2002年10月06日 インマヌエル聖日礼拝


1部/イエスに会った目の見えない人
(マルコ8:22〜26 )
 
  
 
・終わってから、少し門の前で、軍人の家族と会う予定だという知らせを聞きました。私には時間があまりないために、後ほど貴重な軍人家族とともに祈る時間があれば良いでしょう。私は、実際には防衛の出身です。冗談で、いわゆる中尉、大尉、次に防衛と言います。軍隊には、遅く行くようになったので、一年間現役隊の中に配置されました。それで、苦労が多かったのです。ところが、神様が隊長がイエスを信じるようにさせてくださって、全部の防衛兵、現役兵に水曜日に毎週一時間ずつメッセージをするようになりました。軍人全員が運動場に集まってするようになったのでした。神様がそのようにさせてくださったのです。偶然に討論会をしていて、私の話を聞いて続けろと言われたのでした。水曜日ごとに精神教育をしたのですが、その時間にメッセージをしながら、隊長がイエスを信じるようになりました。本当に驚くべきことです。軍には、福音を伝える所が多いのだなと感じられました。一軍司令部に、いまは将軍になっていますが、その時には司令官だった人が恵みを受けて、自分の家に食事に招いてくださいました。そちらにメッセージをしにいきながら、防衛の私が星4つの司令官に何のメッセージをしなければならないかと考えました。申し訳ないけれど、主の名前で行ってすべきだと考えました。その方は、長老でした。長老は、福音を信じて神様のしもべなので、いつか神様が長老を軍で一番高い地位に上げるはずだから、その時は弟子をさがせば良いというメッセージをしました。ところが、最近、将軍になりました。その方は、本当に立派な方で用いられる人です。その方は、福音が確実でした。
・軍部隊のなかでいろいろなメッセージをする中に、中尉なのに、本当に性質が汚い人だったのですが、特に私を嫌っていました。ある日、その人が私を呼んで、神様がいるのかとたずねました。それで、私が中尉は精神がありますか? その精神はどこにありますかと尋ねたら、その中尉がちょっとどまどったようでした。神様は、私たちの精神、たましいという重要なことは、目に見えなくなさって、神様も目に見えないのです。神様は重要なことは、目に見えなくなさいました。それで、未信者が知らないで重要なことをよくのがすのです。神様は生きておられるだけでなく、私と将校と私たちすべてのいのちを治めていらっしゃると話しました。ところが、その話にその中尉が衝撃を受けたのです。その方が、私を呼んで神様がいるのかと尋ねた理由があったのです。性質が非常に悪くそのように尋ねたのですが、そのようにして、その方自身の本当の心を見せたのでした。何日か前、休暇の時、田舎に帰ったら娘が死んだのでした。それも田舎で熱いお湯の中に落ちて死んだのでした。そこで、私があなたと私のいのちを治めておられると言ったので衝撃を受けたのでした。それとともに、その中尉が聖書をちょっと教えてくれと言ったので、私がメッセージをして、二人で会って聖書勉強をしながら涙を流したりもしました。それで決定的な瞬間に、イエス様を紹介しながら、イエス様を救い主として受け入れた瞬間、神様の子供になって、その時からは運命と全てのものが変わると言いました。イエス様を救い主として受け入れることは簡単で、本当に信じられれば、心より祈れば良いと話しました。ここには、自尊心も実力も関係なくて、最も貴重な神様の子供になる道だと話しました。ところが、その中尉は涙まで流したに、次にしようと話したのです。自尊心が強い方だったので、分かりましたと言いました。それから私は一年だけ勤めて除隊しました。歳月がたくさん過ぎて、私が CCC 伝道訓練の講師で招かれたことがあったのですが、そこでその中尉に会いました。私より年齢が下の人でしたが、その人が執事として参加していました。執事ならば、教会に通うということでしょう。私がメッセージをしたら、恵みをたくさん受けていましたよ。そんなに悪い人であったのに、私が目覚めれば、きてふとんも片づけてくれて、朝に食事したら、尋ねれば負担になるかと、軍人らしくお茶をすべて用意して選んでくださいと持ってきて、もてなしてくれました。たぶん、以前に私を殴ったことを思い出して、そのようにするのだろうなと考えました。福音はこのように驚くべき事を成し遂げるよ、ということを感じました。
 
・今日、ドイツのハン・ドングン長老、米国のキム・ソンジン博士等、貴重な方達が来ています。重要な世界の福音化のメンバーになることを確信して祈っています。米国に行った時、子供達から直接聞いた話です。子供達が教会堂に集まって礼拝するふりをして、そこで麻薬を分け合ってお手洗やデパート、スーパーに行って麻薬をすると言いました。伝道師や両親は知っているのかと尋ねたら、知らないと言いました。こういう事が特殊な場合か、でなければ多いのかとたずねたら、多いと答えました。しかし、私がその話を聞きながら、衝撃を受けなかったのです。そうだろうなという気がしたのでした。今、両親が知らずにいるだけで、そのようなことがあるだろうという気がしました。ドイツに行った時も、ハン・ドングン長老の娘が、子どもたちについての重要な話をしました。
 
・私はその話を聞きながら、「私がメッセージを間違ったんだなあ。問題を触ってあげなかったんだな。」という気がしました。私たちおとなは、全く知らずにいる話でした。その話を聞きながら、福音でなくては解決できる道がないと考えました。頭が悪い人は感じることができないだけで、頭が良い人は明らかに葛藤しています。私は大部分の人々が、嘘をついて隠しているということを知りました。頭が非常に悪ければ、葛藤がありません。しかし、正常な人ならば、正しく悟ることができなければ、葛藤に陥るしかありません。目に見えない存在、サタンが皆様の家と子孫と個人に食い込む暗闇の災い、この世を操っている地獄の力、この目に見えないものすごい問題を解決されないで、どのように幸福なのでしょうか? これを解決することが福音だけだということを悟りました。私はそれ以前には、幸福ではありませんでした。
・今、説教を聞く方の中に、私の若い時の姿を覚えている人がいるはずです。私は学校に通っていた時、勉強も良くできて、模範的に育ちました。私は漫画を見ませんでした。なぜなら、学校の先生が見るなと言われたためです。それほど模範的に育ったのです。私が若い時、さつまいもを母に尋ねることもせず食べたら、母に叱られた後には、絶対に食べなさいという言葉の前には食べ物を食べませんでした。このように私が成長しながら、世の中に勝つことができなくて、私が持っていた葛藤を解消できなくて、私が抱いていた期待を成し遂げることもできなくて, 世の中の人々がにせ物だということを確認して、私が崩れてしまったのです。戦いを知らなかった私が、毎日のようにけんかをしました。だから話す必要もないのです。
 
・私はある日、知るようになりました。この世に起きる目に見えない地獄の背景、サタンの背景、災い、呪いの背景を、どのように人々が知るでしょうかということです。私がこれを知るようになって、その日からいままでずっと答えを受けています。問題が全くなかったということではありません。困難がなかったのでもなくて、神様がみな乗り越えるようにさせてくださいました。いままで進展するようにされたのです。私がそれで確信しています。どんな知識人も、財閥も、王も、将軍も解決することができません。それで、私たちはこの福音を伝えることが使命だと悟ったのです。その時から、実際的な答えがき始めます。IQが正常以上の人ならば、分かるはずです。本当に人間の葛藤と人間の解決ができない霊的な問題を分かるはずです。その程度も感じることができない人ならば、水準以下の動物に似た人であるから、対話をする理由がないのです。ある程度正常な人ならば、これがなぜそのようなのかという考えになるはずです。出世しようともがけばもがくほど、迫ってくる霊的な問題を防止できないのです。私が良くしてみようと苦闘することは当然のことなのに、そのようにして見ると、迫ってくる問題はどのようにすることもできません。そうして見ると、福音だけが生きる道です。大部分の人々が、目標もなく生きて、目標があっても、神様の計画と全く一致しない目標を立てるのです。今日、あなたがたが、もしかして隠れた悩みを持ちながら来たなら、本当に解決されることを願って、本当に目標も正しく立てて、祝福を受ける日になることを願います。
 
・どのようにすれば良いのでしょうか。いくつかの神様のみことばを見ましょう。
 第一に、私が聖書を見ると、イエス様に会った人は重要な問題が解決しました。本当にイエス様に会った人は、重要な問題を解決されました。いったいイエス様はだれでしょうか? 私自身もそうで、本当にイエス様に会った人は、問題が解決しました。もっと正確に話せば、神様がこの地にイエス・キリストを送られましたが、イエス様に会った人は霊的な問題が解決したのです。私はこれを堂々と、はっきりと皆様に紹介したいのです。不治病者もよくなったし、死んだラザロもまた息をふきかえして、ナインのやもめは息子が死んで号泣している時に、イエス様に会って生かされ、5つのパンと2匹の魚で5千名を食べさせても余ったという記録があります。
・イエス様に会った人は、重要な問題が解決されました。私はこういうことを見ながら、韓国で100年前にキリストという福音が入って、その時から韓国が変わったのです。そのように目を覚ましてみると、福音が入っていった台湾や日本は息をふきかえして、福音が入っていっていない国は暗闇に陥っています。そういう事実を見ながら、福音だけが入っていけば、神様が働かれるという気がしました。今日、皆様の重要な問題が本当に解決される祝福の日になることを願います。
・イエス・キリストは、いったい誰か? ということです。2002年 10月 6日、イエス・キリストを中心にして、この日を私たちは理解をしているのでしょうか? いったいこの方が誰なのでしょうか? 今日、ここに重要な答を得る日、相当な祝福の門が開くはずです。明らかな事実は、イエス・キリストの名前が宣べ伝えられる所ごとに暗闇の勢力が離れるということを知っています。
・むかしに私の家の前に住でいたおばさんが、私の家にきて、私たちの母と話をしている途中で、突然に立ち上がって行ってしまったことがあります。私の家にあった聖書を見て、怖くなって逃げたのです。不思議なことでしょう? 話も全部しなくて、そのまま行ってしまったのです。内心、本当に変だと思っていたのですが、分かってみるとこの人は、秋になれば家を出て行って、冬を外で過ごし、春になれば家に帰ってくるということでした。精神が狂っていたのか、一度ももれなくそのようにしたらしいのです。悪霊も力があるのか、秋から冬を外で暮らしても死ななくて生きて帰ってくるということでした。春になれば、まともな精神状態で帰ってくるということえした。春、夏を過ぎた後、秋になれば精神が狂って、間違いがなく家を出て行くということでした。一度ももれなくそのようにしました。私は、その時は知らなかったのです。その人が聖書を見るやいなや、大声を出しながら逃げたのでした。
・キリスト・イエスをうっすらとだけでも知ることができます。ところが、今日、皆様が重要なことは、今日の本文ではありません。本文の後ろに(マルコ 8:26) そこでイエスは、彼を家に帰し、「村にはいって行かないように。」と言われた。直したこの人が行って話すなと言われたのでした。ペテロが、イエス様を告白した後に、あなたはペテロですと途方もない祝福をされましたが、まだ話すなとなさいました。これは、なんの話でしょうか?私はこれを見ながら、本当に正しいという気がします。
・イエス・キリストを本当に知って受け入れる者には、みわざが起きるということを話しています。大部分の信者が教会を単に通っています。イエス様を本当に知って受け入れる者は、救われるだけでなく、神様の驚くべきみわざが起きます。イエス様のみことばが、そのみことばです。5つのパンと二匹の魚のみわざで騒ぎ立てるのですが、それではないということです。イエス様は山の中に行って祈られました。病人を直して良いことと違うのか、それではないとということです。本当にイエス・キリストを知って受け入れる瞬間、信じるその瞬間から、皆様にひとりももれなくみわざが起きるはずです。皆様もできるということです。
・私は確信します。どんな知識がある学者、大統領の前でもはっきりと言えるのです。あなたが本当にイエス・キリストが誰なのかを知って受け入れるその瞬間から、すべての暗闇の勢力は崩れるのです。イエス・キリストを心より信じるその瞬間から、答えはき始めます。イエス様が、初めのころに注意をたくさんしてくださいました。それは、よく知らないで誤って伝達するなということです。人々がわたしをだれだと言いますか、バプテスマのヨハネ、エリヤ、エレミヤ、預言者だと言うから、あなたがたは、わたしをだれだと言いますかと尋ねられました。主は生ける神の御子キリストですと(マタイ16:13-16) 告白しました。
・ここにもし、今日、教会に家族や夫人について来た方がおられるなら、その人にお話しします。そのような方達が、教会来ればおもしろくありません。教会の雰囲気を見て、あっちこっち様子をみて、雰囲気を見ます。そうしたあと、そばの人が騒げば、これは何かとしながらばかにして、マナーがない人を見れば、ばかいにするのです。ところが、皆様、今日よく考えてご覧になるように願います。何ゆえに朝から夕方まで、苦労するのでしょうか。もちろん、そのようにしなければなりません。
・人間は、そのような存在ではありません。人間が生まれてご飯を食べて、そのまま生きるのではありません。動物はそのようにさせられました。人間は、生まれてご飯を死ぬほど食べて、死んでいくように造られたのではありません。神様は、人間をご自分のかたちに造られました。動物はそのようにお造りになりませんでした。それで、犬肉のスープを食べ、豚肉を食べ、猿を食べる、それはなんの問題もありません。なぜならば、神様が動物は、人間のように造られなかったからです。人間だけが、ご飯だけを食べて死んでいくのではないのです。誰かを知るようになっていて、それがまさに神様なのです。
・皆様が、本当に今日、キリストが誰なのかを知る瞬間、2002年 10月 6日の中心の主人公、その方を知っる瞬間、何ゆえに福音が伝えられ、心だけ持ったのに祝福された米国を、知る瞬間、福音が入っていった国ごとに英国、ドイツ、みな生かされて、福音が消えた今、死んでいく理由を知る瞬間、どうしてイエスを信じる人が現れれば、悪霊につかれた者がぶるぶる震えるか、その理由を知る瞬間、多くの宗教がまとまるけれど、イエスを信じる人の前では、なぜ霊的問題を持った人が崩れているか、その理由を知る瞬間、他の人らは供養して、占いもしなければならないのに、イエスを信じる人はみな終わるので、その理由を知る瞬間、本当に知って受け入れる瞬間に、神様が働かれます。皆様、今日、皆様にものすごく貴重な日になることを願います。
・これは、お金でできることでも、時間や努力や自尊心でも代わりをすることができません。この事実を知らなければならないのです。私はこれを知ってから、神様がずっと祝福なさいました。これからも受けるはずです。こういう事実だと、私はこれを知った瞬間から本当にです。これだけは、嘘を言いません。いままでずっと祝福を下さいましたが、これからも受けるはずです。しかし、今受けた祝福は目に見える祝福を話すのですが、説明出来ないことがとても多いのです。驚くべきことです。
・大統領がこれを知っていればどれくらい良いかというと、政治ができるはずです。それができなければ、家族達や下にいる人がでたらめにしても止めることができません。知らないのです。大統領がさせるでしょうか? 大統領ごとに問題が生まれました。大統領の誰が、家族を呼んで盗みをしようと言うでしょうか? どの大統領が、呼んで自分の知らなくいように食べなさい と言うでしょうか? チャンスだと言うでしょうか。みなしないのですが、これを止めることができないのです。これが、暗闇の組織です。人生が終わる頃になれば、みな崩れます。人生が終わればなんにもなくなるのです。これが人生です。それで良いのでしょうか? 重要なことを抜かしているからです。
・キリストが何の話なのか悟れば良いのです。油注ぎを受けた方。いったいイエスを信じる人が、キリストがなんの話なのかも知らないので、その話だけ悟れば良いのです。その話を知って信じるのです。受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には神の子どもとされる特権をお与えになった。すると、皆様が私の話を聞こうが聞くまいが、皆様の周囲にみわざが起き始めます。本当に驚くべきことです。
・キリストとは、なんの話なのでしょうか。三つの職分を合わせた言葉です。王、預言者、祭司長、この三つを合わせたことが、キリストです。あなたがたも知っているでしょう。この三つの職分に油を注ぐためです。キリストということは、油を注がれた者という意味です。ところが、それだけ知っていてはなりません。なんの話でしょうか? 祭司長は何をする人でしょうか? 私たちの罪を持って、神様に礼拝する人です。私たちの罪をなくそうと、真の祭司長として来られました。その話です。運命、呪い、災い、すべてみな終えたということです。預言者は何でしょうか。神様に会うように知らせる人です。イエス様は、真の預言者としていらっしゃったということです。それで、イエスを信じる瞬間、聖霊で働かれるようになります。王は何でしょうか? 権威で国を守る人を言います。イエス様が真の王として来られ、サタンの権威を打ち破ったということです。
 
・驚くべきことです。この事実を知って受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には神の子どもとされる特権をお与えになった。これだけを知っていれば、その時から答えがくるようになります。本当に知って、イエスを信じる瞬間、私は多くの証拠を、私も見たのですが、現場でとてもたくさん見ました。
 
・私が 15年開拓をしてきたし、10年ソウルに上がってきて全国を走りました。しかし、すこし驚くべきことは、さて資料を集めて見ると、本当に多くの事があったのです。私は、15年が少し過ぎたことのように思えるのですが、振り返って見る時、神様がその迫害の中で答えてくださったことを見ることがとても多いのです。そして、今は多くの人々の中から、私たちの学生達、青年達の実を見ると、とても多くの事を神様がなさいました。‘福音は偉大だな’ どれくらい感謝するか、私が15年走ったのに、どれだけこの福音が貴重か、神様が私をどれだけ保護なさったのか、15年間、公式的に教会で走って、10年全国、世界を回って、その前に10何年を単に副教役者として走ったのです。歳月は短くありません。そのように走る中に、一回も病気で横になったことはありません。そのこと一つだけ見ても、奇跡だと言えます。これは自慢ではなく、証しです。これは、どのようにこういうことがあるのでしょうか? もし病気になったらできないのに、一回もそのようなことがありません。風邪になって病んだことはあります。それでも支障ないように、神様がなさいました。そのこと一つだけ見ても、本当に驚くべきことです。
・皆様もおわかりの通り、釜山のような所にはお金がありません。皆様がおわかりの通り、献金するだけ力がないのです。釜山自体が元々そうです。人間が見る時には、もどかしいのです。ところが、神様が土地を買い取った時、約4億円以上を無条件に銀行から金を借りました。かと言って、私たち信徒が率直に献金をすぐに出す、こういう人ではありません。ほとんどすべてが、神様に完全に任せて祈りました。いまは、みな解決しました。徐々に土地を買って、釜山インマヌエルが約 8〜9千坪程を買いました。私が知っていることでは、釜山市内では、私たちの教会ぐらい土地を大きく持っている教会はありません。必要ならば、その土地を私達が占めて、釜山で一番良いレムナント運動を一番上手にすることができる教会を立てなければなりません。私はそのような考えをしています。神様の計画がそうなのです。すべてみな見ましょう。人間的な考えで話をするならば、人間的論理で見れば、一つもできることがありません。お金がなければならないでしょう? 人材があってこそ、働きができるではないでしょうか? 人間的に見る時、一つもできないのに、計算上で確かめてもできることではありません。どのように、敢えて釜山で働きが可能でしょうか? しかし、この福音の力はものすごいのです。
・私は現場に行けば、どれくらい驚いているか分かりません。一番最初に驚くことは何でしょうか?そのようなことは、初めて見ました。幼い小学生でしたが、初めて見たのです。皆様が伝道現場に行かなければ見ることができません。伝道現場に行ってみたら、このような事があるのかと思えます。子供達が賛美を歌うのに、礼拝室の隣で、終わりまで壁を叩いていました。隣室から出るとまた何の子供が、両親を尊敬するのに、あんな子供達がいるのかと思われました。6年生でした。それで私がたずねたのです。なぜそうするのか?私が教会堂の鐘の音だけ聞いても耳に指を突っ込んで、泣き出して異常だということです。どんなに見ても、その親たちは、未信者なのに、どうしても悪霊がついたようだと話しました。それで、教会の牧師が呼ばれて、礼拝をささげようということでした。礼拝をささげる間、壁を叩いていました。私はそのようなことを初めて見ました。異常に見えました。それで、子供がお母さんを見て、お母さん、他のことはみな良くても、願いがひとつあるのだけれど、礼拝だけはささげるのをやめよう、と言いました。子供がそう言ったのですが、お母さんが礼拝を頼みました。牧師と一緒に行ったのですが、牧師が私を見て、子供が小学生であるから、私が小学生部を受け持っていたので、あの子供をちょっと助けてあげなさいと言いました。私がどのように世話してあげることができるでしょうか? その時、初めて感じたのです。私の胸の中に悪霊を見たこともなくて知らないのに、私の胸の中に確信が来たのは、まちがいなくこの子供は悪霊につかれたんだなあ、と思いました。私の胸の中に、悪霊を見たことがあるのか? かたちはどのようなのか? 知らなかったのです。しかし、聖書を見ると、悪霊につかれた人の話が出てきます。この子供に何を話すべきか分からなくて、行って子供を見て聖書を読んでみろと言いました。子供が読んでいる途中で、声で叫ぶのに、あ、このようなことがあるか、子供の手をつかんで、やり方を知らないから、手首をつかまえてイエスを信じると祈りなさいと言ったら、本当に直ったのです。不思議です。そのようなことがあるのか、私はいつでも頭がいつも科学的なために、偶然の一致で、私が行って読んであげたら、直ったのではないか、このようなことがあるのか、偶然の一致だとしてもあまりにも恵みになりました。そのように感じられたのです。私の頭は、常に論理的です。しかし、これはそうではありません。
・そのような方法で、釜山インマヌエルを立てる前に、約10年走りました。それは、私がしたことではなくて、神様がさせられたのです。不思議です。私は、本当に怠け者なのに、神様が現場へ行くようにさせられたのです。そして、ムダン(霊媒師)の町に入っていって、伝道することなど夢にも考えませんでした。しかし、そこに入っていくようにされたのです。どれくらい人々が、霊的問題で苦しめられているのかを知るようになりました。簡単な話と違うでしょう? 確信しました。イエスを信じないとだめです。私は確信がきたのです。絶対に、独善的な論理ではありません。
・癌にかかった人がいやされる薬を発見したのに、あなたがこの薬を飲めば生きると話すのに、独善的な医者だと言うでしょうか? それは話になりません。それは知らないことです。キリスト教が独善的だ、と言いますが、そうではありません。確かに正確に話せば、あらゆる宗教は同じです。しかし、救われることは違います。確かに区別すべきです。すべての宗教は同じで、すべての宗教は良いでしょう。しかし、救われることとは違います。私はそこに対する確信があります。この一つの単語だけ知っていても、だからイエス様に対して起きた話がものすごく多いのです。
 
・復活なさったイエス様は、復活が可能でしょうか? 再創造の働きが可能です。神様は可能です。私たちは、できないのですが、それで私たちはこのすばらしい福音を信じるのです。その方がおっしゃったみことばは、天と地の権威がわたしには与えられています。あなたがたは行って、すべての国の人々を弟子としなさい。という話は、弟子がいるという話ではないでしょうか? それを探して私は走りました。マルコ福音 16章に、わたしの名前で悪霊を追い出しなさい。私は確実に間違いないと考えます。全部、悪霊に仕えています。わたしの名前で悪霊を追い出しなさい。そして病んだ者に手を当てれば、いやされます。私はその体験をしました。 そして、レムナントを生かしなさい。小羊、これより急ぐことがありません。生かしなさい。聖霊充満を受けて、地の果てまで行きなさい。
 
・ところが、最後に悟ったことが何でしょうか? ルカ福音 24章に、エマオに戻る既存信者です。悟ることができない信者は、これに目をさまさせなさい。そうだ。ヨハネ黙示録 2章 1節に見ると、イエス様がなにをしておられるでしょうか。いなくなったと思っていたのに、霊の目を開かれて見ると、使徒ヨハネが霊の目を開いて見ると、七つの星を捕まえて燭台の間を歩いておられたのです。聖書に説明されるているのは、七つの星はしもべで、燭台は教会です。福音を持ったしもべを捕まえて、福音を持った神様の民を見て回っていらっしゃるのです。‘ヨハネよ。心配してはならない’ということです。ヨハネ黙示録 2章 8節に見ると、初めであり、終わりである、復活なさったこの方が、ヨハネ黙示録 2章 12節に見ると、左右に刃が鋭くなった剣を持っておられます。私たちを保護してくださる剣、そのままみことばで剣だと表現したことは、攻撃することを話します。私達が暗闇の勢力に勝つことができるのは、剣しかありません。目は火花のようで、足は光った真鍮のようです。なにを話すのでしょうか? 力、征服、こういう方が、私たちとともにいらっしゃるということです。特に、3章 1節には七つの霊がともに、七の霊とは何でしょうか? 今でも主の天使を送ってくださって、すべての門をあけて閉じる七つの霊が、しかも、黙示録3章 7節には、ダビデの鍵を持ち、開けるならば閉じる人がなくて、閉じれば開ける人がいません。3章14節には、創造の根本であられるこの人は、それでなんの話でしょうか? 「ヨハネよ。恐れないで。」その話は、なんの話でしょうか。私たちを見て恐れてはならないということです。
・私たちは、あまりに目に見えることだけを勉強してきたゆえに、目に見えないことを知らずにいます。誤って習ったのではないけれど、一方だけ習ったということを知らないでいます。私たちは、今まで目に見えること、食べること、着ること、洗うこと、組むこと、これだけをしてきました。私たちは、目に見えないことに対して全く知らなかったのです。しかし、聖書はおもに目に見えないことです。信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。それで差が出るのです。
・私たちは重要なことは、どれでしょうか? 目に見えないことが、より重要です。すると、目に見えることだけするのでしょうか。先週にも申し上げたが、信者は目に見えないことの為に目に見えることを投資します。未信者は目に見えることの為に目に見えないことを犧牲にするのです。それが愚かなのです。それが差異点です。私たちは目に見えない世界のために、目に見えることを投資します。それで、献金もして、家も建てます。未信者は知らずに、目に見えることのために霊的なことをみな犧牲にします。そこが違うのです。すると、このイエス・キリストを受け入れて、どのようになるのでしょうか?
 
・皆様が三番目に記憶しなければならないことがあります。必ず記憶すべきです。ソウル大学に入った者が、そこに入らずに出歩けば、出歩くほど損です。むかしにそのような人がいました。ソウル大に入学したのに、通わないまま出歩いた人いました。出歩くほど損です。そして入っていけば、学校にカリキュラム通り勉強しなければ、10年 20年行っても卒業できません。私たちの学校でも、10年間卒業ができなくて、仇名が会長だという人がいました。とてもたくさん会費を多く出してもだめです。学校に入ったら、学校のカリキュラムに従ってこそできるのです。
・今日、なんの話をしようとしているか、三番目、イエス様が目の見えない人を直されたのに、目になにを塗られたかというと、つばを塗られ、手を当てられたのです。これは、重要な話です。いたずらに何かしたということではありません。その話ではないのです。イエス様が、神様の息子であることが間違いないならば、イエス様がサタンの力を打ち破った方であることが間違いないならば、イエス様が、皆様が受けなければならない呪いを破ってくださった方に間違いないならば、イエス様が皆様の救い主になった後に、主人にならなければならないのです。これが三番目です。普通の人々が、イエス様を救い主として信じます。そして、神様の息子だと信じるのです。イエス様をキリストとして信じます。ところが、それだけではだめです。そのことで嘘をつくことができます。イエス様は誰でしょうか?神様の息子です。信じられなくても、話をすることができます。イエス様は誰でしょうか?救い主だ。誰の救い主か? 私の救い主だ。イエス様が誰でしょうか?キリストだ。合宿訓練を受ければ、皆知ることができます。
・イエス様がそのものすごい問題の解決者、私の主人になるのには、嘘をつくことができません。これが重要です。カナの婚礼で、イエス様をお客さんにしていた時にはみわざは起こりませんでした。主人にお迎えした時に、みわざが起きました。皆様、これは自尊心が傷つけられることではありません。最も偉大な神様と神様の息子、その方が皆様の人生の主人だということです。私の人生に、主人に私がなる時、自尊心を捜し出すけれど、崩れるようになります。自分の限界に従って、未信者が使う言葉です。‘あなたの人生はあなたがさがしなさい’ と言います。主人が誰か?によって、この運命が左右されます。
・この頃は、そのようなことが多くないのですが、むかしには女の方達が嫁に行くと、一度行けば、終わりました。なぜでしょうか? 主人に会って終わるのです。どんなに顔だちがよくて、準備を多くしても、おかしな男性に会えば、おかしな男性の夫人です。主人にしたがって、どうすることもできません。今でもそうです。むかしには、完全にそうでした。それで、私が見れば、本当にしっかりした女の人が、男の人に間違って会って、一生苦労するのを見ました。人は主人によく会うべきです。
・皆様の人生の主人は誰でしょうか?神様です。この目の見えない人の主人が誰でしょうか? キリストでした。何の話なのか分かるでしょうか? この時から、みわざが起きるようになります。私が以前に幼い頃の話を説明したことでしょう? 私たちの幼い時には、浴場が今のようになくて、ほとんど特別な家にしかありませんでした。6.25(1950年朝鮮戦争)が起こって浴場がなくて、おもに入浴は、部屋や台所で母が水をわかして、しました。夏には、山に上がれば石があったので、石であかをすりました。私たちの幼い時には、そうです。浴場が村にひとつあれば、その浴場におもに名節(韓国固有の盆・正月)の前日に行きました。名節(韓国固有の盆・正月) の前日に行けば、人々が多いのですが、その時、母に対して話を聞いて、早く行きなさいと一年に2度は確実に行きました。むかしには、そうです。浴場に行ってみるならば、今でも思い出します。湯の中に入っていって座っていると、その下に椅子のような所に座るのですが、おじいさんが座って首のところまでお湯があったのですが、お湯が熱くて入っていけなかった経験もあります。浴場に行けば汚なかったのです。いまは、ほとんどみな銭湯があります。とても発展しました。
 
・私が何年か前に、ある牧師と共にあるサウナに行ったのに驚きまいた。行ってみると、どれくらい驚いたか、そこには泡があり、向うには色のあるお湯もあって、眠る所もあってどれくらい発展したのか、冷湯、温湯、汗を出す所もあって‘とても発展したんだなあ’ と思いました。ところが、その時でも、今でも全く同じく変更がないことがあります。それは何でしょうか?真っ赤な文字で‘貴重品は主人にあずけてください。主人にあずけない物は責任を負いません’ むかしでも、今でも変わっていません。それを見る瞬間に、そうだと思います。主人にあずけないのに、どのように責任を負うでしょうか? 最も重要ないのちの主人、創造の主人であられる主に人生を任せなかったのに、どのように私たちの責任を負ってくださるでしょうか? とても重要なことです。
・ほとんどみなイエス様を救い主として信じます。主人としては信じないのです。そこで失敗がくるのです。イエス様を神様の息子キリストだと信じます。ほとんどみな、主人には信じません。そこで失敗がくるのです。信仰生活は、簡単です。今日、大きい祝福を回復する重要な日になることを希望します。皆様が本当にキリストを主だと信じて、聖霊充満を受け始めるならば、皆様のすべての病気は崩れるようになるはずです。そして、皆様にあるすべての霊的問題は、解決し始めるはずです。間違いありません。日が経てば、答えを受けるようになるはずです。この根本問題を解決しなくては、どのように他のことができるでしょうか。これは、基本です。これのために今は何をするのでしょうか? 今は仕事もして、基本的なことにだまされないで、これのためにお金もたくさんもうけて、この福音のためにたくさん活動もして、成功もすべきなのです。
・今日の結論は何でしょうか?貧しい人を呼んで、ご飯もあげて手助けする人もあるのですが、それもどれくらい感謝するか分かりません。それならば、霊的に完全に死んでいく人に対し、キリストの名前で生かすこの秘密をいうということは、どれくらい大きい祝福であるか分かりません。皆様がご存じの通り、使徒の働き3章の説明をこの前の一般信者宣教大会の時、話したではないでしょうか? この人は、生まれつき足のきかない者でした。乞食でした。お金が多ければ良いのに、お金もありません。この人がもの乞いをせざるを得なかったのです。どこですれば良いでしょうか? 神殿の美しの門ですれば良いのです。場所をよく選びました。聖書に見ると、毎日ということですから、この人は勤勉な人です。より恐ろしいことは、この人が神殿に行くことができるように、毎日連れて行く人がいました。感謝です。毎日、肉体的な奉仕をする人がいます。入って行きながら、小銭を投げる人もいます。それを集めて生きるということは、物質的な奉仕です。みな感謝なことです。しかし、ペテロが何と言ったでしょうか? 「私たちを見なさい。金銀は私にはない。」小銭一つもなかったでしょうか? その話ではありません。今、パリサイ人と宗教人が投げる小銭は、私にはない。しかし私にあるものをあなたにあげよう。ナザレのイエス・キリストの名前で起きて歩きなさい。それとともに手をつかんで起こしたら、立ち上がったのでした。
・奉仕が違います。小銭を与えることも感謝なことで、祝福なことですが、永遠に暗闇に縛られた人を救い出す簡単な答が何か?というと、福音です。皆様、この働きに対して、お金をもうけ、この働きに対して勉強して、この働きに対して最善を尽くして、この働きに対して計画を立てて、この働きに対して生涯をかけて、そのようにすればよいのです。勉強する学生は、つまらなくせずに、気を引き締めて、生涯をかけましょう。なぜでしょうか? 世界福音化をせねばならないためです。単なる勉強ではありません。以前は、勉強をどのようにしたでしょうか? 私がどのように受かるようになるか? どの大学に受かるか? こういう水準で、どのように世界福音化をするのでしょうか? 勉強ができなくても良いのです。最善を尽くしましょう。私は、どの大学に行っても良いのです。最善を尽くしましょう。なぜでしょうか? 世界福音化のためです。そのような方法で勉強すべきです。皆様の生涯をかけるように望みます。
・計画を立てましょう。私は一般信者を見ると不思議です。私が事業する人ならば、ものすごい計画を立てるでしょうが、なぜ立てないのでしょうか? 立ててみましょう。私が一般信者ならば、そのようにします。私は牧師であるゆえに、世界福音化を立てました。全世界に一千万働き人を立てます。誰が何としても働き人を立てます。それは私の計画です。事実 1部礼拝を終えて、飛行機に乗って釜山に行きます。それで2部をします。どれくらい疲れているか分かりません。ある時は、車中でご飯を食べて、こぼすこともあります。福音を伝えるので、そうであって、お金をもうけるので回るならば、涙が出てくるでしょう。ご飯を食べる時、なぜこうなのか? 弟子を探さねばならないからです。直接、私たちの教会が、地域地域に代表的な教会を立てるのです。
・目標を立てましょう。私は牧師として目標を立てました。皆様は、一般信者として目標を立てましょう。韓国で福音を一番よく話す教会。福音をよく伝え、レムナントを育てることができる教会になろうとするなら、どのようにせねばならないのか? 計画を立てましょう。目標をもって祈りましょう。率直な話で、ならなくても、元々です。ならなくても損することはないのに、何ゆえにしないのでしょうか? 私ならばします。伝道者と牧師達の思い通り牧会できるように、後押しするはずです。体系的に計画を立てましょう。本当に計画を立てて、ひとつ実践しましょう。なぜできないのでしょうか? 神様が、悪い人にも助けを下さるのに、未信者にも与えられるのに、私たちは信者なのにこれより重要なことがあるのでしょうか?
 
・一生の間、ムダン(霊媒師)の子供として生まれて、どれくらい苦労したか、イエスの名前一言でいやされました。大邱でおいしいものを持ってきて、先生に必ず差し上げてくださいと言って持ってきました。何か? と見たら、ごま油でした。それを持って行くことができなくて、食堂で「先生申し訳ありません。私どものが使います。」「そのようにしてください。誰が持ってきたかと言ったら、あるムダン(霊媒師)が、イエスの名前一言でいやされたのです。」驚くべきことです。これが病院でできることでしょうか。光州に行ったところ、ある女の人が来て、私の手をつかんで離しません。手を離してくださいと言って、分かったら、このムダン(霊媒師)が、30年間 ムダン(霊媒師) 生活をしたのでした。それで、死ぬほどの苦労をして、毎日悩まされたのですが、福音を聞いた瞬間にいやされたのでした。そのような人もいます。
 
・ある人も聞いたとたんにいやされる人もいます。もう少し違う用いられ方をする人は、そこに対して根をおろすべきです。人によって少しずつ違うのです。しかし、いやされる道は、確かにこの道しかありません。どれくらい驚くべきことでしょうか? これのためにお金をもうけ、これのために勉強して祈りをつまらなくせずに、神様の計画が明らかなので、米国と世界のレムナントを呼ばれて、私達が正しく訓練させることができる礼拝堂を下さい。私がいつも話すではないでしょうか? いっそのこと、遠くを見通して、遠く見て、韓国では一番良い施設を作り出して、レムナントを呼び集めましょう。
・今日も集まって悩んだではないでしょうか? ミッションホームに入る人がいるのにそこは狭くて、しっかりしたレムナントを呼び集めようとしても、できる場所もないのです。するべきなのです。祈っていのちをかけましょう。そして、昼夜なしで祈りましょう。働きは起きます。私は、一千万の働き人のために道を歩きながら、ずっと祈ります。サークル式でくり返して祈るのです。皆様の顔と全世界の中を回ります。まちがいなく、神様は答えてくださいます。皆様、世界福音化の祝福を味わう、キリストに会う皆様になるようにイエス様の名前でお祈りします。
 
<<契約の祈り>>
神様に感謝申し上げます。今日、百ケ所余りで、衛星で礼拝をささげる教会と全世界5千箇所を越えたインターネットでみことばを受けるメンバーと、また今日、インマヌエル教会がともに礼拝をささげることを感謝して、また今日は、特にインマヌエル・ドイツのハン・ドングン長老とまたインマヌエル契約教会ワシントンのキム・ソンジン博士と、また今日外部から来られた貴重なフン宣教師とこの貴重な人々とともに礼拝をささげるようになったことを感謝申し上げます。主がこのしもべ達に大きい恵みを与えて下さり、この方達が行く所にあらゆる暗闇が崩れ、この方達が行く所に閉められた門が開いて、神様の驚くべき秘密がなされるようにしてください。私たちのインマヌエルの聖徒達が行く所ごとに神様の働きが起きるようにしてください。主イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン
 
 


2部/悪い者がうまくいく理由
(詩10:1〜18)
 
・米国や他の国で、一般信者宣教師を送ったことがあります。しかし、それほどこの時まで大きい良い効果があることはなかったのです。その方達が、米国や他の国にいる方達が私に要請をしました。おもに牧師の方達が要請をしたのです。一般信者宣教師の派遣をしないほうが良いと言いましたよ。なぜそうなのかと尋ねたら、伝道もしなくて、現地にいる牧師と対等な水準で行動をしようとして、実際に問題を起こすためによくないそうです。そして、一般信者の手本にならないだけでなく、伝道に特に益にならないということです。ということで、「可能ならば、先生が一般信者宣教師を派遣してくれないほうが、私たちを助けることです。」という話を何度か聞いてきました。それは、間違った話ではないと思いますし、そのようなことはあるでしょうが、今日、神様の前でパク・ウォンギュ執事は私が見るのには‘特殊な産業地域に福音を伝えることができる人で、単なる執事よりは、一般信者宣教師で入っていくことが福音にはるかに有益だ’という判断をしたので、私たちの教会で一般信者産業宣教師として派遣します。本人と多くの現場に実があることを希望します。米国、ヨーロッパ、オーストラリヤ、カナダのレムナント達が神様のみことばを確かに受け取っています。特に、2部礼拝の時は、レムナントが神様のみことばを聞いて恵みを受ける祝福があることを希望します。
・そのような中で現場へ行くには、必ずいくつかのことを記憶しなければなりません。その最初が現場に行ってみれば、悪い者が想像以上に多いのです。結論的にここに陥ったり、ここで崩れたり、ここを乗り越えることができなければ、伝道、宣教に失敗するだけでなく、信仰にも大きい益を得られないのです。こういう人々があまりにも多いからです。しかし、全部間違って、悪いように見るならば、自分自身が異常になります。それで絶対に陥ってはなりません。ダビデの周囲には、このような困難が多かったのです。見ると、悪人は神様がないと心で考えます。口では話さないけれど、考えで神様がどこにいるのかと言うのです。そのような方法です。悪人が言うのに“私はゆるぐことがなく、代々にわたって、わざわいに会わない。” これくらい成功をして、口は、のろいと欺きとしいたげに満ち、彼の舌の裏には害毒と悪意があります。彼らは、罪のない人を殺して、獅子のように待ち伏せしていて、悩む人を殺し、捕らえて不幸な人を殺す人が多いのです。こういう中で、ダビデが生き残ったのです。そのためによく考えなければなりません。私たちのレムナントも、試みに会わず、信仰生活を上手にすべきです。
・私が知っていることでは、ほとんどみんなが、自分に損害がくると、自分を制して福音を選択する人がほとんどいません。とても頭が良かったり、とても信仰が良い人はそうですが、大部分の人々はそうではありません。大部分の人々は、私が経験した大部分の人々は、ほとんどみな自分の方向で考えます。そのようにしたゆえに、学生達が信仰生活をする時、他の人の話を聞く時、特に一般信者が産業宣教師で現場に行く時、一番重要です。執事を派遣する時間と詩篇10篇のダビデの詩が会いました。私が見る時には、絶対に偶然ではありません。神様のみことばは、偶然ではなくて、必然的に答えとしてくださったのです。ダビデがこういう困難をよく体験しました。それで私たちの一般信者を見て、レムナントを見て、執事を見て、こういう話をするのです。世の中には悪い者でぎっしりと埋まっています。そのために、この部分を知らなければ、だまされます。大部分の人々が、福音を持ったのにもかかわらず、ここで崩れるのです。多くは目に見えないのです。悪い者は目に見えるようには現れません。大部分の牧師達が、教会で牧会をして、目に見えないここで崩れるのです。これが、大部分の人々がそうなのです。そのために、このような部分をよく消化できなければならず、よく見るべきですし、特に、私自身をよく守って行かなければなりません。人々はほとんど話すことを聞いてみれば、自分の立場で話します。相手方の立場で話をしません。
・私が時々、朝にすべては見ることができないのですが、講義をしにいく時に朝のテレビを見れば “朝庭”で夫婦けんかをする人たちが出てきます。この人達の共通点は何でしょうか?その男の人が話すことを聞いてみれば、完全に自分の誤ちは一つもなくて、女の人だけが悪いという程です。また女の人が話すことを聞いてみれば、自分の誤ちは一つもありません。全部、男の人がみな間違ったのです。その話だけするのです。ですから、私達が聞いて判断をよくしなければなりません。それで私が見たら、あの人々は一生けんかするだろうという気がしました。‘たぶん家に帰る途中でけんかするはずだ’と考えました。全く対話にならないから、そのようになるのです。大部分の人々はそうです。大部分が、自分自身の立場で話をします。絶対に相手方の立場で話しません。世に出てみましょう。どれくらい悪い人々が多いでしょうか? ここで‘世の中があまりにも悪いのだな!’と考えれば、私が異常になります。とても否定的になってしまうのです。ところが、知らずにいていては仕事がなんにもできません。こういう部分を、そうだと言ってあまりに無関心にしてしまえばバカになってしまいます。こういう部分をよく越えて立つべきです。
 
・信仰生活をする私たち一般信者は、皆様全部が、実際には一般信者宣教師です。ところが、一般信者宣教師という肩書を持って行く私たちの執事ですが、実際にはあなたがたは一般信者で、神様のみことばを宣べ伝えなければならない、祝福を証ししなければならない一般信者です。そのような皆様が、一番最初にやられる部分が、簡単に話せば人間関係です。これが最もむずかしいのです。変な人いろいろいます。ですから、私もこういう部分に衝撃を受けたのが、1,2度ではありません。こういう人々が、どれくらい多いでしょうか? 学生達が、このような部分を理解できなければ、信仰生活は開始の時から崩れます。私たちの外国に行って勉強している学生達が、各地域にある教会で、あるいはミッションホームで、あるいは寄宿舎で、こういう色々な困難の中であらゆる満足をみな得ようとすれば、はじめから信仰生活ができません。皆様、考えをよくしなければならないのです。
 
・私は幼い時から、私たちの教会がたくさん戦うのを見たのですが、その時には、特に関心はありませんでした。私が副教役者生活をしながら、多くのそういう部分を感じたのです。実際に知ってみれば、敵ではないのに、敵のように対するのです。私が初めて感じたのです。私が伝道師をしていた時に、熱心に伝道して、そのようにしたのに、実際に他の人の前にあまり礼儀に外れたりもしませんでした。私は、できれば話もむやみにしません。できれば、私は素晴しい者ではありませんが、変にはしません。ところが、この人達が、私一人をおいて締め出すのでした。私が静かに、理由がどこにあるのかと見ると、私が引き受けた部がずっと復興するのでした。言わば喜ぶことではないでしょうか? 私達が、伝道が良くできないのに、あの伝道師は伝道がよくできてうれしい。というようになるべきではないでしょうか? これが、天下の敵のように考えるのでした。それも救われた教役者が、そのようにするのです。この時、私が‘あ!’ と思いました。このような時に、私達が試みに会えば、共にやられるのです。
・私達がここを15年前に始めたのですが、私が本格的に始めた時が、13年前くらいです。すぐそばの信徒一人が私たちの教会のタラッパンに参加しました。タラッパンに参加したら良かったので、訓練を受けようときました。そして、そのままいれば良いのに、伝道活動をやたらしたのです。伝道活動をしていて見たら、この人が自分の友人を連れてくるようになります。ですから、その教会の牧師が事を起こしたのです。完全に人が狂ったのです。牧師のように出てこなくて、やくざのように出てきました。このようにしでできた作品が、私たち教会が異端になったのです。驚くべきことです。ですから、人はみなそのようになるのです。過ぎ行く人々は知りません。後にきた人や、後ほど知らせを聞いた人々は‘問題があるので異端と言うのではないか?’というように聞きます。また‘問題があるので、そうだよ。’というように話すのです。だいたいそのように話をしましたよ。しかも見れば、話も細かく聞いてみれば、話に問題がありました。人というのはそうなのです。皆様が一日中話したことを正して聞けば、皆様の話はみな違っているのです。韓国最高の伝道者のキム・ジュンゴン牧師が“伝道の爆発”という話を書いたのですが、実際には、それは間違った言葉です。何で聖霊が爆発をするのでしょうか? 働きをすることであって、そのように正せば人の話はみな間違っているのです。そのように正しすから問題がくるのです。
 
 他の見方をすれば、むずかしいのです。私が以前にも話したでしょう? ある若い牧師が、大きい新聞社をしている牧師ですが、この方が1月の初めの週に私の部屋に入って来ました。来たとたんに、先生にご挨拶申し上げますと言いました。なぜかと聞いたら、先生のような時代的なしもべの前にごあいさつすることが、礼儀だと言いました。そうなのかと言うと、既にひざまずいてしまいました。それで立てることもできなくて、ともに挨拶をしました。とにかく気分が悪いことではないでしょう? 昨年か、新聞にタラッパンを非難する文を書きました。私にあいさつをしたその人がそういう文を書いたのです。それで、なぜこのようにしたのかして見たら、私は、今、タラッパンの予算を一切手をつけません。とても多くの攻撃をするかと思うのでそうしたのですが、委任された人が向こう側をみな切ってしまったのです。それを切ったと腹が立って、そのようにしたのでした。ですから見ましょう。私にあいさつをした人が、新聞に大きく私の悪口を書くのです。
 
・大部分の人がみなそうです。大部分みな、神様の前に立つ人はそれほどいません。このような中に学生達を送り出すのです。ここに陥って死ななければならないのでしょうか? ここで戦わなければならないのでしょうか? でなければ、あきらめねばならないのでしょうか? 逃げ出すのでしょうか? それでもありません。こういう悪い中に私たちのレムナントを送りだして、多くの経験をしなければならなくて、変なことがみなあるのに、牧師がその程度ならば、一般信者は話す必要もないでしょう。いろいろな事がみなあります。そのような中に、執事が一般信者で福音を伝えようと入っていかなければならないのです。私達が‘福音だけ伝えればいいよ’と言っても、現場はそうではありません。“先生、がんばって福音だけ伝えてください”と言っても、周囲の現実はそうではないのです。どのようにすれば、ここに陥らないかが重要です。ものすごく重要です。誰でもみなそうです。
・ところが、特に、この人達はダビデが敵の名前を記録していないので、分かりませんが、簡単に話せば政治をする人です。政治をする人が、サウル王側に立った人々が、もしダビデが王になれば、多くのことを得られないのではないか? ということで、ダビデを殺そうとしたのです。サウル王は、自分が王なのですが、ダビデは自分の娘婿ではないでしょうか? 娘婿が王になれば、自分が王を長くすることができないではないでしょうか? 自分が王を長くすることができなくて、なにぶんダビデが王になれば、自分の息子が王になれないということです。それを計算して、そのようにしたのです。権力欲ということは暗いのです。権力欲ということは、一度味わうようになれば、なんにも見えないと言うでしょう? だから、息子も、娘も、娘婿も見えないのです。権力を維持しようとするので、ダビデを殺そうとしたのです。ダビデがここに対する悩みをしたのです。よく乗り越えましょう。
・あなたがたが、信仰生活をするなかでよく越えなければならないのですが、私が見るには、難しい部分ではありません。この人達は、皆、霊的なことのためでなくて、肉体的なことのためにしているので、処理方法が簡単です。この人達は‘私がどのようにすれば、神様の福音を伝えるのか’ではなくて、どのようにすれば‘私に益なのか’が目標であるゆえに、このような人々を処理することは簡単です。陥る必要がなく、難しいこともありません。益だけ与えれば良いのです。全く難しくありません。皆様、本当にレムナントに本当に大学、青年達に、外側に行かなければならない経験がない学生達に、私は本当に詩篇を読みながら、一理ある程度ではありません。ダビデが会っていたこのことを私たちの青年達が行けば、みな出会わなければなりません。これを簡単に見ることができるでしょうか? そのように見ることができる部分ではありません。このような感覚がなければ、事業もできません。このような所に陥れば、同じになってしまいます。これが実際には、どれくらい難しいのでしょうか。また皆様がこのような部分に、あまり直面するようになれば、戦いになります。それでも、こういうことを知らなくて、そのまま自ら行く道へ行けば、主流社会に入っていくことができません。これが今、現在の世の中です。まったく同じです。しかし、明らかなことは、この人達は、全部、目的が自分の利益のために、大きい利益でもなくて、まず目の前に迫る自分自身の利益だけのために動くことであるゆえに、難しくありません。簡単に処理することができます。ダビデは、この困難をよく越えるようになったのです。
・皆様、銘記なさって、特に派遣される一般信者宣教師は、銘記しましょう。重く聞かず、軽くも聞かないように。あまりにも事実であるゆえにです。皆様が先ず一番に信仰生活で最もまず解くべき部分が、人間関係です。この部分に気落ちしてしまえば大変なことになって、この部分に陥ってしまってもだめで、この部分によくできないで損をしてもだめで、この部分ぐらい重要な部分はありません。それで、本当に霊的なことをするために、神様の前で、人々の前で損を与えないようにしましょう。それだけを記憶すればよいのです。この人たち、全部が利益を見ようとしているのです。利益を見ようとするために、損害を与えないでおこうと努力だけすれば、その人々は何でもありません。
・盗みを上手にやる泥棒が、人との家に入っていく時、そのまま入っていくでしょうか? 犬を見て、肉がついた骨を投げて、犬がそれを食べている時に入っていくのではないでしょうか? 犬は、その他には知らないから、そうするのです。信仰生活をする時、そのように難しい部分ではないのです。私が中間に見て、‘あ、私が間違ったな’ということを知るようになりました。もちろん、神様の計画があってなったことですが、少しだけ早く知っていていたなら...明らかなことです。その人々に頻繁にご飯でもあげて、お金でも上げていれば、簡単だったでしょう。口がすっぱくなるほど私を称賛したはずなのに、それを知りませんでした。明らかなことではないでしょうか。水準がそれ以上ではないのです。それを私が知らなかったのでした。私がある教会に行ったら、教会員もそうで、担任牧師もそうでした。教会の信仰がますます落ちれば、自分も抜け出せない穴に陥るようになるのです。既に抜け出ることができないのです。知っていても抜けられない段階まで行ってしまったのです。そこに私は副教役者で行ったのです。伝道をすべきですが、簡単なことではないでしょうか? 担任牧師が好むことは何でしょうか? 誰でもそうですが、担任牧師が好むことは、教会の復興です。ですから、昼夜なしで教会復興ができることだけ研究して、渡したのでした。そのようにしておいて、伝道をしたのです。私たちの教会はそうではないのですが、教会員達の中心は明らかです。何でも自分中心へ行くのです。明らかです。それで、何でも行って報告をしたのです。うるさいほどに報告しました。そのようにしておいて、私は伝道をしたのでした。難しくもありません。その人々が要求する水準があまりにも低いために、難しいこともありません。
・今、ダビデを殺そうとする水準が何でしょうか? 明日もなくて、未来もなくて、レムナントもなくて、ただ私の前の利益だけのために、他の見方をすれば怖い人々で、他の見方をすればなんの力もない人々です。ダビデがそれを知っていたのでした。ダビデがこれゆえに悩みを多くしました。あなたがたが、信仰生活で必ずこの部分は記憶するべきです。困難の中で倒れず、かと言ってついて行くこともせず、上手にやるべきです。特に、インマヌエル教会のような場合には、世界福音化をしなければならない教会であるゆえに、皆様が聞く耳と見る目が他の人と違わなければなりません。なぜなら、いろいろな人々、変なことがみなあるために、見る目と聞く耳が違わなければ、重要なことをすることができません。それで必ず本当に神様が与えられた貴重な祝福が、この悪い世の中で皆様が勝利することを本当にイエス様の名前でお祈りします。また、特にパク・ウォンギュ執事、一般信者宣教師で行って、こういう多くの困難の中で福音の成功をすることを主の名前で祝福します。特に、レムナントに祝福があることを希望します。
・2番目に記憶しなければならないことがあります。ダビデの信仰の人柄です。ダビデは、その程度ではありません。ダビデは、3つのことを置いて、とても信仰の祝福を受けました。そのようにすれば良いのです。ひとつが何でしょうか?ダビデは救われた祝福の内容を持って、ずっと祈りをしました。ダビデは今、どれだけ祈りをしたでしょうか? 詩篇5篇、8篇を見れば、ダビデが祈りをものすごく多くした証拠が出てきます。神様が私たちに救いを下さったということは、相当な祝福の内容を下さったのです。それを持って祈りをするのです。
・その次に、2番目でダビデは何をしたのでしょうか? 救いの答えをいつも賛美しました。そして、救いの祝福と受けた答えを証ししたのでした。おもにダビデは、文章で証しました。これがダビデの信仰の人柄でした。どんな困難が来てもかまわないのです。皆様が簡単に考る時と、世の中の人々は、全部、自分の利益のために話して、自分の感情に従って話して、遠く見ないで、前のことを見て話すために、その部分だけ参考にしていれば、迷宮に陥りません。ダビデのように、本当に救われた祝福を持って祈って、その答えを賛美して、その祝福と答えを持って、本当に証しする人がダビデでした。すると、まちがいなく勝利するようになっています。
・今日のタイトルで、悪い者がうまくいく説明が出てきたのですが、理由を少し知っているべきです。それは、少しの間です。それが答えです。悪い者は、目に見えることが少しの間であるゆえに、心配する必要がありません。一度もいままで真理でないことが、真理に勝ったことがありません。心配する必要がありません。一度も今まで不信仰が、信仰に勝ったことがありません。時間が過ぎれば、なくなります。少しの間にすぎません。それで、世の中の人々が少しの間のものを持って、いのちをかけて損害をこうむるのです。ダビデが持っている信仰の人柄に、私たちは多くの答えを受けることができます。今から違ったことを祈らないようにしましょう。多くの方達がどのように祈りをするか?と尋ねるのですが、難しくありません。救われた者の祝福を持ってずっと祈れば良いのです。その中にみなあります。すると、答えがくるはずです。すると、その答えを持って感謝して賛美をするのです。すると、それを持って証拠があるから、証人が立つようになるのです。
・ダビデはこれを持って、一生の中心としたのです。ゴリヤテの前でもそのように話して、サウル王の前に行ってもそのように話して、また悪い臣下に追われた時にもそのように話して、ダビデはいつでもそのように話しました。ダビデがしたことは何でしょうか? 正しく祈って、賛美して、感謝して、宣べ伝えたのに、ダビデは何を祈っていたのでしょうか? 救われた祝福を祈ったのです。これがダビデの生涯でした。この三つの信仰の人柄だけ揃えれば、私たちは違うことがないでしょう。ダビデはまた時間があれば、賛美して感謝しました。しかも、神様の祝福を多くの人の前に証ししたのです。これで全てのものをみな勝ち抜いたのです。必ず、私たちの派遣される一般信者宣教師や私たちの教会のレムナント、皆様にこのような祝福があることを希望します。
・三番目です。ダビデは、うつわがちょっと違いました。ダビデの目標は別にあったのです。ダビデは、目標が明らかだったのですが、ひとつは自分が持っていた目標ではなくて、神様が与えられた目標です。イスラエルの王になることです。これがダビデの目標でした。若い時に知ったのです。これほど、ビジョンが重要です。これほど、正しい神様の計画を発見することが重要です。ある人が、ダビデは信仰が良いと言いますが、私はそのように見ません。
・信仰も良かったのですが、必ずそうではなくて、ダビデが幼い時、大祭司長サムエルがきて、ダビデの頭に油を注いだ時、まちがいなく王になることを話したのでした。それで‘いかなる場合にも耐えろ’と言われました。ダビデはすでにそれを知っていたのです。どんな場合にも揺れませんでした。誰が何といっても、世界福音化は明確になされることです。誰が何と言っても、福音を持った人を通じて世界福音化はなっていくゆえに、揺れる必要がありません。ダビデは、この目標がありました。ダビデは、単なる王ではありません。
・ダビデが王になるはずだという目標があって、 また一つの目標がありました。それが何でしょうか? 自分が王になれば、必ず神殿を建てるということでした。違っていました。ダビデは既にこのようなことばかりを思っていたのです。「私が神殿に行って賛美して礼拝する美しい神殿を私が建てるつもりだ。」サウル王が考えることもできない部分です。「私が王になれば、神様に礼拝する神殿を建てることが私の願いだ。」ダビデが終生の間、王であった時、話したことではないでしょうか? “私は王宮にいるより、神殿の門番でいるほうが良い。私は王宮で寝るより、神殿に行って祈ることが良い。” 民に呼び掛けました。どれくらい献金をたくさんしたか、ダビデが後ほど持って来なくて良いと止める程だったとされているでしょう?
 
・そのようにしておいて、感謝したことがI歴代 29章です。そこで、何と話したでしょうか? 私たちを富ませるのも、貧しくさせるのも、全てのものを与えて、持っていかれるのは、主なる神様です。大きくするのも、小さくなさるのも、主なる神様です。私達が神様の前でたくさんささげることができて、神殿の準備をするようになったことをとても感謝します。しかし、これも神様がくださったのではないか? ダビデの感謝です。それがI歴代 29章です。
・ダビデの願いがそうでした。それから、ダビデが若いころから心に持っていたことがひとつありました。主の宮を建てて、その次に何でしょうか? ダビデが若いころから、心に持っていたことが何かというと、主の御名を全地に宣べ伝えることです。これがすでに伝道の使命です。伝道と宣教の使命を持っていたのです。ダビデはちょっと違います。神様が、ダビデが行く所ごとに祝福の門を開けてくださいました。ダビデがゴリヤテの前で何と言ったのでしょうか? お前は刀と槍と投げやりを持ってきたが、私はお前が侮辱する万軍の主の御名で来たと言いました。そして、ダビデは御名という話を多く使いました。“主の御名のために義の道に導いてくださる”このような話も出てきます。御名という話が頻繁に出てくるのです。ダビデは、ちょっと違っていました。これがうつわです。
・信仰生活を成功するために、皆様は3つのことを記憶すればよいのです。整理、要約をしようとするならば、そうです。人間関係をどのようにするのか? 悪い者をどのようにするのか? 悪い者は、最も良い方法がそのまま静かに置いておけばよいのです。最も良い方法です。今日の聖書を見ましょう。力がなければ分かりませんが、力があるのにダビデはそのようにしました。私たちの学生達が外に行けば、社会生活をするのに良い人も状況によっては敵になることもあります。皆様が信仰生活をするのに、最も難しいのが人間関係です。特に、悪い人との関係です。この部分がとても重要なために、あなたがたがここに陥らないで生き残ることができる信仰を準備しなければなりません。そのようにしようとすれば、信仰の人柄が良くなければならないのですが、皆様が 3つの祝福を受けなければならないのです。本当に、神様の子供ならば、救いの祝福を答えで受けなければならないのです。皆様が、本当に神様の子供ならば、この祈りの秘密を持って証拠が起きる証人になるはずです。ダビデがそれを持って勝利をしたのでした。ダビデは、ずっと祝福を受けたのですが、相手方は崩れました。
・聖書を見れば、ダビデがゴリヤテに勝って問題がきました。問題がきたのに、人々の口が問題です。話をむやみにするのです。サウル王が過ぎ行くのに叫んだのです。サウル王が過ぎたら、ダビデも過ぎるでしょう? サウルは王で、ダビデは将軍ですから、過ぎるではないでしょうか? この時、特に、女の人たちが出てきて、話をよくできないのです。“サウル王は千を打ち、ダビデは万を打った” すると、どのようになるでしょうか? その時から、サウル王が狂ってしまったのです。それで、王宮に座ってダビデが楽器を弾いていたら、突然になにかが飛んできたのです。元々、ダビデは動作が早いのです。突然に何かが飛んできたのですが、サウル王が槍を飛ばしたのでした。サウルも将軍です。サウルも以前にかなり戦いをした将軍でした。槍をひとつを投げることができないでしょうか? この楽譜があったのかは知らなくても、頭を下げて賛美をしていたのではないでしょうか? それを見て投げたのです。ダビデが素早く逃げたら、壁に当たって刺さったのでした。この時、ダビデが‘あ!’と思ったのです。初めてやられたのです。その時まで知らなかったのです。それで、ダビデがまず、逃げたのでした。変になったんだなあ。言わば父ではないでしょうか? 義父です。変になったんだなあ。それで友人のヨナタンに行って話したのです。王が異常になったようだと話したのでした。私を殺そうとしているようだと話しました。ヨナタンが “そんなことはないよ。私が一度行ってみたらわかる” と行ってみたら、サウルが本当にダビデを殺そうとしていたのです。それで止むをえず、ダビデが逃げて出てくるようになりました。ところが、サウル王が軍隊をつれて、終わりまでつかまえに来たのです。
・一度はこういう事がありました。ダビデが寝ていたら、サウル王が自分の娘に使いを送ったのです。‘今夜に、刺客を送って私の敵のダビデを殺す。準備をしなさい’ 政治ということは怖いのです。それで、ダビデが寝ているのに、刺客を送れば簡単に殺さないでしょうか? この時、ミカルという女の人に葛藤が生じました。夫を選択しなければならないか? 父を選択しなければならないのか? ところが、幸いにこの女の人が夫を選択しました。ダビデに“今夜、父が刺客を送ると言ったから逃げて下さい”と話しました。そうしておいて、ダビデに似た人形を置いて、ダビデは逃げたのでした。冗談だと思っていたのに、本当に刺客が入ってダビデの胸に刀を刺したのでした。ところが、それは人形でした。既にその時、ダビデは感づいて逃げてしまったのでした。これほど、ダビデが苦難にあったのでした。ですから、この一つの事件を見てもそうです。想像を絶するものです。
・これから、これを知って軍人を何千名を集めてダビデを殺そうと、サウル王が出てきたのでした。皆様、ご存知であるようにギルボア山のどこかそこに、今ダビデが隠れているので、サウル王が相当な軍隊をつれてきたのでした。行ったら、夜を過ごさなければならないから、サウル王が座ったら、両側に警護員が守っていたのでした。サウル王は既に寝入って、そばにいた警護員が槍を持って寝てしまったのでした。この時、ダビデが部下を見て言いました。“あの寝ている人の槍と刀、水さしを持ってきなさい” それで持ってきたのでした。後ほ陽が登ったらサウル王の前に行って話したのです。“お父さん。今、これは誰のものでしょうか? 王様のいのちを守る警護、あの護衛兵の槍と刀と水さしです” それが何の話でしょうか。「私が父を嫌うことではありません。既にサウル王は錯覚しているのです。父を嫌うことはありません。私が殺そうとすれば、すでに父を殺していたではないでしょうか。」霊的な問題がある人は、感動も確かに受け取ります。サウル王が感動を受けて、「¥私の息子よ。果してお前がそのように考えたのか」と言いながらそのまま戻りました。すまないと言いながら戻ったのですが、聖書に見れば、また狂ってしまったのです。発作も時期があるのか、また精神が狂ってしまいました。またダビデを捕まえに行きました。
・一度は、またこういう事もありました。ダビデが洞窟の中に隠れていたら、サウル王がそこに入ったのでした。まだ、なぜサウル王がそこに入っていったのかは分かりません。本人だけがわかっていることです。ダビデは洞窟の中に隠れていたら、外には軍人達がいました。洞窟の中が真暗で、サウル王が入って、ダビデが刀を持って王のすそを切ったのです。サウル王が行こうとしたら、ダビデがサウル王を呼びました。サウル王を見て、父と呼んだら、王が驚いて、ダビデお前かと言いました。すそを見せて、誤解しないでくださいと言いながら、私がすそを切ったことを見てください。私は父を殺すことができたけれど、絶対にそのようなことはしないと言いました。そうしたところ、サウル王がまた感動してお前は天の祝福を受けていて、私は罰を受けて当然だと悔い改めながら戻ったのです。帰ってはまた精神が狂います。霊的問題がある人は、元々そうです。ダビデがサウルにどれくらい多くの困難を経験したか分かりません。
 
・一度は、サウル王がダビデを殺すと全軍をみな連れて行きました。そうしてダビデが行く所がなくて、国境を越えたのです。その時、言った国がペリシテです。以前にダビデがペリシテの有名な将軍ゴリヤテを殺した所です。ペリシテの人々もダビデを知っています。ペリシテのそちらは、ダビデの敵軍に入っていったことと同じです。ペリシテの賢い人々は、ゴリヤテを一発で殺したダビデをわかって、あの敵が私達の手に入ったのであり、あの人をそのまま返すことができないと話しました。その話を聞いたダビデは、その時からひげによだれを垂らして、とても変に行動をして、精神病者の振舞いをしたのです。演技も本当に良くしたようです。精神病者のように行動したところ、ペリシテの人々が、ダビデをそのまま送って、精神が異常なようだから、自分らの間で話合いをして放っておこう、既に人が狂って苦労しながら、人が異常だから、判断して殺さず置こうと言いました。それで、ペリシテの人々の手から自由に出てきたのです。
 
・悪い者、敵ゆえにダビデが話にもならない苦労をしました。もっと重要なことは、義父のためだけではありません。サウルの周囲の悪い人々が加わってずっと、サウル王を狂うようにさせました。ダビデに対して偽りを言って、ダビデが軍隊を動員して王を殺そうとするので、まずダビデを殺すべきだと偽りを言って混乱を与えたのです。元々サウル王は、悪霊につかれた人で、きたり行ったりしたのです。
・そのようなある日、時刻表がきました。それまで、国力は衰退して、ペリシテ軍隊が攻めてきたのでした。ダビデが将軍であれば、簡単ではないでしょうか。ペリシテの軍隊に勝つことができるのですが、サウル王は急な事態なので、自らが馬に乗って戦地に行ったのでした。その山の名前がギルボア山です。その戦争でペリシテ軍が射った矢がサウルの心臓にささったのでした。生きることができないのは、心臓にささった矢が、抜けないで折れてしまいました。矢尻に毒が塗ってあるので、生きることができるでしょうか。その時、サウル王が最後の体面があるので、卒兵を呼んで、お前の刀で私を刺せと言いました。割礼も受けていないペリシテの矢に当たって死ぬことはできない。私はこれでもイスラエルの王なのに、死んでもきれいに死ぬべきだと言いながら、卒兵を見て私の腹を刀で刺せと言いました。しかし、軍人が王の腹を刺せるでしょうか。刺すことができないという軍人に、命令をして、自尊心がある私がどうして敵軍の矢で死ぬことができるかと言いました。それでも軍人が終わりまで拒んだので、その刀を奪って、サウル王が自分で腹に刺して、その上から地べたに伏して死にました。するとペリシテ軍が通り越して、サウル王の死体を見て、サウル王の首を打って、以前、ゴリヤテの首を打ったように持って行きました。だから、サウル王のからだだけが残るようになったのです。からだだけが残ったサウル王の死体をペリシテ軍が持っていって、城壁に全身を釘で打ち込みました。その事実を知ったダビデが、サウル王の死体をおさめて火葬しました。私はそれを静かに見ると、どうしてそんなに順序も内容も全く同じなのか、サウル王が人を困らせた順にサウル王の人生が終わったのかという気がしました。
・そのようにダビデは苦労を多くしました。そのような中で、ダビデは信仰を守って失敗しなかったのです。大変ではないでしょうか。ダビデは一度も信仰生活を失敗しなくて、サウル王をそれでも保護したのです。まず、人間関係に成功したのでした。このようにするのは、3つの答えがあったためです。さっきも話したのですが、祈りの秘密、本当に答えの秘密、まさに証拠ある信仰生活をしたので、ダビデが勝つことができたのでした。一般信者とレムナントが記憶しなければならない内容です。皆様が世の中に行って生きていくのに、祈りの秘密がなくて、神様の答えの秘密がないならば、絶対に勝つことはできません。私達がよく食べて、よく暮らす時はかまわないのですが、霊的な問題の前では勝つことができません。救われた者の答え、祈りの祝福の秘密が皆様に必ず回復することを願います。
・その程度ではありません。三番目が、まさにダビデが持っていた未来です。ダビデは王になることができて、王がなれば神殿を建てて主の御名を万国に表すはずだという未来がありました。今日、詩篇 10篇を見ながら、一人ももれなく特に私たちのレムナント、また派遣されるパク・ウォンギュ宣教師が記憶することを願います。もう一度整理します。この世は悪くて、世の中の人々は知らずに悪い所に陥っています。そこにだまされないようにしましょう。下で仕事をする方達、長老達、多くの方達が、私を理解して助けてください。私は悪い者を、聖書を見て習ったので、終わりまで置いておきます。そこで神様がされる時まで待つのです。ですから、人々が私を多く誤解します。先生の何かの弱点を捕えられましたかと、あの人々をなぜそのまま置いておくのですかと聞くこともあります。そうではありません。神様は完壁にみな処理なさるのです。そのようにしなければ、私達が不信仰者のように生きてはなりません。すると、その人々に私達がいつも負けるという話かというと、そうではありません。その人々の力を乗り越える力を私たちは持っているのです。それがまさにダビデが持っていた力、すなわち祈りの秘密、神様が与えられた答えの秘密、それから、証拠があります。証拠の前に誰が何と言うでしょうか。全く同じ原理です。もっと重要なことは、未来があるということです。
・ダビデは既に王になるはずで、神殿を建てる計画を持っていて、主の御名を全世界に知らせる夢を持っていたから、他の人が地位争いすることには、ダビデは気に入ることもしなかったし、また関心もありませんでした。まず王の下でご飯をちょっとよく食べようとするような人々の関心と、ダビデの関心とは差がとても大きかったのです。相手にならないのです。それをいっしょに行なってもできません。
 
・皆様が可能な私を手助けするのに、とても水準が異常で、世の中的で肉体的で、福音とは関係ない水準に引き下ろしてはなりません。私はその人々のような水準ではありません。私は世界福音化する者です。それで、なにをするかというと、私たち教会と今、弟子を教えています。確かにするはずです。それで、あなたがたは、この契約を正しく悟らなければなりません。
・今日、詩篇を詠んで、正しく悟らなければなりません。詩篇は単純な詩ではありません。この詩篇は文壇に上げようと書いた文ではありません。この詩篇は、完全に現場の人が現場で書いた文です。そのために、普通の文ではないので、私たちの生活にものすごく助けになります。ダビデがこういう困難をどのように勝ち抜いたのでしょうか。さっき少しの間説明した困難は、相当ではないでしょうか。これをどのように勝ち抜いたかということです。その水準の中に陥りませんでした。陥らないとするなら、3つの答がなければなりません。救いの祝福の秘密と祈りの答え、証拠がなければなりません。陥らないとするなら、未来を見ることができなければなりません。ダビデがすでに王になることを知っていて、神殿建築を頭の中に計画していました。
・私たち長老一人が、建築装飾と関連した事業を始めるので、私に名前をちょっと考えてくださいと言いました。こういう話をしました。ダビデとともにユダヤ人の人々がソロモンの時完成したのですが、神殿を建てて飾ったこの人を見て、メイスン、フリーメイスンと言いました。その時から始まった名前が、いままでもつながって世界を征服しているフリーメイスンの会員です。メイスンという言葉が“作る”ということです。それで、それを乗り越えねばならなくないでしょう? と言って、メイスンを乗り越えようという意味で、新しい“ニューフリー”という単語を与えました。何の話かというと、新しい運動をしなければならないのです。
・小さいことののように見えるけれど、私達が重要な契約をとらえて祈る時、神様がそのように答えを下さるはずです。私たちの学生達、今日、派遣される私たちの執事、今日インマヌエルのすべての聖徒達。この詩篇 10篇を見ながら、必ず記憶しなければなりません。あなたがたは、悪い者の水準、悪い者の計略、悪い者のあらゆる陰謀を知らなければなりませんが、陥ってはなりません。絶対に陥ってはならないのです。陥らなくするなら2番目に神様が与えられる祝福と答えと証拠が必ずなければなりません。陥らなくて、よく勝利しようとするなら、正確な未来を知っていなければなりません。それです。ダビデがここに陥らないで勝ちました。今日、あなたがたに驚くべき祝福が本当にこの時間以後に証拠なることを願って、私たちの派遣される執事に一般信者宣教師として祝福があふれ出るようになることを主イエスの御名で祝福します。そして、今、世界に散らばっている私たちレムナントに、この祝福があることを主イエスの御名でお祈りします。
 
(契約の祈り) 神様に感謝申し上げます。時代はむかしも今も、福音がない人々が多くて、悪い者が多いのです。しかし、私達がその計略に陥らないように、霊的な目を開けてくださり、神様が与えられる霊的な力をいただきながら、また未来を知る福音の未来を知る証人になるようにさせてください。特に、今日、派遣される執事と全世界に散在したレムナントに、神様が驚くべきこの証拠をくださることを信じます。今夜にダビデが受けた答えを、私たちも受けるようにさせてください。今から私たちの人生が、神様の驚くべき証拠を持ったダビデのように始まる新しい人生になるようにさせてください。私たちの主イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン