会がよくならないのです。みな良いのに、絶対にできませんでした。私達が見ても、本当に人がきれいだったのです。しかし、この方が行く教会ごとに良くならないのでした。最後には問題が起きてしまいます。簡単なのです。みな良いのに、ひとつが問題でした。全てのものを自分の家族と自分中心でみなするのでした。一度は、ある重要な教会で、この方を招いたのです。この方が、その日の夕方に祈ってNO!と言いました。それで、何故そうなのかと私が尋ねました。理由がとても簡単でした。自分の息子が学校に通いにくいということでした。
 
・例を上げれば、そのようなことです。その人の全てのものが、そのようでした。あるものは、教会の仕事をしながらも変えてしまいました。何故そうなのかと聞くと、自分の夫人が不便だということでした。全てのものがそうでした。ぱっと見れば、ものすごく善良で誠実でした。しかし、実際に霊的な目を開けて見れば、ものすごく悪い人です。なぜならば霊的に暗くみなするのです。教会になるはずがありません。教会は、行けば行くほどよくならないのです。霊の目が暗いので、それしか仕方がありません。人の目が暗いということは、どれくらい怖いことでしょうか? 私は、二十何年間、伝道運動をしながら、こういう人をたくさん見ました。ものすごく熱心にしていて、ある日突然に異常になるのでした。何故そうなのかと見れば、ことが進行にする過程で、自分自身に損害がきたのです。人がそのようにひっくり返るのです。霊の目が暗くなったからです。人は、目が良くなければならないのです。聖書には、目が暗くなれば、全てのものがみな暗いとされています。皆様の鼻がふさがるのはかまわないけれど、目がふさがれば道が見えないのです。
 
・それならば、私たちの霊的な目が暗くなってしまえば、どのようになるでしょうか? ユダヤ人を見れば、今でもそうです。皆様が下手すると、信仰生活をこのようにすることがあります。年を取れば取るほど、位置が上がれば上がるほど、覚えなければなりません。皆様の一生の間に霊的な目が暗くならないように願います。私たちの多くの働き手がおきているのに、霊的な目が暗くならないように主の御名で祝福します。実際には、ユダヤ人は恐れに捕われ始めたのです。それしか仕方がありません。法律より重要なのが良心です。人を殺した殺人者は、人を埋めて見つけられなければ、法律的には問題がありません。しかし、良心はそうではありません。心の中に負担になるはずです。もし誰かが尋ねても、警察でないか恐ろしいのです。人ならば、その良心を欺くことができないのです。いよいよユダヤ人は、恐れに捕われ始めたのです。律法を知っているので、律法に対する恐れもあります。ユダヤ人に律法よりもっと恐ろしいことは、民の心です。イエスを十字架にかけたのに、民の心がどのようになるかがものすごく恐ろしいのです。ユダヤ人達は、また恐れがひとつ生じました。「この人が生きている時、復活すると言わなかったか? 本当に復活するならば、どうなるだろうか? この死体を盗み出した後に、復活したと話すことができないだろうか?」普通の恐れに捕われたのではありません。だから、軍隊を動員して墓を守れと言ったのです。そのようにする場面です。
 
・今日のマタイ27章の本文を見ましょう。27:57節にこういう言葉があります。 "夕方になって、アリマタヤの金持ちでヨセフという人が来た。彼もイエスの弟子になっていた。" アリマタヤのヨセフがピラトのところに行ってイエス様の死体を渡してくださいと言いました。簡単に話せば「葬式を私がする」と言ったところ、ピラトが承諾したとなっています。59節に見れば "ヨセフはそれを取り降ろして、きれいな亜麻布に包み、" 亜麻布で死体を包む場面です。60節に見れば "岩を掘って造った自分の新しい墓に納めた。墓の入口には大きな石をころがしかけて帰った。" 金持ちは、自分の墓をみな持っています。その中にイエス様を横たえて、大きい石で墓のふたをしたのでした。62節に見ると、このような言葉があります。 "さて、次の日、すなわち備えの日の翌日、祭司長、パリサイ人たちはピラトのところに集まって、こう言った。" 恐ろしいから、いっしょにみんなが集まって言う話が63節に "閣下。あの、人をだます男がまだ生きていたとき、『自分は三日の後によみがえる。』と言っていたのを思い出しました。" この人達は、イエス様の教えをだます者だと解釈したのです。あまりにもおかしな事が多いのです。イエス様が教えられた神様のみことばを人間をだまして、惑わしたと話しています。
 
・私たちもこの頃会えば、おかしい話があります。タラッパンのメンバーが入っていって、タラッパンをすると話さないでメッセージをすれば、ものすごく喜ばれるのです。そうしたあと、後ほどタラッパンであることを知れば、一斉に目が異常になるのです。それで、人の考えというのが怖いのです。イエス様のみことばをイエス様のみことばとして受け入れないで、だます者.... 本当におかしなことです。私達がしているこのみことばが、神様のみことばだという証拠があります。なぜならば、人達がほとんどみな恵みを受けるのです。そして、ずっとみわざが起きるのです。ずっとみわざが起きるので、人々が研究していたら、タラッパンであることを知ったのです。
 
柳)) 陸軍士官学校の教授一名が、米国で私たちに会いました。この方があまりに恵みを受けて、メッセージを準備して韓国にきました。この方は、陸軍士官学校の教授ですから、相当な人です。学生達を集めてメッセージをしたのでした。驚くべき働きで、学生達が皆恵みを受けて変化するのでした。どれくらい感謝なことでしょうか! みわざがずっと起きるので、この教授を講壇に立てて説教もさたりもしたのです。しかし、牧師がずっと聞いていたら、何かがあったのです。一般信者が、どうしてあのようにメッセージをよくできるのか! あの人がどこで訓練を受けたのか! このように食い込み始めたのです。タラッパンだと分かりました。その時から妨害が始まったのです。この時から、陸軍士官学校でメッセージができなくなったのです。私はこの話を聞きながら、笑わなければならないのか、泣かなければならないのかという気がしました。こういうおかしな話が行く所ごとに 1・2 個ではありません。少しだけ人柄にが良い人がメッセージをすれば、大きなみわざが起きるのです。
 
・敢えてこの人達が、イエス様を見て言う言葉が 'このだます者が...' 生きていた時、三日後に復活すると話さなかっただろうか? 64節に見れば "ですから、三日目まで墓の番をするように命じてください。そうでないと、弟子たちが来て、彼を盗み出して、『死人の中からよみがえった。』と民衆に言うかもしれません。そうなると、この惑わしのほうが、前のばあいより、もっとひどいことになります。」" と言ったところ、ピラトが話したのが、65節に "ピラトは「番兵を出してやるから、行ってできるだけの番をさせるがよい。」と彼らに言った。" 66節に見れば "そこで、彼らは行って、石に封印をし、番兵が墓の番をした。" このように墓を守るようになったのです。ここで明らかな事実がひとつあります。ものすごくユダヤ人達がおじけづいていたのです。哀れなこと、この上ありません。ものすごくおじけづいたのでした。泥棒もおじけづいて、こっそりこっそり動きます。この恐れが続けば、くることがあります。必ず肉体的なことでも問題が現れます。子供でもおとなでも、恐れに捕われれば、必ず肉体問題がくるのです。それよりもっと重要なことは、霊的な問題がくることです。Iペテロ5:7 「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい!」それとともに 8節に「身を慎み、目をさましていなさい! あなたがたの敵である悪魔が、ほえたけるししのように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。」となっています。Iヨハネ4:17〜18 恐れれば、刑罰があると言われました。実際には、私達があまりにも大胆でずうずうしく生きる必要はありませんが、恐れれば生きる必要がありません。ヨブ3:25 ヨブは信仰はあったのですが、実際には恐れがあったことが記録されています。ご存知でしょう? ユダヤ人がどれほど滅ぼされたか? バカでも皆知っています。それで、ユダヤ人は、いまだに歯ぎしりしています。そうするしかないのです。ユダヤ人は滅びたのですが、映画のように思える信じられないような事実です。私は当然そうなるしかなかったと思います。それで、ユダヤ人達は、歯ぎしりしながら、このように肉体的なことで成功したのです。
 
・私は、ユダヤ人に福音を伝えなければならないと思っています。それで、私は勉強を良くする学生が米国に行けば、ユダヤ人と交わりなさいと言います。ユダヤ人達は、一方では理解できるのです。約1400年〜1500年間、死ぬほどの苦労をしたから、かたまるしかありません。お金は使いません。熱心に集めます。飛行場でも見れば、特殊な服を着ている人を見ればユダヤ人です。私たちは、何の抵抗もなく飲料水を買って飲みますが、ユダヤ人は絶対に買って飲みません。ほとんどの人が、喉が渇けば持って来ている水を飲みます。そして、飛行機でも食べ物が出てくれば、持って行くことができるものは、みな持って行きます。私たちは、水をもらったら、飲んで余っても、そのまま置いて行くでしょう? この人達は、みな入れて行きます。どれくらい慎ましいか分かりません。理解できます。考えてみましょう。AD70年に国を捨てて、1947年に国を建てたから理解ができないでしょうか? 私が調査してみたら、イスラエルを困らせた国は、約23ケ国にもなります。その中で代表的な国がドイツのヒットラーです。ヒットラーが、ユダヤ人を600万名も殺しました。すると、ヒットラー一人が殺したユダヤ人が、釜山と慶尚南道の人をみな合わせたぐらいになります。これが信じることはできないような事実ではないでしょうか? ところが、そのようなことがあちこちで行われたのです。ユダヤ人は滅びたのです。今、ユダヤ人が国を建てましたが、これから深刻なことがどんなに起きるかもしれません。イエス・キリストが、三日間、墓にいらっしゃって息をふきかえされたのですが、このことをよく考えてみるべきです。
 
・ユダヤ人と関係ない、神様の計画を私たちは見なければなりません。ユダヤ人がしたようですが、人と関係なしで、神様の計画は確かになされるのです。もし、困難な目にあっている方がいるならば、神様の計画を正確に発見する日になるように願います。皆様の周囲に問題がきたとすれば、うろたえず、神様の計画を正確に見るように願います。創世記2:17 善悪を知る木の実を取って食べる時、必ず死ぬと言われました。創世記3:15 女の子孫がきて、へびの頭を踏み砕き、へびはかかとにかみつく。ものすごく重要な話です。Iコリント15:3 聖書通り死んでくださったのです。聖書通りに死んでくださったということは、あらかじめ預言されたとおりになったということです。Iペテロ3章 イエス様が地獄にいるたましいの所におりて行って、そちらでみことばを宣布したと話しています。これを持って多くの解釈がなされます。カトリックでは、これを捕まえて地獄にいても、そこで福音を聞けば良いと話すのです。カトリックは、死者のためにも祈って、法事をして、その人も救われることができると主張します。ある団体では、こう話しました。福音を聞くことができなくて死んだ人がいるのではないか? その人に行って、イエス様が福音を伝えた! 色々な解釈を多くするのです。私達は、聖書がよく分からない時は、無理に解釈せず、ありのまま解釈すればよいのです。
 
・イエス様が、どれくらい苦しまれたか、地獄にまでおりて行ったと聖書には記録されています。確かにそこで、イエス様がだれかが宣布されたことだけは明らかです。イエス様は、それ程まで苦難にあわれたのです。マルコ10:45 私たちのあがないとして神様が送ってくださったと記録されています。私たちはこれをのがしてはなりません。ユダヤ人がどうだったということも重要ですが、神様の計画をのがしてはならないのです。ここで信仰生活の方法が出てきます。
 
・皆様にどんなことにあっても、神様の計画を捜し出す実力がなければならないのです。今、皆様がどんな状況の中にいるとしても、神様の計画をさがすことができる目がなければなりません。すると生きるのです。どれくらい重要でしょうか? あなたがたが、重要な悟りを持たなければなりません。問題がきた時は、問題を見る目が重要です。そして、問題を見る目を正しく持っていれば、機会が見えます。そこで、より重要なことは、神様の計画が見えるのです。神様の計画を見るようになれば、神様の祝福を見ることができます。もしか皆様の中で貧しかったり、失敗した方がいますか? 徹底的に分析しましょう。そのまま退かず、徹底的に分析しましょう! もしか皆様の中に、霊的問題を受けている人がいますか? 簡単に考えるのではなく、皆様の先祖の時から子孫まで考えてみましょう! すると、答がますます明らかになってくるはずです。皆様が今、他の人に話せない困難の中にいるでしょうか? 皆様自身を神様の前に徹底的に立てれば、答がみな出てきます。驚くべき計画を発見すべきです。皆様が今している仕事が、うまくいっていますか? すると、単に感謝して待たず、その分野をずっと研究をしてみましょう! そして、より大きく目を覚まして世界を眺めることを望みます! ここには学生達もいます。どれだけ祈りながら、神様の計画をよく発見するかが重要です。発見したその計画で、どれだけ計画をよく立てるかが重要です。私はクリスチャンの中でほらを吹くクリスチャンを本当に多く見ました。雲をつかむような計画を立てておいて、できないことを捕まえている人を本当に多く見たのです。もちろん、それを見て夢だと言うのですが、それほどバカなことはありません。学生達がそのような学生にならないように願います。神様の計画を確かに発見して、明らかな計画を立てて行かなければならないのです。できもしない計画を立てればこまります。
 
柳)) 私がある男子学生一名に会いました。見たら、勉強もよくできませんでしたよ。顔もあまり洗っていない感じでした。将来の夢は何か? と聞きました。その夢がとても恐ろしかったのです。大統領になることが夢だと言いました。それで、内心、大統領はしないでと思いました。大統領をするうつわではありません。クリスチャンの中に、ほらのような夢を持った人々があまりに多いのです。皆様の中にそのような夢を見ている人がいるならば、準備をしなければなりません。大統領は誰でもできるけれど、誰もがすることではありません。神様の特別な計画の中で、動いて行くことなので、大変だということはありません。私が思うのは、大統領より小学校の教師が良いと思っています。それは、人にしたがって違うと言えるでしょう。しかし、選択する方法は違うので、参考にしなければなりません。神様の計画をよく発見して、計画を立てれば、豊かな成功ができます。特に学生、青年達はそのようなことに訓練をされなければならないのです。神様の計画を発見することが最初で、発見すれば、緻密な計画をよく立てて行かなければならないのです。
 
柳)) 10年前にある人に会いました。この人の夢は、大きかったのです。その夢が実行されれば、何千億円も儲けることができる価値のあるたいした夢でした。ところが、その人を見ながら、もしその夢が実行されれば、果してこの人がその金を十分持ちこたえられるだろうか? という気がしたのです。まだ実現せずにいますよ。夢は、そのようにして実現にすることがあります。しかし、一つや二つの雲をつかむようなことではありません。この人は、その金を計算する能力がなかったのです。そのような計画を持っていてはなりません。
 
・皆様に最も重要なことは、神様の計画を発見することです。ユダヤ人は、霊の目が暗くなって失敗をしましたが、神様の計画は別にありました。今、皆様の周囲に困難がきているにしても、神様の計画は確かにあります。今日、皆様に貴重な祝福の日になることを願います。重要な神様の霊的な計画を発見することを希望します。皆様の霊的な目が暗くならないように、祈らなければならないのです。すると、まちがいなく成功します。社会生活も同じです。教会生活も同じです。教会の復興も同じです。私達が霊的な目を持って祈っていれば、教会は復興になるようになっています。神様の驚くべき計画が皆様になされることをイエスの御名でお祈りします。墓の中に横たえられたイエス・キリストは、神様の最も重要な計画を成し遂げられました。今日、皆様に最も重要な計画がなされることをイエスの御名でお祈りします。
 
(祈り)
 神様に感謝致します。重要な答えの時間になるようにしてください。霊的な大きい祝福の時間になるようにしてください。今日、この席がまさに神様の計画がなされる場になるようにしてください。私たちの主イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン
 
 


2部: 3つのメッセージを持ちましょう
(ローマ16:25-27)
 
 
・メッセージを確かに受け取ることが、信仰生活に重要な役割をします。そして、正確に受けることが、正確な答えを受ける道であり、よく整理されることは、これから答えを確かに受け取ることができるということと同じです。特に学生達は、メッセージと信仰が用意された状態で社会に行くべきです。世の中は、そんなに簡単にできるものではありませんが、特に難しい事でもありません。中・高修練会の時に学生達に勉強は遅くてもできるので、信仰を正しく準備するように要請しました。1分ずつだけでも祈れば良いのです。皆様が神様の民、レムナントであり、世界の福音化の主役であることが間違いないので、少しだけ祈ればよいのです。
 
・この頃、若い層が結婚をすれば、女の方達が夫に昼の時間、家に電話してくれることを要求する事が多くて、男もそのようにするらしいのです。会社の仕事をしながらそのようにするならば、他の方向に神経が行って、その方は仕事ができないでしょう。他のことも同じです。この話をする理由があります。私達が一日に三回ずつだけ祈りをすれば、精神を注ぐしかありません。私達が精神を注ぐ所は神様だけです。人が作りだした最も優れた運動がゴルフという話しがあります。私は人がする運動の中で最も悪い運動が何かという気がしました。ゴルフは、人のあらゆる精神を注ぐようにさせます。特別なこともでないものに... どうしてあらゆる神経を注ぐのでしょうか? それならば、悪い運動ではないでしょうか? 私達があらゆる精神を注ぐ所は神様だけであり、そのようになれば答えを受けるようになっています。あなたがたは、レムナントであり、神様の子供であることが間違いないので、どのように神様に向けているかが重要で、これが全てのものを左右するのです。電話と運動の比喩を言うのは、これを説明するためです。
 
・神様は、私達がものすごく断食をして祈ることを願ってはおられません。神様は、私達がとんでもないことをみつめて滅びないように、最も成功する正しい道を眺めるように要求なさるのです。詩篇 81篇に‘ああ、ただ、わが民がわたしに聞き従い、イスラエルが、わたしの道を歩いたのだったら。わたしはただちに、彼らの敵を征服し、彼らの仇に、わたしの手を向けたのに。'と約束なさいました。それで‘主を待ち望む者は、新しい力を得る'とおっしゃって‘わたしを呼べ。そうすれば、わたしはあなたに答える’とおっしゃいました。祈りに関して、学生達がこの話を早く理解しなければなりません。神様は、なんにもしないで夜を明かして祈ることを、決して喜ばれません。‘私たちの心が神様に向けているか、そうでないか'が重要なのです。
 
・なぜ神様に向けていなければならないのでしょうか? 私たち人間が最も正確で、最も成功できる道が、神様を眺めることです。それで、人生を成功して多くのことを味わったソロモンが、最後に‘あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに、また「何の喜びもない。」と言う年月が近づく前に。'と言いました。箴言1:7‘主をおそれることが知識の始めだ'と言われました。英語の聖書では、ヤーウェの神様を知って信じることが知識の開始だとなっています。開始であるしかないのです。この話をクリスチャンが悟らなければなりません。本当に毎日の祈りをすれば、私たちの中心が神様を見るようになっています。宣教、伝道、事業...何をしようが同じです。今日、あなたがたがメッセージを確かに受け取って、新しい開始があるようになることを望みます。
 
・皆様のあらゆることが、自分の勝手にはならないでしょう。それで、神様を眺めなさいと言われました。できない方達は知らないからですが、知っていても、たぶんできないでしょう。皆様自身に対して、そのようなのです。それで、神様が主を眺めなさいと言われたのです。クリスチャン達が、この部分ができないでいます。2002年には、この部分ができるようになることを願います。家族、となり.... みなありますが、その重要な中に神様を眺めることができる秘密、実力がなければなりません。その中で全てのものができていくのです。
 
 飛行機が行路から外れれば、事故が起きることがあります。その道は勝手に行くのではなく、管制塔で決まった道です。私達が神様を眺めて行くので、最も安全で全てのものがみなあるのです。この部分をのがせば、全てのものをのがしたのです。学生達が、これをつかなければなりません。そのようになれば、1月になるのか 2月になるかはわかりませんが、神様の答えが正確に来て、ずっとなって行きます。今日のメッセージを捕まえる時間になるように希望します。
 
・創世記32章 23-32節に、神様が祈るヤコブにおっしゃったのは、あなたの名前をヤコブといわず、イスラエルといいなさい....このメッセージをヤコブが受けたのです。ヤコブが理解しました。創世記37章に太陽と月と星がお辞儀する契約をヨセフが捕まえたのです。このメッセージをよくつかんだのです。メッセージをよく捕まえたということは "全てのものだ"ということができます。あらゆる信者、学生達がメッセージを 確かに受け取るべきです。出エジプト3章1-20、神様がモーセにメッセージを与えられたのですが、このメッセージは、80年間モーセが持っていたことでした。モーセが母の乳を飲む時から聞いたことでした。エリヤ、エレミヤ、イザヤ、エゼキエル....彼らが皆、メッセージを確かに受け取った人物達でした。
 
・今日の聖書の本文25節に‘私の福音とイエス・キリストの宣教によって、すなわち、世々にわたって長い間隠されていたが、今や現わされて、永遠の神の命令に従い、預言者たちの書によって、信仰の従順に導くためにあらゆる国の人々に知らされた奥義の啓示によって、あなたがたを堅く立たせることができる方、....'と言われました。今日、皆様が単にここに座っていると考えれば、メッセージを誤って受けたのです。神様が世々にわたって長い間、福音を隠しされていたのですが、今や現されたとされています。もし、皆様が宣教師、牧師、役員になったのに、単に信仰生活をしていてなったと考えるならば、メッセージを誤って受けたのです。神様が福音を宣べ伝えるために、世々にわたって長い間準備なさったが、預言者を通じて話され、キリストによって現されてなったということを悟らなければなりません。パウロがこれを悟ったのです。
 
・私たちは、ローマ16章から3つのメッセージを受けるべきです
 
 時代時代ごとに現れる時代的なメッセージがあります。これをよく見なければなりません。いまは宗教、偶像がおきて、教会が、キリストが薄くて、伝道が崩れた時代です。ネフィリム時代がきた時、箱舟を作った時があったように、時代ごとにその時のメッセージがあります。いまは霊的混乱がずっと来る時代です。キリストを話さなくて、多元論を言う時代です。この時、神様が福音を知って、伝道を悟るようにされたのです。
 
柳)) 高神で私を教えて下さった方-教授-に会いました。私の集会へいらっしゃったのでした。終わってから食事をいっしょにしたら‘柳牧師は主題をよく握りました。伝道という主題を本当によく握りました。'と言われました。‘将来に多くの影響を与えるはずだ'という話しもされました。もちろん良い意味で言われた言葉であったし、私も分かりました。
 
 皆様が祈りの答えを本当に受ける時には、時代的メッセージを知っていなければなりません。600名余りが共に卒業をしたのに、今現在約30ケを越える認可された大学が、ほとんど似た水準です。韓国の200を越す教団で卒業生を輩出しています。しかし、韓国教会は減少して行きつつあって、世界の教会は力がなくなっている反面、偶像は起きています。昨年にも、日本をはじめとして、全世界で実を得た所がエホバの証人でした。昨年に最も多くの経済が流れた所が、占い師でした。ですから、時代的メッセージを知っていなければならないのです。私たちの学生達が勉強しながら、時代的メッセージを受けるということは、この時代に最も必要とする神様の計画が何かを知っていることです。それが時代的メッセージです。あなたがたに信仰的に言わば伝道ができるしかない時代がきたことであって、神様が私と皆様をこの場に呼ばれたのです。今、起きる答えは、単なる答えではありません。
 
柳)) 私は、今週にも、神様に本当に感謝しました。大韓民国全体を見ても、学生達が数千名集まって訓練を受ける所がありません。そのような例がないためです。今回の中・高等部修練会をしたのですが、一千名が集まると予想したのに2千名が来ました。それで、宿舎と集会場をする場所がない問題が生まれました。私にもわかるのは、そのように多くの学生が集まることができなくて、集まることもしないと言いました。それで、集まれる場所がなかったのです。学生達が勝手に集まって祈りができる場所が必要です。神様が答えてくださるはずです。単なる答えではありません。
 
 今現在、光州、ソウル、大邱、釜山で、毎週核心に人々が集まっています。驚くべきことです。江西路教会では、人々が後の方に立っている程です。神様が伝道運動をするようにされたのです。あまりにも妨害が激しいのに、何故できるのでしょうか? 神様がなさることだからです。皆様は、時代に何が必要なのかをよく見なければなりません。この時代は、キリストがなくなる時代なので、皆様は時代的なメッセージを悟らなければならないのです。
 
・2番目のことは、教会のメッセージです。今ともに礼拝をささげる100ケ余りの教会とインターネットでみことばを受ける所があります。皆様は、教会メッセージがどれくらい重要かを悟らなければなりません。なぜ、わざわざこの教会に通うようになったのか? を発見しなければならないのです。そのようになれば、重要な答えを受けるようになります。マルコのタラッパン教会では、どのように始まったのでしょうか? アンテオケ教会では、どのように広がって行ったのでしょうか? アジアでは家庭教会に食い込んで、マケドニア教会では、専門教会に食い込みました。最も重要な祈りの答えを受けるメッセージは、教会に関することです。時代的メッセージと神様が私たちの教会に与えられるメッセージが何かをのがすさないようにすべきです。
 
・三番目に悟らなければならないことは、皆様個人に向かったメッセージです。皆様個人に2つを参考にしなければなりません。問題がきたとすれば、メッセージを探さなければなりません。答えがきたとしても、同じです。
 
柳)) 釜山にいる牧師が、結婚の後、子供が生まれました。一、二才を過ぎても話さなかったのです。後から病院で検査を受けてみたら、おしでした。衝撃を受けました。このように問題がきた時が重要です。この方は、この事件をメッセージで受けたのです。‘神様が私にこういう子供をくださったことには、理由がある のだ。' その時から、明け方から教会に行って、講壇の下で祈りを開始なさったということです。その方の話しによれば、一回も家で休まなかったということです。神様がこの方にどれくらい働かれたか、礼拝するなかでいやされるみわざが起きたのでした。
 
 皆様に問題がきた時、メッセージで受けなければなりません。ホセア預言者が、夫人ゆえに苦労を多くするなかでメッセージを受けたのです。
 
柳)) 私が知っているある方には、子供の問題がきたのですが、その方がそれをメッセージで受けたのです。この方が、10年を越えて祈ったら、後に想像することもできない働きが起きました。私たちは、祈りの答えが来ても、神様のメッセージで受けなければなりません。皆様にこの三つのメッセージが明らかでなければならないのです。
 
・今日、ローマ16章全体に出てくる人々の特徴は何でしょうか? その時代を知る人でした。教会が何かを知る人でした。個人がどうして召されたのかを知っている人でした。今日、パウロが告白したではないでしょうか? この福音は、世々にわたる長い間、隠されていて、預言者がずっと話すなかで、今、現れたのです。それで、終わりの部分に "知恵に富む唯一の神に、イエス・キリストによって、御栄えがとこしえまでありますように。"と言いました。世々限りなくあることを願います...としたのではなく‘ありますように'と言いました。祝福です。パウロが今、手紙をみな書いて重要な人々に‘神様が、この驚くべき福音を世々にわたる長い間、準備されたのですが、旧約時代からずっと話して、今、私たちに現れたところなったから、神様のこの驚くべき知恵、祝福、能力があることを希望する。' と言ったのです。
 
・祝祷と祈りは違います。それで、韓国教会に多くの論議が沸騰するのです。‘お祈りします'という言葉はだだしいのか? ‘..ように'という言葉が正しいのか? 祝祷は‘ように'と言わなければなりません。それは、祝祷する人が‘このメッセージがあなたにそのまま成就することを希望する’ということです。私達が子供を祈る時にも、祈りの内容がそのまま成就することを希望するとするのです。祝祷がものすごく重要です。特に、信者に主のしもべが祝祷することは重要です。あなたがたは、今から正しく祈りの答えを受ける秘密があります。青少年、大学生..皆、3つのことを悟らなければなりません。神様が、この時代に今、何をお望みか? それならば、教会は何をせねばならないのか? すると、個人はなにを悟るべきか? それならば、まちがいなく答えがきます。‘牧師も多くて、教会も多くて、信徒も多いのに、実際に祈りの答えを受けることができません。神様が福音と伝道に対して私に知らせてください。私がこのことをせねばならないのです!'と祈ってみましょう。神様が答えをずっとくださるはずです。これを定刻の祈りの時間にずっと祈ってみましょう。他のことは必要がないということではありません。皆様が、神様が与えられるメッセージを受けなければならないのです。教師も難しくありません。‘今、学校がなければならないか? なくてもよいか?' という時代です。私たちの韓国教育がたくさん遅れています。教師で学校で働くようになったのに、神様が希望されるところを少しだけ祈るならば、その中であらゆる答えをみなくださるようになっています。私だけでも、福音を持って栄光をささげる教師になるようにしてくださいと、少しだけ祈ればよいのです。簡単です。事業する方達もいます。‘暗闇に経済が走って行く時代に、私だけでも、霊的な秘密を知って、福音を持って事業する子供なるように .... 教会を生かす証人なるようにしてください' 祈りをしてみましょう。すると分かるようになります。
 
柳)) 神様の恵みがどれくらい感謝か....20〜30年前に、伝道ができていないことを悟る恵みをくださいました。キリスト教が伝道を悟っていないことは、福音を悟ることができないことだから、全てのものができ しないことではないのか? と悟ったのです。この一つに多くの答えを受けました。皆様すべてが牧師になりなさいということではありません。悟らなければなりません。時代と教会と個人〜!!!!今日、この祝福をあなたがたがのがさないように願います。
 
・個人的に祈ることが、どれくらい多いでしょうか? 家庭と家系の多くの霊的困難を皆様の代で終えなければなりません。こういうことを置いて、少しだけ祈ればよいのです。一日に一回ずつだけ祈るならば、神様に中心から祈るならば、答えがくるようになっています。早くしようとせず、待ちながらなせば良いのです。 神様の計画を発見するならば、間違いない答えがきます。今、皆様が孤児院を立てる必要はありません。時代をよく見なければならないのです。ミューラーという人が‘神様が私に孤児を教えることを希望される'と悟って、孤児院で子供達を集めて、その子供達に福音を伝えて育てたのです。時代的答えを受けるしかなかったのです。今は、孤児院を整える必要はありません。時代時代に合わなければならないのです。皆様は、必ず3つのことを悟るべきです。[今、この時代は何の時代だと話すのか? この時代は霊的な問題が多い時代だ。そのように理解すればよい。それなら、教会はどんな使命があるのか? 私が教会ですることは何か。どんなことをせねばならないのか? すると、私は個人的にどのようにメッセージを受けなければならないのか? ] このように答を得た人が、ローマ16章に出てきた人物です。皆様の中に‘私は年が若くなくて、無知なのに可能だろうか...?'という方達もいるでしょう。しかし、そうではありません。神様は、モーセに働かれ、全くそうでないような人々をたくさん用いられました。皆様の考えから変えて、価値があるように作らなければならないのです。自分自身をあきらめた方達がいますが、そのような必要はありません。神様の驚くべきメッセージで計画を美しく立てなければならないのです。たびたびだまされてはなりません。
 
柳)) チョリャン教会に、キム・スンテ長老がいらっしゃいました。その方が好きで親しくしていましたが、その方の家を訪問したことがあります。行ってみて本当に驚きました。めがね三個をかけてギリシヤ語を勉強していらっしゃったのです。ギリシヤ語は、神学生達も嫌う科目です。しかし、その方が勉強していらっしゃったのです。何故ギリシヤ語を勉強するのですかとたずねたら‘聖書を読んで勉強をするために、ギリシヤ語を知っているべきだ'と言われました。私がどれくらい驚いたでしょうか...これが学者だな! ということを悟りました。この方は、年齢が若くないだけで、若い方なのです。
 
・私たちは、ほとんど出来ないでしょう。しかし、福音はそうではありません。皆様が福音のなかで味わう祝福が多いのです。今日、皆様が3つのメッセージ、この時代に神様が私に希望されることを発見できなければ、皆様が子供を教えても、誤って教えることで、働きはしても方向を失ったことで、教会が何ゆえに生まれたかを知らなくて、教会が何かを知らなければ、皆様は絶対に経済の祝福を受けることができません。皆様個人を呼ばれた神様のメッセージがなければ、個人の人生を生きても、そこまでです。それで良いでしょうか? 皆様の未来と出世も重要ですが、本当にこの秘密を悟って、捕まえて、祈るならば、間違いない正確な答えがくるのです。皆様に貴重な祝福の門が開くことをお祈りします。
 
・私が会った人々の中に、年を取っても本当に若い人がいて、ものすごく年齢が若いのに、老いた人がいました。考えが老いてしまったのです。するとできないのです。今日、学生達がこのメッセージを悟れば、答えを受けるはずです。必ず3つを同時に悟らなければなりません。マルチン・ルターがこれを悟りました。この事実を悟れば、皆様の能力と関係なしで、神様が答えを注ぎ込んでくださるのです。これから私たちの教会に起きる答えを私は知っています。これからタラッパンに起きる答えを確実に知っています。間違いありません。そして、伝道者に与えられる祝福が何かを知っているべきですが、今日、この席に座って礼拝して、今、蔚山路教会、インマヌエルソウル教会、全教会のメッセージを受ける方達が整理をしなければならないのです。神様が私に与えられるメッセージ、私たちの教会に与えられるメッセージ、神様はこの時代に与えられるメッセージは‘何なのか'を悟らなければならないのです。可能な限り、時間ができる時ごとに年始のメッセージをのがさず捕まえて祈らなければなりません。それをつかんで祈って、今日与えられるみことばまたのがしてはならないのです。
 
 今日から、皆様に祈りの答えが始まることを希望します。
 
・最後に約束します。少しだけ祈ればよいのです。今から祈りながら答えを受ける皆様になられることを希望して、今日すぐに祈って答えを受ける皆様になられることを主の名前で祝福します。
 
(祈り)
 神様、この時間に重要なメッセージを悟る時間になるようにしてくださって、それで真の答えを受けるようにさせてください。私達がこの時代を知らなくて、教会も知らなくて、個人がメッセージなく、むなしくなって生きるのではなく、神様が与えられる真の答えを受ける貴重な開始が、今年は必ずあるように願います。個人的に困難にあう方があれば、神様のみことばを悟るようにさせてください。また重要な祈りの課題があれば、神様のみことばをメッセージで受ける祝福を味わうようにさせてください。今日、私たちの教会に起きた伝道運動と、私たちの教会にその祝福を受ける霊的な秘密を与えて下さって、今、時代に福音がなくて、あまりにも死んでいく時代です。この時代を生かすメッセージを捕まえるあらゆる証人になるようにさせてください。私たちの主イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン
 
 
 


3部:テオピロはだれか?
(使徒1:1-3)
 
 
・できてから3年で、私達が今、インマヌエルと名前を変えて2000地域に伝道運動を始めて、他の多くの首都圏の地域の教会とともに世界の福音化をするようなって、これからは良い所もくださるはずです。そのような中に、カン・ホイン牧師を富川地域にインマヌエル京仁(ソウル・仁川)教会の教役者として派遣するようになりました。
 
・救われることができなかった人ですが、孟子がこう話しました。"偉丈夫の男子はこのようにしなければならない。第一に貧しいからと揺れてはだめで、二つ目は少しだけと堕落せず、三つ目に成功しようとどこかに行って追従したりしない"と言いました。未信者ですが、こう話したのです。福音はないけれど、真に男らしい話です。
 
・今日、テオピロが出てきました。私たちの教会とカン・ホイン牧師にこういう人物がたくさん出てくるはずです。私は、神様がいつでも必要なみことばを読むようにして、聞くようになさると確信しています。今日から使徒の働きで人物に関して研究するはずです。その中の最初に出てきた人物がテオピロです。おりしも、テオピロという人物を見るなかで、カン・ホイン牧師が派遣されます。テオピロのような人物がいれば、福音を伝えるのにどれくらい良いでしょうか? こういう祝福が、答えで必ずあることをお祈りします。
 
・神様がなさる伝道方法を知っていなければならないのですが、2種類の方法を使われました。最初は、人が見たら、用いられるほどの背景がある人でないのに用いられ、二つ目には想像もできない程のエリートを用いられたのです。神様はその当時、お金と背景が多いヨブは少しだけ用いて、偶像の町の中に住んで旅人であったアブラハムを本格的に用いられました。これが神様の方法です。
 
・また神様は、力がある時には用いず、何の力も無く、老人になっているモーセを呼ばれました。それで途方もないメッセージをくださったのです。"イスラエル民族を連れて行きなさい!" モーセが出来ないと言いましたが、神様はモーセに重要な約束をなさったのです。神様は40代の血気盛んなモーセを用いられず、80代の老人モーセを用いられました。私達が想像することもできないことです。小さな頭を回して考えていては、神様の方法を考えることはできません。私たちの知恵と神様の知恵は比較出来ないのです。
 
・神様は、イスラエル民族に弟子を起こそうと決心した時に、エルサレム、ベテル、エリコから呼ばれずに、あの田舎から人をひとり呼ばれたのですが、その人がエリヤでした。エリヤはギルアテの人です。また、エリヤの弟子の中もベテルやギルガルからは呼ばれずに、アベルメホラという所からエリシャを呼ばれました。これは想像することもできないことです。神様は、そのように働かれるのです。
 
・いよいよイエス・キリストを送られるのに、ナザレの町の大工の家に送られました。それも道を行く時、ベツレヘムで生まれるようにされたのです。また、弟子も立派な人を呼ばないで、ガリラヤの海辺から漁師を呼ばれました。これが神様の方法です。人としては想像もできない方法です。どの人が、そのような人を弟子で立てるでしょうか? 人ならば、背景もあって、話しもうまくできて、はっきりしている人を呼ぶので、だれが漁師を呼ぶでしょうか? しかし、これが神様の方法です。本当に頭が悪い人と、小さな頭を使う人は気づくこともできません。神様の知恵に、どのようについて行けるでしょうか? 5分後のことも知らない私達が、神様の永遠な計画をどのように知ることができるでしょうか? それで、私たち信じる者が幸いだと言われるのです。
 
・それとともに、神様は反対の方法を使われました。イエスを信じる人を捕まえようと、十分にコトロールできる人物、イエスを信じる人の前に行ってメッセージでその人々を破ることができる人物、‘新興宗教-マルコのタラッパン’を防止する価値のある人物であるパウロが破られました。これが神様の方法です。簡単に話せば、超大型級のエリートが破られたのです。それでユダヤ人が狂うような境地になったのでした。
 
・また、神様はユダヤ人が簡単に迫害出来ないテオピロ、ガイオのような人物を呼ばれました。それとともに、ローマ16章に皇帝とまさに通じるネレオ、世界の実権を握っているナルキソ、こういう人物がおきました。だれがこのことをを分かるでしょうか? 神様の方法です。神様はとても無能な人を用いることもなさって、とうてい人には想像出来ない人物を呼ばれるのです。これが神様の方法です。それで、簡単に話をすることができないのです。
 
・無能な人、尊くない人を見る時、無視しません。それを謙遜と言います。また私たちは、世の中のことを見て、そんなにうらやましがりません。それを大胆だと言うのです。世の中のことを見て動揺したりせず、貧しい人、無知な人を無視しません。私たちは知っているためにそうなのです。カン牧師は知っていなければなりません。主の働きは、人の方法でできるのではありません。人の頭ですれば、はっきりしている人がみなして、私たちのような人がするでしょうか?
 
・国会議長までされた有名な牧師が、説教は本当に良くしました。知っていることが多かったからです。しかし、教会がだめでした。あまりにだめで、米国に行ってしようとしたのに、まただめでした。神様の働きは、人の知恵ですることではありません。私達が神様の人で、レムナントを育てなければならない神様の人なのに、どうして人の方法でするのでしょうか? だから、祈るのです。それで、私たちはみことばの前に立つのです。
 
・テオピロは、本当に祝福された人です。ある人は‘祝福'という時、健康なこと、長生きすること、名誉をうけること、お金をたくさんもうけること、たくさん学ぶことだと言いますが、福音を知っている人は、そのように話しません。福音を知っている人が受けることが祝福です。福音も受けることができなかった人が健康ならば、名誉がをうけたり、お金をたくさんもうけるならば、頭が痛くなります。福音を受けた人がお金がなければならず、福音もない人がお金が多くて良いのでしょうか?
 
・私たちは、聖書を知る人です。神様の祝福を受けた人が、名誉があって、お金があって、長生きしなければならないのです。歴代で神様の祝福を受けることができなくて名誉を受けた人が、それゆえにどれくらい困難をたくさん体験したでしょうか? 私が見る時に、テオピロは本当に祝福された人です。
 
(1)影響力がある人が、神様を理解するということは、神様の祝福です。変なことではない影響力を持っていて、神様を理解するということは、途方もなく難しいということです。テオピロという意味は、神様を愛すという意味です。少し記録を参考にすれば、この人が皇帝のいとこという説もあって、当代の哲学者セネカーという人の友人という説もあって、また有名な弁護士であったのですが、ルカの話を聞いて、福音を受けてローマの法廷に立って勝つようにさせた有名な弁護士だと見る人もいます。あれこれと見る時、影響力がある知識人であることは確かです。神様はこのように働かれるのです。
・こういう人が教会にきたら、どれくらい感謝するでしょうか? そうではなく、こういう人が福音を知るようになったから、どれくらい感謝でしょうか? これが正しいのです。すこし持っている知識やお金ゆえに神様を知らなくて死んで行く人がどれくらい多いでしょうか?
 
・今回、中・高等学生達が集まったのに、最初の講義で話しました。勉強はすこしできなくても良いのです。今回、試験に落ちれば浪人すれば良いでしょう。しかし、外に行く前に信仰の準備は正しくして行かなければならないのです。あなたの創造者を覚えなさい! ソロモンがそう話しました。"あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに、また「何の喜びもない。」と言う年月が近づく前に!" これいかに重要な話でしょうか?
 
・このテオピロのような重要な人物、世の中のことゆえに神様を知らない人が多いのですが、テオピロが福音を受けたということは、あまりにも祝福された人です。私はそのように見て、本当に神様に感謝しました。
 
(2)教会に通うことが重要なのではありません。教会に通う知識人は多いのです。しかし千万分の一の比率で知識人の中で福音を受けるのですが、テオピロが受けたのです。ルカの福音書の主題は何でしょうか? イエスがまさにキリストだ! この福音を正しく受けた知識人がテオピロということです。本当に祝福された人です。
 
・これがなぜ、祝福なのでしょうか? 大統領には申し訳ないのですが、大統領の中には長老もいました。この長老達が閣僚会議もして、対話もして、食事もしながら、この方達が胸中や対話の中に、それでも "あなたと私と国家のあらゆる問題はキリストだ!" このようには話さなかったと確信します。テオピロは祝福された人です。一つの国で大統領ぐらい影響力がある知識人が、キリストを知っていたということです。
 
・正しい知識人の中に福音を知る人がいたでしょうか? これが問題です。人生の余生になにかを捕まえて見ても、むなしい事です。そのようにして持ったとしても、全てのものをみななくしてしまって、結局は地獄に行くことになるのに、むなしい事ではないでしょうか? ところが、この人が、この程度の人物が、キリストを聞いたということです。私が見るには、祝福された人です。
 
・私は、レムナントと青少年を眺めながら、こう考えます。まちがいなく、この青少年が成長すれば、国会議員になって、大統領府に入っていくようになれば、キリストがある政治家ではないか? 本当にキリストを理解するならば、殆どなるのです。こういう話を理解できない人もいます。しかし放っておいてみてください。自信をもって子供達に話すことができます。勉強すること以前に、キリストをまず知っていなければならないのです。重要性を知っていなければならないのです。
 
・それだけでなく "彼はまさに復活なさった", 神様の国、聖霊の働き、偶像・占術・迷信・易、シャーマニズムに対して知っている知識人です。こういう知識人がたくさん起きなければなりません。これは異常なことでもなく、そのようにしてもいけません。これでなければ、することもなく、する必要もないのです。使徒13章, 19章を見ましょう! 偶像、迷信、祀り.. 今とそっくりです。このようなことを本当に知っている知識人です。
 
(3)テオピロひとりゆえに現れた祝福を見ましょう! ルカの福音書と使徒の働き! 使徒の働きだけ見ても、その中にあらゆる弟子の伝道方法、伝道弟子がみな入っています。世界を百回生かしても残る戦略が使徒の働きにあるのです。テオピロという人にこのメッセージを与えたのです。テオピロが受けた手紙が、ルカの福音書と使徒の働きですが、これがどれくらい多くの資料を残したでしょうか? 本当に祝福を受けた人です。
 
・これから私たちの教会と衛星で礼拝をささげる教会と衛星で礼拝をささげる所で、こういう答えを受けるようになるはずです。今日メッセージを受けながら、すぐに受けねばならない答えがあります。
 
 1部では、すぐに祈らなければならないことは "私が本当に霊的な目が暗くならないようにしてください!" パリサイ人が、ひとつの理由ゆえに霊の目が暗くなったのでした。
 
 2部では "神様! 本当に私に今、答えとなって成就するみことばを与えて下さい"
 
 3部では "テオピロが受けた祝福を私達が受けたから、どれくらい感謝でしょうか?" 私達がすぐに受けねばならない祝福です。
 
・聞くことも重要ですが、祈りとともに答えを受けることがより重要です。すると、私達がこれから受けなければならないことは何でしょうか? 分別力を持って生きていきましょう! 簡単に気落ちしたり、決心したり、浮き立たないで! 神様は、ガリラヤの人を呼んで世界の福音化をする方法もあって、王族を呼んで世界を福音化する方法もあるのです。私たちは分別力がなければならないのです。今回、大学生に話しました。"分別力を持ちましょう!"
 
・ちかごろは出てきませんが、僧侶の一人が出てきて話をしたのですが、間違った話をとてもおもしろく上手にしたのです。実際に祈りをみなしていました。あの人の家に行くようにしてくれ!と。放送局は視聴率だけ上がって、広告だけよくなれば良いために、そのような人々が話すのをどんどん出てくるようにします。この人が聖書についてもとんでもない話しをしながら、本当におもしろくしていました。そのような話を分別する能力もなく、関心も放送局にはありません。福音もないのに、説教をとても良くすれば惑わされることと同じです。それでそのように話したのです! "信仰が何で、未信者が何か、分別力を持ちましょう!" クリスチャンを見れば、特別なことはないように見えるけれど、弟子が隠されているのです。
 
・人を受け入れる準備をしなければなりません。私たちの教会と皆様の教会の中にたくさんくるはずです。人を受け入れる準備をしなければならないのです。ボスがいて、リーダーがいて、指導者がいます。ボスは率先して行きながら、無条件に戦いながらこれからも行くのです。リーダーは一緒に行く人で、指導者は自分は行かないけれど、後から他の人が行くようにさせる人です。
 
・韓国は指導者がなくて、このようになりました。今、政治にもボスのメンバーが他の人を受け入れる頭がないために、政治がこの模様です。指導者になるべきなのに、ボスのスタイルでしようとするからだめなのです。教会も指導者が出てくるべきです。指導者は何にも戦いません。反対意見も聞いて、違った意見も耳をそばだて聞きます。また、敵も受け入れます。ボスは無条件に戦うのです。指導者にならなければなりません。何の話でしょうか? これから、皆様と私たちの教会に人が多くくるはずです。2,000ケ所に広げるので、人がこないでしょうか?
 
・私は先週の土曜日に核心礼拝をささげながら、恵みを受けて気分が良かったのです。私は音楽の水準が低いけれど、なにか知らないけれど水準の差が出たことが感じられるのです。私はキリスト教放送を見ながらも、消してしまいます。音楽も何故あのようにするのでしょうか? このごろの子供達の音楽もちょっとそんな感じです。水準がなにかはよく知らないのですが、とにかくそうです。しかし、先週の土曜日の夕方にカン・キュチャン兄弟がチェロひとつ持ってきて弾いたのですが、核心の現場が圧倒されてしまいました。たくさんたたいたのでもないのですが、完全に圧倒されてしまったのです。それで、その時祈りました。私たちの教会に本当に聖歌隊に答えを受けるように! ということです。今は本物の賛美のような賛美をしなければなりません。
 
・修練会でも、福音聖歌を歌うのも突然に賛美を歌おうとするなら、よく歌うことができません。よく知らないからです。しかし、この賛美を歌いながら、賛美の意味を言ってあげれるべきです。例えばスパフォードは、こういう困難にあった! スパフォードは、自分の子供が水に溺れて死んで、自分は相当な試練に陥ったのでした。そのような中で、船に乗りながら渡っていった中に、この人が神様に感謝しながら賛美を歌ったのが 470番(静けさは川のごとく)です。こういう方法でしなければなりません。また、クロスビーという人は、元々目が不自由ではなかったのに、見えなくなりました。この人が神様の恵みを受けて、賛美を作ったのですが、それが 446番(岩なるイエス)です。こういう方法でしなければなりません。多くの人がこの人の賛美をささげながら恵みを受けました。そのようにすれば、賛美がぱっと息をふきかえすのです。私達が人を受け入れる準備しなければならないのです。
 
・今は、多くの未信者が福音を聞くことが出来るように準備しなければなりません。今は、レムナントがおきるように準備しなければならないのです。今日、テオピロというみことばを下さいました神様が、私たち教会、カン牧師、皆様と衛星で礼拝をささげる教会とインターネットで礼拝をささげる所に神様の驚くべき祝福があるようになるはずです。神様の驚くべき祝福があることを主の御名でお祈りします。
 
 (祈り)
 神様に感謝申し上げます。まさにキリストを知る知識があまりにも大きくて、驚くべき事実であることを発見できるように、テオピロのように、パウロのように、この秘密を言ったルカのように、私達に恵みを増し加えてくださって、真の知識、真の信仰の平安を神様が与えて下さい。主イエス・キリストの御名でお祈りします。アーメン
(The end)