(2002年 4月 28日インマヌエル教会 聖日メッセージ/ 柳光洙 牧師)


 1部/ 安息日の主人
(マルコ2:23〜28)
 
  
・今日のタイトルは、安息日の主人です。成功した人や立派な人々の特徴は、日を重要視することです。過ぎた日々がよく思い出せなくて、意味がないならば、皆様はあまり意味のない人です。‘いつ、どのようなことがあって、本当にこうだった’と感じられる方は、成功した人です。皆様がひょっとしたら、他の人に会って証しをするのに、過ぎた日を注意深くみる機会がなかったとすれば、成功できない人です。
・今日 2002年 4月 28日、私達がソウルの真ん中で、衛星で100箇所あまりと連結して礼拝をささげています。たぶんインターネットでは、数千箇所で礼拝をささげているでしょう。多くの人々が、福音がなくて死んでいっている中に、私達が福音を受けて礼拝をささげているのです。誰が何と言っても、福音という答を持つことなしではだめだという確実な答を持った私達が、今、礼拝をささげているのです。間違いなく意味がある日です。
柳)) 私がロシアの博物館に行きました。見るものが多かったのですが、2つのことを見ました。二種類の絵を見たのです。どんな絵だったかというと、一つは木があって、太陽が上る絵でした。たぶん、有名な画家が描いたのでしょう。その絵を見て、おかしな気がしたのです。この絵がどんな絵なので、ここにあるのだろうかと思いました。私は、絵を見る目がありません。それで、私が知っている絵を見る目は、実物と最も近く描けば、よく描いているなと思うのです。そのそばを見ると、女の人が座っていたのですが、私が見て、ちょっとブスだというよりは、気味が悪いと感じられる絵でした。それで、私がその絵の二つを見ながら分かったのです。この女の人を描いた方は、女なのか男なのかは知らないけれど、良いと感じたゆえに描いたのでしょう。ところが、私が見たら、一つもよくなかったのです。考えるようになりました。太陽が上るのを見ながら、私は365日いつも太陽が上るのを見るのに、その意味をよく知らなかったのです。そこで大きい差異点を発見したのです。私は太陽が上るか沈むか知ることもできなくて生きていくのに、この人は全く同じことを見ながら、絵を描いたのです。私達は、有名な詩を読みます。同じようなものを見たのに、この人には詩が出てきたのです。こういうことで相当な差が出るのです。
 そのような話を聞いてみたことがあるでしょう。‘ある日突然にこういう事が生じた!’‘偶然に道を行くとときに!’ 100万回の中で一回に起きる飛行機事故に、なぜか一度飛行機に乗ったのに死んだ。私はアジア、大韓航空を100万回も乗りました。たくさん乗る人の中のひとりです。先頃、グアムでの事件を見たら、初めて一度乗った人が死んだのでした。それを見ながら‘本当に不思議だな。私は毎日飛行機に何度かずつ乗って通うのに、その人は一生に一度飛行機に乗ったのに、何故そうなったのか’。簡単なことではありません。地球でただ一度、橋が崩れたのですが、それが聖水大橋です。ところが、橋が落ちるその時に、車に乗っていた人々は、ぜんぶみな死んだのです。そのニュースを聞きながら、「それも普通のことではないな。数えきれない程多くの車の中で、なぜ、わざわざそれだったのか。それも橋が崩れて。」と思いました。想像することもできないことです。そのようなことは、なかなかありません。私たちは、日々普通に過ぎ去ることがあります。あなたがたは、信仰生活に必ず成功する神様の祝福を受けるべきです。あなたがたは、自分でわかるでしょう。私が本当に恵まれて、とても感激する時や、そうでない時もあるでしょう。私はむかしに教会に来ても全く説教を聞かない時もあったのですが、過ぎて見ると、その時間は私がだめになる時間でした。当時にはよく分からなかったのです。みことばに恵まれて、福音を悟った時間があります。かと言って何か変化にしたことがあったでしょうか。しかし、過ぎて見ると最も祝福を受けた時でした。‘日’がどれほど重要でしょうか。
 今日、私達は安息日という単語を見ています。今日、皆様が信仰生活に成功するためには、日に対して3つのことを捕まえなければなりません。これは‘必ず’です。
1. 最初は、未信者の日です。
 未信者がそのまま生きていっているようですが、この‘日’ということとものすごく関係があります。これを理解するならば、私たちはあまりにも驚くべき事実を発見します。
柳)) 私が幼い時、ジュリアス=シーザーという映画を見ました。このシーザーという人は、有名な将軍なのですが、戦争で勝利して、ローマへ帰ってきて戦争の成果を上の人に報告する場面でした。すべての国民が出てきてシーザーの名前を叫びました。ところが、2階の建物の上から、ある人が死んだ鶏を投げました。ところが、シーザーの前に死んだ鶏が落ちたのです。それで、シーザーがみつめたら、鶏を投げた人がこう話します。‘あなたは、絶対にそこに行かないで。あなたが今日行けば、大事になる’言わば、占いのように話したのです。シーザーは、だれでしょうか。知りもしない人が、鶏一匹を投げながら行くなと言って、行かないでしょうか。おもしろいと考えて行ったのです。その日、ジュリアス=シーザーは、同僚から33ケ所、刀に刺されて死にました。その中には、ブルータスという自分の友人もいました。私は映画で見たのですが、とても生々しく思いました。人がからだを刀で33ケ所も刺されたらどうなるでしょうか。ところが、この人はたいした人物でした。刀にそのように刺されたのに倒れなくて粘ったのに、最後の友人に助けてと訴えたら、友人が回って33回目を刺したのでした。その時、シーザーが倒れて、全身から血を流して死んだのです。若い時に見たのですが、やり過ぎるという気がしました。当時は、政治や社会が分からない時でした。
 
 未信者は、ある日突然に事故に遭います。何故そうなのでしょうか。未信者には、運命や運勢、こういうもの等があります。それで、ある人は吉凶を占ったり、法事を行なって、お祓いをすることもあります。未信者はある日誤った所に行って、まさに問題に会うことがあります。皆様がおわかりの通り、未信者が最もたくさん正すことが、まさに‘日’です。いつ結婚せねばならず、いつ移って、いつ集いをするのかを正すのです。不思議に思えることです。
 ある人が、重要な日に問題に会いました。本当に不思議に思ったのは、米国では必ず20年ごとに大統領が事故に遭うのです。必ず20年ごとに、似た日に。とにかく、未信者にはとても重要な日です。あなたがたが、こういうことを知っていれば、私達がどれくらい感謝なのか分かりません。みことばを聞くあらゆる未信者は、記憶しなければなりません。未信者は、何かの日を定めれば滅びます。場所もどこでも行くことができません。それで、不安でお祓いをすることもあります。ところが、それがむなしいことでしょうか。そうではありません。未信者は、多くの日々を生きていく間に、自分の運命と関連して不安にならざるをえないのです。気分が悪いでしょうが、未信者は理解しなければなりません。未信者は、6つの運命に捕えられているのです。創世記 3章とヨハネ8:44節に関わっているために、どうすることもできないのです。
 私は、多くの政治家たちが、悪霊に取りつかれた者の所に行って吉凶を占うということを理解します。それしか仕方がありません。何故でしょうか?未信者であるためです。どれくらい不安でしょうか? 私は韓国の有名な新聞に占いを出すことを理解します。方法と道がないからです。それで、確認しようとするならば、止むを得ないのです。お金を何千億投資したのに、これがだめになることか、そうではないか、どれくらい不安でしょうか。
 私が知っている有名な指揮者一人は、大学の音楽教授です。もちろん未信者です。非常に有名で、すべての音楽家を招待して韓国で最も大きい音楽会を開きました。それで、この方が、全体のオーケストラ指揮をすることになったのです。ところがこなかったのです。後で知らせがきたら、来る途中に交通事故で死んだということでした。音楽隊員全員と主催した方達が、皆、衝撃を受けました。それで、未信者は、これが何故こうなのかと思い、不安だから占いをするしかないのです。創世記3章事件ゆえに、ヨハネ福音 8:44節の暗闇、悪魔の手にある未信者であるために、どうすることもできないということです。
 
 私はイエスを信じない人は、愚かだと考えます。私はイエスを信じる言いながら、教会に通って福音を知らない人はもっと愚かだと考えます。間違いない事実だからです。未信者は、創世記3章の事件の中にあるために、どうすることもできないのです。だから未信者は、日が不安になり、それしか仕方がありません。皆様は、祀りをしないでしょう。私たちもしません。しかし、未信者は法事を行なわないと、まさに問題がくるのです。‘偶然だよ...’と言いたいでしょうか。占いを訪ねれば‘あなたが、祀りをこのように、このようによくできないからだ’と、ぴったり当てます。聞いてみると間違いありません。驚くべきことなのです。
 
柳)) うちの町内に兄弟 4人がいる家に一人だけが長老の家がありました。父が亡くなって墓を立てたのに、墓を誤って立てたと言われたのです。大事になって、みな死ぬと言われたのですが、驚くべき事実は、本当に兄弟が死んだのです。この方が不安になりました。自分の順番になった時、私を訪ねて「私が信仰がないと言わないでください」と言いました。「尋ねることができなかったので、しなかったのですが、占い師が父の墓を誤って立てたので、私達がみな死ぬだろうと言ったら、兄三人がみな死んだ。私はどのようにしなければならないのですか。」長老が、私に本当によく尋ねたのです。「長老は、教会には長く通っていたのですが、福音を知らなかったからです。長老が今日、イエスを信じてくださることを希望します。イエスを信じれば終わります。」未信者はそれしか仕方がありません。普通の問題ではないのです。それで、未信者は祀って偶像崇拝するのです。その人々は、どうしようもありません。それで、霊的な問題がどんどんくるのです。未信者の6つの状態は避けられない運命です。ここから、あらゆる事がみな来るのですが、それが未信者の日です。記憶しなければなりません。
2. ところが、今日、2番目に知っているべきなのが、信者の日です。
 本当に皆様が救われたなら、あらゆる日が祝福の日であり、あらゆる場所が祝福の場所です。
 
柳)) 一度は、私が群山で集会を終えて宿舎へ行ったら、人々が並んで立っていました。この人達が、信徒のようだったのに、紙切れを渡してくれました。なにかと見てみたら、タイトルが「12月 25日はクリスマスではない。この日は、元々ローマの祝日であって、イエス様は12月 25日に誕生なさったのではない。それで12月 25日を聖誕として守ることは誤っている。」とうう要旨の文でした。過ぎ行く人々ごとに渡しているので、私が呼んで話をしました。「12月 25日が正確にクリスマスでないことは、私も認めます。しかし、福音がローマを征服したゆえに、12月 25日をクリスマスと決議したのです。ところが、あなた方が知らずにいることがあります。12月 25日がクリスマスでないのではありません。あなたが本当に救われたなら、毎日がクリスマスです。そこで大きい失敗をしているのです。日はそんなに重要なのではありません。26日ならばどうなのでしょうか。救われていない人には、全部すべてが問題になるのです。福音を伝えるべきであって、そのようなことで並ばないで。むなしいことをしているのです。」
 救われた人には、あらゆる日が主の日です。ここで2番目につかまなければならないことがあります。皆様は、聖日に恵まれるということではなくて、平日に恵まれるのです。必ず記憶しなければなりません。ここにいる皆様が、平日一日に一度だけ真実で祈るならば、皆様は絶対に滅びません。ここにインターネットで学生達や使命者が礼拝します。記憶しなければなりません。特に先進国の学生達は、先進国であるほど霊的問題と呪いが集結するために捕まえるべきです。皆様が一日に一度くらいだけイエスの名前で祈るならば、皆様は完全に勝利するようになるはずです。
 
 今、ユダヤ人とクリスチャンが、途方もない錯覚をしています。聖日だけ礼拝をよくささげれば良いと考えているのです。大事になりました。ユダヤ人が滅びた理由が、そこにあります。他の日は、世の中の日で、安息日は神様の日ということです。1/10は神様のもので 9/10は自分のものだということです。それが誤っているのです。今、福音でユダヤ人が誤っていることを破るのです。どうして 1/10が神様のものでしょうか。10/10が神様のものです。しかし、1/10はレビ族に与えて、9/10は私が使うのです。みな神様のものです。
 
 皆様が信仰生活に勝利しようとするなら、未信者の日を知っていなければならず、2番目に平日を知っていなければなりません。ヨハネ8:32節に ‘あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。’ この自由という話は、勝手に生きるということではなく、縛られたところから解かれるということです。皆様がサタンの権勢と運命から解放されたという事実です。皆様が本当に福音を知って、毎日共に福音を味わえば、皆様は完全に勝利するようになっています。今日、重要な理由を発見することを希望して、本当に答えを受ける日になるように願います。
 使徒の働き10:38節に、悪魔に制せられた者をいやされたとされています。ヨハネ8:44節には、あなたがたの父である悪魔と言われていますが、うそつきと言っています。ここから完全に解放されました。皆様が平日を重視しなければなりません。ものすごく重要です。未信者の日を理解するならば、平日がものすごく重要になります。ここに関して、早く基本メッセージが整理されて、発見されなければなりません。これを体験しなければならないのです。そのようになれば、この契約を捕まえて毎日答えを受けるのです。
 
 人々が、重要な質問を私に多くしました。はじめには、牧師と集まったのですが、不思議に思ったのか質問を多くしました。牧師達は神学をしたゆえに知っているので、2種類の質問したのです。今、伝道するメッセージは、どこから出てきましたか。そして、他のひとつは、あなたは健康をどのように注意しているのでしょうかということでした。私は率直に答えました。私がすることは、ただひとつがあります。だれが何としても、平日に聖霊充満すること、するとすべての問題が解決するのです。多くのクリスチャンが、ここでのがすのです。多くの人々が、聖書と世の中と同じではないために難しいと言うのですが、違うのです。聖書と皆様の祝福を受けた生活が同じになる時、祝福を受けます。皆様の現場と神様のみことばが同じだと感じられる時、その政治家は成功するのです。難しくありません。少しだけなせば良いのです。
 
 私がとてもじれったくて、息子にこう話しました。「一日に3分だけ祈りなさい。イエスの名前で3分。それでも長いか? 1分だけしなさい。すると君は成功するはずだ。」人々がこれをのがしており、平日に全てのものを失っているのです。私が見る時、聖書は救われること、生活、伝道すること...専門性がある本です。本当に政治家が聖書を理解するならば、成功するはずです。事業する方が、本当に聖書を理解するならば、成功するはずです。21世紀がきて、グローバル時代だと言われますが、聖書ははじめからグローバル時代を話しています。アブラハムを呼びながら「あなたによって国々が祝福される」と言われました。イエス様は、「2000年前にあらゆる国の人々に行きなさい」と言われました。聖書ぐらい先んじて、専門性がある本はありません。皆様の目が開かれれば、平日に成功できます。
 
 私はせつない信徒を見ました。平日にできないことを聖日に教会に来て恵みを受けようとするので、だめなのです。平日に神様の祝福をたくさん受けて、聖日に教会に来れば、感謝が正しく出てくるようになるのに、そうでないからだめなのです。聖日に仕事を持ってきて講壇で解決しようとするので、だめなのです。今日、皆様がものすごく重要な祝福を回復すべきです。
 
3. 三番目です。そのようになった人が、聖日の重要性を知るべきです。
 皆様が未信者の日を知って、平日の祝福を理解するならば、聖日が本当に重要です。使徒2:1-47 集まって祈る日に聖霊が臨みました。皆様が3つのことをのがさないようにすべきです。未信者の日、信者の平日、そして聖日です。この三つを知らなければ、絶対に信仰生活ができません。
 マタイ18:18-20節に、わたしの名前で二、三人が集まれば、わたしも彼らの中にともにいると言われました。その時の約束が、何んでもわたしの名で祈れば与えるとなさったのです。その話はなんの話でしょうか? 信者が礼拝する時、それほど重要だということです。詩篇100篇4節には‘感謝して大庭に入って’とされています。今日、私は車に乗って出てきながら祈りをしました。今日、私たちの聖徒達に最高の日になるようにさせてください。この神様のみことばを悟れば、最高の日になるはずです。「感謝して大庭に入っていって」簡単に話せば、王が呼んだ時、大庭に入っていくということです。もし大統領が皆様を国務総理として呼べば、その時に行く心です。すごいことではないでしょうか?
 
 私は聖日にきて礼拝をささげる時に分かります。聖日に私自身が分かるのです。私が平日に神様の祝福を発見できなければ、聖日に説教するのは難しいのです。あなたがたが、平日に神様の祝福を受けることができなければ、聖日の祝福を分からなくなります。それで、韓国教会は、各種の神秘主義、異常なことがたくさん出てきたのです。結局、解決できなくて、クリスチャンは死んでしまったのです。皆様が平日の祝福を受けて、聖日にくるならば、今週はたいした日になるのです。
 
柳)) 私が知っている長老、勧士夫婦は、一日中TVだけを見ます。夜通し見るのですが、あまり見るので、歯が抜けたりしました。チャンネルを回して見ればおもしろいでしょう。すると、人生がとくに良いことではなく、毎日TVだけを見るようになるのです。この方が聖日にきたのに、礼拝になるでしょうか? 礼拝は、TVよりおもしろくありません。そして、牧師がタレントほどうまく語れるでしょうか? 礼拝になりません。 どれくらい怖い結果でしょうか。今日、皆様が礼拝をささげるのに、意味がないならば、皆様の人生の意味がないのです。
 
柳)) 私が幼い時、両親ゆえに数えきれない程、教会に行きました。説教が入るでしょうか? どれくらい礼拝が貴重か知ることができませんでした。説教を終えるころの献金時間には、友人と紙をちぎって半分ずつ出しました。家に帰って‘教会に行ってきた’とだけ言えば良いことで、関係なかったのです。私が一番呪われる時期でした。本当に呪われる時期でした。当時には知らなかったのです。
 
 皆様が聖日に恵みを受けることができなければ、大事になります。今、大事になればかまわないのですが、後に大事になるのです。聖日、この日は皆様がものすごく祈らなければならないのです。感謝しつつ大庭に入っていって。全国と世界で説教する牧師たちが、聖日がどれくらい重要かを知っていなければなりません。平日に恵みを受けた方達が、聖日にきて重要な答を得る日です。それで、聖日にあらゆる答がみな出てくるべきなのです。
 今日、皆様が聖日説教を聞きながら、答をみな出さなければなりません。伝道しなければならない理由と未信者の日を知るようになります。それで、私が行く所ごとに恵みを受けなければならなかったのに、私はそれを受けられなかったんだなあ。聖日に礼拝になるでしょうか。みことばがどうでも良くて、説教がどうでも良いという程度で、皆様に答が出てこないならば、どのようになるでしょうか。どのように怖い世の中を生きて行けて、私たちレムナントがあの怖い現場でどのように生き残るのでしょうか。インターネットで礼拝をささげる皆様に必ずお願いします。生き方がどうだという、それ以前に霊的問題にどのように勝つのかを知るように願います。
 
 何故、米国、オーストラリア、ヨーロッパ、カナダに精神病者が多いのか知っているでしょうか。何故生活が楽なヨーロッパ、ドイツに自殺者が多いのでしょうか。アジアで最も良い生活をするという日本が、何故そのように霊的問題が多いのでしょうか。そこで息をふきかえす道があります。あなたがたが、未信者が生きていくのに、そこには日と関係して生きて死ぬという事実を知っているべきです。皆様は、キリストの中に入っていくことによって、キリストゆえに全てのものから解放されました。それならば、あらゆる日の祝福を受けるべきです。
 今日、ユダヤ人を見ることを望みます。どれだけ錯覚を多くしているか分かりません。イエス様が弟子と道を行かれたのに、その日が安息日でした。私たちとしては聖日です。弟子達が行くときに、穂があったので、それをひとつかみ取って、手の平でもんで中身をはがして食べたのです。それに対して是非を問うたのです。24節に見ると‘すると、パリサイ人たちがイエスに言った。「ご覧なさい。なぜ彼らは、安息日なのに、してはならないことをするのですか。」’ どんなにおなかが空いていても、安息日に仕事をするなと言われたのに、摘んで食べたことは仕事なので、それをしても良いのかと尋ねたのです。イエス様がこうおっしゃいました。‘律法に、祭司長の食べ物は、他の人が食べるようになっていないのに、ダビデがむかしに食べなかっただろうか。安息日のために人があるか。人のために安息日があるのか。そして、わたしは安息日の主人だ’。安息日をユダヤ人が悟ることができなかったのです。ユダヤ人には、深刻な問題が迫るのに、悟ることができなかったのです。今でもその考えを続けて行くことが安息教(セブンスデイ・アドバンティスト)です。
 皆様は知っているはずです。何故聖日を守るのでしょうか。その日は、イエス様が復活なさった日です。その日に集まって礼拝した日です。使徒ヨハネが恵まれた日も‘主の日に’と言いました。敢えて私達が月曜日に礼拝をすれば、神様が受けてくださらないでしょうか。私達が礼拝することに定めて礼拝をささげるならば、恵みをくださるはずです。その中で特に聖日なのです。皆様があらゆる祝福を今日、回復すべきです。
 
 わかるでしょうか。未信者は何故滅びるのでしょうか、何故未信者は、方向だけ誤って選んでも滅びるのでしょうか。呪いの日々に勝つことができないためです。解かってみれば、危険でなりません。神様が私たちに解放を下さって、365日祝福の日を下さったのです。ところが、クリスチャンがこれをのがすということです。私は、平日退屈だという信者は、理解できません。退屈ならば、祈りましょう。眠れないなら、寝ずに祈ればよいのです。どれくらい良いでしょうか。学生達にお願いします。皆様が時間を定めて祈るのは、それが難しいと言いますが、瞬間瞬間祈るならば、皆様は驚くほどの祝福を受けるようになるはずです。瞬間瞬間祈りましょう。すると勝利します。そのようになれば、聖日のみことばが皆、答えになるのです。今日、祝福を回復するように願います。
 
 聖日には、特にあなたがたが一日中働きをして、祈って、メッセージを聞きながら送ります。たぶん、六日間、重要なことを発見するようになるはずです。皆様が本当に成功したいでしょうか。意味のある礼拝をしましょう。自分の生涯で今、最も重要な神様に礼拝をささげています。そして、使命ある献金をしましょう。また本当に考えある次の世代教育と奉仕と献身をするのです。成功するはずで、六日間、貴重な答えを受けるはずです。貴重な聖歌隊があって、皆様の中には子供達を教える方もいます。考えが重要です。未来に子供達が生きるか死ぬかする別れ目に、今、メッセージをするのです。世の中はすっかり霊的に暗闇が覆っています。その中で賛美するのです。皆様の献金、皆様の賛美は、普通の献身ではありません。大部分の教会が目的なしで進んでいて、牧師達が成功してみようとやたら走っています。今、私達が本当に福音ゆえにここに集まったならば、神様は祝福なさるはずです。考えがある献身です。
 
 私が今回、産業宣教チームに頼みました。「皆様だけでも、一生このようにしなさい。福音ゆえに産業しなさい。これゆえに集まって、何にもしないでも良いのです。どのようになるか見なさい。」大部分の教会が利益のために走っています。だから教会で葛藤が起こるのです。私が米国で集会する間、地域教会の問題でものすごく良くない事がありました。みな言ったのですが、一言だけは言わずに来ました。すべて自分の利益のために駆けて起こってきた葛藤ということです。自分の立場、自分の有益のために駆けて起こった問題なので、それをするなということです。本当に神様の祝福を受けて、本当に神様の恵みを受けることでしょうか。考えある献身をしましょう。
 皆様が聖日礼拝を少しの間ささげて行きます。考えある献身にしましょう。聖日に献金をします。何となくするのではないように望みます。使命ある献身をしましょう。暗闇の経済がますます多くなるならば、私たちの青少年が行く所がありません。この時、私が神様の前に献金をささげます。これが何でしょうか。今日、皆様が礼拝をささげる、これが意味のあることなのです。皆様の家族が礼拝をささげます。それが意味のある事だという話です。今、家庭が崩れる時代ではないでしょうか。福音が途絶えた時代に、私が福音を伝えにいくことがどれくらい意味があることでしょうか。成功するしかありません。このメッセージを一生考えるべきです。
 
 未信者と日。それならば、福音を受けた私達が平日に受ける祝福。そして、聖日に起きる神様の解答。ものすごく重要です。すると、どんな答が来るのかというと、霊肉ともにいやされます。祈りの課題が発見できて、どんどん加えられて出てきます。すると、祈りの答えを確認するようになります。それからはフォーラムも生じて、感謝になるのです。
柳)) 私がとてもよく知っている方が、聖日に恵みを受けることができませんでした。見るととても教会生活を長くしていました。家系が4代目のイエスを信じていたのですが、説教が出てくれば、これから牧師が何のみことばなさるのか、すぐに分かったのです。ダビデ、ヨセフについて耳にたこができるほど聞いていたのです。この方は、教会奉仕は熱心にするのに、礼拝がだめなのです。普通の問題ではありません。この人に重大な問題がきました。ある日、突然にきたのではありません。すでに最も重要な祝福を逃していたからきたのです。人では手を打つことができない問題がきたのですが、それでこの人が地団駄を踏むのがせつなく見えました。もちろん、私達がその部分に対して、偉そうに言うことはできません。しかし、明らかなことは、この方が恵みを受けずにいたことは確かです。問題がきて地団駄を踏む時は、既に遅かったのです。
 
 ひとつを要約することができます。暗闇の日々にある未信者を救い出しましょう。毎日、聖霊充満を受けましょう。聖日あらゆる祝福をみな受けましょう。小さなことで是非を問うて、これは話になりません。イエス様がとても苦しく、「わたしが安息日の主人だ。安息日は人のためのものか?人が安息日のためのものか」と言われました。皆様が、恵みを受けるように願います。礼拝をささげる時ごとにその意味を探しましょう。私の人生の意味。福音をよく悟ることができなければ、意味が分かりません。夫人について何となく教会きたのに、意味が分かるでしょうか。父母について無理に来たのに、何の意味があるでしょうか。ある人は私に‘教会に行けば、ご飯がもらえますか。パンがもらえますか’と言いましたよ。それで私が言いました。「あなたにお金が7百円だけあれば、財閥なることができます。秘訣を教えてあげようか?」この人が目あたらしいと、早く教えてくれと言いました。「私が教えてあげても、あなたはしないから教えてあげない」と言いました。「どうして分かるのか?」と聞くので、「あなたの顔にそのように書かれている。まちがいなくしない」と言ったら、教えてくれと言ったので、結局言ってあげました。「大庁洞に行きなさい。聖書と讃美歌を売っている所があります。新旧約聖書が5百円くらいと讃美歌が2百円くらいです。本当に賛美と聖書を見て、うそで見ず、本当に見て祈りなさい。あなたは完全に成功するはずです。」私達は、みなうそでしているのではないしょうか。私は、むかしにはうそでした。聖歌隊の場所に座って口だけあけていることがあったのです。聖書も何の意味もなくて、アクセサリのようにそのまま持って通っていました。一番恵みがない時間でした。献金の袋を回す時もいやでした。私がなにをしてもだめでした。また、どれくらい貧しいか、できることがなくて、自分の思想になる程でした。ある日、福音を知るようになったのです。福音を分かってみれば、どれくらい重要か、聖書のみことばがどれくらい貴重かがわかって、目が開くようになりました。この世が暗闇の中に覆われたことを見て、それからは車に乗りながら祈る人が何故しているか分かるようになったのです。今は車に乗っても、どこに行っても祈ります。いつも祈ります。どれくらい良いでしょうか。
 一番良い日がいつでしょうか。聖日に皆様に会う日です。私が話すのではなく、神様のみことばを伝える日、そして、皆様が神様の祝福を受ける日です。どれくらい良い日でしょうか。残りは考える必要がありません。神様は、皆様の事業、家庭全てのものの責任を負ってくださるのです。今日、この三つを回復する日になることをイエスの名前でお祈りします。皆様に大きい神様の祝福があるはずです。
<<契約の祈り>>
神様に感謝申し上げます。今日、祝福の日になるようにしてくださったことを感謝申し上げます。回復の日になるようにさせてください。3つのことを回復する日になるようにさせてください。暗闇の現場、未信者の日、暗闇の現場を生かす日になるようにさせてください。これから現場で平日に神様の祝福を受ける聖霊充満の祝福を与えて下さい。聖日に礼拝する時、解答を得る重要な日になることを信じます。今日、主の民が祝福を受ける日になるようにさせてください。それで、正しい教会、正しい福音があることを民族に宣べ伝えるようにさせてください。韓国の教会が正しい教会であることを証明するようにさせてください。イエス・キリストのお名前でお祈りします。
 
 


2部/残った問題を解決しよう
(使徒11:1-18)
 
 
 今日の2部には、礼拝後に行事が3ケあります。私たちの本格的な福音化運動のために、タラッパンで初めてヨーロッパのハン・ドンウォン執事を長老に選びます。そして、手続きをみな踏んだら、タラッパン全体の指導者が行って按手するようになるはずです。単にするのではなくて、世界の福音化の他の教会の手本とするようにすることなので、個人には祝福になる時間です。そして、6ケ月ぶりに学習、洗礼式があります。それが終わったら、みな参席して聖餐式があります。今日、だいぶ順序が長いので、皆様の忍耐が必要になります。ところが、耐えることに助けになるために、可能ならば説教を短くします。それでも、本文が非常に重要な本文です。これは、個人に関することではなく、群衆、全体、多数に関することです。
 
 教会と社会と個人も重要ですが、団体が重要です。牧師、長老、個人も重要ですが、教会全体の水準が重要なのです。今日の本文は、そのような水準です。ペテロの信仰というよりは、初代教会全体の水準です。今日、皆様が短い時間にみことばをよく聞いて、聖餐に参加しながら、それを祈ってみましょう。今日、聖餐式をするのですが、いくつかのことを考えなければなりません。
1.時代時代ごとに、教会史に起きた問題です。これは皆様が知っていなければなりません。教会史にどんなことがおきたのでしょうか? もちろん、いろいろな事があったのですが、流れはひとつです。それを信者が、牧師が知っていなければなりません。簡単に話せば、時代時代ごとに、教会がどんどん大きくなりながら、福音がなくなる問題が起きたのです。また、教会が大きくなりながら、福音がなくなって、教会の権力が残るのです。その時ごとに想像もできない所で福音運動がおきたのです。そのようになれば、既存勢力は、力があるので、それを打つのです。その時ごとに“異端”という名前を付けて迫害しました。その事が教会史にずっと反復されました。それを早く見なければなりません。それが今日の本文と今まで連結します。この部分を皆様が知っていれば、牧師は何故牧会をしなければならないかということに対する答がくるはずです。これを知るようになれば、クリスチャンはどのように祝福を受けた人で、どのように信仰生活をしなければならないのかを知るようになるはずです。
 
 時代時代ごとに、教会が大きくなって、力が強くなりながら、福音がなくなりました。それでイスラエル民族が奴隷になってしまったのです。それが出エジプト記です。この民族を荒野に連れて出て、ずっと福音を説明されたのですが、それで、血の話がたくさん出てくるのです。それで、羊を殺したり、何かを殺したりするのですが、それは、福音をなくしたので、福音を説明されたのです。
 
 このようにして、やっと福音を捜し出して、祝福を受けたのです。そうしながら、また福音がなくなって、問題がきて捕虜になってしまいました。その時、また一つの種が起こるはずだ! インマヌエル! こういう話を度々して、回復されました。また解放されて来て、この人達がまた祝福を受け始めたのですが、また福音がなくなってしまいました。これがパリサイ教会です。
 
 イスラエルがまた滅びるようになりました。なんの誤ちもなく国家が滅びるのです。暗闇の勢力が覆っているのに、国の政治家は知らないのです。それで滅びるのです。政治家は、肉体的なことだけを考えて、全体的な問題は考えないのです。これでローマに植民地になってしまいました。それで、福音を説明せねばならないので、それで現れたのが初代教会です。何の話なのかご存知でしょうか?
 
 初代教会でちょっとやりすぎだと思える程に福音を強調して、回復されました。ただ信仰だけという話を使いました。ただこれだけという話は、前の人の話をつぶすことです。あなた達が話す律法、制度ではなく、ただこれだけということです。皆様には関係ないことでしょうか? すると、今、何をしているのでしょうか? 今、教会がどのようになっているでしょうか? タラッパンが何故生じたのでしょうか? すると、神様が許されたのでしょうか? 人が作ったのでしょうか?
 
 どうであれ、初代教会がものすごく祝福を受けました。ものすごく大きくなるようになったのです。どの程度祝福を受けたかというと、世界を征服する程でした。ところが、また福音がなくなったのです。それが、中世教会です。簡単に話せばカトリックです。福音がまたなくなりました。それでまた福音を捜し出したのでが、マルチン・ルター、ヨハン・カルヴィンのような人が用いられました。神様がどれくらい祝福なさったのか、米国という国を見ましょう! それで、祝福を受けた国が韓国です。
 
 2世紀を経ながら、また福音がなくなりました。米国が生まれて約200年になったのに、また福音がなくなったのです。だから、霊的問題がずっときます。それでも、ムーディー、ウエスレイ、フィニのような人を立て起こされました。もちろん困難にあいました。そのような中で、これがずっとなっているのです。これが教会史の戦いです。普通の人は、なんの話なのか分からないのです。この戦いがいままでずっとなっています。ここに従ってなにかが、歴史が変わるのです。それで言わば、教会の権力を完全にたたき壊して、プロテスタントが生まれたのですが、そこで代表される国が米国です。今までは、全世界に宣教師を一番たくさん送った国が米国です。韓国が二番目、三番目だということです。現在までも、米国が一番多いのです。
 
 ところが、この福音がますますなくなっています。何故、人間はしばしば忘れてしまうのでしょうか? 本当に異常です。私たちの頭の中には、多くの細胞があります。私たちの頭に記憶をするようにする装置があるということです。一方では、忘れてしまうようにする装置があるということですが、この二つが共に作業をするらしいのです。忘れてしまう装置より、記憶する装置が大きいならば、多くのことを記憶できます。私達が見るのには、バランスを取ることが正常で、こういう場合が非正常のようだけれど、人々はこれを見て“頭が良い”と言います。ところが、記憶する装置が弱くて、忘れてしまう装置が強ければ、これも非正常なのですが、人々はバカ、頭が悪いと言います。ところが、忘れてしまう装置がなければ、どのようになるでしょうか? そうすると、何でもみな記憶しなければなりません。頭が爆発するはずです。また、人に記憶する装置がなくなって、忘れてしまう装置だけがあれば、すっかりバカになるはずです。この二つの神経が均衡を成し遂げるのです。それで、忘れてしまうことも正常です。
 
 ところが、この頃いくつかのことを感じるのですが、私は自分が年をとったと考えませんが、人々は私をそのように考えているようです。バスである人が、私が前に立ったら、立ち上がりましたよ。私がおじいさんだと席を譲ってくれたのです。それで座ってくださいと言いました。私は、若いので大丈夫ですと言いました。それを見て、私は老いたのかと思いました。何日か前に、夜に寝る前になにかを食べたところ、辛いでしょう? と尋ねられました。それで、辛いと言わなかったら、年をとった人々は、辛いものを嫌うと言われました。それで、私がいったい何歳に見えるので、年が若くないように見えるのかと聞いたところ、47才程度に見えると言いました。だいぶ、さばをよんで見てくれたのです。どうであれ、そのような事がずっと続いています。それとともに、この頃考えてみると、誰かが名刺をくれたのに、家に帰って見たら、誰がくれたのか思い出せません。むかし、年をとった人が名刺のそばになにかをメモしているのを見て、理解することができなかったのですが、今は理解できます。この頃、理解しているのは、すこしずつそのようになっているようです。それで、ちょっと若くなるために、言語を勉強したり、運動をしたりしなければなりません。
 
 とにかく、記憶することと、忘れてしまうことの均衡がうまくいっているのです。それが、人なのですが、 皆様は、重要なことは忘れてしまってはだめです。人々とイスラエル民族が、重要なことを忘れたからです。
 
2.重要なことを忘れてはなりません。人間の霊的戦いは、どうなのかを確認しました。それなら、皆様は2番目に捕まえなければならないことは、重要なことは忘れてはならないことです。少なくとも、2つのことは忘れてはなりません。
(1)未信者は何故滅びていく状態にあるのか? 何故、滅びるのか?
(2)信者は何故祝福を受け、信者が受けた祝福は何か?
 
 この二つのことは、忘れてはなりません。ところが、時代ごとにこれを忘れて、しばしば問題がきました。この部分を深く理解するために、タラッパンには訓練が多いのです。今日、この部分を深く理解しながら答えを受けるようになるはずです。それで、私が言う話が、私たちの学生達は、勉強も多くせねばならないけれど、この二つのことを胸の中に深く入っていってこそ答えを受けるのです。それでなければ、学生達が外の風に勝つことができません。1部の時話したのですが、先進国に起きる霊的な風に勝つことができません。
 あなたがた年をちょっととっている方達は経験が多いでしょうが、学生達は経験がありません。この外側の世の中の風に勝つことができないのです。そして、霊的問題に勝つことができません。それで、2つのことをはっきりとしましょう! 未信者がサタンの手の中でどのように滅びるのか? 私達が、キリストによって受けた祝福と権威は何か? これをはっきりと知っていなければならないのです。そうならば、全てのことに勝利できます。すると、不思議に家庭と個人に答えの門が開くのを確認することができます。ここに新しくイエスを信じる人が多くいます。端的に考えないようにしましょう! “私が祈ったのに、答えがなく、何故こうなのか?” こういう気がする時があるでしょう。それが、新しく信じる人に来る考えです。必ずこの二番目のメッセージを確認しなければなりません。
 
 ぜったいに、悪魔の手の中で確かに滅びている未信者とその状態を忘れてはなりません。神様がイエス・キリストを送られた理由は、ここから私たちを解放させて、永遠な祝福を下さるために呼ばれたのです。この二つのことに根をおろさなければならないのです。すると、あなたがたは完全に勝利するようになっています。
 
 今日、ここでこれをどのようにするかに対しては、訓練もたくさん受けてみましょう。難しくないので、未信者がやられている問題を詳細に見ましょう! また、これを捕まえて祈れば、分かるようになるはずです。すると、ある日完全に分かるようになっています。私の場合には、しばしばしてみてできるようになりました。私は人を見る瞬間、この人にはこういうみことばが! と出てきます。そのようにならなければなりません。度々してみれば、ある国に行けば、この国にはこういう問題が来たなあ! と分かるようになります。まるで医者が患者が来たら、その人のどこが良くないということが見えることと同じです。40年医者をしていた人が言ってくれました。1ケ月間、この人が海外旅行をするので、自分の病院を医学博士に任せて行ったのに、1ケ月後に患者が半分に落ちていたということです。大学博士でも、してみないと診断がよくできないのです。
 
 未信者がこれで滅びるのだな! 信者はこれで祝福を受けるのだな! これをずっと探して、味わってみれば、こういうことがますます完壁に祝福で迫ってくるのです。
 
3. 救われたのにもかかわらず、残ったことはどのようにするのでしょうか? これを必ず知っていてこそ、勝利します。コルネリオが悔い改めました。どれくらい良いことでしょうか? 皆様ならば、本当に感謝だと言うでしょう。本当に神様は、今でも働かれているということなので、良いことでしょう。ペテロがその家を訪問して行ったのに、あつくもてなされました。本当に感謝して、幸運な日だと言うはずです。ところが、問題はこれを持って是非を論じたことです。教会に集まって指導者達がペテロを非難したのですが、内容が問題です。何故無割礼の者の家に入っていって食事したのか? これです。何故、異邦人の家に行って食事して、福音を伝えたのかと言ったのでした。想像もできない質問です。
 
 すると、ペテロの返事も傑作です。イエス様が異邦人に行けと言われたではないか? 私たちは、律法から解放されて、福音を悟ったのではないか? と言わなければならないのに、“だって私が行きたくて行ったのではなくて、幻の中にこういうことが見えたから行かざるをえなかった” と言ったのです。といったところ、幸いにも“すると、異邦人にも聖霊が臨むよ”となりました。この話は“韓国人にも聖霊が臨むよ”これと同じ話です。私達が考えれば笑わせる話ですが、その人々が何故そうなのでしょうか? 救われたのですが、ユダヤ人の思想などがそのまま残っていたのでした。今日必ず悟らなければなりません。
 
 今日空港から来るときに代案学校から大学に入っていった学生と少しの間会いました。大学を自分の科で首席で入学したということです。どれくらい感謝なことでしょうか? 私は、その学生が気落ちして代案学校にきていた時、相談したことを思い出します。ところが、大学に優秀な成績で入っていって、勉強をよくやっているというので、とても感謝しました。その学生に会おうと言ったら、今日来たようでした。車に乗って、少しの間来ながらそのような話をしました。“本当におかしなことだ! 両親やおかしな親戚を見れば必ずその息子が異常です。本当におかしなことだ” 私たちの親戚の中にもそのような人がいます。異常にお母さんが他の職業をやめて、どぶろくの商売をしたのです。本当におかしなことに、歳月が 10年 20年過ぎながら、その家の娘たちが酒場に皆行きました。本当におかしなことです。1戸で何故同じ病気にかかってみな死ぬのでしょうか? 本当におかしなことです。分かるではないでしょうか? 学校で習うことができることではありません。このようにその学生に話しました。
 
 ある人が“家系に流れる霊的な呪いを切れ”という本を書いたのですが、読んでみたことがあります。少し過剰に書いていることもあります。それを持ってキリスト教で話を良くできる人がじっとしているでしょうか? もちろん、その本が誤っていると是非を論じています。もちろん、攻撃されるだけの内容があります。しかし、私が見るには、無条件に攻撃するのはあまりに無責任です。正しい話も多いのです。その中に重要な話もあるのです。その人が間違っていても、正しくても、重要な部分は見なければなりません。本当に私達が福音を持った韓国教会を愛すならば、間違った部分は教えてあげて、正しい部分は採択をしなければならないのです。聖書は確かに、出エジプト20:3-5章に見れば、偶像崇拝の問題が 3-4代まで流れるとなっています。皆様が悪霊に仕えて、偶像崇拝をしたのに、子孫が捕虜になって行きます。聖書がそうです。ソロモンが何もしらずに全国に偶像を立てたのに、国が崩れました。あまりにも重要な部分です。何故このようになったのでしょうか? こういう意味で、その学生に話をしたのです。
 
 これから大学に入っていって、いのちをかけて勉強しなければなりません。私が話したことを意識しながら勉強しなさい! 異常です。勉強ができない人々には申し訳ありませんが、勉強がとてもひどくできないことも霊的問題です。だいたいの人が勉強はできないでしょうが、まずそうです。ところが、他の人が皆いく学校に行くことができないことは、より大きい霊的問題です。それで、人々が人を選ぶ時、履歴書を見るのです。皆様が学歴を見ると思っておびえないように! 通ったのか? 通っていないのか?を見るのです。それは小さなことではありません。これを誤って悟れば、必ず子孫に伝えられます。私たちはみんな一つの家族ですから、気分を悪くすることではなくて、契約であるから悟らなければならないのです。皆様の中でも、気分を悪くしないように!
 
 離婚をする人がいます。離婚する人がこういう話を聞けば、心が痛むことがあります。女の人が離婚をせねばならないと考えたなら、男の人がどんなに悪いからでしょうか? 人の気持ちをすべて知ることはできません。この男の人が、この女の人と住むことができないとしたとするなら、どんなにせっぱつまったからでしょうか? 戦って、そうしながら離婚まで行くならば、その傷はどれくらい大きいでしょうか? 私たちは、そのようなことに対して言及しようとしません。傷であるためです。しかし、私は皆様に知らせることはあります。これが簡単に終わることではないということです。皆様が必ず悟って、乗り越えなければなりません。それで霊的な状況は終わったのではありません。それが誤っていれば、相当な後遺症をもたらすことがあります。それゆえに皆様の美しい人生がほころぶことがあるのです。すでに離婚したということは、霊的問題が相当なのです。そのような人が、それゆえに自分を滅ぼされて、第2、第3の霊的問題がくることがあります。簡単な話ではありません。救われれば、残った問題を考えましょう! そして、早く解決しましょう。ところが、対策がなくて、知っていても解決策がないのです。今日、皆様は何で終われば良いのかといえば、知って終わればよいのです。“この地には霊的問題が多いな! 私もそこに困難にあった人だ”この部分だけ知っていれば、皆様が祈る中に相当なみわざが起きるはずです。
 それで、私は代案学校の子供達に会えば、聞くことを嫌うけれど、そのような話をします。父母は誤解しないように願いながら“あなたの父、母が歩いていった道を歩かないで!”両親は気分が悪くするか分からないのですが、私の信仰良心上、最も早い道です。もちろん、そのような話は静かにこっそりします。それは、霊的戦いで勝たなければならないということです。率直に言うと、父母には冒とくです。しかし、そのように見ず、霊的なことを見ましょう! 今日のこの本文は、そのまま終わる部分ではありません。皆様の背景、問題などを早くキャッチ(catch)しましょう! すると、私たちの誤った過去はどうなのでしょうか? そのような水準ではありません。本当におかしな夫に会って苦労を重ねて、やむを得ず別れたのです。これをどのようにするでしょうか? そのような霊的な問題に二度とやられるなということです。皆様が悟って、この部分は勝利せねばならない! こういうことを悟りましょうということです。皆様が貧しい家に生まれて、とても苦労を多くしたとするなら、それは止むを得ないことです。これは、両親を恨むことでもなくて、そこに陥ってもなりません。皆様はこの問題を知って、解決策を見出さなければならないのです。
 
 なんの話なのか分かるでしょうか? この人達が幸いに“かまわない”と結論を下しました。しかしこの人たちの頭に入っていた考えは変わらなかったのです。次にどのようなことがおきたでしょうか? 神様がパウロという人物を呼ばれたのです。パウロが完全に悟ったのです。何故でしょうか? 違ったことはちりあくただと言いました。ここで神様はアンテオケ教会を用いられました。
 
 皆様も同じで、私もそうです。私にも家庭があります。私は家庭を理解します。父の家庭の偶像崇拝を知っていて、その人の成功、失敗を知っています。それで、神様が私を呼ばれた理由も理解しています。あなたがたの中で、男の人で特に職業がなくさまようならば、普通の霊的問題ではありません。皆様が今日、悟らなければなりません。そうしてこそ、その問題が違った人に影響が行かないのです。人が生きれば、家庭で戦いが起こることがあります。ありえることながら、普通の霊的問題ではありません。こういう問題を知って祈るということは、とても重要なことです。すると、あらゆる分野にみな適用させることができるのです。今日、この3つのことは、あらゆる分野にみな適用できます。結局、何故地球上に問題がきたのでしょうか? すると、いつ祝福を受けるのでしょうか? 結局は宗教と福音の戦いです。
 
 すると、人間は何故これを度々なくすのでしょうか? 皆様が今、早く福音の根をおろさなければなりません。それで、私が福音を悟って決断したことがあります。「信徒がみな離れても良い! 講壇から福音を反復してずっと話さねばならない。イエス・キリストをずっと話さねばならない。」すると、この人達が退屈だとみな逃げるはずです。それで、創世記から黙示録まで他の話すようにしながら、福音の話をするのです。頭が良い人は感づいて、何故しばしば同じ話をするのかと行ってしまった人もあります。私たちの学生達が絶対に福音のひもを放さないように。それで、祈るなかで各種のプログラムを作り出したのです。合宿、チーム合宿、ミッションホーム、神学院、訓練院、こういうことをどんどん作りました。ひとつを置いてずっと根をおろすのです。すると、こういう過程をたどった学生は、無条件に勝利します。私が2番目にした話をわからなければなりません。
 人々が何故しばしばだまされるのでしょうか? それで、皆様も皆様ですが、より重要なのは次の世代です。私たちの次の世代が外で絶対に滅びないように根をおろさなければならないのです。私たちの次の世代が未信者の滅びる状態、理由、信者の祝福、理由を知ることができるようにしなければなりません。ところが、最後に重要なことは残った問題です。皆様が幼い時から残った問題ですが、これが簡単になくなるでしょうか? 私は夢を見れば、インマヌエルの夢を見ません。幼い時に遠足に行った夢を見て、幼い時の村の子供達と通った時の夢を見ます。これは無視できないことです。30-40年偶像崇拝して福音を受けたのに、残った問題が問題になります。この部分を悟りさえすれば、皆様は答えを受けるのです。私の話が分からなければなりません。すると、皆様が応用できるのです。
 
 私が知っているムダン(霊媒師)が信者になったのに、本当によく信じました。ところが、ある日異常になったのです。当然のことです。その人が40何年、偶像崇拝しながら苦労をしたので、その人がイエスを信じてたら、どれくらい良いでしょうか? ところが、この人が実際には自分の考えや潜在意識の中にこれが残っているのです。それが分かるならば、この人達をどのように手助けしなければならないでしょうか? あなたがたが、ここであらゆる部分をみな応用できます。
 
 私は幼い時、貧しい時期を過ごしたゆえに、貧しいことをたくさん見ました。私は幼い時、あまりに人々が仕事をしないのをたくさん見ました。男の人が無気力なのをたくさん見たのです。イエスを信じながら、その部分を置いて祈りました。これが神様の答えになりました。ところが、これをあなたがたが契約でよく捕まえる時、ものすごく重要な部分になるのです。
 
 ここにいる学生達も、皆様がそのまま信仰生活をしてはなりません。今、私たちの先祖が偶像崇拝して、失敗したのに、私たちもそのようにしては良いでしょうか? 福音もなく勉強して、就職して生きていて、どれくらい困難にあったでしょうか? このままだまされていて良いでしょうか? そのように見るべきです。これを悟りさえすれば、神様が答えられます。実際に悟りさえすれば、開けてくださっていることが見えます。悟ることができなければ見えないのです。すると、皆様の人生はまちがいなく栄光を帰す人生になるのです。 皆様が過去のあったことに気落ちしないで。それが失敗の道です。皆様が過去にあった弱点で気落ちしないで、かと言って欺くことも出来ません。知って祈ればよいのです。ここで多くの答が出てきます。イスラエル民族が非常に特殊な民族なのに、それを持って出てくるのです。福音を悟ったのにも、そうです。
 私が信仰生活をしてきて1年、2年過ぎた頃です。すると、たくさん習った人が福音を受けたのです。また、無知な人が福音を受けたのです。そのようなことがありました。ところが、問題が現れる時が来るのです。習った人は習ったそのまま問題をあらわし、習うことができなかった人は習うことができなかった、そのままにします。これが無視できないことなのです。ところが、私たちは“残ったこと”この部分を悟らなければならないのです。この部分がまさに皆様が祝福を受ける、勝利する、祈らなければならない部分です。私たちの学生達がわかるでしょうか? 学生達が悟らなければなりません。それでこそ、ここに座っている理由が分かるようになることで、未来を見ることができるのです。皆様が福音を知って、子供達を育てるようになったということは、あまりにも幸いなことです。今日、皆様が初代教会、アンテオケ教会が受けた祝福を必ず受けるようにイエスの御名でお祈りします。
 
<<契約の祈り>> 神様に感謝申し上げます。今日、重要な悟りを持つ時間になるようにさせてください。霊的に目を覚ます時間になるようにさせてください。それで、私たちの人生を新しく始める時間になるようにさせてください。真の知恵を得る時間になるようにさせてください。残っている時に、主に栄光を帰すだけでなく、神様の恵みを受ける大きい時間になるようにさせてください。過去に持った傷やあらゆる問題は、全部、恵みに変わるようにさせてください。これから霊的な問題にはまり込まないように、神様が私たちを守り導いてください。イエス・キリストのお名前でお祈りします。-アーメン-