(2003年 01月 01日 インマヌエル教会/ 柳光洙 牧師)


送旧迎新@: 私はだれか?- 地域教会
(Iペテロ2:9-11)
 
 
・私はだれか? また、私は何か? どのようにせねばならないのか? ここに対する答がなければなりません。トーレイ博士が伝道しにいく時に、ある家に行ったのですが、女の人が、印象もあまりよくなくて、礼拝をささげるのにも、来なかったのです。それでトーレイ博士が、その方にこう話したということです。"あなたに今日、贈り物をひとつあげて行きます。" "何の贈り物ですか?" "私はだれか?"という質問を一度してみなさいと話したのでした。続いて、一日に1分だけ祈って "私は だれか?" その質問だけしなさいと言いました。1週間、この女の人が、静かに考えてみたのでした。‘私はだれか?'と考えたことがなかったのに、トーレイ博士がその話をしたことによって、静かに‘私はだれか?'という質問をしたら、悲しくなったのです。‘私はだれか? 私は家政婦ではないか?' こういう考えをしたら、涙が出て悲しくなるのでした。その次に、トーレイ博士が通り過ぎた時に、またその家に行って、この女の人に2番目の贈り物を与えたのでした。"贈り物をもう一つあげますが、これは本当に良い贈り物です。" "神様はどなたですか?"と尋ねてみなさいと言ったのでした。
 
・ありえない話のように思えるでしょうが、私がだれか? おもに私達が見る時 "あなたが誰か?その人が誰か?"このように言うでしょうが、"私は誰か?" このようには聞きません。私は誰か?に対して答が出てこないと、神様が分かるすべがありません。その次の質問も困ります。私が誰か?自分でできると考えるから、石仏を作るのです。私がだれか? ここに対する答が出て来なければ、あなたがたは、あらゆる部分に確信がなくなります。それで、2002年を送る最後の時間に、皆様が行く所も多いでしょうが、一番に祝福された現場で、今日、質問をせねばならないのです。"私が誰か?"という質問です。これができなければ、困ります。この確信がなければ、愚かに生きるようになって、救われてもサタンの奴隷のようになります。サタンがいつも、もてあそぶということです。
 
・率直に、私はある日、ここに確信を持つことができたのです。‘私がだれなのだな!' そこに対するこの質問が、どれくらい重要でしょうか? 皆様がどんなにうわべで成功しても、それではありません。私は誰か?皆様が、あることをすれば、うまくいくこともあって、間違うこともあります。しかし、結果はそうではありません。結局は "私は誰か?"で答が出てくるのです。努力を多くするならば、よくなることがあります。また、皆様が失敗をすれば、困難にあうこともあります。しかし、それは過ぎることです。結局は、私は誰か?ここに質問を投げて答えるべきです。これは、私が私にたずねるので、嘘をつくこともできません。他の人が尋ねれば、嘘をつくことができるのに、私に私がたずねるので、絶対に嘘をつくことができないのです。私は誰か?と尋ねたからです。他の人が私に "あなたは誰か?"と尋ねれば "私が誰だ"と違うように話してもかまいません。ところが、私が私に"私が誰か?"と尋ねたゆえに、ものすごく重要な質問になるのです。ここにあなたがたが、答を出さなければなりません。
 
・ある日、私はここに対して確信を持つようになりました。皆様もそのようにせねばならないのです。聖書にそのようになっています。どんな確信を持つようになったかというと、ある日、神様のみことばを読んで聞く中に、ここに対する確信を持ったのです。マタイの福音書 16章 13節から20節に "主は生ける神の御子キリストです" なんの変化もなかったのに、この確信を持つようになったのです。本当に驚くべきことです。何もしたこともないのに、全く私に変化する素地もなくて、変化もなかったのに、ある日、私が確信を持ったのです。‘あ! イエスがキリストだな。生きておられる神様の息子なのだな!' これが恵みの中の恵みであって、キリストが何の話なのか理解できるようになり始めたのでした。私には、先ず一番にぶつかってきたことが‘あ! サタンの勢力を打ち破った方だな!' これが理解できるようになったのです。その後に私に分かったのは、絶対に解決できなくて、抜け出てくることもできず、勝てない罪の問題を解決なさったんだなあ。そして、私たちは救われることができなくて、地獄に行かざるをえないのに、この問題を解決なさったんだなあ。この方がキリストです。それで、Iヨハネ3章 8節。罪の問題を解決したとしてマルコ福音 10章 45節。地獄から救いの道を開けて下さったゆえにヨハネ福音 14章 6節。真の王、預言者、祭司長です。これがみな理解できたのでした。確信を持ったのです。どれくらい神様の驚くべき働きであるか分かりません。何の変化もなかった時です。何にも知らない時なのに、発見できたのでした。 "主は生ける神の御子キリストです" この確信が心にぶつかってきたのですが、これ一つだけ持っても、相当な祝福の門が開き始めたのですが、マタイの福音書 17章 1節から9節が分かり始めました。‘エリヤも消えて、モーセも消えて、キリストだけ残ったんだなあ。神様が億万の罪人、絶対に救われない私のために、神様がキリストを送ってくださったのだな。私はサタンに勝つことができなくて、罪にも勝つことができなくて、地獄にも勝つことができないことをご存知で、神様がキリストを送ってくださって、私たちを救ってくださったんだなあ。その方が、キリストで、生きておられる神様の息子なのだな。' このような時、私がここに対する確信が持てたのです。身分です。‘そうなのだな!'
 
・"受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった" この中に 7つの祝福が出てくるのですが、驚くべき奥義が出てくるのです。この中に身分と権威が出てくるのですが、驚くべき奥義です。それから、ここで解釈がみなできるのです。‘占いやお祓いは必要なくて、恐れる必要もなくて、運命に陥って死ぬ必要もなくて、失敗する必要もないな' ここに対しての確信が持てるようになりました。ところが、どれくらい多くの人々が、ここで揺れていているか分かりません。今日、皆様がもう一度確認しなければなりません。今、信徒が現場に行って、ほとんどすべてがのがしているのです。皆様に、すでにきている祝福なのにです。もっとくやしいことには、普通の信徒は知らずにのがして、今、未信者は聞くことができなくてのがして、今、あなたがたは聞いてものがす場合が多いのです。それでもう一度、1年が過ぎる時に確認しなければなりません。聞くことができなくてのがした人々は、それこそかわいそうな人々ですが、私達が聞いてものがすならば、それは本当にくやしい人になるのです。聞いたのにのがすのです。"主は生ける神の御子キリストです" 主はサタンを破ってくださった方です。絶対にあなたがたが嘘をついているのですが、絶対に罪の問題は解決出来ません。それを解決なさった方です。皆様がどんなに努力して、勉強しても、地獄の力に勝つことはできません。その地獄の力を破られた方です。生きておられる神様の息子です。 "バルヨナ・シモン。あなたは幸いです。このことをあなたに明らかに示したのは人間ではなく、天にいますわたしの父です。" 絶対に滅びることができないという事実です。ここに対して確信を持てるようになったのに、ほとんどすべての信者が、この確信がありません。現場に行ってみたら、ほとんどみんながそうです。ほとんどみんながのがしているのです。まるで乞食があき缶をいつも持って通っていて、ものすごく高い宝くじが当選したのに、その宝くじをあき缶の中にいっしょに入れていて、いっしょに捨てるようなものです。
 
・大邱に一度行って、修養会を行ったのですが、そこでどれくらい私が冬に苦労をしたでしょうか。今のような寒い冬なのですが、不思議にその修養所には、熱いお湯が出ず、冷たい水だけ出てきたのです。ですから、私がどれくらい苦労したのか分かりません。また、私は性格的に話すタイプではありません。冷たければ、そのままずっとがまんして、話をしないタイプです。話せば良いのに "ここには、熱いお湯はないのですか?"と言えば、その人々が分かって持ってくるのですが‘ないならば、ないままでしなければ'と思って、それで、ほとんど山から降りてくる氷のようなもので、うがいをしたのですが、歯がみな痛かったのです。それで、それで顔を洗うのは、どうするのでしょうか? いいかげんにしました。それでも、元々顔がちょっと白いから、だいたいしたのです。入浴は、もってのほかです。そのまま、何日間そのようにしました。それで、最後の日にかばんを出すのに、私にこう話したのですよ。"不便なことはなかったですか?"それで、話さないでいたのですが "みな良かったのですが、熱いお湯が出てこなくて苦労をちょっとしました"と話したのです。 "あそこにあるのが熱いお湯が出てくる蛇口ですが"と言われたのですよ。普通見れば、私の先入観であって、水道の蛇口が普通、一緒にあるでしょう? ひとつは冷たい水、他のひとつは熱いお湯、このように一緒にあります。それが私の先入観です。この人達は、特別にしていたのでした。別に離して置いていたのでした。冷たい水はここから出てきて、熱いお湯は向うから出てくるようにしたということでした。私は、二つとも冷たい水であると思っていたのでした。それで、帰る日までうがいも正しくできなくて、洗顔も正しくできなくて、それでものすごい苦労だけ思い切りしてきたのでした。私たち信仰生活する人々が、下手すると、そのようにするのです。私が見るには、クリスチャンがほとんどみんなのがしています。
 
・2002年度を送りながら、みな捨ててしまうべきです。ほとんどみんながそうです。その上に嘘をつこうとするので、大変なのです。これがものすごく大変なことです。そのような苦労をしても良いでしょうか? 主は生ける神の御子キリストです。皆様が本当にここに確信を持たなければ、どのようになるのでしょうか? ずっとやられてしまうのです。救われて、悪魔にやられるということです。確かに悪魔は生きています。ほえたける獅子のように、食い尽くすべき者を探し回っているとなっています。確かにそうです。サタンが攻撃をするのです。最後の時になったと知って、ほえたける獅子のように探しているとなっています。皆様を探すのですが、どのように探すのでしょうか? この確信が薄い人を探すのです。これは、百発百中、攻撃の対象になるのです。2002年度が過ぎる時に、もう一度確認をすべきです。皆様が本当に、ここに確信があるのでしょうか? 私たちの学生達が、たくさん揺れることもあるはずですが、揺れる必要がありません。"主は生ける神の御子キリストです"という話は、すべての問題を解決なさったということです。ここに信者に完壁な 7つの祝福は、聖書 66巻全体です。こういう祝福を下さったのです。ほとんどみんなが攻撃にあっています。
 
・詐欺によくやられる人がいます。私が見る時は、詐欺を働く人も悪いけれど、詐欺にやられる人も悪いのです。なぜなら、それをよく分らなければならないのに、よく分からないからです。なぜか一度でなく、ずっとやられるのは悪いのです。私達がずっと詐欺にやられることは悪いのです。私達、救われた信者が、悪魔にずっと詐欺にあうことは悪いのです。これを早く解決しなければ、大きいことが起きます。ものすごいものを持っているのに、ほとんどすべてが、現場に行けば忘れてしまうのです。ほとんどすべてが、困難にあえば忘れてしまうのです。人に会えば忘れてしまいます。皆様に問題が来たら、また忘れてしまうのです。ものすごいものを持って、確信を持てば、全部みなできるのに、忘れるのです。教役者の世界に入っていけば、また忘れてしまいます。長老の世界に入っていけば、また忘れてしまいます。教団で、また忘れてしまいます。総会をしたら、完全に忘れてしまうのです。本当に異常です。ですから、毎日、悪魔からやられるのです。 2003年度には、悪魔からやられるのをやめよう!! ある人々は、悪魔の勢力は、既に終わったと話すのですが、とんでもないことばです。権威が終わったのですが、活動は主が再臨なさるその日までしています。皆様が、イエスの契約を捕まえた以上、何の異常も無いけれど、それを捕まえることができなければ、やられるのです。ですから、これがどれくらい恐ろしいのでしょうか? ほとんどみんなが、ここにやられてしまいます。
 
・時々私が見ると、この頃、私は会社にあまり通っていないので分かりませんが、会社で男子職員が女子職員をセクハラ、冗談などで告発されて出てくるのですが、可能なことでしょうか? 男子が精神が異常で、何でそのようにするのか、よく分からないのですが、私が知っていることでは、女の人がするとおりに、男の人がするのです。娘たちがここにたくさんいるのですが、用心すべきです。皆様の行動によって、男の人たちがするのです。なにか特別な所があって、触るのです。隙があるから触るので、皆様が良くすれば、絶対に触りません。触っても効果がないのです。学校に行ってやられるような特別な事件ではなく、ある学生は米国に行って、夜に路地を歩くのに男7人に捕えられたのでした。何をしようと真暗な所に行ったのでしょうか? 常識であって、男でも米国では、裏路地を通りません。女一人で行くのは、私を殺しなさいという意味でしょう。私がこの話をなぜするのでしょうか? どんなに IQが 50 にもならない人でも、IQがちょっと良いのが犬です。皆様の家に育てている犬がIQ 60です。その犬でも、どこにでもおしっこをしません。どこに行ってもおしっこをするのではなく、ぴかぴかに磨いて置いた所にはしないのです。何かおかしな所を探します。何か汚らしい所を探して、それもにおいをかいで、ここにしてもかまわない、こういう判断をした時にするのです。何にでも足をあげません。
 
・サタンが誰でも触るでしょうか? 救われた者をどのように触るのでしょうか? ここに確信がないから触るのです。どれくらいくやしいでしょうか? だから、いつも触ります。絶対にやられなようにしましょう。私は27年間、教会に通っても知らなくてやられました。ある日、知るようになったのです。‘主は生ける神の御子キリストです' すべて譲歩してもかまいません。主は生ける神の御子キリストです。死んでもかまいません。主は生ける神の御子キリストです。あなたはペテロです。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。わたしは、あなたに天の御国のかぎを上げます。皆様がもう一度確認して、確信すべきです。確信しようとすれば、いつでも現場も考えねばならないけれど、皆様の敵を考えなければなりません。皆様の敵は、こういうことだけを狙うのです。救われたゆえに滅びないことを知っています。それでずっと触るのですが、ここに対して揺れる人を触るのです。絶対に揺れてはなりません。ここに対する確信を持って生きる、その時から率直に発見しました。もちろん、発見すれば、確信も持てるのですが、この確信が持てたその時から、何が発見できたか、マタイの福音書 5章にイエス様がおっしゃられた幸いが、何の幸いなのか、完全に世の中の人々が話す幸いと逆です。マタイの福音書 6, 7章の祈りがどんな内容なのか、その時から理解できました。
 
・マタイの福音書10:1-42を見ると、イエス様が弟子を送られた現場がどんな現場なのか、いよいよ発見できました。この確信をずっと持つと、マタイの福音書13:1-58節が重要な話です。皆様が何にもないように見えても、ものすごいのです。伝道者が受けた祝福の畑で、畑で仕事をしているかのように見えても、畑にある宝です。皆様には、実感が起きないでしょうが、宝です。ふろ敷包を持っている人々のように見えても、貴重な真珠を持った人です。皆様の働きと存在とは、とても小さい存在のように見えるけれど、これは大きい木になる、からし種のような存在です。イエス様がこれを説明しておられるのです。これがいよいよ発見でき始めました。それとともに、コロサイ2:2-3節を見ると、キリストの中には、すべての知識、すべての知恵、すべての宝が隠されているんだな。この時、どんな発見をしたかというと、パウロの告白が私と一致するのだな! と理解できたのです。そうなんだな! ちりあくたと思うことは、私の過去、自慢することをちりあくたとして思うのですが、それはキリストを発見したためです。そして、最も価値ある、最も高尚なキリストの奥義を発見したためです。これが皆様と一致しなければなりません。そし、それからはキリストに発見されることを願うのです。これが皆様と一致していますか?
 
 すると、今夜2002年度に、すべての暗闇は崩れるようになるはずです。そして、まちがいなく伝道の門が開くようになるはずで、まちがいなく事業の門も開くようになるはずで、答えの門が開くようになるはずです。私は、すでに得たのでもなく、すでに完全にされているのでもありません。ただ捕えようとして、追求しているのです。そして、それを得るようにとキリスト・イエスが私を捕えてくださったのです。キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。私たちの国籍は天にあります。これが発見できたのです。そうなのだな。どれくらい驚くべきことでしょうか。この時、何が発見できるかというと、聞くだけでは発見できません。この時から、未信者 6つの状態が見えるのです。人々が偶像崇拝せざるを得ないな。人々はサタンのしもべのようになるしかないな。人々は、それで霊的問題が来るしかないな。お金を持っていても、霊的な問題がくるしかないな。もし未信者にお金があれば、持っているだけ霊的な問題が来るしかないな。私はここから完全に解放されたんだなあ。それで、人々に暇が出来れば福音を伝えねばならない。この発見ができなければなりません。ここで、ものすごい発見をしたのです。皆様が、今、簡単に恐れる必要もなくて、勝利できるように、完全にサタンの権威と悪霊を追い出して勝つことができる権威を神様がくださいました。これが発見できなければなりません。家系で、そんなにも混乱させた暗闇の勢力が、皆様の前に崩れるしかない祝福を私たちにくださいました。これが発見できなければなりません。この確信を持つようになって、ずっと発見したのです。皆様に本当にこの祝福があることをお祈りします。
 
・これに勝つことができるものすごい権威を与えられました。私はだれか? これ以上もっと重要なことは、正確に話せば、現場の中に行ってみるならば、私はだめだということが分かるようになりました。現場に行ってみれば、私は失敗するしかないということを知るようになりました。現場に行ってみれば、私は無気力で不信仰だということを知るようになります。現場に行ってみれば、学生達がここにたくさんやられます。教会では集会もして行ったのに、私は現場に行ってみると、だめなのです。また、私たちの青年達が、一番たくさんやられる部分です。できると考えたのに、行ってみるとだめです。その時、発見せねばならない部分です。ローマ7:24 私は、キリストではなければ、だめだな。救われてもだめだな。パウロの告白です。ローマ7:24-25節にパウロが重要な告白をしたではないでしょうか? だれがこの死のからだから、私を救い出してくれるのでしょうか? イエス・キリストを送られた神様に感謝します。パウロは告白しました。私は毎日死にますと発見をしたのです。このように途方もない祝福を発見したのにもかかわらず、現場に行けばだめなのです。それで、もう一度キリストの契約を捕まえるのです。この時、私たちには何がくるのでしょうか? 神様がなされて、なっていくようになるものすごい祝福を味わうようになります。これが、私たちクリスチャンの現実で、契約をよく捕まえた人々が悟る部分です。私たちは、すべての問題を解決してもらったのに、現場に行ってみるとだめです。だめになることが正常です。気落ちしないように願います。それで、今でもキリストが天の御座に座っておられ、聖霊で働かれて、すべての聖徒といっしょにおられると約束されているのです。皆様、こういう告白ができるでしょうか? パウロは、こういう告白をしました。私は善を行なおうとするのに、私の中から悪をだけが出てきます。こういう告白を誰もができるのでしょうか? 皆様ならば、言うでしょうか? 証しすれば、働きが起きたことだけ証しして、こういう告白はできるでしょうか。それも伝道者が、それも文の中で、私の中には二人がいて、善を行う人がいて、悪を行う人がいる。私は善を行なおうとするのに、私の中ではしきりに罪が起こって、私を倒そうとしている。私はみじめな者だ。誰がこの死のからだから、私を救ってくれるのでしょうか? 2002年を送りながら、あなたがたも同じ告白になるはずです。
 
・変に、私たちはうまくできません。私はなぜ良くならないのか? パウロは告白しました。キリストを与えられた神様に感謝しますと言いました。絶対に滅びることができません。それで、弱いあなたがたは、することができないのですが、キリストはすべての問題を解決なさったゆえに、逃げたペテロを訪ねてイエス様には、使命を下さったのです。イエス様を裏切って逃げたペテロを訪ねられました。この契約を捕まえていたら、どれくらいできるようになる祝福がずっと続くか、それで私は結論がひとつ出てきたのです。どんな重要な結論が出てきたのかというと、私が行く地域ごとに、神様はともにおられるので、このように完全に死ぬしかない人間を救い出してくださったのです。救われた者に、すごい祝福を下さいました。そのようにしても、私たちは崩れるようになっています。崩れた人間に、また神様は恵みを与えて下さいます。どれくらい驚くべきことでしょうか? 天国に行く時まで、完全に保護されるのです。これで、どんな結論が出てくるかというと、行く所ごとにこの福音を伝えて、人を生かさねばならないということです。全く難しくありません。行く所ごとに、すべての地域ごとに人を生かさねばならないという結論が出てきたのです。行く所ごとに、不信仰に陥って、サタンの手中にいる人々に、マタイの福音書 16:13,16節を話して、生かさねばならない。救われたのに、このすばらしい祝福を知らないで、すべての知恵、知識、宝がみな隠されているという事実を知らない者に話さねばならない。これを持っているのに、気落ちして倒れる信者に話さねばならない。こういう結論が出てきたのです。行く地域ごとに、この福音を伝えねばならない。こういう結論が出ました。
 
・ここに何の単語をつけたかというと、行く所ごとに人を生かす地域教会です。皆様がよく悟るならば、相当な神様の祝福を受けるようになるはずです。正しい地域教会です。福音を伝える地域教会です。一つも難しくありません。2002年を送って、2003年を迎えながら、皆様に単語3つが伝えられるはずです。地域教会と機能宣教会と一般信者宣教会です。皆様に地域教会をしろと話すのではありません。それを話す前に、その前のことを話すのです。大部分がだまされます。皆様がどんな祝福を受けたのでしょうか? ここに対する確信と、その後に従う発見です。あなたがたは弱いのです。弱いあなたがたのために、イエス様が、今でも働いていらっしゃるのです。億万の罪悪の中で、生きることができないあなたがたのために、今でも天の御座で、今でも祈っていらっしゃるのです。どれくらい驚くべきことでしょうか? 天国に行く時まで、皆様は気落ちしないように望みます。学生達、青年達は、気落ちしないように望みます。立ち上がることを望みます。それで、行く所ごとに、この福音を伝えねばならないのです。このように心に決めたら、神様がどれくらい多くの祝福を下さったのか分かりません。難しく考える必要はありません。これは、あなたがたが必ず受けなければならない祝福です。私が証しで言うのです。幼い子ども達に会ったのですが、あまりにせつなかったのです。その子ども達にキリストを話してあげなければ、その子が大きくなればなるほど、問題が来ると、発見したのです。小学生に一番基本的なことをいやしてあげるべきだと発見したのです。それで、子ども達を集めて、学校の前ですこし聖書勉強をしたら、この祝福がどれくらい大きかったか、神様はすべての基本となる祝福を皆くださいました。皆様は知っているでしょう? 私は滅びるしかない者なのに、神様が驚くべき祝福で、そして病むしかない者なのに、神様が祝福なさるのです。なることができない状況だったのですが、ところが、神様には想像を越える祝福をくださいました。なぜでしょうか? 福音ゆえにです。中高等学生を預かったのに、中高等学生に会うやいなや、何を悟ったのか知っていますか。この子ども達は、既に遅いのです。この子ども達は、ものすごく力を失って、力が必要です。今、中高等学生は、幼い時にすでに福音を聞くことができなくて、子ども達は霊的な問題に本人も知らずに染まってきたゆえに遅いのです。この子ども達には、手術が必要です。それで、中高等学生達を集めて、何をしたかというと、チームの働きを始めたのです。そうして、この祝福を受けながら悟ったことがあります。学生達は、中高等学生はおそいということです。既に患者で話すならば、手術の対象者です。だから、この中高等学生を捕まえて、みことば運動をしたのですが、それを神様が喜ばれたのです。それが地域教会です。何も難しいことではありません。
 
・工業団地に入っていったところ、月給をもらって仕事をしているのに、その姉妹達を呼んで話しました。あなたは一ケ月ずっと仕事をするか、いくらもらうのかと聞いたら、7万円でした。たくさんもらっていたのです。あなた達が一ケ月ずっと仕事をすれば、7万円もらえるでしょう。あなた達に仕事をさせる社長は、なぜ仕事をさせるのか。あなた達が良くてさせるのではない。仕事をさせるために、そのようにするのです。この会社にくる常務、専務が、この会社が良くて、あなた達が良くて、ここにいるのではない。この人達は、昇進もして、成功をせねばならないのではないだろうか。それで、ここで苦労して献身するのです。では、あなた達はこちらになぜ来たのか、会社が良くてきたのか、社長のために来たか、専務のためにきたのか。お金 7万円をもらうために来たのではないか。そのように人生を生きていて良いのだろうか。神様が工業団地の中に、かわいそうに死んでいくたましいに、霊的問題に苦しめられる人に、福音を与えるために呼ばれたのではないか。3人を捕まえて生きるようにしたところ、数ヶ月後に立ち上がったのです。神様が祝福なさったのでした。どれくらい、神様の祝福を受けることは簡単でしょうか。
 
・地域教会。皆様が契約をよく捕まえみましょう。皆様が誰ですか。ムダン(霊媒師)の町に行ったら、ムダン(霊媒師)を知っていますか? ムダン(霊媒師)の町に行ってみたら、めちゃくちゃでした。口に出して言えない程に、ムダン(霊媒師)の町に行ってみたら、一戸の中に患者1,2名、それは常識でした。ここには、ムダン(霊媒師)出身も多くいます。知っているでしょう。めちゃくちゃです。私はすぐ感じたのは、サタンの戦略をすぐに感じて、悪霊がいて、こういうことをするのだ、そして、強くメッセージをしたのです。イエス・キリストがすべての暗闇とサタンの勢力を破られた。イエス様が弟子を送って悪霊を追い出す権威をくださった。この話だけしたのに、それでみわざが起きました。それが地域教会です。それで、来年には、私たち教会 700ケ所、ソウルに 2000ケ所、蔚山に 100ケ所、地域教会堂というより、本当に伝道する地域教会を作るべきです。今回、教役者に話しました。釜山で一ケ月に7人程度の弟子を植えてると、1年に70箇所になります。すると10年すれば、700ケ所です。地域教会堂が問題ではありません。それは、神様が祝福なされば、その時なるので、神様が最も喜ぶ働きをしなさいと言いました。
 
・全く難しくする必要もありません。自分の状態、そのままなせば良いのです。皆様が伝道しようと熱心に通う必要もありません。子ども達にご飯を作ってやらず、伝道しようと回ります。それは非聖書的な方法です。皆様が、家で寝ないで、出歩きながら伝道するのです。それは非聖書的な方法です。奥さんが、ご主人のご飯を作ってあげないで、あちこち回るのです。それは、非聖書的なことです。ご主人が、お金を正しく儲けることができなくて、仕事は正しくしないで、回りながら、イエスは天国と話しながら回るのは、狂ったのです。聖書は、そのように伝道しろと言っていません。いる地域の人を生かしなさい。暗闇の地域に完全に縛られた人を救い出しなさい。救われても祝福を全く味わうことができない人を救い出しなさい。神様のものすごい契約の中にいながらも、いつも倒れて失敗している人を助け出しなさい。その人々を慰めて、助けなさい。これをすることが何でしょうか? 地域教会です。皆様はどんな存在でしょうか? だまされさえしなければ、皆様は相当な答えを受けることができます。皆様は、根本的原因が既に終わったのです。しばしばだまされるなということです。だまされるから、救われたのに、ずっとやられるのです。この祝福を正しく味わうことが伝道です。皆様が、今からこの祝福を正しく味わいましょう。それが地域教会です。皆様の事業、皆様の健康、皆様の計画、根本的に祝福の門がぱーっと開くはずです。
 
・2002年を送る貴重な日です。この時間に病院に横になっている人もいます。皆様は、こちらに座りました。この時間に借金に追われて逃げて回る人もいます。皆様はこちらに座りました。この時間にものすごい犯罪の中に陥って、悪い道に行く人もあります。皆様はこちらに座りました。今、100箇所余り衛星で礼拝する教会もあります。どれくらい驚くべきことでしょうか。この祝福を味わうのが地域教会です。それで、ソウルでは一ケ月に20人だけ弟子を捜し出せば、1年ならば 200箇所、10年後には2千箇所です。どれくらい長くかかるでしょうか。それでも... 時間は、だいたいそうだということです。早いものがあって、遅いものもあるでしょうが、神様が最も喜ばれることです。皆様、事業する方が、伝道しようと通って、証ししようと通ったりする必要はありません。事業する所のなかで、何をすることを表すのでしょうか。地域教会とは何でしょうか。事業体のなかで、完全に呪いの問題を解決してしまうことです。皆様の事業体のなかで、神様のものすごい祝福を発見することを願うことです。皆様の事業体のなかで、このことを知らずに倒れた信者を慰めることです。言わばこの三つをすることです。
・地域教会とは何でしょうか?3つをすることです。福音がない人に福音を与えることです。地域教会とは、何でしょうか?福音を持っても知らずにいる者に、発見するようにすることです。地域教会とは何でしょうか?救われても倒れます。私たちは、その人々を慰めて立て起こすのです。このようにして、私たちは暗闇の勢力を完全に打ち破るのです。これを来年には、釜山全域で立てて行くのですが、一つ一つずつ立てていきましょう。祈るように願います。そして、今日、送旧迎新の時は、私は何か? というタイトルを持って機能宣教で答を下ろすようにします。私は何か? 職業と関連した話になるはずです。私は誰か?という時は、身分と関連があります。それで、明日の朝には、私はどのようにせねばならないのか? という単語で結論は、一般信者宣教会で下ろすはずです。どのように私たちは信仰生活すべきでしょうか。今日、皆様になっているか、ならないのか、この祝福を味わってみるように願います。どれくらい大きい祝福の門が開いているか分かりません。
 
・皆様が、一番難しい時はいつでしょうか? 一番難しい時が、人のゆえです。子ども達を集めて伝道するのに、なんの話をしたのか、皆様が知っているように私がフォームはどうでしょうか。私はよくできません。私は踊りも踊ることができなくて、リズムもだめで、ペク・ウンギュ牧師はリズムを良くするけれど、私はできません。恥ずかしくてできないのです。私たち教会の教役者は私以外は、みな良くします。人物もよくて、私はできません。ただひとつ持っているのです。幼い子ども達が、福音を知らなければ、私のようになります。私が幼い時から教会を通ったためです。幼い子ども達に、福音を一度だけ聞かせてあげればいいのに、この子ども達が聞くことができなければ、大きいなって、霊的な勢力に勝つことができません。一番の問題が、福音を悟ることができなくて、教会に長く通うことです。それは、深刻な問題になります。私は、それを見る時ごとに、学生達をみる時, 現場に行ってクリスチャン達を見る時、未信者も哀れですが、それよりもっと哀れなのが信者です。どれくらいクリスチャンが、話を良くしているのに、どれくらいクリスチャンにいざこざが多いでしょうか。霊的に深刻な問題に陥っています。答えを早く与えなければなりません。それ一つだけしたのに、途方もない答えの門をあけてくださいました。地域教会ということは、皆様の地域を生かそうということです。
 
・皆様がいる地域を生かしましょう。このように聖日学校をしていたのに、教会に行くと、教役者 4-5人がすべてかたまって、どれくらい私を難しくさせたか分かりません。その時、私が気落ちしたのです。本当に、このような時は、どうしなければならないでしょうか。しかし、もしかして私に誤ちがあるのかないかと注意深くみて、できれば高慢になった部分はちょっと変えて、できれば印象もちょっと良くして、できればこの人々が誤解したことは、やめるようにしながら、努力を多くしたのです。どれくらい難しくさせられたか、その時、どのように勝つことができたでしょうか。私がだれかという質問をしたのです。私は、あの人々に譲歩してもかまわない。私はだれか。私は福音を持った神様の子どもではないのか。その人々は、立派な人々でしたが、私はものすごく滅びの中にいたあとで救われた者ではないのか。一度も戦ったことがありません。譲歩したのです。
 
・伝道運動をするのに、教会の間でけんかになりましたが、教会員は絶対にそのようなことをしてはなりません。絶対に悪魔の餌食になってしまいます。教会員が組に分かれて、どんなに間違った人であっても組に分かれてはなりません。サタンが利用します。なぜでしょうか?教会は重要であるためです。この組に分けてけんかをすると、ひどくなります。感情が含まれてきます。不思議な人もいます。こういうことを見ると、どんどんエスカレートします。けんかをしていると、戦いの反対派があります。私がここに引っ掛かったのです。普通の悪質さではありませんでした。行く所ごとに困難を与えるので、普通の問題ではなかったのです。本当に私が神様の前に、この答がなければできません。私がだれか。私は、億万の罪悪から救われた神様の救われた人ではないか。私がこの福音を伝えて、困難に会ったらどうなのか。このように考えて越えました。こういうことが多いのです。ところが、神様は恐ろしく解決をみなしてくださいました。全く戦わなくても、みな解決したのです。みな通り越ぎられるようにさせてくださいました。釜山で私と一緒に来た人々は、皆知っています。牧師達も理解するでしょう。神様は、ほとんどそのうちに、とても悪い人を半分くらい呼んで行かれました。呼んで行かれるので、一番早い解決策でした。ほとんど神様が呼んで行かれました。何名かはいるのですが、どれくらい悪質なのか分かりません。戦う必要はありません。
 
・皆様、いつも困難がきます。私が福音運動をするのに、伝道運動をしているのに、実が起こらない場合があります。そのような時、私が誰か?私はだれか。神様の子ども。福音を持った神様の子ども。ところが、今、私が福音のためにしないのではないか。その悔い改めをしました。その時から、問題が解決し始めたのです。ソウル・インマヌエル教会に来るのに、率直に3ケ月間悩みました。この方達が、神様の導きを受けた方達であることは間違いありません。どれくらい三人ゆえに、カン・ホイン牧師、ウ・スヨン長老、イ・チュンギ牧師の三名がソウル・インマヌエルに来てくださいと引き寄せても、私はしないと言いました。私がまだ答が出ていなかったからです。ところが、この方達が、教会堂を購入して、また話したのですが、私はしないと言いました。私が飛行機に乗って来る時ごとに‘神様、私がなぜ行かねばならないのですか'と尋ねて、この悩みを、私は3ケ月以上しました。神様、私がなぜ行かねばならないのですか。他のところに教会がたくさんあるのに、まちがいなく私たちのメンバーは、福音を持っている人々であることは明らかなために、結局は、私を助けるはずだけれど、中間に多くの誤解が生まれるはずなので。後ほど神様が結局、祝福をみななさるはずだけれど、被害を受ける人々も生じるはずなので。今、皆様もおわかりの通り、メッセージをすれば、衛星で、インターネットでみな聞いています。では、私が行って開拓をすれば、その周囲が死ぬようになる事が起こるはずなので、私がこれをなぜしなければならないのか。行けば行くほど、行かなければならない状況になりました。その時、神様にこういう祈りをしたのです。神様、本当に私がこの伝道運動を野望でしないようにしてくださいと言いました。野望でしないで、福音を伝えるようにしてくださいと言いました。こういう祈りをして、ソウルに来ては帰るのですが、2年がすぎながら、私たちのタラッパンに集まった多くの牧師達が、私は福音のための人だという答を得ました。この人達が協力をして、行ったり来たりする人はなくなって教会が安定して、伝道運動が開き始めて、今、ソウル・インマヌエルは、千名を越えて集まっています。そして、その中に伝道運動がものすごくたくさん起きているのです。今、一緒にメッセージを受けています。
・私達がいる地域で3つのことをしましょう。私達がいる地域で、簡単に話せば、悪魔の勢力に完全に捕えられている人々を奪いましょう。私達がいる地域で福音を受けても味わうことができない人に、知るようにさせてあげましょう。私達がいる地域で、救われていても不信仰になって、気落ちしている人々を慰めて、助けましょう。絶対にイエスの名前を呼ぶ者は、恥にあわないと言われました。彼らを助けましょう。これが地域教会です。この祝福を味わおうということです。それで、来年には地域教堂よりは、伝道する地域教会を本格的に作るべきなのです。これが神様のメッセージです。皆様がこの契約を本当に受けてくださることを願います。
 
・私が、この契約を捕まえて伝道を少ししたのに、どんな答えを受けたか知っていますか。聖書を見ると、今、私達がしたように伝道しなかったし、韓国教会がしたように伝道しなかったし、あちこちでみことば運動しながら集まったのですが、それがタラッパンです。これを聖書で発見したのです。この答えは、小さな答えではありません。ものすごく大きい答えです。私の水準、私では発見出来ない答えです。ところが、聖書を見て、アンテオケ教会を中心に所々、チームが集まって神様の祝福を受けました。私がそれを見て、チームの働きという単語を使いました。ところが、聖書を見ると、アジアに入っていきながら、家庭を生かし始めました。家庭に霊的な問題がどれくらい多いでしょうか。それを見て、ミッションホームという単語を使ったのです。そして、マケドニアに入りながら、機能側に食い込みました。事業側に食い込んだのです。私がそれを見て、専門の働きと言いました。所々に弟子が集まって国を生かして、世界を生かすのを見て、私が地域教会と言いました。皆様の事業もこのまま必ずなせば良いのです。間違いありません。
 
・米国で事業をしている方が、‘先生。聖書を静かに見ると、救いもあって、福音もみなありますが、事業もそのままある'と言いました。今、ここに日本からパク・サンエ博士が言われるのに、聖書のメッセージで自分が医学を研究したことに照らして見たら、とても正確だということです。そのようなことです。聖書には、全てのものが入っています。皆様が今どんな職業を持っているとしても、私は誰か?皆様の中に、もやしを売っている方がいますか。皆様はもやしを売る人ではありません。それは副業です。皆様の本業は別にあります。神様の子どもとして、世界を福音化することです。それをするために、もやしの商売をするのです。皆様の本業が公務員や教師ではありません。それは副業です。この福音のため副業です。水準が違うのです。それで、今日、あなたがたが本当に私は誰か?皆様この答えを持っていれば、多くの人を生かすようになります。誰もいろいろな人を欺くことができても、皆様自身は知っているはずです。私はだれか。
 
・今日、ここに答を出せなければ、絶対にサタンからやられます。私はだれか。これが重要な答です。海雲台 AIDアパートの重要な紳士が、たくさん習った方ですが、奥さんが死んで、私は1ケ月後に出てきて、釜山市内を皆、回ったと言いました。普通の人ではありません。大事業家です。それで、釜山で事業を整理して、海辺で住むと降りてきたという、韓国で大金持ちです。そのような人々が、海雲台には多いのです。海雲台にきて住んでいるのです。住んでいて、奥さんが死んだのでした。夫婦二人が住んでいて、お金が多いから、良い場所だと海のそばに良い大きい家を建てて住んだのに、奥さんが死にました。だから、ひとりで退屈だから、帽子をかぶって部屋の中で、回りながら景色を見ることが趣味だと言いました。奥さんの写真を見て、米国にいる孫や孫娘の写真をみつめて笑って過ごします。この人に楽しみがありません。ツエをついて行っては、その人がした話では、一つの教会ももれなくすべて行ったと言いました。毎週回りながら、教会は通うべきではないという結論が出たと言いました。それで、その次の週からは、寺を回ったということです。とにかく、普通の人ではありません。金持ちなりに教会を一度回って、寺を回ったということでした。ところが、私がその人とどのように会うようになったかというと、私たちのタラッパンにきて聖書勉強をしている開拓教会の牧師に会って、その人が福音を受けたのでした。福音を受けて、その方が証ししたお話です。私が釜山市内の大きい教会はみな回ったのに、私は教会に通わないようにしたということでした。ところが、小さい開拓教会をする牧師が、どのようにこの驚くべき答えを与えることができたのです。この人が、一ケ月に一度ずつ会って、私にみことばをくれと言いました。一ケ月に一度が問題ではなくて、毎週できると言いました。あなたのようなならば、毎日もしてあげると言って、この人が変わったのでした。多いのです。
 
・名前は明らかにしないけれど、ものすごく重要な地位にいる人は、自分の職業を明らかにしない場合があります。ソウル・インマヌエル教会に、話も多いけれど、ものすごく重要な地位にいる人が登録したのです。 職業を書きません。職業が良くて自慢する人もありますが、言わない人も多いのです。とても特殊な職業であったり、とても韓国で重要な地位にある人は職業を書かないで、家族が登録しました。人を伝道してきたのです。後ほどこの人が、何の職業を持ったのか分かりました。この方が驚くべき話をしました。どのように、私たちの教会にくるようになったのか、誰から伝道されたのかと尋ねたら、されなかったと言いました。インターネットに入っていって、インターネットに出るすべてのメッセージを自分が読んだということです。本当に幸運に、私のメッセージを見て、一番良いようだと言いました。私が霊的な目があるなと考えました。驚くべきことです。
 
・シカゴ集会があったのですが、そこに大きい寺があります。食堂にタラッパンメンバーが入っていったのですが、その食堂で、その大きい寺の僧侶に会うようになりました。教会は小さくて、寺は大きいのです。この人がたいした僧侶だったのですが、私たちのメンバーが行って話をしました。福音はこういうことではないか、偶像崇拝はこういうことではないかと言いながら、みな話をしたのです。その僧侶が、皆分かると言いました。それで、あなたは福音を伝えるべきで、米国まできて僧侶に話をしていて良いのかと話したということです。その僧侶が述べた言葉が、普通、私がみなシカゴにきて、説教をみな聞いてみて、放送説教をみな聞いてみたのに、それらがみな効果がないと言いながら、タラッパンというのは、それはちょっと良いと言いました。その僧侶が言った言葉です。その時、タラッパンを聞いたことがあるのかとたずねたら、その僧侶が、その説教は聞いてみたら、一理があると言いました。それで、私達がタラッパンだと話しところ、その僧侶がそうなのかと言ったそうです。私がそのような話に慰められるということではありません。
 
・なんの話をしようとしているのかというと、今、福音を受ける人がたくさんいるのです。全部、無駄な話ばかりをするのですが、福音を受ける人が一杯います。神様がどれくらい喜ばれるでしょうか。そのような人を助けるのです。とても多いのです。私はだれか。あなたがたが、ここに答を早く出すべきです。私はだれか。私をにせ物で包装して、いつまでいるのでしょうか。私は誰か?こういう質問は、水準がある人であるほどするのです。以前に話したことがあります。英国の有名な学者が自分は誰かと, 勉強をしたのに、だめになるので、私は誰かと質問したのです。有名な学者です。顔を見れば、皆分かって、自分の名前だけ出せば、皆分かる人です。教授だからタレントではないから、顔を知らなくても名前は皆知っている人です。とても有名な人です。この人が悩みをして、どこへ行ったかというと、有名なノーベル賞を受けたのですが、人生が苦しくて教会に行ったのに、教会でこの人に福音を伝えなかったのです。この人が悩みになって、牧師に尋ねてした有名な話があります。‘私はイエス様に対して知りたい'と言いました。その牧師にイエス様に対して説明する教会を紹介してくれと言ったということです。その牧師は衝撃を受けたのでした。
 
・このように、霊的に飢え渇いて回る人が多いのです。皆様がだまされてはなりません。2002年が過ぎて、新年がくるのに、まただまされてはなりません。皆様は終わりました。これから味わいさえすればよいのです。発見して味わえばよいのです。そして、がっかりした所にいてもかまいません。立ち上がればよいのです。新しく始めればよいのです。神様が皆様に最後に一つを残しています。本当に皆様の地域を生かしましょう。職場のなかで騒いで伝道しなさいということではありません。職場のなかで暗闇の勢力を打ち破って、この三つをしましょう。すると、神様は皆様に聖書にあるそのまま祝福なさるはずです。
 
・少し皆様が証人で、私が証人ではないでしょうか。どれくらい恵みを感謝しているでしょうか。私は 1・2 つの恵みではなく、話で表現をできません。なぜなら、まず私が私をよく知っているではないでしょうか。すでに滅びて、死ぬはずでした。そして、健康も問題がすでにきて、死ぬはずでした。原則通りならばということです。医者が話すのに、本当に奇跡だと言いました。大邱にいる有名な漢方医師なのですが、先生はあまりに説教を多くして、土曜日は明け方から夜までするのに、そのように説教を多くすれば、熱が上にあがるから、心臓に入っているとしながら、出てくるせきが熱が心臓に上がるからだと言いました。病気ではないのに、突然に死ぬこともあると言われました。それで、私が分かった、突然に死ねば、そのようにすると言いながら、私がその話を聞いて、突然に行くことがあるので、清掃もしておいて眠ります。そのようなことは、私は恐ろしくありません。だから奇跡です。1つや2つではありません。神様がどのように、このようにされるのでしょうか。
 
・2002年に、私たちは相当な祝福をたくさん受けました。2002年の祝福の中から、私たちの神学校の建物を買ったのですが、位置がとても良いのです。あまりに良くて問題です。私が見る時、景色があまりに良くて、学生達の勉強できないかもしれません。どれくらい良いでしょうか。学生達が、ご飯をものすごく食べようとします。空気があまりに良くて、そうらしいのです。誰かが言うのには、こちらが後ほどものすごい土地になるらしいのです。政府にいる重要な人が言った言葉だと言いました。私達が知らずに買いました。パク・センギ将軍が来て、どのようにこういう土地を選んだのか、この土地は普通の土地でないと言いました。言うのには、白頭山から降りてくる山の連なりがあるのに、この所が終わりだということです。白頭山脈というのに、白頭山から降りてくる山の連なりがあるこの良い土地を、どのように知って、ここに落ち着いたのかと尋ねられました。私が知らずにそのようになったと答えました。只事ではありません。1月の初めになれば、入っていくようになります。考えることもなかったのに、神様が私たち総会会館、訓練院の建物を下さったのです。空港に行く道です。買おうとしても、買うことが出来ない所です。神様が肉体的なだけでなく、あらゆる面で、それのみならず、伝道の門がどれくらい開かれるか、教会ごとにみわざが起き始めています。それとともに、事実として、神学校の中に良い働き人がおきています。また、レムナントも起きていて、このようなことがあるのでしょうか。
 
・今、ここで集会をするのに、すでに5時半くらいからきて、落ち着こうと大騒ぎをして、ソウルでも見ると席ゆえに大騒ぎをしていました。この頃、こういう所がどこにあるのでしょうか。メッセージが良いのか. 毎日、同じ話なのに。こういうことがあるのでしょうか。重要な方の中で、私たちの親戚が言うのには、あなたは同じ話をずっとするのに、なぜどんどん集まるのかと言いました。自分が聞く時は、同じ話ばかりなのに、なぜどんどん人が集まるのかと尋ねたのです。ソウルにどんどん集まるから言う話です。ソウルには、今、どんどん集まって入ることができないほどです。言う話は、イエスを信じなさいという話です。本当に韓国の人は、ご飯を食べたらまた食べてみたくて、それが韓国人のいのちです。韓国のいのちがあるからです。イエスのいのちがある人は、聞いたならば、また聞いてみたくて、聞いたならばまた力が生じて、行ってみたら、また祝福を受けるのです。
 
・私はだれか。単なることではありません。気落ちしなければならない皆様ではありません。イエス様を送り、十字架に釘づけて、完全に血を流すようにするまで捨てられたその理由が何でしょうか。皆様を救おうとされたのです。その悪い悪魔、暗闇の勢力が、皆様を終わりまで殺そうとするけれど、それを防止しようと、イエス様が直接十字架で解決なさったのです。あなたがたは、そのような人々です。そして、無理に力を出して勇気を出しなさいということではありません。高慢になることもなく、私たちは常に行けば倒れるのです。本当に私はみじめな者です。それでも、神様がまた働きをなさるのです。それで、2003年度には、私たちインマヌエルとあの衛星で、教会と全世界のメンバーが、難しく考えず、すべての地域で神様の栄光を表しましょう。地域教会です。このようにして、私たちは最も重要な祝福を本当にいままで受けたのですが、2003年度には受けるようになるはずです。この祝福があなたがたに本当にあふれ出ることをイエスの名前でお祈りします。お祈りします。私たち一度、ご一緒にお祈りしましょう。今日が2002年 12月 31日です。それでも、日を重要にご覧になる神様が最後に時間を送る日です。この時間に病気の人がいます。この時間に悪いことに陥った人もいます。この時間に混乱に陥った人もいます。皆様は神様のみことばの中にきました。この祝福が一生あることを希望して、皆様の子孫代々であることを望みます。
 
・一度、私たちが一度一緒にお祈りをします。 "全能なる神様、今日、祝福の人々を呼んでくださって、2002年が過ぎゆくのに、本当に私はだれか? を確認する、もう一度祝福を確認する、驚くべき恵みを与えて下さった神様に感謝申し上げます。主が今日、主のしもべを慰めてくださり、がっかりした主のしもべに神様が力を与えてくださりながら、弱いしもべに神様の力をあたえてくださりながら、また、失敗した者たちに神様が新しい希望と勇気をあたえてくださり、病んだ者に、この時間にいやしをあたえてくださって、あらゆる悪い霊に苦しめられる者に、神様が聖霊で働いてくださり、驚くべきいやしの時間になるようにさせてください。特に、困難に会っている者に、特に、病んだ主の家族に困難を受ける方達に、神様が特別な恵みを与えて下さい。この時間に神様が高く力ある御手をあげてくださって、按手してくださって、特に、私たちのレムナントを祝福してくださり、私たちの次の世代を祝福なさって、世界福音化に証人であることを確認することができる、私がだれかを確認する、サタンのしもべではなく、神様の子どもであることを確認する驚くべき祝福の時間になるようにしてください。イエス・キリストのお名前でお祈りします。"
 
(祈り)
  神様に感謝申し上げます。私達がどんな存在であるかを確認しました。イエスが血を流し赦された民であり、多くのことの中で暗闇の権勢から私たちを救われた驚くべき働きの中にある神様の契約の民であることを確認して、果して私はだれかを今日、質問しながら、一生の答えを受ける2002年を送って、新年を迎える日になるようにしてください。
 私たちの主イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン