(2002年 11月 17日 インマヌエル教会/ 柳光洙牧師)


1部/ 家庭、離婚に対しての教訓
(マルコ10:1-12)
 
・イスラエルには、三つの祭りがあります。過ぎ越しの祭り、五旬節、収穫感謝祭(刈りいれの祭り)があります。過ぎ越しの祭り、麦収穫の祭り、仮り庵の祭りという単語を使いました。モーセの当時には、創世記、出エジプト記、レビ記、民数記で信仰生活には、充分でした。それは、この三つの単語の中に全てのものがみな入っているということです。
 
・今日、単に収穫感謝祭なのだなと考えないで、重要な発見をしなければなりません。イスラエルの三つの祭りを誤って理解すれば、信仰生活が最も良くできません。イスラエルで穀物を刈り入れて保存することが刈りいれの祭り(収穫感謝祭)です。これを米国では、thanks-giving-dayといって、祝日になっています。色々と誤って理解すれば、信仰生活に助けにならない悟りになってしまいますが、この部分をよく理解すれば、すごいことになります。
 
・皆様がどのように考えるか知りませんが、私は神様が乙女マリヤに、簡単に話せば処女のマリヤからイエス様が産まれるようになさったこの部分が、とても科学的だと感じられました。なぜならば、アダムの子孫をでは、救い主になることができません。それで、アダムの子孫でなく、神様の力で肉体を着せるために一人の女性を選んで人を産むようにされたのです。その方がイエス様です。とても科学的です。なぜなら、理屈にあうことだからです。神様が一人の女性を選ぶしかなかったのです。それで、マリヤを選ばれたのでした。これを誤って悟れば、肉体的に悟ってしまったら、マリヤがすごいのだというようになります。それがカトリックです。カトリックを批判するのではないのですが、救いに対して根本的に誤って悟っています。何と同じかというと、田舎から母親が高速バスに乗って来たので、出迎えに行ったのに、高速バスからおりてくるお母さんがどれくらい懐かしいか、お母さんを抱いて挨拶しなければならないのに、お母さんは見ないで高速バスを見て「やー、すごいなぁ。タイヤが良いな。」こういうことと全く同じです。それは愚かな悟りです。何を話しているのかというと、神様がみことばを下さるために一つの国を選択されるしかなかったのです。それがイスラエルです。これを誤って悟れば、‘イスラエルがすごい国だ。キリスト教はイスラエルの宗教だ’このように誤って悟ることになります。神様はアフリカを通してでも、韓国を通してでも、どの国を通してでも、みことばを下さるようになっています。しかし、イスラエルを選ばれたということはものすごい栄光であるということは確かです。しかし、イスラエルだけの話ではありません。このように誤って悟れば、大変な事になります。イスラエル民族が、エジプトから救われました。それが過ぎ越しの祭りです。救われて2つの祭りがありますが、荒野で50日ぶりに穀物を収穫しました。カナンの地に入って50日ぶりに穀物を収穫したという説もあります。それで、五旬節と言います。麦収穫祭、麦を収穫したのです。このように使ったり、秋になって穀物をたくさん収穫して保存をしました。一見、なんでもないことのように見えます。絶対に救われることができなかった神様の民を神様がパロ王から救い出されました。荒野を行く間に必ず死ぬしかない状況であったのに、神様がイスラエル民族を導かれました。そして、イスラエル民族が穀物をおさめて、倉庫に保存する程、神様が祝福なさったのです。穀物の問題ではなく、ものすごく重要な問題になります。
・私たちは、信仰生活をしながら、今日、重要な悟りをせねばならないのですが、それは何でしょうか?私たち人間は、たましいと肉体の二つが合わさって人間になりました。それを二分説と言います。またある聖書では、三分説です。霊、たましい、肉、このように神学者も三分説を主張する人もあって、二分説を主張する人もあります。ある人は、たましい、肉体。またある人は、霊、たましいを別にして、肉体。このように区分する人もあります。とにかく、二つともみな聖書にあるために、ある人はこういう主張、ああいう主張をします。しかし、大きく見る時には、人間は肉とたましい、この二つが合わさって人間になったのです。ところが、私たちは学校で何だけを学ぶかというと、肉体的なことだけをずっと学びます。そうしながら、霊的な部分を知らないので、問題がきたのです。それで、この部分を教えてくださるのが、神様のみことばです。肉体的なこともあるけれど、私たちはこういう部分に相当な理解を早くしなければなりません。
 
・対話室を作って、全国、世界にいる人々が文を送れば、その文を見て答えを送ってあげていましたが、私が時間がないので、秘書が見て出力して文書を作って持ってきます。すると、私が何かを書いて送るのを何年かしていたのですが、中断しました。なぜ中断をしたのかというと、時間がないからではなくて、文になってくる内容が、一つも霊的なことがありません。伝道はどのようにせねばならないのか? こういう問題はどのように解決せねばならないのか? こういうことではなくて、全部、肉体的なことだけを尋ねるのです。こういうことだけ上がってきます。例を上げるならば、タラッパンメンバーは、マナーが良くないと言います。こういうことは認めますが、特に内容はありません。全部似た内容です。私たちのレムナント、学生達がくれた文を見れば、すこし信仰的な文もあります。ほとんどすべてが、特におとなが見れば、全部、肉体的なことなのです。ある面では、読む価値もなくて、答える価値もありません。私達が下手すると、信仰生活をそのようにすることがあります。ある夫がこういう話をしました。「私の妻は、とても良い女性だと思って結婚したのに、分かってみたらそうではなかった。」何か?と尋ねたら「私の妻はお金さえできれば、持って行くのですが、何をするのか分かってみたら、全くこういうことがあるでしょうか?」なぜですかと言ったところ、その女の人がお金を持って行ってギャンブルをするということでした。自分は考えることもできないと言いました。それで、私がその執事を見て、「執事の奥さんは、ギャンブルをするのは間違いないでしょうが、私はそのように見ません。執事の奥さんは、幼い時からいままで、本人も知らない霊的な葛藤があるのです。それを解決できないので、どこかに執着しているうちに、ギャンブルをするようになったのではないでしょうか? それならば、その部分を理解できないならば解決できるでしょうか?」この執事がわかりました。ある時には、ある夫人がきて、自分の夫が一週間単位ではなくて、毎日のように家に 2〜3時に帰ってきます。なぜそんなに遅く帰ってくるのか、12時までに帰ってくるべきなのに2〜3時に帰ってきて、どのように仕事ができるのでしょうか? 毎日のように、酒を飲んで帰るのです。健康にも問題になって、仕事にも問題になって、子ども達も教育にも良くないので、これではとうていだめなので、離婚せねばならないということでした。それで、その執事に話しました。「私は、そのように考えません。執事のご主人は、信仰もないので、飲むことは酒しかないでしょう? 今、私が見るのには、執事のご主人は何かを探しているのです。言わばさまよっているのです。酒を飲むことではないのです。ところが、さまよっているうちに酒場を行ったのです。執事より、はるかに価値がないけれど、執事よりは酒場の女がはるかによかったのです。それでそこに行くのです。間違っていると分かっていながらも、執事のご主人の霊的な問題をいやすことができる人は、ただ一人しかないのに、その人がまさに執事、あなたです。ご主人のために祈らねばならないことで、ご主人が執事を見る時、平安にならねばならないのです。執事は生まれ育ちがとても律法的だったようで、顔を見たら不安です。どのように、ご主人が安心できるでしょうか?それも未信者ではありませんか。」霊的な部分を知らないのです。私たちは信仰生活において肉体的なことが必要ではないということではありません。
 
・Vヨハネ 1章2節に見れば、「愛する者よ。あなたが、たましいに幸いを得ているようにすべての点でも幸いを得、また健康であるように祈ります。」私達は、指一本なくても生きることができますが、たましいが間違うと、全体が間違います。それで、ものすごく重要なのです。私達がもし足を引きずっても、それで通えば良いのですが、精神が異常になれば、全体が異常になります。ところが、人々はたましいの方向を見ることができず、肉的なことだけを見るのです。 11年目、臥竜山に子ども達がカエルを捕りに行って死んだということがありましたが、法医学で明らかにしたら、傷が多くて頭にキリの跡も多くあるので、他殺であり、子どもは殺されたと明らかになりました。こういう結論が出てきたのです。しかし、私が見るには、ものすごく簡単な話です。それは、まちがいなく表面には現れずに精神が狂った人がしたことです。捕まえることは簡単です。実際には、ほとんどそうです。ある重要な将軍 2名と食事をいっしょにしました。その将軍二人に対して、こういう話をしました。軍隊ぐらい福音を伝えることができる良い場所はありません。少なくとも軍牧には、3つの教育をさせるべきです。ひとつは、信徒が礼拝をささげようときた時、福音を悟るようにすべきです。当然の話ではないでしょうか? 軍隊で団結、忠誠を習っても良いでしょうが、教会だけは福音を伝えるべきです。その教育を軍牧にさせねばならず、もうひとつは何かというと、軍隊ではエリートがきます。彼らに本当に答を与えることができるべきです。もうひとつは、軍隊では霊的な問題を持った人も来ます。まちがいなく、指揮官になろうとすれば、その家庭にムダン(霊媒師)がいるか? いないか? 精神疾患者がいるか? いなかったか? 調査をすべきです。ある日、それをそのまま置いておけば事故が起きます。そのようなことがわかる指導者にならなければなりません。重要な方達なので、そのような話をしました。軍牧は、少なくとも 3つのことが教育されていてこそ、軍牧になれるのです。私たちはその霊的な部分を知らないので、私たちが信仰生活は肉体を持ってしますが、霊的な部分がものすごく重要なのです。それで今日、あなたがたが神様を理解して、神様のみことばを理解するという部分がものすごく重要なのです。この部分を知るようになれば、信仰生活に大きい勝利をするようになります。
・私たちも知らない間に、ものすごく重要な方向を発見するようになります。それほど重要です。ほとんどすべてです。今日、本文でパリサイ人がイエス様にどんな質問をしたのかというと、しなくてもよい肉体的な質問をしたのです。イエス様に何と尋ねたでしょうか? 2節に「パリサイ人たちがみもとにやって来て、夫が妻を離別することは許されるかどうかと質問した。」知っていながらそれをなぜ聞くのでしょうか? 人が妻を離別することが正しいですか? と尋ねました。だから、イエス様が何と尋ねられたでしょうか? 法の通りすれば良いではないか? 3節に「イエスは答えて言われた。『モーセはあなたがたに、何と命じていますか。』」モーセは律法、法を言います。法の通りすれば良いのではないか。 5節に「イエスは言われた。『モーセは、あなたがたの心がかたくななので、この命令をあなたがたに書いたのです。』」モーセの命じたことを、このような時、こうしなさい、あのような時、こうしなさい、ということはやむを得ず作ったことでないか? それを知らないのですか? 6節に 「しかし、創造の初めから、神は、人を男と女に造られたのです。それゆえ、人はその父と母を離れて、ふたりの者が一心同体になるのです。それで、もはやふたりではなく、ひとりなのです。こういうわけで、人は、神が結び合わせたものを引き離してはなりません。」とイエス様が返事をされました。家に帰ってきたら、10節に弟子達がまた聞きました。「家に戻った弟子たちが、この問題についてイエスに尋ねた。そこで、イエスは彼らに言われた。『だれでも、妻を離別して別の女を妻にするなら、前の妻に対して姦淫を犯すのです。妻も、夫を離別して別の男にとつぐなら、姦淫を犯しているのです。』」こういう何の価値もない質問を今、パリサイ人がしたのです。
 
・皆様は、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの福音書を読みながら、必ずひとつ悟るべきことがあります。それが何かというと "イエスがキリストだ”という結論で、その前に全てのものは誤っていることを指摘しているのです。神様のみことばなので、その部分を悟らねばなりません。今、パリサイ人が聞く質問をそのまま記録しておいたのは、それに対する答えです。イエス様が、そこに対する完全な答えを下さったのです。なぜなら、聞く質問がそのような方法であったためです。私たちは、霊に属する者なのか、肉に属する者なのか記憶すべきです。Iコリント3章1節から3節に見れば、信仰の中で肉に属する者、霊に属する者、こういう記録が出てきます。私たちは、霊的な部分を正しく知っていなければなりません。私たちはほとんどすべてが、肉体的なことになっています。ほとんどみなキリスト教会が途中で失敗した部分が、こういう部分です。皆様が信仰生活をするなかで、本当に答を得ようとする時、この部分を早く区分すべきです。私たちは肉体を持って信仰生活していますが、私たちの目は霊的な目をもっと開かれなければなりません。パリサイ人が質問することは、間違っていることではありません。離婚することが正しいですか?と尋ねる質問です。すると、イエス様がモーセの法の通りにすれば良いではないかと、当然の返事をされました。だから、弟子がきて聞いたのです。それが何のみことばなのですか? こういう当然の質問をしました。イエス様が当然の返事をされました。パリサイ人と多くの信徒のすべての質問は、何でしょうか?ほとんどみな肉体的なことで、霊的な部分がないのです。私は皆様がどのように感じるかは知りませんが、私はこういう部分を見ながら、本当に私たち人間が答を得て信仰生活をすることは簡単なのに、人々が複雑に難しくするんだなと、ある時はものすごく疲れる時があります。なぜでしょうか? この人に会っても、あの人に会っても、霊的な対話は一つもなくて、全部肉体的な対話をして、どれくらい疲れるでしょうか? 「本当に神様が私たちとともにいらっしゃって、私にこういう事をなさった。またこういうことを驚くべき恵みの中で行なわれた。」こういうことを悟る時は、相当なことになるのに、全部肉体的なことだけで、どれくらい疲れるか分かりません。今、パリサイ人の信仰がそうだということです。
 
・今日、収穫感謝祭ですが、私達がこういう部分もそのように悟ることができます。「収穫感謝祭のようだ。穀物、果物、何かこのようにするというように理解することができます。」もちろん正しいことです。しかし、そのような部分ではありません。今日、あなたがたが三つの祭りを考えながら信仰生活を完全に解決できます。ものすごく重要です。過越の祭りは何でしょうか?羊の血を塗る日に解放されました。相当な答です。神様が私と皆様の運命を変えるために、イエス・キリストを送ってくださって、犠牲のいけにえとして血を流すようにされました。これは、単なる話ではありません。あまりにも重要な話です。私達が私たちの罪を解決しなければならないのですが、解決できない罪がもっと多いのです。原罪は解決できません。皆様の家庭から出る霊的な問題は解決できません。それで、神様が犠牲のいけにえキリストを十字架につけてくださって、すべての霊的な問題を解決なさったのです。皆様の家庭に食い込んで、皆様の子どもをつかんでいるサタンは、絶対に私達が勝つことはできません。イエス・キリストが、十字架で血を流して死んでくださることによって、サタンの勢力を完全に打ち破ってしまわれました。それが過ぎ越しの祭りです。過ぎ越しの祭りということは、ものすごく重要なことです。旧約の時、すでに救いの秘密がみな現されていたのです。
 
・イスラエル民族が荒野で五十日ぶりに穀物を得ました。この話は、普通の話ではありません。五旬節です。使徒の働き 2章 1節を見ると、"五旬節の日になって"と言われています。その日に何を受けたのでしょうか。聖霊充満を受けました。信仰生活の原理が、ここにみな出てくるのです。皆様は神様の子どもであるゆえに、今から世の中に勝つことができる重要な答があります。聖霊充満。これは、いかに驚くべきことでしょうか。今日、検事一人が少しの間私の事務室に入ってきてきたので、とても貴重な方だと私がそのような話をしました。法律関係の人々には、とても重要な方が多いから、神様の特別な恵みを受けてくださるべきだと言いました。そうです。私達が世の中を生きていく間に、世の中に勝つことができる最も簡単な方法があります。聖霊充満を受けなさい。聖霊充満することは、どのように受けるのでしょうか。信仰で受けるのです。私達が引き出すことではありません。神様がくださるために、信仰で受けるのです。それで、あなたがたが今、祈りながらみことばを受けています。これも聖霊充満です。皆様が職場に行って祈る時、それが聖霊充満です。皆様が困難に出会った時、考えを信仰でするのではないでしょうか。それが聖霊充満です。皆様に重要な問題がきた時、気落ちしないで祈らないでしょうか。それが聖霊充満です。聖霊充満は違ったことではありません。 イエス・キリストで充満するのです。それで祈るのです。どんな問題でも、勝つことができます。時間が経てば経つほど、私たちクリスチャンが、世に、ひいては世の中の人々に勝つことはできないのです。神様の特別な恵みを受けなければなりません。使徒の働き 2章に "五旬節の日になって、聖霊充満を受けた"と言われています。ものすごく重要な話です。単なる祭りで終わったのではありません。この三つの祭りは、あまりに重要な意味があるのです。
・収穫感謝祭と言ったり、今日守る祭りを刈り入れの祭りだと言います。刈り入れの祭りということは、おさめて保存するということです。この話は、ものすごく重要な意味があります。神様が結局は救われた者を集めて天国の倉庫に収められるということです。神様が結局は、救われた者を地獄に送られず、天国に送られるということです。神様が結局は、農作業で話すならば、中身のないものは燃やして地獄へ行くようにされ、穀類は倉庫に入っていくという意味です。こういう話は、ものすごく重要な話です。
 
・私と皆様が信仰生活をするなかで、3つの原理が出てきます。皆様は、絶対にどんなに勉強を多くして、どんなに科学が発達しても、霊的問題は解決できません。それで、イエスの血。それが過ぎ越しの祭りです。過ぎ越しという話は、pass over day ということです。越したということです。なぜならば、その家は死なないで越したということで、羊の血を塗った家は越されたということです。これは相当な話に間違いありません。
 
・あるムダン(霊媒師)が、三十年間、悪霊に捕えられて、どれくらい死ぬほど苦労したか、イエスを受け入れて、イエスを信じた瞬間、その問題がみな解決されました。過ぎ越しの祭りの小羊の血。この方が、どれくらい感謝だったのか、礼拝する時ごとに、前の席に座って泣きました。私を見たら、握手をしながら、福音を伝えてくださって、とても有難いと言いました。それを普通の人が知っているでしょうか。あまりに苦労したのです。皆様、この三つの祭りは、相当な祝福です。皆様、今日一人ももれなくこの祝福を受けるように願います。神様がこの地上に与えられた最も良い祝福です。過ぎ越しの祭り。血を塗る日に解決しました。十字架の血を話します。旧約の時、すでに預言されていたのです。どれくらい重要でしょうか。あなたがたが、この部分を体験していれば、確信が与えられます。イエス・キリストを受け入れるだけでも解決する事がどれくらい多いでしょうか。
 
・五旬節とは、何でしょうか。救われた者を神様が導かれて、救われた者が穀物をおさめるようにされたのですが、その話は単なる話ではありません。五旬節の日に聖霊充満を受けました。この話は、普通の話ではありません。皆様が信仰生活するなかで、世の中に勝つ道はひとつしかありません。聖霊充満を受けなさい。聖霊充満も全く難しいことはありません。聖霊充満することは、信仰を持って祈れば良いのです。皆様の会社のなかで、神様の祝福が現れるように静かに目立たずに祈ることです。これが聖霊充満です。聖霊充満の結果は、すごいのです。
 
・未信者だけが集まった部隊に行ったのに、私がすべきことがありませんでした。静かに勤めながら祈ったのです。この人達に、福音を伝えられるようにということです。ところが、とても驚くべき事が起きたのですが、隊長からほとんどみんなが福音を聞いて、隊長をはじめとして、重要な何名かはイエスを信じるようになりました。どれくらい驚くべきことなのか分かりません。この前、私が証ししましたが、もっと驚くべき事があります。むかしに、軍隊ではたくさん殴られました。私さえ見れば、退屈ならば殴る人がいました。この将校の仇名が "バカ"でしたが、人をよく殴りました。私だけではなく、誰にでもそうしたのでした。この人がある日、私を呼んで聖書の話をしてくれと言いました。聖書の話はしてあげたのですが、イエスを受け入れはしなかったのです。聖書のみことばを一ケ月程度聞きました。後ほどその人に会ったのですが、この人が執事になっていました。私が見たら‘あの人が執事になるとは'という気がしました。その将校は執事になる人ではありません。性格がそうでした。ところが、執事になっていました。これを見ながら、これは聖霊の働きはすごいのだなと考えました。
・皆様、今日誤って考えることがあります。信仰生活はとても簡単です。私が15年前に影島に来て、影島にある偶像がみななくなって、影島のなかで福音を伝えることができるように、一番福音を伝えることができる教会を、世界福音化することができる教会になるようにしてくださいと祈りました。それが聖霊充満です。結果がどうでしょうか。皆様がよく知っているでしょう。聖霊充満はやさしいのです。今日、考えをみな変えなければなりません。神様がくださることであるから、やさしいのです。私達が修業に励んで努力して、受けることではありません。信仰で受けることです。私が一日に三回、静かな時間を持ちます。世界福音化できるように聖霊充満してくださいと祈るのです。それだけしたのに結果がきます。これが聖霊充満です。もっと重要なことがあります。穀物をおさめて倉庫に入れたように、あなたがたは神様の民なのです。
 
・もっと重要なこと。皆様の背景は神様の国です。もっと重要なこと。生きている間、行く所ごとに神様の国が臨むのです。これがいかに重要でしょうか。今、パリサイ人の質問を見れば、全部肉体的な質問です。信仰生活ができません。イエス様は返事も正しくしてくださいませんでした。でたらめのような質問をしたためです。生きていて妻を離婚することはどうか? それを何というのか? モーセの法の通りにすれば良いではないかとイエス様がおっしゃられました。話にならない質問をしたので、話にならない返事をされたのです。モーセの法の通りすれば良いではないか。モーセの法には、これこれの条件の場合にしろとなっています。止むを得ない場合です。それで、イエス様が答を下さいました。神様が結び合わせたものを、人がどのように引き離すことができるだろうか。イエス様が答を下さったのです。
 
・今日の本文のみことばに、こういう部分が出てきたゆえに、少しの間、話します。あなたがたは、この家庭、家族は、キリスト中心で歩いていけばよいのです。夫が夫人を見つめて行って、夫人が夫を見つめて行くから、問題がくるのです。夫も神様を見つめ、妻も神様を見つめれば、方向がぴったりと合うようになっています。
 
・写真を撮して見て下さい。単に撮ったら変です。特に団体写真を撮る時に見れば、バタバタと写真を撮ると変です。写真を焼いて見れば変に出てきます。しかし、写真屋が団体写真を撮る時、必ず言うことがあります。カメラのレンズを指しながら "ここを見てください"と言います。そのように撮った写真を見れば、調和がとれた写真が出てきます。私達が一ケ所を見つめれば、方向がぴったり合うようになっているのです。
 
・どこから問題が来るかというと、しばしば夫が妻を見つめて、妻が夫を見つめながら、これが未信者です。肉体的なことです。ここで問題がくるのです。霊的な目を開けなければなりません。妻も神様を見て、夫も神様を見て、私たちは信者であるゆえに、このように歩いていけばぴったり合うようになっています。もっと重要なことは、妻が自分のものでなくて、夫も自分のものではありません。妻は神様の娘であり、夫は神様の息子です。私たちは解釈をしばしば違うようにします。皆様が産んだ子どもが、皆様のものではないのです。自殺する時、いっしょにするのは、大きい罪を犯すことです。自殺しようとするなら、一人ですべきで、子どもはなぜいっしょにするのでしょうか。皆様が育てる子どもは、皆様のものではなくて、神様の子どもです。何の話なのか知っているでしょうか。私は私の子ども達を見て、幼い時そうでした。「君達は私の息子、娘ではない。私から産まれただけであって、君達は神様の息子であり、神様の娘だ」と言いました。私は父としてお手伝いするしかないのです。しかし、本当に恵みを与えて育てる方は、神様だと言いました。私達が無神論者でしょうか。神様を信じるのではないでしょうか。間違いありません。考えが変わらなければなりません。そうしてこそ、家が教会になって、そうしてこそ、家が天国になるのです。そうであるべきです。人間の方法ではできません。
 
・私たちは聖書をずっと読んできているのですが、今日の主題をのがしてはなりません。肉体的な目で見れば、肉体的なことしか見えません。私たちはいつでも霊的な目を覚まして、肉体的なことを見なければならないのです。ものすごく重要です。牧師達が集まっていれば、信徒がどうだという話をします。私は内心、変だという気がします。牧師は信徒に仕える時、幸福でなければなりません。また、信徒を見れば牧師達がどうだということを話します。変なことです。全部、肉です。霊的な悟りがないからです。一般信者は、主のしもべが神様のみことばを悟って伝達するように祈らなければなりません。教役者は、一般信者に仕えることが、幸福でなければなりません。そこで神様の計画を発見しなければならないのです。普通、副教役者もいますが、間違って学んだようです。何かよく知っていません。教役者が一般信徒に仕えて、長老に仕えて、信徒に仕えることが幸福にならなければなりません。それが神様の計画です。全部、逆に肉体的に悟っているのです。
・やさしい話をします。皆様が持っている霊的問題、皆様の家で、個人に起きる問題はないでしょうか。簡単に解決する方法があります。それが肉体的なところに理由があるのではなく、霊的なところに理由があるのです。悟ればとても簡単です。それで、三つの祭りを守りなさいということは、忘れてしまうなということです。過ぎ越しの祭り、忘れてしまってはなりません。忘れるなということが、守れということです。五旬節、聖霊充満を受けて、力を受けて、荒野で勝利したことを忘れてしまってはなりません。天国の民であることを忘れてしまってはなりません。刈りいれの祭り。収穫感謝祭。ですから、聖書を見ると、最後の時に、刈りいれをして、穀類は倉庫に入れて、中身のないものは火で焼くとなっています。全く同じ話です。火で焼くということは、火がつく地獄に行き、穀類は天国の倉庫に行くということです。どれくらい重要な話でしょうか。もしこの場に大統領がいらっしゃるとしても、その方も受けなければならない祝福が何でしょうか?救いの祝福です。もしこの場に王がいらっしゃるとしても、その方が受けなければならない祝福3つが何かというと、救われなければならないのです。教会に通わなければならないのではなく、救われなければならないのです。そして、神様の力を体験する五旬節ということはとても重要なことで、天国の背景、神様の国の祝福を受けなければなりません。この三つが信仰生活で全てのものだと見ることができます。今日、皆様に本当に祝福の門が大きく開かれる日になることを願います。
 
・皆様に重要な日になることを願います。今、このパリサイ人のように、しばしば肉体的な質問、肉体的な考え、こういうものが正しいかのように見えるけれど、解決になりません。ほとんどすべてがそのように考えるのです。ほとんどみな信仰生活をここで失敗するのです。皆様が失敗したように見えるけれど、今でも霊的な部分を悟れば、完全に勝利するようになります。それで "あなたが、たましいに幸いを得ているようにすべての点でも幸いを得、また健康であるように祈ります。" と言われました。それでマタイの福音書 6章 33節に、見ればあれこれ祈る必要もなく "だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。"と言われました。
 
・私は、信仰生活すればするほど、何を感じるかというと、祈りの課題も必要ないと考えます。祈りの課題がなぜ必要なのでしょうか。聖霊充満を祈れば、その中にみな入っています。だから、これがどれくらい重要な話でしょうか。信仰生活すればするほど、聖書のみことばが事実です。とても実際的に感じられます。また信仰生活をすればするほど、自分が弱いほど、私が失敗するほど、なにを感じるかと言うとキリストです。「なるほど!」というように感じられます。これが信仰生活です。また私たちが信仰生活すればするほど、心の底では大胆になります。救われた者に聖霊がいつまでいらっしゃるかというと、永遠に共におられるのです。聖書にそのようになっています。救われた者に、天の背景をもって、神様が行く所ごとに皆様の目に見えなく、あなたがたがここで礼拝をささげているのに、神様は皆様がこれから行かなければならないすべての所に主の天使を送ってくださって神様の仕事をみなしていらっしゃるのです。
 
・出エジプト記 11章14節に見れば "モーセに先立ち" とされています。ダニエルが獅子の穴に入っていったのに、神様がまず主の天使を送ってくださって、獅子の口をふさいだと聖書に書かれています。これは絶対に未信者は理解できない話です。全部、霊的な話です。結論を結びます。霊的な部分を理解できなくては、大韓民国と世界に起きる精神病者を誰が防げるでしょうか。今、深刻化しています。これから、信仰生活をよくできなければ大変なことになります。私が今回、米国に行って話しました。福音がなくアメリカに住めば、大変なことになります。どんな国でしょうか?世界最高の国です。すこし日本人にはすみません。私が日本で確認してみた結果、ほとんど一戸に一名以上、精神異常者がいます。不思議なことです。なぜそうなのでしょうか。暮らしが良い国で、韓国よりはるかに進歩しました。私が見るには何十年、進歩したのです。すでに技術を見れば、私たちよりはるかによいのです。私達が十年、二十年かけて、やっとついて行くことができるくらいに進歩しました。ところが、なぜこのように精神病者が多いのでしょうか。霊的なことを知らないからです。米国に、なぜこのように学生達の中で麻薬を多くするのでしょうか。学生達の中で、勉強していて、小学生が暴動を起こして、なぜそのように多いのでしょうか。霊的な問題を知らないからです。皆様がこの部分を必ず理解しなければなりません。どんなに私達が多くのことを持っているとしても、こういう部分が解決できなければ、私たちは幸福に生きることができません。それで神様がキリストを送られたのです。
 
・今日、皆様が三つの祭りを常に記憶して、忘れてしまわないように願います。なぜ独立の日を守るのでしょうか。忘れてしまうなと守るのです。三つの祭りを守れとのことは、忘れてしまうなということです。肉体的なことにしばしば縛られず、忘れてしまわないように。霊的なことを悟りましょう。皆様は、まちがいなく神様の子どもです。それでどのように神様の子どもになったのでしょうか。血の契約で神様の子どもになりました。分かるでしょうか。血の契約とは何でしょうか。皆様の努力、皆様のお金、皆様の知識では救われることができません。それで、神様が救いの門を開けてくださいました。血の契約。絶対にサタンの力、暗闇の力に勝つことができないために、血の契約、それが過ぎ越しの祭りです。これを必ず記憶しなければなりません。それで十字架によって私達が救われました。それで、イエス様が十字架ですべての罪を赦されたということを言うのです。どれくらい重要な話か分かりません。
 
・ある僧侶が通りすがりに、あなたの家に問題が生まれたと言いました。この人がなにかを見た人のようでした。あなたの家に問題が生まれたと言うので、どうすれば良いのですかとたずねました。この人がどれくらい正確に言うか、あなたの長男が死んだだろうと言いました。この人がとても驚いたのです。本当に長男がベランダから落ちて死んだのでした。次男にも問題が来ると言いました。僧侶が通りすがりにそのように話したのです。僧侶が行きながら、寺に来てみなさいと言ったそうです。この人がどれくらい不安になったでしょうか。おりしも私たちの教会の執事がタラッパンの聖書勉強する所に、この人がついてきたのでした。私が約束しました。万一そのようなことが生じるならば、私が全てのものの責任を負うと言いました。実際に責任を負う訳には行かないのですが、自信があったので、そのように話したのです。イエスを信じる信仰で、あなたの運命が変わるはずだと言いました。この話をどのようにわかるでしょうか。
 
・過ぎ越しの祭り。 "この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。" 絶対に変えることができません。イエスを信じる瞬間、解決します。これが過ぎ越しの祭りです。羊の血を塗った家は滅びないで過ぎ越されたということです。ものすごく重要な話です。今日、収穫感謝祭ですが、これは感謝程度ではありません。この祭りを何の話なのか忘れてはならないのです。今日、皆様は一生、信仰生活に答を出す日になることを願って、実際に皆様の問題が解決する日になることを願います。どれくらい重要か分かりません。
 
・米国へ行ったところ、ものすごくたくさん学んだ人で、地位がものすごく高い人でしたが、この人が何にはまってしまったかというと、アルコール中毒に陥ってしまったのです。昼には仕事をしなければならなくて、夜には飲まないではいられないので、どれくらい大変でしょうか。それもとても高い位置にある人がそのようになったのです。この人は、夜には夜通し飲んで、朝に仕事をしにいくのでした。これが霊的な問題です。こういう部分が、あまりに多いのです。私は伝道しながら、こういう部分をとてもたくさん見ました。皆様が簡単に、正確に理解しなければなりません。イエスを信じる信仰によって、神様の子どもになるということは、すべての運命からの解放です。イエスを信じるので神様の子どもになるということは、あらゆる呪いからの解放ということです。終わったのです。より重要なことは、すべてのサタン、悪霊の力から解放されたということです。
 
・今年より激しく、占いがどんどん起きて、より激しくなるはずです。ここに医者がおられますが、参考にしなければなりません。これから、ものすごく病気も起きるはずです。見てください。ここにまた警察、法律関係者がおられますが、参考にしなければなりません。これから、ものすごくたくさん起きるはずです。今、李舜臣将軍の墓に杭を打込んだということです。全部、易、シャーマニズム人がしたことです。みな表れました。これから、こういうことが深刻化するはずです。福音なしでは、だめになります。正確な福音でなければ、だめになります。神様がなぜイエス・キリストを送ってくださったのでしょうか。救われることができないためです。神様がなぜイエス・キリストを送って、十字架にかけてくださったのでしょうか。私たちは私たちの霊的問題を解決出来ないためです。人間は、解決出来ません。創世記 3章の事件、アダム以後に絶対的に人間は運命に陥ったのです。そこから抜け出せとのことです。過ぎ越しの祭り。
 
・この救いを受けた人は、信仰を持って行く所ごとに聖霊充満のみわざが起きるようになるはずです。五旬節です。皆様、聖霊充満してくださいと少しだけ祈れば、神様が驚くべきみわざを成し遂げるようになります。会社にクリスチャン一名だけいるならば、会社が生かされ、クリスチャン一名だけいるならば、国が生かされるようになるはずです。皆様、この契約を捕まえてくださるように願います。
 
・刈り入れの祭り、収穫感謝祭は、何でしょうか?神様の国です。皆様が行く所ごとに、皆様の家に神様の国が臨むようになることを願います。皆様が行く所ごとに、暗闇の力は崩れて、神様の国が臨むということです。どれくらい大きい祝福でしょうか。本当に悟ってくださることを願って、私はこの契約を捕まえて、伝道し始めたのに、神様は多くの実をくださいました。
 
・今回ニュージャージーに行ってきたのですが、ニュージャージーにも、多くの実がおきています。この前、フィリピンに行った時見たら、もっと多くの実が起きています。神様がずっと門を開けてくださっています。それで、教会を自慢しようとするのではありません。今朝に私たちの長老にそのように申し上げました。インマヌエル教会は、単に始まった教会ではありません。長老とあなたがたが、代表的な神様の祝福を受けるのです。私は確信します。この福音がどうなのかを私はよく知っています。福音を持った者、神様の子どもは絶対に滅びません。どれくらい重要か分かりません。この福音一つで。パウロはあまりに感謝して、賛美しますと言いました。パウロは口さえ開ければ感謝しました。今日、礼拝に参席したすべての方達に、三つの祭り、特に収穫感謝祭の祝福があることを主イエス・キリストのお名前でお祈りします。
 
(祈り)
 神様に感謝申し上げます。 忘れてしまわないようにさせてください。私達がこういうこと、ああいうこともしなければならないけれど、人間の最も根本である神様の子どもになるようにさせてくださり、霊的なことを悟るようにさせてくださり、それで、あらゆる暗闇から解放される神様の子どもになるようにさせてください。行く所ごとに五旬節の祝福、聖霊充満のみわざが起きるようにさせてください。行く所ごとに刈りいれ感謝祭の祝福、神様の国が臨むようにさせてください。それで、真に神様の恵みを受ける貴重な日になることをお祈りします。今日、みことばを受けるあらゆる方達に、神様のみことばが聞こえるようにさせてくださって、今日、みことばを受けた神様の民すべてに、神様の祝福を受ける日になるようにさせてください。聖霊充満のみわざが起きるようにしてください。この方達の背後に働く暗闇と不信仰とあらゆる呪いの勢力が崩れる働きが起きるようにしてください。
 私たちの主イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン  
(The end)
 
 


2部/ 人生が避ける最も良い避け所
(詩16:1-11)
 
・神様は、律法を先にくださったのではなくて、福音を先にくださいました。創世記 3章に罪を犯した時、すぐに創世記 3章 15節で女の子孫という福音をまずくださいました。今日は、収穫感謝祭ですが、1部でお話ししたとおり、三つの祭りがまさに福音です。皆様がこの部分をよく理解すれば、救いの充分の秘密を理解することができます。羊の血を塗った日に出てきました。これが答です。これが過ぎ越しの祭りです。どんなにしても、人間は救われることができないゆえに、神様はキリストの十字架のあがないの血で人間のすべての罪を赦してくださったのです。すべての暗闇の勢力を打ち破ってくださいました。血の契約は、まさに救いです。それで、過ぎ越しの祭りです。ものすごく重要です。
 
・救われた人には、必ずあたえられる祝福があります。エジプトから導き出された神様は、イスラエル民族に生きることができるように力を与えられたのです。それが五旬節です。五旬節ですが、それがまさに五旬節の日に聖霊が臨んだということは、救われた者が、その次に味わう祝福が聖霊充満です。聖霊充満をくださいと5分だけ祈れば、外に行って50時間仕事をしたことよりも良いのです。それほど重要です。心から礼拝する時、聖霊充満してくださいと祈れば、あなたがたは証しするしかないことが起こるはずです。これが、信者が受ける2番目の祝福です。
 
・その次に、祝福がそれで終わるのではなくて、永遠な祝福が刈りいれ感謝祭です。穀物をおさめて倉庫に入れたかのように、神様は私たちを天国に導いて行かれるはずで、神様の国の秘密を持って生きるのです。この三つの祭りはものすごく重要なのです。
 
・問題は、こういう契約を持っているのに、ずっと困難がやってくるということです。それが問題です。皆様に困難が来たり、あるいは失敗したり、あるいは病気になったり、このような場合があります。いまはそのようでなくても、生きていっているうちに困難がやってきます。そういう場合があるのです。そのような時、人々はたくさん揺れたり、また信仰生活を良くしている途中で病気になれば、心がすこし弱くなったりします。
 
・あなたがたが病気になっていないので、分からないでしょうが、癌にかかった人々の目を見れば違います。皆様の目と違うのです。あなたがたの目は、ちょっと劣っていても、余裕がある目ですが、癌にかかった人々 の目を見れば、どんなに顔だちがよい人々も余裕がありません。それですでに違うのです。不安なのです。ここで、人というものは、困難が来れば、そのようになるしかないのです。
 
・どんなに服をすっきりと着ても、経済に問題がきた人は表に現れます。そして、どんなに古い服を着ていても、経済が豊かな人はまた表に現れるのです。人は、違うように現れます。困難が来たら、変わります。どんなに立派な人も、そのようになります。困難がきた時、苦しくて友人に会って話をしたり、また困難になれば、未信者は占いに行ったりします。
 
・ある日、新聞を見たら、女の人が 2名座っていたのですが、海外新聞のトピックスに出ていました。 53 kgの女の人が一名座っていました。ところが、そのそばには150 kgになる女の人が一名座っていたのです。150 kgなる女の人は、完全に荷物みたいでした。ところが、それが同じ人です。同じ人なのに、この人が正確には知りませんが、何年か前は53 kgであったのに、何年か後にそのように太ったということです。この女の人が 150 kgになりました。それで、なぜそのようになったのかと尋ねたら、あまりに悩んで、ストレスを受けて、ずっと食べたらそのようになったと言っていました。どれくらい食べたのか150 kgになりました。それは私の話ではなくて、実際に新聞に出ていました。それでそれを見ながら 'は! どれくらい食べたら、150 kgまで太ったのだろうか?'と考えました。荷物のように座っていました。ですから、ある人は困難にあえば、たくさん食べる人がいるということでしょう。
 
・重要なことは、困難にあえば、より一層未信者のようになる人があって、困難にあうほど信者のようになる人々がいます。これが大きい差です。困難が来れば、未信者のようになる人は、ここで大きい損を受けます。ところが、困難が来れば来るほど、信仰人になる人がいますが、ここで相当な差ができるのです。あなたがたは、既に完全な救いを受けたのにもかかわらず、私達が生きていくのに困難がきます。皆様が完全な救いを受けたのにもかかわらず、私たちは失敗することもあります。このような時に、ものすごく重要なのですが、見たらほとんどすべてが未信者のようになる人です。
 
・ロトが、そのようにしました。叔父と困難が起きたから、叔父に対する礼儀もなく、叔父に対しての財産争いをする家庭に相当な事が行われたのです。それで、叔父のアブラハムが選べと言ったので、ソドムとゴモラを選びました。そうしながら、ロトは相当な困難にあったのでした。
 
・あなたがたが知っているでしょうが、エサウという人は、弟が自分の祝福を横取りしたことを知って、刀を持って弟を殺そうとつかまえに行きました。そして、20年間待っていたという事実があります。ですから、困難がくれば、完全に未信者のようになってしまう人々があって、困難にあうほど信者のようになる人がいるのです。
 
・ヨセフは、普段の時に祈りを多くしたのですが、監獄でも、あるいは奴隷でありながら、より一層、信仰の人になりました。これが重要です。
 
 あなたがたが知っているでしょうが、ヨブのような人が、そのようにしました。財産が突然にみななくなってしまったのです。事故がおきて、子ども達がみな死んでしまいました。どれくらい衝撃を受けたでしょいうか? その時、ヨブが言った言葉です。 "私は、この地に来る時、何にもなく裸で来た。そして、私がこの地を離れる時にも、何にもなく裸で行く。息子を連れて行くこともなくて、お金を持って行くこともない。それで、神様はくださる事もでき、持って行かれることもある。だから、すべての栄光を神様にささげる"と言いました。ヨブの信仰です。ヨブ記 1章 19節から23節に出てきます。ヨブが病気になったから、人々が慰めようと来たのですが、慰めになりませんでした。
 
・皆様、実際に病気の人が横になっているのに、健康な人が慰めるからといって、慰めにになるでしょうか? ある人が、こう話すではないでしょうか? 病院でとても深刻な病気になったので、注射も恐れた人が、手術しようと入っていく人がうらやましいと言うでしょう? うらやましく見えたということです。なぜでしょうか? 可能性があるからということです。自分自身は可能性がないことを知っていたのです。だから、手術しようと手術室に入っていく人が、その程度でもうらやましかったということです。人は、病気になれば、そのようになります。
 
・ですから、ヨブが病気になったのに、気落ちするしかないでしょう。財産がみななくなって、それだけでも難しいのに、息子がみな死にました。それだけでも難しいのに、自分自身が病気になったのです。ですから、はなはだしきは、友人もばかにして、ひどいことには、奥さんまでも、あなたが何かの罪をたくさん犯したのではないかと言いながら、悔い改めなさいと言う程でした。その時、ヨブが言った言葉です。 "私は知っている。私を贖う方は生きておられ、後の日に、ちりの上に立たれることを。私の皮が、このようにはぎとられて後、私は、私の肉から神を見る。この方を私は自分自身で見る。私の目がこれを見る。"と言いました。ヨブの信仰です。後ほどは全部みな離れたのでした。ヨブが失敗したから、そのようになったのです。その時、ヨブが言った言葉です。 "神は、私の行く道を知っておられる。神は私を調べられる。私は金のように、出て来る。神は、私について定めたことを、成し遂げられるからだ。このような多くの定めが神のうちにある。" それがヨブ記 23章 10節です。ヨブの信仰です。神様が暗闇の権勢をヨブの周囲で完全に崩れるようにして、ヨブに神様が大きい祝福を下さいました。もちろん、背景の説明をしようとするなら複雑です。困難にあえば会うほど、未信者のようになる人があって、困難にあえば会うほど、信仰の人になる人がいます。これがものすごく重要です。
 
・ダビデを見ましょう。その死の中での話です。ダビデは、信仰をより一層強固に守ったのです。神様がダビデに大きい祝福を下さいました。
 
・今日、どのように皆様に困難が来たら、解決するのでしょうか? このような部分が、ものすごく重要です。私たちは3つのことで考えるべきです。今日、ダビデの祈りを見ながら、3つのことを考えねばならないのですが、第一には困難がきた時、私たちはたくさん尋ねます。これが神様のみこころでしょうか?サタンがすることでしょうか?このように私たちは考えます。これがいったい神様のみこころなのでしょうか?これは、悪魔の戦略でしょうか?このように私たちは尋ねることもあります。家で事故がおきました。これは、悪魔がすることなのでしょうか?神様の計画でしょうか?紛らわしいのです。皆様に困難がなければ良いのですが、さて困難が来たら、深刻な質問になって、深刻な答になるのです。私達が普段の時にはかまわないのですが、いったん困難が来れば、皆様に事故が起きたとすれば、このような時には、これがサタンがすることでしょうか?神様の計画でしょうか?このように混乱することもあります。混乱を感じる必要はありません。
 
・2つです。神様は、どんな問題でもご自身の計画を成し遂げられ、あなたがたに問題が起きる時ごとに、神様の子どもということを知って、サタンはいつもあなたがたをだまそうとします。2つですべてです。ですから、それをあまり恐れる必要がなくて、あまり過度に考える必要もありません。すべての困難、すべての良いこと。皆様の全てのものを持って、神様はまちがいなく計画を成し遂げられます。しかし、皆様が救われたことを知っているために、皆様を滅ぼすことができなくて、自分自身の手の中に入れることはありえないとサタンは知っているために、いつも付いて回りながら、主が再臨して来られる時までだますのです。ですから、その二つは違うことがありません。この時に、未信者の方法を使えば、サタンの罠に捕えられてしまうのです。
 
・ダビデは、上手にやったのです。ダビデに困難がきた時、今日、祈る内容を見ましょう。皆様がこの部分を必ず記憶しなければなりません。もし、ダビデがこの時に不信仰な方法を使ったとすれば、サタンの罠に永遠に引っ掛かるはずですが、ダビデは信仰を選択したのです。サウルは、完全に暗闇に陥ってしまいました。聖書に見れば、サウル王が死ぬ場面を見れば、完全に暗闇の罠に捕えられてしまいました。サウル王が不信仰を選択して、困難がきた時、そのようになるのです。
 
・また、聖書を見れば、ヒゼキヤ王を知っているはずです。立派な王です。王になるやいなや、すべての偶像をなくして、王になるやいなや、宣布したことがあります。「いままで、私の父の王はアッシリヤに税金を捧げたが、私たちは捧げる理由がない。なぜ私達がアッシリヤに税金を出すのか? 私たちは神様の国だ」と言ったのです。ヒゼキヤ王が、そのように行いました。だから、世界最高の強国アッシリヤ軍隊の185,000人が攻めてきました。皆様、その場面を知っているでしょう? この時、ヒゼキヤ王がどれくらい祈りをしたでしょうか? 祈りで完全に勝った場面が出てきます。また、ヒゼキヤ王が病気になりました。その時、祈って病気が良くなったこともあります。こういうヒゼキヤ王が、大きい失敗をしたのです。外国から使節団がきて祝賀をしたのに "どのように国がこのように豊かで強くなりましたか? この前、アッシリヤ軍隊には、どのように勝ちましたか?" と話して、 "あなたは病気に良くなったということですが、どのように良くなったのですか?" このように尋ねた時、どれくらい良い機会でしょうか? "神様がこのようにされた" 本当に福音を伝える機会なのに、錯覚をしたのでした。この時、ヒゼキヤ王が大きい失敗をしたのですが、それは、すべての外国使節団を連れて行って、先ず一番に見せたのが、武器だったのです。 "これが我が国の武器です"と自慢したのでした。そして、連れて行って、宝石を全部見せてあげたのです。 "これが我が国の宝石です"と言ったのです。こういうことをみな自慢したのでした。ありうることですが、ヒゼキヤ王が失敗をしたのでした。その時に、バビロン使節団の中の一名がそれを見て欲が生じたのでした。‘これを私達が持って行くべきだ' このような心を抱くようになったのです。それが後日にバビロンが攻めてきて、神殿にあった聖杯までみな持って行くようになる、そういう原因になってしまいました。歴史に見れば、そのようになっています。私たちはそれほど、不信仰の罠にかかるということを知っていなければなりません。しかし、神様の計画を悟って、恵みを受ければ、永遠な祝福になります。
 
・私が15年間、私たちの教会で伝道をする間、大きく2度くらい困難に会いました。15年前に伝道を始めようとした時、困難に会いました。皆様がご存知でしょう? とても大きい困難に会ったのですが、その時にも、二種類の人が出てきました。とても信仰の人が出てきて、不信仰の人が出てきたのです。そのような状況の中に陥りました。ところが、神様は、15年間、私たちの教会に伝道できる相当な祝福をたくさんくださいました。あまりにも多くの実を下さったのです。
 
・そのような中に、困難がきたのですが、どんな困難がきたかというと、私たちの教会の周囲で、私たちの教会にどんどん信徒が行くから、問題が発生したのです。その時の内容を説明してみろとすれば、話ですることはできません。本当に不思議なことがありました。その時、私が考えたのは‘こういうことがあるのか?'事が不思議に起きるのです。ですから、こういうことを講壇で、他の所で説明をするのが難しい程です。その時、私が万が一下手すると、崩れるかもしれませんでした。完全にある方向に嘘を作るのに‘いや、人々がこういうことがあるのか?' というようになる程でした。この問題がそのままあるのではなくて、誰かがさせたかの様に、全国、世界へ広がって行くのです。私が集会に行く所ごとに行くのでした。ここ釜山で起きた問題のうわさが行くのでした。本当に異常でしょう? ところが、全国の行く所ごとに深刻な程度に牧師たちが、集まるのです。ですから、ヨイド教会は信者が行きました。ところが、私たちの教会は牧師たちが来たのです。このように伝道運動をして行く所ごとに、みわざが起きるから、簡単に話せば圧迫され始めたのです。圧迫されるのに、不思議な事が行われたのです。この頃、私たちの新聞にずっと出ていることがそれではないでしょうか? どうして、このように本当に絶妙なことがあるのか? ところが、万が一よくできなければ、崩れるのです。その時、私が 'あ! これは神様の計画だ。そうでなければ、こういうことがあるだろうか?' だから、あなたがたは祈りをしなければなりません。
 
・大邱であるイ牧師がタラッパンの調査委員長になりました。この人が調査委員長になって調査をしてみたら、自分の信仰良心に全く問題がなかったのです。みな聞いてみて、そのようにしたのです。ところが、より重要なことは、釜山に重要な人に尋ねてみたのです。"タラッパンが何の問題なのか?私が委員長になったのに" これは、聖霊が働きをなさったのです。釜山にいる重要な人々が、電話で問題ないと話をしてくれたのでした。政治的に問題がきたので、問題がないと言ってくれたのでした。ですから、そのように話を聞いて見たら、もっと問題がないのでした。それで、この方が問題がないということを発表したのでした。
 
・これが戦いになったのです。ですから、反対派が "もしかしたら、東三第一教会から金を受け取ったのではないか?" このようになったのでした。このようにして戦いになったのですが、その戦いをなぜするのでしょうか? 自分たちの間で戦いになったのでした。それで、すごくけんかをしたのでした。私たちは、じっとしているのに。本当に不思議でしょう? 自分たちの間で戦ったのです。教会にも、政治というものがあります。政治家達の間で戦ったのでした。ところが、この方がじっとしていれば良いのに、耐えることができなくて、告発をしたのでした。総会に告発したのでした。 "私が金を受け取ったと?"ということでした。反対派が私たちの教会から金を受け取ったと言ったのでした。お金数十億を受けて、あの人が嘘を言ったということでした。話にもならない話をしたのでした。ですから、この方はあまりに腹が立ったから、法に告発をしたのでした。告発しながら、単にしたのではなくて "私がこれゆえに教会からも追い出されて、家も滅びて、みな滅びた"ということでした。それで10億の慰謝料を請求するとなったのでした。このようにして、自分たちの間で戦いになったのでした。その告訴状を持って総会に出てきて "タラッパンを異端にしないと、私たちは10億を出さなければならない" このようになったのでした。どのように、このように事が回るのでしょうか? 正式にこのとおりのことです。撮影しておいたのもあるではないでしょうか? 総会で "私達が、タラッパンを異端にしてこそ、法で勝てるのだ" これで、動議、提案してタラッパンを異端にしてしまったのでした。
 
・私はそれを見ながら、人はよくできなければ崩れます。‘は! 人々が本当にこういうことがあるのか?' こういう気がしました。その時、私が静かに祈りながら見ていたら、‘これが神様の計画だ。神様が、時代、時代ごとに伝道しろと圧迫をされたではないか? 神様が一回ももれなく、時代時代ごとに、福音を伝えなさいと伝道者に圧力を加えたではないか? もしヨハン・ウエスレイやムーディーのような人に圧力を加えなかったなら、その人々が伝道現場に行っただろうか? 神様が伝道現場へ行けと、私たち教会に圧力を加えるのではないか?' 私はそのように悟ったのでした。それとともに、契約をとらえて祈ったのですが、いまは私たち韓国で、世界的に復興する数が一番の順位です。ものすごく早く成長をしています。これから、5年、10年過ぎれば、相当な実が出てくるはずです。正しく福音を伝える教会ならば、神様は福音の実をくださるはずです。
 
・あなたがたが、困難にあう時に先ず一番悟るべきことは何でしょうか?神様の計画です。これを発見すべきです。もし信仰生活をしていて病気になれば、信仰生活していて困難がきたり、ひょっとして信仰生活していて失敗しても、揺れないで、神様の計画をよく捜し出すべきです。
 
・この計画をとらえて、ダビデが祈ったでしょう。詩篇16篇に "神よ。私をお守りください。私は、あなたに身を避けます。私は、主に申し上げました。「あなたこそ、私の主。私の幸いは、あなたのほかにはありません。」" ダビデがすべての困難を主に避けます。それとともに、ものすごく重要な話を多くしました。6節に "測り綱は、私の好む所に落ちた。まことに、私への、すばらしいゆずりの地だ。私は助言を下さった主をほめたたえる。まことに、夜になると、私の心が私に教える。" ダビデが祈った内容です。深い祈りをしました。 "私はいつも、私の前に主を置いた。主が私の右におられるので、私はゆるぐことがない。"簡単な祈りです。ダビデがどんな祈りをしたでしょうか? 夜になると、私の心が、私の前に主を置いた。私は、主の前に立った。簡単な祈りです。
 
・私は高神大学に通いながら習った単語がひとつあります。それが "コランデオ"(神の御前で)です。私が高神大学で胸深く習った単語です。"コランデオ”という、学校で習った単語で、私が総神大学に行って習った単語は "テオロギア"です。 "テオロギア”とは、神様のみことばです。本当に重要なものです。それで、教団、教授がどうなのか、神様の前で。神様がものすごく難しい重要なことをそのまま出しても良いことが神様の前です。神様の前で、皆様の苦しい気分をそのままみな出しても良いのが、神様の前です。どれくらい重要でしょうか? ダビデが、この深い祈りをしました。今日、皆様に重要な答えが下される日になることを希望します。
 
・どんなに皆様にある重大な困難といっても、皆様が心から神様の前に出すならば、神様はなさることができます。それが祈りです。どの友人の前にみな話すことができるのでしょうか? 家族の前にみな出来ません。 私達は、神様の前にみなできるのです。これは、いかに驚くべきことでしょうか? 祈りの答えが確かになるならば、これより驚くべき事はありません。祈りが本当に答えられれば、私が神様の前で私の心で何んでも祈れば、答えられれば、それより驚くべきことはありません。
 
・私は、祈る時ごとに一番重要な祈りがあります。本当に神様の前にゆだねます。私たちの最も重要なこと、私の最も重要なことを神様にゆだねるのです。私は回りながら伝道運動しているので、私たちの教会にたくさんいることができないので、神様に私たちの教会と聖徒達をゆだねます。私が私の子どもとたくさん話ができません。私の子どもを全能なる神様の手にゆだねます。祈りが流暢にできなくてもかまいません。ある方は、祈りを流暢にするのですが、そのようにできなくてもかまいません。
 
・7節を見れば "私は助言を下さった主をほめたたえる。まことに、夜になると、私の心が私に教える。私はいつも、私の前に主を置いた。主が私の右におられるので、私はゆるぐことがない。" 7、8節がとても重要な答えになります。 "私はいつも、私の前に主を置いた。主が私の右におられるので、私はゆるぐことがない。" 皆様がものすごく重要な祈りを流暢に話さなくても良いのです。ものすごく重要な祈りをとても美しくしなくても良いのです。神様の前に、神様はその祈りをお聞きになります。ダビデがその祈りをしたということです。
 
・既に神様の計画を悟って、神様の前で、実際には私たちは家族にも、実際には私たちは先輩にも、実際には私たちは友人にもみな話すことができないことが多くあります。実際には、私たちは父母にも言うことができない言葉が多いのです。実際には、私たち夫婦でもできない言葉が多くあります。神様には、どんな言葉でも、私の心が私に教えるということは、最も真実な表現です。心が私に教える。私の前に神様を置いた。ダビデの祈りです。今日、短い時間ですが、重要な大きい答えを受ける祝福があることを望みます。主に避けると言いましたが、どのように避けるのでしょうか?
 
・三番目のことを見なければなりません。あなたがたが問題を解決する重要な答の三番目が何でしょうか?主に避けるということは、なんの話でしょうか?完全に福音で解決すればよいのです。皆様が、完全に福音に入っていけば、解決し始めます。とても簡単です。皆様の問題をどのように解決できるのでしょうか? いいかげんにせずに、完全に福音で、キリストが十字架で皆様のすべての問題を解決されたゆえに、サタンの勢力を打ち破って暗闇の勢力をみな打ち破ったゆえに、完全に福音で主の前に、主に避けるのです。記憶するように望みます。もし、困難にあっているあなたがたは、契約を捕まえるように望みます。
 
・最初ダビデが神様の重要な計画を発見しました。ダビデがこれを置いて心で神様の前で祈ったのです。これが2番目です。三番目は何でしょうか?完全に福音に入っていきましょう。主に避けるということは、今で話せば、福音に完全に入っていけば、皆様の問題がみな解決しています。救われた皆様に、今日、簡単な日でない相当な祝福の日になることを主の名前で祝福します。
 
・それで、早くいくつかのことが回復される日になることを希望します。今回の治癒の働きでも、みことばを差し上げて、核心でもみことばを差し上げたのですが、いくつかのことは、早く回復するように願います。今、私達が家庭、教会、社会、私達が今している経済を早く回復すべきです。それで、こういう部分でも今日、そのまま本当に回復される日になることを希望します。
 
・家庭をどのように回復するのでしょうか? 簡単です。自分の夫が自分のものだと考えるからです。妻が自分のものと考えるから問題になります。子どもが私のものだと考えるので問題になるのです。神様のものです。簡単に解決します。夫は、自分のものではなく神様の息子です。妻は、自分のものではなく神様の娘です。自分の子どもが自分のものではないということです。神様の子どもです。簡単に解決します。皆様に大きい祝福があることを望みます。家庭の回復です。
 
・あなたがたが、社会に行くのに、私たちの青年達が未信者と交流しなければ疎外されます。社会は全部交流しながら成ることなので、すると未信者に妥協しようとするので、罪の意識が生じるのです。これがクリスチャンということです。私はどんなに見ても、クリスチャンは、神様の祝福を受ける秘密がなければなりません。それが聖霊充満です。クリスチャンがまず神様の祝福を受けねばならなくて、行って受けることができる秘密があるべきです。それが社会の回復です。
 
・今日、検事が私たちの教会に登録をしたので、挨拶しようと事務室に来ました。「あなたは、重要です。なぜかというと、あなたも重要だけれど、法律関係が重要なのです。重要な方達が集まっているので、神様の祝福を受けてください。神様の祝福を受けるほど重要なのです」と言いました。
 
・昨日、将軍に少しの間会いました。軍隊は、最も良い機会です。軍隊に来る青年達は、来たくて来るのでしょうか? ほとんどみな困難の中にいます。その時、福音を伝えることができる最も良い機会です。忠誠、団結も教えねばならないけれど、福音を教えるべきです。実のところ、軍牧を見て話さねばならないけれど、将軍たちに話しました。その方が福音がある人であるためです。今日、本当に回復する日になることを願います。私達が社会で生きる道がありません。入っていって彼らを神様の力で変化させることができる力があるべきです。それが聖霊充満です。私達が行く前に、神様の祝福を受けねばなりません。他の道がありません。
 
・どのように、私達が今、教会を回復できるでしょうか。教会は簡単です。すべての説教者は、神様のみことばを伝える確信がなければならなくて、すべての信者は、神様の御声を聞く時刻表にならなければなりません。それが礼拝です。それでみな左右されます。あなたがたが、どんなに足りなくて、私がどんなに足りなくても、神様のみことばが伝えられ、皆様が神様のみことばを聞くならば、みわざが起きるようになります。それが教会の回復です。
 
・経済の回復をしなければなりません。必ず、今回の治癒使命者者大会でもみことばを差し上げて、事業する方達に会えば必ず話します。経済回復をしようとするなら、まず3つのことに、専門性を持たなければなりません。その分野に個人が専門性を持たなければならないのです。その次に、単に専門性を持つのではありません。そこに対する体質と、人柄に専門性を持たなければならないのです。その次に何でしょうか?機能に専門性を持たなければなりません。そうしてこそ、お金がもうかります。あなたがたが必ず記憶しなければなりません。小さい商売や事業をしても、単に走り込んではなりません。そこにすでに私が入っていなければなりません。ある方は、小さい店をするのに、その人がその店に対する本を10年前から読んだということです。だから、自分自身をまず専門化させなければなりません。この人は、できるしかありません。そして、私たちは私たちに一度会った人が、本当に良い人だと認めるようにしなければなりません。だから、人格を専門化させなければならないのです。その次には何をしても、品物を買いに来る人は品物を買うことを願うために、機能の専門性がなければなりません。皆様に仕事をさせる人は、皆様が仕事をすることを願うために、機能の専門性がなければならないのです。その後に残り2つです。福音の専門性と弟子を育てる専門性です。そうしてこそ、世界を征服するのです。回復しなければなりません。
 
・今日、皆様がどんな問題があっても、神様はなさることができます。あなたがたの中に難しい事をさせられる方は、いろいろな話を聞けば混乱します。ヒゼキヤ王が、アッシリヤ軍185,000が攻めてきたら、混乱しました。それで、行ってとにかく祈ったのです。はじめには、助けてくださいと祈りました。そのまま置いておくでしょうか。後ほどはエジプトに援軍を求めました。後ほどは、ヒゼキヤ王がどのようにしたかというと、金、銀をすべて集めて、神殿の壁についた金をはがして、アッシリヤ王に持って行ったのです。十八万五千人が攻めてきたから、そんなにしたのに、それでも解決しませんでした。ヒゼキヤ王がいのちをかけました。私が今夜に祈って途中で死ぬことを覚悟して、イスラエルのために祈ると言いました。夜通し祈ったら、驚くべき事が行われたのです。朝に起きたら、アッシリヤ軍185,000人がみな死んだのでした。そのようなことが歴史にありました。もちろん、そのいのちは、神様が呼んで行かれました。問題は一名ずつ呼んで行かれたのではなく、一度に185,000人を呼んで行かれたので、アッシリヤがそれで崩れたのです。
 
・いろいろな声を聞かず、皆様が困難にあう時、神様の計画が何かを捕まえましょう。皆様が困難を受ける時、心より真に神様の前で祈って、皆様が困難に会う時、完全に福音の内に入っていってしまえば、その困難の中に完全な福音を入れれば、解決するはずです。それで、皆回復します。私たちは基本的に4つのことを回復すれば殆どできるのです。経済、社会、教会、家庭。この4つを回復すれば、みなできます。経済の回復がだめだからむずかしいのです。経済の回復は何でしょうか?さっき話したのです。皆様、社会生活で崩れるからだめなのです。私たちは、もっと重要なのは、家庭で崩れるからだめなのです。もっと重要なことは、礼拝で崩れるのでだめなのです。みな回復しなければなりません。神様は、あなたがたを救おうと、過ぎ越しの祭りというものすごい事を行われ、忘れてしまわないように麦収穫祭と、収穫感謝祭を下さって、神様は私たちに驚くべき祝福を下さったのです。今日、単なる日ではなくて、皆様個人にものすごく祝福の日になることを願います。このメッセージを聞くすべての方達に、神様の祝福が臨む日になることを願います。あなたがたを新しく回復する貴重な日になることを主イエスの名前でお祈りします。
 
(祈り)
 神様に感謝申し上げます。今日、回復の日になるようにしてください。収穫感謝祭を迎えました。単に過ぎ行く日ではなく、回復の日になるようにしてくださり、私達が生きていく中に、病気の中にある方がおられるならば、揺れずに神様の前に完全に立つ、福音の内に完全に入っていく機会になるようにしてください。神様のより大きいみこころを発見する機会になるようにしてください。もし困難に会う方があれば、人に頼らず、完全に神様の力を頼って真の証拠を見ることができる霊的な祝福を味わう日になるようにしてください。それで、経済も回復され、社会、職場も回復され、家庭も回復され、教会も回復される神様の祝福が本当にあることをお祈りします。今日、ダビデのように難しい中にサタンの罠にかからなくて、神様の計画の内に入っていくことを私達が捕まえる時間になるようにしてください。ダビデが困難に会った時、心で神様の前に進んだことを、私達が捕まえる祝福の時間になるようにさせてください。それこそ驚くべき神様の恵みを受けるため、問題から完全に避け所なる神様のところに、福音の内に入っていったように、今日、私達がその恵みを受ける日になるようにさせてください。衛星で礼拝する教会と、インターネットでみことばを受けるあらゆる世界の使命者の上に、特に私たちのレムナントの上に、また今日、この礼拝に参加した神様の人々、各国からきて訓練を受けている神様の人々の上に驚くべき神様の恵みがあるようにさせてください。
 私たちの主イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン