(2002年 02月 10日 インマヌエル教会 聖日メッセージ/ 柳光洙 牧師)


1部: 復活のメッセージ
(マタイ28:16〜20)
 
 
・私が学生の時、時計が故障して時計屋に持って行きました。しかし、初心者なのか、私の時計をもっと壊してしまったのです。この人が私の時計を触った時、私が感じたのが、人がしっかりしていていないなと思うような人でした。それで、私が時計屋の違う所に行ったところ、そこで時計をよく見ることができない人が触って、むしろ時計を使うことができないようにしてしまったと言われました。時計が貴重な学生の時なので、行って話をしたのです。「あなたは、ぼくの時計を直さなければならないのに、もっとだめにしてしまった」と話しました。そうしたところ、その人が自分はそうではないと言ったのです。止むえず、時計は使えないようになりました。私達が、車が故障した時は、車をよく知っている人に持って行かなければなりません。また、皆様が病気になれば、病院へ行かなければなりません。それも腹が痛ければ内科へ行かなければなりません。他に行ってはだめなのです。
 
・人は、最も重要な神様のみことばを知らなくて困難に会うのです。私は、はっきりと言えます。政治がよくできないことも、神様のみことばをよく知らないからそうなのです。私はある時は、政治家志望者を集めて、聖書の学びをちょっとさせればと思います。ほとんどすべてが、演説から言うことがありません。足りないけれど、国会議員になったらこのようにすると話さなければならないのに、他の人はみな資格がなくて、この村で国会をする人は自分だけしかないと思わせるように演説をします。それで、私が国会議員の中で用いられる人は一人もないなという気がします。演説から聖書的ではないのです。聖書はそのようになっていません。神様が、私たちを忠誠になるように呼ばれたので、私たちは忠誠になるとなっています。聖書はすでにメッセージが違うのです。今、世にどんどん困難がくる理由は、聖書を知らないからです。神様のみことばを正しく知らないと、クリスチャンも困難にあうのです。聖書をよく知らないゆえに、間違った信仰になるのです。皆様が聖書をよく知っていなければなりません。イエスを初めて信じる方達は、聖書のみことばをよく悟らなければなりません。すると、皆様は生きるようになっています。
 聖書をみな覚えることはできませんが、皆様の中で未来に勝利する人は、まちがいなく、毎週恵みを受けているのです。その人は、未来に成功する人であることは確かです。ある人が私に質問をしました。毎週、核心をどのようにするのか?メッセージをどこから出てくるのか? それは、一つも難しいことではありません。先週にしたメッセージを受けて、一週間、神様がどのように答えられたのかを見て準備すればよいのです。それは、何にも難しいことではないのです。質問自体が異常なのです。医者が患者を治療する時、その前に治療したことを見て、どれだけ直ったかを確認して、また治療するのです。ところが、患者の水準も見ないで、勝手に治療する医者は悪い医者です。ですから、皆様が毎週毎週恵みを受けて、神様のみことばを受けることが、ものすごく重要なのです。
 
・私が核心の時、そのような話をしました。私が牧師按手を受けたのに、何の説教を聞いたのかが分からないのです。私が重要な行事に参加したのに、何のメッセージを聞いたのか知らなかったのですよ。祈りの答えがなかったのですよ。しかし、ある日から神様のみことばが入り始めたのです。説教者と関係なしで、その時から答えがき始めたのです。今回、神学生達が卒業する時、そのような話をしました。
 
 今日、新しく信じる方がいるならば、聖書にキリストという単語をどのように説明したのか、それから見なければなりません。その次に、人々が何故滅びているか、それを聖書から捜し出さなければなりません。すると、どのように答えを受けて伝道することかを、聖書から捜し出さなければならないのです。それが新しく信じる人々が、探し出さなければならない部分です。ここにいる学生達もメッセージを聞いています。学生達は、聖書みことばを持って、福音に関するレムナントが、どのように祝福を受けるのかを探し出せばよいのです。ヨセフがどのように準備して、ダビデがどのように準備したのかを、そのまま見れば良いのです。何も難しいことではありません。
 
 この頃、家庭になぜ戦いが起きているのかを知っていますか? 聖書通りにしないからです。聖書通りにすれば、何も戦うことがありません。夫は妻を教会を愛するようにしなさいと言われています。妻は夫に信者がキリストにするようにしなさいと言われました。それで終わりです。そのようにしないからです。お互いしばしば勝とうとするから、問題がくるのです。聖書通りにすれば、何の問題も来ません。
 
 今日の箇所で、イエス様が復活なさってメッセージをくださいました。ここであなたがたが得るべき祝福があります。16〜17節に見れば‘しかし、十一人の弟子たちは、ガリラヤに行って、イエスの指示された山に登った。そして、イエスにお会いしたとき、彼らは礼拝した。しかし、ある者は疑った。’ 二種類の人が出てきました。復活なさったイエス様を見て、とても驚いて礼拝する人がいました。反面に、人がよみがえることができるのか?と疑う人もいたのです。弟子の中でもそうです。ある弟子は、あまりに驚いてイエス様の前に頭をたれて礼拝したのです。理解できます。またある弟子は、どのようによみがえったのだろうか? と疑問が生じたのです。それも理解できます。私たちは、二種類の信者がいるということを知っていなければなりません。
 
 紅海の前で恨む人がいるかと思えば、祈る人がいました。皆様に困難が来た時、知恵を捜し出す人がいるかと思えば、人を恨む人がいます。全く同じ仕事をしているのに、成功する人がいて、失敗する人がいます。二人が全く同じく刑務所に入って行きました。一名はいつも恨んだのです。何故、私が刑務所にいなければならないのか? 私より罪が多い人も入っていないのに、私がなぜ入っているのか? 何故、この裁判官は私にこのように重い刑を下したのか? 私が刑務所の中に2年いれば、どのようになるだろうか? そのような囚人がいました。しかし、また反対の人がいたのです。全く同じく罪を犯して入ったのに、一名は悔い改めたのでした。これからは、こういうことをしてはだめだ! 一名は、心を整理しながら本を読んだのでした。2年間、刑務所にいたのですが、自らの未来を設計したのでした。結果は、とても違うように出てきました。一名は、精神病院に行って、もう一人は良い文章を書いて本を作りだしたのでした。
 
 今日の本文にも、二種類の人が、イエス様の前に現れたのです。私が見て、こう考えました。当然の疑問です。人が死んだがよみがえることはできません。少しの間、目覚めることでもなく、よみがえることはないのです。当然の疑問です。いままで、どんな英雄も死んでよみがえった人はいません。ですから、疑うしかないのです。
 
 韓国におかしな人がいました。自称「私が神様だ。私が再臨の主だ。」と言う人がいたのです。この人が死にそうになって遺言をしたのでした。「イエスは3日後に復活したが、私は 5日後に復活するはずだから、私が死ねば埋めないで待ちなさい。」本当にすごい人物です。その下には、また従う弟子がいたのです。しかし、どんなに待ってもよみがえりませんでした。5日以上待ってもよみがえらないので、もう2日待ってみるようにしたのです。この人は、一週間待ってもよみがえりませんでした。だから、自分たちの間で「異常だ。何故よみがえらないのか?」と言うようになったのです。「私達に信仰がないからだ。私達が祈ろう。」このようになったのです。それとともに、もう5日待ったのです。それでもよみがえらないので、断食しながら祈ったのでした。しかし、結局はよみがえらなかったのでした。そのようなおかしな事があったのです。よみがえることはできないのです。
 
 弟子も当然に疑問が出てくたのでした。イエス・キリストが復活なさった前に膝を屈して礼拝した人もいました。この部分を見ながら、当然の信仰だ! 聖書通りに死んで、聖書通りよみがえられたのです。イエスが誰なのかを知っている人です。キリストは十字架で死んで復活なさらなければなりません。これは、私達が作り出した話ではなく、イエス様がいらっしゃる前にあらかじめ預言されたメッセージです。釈迦も実際に、イエスに対して預言をしたのでした。聖書は預言者をたくさん送って、預言したのです。イエスの前に礼拝したということは、当然のことを悟った人々です。
 
 パウロがIテサロニケ17:3節に、テサロニケでどのように伝道したのでしょうか? イエスを信じれば救われるという水準ではありませんでした。とても高い水準を話したのです。イエスがキリストだ! 十字架に死ななければならない理由と、復活しなければならない理由を説明したのでした。神様ならば、そのようにしなければならないのです。神様の息子ならば、そうすべきなのです。キリストならば、そうすべきです。キリストならば、私達が信じる創造主ならば、その程度の能力がなければなりません。それを説明したのでした。パウロは、とても水準があるメッセージをしたのでした。
 
 イエス・キリストはだれでしょうか? この部分が、皆様の信仰の全てのものを左右します。私は、むかしにイエス・キリストが誰かをものすごく疑問を持ちました。胸の中に疑問があったから、学生達に説教をしても、学生達が変化しませんでした。伝道に対しても、とうていする心がありませんでした。何故でしょうか?イエスがだれかに対する疑問が私にあったためです。私は、現場を見て、イエスがだれかを知らされたのでした。弟子がこういう話をしました。「イエス様の名前で話したところ、悪霊が追い出されたよ。」そうしたら、イエス様が「それが問題でなく、あなたの名前が天国に記録されたことを記憶しなさい」とおっしゃいました。
 
 イエス様が誰でしょうか? ここに対する正しい答が出れば、信仰生活が正しくなります。イエス様は、宗教人ではありません。イエス様は、立派な人ですが、聖人ではありません。ここに対する部分は、確かに知っていなければならないのです。Iコリント15:1〜5に見れば、よく出てきています。一言で、地に属する人ではなく、天に属する人です。アダムの子孫ではありません。パウロがそのように説教したのです。だから、パウロが信仰生活を正しくできたのでした。このイエス様が復活のメッセージをくださいました。今日、このメッセージを捕まえて勝利なさるように望みます。
 
 復活なさったイエス様が、どんなメッセージを下さったのでしょうか? 最初に重要なことを宣布なさいました。「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。」イエス様の宣布です。今日初めて信じる方達も、この契約に重要な答を得るようい望みます。今日、祝福を受けるように願います。イエス様が、天と地のいっさいの権威をわたしが持ったと言われました。驚くべき宣布です。
 
 あなたがたが、今年は信仰生活をちょっと良くするように願います。地域地域を通ってみれば、信仰生活をする方法が少しずつ違います。全世界を通ってみれば、信仰生活する方法が少しずつ違うのです。信仰生活を上手にやらなければならないのです。私は、東南アジアへ行ってみました。絶対に彼らのようであっては、信仰生活ができません。それで、今、カレンのような難民が必要なのです。でなければ、東南アジアは福音化できません。考え自体が、福音を受けることができない考えです。体質自体が、できない体質です。タイのような場合は、資源が無尽蔵なのに、貧しいのです。まず仕事をしなくて、適当に生きながら、もらって食べようとします。だから、良くなることができないのです。今、私たちの教会からカレン宣教をしているのですが、この宣教は、本当に重要な宣教だと思っています。この難民をある面で重要な計画を持って神様が作って置いてくださったのです。全世界を通ってみれば、こんな状態で良いのかという気がします。私は、ロシア人にお願いします。ロシア宣教は、今のようにしていてはだめです。ロシアの人々が、ほとんどが教会にきてなにかをもらって食べようかとしています。絶対にそのように教えてはならないのです。イエスをい信じて祝福を受けて、持っていることを出すくらいにならなければならず、そのように教えれば、教会が大事になるのです。私は中国宣教する人に頼みたいのです。絶対に中国宣教をそのようにしてはなりません。福音を正確に話して、祈りの答えを正しく受けるようにさせて、世界に向かって宣教師を送る準備をすべきなのです。全部、もらって食べるという考えだけをしているのです。
 
 米国の人が、私たち韓国にきて、宣教を本当に良くしたのです。はじめに韓国にきて、救済品を与えたのです。 6.25(1950年朝鮮戦争)が起こって、人々が救済品をもらいに教会にきました。その時、米国宣教師が悟ったのでした。「これをしていてはだめだ! 福音を伝えて、この人達が力を得なければ、私達が手助けしていて良いのか! 韓国教会が自分で立ち上がるように助けなければならず、しばしばなにかを持参することは、韓国教会を壊すことだ! 政策を変えよう。」それで、韓国教会が世界を生かすに値する祝福を受けたのでした。私達は、信仰生活を上手にやらなければならないのです。
 
 韓国にも地域別にたくさん違います。ソウルや首都圏は、人々が恵みを受けようと苦闘します。下に降りてくるほど熱が冷めていきます。大邱から慶尚南道、釜山に降りてくるほど、人々に元気がありません。本当に異常です。大邱に行った印象から変です。大邱、釜山の人々は、印象が硬くて、恵みを受けているか、受けていないのか分かるすべがありません。毎週集まるのを見れば、受けることは受けているようです。あたかも怒ったように見えます。幼い時に、教育をそのように受けてきたからです。ご飯を食べる時、笑って食べるとひどい目にあうために、ぐっと閉ざして食べます。幼い時に受けた教育がそうなのです。笑って通えば、足りない人に扱います。そうであるるせいか、全羅道のイ・ビョンム牧師がそのような話をしましたよ。「できれば、核心に私を送らないでください。」と言いました。何故そうなのかとか聞いたら、「全部、柳牧師を待っているので、私が行くとしかめ面をする」と言いましたよ。それで、私が元々そうだと言ったのです。地域ごとに恵みを受けるのを見れば違うのです。
 
 信仰生活が息をふきかえさなければなりません。イエス様が、「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。」と言われました。天の権威とは何でしょうか? 御座の驚くべき権威を主が持っておられるということです。地のすべての暗闇の勢力に勝つ権威を主イエスが持っておられるということです。ここに対する証拠が何でしょうか? 復活です。
 
 私は今でもイエスの名前で祈る時、答えられるという事実を知っています。皆様がこの部分に確信がなければ、信仰生活がよくできません。今日、回復する祝福があることを希望します。一度だけ実験してみてください。イエス・キリストの御名で祈ってみてください。一ケ月だけ祈っても、確かに他の結果が出てきます。
 
 イエス様が宣布なさったことが「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。」です。それとともに、命令をいくつかなさいました。「行って弟子としなさい。」それで2800ケ所地域に伝道運動をしようとしているのです。「父と子と聖霊の名前で洗礼を授けなさい!」三位一体の神様の秘密です。「命じたすべてのことを教えなさい! それを守るようにさせなさい! 」このように命令を下さいました。
 
 復活なさった主が、命令だけをくださったのではなく、重要な約束をなさいました。「世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます!」イエス様が重要なことをおっしゃる時ごとに、「見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」あなたがたがこの祝福を味わうようになることを望みます。ある人々は、顔を見ればこの祝福を味わっているようではありません。確かに世の中の終わりまでともにいますとおっしゃいました。私が皆様に頼みたいことがひとつあります。いろいろなことがおきるはずです。その時、皆様の信仰を維持することが重要です。私たちには、信仰を奪って行くものがたくさんあります。信仰を維持することが、どれくらい重要か分かりません。世の中の終わりまで、「あなたがたといます」と言われず、「いつも、あなたがたとともにいる」と言われました。
 
 イエス様が、復活メッセージを言われた中で最も記憶に残ることが何でしょう? 誰が何としても、弟子としなさい! この部分が残るメッセージではないでしょうか? すると、この契約を本当に捕まえるように望みます。私たちの教会の泰嬰児部から大学部まで、神様の前に新しい祝福を始めるように願います。行って弟子としなさい! 今日、胎児部から大学部まで、あらゆる教師が新しい力を得るように願います。皆様が、教会学校を重要な覚悟でなさるように願います。皆様、早く信仰の水準を高めるように願います。私達が、信仰が大きくてこそ、学生達をよく育てることができるのです。私は副教役者を長くしました。もちろん、間違っているとは考えないけれど、教会学校を見れば、いつも心配することが予算の心配です。自分の胸の中にそのような気がしたのです。こういう人では、子供達は福音化出来ません。教会学校をするならば、少なくとも、祈る人々がしなければなりません。そこに予算についてたわごとを言う程ならば、だめなのです。大学をするならば、大学使命者がしなければなりません。何故でしょうか?その中にあなたがたの子供がいるのです。しかし、その中で予算の心配だけをするならば、教会学校の教育が出来ないのです。私は、幼い時からあのようにも私達は力がないのか?といつも感じてきました。もちろん分かるのです。私も学生であったし、経済が難しかったのです。しかし、そのようにして、私達が世界の福音化ができるでしょうか? それで、役員や職分を引き受けた人々が、祈りの大きい力を得なければならないのです。考えを正しくすれば、神様が答えを下さるのです。
 
 そして、教会が子供達に福音も正しく伝えられないのです。私たちは変わるべきです。‘あなたがたは、行って、弟子としなさい!’ ‘世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます!’ 幼年教会学校の子供達を何名か集めて私が教えました。簡単に話せば、福音の説明をしたのです。そして、「祈りはこのようにしなさい。」そして、ノートを準備させて、生活のバランスに関して訓練をさせたのでした。そのようにするだけでも変わったのですよ。そのようにだけしたのに、神様が祝福なさったのでした。どれくらいやさしくて簡単なことか分かりません。一つも難しいことではありません。胎児部から大学部まで、少しだけすれば、相当な答えを受けるはずです。今日、もう一度メッセージを回復する日になることを願います。私はせつない時が本当に多いのです。今、教会学校が、ものすごい畑なのです。特に、伝道師はじっとしていないでください。人だけ連れて行けば、子供達を生かす道がいくらでもあるのです。私が伝道運動をしてみた結果、2種類が出てきましたよ。予算のたわごとを言うことは嘘です。本当に伝道すれば、お金は必要ではありません。私は伝道しにいく所ごとにみわざが起きるので、お金が何故必要でしょうか? むしろ、そちらがわから献金をして、教会に持って行く程でした。全部嘘です。本当に行って恵みを受ければ、何も問題になりません。皆様の子供が本当に変わっら、じっとしていないでしょう。本当に福音運動をすれば、ものすごく実がたくさん起きます。学生達が学校に行ってみると雰囲気が異常です。しかし、学生個々人に会ってみると、そうではありません。特に、男子高等学校は乱闘場です。悪口を途方もなくします。先生の前では悪口を言わないようにしようとして、話をどもるほどです。それがこんにちの学校の雰囲気です。学校に夜遅くまで勉強しろとつかんでおくけれど、勉強する学生が一名もいません。何故そのようにつかんでいるかを知らないのです。本当にでたらめです。しかし、それは錯覚なのです。個人的に会ってみればそうではありません。悩みもあります。自分の真実もあるのです。ここに福音を伝えるならば、受け入れるのです。本当にしないからそうなので、すればいくらでも入って行きます。子供達がたくさん集まった時と、個人はまた違うのです。祝福の現場と門はいくらでもあります。あなたがたは、行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。
 
 あなたがたは後悔せず、私たちの教会の信徒全員は、神学院、宣教師訓練院にみな入学するように望みます。そして、単に卒業するのではなく、未信者の中に伝道して、弟子として、神学院に送ってみましょう。その後に皆様が祝福を受けているか、受けていないかは、その後に話してみましょう。今、神学院に通っている人が、重要なことをみなのがすのです。2年間、未信者の中に弟子が起きて、神学院に入学する答えは受けなければなりません。そして、私が受けた恵みを説明してあげるべきなのです。今まで私が見た現場を、霊的な祝福を説明してあげるべきです。しかし、単に神学院にだけ通うのです。イエス様は、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい! と言われました。難しいのでしょうか? そうではありません。「見よ。わたしは世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」とおっしゃいました。
 
 これから私達が受ける祝福、大きい目標があります。五つの目標を置いて祈っています。私が前に述べた言葉を知らないならば、後の話がなんの話なのか分からないでしょう。今日、神様の祝福を回復しなければなりません。一言で、ちょっと格好良く信仰生活をするように望みます。「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています! あらゆる国の人々を弟子としなさい! 」それだけでも感謝なのに、「世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」あなたがたが、今日から考えをちょっと変えるように望みます。「ちょっと素晴しい信仰人になるべきだな。」そのように祈るように望みます。ここには学生達がいます。「私は実力がある素晴しいレムナントになるべきだな! 未信者より素晴しいレムナントになるべきだな! 」祈ることを望みます。私はいつも祈っています。宗教がどれくらい多いでしょうか? また、私たちの教会は素晴しい教会なるべきです。教役者がいます。ちょっと素晴しい教役者になりましょう。未信者が皆様を見た時、すてきだと言う程にならなければなりません。どれくらいたいした祝福でしょうか? 早く回復しなければならないのです。
 
 「あなたがたは、行ってあらゆる国の人々を弟子としなさい。わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。わたしが世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」これは事実でしょうか? それなら、私たちは素晴しい祝福を受けなければならないのです。今日から準備するように望みます。2002年度から、皆様が本物の祝福を受けるように願います。
 
 ここの聖歌隊になぜ年齢が高い人をさせるか知っていますか? この礼拝が、全世界に行きます。それなのに、拍子、音程も正しくないおばあさんをここに立てたのか理解できない人が多いのです。それは、知らないからです。この方達が重要なのです。仮りにこの方達がなければ、私たちの教会の明け方祈り、徹夜の祈りの門を閉めなければなりません。すると、教会の霊的なことがみな消えてしまうのです。すると、霊的に暗い勢力が、皆様の家庭、個人、子供に入っていくのです。老いたことと、実ったことは違います。あなたがたは、熟した方達であって、老いた方達ではありません。年を召した方達は、老いて行くのではなく、格好良く実っていかなければなりません。年を取るほど、格好良くなさるように望みます。多量の金を出して、 途方もない働きをすることも重要ですが、働きより、主のしもべと教会のために、背後から祈ることがどれくらい重要か知っているでしょうか? 私はその祝福を知っている者です。
 
 イエス様が、「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。」と言われました。考えを変えるように願います。皆様の過去の考えを捨ててしまって、新しく始めるように望みます。「見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」何故でしょうか?それが事実であるためです。皆様の周囲の暗闇も貧困もあらゆる失敗も、崩れるようになるはずです。皆様が信仰を回復することがまず最初です。すると、神様は働きなさるはずです。皆様に信仰を与えられた神様は、答えも下さるはずです。皆様の考えを早く変えるべきです。皆様は、祝福の人です。復活なさった主が、「世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」と言われました。それも乞食ではない、天と地の権威を持っておられる方が私たちと共におられるのです。それもあまりにも簡単に、イエス・キリストの名前で祈れば証拠がきます。本当に問題があるならば、静かに祈ってみましょう。私にある問題は、主イエスの名前で解決するように。3日間祈ってみましょう。私にある霊的問題は、主イエスの名前で解決するようにしてください。私にある不信仰は、イエスの名前で離れるように。静かに何日かだけしてみましょう。完壁に答えが来ます。皆様が祈れば、皆様の敵が滅びなくても、その機能を発揮できなくなっています。全部、答えが殆どなるようになっています。どれくらい驚くべきことでしょうか? 今日、この祝福を回復するように望みます。
 
 復活なさった主が、皆様に与えられたメッセージです。わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。神様の祝福があふれ出ることをイエスの御名でお祈りします。新しく始めることを主の御名でお祈りします。
<<契約の祈り>> 感謝を神様にささげます。新しく始める信仰を回復させてください。むかしにあった考えをみな変えるようにしてください。私達が持っている不信仰的な考えをみな捨てるようにさせてください。私達が捕えられた考え、習慣をみな捨てる時間になるようにしてください。霊的な新しい力を得る時間になるようにしてください。イエス・キリストのお名前でお祈りします。 -アーメン-
 


2部: 真の誇りの冠
(Iテサロニケ2:1〜20)
 
 
 テサロニケの第一の手紙、第二の手紙には、真の信仰の祝福の記録がたくさんあります。今日の2章 19節にも “私たちの主イエスが再び来られるとき、御前で私たちの望み、喜び、誇りの冠となるのはだれでしょう。あなたがたではありませんか。”とされています。私達が天国に行った時、最高の誇りは、皆様が伝道して救われた人があることです。それよりも大きい誇りはありません。皆様がテサロニケへの手紙第一、第二を勉強して礼拝する中に、真の祝福をたくさん回復するように願います。
 教会の信徒の中には、天国に関する多くの話をしますが、その中で間違った話をすることもあります。ある方が、こう話しました。天国に行ったところ、食事をするのにさじがあまり長くて、食べることが出来なかったということです。天国に行ったところ、皆よく食べて過ごしていたのは、その長いさじで相手の口に入れてあげて食べてさせてあげながら、裕福に暮らしていたということです。地獄では、その方法を知らなくて、皆やせていたということです。聖書には、天国に対してそのような話はありません。
 
 ある方は、皆様が働きを多くすれば、天国に行って金の誇りの冠をかぶって、働きを少なくすれば、犬の毛の帽子をかぶるという冗談に似た話があります。天国に関する多くの違った話があるのです。
 
 ある方が天国に行ったところ、ある牧師を見て、神様が椅子でむっくり起きて迎えたということです。それを見て、長老が神様に‘地で主の働きに仕えてしたのに、天国にまできて差別を受けるのか’と尋ねたということです。神様があまりにも来なかった人がきたから、懐かしくてそうだったという話があります。
 天国に行けば、3つのことで驚くらしいのです。本当に私たちの教会で信仰生活を上手にやった方がいらっしゃらなかったこと、本当にくることができないと思っていた人がきていること、三番目は、このものすごい所に私がきたという事実に驚くらしいのです。色々な天国に関する話が多くて、誤解も多いのです。イエスを信じて天国に行くという話は正しいのですが、天国に行く前に、天国の祝福を味わって行かなければならないのです。これが皆様の背景です。その後には、真の天国に行くようになることで、この地に生きる間に、私たちの使命が、神様の国を成し遂げることです。
 今日、重要な 3種類の真の信仰を始めるべきです。今日のテサロニケを見ながら、新しい祝福が本当に始まることを希望します。今日、皆様が説教を通じて、聖霊に感動することを一週間にたくさん感じる祝福を受けるように望みます。
柳)) 私は、教会で説教を聞いて、母の小言をどんなに聞いても、悟ることができなかったのに、直接見て知るようになったのです。これがものすごく重要です。子供達に旅行をさせて見せるようにする理由が、ここにあります。私はよく生きる方達に対して、聞いても知らなかったのですが、見て知るようになりました。何か感じられたのです。皆様が一週間を生きていく間に、重要なことを見るようにしましょう。特に、信仰生活を良くしようとするなら、重要なことをよく見るべきです。変に生きる人々は、異常なことをたくさん見るからです。
 今日、テサロニケ教会を通じて多くのことを学ばなければならないのですが、真の信仰を悟るべきです。これがどれくらい重要か分かりません。それならば、どのように始めるのでしょうか? 人々が違った開始をあまりに多くします。先週に見たのですが、Iテサロニケ1章には、真の開始3種類が出てきます。1章9節-10節にテサロニケの開始が出てきます。パウロチームが、福音を伝えに行って始まったことが出てきます。
 
 皆様が信仰生活をするなかで、重要な 3種類の中の最初のことが、始めのメッセージを持つことです。なぜ信仰生活をしなければならないのか? が重要です。テサロニケに福音が入っていきながら始まったのですが、何故私たちは、こういう苦しみの中で福音を受けるようになったのでしょうか?
 
 2番目に、1章 5節を話しました。私達が信仰生活をするのに、単にするのではなく、力と聖霊と大きい確信で! 私たちは、生きて行く人と違います。私達が世の中の暗やみに勝つことはできません。力と聖霊と大きい確信で! 皆様に今日からこのように始まる恵みがあることを希望します。誰が何としても、皆様の家に、事業に、神様の力が現れることなしでは出来ないのです。それも単なる力ではありません。聖霊の力でなくてはならないのです。救いは、絶対に他の方法ではできません。錯覚してはなりません。クリスチャンが未信者に勝つ方法は、神様の力と聖霊と確信だけです。他の方法がありません。
 ある方が、こう話しました。韓国で商売をするのに、税金のようなものをごまかさなくては、することができないと言いました。法律通りすれば、一つも残らないらしいのです。税務署の人々に話したのですが、自分たちも止むを得ないと言ったということです。だから、私達が世に行って勝つということは、むずかしいのです。ただひとつ、力と聖霊と確信です。私達が影島、釜山を生かす方法は、ただひとつ、ただ神様の力と聖霊と確信だけです。それが私たちの開始です。皆様が他の人に会った時、感じることがあります。それが、信仰、希望、愛の色合いです。これが信仰の色です。このように始めればよいのです。人々の中には、違うように始める人が多いのです。2002年度の新しい開始。一人ももれなく起きるように願います。メッセージを捕まえてなせば良いのです。
柳)) 私は、元々性格上、信仰生活をすることができませんでした。教会に通う理由も知りませんでした。幼い時、おとなになれば、教会には通わないと決心したのでした。しかし、霊的なことを見て、現場に行って見ながら、本当に聖書と教会史を研究しながら、あまりにも感謝して悟るようになったのです。開始が重要です。私たちは、信仰生活を始めることを、他の方法ですることができません。皆様は、絶対にだまされないように望みます。皆様は、自分自身の人生を変えることができません。神様の力で...どのようにでしょうか? 聖霊の働きで。どのように聖霊が働かれるのでしょうか? 信仰で。Iテサロニケに、とても開始の答があります。
 
 今日、Iテサロニケ2章は、信仰の進行に対してです。“兄弟たち。あなたがたが知っているとおり、私たちがあなたがたのところに行ったことは、むだではありませんでした。ご承知のように、私たちはまずピリピで苦しみに会い、はずかしめを受けたのですが、私たちの神によって、激しい苦闘の中でも大胆に神の福音をあなたがたに語りました。私たちの勧めは、迷いや不純な心から出ているものではなく、だましごとでもありません。私たちは神に認められて福音をゆだねられた者ですから、それにふさわしく、人を喜ばせようとしてではなく、私たちの心をお調べになる神を喜ばせようとして語るのです。” 私たちの信仰生活と伝道は、絶対にむなしくなりません。皆様必ず記憶して、契約を掴むように願います。私はむかしに伝道しにいったのですが、実を結ぶことができなかったのですが、その働きが今でも答えを受けています。皆様が伝道運動していることは、後ほど一つも失わわれないで答えで来るのです。はなはだしきは、実を結ぶことができなかったのも、私が失敗したことまでも....より一層恥ずかしいことはただ一度行ったことも答えとなって来るのです。一つも抜けないで、むなしくなりません。皆様の信仰生活と伝道は、むなしくなりません。それで、人の方法ではできないのです。
 5節に見れば “ご存じのとおり、私たちは今まで、へつらいのことばを用いたり、むさぼりの口実を設けたりしたことはありません。神がそのことの証人です。(人の方法でできるでしょうか?) また、キリストの使徒たちとして権威を主張することもできたのですが、私たちは、あなたがたからも、ほかの人々からも、人からの名誉を受けようとはしませんでした。それどころか、あなたがたの間で、母がその子どもたちを養い育てるように、優しくふるまいました。このようにあなたがたを思う心から、ただ神の福音だけではなく、私たち自身のいのちまでも、喜んであなたがたに与えたいと思ったのです。” 乳母が子供を育てたかの様に、単純に福音だけを伝えるのでなく、命までも捧げたのです。これくらい重要なのです。今日、全世界の主のしもべと主の民が、福音の重要性と皆様の信仰生活がどれくらい重要かを本当に悟るように望みます。皆様の信仰生活に理由はありません。後ほど結果がくるようになっています。信仰生活をどのように進行するかの重要な答が出てきているのです。
 
 9節に “兄弟たち。あなたがたは、私たちの労苦と苦闘を覚えているでしょう。私たちはあなたがたのだれにも負担をかけまいとして、昼も夜も働きながら、神の福音をあなたがたに宣べ伝えました。(パウロチームがそのようにしました) また、信者であるあなたがたに対して、私たちが敬虔に、正しく、また責められるところがないようにふるまったことは、あなたがたがあかしし、神もあかししてくださることです。また、ご承知のとおり、私たちは父がその子どもに対してするように、あなたがたひとりひとりに、ご自身の御国と栄光とに召してくださる神にふさわしく歩むように勧めをし、慰めを与え、おごそかに命じました。こういうわけで、私たちとしてもまた、絶えず神に感謝しています。あなたがたは、私たちから神の使信のことばを受けたとき、それを人間のことばとしてではなく、事実どおりに神のことばとして受け入れてくれたからです。この神のことばは、信じているあなたがたのうちに働いているのです。”
 
 人の話を伝えるのではなくて、神様のみことばを。この世がなぜこのように難しいのでしょうか? 神様のみことばを聞かないからです。皆様が神様のみことばを受ける時、その時、神様が働かれるのです。皆様が信仰生活を今から勝利なさるように望みます。
 開始をどのようにするか? と先週に話しました。すると、信仰生活をどのように進行するか? 皆様がする信仰生活と伝道は、絶対にむなしくなりません。特に、伝道は命をかける程、重要です。何故そうなのでしょうか? 人の話ではなくて、神様のみことばであるためです。牧師達は、説教しにいく時、そのまま行ってはなりません。神様のみことばを伝えるべきだという考えをすれば良いのです。人の話ではなく、神様のみことば! それならば、皆様は祝福を受ける主のしもべになるようになっています。反対に、主の民達は、神様のみことばを確かに受け取るべきなのです。
 15節に “ユダヤ人は、主であられるイエスをも、預言者たちをも殺し、また私たちをも追い出し、神に喜ばれず、すべての人の敵となっています。彼らは、私たちが異邦人の救いのために語るのを妨げ、このようにして、いつも自分の罪を満たしています。しかし、御怒りは彼らの上に臨んで窮みに達しました。”ユダヤ人は、知らないでこの福音を防止したということです。今日、私たちは信仰生活を真実にするために3種類を記憶しなければならないのですが、最後が真の結果です。
 
 17節に “兄弟たちよ。私たちは、しばらくの間あなたがたから引き離されたので、・・といっても、顔を見ないだけで、心においてではありませんが、・・なおさらのこと、あなたがたの顔を見たいと切に願っていました。それで私たちは、あなたがたのところに行こうとしました。このパウロは一度ならず二度までも心を決めたのです。しかし、サタンが私たちを妨げました。”
 
 19節に答が出てきました。“私たちの主イエスが再び来られるとき、御前で私たちの望み、喜び、誇りの冠となるのはだれでしょう。あなたがたではありませんか。(皆様、天国に行くようになれば、誇りの冠が何でしょうか?) あなたがたこそ私たちの誉れであり、また喜びなのです。” 皆様が神様の前に行った時、残ることはひとつしかありません。他の等級、水準などを正すことはできません。もちろん、報いはあります。最高の報いは、皆様が伝道して救われた人がきていることです。
 昨日、キリスト教放送で、ある方がこうおっしゃいました。韓国の連続ドラマの中に‘ホチュン’というドラマが視聴率が高かったということです。何故見たのでしょうか? その人の人柄も見るだけで人を生かしたのでした。重要な死んでいく人を生かす技術があったからです。私と皆様が、肉体的奉仕も重要です。それならば、伝道という祝福はどうでしょうか? 話す必要がありません。
 
 今日、皆様が信仰生活の開始と進行、終わりを知っていなければなりません。開始は何でしょうか? 私達が、神様を知るようになったメッセージが何かであり、私達が信仰生活を始めながら確かめ合わなければならない部分は、違ったことではなく、力と聖霊と確信です。すなわち、信仰、希望、愛で始まるように願います。テサロニケ第一の手紙を学びながら、私たちの信仰の進行は何でしょうか? ひとつも私たちの祈りはむなしいならないのです。
 使徒ヨハネが、大きい危険の中で死にそうになりました。パトモスで神様が重要な幻を見るようにされたのです。その時見たことの中のひとつは、私たち聖徒の祈りが一つも捨てられないで積まれていたことです。ヨハネの黙示8章を見ながら、神様の前に祈りました。「神様、私が牧師の中で一番祈りを多くするしもべになるようにしてください」と祈ったのでした。伝道という重要なことを悟った後「神様、私が一番伝道を多くして、神様の前に行くようにさせてください」と祈って、私たちの信徒が行く所ごとに最高の祈りの人になるようにしてくださいと祈りました。神様の前に行った時、何だけが残るのでしょうか? 服なのでしょうか? 学閥なのでしょうか? 「神様、私はこういう、こういう勉強をしました.......」良くやったのかも知れませんが、神様とは関係がないのです。最も残ることは何でしょうか? 皆様によって救われた人がそこにいることです。それよりも大きい誇りの冠はありません。結果です。
 
 そして今日、皆様がよく悟らなければならないことは、信仰生活を今からどのようにするか?です。神様の力で始めるように願って、福音の力で始めるように願います。それならば、この難しい時に、どのように進行するのでしょうか? 皆様の祈りと信仰生活は、ひとつもむなしくなりません。結果は何でしょうか? 重要な伝道は、この誇りの冠は、永遠にあるのです。神様の重要な答えを受けるように望みます。
 これから2,800ケ所が起きる答えです。想像してみるように望みます。あなたがたが時々世界に行ってするチームの働きが、どのように答えられるか? 全世界に一般信者がいつも行ってチームの働きをする事が他の所にはありません。これがどのように答えられてくるでしょうか? 確認してみるように願います。これゆえに集まった私たちの役員、長老達、あらゆる教役者が受ける祝福はものすごいのです。私は3種類の前で確信します。私たちの子孫の前で、歴史の前で、神様に行った時御座の前で...間違いない報いがあるのです。
 
 皆様が、お腹がすいた人にご飯を与えようとすることが、どれくらい祝福なのでしょうか? しかし、本当に心を病んで、精神的に難しい人を手助けすれば、大きい祝福になるはずです。ところが、もっと重要なことは、人々は滅びる運命なのに、知らないで滅びるのです。ここから抜け出す事実を語ってあげるのです。世の中的なことが祝福になるならば、まして福音はどうなのでしょうか? 今日、皆様がテサロニケの手紙第一、第二を見て、真の信仰を回復すべきです。それで、皆様ゆえに他の人が生かされる祝福を味わうべきです。
柳)) 私は幼い時、教会生活をしながら、そして、伝道師、副教役者をしながら感じることがありました。「信仰生活をすることと、神様の子供は、こういうことではない。」ということです。それとともに、聖書を見て途方もない事実を発見するようになって、聖書の中から真の伝道を悟るようになったのです。その事実を持って伝道しにいったのですが驚きました。ほとんどすべてが、占いと迷信に陥っている町で、ムダン(霊媒師)が多くて貧しかったのです。共通的な特徴が、男が無能でした。悪魔がおもに男を攻撃しているのか、偶像が多い所には、男がほとんど職業がなくて、酒に陥っていました。そして、家庭が異常で、霊的に倒れていたのでした。これは、福音でなければならず、みことば運動でなければならないのです。単純にみことば運動だけをするのではなくて、タラッパンをした理由がここにあります。単純にみことばだけ伝えてできることではありません。貧しい町の特徴は、ムダン(霊媒師)の旗を立てている所が多くて、あまりに男が無能で、精神病者が多くて、子供達が学校に行くこともできなくて、女達は、ほとんど仕事をしているのでした。普通の霊的な問題ではありません。全地域にみことば運動を開くのです。暗闇の勢力自体を打ち破らなければなりません。教会に来ることが問題ではないのです。皆様が悟ることができる祝福があるように望みます。
柳)) そのような中に、年を取って位置が生じるなかで、国会議員、高級公務員の中に入って行くようになりました。はじめは分からなかったのです。‘この人達は良い生活をしているんだな’という考えをしていました。彼らは、食事することから違います。私は、その人々を見ながら、貧しい人々は、子供達が学校に行かなくて困難が見える中にあるけれど、彼らはその人々よりもっと大きい問題の中にあることを知るようになりました。これではだめです。みことば運動でなくては、道がありません。みんながうそをついていました。
柳)) 大学の中に行きました。大学教授が、ほとんどみな夫婦が離婚状態でした。学生達を教えなければならない教授の位置ゆえに、一緒に住んでいたのでした。裁判官には申し訳ないけれど、こういう方達の中でイエス様を知らない方達を見ると、酒を非常にたくさん飲んでいました。洋酒の中にビールを満たして爆弾酒を飲んで、早く酔うために飲んでいると言いました。それとともに、裁判は知っていてするらしいのです。彼らと話してみれば、知っていることが多くて、地位があるので、福音が入っていかないのでした。そのように生きています。私は、聖書のみことばを理解するようになりました。何故、最高の祝福なのでそうか? イエス様が何故、水一杯も報いを失わないとおっしゃったのでしょうか?
 
 私は現場を見て分かるようになりました。私が20年以上現場を見るようになったので、話をすることができないでしょう? はじめは知らずに学生達にだけ伝道しました。深刻な問題は、学生ではありません。ほとんどあらゆる政治家、財閥が易、シャーマニズム人について行きます。易、シャーマニズム人は、悪霊に取りつかれた人のことです。そのような人々に人生をかけているのです。単なる福音ではだめです。それで、祈ったところ、今、放送局や官公署でも、みことば運動がずっと起きているのです。
 私達のメンバーの一人は、タレント40名くらいにみことば運動をしています。自分はタラッパンだと話さず、ずっとしなさいと言いました。その方達が、どれくらい飢え渇いているか、忙しい日程の中でも一週間に一度集まる所に、時間を出してみな集まって恵みを受けようとしているのです。
 皆様は何ゆえに祝福されるのか知っているはずです。そのような次元で、テサロニケの手紙第一を見ることを望みます。1章に何故私達が召されたか? いったい私たちの信仰をどのように始めるのか? 信仰と希望と 愛で。他の方法ではなく、聖霊と力と確信で。これが事実ならば、命をかけてしなければならないのではないでしょうか? 私達が福音を言葉だけで伝えるのではありません。命をかけようとするのです。
 牧師の方達の中で、そのような方達にみわざが起きるのです。安養東部教会、キム・ドンコン牧師にある人が、タラッパンには誤解が多いとか、いろいろな話をしたということです。しかし、その方がそのような話しをしないようにと言いました。私たちは、福音を伝えるのだという決断をなさったのでした..
 
 福音であることが間違いないならば、命をかけて、私たちは価値がないことに命をかけることはできません。皆様の職場に神様の驚くべき祝福がおきるようになるはずです。一つも報いを失わないのですが、神様の前に行った時、最も大きい誇りの冠は何でしょうか? 皆様ではないでしょうか? 私達がお金を多く出したと神様が報いを下さいますでしょうか? 勉強だけでしょうか?
 
 ある人が、こういう質問をしました。あなたが無人島に行くならば、どんな本を持って行くか? 皆様が一ケ月のうちに死ぬとしたら、皆様の手に必要なことは何だけか? 科学の本でしょうか? 皆様に最も必要なことは何でしょうか? 神様の前に最も必要なことは何でしょうか? まさに救われたあなた達ではないでしょうか。そのように考えることができますか? 皆様が正しく悟るように願います。それならば、皆様はじっとしていさえすればよいのです。うまくできない方達が、他の心配しないように願います。テサロニケの答が出てこないからです。この人達の開始と方法。彼らは、命までかけました。結果は何でしょうか? 救われたメンバーということです。
 私は時間があるならば、本当に政治家たちを集めて福音を持って聖書を学びたいという心が真実にあります。彼らは、福音でなくては絶対にだめになっているのです。福音でなくては、易、シャーマニズム人について行くしかありません。今回の新聞に、易、シャーマニズム人に対してメッセージを書かないで、政治、マスメディアの人々に書きました。‘今、韓国は、科学が発展して、実力で競争しなければならない時期なのに、占い師について行って産業決定をするのか? 実力と正しいことで政策を決定しなければならない方達が、なぜ易、シャーマニズム人について行くのか? そして、マスメディアはなぜそそのかすのか? そのようにしないで‘ と書きました。私が話は強くしたのですが、やんわりと書きました。
 
 あなたがたに始まる祝福があるように願います。すると、ここに座っていることが本当に感謝して待つことが何か知るようになります。そして、これから起きることを知るようになるのです。
 ある方が、パク・ソンハ牧師は、インマヌエル教会で何をするのかと尋ねました。礼拝をささげると言いました。私が、パク・ソンハ牧師と奥様、そして娘 3人を見ながら、米国で奥様の中にそのような使命者を見たことがありません。そして、デボラのような娘達が働くのを見ながら、神様がどうかといえば、あんなレムナントを立てたのか? と恐ろしいだけです。今、何が重要なのでしょうか? 今、米企業会はどのように成っていっているでしょうか?
 
 ヨーロッパに行ったところ、ある学生がエステルを見て、とても喜びました。英語で通訳されたメッセージを聞いて、自分の霊的問題がいやされたのでした。これより重要なことがあるでしょうか?
 
 今は優秀に見えるけれど、後には死んで行く政治家たち。前では人気を博しているように見えるけれど、後では麻薬なくては生きるのが難しい芸能人達。あまりにも困難を受けているスター、歌手が死んでいっているのではないでしょうか? 彼らに福音を伝えることができるということが、祝福の中の祝福です。それで、私達が少しだけ生活を整えれば、答えがおきます。いまは荒野を行きながら、整える過程で、皆様が少しだけ整えればよいのです。神様の祝福を受ける貴重な人生が、新しく始まる祝福があることをイエス様のお名前で祝福します。
 
 3種類を整理なさるように望みます。開始と進行、結果。開始は真の福音でどのように始めたのかというメッセージ1章で、2章はこれが重要なので命をかけて、3番目は結果です。神様の前に最も貴重なのは何でしょうか。答えを受ける皆様になられることを主の御名で祝福します。
 
<<契約の祈り>> 神様、私たちの一生が新しく始まるようにしてください。私たちの家庭が新しく始まるようにしてください。以前は、いつも悪魔のお手伝いをしたのですが、私たちの人生が新しく始まるようにさせてください。実際に、私たちは救われた神様の子供であり、途方もない祝福の者であるのにもかかわらず、未信者より悪い生活を生きてきました。私達は神様の最も大きい祝福を受けても、サタンのあざけりを受ける働きをしてきました。私達に新しい力を与えて下さって、新しい出発をするようにさせてください。霊的な新しい力を神様が与えて下さい。私たちの主イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン
 
 


3部: ペテロはだれでしょうか?
(使徒2:14〜21)
 
 
 
 今日、私達はペテロについて考えてみましょう。それとともに、神様の恵みを受けねばなりません。主は生ける神の御子キリストですという地球上で初めての告白をペテロがしました。イエス様がとても驚いて “バルヨナ・シモン。あなたは幸いです。このことをあなたに明らかに示したのは人間ではなく、天にいますわたしの父です。”と言われながら、途方もない祝福を受けたのでした。マタイの福音書 16章 17節から 20節までの祝福を受けたのです。私達が想像もできない祝福を注いでくださいました。
 ところが、そのペテロが確かに救われてキリストを宣べ伝えたペテロが、イエス様を否認して呪ったこともあったのです。それほど弱いペテロでした。そのようなある日、神様の恵みを受けて、キリストの秘密を完全に知った時は、使徒12章に明日死ぬのに寝ていたのです。あまりにも対照的です。神様の恵みを受けることができなかった時は、他の人が尋ねたのにもぶるぶる震えたペテロが、明日死ぬのにも、安らかに寝ていたということは、途方もなく変わったということです。
 私達が福音を本当に理解するならば、そのようにできます。私達が、ペテロについて研究する前に、いくつかのことを区分しなければなりません。
1.異常に勉強を多くした人が、宗教と福音を区分できない失敗を多くします。時々、宗教は同じだと主張した人々を見れば、ものすごく勉強を多くした人々です。習うことに陥ってしまうならば、そのような錯覚をすることがあるのです。そのようにして失敗した時は、既におそいのです。皆様が信仰生活をしながら、それから理解しなければなりません。宗教と福音を区分してこそ、教会に通いながらも答えがない理由、滅びる理由が分かるのです。宗教と福音は違います。異常にたくさん習った人が、この部分が理解できない時は、本当にはがゆい思いになります。
2.そして、私たちは大部分、働きをする働き人や主のしもべ達が犯しやすい失敗が、一時的なことなのか、永遠なことかを区分できないことです。これは主のしもべが失敗しやすい部分です。働きをしていれば、目に見えることをするからです。
3.また、教会のなかで試みに会ったり、信仰生活をし続けながら普通の信者が肉的なことと、霊的なことに対して区分ができないのです。肉的なことも必要ですが、霊的なことをよく見るべきなのです。
4.そして、ものすごく祈りを多くする人や、信仰生活を上手にやる人、メッセージが多くなった人が、事実を錯覚することが多いのです。しかし、本当に祈るならば、事実をよく見ることができます。これが本物の祈りです。この祝福を皆様が受けなければなりません。信仰生活を上手にやるならば、肉的なことを見ながら、霊的なことをさがすべきです。未信者は、霊的なことを犠牲にしても、肉的なことを追求するので、滅びるのです。肉的なことを開発して、霊的なことを追求することが、信仰生活を上手にやる人です。私たちは、また一時的なこと、永遠なことを区分できます。結局は、一番たくさん試みに陥る部分が、宗教と福音の区分についてです。
 
 ペテロは、皆様がよく知ている人です。聖書のみことばに対する感じを持っています。“無知だ” こういう感じがするようになっています。パウロは、“博識だ” そのように感じられるけれど、ペテロはそうではありません。また、ペテロはものすごく衝動的で、考えを多くしないで行動する人のようで、失敗も多くする人のようです。
 
 しかし、このペテロが初代教会のリーダーになって、途方もなく用いられました。ペテロは無知だという証拠が、使徒14章に見れば、ペテロが聖霊充満して話す時、パリサイ人達が驚く場面で見れば、本当に多く習っていない人物であることは、確かです。ある人の説教で見れば、たくさん習った人と言うのですが、聖書にはそうでないことが確かです。
 このペテロが、キリストを告白して、イエス様が復活した、そのメッセージを受けた後にリーダーになりました。それ以後に、ペテロがどれくらい信仰が良かったかと言えば、足のきかない者を見ながら霊的なことを発見して、祈って立て起こすこともしたのです。また、使徒5章に相当な試みが生じたのに、その試みの中でも相当なことを発見して、明日死ぬのにも眠っている程に大胆でしたし、後に、ネロの時代に殉教したと記録されています。
 私たちはペテロに対する研究は、難しくないと思います。私たちは、ペテロに対して習う部分は学んで、神様からのメッセージとして受ける部分は受けなければなりません。
1. ペテロは無知なこともして、衝動的であったのですが、一般の人と別の部分があったのですが、それは“純粋さ”です。これが神様がご覧になる時に、貴重だったのです。とても純粋な人でした。力が出れば力を出して、恐れれば逃げたということです。しかし、とても純粋でした。神様が実際に用いられる働き人は“純粋な”働き人です。私達が多くのことを知っていなければならないけれど、純粋でなければなりません。
 
柳))とても頭をよく使う後輩一人がすることごとに良くならなかったのです。いつか“どうすれば、確かに用いられるようになるのだろうか?” と尋ねられたことがありました。本当に純粋な質問でした。私はこう話しました。“私達が世の中を生かすのには、頭はいっぱいになるべきだが、心は単純でなければならない。” ただイエスだけといえば、無知に見えるでしょうか? そうではありません。パウロが、何も知らないで(ただイエスだけとは言いませんでした。本当に学んだ人です。パウロと口げんかをしたら、勝つ人がなかったのです。この人が “私がキリストと十字架の他は話さない”と言ったのです。そのようなことであって、違ったことがみな必要ないということではありません。
 ところが、このペテロはとても純粋な人です。祈りの答えを受けるのには、神様の前に純粋な信仰を持って祈らなければなりません。すると答えられます。マタイ4:19を見れば、「わたしについて来なさい。人間を捕る漁師にしてあげよう。」と言われて、全てのものを放置してついて行ったのです。こういうペテロの純粋さとパウロの純粋さは違います。パウロは、多くの経験をしてみた結果、キリストではなければならないということを悟ったのでした。ところが、ペテロは無条件について行った人です。とにかく、純粋な人々です。こういう人々が用いられるのです。
 今日、教会に初めて出てきた人でも、祈りの答えを受ける道があります。純粋さです。“本当に私は神様を知らないです。だから、最も正しい答えを与えて下さい” これがとても重要な祈りです。神様に用いられた人物が、たくさん習った人でも、そうではい人でも、とにかく純粋な人々でした。こういう部分を必ず銘記しなければなりません。長老達や事業する方達が、祈る時 “神様、私は本当に名前も光もなく生きたいです。しかし、福音は証しされなければならないです。私に経済の祝福を与えて下さい。” そのように祈ればよいのです。こういう祈りは、まちがいなく答えられます。
 
 私が副牧師をしていた時、本当に純粋に祈ったことは、ほとんどみな答えられました。“私は背景もなくて、お金もなくて、できることもなくて、何もありません。私の背景です。力は神様しかないです。私に伝道できるように導いてください。” この祈りが本当に答えられました。
 神様は、頭を使ってする人は、あまり用いられません。本当に純粋な人を用いられるのです。以前に本当に顔だちがよい人が、一人いました。本当に牧師らしくて、声もどれくらい良いか、賛美も本当によく歌える人でした。私は歌ってみたくてもがまんします。私の声を聞いて、恵みを受けられないのではないかと思うからです。本当に立派な牧師でしたが、行く所ごとにだめでした。頭だけ信じて通ったためです。人は、紳士であって、本当に素敵な人でしたが、“自分、自分の家族、自分の妻、自分の家”これ以外に知らない人でした。教会は眼中にもなかったのです。よく習ったのか、習うことができなかったのかは知りません。神様は純粋な人を用いられるのです。ある時は性質があって、それでも純粋な人を用いられます。計算して、小さな頭を使ってすることがあるでしょうか? あらゆる祝福をみな受けたのに!
 
 パウロは、全てのものをキリストと福音を知って、どれくらい喜んだでしょうか。全部、ちりあくただと感じると言いました。その話は、必要ないということではありません。ローマ市民権を持ってカイザルの前に立ったではないでしょうか? そのようなものも必要です。その話は、キリストを知って、あまりに良いということです。私たちは、こういう信仰人にならなければなりません。皆様が祈りの答えを、神様の祝福を、本当に受ければ、本当に純粋になります。“福音のために生きなければならない!” という気がするのです。
 
 万一、私たちのレムナント達が本当にキリストを知って、答えを受け始めるならば、本当に世界的な人物になるのです。パウロは知っていることがあって、一度失敗もしました。アテネという所が、哲学の都市であったので、完全に水を得た魚という感じだったのです。完全に哲学を持ってメッセージをしたら、実が一つも起きなかったのです。“私は、キリストと十字架の他には、何も話さないよう決めました!” それ以後に言った言葉です。それで、即刻受けた答えが、プリスカ夫婦との出会いです。どれくらい大きい祝福でしょうか?
 
 私はペテロぐらい純粋でないようです。一度も足のきかない者を見ながら、起きるはずだと考えたことがありません。少し前にも、大邱駅で足のきかない者を見たのですが、そのまま来ました。ペテロのようならば、かばん置いておいて一勝負したでしょう。ところが、私は起きないと予想して、そのようにはできなかったのですよ。本当に信仰ということは、終わりがありません。本当に答えを受ける人は、他の見方をすれば、純真だという程に純粋な信仰を持っています。他の見方をすれば、赤ん坊のような信仰を持っているのです。ペテロは、本当に体質が純粋な人で、パウロはとても論理的でしたが、純粋な人でした。非常に絶望的なのに、希望があるようにパウロはとても論理的で純粋でした。とにかく、この二人の特徴が、純粋な人です。
 パウロはキリストだけ伝えて死んでもかまわないという程に純粋でした。教会に対する理由があるでしょうか? 感謝します! 献金をすこしして宣教するのに、本当に純粋でした。むかしにものすごい家系に生きていた人ではないように、小さな事に感謝したのでした。私たちは、そのような信仰人にならなければなりません。
 
2. どのように、ペテロがこういう祝福を受けたのでしょうか? キリストに対して初めての告白をした人でした。だれがキリストの秘密を伝えるのでしょうか? これが重要です。皆様が見れば、ありふれたことのようですが、マタイ16:16の告白が地球ができて初めての告白でした。使徒3章の話がナザレのイエス・キリストが初めて宣布された現場でした。私は宣教地に行く時ごとに、それが思い出せるのです。“この家が、キリストを初めて聞く現場だな! この人がキリストを初めて聞く現場だな!” どれくらい大きい祝福でしょうか?離反して逃げたのに、キリストが訪ねられたのです。“あなたはわたしを愛しますか?” 小羊を飼いなさいと 言われました。途方もない時代的な使命です。この告白が、どれくらい重要でしょうか?
 
 私は、はっきりと話すことができます。神様の子供、キリストの秘密を持った人は、滅ぼされることができません。皆様が、滅びの場にいるならば、神様が保護されるのです。皆様が、暗闇の権勢に陥らないように、守って保護してくださるのです。“この岩の上に、わたしの教会を立てます。ハデスの門があなたに打ち勝つことができません!” どのように考えるでしょうか? そんなにもたくさん経験した人が、何故、この話を分からないのでしょうか? そんなにも世の中で死ぬほどの苦労をした人が、何故キリストを知らないのでしょうか? キリストでなければならないのです。用いられざるをえません。
 皆様はよく信じられないはずです。私が牧師達に会ってもしたお話ですが、私は皆様が受ける祝福を理解しています。それで、絶対に皆様を無視しません。私は、私たち教会と福音を持った人が受ける祝福を理解しています。私は、福音がない宗教人が滅びる時刻表を理解しています。聖書を見れば分かるでしょう? 理解できます! それを理解しろということであって、駐車をどこにでもしなさいということではありません。悩まされるが、福音を受けることはどれくらい良いでしょうか? 本当にうれしいのです。だから、待ってあげて手助けしよう、これであって、ゴミをどこにでも捨てなさい、ということではありません。
 私は、その人々の飢え渇いていることを知っているために、理解はしますが、ゴミはどこにでも捨てなさい! 車はどこにでも駐車しなさい! ということではありません。この人達が、霊的問題に陥っていたので、これからいやされているところです。手術をするのに時間がすこしかかるということです。手術して、すぐに運動する人はいますか? 今、パク・チオン牧師は、まだよく歩くことができません。神様が用いられるのです。のこぎりで骨を切って、心臓手術をしたのですが、どれくらい大きい手術でしょうか? こういう人が、すぐに行ってバレーボールするようになるでしょうか?
 
 霊的にも同じです。キリストを知るまでに40年、50年生きたことを回復するのに時間がかかるのです。これを手助けしようということです。しかし、結局は勝利できます。それで待っているのです。私は知っているために待つのです。また、福音がない人が、よく持っていているようだけれど、滅びる時刻表を理解します。聖書を見れば分かるでしょう? 私は皆様を無視しません。皆様は、キリストの秘密を、福音を持っている人です。
 ペテロが違った人が見ると、無知な人ですが、この人が偉大な告白をした人です。キリストを初めて告白した人で、たいした人です。税金を出すことができないでいるような人でしたが、世界の福音化の主役でした。失敗しろということではありません。失敗したが、主が訪ねられたのです。イエス様が訪ねて “あなたは何故、わたしを否認したのか?” このように言うことができたのですが “あなたはわたしを愛しますか?” キリストを知っている者、キリストの告白を知っている者は、誰も押し倒すことができません。用いられざるをえないのです。
3. どのように、ペテロが用いられたのでしょうか? 復活したイエス・キリストを見たのです。この時から、ペテロが完全に変わりました。内心 “こういうことを良く知っていれば、共に死ぬのに” そうなのです。この方が、本物のキリストだな! “あなたがたがわたしの中に、わたしがあなたがたの中に” こういうことが理解できるでしょうか? 救われることができなかった人は、理解できないことです。その時、イエス様がペテロと弟子に与えられたメッセージです。“天と地のいっさいの権威をわたしには与えられています。わたしは世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。行って弟子としなさい。父と子と聖霊でバプテスマを授け、いままで教えたことを守るようにさせなさい!” ペテロがいのちをかけたのでした。ペテロは殉教しました。
 復活なさった主を見ましょう。マルコ16章に見ると、このような記録があります。わたしの名前で、すべての人に行って、悪霊を追い出し、病人に手を置けばいやされて、彼らと共にいます。あなた達がへびを握っても、どんな毒を飲んでも死にません。御座に座られた主、復活の主が共におられたのでした。私たちは、それに対するメッセージだけ聞いても答えを受けるのに、ペテロは直接見たのでした。ペテロがそれ以後には、一度も倒れませんでした。大胆になりました。法廷に立っても “世界中で、この御名の他に、人間が救われるべき名としては、どんな名も与えられていません”と言いました。復活のメッセージを捕まえたのでした。今でもこの恵みを受けることができます。
 
 ナザレのイエス・キリストの名前で祈ってみましょう! ある日、答えが来ていることを感じるはずです。私は5種類の力を置いて祈るのですが、いつでも答えが来ていることを感じます。イエスの名前で霊的な力と、知識の力と、健康の祝福と経済力と人材を置いて祈るのですが、いつも答えが来ていることを感じます。復活なさったその名前で、私にできるようになったゆえに、驚くべき秘密がおきていることを感じます。ペテロがこれを知っていたのです。
 
“金銀は私にはない。ナザレのイエスの名前で歩きなさい!”復活以後に起きたことです。どのようにペテロがむかしと同じならば、そのようにするでしょうか? 実際に、皆様の家と現場に一度だけ働きが起きれば、人を生かすことは簡単です。神様が私たちの長老と事業に一度だけ働かれれば、終わるということです。万物と宇宙といのちを治める主が、手をあげて皆様の事業を5秒だけ祝福なさっても終わります。
 
 未亡人が息子を失いました。号泣していたら、イエス様が歩みを止められたのです。キリストが歩みを止められたのでした。ひとこと言われたら、死体が起きたのでした。人々が肉体的なことだけを見るために、理解できなかったのです。しかし、イエスはキリストです。今でも、その方の名前で祈れば、答えられるのです。ペテロは、人が変わってしまったのです。小さい少女が聞くのにも、逃げようとしていたペテロが、これ以上いなくなっていました。
 
 私にある人が “ナザレのイエスの名前で祈れば、いやされて、悪霊も追い出されて、みわざも起きる”と告げたのですが、よく知らなかっただけで、本当にそうだということを悟ったのです。聖書を見て、現場で見ながら、時間が過ぎるほど、神様は完全な答をくださいました。皆様がこの祝福を必ず受けねばなりません。
4. 聖霊充満ということを実際に理解した人でした。使徒1:1-8のメッセージを、私は時間が経つほど理解できます。どのように、神様の聖霊の力でなくて、皆様を正しく助けることができるでしょうか? 聖霊の力でなくて、世界の教会のために祈れるでしょうか? 私は分かります。イエス様は、正しい答を下さったのですが、時間が経つほど間違いない答です。この話をペテロが理解したのでした。使徒1:13-15で、マルコのタラッパンに集まって祈っていたのですが、その主役がペテロでした。その時、祈ったら証拠がきたのです。どの程度、証拠がきたのでしょうか? 他の人が‘狂ったのか? 酒に酔っているのか?’と言う程、答えがきたのでした。この時、ペテロが起きてした話を見ましょう。もはや無知なペテロではありませんでした。
 l2章 14節に - ペテロとは違う声か? 完全に他の人になったのです。聖霊充満すると、このようになります。聖霊充満は、ヨエル2:28の成就です。ペテロが言った言葉です。これ一つだけ見ても終わったのです。皆様がこの祝福を受けなければなりません。
 
 4種類です。合宿、チーム合宿を受ける方達、礼拝をささげる方達が、純粋にならなければなりません。そのような中で、地球上でただひとつだけが必要です。‘キリスト’です。他のことは必要ではなくて、キリストだけが必要としていのに、みなあるのに、一つだけが抜けてしまいました。‘キリスト’です。キリストが単なるキリストではなく、復活なさった主が天の御座に座って、聖霊で一緒にいてくださるので、聖霊充満を受けましょう! この 4種類です。すると、誰でも用いられることができます。また、誰でも答えを受けることができるのです。絶対に滅びません。
 実際にこの祝福を味わう現場を見る必要があります。マルコのタラッパンにリーダーで入って、そこでともに祈ったという証拠があります。使徒1:13-15に、聖霊充満したみわざが起きて、即刻ペテロが使徒2:14-21 で直接立ち上がって話したのでした。人が完全に変わりました。足のきかない者に、ナザレのイエスの名前で歩きなさい! と告げました。人が完全に変わったのです。死にそうになりました。裁判の中で、何と言ったのでしょうか? “私たちは、見たことをいう証人だ。あなた達が十字架にかけたイエスが復活なさった。その方の名前で足のきかない者が立ち上がった。世界中でこの御名のほかには、私たちが救われるべき名としては、どのような名も、人間に与えられていないからです。” どれくらい話を上手にしたのか、ユダヤ人達が驚く程でした。それで、この人達が太刀打ちができなく、民心が怖くて、送り出したのでした。送り出すときに、二度とイエスの名前で話すなと言いましたが“私たちはこのことの証人です” このように言ったのです。誰がペテロに勝てるでしょうか?
 
 教会の中に試みが差しせまりました。物質の試みがおきたのでした。アナニヤとサッピラが、献金を欺いたのですが、教会の中に大きい問題がきました。この時、ペテロがどれくらい祈りをしたのか、使徒の手でしるしと不思議が現れたとされています。試みに会えば、皆様の家に、現場に、神様のしるしと不思議が現れる機会です。こういう祝福を味わいました。使徒6:2-4節に、ペテロがどれくらい悟ったか、私たちは祈りとみことばを伝える働きに専念すると言いました。働き人達が、そのように考えたのです。この複雑なことは働き人に任せて、主のしもべは、みことばと祈りに専念しなければならないとペテロは話しました。ペテロの生き方であり、姿です。
 それからは、あまり出て来なかったのですが、使徒12章にペテロがまた出てきます。死刑判決を受けるようになったのですが、その日の夜にみわざが起きました。神様が、ペテロを保護されたのでした。Iコリント1:12を見れば、ペテロが異邦人宣教に行ったという記録もあります。そして、歴史に見れば、ペテロがローマで死んだのですが、ネロ皇帝の時に死んだとなっています。殉教したということです。どれくらい多くの実を残したか分かりません。殉教したから、困難に会ったのではないか?と考えるでしょうが、殉教は誰でもすることではありません。殉教者が出てくれば、その子孫が生かされるのです。
 私たちの韓国が、キリスト教 100年で世界の福音化の主役になること以前に、殉教者が出てきたことを知っていなければなりません。殉教は、誰でもすることではありません。どっちみち一度死ぬのですが、誰でも殉教するのではないということです。チュ・キチョル牧師が使った単語が何でしょうか? “一死覚悟”殉教が何かを悟ったのでした。死ぬのもよく死ななければなりません。ペテロは、ローマの福音化のために、世界の福音化のために殉教しました。それ以後に世界はひっくり返ってしまったのです。殉教以後には、その子孫が途方もなく変わります。
 
 神様の驚くべき祝福が、皆様に本当にあることを主の御名でお祈りします。殉教時代以後に歴史を新しく変えたのです。福音を伝えている途中で死んでもかまわないのです。一度死ぬことは、人に定められたことです。それは、心配する必要がありません。病院で医者の助けを受けることは科学的ですが、心配しないようにしましょう。一度死ぬことは、定められたことであり、それ以後に審判がある! 今は福音を伝えていて、行くのです。
 私がインマヌエル・ソウル教会の信徒、長老達を見ると本当に素晴しい人々が多いのです。私が教役者生活をものすごく多くしました。ほとんど 27年伝道したのです。教会に献金を多くして、教会を生かそうという長老は、また初めて見ます。ほとんど献金をとにかく小さくしようとする長老は初めて見ます。本当に祝福を受ける人々です。本当に立派な人々です。私がしたい話は、こういう立派な人も一度は死ぬのです。100歳以上生きるでしょうか? まちがいなく、30, 40, 50年後には、私たちはいません。私達が教会をよく建てておけば、私たちの孫達、孫娘達が集まって礼拝をささげるのですが、この人達が、どんな信仰を持っているのでしょうか? これが重要です。死ぬことを恐れる必要はありません。ペテロは、ローマで殉教したのですが、世界が生かされました。
 皆様が、4種類は当然に悟らなければなりません。私たちは、これからは祈る時ごとに、礼拝をささげる時ごとに、純粋な心でするように望みます。その次に何でしょうか? キリストの秘密です。三番目にキリストの復活! 最後にどのように体験するのでしょうか? 聖霊充満です。すると、地の果てまで証人になるはずだと言われました。
祈りの課題をいくつか差し上げます。
1. 約200人程が合宿に参加していますが、この方達が、一生受ける答えを受けるように願います。神様がそのように準備されているのです。また、チーム合宿も釜山でずっとなされています。今日、1部礼拝に、ソウルの方達がきていて、なぜ来たのかと尋ねたら、チーム合宿を受けようと来た人でした。この方達が、本当に神様の祝福を知らず知らず、たくさん味わう時間になるように祈らなければなりません。
2. 今日出発して、一週間AUCで九つの講義をすることになっています。学位を受ける人々に対する講義です。今回、重要な講義にならなければなりません。おもに今週は組織神学に関する研究です。これを今回、講義するようになるはずです。皆様が、背後から祈りで手助けしてくださらなければなりません。
3. 常に 2800地域、 5人 1組が立つようにしてください! 祈りましょう! 一番働きができるようにしようとするなら、人に正しく会わなければなりません。それで、いつもしなければならない祈りです。人は、人の祝福を受けなければならないのです。2800地域、 5人 1組が起きるようにしてください! すると、そこによってずっと答えになるのです。
 
 六日間、現場で神様が与えられる祝福を確認する一週間になることをイエスの御名でお祈りします。
<<契約の祈り>>神様に感謝申し上げます。今日、私達がペテロを見ながら神様の恵みを悟らせてくださったことを感謝申し上げます。私達が知らない信者ではありません。神様の秘密を味わう信者になるように、私達が高慢になったり、いろいろな分野に浮き立つ信者ではなく、神様の秘密を着実に持った信者として、わが国と現場と人を生かす恵みを増し加えてください。私たちにまず今日、答えの時間になるように、礼拝の時ごとに答えを受けるように、私達に純粋で、実際的な信仰を与えて下さい。キリストの秘密をあらゆる場所で味わうことができるように、復活なさった主の祝福をいつも味わうことができるように、鍵になって結論になる聖霊充満した働きをいつも体験できるように、主の民に祝福してください。イエス・キリストのお名前でお祈りします。-アーメン-