(2002年 02月 10日 インマヌエル教会 聖日メッセージ/ 柳光洙 牧師)


1部: バプテスマ・ヨハネのメッセージ
(マルコ1:1〜8)
 

・皆様が福音を受けたということは、過去、現在、未来がみな解決したということです。知っていらっしゃるでしょうが、これからますます体験するようになるはずです。イエスを信じて、神様の子供になる瞬間に、霊的に完全に変わるようになるのです。神様の子供になって、過去のあらゆるのろいや災いがみな崩れるのです。そして、聖霊の導きを受けるようになります。これからあるあらゆる重要なことまで、神様がみな責任を負われたのです。それで、今日は、聖書のみことばマルコの福音書でまた重要な開始をすべきです。

・マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの福音書は、みなイエス様に関する話です。ところが、少しずつ見る観点が違うのです。マタイの福音書は、おもにユダヤ人にした話です。今日から読むマルコの福音書は、ローマにいる異邦人達に与えられたメッセージです。ルカの福音書は、イエス様の人性をたくさん見たのです。人のからだを着て来られたということにおもに焦点を合わせたのでした。しかし、ヨハネの福音書は、イエス様が神様であるということに観点をおきました。各々、そのようなものを見て、私達が恵みを受けるべきなのです。

・皆様がイエスを信じるようになった時、一番最初に受けた恵みがあるでしょう。それを、礼拝をささげる時ごとに、いつも持っていなければなりません。また、今日受けた神様の恵みは、明日受けることができません。いつでもそのように礼拝をささげなければならないのです。あらゆる生活をそのように生きればよいのです。いつでも始める心で、そのように生きればよいでしょう。また、いつも機会があるわけではないという、最後であると思う心で見なければなりません。私達が過度に緊張して生きる必要はありませんが、そのような部分では恵みを受けなければならないのです。皆様が救われた初日に受けたその恵みで、いつも礼拝に来なければなりません。そして、今日与えられる神様の祝福は、明日受けることはできません。そうであるために、今日の恵みを今日受けなければならないのです。礼拝する人が、いつもそれを記憶しなければなりません。ここには、商売する方達もたくさん来ています。商売をしても、そのようにしなければなりません。商売を初めてする時の心でしなければならないのです。しかし、お客さんがきた時は、いつもそのお客さんが、最後であるということを記憶しなければなりません。説教する人も、そのようにしなければならないのです。実際にはあらゆる事がほとんどみなそうなのです。今日、神様が与えられる恵みを重要に確かに受け取らなければなりません。一言で話せば、ユダヤ人とローマ人がそれをのがしたのです。すると、その後にくる結果は、ものすごく重要です。皆様が仕事をする時も、人に会う時も、今日、神様が与えられる重要な祝福をのがしてはならないのです。

・ある人は、聖日ごとに聖日礼拝に来るのですが、ただ来るだけの人がいます。月曜日になれば仕事をしにいって、聖日になればまた教会に来ます。そのような方法で信仰生活をすれば、ものすごく損害が多いのです。今日、神様が与えられる恵みを受けるべきです。皆様が、聖日にだけ恵まれて、祈りを良くしても、ものすごく成功します。私が六日間に受ける答えを、聖日に受けなければならない! いつも、そのように考えなければならないのです。

・私は、説教を多くするのですが、説教する時ごとに、そのように考えます。今日、重要な伝道者が集まった所に、私がメッセージをしに行くのだと考えて行きます。14年前に開始したのですが、世界に福音の影響を与える私たちの教会に、今日、説教しに行くのだと考えて来ました。今回、学位を受ける牧師達だけで数十名が集まって特講がありました。私は、ものすごく重要な方達に対してメッセージをすると考えて行きました。神様もそのように恵みをくださいました。今回、多くの牧師と参加した方達が多くの恵みを受けたのです。私達が今日の礼拝も、そのようにしなければならないのです。

・今日の聖書は、ものすごく重要な話から始まります。むかしにイザヤ預言者が言った言葉を引用して開始したのです。本当にたいしたことです。マルコという人が記録したゆえに、マルコの福音書と言います。この人が単に記録したのではなく、むかしにイザヤ預言者が預言した言葉が成就したということを引用して始めました。これが信仰生活の秘密です。

・皆様が信仰生活をするなかで、神様のみことばがこのように成就するんだな! ということを感じなければなりません。そうでなければ、説教を聞いても、聞かなくても良くなくなります。そうでなければ、礼拜をしても良くて、しなくても良くなります。すると、ものすごく多くのことを損します。イエス様がいらっしゃる前に、バプテスマのヨハネが現れました。ところが、マルコという人は、普通の目が開かれていたのではなく、「バプテスマのヨハネが単にイエス様に対して話しているよ」と見たのではなかったのです。「今から700年前にイザヤが預言した、その伝道者が現れたんだなあ! 彼が現れて、イエス様に関する話をしているんだな!」とマルコがこれを見たのです。

・皆様が今日、礼拝をささげながら、単なる礼拝だと考えれば礼拝です。イエス様が 2000年前にこのみことばが全世界に宣べ伝えられるはずだと言われたのですが、私達が今日、この席に座っています。それで、信仰生活をする秘密を悟るなかで、この部分がものすごく重要なのです。今日、神様が皆様に備えておいてくださったことが成就する時間になることを希望します。

・時々、悪霊につかれた人が、未来を当てることもあります。しかし、それは正確ではないのです。なぜならば、悪霊が占ったためです。悪霊自体が、多くの霊達で混乱しているために、正確に話すことができないのです。ある時は当てることがあります。しかし、結局は悪魔にだまされるのです。私たちは、そのようにする必要がないのです。神様のみことばが、そのまま預言されて成就されました。それで、今日、皆様が神様のみことばを受けるようになったのです。

・以前にそのような話をしました。私が伝道師の時でした。熱心に働いていれば、伝道師があっちこっち通うこともあります。一般の教会はそうでなくて、教役者があっちこっち回ります。完全に職場のようにします。私が釜山中央教会で 3年ほどいて、他の教会に移るようになりました。ミファデパート、ミファグループのオーナーがその教会の勧士でした。その方は、教会では働きをよくする方でした。その方が、普段に私を見てしっかりしていると考えたようでした。私が行くのが残念だと言いました。それとともに、月曜日に家で食事をしようといったので、そのようにすると言ったのです。行ったところ、家がものすごく大きいのです。行ったら、人々がたくさん集まっているので、お客さんがきているのだと考えました。しかし、そうではなく、いろいろな人々を呼び集めていたのでした。見ていたら、礼拝をささげました。それで、いっしょに礼拝をささげたのですが、預言の恵みを受けた人が来ていたのでした。そちらにきた人を見て、みな預言しました。占いのようにしたということです。それぞれの人の頭に手を当ててしたのですが、私の番がきました。私は手をつかんで預言をしたのですが、2つ程思い出します。2年ほどソウルにいるだろう。その後には米国へ行って、勉強して博士になって帰ってくるでしょう。気分が悪いことはありませんでした。しかし、この人はどうしてこのように自信を持って話ができるのかという気がしたのです。また、そこに集まった人々は、神様のみことばのように、その人の話を信じていたのですよ。とにかく、その話しが頭から離れなかったのです。しかし、どんなに過ぎても、ソウルには行きませんでした。また米国で勉強する道が全く開かなかったのです。それなのに、不思議にも、その話を度々思い出しながら、良くならなければソウルに行かなかったからか? と考えたりもしました。一言で話せば、イエスを信じていると言うだけで、占いと全く同じでしたよ。それで重要なクリスチャンが、そのような集いをしているということを知ったのでした。とにかく、その方が私に預言したことは、みなはずれました。他の人は知らないのですが、私にはそうでした。時々、占いを訪ねる人々がいます。しかし、聖書の中には、正確な答がみな出てきています。それで、皆様が礼拝の時、礼拝をよくささげなければならないのです。これは単なるみことばではなくて、どれくらい重要なみことばであるか分からないのです。

・バプテスマのヨハネが現れて、イエス様に対するメッセージを伝えなければならないのでしたが、マルコがそのように話しませんでした。700年前のイザヤを引用して、イザヤが預言したまさにその方... 2節を見ると「預言者イザヤの書にこう書いてある。『見よ。わたしは使いをあなたの前に遣わし、あなたの道を整えさせよう。』」 だから、その人がきたのです。それならば、今日受けるみことばは、受けるように成就するという話に間違いありません。間違いないのです。今日、重要な神様の契約を捕まえるように願います。

・今日受けた神様のみことばは、答えでくるようになっています。それならば、礼拝がどれくらい重要でしょうか? 私はある日、その確信が与えられました。神様は必ずみことばを与えれば、答えを下さるよ! 神様は、祝福のメッセージを与えれば、成就する答を下さるよ! そして、祈る時ごとに私たちと共におられるのです。私は、それをとてもたくさん感じるのです。神様は、講壇で説教をするようになさって、答えを下さるよ! 神様は、私たちに祝福のメッセージをくださった後には、必ず答えを下さるよ! そして、私が祈る時、答えを下さるだけでなく、聖霊でご一緒におられるよ! 私は、それをいつも感じるのです。皆様にこの部分が感じられる瞬間から、驚くべき信仰生活が始まるはずです。

・皆様が、祈りとみことばを一つだけ悟っても、ほとんどみなくるはずです。今日、本当に祝福の日になることを願います。それで、今日の礼拝に本当に勝利する祝福があることを願います。ある人は、心の準備ができないで礼拝にきて、うとうとすることもあります。もちろん、疲れているからです。それよりもっと重要なことは、心の準備ができることです。

・ある人は、礼拝堂にきて本を見たり、空想したりする人もいます。それはものすごく霊的に大きい損失です。私たちは知らないけれど、そのような時に、私達が霊的に最も崩れている瞬間なのです。

・皆様の過去を振り返って見てみましょう。みことばが恵みになる時があるでしょう。その時が、皆様が息をふきかえす時です。礼拜をしても、なんとなくで、神様が生きていらっしゃるか、そうでないのか分からない時、霊的に最も崩れている時です。

・皆様が、マルコの福音書を勉強するなかで、異邦人を生かす祝福を受けることを主の御名でお祈りします。必ずみことばを成就させる神様です。必ず私たちの祈りに答えてくださる神様です。皆様が、救われた者、福音を受けた者であることが確実であるために、そうなのです。今日、本当に重要な祝福を受けることになるように願います。

・アメリカに事件が起きる前に、私たちはマタイ24章を読みました。私たちは軽く考えたのです。私たちは神様のみことばを受ける時、そのように普通に受ける時がたくさんあります。特に、みことばを受ける時、恵みを受ければ、相当な事が行われるのです。起きることも大切ですが、相当な祝福を受けることになるのです。講壇で長老達が祈る時間に、神様が一番答えられる時間です。何故でしょうか?私たちの教会と全世界がともに礼拝する時間に、長老が祈るので、神様が一番に答えられるのです。今、全世界がメッセージを聞くなかで、私が説教をしています。これがどれくらい重要でしょうか。まちがいなく、神様がその時間にともに働かれるのです。

・全国と世界を回りながらメッセージをしていれば、神様がどのように導かれているかをたくさん感じるようになります。神様がみことばを下さって、そのみことばによって答えを下さることが感じられます。すると、その次にその答えが来るままに説教をします。その時ごとに、神様がみことばの中にともになさるよ! これを10年間続けてみて、祈りをすれば瞬間に答えがくることもありますが、時刻表によって答えが来ることを感じます。それで祈りがこういうことだと感じるのです。

・一度は、ある国に集会に行きました。集会を準備して治める方が、紙をひとつ渡しながら、昨年にこちらでしたメッセージだと言いましたよ。その後ろのページに1年間、実際に答えを受けたことが書かれていました。それとともに、その方の言われたのが、集会することは、単なるみことばではないということでした。その時、私は伝道者が動くのには、神様が正確にともにおられると話しました。私はそこに対して確信しています。

・それで私に最も重要な時間は、聖日に礼拝する時間です。皆様に一番重要な1時間が、聖日に礼拝する時間です。メッセージ全体をしめくくる時間が核心です。1年 12月を神様がどのように働かれるのか、時刻表を見る時が月火集会です。一ケ月に一般信者集会が一度、牧師集会が一度ずつあります。その他の時間には海外集会があるのです。

・いままで神様がみことばをそのまま成就なさったのです。聖書にあるままに説教するのに、あまりにも驚きました。マタイの福音書を読んできて、マルコの福音書を読んで行きます。核心の時は、創世記、出エジプト記、レビ記.. そのまま読んで行くのです。私たちは、それを簡単に考えますが、神様は細かく答えてくださるのです。

・より一層驚くべきことは、祈りです。私は性格がすぐにすぐにできる性格ではありません。祈りをしてもそうです。しかし、後ろを振り返れば、正確に答えられています。基本メッセージが全部答えできました。神様は驚くほど祈りに答えられるよ! 皆様はそのように感じることはないでしょうか? 祈りをしているのに、細かく答えが来ると感じられないでしょうか? それが感じられてこそ、問題が起きても、問題に引っ掛からないのです。継続的な答えを受けていてこそ、難しい事が来ても、良いことが来ても、それを分析することができるのです。

・私は今、1千万弟子と伝道戦略のために、ずっと祈っています。驚くべきことに、これが全体的に答えがくるのです。私は、良いことではないけれど、すぐ人と親しくなるような性格ではありません。また、人とつき合っても、気分が良くないと簡単に切ってしまう性格でもないのです。義理というよりは、心がそうなのです。性格がそうであるせいか、祈っても答えが即刻来ることもありません。ところが、おいてみればあまりにも細かく完壁に答えられています。それで、私は最も幸福な時間が礼拝する時間なのです。

・皆様がどれくらい重要かを、皆様はよく知らないでしょうが、私は理解しています。なぜならば、説教をしてみれば分かるのです。食堂にお客さんが来ることによって食べ物を作るように、皆様と皆様の子孫がなにをするかによって、神様はみことばを下さるのです。それならば、私はみことばをお手伝いするだけです。お手伝いをすれば、分かるようになるのです。皆様が新しく神様の恵みを受け始めなければなりません。小さな祈りも重要ですが、常に祈りながら、常に答えを受ける秘密を捜し出さなければならないのです。昨日今日起きたことも重要ですが、いつも神様の答えを感じなければなりません。

・先月に、政治家、経済人、公務員に韓国の占いをなくせとメッセージをしました。私は未信者であったときも占いはしませんでした。現実に合うように生きていかなければならず、吉凶を占って、まぐれをねらって生きていくということが違うのです。そのような精神を持って行くならば、信仰生活もそのようにします。

・そのような人がいて、朝起きれば、聖書をぱっと開いて見て、今日はどのようなことがおきるかを考える人がいます。そのように信仰生活する人は、占いにいく人と同じです。ですから、神様が生きておられるのに、何故こうなのか! こういうようになるのです。それが悪いということではありませんが、違うのです。信仰生活を本当にしようとするなら、祈る中にいつも起きる神様の証拠を見なければなりません。どれくらい驚くべきことでしょうか。その中で重要な事件が生じれば、神様のみことばと全部連結するのです。

・バプテスマのヨハネが現れてメッセージをしたのに、その当時で700年前のイザヤの預言です。皆様が外に行けば、難しい事が多いでしょう。難しいことはありません。マタイ24章に見れば、そのようになると出てきています。教会で信仰生活をしていれば、葛藤が生じる時あります。葛藤する必要はありません。マタイ25章に見れば、そのようになっています。信徒が、ほとんどみな福音を理解できなくて、難しく生きていくのです。気落ちする必要はありません。聖書に最後の時は、そのようになると預言されています。最後には、そのようなことがおきるしかないのです。

・今日、マルコの福音書を新しく始めながら、信仰生活が新しく開始されなければなりません。祈りの祝福、祈りの力をいつも味わうなかで、神様の働きを見なければならないのです。皆様が神様の恵みをいつも受ける中に、神様の祝福を見ることができなければなりません。それが信仰生活にものすごく重要なのです。これは事業も、学業も同じです。普段の時に持っているなにかがなければなりません。そのような中で、いろいろなことがおきるのです。今日、本当に重要な信仰生活が始まることを望みます。

・ここに、バプテスマのヨハネがメッセージするなかで、知っていなければならない3つのことが出てきました。

1. マルコ1:1 神の子イエス・キリストの福音のはじめ。これが初めてでであり、最後です。このことより重要な話はありません。結論が出た話です。私達が待ちに待った神様の秘密が、今から開始したと記録したのでした。私達が宗教に悩まされていたが、いよいよ神様の祝福が始まった、ということです。皆様がイエス・キリストで持って、あらゆる答をみな出されることを望みます。今日から信仰生活を新しく始めて、イエス・キリストでもって完壁な答を出しましょう!

・完壁な答が出るかが問題です。明日から事業現場に出て行くのに、あらゆる答が出てくるのでしょうか。ここで信仰の最初の問題がきました。キリストの中に全てのものがみなあると言いながら、しかし、私たちはそうではないということです。ここで、信仰生活の限界がくるのです。イエスを信じねばならないか、信じなくても良いか? キリストの中にあらゆる知識, 知恵, 宝がみなあるのに、私たちにはないということです。ここで、実際に葛藤がきます。話はしないけれど、くるのです。皆様がこの部分を発見しなければなりません。

・信仰生活に最も重要なことは何でしょうか?イエス・キリスト、あらゆる問題の解決であることが間違いないのか? マルコはそのような意味で記録したのです。私は間違いありません。イエスの名前で神様の聖霊が臨むのです。イエスの名前で暗闇とサタンの呪いは崩れるのです。イエスの名前で災いと私のあらゆる失敗はなくなるのです。私は発見できたのです。

・14年前にイエスの話を始めていままで、これを話しています。ところが、私たちの信徒は、説教が全く同じだから退屈で聞くことができないという人は、それほどいませんでした。もちろん、一、二名はいました。イエスを信じない人であったので、出て行きました。しかし、そのような人の話しに耳を傾けません。イエス・キリスト、あらゆる問題の解決者。特殊な宗教を話すのではありません。神の子イエス・キリスト。この祝福があるように希望します。これが、マルコの福音書の開始です。

・私たちの信仰生活の開始は何でしょうか?牧会の本当に開始は何でしょうか?イエスはあらゆる問題の解決者であるのに、これがならないところに問題がくるのです。葛藤が、ここからくるのです。牧会、宣教、信仰生活がよくできない理由は、ここからくるのです。イエス・キリストの祝福を今日から本当に味わうことを願います。理解ができるでしょうか?

・ものすごくたくさん習ったパウロが、私がこれからイエス・キリストの十字架の他には、話さないと言いました。その話はどんな話でしょうか? あらゆることをちりあくただと思うという話は、必要でないという話ではありません。発見できるようになり始めたのです。

・ここで信仰生活の限界がきて、ここで信仰生活の開始がくるのです。神様を信じればできるはずのではないでしょうか? ここで限界がくるのです。なっているならば、ここで開始があるのです。教会がどのような時に、力があるのでしょうか? ここで限界がくれば力がなくて、限界がないなら開始になるのです。皆様がそのまま聞くのではなく、神様のみことばを本当によく聞くようになることを望みます。

・そのイエス様を事業や職場に利用しようということではありません。イエス・キリストの秘密が、このように成就するんだな! ということがなければならないのです。その話は、事業とイエスを一緒にしようということではありません。その言葉の意味ではないのです。

・ソウルで、ある人がタラッパンに集まったそうです。チームの働きに集まりました。それとともに、タラッパンとチームの働きをやたらとしたのです。人々が恵みも受けました。そうしておいて、物を買えとしたのでした。それで、人々が試みに会ったのです。そのような方法で、キリストを表そういう言葉ではありません。なんの話なのか分かるでしょうか?

・クリスチャン限界は、どこから来るのでしょうか?あらゆる牧師と宣教師の限界は、どこから来るのでしょうか? キリストと神様は完全な方であるのに、私はそうではないということです。ここで限界がくるのです。それならば、どこから新しい開始がおきるのでしょうか? それが一致する時、新しい開始がおきるのです。すると、明日も、あさっても、ずっと新しいのす。そして、メッセージを見る目も、メッセージを聞くことも変わります。

・私はメッセージを見ると、祈って驚くのです。私はマルコの福音書を見ると驚くのです。イエスが誰であって、バプテスマのヨハネが誰なのかと話すべきなのに、700年前の預言を取り出したのです。これがまさにイエス・キリストを味わっている人です。

・ペテロを見ましょう。祈っている途中で聖霊充満を受けました。すると、力を出すべきではないでしょう? ペテロはそのように話しませんでした。'兄弟達よ。これはヨエル書 2章28節の成就ではないか! 神様が終わりの日に男女のしもべに水を注ぐように聖霊を約束した、そのことが成し遂げられたのではないか。'キリストの秘密を味わってみている人です。

・ものすごいアナク山地の前にきました。その前で、イスラエルの人々が気落ちしたのです。その時、カレブが現れました。「神様のしもべモーセが、私たちを見てこちらに入っていくはずだと約束しなかったか? ところが、私たちは入らなかっただろうか? 神様のみことばの成就ではないか。すると、アナク山地は問題になるだろうか? この山地を私にください!」この人は、神様が全てだということを味わっている人です。

・ここで差が出るのです。これは簡単な話になりません。神の子イエス・キリストの福音の開始だと書かれています。この話を悟れなければ大変です。皆様は、これが見え始めなければなりません。今日からみことばを聞いて祈れば、見え始めるはずです。皆様の職場、職業の現場に暗闇が崩れるのを見るようになるはずです。皆様ゆえに行く所ごとに、神様の祝福を見るようになるはずです。行く所ごとに罪と呪いとサタンの権勢が崩れるのを見るようになるはずです。神の子イエス・キリストの開始。それが今日、信仰生活の最初に受けなければならないメッセージです。

2. 3節に、「荒野で叫ぶ者の声がする。『主の道を用意し、主の通られる道をまっすぐにせよ。』」これが伝道者の姿です。神様の祝福を受ける準備をしましょう。記憶するように望みます。皆様ゆえに道が備えられ、道が平坦になって、道が用意されるということです。伝道者の姿です。皆様が受ける祝福、バプテスマのヨハネが受けた祝福です。記憶なさるように願います。

・私は、今回、ヒューストン集会の中で、あるお客さんに会うようになりました。韓国人なのですが、米国に長く住んでいる人でした。以前には、家庭に多くの問題があったのに、福音を知ってから、家庭に祝福がきたということでした。福音を知って驚くべき変化がきたのでした。米国で選手を教えるゴルフコーチでした。それで、本も多くてコーチも多いのに、何故ゴルフはそのように難しいのですかとたずねたら、その方がいう話が、みな律法的に悟っているからで、教える人がみな律法で教えるからだと言いました。福音は簡単なのです。できるがままにしなさいということです。できがままということは、なんの話かとたずねたら、ゴルフクラブが行くままに行けということでした。それとともに自分がしようとするから、律法だと言いました。なるがままにということが福音ではないのか? と言いましたよ。この方が完全に福音を悟っていたのですよ。それで、本を新しく書くらしいのです。以前は律法で書いて、今は福音で書くらしいのです。

・帰ってくる前に、その方と少しの間会って話をしました。キリストは神様の子供となる道になられたから、みな忘れてしまえと言いました。今は何も言い訳しないで、一つだけしなさい。ものすごく喜びと感謝の中で祈りなさい。心配の中で祈らず、喜びの中で祈なさい。するとできるようになるのです。できるならば、できる道に従って行きなさい。そして最後に話しました。私に会う人は、祝福の人にさせるべきだということが私の信条です。私に会う家族、友人、信徒は、祝福の人にさせるのです。私に会ってともに仕事をする働き手は、祝福の人になるようにするのです。それが私の信条です。そのようにしなさいと言いました。伝道者の歩みの祝福の道を備えなさい。道を平坦にしなさい。

・ここには、女の方達がいます。今から祈りましょう。自分の夫と子供を、最も幸福な人にさせてあげなければならない。また、ここにいる男の方達は、このように考えましょう。私の妻と私の子供を最も幸福にさせなければならない。そのように考えるように願います。私が会う友人、同僚が本当に祝福の人になれるほど助けなければならない。これが伝道者の道です。私たちは自分に会う人が祝福の人にならなければならないのです。記憶なさるように望みます。これが伝道者の道です。皆様が歩いていく道なのです。

3. 8節です。「私はあなたがたに水でバプテスマを授けましたが、その方は、あなたがたに聖霊のバプテスマをお授けになります。」人々がすることは肉体的なのですが、皆様が信じる時、神様が聖霊で働かれます。記憶しなければなりません。この三つのことで、皆様に今日新しい祝福の門が開くように願います。新しい答えを受けるように願います。

・最後にお願いします。暗記せず、恵みを受ければよいのです。すると、それが答えで、祝福が証拠でくるようになっています。皆様が、今日、これから受けなければならない祝福3つです。神様の中に、キリストの中に全てのものみなあることを発見するようになることを..

・皆様ゆえにバプテスマのヨハネのように道が備えられて、道を平坦にするようになることを。皆様ゆえに本当の救いであられる神様の聖霊が働かれるようになることを。必ずこの祝福を受けるようにイエスの名前でお祈りします。

<<契約祈り>> 神様に感謝申し上げます。残った時間も答えの時間になるようにさせてください。主イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン





2部: 祈りで助ける働き
(Iテサロニケ3:1〜13)
 

・私たち信者で最も美しい姿は、どんなものがあるでしょうか? 色々あるでしょうが、本当に福音を悟って静かに、たくさん祈る姿です。私達が祈る時、とても自分の強い性格で祈ることは、美しい姿でないけれど、本当に福音のなかで祈ることは、最高の美しい姿であり、最高の大きい力です。主のしもべ達に最も大きい力になることがあるならば、本当に祈る人々がそばで祈ることです。祈りは霊的な科学であるゆえに、まちがいなく、完壁で正確に答えがなるようになっています。

・皆様が生きているならば、絶望的な事があって、良いこともあります。しかし、皆様が祈っているならば、まちがいなく答えの門は開かれるようになっています。気落ちする必要もなくて、揺れる必要もありません。ずっと祈っていれば良いのです。

・私はそのように考えます。公務員が祈りの秘密を理解するならば、その時から公務員として成功して、福音の門が開くはずで、仮りに政治家が祈りの秘密を理解するならば、その政治家は真の政治家になるはずです。仮りに事業する人が、福音のなかで本当に祈る人ならば、その事業は本当に正しくなっていくのです。私はそれを確信して待っています。

・私が皆様にできる最も大きい働きがあるならば、皆様のために祈ることで、皆様が私のためにしてくれることができる最も大きい働きも、私のために祈ることです。今日、パウロがテサロニケ教会のために、祈りをお願いしました。だから、今日、私たちもこの契約を握るべきなのです。

・聖書に見れば、何んでも答えてくださるとされています。ヨハネ14:14節に見れば'あなたがたが、わたしの名によって何かをわたしに求めるなら、わたしはそれをしましょう。'と言われました。皆様が本当にイエス・キリストの秘密を理解するならば、祈りが答えられます。皆様がいつから信仰生活ができるようになるかというと、キリストの中に全てのものがあると発見できるその時からです。これは高慢ではありません。キリストの中に本当にみなあるんだな! 別の言い方をすれば、神様の手中に全てのものがみなあるのではないか? 私たちのものにすることができないので、神様がキリストを送られた。だから、その中に全てのものがみなあるということが発見できた時から祈りが答えられるようになって、信仰生活ができるようになります。

・だからヨハネ14:14節で'わたしの名前で何んでも求めなさい'そして'答えられる'と言われたのです。Iヨハネ3:22〜24節に見ると'また求めるものは何でも神からいただくことができます。なぜなら、私たちが神の命令を守り、神に喜ばれることを行なっているからです。'と言われて、マタイ18:18〜20節に'ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には'、すなわち礼拝する所を言います。皆様が礼拝する所に集まり、みことばを受けて祈れば、まちがいなく答えられるようになります。だから皆様は困難が来ても揺れず、答えがきたとしても浮き立たず、真の祈りの祝福を味わうべきなのです。

・私は、困難に会う時ごとにこの課題を置いてずっと祈りました。本当に驚くべきことに、神様には一つも抜けることなく、祈りに答えてくださいました。タラッパンを始めながら、多くの困難がきました。戦う必要もなく、揺れる必要もなく、祈るなかで神様が答えてくださいました.. これよりも完壁な科学はありません。これから起きることを知っています。多くの事が起きるはずですが、皆様は祈りの秘密を持っていなければならないのです。

・救われた者の最高の背景は祈りです。最高の助けも祈りです。今日もう一度確認するように願います。誰か皆様のために祈る人がいるならば驚くべきことで、皆様のために祈る人が誰もいないならば不幸なのです。

・私が見るときに、牧師の中に共通点がありました。正しく一生の間、大事に牧会なさった方は、両親や家族などの祈りの背景があったのです。しかし、大部分の困難に会う方を見ると、祈りの背景がない方達でした。必ずではないのですが、共通的にそうです。

・使徒13:16〜19 祈る時、暗闇の勢力が崩れて、黙示録8:3〜5 私たちの祈りは一つも地に落ちないとされました。使徒ヨハネが、霊の目が開かれて見たら、私たちの祈りが一つも落ちないで天に持って上げられて、神様の御座の前のうつわに入れられていたとしました。だから、皆様は何も気落ちせず、祈り始めればよいのです。

・今日、祈りの秘密に対して、いくつのことを話します。最初、イエス・キリストの福音を持った人ならば、見ること、聞くこと、話すこと、全てのものが祈りです。卑劣な言葉で祈りをしてはだめだと言うことができます。私が静かにイエス・キリストの中で神様の子供の祝福の中にいるならば、あらゆる問題は既に解決されたのです。

・しかし、今日、2番目に記憶しなければならないことは、特別に祈らなければならない理由があるのです。皆様が礼拝の時、イエス・キリストの名前で祈ることが全部答えられます。礼拝はよくささげて、たくさんささげればささげるほど良いのです。礼拝の時、イエス・キリストの名前で祈れば、自分自身が息をふきかえすだけでなく、ある日、全部答えられているのです。皆様が説教を聞きながら、嫌いで眠たいこともあれば、なんでもないことのようですが、皆様の信仰がみな落ちる時間で、その時間がからだで言えば、病原菌が入った時刻表です。そして、皆様が祈りをささげながら、他の人を祝福しなければならないのです。Uコリント13:13節にも '主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがたすべてとともにありますように。'と言いました。皆様が特別な時間を出して、他の人のために祈るならば、その人はまちがいなく証拠がきます。

・私たちの学生達が、最も良い時間に一日に1,2度本当に学業を置いて神様に祈るならば、すぐに答えられることはないけれど、一生の間に完壁な答が出てくるようになっています。私たちは祈らなくても、神様の子供ですが、何故祈りをしなければならないのでしょうか? 祈りを通じてだけ、暗闇の勢力が崩れるようになっているのです。それならば、普通の祝福ではありません。皆様にある祝福がものすごく大きいのです。

・今から、皆様の性格、心、皆、放っておいて、本当に祈るように願います。神様は、私たちが能無しでもいやすことができ、私たちの本当に良くならない部分もいやすことができるお方です。時々生きている途中で、途方に暮れる時もあるでしょう。本当に祈るように願います.. 神様に最も恵みを受ける時間であり、静かに答えを受ける時間になるはずです。

・今日ここで三番目に記憶しなければならないことは、他の人のために祈らなければならない理由が出ています。4節に'あなたがたのところにいたとき、私たちは苦難に会うようになる、と前もって言っておいたのですが、それが、ご承知のとおり、はたして事実となったのです。'とされています。特に4節をもう一度見るように願います。皆様が主のしもべを置いて祈らなければならない理由です。本当に主のしもべ達に起きることです。

柳))私が私たちの長老と教役者と新しく始める時、信者に話しました。これから伝道運動をすれば、私を絶対にそのまま置いておかないで、是非を論じるはずです。特に韓国人は、より一層そうです。日本のある政治家は、韓国人は恐れる必要がないと言ったということです。韓国の中で自分たちの間で折ってしまうためだということです。体質がそのようだと思います。これから、私が 2800ケ所に伝道のメンバーを植え、私たちの教会に数万名が集まって恵みを受けるようになれば、もう一つの是非を論じてくるでしょう。神様が特別に保護をしてくださるでしょうが、問題が起きるようになっています。何故でしょうか?いままで伝道しようという教会や牧師が起きれば、静かに置いておいた歴史がありません。聖書、教会史でもそうです。何を祈るのでしょうか? 主のしもべのために祈らなければならないのです。特に私のために祈ってくださるように願います。

・祈りを知っている人は理解します。福音を持った人が、本物の福音を持ったとするなら、祈りの力を知っています。皆様が祈りと福音を持ったイエス・キリストの人ならば、皆様の周囲に、霊的に相当な事が行われるので、今どんなに大きい困難の中にあってもかまわないのです。神様は、私たちの祈りに答えられるようになっています。ですから、特にあなたがたは主のしもべのために祈らなければならないのです。

・2番目に、10節を見ましょう。'私たちは、あなたがたの顔を見たい、信仰の不足を補いたいと、昼も夜も熱心に祈っています。' 今日、主のしもべは、記憶しなければなりません。あなたがたが主の民のためにどれくらい祈らなければならないのでしょうか?'昼も夜も熱心に'と言われています。パウロが何をしたかと思えば、主の民のために夜昼で祈ったのでした。今日、回復する日になることを願って、皆様がしていらっしゃるでしょうが、より一層新しい恵みを受けるべきなのです。私達はしばしば冗談で'祈りでもしよう'と言います。'祈りでもしよう'ではありません。祈りが全てのもので、これより重要なことはありません。

・私たちの教会に一番重要な方があるならば、祈る方です。私たちの教会で、行って政治をして、学問して、事業する方もあるだろうが、より重要な方は教会で祈る勧士、女執事、明け方と夜に集まって祈る方たちです。どれくらい重要な方達でしょうか? 主のしもべは、特に祈らなければなりません。今、衛星で、インターネットで、国外で、そして全世界でともに礼拜を行なう牧師達に、必ずお願いします。礼拝する時ごとに、役員、産業現場にある信徒達を祝福しなければなりません。理由があるのです。そして、時間がある時ごとに、夜昼で祈らなければならないのです。

柳))私は'祈り'を浮上させる時ごとに、誰が何と言っても、家を思い出します。私が中1の時、父親が亡くなったのですが、その時から母が祈ったのでした。特別なことではありません。この地 立派な人、背景が良い人がどれくらい多いでしょうか? 私たちは、背景もなくて私の下に弟と妹3人がいるのですが、父親が亡くなったから、どのようにしたらよいのでしょうか? ところが、私はそのように考えなかったのです。私は祈りの力を理解できます。私の母が、休まないでいつも祈ったのでした。この時まで生きてきながら、重要なことは、皆、神様が解決なさって、私たちを危機の中に置いておかれることはありませんでした。

・神様が、皆様に会って世界の福音化をするようになさって、私たちのレムナントが息をふきかえすようになりました。こういう伝道ができる祝福を受けるようになったのですが、これが何か知っているでしょうか? "祈りの力"です。そして、私は知っています。母の兄弟達が祈る方達でした。私はその力、祈りの秘密を知っています。

柳))私の教会の方達と、朴長老は、私たちの教会の証人です。私たちの教会が復興しようとする時、親しい方が老会である事を話してくださいました。心配しながら行ったのに、根拠がない話で私を困難に陥るようにさせたのでした。相手側から私が間違っていると言うならばともかく、ないことを話したので、ない事をしていたとは言えないと言いました。そこから発端になり始めたのです。皆様が知らなかったのですが、普通の人がそのようなことにあえば、何年かで病気になって死にます。私に向かって全国的に攻撃するので、ある時には、混乱することもありました。はなはだしきは、しばらくは神様にそのことに対して祈りを多くするようになったのです。私に対する文章を一斉、読むこともしませんでした。私が偽ってだますことを話したというおかしな話しもありました。私は当事者なので、しばしばそのようなことに接すれば、衝撃を受けます。人々は事実なのか、偽りなのか知ることもできないまま、小耳に挟んだ話し、または想像した話し、周囲人の言葉を簡単に吐きだすのです。その全てのものが私に、刺さってくるしかなかったし、私が自ら生き残らなければならないので、祈りし始めたのです。これから、どのようにするか?と。神様が私たちに最も大きい証拠をくださったのです。これが私の一番大きい慰めです。この前、中・高生の集会でも大きい祝福を受けました。学生達が恵まれてレムナント達がおきたのです。祈りしかありません。

・主のしもべが講壇に立った時ごとに、誰のために祈らなければならないのでしょうか? 本当に、役員と信徒のために祈らなければなりません。そして、あなたがたは誰のために祈らなければならないのでしょうか? 主のしもべに暗闇の勢力が っとしているでしょうか? これを本当に祈らなければなりません。仮りに皆様の子供が福音を伝えるレムナントならば、暗闇の勢力がじっとしているでしょうか? もちろん、神様が手助けされるのですが、祈りが必要です。

・12節に'また、私たちがあなたがたを愛しているように、あなたがたの互いの間の愛を、またすべての人に対する愛を増させ、満ちあふれさせてくださいますように。また、あなたがたの心を強め、私たちの主イエスがご自分のすべての聖徒とともに再び来られるとき、私たちの父なる神の御前で、聖く、責められるところのない者としてくださいますように。'としています。これは何でしょうか? 聖徒同士の祈りです。皆様が主のしもべのために祈って、役員を置いて祈るべきですが、主の民をために祈りしなさいということです。パウロが多くお願いがあるなかで、最も重要な祈りのお願いをしたのでした。私たちの教会の中に、多くの 人々が伝道運動をするはずですが、祈りの開始をすべきです。これから伝道運動をするはずですが、特に祈ることは 2,800ケ所伝道運動。釜山700、蔚山100、ソウル 2000。5人 1組以上を 2800ケ所植えて、伝道運動しようということです。今、現場に教会がなくなったので、教会運動をしよう、十字架を立てようということではありません。この働きをするよう祈れば、神様が真の祝福を下さいますはずで、皆様を静かに置いておかれません。皆様の事業に働かれ始めるのです。皆様の事業が、福音の重要な門になるように祈るように望みます。

柳))ある困難にたくさん会った方が、祈りをどのようにすれば良いのですかと尋ねました。即、返事をすることが大変でした。何から話したらよいかわからなくて、あらましこの方を見たら、困難にたくさん会ったように見えました。その方にこう申し上げました。聖書ごとに異常に祈りの答えられた所ごとに重要な単語があります。ダニエル6:10に見れば、ダニエルが一日に三回ずつ、エルサレムに向けて祈ったのですが、単に祈ったのではなく、感謝しながら祈ったとされています。ピリピ4:6 に何も思い煩わずに、祈りと願いで "感謝をもって" 神様に願いなさいとされています。これはなんの話でしょうか? 私達が不平不満、心配しながら祈るならば、それは心配の祈りでしかないでしょう? 本当に神様の恵みに感謝しながら、静かに祈るならば、それは驚くべき祈りになるはずです。神様が確かにくださるはずです。

・それで、私達が神様の前に持つメッセージがどれくらい重要か分かりません。私はむかしにとても苦しかったので、祈りの答えを受けた人の証しの文章だけを選んで読んでみたことがあります。今、考えてみると福音もなくて、そんなに祈っていて自分の病気がなおったなどの内容しかなかったのですが、その当時にはそのようにでもするしかなかったのです。手助けする人が誰もなかったためです。しかし、今、私たちの教会がどれくらい幸いな教会でしょうか? 伝道運動する祝福を受けたのではないでしょうか? いまは、皆様に本当に頼むことは、ひとつしかありません。祈るように願います。

・パウロが、14巻の書簡の中で1章に必ず出てくることが何でしょうか? 祈りです。神様が時代時代ごとに、用いられた働き人の特徴は何でしょうか? 神様が何故ムーディーを用いられたのでしょうか? 祈りためでした。神様がパウロを用いられるしかなかった理由がありました。祈りの人だったのです。感謝しながら祈りする人!私たちのインマヌエル教会、釜山、ソウル、また、いろいろな地域にある教会のすべてが、神様の前に本当に力を得なければなりません。本物の祈りをしましょう。

・今日、私達がいくつかの結論を持つべきです。神様は、創造主なる神様であるは明らかです。神様は、今でも生きて働いておられ、地球の歴史も変えることができます。私はそのような神様の子供です。そして、今から本当に祈るのです。

・私は、皆様に祈りに対してどのように説明するのか悩む程、祈りに対して切実です。他の牧師とともに 月、火、水、木曜日の間ずっといっしょにいました。電話もなくて、TVも見ることができない山の中に入っていったのです。メッセージ を9回して、他の人達はずっと講義を聞かなければならないので、私はこのようにまずくるようになりました。ともに食事もしながら、いっしょにいる間、私の関心は'あの方達は、祈りをどのようにするのか?'ということでした。説教をしながらこういう話をしました。

柳))光州に行けば、私を車に乗せてイ・ビョンム牧師がいらっしゃいます。時々、飛行機の時間が差迫る時があるのですが、そのような時ならば、車を運転しながらライトをつけて、どれくらい急いで走っているか分かりません。本当にたいしたものです。祈りだけすれば良いと言ったところ'私はいつも祈ってます'と言いました。

柳))この方より車をもっと速く走らせる方がいます。パク・セグン牧師もどんなに速く走っているか知れません。私たちのメンバーの中には、特に車を急いで乗る方が多いようです。パク・セグン牧師に'そのように速く走っていて、事故にでもなればどうすることもできない'と言ったところ'私が院長に仕えて、今日は用心しているのです'と言いました。どれくらい速く走って、よく運転できるものだろうかと私は怖かったのです。ある日見たら、パク・セグン牧師がばん創膏を顔に付けて来ました。どうしたのかとたずねたら、事故がおきたと言いました。'祈りなさい'と言いました。皆、優秀な方達です。祈りだけもっとすれば、本当に見事な方達になるはずです。

柳))パク・セグン牧師よりもっと車を速く走らせる方は、カン・ホイン牧師です。その方の車に乗ると、私が車の中にいるのか、外にいるのか区分がつかない程です。その方の車に乗った時、急走行しないでと言ったところ、この頃は用心しているので、150kmしかしていないと言った程です。とにかく、たいした方達です。祈りだけすれば、世界を変える方達です。

・いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。今、私たちの学生達がいます。本当にお願いします。皆様は祈りを変に習ってはなりません。他の人が見ると、全く正常な人なのに、祈りの秘密を持った人にならなければなりません。他の人が見ると、全く祈っていないようで、全く同じに見えるのに、真実には途方もなく祈る人にならなければならないのです。それを学ぶべきです。これだけ学ぶことができるならば、どんな困難が来てもかまわないのです。これを学んでこそ、両親を離れて、国を離れて留学に行っても成功するのです。そうでなければ、倒れるのです。それを抜けば、留学先に行って揺れるのです。最も重要な家庭、教会、国家、言葉を離れることなので、どうするのでしょうか? そこで霊的な威嚇がくるのです。祈りの秘密がなければならないのです。

・皆様は、特別な恵みを受けて、特別祈りをできます。それが悪いということはありません。それは後日、話しますが、まず学生達に重要なことは、他の人と全く同じく正常に生活をしながら、祈ることです。それが、キリストのなかで、絶えず祈る秘訣です。このようになれば'私がこのようにしなければならないですか, あのようにしなければならないですか'と言わない程に答えがきます。そして、その祈りを続ければ、問題を見れば、答が出てくるようになるのです。過ぎる問題なのか、すぐ答が出てくる問題なのかを見ることができる目が開かれるのです。過ぎて行く問題は静かに置いておけばいいことで、当然なことはかえって感謝しなければならなくて、必ず解決する問題は挑戦するのです。こういう知恵がなければなりません。

あなたがたが、全世界を福音化するために、そして、自分自身の神様の最も大きい祝福、恵みのために、祈りを回復する日になることを希望します。

<<契約の祈り>> 神様に感謝を差し上げます。今日からより多くの祈りの祝福を味わって、素晴しいクリスチャン、また 素晴しいクリスチャンの学生、未信者を実際に生かす証人になるようにさせてください。今年は多くの恵みと証拠がおきると信じます。特に伝道と私たちの役員とあらゆるレムナントに、生きた証拠がおきると信じます。今日、テサロニケ教会のように祈る教会になるようにさせてください。まさに、今日、答えの日になるようにさせてください。私たちの主イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン。




3部: マルコはだれか?
(使徒1:12〜14)
 


・1517年にマルチン・ルターが作った賛美です。福音を伝える神様のみことば通りにしようとするマルチン・ルターを、堕落した教会、大きい教会の権力を持った中世教会がマルチン・ルターを異端だと決定しました。社会の法律は、決定されるても、高等裁に控訴して、最高裁に上告をする道があるますが、宗教法は決定されれば終わりです。マルチン・ルターを異端だと決定したのです。ただ条件をひとつつけました。 "あなたが書いた本やメッセージを燃やして、した話を間違っていたと認めれば生かす"と言ったのでした。でなければ、この場で死刑宣告を下すと言いました。

・マルチン・ルターが立って裁判を受けた教会に行ってみました。戦争の時、すこし破壊されたのでしたが、ほとんどそのままあります。500年過ぎた教会なのに、いや聖堂なのですが、とてもよく建てられていました。そこにマルチン・ルターが立って裁判を受けたのでした。その時、マルチン・ルターがためらったのでした。 それを知って、宗教裁判をするカトリック教会で1週間の猶予を与えました。向こう側で願ったことは降参だったのです。深く祈って考えてみろということでした。

・このマルチン・ルターが、家に帰ってきてご飯もおいしくなくて、それとともにたくさん考えたのでした。その時、皆様がよく知っていることがあったのではないでしょうか? 外で号泣する声が起きました。マルチン・ルターが出て見ると、マルチン・ルターの夫人が号泣していたのです。誰かが死んだのかと尋ねたら、夫人が神様が死んだと言いました。神様が何故死ぬのか?と尋ねたら、"神様が死んでられないの、何故あなたが気落ちするのか?" と尋ねたということです。その時、マルチン・ルターが恵みを受けて作った賛美がたった今歌った讃美歌です。"神は強い城で、兵器と盾なので.." マルチン・ルターは、音楽にもとても優秀だった人に間違いありません。

・それで、法廷に行くやいなや述べた言葉がそれです。"私は、ここに神様の前に立ちました。私は聖書のみことばを否認することができません。" だから、中世教会で間違いなくその場で死刑宣告をくだしました。死刑宣告をされれば、すぐに死ぬのではありません。それを執行する期間に、事件が起きたのです。想像もできない事件でした。神様はどのようにされるか分からないのです。まちがいなくルターは死んだと考えたのに、想像もできない事件がおきて、宗教改革になりました。その改革が、米国を誕生させて、その福音が韓国にも入ったのです。この国が全世界に2番目に宣教師をたくさん送る国になりました。その中で本当に福音を伝えてみことば通りにしようという教団が作られたのです。

・今日、聖書を見ながら、使徒の働きから人物研究をしています。序論でお話しする部分があります。皆様は伝道をしなくても良いのです。しかし、結論は出ていなければなりません。忙しいのに、外で伝道紙を渡しながら回りなさいということではありません。元々聖書が話した伝道は、それではありません。皆様の現場で、キリストの証拠を見た人が皆様を追ってイエスを信じるようになって、皆様を追ってイエスを信じるようになった人が集まるようになって、自分の家族に再び話をするようになることが伝道です。

・しかし、3つの結論は出ていなければなりません。

1. 福音は、私と人生の問題の解決です!

2. それならば、私が生きるのは、これゆえに生きます。それが伝道です。

3. そうだとすれば、私はなんにもなくても、神様のなかで祈れば答えを受けるようになるのです。

・私たちクリスチャンは、何でもないことでも、新しく始めることができます。実際には祈りという途方もない武器があるので、その答えを受けることができる力があり、この3つのことに答が出て、明らかになれば、信仰生活が進行するのです。

・人間は、本当に罪人であり、私は救われることができない人間だいうことを本当に悟ってこそ、福音を受けるようになるのです。何か全くホラを吹いてでは、悟ることができません。本当に世の中は華麗なように見えるけれど死んでいくよ! これが悟れるようになってこそ、伝道が分かるのです。皆様が霊的な世界を正しく知っていれば、正しい献身をして祈れば良いのです。

・私が福音を知らせるならば、真実で、かつ、実際的でなければなりません。ホラを吹く素質があったりすると、福音がわかりません。ホラを吹く素質があれば、理解ができないのです。福音はとても事実であるためです。あまりにも事実なので、福音を受けることは、やさしいながらむずかしいのです。

・ところが知性があまり優秀でない人々が集まった初代教会は "何でこういう人が集まって ..." という程にとても力がない教会でした。本当に不思議なことです。これが霊的な目がなかったり、頭が優秀でない人は見ることができないのです。マルコのタラッパンや初代教会を見れば、あまりにも弱かったのです。何名か集まったのですが、貧しかったのです。どれくらい貧しかったかというと、お互いに食べるものがなくて、やり取りする程でした。錯覚するしかありません。

・とても注意しなければならない部分がそれです。ところが、どのようにこの福音が世界を征服したのでしょうか? 何年か前に私たちの教会が引越しする前、35坪にあった時、人々が私のメッセージを聞いてたくさんきました。外国からきて見て、簡単に話せば、訪問して来たのです。その方達が共通的に言う話がありました。教会にきて、いくつかのことに驚いたと言いながら、"牧師様はものすごく大きい人であると思っていたのに、そうでないことに一度驚いて、教会が途方もなく大きいと思ったのに、35坪の地下ということに、ものすごく驚いた"ということでした。一度は教会堂で私と話しながら、教会はどこですか?と尋ねられたこともありました。

・この人達がまた驚いたことが、聖日に礼拝をささげようときたのを見て驚いたのです。35坪に少なくとも何百人が入っていました。本当に、礼拝が終れば行けない程でした。そういえば、前回にニュースを見たら、ティコ(韓国の軽自動車)に 21人が入っていったと言っていました。そのような方法で入っていったゆえに、本物の礼拝が終れば、帰ることができなかったのです。ある人は、他の人から誘われて合宿にきたのですが、 完全に試に会って去って行った人もあるということです。中だけがそうなのではなく、食堂、窓に、テントに完全にぎゅうぎゅう詰まっていました。だから、一千名くらいになっていたのです。

・これから、インマヌエル・ソウル教会にきて見たら、"何こういうのか?"という人もあるでしょう。また、タラッパンをする教会、衛星で連結した教会が、みな小さい教会です。その方と契約を捕まえて始めたのですが、衛星を通じて礼拝をささげることは、契約を捕まえて始めることです。外で良い教会堂に通う人々が見れば、とても大したことがないように見えるでしょう。私たちは、うわべを話すためです。うわべも重要ですが、教会を華麗に建てておけば良く見えるでしょう。今、衛星で礼拝をささげる所がほとんど小さいのです。変に見えて、人が少しだけ変に行動すれば、より変に見えるはずです。

・マルコのタラッパン教会は、そのように弱い教会だったのに、最も優秀な教育のユダヤ人教育を持って、マルコのタラッパンの教会に勝つことができませんでした。ソクラテスをはじめとする多くの哲学者が、ギリシヤから出てきたのですが、ユダヤ人思想と合わせても、このギリシヤ人達が、マルコのタラッパンに勝つことができなかったのです。世界を征服したローマが、キリスト教をなくすことができませんでした。本当に不思議に思ったのです。神様の方法は本当に不思議です。

・ある日、事件がおきるのです。気落ちせずに、祈らなければならないのです。ユダヤ人がイエスを信じる人を根絶やしにしようとしたのに、ある日、事件がおきました。どんな事件がおきたのでしょうか? AD70年頃に、イスラエルの国を間接的に統治したローマが、旗を立てて直接統治するようになりました。それとともに、このユダヤの国の指導者を全部みな殺し始めたのでした。それで、戦争が起きることもありました。

・初代教会は、世界を征服して、パリサイ人達は、まさに国際的な放浪者になりました。事件がおきるのです。それとともに、福音は勝利しながら、ものすごく広がりました。あたかも、マタイ13章のパン種のように広がったのです。小さいからし種だと思っていたのに、大きい木になったということです。これが福音です。

・あなたがたは、福音を持って祈りながら本当によく見るべきです。学生達も特によく見るべきです。世の中が、とても大きく見えて、華麗に見えるでしょうが、よく見るべきなのです。環境でいつでもしようとするのではありません。マルコのタラッパン教会が開始をしたのに、とても弱くて貧しいと見られ、全く力がないように見えたのです。パリサイ人達は、そう思って思いきり踏み潰して弾圧しました。それでも歳月が過ぎながら、この教会は世界を征服したのです。本当に驚くべきことです。これが福音の力です。もちろん、弱いのだけをよく揃えなければないということではありません。ある日、皆様が福音を持って祈っていれば、 神様が重大な事件を起こされながら、福音を防止する者は押し倒され、福音は世界へ広がるようになったのです。

・今日、この貴重な時間に、多くの話は出来ません。尊く用いられたマルコはだれでしょうか? 多くの分析ができますが、3つのことを分析することができます。

1. 幼い時期に信仰教育を受けたのですが、これは歳月が過ぎれば、途方もない影響を与えるのです。このマルコは有名な伝道者、信仰のバルナバのおいであり、4親等だと歴史家が記録しています。マルコの背景です。また、イエス様があらゆる教育をみなして、3年の公生涯を終えられた時になさったことが何でしょうか? 一番最後の教育が、イエス様が弟子を集めて食事をされたのです。それが最後の晩餐です。その時、イエス様がパンを下さいましながら、これはわたしのからだです。杯を下さりながら、これはわたしの血ですとおっしゃいました。それを記念しなさいとおっしゃったのでした。その最後の晩餐をした家が、マルコの家でした。その時、マルコは少年だったと記録されています。いろいろと専門に研究した人々を見ればそうです。

・マルコは幼い時にイエス様が頻繁にいらっしゃって、その家が影響力がある良い家にいたということです。エルサレムにいる相当な数の人を生かすことができて、交りができる良い家だったということです。ところが、そこでイエス様の地上で最後の食事がされたのでした。それとともに、ものすごく重要な意味を説明なさいました。この血は、十字架で血を流すことによって、あらゆる人を生かすものです。一生忘れてはならない。これをイエス様が最後に来られる日まで忘れてはならない。簡単に話せば、聖餐式をなさったのでした。これがマルコの家でした。だから、マルコは幼い時から本当に信仰教育がうまくいった人だったのです。

・それで、私たちは大変でも、胎児から大学部まで教育を良くしようとしているのです。それで、私たちはしようとしているのです。皆様が必ず記憶しなければなりません。幼い時、信仰教育を確かに受け取ったことは、今、悟れなくても一生続くようになっています。全てのものがみなそうです。肉体的にも、霊的にも、そうなのです。

・むかしには、今のようによくなっている床ではなく、木をつないで作られた床がありました。そうしたあと見れば、木がつながった所を間だというのですが、それが抜けることがありました。それで、下を見れば下が見えたのです。私たちはそのような床で住んでいました。幼い時、私の父が退屈ならば、鶏の中ににんじんとか、こういうことを入れて私に食べるようにしてくれました。私はそれがどれくらいまずいのか、鶏肉だけ食べてにんじんは、穴があいた間から下に捨てていました。それがあまりに固かったためです。それでも、止むえず父がみていれば、ちょっと食べていたのです。

・とにかく、私たち父が、私が幼い時、そのように私を食べさせました。今、考えてみると、その時、よく食べたことが健康にすこしは助けになっているようです。良いと言われるものは、みな食べさせてくれました。私の父は40才に私が生まれて、53才で亡くなりました。40才で私が生まれたのですが、とても良くてせきする病気がみなよくなる程だったということです。

・今でも想い起こされることは、学校で雨が降れば、他の子供達はそのまま家に雨に濡れて帰るのに、私はまちがいなく父が出て来ました。それで私を背負って、大きい服で覆って家に帰って来ました。私はその時、ものすごく安らかさを感じたのです。とにかく、その時、良いものはものすごく食べていたました。なんでも幼い時食べたことが重要だということを感じます。だからか、私は早く疲れません。幼い時が重要なのです。

・箴言21:6に見ると、当然行なうべき道を幼い時に教えれば、老いても離れないと書かれています。真理もそうです。幼い時の信仰教育が、それほど重要なのです。信じる家庭で信仰生活が良くできなければ、不信仰の子供が出てくることがあります。しかし、約束します! 必ず帰ってきます。それは間違いありません。早く帰ってこなければ、思い切り回っていて、死ぬほど苦しんでから帰ってくるのです。一番の問題が、不信仰の家庭で成功した子供があるのですが、それが本当に問題です。その人々は、永遠に帰って来ることができないこともあるのです。むしろそうなるでしょう。心配しなくても良いのです。皆様の子供達が幼い時、賛美したこと、こういうものは、何でもないことのようですが、歳月が過ぎれば過ぎるほど答が出ます. .

・人生は、そんなに簡単ではありません。人生を生きていれば、病院も行かねばならなくて、いろいろな事を体験するようになるのですが、絶対に倒れません。結局は、神様が連れて来られるようになっています。幼い時の教育が、どれくらい重要か分かりません。メッセージを聞かないでもそうなのです。

・私は、教会を離れて少しの間回った時、福音を聞けませんでした。しかし、教会だけ通っていたのに、ある日、悪い子供達と交わって通うのに、夜に 12月 24日に教会で鐘の音がなるのを聞いて、心がむかしに戻ることを感じました。 "いつかは教会に行くべきだ.."というそのようなことでした。今でも、クリスマスの日、ものすごく寒い日に雪が降れば、幼い時、クリスマスの日に教会に行く時、目に落ちてきたことを思い出します。その時 3, 4年でした。幼い時を、絶対に無視することは出来ません。クリスマスの日、どんなに忙しくても、機関ごとに発表すること必ずしなければなりません。私はそれをしながら、教会にどれくらいたくさん来たか分かりません。そのようなことを見ながら習うのです。

・これが、年を取って私が信仰が難しくなった時、簡単に話せば、苦しい時に、福音を受けなかったのに、この考えをするようになるのです。幼い時、福音を聞いたということは、絶対に滅びません。もし福音がなく成功した子供がいるならば、それが問題であって、皆様は心配する必要はありません。

・マルコが重要に用いられた理由があります。幼い時、すでに家庭の背景が信仰背景で、初代教会が始まるやいなや参加したのです。イエス様が公生涯を始められるやいなや、マルコの家庭には福音が入っていきました。それとともに、すでにイエス様がどれくらい頻繁に来られたのか、最後の聖餐式をするほど、その家に行かれたのでした。マルコは、幼い時から信仰の根があったのです。今日、私と皆様が記憶しなければならない部分が、子供達、中・高等学生達が、今早く悟らなくても良いのです。その学生達が、信仰に多くの部分を経験するように手助けしなければならなくて、私たちは学生達のために祈らなければならないのです。

2. マルコはだれでしょうか? 使徒1:13 今日の本文を見れば、いよいよ初代教会が誕生するようになりました。だから、普通に考えることは、イエス様がマルコの家にきて、食事もしたことが習慣になって、弟子等もそのままその家に集まったのです。それが、マルコのタラッパン、初代教会の開始でした。マルコは、年を取り始めました。おとなになったのです。この人が、自分の家を提供したのです。ひとりが自分の家を出したら、これがどんなことがおきたのか私たちは知っています。

・皆様がおわかりの通り、教会が大きくなって、ユダヤ人がイエスを信じる人を捕まえて殺そうとしました。ペテロが明日、死刑にあいそうなのに、その夜に神様のみわざが起きたのです。それでペテロが出てくるようになりました。監獄の中で、とても不思議な事が起きたのです。その時、ペテロが立ち上がってどこへ行ったのでしょうか? 人々が集まって祈っていた家へ行きました。その家が、まさにマルコの家でした。

・幼い時あった、そのまま連結したのです。2,800 地域教会運動は、どうようなのでしょうか? 難しく考える必要はありません。2,800 箇所に神様を知って、イエスを信じる人が集まるようにしよう! 2,800ケ所で、伝道運動を本当にしよう! 一度予測だけでもみましょう! 仮りに、その事が行われれば、神様は皆様をどのようになさるでしょうか? 想像だけしてみましょう!

・仮りに、皆様が中心になって、首都圏に 2000ケ所の教会が回復している!, 2,000ケ所で神様の国が臨む作業がなされていれば、どのようになるでしょうか? マルコという人が、自分の家を出したのですが、その難しい中に神様のみことば運動を開いたのでした。これがこのように大きい祝福を受けたのです。ほとんど永遠な祝福でした。

・今日、マルコを見ながら、いくつかのことを悟らなければなりません。幼い時、福音を悟ることがどれくらい重要でしょうか? この地にみなあるのに、ひとつがありません。福音を聞くようにするこの家と人がどれくらい重要でしょうか? それを私たちに知らせているのです。

3. 使徒13章に見れば、バルナバとパウロとともにキプロスという島に行って、総督が悔い改めする働きが起きたのですが、その時、共に同行した人がマルコです。マルコは、後ほどある事件がおきて、パウロと離れました。しかし、Uテモテ4:11に見れば、3次伝道旅行の中に、マルコを連れて行くと言っています。そのマルコが、まさにこのマルコです。この話は何でしょうか? マルコを見て 3つのことを見ることができます。

・今日、私と皆様が祈りの答えを受けなければならない部分がそれです。最初、幼い時に信仰を学んだ人です。幼い時の信仰は、永遠に離れません。私達が、幼い時に福音を教えれば、この学生達が大きくなれば、まちがいなく答えが来るようになっています。どんなに難しい道に行っても、神様は帰ってくるようにされます。今現在、私が伝道現場に行ってみた結果、簡単にイエスを信じて帰ってくる人の中で確認してみた結果、小学校の時、教会学校に通った人々です。ところが、一度も行ってみていない人は、よく帰ってきません。ほとんど悔い改めて帰ってくる時 "幼い時に教会に通った" そのような人が多いのです。これを見る時、幼い時に教会だけ行ったことだけでも祝福になるのです。それで見る時、幼い時に福音を受けることは、どれくらい重要なのでしょうか?

・それならば、私たちの幼い子孫に福音を教えるほど重要なことはありません。皆様の子供達が、重要な瞬間に滅びないでしょう。何故でしょうか?福音があるためです。皆様の子供に災いが入っていくことができないのです。何故でしょうか?福音の背景があるためです。皆様の子孫に絶対に暗闇の権勢が入って行くことができないのです。福音の背景があるためです。幼い時から! 重要な答を探し出しましょう!

・二つ目に、マルコは自分の家を出して伝道運動を開きました。そのまましたのです。これが時代を生かす大きい祝福になると誰が知っていたでしょうか?

・今ここには、一般信者もいて、全地域で牧師も聞いています。一般信者は、よく知らないでしょうが、牧師はよく知っている部分があります。 "教会!" 今回、米国 LAで山の中に入っていって、牧師達を連れてきて講義を 9回しました。一日に3回ずつ集中的にしたのですが、何の講義をしたかというと、伝道者の目で見た組織神学です。それを勉強しました。私も牧師達も、多くの恵みを受けました。その講義の中でした内容です。

・今、教会論に対して話しながら、今、全世界は教会論はなくなって、教会堂論だけが残っています。それで、問題がくるのです。教会が何か知らないために、信者が試みに会って倒れるのです。教会が何でしょうか? 教会論というものがあります。組織神学の中にです。教会論を知らないから、牧師等の牧会が難しくなるので、信徒が揺れるので、試みに会うのです。教会は何でしょうか? こちらは教会ではありません。教会堂です。

・教会は、神様の民と神様の民が集まる所です。そうではないでしょうか? 神様が選ばれた民が集まれば、教会です。皆様が、救われた神様の民になる瞬間、神様の教会になるのです。そうだとすれば、ひとりひとりがとても重要な人になるのです。神様の教会! 分かるでしょうか? それで、神様の目的が何かとすれば、家を礼拝堂にすることではなく、教会を作ることです。

・教会堂と教会は違います。皆様の事務室を礼拝堂にせず、教会にしましょう! 神様の国! 初代教会が生まれて2,000年ぶりに伝道運動を回復しているのですが、教会を回復させるのです。タラッパンとは何の話でしょうか? 皆様が行く所ごとに、神様国、教会を回復させようということです。チームの働きは出会いごとに教会を回復させようということで、ミッションホームは、皆様の家が教会堂でなく、教会になることです。

・職場を全部、教会堂でなく教会にすることが、専門の働きです。行く所々ごとに2000箇所あまりの教会を作ろうということが地域教会です。この運動をするために、私たちを回復させられたのです。ここに一番初めての走者がマルコでした。祝福を受けざるをえないでしょう。この重要な話を悟らなければなりません。ここに座った人の中で、説教をわかることができない方がいらっしゃるならば、このように理解しましょう! 皆様が教会堂を離れて、皆様が帰る言え、行く職場、現場に神様の国と神様の祝福が臨むこと願う、それが教会です。

・タラッパンは、教会運動です。今回、牧師達にずっとそのような話をしました。いまは教会を知らなくて教会堂運動をしています。信徒達が教会堂だけを教えるのです。だから、堂会職は何でしょうか? 教会堂の会長です。堂会員は何でしょうか? 教会堂の会員です。それを教えなければなりません。いまはなにかを誤って習っているのです。

・救われたひとりがどれくらい重要でしょうか? これを知らないのです。教会が何か知らないからです。どんなに足りない信徒でも、神様が血の値を与えられた信徒です。それが教会です。私は教会が何か知っれば、むやみに話すことができません。私はその時から、他の人に対して評価をしませんでした。何故でしょうか?教会! 教会の各部分が集まって、一つのからだになるのです。私はそれを知るようになりました。どんなに私が足りなくても、神様が私を血の値を与えて買われたのです。それが教会です。相当なことです。パウロは、この話を知って, "あなたがたは、違う部分ですが、一つのからだだ"と言ったのです。

・牧師達に重要な話を多くしました。皆様がわかるのには限界があることです。いままで教会堂運動をしている途中で滅びました。エルサレム 1, 2, 3 教会を建てておいて、ものすごい教会堂運動をしたのです。ローマでローマ神殿を建てるために、教会堂運動をしている途中で滅びたのです。皆様は、今、首都圏全体を教会にしましょう! 首都圏全体に、神様のみことばが働くようにさせましょう! その祝福をどのように受けるのでしょうか? マルコのように受けましょう! これは、簡単なみことばではありません。本物の答えを受けるように願います。

・今日行って伝道しなくても良いのです。わかりましょう! この地に困難の解決は福音しかありません。そうだとすれば、皆様が何故行ってお金をもうけて勉強をしなければならないか? 福音のためにです。私はなんの力もないのにどうするのでしょうか? かまわないのです。祈ればよいのです。

・皆様が、福音を知る人、伝道を目的に置いた人が祈れば、今日から答えがおきるようになっています。この祝福をつかむように願います。牧師達が、"私が福音のために牧会せねばならない! 私が伝道にいのちをかけねばならない"と本当に心に決めたとすれば、今夜に天の軍隊が皆様の家に働くようになるはずです。

・記憶しましょう! マルコはこれで終わったのではありません。パウロを追って、バルナバに従って、世界宣教に立ちました。これがまさに伝道しにでかけたのです。この3つをしたのに、途方もない祝福を受けたのです。 Iコリント1:20-21に "宣教のことばの愚かさを通して、信じる者を救おうと定められたのです。" 何故これが幸いなのでしょうか? ローマ1:16に "は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。" と言いました。Iコリント1:18に"十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です!" どれくらい驚くべき力でしょうか?

・本当に、今晩に悟る日! なるはずです。ここに新しい信者がいますか? かまいません! 信仰をよく学びましょう! どのようにすればよいのでしょうか? "私は、福音ゆえに神様の子供になった。私が職場と現場に行ってみると、人々は全部思わしくない。福音がなくてはだめだ! 私は、福音ゆえに生きねばならない!" このようになれば、答えがきます。これが信仰生活です。複雑に考えず答えを受けましょう!

・もしかして、20, 30年信じたのに、答えがない人がいますか? 複雑に信じるからです。他の道にずっと行くからです。私と皆様が問題を解決する道は、十字架の秘密、福音しかありません。それならば、何故、お金をもうけなければならないのでしょうか? 何故勉強せねばならないのでしょうか? 何故事業をせねばならないのでしょうか? 世界の福音化のためです。それを置いて祈るならば、神様は答えをくださるはずです。

・これ以外のことをずっとするからです。今日、マルコを見ましょう! 幼い時に福音を聞きました。自分の家を出したということは、福音のために生きたということで、世界宣教に行ったということは、答が出たのでした。その人がマルコです。今日、信仰生活をしながら、貴重な契約を確かに受け取りましょう!

・Iコリント2章にパウロは "世に賢い人がいるのか? 知恵は何か? 神様が世の中の知恵を滅ぼしたではないか? 世の人の知恵でこの世を知ることができるだろうか?" Iテサロニケ 3章には、人の話ではしませんでした。神様は、神様が与えてくださったみことばでなさったということです。これは人の話はだめなためです。

・今日、皆様がこの本文を見ながら、信仰生活を正しくするように望みます。とてもやさしいのです。もし信仰生活を長くしている人は、必ず私の話を聞かなければなりません。伝道紙を持って行く必要はないのです。

・本当にこの地の問題! -解決策があるのでしょうか? ありません。神様の力、福音でなければならないのです。確かです。この偶像問題、精神問題、家庭、青少年がみな崩れるこの時代に、方法はありません。福音でなくては! 真の神様の働きでなくては、方法がないために、それならば、私が今は生きようが、死のうが福音のために生きなければならないのです。それが伝道です。それならば、これから契約を捕まえて祈るのです。 すると、マルコのように答えを受けるようになります。

・私は、このことに対する証人です。神学校を卒業する時、そうです。 "神様、私は福音を伝えるようにしてください。そして、牧師で行く前に、貧しくても良いので伝道する牧師になるようにさせてください!" 私は本当に祈りました。この話をしてあげなければ、嘘を言っても良いでしょうか? 学生達は簡単です。この地球上には、福音でなくては解決する道がありません。だから、これから勉強するのです。

・私が世の人を見ると、あまりに複雑で異常です。ある学生が尋ねました。職場生活に適応できないと言いました。私が弱いからそうなのか、できないと言ったのです。会社の中の話でも、それに適応できないと言いました。そうであれば、放棄して勉強をするか? とたずねたのです。真実な質問でした。耐える力がないことは ないと言いました。

・最高級の人材が集まった所に行ったのに、あまりに水準が最低だったということです。福音なしでは解決が できないのです。福音でなくては、皆様の家に入る霊的問題を防止できなくて、福音でなくては青少年の中に 入る問題を防ぐ道がありません。確かです! それならば、これから、福音のために全てのものを準備せねばならないのです。これが伝道です。弱いために、今は祈らねばならないのです。それを悟って味わった祝福がマルコです。

・マルコは、幼い時に福音を受けました。自分の家をマルコのタラッパンで出しました。それが世界を生かす 道となったのです。また伝道する人について行ったのですが、その人が世界的な伝道者パウロでした。自分の家に集まるままに集まったら、そこで聖霊のみわざが起きました。それがマルコの家、マルコのタラッパン教会です。ここにどれくらい驚くべき秘密があるのでしょうか?

・取るに足りない伝道者一名が、伝道しようと行くので、それについて行ったのです。その人がまさに時代を 動かした伝道者パウロでした。これを見ましょう! どれくらい大きい祝福を受けた人でしょうか? 皆様の人生にこの祝福を受けねばならず、皆様の子孫がこの祝福を必ず受けなければならないのです。祈りの課題を記憶しましょう! 5人1組..

・5人1組ということは、必ず5人だけしなさいということではありません。"神様、今から出会いの祝福を与えてください。本当に福音を伝える門が開く出会いの祝福、弟子の祝福を与えてください"と祈ればよいのです。

・結論を言います。いままで祈りの答えがない方達はいらっしゃっていますか? 早く捜し出さなければなりません。いままで信仰生活をしながらうまくできない方達はいますか? 早く捜し出しましょう! インターネットやテープでメッセージを聞く多くの方達が、主のしもべの中に、信者の中に、祈りの答えが良くない方はいるでしょうか? 早く捜し出さなければならないのです。簡単です。だから嘘だけつかないならば、今から問題は解決します。私と地球上の問題の解決は福音だけです! 信じますか? これが本当ならば、このことのために勉強して、生きなければならないのです。このことのためにお金をもうけなければなりません。祈ればよいのです。このように信仰生活をすれば、間違いありません。

・今日から新しく始まる大きい答えが皆様にあるようになることを主イエスの名前でお祈りします。祈りで始めるみわざが起きることを主イエスの御名でお祈りします。

<<契約の祈り>> 神様に感謝申し上げます。今日一人ももれなく、環境にだまされないようにさせてくださり、人ゆえにだまされないようにさせてくださり、色々な人の声にだまされないようにさせてくださって、神様の 貴重な御声を聞く時間になるようにさせてください。霊的に新しく始める祝福の日になるようにさせてください。天の門がぱーっと開かれる時間になるようにさせてください。世界宣教する程、祝福を受ける信徒になるようにお祈りします。福音だけが世界を生かす道です。政治を生かす道です。経済人を生かす道です。福音だけが、多くのマスメディアを生かす道です。福音だけが滅ろんでいく青少年を生かす道です。それならば、私達が福音のために準備するようにさせてください。能力が無いことを認めます。しかし、祈りで聖霊の充満を受けるようにさせてください。それで新しく始める日になることを、今晩から始まることをお祈りします。生きておられる主イエス・キリストのお名前でお祈りします。 -アーメン-