2002年7月28日 インマヌエル教会聖日メッセージ


1部/ バプテスマのヨハネの死
(マルコ6:14〜29)
 
 
 
・私たちは、救われたので実際には、すべてのことを得たということです。少し考えを良くすれば、それが答えと関係があります。それでピリピ4:7に、あなたがたの心と思いを守ってくださいますと書いてあるとおりです。困難にあう時、正しい考えを持つことが重要です。ある時には、今日の本文のように大きい事件がおきることもあります。このような時、考えがものすごく重要です。
 
 そうでなければ、私には大した者ではないという気がする時があります。私が副教役者の時、私がこういう仕事をしなければならないか? という気がしたことがありました。率直な話で、大したことでない人のために山頂まで上がって、理解してもらえないことを、毎週言い続けなければならないか? という気がしたのです。しかし、それは私の間違った考えでした。神様の前で私の人生を見る時、本当に重要な時間でした。私たちは、このように考えを本当に間違う時が本当に多いのです。
 今日の本文を少し考えてみる必要があります。皆様がよく知っている名前です。バプテスマのヨハネ..この人は、元々はヨハネですが、バプテスマを授けたから、バプテスマのヨハネだと言われています。バプテスト教では、バプテスマのヨハネといって、長老教では洗礼ヨハネと言います。
 
 この人は、イエス様に初めてバプテスマを与えた人です。イエス様がこの地にいらっしゃる前に、相当な弟子が従いました。この人がイエス様がいらっしゃった時、あの方がメシヤだと言いました。バプテスマのヨハネは、本当にすばらしい人物です。
 
 ところが、王宮で色々な良くない事件がたくさん起きたのです。ヘロデ王自体がにせ物の王です。この人がどれくらい異常かというと、自分の弟の妻を奪って自分の妻としました。だから、バプテスマのヨハネが、それに対して、一般の人でもないのに、王がそのようなことをしても良いのかと言ったところ、王を非難したという理由ゆえにバプテスマのヨハネを監獄は入れられました。
 ヘロデ王は、王だから人気がすごかったのです。今日の本文にあるように、ヘロデの娘が踊ったのですが、たぶん多くの人が感動する程、踊ったようです。王がとても感動して、何でも願いを聞き入れてやると言いました。国の半分でも与えることができると言ったところ、この娘が衝撃的な要求をしたのです。監獄にいるバプテスマのヨハネの首をはねて、盆に乗せてもってきてくださいと言ったのです。この娘がそのように話すのには、理由があります。自分の母がバプテスマのヨハネゆえに非難されるから、恨みを抱いていて、そのように言ったのです。王が聴衆の前で言った言葉だったゆえに、その話を拒むことができなくて、大きいお盆にバプテスマのヨハネの首をはねて持ってきたのでした。そのようにして、バプテスマのヨハネの一生は終ったのです。
 私たちはこういう部分でも、多くの知恵をもらわなければなりません。結論的に話せば、私が見る時には、バプテスマのヨハネは、短く生きたのでもなくて、失敗したのでもありません。マタイ11章に見れば、イエス様が11節に「女から生まれた者の中で、バプテスマのヨハネのように偉大な者はいない」と言われました。今日の本文は、その事件を記録したのではなくて、回想したことです。イエス様が現れて働きをされたので、王がおじけづいて、死んだバプテスマのヨハネが現れたと話したのでした。それ程、影響力が大きかったのです。
 バプテスマのヨハネの死は、絶対に失敗ではありません。こういう説教を理解することができてこそ、生活の中で他のことも正しく判断することができるのです。皆様はどのように考えるでしょうか? 私たちは、なんでも判断する時、間違えることがあります。
 ある青年が私を訪ねてきました。この青年は、本をたくさん読んで知っていることが多い、賢い青年でした。私に複雑な話を多くしました。しかし、私はこの青年をみて言った話は、正しい話だけれど私の所に来て話す理由は別にあるという気がしたのです。この人は、生き甲斐がなかったのでした。年はとっていたのですが、結婚もできないでいました。なにか良くならないのでした。この人が職場も良くならず、知っていることは多いのに、なにか良くならないのでした。そこに対するうっぷん晴らしが、他の人に対する非難と判断でしばしば現れるのでした。この青年がだいぶ賢い青年であったため、話をしなければならないという気がして‘あなたが判断していることは、みな正しい話だが間違っている。君は今、自身をだましているのです。今、それを話す時ではない。今、本当に神様の前であなたが持っている良いものを活用しなさい。あなたが持っているタラントを正しく誠実に開発すれば、周囲の問題がみな解決になるはずだ' と言いました。この人は、むしろ反対にしているのでした。私たちは万が一下手すると、判断を間違うようになります。
 
 今日私達が最初に判断しなければならない部分は、今、救われていない世の中は逆に走る時代になるしかありません。こういう部分に知恵を早く得なければなりません。この前にも話したように、ヨハネ16:11-12にサタンを世を支配する者と言われています。Uコリント4:4-5には、この世の神と言われています。簡単に話せば、創世記3章事件に関連しているのです。ですから、逆行の時代に進むしかありません。皆様がこれを批判したり、否定的に見てはなりません。世の中は、逆行の時代へ進むしかないのに、ついて行けば堕落です。それをあまり批判したり、否定的に見れば、皆様がおかしな人になるのです。これをよく知って、知恵を得なければなりません。いつでも時代ごとに正常なことが異端になって、間違ったことが正常になることが、時代的な歴史の教訓です。
 それで、時代ごとに未信者でも、信者でも、実力がある人は殺されるのが世の中です。大部分を見れば、嘘が勝利して、嘘がよりたくさん出回ります。時代ごとに福音が途絶えて、宗教が盛んになる、そのような時代がやってきました。皆様がここに対する知恵がなければなりません。普通、ここで錯覚をしてしまうのです。
 
 ヨハネは成功者の中の成功者です。聖書に見れば、ヨハネの両親がヨハネを産む前に子供がなくて、ものすごく祈りを多くしたのでした。ヨハネを身ごもっていた時も、ものすごく祈りを多くしたと聖書には記録されています。言わば、胎の中から聖霊充満を受けていたのです。そして、イエス様に向かって、メシヤであることを初めて証言した人です。そして実際には、新約時代の最初の殉教者だと言うことができます。ステパノの影響や、バプテスマのヨハネの影響はすばらしいのです。それで、私が見る時は短く生きて行きましたが、バプテスマのヨハネはものすごく大きい人物でした。ユダヤ人達が、現実的な利益によって動く人々なのですが、そうしながらみな崩れてしまいました。
 今日、私たちは神様のみことばを見ながら、短い時間ですが、大きい知恵を得なければなりません。当時の指導者は、ほとんどみんながこういう目がありませんでした。宗教人は、ほとんどみな教会の権力に陥っていました。政治家たちは権力に陥って、イスラエルは小さな国なのですが、王が何カ所にもいました。聖書に見れば、国主という言葉がありますが、つまり何カ所にも散らばっていたということです。その時、ラビのような知識人は、お金だけ受ける専門担当者に変わっていたような時でした。ですから、バプテスマのヨハネがその場で死ぬほかない、そのような状況だったのです。しかし、女が産んだ人物の中で最も偉大な人物だとイエス様は確かに評価されています。
 今でも、私たちはヨハネの影響を受けています。バプテスマのヨハネの姿が伝道者の最も正確な姿として、今でも語られています。ヨハネはこのように話しました。 "私はイエス様の靴のひもを解く値打ちもない" 足を洗うしもべの値打ちもないということです。そして、"その方は盛んになり、私は滅びなければならない" バプテスマのヨハネが言った言葉です。あらゆる伝道者が悟らなければならないことです。全国と世界の副教役者と、牧師がたくさんいますが、バプテスマのヨハネが相当な模範になるのです。
 最もやさしい例で、私が副牧師だった時、名前も光もなく地域教会を3ケ所でしました。聖日に集まらないで、平日に熱心に伝道したのでした。実際に地域教会 3ケ所で、千名くらいが集まったのでした。この人達が聖日にそのまま教会に集まりました。わざと私の名前を現さないようにしました。そうしたところ、教会が生かされたのです。実際に、その時祝福をみな受けました。それ以後にきた教会がこの教会です。その時、30-40人が集まった所に、私がきたのでした。その時、すぐそばにいた人にも、来ないようにさせました。たぶん私の考えで、その時、神様は私にすべて祝福してくださったと思います。私はその時、バプテスマのヨハネを理解しました。
 私達が果たしてイエス様の靴のひもを解く値打ちがあるでしょうか? その人は盛んになり、私は滅びるということは、私が滅びたいということではなく、キリストの名前が当然に知れ渡らなければならないというこではないでしょうか? 私達がそこにつまずきになる人物になる必要はありません。簡単です。信仰生活も簡単で、役員生活も簡単です。信仰生活に答えを受ける、とても簡単な秘密は、1、2種類ではありませんが、今日、皆様がバプテスマのヨハネのようにキリストを知ったという一つによって、問題はすべて解決します。すると、一つだけあれば良いのです。それを見ることができる知恵だけあれば良いのです。それが全部、答えに変えられます。人々は、すべて知恵がありません。あなたがたが、神様の重要な祝福を悟る重要な知恵がなければなりません。
 私は幼い時から信仰生活をずーっとしてきました。イエスを信じる人は、祈りと知恵だけあれば良いのです。幼いころから、教会に通いながら、礼拝を終えて役員が集まってけんかをするのを見ました。私は誤って悟ったのかは知りませんが、その人々が愚かだと思いました。私は、私が誤って悟ったことではないと思っています。信仰生活は知恵だけあれば良いのです。この人達が、ほとんどみな信仰生活が崩れたのですよ。信仰生活は、難しくありません。信仰生活を良くするということは、全く難しくなくて、知恵を持っているならば、今滅んでいる状態でも成功できるのです。
 皆知っている話ですが、母教会は、ずっと戦っていましたよ。教会がいつも借金に押さえられて、ずっとけんかをするのでした。それで、その教会を出る時に長老に話しました。家が三軒も持っているのですから、ひとつ売れば良いのではないでしょうかと言ったら、長老の顔が赤くなったのですよ。結局は、役員の三名とも事故が起きて死にました。ここに証人がいるので、話すべき言葉ではありませんが、苦しくて言うのです。とても知恵がないからです。教会ということは、信仰生活をすることは全く難しくありません。
 キリスト。すべて得たことです。私は教会をたくさん見ましたが、教会でつまずく必要はありません。よく悟れば良いのです。一度は、伝道師の時、教会の後に座っていたのに、諸職会をするのに、どれくらいけんかが多いかわからないくらいでした。お互いにお金ゆえにけんかしていたのです。後に座って笑っていました。‘バカだな。献金すれば良いではないか? する能力がなければ、話をしなければ良くて、あのように毎日けんかをしていて良いのか?'という気がしたのですよ。簡単なのに、人は知恵を得ることができなければ、バカになります。
 信仰生活は、そんなに難しいことではありません。神様は、確かに生きておられます。
 イスラエルの人々は愚かです。キリストも否認したのみならず、バプテスマのヨハネの首をはねて、お盆にのせて出したのでした。どれくらい愚かでしょうか? バプテスマのヨハネが誰なのか知らずに。監獄にいたその人を想像してみましょう。映画ではなくて事実です。王の誕生日、人の首をはねて大きい皿にのせて持ってきたのでした。他の見方をすれば、バプテスマのヨハネの悲惨な最後でした。しかし、そうではないのです。女が産んだ人物の中に最も偉大な人物です。
 私はバプテスマのヨハネを見ながら、普通の人物ではないと思います。荒野でメッセージをしました。‘悔い改めなさい。天の御国が近づいた' イエス様にバプテスマを授けた後に‘世の罪を取り除く神の小羊'だと表現しました。‘この方は盛んになり、私は滅びなければならない' この話で出て、突然にヘロデを非難して捕えられて、死んだのでした。私はだいぶ関係あると考えます。彼は盛んになり、私は滅びなければならない!
 
 バプテスマのヨハネが、どの程度働きを起こしたかというと、人々がきて‘イエス様がメシヤか? あなたがメシヤか?’と尋ねる程でした。聖書にそのような記録があります。敢えてイエス様について話して‘あなたがキリストか?あの人がキリストか?’その時、ヨハネが言った言葉です。私は彼の靴のひもを解く値打ちもなくて、彼は盛んになり、私は衰えると。その時、言った言葉です。そして、自分の弟子をイエス様にみな送って、監獄に入っていったのです。私が見る時は、絶対に偶然ではないと思います。バプテスマのヨハネ、この人はたいした人です。まさに主がご覧になる時、女が産んだ者の中に、これほど偉大な者はない!、その通りだと思います。
 
 皆様、今日の聖書を見ながら色々な知恵を得るべきです。
 皆様が逆行の時代を見る知恵もあるべきです。また、未来を見る知恵がなければなりません。そして、福音を見る知恵がなければなりません。私たちは、普通、ほとんどみな錯覚するのです。私が頻繁に話をするのですが、私が知っている軍人ひとりが、他の人を見ると、星を付けるためにいろいろな行動をみなするのに、この人はそうでなくて祈る人です。ところが、その当時、事件がしばしば起きました。それで他の人は、脱落する対象になって、この人が選ばれたのでした。世の中は怖いのです。そのように上がれば、寄り集まる人がいて、どんどん押さえて、田舎に送ってしまったのです。ところが、その年、他の所にはしばしば事故が起きるのに、そちらにだけ事故が起きないのです。評価で一等をとって、大統領賞を受けて昇進しました。世の中で人々が錯覚することがあります。皆様が信仰生活をしている途中で、何か良くならなければ、錯覚することがあります。絶対にそうではありません。
 
 ヨハネは、働きを6ケ月程度しかしませんでした。ステパノは、働きを一度しかしませんでした。しかし、相当な実をいままで残しています。実際にステパノのような場合は、メッセージを一度して死んだのです。しかし、ステパノの影響は、初代教会とパウロが行くあらゆる所に影響を与えたのです。それで、使徒11:19にステパノのことで起きた事件によって.. となっています。
 今週には、青年、会社員の修練会があります。私は、クリスチャンの皆様に頼みます。絶対に錯覚しないでください! 錯覚する瞬間、間違った選択をします。自分自身も知らない間に、間違ってしまいます。‘私が何故だめなのか?' それ自体が錯覚です。何故でしょうか?時刻表ということは、一生をおいて見るべきなのです。‘私は何故 失敗するのか?' 実際に心が気落ちします。それ自体が錯覚です。
 今日、神様のみことばをよく捕まえなければなりません。イスラエルの国は、ローマに植民地にされただけでなく、滅びるようになったのです。すぐに失敗がこないように見えたのですが、30年が過ぎたある日でした。ローマがイスラエルを完全に滅ぼづようにという命令を下したのです。そのように自慢したエルサレム神殿に、ローマの旗を掲げてみな燃やしてしまったのです。その時から、イスラエルの王権、教会の権力、全てのものがみな崩れてしまいました。本当に想像もできなかったことです。1400年間、23ケ国でイスラエルはさまようようになったのでした。これは、小説でなくて、実際にあったことです。想像してみましょう。1400年間です。想像できますか? それもいろいろな国で。これがイスラエルです。それ以後に起きたことです。ヨハネは、今でもそのメッセージを私たちに与えているのです。 
 
 信仰生活をするあなたがたが覚えなければなりません。私たちは、困難を受ける時、自分自身の状況がよくなくなった時、錯覚しやすいのです。‘私の身分がなぜこうなのか?' 錯覚しやすいのです。そして、私たちは、一日一日の仕事がものすごく重要なのです。それは特別なものではないことのように錯覚しやすいのです。大部分の人がそうです。それで、あなたがたは錯覚だけしなければ、いくらでも答えを受けるようになっています。
 今日、聖歌隊が賛美をしました。皆様の賛美は、全世界に広がるだけでなく、神様が聞いていらっしゃいます。あなたがたがしやすい錯覚があります。‘単に聖歌隊に座った’ということです。それがまさに皆様が答えを受けることができない錯覚です。聖歌隊に座ったことが、どれくらい祝福かを知る時、祝福が臨むのです。
 私は、副教役者をしながら、それほど重要でないことのようだと思ったのですが、それが錯覚です。もしそうであったならば、いままで途方もない多くの祝福をみなのがしたでしょう。ほとんどの人々が錯覚します。あなたがたが、執事、長老、勧士になることは、特別なことではないと考えるのです。それが錯覚です。それは普通の錯覚ではありません。全体をみなのがしてしまう錯覚です。私たちは、神様のみことばをよく捕まえなければなりません。今日、皆様が大きい祝福を受ける日になるように望みます。
 バプテスマのヨハネは、偶然に死んだのではありません。私はその方の靴のひもを解く値打ちもない。その方は、キリストなので盛んになり、私は滅びなければならない。それはなんの話でしょうか? その後にバプテスマのヨハネは死にました。女が産んだ人物の中で、これほどの人物を見たことがありません。
 
 今日、皆様がメッセージを聞きながら、これをみな学んだり、記録したり、整理しても良いのですが、そのような必要はありません。今日のみことばを通じて得るべき答は、私たちクリスチャンは正しい知恵がなければならないということです。皆様の事件、家庭、現場を見る正しい知恵がなければなりません。そのようなことがないように見えても、みなあるのです。私が見るのには、祝福がみな隠されているのです。
 ここにきて座っていますが、家がとても困難にあったのです。力がある人がその人を押さえたのです。それで、私が手助けして、多くの回復をしました。私が伝道師の時のことなのですが、その人が有難いと言いながらお金を持って来たのです。そのようなことは、だめだと言いました。そのようになれば、私は伝道師ではなく、ブローカーになるのではないかと言いました。だから、この人が心より有り難く思ったのですよ。私がそれを願ったのではありません。私が見る時は、すべきことはいくらでもたくさんあります。少しだけ見れば、いくらでも祝福と答えがあるのです。その家族がまだ忘れないでいます。いつきたのか、いまは私たちの教会にきています。人は、教会学校や教会ですべきことは、いくらでもあります。私たちはほとんどみな錯覚をするのです。私がする働きがどれくらい重要かを知らずにいるのです。
 
 バプテスマのヨハネがくやしく死んで、悲惨に死んだと見ることができます。絶対にそのようなことは、ありません。最も適切な時間に、最もすばらしい神様の計画通りに亡くなったのです。
 今日皆様が、神様の大きい知恵を得るように願います。私が立つ席、皆様の座っている席が最も重要な席です。そうでないと考えるのでしょうか?それならば、今日の皆様の礼拝は、むなしい礼拝になるのです。教会学校をしていますか? 聖歌隊をしていますか? もしかして、中高等部を預かっていますか? 夏期聖書学校、修練会の仕事が多いでしょう。どのようにすれば良いのでしょうか? 簡単に考えればよいのです。これが最も重要なのだ! 私は集会しにいく時ごとにそう思います。
 
 今回、中高修練会をしたのですが、心に負担がありました。大学生の修練会は、対話ができて負担にならないのに、中高の学生達は話ができないので負担になるのです。学生達を笑わせなければならず、心の門をあけるべきだと考えると悩みになります。ところが、その祈っていてそうではないという気がしたのですよ。‘今、私が錯覚しているのだ。私が今、どれくらい重要な場に行くのか!その学生達の未来を左右する時刻表にあるのに、私が、今、説教しにいくことのではないか? それなら、神様がともにいてなさるではないか! それで、今回は説教を違うようにするべきだ。笑わせる話もしなくて、聖書だけ話すべきだ' このように行ったら、本当に驚きました。
 昨年とまた違っていて、中高学生達が朝10時 30分に集会をするのに、朝も食べないで明け方5時から座っている子供達が多かったのです。私が錯覚していたのであって、おとなより優れています。今週は、とても雰囲気が熱かったのです? 私がエレベーターに乗っておりて行くのに、子供達が各階ごとに並んで立っていて、なにかとたずねたら、礼拝堂に入っていこうと一時間前から列を作っていたのでした。私がとても錯覚していたという気がしました。それでも、確実に錯覚ではなかったのは、私が見て外を回る子供達もいましたよ。学生達の中でみことばを聞こうとする子供達が本当に多いのです。それで今回、本当に重要なメッセージを与えました。レムナント運動の開始は家庭だ! 良くない家庭で、より良い開始ができます。レムナントは、危機の時、成功する! レムナントは、福音ゆえに成功する! それが今週のメッセージでした。そこですこしより付け加えて、米国レムナント集会をする予定です。
 神様が私たちに重要なことがなにかを見ることができるようにさせてくださる日になるように願います。 皆様が今日、この場に座って礼拝できるということが、どれくらい貴重な祝福なのか分かるようになる日になるように願います。今日、皆様の個人と、家庭と産業に最も貴重な神様の恵みが臨む日になることをイエスの名前でお祈りします。
 
<<契約の祈り>> 神様に感謝申し上げます。今日、まさにこの時間が最も貴重な時間であることを悟るようにさせてください。特に神様の子供になった祝福を知るようにさせてください。インマヌエル教会の聖徒になった事実を知るようにさせてください。特に、今、インターネットで外国で礼拝する者に特別な恵みを増し加えてください。衛星で礼拝する教会に驚くべき神様の恵みが臨むようにさせてください。それで、後に起きる答えを見る目を開けてください。イエス・キリストのお名前でお祈りします。 -アーメン-
 
 


2部 / 恐れてはいけません。パウロ。
(使徒27:24〜25)
 
 
 暴風に会った時、神様が‘恐れてはいけません。パウロ。あなたは必ずカイザルの前に立ちます。'と言われました。
 
 私は皆様に聞きたいのです。本当に幸福でしょうか? 本当に神様が私とともにおられるという幸福があるでしょうか。もちろんある人が家を出て、酒を思い切り飲んで、気分が良くなって歌を歌うような幸福をいうのではありません。家庭をみな捨てて、山で祈っていて‘本当に恵みだ’という幸福を言うことでもありません。本当に神様が私とともにおられるならば、本当に幸福な答がなければならないのです。
 今日の本文は、暴風の中で神様がパウロに与えられたみことばです。パウロが以前には、勉強を多くしたのですが、真の幸福がなかったのに、パウロが福音を知ったのです。自ら主観的な体験があったのですが、福音を知った後にパウロの人生が変わったのでした。非常にユダヤ人の大きい人物が反対になったゆえに、福音を伝えるという理由でユダヤ人達があがきをして、パウロを監獄に入れたのです。
ところが、パウロはローマ市民権があったゆえに、ユダヤ人たちが裁判をすれば、他の結果が出てくるはずなのですが、パウロがローマ市民権があって、幸いにユダヤがローマの植民地でした。それで、ローマ皇帝カイザルの前で裁判をしてくれという控訴をしたのでした。
それで船を乗って行く時‘ミラ'という島に到着をしたのに、風が吹いてすこし危険が来るようでした。その時、船主が百人隊長、船長と相談して、大きい船に乗り換えました。その船の名前が‘アレクサンドリア号'です。
ところが、その船に乗って行くのにパウロが話しました。パウロは祈りの人です。そして、世界をよく知って宣教旅行を多くしました。パウロが‘どうも今、私達が行けば危険なようだ' と話すので、百人隊長は責任があるから、船主、すなわち船長を呼んで尋ねたら、大丈夫だから行こうと話したのでした。大部分の人々が‘私達がここで休んでも良いでしょうか、ピニクスへ行こう'と言ったのです。このようにして、パウロの話は無視されました。
この船が行く時、強風に会ったのですが、歴史的に見る時、いつも強風は名前があります。その強風、台風の名前がユーラクロンという強風が吹いたのでした。突然に吹いてきました。だからどのようにできるでしょうか。
皆様もおわかりの通り、強風に会えば水泳の実力も役に立ちません。船長の経験も技術でも役立ちません。ソウルに住むあなたがたはよくご存知ではないでしょうが、釜山で時々、波だけ打っても海辺にある家はみな飛んで行きます。そして、皆様の中で船に乗った方達はご存知でしょうが、この波がどれくらい力強いかというと、大きい波が船に正面から当たれば、船が潰れてしまうのです。そして、少し古くなった建物の骨組はみな飛んで行きます。凄じいのです。だから以前に、済州島に行ったのですが、学生達が船の下が開いて狼狽してひもを握っていたのですが、波が一度当たったら、みな流されてしまいました。学生達が旅行の途中でみな死ぬという事があったのです。この強風が吹いたのです。それで、完全に死にそうになったのです。その背景です。これが私たちと何の関係があるのでしょうか? このように尋ねるならば、話す言葉がありません。
 馬にも3種類があるということです。主人が乗れば、すでに殴らなくてもひもを引くことを知り尽くして走る馬があります。そのような馬は、高い馬なので、1億円もしたりします。そして、主人がムチで殴ってこそわかる馬があります。それは、別に高い馬ではありません。五千から一万円ならば買えます。ところが、殴ってもだめな馬があります。そのような馬は、誰でもお金を与えるから持っていけと言っても連れていきません。人々も同じということです。
この台風がきたのに、私たちと何の関係があるのでしょうか?関係はないでしょうか? 今日も本当に深刻だということを感じるしかありませんでした。ある学生が、霊的にあまりに対話したくて光州からソウルまで噂を聞いてやってきたのです。ところが、私に話そうと入った時間が正確に4時だったのです。私は、礼拝をせねばならないので、学生に事情を話しました。礼拝をささげなければならないので、礼拝が終わった後に話をしようと言ったのに、学生はその時になったら、車に乗って帰って行かなければならないと言いました。それでも礼拝をささげなければならないと事情を話しました。やっと事情をいってこの場に来ました。あまりに苦しくて、光州からこちらまでやってきたのでした。
一度は、私の軍隊に共にいた同期が集いをするから、私に来てという連絡がきました。どこで集まるのかと聞いたところ、書面にあるナイトクラブと言いました。なぜ、わざわざそこなのか?と聞いたら、そちらが遊ぶことも良いからということでした。その時、私が考えたのは、一度も行ってみなかったので、一度くらい行ってみることもかまわないだろうと思って、生れてはじめて私が行ってみたのです。
まず、私の体質には合いませんでした。とても騒々しかったのです。どれくらい騒々しいかというと、話ができない程でした。話そうとするなら、大声で叫ばなければならなかったのです。ところが、見ると人々がとてもよく遊んでいました。私が2つのことを感じたのですが‘人々が狂っている'と思ったり、他の一方では‘あれでなければすることがないのだろう。一日中、食べて生きようと苦労して、こんな所にきて遊んで行くのだ'と言いたかったのです。それで他にすることがないのかと思いました。私はあまりに騒々しくて、すこし座って出てきたのですが、少しの間いながら驚くべき発見をしたのです。
 
私は、人々が酒一杯を飲んで踊るというそれに対して理解できないという偏狭な人間ではありません。私の話はそのような話ではありません。男と女が会うブッキングというものがあります。私がそちらに少しの間いたのに、完全に人々が目を皿にしてしていたのですよ。私が見た時、そちらに特殊な人々がきたとは感じられませんでした。男達より女たちが、より大騒ぎをしていました。見れば、普通の問題ではないなと思いました。
私が知っていることでは、ナイトクラブができる所ごとに復興するということです。私がホテルに寝るときは、ホテルの中にナイトクラブとついている所は騒々しくて、夜に寝ることができません。夜通し遊ぶのです。騒々しくて、時々はけんかもして、窓から見れば 2〜3時間に若い人、おばさんとかいっぱい出ているのです。‘本当に復興するんだな' これから教会をする時も、ナイトクラブをしなければならない... という気がする程です。本当に危機に会っています。
男女は、神様が作った存在なのに、お互いに会って対話をして恋愛をするということを話すことではありません。私が行った所は釜山です。釜山だけかと思うかもしれませんが、私が行った所が釜山の1ケ所なのですが、他の所にはないでしょうか? たくさんあるのです。すると全部で何人出てきているのでしょうか。あぜんとしました。中に少しの間見たのに、私が予測して、何百名の人がいました。そのようなナイトクラブが、釜山に10ケでしょうか、20ケでしょうか。すると、ソウルにはいくつあるでしょうか。それなら、全国にはどれくらい多いでしょうか。夜通しそうだということです。
私達が踊りをちょっとしにいこうとすれば、誰が何と言うでしょうか。それも趣味の一種です。それをいうことではなく、女たちが、男を探すことができなくて狂っているということです。そして、男たちが女を探すことができなくて狂っているのです。私が初めて、少しの間行ってみたのにそうでした。危機に会っているのです。関係がないと考えるでしょうか。私は、地球が危機に会っていると見ています。
一度は小学生がお金を受け取って、男と性関係をする援助交際をするからといって、私がその子供を捜し出してしないようにと話しました。お金がなければ、お金をあげるし、学校に行けないなら、学校に行くようにさせて、ご飯を食べる所がなければご飯を食べるようにしてあげると言いました。特殊な子供だと見るでしょうが、釜山インマヌエル教会の伝道師がその子供を生かそうと行ってお願いもして、子供を連れ出しているのですが、それが問題ではありません。‘先生。こういう子供達だけを集めて売り飛ばす本部があります'‘それがどこか?' ある地域の駅にあるゲームセンターです。 '警察が静かに置いているのか?'と言ったところ、その人は、非常に上手にやって、誰もつかんでいかないらしいのです。本当におかしなことです。
 
 私は中高等の学生達がお金が好きで、お金がなくてそのようにするならば、狂ったという理解はできます。そうではないでしょうか。この子供は狂ったんだなあ。両親がお金を与えないので、男について行ってそのようなことをしたという話を聞けば、すこしは理解できます。この子供はとても精神が変になったんだなあ。と考えながら理解できます。ところが小学生が。小学生が、何でお金が必要でしょうか。私がこの話をしたところ、私たちの教会の幼い学生が‘必要です'と言いました。もちろんお小遣は、必要なはずです。とても賢い子供です。私がこのように説教しているのに、講壇の下から必要だと言いました。そうでしょう。
何故おとな、父母が小学生を、それも 2年、3年の生徒達を集めて、部屋に隠しておいて、お金をいくらか受けているかは知らないけれど、おとなに対して売るのかということです。理解ができなくて、今でも理解ができません。中高等学生達の中のおかしな子供を売り飛ばすことは、理解はできますが、どうして、小さい小学生をそのようにするのでしょうか。この子供は、なんにも知りません。おとなが子供を売っては、すこしあたえるお金、それを受けるためにそのようにするのです。百万円をもらうかも知りませんが、子供を売り飛ばすという本当に大変な事になりました。そのような人々は、捕まえて半殺しにせねばならないのに、なぜ警察が静かに置いているのかと話したことがあります。
私が KBS放送局に行って、その話をしたところ、牧師達と他の方達が、私を放送局に出したと悪口を言ったということです。私が他の話をしたのではなくて、学生達をそのように滅びるようにしないでと言っただけです。中高等の学生だけに対して、私が働きを長くしたのでせつなくて言った言葉です。危機がきました。暴風に会ってしまったのです。だから社会に困難がきたのです。
ここに学生達がいます。学生達は、絶対に誘惑を受けないで。外国に行っても誘惑を受けないで。‘これはかまわないことだ'とだまされて接したら、麻薬の方向へ行くのです。学生達は、この話をよく聞かなければなりません。‘これは食べてもかまわない'と接近をするのに、絶対に食べてはなりません。疲れている時、米国でこの程度はみなするとだまされると、その次の段階がまたくるということです。
ヒロポンのような注射を打てば、その毒は10年間抜けないと言われています。その10年間に全くしないことはできないでしょう。そしてしないと言っても、毒は抜けないのです。またそこに中毒になった人が子供を産めば、子供が障害者になるらしいのです。その程に苛酷なのです。
それで私がそれをした子供を伝道しようと訪ねました。どこからもらうのかと聞いたら、その子供の話です。 私は買ったこともなくて、確認したこともありません。その子供の話によれば、釜山市内やソウル市内の映画館街に行けば、おとながピーナッツなどを売っている所でみな売るらしいのです。だして売るのではないのです。自分達の暗号があるのに、その暗号を伝えればもらえるそうです。金額は5千ウォン, 7千ウォン, 一万ウォンならば買えるそうです。学生達にヒロポンを売れば、その子供達が永遠に死ぬのに、そのどれくらい儲けようと、それを学生達に売って食べて生きようとするのかということです。だから完全に暴風に合っている時代です。あなたがたは、大丈夫だと考えるのでしょうか。そうではありません。だから、この地に突然に個人的暴風が吹くのです。皆様の家庭に突然に、国家に突然に暴風が吹いて、この暴風ということは必ず何かが崩れるのではありません。耐えることができないということです。
私は、お願いをあまりしませんが、ある政治家にお願いをひとつしました。それも私の個人的なお願いではなく、あまりにも苦しんでいる方がいて、お願いをしてもかまわないと思い、私が牧師として良心に外れることではないので、お願いをしたのです。お願いをするので、人に会わなければならないので、会おうといったところ、お金をくれと言われました。50万円程度はなければならないと言うので、渡したら、その日の夜通し 50万円を払ってみんな食べたのですよ。それで、私はその人に仕事を頼まないと言いました。仕事をしないで、今の政治家がその金を使って50万円の酒を飲むのに、どのように社会になるのかと思いました。本当にせつなかったのです。どんなに考えても暴風に会っています。どんなに考えても、これはサタンの働きです。
でなければ、どうしてそのようなことがあるでしょうか? 孫娘みたいな小学生を売って、お金をもらう人々が、サタンのしわざでなければ、どうしてそのようにすることができるでしょうか? 専門的にする売春婦が、そのようにするとすれば理解できます。どうして小さい小学生をそのようにすることができるのでしょうか? どんなに考えてもサタンの働きです。
 
易、シャーマニズムの家に政治家たちの感謝状がついていることをニュースで見せてくれるでしょう? こういう方法であるから、危機に会ったのです。パウロが、この船は行くことができないと話したのですが、大丈夫だと言いました。危機時代に会っています。どのようにして、暴風に会ったのでしょうか? パウロが、この船は行くことができないと言いました。神様のしもべ、神様のみことばを完全に無視する時代です。私達がここにいれば不便です。ペニクスに行こう。便利主義! 大部分の人がペニクスに行こう。多数主義! 船に乗って行くのになんの事もなかった。安易主義! これが暴風に会う理由です。突然に暴風が起きました。これが単なる暴風ではなくて、人生の暴風です。
この程度ではありません。本当に信徒でイエスを10年以上信じた方達、宣教師、牧師、役員等は考えなければなりません。表に出ないでのですが、人間は神様に会わなくて気楽でしょうか? なにか安らかでなくて、良くならないのです。それが人間です。なにか知らない困難がくるのです。
 
暴風が来たのに対策があるでしょうか? 私が以前に説教したことを思い出しますが、幼いころに‘サラゴ'という台風がありました。どの程度強かったかというと、すべての屋根がみな飛んで行く程でした。私たちの町の屋根がみな飛んで行ったのです。ところが、ユーラクロンという強風が吹いたのです。どのように生きることができるでしょうか? 船が沈むのに、皆様ならば、そのような状況にあえばどうするでしょうか? そこに何の階級が必要でしょうか。経験が必要でしょうか?お金が必要でしょうか? なんにも効き目がありません。
霊的な意味がものすごく大きいのです。誰も防止できません。人間に暴風が押し入るのに、どのように防止することができるでしょうか? 一ケ月だけ続いて雨が降るならば、私達はどのようになるでしょうか? 暴風が、強風が吹いて来るのに、どのようにするのでしょうか? ところが、だめな解決策を動員して船にある物をみな捨てたのです。言わば科学的な方法を使ったのです。すると、科学が人生をみな解決できるのでしょうか? できません。それから、この人達が自分自身の神々を呼んで、祈りました。宗教的な方法です。聖書 27章を読んでみれば、一生懸命努力したとなっています。人間的な方法をみな使ったのでした。だめでした。
その時でした。神様が、パウロを通じて解決策を下さいました。今日、皆様がよく覚えましょう。何だと話したのでしょうか? ‘昨夜、私の主で、私の仕えている神の御使いが、私の前に立って' 人々が知らない科学的な方法がひとつあるのです。‘神様が主の御使いを送ってくださり'‘昨夜、神の御使いが'これは霊的な科学です。
皆様は、必ず記憶しなければなりません。皆様の子供のために祈っているのではないでしょうか? 神様の御使いが! 聖書の一ケ所ももれなく。 "恐れてはいけません。パウロ。あなたは必ずカイザルの前に立ちます。そして、神はあなたと同船している人々をみな、あなたにお与えになったのです!"
 
パウロが、この困難に陥った人々に、はじめに人々の過ちを指摘しました。‘あなた方が、私の忠告を聞いていたらこのような目にあわなかったのに' しかし、過ちを指摘して、解決にすることではありません。皆様の子供を責めて解決にすることがありますか? ‘昨夜、神様が私に恐れるなとおっしゃられた' みことばを聞く瞬間に、その人々の心が穏やかになったのです。神様のみことばを聞けば、解決するのではありません。その中に核が出てきました。‘恐れてはいけません。パウロ。あなたは必ずカイザルの前に立ちます。' 福音の核心です。
今日、皆様が問題を解決する重要な答を得なければなりません。皆様が祈りを多くしているならば、神様が主の御使いを送って、皆様の家庭、皆様の周囲をたくさん助けられます。黙示録8:3 祈れば、どんなことがおきるのでしょうか? 出エジプト14:11 祈れば、どんなことがおきるのでしょうか? U列王19:32 祈ればどんなことがおきるのでしょうか? それで、ここに集まって祈るのです。皆様がここで今少しの間祈れば、皆様が祈った対象の方向に、神様が主の御使いを送られます。それで、ここの長老達が、本当に信じて祈るならば、皆様の事業なさる所に神様の御使いを送られるのです。人を動かして、全てのものを動かす神様の御使いを送られます。信じられるでしょうか? 私は、以前にこういうことを夢にも考えていませんでした。信じられる瞬間から祈り始めたのです。‘そうだ! 祈るとこのような事が行われる'
 
暴風は来て、船は沈んで、生きる道はないのに、パウロは祈り始めたのです。その時、神様が主の御使いを送られました。皆様、子供のために祈ってみることを望みます。私がある国に行ったのに、絵に子供が外で遊んでいるので、天使がこの子供を覆っていました。本当によく表現した絵だと考えました。その話は、聖書にだけあります。
 
聖書に主の御使いを送って保護しました。ダニエル、イザヤがそうです。ペテロもそうで、今日、パウロに神様の御使いが。信じるようになることを主の御名でお祈りします。少しの間祈ったのに、皆様の現場に神様は神様の御使いを。どれくらい驚くべきことでしょうか? これを悟るならば、皆様が大統領になったことより良いのです。神様の御使いを。どれくらい感謝なことでしょうか。問題解決の最初です。祈り! それで、私達がソウルのために、世界のために祈りをするのです。
私はこれを知った後に、動きながらずっと祈りをします。どれくらい驚くべきことでしょうか。私は信徒が祈りをしないという事実を知りました。ずっと祈りました。私は多くの主のしもべが、役員達が祈りをしないということを知っています。それで、その方を置いてずっと祈りました。伝道師などに会えば必ず話します。教会学校のために祈りなさい。教師や多くの人々が、祈るべきだと言いません。それで、祈りをすべきではないでしょうか。今日、一度信じて、祈ってみるように望みます。次の週にくる時間に、たぶん証しが生まれるはずです。‘あ、これだ'と言いたいでしょう。しかし、ずっとしていれば悟るようになるはずです。
 
私はいつも祈っています。神様が天の軍隊を動員されて、あらゆる福音を防止する勢力を止めて、人の力ではできないために、神様が福音、伝道の門を開けてください。その祈りだけしたのに、申し訳ないのですが、私たちのタラッパンが始まる時、ある方が予言して、3年のうちに門を閉めるだろうと言ったのに10年が過ぎたのに、倍に復興しました。神様が皆様の周囲に天の軍隊を送ってくださって、驚くべき秘密を繰り広げてくださるのです。
2番目です。どのように解決したのでしょうか。過ちを指摘しました。過ちを知っていなければなりません。 自分の過ちだな ‘皆様が私の話を聞いていたなら、こんな目にあわなかったのに...'とパウロが話しました。過ちを正しく知っていなければなりません。皆様が家庭問題があれば、祈れば解決します。しかし、その次に知っていなければならないことがあります。相手方の過ちではありません。自分の過ちを早く悟らなければならないのです。
 
悟って三番目に与えられることは何でしょうか。神様の答です。神様の答と神様の慰めです。しかし、神様がおっしゃるのに、恐れるなとおっしゃいました。25節に‘すべて私に告げられたとおりになると、私は神によって信じています。'
 
それとともに、四番目の核心を話したのです。カイザルの前に立たなければならない。その話は、カイザルの前に行ってイエスがキリストだという事実を言わなければならないということです。霊的に死んで行く人を生かすように、福音を言わなければならないのです。福音ゆえに。パウロのためではありません。福音ゆえに。
 
 今日、皆様に真の最高の祝福が回復することを希望します。
 私も死にそうな経験を多くしたのですが、神様が生かしてくださいました。火の中に何時間もいたり、水にも落ちました。とにかく、その中から神様がみな生かされたのです。また、私は悪い経験も多くしました。悪い経験の中でも、神様が私を保護してくださいました。なぜでしょうか?福音のためです。開拓を開始しながら、多くのことがあったのですが、神様は多くの答えを下さいました。今日、皆様がこの答え、祝福をそのまま受けるようになることを願います。
人々は嘘をついて、あちこち回ります。それがみな偽りです。生きようとすごく苦闘するのに、良くなりません。簡単に解決にする答があるのです。神様の御使いが。神様が私たちに悟りを下さって、みことばを下さって、福音の秘密を持って。間違いありません。もう二度とだまされないで、早く悟ってくださることを望みます。今日、ここで皆様が重要な神様の秘密を悟らなければならないのです。
 
私が今日、使徒の働き 27章 24〜25節を選択したのは、私が10年間使徒の働きを話しました。それで、今週までして、来週からは生き方に関する旧約に移って、詩篇をしようと思います。以前に詩篇をしている途中で礼拝が少なくなるようになって、中断したので、詩篇を通じて、また生活に対する整理をしようと思います。私が10年間、釜山では15年間、夕方に使徒の働きの講義をしました。バカではない以上、使徒の働きをみな暗記するはずです。
そして、今日の本文には、使徒の働きではほとんど終わりだと見ることができるメッセージです。‘恐れてはいけません。パウロ。あなたは必ずカイザルの前に立ちます。'覚えているはずです。釜山で15年、16年前に今、釜山で礼拝をささげているパク・ウォンギュ長老が私を訪ねて‘先生。私たちは開拓する教会です。牧師が必要です。私たちは、小さい教会ですが、私たちの教会にこようと人々が履歴書を多く出しました。先生も履歴書を書いて、私達の教会に一度説教しに来てください'と言いました。‘長老。履歴書が30枚もあるならば、その方達の中から選んでください。私が説教しにいくことはできません。私が説教をすれば、誰が判断するのですか。一度説教する時は上手にやる事もでき、下手にすることもあります。韓国の教会が誤って成っていくことです。長老が私の説教を聞きたいならば、私が副牧師であるので来て聞いてください。そして、時間がないならば私のテープを持っていってください' パク・ウォンギュ長老にそのように話しました。パク・ウォンギュ長老は、賢い方です。私の話を早く悟りました。
説教テープ2ケを差し上げたのに、三十人を越える信徒がみな一緒に集まって聞いたということです。長老のことばでは、全員一致で可決したということです。それで、長老が私を呼んだので、行くことになりました。その時、長老が強調された言葉が‘先生。これは先生を良いかどうか、説教をテストしようということではなくて、先生に仕えるようにしたのですから、顔を見なければならなくないでしょう。それで、説教しに来てください'と言いました。その話は、私が前で言った話にすこしは衝撃を受けて言ったことでしょう。それで、分かりましたと言いました。それで87年10月 3日に私が、インマヌエル教会、以前は東三第一教会に説教しにいったのです。その時の説教の本文がこの本文です。‘恐れてはいけません。パウロ。'この本文を説教しました。
この地球が今、暴風に会っているのです。家庭が、個人が、教会がみな暴風に会っています。答は簡単なのです。‘恐れてはいけません。パウロ。あなたは必ずカイザルの前に立ちます。あなたは、福音を伝えなければならない。’ということです。‘昨夜、神の御使いが...’です。皆様、教会が暴風に会って、異常でしょうか。教会に通ってどれくらいなっていますか。私は50年になりました。暴風に会っていると考えられないでしょうか。普通の問題ではありません。危機、暴風に会っては、容赦なく沈むのです。そのような時、276人がみな死にそうになったのに、恐れてはいけません。パウロ。昨夜、主の御使いが。皆様、信じてくださるように望みます。
皆様、人生を歩く間に、神様が皆様のお手伝いをなさるのではなくて、皆様を導かれるのに、だれが送られるでしょうか?というと、使いとして主の天使を送ってくだって、皆様の人生の手伝いをさせるようになるはずだということです。皆様が行く中に間違った道を悟るようにしてくださるのです。そして、慰めと生かすみことばを与えるはずです。何で生かすのでしょうか。福音で。間違いありません。だまされないように願います。
私には確信があります。するとみてみましょう。なんにもしなくて、福音だけ伝える釜山の私たちの教会と、ソウルの私たちインマヌエル教会がどのようになっているか見ようということです。どれくらい信仰が生じなくて苦闘するのでしょうか。苦闘する理由がありません。尋ねるように願います。私がしたことは、なんにもありません。あらゆる事に‘ok'しました。関係ないことです。神様の計画が変わることはありません。譲歩をみなしてもかまわないのです。それが神様の思い通りになるので、人の考えでなることではありません。バカでもそのように考えます。釜山でなんにもしたことはありません。わざわざしなかったことでもありません。特に魅力がなかったのです。
 
他の牧師に仕えて復興会をするようにしたのに、私の意見で反対したことはありませんでしたが、その時、私たちの信徒が積極的に反対をしてきました。先生の説教を毎日聞いて恵みを受ければよいので、復興会をしなくても良いと言いました。私がわかって、その方に信徒が復興会をしないと言ったので、止めると言ったところ、その方が名誉不遜だと内容証明を送ってきました。大変なように見えたのですが、そのような経験もあります。
すると、私たちの教会はどのようになるでしょうか。見てください。福音が弱いのではありません。無力な人、貧しい人、弱い人が集まりました。これからどのようになっていくか見ようということです。福音は、そんなに力がないことではありません。それを証拠しようと私がソウルインマヌエル教会にきたのです。福音がどうなのか見ましょう。私達がそのように頭を使って、方法を使う程に、神様が弱い方でしょうか。そのような神様ではありません。皆様は、神様をよく知っていることができずにいらっしゃいます。
 
神様は私たちのいのちの主です。私達がどのように、この未来を分かるでしょうか。簡単です。神様を信じる瞬間から未来を知るようになるのです。私は死ぬ人をたくさん見ました。私たちのお隣りの友人の父一人は、明け方早く起きて登山して、土曜日は早くきては子供達と野球をしながら、徹底して健康管理をしたのです。新聞を見ても、からだに良いということは、率先してしたのに、本当に早く亡くなりました。
そして、私が知っている医者の一人は、釜山の有名な病院の患者を担当する方でした。ところが、本人は肝臓ガンで亡くなりました。医術を無視するのではありません。しかし、人間が生きる、死ぬことは、神様の処理によるということです。どんなに苦闘してもだめなのです。
また、ある方は昼夜酒を飲んで通う男は、肝臓ガンにかからなくて、酒を一滴も飲まない夫人が肝臓ガンで死んでしまったのです。もちろん用心することはできます。それが違うということではなくて、結局、私たちのいのちはどこにあるのでしょうか。神様の御手にあるのです。
私は世界史を勉強しながら結論を出したのですが、それが何でしょうか。神様をよく信じる人は、良い生活をして、神様を信じなかった人は、生きることができなかったということです。結論が出てきたことではないでしょうか。教会史を勉強してみれば、結論が出て来ないでしょうか。正しい教会が立つ時、民族と世界が生かされ、教会が全部、教会の権力に捕われて、福音をのがす時、滅びたということです。未来を知ることができることがもっとあるでしょうか。私が神様を信じる瞬間に、皆知ることになるのです。 聖書を見ましょう。私達が神様のみことばについて行けば、未来を皆知るようになっています。その中の核は何でしょうか。福音ゆえに。
 
今回、私たちの学生達集会の主題であり、昼にも話しました。ところが、何故また話すのでしょうか。みな共に祈ろうということです。レムナント運動は家庭から始まるのです。レムナント運動は、危機で成功することです。最後に、学生達に福音ゆえに成功しましょう。
1部の時もお話ししたのですが、私が驚いた事実は、学生達があなたがたよりもっとよくなりました。明け方 5時に起きて、恵みを受けようと前の席に座っている子供が多かったのです。9階から降りて来なければならないのに、私がエレベーターに乗りながら驚いたことは、子供達が並んで立っていたのです。何故このようにいるのかと聞いたら、集会をするのに早く入っていこうと、そのようにしていると言いました。それを見て、本当に驚くべきことだ。未来がある! 学生達がみことばをよくわかるのです。みことばがわかって、絵を描くのに、本当にすばらしく描きました。希望があるんだな。と思いました。
韓国がどんなに間違ってもかまわないのです。年を召した人々は、早く祈って待てば、亡くなって行くことではないでしょうか。今育つ学生達がいます。どんなに間違った人も、早く亡くなるように祈ってあげれば、なんの問題もないのです。上がってくる人々だけ、福音でよく育てれば良いのです。年をとった方達は、気分が悪いかもしれませんが、止むを得ない事実です。
私が一度話したではないでしょうか。以前、慶州に行くのに長老達の家庭とレムナント集会がありました。片方は行く集会、こちらは来る集会。どんなに力強い人も登る太陽を防止できなくて、沈む太陽を止めることはありえません。沈んで行く太陽をどのように捕まえるのでしょうか。
 
それで私が今回のメッセージをすこしより拡大させて、米国でしようとしています。レムナント運動の開始は個人からです。レムナント運動の開始は家庭からです。レムナント運動の開始は人間関係からです。準備をそのようにしました。神様が私たちに与えられた祝福の契約、未来は簡単です。信じる瞬間、その時から分かるようになります。信じてくださることを主の御名で祝福します。
もう一度最後にお願いします。幸福でないのに嘘をつかないで、顔に塗って通ってもよくなるのではありません。以前に話したことではないでしょうか。それも若い時、少しの間であって、年をとればなんの効果もないのです。どんなに皮膚管理のようなものをしてもよくなりません。
一度は、誰かがきて、しばしば頼むのしたのですが、顔のシワを伸ばすのになにかを入れなさいと言いました。それひとつ入れたのですが苦労しました。痛くて、何の効果もないように思えました。私はありのまま老いて死ぬと言いました。一度してみましたが、そのような必要はないのです。
 
女の方達もたくさんいらっしゃいますが、この前お話ししたことではないでしょうか。10代 20代くらいで、化粧でよくなるのであって、すでに30代を越せばうまくできません。それを扮装だと言います。40代を越せば偽装。50代を越せば、すでに違います。加粧。60代は包装。70代はなにかとしたところ、幻粧(狂っている)と言うそうです。できることではありません。
 
皆様が本物の福音を持って、本当に神様の前で。未信者が愚かに欺くそれを聞いてだまされないようにしましょう。神様もなくいるのに、それを見て感動を受けないで。何で世の中の人々が、力があっても、どれくらいあるでしょうか。結局は、神様の手中にみなあるのです。それなら、パウロ。恐れてはいけません。カイザルの前に立たなければならないのです。皆様の生涯に最高の祝福を受ける日になることをイエス様の名前でお祈りします。
 
<<契約の祈り>>
神様に感謝申し上げます。私たちのいのちを治める神様に感謝申し上げて、キリストで救いを下さいました神様に感謝申し上げて、今日、信仰を回復する、福音を回復する日になるようにさせてください。いやされる重要な日になるようにしてください。もしこのうちにまだ福音を受けずにいるならば、神様の子供になる祝福を与えてください。色々な霊的問題で困難を受けているならば、キリストの秘密で解決するようにしてくださって、隠れた問題を神様にさらけ出して、福音で解決されて、それが踏み台になることができるように神様が祝福してください。家庭と個人と事業と現場に、襲ってきた暴風を、この危機を福音で解決できるように、みことばで解決できるように、祈りで解決できるように、恵みを増し加えてください。主イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン