2002年 6月 23日 インマヌエル教会聖日メッセージ


1部/ 信仰がないのは、どうしたことです
(マルコ4:33〜41)
 
 
   
 
・イエス様が‘信仰がないのは、どうしたことです’と言われました。ソンヒョン教会のパク・チオン先生が、こういうことをおっしゃられました。あまりに病気になって痛くて死にそうになったので、祈りも出てこなかったそうです。すこしは自分の意志があってこそ祈るので、あまりに痛くて死にそうなので、祈りも出てこず、じっとしていたそうです。たぶんそうでしょう。
 
・私たちの指揮をしているユン・テウン執事のお父様のユン先生が、こういうことをおっしゃいました。胆石になって、あまりに痛くて信仰を考えることもできなくて、痛いことしか考えられなかったということでした。正しい話でしょう。
・今日、私達が本文を見る時、弟子が間違っていることを話したのではありません。嵐がきて、波が一度に寄せ付けるので、恐れたのでした。イエスさまが嵐を静められて‘信仰がないのは、どうしたことです’とおっしゃられました。信仰生活をしながら、こういうことは私たちには、とても難しい部分です。私と皆様は、信仰はあるけれど、実際に揺れる時が多くあります。すこし私達が用心せねばならないことがあるのです。
 
・私達は、可能ならば、社会生活しながら、合理的で理性的で科学的にしなければなりません。私は、合理的でない頭で成功する人を見たことがありません。とても合理的で客観的であるべきです。そうでなくては、大きな事を正確にできなくて、大きい答えを受けても維持することができないでしょう。それは、本当に間違いないことだと思います。しかし、私達がこの部分で用心すべきことがあります。私も知らない間に信仰と反対になり、信仰が落ちることがあるのです。
・昨日、指揮者ユン・テウン執事と話しながら、そのようなことを話しました。米国に行けば、一つだけ用心しなさい。自分自身も知らない間に、アメリカ化なるのですが信仰が落ちることがあります。私が見る時、執事夫婦は大丈夫でしょうが、子供達がそのようになることがあるのです。そのような部分は、ものすごく注意しなければなりません。皆様が信仰生活をしながら、そのような部分はよく考えるべきです。合理的で... そのような考えはみな正しいのです。しかし、万が一下手すると、私たちも知らない間に信仰が少しずつ少しずつ落ちるのです。私たちも知らない間に、神様がなさる重要な働きを見ることができないのです。それで、この部分をあなたがたは知恵があるように、よく考えなければならないのです。あらゆる判断は、合理的で客観的に、実際的にすべきですが、私たちは常に神様の前に立つ信仰がなければならないのです。それが簡単に終わることではなくて、深刻な結果をもたらすためです。
 
・私は正しい教育を受けて、両親によく習ったのですが、信仰がなくて、世の中に行った時、世の中に勝つことができなかったのです。実際に信仰がないということは、深刻な結果をずっともたらします。私達が生きていく中に、私たちの学生達やおとなが、本当に信仰生活を正しくする人一名だけ見ても、相当な信仰が生じるのです。それで子供達のことを祈る時、そのように祈ります。この子供達が行く道に、本当に信仰を正しく持った、影響力がある正しい人に会うようにさせてくださいとお祈りするのです。
 
・私が信仰がなくて多くさまよいました。これは批判でもなくて、うそでもなくて、率直な話です。私が幼い時から、信徒を通じて信仰を学ぶことができなかったのです。私の判断は不信仰者と全く同じで、不信仰者より水準がすこし低いと判断しました。仮りに私たちの子供達が、そのように判断したら、この子供たちは堕落します。私はそのように学びました。それで、牧師、長老、役員、執事達が重要だということです。
・私は、実際に教会に通いながら信仰を学ぶことができませんでした。もっと正確に話せば、教会に通うと信仰がより一層落ちました。止むを得ない現実です。これでは、世界征服をできません。皆様がこの一つだけ悟っても、信仰生活を正しくすることができます。
 
・私は、多くの役員の人々と対話してみれば、本当に信仰が落ちます。私は幼い時から教会に通ったゆえに、役員会のようなものをしたら、本当に信仰がみな落ちました。‘それをせねばならないか、あるいは、それが違っている’ということではありません。私は‘これをせねばならないか、してはならないか’というくらい合理性がない者ではありません。そんなに私の頭は、民主化されていない頭ではありません。あまりにも信仰がない人々が、あまりにも信仰がない実を結ぶために、これが次の世代におよぼす影響が深刻化するのです。それをよく知らずにいるのです。それで、子供達が自分も知らない間に、不信仰がどんどん入り込むのです。
 
・幸いに、外国人が書いた本を何冊か読むようになりました。本を読みながら、信仰が生じたのです。私の心に神様がいらっしゃるという気がしたのです。すると、祈れば良いという気がしました。もちろん、若い時、とてもさまよった時でした。信仰を持って手助けすることがどれくらい重要か分かりません。あなたがたが、信仰生活をするなかで、皆様の子供たちにみな影響が行くのですが、止むを得ないことながら、相当な影響が及ぼされます。
・それで、私が現場をすこし回っていて、信仰がちょっとある方達を見たのですが、どれくらい大きい力になっているか分かりません。皆様、そのような体験をしてみることができなかったのでしょうか。私が本物の信仰を持った人を見ながら、どれくらい大きい力を得たか分かりません。もちろん、その方達は教役者ではなくて、一般信者でした。私が見て、相当な大きい力を得ました。
・本当に、私達が反対に神様がいないという気がすれば、どのようになるでしょうか。私が神様が信じられない時は、どのようになるでしょうか。
 
・今日、イエス様が言われた‘信仰がないのは、どうしたことですか’というみことばの骨子は、私が言っている意味ではありません。今日の本文に、私達が必ず悟っていなければならない骨子は何でしょうか。
 
・イエス様が船に乗っておられるのに、イエス様とともにいた弟子の話です。イエス様はだれでしょうか? 神様が、この地にキリストを送るようにされたのですが、まさにその方であるということです。その方とともに船に乗って行くのに恐れるので、信仰がないのはどうしてしてなのかと言われたのです。今日、こういう部分は、ものすごく重要な部分です。簡単に話せば、今日の本文は、救われた人の救われた信仰です。これがものすごく重要で、必要な信仰です。
 
・皆様、新約聖書を読む時ごとに、ものすごく悟らねばならない部分が ‘イエス様が誰なのか?’ですが、そこに対する説明です。どうして、弟子達が神様の子であり、またキリストである方である方であることが確かならば、その方とともにいるのに、暴風を恐れるのでしょうか!今日、本当に私達が契約を捕まえねばならない部分は、イエスがキリストであることが確かならば、キリストを信じる私達がどうして恐れるのだろうかということです。イエス・キリストの名前で、すべての問題が解決したとするなら、私達どうして、信仰がないことがあるのでしょうか。そのような本文のみことばです。
 
・キリストとともにいたのです。すると、心配する必要がないのです。どんな問題がきてもかまわないのです。それで、イエス様がおっしゃったのが‘信仰がないのは、どうしたことですか’36節から見ると‘そこで弟子たちは、群衆をあとに残し、舟に乗っておられるままで、イエスをお連れした。他の舟もイエスについて行った。 すると、激しい突風が起こり、舟は波をかぶって水でいっぱいになった。’とされています。今日の37節を見ると、‘激しい突風’と言われています。
 
・38節から‘ところがイエスだけは、とものほうで、枕をして眠っておられた。弟子たちはイエスを起こして言った。「先生。私たちがおぼれて死にそうでも、何とも思われないのですか。」イエスは起き上がって、風をしかりつけ、湖に「黙れ、静まれ。」と言われた。すると風はやみ、大なぎになった。イエスは彼らに言われた。「どうしてそんなにこわがるのです。信仰がないのは、どうしたことです。」彼らは大きな恐怖に包まれて、互いに言った、「風や湖までが言うことをきくとは、いったいこの方はどういう方なのだろう。」 ’
 
・今日、ここであなたがたが捕まえるべき重要な答はすべて出てきました。今日、あなたがた個人が、解決せねばならない問題の答がみな出てきたのです。風もやませ、海も静められたということは、まさにこの方が神様の息子で、神様であるということです。その方が、人のからだを着て、この地へいらっしゃったということです。それならば、私たち、あらゆるクリスチャンは、不信仰になる必要がありません。
 
・私は12坪の教会から始まって、今まで来ました。私がすることは、ひとつしかありません。ずっと不信仰だけが聞こえてくるのです。‘先生。これはできます’という内容よりは、ずっと不信仰だけです。もちろん、みな正しい話です。しかし、今になってみたら、みな違った話だという結果が出ているではないでしょうか。ところが、私はその不信仰に勝つために苦闘したのが、私のした第一でした。私がタラッパン、世界の福音化をするとあちこち回りながら、ずっと私をついて攻撃してきたことに結論を出したのは、不信仰でした。しばしば不信仰で、足手まといになるのでした。ちょっと勇気がある人は、喉までつかみ、後ろから引っ張りました。全部正しい話のようにしては、しばしば引っ張ります。それに陥れば、出てくることも難しいのです。何故でしょうか?肯定して認めなければならないからということです。共に生きなければならず、対話をせねばならないから難しいのです。そして、それを認めて理解して手助けしながら、不信仰に陥らないで行くということは、普通の難しさではありません。私たちクリスチャンは、結局はひとつだけ悟れば良いのです。
・私はある日、むかしに共に信仰生活をした執事に会いました。この方は、非常に計算が正確で、長い間、教会で会計執事をしていました。私がいた時も、会計執事で、少し前に会った時も会計執事でした。今は按手執事になって、会計執事をしています。その方を見て話しました。‘本当にご苦労が多いでしょう。すでにあなたと会って30年を越えているのに、まだ会計執事をしているので’と言いました。‘主の恵みでしている’と言いました。その方を見て笑いながらこう話しました。30年間、お金の計算をしたから、どれくらい苦労が多いでしょうか。教会は常にお金が足りません。いつでも教会は常に不足して、残る時がありません。それで“足りない.. 足りない....”と言えば、何にもできなくて足りません。足りないのに、何とか信仰でしようとすれば、多くした後にすこし足りないのです。正常な教会はいつでも足りなくなっています。することは多くて、私たちはすることが多くても、私たちは能力がないから、いつでも足りないのではないでしょうか。しかし、一生過ごしたり、一年を過ごしたら、そうではありません。笑いながらその方が分かったようでした。それ以上、色々な話をすることはありませんでした。
・この信仰ということは、ある面では本当に非合理的です。それで一番注意せねばならない人は、学校に通いながら、本当に勉強が良くできる人がいますが、彼らはなにかよく神様のみことばを信じることができません。ところが、ユダヤ人、イスラエルの人々が戦った内容は何か知っていますか。初代教会で激しい戦いをしたのですが、イエスがキリストということとは違う戦いがあったのです。初代教会とパリサイ人達が絶対に対話できなかったのですが、できなかった対話の内容がひとつありました。
・その主張を見れば、パリサイ人の主張がはるかに正しかったのです。何の主張かというと、パリサイ人たちは、幼い時からみことばを徹底して教えられて来ました。子供の時からみことばを学んで、祈って、そのようにしておとなになったのです。ある日、教会が現れたのですが、それが彼らには必要ないことだったのです。何故必要ないかというと、信仰で救われると言うのです。どんな信仰で救われるのか。イエスを信じれば救われる。話にもならないことです。狂った人達が現れた。国が滅ぼす人々だということです。話ができません。トーラー、シェマ...みな無視して、信じれば良い? それで起きた戦いです。初代教会はそれではありません。‘イエスを信じれば救われる。他の名前で救われる名前を下さったことがない’パリサイ人の立場では、話にもならない話を続けるのです。‘ただ信仰によって生きる。律法で生きるのではなく、信仰で生きる’として戦いになりました。その戦いが終わるはずがありません。結果が答を出すのです。ユダヤ人達はみな滅びて、教会は生きています。これがどれくらい難しいことでしょうか。説明するのは難しいのです。パリサイ人の考えと生き方が間違っているということではありません。あなたがたがなんの話なのか、早く悟らなければなりません。
・今日の本文のみことばは、私たちが人生を歩んでいると暴風に会うのに、知識でできるでしょうか。私達が知識でせねばならないことがあるけれど、突風の中で本当にどのように私達が生きることができるでしょうか。しかし、その船にはイエス・キリストが乗っていらっしゃったのです。イエス様は、波も静められ、突風も静められたということです。皆様が、人生を行く道に起きるあらゆる突風と嵐を、主は解決なさることができます。その信仰をいうことであって、なんにもしないということではありません。
 
・パリサイ人達が誤解をしたのです。私達が人生を生きている途中で、本当に死が迫るのに、律法で解決することはできません。その話であって、なんの法則も守るなということではありません。‘信仰がないのは、どうしたことです。’もっと正確に解釈するならば ‘どうして、わたしが誰なのかを知らないのですか’ 今日、このみことばを聞いて、簡単に解きあかすならば、‘キリストを神様が送られたのですが、どうして知らないのか。キリストとともにこの船に乗っているのに、どうして突風を恐れるのか。’そのような質問です。
 
・今日、あなたがたがこの本文をよく理解すれば、驚くべきいやしのみわざが起きるはずです。今日、あなたがたに真の霊的問題が解決にする貴重な祝福の日になることを願います。今日、あなたがたがこのみことばを受けながら、常に記憶せねばならないことがあります。今日、あなたがたが本当に信仰を回復すべきです。
 
・イエス・キリストを通して、神様は私たちを救われたのですが、神様の力は、創造主の神様です。その神様は、いのちの光を照らした方であるから、できないことがありません。私は反対に、一度考えてみました。もしタラッパンに財閥が皆出てきたら、どのようになったでしょうか。もし私たちの教会に、むかしに財閥が列をなしたならば、どうなっていたでしょうか。果して私が福音を伝えることができるでしょうか。神様は、あまりにもよくご存知なのです。あまりにも難しい地域で足りなくさせて置いて、神様は福音を伝えるように引き上げられたのです。だから、信仰がなくて、霊の目がなければ、この過程を生きていくことができないと言うことです。
・仮りに神様が荒野を行く民に、金、銀、多くのことを与えれば、彼らがカナンに入って行くことができるでしょうか。神様はなんにもなくさせて、連れていかれたのです。それが神様の方法です。だから、愚かな者たちが水がなければ水がない、腹がへれば腹がへると言ったのです。私たちは神様の力を本当に信じなければなりません。私達が仕事を、事件を解決するのに、信仰がなければ大変な事になるのです。すると、なんでもないことのようですが、信仰の結果はものすごいのです。
・神様がアブラハムを見て話されました。‘あなたは、父の家、あなたの故郷を捨てて離れなさい。’この話をアブラハムがよく悟ることができませんでした。あなたによって新しい民族を成し遂げ、大きい民族を成し遂げ、大きな事を成し遂げると言われたのに、アブラハムが分からなかったのです。それで息子はいないから、おいロトを連れて出ました。ところが、歳月がたくさん過ぎて、これが災いの元になりました。不信仰は、そのようなことです。なんでもないことのようですが、ものすごく大きいのです。
・ところが、神様がアブラハムに言われたのは‘あなたに息子を与える。天の星、地の砂のように、あなたに子孫を与える’それでも、それが信じられるでしょうか。どれ程信じられないみことばだったかというと、アブラハムの妻はおばあさんです。ここに75才になった方は、いらっしゃるでしょうか。アブラハムの夫人の年齢が75才です。ところが、息子を与えると言われました。アブラハムが、これが事実だったのですが、神様が信じられなかったのです。話にもならないことです。
・それで、アブラハムは自分で解釈したのです。‘私に息子を下さいますのはくださるはずだ。’このようにして得た女の人がハガルです。それで、ハガルを通して産まれた子供がイシュマエルです。そのようなことがあるでしょう。その時、多くの女の人がいて、一夫多妻であった時代なので、そのように神様がなさるでしょう。その話ではありません。アブラハムは、根本的に神様を信じなかったのです。どのように息子を下さるでしょうか。救われた神様は信じるけれど、どのように実際に私に働かれることができるだろうか。それで産まれた息子がイシュマエルで、今現在、クリスチャンの胸に銃を当てているイスラムがまさにイシュマエルの子孫です。本当に驚くべきことです。今でもイスラエルと戦っているその団体です。本当に驚くべき結果が出てきました。皆様が信仰を回復なさらなければなりません。
 
・少なくとも、私たちは信仰生活をするなかで、頭があまりに非事実的であってはなりません。私たちの頭があまりに非合理的で良いでしょうか。しかし、私たちはいつもそれを持って神様の御前に立つことができなければならないのです。
・今日、あなたがたがどのようにこの信仰生活を正しくできるでしょうか。皆様に問題や危機がきたら、それを見ることができる目がなければならないのです。生きておられる力の神様が福音を伝えるのに、何故この問題が生まれたのか。その目で見なければならないのです。すると結果は変わるはずです。皆様に益になることも、損になることもあります。その時、何故神様が事をこのようになさったのだろうか。その時、結果は変わります。
・私は一時、こういう考えもしてみました。私たちタラッパンに数多くの人材と、ものすごい教会が早く起きて復興になればどうだろうか。それは私の考えです。すると、簡単な答が出てきます。そのようになれば、タラッパンは福音を伝えることもしなくて、他の道で行くようになるはずです。それが簡単なのに、私たちは事件を見る目があまりにもありません。今日、あなたがたは事件を見る目と人を見る目がなければなりません。あなたがたが信仰のなかで、神様の御前で見なければならないのです。
 
・どのようにすれば、信仰生活を正しくできるのでしょうか。あなたがたが、重要な単語一つだけを捕まえれば良いのです。神様は創造主なる神様であることが明らかなので、私がその神様とどのようにすれば一緒になるでしょうか。その道がキリストだということです。皆様に起きる霊的な問題、多くの問題があります。 それで、最も重要なのが何でしょうか。キリストという単語で見るのです。
 
・そして、あなたがたは、危機に会う時ごとに揺れるしかないでしょう。普段にあなたがたが本当に信仰を育てることが本当に重要なのです。
 
・今、サッカーゆえに全世界が大騷ぎになっています。昨日も見ると、上がることができなかったのに4強に入りました。それでいっそのこと 6月 25日を公休日にして、ドイツと韓国が準決勝を戦います。するとドイツに勝って、ブラジルと決勝をするようになることができるのです。もし失敗してブラジルに勝つことがあるかもしれません。私は見ながら、色々な考えを多くしてみます。
・今、ヒディング監督ゆえに大騷ぎになっています。それで韓国に“ヒ”氏という名字も作ったり、ヒディングを韓国人にしようということです。そして、この方を韓国大統領にしようという話も出て来ています。気を引き締めて、そのような必要はありません。私はそのように見ません。2つのことを見ました。
・いままで韓国はどのようにしたのかというと、監督は外に立たせておいて、役員が集まって選手を決定していたのです。ヒディングが来て本人が選手決定を勝手にしたのです。当然のことです。当然おとな達が悟らなければなりません。そして、この人は韓国語がわからないから、世論を聞くことが出来ません。あまりにも大きい幸いです。押し進めたのです。なにかを暗示するところがないでしょうか。なにかが、このサッカーが私たち韓国に対して話になるのではないでしょうか。監督を外に立てておいて、おじいさんが集まって選手を選ぶことが話が道理に合う国でしょうか。
・あの外地に出ていて、韓国がサッカーで敗れたと監督がくることもしなかったのに、役員が集まってコーチをやめさせたのですが、話になるでしょうか。たくさん考えなければなりません。ヒディングを大統領にさせるのではなくて、私達がたくさん考えるべきです。もちろん、その方がしたことがひとつあります。私が見る時は、ひとつしかありません。選手達の力を育てたのです。それで、韓国人が元来持っていた気質がそとに出たのです。
・元々、粉トウガラシを食べている韓国の人々の特性は、たいしたものです。今、私たち韓国の指導者と韓国の人々が、本当に韓国人をよく知らないようです。私たち韓国の子供達、レムナントが大きくなれば、偉くなりました。この子供達が悪魔のさまたげで福音が入っていくことができなかったのですが、福音だけ入っていけば違うのです。そして、韓国は世界の福音化をする国です。伝道者が韓国にたくさんひそんでいるという事実を知るべきです。人々がなにかを知らないにしても、あまりに知らないのです。今、韓国が単なる国ではありません。外国人を知らないのでしょうか。
 
・英国人と食事をするのに、箸を持って食べないでじっとしていたのですよ。食べてくださいと言うと、この人がやっと箸を持っていたのに、食べずにいました。なにを食べるかと思うのです。ところが、韓国の食べ物は、ほとんど粉トウガラシが入っています。この友人がそれを入っていないものを探すのに、あらゆる食べ物に入っていたのです。それで、この方が “danger..danger"と言いましたが、危険だということです。 食べなさいと言っても、食べることができないのでした。私たち韓国の人々が、唐辛子を唐辛子みそに味つけて食べる人々です。普通の民族ではありません。いままで非常に指導層が目を開けることができなかったのですが、開けて見れば相当なのです。今、私たち韓国のレムナント達が育って進めば、相当になります。それでも理解ができませんか。
・米国、ヨーロッパは、韓国をあざ笑うのですが、私たち韓国は油一粒もない国です。韓国の土地が米国の 1/50にもなりません。私たちの土地が少しだけより広くても大きな事をするはずです。資源が全くありません。ところが、私たちは世界10位の中に入っていくのです。どのように、泥棒があふれ出るこの時に、IMFを越えて滅びないのでしょうか。私はその理由を知っています。あなたがたはあざ笑って、多くの政治家たちはあざ笑うでしょうが、私はその理由を知っているのです。国家的に話せば、キリストを真っすぐに説明できる国が韓国だということです。日本の人々が聞けば、気分が悪いでしょうが、そうです。この話をしたところ、日本の牧師が‘かまいません’と言いました。
・今この船に誰が乗っているのでしょうか。どうしてあなたがたが疑うのでしょうか。いったい弟子と船に乗っているこの方は、誰でしょうか。私たち教会が叫んで行く理由が何でしょうか。今、タラッパンが叫ぶ主題は何でしょうか。イエスがキリストだということです。キリストがまさにイエスだということです。船に乗っているこの方です。嵐に遭ったらどうなのでしょうか。突風が吹いてもかまわないということです。‘なたがたは、どうしてして疑うのですか’この話をなさって、海と風を静められました。それを見た弟子が ‘風や湖までが言うことをきくとは、いったいこの方はどういう方なのだろう。’と言いました。その部分が結論をみなだしたのです。よく知らなかったのです。
・私たちクリスチャンの失敗は何でしょうか。キリストをよく知らないことにあります。神学者の失敗がまさにキリストをよく知らないことにあります。イエス様とともに通う弟子達が述べた言葉が、‘この方はだれなので、風が静まるのか’と言ったのです。難しく信仰生活せずに、早く悟りましょう。
 
・皆様の問題を、皆様は解決出来ないでしょう。それで神様がキリストを送られたのです。皆様がどんなに大きいことを言っても霊的問題は解決できません。それで、神様がキリストを送られたのです。信仰生活を長くした方と神学者もたくさんいますが、どんなに苦闘しても、人間では限界があります。それで、神様はキリストを送ってくださったということです。この主人公が船に乗っていらっしゃいました。イエス様は、既に皆知っておやすみになっていらっしゃったのです。弟子達が目をさまさせながら、‘今、私達が死ぬようになったのに、どうしておやすみになっていらっしゃるのですか。’と言いました。イエス様が突風を静められて、‘信仰がないのはどうしたことですか’と言われました。重要な質問です。‘人々がわたしを誰だと言いますか。’イエス様は重要な質問を多くされました。‘あなたがたは、わたしを誰だと言いますか。’
 
・イエス様が称賛なさったこともあります。盲人がきて ‘ダビデの子孫、イエスよ。私をあわれんでください。’今、知識人のパリサイ人がわかることができない話をこの盲人が‘ダビデの子孫、イエスよ私をあわれんでください’と話したのでした。知っていたのです。イエス様が歩みを止められました。‘わたしに何をして欲しいのか’‘目が見えるようになることです’‘あなたの信仰の通りになるように’キリスト、王であるイエスが‘あなたの信仰の通りになるように’
 
・百人隊長が来ました。この人の信仰を見ましょう。あなたがたが持たなければならない信仰です。‘私達が無条件に信じます!’ということではありません。何もせずに‘信じます!’と叫ぶ必要はありません。そのようなことではありません。‘私のしもべが病気です。直してください’‘行きましょう。あなたの家に行って、あなたの召使いを直そう’その時、百人隊長がこう話しました。‘主がいらっしゃる必要はありません。私の下にも部下 100人がいます。私が命令をすれば、自分の命令通りにします。同じように、主がみことばだけ下さい’イエス様がはっと驚かれたのです。‘イスラエルでこのような信仰を見たことはない’イエス様が、みことばをされれば良いという事実を百人隊長は知っていたのです。‘あなたの信仰の通りになるように’聖書は‘その時から召使いがいやされた’としています。驚くべきことです。
・らい病の人が、イエスの所に来ました。主が願われるならば、私をいやすことができます。よくなる、よくならないは、問題ではありません。この人が、イエス様をわかったのでした。‘主が願われるならば、私をいやすことができます’イエス様が‘あなたの信仰の通りになるように’今日、あなたがたが、みことばを見ながら、重要な部分を悟るべきです。
 
・どんな信仰を言うのでしょうか。イエス様が話された‘信仰がないのはどうしたのですか’ということは、単純に信仰が良い、悪い...ということではありません。大きく話せば、神様が人生の問題解決のためにキリストを送られたのです。ところが、何故信じないのか。また狭く話せば、私たちに話されているのです。すべての問題の解決者であるキリストが、私たちとともにいらっしゃる。ところが、何故私達が知らないかということです。今日、本当にこの契約を捕まえてくださるように願います。
 
・すると、どんな結果がくるのでしょうか。重要な答えいくつかがきます。皆様と皆様の息子、娘達にある霊的問題は完全に崩れるようになるのです。まちがいなく約束します。皆様が今日、キリストをわかる瞬間、キリストがともにおられるということがわかる瞬間に、皆様と皆様の子供にある霊的問題は、完全に崩れるようになります。そして、教会は、世界の福音化をする驚くべき門が開くのです。
 
・私たちタラッパンと私たちの教会に参加して、福音を伝えながら多くの困難を受けている方達、心配しないで待つように願います。多くの方達が、あなたがたを非難することもあるでしょうが、心配しないで待つように願います。まちがいなく、驚くべき結果がもたらされるようになるはずです。
・イエス様がこうおっしゃられました。‘わたしを誰だと言うのですか’これをおっしゃる前には、重要なことは語られませんでした。その時、ペテロが‘主は生ける神の御子キリストです’と言いました。このペテロがわかったのです。その時から、イエス様は重要なメッセージを与え、重要なことを行われたという事実です。今日、あなたがたが本当に信仰を回復する重要な日になるように願います。霊的な力がなければなりません。
・ワールドカップで、残りの選手が残った試合をどのようにするか、力をどのように回復するかが鍵です。 あまり最善を尽くして走ったゆえに、力がみななくなっています。ところが、鍵はその間に力をどのように回復するかです。
・霊的な力も同じです。私達が最高の霊的な力を持っていてこそ、霊的に戦うことができるのです。それで、イエス様がいらっしゃって、イエス様がともにいらっしゃると言われたのです。今日、メッセージを聞くあらゆる世界の人々が、霊的問題が解決にする祝福の日になることを主の名前でお祈りします。皆様の事業、家庭のあらゆる突風が静まる祝福があることをイエスの名前でお祈りします。
 
<<契約の祈り>>
神様に感謝申し上げます。信仰を回復させてください。私たちの周囲には、実際に信仰を落とすことがあまりにも多いのです。私たち自身にあまりにもたくさんあります。私達がだまされないように、キリストと共にする驚くべき秘密を味わうようにさせてください。今、この時間から霊的なすべての問題が崩れる時間になるように助けてください。証拠をくださることを信じます。福音を妨げる制度、人、考えを主が縛ってください。それで全地に福音が宣べ伝えられる神様のみわざが起きるようにさせてください。今日、この席に貴重な方達が参加しました。また、100箇所あまりで衛星で礼拝しています。全世界の私たちのレムナントと重要な神様の人々が、衛星でみことばを聞いています。インターネットでみことばを聞いています。風を静められた主イエスが働いてください。暴風を静められた主が、その方に働いてください。それで、私たちの教会が生きた福音を伝える新しい力を得る日になるようにさせてください。私たちの主イエス・キリストの御名でお祈りします。アーメン
 


2部/ 私の未来はどのようになるのか?
(使徒18:1〜4)
 
 
・ある公務員の中でものすごく高い地位についていた方の家に、突然に事件が起きました。突然に、息子が怖いと言いながら、学校も行かなくなったのです。この方が、子供を連れて病院に行ったところ、精神病院に入院させろと言われました。ところが、この息子を入院させておいて出勤したのですが、この方はものすごく賢い地位の高い方なので、名前は話すことができないのですが、「どうすれば良いのか?」と思ったのでした。
 
・本当に幸いなことに、その下に報告しようと行く人がいたのですが、この人は私たちのメンバーではないのですが、テープを聞いたことがある人でした。この人がテープを一度聞いてみてくださいと渡したのでした。職場の高級公務員が、そのテープを聞く時間があるでしょうか? それでもタイトルを見たのです。その方の表現で、タイトルを見たとたんに手が震えたということでした。自分の息子の問題と全く一緒だったのです。この方は、ご飯も食べずに聞いたのでした。
・そうしてから、ご飯を食べ終わってから、その人を呼んでたずねたのです。‘この人は誰で、どんなテープであり、どこからこのテープを手に入れたのか?’結局、この人の息子が福音を受けてイエスを受け入れたのです。ところが、私の経験では、精神的に問題がきた時、3日のうちにキリストに会えば、すぐにいやされるのです。ほとんど10年20年長引いていたらだめですが、すぐに福音を聞けば、すぐいやされるのです。
・この息子がイエス様の話を聞いて福音を受け入れたら、すぐにいやされました。とにかく怖いと言った子供が、もと通りいやされたのでした。だから、この公務員が福音に対していろいろと考えるようになったのです。そして、その次の週に教会に登録をしました。今日、ク・スンエ伝道師が米国へ行くようになるのですが、学校で育てるために教授要員として派遣します。ここには事業する人もいて、教授も、学生もいます。私は皆様に話したいことがあって、ク・スンエ伝道師に話したいことがあります。真の福音を知っていれば、事業や政治、全てのことに成功できます。真の福音を知っていれば、すべての分野で成功できるのです。
 
・昨日は、米国へ行こうとしている釜山インマヌエル教会の指揮をしているユン・テウン執事と相談をしました。その人が話が終わって言うことがありました。‘賛美隊のために特別に祈ってくださらなければならない’と言いました。福音がなければ、他の人々の目では賛美をしているかのように見えても、葛藤になるのです。他の人の前に出ているのですが、実際にはむなしいということです。それで、先生が賛美隊のために特別に祈ってくださらなければならないと言ったのです。
 
・しかし米国が問題ではなくて、韓国が問題ではなくて、本当に福音を持っていれば成功します。ク・スンエ伝道師が必ず覚えていなければなりません。すべての牧師、宣教師が覚えていなければならないのです。本物の福音を知っていれば、みな解決します。例を上げるとすれば、とても多くあります。私の周囲の知っている人だけでも証拠があります。以前に親しい友人、服の商売の話をしたではないでしょうか? この人は服の商売をしても成功しました。ところが、この人は服の商売をしません。店が4ケあるのに、自分の弟に任せて、自分はしなかったのです。この人は完全に福音でした。私はその人に会えば、平安を得ました。
 
・ある日、自分が三日間断食祈りをしてきたと言いました。何故かと言ったら、特別な祈りの課題があったからではなく、祈りの課題があまりに多いので、なくそうと思ってしたということです。3日間、神様に祈ったということです。一年が過ぎて新しい一年を迎える時に、断食しながら祈ったということです。何故このように欲が多いのか? 何故このように私はお金が好きなのか? 何故このように私は祈りの課題が多いのか? 本当に神様、私をみこころの通りにして下さい! 私の事業をみこころの通りにして下さい! この頃、私が未信者と全く一緒だ! 神様、私を信者にしてください!
 
・3日間、こういう祈りをしたということです。普通の人はわかることもできないでしょう。この頃、皆様が命をかけてくださいと祈ったのではないでしょうか? 福音を理解したということは、全てのものを知ることです。全てのものの基本です。間違いありません。私は世界を見ながら、なるほど! 商売もそのようにすべきだという考えを多くしました。コーラを見ながら、商売はそのようにすべきだ! と考えたのです。ヨーロッパ、米国を見れば、飲まない所がないほどになっています。外国ではコーラを持って歩いてやたら飲んでいます。それと合せて、マクドナルドを見ましょう! 食べなくてはならないようにしています。そのようにしてゆっくりとお金を儲けるのに、全世界でお金をみな儲けています。商売もあのようにするのです。
 
・事業する人にも、そのように話します。完全に専門性がないならば、しないように! 今日もある人と相談をしたのですが、政治界方向に行こうという人が、私に話をしようとたくさん来ます。確信がなければ行かないのが良いのです。福音が何でしょうか? 受けていなければ絶対にだめです。
 
・何故、教会が減り、世界の信徒が減るのでしょうか? 聞かなくても良い話をして、しなくても良い仕事をしているからです。何故教会にいのちをかけないのでしょうか? いのちをかけなくても良いためです。つまり、それほどの価値を発見できなかったということです。今日、私の説教を聞く人の中には、理解できない人もいるでしょう。しかし、ある日、分かる日があるでしょう。その日が重要です。
 
・私がある重要な教会に集会に行きました。教会の復興の秘訣を話してくださいと言われました。秘訣があるのでしょうか? 福音があれば良いのです。その人にいろいろ話ながら、少し良くない話をしました。非常に立派な方達が、招いてくださったからです。そこに座った人の中に、ほとんどみながソウル大出身で、どこかの現職の長でした。ほとんど政治界で高い地位の人々でした。その人々が、私に秘訣を教えてくださいと言いました。‘秘訣はありません。皆様は、非常に完壁で聖霊が働く余裕がない’と言いました。それで気分が悪いでしょう。何故あんなメッセージをするのかと、と思ったでしょう。それに気づいて、このような話をしたのです。‘いつかは 思い出すはずです。私を無視することはできても、その話は無視出来ないでしょう。’この福音は聞かなくてはだめになっています。これを持ってク・スンエ伝道師が米国へ行ってくださいということです。皆様は、これを本当に知って、現場に行きなさいということです。
・これが全てのものの終わりです。皆様とク・スンエ伝道師に出会いの祝福がくるはずです。出会いの祝福がどれくらい重要でしょうか? ヨハン・カルヴィンがペジャという友人に会って、大きい働きをすることができたのです。ナアマン将軍が、小さいしもべに会って自分の人生が変わりました。誤った出会いがどれくらい怖いでしょうか? 言うまでもないでしょう。
 
・以前に、ニュースで新婚の夫婦が車に乗って行く時に、死んだと出てきました。本当におかしなことだと書いてありました。ある人が、銃を射って死にました。この夫婦がみな死んだのですが、何故死んだのでしょうか? 後ほど知って見たら、夫婦が新婚旅行に行くのに、他の車と競争になったのです。そのまま放って置いておけば良いのに、そこに勝とうと競争をしたのでした。相手方がものすごく腹が立つようにさせたのです。この怒った人々が、銃を持っていたやくざでした。それで、車を停めて呼びだして射って殺したのでした。何の理由もなかったのです。二人ともそのまま殺してしまったのです。
・私たち人間には、出会いの祝福が重要です。私達が基本的に出会いの中で一番目が両親との出会いです。また基本的な出会いの中で先生があります。また基本的な出会い中で友人があって、配偶者があります。こういう部分の中に重要な部分があるのです。
 
・今日、パウロとプリスカ夫婦が重要な出会いをするようになったのです。今日、みことばを聞く皆様とあらゆる使命者に、この祝福がそのままあるようになることをお祈りします。
・このプリスカ夫婦は、一番目、とても福音を持った夫婦の出会いでした。私が車から降りてここにくるのに、私たちの教会の娘たちが過ぎながら挨拶をしました。その時、私が祈ったのです。神様! 本当に福音を持った良い人に会うようにしてくださいと祈りました。ほとんど皆様の人生がそこで決定されます。私は未来指導者訓練院生の子供達と相談すれば、必ずその話をします。第 2の人生は、結婚で決まるのです。どうすることもできないのです。どれくらい祝福された出会いなのか分かりません。アクラ、プリスカ夫婦は、国籍も問題にならず、福音を知っていた人です。
・私が知っているのは、ク・スンエ伝道師夫妻はタラッパン現場で福音ゆえに会った人々です。神様が重要に用いられるのです。私はこの時を利用して皆様に言いたいことは、ここに座っている未婚の女の人、男の人は、本当に福音を持っている人に会うことです。これは普通の祝福ではありません。どんなに立派な女性でも、おかしな男性に会えば、一生苦労して死ななければなりません。
 
・どんなに立派な男性でも、おかしな女性会えば、しなくてよい苦労をして死ななければならないのです。どうすることもできません。最も祝福の中の祝福が出会いの祝福です。その中の一番目に受けなければならない祝福が、家庭、夫婦の出会いの祝福です。インマヌエルとレムナントにこの祝福があることを、主の名前でお祈りします。
・どんなにそうでも、結婚でみな決まってしまいます。説明しないでも分かるはずです。今、韓国と世界は家庭がみな崩壊してしまいます。ところが、プリスカ、アクラ夫婦は、この祝福が普通の祝福ではありません。皆様は夫婦が話が通じて、福音が通じるということほど大きい祝福はないのです。
 
・2番目にその地域との出会いです。コリントという地域に到着したのに、ローマでの祝福のように、コリントでも祝福が臨みました。皆様、覚えましょう! 皆様が行く所ごとに、神様の祝福が臨む、地域の祝福が臨むことをお祈りします。聖書を見て、のがさないようにしましょう。
 
・三番目に福音を持っている主のしもべと主の民の出会いです。ここにキム・ドンゴン牧師とキム・ウコン先生がいらっしゃいます。長い間交わっています。10年ほどになりました。この方達の教会は、祝福された教会です。もしその教会で問題があるならば、その人が精神異常の人です。10年間見てきました。先生同士が話し合うべきことですが、深刻です。今、教会と信徒をだまし取っている教役者が多くいます。本当に残念なことです。教会の戦いも別のことではありません。信者を奪い取られることは、財産を奪い取られるかのように騒いでいます。福音でなくて、うつわのけんかをするのです。
・言葉だけでは、真理、みことばと言いながら、その裏を見ればうつわの戦いをしているのです。皆様が生きていく中に、福音を持った主のしもべに会うということは、祝福の中の祝福です。私たちのク・スンエ伝道師が行く所で福音を持った人に会うということは、祝福の中の祝福です。パウロがプリスカ夫婦のような人に会ったことは、祝福の中の祝福です。プリスカがパウロのような福音を持った人に会ったことは、祝福の中の祝福です。
 
・どれくらい感謝しているでしょうか? 分かる人は、分かるでしょう。分からない人もいるでしょうが、分かる人もいるでしょう。本当に福音を伝える人が、本当に福音を伝える一般信者に会ったら、心の中では涙をこぼすことです。ほとんどが、にせ物ではないでしょうか? 皆様が、皆様の子供が、生きていく中に本当に誰に会わなければならないのでしょうか? 本当に福音を持った主のしもべに会うことです。私も、息子、娘、孫達がいます。この子供達が行く所で、本当に福音を持っている指導者に会うことが最も大きい祝福です。
 
・四番目に産業の祝福です。本当に専門性の祝福です。
 
・どうすれば、こういう祝福が臨むのでしょうか? 必ず記憶しなければなりません。真の福音を持っていれば、皆様とク・スンエ伝道師が行く所ごとにこの4つの祝福が臨むはずです。今日、私たちの教師、賛美隊員、あらゆる方達が、現場で生きていく中にこの4つの祝福が臨むはずです。真の福音を持っていれば、そうなります。ところが、人はほとんど自分に似ている者に出会うようになっています。どうかといえば、福音がない人は、福音ない人間に会うようになるのです。
・あなたがたが、信仰生活をする中で、私たちの教会で注意しなければならないことがあります。皆様が誰にでもよくしてあげなければならないけれど、親しく過ごす人をよく注意深くみるべきです。それは必ずそのようにしなければなりません。ここには学生もいます。しかし、本当に皆様と心が通じる人がだれか、それが、とても重要です。福音を持った人は、本当に重要な人に出会うようにされます。これがほとんどすべてです。本当に福音を持った人は、神様がご存知であるので、この4つの祝福を開けてくださるのです。必ず人は自分に似た人に出会うようになっています。
・全く失敗がない、ということではありません。皆様が全然足りない、そのような話ではありません。今、私たちの教会は伝道運動が本当に起きるならば、今年、来年、ずっとみわざが起きるはずです。早く準備をしなければなりません。多くの人が起きて、この伝道運動に参加するようになるはずです。すうなると、今は教役者や役員は私が知っています。ところが、私が知らない人が多くいるのです。この人達は、ほとんど礼拝をささげてそのまま帰っています。そのようになってはなりません。本物の答えを受けなければならないのです。本当に機能宣教に入っていって、答えを受けなければならないのです。
 
・神様が与えられた祝福の中で最も大きい祝福が出会いの祝福です。本人には申し訳ないのですが、ある重要な裁判で働いている方が私にきて話をしました。、今、亡くなったから、話すことができます。その方が私に告白をしたのです。
・“何故こうなったのか分かりません! 5月になれば勤務を止めるはずだ”と言いました。釜山までやってきて、私にきたのです。その人が亡くなったのですが、何故死んだのでしょうか? 友人と一緒にどこかに行った時、みな軽く遊んだので自分も遊んだのですが、問題は長く潜伏して出てくるのですが、本人も自分も知らないで、勤めのために身体検査をしたけどそこでも出てこなかったのです。ほとんど死ぬ寸前になって出てきたのでした。AIDSでした。道がないかとしたのですが、道がありません。それとともに、私にこう話しました。“先生! 何故私だけそうなのですか? 私たちの友人はかからないのに、何故私だけがかかりましたか?” それで、私は神様の特別な計画があると言いました。
 
・出会いがどれくらい重要でしょうか? 未信者は偶然だと言うのですが、必然です。一人も残らず貴重な祝福を受けることを希望します。私は全世界に自信を持って言えます。本当に福音を持っていれば、神様が知恵も、未来も、世の中の人も変化させることもできるのです。福音を本当に知っていれば、すべての分野に当てはめることができます。そして、なにをしても成功できるのです。
 
・商売をしても、事業をしても成功できます。この祝福を持って米国に、現場に行きましょう! 日本に行けばラーメン屋が多くあります。一杯で千円くらいします。千円ならば、韓国のお金で一万ウォンくらいするのです。それが、日本に行けば行く所ごとにあります。これが何故でしょうか? 何故このようにラーメンが多いかと聞いたところ、このラーメンが一箇所で全部出てくるのでした。一箇所からラーメンを作る教育をして、全域に広げてお金を儲けるのでした。
・皆様が福音は重要な問題の解決であるゆえに、福音を本当に持っていれば、全てのことができます。今週には、一人も残らず、本当にだめな分野に福音とつなげてみる必要があります。少しだけ考えれば良いのです。質問だけでもすれば良いのです。‘神様! 私が本当に良くならないのですが、福音と私と何の関係がありますか?’ この質問だけでも良いのです。
・音楽をする方もいますが、私は、はじめからそれを感じていました。米国でバイオリンをする子供がいます。舞台に出てバイオリンをすることを見れば、早く早く弾けるのですがとても上手で、あちこち呼ばれて回ったのです。ところが、バイオリンさえやめれば、深刻な精神病者だということです。そのようなことでしょう。あなたがたが、本当にどれくらい福音を伝える人が多いでしょうか? 私の話だけ、本当に悟れば本当に働きが起きます。勉強が良くならないでしょうか? 少しだけ祈ればよいのです。‘福音と私とどんな関係があるのか?’ 事業が良くならないでしょうか? ‘福音と私と何の関係があるのか?’
 
・伝道師の時、3年間苦闘したのに、よくならなかったのですよ。少しの間だけ質問をしてみました。神様は、良心に答えられたのです。あなたは教会学校を復興させようとしているのか、いつ本物の福音を伝えたのか? それだけ悟ったのに、本当に答えを受けました。
・伝道師と皆様が本当にこの祝福を受けるように願います。韓国がサッカーの4強に入って大騷ぎになりました。決勝に行く可能性もあります。午前にも話したのですが、間違ってブラジルにも勝って優勝することもあります。問題はそれではありません。この国民が浮かれていて、ところが、その後にどうなるのでしょうか? その後にくる霊的なむなしさをどのようにするのでしょうか? 皆様が福音なしで生きることができると考えているのでしょうか?
 
・私たち韓国の選手が、ゴールに決めるその気分を福音のなかで毎日体験します。本当にです。私は、以前はそうではありませんでした。未信者と私は全く一緒でした。ところが、いまはそうではありません。まちがいなく、祈っていれば、霊的な問題を持っている人がいやされ始めて、苦しんでいる人々が力を得始めるのです。私は毎日ワールドカップで成功することより、もっとすばらしい祝福を毎日体験します。
 
・祈りも変わりました。25日にドイツと戦うのですが、韓国が勝つようにしてくださいと祈るはずです。もちろん、ドイツのクリスチャンもドイツが勝てるようにと祈るはずです。私たちもそのように祈るはずです。神様がどこに答えられるでしょうか。理由がなければなりません。私は祈りの中に、韓国が勝つ理由を探しました。スペインとする時、本当に理由を話しました。あのカトリック、イスラム....暗闇の国ですから、韓国がどういう国か知って、福音を知るようにしてくださいと祈りました。イタリヤの時には、この本物の福音を伝える韓国を無視するあの高慢を破ってくれと祈りました。
・朝にスペインのホセ先生からメッセージが運ばれてきました。向こう側では、審判が間違ったと言っていますが、この人のメッセージには韓国が福音ゆえに勝ったとされていました。たぶん韓国に理由があるのです。それが問題ではありません。何故ここで礼拝をささげねばならなくて、何故現場で祈らなければならないのか理由を知っていなければなりません。
・運動に勝つことも、そのように気分が良いのに、毎日の現場での答えが気分がよくないでしょうか? でなければ、見ることができなかったということです。ク伝道師が米国に行けば、必ず覚えなければなりません。でなければ、米国というものすごい土地、良い文化にだまされてしまいます。福音なしで行けば、見ることが多いのです。天国に行けばこうなのかという思いにもなります。あまりに見物を良くしていて、だまされてしまうのです。用心なさらなければなりません。
 
・この祝福がいつもあることを願います。出会いの祝福はあるのです。本当に福音の感激があることを願います。祈りの課題と理由がいつもあることを望みます。そして、世界の福音化ゆえに成功なさることを主の名前でお祈りします。
<<祈り>> 神様に感謝申し上げます。必ずみことばが成就するようにしてください。一名の残らず次週にみことばが思い出されるように、答えをあたえてください。世に多くの話がありますが、偽りにだまされず、神様のみことばを捕まえるようにさせてください。イエス・キリストのお名前でお祈りします。 アーメン