2002年11月3日 インマヌエル聖日礼拝


1部/ 真の祝福を受ける時刻表
(マルコ9:30〜37)
 
・説教時間に横で通訳をしたら、外国では家族とともに礼拜を行なう人々が、本当に良いと言うのですが、韓国では、牧師が楽に説教をしなければならないのに、合間に通訳があるから、切れて礼拝に恵みにならないと言う人もいます。今、インターネットのライブで釜山で同時通訳をしています。そうしたところ、今回、外国に行ったら要求が来て、先生のテープで全世界の神学院で何時間ずつメッセージを聞く時間があるのに、突然に通訳がないから、韓国人の他にはわからなくて、とても困るという話もありました。そのようになれば、同時通訳もして、通訳も立てなければならないのかと、個人的に考えたりしています。今日、あなたがたは貴重な時間を出して礼拝に参席なさって、また、今、100箇所あまりで衛星で礼拝する教会もあり、インターネットで共に礼拝をささげています。
・今日のタイトルは、‘真の祝福を受ける時刻表’というタイトルです。なぜ人々が信仰生活をよくしているのに、失敗するのでしょうか。これを知ることは、真の祝福です。いまだに理解できないでいます。パリサイ人が、信仰生活をよくしたのに、滅びました。ところが、不思議に初代教会は世界を征服して、ローマを征服したのです。皆様がおわかりの通り、米国という国を誕生させられました。理由が何でしょうか? まだユダヤ人は、理解できないでいます。私達が神様のみことば通りに良い生活をしたのに、なぜ1400年間、国を失って、23ケ所国で困難にあったのか? まだ知らずにいます。本当に残念です。中世時代に教会はとても大きかったのですが、深刻な問題がきて崩れ始めました。その時に、マルチン・ルターという人が、何の話をしたかとすれば、聖書を見ると律法で救われないで、信仰で救われると言うようになりました。このように言ったので、カトリックでマルチン・ルターを異端にしたのです。皆様がおわかりの通り、マルチン・ルターは神父でした。マルチン・ルターが律法で救われるのではなくて、信仰で救われると聖書を見て言ったのですが、カトリックで教えることは律法で救われると教えるということでしたから、そのまま置いておくでしょうか。カトリックでマルチン・ルターを異端にして、それで旧教、新教と分かれたのでした。それとともに、マルチン・ルターを非難し始めました。マルチン・ルターが修道女と結婚しました。だからあれは、浮気をして修道女と結婚したくてカトリックを誹謗した、というように非難して、死刑宣告をくだしたのです。ところが不思議なことに、マルチン・ルターの理論が全世界をひっくり返しました。まだカトリックでは、理解を出来ずにいます。もしかしたら、カトリックに通っていて来られた方達もいるでしょう。私が神父に尋ねました。いまだに理解できないでいます。まだ改革教会は、カトリックから出て行ったというように考えているのです。分裂して行ったから、‘裂教’と言います。かわいそうです。抗議したとして、プロテスタントと言います。それは、まだ理解できずにいるということです。本当に残念です。これを理解することが真の祝福を受ける時刻表です。
 
・皆様がおわかりの通り、イスラエル民族が40年間、荒野にいる時に、イスラエル民族がカナンの地に入っていこうとした時、ものすごく重要な時刻表がありました。エリコの城壁を倒さなければならないのに、エリコの城壁を倒そうとしたら、重要なことがひとつなければならないのです。イスラエル人の斥候を手助けすべきなのに、誰が手助けしたでしょうか? 他の人は悟ることも、することができなかったのに、誰が手助けしたのかというと、ラハブが手助けしました。ラハブは、誰でしょうか? 遊女です。遊女ということは、酒場の女の人です。この人が、ヨシュア、カレブを手助けしました。しかし、この人に旧約時代の最高のみわざが起きました。それで、ラハブの名前がマタイの福音書1章の系図に入っていったのです。
・すると、どうしてその人々が重要な祝福を受けたのでしょうか? まだ多くの人々がよく知らずにいます。皆様が信仰生活で、真の祝福を受けるのには、この部分がものすごく重要です。どうして信仰生活をする人の中でユダヤ人がそのように滅びたのか? 皆様は、イスラム教を知っているでしょうか? ユダヤ人の一派のイスラム、旧約の宗教です。このイスラムが全世界にたくさん広まっています。しかし、イスラムが実際には、悲惨です。実際にイスラムの人々の国は貧しいのです。石油がたくさん出るとしても実際には貧しいのです。イスラムの人々に会ってみれば、だいたいは病気を病んでいます。そして、イスラムの人々に会って見れば、ほとんどみな頭痛を病んでいます。耐えることができないのです。このメッセージをしたところ、イスラム国家で告発をしました。中央アジアでそのようなことが一度ありました。しかし、事実は事実です。なぜ、そのようになったのでしょうか? すると、人々が宗教生活を熱心にするのに、人生はなぜ滅びてしまうのでしょうか? 結局、なぜそのようになるのでしょうか? 初代教会は弱いように見えて、何でもないように見えたのに、どのように世界を征服したのでしょうか? この福音運動をしたのに、ローマまで征服して、今、証拠の中の証拠の米国みたいな国を誕生させたのかが重要です。
・今日の本文に、イエス様が弟子達に重要な話をなさいました。私が十字架につけられて死んで、三日後に復活するはずだというような話をされました。今日、真の祝福を受ける時刻表を持たなければならないのにですが、5つのことだけを知っていれば間違いありません。皆様の信仰で間違いありません。どんな困難の中にいても勝利します。この秘密だけ知っていれば、この福音の重要な秘密だけ知っていれば、皆様がどんな状況にあってもかまわないのです。この秘密を知らなければ、どんなに成功しても失敗します。これが歴史の証拠です。私はいままで福音を知らない大統領、福音を知らない王が勝利するのを見ることができませんでした。いつでも、最後になれば崩れます。仮りに勝利したとしても、最後にはもっと大きい問題が来ました。レーニンとか、あの北朝鮮にいた金日成主席とか、自殺したヒットラーとか、成功したこと自体が失敗です。しかし、時代時代ごとに、リンカーンとか、ワシントンとか、重要な人物が世界的な仕事をした人々が、全部神様の人々でした。簡単なことです。今日、皆様が真に祝福を受ける重要な時刻表である福音の神髄である5つを知っているべきです。
・その最初が、マタイの福音書 16:13〜20節です。「わたしは誰か?」と尋ねられました。それが一番初めです。「人々がわたしをだれだと言いますか?」これがイエス様がなさった質問です。これがまさに私たちに聞かれることです。いったいイエス様は誰でしょうか?これがどれくらい重要な質問でしょうか? 「人々はわたしをだれだと言いますか? あなた達はわたしをだれだと言いますか?」と尋ねられました。それは、まさにここに座っている方と信仰生活をする方達に‘イエス様が誰か?’と尋ねる質問です。ものすごく重要な答です。その時、違った返事を大部分がしていたのに、その時、ペテロが「主は生ける神の御子キリストです」と答えました。これが一番目です。「主は生ける神の御子キリストです。」「バルヨナ・シモン。あなたは幸いです。このことをあなたに明らかに示したのは人間ではなく、天にいますわたしの父です。」それとともに完壁な祝福を3つおっしゃいました。「ではわたしもあなたに言います。あなたはペテロです。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。わたしは、あなたに天の御国のかぎを上げます。」完壁な祝福です。「主は生ける神の御子キリストです。」この話はなんの話でしょうか? というと、旧約で預言された私たち人間は、絶対に創世記3章から抜け出てくることができなくて、私たち人間はサタンに勝つこともできなくて、私たち人間は罪に勝つこともできないということです。旧約そのままです。ここから出てくるように、神様がメシヤを送られます。その方がいらっしゃったということです。すばらしい話です。間違いありません。
・仏教理論は何かというと、罪は犯した通り報われるということです。正しいのです。解決されることができなければ、犯した通り報われます。それは間違った理論ではありません。因果応報です。神様は私たちに因果応報の真理をくださったのではなく、恵みの真理をくださったのです。死ぬ以外にないので、イエス・キリストを送ってくださって、すべての呪いから抜け出てくるようにされました。この告白は、簡単な告白ではありません。「主は生ける神の御子キリストです。」この話はまさに創世記3章の解決者であり、私達が受けて死ぬほかない呪いとすべての暗闇の力の解決者であり、生きておられる神様の息子ですということです。普通の話ではありません。人間には出来ません。神様の息子です。これが最初です。イエス様が、この告白を受け取るために、多くの教えを下さったのです。イエス様が初めて教えられたのが、マタイの福音書 5〜7章です。マタイの福音書5章, 6章, 7章は何でしょうか? 山で教えられたので、山上垂訓と言います。マタイの福音書 5章 6章 7章は、一言で話せば何でしょうか? パリサイ人の考えを完全に変えてしまいなさいということです。幸いな人はこういう人だとマタイの福音書5章で話されました。祈りはこういうことだ、神様は皆、知っておられる。6章です。7章、律法の争いをする必要がありません。あなたの過ちはないのか、あなたの目から梁を除きなさい。それがマタイの福音書7章です。それで、マタイの福音書10章で弟子を現場に送られました。それとともにイエス様が弟子達に秘密をひとつ話されたのですが、マタイの福音書13章です。畑仕事をしているように見えるけれど、宝の畑を持っている者。ふろ敷包を持って通う人のように見えるけれど、貴重な真珠を持った人です。ひょっとして、はた目には少しだけのように見えるけれど、からし種のように見えるけれど、それが大きい木になるのです。はた目には価値なく見えるけれど、パン種のように広がっていくのです。イエス様がその説明をなさいました。その後に尋ねられたのです。すると、「人々はわたしをだれだと言いますか? あなたがたは、わたしを誰だと言いますか?」ものすごく重要です。「主は生ける神の御子キリストです。」この話を悟ることができなければ、皆様は未信者の運命にそのまま縛られます。「主は生ける神の御子キリストです。」この話をわかることができない人は、牧師でも、僧侶でも、全部サタンの力の下から出て来ることができません。それで、吉凶を占って、みなしなければならないのです。「主は生ける神の御子キリストです。」この話を悟ることができなければ、毎年する先祖供養を一度だけでもしなくても問題がきます。何故でしょうか? サタンのしもべであるためです。「主は生ける神の御子キリストです。」この話を悟ることができなければ、日付を守らなくても災いを受けるようになります。なぜでしょうか? 神様の子供ではないためです。ものすごく重要です。これが一番目に悟らなければならないメッセージです。
・ところが、そのまま終わるのではありません。告白するやいなや、どこに連れて行かれたか?というと、変化の山に連れて行かれました。これが2番目です。変化の山に連れて行かれ、行ってみると、突然におかしな光景が見えて、イエス様とエリヤとモーセとが座っていたのです。ペテロがあまりに良いので、家を三個建てて永遠に一緒に住もうと言いました。その時でした。モーセも消えて、エリヤも消えて、キリストだけが残ったのです。結論は何でしょうか?律法で救われるのではないのです。結論は何でしょうか?体験で救われるのでもありません。キリストで救われるようになっています。この悟りがあるべきです。もし皆様の中で、もう一度申し上げますが、信仰生活をするなかで神秘主義を体験したり、そこに行ってみたことがある人もいるでしょう。今でもしている人もいるでしょう。この方達の特徴が間違っているのではありません。福音を理解できなくて、私が持っている霊的問題を解決しようと走り込んだことが神秘主義です。理解を早くしなければなりません。その話であって、神秘自体が間違いだということではありません。キリスト教がどれくらい神秘でしょうか? 律法主義も誤解してはなりません。律法が間違ったということではありません。律法主義を持って皆様が持っている霊的問題を解決できません。そして、救われることができません。間違っているということではありません。それでエリヤも消えて、モーセも消えて、イエス・キリストだけが残りました。これが2番目に悟らなければならない部分です。
・三番目です。それがまさに今日の本文です。わたしが十字架に釘付けられて死なねばならないということです。衝撃的な話です。しかし聖書に預言された部分です。これは偶然な事件ではありません。旧約時代にいろいろな聖書に、これから人生の問題を解決するメシヤがくるはずなのに、その人は十字架で死ぬと預言されていました。このことは、そのまま話してもどれくらい不思議なことでしょうか? 皆様が信じていて、私が信じている福音が間違ったとしましょう。間違っているとしても、どれくらい不思議でしょうか? 何千年前にすでに何名かを通じて預言されました。どのように考えるのでしょうか? イザヤ53章にも、そのように十字架に死ぬとなっています。イエス様が、わたしは十字架で死ぬはずだ。この三番目の秘密を知らなければなりません。クリスチャンで、これを知る人が少ないのです。イエス様が十字架にかかられた時、弟子がみな逃げました。クリスチャンを見るとイエス様が十字架を背負った週を‘苦難週’と言います。ある人はわざわざ断食もして、また、ある人は、その苦難週になればからだが痛いらしいのです。何故か? と聞いたら、イエス様が苦しまれたかららしいのです。そうでしょうか? ‘たくさん痛い’ということです。錯覚です。イエス様が十字架を背負われたその時間は、どんな時間でしょうか?サタンの力をたたき壊した時間です。イエス様が十字架を背負われたその血の契約は、まさに過越の祭りで解放されて出てきた日のように罪から解放させてしまう日です。イエス様が十字架で死ぬという話は、地獄の力を壊す時間ということです。誰が泣かなければならないのでしょうか? 悪魔が泣くべきです。断食は悪魔が断食をすべきです。なにか福音を変に悟ったのです。
・重要です。今回、学生達にも話しました。クリスチャン達が、なにか逆に悟っています。悔い改めることと、悲観することを区分ができません。そして質素に生きることと、貧しく生きることとが区分できないのです。質素にせねばならないけれど、貧しいのではありません。そして、私達が謙遜にせねばならないけれど、貧しく生きてはなりません。そして、私達が謙遜にせねばならないのですが、無能であってはなりません。こういう区分ができないのです。無能な人を見て謙虚だと言います。それは能力がないことであって、皆様が質素だというのと、貧しいこととは違うのです。クリスチャンは、貧しいことはありません。質素にしなければなりませんが、貧しくはなりません。なにか貧困思想が入っています。ものすごく教会もよく建てると、教会がなんで贅沢をするかと言います。家を建てながら何故、教会は建ててはならないのでしょうか? 話になりません。貧困思想が入っています。教会の牧師、宣教師が良い家に住んでいると、何で宣教師がこういう所に住んでも良いのか? 牧師や宣教師が良い車に乗って通えば、宣教師がこういう良い車に乗って通ってもかまわないか? と言うのです。なにか知らないで貧困思想が入っていったのです。乗ってもかまいません。私は今回、宣教師に対して話しました。正しく宣教しようとするなら、乞食と遊んで大統領と遊べ、それが宣教師です。宣教師は、活動の領域がありません。とても貧しく、それで教会を育てなさい。産業宣教も育てなさい。このようにクリスチャンを惨めに思っているゆえに、誰の信仰が落ちるでしょうか? 牧師の子供が信仰がみな落ちて、長老の子供が信仰がみな落ちます。何故でしょうか? なにか知らないで教会は大したことがないと思っているのです。失敗です。私は信仰生活の悩みが何かを知っていますか? 皆様の子供は生まれる時から、教会に通っています。子供が下手すると、信仰が入っていくことができなくなります。これがなぜそうなのか知っているでしょうか? 私たちの間違った信仰ゆえに、誤って悟って、そのようなのです。キリスト教は魅力がない宗教だと知るようになったということです。私の話が理解できるでしょうか? 青少年がみなそれで崩れたのです。
・今回のフィリピンで青少年集会をしてきました。胸にある話を多くしました。なぜでしょうか? むかしに 私がそうだったためです。私は学生達を見て言いました。私は死ぬ峠を通ったのは1,2回ではないために、証しをすることができません。普通の人が証しをすれば、私は証しができない程です。私が書くことは全部嘘のように聞こえるのです。私は学生の時に信仰が崩れました。一回も喧嘩をしなかった者が、毎日のように戦ったのです。だからどこまで行ったかというと、証しができない程です。証しをすれば、全部気絶する程です。うちの町内の人々が、いつでも言う話があります。全部が“カンズとは遊ばないで” この程度なら分かるでしょう。それで、私がイエスを信じた後に町内がどれくらい衝撃を受けたのか、町内全部が ‘本当に教会には何かがある’と言いました。福音を知って、私がどれくらい伝道をたくさんしたかというと、その時から伝道をしたのです。はじめから伝道したので、むかしの結婚写真を見れば、教会の後の椅子に座っている人々が、ほとんどみなやくざでした。それだけ見ても、分かるでしょう。その人々を私がみな伝道したのです。そのような時には、伝道することがとても簡単です。“みな来なさい、来ないと殺す” と言うのです。簡単です。私は証しができない程です。どれくらい死ぬ峠をたくさん通ったか分かりません。神様がみな生かされました。本当に驚くべきことです。イエス様が十字架にかかられ、すべての罪とサタンと地獄の権威をたたき壊されました。皆様、信仰生活をあまりにもみじめにしてはなりません。それで私の信仰が落ちたのです。教会に行けば、毎日、牧師、長老はお金、お金と口癖のように言って、家に帰ると両親が言っていまいた。私が幼い時にはそうでした。大学に行く必要はない、お金を儲けなければ、何かお金が最高で、とてもお金、お金と言うので。教役者もそうでした。お金について口癖のように言わないようにしましょう。必要ならば神様が与えられ、必要でなければくれないでしょう。私たちの青年達がいるのに、お金に対してあまり喜ぶ必要がなくて、とても浪費する必要もありません。お金について言わないように。それは大したことはないのです。いくら貧しくても、お金に対して惨めになってはならないのです。人々がなにか誤って見たゆえにです。キリスト教を変に見ています。それで、今回、学生達に何と言ったか知っていますか? 「君達は世界を生かすレムナントだ。プライドを持ちなさい。あなた達は神様の子供、レムナントだ。自尊心を持ちなさい。神様がなさることができる。プライドを持ちなさい。」今回、学生達に言った言葉です。これが全部みな私達が誤って知っている信仰ゆえに、私たちの子孫が、人材がみな死んでいるのです。なにかを誤って知っていて、私たちの人材がみな死ぬのです。良くするべきです。
 
・四番目が何でしょうか。イエス様が復活なさった。これが、また普通の事件ではありません。信じられません。それが正常です。何故でしょうか? そのようなことがないためです。聖書に約束されました。ただ一名だけキリストという証拠で復活するようになるはずです。聖書であらかじめ預言されました。Iコリント10章3節から5節に ‘聖書通り死んで、聖書通りよみがえられました’イエス様が十字架で死んでくださって復活なさったので、驚くべき勝利をするようになったのです。暗闇の力が完全に砕かれて、その時から何か? イエス様が復活なさるので、悪魔、地獄、暗闇の力が砕かれたのでした。十字架を背負われたことは、全てのものをあながないで返したのですが、復活なさったので、力を打ち破ってしまわれたのです。それで、私達がイエスの名前で祈るでしょう? なんの話なのか知っているでしょうか? それで‘受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には神の子どもとされる特権をお与えになった’特権です。必ず記憶すべきです。イエス様があらかじめ話されました。突然に死んで、突然に息をふきかえされたのではありません。イエス様が何だと言われたでしょうか? 「わたしは墓に三日間いたあとでよみがえります。」今日、それを話されました。それで、このうわさが広まったのです。弟子も誰も信じませんでした。イエス様がその話をされた時、アーメンと言ったのですが、信じなかったのです。そのようなことがあるだろうか? と誰も信じませんでした。イエス様が墓に入れられました。イスラエルの墓は、地に入れるのではなくて、墓の中に門を閉めるのです。そこでローマの軍人、ユダヤ人の軍隊が見張りをしました。何故でしょうか?、もしかして復活したら、どのようなことがおきるかと思って、それで墓を守ったのでした。マタイの福音書 28章に見れば、その墓の中に死体が横になっていて、外で見張っていたのに、夜明けに、その日が聖日でした。その時から、私たちは聖日を守るのです。元々安息日は土曜日です。安息後の初日が聖日です。突然に墓から光が照らしたのです。光が照らした、そこで石の門が開きながら、イエス様が歩いて出てこられました。これがありえることでしょうか? イエスの復活をだれが最初に見たでしょうか。イエスを信じない軍人が見たのです。聖書で見れば、その中に心臓の弱い人は気絶しました。心臓が強い者がおきて行って報告をしたのです。何と報告したかというと、「よみがえった。本当によみがえった。」だから、本当にでしょうか?本当にです。大祭司長がお金を与えながら、見た軍人達に「全部みなお金を与えるから、だまりなさい。」そうしなければ、もしイエスがよみがえったといううわさが町中に広まれば大変なことになるのです。軍人達に全部みなお金を与えて、黙りなさいとしたのですが、聖書に見ると、そのうわさまで広まりました。お金を与えながら、黙りなさいと言ったといううわさまで広まったのです。しかし不思議です。イエス様が完壁なからだで、あちこちに現れたのですが、食べ物を食べることができたり、食べなくても良くて、時間空間を超越したからだで現れられたのでした。その話は、私たちもそのように復活して天国に行くということです。イエス様が現れられました。これが普通の問題でしょうか。ここ、あそこで初代教会に 40日間だけ現れられたのでした。うわさがすごく広まりました。「よみがえられた。本当に見た。」それで、ユダヤ人達が恐れて作った話がなにかというと、死体を盗み出したということです。嘘をつきます。死体を盗んで行って、復活したと嘘をついているというようにさせたのでした。それを私たちは、神学的に盗難説と言います。「死体を盗み出した。」ところが、嘘は長く続きません。見た人が1,2名でないので、2つ目に作った操作が何でしょうか?政治をする人は、操作をうまくします。何と操作したかというと、幻を見たと言いました。それが幻想説です。「違う、本物を見た。食べ物も食べて、門をあけて入ることもした。」その時になって、ユダヤ人が最後の告白をしたのですが、その時は操作でなくて、「私達が完全に殺していなかったのだ。」私達は、それを気絶説と言います。「気絶したんだ」この3つの操作は、復活をすべて後押ししています。いったいこういうことがあるでしょうか。キリストです。皆様がそれを信じられないならば、救われることができるでしょうか。私達は、どのように天国に行くことができるでしょうか。いったい奇跡はおきることができるのでしょうか。これがキリスト教会で知らなければならない四番目です。復活なさって、驚くべき証拠をなさったし、あらゆる暗闇の勢力を壊して、私たちに勝つことができる権威をくださいました。最後に記憶せねばならないことは何でしょうか?イエス様が再臨の主でいらっしゃることです。
・ここに重要な2つのことがあります。悪魔は今でも活動しています。その時いらっしゃって、永遠に縛られるのです。マタイの福音書21章 45節 悪魔を閉じこめて置く所が地獄です。学生達が尋ねます。神様がなぜ悪い趣味で地獄を作られたのでしょうか? 悪魔を閉じこめて置く所です。すると、人はなぜ行くのでしょうか? 悪魔に仕えるから行くのです。その民が行かざるをえないのです。イエス様が再臨していらっしゃって、暗闇の力を永遠に縛りあげて、私たち救われた者を永遠に神様の国に連れて行かれるはずです。そのように記録されています。皆様が五つを知っていれば、間違いありません。どうして釜山インマヌエル教会は、この田舎みたいな所で復興できるのでしょうか? 五つを知っていればよいのです。このインマヌエル教会に集まった人が、おかしいようで、柳光洙牧師もおかしいようなのに、どうして世界福音化できるのでしょうか? 五つを知っていればよいのです。そんなに立派な方が、なんにもできなくて死ぬのでしょうか? 五 つを知らないからです。何の話なのか分かるでしょうか? ものすごく重要です。これを悟ったら、真に祝福される時刻表です。主は生ける神の御子キリストです。これを第一に悟らなければなりません。モーセも消えてエリヤも消えてキリストだけが残りました。イエス様が約束なさったとおり、預言されたとおり十字架で死んでくださいました。これは、相当なことをたたき壊すことです。その方がキリストだという証拠で復活なさいました。その方は、再臨していらっしゃるはずです。確実なことです。
・今日、2つの結論を出さなければならないのですが、私たちは終わりを知って、現在を進行させて行かなければなりません。終わりを知らなくて進行するのではなくて、終わりを知って進行させて行かなければならないのです。私はインマヌエル教会の終わりを知っています。皆様が世界福音化をどのようにして行くのでしょうか? 知っています。そこに合せて進行しているのです。今、ちょっと足りなくても、理解しましょう。今、私たちの教役者、信徒、みな今、施設も借りてすることも理解するように願います。何故でしょうか? 終わりを見て行くのです。モーセがイスラエルの民を単に説得させたのではありません。カナンの地の果てを見て説得させて行ったのです。ものすごく重要です。だれに任せられるでしょうか?立派な人でもなく、政治家でもなくて、学者でもありません。福音を持った者に、それしかありません。福音をだれに任せるのでしょうか? 福音を持った者にです。
 
・2番目の結論です。この五つを知っていれば、全てのものが答えになって、今受けているものも、神様の計画です。私は福音を知って、私の父が早く亡くなったこと、それも神様の計画だと分かりました。むかしに私たちの村に火事が起こって、私達が難しく生きたこともそれも神様の計画でした。むかしに私が失敗して難しくなったことも、それも神様の計画でした。振り返って見たら、迫害を受けて色々な難しいことも、それも神様の計画でした。知ってみたら、神様のみな答えです。皆様が今、出会っている事は価値ある、ないと色々な考えをするはずです。しかし、明らかなことは、神様の計画があります。私は早くこういう環境から抜け出したいと思っているでしょうが、そこに神様の計画があるのです。間違いない事実です。何故でしょうか? この契約を持った人は、必ず勝利するはずです。答えを受けるようになるはずです。今日、この契約を捕まえて、真の祝福を受けるように、イエス・キリストの名前でお祈りします。
 
<<契約の祈り>>
神様に感謝申し上げます。あまりにも知らずに生きていく人々、偶像を崇拝したり、サタンを拝んだり、霊的問題が来たり、成功した後にも失敗をしたり、たくさん持っていても失敗する者に、主は生ける神の御子キリストですという秘密を知るようにしてくださって有難うございます。モーセでもなく、エリヤでもなく、キリストであることを知るようにしてくださって有難うございます。主が十字架で死んでくださって、私たちのすべての災いと呪いの力を破ってくださったことを有難うございます。主が復活なさったキリストであることを感謝申し上げます。残った時代に暗闇を破る再臨の主、万軍の主となられることを確信します。この契約を捕まえて、今日から神様の人々が答えを受ける祝福の開始にずっとなるようにさせてください。イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン
 
 


2部/ 愚かな者
(詩14:1〜7 )
・詩篇は、祈りの答えを受けた方達の詩であるゆえに、私たちに相当な助けになります。私が知っている学生一名が、本当に良い学生なのに、高等学校 1学年の時には学校を行ったのですが、2学年の時から学校に行かなくなりました。それでその両親がとても心配して、祈っても、学校に行かなかったのです。ところが、この学生が不良になったりする学生では絶対にないのに、学校にとうてい行くことができないと言うのでした。学校でなく、塾に行くと言っているので、私がその学生と相談をしてみるべきだと考えて相談をしたら、その学校が九浦方向の上の聖徒高等学校だということでした。この子が私に学校に行かない理由を話しました。両親にはまさかすることはできなくて、私に話をしたのですが、私が聞いてみたら、とても大変な話でした。学校を行き来する中に学校の外にいる子供と、学校の中にいる不良の子供達が、この子供をずっといじめたのでした。1年間、そのようにしたのです。高等学校1学年を通う間に、この子を集中的にいじめたゆえに、この子供がこれ以上耐えることができなくて、学校を止めたのでした。それで先生に話をしたかと尋ねたら、しなかったと言いました。話したら、もっと大変な事があるようなので、できなかったということでした。両親に話すべきだと言ったら、両親に話せば、その子供達が私を殺すようで、できなかったということでした。それは、あなたの考えであって、そうでないと話をしました。それで、私たちの伝道チームがその学生達に会いに行きました。会いに行ったら、想像以上に学生達が良い子供達なのに、自分たちの間でそのようにするのでした。ちょっと殴られることゆえに、この子供が学校を完全に止める、そういう状況をたくさん見ました。
 
・ダビデという人が、実際には相当な人です。王になることを既に契約として受けて、ゴリヤテを一気に倒して英雄になった人です。ペリシテに行って戦争をしては勝利しました。それで、ダビデがこの信仰を持って耐えたのでした。‘神様が私にイスラエルの王に立てられる。そのように神様が約束をなさった。少なくとも、大祭司長サムエルがきてそのように話をした’それは、どんなに考えてみても確実だけれど、ダビデに迫る困難があまりにも大きかったのです。皆様が学校に行った学生が何名かが困らせても学校を止めるのに、このダビデには殺そうとする人が、王の助けを得てダビデを殺そうとするために怖い政治の風に吹かれたり、王権に対することがあるために、相当な困難がダビデにきたのでした。その時にダビデに混乱が生じたのでした。人は、あまりに困難が来たら、混乱が生じないでしょうか? ‘本当に、神様が私とともにおられれば、本当にこのようなことがおきるだろうか?’という問題と‘それでも、神様が私とともにおられるから、私はこの問題に勝つことができる’この二つがいつも混乱として来たり行ったりしたのでした。この時、ダビデが悟った単語です。‘あ! 愚かな者になることがあるんだな’ この時、ダビデにダビデが悟った単語が “愚か者は心の中で、「神はいない。」と言っている。” ダビデが悟った単語です。神様が直接与えられたメッセージではなくて、ダビデが悟って言う話です。次週に15篇を見ますが、ダビデが自分自身を自ら慰める、そういう内容が出てきます。
・今日の本文を見ると、ダビデがこのようなことにあいながら、深く悟ったことが ‘あ! 愚かな者になりやすいな。愚かな者になってはならない。’このように悟ったのでした。それで、詩篇 14篇を見れば “愚か者は心の中で、「神はいない。」と言っている。’という告白をダビデがするようになったのです。
 
・今日、私たちは信仰生活で多くのことを整えて、神様の祝福を受けなければなりません。人間は愚かな時が本当に多いのです。そんなにも完壁に創造されたアダムとエバが、へびの誘惑を受けて、悪魔の誘惑を受けて神様に挑戦をしたのでした。これで、地球に暗闇が覆ったのです。どれくらい愚かでしょうか? 神様が完壁な祝福を与えたのにもかかわらず、そのようになりました。そのようにも神様の恵みを受けて、神様の答えを受けた人々が、ノア時代に見れば、ネフィリムの誘惑を受けて、偶像崇拝をして、占いをして、そのようになりました。今でもまったく同じです。人々は、どれくらい愚かでしょうか? 人々は、本当に愚かな時が多いのです。その中でもっと愚かなことは“神様がいるのか?”ということです。これは最も愚かな時間になるのです。実際には話さないけれど、私たちの胸の中で神様が信じられないような時は、最も失敗する時間です。私達が実際に神様を信じることができて、信仰が生じて確信がくる時、その時が最も良い時間になのですが、愚かになることがあります。実際に、信仰が良かったアブラハムも、瞬間、瞬間にそのようになりました。自分が生きようと妻を自分の妹だと言うような失敗をしたり、ヤコブの息子が12部族の成し遂げるべき代表的な祝福を受けなければならない人々が、自分の弟がすこし父の愛を受けることをねたんで、弟を殺そうとして弟を売り飛ばして、その後に事件が行われました。このように人間は愚かになることもあります。
・サウル王がじっとしていてもかまわないのに、このような愚かなことをするようになりました。聖書を見れば、イスラエル民族がエジプトの奴隷だったあとで、カナンに行く間に荒野で色々な事が起きたでしょう? どれくらい愚かでしょうか? そこで偶像崇拝もしたりしました。このように私たち人間は、いつ最も愚かでしょうか? 信仰が落ちる時が、最も愚かな時です。このダビデが ‘あ! 愚かな者になってはならない’このような意味で言ったことです。‘愚か者は心の中で、「神はいない。」と言っている’と言いました。
 
・私たち学生達に1部礼拝でも話をしましたが、一番に私たちの学生達が注意すべきことは、皆様の家、学校、教会の中に来てみると、おとな達を見れば、皆様の理想通りではありません。そこであなたがたが失敗をすることがあります。皆様の信仰が落ちることがあります。それで、私が一番に心に思って心配をする部分が何かというと、長老の子供、執事の子供、牧師の子供、元々教会に通った人ですが、こういう人々が、教会を単に通っているから、習慣になります。そのあと見れば、両親や教会に来たら、先生が完壁ではありません。完壁でなければ、自分の理想にかなわないので、失望するのです。このようなものが集まって不信仰になります。すると、私たち学生達に不信仰が入っていけば、ほとんど一生を左右するようになるのです。それで、ものすごく重要なのです。
 
・それで、ダビデが言う話が、最も愚かな者はだれでしょうか? 神様に対して不信仰をする者です。実際には、最も愚かな者になるのです。未信者は知らない話ですが、最も愚かな者になるのです。それで、あなたがたが祈りながら、家庭でも、どこでも問題が生まれれば、愚かなようになってはならないのです。私達が困難にあったり、勝利することは、神様の御手にあるとしても、私達がせねばならないことは何でしょうか?愚かな者になってはならないのです。私たちの学生達が、必ず記憶しなければなりません。あなたがたが教会生活をしている途中で見れば、失望することが生じます。また、私達が副教役者や伝道師、こういう方達が一生、信仰生活をしていれば、教会の中にはおかしな人々もいます。良い人もいますが、おかしな人もいるのです。また見れば、教会は伝道していれば伝道する中に困難がものすごくたくさん生じます。このようなことを見ると、このような時はどんなことが生じるのでしょうか? 重要なことは、信仰が落ちてしまうことです。このような時、信仰が成長して祈らねばならないのに、信仰が落ちるのです。最も愚かな者になりやすいのです。ダビデ王もそのようにしたのでした。ダビデが無条件にこの話を取り出したのではありません。‘あ! 愚かな者は神様がいないと言うんだな’ この話は相手方を見て述べた言葉のように見えるけれど、実際には自分の告白なのです。私が愚かな者になってはならないのです。それはなんの話でもないことのように見えるけれど、ものすごく重要なのです。特に、私たちの学生達がそうで、教会の仕事をたくさん引き受けた人はより一層そうです。
・実際、教会に来たら、私たちの役員は一日中祈りながら、代表的な祝福を受けて、あなたがたはそれこそ記念碑的な祝福を受けなければなりません。それなのに、教会の仕事が多くて、教会の仕事をしているうちに、あまりに仕事に疲れて自分自身も知らないで信仰が落ちることがあります。このような場合が、私達がとても注意しなければならない部分です。一番に良いチームといえば、聖歌隊ではないでしょうか? この聖歌隊が賛美をするということは、ものすごく霊的に良いことなのですが、これがソプラノ、ベース等パートを分けて集まってしながら、疲れて見れば、指揮者も見れば鋭敏になったりして、最も良いことをするのに、最も信仰が落ちることがあります。すべての面は、みなまったく同じです。
・ダビデが困難に会うから、信仰が揺れたのです。絶対にそういうダビデではないのに、神様がダビデとともにおられ、神様がダビデを王に立てられることは間違いないのだけれど、とても瞬間瞬間に危機が迫るから、それもきわどく死がくるから、ダビデが混乱したのです。これは、誰にでもありえることです。この時、ダビデが覚悟して‘あ! 信仰がある者にならなければならない’‘愚か者は心の中で、「神はいない。」と言っている。あんな者になってはならない。’このような覚悟です。私たちにはものすごく重要なのです。
・皆様が聖書に見れば、ペテロがどれくらい愚かなことをしたのでしょうか? “主は生ける神の御子キリストです”と告白しておいても、これから「わたしが十字架を背負わなければならない」と言われたら、これをするなと止めるほどで、イエス様がそばにおられるのに否認までして、気落ちをしてまた過去に戻る、このような程度まで行きました。私たち人間は、このように愚かです。福音を受けたのにもかかわらず、そうなのです。
・はなはだしくは、神様を信じながら、福音を知らない愚かな人が多いのです。あなたがたが、必ず注意しなければならないことは、律法主義とか、神秘主義とか、人間中心主義とか、このようなことを皆様が既に説明を聞きました。このようなことは、分かってみるとものすごく愚かになる部分です。それで福音をそのとおりに受けなければなりません。今日の本文に現れた愚かな者というのは‘神様がいない’と考える人です。どれくらい愚かな者でしょうか? ですから悪い行いをせざるを得ないのです。
・約70年前に共産主義が起きて、一番最初に話した単語が何でしょうか? “神様のようなものはない!”一番最初の単語です。亡くなった長老の話を聞いてみたら、自分のいとこの金日成主席が、元々名前が金スンジュだと言いました。教会をとても熱心に通ったということでした。ある日、家族会議をすると座って、祈りをしようというと、祈りはしないと言ったそうです。突然に懐から銃を取り出して天井に銃を射ったということです。とても驚いたと言いました。それで “お兄さん、なぜそのようにするのですか?”と言ったら、“神様はいない。死んだ”と言ったそうです。“私が神様を銃で射って殺した”と言ったのでした。ですから“神様を信じるのをやめよう”とこういうように言い出したということでした。それであまり驚いて、この方が、その時から嘘をついて逃げて回ったということです。ですから親戚の中に賢い人を何名か選び出して “あなたは何をこのようにしなさい”というようにしたということでした。それで、長老を見て国防をしろと言ったということでした。あまりに怖くて、違うことを恐れたのではなく、お兄さんが何故このようになったのかと思って、病気になった病院に入院をしたということでした。入院をしたふりをして逃げてきたということでした。この長老が聖書と賛美歌一つだけ持って逃亡してきたのでした。見ると神様が祝福を本当に多くなさいました。その一つだけ持っても、どれくらいすごいことでしょうか? ですから、共産主義が先ず一番に主張したことが何でしょうか?“神様がいない”ということです。今、資本主義も見れば、共産主義と反対ですが、本当に神様がなく生きているではないでしょうか?
 
・ダビデの時代に悪い人々が“神様がどこにいるのか?”と言いました。“神様がどこにいるのか?”ということは、最も怖くなることです。だから、殺人もすることで、“神様がどこにいるか”というから、自分自身が生きるために色々な事をするようになるのです。しかし、こういう人々が、未信者状態から抜け出てくることができなくて、霊的問題を解決して行くことができないのです。どんどん困難に陥るのです。‘神様がいない’と考えたサウル王と、実際にはサウルは神様を信じたかの様に見えたのですが、心の底からは神様を信じていなかったということです。そのあと見ると、サウル王とその人々が、ずっと悪霊に捕われて、後ほどは深刻な段階へ行ってしまいました。そのようになるしかありません。私達が最も霊的に被害を受ける時がいつでしょうか?‘神様がいるだろうか?’という時です。本当に、そういう時に被害を受けます。
・私が幼い時、そのようにする時が本当に多かったのです。神様がいるのか? いないのか? 私はそういう考えをいつも多くしました。‘神様がどこにいるのか?” なぜならば、幼い時から教会に通って、神様の言葉をあまり多く聞いて‘神様がいるのか?’という考えを最も多くした時があったのですが、その時、最も多くの失敗をしました。振り返って見たら、そうです。ところがある日、すこし‘あ! 神様は確かにおられるんだな’‘神様は私たちのいのちを治めて確かに生きておられるのだな’ このようにすこし感じられたのに、その時、大きい祝福を受けたのです。
・私はこの単語がものすごく重要な単語だと考えます。私とあなたがたが信仰生活をするなかで、私たちの学生達が一生を歩いていくなかで、また福音の伝道者が色々な重要なことをするなかで、愚かな者になってはなりません。どんな者が愚かな者でしょうか? 信仰が落ちる者です。皆様の家庭にどんな場合がきても、信仰が落ちないようにしましょう。皆様の産業にどんな場合がきても、信仰が落ちないように。それは最も愚かな者になることです。学生達が歩いていくなかで、勉強するなかで、どんなに困難が来ても、信仰は落ちないように。これを言っているのです。
・あなたがたが、みことばをみな守ることはできないでしょう。しかし、信仰は落ちないように。神様が私たちのいのちを治める方です。神様はキリストを送って私たちに重要な祝福を与えて下さった方であることは確かです。それで困難にあえば、すこし感じられるのです。確かに愚かな者はだれでしょうか? 神様が共におられるという秘密を知らなくなる時です。最も重要な時間だと見ることができます。
・それとともに、ダビデがこのように話しています。4節に見れば “不法を行なう者らはだれも知らないのか。彼らはパンを食らうように、わたしの民を食らい、主を呼び求めようとはしない。” 5節に“見よ。彼らが、いかに恐れたかを。神は、正しい者の一族とともにおられるからだ。”神様の子供、福音と神様を知っている子供に 5節に “神は、正しい者の一族とともにおられるからだ。”神様が正しい者の一族とともにいらっしゃるという話は、救われた神様の子供と共にされるということです。あまりにも簡単な話ですが、私たちはここで大きい恵みを受けることができなければなりません。主は私の羊飼い。私は乏しいことはありません。あまりにも大きい恵みを受けなければならないのです。
・私はいままで信仰生活をしてきて、良くしたこともあって、できないこともあったのですが、習ったことが胸の中にはっきりと習ったことがあります。福音の次にです。それが何でしょうか?神様は、未信者であれ、信者であれ、病気を与えても、生かしても、その中に良い計画を持っておられるのです。結局はそうです。私はそれが悟りました。神様は本当によい神様です。未信者に信仰が弱い者に、罰を下ろすように見えるのですが、神様は良いことを下さるのです。神様はサタンとは違います。サタンは良いことを与えたかの様に見えるけれど、悪いことを与えます。神様は、未信者にでも罰を下ろすように見えるのですが、良い計画を持っておられるのです。信者が困難にあえば、神様は確かに良い計画を持っておられます。それはいままで私の体験の中で見たのです。この福音を持ったということが、もちろん最も重要なのです。
 
・神様が義人とともにおられるならば 6節に見ると“おまえたちは、悩む者のはかりごとをはずかしめようとするだろう。しかし、主が彼の避け所である。”と言いました。これがダビデが悟った信仰です。なんでもないことのように見えますが、神様は義人とともにおられるのです。悪い者は神様がいないと言って、思い通り行動しますが、神様は義人とともにいらっしゃるのです。神様は、貧しい者、捨てられた者のように見えるけれど、彼らには避け所になられるのです。ダビデが告白を今しています。7節です。“ああ、イスラエルの救いがシオンから来るように。主が、とりこになった御民を返されるとき、ヤコブは楽しめ。イスラエルは喜べ。” 神様が自分の民を捕虜から解放をされるということです。ダビデがした信仰で告白です。ダビデはどのように、この困難を解決したのでしょうか? 私は聖書を静かにみて、どのようにダビデは困難にあった時ごとに、その困難を解決したのか? 今日、私と皆様の重要な信仰にならなければなりません。ダビデに困難がきた時、一番目に見ると、いつでも神様の計画を待ったのでした。これはものすごく重要です。
・ある夫婦がきて喧嘩をして離婚をすることに決定をして、柳牧師のみことば一言だけ聞いてみて、離婚をしようと来ました。私がこのように話しました。“離婚することは簡単です。行って印鑑を押せばできることですから、それはいつでもしてもかまいません。しかし、ちょっと待ってみましょう。”と言いました。ですから、“いつまで待たなければならないですか?”と言いましたよ。“離婚がする時まで待ってみなさい。”その話をわかるのが難しいようでした。“するとそれがいつですか?”と言いました。それで “生きられなければ、その時すれば良いので、その時まで待ちなさい”と言いました。そして “祈りながら待ってみなさい”と言いました。ところが、この頃ものすごく裕福に暮らしていることを見る時、よく待ったようです。
 
・信仰生活をよくしたダビデは、無条件に待ったのではなくて、神様の計画を見ながら待ったのでした。これがダビデが勝利するようになる相当な秘密でした。なんでもないことのように見えるけれど、サウル王が何十年間殺そうと来れば、人には混乱がきます。どんなに信仰が良くてもそうです。ところが、ダビデが神様の計画を捕まえて待つ祈りの秘密を持っていたのでした。このダビデがどのようにこういうことをできたのでしょうか? 本当に祈りの秘密がないならば、その困難を耐えることができなかったのです。神様の計画を見て待ったのです。皆様が信仰の中で熱心にすることも重要ですが、待つことがもっと重要です。アブラハムは25年待ちました。皆様がおわかりの通り、イサクは 20年待ちました。皆様がおわかりの通りヤコブは21年待ちました。皆様がおわかりの通り、ヨセフは 15年待ったのです。ダビデはほとんど 30年越えて40年待ちました。この皆様がおわかりの通り、ノアは長い間待ちました。初代教会は、ローマを征服するのに250年待ちました。待っていた死んだ人もいます。ですから、ダビデの信仰生活で最も重要なことは、祈りながら神様の計画を待ったことです。
・聖書で詩篇や聖書全体を読んでみると、ダビデが勝った2番目の秘密が出てきました。それが何かというと、ダビデは王になろうとしたのではありません。神様の人になろうとしたのです。サウル王は王になろうと、成功しようとして、ダビデは王になろうとしたのではありません。神様の人になろうとしたのでした。 ここで大きい勝てる力が出てきました。神様がダビデと共におられました。また、このダビデは色々な記録を見ると、彼は生きようとしたのではなくて、神様で満足をしたのです。主は私の羊飼い。私は乏しいことはありませんと言いました。私がいろいろな事が解決するので感謝すると言ったのではなく、主が私の羊飼い。私は乏しいことがないということでした。これがダビデの信仰です。大きいことを解決することができました。
・私がこれを見ていると、最後にダビデをどのように記録したのでしょうか? 聖書を見れば、とても重要なことなので、今日新しく信じる人々が記憶しなければならない部分です。ダビデが福音を正しく理解したのでした。これがとても重要です。皆様、ここに新しく信じられた方達がいます。福音は何なのか? この程度だけ理解しては良いはずがありません。最も価値あることです。これが理解できなければならないのです。それでこそ、皆様が生きていくなかで、こんな困難がくる事もあり、あんな困難がくる事もあり、生きていく間に、こういう利権、あんな利権が置かれる事もあり、生きていくなかでは、色々な葛藤、試みがくることがあります。しかし、福音を正確に理解していてこそ、勝つことができるのです。ですから、ダビデが難しい時、出てきた単語を見ましょう。神様は私の羊飼い。神様が私の避け所。神様が私の砦。神様が私の王。こういう単語を使いました。自分がしようとするのではありません。これを見る時、ものすごく重要なのです。ダビデがこのようなものを、全部勝利に変えたのでした。このように大きい苦しみにあわなければならないのでしょうか? 大きい事をしたダビデにこういう大きい苦しみもありました。もしかして、私たちの学生達が小さい人物ならばかまわないのですが、皆様がそのままリヤカーひとつを引いて、おでんを売って死ねば良いのですが、それが悪い職業ではないのですが、それはリヤカーを引いて回る苦労だけすれば良いことですが、ところが、重要なことをしようとするなら苦労があるのです。これを越えようとすれば、なにを持っていなければならないかというと、福音の基本を持っていなければならないのです。ものすごく重要です。ここに新しく信じる方がいらっしゃるはずです。とても重要なのです。
・今日の1部礼拝は、必ず参考にしなければなりません。“主はキリスト” この話は、すべての呪いと皆様の旧約時代の運命、そのままみな受けなければなりません。占いの話がほとんどみな正しいのです。みな受けなければなりません。皆様が先祖供養をしなければ、問題がくるのです。皆様が道だけでもよく行かなかったら、問題がきます。みな解決したのです。“主は生ける神の御子キリストです”これだけでものすごいのです。すると、これから残っていることは何でしょうか? 実際には、途方もない祝福が残っているのです。それで、モーセもこれから必要でなくて、エリヤも必要でなくて、キリストだけが残りました。1部のメッセージをよく捕まえなければなりません。イエスが十字架で死んでくださったことは、私たちのすべての呪いと罪と暗闇の力を私達が勝つことができないために、イエス様が死んでくださってなくしてしまうと神様が あらかじめおっしゃったのでした。血を塗る日に解放されたでしょう? キリストが復活なさったということは、すべての権威をみな回復なさったということです。それで、暗闇の権威を打ち破ってしまわれました。再臨して来られるその日まで、この暗闇の力が活動するために、私達が主の名前で福音を伝え、祈るのです。この福音の価値がどれくらい大きいでしょうか?
 
・必ずお願いします。皆様、新しく信じる人が、誰に会って、福音をどのように聞いたのかがものすごく重要です。それで、この人を教える人が、ずっと答えを受けることだけをずっと教えれば、後ほどこの人が答えの反対になることに会えば崩れてしまいます。これがどれくらい重要か分かりません。ある人は、教会に通うのに、明け方祈りを一度も抜けませんでした。それで ‘あの人は、どうして明け方祈りを一度も抜けないのか?’ 明け方祈りを何の信仰生活だと考えているか、明け方祈りを絶対に抜ければならないと一生懸命に通うのです。ある時には、病気なのでちょっと休みなさいと言っても行きましたよ。その人がどうして明け方祈りをあのように熱心に行くのか? 知ってみたら、この人を伝道して、教えた人が、明け方祈りはいのちをかける人でした。ですから、習ったとおりにするのです。それを見ながら‘あ、はじめに誰が教えるのかが、あまりにも重要だな’と考えました。私たちが見れば、体験的な信仰を、私たちキリスト教の福音を正しく持った人は、すこし警戒します。体験的なことをずっと要求していて、体験ができなければどのようにするのでしょうか? すると信じるのでしょうか? すると神様がいらない、そのようになる可能性があります。だから間違った信仰です。ですから、福音をよく開始するべきなのです。
・信仰生活をすれば、神様の祝福を受されるとだけ教えれば、どのようになるか? というと、250年間、何の答えもこないのに、みな離れなければならないのです。それではありません。福音はそのようなことではないのです。ものすごいことです。永遠なのです。私たちはその何とも変えることができない祝福です。今日、新しく信じる人は、その覚悟があってこそ揺れないだけでなく、問題がきても勝ち抜くことができるのです。皆様が生きている途中で問題がくるのに、どのようにするのでしょうか? 事業しながらも問題がきて、生きていくならば家庭にも問題がきて、生きていくのに病気になったらり、どのようにするのでしょうか? このような時、何が重要かというと、この人が福音をどのように理解しているのかで分かるのです。
 
・ダビデは、たいした人物です。その中のひとつが何でしょうか? 正しい福音を理解したのでした。マタイの福音書 1章 1節を見れば、何が出てくるでしょうか? “アブラハムとダビデの子孫、イエス・キリストの系図”と出てきます。バルテマイという盲人が通り過ぎる時に、何と言ったでしょうか? “ダビデの子。イエスよ”と言いました。今日、あなたがたが重要な契約を捕まえて、皆様の全てのものを神様の計画に任せて祈ることを願います。それで終わることではなくて、神様と共にする恵みを受けることと、その神様自体にとても恵みを受けることをより重要視しなければならないのです。絶対に信仰が落ちてはなりません。特に皆様、正しい福音を持って開始をすれば、まちがいなく勝利します。それで特に、新しく信じた方達は人をみつめてはなりません。なぜならば、人をみつめれば、その人の影響を受けるからです。早く聖書をみつめて、教会にきて礼拝をよくささげて、今出てくる訓練を確かに受け取らなければなりません。それがなんでもないことのように見えても、生涯を左右します。なぜならば、皆様の中に既に執事になった方達や、おとなになってしまえば入っていくことは出てこないのです。それを取り出すことがどれくらい難しいか分かりません。
・信仰生活を良くする方、一人が祈りの答えを受けて信仰生活を良くする方がいたので、私達がたずねました。“どのようにして、あなたはそんなに信仰生活を上手にやるのですか?” その方がとても無知な人のように思っていたのに、驚くべきことを話しました。“私の夫は知っていることが多くて、それを取り出して新しいものを入れようとするので、時間がかかったけれど、自分は知っていることがなくて取り出す必要がなくて、すぐに入っていった”と言いました。それが無知な話でしょうか? 普通の話ではありません。自分は取り出すものがないから、そのまますぐに福音が入っていった。夫は取り出すことがとても多いと言うことでした。まだすべて取り出せていないと言いました。何の信仰が入っていくかが、ものすごく重要です。生涯を左右します。
 
・それで結論の中の結論は何でしょうか?ダビデが正しい信仰を持ったのでした。この困難の中で正しい信仰を持ったのです。もちろん、ダビデには失敗もあって、もちろん、ダビデが聖書も完壁なものではありません。ダビデがなにか性格的に気が短いようでした。そのようなものもあります。しかし、ダビデが根本に幼い時から父から習った信仰が正しいのでした。そして、サムエル指導者から受けた信仰が正しかったのでした。だから、どんな困難もよくみな勝ち抜くことができました。今日、あなたがたが必ず福音の祝福を味わう皆様になられることをイエス様の名前で祝福します。
 
<< 契約の祈り >>
神様に感謝申し上げます。私たちのあらゆる神様の民が、愚かな者にならないようにさせてください。家庭や現場で、困難に会う時、信仰が揺れる者にならないようにさせてください。また経済的に、生活に困難が来る時、信仰がない愚かな者になって、霊的な攻撃を受けないようにさせてください。色々な事をする中に色々な働きをする中に、葛藤や色々な人間関係によって、最も重要な信仰が落ちて、暗闇の勢力の攻撃を受ける者がひとりもいないように、神様が祝福を与えて下さい。特に、この時代に福音を伝える運動ゆえに、この場に集まった、すべての信徒に100箇所余りで衛星で礼拝する教会に、特に各地域に散在した地域教会の上に、神様の驚くべき祝福が、信仰が、回復する時間になるようにしてください。私たちは世の中ゆえに信仰が落ちたり、人ゆえに信仰が落ちることもあり、こういう悪い戦略にかからないようにさせてくださって、本当に愚かな者にならず、信仰を持って神様を眺める驚くべき信仰回復の日になるようにさせてください。それで、より良い神様の計画を見て、神様の祝福を受ける主の民になるようにさせてください。福音を正確に正しく理解していて、どんな困難も祝福に変える力の人々になるようにしてください。私たちの主イエス・キリストのお名前でお祈りします。 - アーメン -