(2002年 4月 14日インマヌエル教会 聖日メッセージ/ 柳光洙 牧師)


 1部/ 捨てられた者を呼ばれたイエス
(マルコ2:13-17)
 
  
 
▲聖日には、神様のみことばを持って、ひとつずつ答えを受けなければなりません。
 イエスはすべての問題の解決者であることが確かです。しかし、私たちの現実問題があります。私たちがこの答えを確かに受け取るべきなのです。イエスがキリストであり、私たちは神様の子供なので、全てのものをみな持っているのです。ところが、大部分の信者が現実に負けるのです。
 
▲私たちには、大なり小なり現実が前にどんどん迫ってきます。
 私もそのようなことに何度か出会いました。小さな事もあって、大きい事もありました。小学校 2年の時のことです。担任先生が、突然に本とノートを出せと言いました。先生が本とノートを検査すべきと考えをしたのでした。私の国語のノートを見たら、ノートが少ししか残っていなかったので、その日の勉強をみな書けるか?と言いました。ほとんどみな使って、半ページしか残っていなかったゆえに...先生が言う話が、今日、勉強するはずなのに、ノートをあらかじめ準備してくるべきで、このノートではできるのか?と言いました。私は返事が出来なかったのです。その時は 6.25(1950年朝鮮戦争)以後であったゆえに、学生達が同じクラスに年上の学生もいて、年が下の学生もいたのです。
 私より5歳上の学生が後に座っていました。勉強する機会をのがしたので、またきたのでした。私よりどれくらい大きいでしょう? その友人が、自分がノートの新しいものを一冊持っていると言いました。貸してあげて、明日、金をもらうと言ったのです。先生がそのようにしろと言いました。私がその友人の新しいノートをもらいました。その翌日、母に話をして、母から 20ウォンをもらって持って行きました。ところが、慌てることが生じたのです。その次の週に、この子供が来て、自分のノート代をくれないか?と言うのでした。私がその次の日にあげたと言ったら、もらっていないと言いました。私は慌てたのですよ。私が小学校2学年の9歳の時でしたが、こういう奴もいるのか?という気がしたのですよ。
 私がどうすることもできなくて、その次の日に家に帰って話をして、またお金をあげました。それでまた持って行ったのに、私がどれくらい自尊心が傷ついたか分からないほどでした。
 ものすごく気分が悪かったのです。私が明らかに知っていながら、また渡すのです。うるさくさせないために、また渡したのでした。その時、それほど大きな事ではなかったのですが、私はその衝撃が長く残ったのですよ。「あ! あんなやつらもいるんだな」という気がしたのですよ。
 
▲また、一度は私が中学校3学年の時でした。
 母がするなと言ったのですが、私は熱心に敢えて夜明けに早く起きて、新聞を配ると言ったのです。私の母が、勉強に支障が出るからするなと言いました。ところが、私は運動にもなるので、したいと言ったのです。それで、明け方はやくから新聞を配るようになったのですが、そのようなある日、新聞を配るために配達する子供を車に乗せて、地域地域で新聞を持たせて下ろしてくれたのに、その日に限って運転する人のお母さんが亡くなったので、来なかったのです。他の人が代わりにしたのですが、私が降りる場所が東大新洞で、釜山女子高の前でした。私はそこでおりようとトラックの端に立ち上がったのに、その人がそのまま走って行ったのでした。私は運転手が止まってくれると思ったので、降りようとしたのです。飛び降りる前に車が走ったから、私がどのようになるでしょう? 車から転び落ちて、落ちて頭をアスファルトの地面にぶつけたのでした。それで、その日は新聞を配ることができなくて、家に帰ったのですが、その日から異常になったのでした。午前は大丈夫だったのですが、学校には行けませんでした。それでそのまま横になっていたら、午後から痛くなり始めたのです。顔の皮膚までも痛かったのです。そんなに痛いのは初めてでした。あまりに痛くて母が帰ってくるまで部屋を這い回っていました。
 どれくらい痛かったかというと、幼い時に消毒液の中にアカチンキという塗る薬がありますが、それをみな塗った程でした。私の母が夕方に帰ってきて見て、病院に行くべきだと言いました。それでも新聞社に行って話をすべきではないだろうかと言いました。それで、新聞社に行って話をしたところ、新聞社の社長、総務が一斉に私の悪口を言ったのでした。この悪い奴がおおげさな態度を取っているというのでした。おおげさな態度でないと言ったら、小さい奴が嘘をつくと言いながら、こんな奴は警察に突き出さなければならないと言いました。お前はどれくらい嘘を良くつくか? どうして頭が痛い奴が頭にアカチンキを塗るのかと言いました。慌てましたよ。その時、私は大人は本当に異常だと考えました。私ならば、子供を連れて行って治療をしてあげるはずなのに...
 それで、新聞社の幹部ではだめだと考えたのか、母が病院に行こうといって、病院に行って写真を撮ったらその人々が私の両手、両足をみな縛ったのですよ。医者が言うのには、大変な事になるところだったということでした。今来て幸いだったと言いました。この子供の状態では、今日一日を持つことはできないと行ったのです。大脳に傷ができて、その血が膿になって頭を回っているゆえに、それを抜いて出さなければならないと言われました。
 抜き取る方法が、頭の部分を切って抜き取る方法もあって、脊椎から抜き取る方法もあると言われました。幸いに、私みたいな場合は脊椎で抜き取ることができたので、手足を縛ったのでした。
 脊椎に注射針を入れるのに、死ぬかと思いました。私が本当に頭が痛かったので、それでも良い! 頭だけ痛くなくなるならば... こういう気がしたのですよ。
 それで、血と膿を二本半分抜き取りました。そうしたら、頭が良くなったのです。医者が私を見て言うのには、普通の人ならば、落ちてアスファルトにぶつければ、その場で即死すると言いました。医者が言う話が、この子供は体質的に頭蓋骨が固いということでした。それは間違いありません。ここにいらっしゃる皆様が私と頭突きをすれば、皆様がみな負けるでしょう。神様が私の頭蓋骨を強くしてくださって、落ちても衝撃を小さくするようにされたのでした。それで、私が慌てるということを感じたのです。
 
▲ある日、私が牧師になって牧会をしていたら、慌てることが起きました。
 私がよく知っている人、周囲にいた人々が何か固まって私を難しくさせたのです。その時、私が慌てる感じになりましたよ。どうして、人々があのようにできるのか? このような時、人々は揺れやすいのです。それが現実です。
 
▲このことを見る時、私はどのようにすべきか?と思いました。一度は、私が本当に私を助けるべき人々が、私を難しくさせた時、慌てたのですよ。
 
▲今この瞬間は、そのような瞬間ではなく、相当な瞬間です。イエス様が人を生かそうとこの地へいらっしゃったのに、パリサイ人、律法学者、レビ人が全部一緒になって、イエス様を殺そうとしたのです。だから、どのようにしなければならないのでしょうか?
 
 今日、この本文はそのまま過ごす本文ではなく、祈りの答えを受けることができる重要な本文になるのです。
 
▲私たちは、キリストによってすべての問題の解決を受けたのですが、この現実をどのようにすべきでしょうか? 今日、こういう答えを受けて、あなたがたは戻るべきです。
 
▲私たちにたびたび迫る大なり小なりの現実がありますが、どのようにすべきでしょうか? 確かにキリストは、すべての問題の解決者であることは間違いありません。イエス様は、事実を早く把握されました。もちろんキリストだから...
 
▲元々から3つのことは、むかしでも今でも変わることがありません。
 改革にされるべき既存勢力は、いつでも間違っていながら、世論を作っています。それしかないのです。パリサイ人がそのように出てくるので... そして、一般大衆はほとんどみんなが、無知で考えなしについて行くのです。しかし、現場で死んでいく人々は、福音がなくてかわいそうなのです。
 
▲イエス様がこれを早く把握なさいました。皆様が信仰生活をするのに、本当に知恵を得なければなりません。キリストは、すべての問題の解決者であることが間違いないために、私たちは重要な知恵を得なければなりません。元から、むかしでも今でも、既存の勢力は、世論を作りあげて出てきます。改革しなければならないのに、改革しないで、いつでも世論を作りあげて出てきます。ところが、大部分の人々は判断力もなく、責任もなく話して、行動してついて行くのです。その中で現場の人々は死んでいくのです。
 
▲このことを判断されたイエス様は、祈られただけでなく、重要な選択をなさいました。
 弟子を呼ばれたのですが、どこから呼ばれたでしょうか? ガリラヤから呼ばれたのです。取税人を呼ばれました。皆様が今考えれば、単にそうなのかと見るでしょう。
 万一私が、副牧師を連れてきたのに、まだ変化してもいない神学校に入学したばかりのやくざを連れてきたらどうでしょうか。すると、信徒はどのように考えるでしょうか? それと全く同じことなのです。
 取税人を呼ばれたということは、税金を徴収する人ですが、今のように考えてはだめです。ローマが世界を支配している時です。それで、ユダヤの国を支配している時ですが、税金を徴収する方法として、税金を徴収する人として、とても良い人を呼んだのではなく、町を回っていたやくざを呼んだのでした。とにかく思わしくない、おかしな人を呼んで約束をしたのです。「税金をどれくらい徴収しても良い、ただ半分はローマに出して、半分は自分のものにしなさい。もし話を聞かない人がいるならば、捕まえて牢屋に入れても良い。しかし、お前が私たちの話を聞かないと、ローマの力でお前を捕まえて殺す。」これが契約の条件です。ですから、簡単に話せば、取税人たちは全部やくざでした。その当時の取税人は全部乞食でした。どのようになるでしょうか? ローマから権限を受けたのです。話だけすれば、出さなければなりません。適当にローマに出して、適当に自分が使えばよいのです。ですから、その当時に取税人たちが金持ちになったのでした。それで、その当時に取税人と言えば、おかしな人だったのです。そして、ガリラヤといえば、ガリラヤの海辺で魚を捕る人々でした。
 
▲イエス様が弟子を呼ばれるのに、誰を呼ばれたかというと、まず最初に海辺から呼ばれ、取税人を呼ばれたのです。他の見方をすれば、衝撃的な事件です。どうして、このようなことがあるのでしょうか? しかし、イエス様がこの部分をよく選択されたのです。
 
▲福音があまりに貴重なために、パリサイ人にこの福音を与えられなかったのです。今、世論によって動きながら成功すること望んでいるパリサイ人に、福音を与えられないために、イエス様が取税人を呼ばれたということです。皆様は必ず記憶しなければなりません。この話は、知識人は福音を受けないということではありません。その次元を持って福音を受けることができないということです。
 
 これが教会史の幹です。
▲英国のエリートを用いることが出来なかったために、神様はウエスレイを工業団地に送られたのでした。全世界が滅びる直前に、いつでも起きることです。
 今日皆様が、霊の目がよく開かれるべきです。イエス様が、取税人を呼ばれたという事実、イエス様があの海辺の漁師を呼ばれたという事実!
 これだから、大騷ぎが起こったのです。ある時は異端と言い、どうして先生がそのような人々と一緒にいるのかと言いながら... あなたが、取税人の家に入っていって食事して、それで良いのかということです。
 その時にイエス様がなさったみことばです。「健康な者には、医者は必要ないのではないか? わたしがきたのは、罪人を救うためです。」この人達が話すことができないように、イエス様は正確な答を下さったのでした。
 今日私と皆様は、重要な祈りの答えを受けなければなりません。祈りの答えをいくつか捜し出さなければならないのです。
 
▲その最初です。
 いつでも時代時代ごとに、神様がなさる働きの方法です。
 預言者が全部堕落した時、神様はエルサレムでなくて、あのギルアデでエリヤを呼ばれました。福音がなくなっていく時代に、神様が皆様を呼ばれたという事実を信じてくださるように望みます。
 200ケの教団が悪口を言うかもしれませんが、福音がないこの時代に、神様がタラッパンに福音を伝えるように呼ばれたことを私は確信しています。
 歴史を見ましょう。教会史を見ましょう。これを見る目が早く開かなければなりません。今、大韓民国のあらゆる既存信者は、これを見る目が早く開かなければならないのです。
 
▲米国が大きくなりました。世界に一番多くの宣教師を送りました。大統領が立てば、全部執事でした。ところが、米国に福音がなくなって行きました。それで、神様がシカゴで無知な人を呼ばれたのです。その人がムーディーです。即見れば、錯覚する程です。神様はムーディーを呼ばれて、全世界と米国全体を揺るがされたのです。
 
▲多くの立派な人を置いておいて、何故アベルメホラの人、エリシャを呼ばれたのでしょうか? この話は、無知な人を用いられたということではありません。
 
▲皆様が今日メッセージをよく聞かなければなりません。時代時代ごとに、神様がなさる働きをするべきです。あまりにも成功してしまった人、あまりにも持っていることが多い人々がたくさんいます。ところが、何故問題がどんどん来るのでしょうか? 霊的問題がどんどん来るのでしょうか? それで、あなたがたを呼ばれたのです。
 皆様がこれを知らなければ、教会生活、信仰生活を全部みな失敗します。
 皆様が教会にきて、献身して、献金して、仕事をすることの意味を知らないのです。すると皆様は、一生苦労するクリスチャンとなります。
 
▲色々な困難を耐えて、何故この福音を聞いているのでしょうか? 知っているためです。多くの人々が、皆様を見て、こういうこと、ああいうことを話すけれど、私はそのように考えません。神様が一時代に福音を伝える時ごとに、いつでも、いつ福音がなくなったのでしょうか? 教会が多くなって、教会の権力が多くなる時ごとに福音がなくなったのです。ですから、この目を開かれることができなければ、正しく答えを受けることができません。
 今、未信者に言うのではなく、クリスチャンが目が開かれなければならないということです。
 洪水が起きれば、飲む水がなくなります。今、週報、説教の洪水時代です。大韓民国は、教会の洪水時代です。洪水時代に水で飲めるものがないのです。いっそ日照りになる時、水を飲むのであって、洪水ならば飲む水がありません。
 
▲私は取税人マタイを呼ばれたという事実にはっと驚きました。
 やはりキリストです! やはり神様は真理の神様です。これは、有識な人々は救われず、仕事をするなという話ではありません。時代の状況をよく見ましょう。
 
▲2番目に悟らなければならない内容です。
 神様がこの福音をどれだけ重要に考えられたでしょうか? 現場で死んでいく人々には、福音しかないために、神様は一つの国でも、この戦略で変えられるのです。神様は福音ゆえに、一つの国をなくすこともされ、立てることもされます。
 
▲「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。」イエス様がこの地へいらっしゃったのは、霊的問題を持って死んでいく者を救うためにいらっしゃったのです。
 私が見るのには、この質問をするパリサイ人、律法学者が霊的問題がより多いのです。
 霊的問題と罪人であることを悟る者を救うために、イエス様がいらっしゃいました。
 
▲それならば、皆様はこれからどのようになるでしょうか? ですから、長老、役員等は十分に準備しましょう。私はあなたがたが受ける祝福と、教会が受ける祝福は、単純な祝福でないとよく知っています。私が単に説教するのではなくて、今、歴史と教会史と聖書の証拠で説教しているのです。
 どれくらい感謝するか分かりません。
 
▲私が韓国教会に対して謙遜にすることを決めて、どんな話をしてもみな受け入れることに決めたゆえに、これからもそれは変わることがありません。
 ある牧師が、私に柳牧師が伝える福音が2千年ぶりに回復した福音か?と尋ねました。そうではありません。合間、合間に福音を伝える者が多くいました。いままで福音を伝えたゆえに私達が福音を受けたのです。そのような話を私はしていません。する機会があるために、その時は話しませんでした。しかし、聖書にあるそのままを伝道資料でしているのは、2千年ぶりで初めてです。今、聖書にあることを持ってそのまましなければ、他の方法は必要ではありません。私が皆様に会う前に、福音を伝えるために多くの伝道資料をさがしたのではありません。聖書で捜し出したのです。
 
▲今日、皆様が2番目に悟るべきで、最初に時代も見るべきですが、皆様が福音ゆえに呼ばれたという事実に少しも変わることがないようにしなければなりません。基礎が強固であれば、建物を建てることができます。皆様が確信を持っていてこそ、その時から答えが降り注ぐのです。
 イザヤ22章にあるように、釘が正しく打ち込まれてこそ、そこに服がかけられるのです。今日、この契約を堅く握ってくださるように願います。
 
▲最後の三番目の教訓です。
 キリストは完全なのに、皆様が問題に会う時ごとにどのようにすればよいのでしょうか?
 最も良いことを捜し出しましょう。これが福音を持った人々の秘密です。それで前の2つのことを知っていればよいのです。時代時代ごとに福音がなくなる時、神様は作業を始められたという事実! その時ごとに 人々が見る時には、何でもないような人々を呼ばれたという事実! 一度もはずれることがありません。そして、福音を本当に愛する者を捨てられることはないという事実!
 
▲それならば、三番目のことを悟らなければなりません。今日、皆様が礼拝をささげて現場に行けば、すぐに問題があります。どのように解釈するのでしょうか? 教会員や、役員が教会の仕事をしてみると、教会の中には葛藤もあります。どのようにせねばならないのでしょうか?
 よく生きてきて、結婚したのですが、夫婦間で葛藤もあります。どのようにしなければならないのでしょうか? 生きて行くならば、大きい困難もくることがあります。どのようにしなければならないのでしょうか?
 
▲今日、イエス様が聖書でよく教えてくださっています。捨てられた者、取税人マタイのような者を呼ばれて、重要な福音の働き手にされたのです。
 皆様、問題の中に神様の計画があります。あなたがたは、祝福を探して味わう方法を知っていなければなりません。これが、今日、三番目に捕まえるべきことです。
 最初、時代を見る目
 二番目、真の福音は崩れません
 すると、これから起きる問題をどのようにするか? これが重要です。
 
▲今日、イエス様が私たちに教えられた教訓は、完全な知恵です。
 この時、イエス様はガリラヤに行って弟子を呼ばれました。この時、イエス様は想像もできない取税人マタイを呼ばれたのでした。ユダヤ人達には理解ができなくて、非難ばかりしました。その時、イエス様がおっしゃったのが、健康な者には医者が必要でないように、わたしは罪人を招くために来たということです。
 
▲私は聖書を見ながら あ! そうだ! 私たちは、本当の祝福をのがしているんだなと思いました。
 ヨセフに困難がきました。奴隷になりました。私たちならば、そこから逃亡しようとしたでしょう。刑務所に行きました。私たちならば、早く刑務所から出てこようとしたでしょう。ところが、ヨセフはそのようにしませんでした。神様の途方もない計画を発見したのです。これが福音を持った人々の成功する方法です。
 皆様、聖書にはそのような話が多いのです。
 3千名から5千名の軍人が、ダビデを殺そうと付いてまわりました。その時のダビデです。最も良いことを選択しました。本当に祈りながら、神様の前に立ったのです。
 ダビデは祝福を受けた王になったことはもちろんで、本当に神様の計画を成し遂げる王になりました。
 皆様、新約の初代教会を見ましょう。困難に会う時に、いつでも神様の計画を選択しました。今日、皆様が悟らねばならない驚くべき祝福です。
 教会史を見ましょう。説明しなくてもよいでしょう。
 私たちは具体的なことが必要です。
 
▲ある女執事が教会に行ったのに、教会の中で聖歌隊に座っている正常な男の人を見て嫁に行きました。身長も大きくて、よい人でした。ところが、これがにせ物だったのです。
 多くの女の人が誘惑を受けたのですが、その中で信仰が一番良い女の人が嫁に行ったのです。3ケ月はどうにかこうにか楽しく暮らしたのですが、3ケ月過ぎて問題がおき始めたました。この男の人が職場も行かずに、どんな仕事もできないのです。後ほど知ってみたら、何でもそうでした。学校に通っても、最後まで行ったことがありません。それを知るようになりました。単に遊ぶのです。その程度ならばよいのですが、お金ができればギャンブルをしに行くのです。それも教会の執事が... そして回りながら浮気をしていました。
 ところが、私が驚いたのに、この女執事が普通の人ではなかったのです。それは、自分の間違いだというのです。自分が間違っているから、そうだというのでした。あの人が家に帰ってきて、安らかに生活するようにしてあげなければならないのに、それがよくできないからだと言ったのです。私が実際に祈りをたくさんしなければならないのに、私があの人のために祈りを多くすることができなかったと言いました。その男の人が、それを受け入れる男の人ではありません。ある日また出て行ってしまいました。出て行けば、一ケ月、2ヶ月帰ってきません。出て行って3年になりました。近所の人々がしばしば聞きます。あなたの夫は、どこに行ったのか? と言ったら、言う話が私がよくしてあげることができなくて、安らげずに出て行ったようだと...そして、ずっと祈ったのでした。
 ある日、この男の人が帰ってきました。人が本当に変化すれば顔も変わります。
 この人が、顔がすっかり変わっていました。この人が恵みを受けたのでした。私は理解ができなかったのですよ。人があのように変わることができるか...はじめには、私は、また詐欺を働いているのかと思っていました。その人がきて初めて述べた言葉が、「私は全国、世界をみな回ってみたが、あなたのような女の人はいない。本当にあなたは良い人だ。」その時、この女の人が、簡単に話したのです。「私も人であるゆえに、心が痛むことがあるけれど、私ではなくて、キリストがあなたのために祈るようにされた。」普通の女の人ならば、泣きながら自分のことを話したでしょう。ところが、この女の人は、イエス・キリストがあなたのために祈るようになさったと言いました。
 この人が完全に崩れてしまったのです。自分の肉体的なこと、むかしのことが完全に崩れてしまったのです。その後の話を聞いたら、訓練を受けて宣教地域に行ったということを聞きました。この人がどれほど変わったかというと、家で牧師をしろと言われたら、しないと言いました。自分のように足りない者が、牧師をすれば、聖徒が被害を受けるために、一般信者として福音がない所に行って福音を伝えると言いました。
 その後は、話を聞いていませんが、うまくやるはずです。この女の人は、よく選択をしたのです。神様の計画をよく発見したのです。
 
▲私たちには困難がきます。どのようにするのでしょうか?
 キリストは、すべての問題の解決者であることが間違いないので、困難の中で神様の計画を発見しなければなりません。
 
▲韓国の有名な牧師がいますが、この方が結婚をしたのに、家系が完全に偶像崇拝する家系で、夫人が完全に霊的問題があったので、牧師の牧会を全く助けようとしなかったのです。霊的問題ゆえにすることができなかったのです。ところが、この牧師が選択を良くしました。神様の重要な計画を発見したのです。それとともに祈り始めました。韓国では最高の牧師になりました。
 私達がどのように神様の計画を発見するか?が重要です。
 
▲今日、あなたがたが3つは必ず発見しなければなりません。
(1)時代時代ごとに、時代が滅ぼされる直前に、神様は弱い者を呼んで福音運動を起こしたという事実、一度も変わることがありません。それでこそ、皆様に知恵が正しく生じます。
(2)そして、真の福音を受けた者は、滅びることが出来ないという事実
(3)皆様の現実の中で、神様の計画を探すことです。私たちの教会で、皆様の家で、神様の計画をさがすように願います。
 
▲私は、そのようなことをたくさん見ました。重要な現場を見て、多くの悟りを得ました。私が神学校に通う時見たら、釜山で有名な牧師がいらっしゃったのに、博士学位も取った有名な牧師でした。ところが、この方が、礼拝をささげて家に帰ると問題があったのです。一度は、私たち学生が修練会をしました。その方を講師で呼んだのです。集会をしている途中に、売春婦のような女の人が一人現れました。学生が見て誰かと聞いたら、分かってみれば、この牧師の奥様でした。私達が見て、問題だなと思いました。この牧師に付いてまわりながら、おかしなことを続けるのです。牧師が少しの間、外国に行った間には、浮気をして回るのでした。牧師夫人が...それで、私があれをどのようにするのか?と思いました。この牧師が耐えることができないのでした。困難が迫るから... キリストは、すべての問題の解決者ですが、現実で負けるのです。
 私ならば、そのようにしないのですが、この方がそこで負けるのです。
 私ならば、肉体的なことは、完全にあきらめればよいのです。そして、霊的なことを捕まえれば良いのです。すると生かされるはずなのに、この方がそれができなかったのです。だから、結局は教会が崩れて、みな崩れました。結局、この方が逃げだして、米国へ行ってしまいました。釜山では皆知っています。
 
▲現実の前で負けるのです。イエスはキリストであることが間違いないのに、現実の前で負けるのです。
 
▲今日、皆様が神様のみことばをよく見て、3つのことを必ず捕まえなければなりません。
(1)危機に会うはずか? 戦争に会うはずか? 福音を伝えるはずか? 第2次世界戦争のように危機に会うはずか? でなければ改革をするはずか? 時代時代ごとにそうです。
(2)このような時に、神様がパリサイ人のような人を呼ばれず、弱い人々を呼ばれたという事実! 私たちは隊列に参加するようになったことを、とても感謝しなければなりません。あるいは今、韓国教会と世界の牧師達にみことば差し上げたいのです。おかしな考えを度々するのではなく、本当に福音を伝えなければなりません。そうでなければ、死にます。今ソウルにだけでも、無賃牧師が 4千名にもなると言われていないでしょうか? これからどのようになるでしょうか? 伝道する時が無尽蔵に多いのに、何故そのようなのでしょう? 本当に福音を受けたなら滅びません。
(3)すると、私達が生活する中で困難が来れば、どのようにするのでしょうか? その時、良くしなければなりません。イエス様を殺そうと反対した時、イエス様は重要な弟子を選び出されましたが、反対側から選び出されたのです。そこで選び出された人がマタイです。今日、重要な契約を捕まえて、答えを受けるように願います。私たちはすぐに外に行けば選択をしなければなりません。いまは私達には問題がないのに、問題が迫ることがあります。
 
▲ある方が私にきて、自分の家庭の深刻な悩みを話しました。私がその方に言ったのは、他に行って話さないで。赦しなさい。赦す人はあなたしかいません。その方がよくわかったようです。クリスチャンは譲歩しているように見えるけれど、絶対にそうではありません。私は知っています。
 
▲神様が皆様と今、福音を伝える教会であることが本当ならば、神様は答えを注いでくださるのです。皆様の生涯に驚くべき証しが出てくるはずです。宣教師達に神様が特別な祝福を下さるはずです。本当に福音ならば... 何故でしょうか?福音でなくては生きる道がありません。
 
▲皆様がもう一度考えてみましょう。政治現場に福音の影響なしに生きることができるでしょうか? 経済現場に福音が入っていかないで生きることができるでしょうか? この道しかありません。
 「人の子がきたのは罪人を救うためです。わたしがきたのは、病んだ者を直すためです。」皆様がこの契約を捕まえなければなりません。
 私達は、毎週多くの聖書を読む必要はありません。今日このみことばを通じて捕まえることだけ捕まえれば良いのです。
 
▲何故イエス様が捨てられたあんな取税人のような人を弟子で呼ばれたのでしょうか?
 私たちもそんなにすべきだという話ではありません。何故そうでしょうか? 早く知っていなければなりません。
 それは3つのことを早く知っていなければなりません。時代を見る目! 時代がそれしか方法がなくて、今でもそうです。時代を見る方法を知っていなければなりません。それならば、皆様の献身、福音を受けたことが、どれくらい大きいのでしょうか? これが悟れてこそ、これが祝福になるのです。これが事実ならば、教会に献身すればするほど感謝して、考えれば考えるほど神様の前にもっと献身したくて、捧げてみたくて、そのようになるのです。すると私たちに迫る大きい問題、小さな問題、良い問題、色々なことがあります。ここに対する解釈です。これが次の答えをまた受けるようにするのです。今、皆様がどんなことにあっているのでしょうか? 解釈を正しくしなければなりません。神様の計画が何でしょうか? これが、信者と未信者の差です。問題が生まれれば未信者は人のせいで...このように話します。私たち信者は、神様が何故このようになさったのだろうか?です。信者はあらゆる結論を持って神様が... これが信者の知恵です。
 
▲私は永らくソウル、釜山を行き来しながらひとつ祈りをしました。
 神様が何故私をソウルに送られるのか? 何故このように忙しく行き来するようになさるのか? この質問を 続けています。今でもしています。ですから、多くの答を得るようになるのです。続けています。
 それで私が私たちの長老達を見て、こういうお願いをしました。首都圏に開拓教会をする教会に生活費をみな与えることは難しいが、その開拓教会をしていれば困難があまりに多いから、その子供達がどのようになっているか注意深くみなければならないでしょうと言いました。その学生達が、勉強しようとするならば、私達がしてあげるべきではないか?と言いました。私は難しい開拓教会を見ると、現実が難しいから、気が気でないのです。だからしっかりした子供達であるのにもかかわらず、正しく自分の道を行けないのです。
 長老達がそこに対する考えを持って祈りを多くしているようです。今回、開拓教会名簿を持って来ました。
 私が飛行機に乗って行き来しながら、ずっと神様が私を何故このようになさるのか? と質問をします。そうしたあと見ると、2千ケ所みことば運動! こういう答が祈る中にずっとくるのです。
 
▲なぜ、わざわざ私が皆様に神様が会うようになさったのでしょうか? すると、あなたがたがしなければならない貴重な祝福があるために、私にそのお手伝いをしろとおっしゃるのではないだろうか? どうして学校をよく建てて、私たちに貸してくれて、私達がここにくるようになったのか? なんでもないことのように見えるけれど、私はそれをいつも祈ってみます。単にあることではないのです。神様が私たちに学校の重要性も見るようにさせられて、大峙洞によく暮らしている人々の面も見せてくださって、多くの意味があるのではないでしょうか? 神様がここで力を育てろとおっしゃるのではないでしょうか?
 私はこのように考えました。この女子高で本当に使命を悟るならば、神様は大きい門を開けてくださるでしょう。ここで本当に信仰を準備するならば、神様が天の門を開けてくださるのです。それとともに、私は私が始めた釜山に対する祈りを多くしています。私は必ず釜山に教会があることを証しするはずです。本当にタラッパンが釜山で始まるようにされたのですが、神様が真の福音を持つようになさったということを証しするはずです。ソウル、釜山に行き来しながらいつも考えています。
 
▲神様が私たちに何故このようになさるのでしょうか? これが皆様の習慣になればよいのです。他のことはありません。祈りをどのようにするのでしょうか? 何故神様が... このように質問すればよいのです。それが祈りです。しかもひとつは私が今、不信仰の道を行っているならば、私をいつも見守っているサタンは、働きをどのようにするか? それを悟るのが祈りです。この二つのことが祈りです。すると皆様は答えを受けるようになります。
 
▲あなたがたに本当に私は祝福の中の祝福をしたいのです。何故でしょうか?そうしてこそ福音が宣べ伝えられるのです。私は釜山、蔚山、タラッパンにある教会のために本当に祝福したいのです。韓国に正しい福音があることが証しできるほど...
 
▲今日、皆様に本当に神様の祝福があることを希望します。
 この契約を胸に抱いて、今日から引続き答えを受ける祝福があることをイエスの名前でお祈りします。
 
(祈り)
 神様、貴重な方達が神様に出てきました。今、100箇所余りの教会で衛星で礼拝しています。今、世界で神様の人々がインターネットでみことばを受けています。蔚山、釜山、ソウルにインマヌエル教会を許してくださった神様に感謝申し上げます。首都圏に静かに 2千ケ所の福音運動が起きるようにさせてください。釜山に700箇所余り、蔚山に100箇所余りが起きるようにさせてください。それで福音なく死んでいく者を生かす証拠をくださることを信じます。
 今日祈りの答えの秘密この三つを必ず悟るようにさせてください。時代を見る目を開けてください。福音が何か?を知る目を開けてください。どんな事件、どんな場所でも神様の計画を発見するようにさせてください。私たちの主イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン
(The end)
 
 


 2部/ 私達が必ず受けなければならない答え
(使徒10:1-6)
 
 
・コルネリオが受けた祝福に対しては、次に見るつもりです。今日は、それ以前に私達が本当に3つのことだけをまず知っていれば、答えを受けるのです。私が伝道運動を始めながら、確信するところがありました。私たちが真の福音、真の伝道ならば、私達が少しだけ祈りをすれば、時間が経つほど答えがくるということです。神様は感謝なことに、祈るなかで一つも答えをくださらなかったことがありませんでした。
 
・先週に産業宣教で話をしました。今年は私が見ると、いままであったのと違う働きをたくさん見ました。また、産業人が出している物品も専門性があるのが出てきていました。特にレムナントの子供達が発表するのを見ながら、おとなとは違うということを見ました。子供ですが、細かさを感じたのです。それで、私たちは時間をおいて待っていても、神様の驚くべき証拠を見るようになるはずです。
 
・また、産業宣教の途中に電話がきました。私たちのメンバーの中の一名が、韓国であたえる最高の賞を受けたのです。それで、神様が引続き答えてくださるということを感じたのです。賞を受けたその方の家で礼拝しながらしたメッセージを思い出します。その時、本当に神様があなたを真の弟子とされたならば、じっとしていても答えられるはずだと話したのです。真の福音を持って本当に伝道するならば、そのようにされるのです。
 
・皆様はよく注意深くみながらしなければならないのです。3つのことです。‘真の福音’ということは、皆知っているようだけれど、それは‘私’中心ではなく、‘神様中心'です。大部分の人が、私中心ですが、それでなくキリスト中心が福音です。真の伝道というのは、伝道しようとやたら回るということではありません。生活の現場でキリストが証しできる真の伝道のことです。真の祈りというのは、祈りをたくさんしなさいとということでも良いのですが、それ以上に、正しい考えを持っているならば祈りはなっていくということです。
 
・私は、今とてもいそがしいのです。今、正しいか、正しくないのかと思う程に忙しいのです。時間が多い方達を見れば尊敬しますが、私はいそがしいのです。私が光州に行ったところ、イ・コンソン牧師が言われるのに、大邱でも産業宣教をするので、光州でもしても良いのではないかということでした。それで‘すれば良いのではないか?'と言ったのですが、そうではなくて‘大邱でもメッセージをするのだから、光州でもしてください’ということでした。しかし、そのようにすることはできないと言いました。大邱でするために、光州ではする必要がないのです。湖南にいる人が本当に祈って、みことばを受けねばならないというならば、その時にするのです。
 
・だから、考えが正しくならなければなりません。釜山では産業宣教が弱いので、今回挑戦を受けた.. と話す人がいましたが、そうではありません。もちろんせねばならないのです。しかし、そのようにしては答えになりません。一旦しようとすれば、私たちの教会の中に産業のエリートを選びましょう。そして、釜山、慶尚南道地域に産業宣教に参加できるほどの人の名簿を選びましょう。本当に祈って参加するのかを尋ねましょう。そのようになれば、どんなに忙しくてもするはずです。
 
・今、釜山が2番目の都市ですが遅れています。皆様が祈りの答えを受けることは難しくないのです。考えが正しければ、答えがくるようになっています。皆様が献金する時ごとに感謝して、献金を多くしてみたくて仕方がないでしょうか? それならば、経済の祝福を受けていることを確認することができるのです。
 
・福音を受けたこと、神様の子供になったことを感謝していますか? それならば、苦労してがんばらなくても、伝道の門が開くのを感じるはずです。私たちは考えと実際的なものが正しくなければなりません。今日こういう人が祈っていたら、3節に‘幻の中で'と言われました。神様が門を開けてくださったのでした。4節には‘御使いが'と言われていますが、普通の事件ではありません。主の使いがコルネリオに現れたということです。
 
・コルネリオが受けた祝福を言う前に、事件を早く悟らなければなりません。本当に福音ならば、真の伝道を理解したとするなら、本当に祈ったとするなら、3つの事が行われます。
 
(1)私が受けた答えと、受ける答えを知るようになります。受ける答えが何か分からないでしょうか? 感謝が出てくるようになっています。小さい事に感謝することもできますが、私達が受けた答えは大きいのです。私と皆様がキリストを知るようになったということだけでも、受けた答えがとても大きいのです。
 
・使徒1:4の神の国と聖霊充満の答えだけでも、とても大きいのです。マルコのタラッパンと初代教会の開始だけ見ても、今、私達がその答えを受けたのです。それだけでも、ものすごく大きいのです。私はあまりにも感謝しているのは、福音を知る人が集まったことだけでも、とても感謝します。皆様は通ってみないから、知らないのです。イエスを初めて信じる人は何の話なのか分からないのです。今、他の教会に行ってみてください。福音が何でしょうか? 毎日大それた事で時間をみな使っています。そして、毎日失敗して、毎日試みにあって、毎日戦っています。すると、これからどのようになるでしょうか? 私は、私たちの教会の長老の中に福音を悟った人がいるということだけでも感謝します。
 
・使徒 9章には、全地域の要所要所にメンバーが敷かれました。そのようになるはずです。それで、私たちの教会の副牧師たちは、700ケ所地域教会を立てるために、要所要所に地域教会堂を立てましょう! 平日教会を立てようということです。今立てている地域教会堂ではなく、本当に平日に伝道する教会堂を立てようということです。そして、皆様は距離が遠くて、子供がいるために、水曜礼拝のような時はそこで集まって、聖日にはインマヌエルにぱっと集まって礼拝して、恵みを受ける力があるという教会に作るべきなのです。そのようにしないと、どんどん他の考えをするので、これからはそのようにせず、本物の弟子を探すべきなのです。大きい答えを受けるのです。
 
・他の考えをする必要はありません。本物の弟子を立てるべきです。そうしておいて、700ケ所地域教会を捜し出すのです。一般信者も可能です。一般信者の中で、本当に答えを受ける人はしてみましょう。使徒9章に全地域に弟子が敷かれたのに、だれが勝てるでしょうか!
 
・真の福音を持っていて、本当に伝道が何かを知っている人は受ける答えも見えます。皆様の子供と家族が祝福を受けるようになっていて、エリートが入るようになっています。今日の一例だけ見ても、コルネリオがいます。イタリヤ隊の特殊部隊の隊長です。これだけでも影響が大きいのです。その程度ではありません。 この人は、ものすごく敬虔な人です。そしてこの人が、家族全員で神様を敬う人です。この人は、お金を儲けては、救済していた人で、常に祈っていたとなっています。こういうエリートを付けられたのです。皆様の地域に、こういう人が多くいます。今日、インマヌエル釜山、ソウル、蔚山の全地域にこういう祝福を受けることを希望します。
 
・すぐに門が開きます。真の福音、真の伝道、真の祈りです。この反対語を考えてみましょう。ほとんど特にここに引っかかりやすいのです。それで、教役者がたくさんおられますが、教役者が特にここに引っかかりやすいのです。教会がどんどん働きをしていれば、他の考えがどんどん入ってきます。‘ここで復興して..' こういう考えがどんどん入るのです。‘ここで未来が保障されるだろうか?' こういう考えがどんどん入るのです。‘韓国で祈って、後援してくれるだろうか?' こういう考えがどんどん入るのです。だから、そこにどんどん陥って、真の祈り、真の伝道、真の福音の祝福をのがすのです。これを回復するならば、主のしもべには、全てのものが回復するはずです。
 
・一般信者の皆様がこの答えを受けているならば、あなたがたにはまちがいなく、これから来る答えが見えるようになるはずです。
 
(2)出会いの祝福がきます。祝福の中の最高の祝福が出会いの祝福です。皆様はこの祝福が‘ほとんどすべて'だと見れば良いのです。ある人は出会いをよくできなくて、失敗するのです。
 
柳)) 以前にも話をしたのですが、今でも胸が痛いのです。私がよく知っている友人の妹ですが、田舎に行って帰ってくる途中で、そばであるおばさんがくれた飲物をもらって、倒れたのです。この子供は母のような人がくれたので、安心をしたのでした。この子供が目を開けたら、まったく他の場所でした。おとながどれくらい悪いでしょうか? この子供に麻薬をしばしば打って、売春をさせたのでした。家族がどんなに探しても、探せずにいたのですが、やっと探し出したら、完全に他の人になっていました。麻薬患者になっていたのです。出てきても、また戻って行ったりして、結局は死にました。
 
・人は、出会いを一度間違っても、そのようになります。どれくらい怖いでしょうか? 今見れば、出会いを間違って問題になる事が多いのです。神様の前に祈っていれば、まず最初に来る答えが出会いの祝福です。
 
・今日のひとつの事件だけ見ても良いでしょう。皮なめしのシモン、ペテロ、コルネリオを見ましょう。これが全部、出会いの祝福です。私達が福音を持っているために、私たちのレムナントの学生や青年達に、神様は出会いの祝福を下さるはずです。もしいままで失敗したとしても、神様は出会いの祝福を下さるはずです。今晩に少しだけ確認すればよいのです。本当にキリスト中心の真の福音を見ましょう! この福音を持って生きる間に、真の伝道、本当に正しい祈りの中に真の答えを見ましょう! 皆様に出会いの祝福があることを主の御名でお祈りします。
 
・これから、私たちにはどんなことがおきるのか分かりません。神様が出会いの祝福を下さるはずです。ここに私たちの青年達がいます。皆様は、神様の前に出会いの祝福を確かに受け取らなければなりません。祈らなければならなくて、また、神様が祈るようにさせてくだるので、できるようになるのです。ここの学生達に最も大きい祝福が出会いの祝福です。皆様が少しだけ用意された人に会えば、相当な祝福を受けるようになります。それで、出会いの祝福が特にレムナント達に、現場にいる学生達にあることをイエスの名前で祝福します。
 
・これを持っていれば、三番目に来る祝福があります。
 
(3)このことゆえに、神様が個人的な祝福を下さるはずです。今日、皮なめしのシモン、ペテロという人々が個人的な祝福をものすごくたくさん受けました。この人たちゆえに、家庭の祝福も受けたのです。皮なめしのシモンと言うので、職業の祝福も受けたのです。百人隊長のしもべまでも祝福を受けた人々でした。
 
・この祝福を皆様が受けなければなりません。とても簡単です。本当に真の福音があるでしょうか? 本当に祈れば、今日からこの答えの3つのことが開きます。神様が目に見えない主の使いを送られました。天の門をあけて、幻の中にコルネリオに話をされたのでした。すると、皆様に不思議に出会いの祝福、個人の祝福が開くのです。すべての役員にこういう神様の祝福があることを希望します。早く回復だけすればよいのです。
 
・皆様は既に何の話なのか知っているはずです。ところが、実際に生活しながら、この部分が良くならないのです。理解はできますが、実際にすることが難しいということです。こういう部分だけ少しだけ悟れば、皆様に本当に答えがくるようになっています。実際にそのような問題がきます。
 
柳)) 少し前に、朝に私たちの教会にきていたのですが、来なくなった方がいます。この方は、東三第一教会に初めてきて12坪を見て、教会をみな建てて待っているから来て下さいと言いました。人というのは、不思議なもので、少しの間でも誘惑されました。教会堂もみな建ててあるし、家もそして、車も与えると言いながら、より一層ひきつける話は‘牧師様はこういう影島にいらっしゃる方ではない'と言いながら、提案をしてきたのでした。その時、私が考えをよくしたのですが、その時に行っていたなら、大変なことになるところでした。
 
柳)) その時、こういう気がしたのです。開拓教会を建てておいた所に行くということは、私のために行くのではないか? それで、この方が行く時、きっぱりと話したのです。祈る方達だったので、一言‘牧師様はくるようになるはずです。祈ります' そのように話して行きました。その時、私は‘行かないはずです。あきらめてください!' と言いました。その当時、少しの間私に誘惑がきたのでした。
 
・本当に真の福音ですることがむずかしいのです。真の福音でするということは、話は簡単ですが、現実的には難しいということです。そうでないならば、私がどのように福音を持った聖徒、長老等と、どのように福音を伝えているでしょうか? 時々考えるだけでひやっとします。そこでも福音を伝えれば良いと言われたのですが、既に中心が違った決定だったのです。中心が伝道しなければならないということです。すると、祈ることは、私のための祈りではないでしょう? 主のための祈りをしなければなりません。本当にこういう誘惑を受けやすいのです。
 
・私は少しの間だけ‘教会を復興させねばならない!’という誘惑がきます。その後には‘見ておれ、インマヌエル教会で起きることを見せてやる!’という考えをまた持って、その次には‘私の悪口を言ったやつらは見ろ! 私が異端か? 見ておれ!' こういう考えにしばしばなります。こういうことが福音ではないのです。何でもないようですが、むずかしいのです。私が実際に生きているならば、本当にそのような部分が難しくなります。
 
柳)) 私は朝のテレビ番組で夫婦けんかをすることをよく見るのですが、共通的な特徴がたくさんあるけれど、また新しく発見したことがあります。夫は絶対に妻のためでなくて、妻は絶対に夫のためではありません。全部自分だけが苦労をしたと言います。‘私のためにしたことが何か? 私がどれくらい苦労をしたのか?' こういうことです。あの人々は、地獄に行っても戦うはずです。他の人のため、という余裕がありません。私達がそのようになったら、どのようにするでしょうか?
 
・福音のために! 祈りの答えを受けることは難しくありません。どれくらい感謝しているでしょうか?‘私が福音のために生きなければならない。私が伝道のために生きなければならない。’すると、まちがいなく3つの答えがきます。神様の計画が見えます! そして、出会いの祝福を下さいるはずで、個人、産業等、個人的な祝福を下さるはずです。
 
柳)) ある日、こういう考えをまたしました。神様が私にお金をたくさんくださるはずだ! 何故でしょうか?世界の福音化ゆえにくださるはずだ。神様も考えがあります。私に与えずに、だれに与えられるでしょうか? 私がこの悪口、あの悪口を聞きながら、福音を伝えるのに、くださらないでしょうか? こういう考えになって、人が変わりました。少しだけ何かが起きても、これが神様がお金をくださるためなのか? と思いたくなるのです。だからか、詐欺師が来たら、可愛く見えたりしました。それではっとして、しっかりしました。人がこのように変になるのです。その時、しっかりしました。神様が答えを与えられるならば、その時に受けるのであって、私が何故そのような考えをあらかじめするのでしょうか?
 
・真の福音がだめで、真の伝道がだめなので、違ったことをするのです。このように人は弱いのです。このように人が多く揺れます。本当に福音のために生きればやさしいのです。私たちは、人間関係も難しくなる時があります。同僚の間で理解ができないことがあります。利益や損害になることは、むしろやさしいのです。損害をこうむれば良いためです。ところが、共に仕事をしてみるならば、まったく人間的に合わない人がいます。損をすることは簡単です。損をすれば良いということです。ところが、私が話しているのは、それではありません。人間自体が合わないのです。私たちはそのような時が多いのです。小さい聖歌隊をしても、教会学校をしても、そのような問題が生まれるのです。
 
・その時ごとに、私達がこの3つのことを考えないと病気になります。‘まちがいなく神様は私に福音を下さったのに、この中に神様の計画があるので、答えをまちがいなくくださるはずだ' これを知らなければ、病気になります。人々がどれくらい困難をたくさん与えるでしょうか? こういうことを知らなければならないのです。今日の本文で、真の福音を持った人々が動くので、神様が真の門を開けてくださいました。単に開けられたのではなく、主の使いを送られたのです。これは人の目には見えません。ですから未信者でも、信者でも、これが秘密です。
 
・神様が、目に見えない天使を皆様の産業、家に、家庭に送ってくださるということです。私はむかしに事実でないと信じていた時は、それほどのことではなかったのですが、事実だと知るようになって、途方もないことだと思いました。祈るようになったのです。‘あ、祈るとこのようなことが行われるな!' すると、神様が祈る中に出会いの祝福も正確にくださるのです。それとともに、皆様の個人の産業に門を開けてくださるのです。
 
柳)) 私が本当によく知っている牧師の一人は、不思議に教会がだめでした。元々良い方であったのに、そこにイエスを信じたから、どれくらい良い人だったでしょうか? ところが、教会がだめだったのです。私はその方を近くで見ながら、だめな理由を知るようになりました。教会の仕事であれ、何であれ、全部違って、自分の家族のためにしたのです。不思議に神様は祝福されないのです。真の福音でないのです。主のしもべが教会のために、福音のためにすれば祝福を受けるはずなのに、これがだめでした。
 
・‘谷間にも荒れ地にも福音を持っていく'という賛美を歌いながら、私を見て田舎に行きなさいと言われたら、行くだろうか? という考えをしてみました。私は全く田舎体質ではありません。田舎に行って、何日かいて見たのですが、息が詰まりました。外国に行って、休めと言われて山の谷間に入って遊んだのですが、退屈で死ぬかと思いました。祈りの秘密があったので、耐えたのですが、難しかったのです。
 
・仮りに主が私に‘谷間や荒れ地のような所に行って福音を伝えなさい'と言われれば、私が簡単に行くだろうか?という気がしました。私達が真の福音を持って、真の伝道をしながら祈るということは、簡単なことではありません。しかし、私と皆様が少しだけ悟ればやさしいのです。
 
・すると順序があります。Vヨハネ1:2に "愛する者よ。あなたが、たましいに幸いを得ているようにすべての点でも幸いを得、また健康であるように祈ります。"と言われました。ある日私にこれができる日がきたのです。‘たましいに幸いを得ているように'という話を見て、霊的にうまくいくという秘密を見たのです。その時から少しずつできるようになり始めました。私が何故、他の人と戦わずにいられる者でしょうか? 私はそのような性質ではありません。私がないことを話すのに、私がどのようにそれを耐えることができるでしょうか? 行って正さなければ、私は耐えているそのような体質ではないのです。ところが、霊的な部分を知りながら、譲歩ができるようになりました。そうだ! これをすれば、悪魔にだまされるのだということを知るようになったのです。私がこの契約を捕まえて祈れば、神様は答えられる! それで "あなたが、たましいに幸いを得ているように!"
 
・神様は神の国とその義を求めなさいと言われました。ここにいるあなたがたとインマヌエルのあらゆる方達は、霊的なことを知っている方です。それならば、私たちは多くに応用できます。すると、真の福音、真の伝道のために本当に祈りができます。それが一番目です。
 
・2番目に受けなければならない祝福は、聖書にあるそのままいやしを受けることです。実際には私と皆様がみないやされなければなりません。深刻か、深刻ではないかの差はあるでしょうが、みな受けなければならないのです。皆様が祈る中で、いやされなければならないのです。皆様個人と家庭に神様は答えを下さるはずです。これが皆様が受けねばならない祝福です。
 
・ここには事業をする役員もたくさんいらっしゃいます。世界で、インターネットで礼拝を聞いています。皆様が短く祈ればよいのです。私に真の福音を下さいましたから、私が本当に福音ゆえに生きます。神様が私に真の福音を下さいましたから、私がこれゆえに生きます。こういう祈りをする時、天の門が開くのです。
 
 皆様の事業に神様の使いを送ってくださって、人が知らない門をあけてくださるのです。これを早く回復しなければなりません。皆様が上手にやる、しないということではなく、少しだけ考えればよいのです。聖歌隊が賛美をします。そのまませずに‘私が本当に福音のためにすべきだ' と祈ってするように願います。すると賛美して、また祝福を受けるのです。私達が子供達を教えて献身します。いつも瞬間瞬間に考えなければなりません。私が引き受けた子供達に正しい福音と祝福が入っていくように! その時に本当に祝福の門が開くのです。
 
柳)) 私はそのような考えを多くしてみました。私のように特別ではない者が、どのように世界の福音化をするのでしょうか? 人がしていれば失敗をすることもあるので、その時ごとに‘私のような者がどのように..' その時ごとに祈ります。神様! それでも私は福音のために生きるようにさせてください。ここであらゆる門がみな開くのです。
 
・今日、あなたがたが祈るのは簡単です。今日の1部でも本当に重要なことを話しました。今日の2部は、個人が本当に答えを受けるようになる内容です。皆様がこれから人生を生きていくのに、人生のスケジュールを立てましょう! 40、50になられた方は、中年に入っています。皆様は神様の前で子孫のために、本当に祈らねばなりません。50以上になった方は、また違うように設計なさって祈らなければなりません。
 
・ここの20、30代の青年達は、皆様が今からでもバランスを整えながら‘私が世界の福音化ゆえに生きるようにさせてください'と祈ればよいのです。ここには学生達もいます。皆様は、本当に誘惑を受けず、エリートを生かすエリートになるようにしてくださいと祈りましょう! そのように祈れば、神様は皆様に答えを確かにくださるはずです。本当に福音のために!
 
・教会にもスケジュールがあります。私達がレムナントのための正しい教会になるように祈りましょう! 教団もスケジュールがあります。韓国で一番伝道をよくやる教団になるように、国家と民族のために最も正しい働きをする教団になるように祈るのです。皆様がこの契約だけを捕まえてくださるならば、答えを受けるはずです。
 
・もしかすると、皆様に問題がくることがあります。その時にも祈るように願います。‘神様が私に本当に福音を下さいましたから、解決なさるはずです。私が本当に福音のためにどのようにしなければならないのでしょうか?'
 
・皆様が生きていく中には、相当な葛藤もくるはずです。それより怖いことがあります。なんの意味もない人生が皆様の前にあるように思えることがあります。その時がより怖いのです。何らの意味もないのです。‘私がこのまま生きるべきか? 私はご飯だけ食べているのか? 私は職場でこのほんのわずかな月給を持ってずっと生きねばならないのか?' 人には意味がない人生が迫ることもあるのです。その時、祈りましょう! "神様、私が福音のために生きるようにさせてください"
 
・アフリカを開拓したリビングストンという人は、みんなが引き止めたのに、こう話しました。その難しい地域に他の人が新しく入っていけば、その難しい苦しみを再び受けなければならないでしょう? 私が行って、私の年齢が、私の力が十分でなく、死ぬとしても行くべきです。それとともに‘私は福音のために生きて、主のそばにに行くようにした’と話したのでした。その後に相当な神様の答えがおきたのでした。
 
・牧師夫人だったアン・イスク女史はこう話しました。‘火の中でも、水の中でも行くことができる。そこにも神様はいらっしゃるためだ'。病院で医者が手術をしろと言ったのに、しないと言いました。神様が呼べば行って、直せば生きるはずだ。私は福音のために生きて、行くはずだ。神様が相当な答えをたくさんくださったのです。
 
・今日、たとえ私と皆様が弱くても福音のために生きる、私は弱いけれど福音のためにお金を儲ける、私がしている献身は小さな献身でも福音のためにするとすれば、天の門が開くのです。コルネリオみたいな人をつけてくださるのです。主の使いを送って、皆様のすることを助けてくださるのです。
 
・今日、この答えを回復なさって、たったの5秒でも心の底から祈って答えを受けるように主の名前で祈ります。
 
(祈り)
 神様に感謝申し上げます。私たちに福音をくださったことを感謝申し上げます。福音のために生きるようにさせてください。私たちは人間なので、違ったことのために生きることをよくします。最も貴重なことのために生きることができるように力を与えて下さい。今日、弱い人がいるならば、力を与えて下さるようにお祈りします。病んだ者がいるならば、いやしの御手をおいてください。霊的に病んだ者は、いやされる祝福をあたえてください。今、100箇所あまりで衛星で礼拝をささげる所に神様の祝福をあたえてください。インマヌエル・ソウル、蔚山、釜山に神様の祝福をあたえてください。今日、インターネットでみことばを受ける神様の民に、主の聖霊で働いてください。キリストの力で働いてください。暗い現場の中で生きなければならない私たちのレムナントに働いてください。あらゆるレムナントと留学生の頭の上に神様の力の御手で按手してください。あらゆる長老達、役員等に神様の力の御手を置いて、神様の祝福で福音を伝えるようにさせてください。教会学校の幼い子供達ゆえに苦労している者や、私たちの聖歌隊の頭上に神様の霊的な真の祝福をあたえてください。
 イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン
 
(The end)