(2003年 01月 01日 インマヌエル教会/ 柳光洙 牧師)


送旧迎新B
私は、どのようにしなければならないのか?
一般信者宣教
(使徒6:1-7)
 
  
・使徒の働き 6章 3節に "そこで、兄弟たち。あなたがたの中から、御霊と知恵とに満ちた、評判の良い人たち七人を選びなさい。私たちはその人たちをこの仕事に当たらせることにします。そして、私たちは、もっぱら祈りとみことばの奉仕に励むことにします。」この提案は全員の承認するところとなり、彼らは、信仰と聖霊とに満ちた人ステパノ、およびピリポ、プロコロ、ニカノル、テモン、パルメナ、アンテオケの改宗者ニコラオを選び、この人たちを使徒たちの前に立たせた。そこで使徒たちは祈って、手を彼らの上に置いた。こうして神のことばは、ますます広まって行き、エルサレムで、弟子の数が非常にふえて行った。そして、多くの祭司たちが次々に信仰にはいった。"とされています。私たちはどのように生きるべきか? 聖書によく出てきています。
 
・ある青年が、からだが良くなくて病院に行ったのですが、身体検査をして、医者がドイツに行ってきた医者だったのか知らないのですが、ドイツ語で話をするのです。この人がなにぶん癌のようで、深刻だと話をしていたのでした。この青年は、おりしもドイツ語を専攻した青年でした。自分に "癌になったのに、あまりにその部分が大きくて、それで生きることができない。少ししか生きることができない"というように聞きました。それで、自分がその話を聞いて、あまりに衝撃を受けていたら、医者が話を変えて "こぶがようだ。それで、手術をする必要がある" と話したのでした。この人が、確かに医者の話では "手術は最後にしてみることだが、だめだろう"という話を聞いたのです。この人の考えが変になったのです。すると、自分は死ななければならないのか? このような時、自分も知らずに祈りが出てきたのです。 "神様、私をもう一年だけ生かしてください。私が死んだら、どうなりますか? 今、していることの仕上げもしなければならないのです" 手術をしたら、癌でなかったし、それこそ、こぶだったのです。それでこの人が‘あ! 私が新しく人生を開始する' これで、私が新しく始めたという文を読んだことがあります。
 
・皆様が、おわかりの通り、ドストエフスキイのような人は、死刑を受けるようになりました。今日、死刑を受けるということです。死刑を受けるのには、時間がたくさんかかるのではなくて、3分経ったらおしまいです。それから3分したら、自分は死ぬのです。約 5分前に死刑の執行官が話をしたのです。 "話す言葉はないか?" これから5分しか残っていないのに "ない”と言いました。"すると、少しの間、必要なことがあれば話をしなさい" 死ぬのに必要なことが、なにがあるでしょう? それで、この人が "私に 5分だけ時間をくれ" "そのようにしなさい" 5分後に死にます。その時、この人が自分の過ごしてきたことを考えたのです。 今日、終わりですから、考えたのでした。その次に、自分が死んだ後に、自分の死を見て惜しむ人々が頭に浮かんできました。一番たくさん思い出したのは、自分の家族でした。また、自分が普段の時に親しかった人々、愛した人々が頭に浮かんできたのでした。5分の内にすべて思い出したのでした。そして、死ぬという時、たまたま皇帝が特赦をおろして、この人を殺さなかったのです。死刑執行の1分前に、連絡を受けたのでした。それで、生き伸びたのです。この人が‘私は死んだ人生なのに、これからどのように生きるべきか?' こういう気がして、熱心に生きたということです。それで、多くの本も書いたのですが、結局は、その人も霊的な問題にたくさん捕えられて、困難にたくさん会うようになりました。
 
・私たちは、どのように人生を生きるべきなのか? という考えを多くすることもあります。機会をのがさないようにしましょう。それがあまり簡単ではありません。それで、2003年度に昨日話した三つの単語を必ず記憶をしなければなりません。一生、忘れてはならないのです。特に、今年はより一層そうです。3つの単語です。神様は、私たちに多くの祝福を下さったのですが、私達がよく発見できません。そのために3つのことを発見すればよいのです。神様は、私が行く所に働きたいと望んでおられます。私が行く所、私がいる所に働きたいと望まれるのです。神様のご計画です。これを地域教会と言います。昨日、話しました。この単語を絶対に忘れてしまってはなりません。地域教会と言うから、あまりに誤解を多くします。建物ができれば他のことと、欲が生じてけんかして、離れてしまったりするのです。そのような話ではありません。
 
・私がいる所で、必ず神様の計画がなされるのです。それで、私たちの釜山、ソウル、すべての教会で伝道する弟子を植えて、一名ずつ行って伝道するということではありません。私が行く所に神様が共にいることを望んでおられるということです。忘れてしまってはなりません。その時、私がだれか、行く所ごとにそのようにすることができるでしょうか? それで、鍵になる単語がIペテロ2章 1節から9節です。私はだれか? これを考えるべきです。
 
・それで、Iペテロ2章 1節を見れば "ですから、あなたがたは、すべての悪意、すべてのごまかし、いろいろな偽善やねたみ、すべての悪口" 未信者は、そのようにしなければなりません。あなたがたは、そのようにする必要がないのです。 "生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、みことばの乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです。"と言われました。救われた人ならば‘主のもとに来なさい。主は、人には捨てられたが、神の目には、選ばれた、尊い、生ける石です。あなたがたも生ける石として、霊の家に築き上げられなさい。そして、聖なる祭司として、イエス・キリストを通して、神に喜ばれる霊のいけにえをささげなさい。'言いました。特に、皆様を呼ばれた理由です。9節に‘しかし、あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。それは、あなたがたを、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方のすばらしいみわざを、あなたがたが宣べ伝えるためなのです。'と言いました。
 
・あなたがたは、よく記憶すべきです。外では正しい言葉のように聞こえても、間違った話です。全部、外で言う話は、間違いない話ですが、未信者に言う話です。救われることができなかった者が言う話です。そのために、戦って生き残らなければなりません。正しい話です。真理です。2名がいれば、一名を押さえて上らなければなりません。それが未信者です。救われることができなかった者です。簡単に話せば、悪魔の力の下にいる者です。まちがいなく、そのようにしなければなりません。それで、君主論のようなものを読んでみなければならず、孫子兵法を読んでみて、適用をしなければなりません。三国志のようなものを読んで、適用しなければなりません。しかし、私たちは読んで参考にだけすれば良いのです。‘そのようになっているのだなあ。あのように生きるのだな'というようにです。
 
・皆様は、今日、ここに何となっているのでしょうか? すべての悪意、すべてのごまかし、いろいろな偽善やねたみ、すべての悪口を捨ててもかまわないのです。2章 9節を見ましょう。"しかし、あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。それは、あなたがたを、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方のすばらしいみわざを、あなたがたが宣べ伝えるためなのです。"と言われました。それで、必ず記憶すべきです。皆様は、神様の民として、この光を宣べ伝えるために呼ばれた者です。皆様が行く所ごとに、神様は働きたいと望んでおられるのです。それで早く、錯覚を変えなければなりなせん。救われていない者は、人間中心主義を使わなければなりません。救われた者は、結局はそれを使っては、みわざが起きません。救われていない者は、相当な作戦を使うべきです。救われた者は、それを使っては、みわざが起きないのです。皆様は、こういう祝福に呼ばれました。簡単です。それで、あなたがたが、いつもこれを記憶しなければならないのです。皆様が行く所ごとに、地域教会の門が開くのです。皆様が行く現場に、神様は働きたいと望んでおられるのです。必ず記憶すべきです。
 
・2番目の単語です。私の機能、私の学業、私の事業、私の職業を通じて神様は栄光を受けて働きたいと願っておられます。それで、私の機能とか私が持っている学業、産業、事業を通じて、神様は働きたいと望んでおられるのです。これが、神様の2番目の計画です。これがまさしく、機能宣教です。3つの単語だけを記憶すれば、答え受けるようになっています。学生達も錯覚しないようにしましょう。あなたがたがずっと未信者の考えをするのです。学んだのが、そのように学んだからです。皆様は、運命が変えられた人です。ところが、運命が変わらなかった人の行動と全てのことをみなするから、ずっと困難がくるのです。信仰生活は、実に簡単です。皆様が立派でも、習うことができなくても、よく学んでも、それ以前に、皆様は運命から抜け出した人です。皆様の名前が天国に記録されました。それで、救いが重要だということです。それならば、簡単です。
 
・3つのことを通じて神様は働きたいと望んでおられるのですが、皆様が行く所ごとに神様が働かれます。これを悟ることが地域教会です。そして、皆様がしていること、どんなに小さくても、神様がそれに働きたいと望んでおられるのです。皆様に技術がなくて、なんにも習ったことがなくてもかまいません。神様は、それに働きたいと望んでおられるのです。皆様の年齢が若くなかったり、無知であれば、救われた神様の民ならば、もっと働かれるようになっています。それで、昨日、聖書は使徒の働き 9章 31節から43節を読みました。タビタという人が、下着を作ることでも神様の栄光を現したのでした。いったい私は何をせねばならないのか? 私は何か? という質問です。これを機能宣教と言います。
 
・今日、三番目に重要な答は、神様は皆様を通じて教会を生かそうと望んでおられ、世界宣教することを望んでおられます。間違いありません。すると、このことをどのようにすることができるのでしょうか? 使徒の働き 6章 1節から7節です。それで、これをするために、私たち教会が重要な祈りを始めたのですが、それが一般信者宣教です。皆様、説教もよく聞かなければならないけれど、お知らせをよく聞かなければなりません。説教は、神様のみことばであれば、お知らせは成就する神様の現場です。必ず失敗する人は、お知らせをよく聞くことができないのです。イスカリオテのユダも、お知らせを聞きませんでした。ですから、一般信者宣教という話をいまだにわからない信徒がいるのです。どれくらい、お知らせを聞かなかったのかということです。ですから、皆様が祈る人なのかどうか、それを見れば分かります。
 
・祈らない人は、礼拝堂に来なければなりません。来なければ、女性伝道師が訪問するからです。きて礼拝堂に座って、空想しています。空想しているので、絶対にお知らせが聞くことができません。メッセージは聞かなくても良いのです。なぜでしょうか?表に現れないからです。ところが、お知らせを聞くことができなければ、すぐに行動が違ってしまいます。例えば、皆様がお知らせを聞かなければ、全部東に行くのに、お知らせを聞かなければ西の方に行きます。ですから、皆様が教会に出て来て、本当に祈る人は、全体が礼拝なのです。メッセージ、お知らせ、週報、長老の祈り、全部が祝福です。これを理解するということです。それを知らない人を見れば、良くできません。皆様は、これがなんの話なのか分からなければなりません。ここにあらゆる答がみな入っているのです。これが、2002年、2003年、私達が捕まえなければならない契約です。
 
・ひとりももれなく、年を取っていても、若いとかに関係なく、皆様が行く所に神様が働かれることになっています。これが地域教会です。すると、いろいろな人が集まるのです。それが地域教会です。何も難しい話ではありません。皆様が持っている財産が、ツエひとつしかないならば、モーセのように、そのツエに神様が働かれるはずです。機能宣教です。何をするのでしょうか? 心配する必要はありません。なんにもないならば、神様は空のポケットに働かれるはずです。まちがいなくそうです。
 
・すると、神様が三番目に私たちに望まれることが、皆様が教会を生かして、世界を生かすことを望まれるのです。真の福音を世界に伝ることを望まれます。これが一般信者宣教です。これを契約で必ず捕まえてくださるように望みます。あなたがたが理解しなければならないことは、イスラエルがどれだけ祝福されたのか知っているでしょう。イスラエルがどれだけ滅ぼされたのかも知っているでしょう。これからもずっと繰り返されます。イスラエルの人々は、メッセージを必ず受けねばならなくて、ユダヤ人を福音化しようとするなら、必ず知っているべきです。イスラエルがどれだけ祝福を受けたのか? イスラエルがどれだけ滅びたのか? その話は、私たちに適用される、全く同じ話です。クリスチャンがどれだけ大きい祝福を受けたのか? ところが、どれだけ滅びているのか?この鍵は、この3つを理解できないところから来るのです。この三つだけ理解するならば、あなたがたが何のタラントで、何をするのかと心配しなくても良いのです。未来の心配は、これっぽっちもしなくても良いのです。なぜなら、あなたがたは神様の子どもです。救われた神様の子どもであるゆえに、運命が変わってしまったのです。Iペテロ2:9節に、王である祭司なのです。2:9節をもう一度見ましょう。‘しかし、あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。それは、あなたがたを、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方のすばらしいみわざを、あなたがたが宣べ伝えるためなのです。' 信じられるでしょうか? 私は、この祝福を知った後に、本当にこれを信じたのです。本当にです。本当に信じたら、どのようになるかというと、教会で生きていれば、本当におかしな人がいます。伝道しようと行ってみれば、本当に不思議な人がみないます。いろいろな事がみな生じます。文句を言ってくる人もいます。敢えて見ようともしません。なぜでしょうか?価値がないからです。途方もない祝福を受けたのに、何ゆえにそのようにするのでしょうか。私がなぜこういう話をするのかというと、クリスチャンが大部分、それで時間をみな奪われるのです。本当に残念です。ほとんどすべてがそうなのです。皆様は、今日、祝福を受ける資格を揃えるべきです。少しだけすれば、答えがくるようになっています。
 
・私が話したではないでしょうか? むかし、私の家のそばにおかしな兄弟がいました。犬を育てていたのですが、むかしは、見る物がなかったのです。昔は、人々が集まって犬に戦いをさせることが、ものすごく人気がありました。人気があったので、むかしは道端に貼り紙がありました。‘犬のチャンピオン'と貼り紙が貼ってあったのです。すると、それを見て、犬が戦う所に行くこともありました。うちの町内の兄弟が犬の戦いをさせる人でした。その家に犬がいたのですが、その犬が釜山でチャンピオンでした。顔を見れば、噛みちぎられた傷もあります。犬がものすごく恐しい顔です。頭も大きくて、この人が犬を朝ごとに、うちの町内の山に登って訓練をさせるのに、私達を見て恐れて逃げたりしました。その犬は生まれつき違っていて、とても大きかったのです。ある所は、ケガをして薬を塗った所があれば、戦いに行ってきたのです。その兄弟がその犬を連れて、いつも私の家をすぎて山に登ったのです。ところが、その犬を見ると違います。太い紐に縛って、主人を連れられて上がります。むかし、町内に犬がどれくらいたくさんいたでしょうか? 小さい犬達が出てきてほえるのです。この犬は、みつめることもせず行きます。不思議です。小さい犬が出てきてほえるのに、町内で見れば、そのような犬達が多いのです。この犬は、みつめることもしません。主人が太い紐を持って、山に連れて上がるのです。とても騒々しければ、みつめます。すると、小さな犬は、逃げて行きます。犬でも何かある犬はむだな戦いはしません。私たちを見てみましょう。途方もない祝福を受けたことは、事実です。間違いありません。信じようが、信じまいが、皆様が行く所に神様が働かれるようになっています。今でも聖霊で働かれるようになっています。違うことは未信者と違うので、すれば損です。心配する必要もなくて、なんにもする必要がありません。信者と未信者は違うのです。今まで学校に通いながら習った本は、未信者が書いた本です。それを見て、しばしば感動を受けるのです。正しいことですが、参考にだけすべきです。正確に話せば、間違った本です。全部、積極的な考え方から出てきた本です。助けにはなります。しかし、間違っているのです。
 
・神学も、積極的な考え方という名がついた神学書もあります。間違っているのです。絶対に、そのように学ぶならば、大きいことが起きます。もちろん、積極的にして、勇気を出せば良い部分はあります。しかし、できない部分がもっと多いのです。そのように攻め入れば、力が出ます。しかし後で絶望するのです。そのようにできていません。無条件にすれば良いのではありません。なることをすべきです。それで、知恵が必要で、神様がみことばを下さったのです。私たちの信仰生活は、積極的な信仰方式でもなくて、否定的な方式でもありません。正確に見るべきなのです。いつでも目が二つあるべきです。全く同じことを見ても、肯定的なことを見て、否定的なことを見て、判断すべきです。片方だけ見るのでだめなのです。事業がだめになる人は、なることだけしばしば考えます。だからならないのです。ならないことも考えるべきです。そのような思考で信仰生活をしています。今、外に行けば全部そうです。
 
・先週、インマヌエル・ソウル教会に行ったところ、全国で相当な賞を受けた学生、とても優秀な学生ですが、この学生が少しの間、相談をしたのですが "先生。私に本をひとつ紹介させてください" "実際に、本を紹介する必要はない。今、一番たくさん読まれている本が、ジャック・ウエルチの本だけれど、最近、出てきた本だ。また用心して読むべきだ" どんな本かというと、未信者がものすごく努力すれば成功するという内容です。それは否定できない内容です。百個努力すれば、百個成功します。万個努力すれば、万個成功します。その後にくることは、どのようにするのでしょうか? そのようなことではないのです。正しく教えてくれる本がありません。救われた人が書いた本でないからです。クリスチャンが本を書いても、全部でたらめに本を書きます。絶対にだまされては、なりません。皆様は神様の民です。いっそ確認してみようとするなら、占い師を訪ねて行ってみましょう。入っていった瞬間、救われのか、救われていないのか分かります。ぱっと見れば、神様の子どもだとすぐ理解するのです。違うのです。そして、本当に悪霊につかれた占い師に占ってもらえば、卦が出てきません。卦がないのです。出ることができません。私の娘は出てきたと言いますが、それはにせ物を訪ねたからです。にせ物です。本当に霊的な目が開いた悪霊に取りつかれた人がいます。皆様を見る瞬間に、すぐに理解します。違うのです。ところが、あなたがたは、しばしば未信者のように生きようとするのです。言わば、神様の民が未信者のように生きようとするのです。それで良いでしょうか? これが、一番問題です。早く違った考えを変えるべきです。結局、だめになってしまいます。
 
・私は、幼い時、何の本を見たかというと、王子と乞食を見ました。王子が家を出て、乞食になって回ります。苦労を途方もなくしたのです。行く人でないのに、出ているから仕事ができないのです。あなたがたが、本当にイエスを信じるならば、終わったのです。あなたがたは、先祖供養をしません。終わったから、しないのです。あなたがたは、偶像崇拝をしません。終わったのです。何ゆえに考えがそうかというと、出ている本がみなそうです。王である祭司。この話は、傲慢になれということではありません。あなたがたが、静かにいれば良いのです。行く所ごとに神様は働かれるようになっています。今年は体験するように望みます。職場のなかで騒がないで。静かにしていましょう。伝道もしないで、模範になるように仕事をしましょう。祈りましょう。すると、このみわざが起きるようになっています。それが伝道です。キリスト教会は、全部でたらめをしています。職場のなかでやたら騒いで、トラクトを回し、仕事は不十分にして、退屈ならば抜けて、集会すると抜けて、夏聖書学校すると抜けて、休暇へ行くと抜けて、みな抜けるのです。それでは、だめになります。必ず銘記することを望みます。皆様が行く所に、皆様がするのではなくて、神様がともにいると約束なさいました。聖霊で働かれるということは、神様がそこに働かれるということです。皆様が行く所に、天の軍隊を送ってくださるようになっています。これが、皆様の胸の中に打ち込まれねばならなくて、学生達の胸の中に打ち込まれるべきです。
 
・すると、何からせねばならないのでしょうか? 会社に行ってみましょう。神様がおられるでしょうか? 見えないのに、神様は霊なので、すぐ揺れるのです。学校に行ってみましょう。すぐ揺れます。皆様が、外国へ出かけましょう。より揺れるのです。そこに神様がどこにおられるのでしょうか? しっかりすべきです。皆様が行く所に、悪霊ではなく、神様の聖霊が働かれることを約束なさいました。それで、これを味わうことが地域教会です。こういう地域教会を数えきれない程、たくさん立てなさいではなく、立てるしかないのです。正常にあなたがたが、百箇所に行くならば、百箇所立てられるべきです。歩みを移した所が万箇所ならば、万箇所立てられなければなりません。それが地域教会です。これは教会堂ではありません。地域教会を理解できない人が、地域教会堂をしようとするので、苦労が多いのです。全部、クリスチャンは誤って悟って、苦労しているのです。だから、ある面では宣教地に行って、建物から立てるのではありません。人から立てるのです。人が確立されれば、建物は立つようになっているので、人が一名もいないのに建物を立てて、お金を借りるから、人が来なくて問題が生まれるのです。この単語を理解すれば、派遣される所ごとに人が無理にも来ます。すると、建物はあるしかないでしょう。これは、途方もない祝福の門です。ここに事業する場所と皆様が行く所に、神様の祝福が臨むようになっています。間違いない事実です。これをのがせば、死ぬ日まで苦労するのです。記憶すべきです。これをのがせば、どんなに努力をしてもできません。不思議です。クリスチャンが、力がみな抜けて、外に行けばそれが分かるようになるのです。そのようになるのではありません。皆様が行く所に、神様がすばらしく働かれるはずです。そして、皆様の機能が全くなくてもかまわないのです。それは、皆様の考えです。皆様が手に持っていることを通じて、神様は栄光を受けることを希望されるのです。まちがいなくそうです。どんなに無能でもかまわないのです。
 
・タビタは、針仕事でヨッパ全体を驚かせました。神様の計画です。これからは、一般信者が力を合わせて、何をせねばならないかというと、世界宣教です。私たちの教会が、本当に答えをくださいという以前に、私たちの教会がどのように進まねばならないのでしょうか? タラッパンする教会が、どのように進まねばならないのでしょうか? 真の世界宣教をすべきです。これが、一般信者宣教です。絶対にのがさないように願います。皆様が、信仰生活を趣味ですれば、神様も皆様にその程度以上には答えられません。もし、信仰生活を宗教式でするならば、あなたがたは宗教的なことに引っ掛かるようになるはずです。私たちは、信仰生活をどのようにせねばならないのでしょうか? 命をかけてするほどの価値があります。これはもがいてするということではありません。それほどの価値があるのです。そのような答えを受けるようになっています。
 
・少しの間、フランスに留学に行った学生と話をしたら、私たちの学生が話すのを聞いてみると、本当にせつないという程です。あのフランスに、ヨーロッパに、今、ヨーロッパがほとんどみなそうです。神学校が三個あるのに、神学校が全部、運営難に関わっています。大変なことになっています。今、ヨーロッパがこういうようになっています。なぜなら、問題はメッセージです。聞かないでも良いメッセージをするから、聞かないのです。誰か人材が、聞かなくても良いことを話すでしょうか? すると、何ゆえに神学校に行くでしょうか? 大変なことになりました。今日、この話を聞かなければならないのに、皆様が行く世の中は、正確に話せば、サタンの支配下にある世の中です。それで、あなたがたが、救われて光の子どもとして行くようになったのです。皆様が行く所ごとに、神様のみわざが起きるようになっています。それで、地域教会運動、早く単語を確立すべきです。皆様が行く所に、神様が働かれるはずです。そのような人の集いがあるようになっています。それが地域教会です。神様は、まちがいなく皆様の職業、学業を祝福なさるはずです。それが機能宣教です。機能宣教する人間で集まりましょう。神様は、皆様に教会を生かして、世界を生かす人として呼ばれました。それが一般信者宣教です。
 
・それで、どのようにせねばならないことか? ということです。今日、今からいくつかのことを気をつけなければなりません。‘私は出来ない'‘私は何をどうだ'と自己卑下すること、絶対にしてはなりません。皆様は、救われた神様の子どもです。これは、100% 百戦百敗でサタンの餌食になります。自分卑下ということは、高慢ということと同じの意味です。反対なようで、同じということです。その次に‘私は年齢がどうで'‘私はお金がなくて' こういう話は、絶対にしないでください。そして、あなたがたが謙遜にしようと‘私は信仰がなくて'と言うならば、地獄に行かねばならないことですから、私がなぜ信仰がないのでしょうか? そのような話は、絶対にしないで。正確に話さなければ‘私は教会によく行くことができなくて' その話は正しいのです。遊びに回るからくることができない、それは正しい話です。私は信仰がなくては死ぬということです。それで、あなたがたはサタンの餌食になります。知らないからで、それは大変なことになります。私は神様の子どもです。すると、初代教会は、本当に絶望状態でした。あなたがたも知っているでしょう。絶望状態にあった初代教会が、どのように成功したのでしょうか? 私達がどのように生きなければならないのでしょうか?
 
・今日の本文によく出ています。今日、私が、あなたがたが簡単に理解することができるように説明します。今日、聖書を見ると、働き人を選んだのに、聖霊充満した働き人を選んだとなっています。この話がむずかしいのです。どのように、聖霊充満を受けるのでしょうか? もちろん、断食もして、特別祈りすることもあります。今から聖霊充満を受ける簡単な方法があります。皆様が寝たい時は眠って、仕事をする時は仕事をします。皆様の考えと現場、全てのものを心の中で祈りましょう。24時間祈ることが聖霊充満です。もちろん、特別祈りや体験もすべきです。それも聖霊充満ですが、結局は、これが聖霊充満です。皆様が、このようにだけできれば、これが何でもないことのように見えるけれど、すばらしい実をもたらします。皆様が、今から思い出せるまま祈ることを望みます。ある時は、新聞を見ても祈ることを望みます。それが聖霊充満です。これからまずすべきです。これをまずした後に、特別祈りして、断食祈りをするのです。私たちは、これがだめなのに、逆に特別祈りからまずするのです。
 
・皆様が、今から何をするのでしょうか? すべての持っている考え、皆様の目に見える全てのもの、皆様が今しているあらゆる現場をもって心の中で祈ればよいのです。これが聖霊充満です。これだけできれば、答えがみなくるようになっています。少し正常でない人は、これがむずかしいのです。心がせっかちだったり、霊的な問題がある人は、これがむずかしいのです。そのような人々は、いやされてからすべきです。しかし、とても正常な信仰人ならば、このようになります。これはものすごく重要な話です。早く診断できなければなりません。 これができなくなれば、まず霊的に問題があるのです。それから直すべきです。性質が早急な人は、絶対にできません。断食祈りはできるのに、これはできなくて、山に行く祈りはできるのに、これはできないのです。行って、特別に祈りを受けようとすることはできるのに、これはできません。山に登って按手を受けようとすることは、ほとんどできるのに、これはできないのです。何の話なのか分かるでしょうか?
 
・皆様が2003年度を迎えながら、重要な祈りを悟らなければなりません。なぜならば、神様は皆様のすべての所に共におられるためです。祈りは皆様だけが持っている奥義です。言わばこの三つを行く所ごとに知るようになるのです。
 
・聖霊充満という時、多くの体験もあって、恵みもあって、たくさんあります。それは、一つの開始と過程にすぎません。聖霊充満の本物の結論は、このようにできることです。聖霊充満の本物の結論は、できるようになる祈りがずっと出てくることです。もし皆様がこれを一日だけ体験したり、三日だけ体験しても、神様のみわざは始まります。逃さないように願います。昨日、年末だとあまり熱心に遊んで、寝ている方がおられますが、寝ながらも記憶なさるように願います。他のことではありません。皆様に色々な話が多くありますが、神経を使わず、聖書を見ましょう。
 
・エペソ6章18節に、いつも聖霊のなかで祈りなさいと言われました。Iテサロニケ5章17節に、絶えず祈りなさいと言われています。これは、何の話でしょうか? そのまま祈りなさいということです。皆様が、敢えて特別な祈りをする必要はありません。もちろん、この人達が、使徒 2章 1節から13節で、聖霊充満を体験した人々です。このようにすれば、どんなに困難の中にあっても、私たちは勝利できます。
 
・2番目に、この人達は、信仰充満していました。これは、神様との関係を話します。あなたがたが、重要な目が開かれたということです。目が開かれることなしでは、信仰充満することはできません。教会の中には、いつも予算が足りません。皆様が、霊的な目が開かないで、信仰充満しなくては、することができないのです。教会は、いろいろな方向であるために、特に学生達に頼みます。皆様が、今、私の話がわかることができなければ、皆様も知らない間に、教会に行って試みが胸の中にいっぱい積まれて、あとで皆様の年齢が30才を越えて、40才くらいになれば崩れます。元に戻せません。すると、その時になって、皆様が特別に恵みを受けることは遅いのです。必ず記憶すべきです。私は、大人に話したいのですが、レムナントに必ず話しておきたいのです。
 
・皆様は、目を開かれるべきです。信仰の目が開かれることができなければ、生きることができません。必ずレムナントは、信仰の目が開くようになることを主の御名で祝福します。これが開かなければ、違うように見るのです。大変なことになります。教会の中に、信仰の目を開けて見れば、全世界がみな集まっています。教会の中で、信仰の目を開けて見れば、伝道の畑がぱっと開いているのです。信仰の目が開いた人が、教会を見れば、行く必要もなく、全世界に弟子の畑がぱっと開いています。この信仰の目が開かれなければ、教会にきて見れば、全部、異常なことだけが見えるのです。信仰の目が開かなければ、人々を通じて試みにあいます。これはものすごく重要です。教会の予算は、主が再臨していらっしゃる時まで足りません。それで、いつでも信仰が予算で、祝福が決算です。信仰がなければ、教会の働きはできません。単純な信仰ではありません。目が開かれるべきです。皆様が教会の働きをしていれば、決定的に試みあうことが生じます。信仰の目がなければ、できなくなります。
 
・この祝福を受けた私達が、どのように生きれば良いのでしょうか? 知恵充満した人を立てましょう。知恵充満したということは、聖徒と人との関係を話します。神様が与えられる知恵ですが、この関係を話すのです。特に、評判の良い人ということは、信者の間でもありますが、未信者や世の中との関係です。未信者が見て、評判の良い働き人を選んだのです。知恵充満ということは、言葉が含まれています。皆様に知恵がなければなりません。私の場合は、こういう体験をものすごく多くします。する事が広くて、聞くことも多いのです。教会も二箇所で、21世紀総会、協会などたくさんあります。神学院だけでも韓国で二十いくつあります。宣教師訓練院も多いのです。多いから、いろいろな声がたくさん聞こえてきます。ところが、声を聞いて、それをそのまま受け入れれば、失敗するようになります。ある時は、聞けば異常になります。ところが、それをそのまま受け入れれば、失敗するのです。必ず確認してみれば、そうではありません。それで、信仰生活することは、知恵が必要です。ほとんど違った話が出てきて、違った話が伝えられます。ある時は、他の人がイ長老の話をキム長老が話をすれば、誤解できるように伝達します。そこにだまされれば、大変なことになります。キム長老がどうだと話します。そのまま聞くと、誤解します。心をゆさぶらせられます。心を痛めることには、人がどうすることもできません。パク長老がどうだ、キム執事がどうだとか話されたら、聞く瞬間に心が痛んで、自尊心が傷つきます。これがだまされることです。ところが、心を変えて、確認してみたら、まったく違うのです。その人の立場に立つのです。そのように理解してみれば、祈りが出てきます。皆様、信仰生活には、知恵が必要です。いろいろな人がいます。特に話をすること、聞くことを用心すべきです。ものすごく重要です。世の中の人々が見る時、評判が良かったということは、すてきだったということです。伝道の門がどんどん開いたのです。皆様、今日まさにこの時間が、聖霊充満する時間だと信じてくださるように望みます。私が主張する話ではありません。いままで聖霊充満が、あまりに違うように説明されてきました。聖霊充満は、いつ受けるのでしょうか? 信仰で受けるのです。祈る時も受けるのですが、聖霊充満は、信仰で受けるのです。救われた皆様に聖霊充満する祝福が、みことばを聞く時ごとに、行く所ごとにあふれ出るようになることを願います。
 
・この人達が、職分を正しく果たしたのです。使徒 6章 4節に、主のしもべは、みことばと祈りに専念したのですが、それしかないのです。今、主の民、一般信者がすることは、主のしもべが、みことばと祈りからはずれないように、違ったことを話さないように、祈りに専念させてあげるべきです。
 
・一年を送って、新年を迎えながら見ると、むかしはそうでなかったのですが、いまは神様の祝福がたくさん受けた人がすべてだと考えられます。私は、むかしには背景がありませんでした。私たちタラッパンに、福音ゆえに集まった方達の中で、前の総会長をはじめとして、今、総会長と多くの大人が、本当にこの福音ゆえになさるのを見ながら、心がどれくらい感動しているか分かりません。福音でなければ、あのようにできるでしょうか? 私に相当な力になりました。年齢も私より上で、学校も私より先輩です。この方達が、全部、福音ゆえになさったのです。それが、世の中では不可能な話です。特に、知識人や指導者が集まった所では、序列が大切なのですが、この方達が、全部みな年配も私より上で、学校も私より先輩です。この方達が、ただ福音だけのためでした。それで、私には最も力になります。15年過ぎながら、私たちの教会の信徒と 役員を見ながら、どれくらい感謝でしょうか。全部、福音のために、仕事、動きの結果が起こってきています。私たちに一回も問題がありませんでした。問題が出てきそうな理由が多かったのですが、一回もなかったのです。これが全部、福音のためです。これを見ながら、本当に神様に感謝申し上げます。この福音の力が、どれくらいすごいのでしょうか? 使徒が、みことばと祈りに専念して、主の民達は、その恵みの中で、それになるようにさせることが、職分をよく果たしたことなのです。使徒 6章に、その秘密がよく出てきています。
 
・それならば、今日、2003年を迎えながら、皆様が記憶せねばならないことは、神様の目標が何かということです。探さねばなりません。私たちは、どのように生きねばならないかという時、初代教会がどのように勝ったかを見ればよいのです。難しく考えず、初代教会は、聖霊充満を受けて、信仰、知恵、評判が充満していました。そして、自分の職分を果たしたら、この人達が、世界を征服したのです。確実な証拠です。皆様がこういう祝福を受けようとするなら、どのようにすれば良いのかが出ています。すると、神様の目標が何でしょうか? 神様の目標は、まさに世界宣教です。皆様、この契約を捕まえて、祈りだけせずに、本当に考えることを希望します。特に、神様が世界福音化なさるのが、一般信者宣教を使われます。今、私たちは滅んでしまった教会の歴史を早く回復させるべきです。たぶん、新しく信じる方達は、よく知らないでしょう。一言で、教会の歴史は、何の歴史でしょうか? 苦難の歴史です。これを早く回復しなければなりません。聖書は、何となっているのでしょうか? 聖書は、真の祝福だと記録されています。皆様、イスラエルの国がずっと受けたのが苦難です。私たちのクリスチャンがずっと受けたことが、苦難です。私たちは、早くこれを回復させるべきです。私たちの子孫のためにということです。今日、皆様がこの契約を本当に堅く捕まえることを主の御名でお祈りします。
 
・それで、地域には地域教会、皆様の機能回復には機能宣教、教会を正しく回復する一般信者宣教、これ三個を回復すれば、ここにあらゆる答がみな入っています。どれくらい感謝なのか分かりません。最後に、これをするために、あなたがたは、重要な奥義を持っていなければなりません。誰でもできます。重要な奥義です。持っている者と持たない者とは違います。お金を持った者が働き人を使うことと、お金がない者が働き人を使うことは、すでに違います。財産をたくさん持った人が、働き人を使う方法と、お金が一銭もない人が働き人を使う方法は違います。お金が一銭もない人が、働き人を使う方法は、能力者を探します。しかし、お金を本当に持った人は、能力者を探しません。信用がある人を探します。持っているためです。能力者を探す人、その人は持っていない人です。どうにかして、他人のものでもうけようとするのですが、持っている人は、そのような人を探しません。本当に福音を持ったタラッパンは、誰を探すかというと、この福音運動を持続する人を探すのです。にせ物の福音を持った時、色々な戦略が必要なのですが、本物の福音は、そのような必要がありません。悟らなければなりません。持っている者と持っていない者は、差がものすごく多いのです。
 
・本物がある者と、ない者は、差がたくさんあります。ない者がすることは、全部、見えるところは良いけれど、それがすべてにせ物です。しかし、ある者は皆様が見る時、理解が良くできないけれど、それがすべて本物です。すでに私が持っているのか、持っていないかは天地の差です。すでにお金をたくさん持っていて、自分のものを持っている人は、国家に愛そうとします。なぜならば、自分が生かされるからです。ところが、ない人は国家をやたら非難します。すでに違うのです。すでに、たくさん自分のものを所有している人は、外国へ行っても、国家のために祈って、国家のために献金することもあります。しかし、ない人は、外国に行っても、国家の悪口をずっと言います。ない人だからです。なにかが違います。そして、持っている人は、肯定的です。持ていない人は、否定的です。違うのです。持っている者と持っていない者の差は、どれくらい多いか知っているでしょうか。皆様、ちょっと価値がある人は、道を渡る時も用心して渡ります。車が来るならば、あらかじめ手をあげて歩いていきます。重要だからです。道を歩きながら見るでしょう。つぎはぎの服を来て、帽子をかぶって歩く人は、車が来ても無視しながら行きます。その人は、自分が価値がない人だと知っているのです。
 
・持っている人と、持っていない人との差です。これは全てのものを左右します。皆様が、本当に福音を持っているのでしょうか。確かに違います。福音を持っているとするなら、すでに小さい所で違うのです。大きい所でも違います。この福音を持った者は、大切なことを知っているために、保護しようとして、伝達しようとして、維持しようとします。持っていない者は、大人も子どもも同じだと考えます。おとなでも子どもでも、長老でも誰でもけんかします。子どももおとなもなくて、過去も未来もありません。持っていないためです。どっちみちないためです。ものすごく重要な部分です。皆様は、福音を持った瞬間に、あらゆる呪いから、運命から抜け出たという事実です。皆様が、福音を持った瞬間に、運命、占い、こういうことが必要なくなりました。サタンの力から解放されてしまったのです。それで、皆様が行く所ごとにみわざが起きるのです。静かにいるのに、働きが起きるようになっています。一度、2003年度に体験してみましょう。不思議に皆様ゆえに職場の中に祝福がおきるようになっています。皆様ゆえに祝福がどんどん現れます。皆様の機能が息をふきかえすはずです。これで、神様が栄光を受けてくださるようになっていて、結局は、世界福音化をします。このようにする理由が何でしょうか。全世界の暗闇の中に陥った人を救い出さなければならないからです。世界の福音化。このようにしようとすれば、奥義がなければなりません。
 
・奥義がある者と、ない者は確かに違います。違うように持った人は違います。それで、皆様は今日、救われたということが、何の話かを本当に発見するようになれば、真の喜びが生じます。救われたという話を一言で何と言えるでしょうか。救われたという話を一言で表現することは、とてもむずかしいのです。あまりに重要だからです。それで最も簡単なことで言えば、運命が変わったということです。救われたのです。絶対に運命の中に、サタンの力の下にはいません。考えれば考えるほど、うれしいでしょう。答えを受けるからです。これを真に味わうようになることを願います。この時、感謝が出てきます。これは奥義です。それで、正しいか、正しくないか、あなたがたが現場に行ってみましょう。目をよく開けて、詳細に見なければなりません。よく見れば、そこに3つのことがきています。答えが来ています。まちがいなく、そうです。これを人々がのがすのです。クリスチャンが、それを詳細に見れば、伝道の門が開きます。それを詳細に見れば、福音の祝福が現れるのです。この三つが現場に行けば常にあります。これが秘密です。それで、私はこれを知った後、どこに行っても自信を持ちました。どこでもかまわないのです。どこでも神様は答えてくださるようになっています。私たちのレムナントが、この契約を持って行くならば、全世界のどこでも勝利するようになるはずです。神様の大きい祝福を受けるようになることを主の名前で祝福します。
 
・それで、この契約を持ってずっと祈っているのです。祈りの中で、最も良いことがずっとすることです。この祈りをしたら、私が5つのビジョンを見ました。どんなビジョンか?というと、これからエリートを生かさないとだめです。それで、各種の答が出てき始めたのですが、それが専門の働きです。これから、世界の福音化は経済でもありません。文化の働きです。これから、世界の福音化をしようとするなら、早く産業宣教に答を出すべきだというビジョンを見ました。それで始まったのに、みな成功しています。結局は、大きいビジョンは、私たちの学生達、レムナントを生かすことです。これは全部、答えでみなきました。どれくらい感謝しているか分かりません。最後に見たビジョンは、全世界は病んで死ぬということです。肉体的なものは問題ではなくて、霊的な病気で死んでいます。いやし。全世界は病まざるをえないのです。石を前に置いておじぎする人が、狂う以外あるでしょうか。全世界は病まざるをえません。かたちを作って置いて、そこにひざまずいている人は、精神が狂うしかないでしょう。全世界は病まざるをえません。ここに日本人がたくさんいらっしゃるでしょう。アジアで精神病者が一番多い所がどこでしょうか? 日本です。アジアで偶像が一番多い所がどこでしょうか? 日本です。うつ病で苦しめられる病気が一番多い所は、台湾です。台湾に偶像が最も多いのです。乞食が一番多くて、売春婦が多い所はタイです。そこに仏像が最も多いのです。狂うしかありません。間違っている、正しいではなくて、狂うしかありません。
 
・理解できないならば、今から体験してみるように望みます。私の説教が理解できなければ、体験なさることを願って、もし気分が悪い人も体験してみるように願います。もし僧侶が私の説教を聞くならば、気分が悪いでしょうが、体験してみてください。これは手拭いです。汗をかけば拭くためにあるのです。ところが、これを掛けて手拭いに向けて‘こんにちは'とお辞儀をするのは、狂ったことです。しかし、このようにすれば、驚くべき事が行われます。これが、悪霊の働きです。これをする人に運命を任せて占いにいくのです。これが、いっしょに滅びることです。それも知らずに、昼夜、こういうことをしているとも知らずに、そこに行って自分の人生を尋ねるのです。それが共に滅びることです。それで、神様がそれをするなと言われました。いたずらに手拭いだけ苦労します。だから、全部、いやされなければならないのです。私はとても驚きました。私はこの目が開かれながら、世界は病んだという気がしたのです。私がイエスを信じるようになったことが、どれくらい感謝することか分かりません。それならば、当然に神様は、皆様の祝福をあらかじめくださいました。それが何かというと、皆様が行く所ごとに、神様が働かれるのです。信仰だけ回復するように願います。皆様がしている仕事を神様が祝福なさるはずです。それで、世界宣教とは何でしょうか?私たちの目的が何んでしょうか。これから、神様の計画を成し遂げ、全世界に宣教師を送り出すことです。皆様が、霊的な目を大きく開けるように願います。今現在、地球の中で、4分の一は韓国のお金一万ウォンで一ケ月生活しています。そして、地球の中で4分の一は生活費が10万ウォンで十分で生きる国が多いのです。4分の一は良い生活をする国で、4分の一は飢えて死ぬ国です。韓国のように、先進国の隊列に立って、ちょっと良い生活をする国は4分の一しかならず、残りの4分の一は飢えて死んでいっているのです。完全に食べることができずにいます。イエスの話を一度も聞くことができなくて死ぬ人も多いのです。
 
・私たちの教会で、何をしなければならないのでしょうか。一千万宣教師を派遣する所に力を集めなければならないのです。それで、あなたがたが3つの祝福を受けるように願います。地域教会、機能宣教と一般信者宣教の祝福を受けてくださらなければならないのです。本当に今回、受けるように願います。今日が終わる時間には、絶対、感情的にせず、今、私がする話は私達が良くしよう、私たち長老達によくしようということではありません。誤解しないように願います。私達が今どんなに熱心にしても、長老は、前で苦労だけせず、一度も長老達にはご飯もあげることがありません。全部、自分で食事代もみな出します。ところが、誤解する必要はありません。これから何をするのか?というと、今、全世界に福音を聞くことができないでいる、その国から暗闇の勢力が韓国に越えてきているのです。宣教しましょう。私たちが食べようという話ではありません。私たちが食べることを惜しみましょう。学生達も参加しましょう。私達が持とうということではありません。全世界宣教しようということです。これが最後の話です。一般信者宣教をしましょう。皆様、この人達に会って、お金をたくさん使うでしょう? 少しだけ惜しんで、宣教しましょう。これが私たちの、神様の三番目の目標です。
 
・あなたがたは知らないのですが、他の国の霊的な風がみな越えてくるのです。今、暗闇の風が越えてきます。いまは、グローバル時代になって、日本にあった事が韓国に直接越えてきます。今、タイと東南アジアのことが直接越えてきています。私たちは、これを防止せねばならないのです。皆様が、それで全部、参加するように願います。私は、年齢が若くなくて、経済力がないという人は、一番低い千ウォン(百円)だけしましょう。それで宣教師を送るようにということです。私たちの教会が、なぜ祝福を受けたのかを知っているでしょうか。世界宣教するなかで、私たちの教会がどんな宣教をしたかというと、私たちの教会を始めるやいなや、私たちの教会の長老達はすごいのです。私たちの教会のパク長老と役員が完全に国を失って家も失って追い出された人、カレン族。この人達は難民です。大学教授がどれだけ貧しいかというと、一ケ月を韓国のお金一万ウォンで生活するので、私達が 30万ウォンを送れば、本当に30万ウォンは、なんでもないでしょう。30人の教授がご飯を食べるのです。これを私達が続けました。神様が私たちの教会をどれくらい尊くご覧になったか、皆様をどれくらい尊くご覧になったでしょうか。今でも多いのです。福音を一度も聞いたことがなくて、サタンの力の下に押さえられて、サタンの文化が世界へ広がっています。ここに私たちは、一般信者宣教で参加しなければなりません。私たちの教会が、祝福を受けようということではありません。神様がなさるようになっています。当然です。それで、今日、すべての教役者も一般信者ではないけれど、ここにみな参加しましょう。参加して、一般信者宣教運動を展開しなければならないのです。私達がご飯だけ食べて、安らかに過ごすのではなくて、今、全世界に向かって霊的な戦いを始めましょう。これが結論です。そのままいるのではなく、これからは、肉体的な戦いをするのではなく、霊的な戦いをしましょう。霊的な戦いをしないならば、その霊的な戦いは全世界に通じるために、サタンのしわざはすぐ、皆様にあった働きが外国にいる皆様の子どもに働くようになるのです。それで、霊的な戦いでたたき壊しましょう。全世界の皆様、一般信者宣教に参加しましょう。学生達もしましょう。皆すべてがしようということです。あなたがたが友人に会う時、すこし節約して参加しましょう。小さい小学生も、貯金箱、豚の貯金箱を作って入れましょう。それで宣教に参加しましょう。これは私たちの教会が利益を見ようということではなくて私達がよく食べようということでもありません。世界宣教に参加しようということです。今でも暗闇の力の下に押さえられた、すべての人を救って暗闇の勢力をたたき壊すのです。
 
・一千万メンバーを派遣しましょう。これが理解できませんか。あなたがたが、現場に一度も行ってみたことがないからです。現場に行ってみるならば変わるはずです。胸が張り裂けるでしょう。彼らに福音を伝えるべきだという気がします。現場を見なければなりません。それで、私は来年には、可能ならば、私たちの教会の長老達で話合いをして、休暇計画を1年分スケジュールを組んで、私たちの教会、協会からの長老たちが、皆回りながら世界現場を見なければなりません。そのように長老達が見るならば、一般信者 100人が見ることがより良いのです。がらりと変わるはずです。思いがあってこそ、働きができます。やさしい例で、私がこの人を大邱で伝道したとするなら、私はこの人に対する思いがあります。大邱の人にこの人を紹介しても知りません。大邱で伝道した人を紹介しても行きません。思いがないためです。宣教もそっくりです。これを見たのです。あなたがたは、本物のサタンの勢力を見たのです。皆様の子どもがいるではないでしょうか。すぐ霊的な目が開きます。最後の時間に、この祝福の驚くべきビジョンをいだいてくださるように願います。これを抱く瞬間に答えは始まるのです。
 
・最後にお話しします。ここにレムナントがいます。絶対にだまされず、プライドを持つように望みます。今、外国に行って勉強している学生達や、行く学生達に頼みます。いままで信仰の整理ができていない大人をみて、絶対に試みに会わないでください。試みに会うこと自体が病んだことであって、すでに負けたことです。私たちは、神様の子どもです。プライドを持ちましょう。私が信仰生活を新しく始めながら決断したのです。私はどんな場合にも、おとなでも、誤って習ったり、信仰を知らず、福音を知らない人ゆえに試みに会わないと決断したのです。試みに会います。新しい家族が見れば心配で、あなたがた既存信者を見ると試みに会います。大きいことが起きます。試みに会わないように。そして、あなたがたは神様の子どもであり、レムナントというプライドを持ちましょう。レムナントです。ここの長老達は、あなたがたの夢をこの祝福を世界へ繰広げる指導者です。私たちレムナントは、これを持たなければなりません。私は出来ないけれど、私とともにおられる神様がなさることができるというプライドを持ちましょう。どのようにすれば良いのでしょうか? 聖霊充満を受ければよいのです。みな解決にするようになっています。聖霊充満を受ければ、皆様に信仰の目も開きます。信仰の目が開けば、知恵も生じます。すると、他の人からの良い評判も受けるようになっています。そのような後に、伝道の門が開きます。みことばと祈りに大きい祝福が、皆様に臨むようになるはずです。これが 2003年が始まる契約です。絶対に忘れてしまわないで、今日から歩みごとに答えを受けるあなたがたとなることを主イエスの御名でお祈りします。
 
(祈り)
 神様に感謝申し上げます。今日、2003年を始める最後の礼拝をささげました。このみことばをのがさないように、行く所に神様の計画がある地域教会戦略と、私の産業を通じて神様の計画があるという機能宣教と、これから私たち教会を通じて、一般信者を通じて世界宣教をする祝福をのがさないように働いてください。
 私たちの主イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン