2002年 8月 25日 インマヌエル教会聖日メッセージ


1部/答えを受ける信仰の転換点
(マルコ7:1〜23)
 
 
・私は、救われて神様の子供になってから、ひとつの習慣ができました。それは何かというと、目が覚めれば、神様に祈るのですが、'神様、今日一番に栄光を帰す一日になるようにしてください。' それが目を覚ませば先ず一番にする祈りです。'今日、あった日の中で最高の日になるようにしてください。そして、私に会う人が、神様の祝福を受けるようにしてください' それが、私の習慣であって、祈りでもあります。神様を知ることができなかった時、そのような祈りをすることができませんでした。神様を知っていれば、どこでも行けば 'ここが今日、祝福の場になるようにしてください。私に会う人が、最高の祝福の日になるようにしてください‘と祈ります。それは、私のゆえになることではなく、神様のゆえにです。それで、そのような祈りをいつもしています。
 
・この前の月曜日に運動をしました。山を何時間も登らなければなりませんでした。その時、健康のために祈りを多くしました。そばでお手伝いをする人が付い来ていました。 '私が今日、この人に福音を伝えねばならない'と考えました。ところが、時間があまりありませんでした。この人がお手伝いせねばならないために、時間ができなかったのです。
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・しかし、途中で止まるようになりました。それで、簡単にメッセージをしました。"お嬢さん。このゴルフ場の主人は誰ですか?" "○○さんです " "お金持ちですか??" "よく知りません。." "このゴルフ場は、よく運営していますか?" よく分からない様子でした。それで、私がこういう話をしました。 "私が知っている大部分の財閥は、苦労をしています。多くのお金を借りて、返すことができなくて、崩れる人々が多いのです。はた目には金持ちのように見えるけれど、ものすごく苦労しています。たぶん、ここの主人もそのようなかもしれません。ところが、私は国会議員、身分が高い人にたくさん会っているけれど、みんな苦労しています。私は、幼い時から教会に通っていました。ところが、教会に通う人がまたにせ物です。" そのように話すので、その人も笑いました。 "私はある日、福音を知るようになったのです。私はある日、本当に神様を知るようになりました。私が本当にイエスを信じるようになったのです。私は、ものすごい祝福を受けるようになりました。どれくらいたくさん受けたか。お嬢さんに対して説明するのが難しいのです。霊的に受ける祝福はものすごいのです。そして、世的に受けたことも多いのです。世的に言えば、大統領になる人が、また大統領になった人が会おうと呼ぶ程なら、成功したことではないでしょうか?" 簡単に説明しました。世的にもそうです。 "ところが、そのようなことは、問題ではありません。私が神様の祝福を途方もなく受けたのです。私は、この祝福をお嬢さんに対して話したいのです。" 耳を傾けているように見えました。
・お手伝いをしに行ってメッセージが切れたら、時間が出来ればまた話をしました。ちょっといたら、金秘書が仕上げの話をしました。金秘書が話す時、私が祈って、私がした時金秘書が祈って、二人で交代でメッセージをしたのです。金秘書が言う話が "この良い日に、先生があのお嬢さんに受け入れの祈りをさせれば良いでしょう" と言いました。人々が受け入れの祈りをむやみにさせようとします。ところが、それではありません。本当に重要な瞬間です。
 
・それで、お嬢さんに対してこういう話をしました。お嬢さんが本当にキリスト・イエスを受け入れる瞬間、驚くべき事が行われます。ある人は病気がよくなることまであります。私はそのようなことをとてもたくさん見てきました。キリストがなんの話なのかを知って、イエス様を受け入れる瞬間、精神病が良くなった人も見ました。とても驚くべきことです。今現在、釜山インマヌエル教会に座っている人々の中には、そのような人が多くいます。ある人は、イエス様を受け入れる瞬間、自分にあった生涯の問題が解決する人もいます。みなこの方達は、本当にイエス様を信じたのです。そのような話をお嬢さんに対してしました。それで、受け入れることは、問題ではありません。簡単にメモをしました。キリストがなんの話か? どのようなことをされたのか? もしイエス様を信じれば、どのようになるのか? もしあなたがイエス様を受け入れれば、どんなことが行われるのか? 神様の聖霊が、あなたの中に永遠にとどまるのです。その時から変わります。これは間違いない事実です。‘イエス様を受け入れますか? ’と言ったら、自分は教会を通っていると言いました。‘本当に信じれば良いのです。’と言ったら、‘信じる’と言いました。‘イエス様を受け入れることは簡単です。’といったところ、‘信じる’と言いました。それで書いたものを渡しました。そして、集会の準備をしようと降りてきました。私にとっては、その時間が最高の時間だと確信しています。それは、なんでもないことのように見えるのですが、時間が経てば経つほど、驚くべき事が行われます。
今日ここにいらっしゃった方達が、本当にイエス・キリストの話を本当に知って信じるならば、間違いないみわざが起きるようになります。どんなことが行われるのでしょうか? 罪と運命と呪いから、完全に解放されます。本当に信じれば、驚くべきことではないでしょうか。なにかをするのではなくて、本当に信じれば、サタン、悪霊、あらゆる悪い霊とは、完全に関係ありません。驚くべきことです。これは、途方もない事になります。本当に信じるならば、神様の驚くべき働きがおき始めるのです。それで、受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになりました。
 
先週には、役員の修練会をしました。役員に重要な多くのメッセージを約束しました。その中で、こういう話をしたのです。年を取れば、体質がなかなか変わりません。年を取れば、自分が持っている考えがよく変わらないのです。年を取れば取るほど、自分の経験を持って生きようとします。その限界がくる日、終わる日です。これがまさに人間です。もし役員がそのような限界だけ抜け出すことができるならば、相当なことなのです。
 
それで、そのような話をしました。私がちょっと年を取っても用いられる人物に会うようになりました。キム・ジュンゴン博士、キム・チャンヒ先生、ハン・ギョンヒ先生など、こういう人々に会ってみたのです。特徴があります。はっと驚きました。全く老人ではありません。頭が本当に若者のようでした。もちろん白髪がありましたが、それでも考えは完全に若い人です。 'あ、これが特徴だな.' 大きく用いられない人は、考えを見れば、完全に老いた老人のしるしがあります。だから、どれくらい差が出るでしょうか。
 
それで、私たちの役員の方に対して、こうお願いをしました。皆様、本人の人間の体質ではなく、神様の驚くべき恵みを受けましょう。今日、皆様の生涯に受けていない驚くべき祝福の日になることを望みます。それは常に私の信条です。どこに行っても祈るのに、‘以前になかった神様の祝福が現れる時間になるように。まちがいなく、私に会う人が神様の祝福を受けるように、そして、私の下にいる人達が成功できるように。そして、私たちの信徒が祝福を受けることができるように。’と祈っています。まちがいなく、そのようなことが約束だと知っています。それで、これが私の祈りです。目を開ければ先ず一番にする祈りがこの祈りなのです。'今日、最高に神様に栄光になる日になるようにしてください。いままであった中で最高.' それがどれくらい良い祈りでしょうか? 私はいままで多くの答えを受けました。まちがいなく、重要な発見をするようになりました。
・皆様は、うれしいと感じたことがありますか。いつか、各々みなあるでしょう。私も '気分が良い.'と感じるような日がありました。それをたどって思い出してみるならば、たくさんあります。
・私が幼い小学校2,3年の時、韓国の最高金額の紙幣を拾ったことがあります。気分が良かったのです。そのような体験はないでしょうか? 私はその金を拾った時、ものすごく気分が良かったのです。そうしながら、店を回って、買いまくって食べました。思い切り買って食べても余ったのです。その時の良い気分は、今でも消えないであります。今、私は忙しくてあまりお金が必要ではありません。むかし学生の時、お金がない時ごとにそのことを思い出しました。
・一度は、道を行く時、万年筆を見つけました。幼い時あまり見ることができなかったパーカー万年筆を道で拾ったのです。もちろん短い期間だったのですが、気分が良かったのです。それを拾ってポケットにいれて歩くのに、気分がどれくらい良かったでしょうか。また、私が登山に行って岩で時計ひとつを拾いました。その時計は、セイコーという良い時計でした。誰かが知らずにはずして置いて、そのまま行ったようでした。それをはめて降りてくるのに、気分が良かったのです。
・私たち人間は、生きていれば、気分が良い経験が多くあります。一度は、私たちの学校で成績表を貼ってあったのですが、私の良い成績が出ていました。私はあまり想像をしなかったのに、気分が良かったのです。気分が微妙でした。こういうこと等、気分が良いことがたびたびあります。
・ところが、それらはみな一瞬でした。私は本当に不思議に気分が良い時がありました。あ、神様が生きておられて、私とともにおられるということと、神様の子供であるという事実を知るようになって、何でも祈れば良いのだな。私が神様の子供であるゆえに、福音が何か知ようになって、人々が何ゆえに滅びるようになったのか分かるようになりました。それで、私たちは伝道するんだなと知るようになったのです。神様の子供となった事実を時間が経てば経つほど、確実に知るようになりました。
・ところが、その気分が良いことは、時計を拾うこととは違います。不思議になにか平安です。実際に、私が時計を拾ってはめて降りてくる間、平安ではありませんでした。持ち主が確かに探しているはずだ... という気がして、私が万年筆を持って帰る時、気分は良かったのですが、なにか不安でした。おとながみれば、ポケットを手で隠して行ったりしました。なにか自分のものでないからそうです。
・私がその時お金を拾ってどれくらい買って食べたか、腹が一杯になって、家に帰ってご飯を食べることができなかったのです。ところが気がつくのが早い私の母が、正し始めるのに、どれくらい不安か分かりません。なぜご飯を食べないかと言うのに、私がどれくらい不安か。いよいよその頭が良い私の母が、私のポケットをひっくり返し始めたら、どれくらい不安か分かりません。引き出してみたら、黄、白、黄緑の紙幣が一まとまり出てきたので、本当に胸が引き締まる思いでした。それで、気分が良い瞬間は、少しの間で後からどれくらい不安か分かりません。 '私達が神様を知る。真理を知る' これは普通の喜びではありません。あなたがたが、本当にこの気分を回復するべきです。なぜでしょうか? 人間だけが神様を崇めることができるためです。
・さて、今日の本文の話をすこししましょう。この本文の話は、こういう話です。イエス様の弟子が行く時、手を洗わないでパンを食べたのです。ですから、パリサイ人達がけんかを売って来たのです。どうして手を洗わないでパンを食べるのか。韓国の言葉でモチですが、原文にはどのように手を洗わないでパンを食べたのか。こういう簡単な話です。 'これが何で重要ですか' としたいでしょうが、私が見る時は、本当に重要です。これがまさに私たちの姿です。私達がものすごい真理は知らずに、パンを手で食べるのか。洗って食べるのか。洗わないで食べるのか。ここにいのちをかけています。これがこんにちのクリスチャンの信仰生活なのかも知れません。
 
・私は、今日の本文を見て、とても重要だと思いました。今日、考えることがいくつかあります。弟子がパンを洗わない手で食べたことで、けんかを売ってきたパリサイ人です。この人達に対して知る必要があります。この人達のレベルは、すごいのです。私達がこういう部分は習うべきです。私とあなたがたが、イエス様を信じながら、多くのことの中で基本を整えるべきであるのは、常識です。あなたがたが金儲けがよくできないならば、早く基本を整えるべきです。皆様の家庭が安らかでないならば、早く基本を整えるべきです。それがどれくらい重要でしょうか。だから、私達がこういうことを整えられなければ、いつも不安になります。一言で、ユダヤ人達がものすごく基本を整えたのです。本当に良いのです。それが悪いということではありません。
・昨日はパク・チオン牧師の娘が結婚式をするので、私に挨拶しようと来ました。新郎を連れてきたのです。それで挨拶をしないと言うのに、何度もパク・チオン牧師が一言だけしてくれと言いました。私がする話があるだろうかと思ったのですが、私はこういう話をしました。多くのことをそれほど準備する必要はありません。今、私たちクリスチャンは、21世紀が家庭を攻撃する暗闇がくるために、それひとつだけ守ってもかまわないのです。そして、より重要なことは、結婚する時、なにを買って行くかは、問題ではありません。学者の話によるならば、結婚する前に 'あの男の人に会いたい、あの女の人に会いたい' こういう気がします。ところが、そのようなエネルギーは 3ケ月しか続かないのです。残りは、あなたが作らねばならないと言いました。それをあなたが作り出さねばならなくて、男の人が作らねばならないことです。その準備をせねばならないのです。他に準備をどんなに多くしても効果がありません。そのような話をしてあげました。
 
・私達は、基本をよく整えるべきです。パリサイ人は、すごいのです。必ず参考にする必要はあります。すでに家でシェマ、トーラー、タルムードの教育をさせます。ユダヤ人達は、集まる所ごとに会堂を作るのです。ユダヤ人達は、集まる所ごとに学校を作ります。本当にたいしたものです。そして、ユダヤ人は時間管理がすごいのです。私はユダヤ人についての本を読みながら 'あ、こういうこともできるのか'と思いました。ユダヤ人についての本をあなたがたが読めば、想像を超越します。ユダヤ人のことわざの中に、こういう言葉があります。‘連絡なく訪ねて来る友人は盗賊だ。’ユダヤ人のことわざです。どんなに親しい友人であるとしても、あらかじめ約束しなければ会いません。この方達が、時間をどれくらい徹底して守っているでしょうか。時間をどれくらい大切に感じているか分かりません。本を読みながら、ものすごいなと思いました。私たち韓国人の話を聞けば、ユダヤ人が驚くはずです。退屈ならば電話して '遊びに来なさい' と話します。電話をして終える時も、冗談をみな言ってから '遊びに来なさい。' 電話をかければ、退屈ならば '遊びに来ませんか?' 特におばさんがそのようです。遊ぶことを本当に良くするようです。ユダヤ人達がそのような単語を聞けば衝撃を受けます。友人がきても、約束なしなら来ないようにしています。この人達は、世界を征服するだけのことはあります。
 
・そして、ユダヤ人研究をしてみるならば、経済観が徹底しています。子供に教えるのです。‘あなたがお金がない? 神様を誤って信じた。あなたはお金が多い? 神様をよく信じた人だ。’ユダヤ人がそのように教えます。神様とお金は同じなのです。あなたがお金が多いのは、神様をよく信じているのだ。これがユダヤ人の思想です。
・子供達が大きくなって話が分かる時がくれば、山に連れて行きます。絶壁みたいな所に連れていって、木の枝二本をつかむようにするのです。絶壁で握りなさいと言われるので、木の枝を握っているのに、父が握るのはやめなさいと言うので、息子はどのようになるでしょうか。落ちれば死にます。現在、木の枝をぎゅっと握っています。その時、父が命令するのです。その厳重な父の権威で話をします。手を離しなさいということです。するとどのようになるでしょうか? どんなに子どもがバカであっても、離せば下に落ちて死ぬのに、父がずっと命令します。おまえがつかんでいる木を離しなさい。ずっと命令します。子どもがどんなにそうだとしても、父が何といっても、離せば下が絶壁なので、落ちないでしょうか。
・この時、子供が悟るのです。 'あ、私がなにか間違ったんだなあ。父が私に罰を与えるんだな。'これを悟って、父に対して間違っていたと言います。父に間違ったことがあれば赦してくださいと言うのです。その時、父が言う話は "おまえが握っているこの一方の手は神様で、おまえが握っている他の一方の手は経済だ." これが、ユダヤ人教育です。怖いのです。この人達は話もできない程です。水準がすごいのです。その結果、この人達が地球全体を掌握しました。
・イエス様の弟子はどうなのでしょうか? 弟子は学閥もありません。イエス様に付いてまわる弟子は、ほとんど学歴もありません。食べ物も手を洗って食べねばならないのに、そのまま食べました。これを非難しているのです。そして、弟子の中には、取税人もいます。税金を取る人なのですが、いまは公務員ですが、その時は、ならず者でした。はなはだしきは、イエス様が売春婦を赦してくださったのです。イエス様は、らい病人の家に行って食事もなさったのに、ユダヤ人の立場で見れば、非難されて当然です。すると、今日、ここでなにを話しているのでしょうか? ユダヤ人の水準がものすごいのです。しかし、最も重要で根本的なことを知らずにいます。そして、この弟子が足りないことは事実です。しかし、キリストに会って最も根本的なことを知っていました。
・今日、このところであなたがたが記憶しなければなりません。私達が信仰生活するということは、どういうことなのでしょうか。もちろん、ここには、レベルの高い人もいて、レベルの低い人もいます。私は時々こういう話を聞くこともあります。ある人が教会出てきていたのですが、出てこなくなりました。なぜ来ないのかと聞いたら、教会に行ったら、レベルがおかしな人がいて試みにあって出てこないようでした。分かります。
・しかし、それは信仰生活ではありません。自分のそばにいる人が乞食であっても、らい病人であっても、実際にはそれは関係ないことです。パリサイ人が、すばらしいことを発見できない理由は、ここにあります。イエス様が誰かを見ることができなくて、あの人々はパンも手を洗わないで食べるのかと、相手にしないというやり方なのです。もちろん、その部分だけ見れば分かります。あなたがたがものすごくこの部分を重要に感じるべきです。
・あなたがたが必ず発見せねばならないことは何でしょうか? 皆様、パリサイ人達が、どのようになったのか知っているでしょう。AD70年ごろにイスラエルは崩れました。歴史の勉強をしてみたことがあるでしょう。1400年間、国を失いました。知っているでしょう。23ケ国でイスラエルは虐殺されました。その中の一例が、ヒットラーによって600万名が死んだのです。こういうことがあるでしょうか。どうして、そのようなのでしょうか。皆様がおわかりの通り、イスラエルは福音を徹底的に邪魔した国です。皆様が意味をよく考えるべきです。福音がどれくらい重要なのでしょうか。
・私は、今日首都圏に住んでいる多くの人々に頼みます。本当に神様の福音は何でしょうか?皆様自身が下手するとのがすようになります。今、弟子達が手を洗わない問題でパリサイ人は恵みを受けることができませんでした。イエス様がここでおっしゃっていらっしゃいます。 'あなたがたの中から出てくることが汚いのか。内から出るものが汚いのか?'.イエス様がみことばは、手を洗わないで食べなさいという話ではありません。しかし、パリサイ人と私たちクリスチャンが概して知っている普通の信仰生活の方法です。ものすごく注意すべきです。
・今日のマルコ福音 7章 5節を見れば 'パリサイ人と律法学者たちは、イエスに尋ねた。「なぜ、あなたの弟子たちは、昔の人たちの言い伝えに従って歩まないで、汚れた手でパンを食べるのですか。」'. これは、悪い話ではありません。 'イエスは彼らに言われた。「イザヤはあなたがた偽善者について預言をして、こう書いているが、まさにそのとおりです。『この民は、口先ではわたしを敬うが、その心は、わたしから遠く離れている。彼らが、わたしを拝んでも、むだなことである。人間の教えを、教えとして教えるだけだから。』.' 皆様、本当に今日深く考えるべきです。信仰生活は何か?を一度見る必要があります。
・今日この部分は、もちろん今イエス様の弟子達が良いということではありません。ほとんどみんなが、信仰生活にとても重要な部分、未信者がなぜ滅びるのか、こういう部分を全く知らずにいるのです。いったいキリストの中にある祝福が何か?この部分が分かってこそ、伝道も分かって、祈りも分かるのではないでしょうか。この部分が分からなければ、神様の国がなにか、分からないでしょう。全くこの部分が分からなかったら、信仰生活を開始もできないのです。なにを見て、知っているのでしょうか。人をみつめて、皆様がその部分にだまされてはなりません。
 
・私はある時は、一週間の間、ずっと困らされる時もあります。突然に誰かにから電話がきました。そして、やってきてお金を貸していたように、お金を出しなさいと言います。それで、私は内心、私に対してお金を貸しているのかと言いたい程です。私は、お金を作る人でしょうか?こういう気がしました。気分を悪くして帰っていきます。 一週間ずっとそのような時もあります。一週間、ずっと人々がおかしな話だけをする時もあります。おかしな行動をずっとする時もあるのです。それで、'異常だな。こういう人と世界の福音化をずっとするのか' こういう考えにしばしばなりました。それは私の錯覚です。それと神様の能力とは関係ありません。それと福音運動とは関係が全くないのです。皆様自身が、下手すると信仰生活をしてみることもせず止めるのです。皆様が信仰生活をちょっとしてみるように願います。
・私が知っているクリスチャンは、大部分が信仰生活をしてみることもしません。福音があっても行ってみることができなくて滅びます。どれくらい苦しいでしょうか。私がいままで会った人々の中に、伝道してみた人の中に、ほとんど半分は教会に通う人でした。福音がありません。これがどれくらいせつないことでしょうか。皆様そのような失敗者にならないように望みます。
・私達が高ければどれくらい高くて、パリサイ人が清潔ならばどれくらい清潔でしょうか。皆様、水準が低い人に会ったでしょうか。私は水準が高ければどれくらい高いでしょうか。私達がこういうことゆえに重要なことをのがしてしまうのです。
 
・釜山である方が、合宿訓練を受けようときたのですが、訓練を受けている途中で帰って行ったということです。そのままなぜ帰ったのかと尋ねました。食堂に行って、キムチをもっとくださいと言ったのにくれなかったので、腹が立ったので帰ったということです。それで私が '本当にやり過ぎると.'言いたかったのです。キムチをちょっとくらいなぜあげないのでしょうか。それでもそのキムチを上げないからと行く人がまたどこにいるのでしょうか。信仰生活は、こういうことではありません。私たちの信仰生活は、キムチの水準でしょうか。皆様が神様を知って、神様の子供になるということが、手を洗う、洗わない、こういう水準でしょうか。こういう目が暗いパリサイ人は、滅びるしかありません。だから、悪魔の攻撃を受けるしかないのです。皆様、霊の目を開けるべきです。何でもして生きなさいということではありません。そのようなことが信仰生活ではないのです。信仰生活がなにかよく知らないのです。
 
・皆様が神様の子供になることが信仰生活です。福音は何でしょうか?だまされずに、運命、呪いから抜け出しなさいということです。福音は何でしょうか?. サタンにだまされてはならないのです。皆様、地獄の権勢に押さえられてはなりません。これが福音です。ほとんど教会が誤った福音を言っているゆえに人々がさ迷っています。私がどれくらいせつないでしょうか。ところが何ができない代りに異常なことを教えるのです。福音も知らないのに体験しろと言います。何の福音を知らない人が体験をするのでしょうか。寺には体験がないでしょうか。最も確実な体験は、ムダン(霊媒師)に行けば確かです。海辺に行ってグッ(降霊術)を一度してみましょう。どれくらい確実か分かりません。すると、体験だけすれば良いのでしょうか。これが深刻です。
・私が知っている方一人がいらっしゃいます。ソウル大学を出ました。有名な新聞社の記者です。この人がいつも人を無視します。特に自分の奥さんを無視します。論理が合わないということです。夫人に '一人で教会に通いなさい.' そのような方法です。ところが、話してみれば、この人が知らないことがありません。ソウル大学を出てきてもそれほどでない人が多いのに、この人は知らないことがないのです。どれくらい理路整然なのか分かりません。話す言葉がないくらいです。そして、生き方もものすごく正しいのです。奥さんよりもう少し正しいのです。話す言葉がありません。自分は教会は必要がなくて、行く必要がないと言いました。しかし、それは錯覚です。
 
・ある日、この方が新聞社に通えない理由ができました。ひょっとしてと思って病院に行って診断を受けてみたら、病院ではとても深刻な話をしました。本人に最初は話さなくて、家族に話したのです。この人がどれだけ賢い人なのか、表情を見て悟りました。医者を直接呼んで、話してくださいと言いました。なぜ自分をごまかすのかと言う程、賢いのです。すでに感じ取って医者に話をしました。それで、医者が率直に話すと言いました。家へ帰るほうが良いと言ったのです。手術が不可能らしいのです。ところがその時、この人が荷物をまとめる前に考えたのです。一年に一度ずつ定期検査をしたのに、なぜこうなったのか。そして、私は本当に正しく生きて、会社でも信頼されていて、本当に勝利する見込みがあるのに、なぜこうなのかということです。ところが、私が癌にかかったのに、この癌を発見できない段階まで来ているということか。それまでの自分の驕慢、知識、考えが全部みな崩れ始めたのです。
 
・その時、訪ねたのです。 '病気が問題ではありません。神様の子供になることです。神様の子供になった後に祈るのです。その祈りは、神様が答えてくださるのです。あなたが死ぬ日は、神様が決定なさいます。だから神様が呼ばれなければ死なないので、神様が呼ばれれば、誰でも行かなければなりません。.' そうしたら、奥さんを見て無知だと話したその人が、イエス様を救い主として受け入れたのです。本当に、この人が信じました。
・ところが、病院で驚くべき事が行われました。医者がこう話したのです。 '私はたくさん見たのですが、こういう方法で病気が早くいやされる人は初めて見た'と言いました。すると、手術を一度してみる必要もあるとして、この方が手術をしたのです。完治しました。いまは変わりました。あらゆる価値観が変わったのです。神様がいらっしゃるよ。なぜイエスを信じなさいとしているかが分かったということです。
・人とは、これを悟るのにどれくらい大変なのか分かりません。今、私達がイエスを信じることが、こういうことでしょうか。私達がイエスを信じようとしながら、信仰生活をほとんどすべてが開始もできなくて終えるのです。味も見ることができなくて終えるということです。すいかを割って中を食べなければならないのに、皮だけみつめていて良いでしょうか。皆様、霊的な目を開けて見ましょう。ほとんどすべてが信仰生活をすることができない教会になっています。教会に行けば、人ゆえに試みに会って、信仰生活をちょっとしてみると、教会であるゆえに試みに会って、そこに献金しなければならないから、献金ゆえに試みに会って、また奉仕をせねばならないから、奉仕をしている途中で試みに会います。また、おかしな人ゆえに試みに会うのです。開始もしてみることができません。いっそのこと、接近もしてみることができなくて、信仰生活が終わるのです。だまされないように望みます。
・神様の子供になるということは、そのような水準ではありません。驚くべき祝福です。神様が皆様が救われることはありえないとご存知であって、イエス・キリストを送られたのです。
・ある面では、イエスを信じて救われるのです。しかし、人にはそれができないために、神様がイエスを信じるようにされたのです。そのように見ることが正確です。私達が飛行機に乗って米国に行くのではありません。米国へ行く道がその道しかないために、飛行機に乗って行くのです。似た話ですが、違う言葉です。
・私達は、神様に会うことができません。皆様がどんなに立派でも、神様を信じることはありえないということです。それで、神様がイエス・キリストを送ってくださったということです。皆様の家を攻撃してくるサタンの勢力に、皆様は勝つことができません。誰が何と言っても、勝つことができません。それで、イエス・キリストを送られたのです。驚くべきことではないでしょうか。
・今、手を洗う、洗わない、その問題でしょうか。クリスチャンの水準がこの程度にしかならないのです。手を洗う、洗わない、その水準かということです。せつないことです。もし私達が信仰生活をこのようにして終わってしまってはなりません。皆様、本当になさることを望みます。単に教会をきたり行ったりしていては、人生に問題がくるようになっているので、その時はどのようにするのでしょうか。
・そのような人を私はあまりにたくさん見ました。以前にも何度か証しをしたでしょう。現場でそのようなことをあまりにたくさん見たのです。この人が、イエスを信じることが、とてもいいかげんでした。ところが、実際に、神様を信じるということは、いいかげんなことではありません。動物が信じることはできなくて、人間だけが神様を信じるようになっているために、いいかげんなことではないということです。先祖の時からイエスを信じる家なのに、この人は信じることが完全にいいかげんでした。だから、この人が教会にきたり、来なかったりしたのです。それが問題ではありません。本物に信じれば良いのに、信じないのでした。
・ところが、この人が私が見ると、神様がいません。神様なくても、良い生活をするのでした。この人が世の中の人々と交流して遊びました。この人が、また何でもできる人です。歌、サッカー、運動、できないことがありませんでした。幼い時から聖歌隊に座って、どれくらい歌をよく歌ったか、とにかく良くしました。ところが、信仰だけがなかったのです。この人にある日問題がきたのです。ところが、その時は既に遅いということです。人生がそうであって良いでしょうか。人生が何の金をもうける機械でしょうか。ご飯を食べる機械でしょうか。そのように終わるのではないということです。果して神様が皆様をこの地に送りながら
'ご飯だけ食べて来なさい'とおっしゃるでしょうか。 'お金だけかせいで、ご飯だけ食べて来なさい' そうでしょうか。
 
・この人がある日崩れたのです。遅かったのです。だから、後ほどこの人が悟ったのですが、時は遅かったのです。私がその家を何度も訪ねました。遅かったのです。終わりまで見たのですが、この人は他の目的を持っていました。ただ生きたかったのです。生きたかったのですが、まだ根本は悟ることができませんでした。
・少し前にその方の娘に空港で会いました。私に挨拶をしたのにわかることができませんでした。当時、この娘は高等学生であったのに、おとなになって挨拶をしたのです。空港で会ったら、名前といったのに記憶になかったのです。だから自分自身の両親の名前を言いました。 'あなたがそのように大きくなったのか'と話しながら、話が始まったのです。むかしの話をすこししました。話ながら、その姉妹に今一度福音を話したのです。
・私たち人間は、みなでたらめで教会に通います。皆様が教会にきてどのようなことをするか、それも重要なことではありません。皆様が教会にくれば、どれだけ、どんなポストにいるかも重要なことではありません。最も重要なことは、神様の子供になることです。神様の子供になって、神様の祝福を受けねばならないでしょう。未信者のように生きて、未信者のように滅んではならないのです。
・ここで直さねばならない、いくつかのことがあります。皆様が答えを受ける信仰の転換点が必要だと思います。一つの例を上げます。初代教会のパウロ当時に主人としもべがありました。主人は、たくさん学んだ人です。しもべは、たくさん学ぶことができませんでした。想像できるはずです。ところが、教会に行きます。概して見れば、難しい人々が教会にまず行きます。このしもべが教会に行きました。それで、執事になりました。家に帰ればしもべですが、教会に行けば執事です。そして、長老になりました。家に帰れば奴隷でも、この人が教会に行けば長老です。想像できるでしょうか。ところが、主人は以前にはイエスを信じる事がなかったのです。
・そのようなある日、この主人がイエスを信じたのです。教会に行ってみました。これがなんのことでしょうか。自分の友人の家の奴隷が長老です。試みに会ったのです。'あ、この教会に通ってはならない' そのようになることがあります。これが、パリサイ人の姿と同じです。
 
・それでパウロが言った言葉です。 '主人らよ。主にあって低くなったことを感謝しなさい。しもべらよ。主にあって高められたことを感謝しなさい.' なんの話なのか分かるでしょうか。皆様が本当に福音を悟ったとすれば '神様、本当に有難うございます。私は長官で、国会議員なのに、これよりもっと神様の子供であることを有難うございます。神様の前に低くなったことを有難うございます.'
 
・カーター大統領が、そのように話したのです。米国大統領の中で、本当に神様をよく信じた大統領がいました。それで、カーター大統領は今でも用いられています。その人が大統領になるやいなや、語った言葉があるでしょう。その方が、毎週、自分の車に乗って故郷の教会に行きました。'私が引き受けた大統領は臨時にすることだ。あのピーナッツ畑にある私たちの教会の教師、その教会学校の教師が、私の一生の職だ' 福音を正しく悟った人です。その人が、大統領をした時も良くしました。大統領をやめた後にも最高に人気があります。国際的に難しい問題が生じれば、その人を送るでしょう。今でも国家の間で解けない事があれば、カーター大統領が行くではないでしょうか。その方がクリスチャンです。
・すると、どうなのでしょうか。とても低くて、険悪な場にあって救われた人は、どうなのでしょうか。
'私がこれから神様の子供になった。これからは、私も神様の子供になったから、熱心に勉強すべきだ'. '私が神様の子供になった。私がこれから神様の子供になったから、本当に高い良い立派な席にも行くことができるように祈るべきだ.''私が神様の子供になった。むかしに陥った、その問題から、今は抜け出た.' これが更新です。このように悟れるならば、よく悟ったのです。
 
・ひょっとして、あなたがたがパウロのように悟れるならば、よく悟ってくださったのです。 '神様、私がものすごい国会議員の職分、パリサイの職分がすばらしいと自慢したことをすみません。私が神様を知って、本当に申し訳ありません。ちりあくただと思います。' その程度に悟れば、皆様は福音を悟った人です。
・皆様、高い席にあった人が、教会にきて乞食みたいな人と礼拝をささげるので、自尊心が傷つくのでしょうか。そうでないでしょう。 'あ、こういう人々もいるのだな。私がこういう人々とともに神様の前に礼拝をささげるようになったんだなあ.' そのような気がしなければなりません。それでこそ、正しい福音を受けた人です。
・すると、ここに貧しい人があるのでしょうか。当然に貧しくなければならないのでしょうか。そのようなことではありません。貧しいことが自慢ではないのです。 '私がこれから神様の子供になったから、努力をして成功せねばならない.' このように転換しなければならないのです。本当に残念です。
 
・今回、米国へ行ったところエステルと、シン・ジュンオ先生が私にだした紙がありました。'先生。少し問題が生まれた'ということです。 'なにか?' '先生。今回の説教の主題が福音のエリート....'. 'ところが?' 'ではエリートでない人はどのようにしますか?' 'なんの話か?' 学生達の中に、そのような話が起きたということです。先生が今回、福音のエリートのメッセージをなさったけれど、私たちはエリートではないのに、どうするかということです。分かっていると言いました。心配をみなするのです。
 
・初日に挨拶をしながら学生達に話しました。 'エリートは何でしょうか。福音を持った者がエリート中のエリートです。またエリートはなにでしょうか。皆様がこれから成功してエリートになるのです.' 簡単な話です。
 
・マナーがない人が福音を受ければ、マナーを整えなければなりません。そうではないでしょうか。皆様がいいかげんに過ごしていたとしても、教会にくる時は一番良いものを着てきましょう。そして、以前は皆様が何も考えずにしたでしょうが、これからは教会にくる時も、格好良くしましょう。それが信仰生活です。私は、神様の子供になりました。最も良いことで、神様に仕えます。そのように変わらなければならないのです。
・ここに身分が高い人がいるでしょうか。謙遜にならなければなりません。‘私が神様の子供になったんだなあ。国会議員、長官が問題ではないな。私が神様の子供になったんだなあ。とても感謝です。’そのように感じられるでしょうか。福音を悟った人です。永遠に祝福を受ける人です。'あの人が手も洗わないで、パンを食べているね。..'これがパリサイ人です。これが信仰生活でしょうか。信仰生活は、こういうこともあって、ああいうこともありますが、骨子はそれではないということです。本当に福音を悟らねばならないのです。皆様、教会に通いながら、本当に無駄に通うのではなく、真の神様の祝福を受けるように希望します。
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・本当にこの神様のみことばが何かを正しく知りましょう。ほとんどみな違うように思っています。ほとんどすべてがそうです。未信者もほとんど違うように知っているのです。 'あ、私は教会に通うことができない'と言います。行きたいのに行くことができないらしいのです。ある裁判官もそのように話しました。なぜそうなのでしょうか。私は教会に行きたいと思うのに行くことができないようです。なぜ行くことができないのかと尋ねました。私に言う話が '先生。私は酒を飲まなければなりません。私は裁判官を止めることが願いです。あまりに難しくて、おかしな事が多くて、私は酒をいつも飲んでいます。' 裁判をするのに、酒を飲んでするのかと尋ねました。それではなくて、みな終わって飲むそうです。確かに話しました。‘かまわない。酒を飲めば病気にかかる、そのように病気にかかる時までは飲みなさい。救いとはなんの関係もありません。’このように人達が、ほとんど違うように知っているのです。
 
・すると、話をしてみましょう。今、総神大学の教授と私の考えが反対です。教理は同じです。私は酒飲みが教会にきて恵みを受けて酒を切りなさい。私はそれが福音だと考えます。ところが、その方達は、それではないのです。酒を止めて教会に来なさい。その話は、ずっと飲むならば死になさいということにならないでしょうか。間違った悟りです。私は聖書をそのように悟りませんでした。酒飲みも来て、麻薬する人も来て、みな来なさいということです。泥棒も来て、乞食も来て、国会議員も来て、みな来なさいということです。救われなさい。そして、神様の子供になりなさい。それで問題を解決されましょう。これが福音ではないでしょうか。ところが、それ以前のことに引っかかっていては、福音を知らなくなるのです。皆様、これは、そのまま過ぎ行く本文ではありません。イスラエルが滅びちょうに、私たちものがどやすい本文です。本当に信仰生活をするように望みます。
 
・ある方が、死ぬのを待っていたのですが、神様のみことばを受けました。人生がどれくらい苦しかったか、死ぬことを覚悟したのです。その時、飛んで来た紙を一つ見たら、'すべて疲れて重荷を負っている者は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。' この箇所にキリストがだれか、この方がイエスを信じたら、自分に多くの変化がおき始めたのです。そのように解決しなかった霊的問題が解決にし始めたのです。決断を下したのです。私はこの福音のために死ぬとしました。その人が、あの有名なサンダー神父です。
 
・皆様どのように考えるのでしょうか。この福音は、神様の子供の驚くべき祝福です。もちろん、私たちはマナーも、人もみな重要です。可能ならば、礼儀を守らねばなりません。それも重要だけれど、本当に神様の子供にならねばならないのです。
 
・私は、私たちの副牧師とこのような話をしました。 '周囲で私たちを見て汚く使っている、どうだ...'.こういうレベルで良いでしょうか。みな終った後に、牧師達が清掃をしましょう。子供達は、飛び回るようになっています。だから、注意深くみて片づけてきれにしましょう。むかしの教育方式は、子供達にはさみで遊ぶなとするやり方です。ところが、この頃の新しい教育は、それではありません。はさみを持って遊びながら切りなさい。これが工作です。片づければよいのです。韓国の教育はなんでもするなという式です。ところが、米国はしなさいと告げます。教育が違うのです。
 
・すでにテレビを見るならば違います。韓国は '東海と白頭山が...'と歌いながら始めます。米国の国家を聞いてみましょう。大きくて、艦隊が出てきて、世界が出てきます。だから、私達がなんでもするなというやり方は、違うとしなければなりません。正しくして、管理を上手にやって、よく片づければ良いのです。
 
・今、私達が未信者の町に来ています。ほとんどみな伝道出来ずにいるのに、私たちは伝道する教会にきました。基本がないのでしょうか。基本問題に陥らないで、あなたがたは、基本に捕まらないように望みます。福音がない人々は、なぜ手を洗わないのかというようなことを話します。手を洗うことを望みます。皆様がどんなに福音を話しても、救われることができなかった人は、福音を聞きません。皆様が外に行って、ガムを噛んで壁につければ、未信者達は、そのことを話します。だから、ガムを壁に付けないように。皆様が外でどんなに信仰生活を良くしても、外にいる人達は、福音を聞くことができなかった人は、救われることができません。それで、あなたがたがゴミのようなものをどこにでも置けば、それで話します。そのようなことに捕えられる必要がありません。むしろ、あなたがたがマナーを整えて、未信者より整えなければなりません。救われることができなかった人々は、救いに神経を使うことでなく、そのようなことに神経をより使うのです。
 
・パリサイ人達は 'イエス様がだれか。イエス様に従う人々がだれか。この時代のイエス・キリストはだれか.' そこに関心があるのではありません。この人達が付いてまわるのに、語り口もちょっとそうで、手を洗うこともせずパンを食べて、何の所にでもゴミを捨てて...こういうことに気を遣います。あなたがたが、これから家庭に帰ってもそうで、そのようなことでつまずきを与える必要はありません。
 
・今日、あなたがたが信仰生活の本質の内に入っていくべきです。今日、本当に大きい祝福を受けてくださるべきです。この短い時間に説明をみなすることはできません。皆様が聞いて、誤解してはなりません。今、世界のクリスチャンがどのように信仰生活をしているのでしょうか、ということです。今、世界のクリスチャンが、神様に会うことができなくて、人をみて気落ちして、そのようなのです。今、世界のクリスチャンが、神様の恵みを受けることができなくて、仕事をしている途中で試みにあいます。神様の祝福を受ける前に、献金している途中で、試みにあうのです。神様の驚くべき秘密を見る前に、人ゆえに試みにあいます。そのような信仰になってはなりません。
 
・今日、皆様の生涯に一番良い日になることを希望します。まさにキリストに会う日。その祝福が今日、皆様に本当にあるようになることを希望します。
 
・すると、今週に一度だけ実験してみましょう。どのように実験すれば良いでしょうか。キリストがなんの話なのか、もう一度解釈をしてみましょう。すると、キリストがどのようなことをされたのか、もう一度確認してみましょう。ものすごいことを発見するはずです。その次に、この祈りをしましょう。'イエス・キリストが、私の胸の中、私の家、私の事業、私の生活の中にいてください。私の主人になってください。’ 簡単な祈りをささげてみましょう。すると、あなたがたがこれからずっと祈りの答えを受けるようになるはずです。今日、神様の本物の祝福を受ける、あなたがたになることをイエス・キリストの名前でお祈りします。
 
<<契約の祈り>>
神様に感謝申し上げます。今日、重要な日になるようにしてください。悟る日になるようにさせてください。今日、パリサイ人と弟子の姿を、私たちが見ました。信仰の大きい本質を悟る日になるようにさせてください。今日、あらゆる方達が霊的問題が解決する日になるようにさせてください。今日、この方の家庭、産業の暗闇の勢力が、永遠になくなる日になるようにさせてください。今日、この方とともに礼拝する方達の頭に主が手を置いてくださって、力で働いてください。生きた証拠を与えてください。イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン
 
 


2部 / ご自分(主なる神様)のために
(詩4:1〜8)
 
 
・今、この時間には、海外で私たちの学生達、また使命者が共に礼拝をささげて、みことばを受けています。特に、私たちの学生達がいつも記憶しなければなりません。今、苦労しても、基本を整えなければなりません。今、基本を整えられなければ、レムナントであるゆえに、神様の祝福がありますが、一生苦労する可能性があります。困難がくる時ごとに、いつも記憶しなければなりません。
 
・ダビデが、詩の中に苦難について話したことが本当に多いのです。ここには、私たちの青年達もそうで、すべての聖徒達がそうで、今、海外で勉強している学生達もそうです。
 
・基本を整えなければなりません。あなたがたが福音を正しく知る信仰の基本が揃えられなければならないのです。どんなに難しくても、皆様がしている仕事と産業があります。それに対する基本が揃えられるべきです。そして、私たちは人を生かして、世界の福音化をしなければならないために、色々な礼儀と人間関係などが整えられなければなりません。
・簡単に話せば、ダビデは基本を整えていました。だから、よく勝つことができたのです。それで、私たちの学生達に困難が来ても、かまわないのです。皆様がそれをしている途中で死んでもかまいません。少しだけ耐えれば、皆様がレムナントで福音を持った神様の子供であるゆえに、まちがいなく人生を勝利するようになります。今日、みことばを聞く私たち聖徒も、そうであるべきです。皆様が、信仰の基本を整えなければなりません。
 
・私は必ず結婚する人々に、そのようにお願いをしたいのです。この基本が整えなければ、一生苦労します。それで、学生の時がものすごく重要です。なぜなら、私達が生きていく途中に、良いことも来ますが、苦難がくるようになります。その時、勝つことができないのです。大部分の多くの人々が、そのまま知らずに通り越して、一生の間、神様に栄光を帰すことができなくて、苦労するようになるのです。
 
・すると、ダビデが今日、詩篇4篇を見ると、この前に続いてダビデの詩なのですが、苦難についてたくさん話しています。すると、ダビデがあった苦難はどうなのか、一度見てみる必要があります。Iサムエル17:29に見れば、ダビデがゴリヤテに打ち勝とうときた時、その時少しの間の場面ですが、ダビデの兄達がダビデをものすごく無視する記録が出てきています。幼いと思ったからでしょう。どのように、お前がなんでてゴリヤテと戦うのか。このように見くびった記録があります。実際にこういう部分が、目に見えなく、ダビデには圧迫と苦しみになったと見ることができます。
 
・私たちの学生達が育つ中に、家庭での雰囲気が小さなことでも、大きいのです。それで、生涯を閉ざすことも出来て、開くこともできます。私が見る時、ダビデはここで自分の信仰と人生に損害をこうむりませんでした。こういう部分を見ることができます。 29節に見れば、私がどうして理由がないでしょうか、そのような話をします。何でもないことのようでも、私たちに青年達、学生達、若い方達がたくさんいますが、皆様の家庭環境に押さえられないようにしょう。もちろん、私達は家庭環境を無視出来ないのですが、押さえられれば、万が一下手すると、一生苦労します。何でもないことのようですが、ダビデがここに押さえられなかった表現をたくさんさがすことができます。
・小さなことのように見えます。私が見る時は小さなことではありません。私がたとえ、足りない父母の下に育ったからといって、足りない人になる理由はなくて、私が家庭が良くない状態にあったとして、これから良くならないという必要もありません。そのようなことに押さえられたり、縛られていてはなりません。ダビデを見ると、こういう環境に縛られなかったのでした。もちろん、ダビデの信仰がひとりで固執して、意地を張ったということではないようです。大きい苦難ではないでしょうが、重要な苦難だと思います。
・皆様が生きていくのに、夫や妻、また皆様の父母兄弟、こういうことが大きい問題ではないように見えるけれど、私が知っていることでは、小さなことではありません。ここにほとんど失ったり、さがすことができます。ところが、やや下手するとそのようになってしまいます。私が今でも私たちタラッパンに起きている多くのことの中で、私が知っていることでは、私たちの韓国で一番活発に動いています。他の見方をすれば、世界で見る時も一番活発に動きます。ところが、私の習慣が、動くお金に関心がないのです。上手にできるはずだと考えます。上手にできるはずで、よくできなくても、私の責任ではありません。元々、関心がないのです。なぜそうであるかと言うと、私が私の父が亡くなって困難に会った中で、私が貧困に捕まらなかったのです。それを越えて立ったのでした。他人からもらったり、奪って食べようとしたり、盗みしようという考えが全くありませんでした。ですから、こういう考えに捕えられないのです。その習慣は、今でもあります。今で他の人々に特別に損害を与えるとか、そのようなことがありません。他人に利益を与えますが、損害を与える理由がありません。信仰生活をしないとしても、そうなのです。ところが、まして私たちは神様の人なのに。ところが、大部分の人々が、牧師が、多くの使命者が、多くの役員が、物質にとても醜いのです。事実はここでものすごく負けるのです。大部分こういうことを見れば、とてもけちで、することはしないで、こういうことを見れば、人柄が目立ちます。
・ところが、私達が普通、どこで育ったか、これを越えたか、越えていないかがものすごく重要です。私は学生達に必ず頼みたいのです。皆様の背景がどんなに良くなくても、皆様がいる環境がどんなに良くなくても、それに押さえつけられる必要はありません。皆様は神様の人で、レムナントであるゆえに、その程度のことは神様が勝つようにさせてくださいます。紙一重の差で、人が死ぬ、生きるのです。何でもないそれに押さえつけられるのです。学生達が行けば、いろんな環境があります。それに押さえつけられてはなりません。それで、米国へ行く学生達に話すのです。米国に適応はしても、同化してはならない。どうかしたら、死んでしまうことです。生き残ろうとするなら、早く適応はしなければなりません。そして、そうであっても、同化してしまえば、大変なことになります。私が見る時、米国はこれから大きな事をする可能性がある国です。同化してはなりません。適応して、米国を救い出しましょう。
 
・私達が信仰生活をしながら、聖書を見て、詩篇を見れば、重要なことをよく見なければなりません。聖書勉強をそのままする場合に、私達が何ゆえに時間を出してするのでしょうか。ダビデが苦難の話をした中に、私がずーっと見ると、大部分の人々が、家庭環境に押さえつけられます。それに縛られてはだめです。大変なことになるのです。大部分の人々が年をとりながら、父母に似ます。大きいことが起こるのです。私が知っている友人ひとりは、自分の父が酒によって死んだので、この友人は酒というと、敵だったのです。ところが、この友人が酒によって死にました。本当に異常です。父が酒で死んだならば、自分は死んではならないのに、自分もそのように死んだのです。人が似ていくのです。本当に無視できません。
 
・ここには、私たちおとながたくさんいます。あなたがたが福音なく、教会だけ通って、律法生活をまちがいなくしたでしょう。本人も知らないで、皆様まちがいなく福音なく宗教生活したでしょう。私達が持っている実と苦難が何でしょうか。これを私たちの子孫に与えてはなりません。私たちの子孫は、正しく福音を知って、正しく神様の祝福を知って行くようにさせてやらねばならないのです。重要です。
 
・ダビデが困難にたくさん会いました。私達がすこし見る必要があります。ダビデがゴリヤテに勝ちました。どのようになるでしょうか。大きいうわさが立ったのです。ダビデはたいした人物になったのです。そのようなある日です。Iサムエル18:10〜16に見ると、ダビデが王宮に座って賛美をしていると、突然に槍が飛んできたのです。誰が投げたのでしょうか。サウル王が投げたのです。サウルも将軍です。サウル王が槍を投げたのに、ダビデがからだが非常に素早いから、もちろん神様が助けてくださったのですが、突然にダビデが避けたので、見たら槍がダビデがいた壁にささっていたのです。打たれていたら、その場で即死するでしょう。ダビデがはっと驚いたのです。その時から、ダビデの周囲には困難がやってき始めたのです。これは小さなことではありません。誰か一人が皆様を困らせるといっても小さなことでないのに、殺そうとするのです。
 
・Iサムエル19:8〜17に、サウル王が自分の娘婿ではないでしょうか。自分の娘に話したのです。絶対にダビデを殺さなければならない。何故でしょうか? ダビデを殺さないと、ダビデはまちがいなく王になる。どれくらい足りない人間中心主義でしょうか。ダビデが王になれば、あなたの兄さんとか、私たちは王にならないことだ。だから、ダビデをなくすのだ。本当に、怖い発想です。サウル王がそのような発想をしたのでした。それで、今夜に刺客を送ると。ところが、このサウル王の娘の名前がミカルです。ミカルが悩み始めたのです。夫を選択しなければならないか、父を選択しなければならないか。普通の問題ではありません。小さな事件ではありません。その時、ミカルが知恵を使いました。ダビデが横になって寝ている寝床に、人形を代わりに横にしておいたのです。そして、ダビデに逃げるようにしました。夜に刺客が入ってきたのです。刺客が入って、ダビデが寝ているので、殺そうとしたら、逃げる道がありません。そのままダビデが寝ているのを刺して殺したのですが、それがダビデではなくて人形でした。ミカルの知恵でした。この程度になれば、ダビデは家にいることが出来ません。極限の苦難にあい始めたのです。
 
・この時、ダビデはこれから逃げて回ることが始まったのです。どれくらい苦労したか、ダビデが苦しんだ記録がずーっとあります。Iサムエル22:1〜10に見れば、ダビデが逃げ出したのですが、アドラムのほら穴に隠れたり、Iサムエル24:1〜17で、エン・ゲディの荒野に逃げて隠れて、Iサムエル26:1〜12に見ればハキラの丘に逃げて、山中に逃げ回ったり、その時ごとに、ダビデは一度も崩れなかったのです。本当に奇跡です。この程度になれば、人は崩れます。一度もダビデは信仰が崩れませんでした。後ほどIサムエル27章に見ると、ダビデが逃げて行く時がないから行った所がペリシテの地へ行ったのです。ペリシテの地に逃げてきたから、ペリシテの人々が食べ物を与えたのですが、誰か一名が見たのです。そのうちに賢い一名が何というかと思えば、‘まさにあの人が私たちの将軍ゴリヤテの首を飛ばしたその人だ。その人が成長してここに来ているんだ。あの人が王になる可能性がある人だから、サウル王が殺そうとして、逃げてこの国にきたのだ。’と言うようになったのです。頭が回る人ならば、どのようにするでしょうか。すぐ答が出てくるはずです。‘彼は話で虎が私たちの穴に入ってきた。あのダビデを生かして送ったり、手助けすれば、私達が死ぬ。機会がきた。このダビデを殺そう。あれがまさにダビデという人物だ。’このようになったのです。ダビデが逃げだすのですが、今度は完全に敵の巣窟の内に入るようになったのです。死にそうになったのです。皆様、そのような状況にあうようになれば、どのようにするでしょうか。このダビデは、普通の人ではありません。その時、ダビデがどのようにしたでしょうか。隠れている中にその話を聞いたのです。ものすごい将軍、むかしに私たちのリーダーのゴリヤテを一気に首を飛ばした将軍、それも幼い時。その人がこれから、イスラエルの王になれば、私たちはみな死ぬだろう。ところが、その人が行く所がなくて、私たちの内に逃げてきたのに、絶好のチャンスではないか。韓国語で言うならば、閉じこめられたネズミではないか。殺そう。この話をダビデが聞いたのです。この時、ダビデはどうしたでしょうか。もちろんダビデがこの時、祈りをしたのです。
・私はダビデがした行動を見て本当に驚きました。聖書読んで見るならば分かるはずです。どのようにしたでしょうか。ダビデが、完全にひげによだれを垂らして、簡単に話せばバカのまねをしたのです。私が見る時は、ダビデは演技も上手にやったようです。この頃の話で言えば、トップスターです。どれくらい演技をしたかとすれば、他の人が見た時、狂ったんだなあこのように判断されたのです。誰が見ても狂ったのだなあ。このように判断したのです。どれくらい演技を良くしたかと言うと、演技だとみないで、非常に苦労して逃げ回ったんだなあ。かわいそうだ。このようになったのです。ダビデがよだれをずるずる流して、完全に狂ったのです。このようにしたことを見て、他の人らが見れば、哀れに感じたのです。狂った人を殺して良いだろうか。簡単に話せば、狂った人にはなんの力もないのに、これで終わってしまったのに。あの精神が狂ったダビデが、人間の役割はできない。こういう話です。ダビデを保護して手助けして送りだしました。そちらからダビデが抜け出しました。このダビデは、たいした人物です。
・そうしながら王になった時、どれくらい立派な王になったでしょうか。皆様がご存知であるように、老いて悪い臣下が立ち上がったのが、先週の話です。ダビデが今、苦しみにあっている内容です。本当にたいした人物です。
・すると、詩篇 4篇の苦難の現場は、このうちのどれでしょうか。それは、聖書で語っていないために詳細は分かりません。しかし、あらまし予測できるで、この前に続いて、アブシャロムゆえに会っている苦難の続きではないのかと、私はそのように見ています。聖書に記録がないために、話す必要はありません。確かにダビデが多くの苦難にあったことは事実ですが、今日の本文に見れば、ダビデはいくつかの確信がありました。これが私たちに必要です。
・1節です。私が呼ぶとき、答えてください。私の義なる神。あなたは、私の苦しみのときにゆとりを与えてくださいました。私をあわれみ、私の祈りを聞いてください。このような話が出てきました。なんの話でしょうか。ここにダビデの他の人と違う点が出てきたのです。ダビデは、祈れができるという秘密を持っていたのです。これが私たち学生達が世の中に勝つことができる力です。神様の子供のレムナントの皆様が外に行って困難に会う時、勝つことができる道です。
 
・あなたは、私の苦しみのときにゆとりを与えてくださいました。私をあわれみ、私の祈りを聞いてください。簡単に話せば、むかしにも私を見て与えたから、今私を助けてください。その話です。ダビデの祈りです。祈りに対する確信があったのです。
 
・むかしにサウル王の前に行った時、ダビデが言った言葉が想い起こされるでしょうか。あなたは少年で、彼は将軍なのに、どのように戦うのかと話した時、その時ダビデが述べた言葉が想い起こされるでしょうか。主は私を獅子の歯と爪から救ってくださいました。それならば、主を侮辱する者達から私を救い出してくださらないでしょうか。ダビデの話です。このダビデは、普通の人ではありません。少しだけ祈りの秘密があっても、このようになります。
・私が皆様の前に率直に差し上げたいお願いがひとつあるとすれば、皆様は、違うことをしないで本当に祈りの秘密を知っていればよいのです。今回、役員修練会の時、話をしました。祈りの秘密一つだけは持ちましょう。役員で福音を持った者は、代表的な祝福を受けるはずなのに、しかし、祈りの秘密一つだけは持ちなさい。ダビデがどれくらい祈りの人かというと、詩篇の中で良い詩はほとんどみなダビデの詩です。
・ダビデがどれくらい祈りの人かというと、ダビデはものすごく賛美の人です。Iサムエル16章に見れば、ダビデが賛美する時、悪い霊が離れて行く程に賛美の人でした。賛美は誰でもすることではありません。賛美をする時、相当な霊的な事が行われるということを知っていなければなりません。聖歌隊員がよく知っていなければならないのです。それでせつないことは、申し訳ないけれど、世界的に見れば、歌う音楽をする方達が、ほとんどみなまあまあです。申し訳ないのですが、そのような人々です。それでかわいそうだなと思っています。すこし信仰があると思うと、私のように歌ができなくて、歌がすこしする人を見れば異常です。残念です。私が見た目です。私は間違って見ているかもしれません。あらかじめ謝罪のことばをもうしあげます。それで、賛美が正しくなりません。私のように福音を知っている者は、歌ができません。私が歌った全部が試みに会います。以前にも話したのです。私が何日か前にも、チョ・ウンジュ牧師の事務室に座っていたら、誰かが歌を下手に歌っていました。ところが、チョ・ウンジュ牧師が言われることばが、柳牧師も歌をあのように歌うということでした。私がそのようにできないか。良くできません。私のように福音を知っている人が歌も良くすれば、どれくらい良いでしょうか。しかし、良くできません。歌を良くする人は、驚くほどします。どうかといえば、あのように声が良い楽器があるのかと思われるのです。歌は良くするのに、まったくだいなしです。福音が全くなくて、信仰生活がぐらぐらしています。毎日教会も入って行ったりします。近所中を回ってします。それで賛美が正しくできないのです。賛美を悟るということは相当なのです。
・ダビデがどんな人でしょうか。賛美の人です。ダビデが正しく賛美をしたのです。ダビデが今日見ると、‘私の義なる神。あなたは、私の苦しみのときにゆとりを与えてくださいました。私をあわれみ、私の祈りを聞いてください。’と言いました。私たちのように、話しませんでした。神様が私が困難な時、私にゆとりをあたえてくださいました。これが今、ダビデの祈りです。また、私たちと違うことを話しました。私をあわれんでください。当然に祈りの答えを受けることができるのに、私をあわれんでください。私の祈りを来てください。ダビデがこの確信があったゆえに、どんな困難が来ても、勝つことができたのです。
・2番目です。6節に‘多くの者は言っています。「だれかわれわれに良い目を見せてくれないものか。」主よ。どうか、あなたの御顔の光を、私たちの上に照らしてください。あなたは私の心に喜びを下さいました。それは穀物と新しいぶどう酒が豊かにあるときにもまさっています。’それとともにダビデが述べた言葉の中で、‘人の子たちよ。いつまでわたしの栄光をはずかしめ、むなしいものを愛し、まやかしものを慕い求めるのか。’3節に重要な話が出てきました。知れ。主は、ご自分の聖徒を特別に扱われるのだ。私が呼ぶとき、主は聞いてくださる。ダビデがこう話したのです。敬虔な者(聖徒)という言葉の原文の意味は、神様の寵愛を受ける者、恵みを受けた者、そのような意味です。ここに選ばれたということは、区別したということです。特に8節に‘平安のうちに私は身を横たえ、すぐ、眠りにつきます。主よ。あなただけが、私を安らかに住まわせてくださいます。’神様の民は、絶対に崩れないという事実をダビデは知っていました。選ばれた子供。私たちの学生達とあなたがたが持たねばならない信仰です。皆様に悩みがあるでしょうか。今日から祈りを開始なさることを望みます。本当に祈ってみるように願います。どんな祈りをすれば良いのでしょうか。本当に祈ればよいのです。私がなぜ祈りに答えを 受けることができないか、祈らないからです。すると、本当に祈りをしないからです。本当に祈りをすれば、答えを受けます。ダビデが本当に難しい中に祈ったのです。
・神様が選ばれた子供の秘密が何かを知っていました。特に3節に、‘主は、ご自分の聖徒を(ご自分のために)’ダビデの信仰を見るように願います。主の名前は、他の名前であり、栄光を受けるだけの名前です。ご自分の為にそうなのです。福音ゆえに、神様は答えなさるはずです。このダビデが、こういう信仰を持っていました。もし苦難の中にある皆様、もし苦難がないとしても、今日3つのことに確実になさることを望みます。皆様が神様の子供であるゆえに、今から祈りし始めれば、全てのものを変えることができます。
・2番目に記憶なさることを望みます。皆様をみつめず、皆様は選ばれた子供であるゆえに、恵みを受けることができるのです。
 
・三番目に記憶なさることを望みます。ご自分の為に。神様は生きていらっしゃって、ご自分の栄光を落とされないために、神様は私たちに答えなさるはずです。確かです。どんなになくてもかまいません。選ばれた者の為に。ご自分の為に。私はこれから受ける答えを確かに知っています。そして、私たちの教会の開始はどんなになくて、どんなに貧しくて、どんなに弱くてもかまわないのです。神様はなさることができます。皆様、ここに対する確信がないでしょうか。だから、毎日、力が抜けて、気落ちしているのです。そのような理由はありません。神様の子供であることが間違いないならば、神様は選んだ者の為にと言われました。そして、ご自分の為に。ダビデはこの確信を持っていたのです。
・詩篇に見れば、主の名前のために義の道に導いてくださると言われています。ダビデはそのような告白をしました。特に、困難に会う時ごとに、そのような告白をしたのです。どんな困難にも勝つことができます。今日、私がダビデが告白したこの信仰を見ながら、こういう祝福は誰でも受けることができると思いました。
・ただ、ダビデの性格が、今日出ています。私達が顔を見たことはありません。しかし、聖書を見ながら、このダビデは、ものすごく霊的な人です。このダビデは、どこでも神様の前で。良いことも神様の前で、悪いことも神様の前で。霊的な人です。このダビデは、勝利するしかなかったのです。
 
・そして、ダビデは私が見ると、ものすごく情緒的な人です。作詞、作曲をするほど情緒豊かな人です。ものすごく情緒的な人で、ものすごく素晴しい人です。そして、ダビデは非常に堂々とした人です。戦う時は、また違いました。文を書いて、音楽をする人のように見えるけれど、ものすごく強い人です。戦う時見れば、たいしたものです。幼い時から、ゴリヤテと戦ったことを見ましょう。こういう困難に会う中に ダビデの態度を見ましょう。本当にたいしたものです。今日、皆様が恵みを受けるように願います。
 
・どのようにすれば良いのでしょうか。祈ればよいのです。その理由は、神様の子供であるゆえです。そして、神様は自らの栄光のためにそのようにされるのです。すると、良いではないでしょうか。この三つの信仰を持って、ダビデはどんな困難もみな勝ち抜きました。
・疑ったり、揺れないように望みます。皆様がなぜ事業をしているのでしょうか。神様の栄光のために。皆様が何故勝利するのでしょうか。神様の子供であるゆえに。どのようにすれば良いのでしょうか。祈ればよいのです。すると、ダビデが受けた祝福を私たちも受けることができます。今日、私たちの学生達、青年達が記憶なさることを願って、外国にいる私たちのレムナントが契約を捕まえてくださることを希望します。ダビデが受けた祝福を私たちも受けることができます。どのようにすれば良いでしょうか。
・最初です。‘私も今からこれからは最高の祈りの人になります。’とすればよいのです。難しくありません。どんな祈りを話すのでしょうか。生活の中で祈ればよいのです。すると簡単になります。皆様、勉強も生活の中ですれば、簡単になります。韓国で英語を習おうとどんなに苦闘してもできません。しかし、米国に行けばよいのです。米国へ行っても、韓国人と交流していれば、英語を習うことができません。米国人の中に入っていれば習えます。そのように祈りも私たちの生活の中で。今からそのようにするように願います。
・今から祈りの秘密を持っているならば、まちがいなくずっと勝利する人になるはずです。間違いありません。今日、あなたがたが習うべき祈りの秘密が、もちろん断食祈りもせねばならないけれど、今日あなたがたが必ず悟らねばならなくて、私たちのレムナントたちが悟るべきことが何か、生活の中で本当に祈る祝福を悟りましょう。
・私のような場合には失敗しても祈ります。祈らねばならないことではないでしょうか。TVを見る場合にも私は祈ります。新聞を見ても、そのまま見ているようだけれど、祈りながら見ています。それでなければ、本当にこのメッセージをできません。他の人が見るのには、そのままきたり行ったりしているかの様に見えることができます。これがどれくらい大きい祝福なのか分かりません。私たちの学生達が、特別祈りもせねばならないけれど、今日、皆様が祈りの中で生活をする新しい開始をするようになることを希望します。するとよいのです。今からそのように始めることを望みます。全てのものを祈りの中で。最もやさしいのです。そして、どこかに特別祈りをしにいかなくても良いのです。
・全てのものを祈りの内に。皆様が賛美する時も祈りでして、説教する時も、そして説教を聞く時も祈りでしましょう。これが全部答えとつながります。この習慣が少しだけできるならば、皆様は勝利を続けるようになるのです。これがものすごくやさしいのですが、本当に神様を信じない人はできないのです。これは、グッ(降霊術)をする式ですることでなく、生活を通じてすることです。これはどこかに行って一度にやりとりしようとすることではなく、生活の中でできる祈りです。これが小さなように見えるけれど、最高の答えを受けるのです。
・私は、私たちのレムナントの学生達に薦めたいことがあります。断食祈りより大きい力があります。それがなにでしょうか?.生活の中でする祈りです。徹夜祈りも良いけれど、それよりもっと大きい力があることが、生活の中でする祈りです。このダビデがする祈りが、みんな生活の中でする祈りです。ハキラの丘に逃げながら、アドラムの洞窟の中に逃げながら、ペリシテに逃げながら、サウル王が殺そうとする時、槍を逃げながら、羊を飼いながら、ダビデは祈ったのです。あなたがたは、まちがいなく勝利するはずです。ダビデのように答えを受けるはずです。
 
・2番目です。どのようにすれば、ダビデのようになるでしょうか。今からする仕事に専門性を持ちましょう。特に、私たちの学生達。すると成功します。ダビデは、羊を飼うのにも最高によく飼いました。羊一匹をなくしたことがありませんでした。ダビデは王がなった時も、どのようにしたでしょうか。最高に王を良くしました。今からそのようにしましょう。私たちインマヌエルの学生達と青年達は、そのようにしましょう。そして、インマヌエルの人々は、どこに行ってもそのようにするように願います。一番下の仕事がでも良いのです。最高に良くするように願います。皆様が一番の上のことを預かって、一番できなければ滅びます。しかし、どんなに職業がなくてもかまわないのです。何をしようが、最高に良くしましょう。すると成功します。
・習慣を学生達はそのようにしましょう。一等になれば良いけれど、できなくてもかまわないのです。最高に熱心に。習慣を学生の時、身につけましょう。それが、一生行くます。皆様が学生の時、正しく苦労をちょっとしてしまわなければ、学生の時に揺れれば、これからいつも揺れなければなりません。だから、するように望みます。重要です。すると、神様が答えをなさるはずです。ダビデのように答えを受けることができます。
・ダビデは羊を飼うのに、それが特別なものではありません。しかし、最高によく飼いました。羊一匹なくさなかったということは、羊を最高によく飼ったということです。ところが、ダビデがそれで成功したのです。羊を飼う時に、獅子や、獣に勝ったのを持ってゴリヤテを倒しました。本当に神様の祝福は遠くにあるのではありません。あなたがたは気落ちせず、教会学校を預かったり、聖歌隊を預かったり、職場に通ったり、清掃をしたり、そこに関係なしで最高にしましょう。すると、そのあとは神様がなさることです。なにをしながらということでしょうか。祈りながらしましょう。成功は遠くにあるのではありません。簡単になさるように望みます。教会学校を預かったなら、最高の教会学校にしましょう。聖歌隊をすれば、最高の聖歌隊を作りましょう。それをなぜできないでしょうか。神様のなかで祈りながらするのに。商売をするならば、最高に良くしましょう。何故できないでしょうか。挑戦すればよくて、出来なければできる時まで挑戦すればよいのです。あまりにもできなければ、挑戦している途中で死ねば良いのです。簡単な話ではないでしょうか。何ゆえにあきらめるのでしょうか。あきらめないように望みます。特に学生達は。私は最高に勉強をよくやって成功するはずです。また挑戦して、挑戦して、ずっとしている途中で死んだとすれば、それを殉教と言うのです。挑戦しないで死んだ? それは殉教ではありません。挑戦するのに、なぜしないのでしょうか。神様の人ならば、できるはずです。神様の人が祝福をみな受けたのに、じっとしていても良いのでしょうか。だから、なんでも仕事を預かったなら、最高によくやればよいのです。なんにも正す必要がありません。
 
・三番目です。ダビデは、どのようにしたでしょうか。私たちもダビデのように祝福を受けることができます。ダビデは人を生かす人でした。敵さえも殺しませんでした。そのようにも自分自身を殺そうとしたサウル王を単刀で首を切ることができました。皆様、聖書に見れば、そのような記録があります。サウル王の服を切って、ほら穴にいたこともあって、サウル王を守る警護員の槍を奪い取ったこともあります。その話は十分に殺すことができたという話です。付いてまわった部下が、サウル王があまり悪いので、殺そうと言いました。精神が狂っているから、あの人を殺そうと話す時ごとに、ダビデが何と言ったでしょうか。絶対にそれはならない。神様が油を注いで立てたしもべを、私達の手でそのようにして良いだろうか。それは神様が知っていてなさることだ。ダビデはずっと逃げて回りました。一度も人を殺さなかったのです。戦いをしなかったという話でなくて、人を生かす人でした。皆様、記憶なさることを望みます。ダビデは大きいうつわです。
・私たちの学生達が、大きいうつわにならなければなりません。特に私たちのレムナントたち。詩篇を勉強する中には、老人のことも出てきますが、若い人のことがたくさん出てきます。このダビデの詩が最も多いのです。だから旧約ですが、私達がみことばを受けて、恵みを受ける部分がとても多いのです。このダビデは、普通の人ではありません。全てのものを神様に栄光を返して意識する人です。単純に祈ったのではありません。神様の前で。特に問題がきた時。ダビデは危機がきた時ごとに。私たちもできるのです。あなたがたが誰でもみなできます。知らずにのがしていることであって、誰でも可能です。
 
・あまりにも難しい中に、皆様が普通、今、人々が生きていく中に状態がよくないでしょうか。私の場合は、状態があまり良くなくなっていました。特に、神学校の勉強をするのにも見れば、背景がほとんどみなあります。ここにいる私たち教役者達は、祝福を受けています。私は何の祈りをするかと思えば、私の下にある方達は、最高に成功をさせるはずです。それが私の祈りの課題です。あなたがたは、祝福を受けたのです。私がする時は、まったく手助けする人がありませんでした。あまり人々が異常で、利用したのです。本当に手助けする人がありませんでした。だから、信仰が成長するはずはありません。状態が悪かったのです。しかし、ある日知ったのです。神様は生きておられるのだな。私は神様の子供だなということを知ったのです。どれくらい簡単でしょうか。その時から、どのようにするのでしょうか。祈りました。ところが、神様は答えを下さったのですが、答えをくださった程度ではなく、あまりに驚くべき答えを下さいました。これから皆様、これからみるよう願います。神様は、世界福音化の門だけ開けられるのではありません。私がこれからは、他のことをすることはありません。することが多いけれど、最も重要なことはなにでしょうか。人を生かす伝道運動をするのです。この契約を捕まえたら、神様が専門性の祝福を下さいました。
・ 私たちの長老がこのような報告をしました。タラッパンが昨年より今年が数字、合宿、全てのものが 20%増えたのです。そのようなことです。これから、ずっと続くでしょう。どんなに四方から攻撃しても崩れるないでいます。なぜでしょうか?初めに、神様で、その次に専門性があるということを知っているべきです。普通の専門性ではありません。誰でもすることではなくて、神様が答えを下さるのです。原理は、ダビデの時代や今でも全く一緒です。ダビデが専門性を持ったように、神様が私たちに専門性を下さったのではないでしょうか。
・そして、私たちは何をするのでしょうか。人を生かすのです。できないわけがありません。ダビデは危機がくる時ごとに、より大きい祝福を受けました。それで、この危険の中で、‘平安のうちに私は身を横たえ、すぐ、眠りにつきます。主よ。あなただけが、私を安らかに住まわせてくださいます。’と言いました。ダビデの告白です。ここには年をとった方もいます。絶対に年をとっていると考えないで、あきらめないで、新しい力を得て、新しい出発をしなければなりません。私が今残った生涯、神様に最高の栄光を返さねばなりません。それで、ずっと祈ってみましょう。それで答えがくるのです。私はたとえ年齢が若くなくて、今、仕事がなくても、残った生涯に神様に最高の栄光を返さねばならないのです。
 
・特に、私たちのレムナントは、ダビデの信仰を捕まえて揺れる必要はありません。ダビデは、困難がたくさんきましたが、基本が確実でした。すでにダビデは祈りの秘密があって、自分は神様の子供だという事実と神様がご自分の栄光のために信じる者を祝福するという事実を知っていたのです。それとともに、正しく祈ったのでした。そして、専門性を帯びていました。今から、専門性を持ちましょう。専門性は、特別なことではなく、皆様がする仕事を正しくなせば良いのです。そこで働きは始まります。今、タラッパンにどれくらい仕事が多いでしょうか。合宿、神学院、宣教師訓練院等。私が見るのには、全部祝福の畑です。本当に異常です。全部、祝福の畑なのに、できないことは何でしょうか。祈りながらすれば良いのです。それが重要です。教会学校を預かれば、教会学校を生かすのです。それができないでしょうか。祈ればよいのです。他の欲を持つことが何があるでしょうか。熱心にしながら、教会学校を生かせばよいのです。中高等部を預かれば、私がすべきことは何でしょうか。中高等学校を生かせばよいのです。行って熱心にして、祈れば息をふきかえします。他のなんの欲張ることもありません。ただ生かせばよいのです。しばしば他の考えをするのです。みな捨てて、率直にしましょう。
・いまは他の考えがありません。ただ私たちの教会を生かして、韓国教会を生かします。そして、世界教会を生かすのです。特にレムナント。その時までは、あなたがたが祈れば、神様が時刻表通りみな答えられるはずです。間違いありません。ダビデが今日、告白したのを見ましょう。
 
・もう一度、3つで要約します。‘あなたは、私の苦しみのときにゆとりを与えてくださいました。私をあわれみ、私の祈りを聞いてください。’ダビデの祈りです。祈りの人。‘主は、ご自分の聖徒を特別に扱われるのだ。私が呼ぶとき、主は聞いてくださる。’その話はなんの話でしょうか。神様の子供に対する確信です。ご自分の為に神様は、私をこの危険の中から救われるということです。 'ご自分の為に' とはなんの話でしょうか。 3節に、それがまさに主なる神様なのです。おかしな悪い神様ではありません。私たちの栄光を受けて、全世界に主なる神様の栄光を表そうとする神様だということです。
 
・すると結論が出てきました。結論が出れば、いくつかのことを今日要約をして生きるべきです。祈りの人になる。そして、どんな仕事をしても、過ぎ行く仕事でも、どんなことでも専門性を持ちましょう。すると、その後に答えがきます。学生達が聞きます。自分がせねばならないタラントは何でしょうか。尋ねる必要はありません。それは、神様が知るようになさらなければならないことです。現在している仕事を確実になせば良いのです。すると、神様が必要なければ防止してくださるはずで、それでなければ、開けられるのです。すると良いのです。
・以前にも私が話したことではないでしょうか。遊んでいるならば、確実に遊びなさい。研究もしてみなさい。どのようにすれば、神様に栄光を帰して、おもしろく、格好良く遊ぶか。それでも、みわざが起きます。毎日寝ることもなくて、遊ぶこともなくて、いいかげんにしているのではないでしょうか。私に、誰かが遊んでくださいと言われれば、格好良く遊ぶはずです。私が遊んでいる(何もしていない)人が見れば、本当に変に遊ぶでしょう。私の場合は、明け方祈りからします。どれくらい素晴しいでしょうか。その次に運動して、遊ぶこと本当によく遊ばねばならなくないのです。今までの時代的な本があります。読まなければならない本が多くあります。私は、有識なふりをしますが、読むことができなかったことが多いのです。それらを午前中に早く、早く読みます。皆様、なんにも知らないでTVを見るのに座っているのですが、それは大変なことです。それは、よく遊べないことです。そして、午後は私が好きな釣りもします。大きくお金がかかることもありません。残りの時間、夜には伝道しにいくのです。遊ぶこともよく遊んでこそ、神様が祝福なさるのです。毎日寝るのも遅く運動、祈りはせず、目覚めればTVを終る時まで見ていれば良いでしょうか。遊ぶことも、どのようにそんなに遊ぶのかということです。遊ぶこともちょっと格好良く遊びましょう。勉強をしても、格好良くしましょう。神様の民がそのようにせねばならないでしょう。それが神様の民です。
・神様の民は格好良いのです。仕事をしても、他の未信者がみる時 'あぁ、あのように仕事をよくできるのか' 知ってみたら、クリスチャンだったという程度にならなければなりません。それが伝道です。仕事をいいかげんにしては、後から「ただイエスだけ」と言うと、あなた一人しなさい言われます。そのようなことはないでしょうか。話をしなくても理解します。あなたがたが成功することは、実際に簡単です。何をせねばならないのか分からないならば、さがす必要もありません。今、している仕事をしっかりとしましょう。すると、門は神様が開けてくださいます。元々、ダビデは、石を投げて、羊を飼う人ではありません。ダビデは未来を知らないのです。知ることも出来ません。知らないことが正常でないでしょうか。幼い子供のダビデが '私が、これから王になるはずだ'ということをどのように知るでしょうか。ダビデに与えられたことがなにでしょうか。父が、お前がすべきことがないから、羊を飼いなさいと言ったのです。兄達は軍隊に行って時間がありません。時間が一番多いのがダビデで、家で末っ子でした。お前が遊んでいてはいけないから、行って羊を飼いなさいと言われました。見くびられたのです。行って、羊を飼って、そのようなことではありませんでした。ダビデが羊を飼うのに、どのようにしたでしょうか。賛美もして、楽器を作って、普通ではありませんでした。時間があったので、賛美もして、楽器も演奏して、詩を使っていたのに、それで終わったのではありません。獣が来たら、いのちをかけたのです。そのまま戦うことができないから、遠くから獅子がくるので、石を投げることを練習しました。それで獣をみな捕まえたのでした。羊の群れに獣が入れば、私たちならば逃げるはずなのに、そちらに飛込んで獅子を捕まえたのです。普通の子供ではありません。その時、詩篇 78篇に見れば、神様がダビデが羊飼いをしている時、イスラエルの王に... とされています。そして、その手に何を下さったのでしょうか。心の誠実さと英知。分かるでしょうか。学生達を見ると'私はタラントがなにか分からない'と言うのですが、苦心する必要はありません。タラントが早く出てこないならば、大きいうつわなのかも知れません。モーツァルトのような人は6歳の時、作曲をしたのですが、そのような人もあって、またある人は三十を越えて出てきた人もあります。人ごとに違うのです。みな全く同じことはありません。
・今日、皆様理解できるでしょうか。3つの確信を持ちましょう。神様の子供は、祈ればよいのです。今日、ダビデが持った確信です。神様はご自分が選ばれた者を捨てられません。神様は、ご自分の栄光を価値なく捨てないということです。ご自分の御名のために。ご自分の為に。事実ではないでしょうか。それなら、何をするのでしょうか。今から祈りましょう。そして、専門性を持ちましょう。一つをしても正しくしましょう。そして、神様に任せましょう。答えられるはずです。もう一度言いますが、遊んでもよく遊びましょう。今、祝福の内容がどれくらい多いでしょうか。ところが、人々が祝福をほとんどのがしているのです。
・私は学生達を見ると、残念です。私達が行かねばならない現場も多くて、読むべき本がとても多いのです。こういうことを整理して、こまめに見て、休みの時は精神整えて、読んだ本はあらかじめ選んで置いて、この程度は読もうというようにしましょう。お願いします。おばさんは、本をちょっとご覧になるよう望みます。読まないならば、どのようになるか知っているでしょうか。頭が空っぽになってしまい始めます。頭が空っぽになれば、どのようになるか知っているでしょうか。皆様の子供がますます嫌います。表面では好んでいるかの様にしても、心ではそうではありません。そして、夫も同じです。同情の対象にならないように願います。息子が同情する対象になるなということです。尊敬の対象にならなければなりません。私たちの両親を見くびったのに、それではないな。なにかあって、祈りの人なんだな。うらやましい。このようにならなければなりません。何故できないでしょうか。できるのです。非常に人々がしないために、少しだけ努力すればよいのです。神様の祝福を受けるように願います。詩篇 4篇のダビデの告白のように、今日、皆様の人生が新しく始まることを主の名前でお祈りします。
 
<契約の祈り>
神様に感謝申し上げます。新しく始める祝福を与えてください。苦難の中でダビデは祈りの人でした。神様が選ばれた民でした。神様の栄光のために勝利したように、私たちもすることができますから、あらゆる主の民に新しい力を神様が与えてください。イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメ