2002年9月15日 インマヌエル教会


1部/ 四千名を食べさせられたイエス・キリスト
(マルコ8:1〜10)
 
 
 
・今日、衛星で礼拝している教会とインマヌエル教会、特にインターネットでみことばを受けるレムナントに、神様の大きい祝福があることを祈ります。目に見えない所で私と皆様との立場が違うために、私は皆様を理解しようと努力を多くしています。
・例えば、私が服を着れば、ポケットがない服を着ることがあります。あなたがたは、何も思わないでしょうが、私は家をいつも出ているために、ものすごく不便です。物を入れる所がないからです。そのように、たくさん違いがあるために、私がもしかしたら、皆様を理解することができないことがあります。それで、できるならば、人々に会うとか学生達に会うとすれば、私が話を多くしないで、たくさん聞いてあげます。聞きながら、とても驚く時が多いのです。あまりにも、私と違うという感じを受けます。私がこれで、どのように説教をしたらよいのかと考えることも多くあります。そして、物も私は一箇所に置いておくことができないために、ものすごく不便です。皆様のように、朝に出勤して、家に帰って、また職場に行くとすれば良いのですが、それが良くできません。
・ある人が言うのに “先生から電話がきたのに、ものすごく急いでいる”そのような話をするのですが、それではなくて、飛行機に乗って行く合間にするために、早く話しているのです。相手には理解出来ないのです。
 
・一日はある牧師から電話がきたのに、挨拶して序論だけで2分話しました。私の場合は、何十秒で話を終えなければならないのに、相手方は時間がたくさんあるので、序論を2分間するのです。目に見えないように見えるけれど、相当なギャップが生じます。
・私は食事をすれば、いつも感じるのです。常に、他の人より早く食べます。20何年間、早く食べて行かねばならないという習慣になっているので、時間があるのに、早く食べます。目に見えないように、多くの違いがあるのです。そのような部分が実際にはむずかしいのです。
・今日の本文を見れば、あなたがたが理解せねばならないことは、聖書を見る時、2000年前に記録された事実なのに、今、伝えられているメッセージです。外に行けば、スーパーマーケットがいっぱいあるのに、そのような感じで理解しては、本文を理解することができません。文化は、その時の文化ですが、真理は同じであるために、その時の文化を見ながら、この真理を解きほぐすべきです。皆様が、相手の話を聞く時、相手の立場と文化を考えて聞いてこそ、正しく聞くことができるのです。‘この人は、ものすごく忙しい人だな’この話を理解してこそ、その人の話も正しく理解できます。‘この人は今、時間があって、ものすごく苦しい状況の中にいるんだな’と理解してこそ、正しく聞くことができるのです。私が見るには、聖書を理解するのには、聖霊がなさるでしょうが、この部分も重要だと思います。
・今日の聖書本文に見れば、この時は、遠い道を行くために、必ず家から弁当を包んで行かないと、一日中、お腹を空かさなければなりません。それで、食べ物をどうするのかというと、硬く乾かせたパンだとか、干した魚とか、こういうものを持って行かざるをえないのです。外に行けば公衆電話があるような状況ではありません。行けばラーメンを買って作ってという状況ではありません。真理は全く同じ真理ですが、今でもその時の状況は、この時は全く買って食べることも出来ない状況です。皆様、相手の話を聞く時もそうで、仕事をする時もそうで、いつでも覚えるべきです。
・ソウル・インマヌエルは、教役者が一人新しく来ました。時間があまりなかったので、簡単に話をしました。「ある信徒が、何かおかしなことを話すことがあります。その人の立場で聞きなさい。そして、長老達がおかしなことを話すことがあります。長老の立場で聞きなさい。そして、いろいろな人が、おかしなことを話しても、その人の立場で話を聞きなさい。すると、うまくいき、立派な教役者になることができます。ただ心配しないで良いことは、私に対しては神経を使わないで。上の人の顔色をうかがわうようなことはしないで。別のところに行ってそのようにして、私の所ではそのようにしないで。私はいろいろな副教役者を手助けします。楽に祈りながら、主の働きをしてください。」時間がなくて簡単に話をしました。
 
・私たちは、相手を理解して聞くことが、とても重要です。しかし、ほとんどの人々が自分の立場で相手を見ます。それで、怒ったり誤解も生じて、うまく行かなくなる場合があります。私達親が子供の立場で話しを聞けば、皆様の話が変わるでしょう。今、子供達が、親の話を親の立場で聞かなければ、ストレスをものすごくたくさん受けます。
・私は幼い時、そのようなことがありました。‘早く大人になって家を出よう’こういう考えをしたことがあります。私に全く合わない話をするために、かと言っておとなに対して立ち向かうこともできなくて、だから耐えて、ストレスになるしかなかったのです。私達が相手の立場で話をして聞けば、良い対話をすることができます。すると、私にも益です。
・今日、聖書を見ながら、イエス様は誰か?、その現場はどのようなのか?を知っていれば、聖書を簡単に理解できます。福音書を読んで行く時には、その時の状況とイエス様が誰か?を知って読めば、すぐ解釈できます。それで、その解釈が正確にできてこそ、正しくみことばが適用できるのです。すると、皆様が大きい体験をしなくても、答えが続けてきます。心に感動がやたら来なくても、涙が出なくても、答えはずっと与えられます。今まで私たちクリスチャンが信仰生活するのを見れば、正しく悟ることができないでいながら、無理に恵みを受けようとしていました。
 
・あなたがたが徹夜祈り会に参加しながら、夜に寝ないという方法の祈りは、徹夜祈りではありません。初代教会で、信徒が重要なことがある時ごとに、あるいは毎週夜に集まって、本当にこの信徒が神様の前で祈りました。彼らは、私たちのように「病気を直してくれ、何かをくれ」という祈りをしたのではありません。まちがいなく、初代教会に集まったら、「私たちに何かをください、神様なにかを与えてください」こういう祈りをしませんでした。「私たちに聖霊の充満をあたえてください。どんなことがあっても、この福音を伝えるようにしてください。私に死が迫ってきても、この福音を忘れてしまわないようにしてください。」こういう祈りをしていました。
・私達がそのような状況を理解して祈りをしてこそ、徹夜祈りになるのです。徹夜祈りを正しくするならば、健康も力も得るようになります。皆様が知らないからですが、人が長い時間、祈って答えを受けるということは、霊的に話す必要もなくて、肉体的にも相当な助けになります。
・今日、あなたがたが聖書のみことばを見ながら、本当にそのような部分を理解すれば答えを受けます。マタイ、マルコ、ルカ福音書を見れば、患者がいやされることをたくさん見ます。ここで必ず2つのことを理解すべきです。2つのことが理解できなければ、真に困難な事が起きます。患者がイエス様にいやされました。そのようにだけ見れば、失敗するようになります。
・すべての人は、誰でも創世記3章に関わっています。それで、ある人は精神的に結果が出てきているだけのことです。このように悟らなければならないのに、どのように悟るかというと、「何で自分の家に精神病者が出てきたのか」と言います。それからして間違っているのです。創世記3章の原罪問題から普通の事件ではありません。それで、キリストの恵みを受けることができなかった人は、霊的問題があるために表れるので、ある人は生活の中で表れます。その家には精神病者はいないけれど、家庭に どんどん問題が来るのです。
・ある人は、その創世記3章の問題が根本に持っていて、表れるのは肉体の病気に現れます。すると、「私達が呪いを受けたのか? 縁起が良くないので、自分の家で人々が早く死ぬのか」このように解釈するのです。
・絶対にそれではありません。救われていないすべての人と、救われたすべての人は、創世記3章に影響を受けています。ただ、救われた私たちは、そこから解放されただけです。その力は、私たちに力がないだけで、今、未信者に影響を与えており、私たちにも関係があるのです。こういう部分を正確に知らなければなりません。私達が、こういうことを知っていれば、問題がある人をあざ笑うことはできません。なぜならば、誰でもみな関わっているからです。救われることができなかったすべての人は、創世記3章にそのまま所属しています。ある人には、全く関係ないように見えたのに、あとで年を取りながら問題がくる人もあります。
 
・皆様の家に、悪霊につかれたり、精神病者がなくても、このメッセージを知っていること自体が、霊的な力になります。それが、皆様の事業に、子供に、家庭に、相当な霊的な力が及ぶということを知っていれば、あなたがたがものすごくよく悟ったことです。それで祈るようになって、それでみことばを受けて礼拝をするようになるのです。神様の恵みがとても感謝で、私たちはささげ物をささげることもします。また、一方では、このことがとてもよくなったら、とてもうれしくて、もっとたくさんささげようと努めるのです。
・私は本当に、そのようなことを知るようになって変わりました。私はある人を見ながら、ものすごく重要なことをします。本当にそのことは、ずっと続けなければならないと思う時には、話をしないで無名で手助けすることもします。なぜならば、とても貴重なために、だからあなたがたがこのことを理解するということが、ほとんどすべての問題をみな解決されたと知っていればよいのです。
・すべての人には問題があるのに、現れるのが、あちこち違うように現れただけです。ある家には、病気もなくて、知識もあって、お金もあってみなあるのに、家族、子供達、家庭が崩れ始めます。それと精神病者が一名いることは、原因はまったく同じです。ある人は、お金は多いのに、いつも不安で、家庭に問題が来るのです。それとおかしな病人が一人いることと、何の差があるのでしょうか。
・あなたがたが聖書を読む時、よく理解するように願います。なぜ、わざわざイエス・キリストを送られたのでしょうか。それ以前には、創世記3章から始まったこの問題が、全部みな影響を及ぼしています。それで、キリストに会う瞬間に、奇跡がおきたのです。これを理解していてこそ、聖書を正しく読むことです。その次にあなたがたが、祈りを始めながら、問題がある時、いつでも参考にせねばならないことがあります。自分の過去と未来を考えて、現在を見るべきです。
・例えば、年齢が79才だった人が癌になりました。それまでに、自分の過去を考えてみて、簡単な答が出てきたのです。その人は、「それまで福音も知らずに、偶像崇拝をしてきたのに、今は死ぬ時にほとんどなったんだなあ。自分はこの癌になって、福音を知って、霊的な戦いをしながら、神様が自分を呼んで行かれるよ。」このように即、悟らなければなりません。私たちには、色々なことの中で今日があるために、全く同じなことはありません。
・ある人は、イエス・キリストを受け入れる瞬間、肉体的な問題が即刻解決する人もあります。この場にも座っています。ある人は、1年間聖書勉強をしながら、みな解決される人もいます。ある面で、その人がより良いのです。多くの家族を救い出しました。
 
・ある人は、深刻な霊的問題が生まれたのに、家族全体を救って確信するようにしてから、天に行った人もいます。事実はそのまま行ったことではなくて、家庭に永遠な霊的な祝福を残して行ったのです。それで、私達が過去、未来、現在をよく見てから現場を見るべきなのです。
・今日、皆様がおわかりの通り、四千名が食べて余ったという話です。こういう奇跡が今でも起きています。 私はこのように確信します。最初に考えねばならない部分。今でも、この奇跡がおきているのかという質問です。皆様の生活の中で、本当に神様の力が今でも現れているでしょうか? 私は3つの理由で起きることがあると思っています。神様の契約と反対になる事が起こる時、奇跡が起きることがあります。
・例を上げれば、神様がイスラエル民族をカナンの地へ行くようにせねばならないのに、紅海がふさがっていました。すると、神様がこの紅海を分けられます。
・私が 14〜15年前に尋ねました。私たちのインマヌエル教会、東三第一教会の12坪教会にいた時、集まったので尋ねました。その時、私が始めて何名にしかならない信徒でしたが、本当に聖霊が充満している状態でした。それで、私が尋ねました。「私達が今夜に徹夜祈りして確信した信仰を持って、テジュンデに行って海が分かれるように言えば、分かれるか?」と言ったら、何も考えずにアーメンと言う人もいました。「本当に分かれると思うか」と尋ねたら、「私達が信仰ですれば分かれる」という人、分かれないと言うと、信仰がないと言われるかと思って話をしない人がいました。「私達が、今夜徹夜祈りして、本当に信仰でイエスの名前でテジュンデの海を分けにいけば分かれると確信する人は、手を上げなさい。」と言ったら、何名かが手を上げました。ある人はあとで人の顔色をうかがって上げる人もいました。私が確実に話しました。「私達が本当に神様の力を信じて今夜に徹夜祈りして、信徒全員がテジュンデに行ってイエスの名前で分かれろとしても私は分かれないと確信する。何故か?というと、分かれる理由がないからです。何のために分かれるのでしょうか? 私達が遊び心でして分かれる?とすると、海は本当に海でしょうか? 私が行って分けて、そばの教会もやってきて分けようとするでしょう。」
 
・本当に神様の民が行くのに、後にはエジプトの民が捕まえに来て、前には海がふさがっていました。神様がどのようなことをしても行かされます。エジプトを殺しても、海を分けても、何でもなさるでしょう。そのような意味で今でも可能です。
・私は教会史を研究しながら悟ったもうひとつは、伝道運動が真に起きるのに反対の動きが起きる時、神様が奇跡を起こされることは、事実です。あの強い共産主義と、あのように偶像主義が強かった日帝時代が崩れるのを見ながら、神様は今でもなさいます。今でもこういう奇跡は起きるのです。
・皆様も知っている事実です。釜山で突然に聖日に眠っていたら、夜明けに北朝鮮がソ連製のタンクで攻めてきたのです。考えることもできなかった時間に、それも休日に、軍人達は土曜日に食べて遊んで、寝ていたその時間に、その日がまさに1950年 6月25日です。やられるしかありませんでした。その上に、ソ連の人が作ったタンクで降りて来たのに、どれくらい元気良く降りてきたか、あっという間にみな奪われて、釜山だけ残りました。その時、大統領も釜山に移って、みな移ってくるしかなかったのです。その時、私たち韓国で牧師、長老達が集まって祈祷会をしたのです。それは、政治的な祈祷会ではなくて、本当に祈祷会をしました。会長、副会長を選ぶような祈祷会ではありません。本当に祈祷会をしました。それは組織を組んで、合同側、高神側という教会の権力を誇示する祈祷会ではなくて、本当に祈りをしたのです。
・神様のみわざが起きました。皆様が知っているとおり、UNという全世界連合国家があります。韓国が突然にやられました。今、共産主義が降りてきて、韓国がみなやられて釜山だけが残りました。私達が支援すべきか、しないか、その時、UN総会を開こうとするなら時間がたくさんかかります。それで、常任理事国が集まって決定することにしました。常任理事国が集まって、全く同じく4ヶ国がOKするときだけ手助けしてもらえます。しかし、その中にソ連が入っていたのです。ソ連が後から戦争を起こすようにさせたのに、その人々が OK するかということです。ある場所で会議をするように決定したのですが、行こうとするソ連の車がエンジンが動きません。行けずにいるので、運転手が急いで直したのに、直せなかったのです。やっとのことで、直してエンジンがかかりました。既に会議は終わっていたのです。話し合いに不参加であることは、そのままあきらめることとなっていたのです。即刻、世界連合国が私たちを突然に助けに、共産主義に向かって攻撃してきました。どこから攻撃してきたかというと、あの仁川から降りてきたのでした。それがあの有名な仁川上陸作戦です。ソ連の人々がおどろいてしまいました。なぜ、わざわざ、行くその時間にエンジンが止まったのでしょうか。
 
・驚くべきことです。奇跡は今でも起きています。神様の計画と時代的状況と差が出る時には、神様は今でも私たちを通じて働いていらっしゃるのです。それは、聖書を見て私が悟った信仰です。私は今でも可能だと思っています。神様は、私たちの教会と福音運動をするのに、全世界福音運動になっていることも奇跡です。
・2番目に、どのようにこの奇跡が起きるかという状況です。ここでもいくつかのことを見ることができます。現実には不可能です。飢えて死ぬことはないけれど、とても難しい状況が来ました。買いに行ってできる状況ではありません。その時に、その場にいらっしゃった方がイエス・キリストでした。
・私と皆様が現実はできないけれど、本当にイエス・キリストが働かれるならばできるということです。ナインの町の未亡人に息子一名がいたのに死にました。だから、そのお母さんがどれくらい心を痛めたでしょうか。息子10人いて一名死んでも心が痛むはずなのに 一人しかない子どもが死んだのに、どれくらい悲しいでしょうか。イエス様がその光景を見るようになりました。イエス様がナインの町の未亡人の息子の死体の前に立たれました。イエス様がその息子に命令されたのです。創造主なるイエス・キリストです。とうてい理解できないその方が、「起きなさい」と命令なさいました。これはなにを意味するのでしょうか? 皆様が本当に難しい事の前に、キリストの秘密を理解するならば、すべての問題は解決します。今でもこの働きは起きているのです。
・2〜3節を見れば、主が尋ねられました。今、誰も出来ない状況です。3節に「空腹のまま家に帰らせたら、途中で動けなくなるでしょう。それに遠くから来ている人もいます。」今のように店で買って食べることができる状況ではありません。ところが、この奇跡の前にキリストがおられました。より重要なことが5節にあります。「すると、イエスは尋ねられた。「パンはどれぐらいありますか。」弟子たちは、「七つです。」と答えた。」今日記憶せねばならないことは、足りないけれど、そこには信仰の人がいたのです。あなたがたが記憶しなければならない重要なことは、キリストがともにおられれば、すべての問題が解決するけれど、皆様が信じる時、働かれるのです。それで、ここを見ると七つのパンと少しの魚で四千名が食べて余ったのです。5つのパンと2匹の魚でも食べて余った記録があります。
・ここでキリストがともにおられ、重要なことは信仰の人が行動をしたということです。もしあなたがたが神様のみことばを確実に信じて、信仰の行動をすれば、そこにはみわざが起きるようになるはずです。
・むかし、有名な野球選手の中にハンクアーロンという人がいました。ハンクアーロンに記者がたずねました。“どのようにホームランを打つことができるのですか” その時、ハンクアーロンが簡単に話しました。 “打てば良い。打たなければ、絶対にできない”と簡単に話をしたのです。“ホームランがどのように起きたか、それは棒で球をたたくから起きた。”正しい話です。打たなければ、絶対に起きません。どんなに神様が祝福を与えても、受けないならばどうしようもないのです。だから、神様のみことば、キリストのみことばで行動するのです。
・話にもならない話を聞いて、ノアは山頂に船を作りました。本当に信仰の行動ならば、神様は働かれます。 荒野でのイスラエル民族を見ましょう。この人達が、紅海の前に行った時、入る瞬間分かれたという事実。ヨルダンに足が入った瞬間分かれたという事実。初代教会の信徒達が命をかけて行動した時、みわざが起きました。記憶するように願います。あなたがたは、今、神様がそのまま働かれることができるのです。
・三番目に記憶することを望みます。3つのことで充満されれば、私たちにも、今、働かれることができます。神様の主権とみことばで充満すべきです。また、皆様が本当にキリストで充満する時。あなたがたが、また聖霊で充満するとき、つまり、三位一体の神様中心で充満する時、全く同じみわざが起きます。
・今日、この部分を信仰で体験してみるように願います。聖書に見ると、こういうことがたくさん起きました。今日、あなたがたの中にもし肉体の病んだ人がいるならば、ひとつ答を得てくださることを望みます。よくなる、よくならないは神様に任せて、あなたがたが聖霊の充満を受ける貴重な時間になるべきです。
・私が生活するなかで、あなたがたに頼むことがあるならば、少しだけ祈るのにも、神様は答えをたくさんくださいました。それが連結することが聖霊充満です。ほとんどみな祈りの答えを受けることができない人々は、資格があるのに祈らないからです。祈らないというよりは、聖霊充満がなにか理解を誤ってしたからです。一日に何度かだけ祈ろうと心に抱いて、全体的に神様を眺めるようになりました。それが聖霊充満です。それが聖霊充満を持続することです。
・私がある事件を見ながら、このようにすれば、ずっと祈るようになるのに、それが聖霊充満です。私は特に動きながら多く考えなければなりません。神様がそのようにさせられたのかも知れませんが、祈りをずっとしなければ、誤った判断をするようになります。
・例を上げるならば、ある時はものすごく苛立つ事がたくさん生じるのです。そのような時ごとに、祈りをするのです。祈りをしなければ、他の判断が出てくるのです。ある時は、どのようなことがおきるかを見れば、どのように仕事をあのように処理するかといらいらします。すると、また祈って、それしか方法がありません。それが私にとっての聖霊充満です。神様の前でしばしば祈るようにさせられるのです。ある時は、昨日みたいな場合を見れば、明け方から夜まで集会をしました。合間、合間で祈りをします。しないと、することができないのです。だから、神様が私たちに今でも祈りに答えてくださるだけでなく、今でも神様は奇跡を起こすことができるのです。
・聖書を見ると、このようなことがたくさん起きました。可能だと思います。聖書に見れば、神様の契約がなされる所に、驚くべき奇跡がおきました。今日、皆様が本当にみことばで祝福を受けるように願います。人間がするあらゆることには限界があります。しかし、聖霊充満には限界がありません。科学は発展するほど良いけれど限界があります。聖霊充満は限界がありません。皆様が全部信仰を回復なさることを望みます。
 
・皆様が知っている通り、癌よりも怖いのが不信仰です。不信仰が入っていれば、まちがいなく実を結びます。ここもし知識がある方達はより用心すべきです。学んだことを参考にしてみるならば、皆様も知らない間に良い方に進んで行こうとするのですが、不信仰が入っても分からなくなります。多くの成功体験がある方達は、より一層用心すべきです。自分の体験をずっと持っているならば、自分も知らないうちに、そこに合せるために、不信仰が入ることがあります。とても重要です。
・皆様の中に見れば、体質的に、習慣的に、しばしば不信仰になる人がいます。それはものすごく注意するべきです。私と皆様がもし病気になるとします。むかしに病気になったことがあるでしょう。心配する必要はありません。誰でもみな同じです。聖霊充満してくださいと祈るように望みます。すると、皆様が少しの間の祈りでどれくらい大きい影響を与えるか分かりません。
・ある方が、私を訪ねて来ました。「先生、私はとても衝撃を受けました。」「何でですか」「私が特に知らなかったのに、お腹の調子が悪くなって検査を受けたら、癌という診断が出てきたのです。」しかし、この人は、普通の人ではありません。することは全部みなしてみたのでした。中国でも、どこでも行ってすることも全部みなしてみたそうです。良い食べ物はみな食べてみたのです。だめでした。それで手術をしたのでした。手術をしたまでは良かったのに、その後により大きい衝撃を受けたのです。手術を受けて良い食べ物をみな食べてみて、きのこも食べてみるようにみなしてみたのに、全身にみな広まったのでした。この人が、どれだけ賢くて、どれだけ自尊心が強い人なのか、手術しようといく時にも、誰にも知られにように、休暇に行くからといって受けて出てきた人です。それほど強くて賢い人です。しかし、癌がからだにみな広まったのでした。自分は衝撃を受けたということでした。医術も信じることが出来なくて、誰も信じることが出来ないと言いました。「そうでしょう。あなたの強い意志が、むしろより多くのことを作り出すことがあるのです。」
・「私達が癌にかかるならば、勝たなければと思うこと自体が心配です。いっそ知っていれば、そのこと自体が心配です。私が病院に行って、何かしようとします。そのこと自体が心配になるのです。医者がさせるとおりすべきです。そのこと自体がまず心配です。そこに捕われます。一つも助けになりません。神様がそれを完全に忘れてしまうようにする方法があります。生きる、死ぬことは神様に任せて、聖霊充満を受けなさい。あなたは、一度体験をしてみてください。聖霊充満のためにずっと祈ってみてください。その時に、知らないものすごい働きがおきます。ただ聖霊があなたがたの上に臨まれる時、あなたがたは力を受けて、地の果てまでわたしの証人になります。」
・すると、肉体の病気だけがそのようなのではなく、あらゆる分野にです。私と皆様は、不信仰に陥りやすい体質の中にいます。過去からそのような質問をしてきました。釜山にはお金がありません。私たち教会の信徒は、金持ちがいません。すると、私たちは何も出来ないのではないでしょうか。私たちの教会の信徒は、貧しいかったのです。それは私たちの考えです。神様が福音を一番よく伝える人々を私たちの教会に集めてくださいました。これだけ大きくなさって、これからも全世界に影響を与えるようになります。人の考えです。今、私達が集めてできるだけの力があるでしょうか? それは私たちの考えです。神様にはできます。神様がなさるとおっしゃいました。私も昔は、不信仰に陥りそうになりました。
 
・ス・ヨンロ教会は、金持ちが住んでいる地域ではないでしょうか? 講師として招かれた時、錯覚するところでした。礼拝に入ったら、女性が全部みなタレントのようでした。きて この町は、大変だなと思いました。集会を終えて帰ってくるのに、食事の接待をお互いまずしようと大騒ぎでした。月曜日ごとに講義しにいくのに、このようにして、担任牧師と共に食事をしようと入っていったのに、お互いに食事接待しようと大騒ぎでした。食事しようと入っていったのに、入ってみたら7〜8人入っていったのに、その時だけでもどれくらい高級なレストランに入ったのか、7〜8人 食べたら、約十万円にもなりました。私が驚いたことが、女の人が、目ひとつパチクリせず、顔の筋肉を移動することもなく、ぱっと取り出してくれたのです。そして、東三道にきて、5百円ずつおさめるにも、誰かがしないとあーだこうだと言うのに、女伝道会で5百円ずつおさめるのにも、それをお互いしなくて‘主よ’と言いたかったのです。その瞬間は、不信仰が入りました。‘チョン・ピルド先生は、良い場所に教会を建てたなぁ’‘しかし、私は場所が悪いなあ’こういう気がしたのです。世界の福音化をせねばならないのに、5百円で手が震えるのに、世界福音化できるのかと言いたかったのです。その時です。そうではない。神様がそれをご存じではないでしょうか?‘私がきたか神様が送られたか’ここでできるのです。
・本当に、私はどの教会より、私たちの教会が福音を持っていると確信します。これから暗闇の勢力が覆ってくれば、勝つことができると私は確信します。全世界に伝道者を探す役割を今でもして、これからもするはずです。私は神様の力を信じます。私たちはやや下手すると、不信仰に陥ることがあります。私たちは神様の力を信じて、勝利せねばならないのです。今日、皆様に聖霊充満する祝福を、事業と個人と家庭と健康にあることをイエス様のお名前でお祈りします。
 
<<契約の祈り>>
神様、有難うございます。今、この時間に聖霊の充満を与えてくださって感謝申し上げます。みことばの充満を与えてくださって感謝申し上げます。恵みで充満して下さることを感謝申し上げます。霊肉ともに恵みを与えて下さることを感謝申し上げます。肉体の病気がいやされるようにしてください。より重要なたましいのいやしになるようにしてください。心の病気がいやされるようにしてください。私たちの生活の中に神様の力が現れるようにしてください。真の福音を代々に伝えることができるように、証人になるようにさせてください。イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン
 
 


2部 / 葛藤の中での感謝と賛美
(詩7:1〜17)
 
 
・いまは教会がとても多くて、韓国にすこし公害になる程にたくさんあります。ところが、福音を正確に聞いた人が少ない状況です。全世界はとても発展して、相当な科学的な結果を味わっているけれど、あまりにも基礎的な病気や霊的な問題をいやすことができません。昨日も少しの間ある方と話をしたのですが、医学がものすごく発展するのに、人にある簡単な病気が何故きたのか発見できない、そういう状況になっています。それとともに、全世界の教会には福音がなくなって、この時に神様が伝道運動をするよう弱い人を呼ばれたように、私たちを呼ばれました。そういう中で本格的に 20年間、福音運動をするようにして、10年ほどは、タラッパン運動をする中に、今、私が大韓民国で最も伝道運動をしている、大韓民国で最も金持ちの町のテチュドンのスンミョン女子高の講堂で礼拝をささげる所に、説教をしようと来ました。これが、私がここに来た祈りです。これは何の話でしょうか? 信仰生活をよくすることを、ある人々はどのようにしなければならないのか探しています。そのようにする必要はありません。
・信仰生活を良くするということは、2つのことをよく知ることです。救われて、すべてもらっています。ですから、今日ここの意味が何か? ということです。皆様がそれをいつもよく知っていなければなりません。一時代に福音を伝えるなかで、福音運動が切れる時ごとに、神様は事件を起こされて、その事件の中で私がその教会に長老で、牧師で、勧士で招かれたのです。それが意味です。それを知らなければ、愚かに生きていくのです。何んでも意味を知っていなければなりません。
 
・それが最初で、二番目は何でしょうか? 答えがくることも良いけれど、私たちにはいつも葛藤がきます。これをどのように解釈するのでしょうか? それが信仰生活を良くすることです。今日、詩篇を読んで見る時、これを知らなければ、信仰生活をするのに大した助けを受けることができません。詩篇は、信仰の人が書いた文ですが、救われた人が書いた文です。救われた者が書いた文なのですが、2つのことがいつも入っています。それが何でしょうか? 相当な人生の意味が入っています。一度しかない人生は、老いればできないことですが、今は若いので神様が与えられる力を持って、賛美もして、バイオリン、チェロもしているのです。それを知っていることが、人生の意味を知っていることです。年を取って80才になれば、しようとしてもできません。意味を知っていなければなりません。
・いつもやってくるのが葛藤です。これをどのように解釈するのでしょうか? 今日の本文は、救いをどのように受けなければならないかということではありません。今日初めて来られた方は、すこし理解しなければならないのです。どのようにして、救われて神様の子供になるのか? という文ではなくて、今日の本文は、信仰生活をどのようにするのか? もう既に祝福の現場としてこの場にきているので、イエスを信じれば救われます。キリストが何の意味か知るようになれば、すべての問題が解決し始めます。神様の子供になるならば、神様の子供になる祝福を受けるようになるのです。ところが、重要なことは、その時ごとの意味を悟らなければならないのです。献金をする時にも、意味なくする献金は、何の意味もありません。意味を知っていなければならないのです。宣教大会に献金することも、意味を知っていなければなりません。次に私たちに答えも来るのですが、葛藤もずっときます。
・トーマス・カーライルという人が20年間勉強をして準備をして、フランス革命史を書きました。原稿の準備をみなして印刷所に渡したのに、印刷所で事故がおきたのでした。整理をする人が間違って、風が吹いて散ってしまい、ごみ箱に燃やしてしまったのです。その翌日、清掃する人がそのようにしたのです。整理する人が大変なことになったのです。トーマス・カーライルに話をしなければならないのに、20年間整理をしたのでした。その時、トーマスという人は、どんな考えをするようになったでしょうか?‘あ、神様がなぜこのようになさったのだろうか?’それで、また開始をしなければなりません。また始めながら70ケ所、間違った所を捜し出したのです。ですから、本当に驚くべきことです。それで、信仰生活する人は、意味をよく知っていなければならなくて、葛藤の解釈を上手にしなければなりません。ある日、16年の刑を受けたのに、どのようにするでしょうか? そちらで偉大な作品を作り出したのですが、その人がジョン・バンヤンでした。 それがまさに天路歴程です。
・一度は、米国を行ってきたのに、飛行機の中で他の人はみな休んで寝たりしているのに、私は米国から帰って来る飛行機 10時間余り乗っているので、空気が良くないから息苦しくなります。米国に行って帰って来る時に、次月にせねばならない学院福音化の本を一冊書かなければなりません。それを書いたのでした。聖書もひっくり返しながらしなければならないのです。その本を一冊書くのに、その週によって次月が五週あるならば、パートごとに5ケを書かなければなりません。それをみな書いて完成をして私が行ってみると、私たち職員がいたので渡しました。渡したら、受けて印刷担当する人に渡すべきでしょうか? それでその人が受けて、職員に渡してくれたのです。この人がおりながら飛行機に置いておりたのでした。だから、どのようになるでしょうか? おりた後に、知ったのでした。知って急に大騷ぎになって、大韓航空に電話をしたのに、大韓航空ではゴミと思ってなくしてしまったのでした。どこに行ったのかも分からないのでした。そのようなことがありました。この人がどのようになるでしょうか? 夜通し、飛行機のなかで寝ないで書いた柳牧師を見て、また書いてくれと言うことできるでしょうか? 話すこともできなくて、かと言ってどうすることもできなかったのです。私がその人の顔を見ると、一日二日悩んだように見えました。そうしながら、止むえず話をしました。柳先生が書かれたことを受けて渡したのに、受けた人がそのまま飛行機に置いておりたのに、飛行機にどんなにさがしてもいないということです。ちょっと気持ちが変になりましたが、仕方なく新しく書きました。その時、このように考えてみました。トーマス・カーライルという人が20年間書いたのに、どんな気がしたのでしょうか? 私が10時間余り、寝ることができずに書いたとしても、また書けば良いではないでしょうか? それで新しく書いたことがあります。私たち信仰生活する人々には、このような部分が重要です。
・私たちには、おもに3つのことがきます。家庭で、教会で、職場で、特に人を通じて葛藤、危機がずっときます。こういう部分が、何でもないことのように見えるのですが、ここで利益も見ることができて、損害も見ることができます。私たちは、神様が与えられた答えの中で答えが多いと思っていますが、葛藤がより多いのです。これをどのように解釈するかによって、全部すべてがかかっているのです。皆様がどんなに聖霊充満をして行って、皆様に来る葛藤を誤って解釈してしまえば、現場ですべて奪われてしまうのです。信仰生活で最も重要な部分がこれです。今日、皆様が礼拝をそのままささげて行けば、それほど理由がありません。今日、神様が私のいのちを延長させるだけでなく、今日、貴重な日に礼拝をささげるようにされました。
・私は葛藤がくる時ごとにそうします。一日中走る時があります。昨日のような場合は、ソウルに行ったのですが、釜山に行けば、ちょうど良いのです。ところが、大邱に行くようになるのです。大邱集会をし終えれば夕方です。時々、このまま釜山に行けば良いのになという時があります。ユ・ゴンスン牧師は、光州へ行って私は大邱へ行きます。見るとうらやましいのです。あのように行けば、休めるではないでしょうか? 運動もできません。しようとすれば時間が合いません。こういう状況です。その時ごとに考えることがあります。地球が生まれて初めて伝道という理由ゆえに、毎週集まるこのようなことを、地球が生じて初めて教会史研究をしてみましょう。伝道という理由で一日、二日の集会ではなくて、毎週ずっと、それも1年2年でなくて、10年間ずっとこういう事がありえるのでしょうか? こういう重要な場に講義を聞きに行くことも大きい祝福なのに、講義をしにいくのです。その考えだけすれば、しっかりします。意味を悟ったからです。私たちには多くの葛藤があります。
・皆様、なんでもないことのように見えるけれど、やや下手すると長老や、役員、教役者が礼拝の意味をなくしやすいのです。皆様がやや下手すると、働きの意味をなくしやすいのです。下手すると、献金の意味をなくしやすいのです。聖日ごとに献金をするのに、なんの意味もありません。そうしながらある日、私が神様の前にお金がたくさんなくて、献金を適当にしたのです。私がその時、悟ったのです。“神様、私が神様の前に献金を大切にささげることができるようにしてください”この祈りをしたのです。ところが、神様が私に本当に驚くべきことに、あれこれで経済を回復させられました。私はいままで、どんなに貧しく、難しい現場に行っても、福音運動をする中に、私達が働くことが退いたことは一つもありません。神様がずっと祝福を。教会にもずっと復興を。私たちタラッパン団体にもずっと復興を。昨年の一年間、他の教団は減ったのに、私たちの教団だけ20%成長をしました。全部みな、宣教大会を合わせて、私は確信します。私達が意味を捜し出すことが、あまりにも重要なのです。これが信仰生活のすべてです。そして、私たちに葛藤がくるのです。この時、重要なことが行われるのです。葛藤がくるのではないでしょうか? 教会に行けば、人を通じて葛藤が来て、家庭に行けば葛藤が来て、職場の現場、社会、職場に行けば葛藤がくるのです。これをどのように解釈して処理をしていくのかが信仰生活の全部です。
・皆様は救われた神様の子供ならば、途方もない祝福が既に来ています。どこから回復しなければならないのでしょうか? この一日一日の意味と迫る葛藤の中で捜し出さなければなりません。皆様はイエスを信じたゆえに、サタン、暗闇、呪いの力が永遠に離れてしまいました。それならば、信仰生活をどのようにするのでしょうか? 今日の意味と葛藤です。とても重要です。皆様が行く所ごとに、神様が天の軍隊を動員させるために、答えの門があらかじめ開いているのです。すると、信仰生活をどのようにすれば良いのでしょうか? 今日の意味と葛藤です。私が見ると、ほとんどの信者、主のしもべがここでKOされるのです。わかるようになることを主イエスの名前でお祈りします。ほとんどすべてがここで KOされます。信仰の良い人も、そこで KOなるのです。完敗してしまいます。葛藤が来れば、既に人間中心主義を使ってしまいます。これがものすごく重要なのに、ですから未信者よりできないのです。ある未信者は、貧しさに対して大挑戦をしたのですが、その人が鄭周永氏です。すると、私たちは未信者より劣っていることではないでしょうか? 牛を一匹を持って挑戦をしたのです。すると未信者の水準にもならないと言う話に間違いありません。皆様がどんな祝福を受けたか知っていますか? ここに今日初めて来られた方はおられるでしょうか? あらゆる運命、呪い、運勢がみな終わってしまったのです。皆様は、占いや易は必要もありません。悪霊を恐れる必要もないのです。お祓い、先祖祀りをする必要もありません。何故でしょうか?終わってしまったからです。皆様が行く所ごとに働きが行われるのですが、聖霊が働かれて呪いの勢力は崩れるようになるのです。そうするならば、2つのことだけを良くしましょう。今日の意味が何か? 私に迫った葛藤は、どのように解釈をして処理するのか? これが相当な答えと関係があるのです。今日、本当に悟ることを主の名前でお祈りします。
・私が前に一度証しをしました。人には葛藤ということがあります。釜山、ソウルは核心に行けば、毎週献金をします。私は、行く時に準備します。いつでも車にもかばんにも、私の机にも、封筒を準備しておくのです。何故でしょうか?金額が問題ではなくて、献金を心から準備するのです。それが、礼拝の中のひとつであるゆえに、皆様は必ずそのようにしましょう。皆様は、いいかげんにしているのではないでしょうか? 私も以前にはいいかげんにしました。それがすでに信仰生活がでたらめなのです。これが礼拝の中で最も重要です。私達が友人に会いにいく時にも、確認しないでしょうか? お金がどれくらいあるのか、どこに行くのか確認をしないでしょうか? ところが、大邱地域と光州には一ケ月に一度だけしか献金をしません。それで日付を覚えていなければ準備ができません。一度は、光州に行ったのに、献金をする日でした。準備ができないのです。葛藤が生じたのです。ポケットを見ると、片方には千ウォン(百円)紙幣があって、片方には小切手がありました。小切手が1万円程度ならば葛藤にならないなのですが、ほとんど 10万円近くだったのです。10万円ではなくて、あることを支払って残ったものでした。8万円から9万円近くありました。葛藤が生じたのです。百円を出すべきか? 9万円をしなければならないか? ところが心が三回行ったりきたりしたのです。何故でしょうか?見ると、みんなが百円程度だけしているのです。‘みな百円だけするのに、私が何...’という気がしました。光州の教会はながいのです。献金袋が回って来るのに三回、四回考えが行ったりきたりしましたよ。‘千ウォンだけしよう’‘それでも、神様の前にどうして千ウォンだけするのか? それもまさにそばに小切手があるのに’この考えが行ったりきたりしたのです。人には葛藤が生じます。そうしながら、瞬間、私の生命を治める方が誰か? これから私を貧しくなさる方は誰か? これから私の物質を左右する方は誰なのか? これから、世界福音化をさせる方は誰か? 神様ではないか? と決断を下したのです。それでも惜しくて、封筒に入れて文を書きました。どこに使ってくれという文を書いたのです。
・私たち人間は、いつも葛藤の中で選択をしなければなりません。本当に重要です。いかなる頭が良くて信仰が良い人は、この選択を上手にやることができます。しかし、より難しいことは平日です。何もない時です。何の事もない時、恵みを受けることがものすごく重要です。今日は何の日ですか? 単に聖日礼拝をささげる日です。それが問題です。私は集会に行く時ごとにいつもその質問をします。幸いに集会に通ってみたら、そのようなことを捜し出しやすいのです。神様が私たちを何故くるようになさったのでしょうか? 例を上げるならば、明日から牧師夫人の修練会です。牧師夫人合宿修練会です。どれくらい意味が大きいでしょうか? メッセージをずっと捜し出すのです。ずっと祈るのです。それが礼拝です。今日、あなたがたが行く所ごとに意味を探す祝福があることを願って、まさに葛藤を通じて相当な神様の祝福を受けてくださることを主の名前でお祈りします。
・聖歌隊をただ座っているならば、だめです。どのようにしなければならないのでしょうか? 賛美を担当する天使が堕落をしてサタンになったのです。ものすごいのです。それで、歌を通じて全世界をひっくり返しているのです。ラジオで出てくる声の70%が歌です。ですから、皆様がご存知であるはずです。天使長の中でルシファーというのが賛美を担当したのに、これが堕落して悪魔になったのです。ヨハネ黙示録 12章に出てきます。ですから、全世界は歌と音楽とをせざるをえないのです。なんの話か知っているでしょうか? どの程度でしょうか? 米国へ行ってTVを見ると、ロック歌手です。歌を歌うのに、学生達が集まって号泣するのです。私は驚きました。ところが、あらかじめ寝台が準備されていましたよ。学生達の中で共に歌を歌っている途中で気絶する学生がいるのです。気絶する子供達を少し見たら、5人にはなるようでした。それを見て、本当に狂ったんだなあと思いました。私は賛美を歌って気絶したことがないのに、どのようにそのようなことがあるのでしょうか? どのように、そんなに恵みになるのでしょうか? 驚くべきことです。悟れないでしょうか? 今日事務室に到着したら、チェロをする二人の姉妹が外国に行くので、挨拶をしようと来ていました。それで私がそのように言いました。最も水準が高い学問が、実際に音楽です。最も霊的な学問です。全世界を歌でサタンが掌握したのです。それなら、その状況で私達が賛美をするのです。それで、今、それを知っていることが、意味を知っていることが賛美です。
・なんでも意味を知っていてこそ、答えを受けるのです。未信者を生かすために教会を作られたのですが、神様は多くの一般信者を来るようにさせて、主のしもべのメッセージで世界を征服するようにしようとsれましたが、最も重要な門は役員です。ですから、意味を知っていなければならないのです。この時代に神様のみことばを受けて、正確に説明をしてあげる人が牧師です。それを知らない牧師は、一生苦労するのです。神様が私のために全てのものを準備してくださって、主のしもべまで準備してくださって、神様が私にみことばを聞かせてくださるのです。それが礼拝です。すると、それを悟った人が神様の民です。何んでも人は意味を知っていなければなりません。人に意味がないということは、バカになることです。動物と同じようになるのです。動物に何の意味があるでしょうか? そのまま捕まえて食べて死ぬのではないでしょうか? 何んでもそうです。
・あるラビが、イスラエルが滅ぼされた時、ローマの将軍に行って何と話したかというと、“私たちイスラエルをみな滅ぼされても良い。神殿をなくしても良い。子供達を教育させることができる会堂だけひとつ残してくれ” と言いました。だから良しと言ったのです。許可したのです。“あなたは、イスラエルに神様のみことばを教えるのに、額に手首に壁に付けて教えなさい” ですから、聖日学校に遅く起きてあわててくるのではなく、朝早く起きてきましょう。それが日曜学校の意味です。ですから、日曜教会学校の先生が、朝早くに起きれば、子供達が生かされるようになります。時間を合せて走ってくれば、働きができません。皆様、何でも意味を知っていなければなりません。
 
・私は今、家庭も、個人も、時間も全部あきらめて、一時代に福音を伝えることができるように、人を眠りからさまさせるように世界を回るのです。どんなに、誰が迫害をしても良いのです。そういう意味で、世界を回るのです。何んでも意味を知っていなければなりません。そうしながら葛藤がきます。葛藤の解釈が重要なのです。信仰生活はこの二つです。神様は皆様が地獄に行かないように、永遠に解放してしまわれました。どのように信仰生活をするのでしょうか? 今日の意味が何か? すると、この葛藤はどのように解釈をするのか? この二つです。前のことは、信仰生活を積極的にする方法で、2番目は消極的な立場で神様の驚くべき答を捜し出すことです。これなのです。
・それで、こういう大小の葛藤がたくさんきます。家に行っても帰っても、教会に来ても帰っても、職場に行っても、葛藤があります。どんなによく合う新婚夫婦が結婚をしても葛藤はきます。こういう葛藤がみなくるのです。こういう部分を上手にやるべきです。
・今日第一にダビデの葛藤です。1節に見ると“私の神、主よ。私はあなたのもとに身を避けました。どうか、追い迫るすべての者から私を救ってください。私を救い出してください。”ダビデは私たちとすこし違いました。ダビデに害を与えようとする者が、ダビデをいつも追っていたのです。それゆえに感じる葛藤です。6節です。“主よ。御怒りをもって立ち上がってください。私の敵の激しい怒りに向かって立ち、”という話は、敵が怒りをもってダビデを捕まえに来るということです。普通の問題、普通の葛藤ではないのです。
・9節に見ると“どうか、悪者の悪があとを絶ち、あなたが正しい者を堅く立てられますように。正しい神は、心と思いを調べられます。”と話すのを見ると、“悪者の悪を絶ち”と言っていますが、単にダビデをサウル王が捕まえようと付いて回るならば、恐れは起こりません。悪い人がそこに賛同して付いて回ったことが問題になったのです。このダビデが、相当な不安に捕われたのです。大きい葛藤です。
・13節を見ると“その者に向かって、死の武器を構え、矢を燃える矢とされる。”ダビデを殺そうと武器を動員して捕まえに来るということです。皆様の中に、これほどの困難を受ける人がないものと考えられます。私もこういう困難に会ったことはありません。誰かが私を殺そうと付いて回ったことはありませんでした。少しこういう経験があったのですが、その時もものすごく不安でした。私は、実際には、体質的に、警護する方達がいることを嫌います。なぜならば、そのようなことが恥ずかしいからです。私は幼い時から、母が新しい服を買い与えるならば、それを着ることができなくて、何日も恥ずかしくて着ないで惑った者です。一度は見たら、おかしな人々がずっと付いて回ったのです。はなはだしきは、浴場まで付いて来ていました。はじめには知らなかったのです。そしてずっと害を加えようとしていたのです。本当に、おかしな人々もいるのですよ。それで、神様が警護する方達を、このようにするようにつけてくださったのだなと理解するようになりました。また、私が何度か、ある地域では精神がおかしな人々が現れる場合もありました。
・釜山で福音運動をしたペグン牧師は、想像できなかったでしょう。事故ということが常時起こることがないから、ただ一度に起こるのです。ですから、長老たち、教役者たちがそれを想像できなかったのです。牧師が夜明けに説教をしていたら、ある人が上がるから? しまった! と思ったのです。人が何故上がるのかと思った瞬間に終わってしまったのです。それが信徒を管理する人々の失敗です。重要な方達がみな重要だけれど、明け方祈りこのような時にも、ある程度保護する人々がなければなりません。福音運動をする所には、いろいろなことがみなあります。牧師が説教をしているのに、ある青年が走って上がってくるのに、牧師も瞬間的です。‘この人は誰か?’という瞬間に、長老も信徒も‘何故なのか?’という瞬間に、すでに何度刺されるはずです。だから、病院に移されていく途中に亡くなったのです。そのようなことがあります。
・あなたがたも知っているでしょうが、シンという牧師が統一教会が間違っていることを話したところ、説教中に突然に電気の明かりが消えたということでした。電気が消えたら、前の席に座った人が統一教のメンバーでした。座っていて隠しておいた棒を取り出して無慈悲に攻撃したのです。だから、どのようになるでしょうか? 歯が折れることはもちろんで、その時、私たちのメンバーの中に講義を聞いていたということでした。それで、その牧師がどれくらい棒で叩かれたか、自分がその牧師をからだで覆ったということでした。 それで、その人が私たちの教会に資源して警護員を始めたのです。私は柳牧師が福音運動をするのに、保護しなければならないときたのでした。いろいろな事がみなあります。これから、末世になれば、怖い宗教団体が犯罪チームを作るはずです。私達がそのようにしたことだけを見ても問題でしょう。
・ダビデを殺そうとチームが付いて回ったのです。ちょっと、葛藤というより大きい危機です。こういう大小の葛藤がダビデにたくさんきたのに、2番目に今日のみことばの中で悟らなければならないことは、ダビデは、これをすべて機会にしたのです。全部機会です。ダビデは幼い時、ダビデの兄が重要なことをしている時、詩篇78篇を見れば、ダビデは牧場に行って、羊を守っていました。その時、だいぶ疎外されていたのです。皆様、何でもないことのように見えても、皆様の子供が少しずつ疎外される、ここに相当な霊的な問題がくるのです。皆様が何でもないことのように見ても、皆様の子供達に何かを強調する時、その子どもがすることができない時には、ストレスとなるのです。何でもないことのように見えても、そうです。それで、ものすごく厳しい両親の下にいる子供は、正しくなることができるけれど、はずれることもあるのです。皆様が何でもないことのように見ても、そのようなのです。それで、時々、孫を韓国に連れてくるのに、絶対に連れてくるなと言います。見たいけれど、そのようにします。何故でしょうか?仮りにそのようにして来る葛藤は、一生を左右することがあるからです。ですから、ダビデがどのようになったのでしょうか? ダビデは多くの兄達の中から、疎外されていたのです。これを機会にしたのです。ダビデは、78篇71節、72節に見ると、祈りと実力を積みました。機会にしたのです。皆様、神様の子供のあなたがたは、あらゆる葛藤を機会にするようになることを望みます。今日、長く話したのですが、原理は簡単です。あなたがたの一日一日の意味と葛藤です。
・簡単に話せば、一日一日なんでもないことのように見える意味と危機、どのように解釈をするのでしょうか? Iサムエル17章に見ると、イスラエルが滅ぼされるようになりました。あなたがたも知っているでしょうが、王も将軍もみな膝を屈する状況です。このような時に、ダビデがどのようにしたのでしょうか? 神様の力を証しする機会だと行って、ゴリヤテを一回で打ち破りました。ダビデがこれをした時は、青少年の時です。ダビデが立派な将軍になってから、サウルがダビデを殺そうとどれくらいしたでしょうか? たぶん、ダビデは約20年 - 30年、逃げ回ったのです。何故でしょうか? 40才で王になったのに、約20-30年逃げて回りました。ですから、小さなことではありません。ところが、その時ごとにどのようなことが行われたでしょうか? アビシャイをはじめとするダビデにとても真実な臣下がついたのです。20年間に、そのようになったのです。それとともに、ダビデは最高の王になることができました。全部、機会にしました。あなたがたが知っているでしょうが、ダビデが年を取って、悪い臣下とアブシャロムが攻めてきた時にも、ダビデはその時、最後の恵みを求めたのです。全部、機会にしたのでした。救われた皆様に本当にこの祝福があることを主の名前で祝福します。私が見るのには、とても重要だと思います。皆様、葛藤をどのように解釈するかが重要です。
・ダビデに三番目が、17節です。“その義にふさわしく、主を、私はほめたたえよう。いと高き方、主の御名をほめ歌おう。” 私はいつも感謝するけれど、ある時にはうれしい時があります。いつでしょうか?問題がきた時です。問題がきた時、深く祈れば絶好のチャンスです。私は、今回もそのようにしました。キム・ヨンギ執事にそう話しました。総会で女性問題を持ち出したのです。絶好のチャンスです。その方をタラッパンに迎えましょう。何ゆえにそういう教会権力で苦労させるようにするのでしょうか? 絶好のチャンスです。 タラッパンは会員もないので、お迎えしなさい。何んでも祈れば機会になります。問題がくる時ごとに神様が機会をくださいました。聖書で習ったのです。だから感謝するしかありません。今日17節に“その義にふさわしく、主を、私はほめたたえよう。いと高き方、主の御名をほめ歌おう。”どのように苦難の中で、この話をしていて、賛美が出てくるのでしょうか? 神様の驚くべき計画を発見したのです。特に、私たち青年、学生達は、信仰を正しく学ぶ祝福があることを望みます。皆様は既に死からいのちに移っています。皆様が認めたても、認めなくても、サタンの手から救い出されました。皆様が正しく知っていても、知らなくても、地獄の力から奪われたのです。それなら、今日の意味、仕事の意味、職分の意味、存在の意味を悟ることが信仰生活です。ひとつは何でしょうか? 問題と葛藤、危機がきた時です。これをどのように解釈して神様の祝福を探し出すのでしょうか? これが詩篇にずっと出てきます。この二つを置いて皆様が詩篇を読む時、正しく悟るのです。
・マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの福音書を1部で講義しています。それはキリストが誰で、今、人間がなにか?を見るのです。そのように見てこそ、悟りがくるので、詩篇を読む時は、救いをどのように受けるのか?ではなく、既に受けた! です。私は聖書でとても祝福されたことを習いました。私が通った教会と、私が会った教役者と、私が会った役員は誰も神様を信じる人がいませんでした。それで、私は反対に習うようにしたのです。私は神様を信じるようにしました。どれくらい驚くべき教訓でしょうか? やさしい話のように見えるでしょうか? 私が行く教会ごとに、口数がとても多くて、葛藤がとても多くて、けんかすることをたくさん見ました。私は神様の前に、逆に信仰生活をするようにしたのです。私は一生、人を困らせないで、教会で戦わない! もし戦いをかけてくれば譲歩するはずです。誰でも攻撃してくれば負けてあげるはずです。私は覚悟したのです。聖書でみな発見しました。
 
・ところが申し訳ないのですが、神様は私を祝福なさって、私より立派な人々は祝福が少しなのを見て、神様は生きておられると確認したのです。開始にすぎないので、これからをよくみてください。ある時は、行政も粗末にする時が多いのです。開始にすぎないのです。あまり丹念にしないでと言う時もあります。開始だからです。途方もない祝福が残っています。釜山インマヌエルに、何千名が集まる時まで、いつも粗末に置きました。組織を組んでしまえば、枠が作られて、それ以上にならないからです。それは小さな目で見た時にそうなのです。その時は良いけれど、後ほどはだめになるのです。目を開けなければなりません。人々がしばしば狭いことだけを見るのです。すると、どのように世界福音化をするのでしょうか? 常に釜山の水準で何百名が集まって遊んでいるのです。反対に見ることが良いのです。どれくらい伝道することをねたんでいるでしょうか。その時、私が心より謙遜を学び、そして知恵を学んだのです。いよいよ伝道運動をしたところ、韓国、世界教会から迫害が起き始めたのです。この時、聖書の中で戦略を発見しました。迫害の内容と聖書があまりにも全く同じでした。みな捜し出したのです。葛藤がくる時ごとに更新しました。神様はそのように答えをくださいました。
 
・今日、あなたがたに重要な日になるように願います。3つで祈りの課題をさがすようにしましょう。最初、家庭でくるはずです。私は最高の家族になる。私は最高の夫になる。私は神様に一番栄光を帰す妻になる。捜し出しましょう。教会で葛藤がくるはずです。それが何の葛藤でしょうか? 私は、神様の前で、最も教会で栄光を帰す、主のしもべを手助けする真実な働き手になる。何が難しいでしょうか?
 
・職場に葛藤があるでしょうか? 私は職場を生かす神様の人になる。すると良いのです。それが祈りの課題で、更新すれば良いのです。女の方達は、家庭が悩みになるのでしょうか? 女の方達、男の方達、自分自身を変えるように願います。みな更新すればよいのです。全部、機会にしましょう!
 
・先週にある方が私を訪ねたのですが、特別な方でした。私たちの教会で事業をする女の方でしたが、事業に助けになって、初めには私の講義を聞きに来ていました。ずっと聞いているうちに、福音が入っていって、イエスを信じるようになったとしながら、今日から信仰生活をするので、挨拶しようと来たということでした。しかし、その中で面白い話をしました。自分は、絶対にイエスを信じる人を職場で使わないことにいつも考えているということでした。何故でしょうか?仕事を正しくしないからです。仕事の仕方も知らず、祈祷会、復興会、修練会をすると行って、聖書学校をすると行って、聖日ははっきりと来なくて。うまく行くことがないということでした。それで胸の中で、イエスを信じる人々はだめだと考えたそうです。私はその話を聞いて、衝撃を受けながらも、そうだと言いたかったのです。仕事も正しくできなくて、実力もなくて、何かがあれば出て行って、だから仕事がだめなのです。このように生きていて良いのかということです。ちょっと格好良く生きることを望みます。
・今日、この意味がなにか? 私はインマヌエル・ソウル教会に来る時ごとに意味を考えます。‘神様、何故私をタラッパンメンバーが集まったこの首都圏に、ここインマヌエルに、私たちをどれだけ用いられて、祝福なさるのでしょうか?’といつも考えます。私はいつも考えて、祈るのです。韓国の福音化をしようとするなら、首都圏で。首都圏の福音化をしようとするなら、正しい私たちの教団を。正しい教団の教会を生かそうとするなら、主のしもべを生かしましょう。祈っています。神様は確かにされるのです。
・ 1部でも話したのですが、私たちの考えは違う時が多いのです。私たちは不信仰する時が多くて、こういう人、こういう状況で良いのか?と考える時が多いのです。神様はなさることができます。今日、皆様にあらゆる葛藤を驚くべき機会に変える貴重な開始があることをイエスの名前でお祈りします。
 
<<契約の祈り>> 神様に感謝申し上げます。まさにこの時間が答えの時間です。今日、私達が神様の前に祈っています。 生きておられる神様が、証拠を見せてください。今日、みことば聞く方達の現場に主の天使を送りながら、現場で答えを確認することができるように、恵みを増し加えてください。それで、神様の霊的な奥義がわかるように。それで世界を生かすことができるように、証人になるようにしてください。ダビデのように、意味を悟って、ダビデのようにあらゆる危機は機会にする神様の祝福を見るようにさせてください。イエス・キリストのお名前でお祈りします。 -アーメン-