(2003年 02月 16日インマヌエル教会/ 柳光洙 牧師)


 1部 / 最もたいせつな戒め
(マルコ12:28-34)
 
 
・今日、ある律法学者がイエス様に尋ねました。律法学者は、聖書をよく知っている人です。字をよく知って、字そのままを記録する人です。この人が、イエス様にきて何と尋ねたのかというと、戒めの中で最もたいせつな戒めは何ですか? 神様のみことばの中で一番重要なみことばは何ですか? とても重要な質問をしました。簡単に話せば、神様をよく信じる方法は何ですか? こういう質問とも同じです。また少し応用するならば、信仰生活を上手にやろうとするならば、どのようにせねばならないですか? こういう質問でもあります。この人は悪い意図で質問したのではなくて、心より尋ねたようです。イエス様も、心より答える内容が出ています。その前に質問した人々は、イエス様のあらさがしをしようとする人もあって、苦境に陥れて難しくさせようと質問する人が多かったのです。この律法学者は、そのようなことではありません。本当に戒めの中に最もたいせつな戒めは何ですか? それも、普通の人でなく、聖書をたくさん知っている人が尋ねました。聖書をよく知っている人が神様の戒めの中で最もたいせつな戒めは何ですか? このように尋ねました。この時、イエス様が答えられた本文です。
 
・今日の本文は、単なる本文でなくて、約1200-1500年を遡って与えられたメッセージです。イスラエル民族が、神様を知らなく、神様をよく信じねばならない人が滅ぼされて、エジプトで奴隷になりました。そのような中で、神様がモーセという人を呼ばれました。モーセという有名な人を知っているでしょう? 神様は、モーセの年齢が80才になった時、「イスラエル民族をエジプトから連れて行きなさい。連れて行く理由は、1つしかない。イスラエル民族を連れて行って、犠牲のいけにえを捧げなさい。血のいけにえを捧げなさい。」モーセがこの話を分かったのです。これは、福音の相当な核ではないでしょうか? パロ王に行って話をしました。「私の神様がわたしの民を送り出せと言われるので、送り出してくれ。」「なぜそのように言うのか?」「私達が行って犠牲のいけにえを捧げねばならない。」パロ王がこの話を分かるでしょうか? 「犠牲のいけにえとは何か?」「行って羊の血のいけにえを捧げねばならない。」「血のいけにえを捧げるならば、ここで捧げれば良い。」「いや違います。」「それがなんで重要なのか?」「そうではありません。行って捧げよと言われました。」「すると、何名かで捧げに行けば良いではないか? 行ってイスラエル国が行って捧げよと言われました。」パロ王が、‘イスラエルの奴隷が気が狂った。たぶん, 食べるものをあまりにたくさん与えたので、気が狂ったようだ。そして、仕事を少なくさせたので、精神が病気になった。’と思いました。仕事は倍にさせて、糧は少しだけ与えよ。そのようにして、イスラエル民族を難しくさせたのです。その中で苦労したイスラエル民族のために戦ったのですが、人殺しをして逃げたのでした。この人がイスラエル民族を連れて出たのですが、あなたがたがご存じの通り、すばらしい事が行われました。パロ王に話したのですが、出てこられたでしょうか?そのように有名な統治者が、「分かった。イスラエルの民を連れて行きなさい」と言うでしょうか? だから、戦いになったのです。モーセとパロ王と戦いになりました。あなたがたもおわかりの通り、災いが下されるようになりました。神様のみことば、重要な契約をこばむと災いが下されたのですが、エジプトのすべての水が血に変わりました。水が変われば、どうなるでしょうか。このパロ王が当惑するようになりました。それで、モーセを呼んで「これのために祈って変えろ。そうすれば、送り出してやる。」モーセが祈ったところ、血がなくなって水になりました。だから、すぐに心を変えて行くことができないようになりました。それで、2番目の災いがカエルの災いです。カエルが腐ったり、ふとんにもカエルが出てきて、カエルがあまりに多ければ異常ではないでしょうか? それでも、パロ王は揺れませんでした。送り出してやると言っておいて、また出してくれなくて、後ほどはすこしより激しい災いが下されたのですが、ぶよの災いでした。人を刺したり、服の中からふとんの中まで、ぶよが多ければ、どうなるでしょうか? その程度は、良いのですが、もうすこし激しい災いが下されました。あぶの災いが下されたのです。それで、エジプトの地にあぶがいっぱいになり、口をあけても入っていく程に多くなったのです。その程度は耐えられるでしょうか? このパロ王が、少しも動きませんでした。いよいよ財産を打ち始めたのですが、家畜に呪いがくだされました。その時になって、パロ王が緊張し始めました。すると、「あなた達の中で、男子だけが行って礼拝を捧げて来なさい。血のいけにえをささげて来なさい」と言いました。災いが終われば、また心が変わりました。後ほどは、人々に病気がき始めました。腫物ができ始めました。その次には、ひょうが降って、すべての果物、野菜、みな枯れるようになりました。後ほどは、いなごの群れを送って、すべての植物をみな枯らすようにされました。その時になって、臣下が話をしました。「私達が、主なる神に敵対していては、滅びるようになります。送り出しましょう。」「分かった。」それで、イスラエル民族を送り出してやると言ったのに、災いが終わったら、また心が変わりました。パロ王は、たいした人物です。エジプト全土に三日間、暗闇がおりて、最後の日にイスラエル民族が羊の血を塗った日、イスラエル民族がエジプトから出てくるようになりました。その時に、エジプトの血を塗っていない家はみな死ぬようになりました。その時になって、パロ王が完全に降参するようになったのです。モーセを呼んで、「あらゆる誤ちを赦してイスラエル民族は行きなさい。そのまま行くではなく、子ども達、家族、みな連れて行きなさい。そして、そのまま行かず犠牲のいけにを捧げるために家畜を持って行きなさい。今まで集めた、金銀があればみな持って行きなさい。」そして、最後に言った話が、「二度と戻って来ないで。」それで、出てきたのが出エジプト記です。そうしておいて、パロ王が家で考えていて、くやしくて、エジプトの全軍を連れてイスラエルの民を捕まえに行きました。そうして会ったのが紅海です。その時、神様は想像出来ない事をなさいました。紅海に行ってイスラエルの民を渡るようにされたのです。今でも論議沸騰しています。エジプトでは、何と主張するかというと、時々何百年に一度ずつ、紅海が分かれる場合があります。その時、イスラエルの民が時を合せて渡っていった。どうであっても、渡って行ったことは確かです。エジプト人が話したことを聞いてみれば、それがより大きい奇跡であって、聖書は何となっているかというと、海の水を分けて、イスラエル民族が渡っていったとなっています。それで、イスラエル民族が荒野の中を歩きながら、色々な事がありました。神様がイスラエル民族を、火の柱、雲の柱で保護されました。この時、荒野で集まってしたモーセのメッセージです。申命記6:4 「イスラエルよ。聞きなさい。」その時、言った言葉です。「主は私たちの神。主はただひとりである。心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。私がきょう、あなたに命じるこれらのことばを、あなたの心に刻みなさい。これをあなたの子どもたちによく教え込みなさい。あなたが家にすわっているときも、道を歩くときも、寝るときも、起きるときも、これを唱えなさい。これをしるしとしてあなたの手に結びつけ、記章として額の上に置きなさい。これをあなたの家の門柱と門に書きしるしなさい。」この部分を主が引用されたのです。
 
・一番たいせつな戒めは何でしょうか? 今日、私と皆様が、ここで率直な礼拝をささげて、私が皆様に率直な説教をして、皆様が率直に説教を聞くことができる時間になれば、相当な時間になります。これが何でしょうか? どんな人が聞いても、特に価値がない話です。一番たいせつな戒めは何ですか? と言ったところ、力を尽くして神様を愛して、隣人をあなた自身のように愛しなさいと言われました。特に重要な話のように思えません。しかし、ここで皆様が祈らなければならない内容は何でしょうか?
 
・最初に、真の価値観を発見することです。価値観です。これを発見した人はできるようになっています。これが重要です。これができない以上、どんなに苦闘しても、どんなに牧師になって、どんなに執事になっても、なるようになりません。この部分がものすごく重要です。発見すべきです。今回、米国に2週間いたのですが、2週間にニュースで何が出てくるか? というと、いろいろなニュースが出てきたのですが、だいたい続いて出るニュースはだれについてかというと、マイケルジャクソンに関してのニュースでした。マイケルジャクソンという人を知っているでしょうか? この人についてのニュースですが、2週間ずっと出てきていました。この人が、子どもに異常なものをかぶせて、あの高いホテルの建物のてっぺんで押し倒す場面を人々が見て、告発したのでした。子どもを泣かせたのではないか? 先進国で、子どもを困らせれば、捕まえられます。韓国では、皆様の勝手に殴れますが、もし先進国ですると捕まえられます。ところが、その子どもがなにか顔に書いて落とそうとしたので、そのようにあのマイケルジャクソンは異常で、悪い人だとニュースに出てきたのです。マイケルジャクソンは、お金をたくさん持っているので、手術をどれくらい多くしたのか、鼻骨が落ちて顔が流れています。そのようなニュース、いっそのこと白人になりました。あまりに手術を多くして漂白をしたのです。顔が崩れ始めるのです。神様が黒いとすれば黒くなければ、しばしば白くしようとすると崩れ始めるのです。こういうニュースがずっと出てきました。それを見て、福音がなければこうなのだな。一夜で30万円のホテルで泊まるのに、福音がなければあのようになるのです。マイケルジャクソンが、どれだけお金をたくさん儲けたのかというと、韓国にきて何と言ったでしょうか? 「済州島の土地を私にくれ。すると韓国のIMFを止める。」その程度にお金が多いのです。「韓国のIMFを自分が個人的に止める。済州島を私にくれ。」それがマイケルジャクソンです。前回、韓国にきた時、どのようになったでしょうか? 騷ぎが起こったではないでしょうか? マイケルジャクソンが泊まったその部屋が80万円です。一階全部みな借りて、警護員をみな合わせて、どれだけかかったでしょうか? それ程にお金が多い人です。それで私が尋ねました。マイケルジャクソンの家はどんな家なのか?大きい地域全体がマイケルジャクソンの家です。その中には、子どもの遊び場もあるということです。家の中に入っていってみた人はいませんが、話を聞くとすごいということです。歌手を見てお金をたくさんあたえる世の中も狂った世の中ですが、とにかくそのように良い生活をする人が、精神的に苦しめられているのです。それで、子どもを見れば、どうしたら良いのか知らずにいるのです。福音に対する発見です。あなたがたは、本当に発見すれば、それだけ今日の本文のみことばが理解できるようになります。
 
・今回、米国へ行って、レムナントの運動選手一名に会ったのですが、私がその学生にこういう話をしました。「君は、私の話を必ず記憶しなさい。3つのことを記憶しなさい。ひとつは、マイケルジャクソンを見なさい。人は歌を歌おうが、絵を描こうが、何か運動をしようが、何をしようが、そのために深い段階に入っていかねばならないのだけれど、その時から問題が現れます。それ以前にも問題はあったのを知らずにいたのですが、その時から現れるようになります。福音を受けたという事実は、驚くべき事実です。それで、君が今から毎日のように福音の秘密を少しずつ味わうのに、本を見ようが、テープを聞こうが、どのようにしようが、毎日聞きなさい。そして、福音に関する知識をずっと積みなさい。時間があるかぎりしなさい。もうひとつは、今、米国、ヨーロッパ、全世界の各種宗教、ニューエイズ運動、すべてにおいて最高に起きる運動がひとつあります。それが気功です。そこに対して研究をして、君がそれを凌駕するほどの祈りの秘密を持たなければなりません。そこに対する資料を送ってあげます。」そのような話をしました。「そして、君が運動をすることも重要だけれど、成功した人は考えが違います。これが違うのです。成功する人物は、確かに考えが違います。だから、そこに対する本をたくさん読みなさい。お手洗にも持って行って、車にも持って行って、少しずつ少しずつ読んでみなさい。あなたの考えがたくさん変わるはずです。一生、そのようにしなさい。その中で最も重要なのがなにかというと、福音がなければ死ぬのです。君が目を覚まして見なさい。運動選手が成功してから麻薬するのを見なさい。それしか仕方がないのです。」福音を受けたという事実。福音の価値を発見したという事実。相当なことです。これが本当に皆様の祈りの課題にならなければなりません。皆様にこの部分がなくなれば、生きていく中にすぐに問題が現れるのではありません。それで、真の発見をしましょう。くやしいことの中で、最もくやしい事が何でしょうか?%で話せばおかしいでしょうし、正確ではないけれど、私が見る時、 99% のクリスチャンが発見できずに生きています。くやしいことです。イエス様が十字架で血を流して、すべての罪を赦され、暗闇の勢力をみな打ち破られたのに、クリスチャンの中で99%が味わうことができません。発見出来ずにいるのです。発見すれば簡単なのに、今日、これが皆様の祈りの課題になるように望みます。簡単です。「神様、本当に福音とその価値を見ることができるように、私の目を開けてください。」これがクリスチャンの最初です。その次の2番目に、何の価値もないことを捕まえてすがるのです。価値ないことを捕まえてずっと話します。必要なことではあるのですが、本当に価値あることは話さないのです。しないことではなくて、できないのです。英語で話せば don'tでなくて can'tです。生きることができません。見ることができなかったゆえに、これがものすごく重要です。ある面で聞けばものすごく難しい話のようです。やさしいことなのです。最もやさしい話です。ある会社のクリスチャンの祈り会に説教しに行ったところ、司会者がにこにこ笑っていました。何が良くてそのようなのかと尋ねました。なぜそうかというと、今日とてもたくさん集まったということでした。70人ほどが集まっていました。いや 70人でたくさん来たというのですか? たくさん来たと言います。「普通、何名来るのか?」「3人しか来ません。」会長と自分と総務、その三人が来るのでした。「今日、先生がくるといううわさを聞いて、70人がきたということでした。」「そうなのですか? クリスチャンの祈り会の会員は皆で何名ですか?」「全部で 500人ほどになります。」500人中で70人がくれば、少ないではないでしょうか。それでもたくさん来たということでした。それがクリスチャンの水準です。どのようにするのでしょうか? それではなくて、あまりにこないのに、たくさんきたということです。祈り会の会員は500人を越えるのに70名もきたのです。普段、3人しか来ません。それで何ができるのでしょうか?ある面では、これがクリスチャンの水準なのかも分かりません。大変なことになりました。全世界の私たちタラッパンメンバーや、クリスチャンが発見せねばならない最初のことは、何をするかではありません。あなたがたが、本当に見ることを正しく見るべきです。これが重要です。発見したのです。あなたがたが、本当に発見したとすると、恐れる必要がありません。あなたがたが本当に発見しなければなりません。
 
・私たちの教会に難しい二つの問題が発生したのですが、祈りの課題です。 皆様、祈ってください。今、どんな困難が生じたかというと、あまりに席がなくて、この建物をみな壁を崩して一つにするのか、でなければ、より建て増しを出来ないだろうかということです。子どもの場所もなくて、私たち信徒の特徴が、一日中礼拝をささげて行くのですが、休むことができる場所もなくて、私達が今むずかしいのです。ある面で考えれば、たくさん集まるのであるから、幸福なことではないかと言いたいのですが、実際にこれが続くとすれば、むずかしいのです。ある初めて来た人は、席がないので、あの後に立っていて家に帰った人もいます。実際にそうです。私達があまりに施設がなくて、今、むずかしいのです。祈りをすべきです。私達が建てようとすると難しい状況です。伝道もせねばならず、復興もすべきです。そうしながら、今朝、そのような話を共にしたのですが、私の心にどんな気がしたのかというと、むかしのことを思い出しました。私達が三十坪にもならない地下で、どれ程人が集まったかというと、外側に人が集まったり、バスで礼拝を捧げたり、その時、人があまりに多くて道がふさがって、説教をし終えた後に出てくることができませんでした。出ていけないから、講壇上に閉じ込められていて、人々が出て行ってから、出て行きました。ところが、私たちとしては、とうてい力がなかったのです。神様は、影島のなかで最も訓練しやすいこの場所をくださいました。これが今、足りません。それならば、私達が祈るようになれば、釜山で一番良い場所をくださるはずです。私は祈りながら、そのような考えをしてみました。まちがいなく、私達が持っている答えは、とても大きくて重要なのです。これを発見すべきです。それでこそ、人生の価値を発見するようになります。私が生きるかぎり行きます。学生達もここにいます。学生達は、勉強するために生きるのではありません。また運動する学生達は、運動するために生きるのではありません。今回、私たちのレムナントの中で今回のゴルフ大会に優勝して、ヨンセ大学に初めて選抜されて行った学生に会いました。ヨンセ大学で選手を選ぶことは初めてだということです。だから、どれくらいたいした選手でしょうか? どれくらい練習を多くするかというと、朝起きて夕方までずっと練習をします。それで、私がその学生を見て言いました。「君は運動のために生きないで。」その学生に熱心にしろと言うべきなのに、「運動のために生きないで。運動があなたのためにある程にしなさい。味わいなさい。そして、君は神様のために生きなさい。」このように順序だけ変えれば簡単なのです。「君がゴルフのために一生懸命にしようとすれば難しくなります。そうではなく、それがあなたのためになければならないのです。そして、君は神様のために生きるのです。」このように順序だけ変えれば、とても簡単なのです。簡単です。私は神様の驚くべき秘密を発見した後に、24時間神様の祝福を味わうことができて、どんな困難が来てもかまわないのです。誰が何と話してもかまいません。これから、あの個人と皆様と私たちの教会とタラッパン伝道運動する総会に対する未来を確かに知っています。恐れる必要がありません。これが信仰生活の最初です。皆様が一人、本当に尋ねるべきです。ここに対する発見です。すると、何にもしないということではなくて、するということでもありません。してもかまわなくて、しなくてもかまわないのです。そのようになれば、その次のことができるようになります。真の発見をしたのです。この時、出てくる答です。この発見ができる時、当然に生き方と答が出てくるのですが、その時に、神様は唯一な神様です。そうです。私たちを暗闇から救い出されるのは、他の神々ではありません。唯一の神様です。私たちの問題を解決できる宗教はありません。神様が、それでキリストを送られたのです。それなら、心を尽くして命を尽くして、思いを尽くして、力をみなつくすことが当然の話です。それでなければ、この話は狂った言葉です。教会に行けばご飯を与えるでしょうか。教会になぜ行くのでしょうか? 皆様が教会に行って、命を尽くして、力を尽くして、これがどのように可能だということでしょうか? これが発見できる時、可能なのです。それなら、隣人をあなた自身のように愛しなさい。可能な話です。どのように自分自身のように愛すのでしょうか? ところが、この恵みを知っていれば、可能になるということです。ものすごく重要です。これが最もたいせつな戒めです。主なる神は唯一な神様であり、心を尽くして、命を尽くして、思いを尽くして、力を尽くして愛しなさい。29-30節にそうあって、申命記6:4節にそう書かれています。そして、一つより付け加えたのです。申命記6章にないことを付け加えました。あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい。可能な話です。皆様に今年はまた今日は、この発見があるようになることをイエス様のお名前でお祈りします。皆様が好きなようにならないけれど、神様が発見するようにされるのです。確かに変わります。どこが違うのでしょうか? 説明するのが難しいのです。あなたが、どのようにして、途方もない事ができるのでしょうか? 確かに違います。この発見をすれば、教会にきて本当に試みに会いません。隣人をあなた自身のように愛しなさい。これを本当に発見したとするなら、私たちはいのちをかけて主の働きができます。なぜでしょうか?発見したからです。私たちがこれを本当に発見したとすれば、教会にくれば特に立派な人、おかしな人、みないます。絶対に心が試みに会いません。心に他の考えを持つようになります。祈りが出てくるようになっています。隣人をあなた自身のように愛しなさい。
 
・何名かだけ例えで見ましょう。アブラハムとロトの差です。アブラハムとロトの差は、アブラハムはこの部分を発見するようになりました。しかし、そのおいロトは、全く同じように救われたのですが、発見できないのです。ここで差が出たのです。皆様、発見するということは大変なことなのです。それでこそ、この解答が出てくるのです。あなたがたがよく知っている通り、ヤコブとエサウは、同じ父母の下で育ちました。エサウは何と話したのでしょうか? はなはだしきは長子の権利をおかゆ一杯で売りました。それが問題ではありません。エサウの胸の中には、神様に対しての貴重なことを知らなかったのです。しかし、ヤコブはそれを理解していました。差異点です。男として話すならば、エサウは男らしかったのです。あなたがたが確かに娘婿を見るならば、ヤコブを見ないで、エサウを見るはずです。男らしくて、ハンサムだからです。あらまし想像してみれば、毛もあって、健康で山に行ってハンティングもしていたのですが、ヤコブはなにか女性のようで男らしくない男子です。私が想像してみれば、嘘も良くついて、エサウはそうではありません。男らしいのです。お腹がすいて、早くおかゆをくれと長子の権利を持っていっておかゆ一杯をくれというほど男として豪快です。しかし、エサウは滅びて、ヤコブは滅びませんでした。ヤコブという人の下に12部族が出てきて、エサウの人にはエドムという部族が起きて滅びました。どこで差が出るのでしょうか? 発見です。エサウは素晴しい男子でしたが、神様の恵みに対しては、それほど関心がありませんでした。ヤコブは人はちょっと足りなくて、嘘つきで、ちょっとけちに見えたのですが、このヤコブの中心は何でしょうか?神様の恵み、それが重要なことを知っていたのです。差異点です。だから、どれくらい重要か分かりません。 よく分かりませんが、決定的な瞬間に表に現れます。アブラハムは、神様を信じたと言われていますが、ロトは神様が何で重要か、神様も神様だが、お金を儲けてこそ生きるのではないか? と正しい話でした。ところが、ある日、戦争が起きました。その時、何も関係がないロトが捕虜になりました。滅びるということです。ヤコブとエサウの比較を一度してみましょう。ヤコブは、毎日、神様と言っていました。ところが、エサウはそうではありません。仕事を熱心にして、ハンティングも熱心にして、たいしたものです。ところが、ある日、おかしな事が行われました。霊的な問題がくるのに防止することが出来ないのです。これが発見の差です。ヨセフとその兄達も全く同じ兄弟なのに、ヨセフは何を発見したのでしょうか? この価値を発見したのです。兄達は、発見しませんでした。聖書にサウル王とダビデ王もそうです。この差です。旧約に850人の偽りの預言者とエリヤの戦いが、まさにその戦いです。全く同じ戦いです。歴史は、その時と今と全く同じように流れています。本当に発見した者には、福音がどれくらい重要かわかって、自分は神様に命をかけるのです。その話が可能でしょうか? どれくらいおかしな話でしょうか? 話にもならない話です。教会にきて試みに会う立場なのに、神様のために死ぬという話になりません。しかし、本当に発見した人ならば、そうではありません。
 
・日本の人には申し訳ないけれど、韓国が長い間の日帝時代に、その時だけでも時間が長く過ぎたのですが、その時、私たち韓国がとても弱い時でした。日本の人々が韓国を征服して、あの中国まで攻撃しながら、日本の神社を作って、お辞儀をするように強要したのです。はなはだしくは、教会に日本の神社を作って、お辞儀をするようにさせました。すべての牧師、長老が、そこに怖がって屈服したのでした。日本が組織的に、個人的に攻めたからです。重要なことはそれではありません。一つ発見をできなかったということです。こういうことでは死にます。牧師しようとするなら生きなければならないのに、日本の人々が組織的に食い込むのに、どのように生き残ることができるだろうか? こういう考えを持ったのです。だから、神社参拝をしました。悪霊の日本神社にお辞儀をするとしたのでした。簡単に話せば、教会堂に神社を持って行ってお辞儀して礼拝を捧げるということでした。しかし、その中でチュ・キチョル牧師、ソン・ヤンウォン牧師が NOと言いました。まちがいなく、NOと言えば死にます。しかし、チュ・キチョル牧師が会議の席上でNOと言いました。可決された席上でNOと行ったのです。日本警察が総会になぜ入るのか? 歴史の記録を見れば、牧師一名一名をチェックしたとされています。だから、その中でチュ・キチョル牧師がNOと言ったのでした。「私たちは偶像崇拝を出来ない。そのようなことは、間違ったことだ。」だから日本の警察がチュ・キチョル牧師を捕まえて行きました。その場で捕まえて言ったのです。捕まえていって監獄で叩かれて死にました。本当におかしなことです。もっとおかしなことは、総会で可決されたことを、どうして個人が反対するのでしょうか? それで、チュ・キチョル牧師を除名させました。日本の人が捕まえられたら、死ぬことなのですが、そのようになりました。これがどれくらい大きい差でしょうか? チュ・キチョル牧師に対する記録は、世界のキリスト教史に残っています。たぶん、その人ゆえに韓国教会が生かされたのかもしれません。私たちは、発見したのか、そうでないのかが差です。より驚くべき事実です。この人が全く恐れなかったのです。むしろ、心が幸福でした。チュ・キチョル牧師が言ったことは何でしょうか? 一死覚悟。人は何回も死ぬのではなくて、一度死にます。けちに死んでも良いだろうか? 私が真理のために死ぬと言いました。堂々と。より驚くべきことは、奥様が面会にきてチュ・キチョル牧師と話したことを聞いたことがありますか? チュ・キチョル牧師に奥様がしたお話です。牧師は出てこなくても良いから、屈服しないで。皆様ならば何と言うでしょうか? 「他の男の人はそうではないのに、なぜあなただけそうなのか? 他の牧師は、みな話を良くするのに、あなただけ監獄に行って、私たちをこのように苦労させるのか?」と言うのではないでしょうか。ところが、そのようにしないで、絶対に屈服しないで。絶対に降参しないで。これがすでに違います。発見した人々の差異点です。シュ・ナンスン牧師が監獄にいたのに、夢うつつなのか夢なのか、子ども達があき缶を持っている場面が見えたのです。ご飯を食べることができないで。ソン・ヤンウォン牧師の奥様もそうであると言われているでしょうか? 子ども達が教会から追い出されました。真理を守った人々は、教会から追い出されたのです。正しくする人は異端で、違った人々が正しいと言われました。それで、みな追い出すのです。本当の異端が集まって、本物を追い出しました。ソン・ヤンウォン牧師が監獄に行ったのに、驚くべき事実は、奥様が変装をして、人の家に行ってご飯をもらって子どもたちに与えたのです。この程度までなりました。結局は、殺されることができなくて、生きて出てきたのですが、ソン・ヤンウォン牧師が出てくる時、日本の人々が、あなたは最後に一度お辞儀をしなさいと言いました。すると、今晩、家に送ってあげよう。出てくるようになっているのに、それでソン・ヤンウォン牧師が、このように話したと言われています。 "私は永遠に出なくても良いから、お辞儀をしない"出て来なくても、法律で送りだすようになっています。私が見ると、家族が全部乞食のようになった、そのような状況でした。それでも揺れなかったのです。なぜでしょうか? 知っていたからです。それは一つの大きい事件にすぎません。いまはそのような事件がないけれど、全く同じことは発見した者と、できない者との差です。違うのです。本当にこの部分は、誰も欺くことができません。今日、皆様にこういう祝福があることをお祈りします。それなら、主なる神様は、唯一の神様ですから、心をつくし、思いと力を尽くして愛しなさいというのは、当然なのではないでしょうか?あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい。最もたいせつな戒めです。当然の話です。この話が分かるならば、発見できた人です。どのように簡単に悟れるでしょうか? どれくらい重要な部分なのか、今日、インマヌエルの聖徒達が、神様の大きい祝福を受けるように願います。
 
・外に行って、生存競争の中に生きてきたのに、牧師が説教する内容が、心といのちを尽くして神様を愛しなさいということで、今、忙しくて死にそうなのに、皆様が外に行って学業に苦しめられて、学生達と競争に苦しめられているのに、牧師が説教するという内容が、そのまま信じるのではなく、命を尽くし、すべてのことをみなつくして、力を尽くして愛しなさい。それをどのようにせねばならないのでしょうか? こういうしかない状況です。皆様の人生に重要な答を得て、本当に神様の祝福を知り始めれば、この話が分かり始めます。それしか仕方がありません。この時に来る結果です。どんな結果がくるのでしょうか? 少なくとも、4つの証拠がきます。最初は、皆様個人に答えがきます。個人に神様が生きておられるというだけでなく、私は神様の子どもだな、こういう答が来ます。一般の人々は知らない話です。その次に来る答があるのですが、皆様が知らない途方もない霊的な問題があります。それが解決し始めます。家系の問題が解決し始めて、相当な答えがき始めます。皆様が、私の話をわかることができないのでしょうか? 全世界の家庭を見れば、分からないでしょうか? この問題が解決し始めます。あなたがたが、本当にこの話が分からないのでしょうか?この時から、この答えが来ます。その隠された秘密が何でしょうか? 霊的な問題があまりに多いのです。それが解決し始めます。そうしながら、目に見えないサタンのすべての勢力、こういう勢力が全部崩れ始めるのです。こういう答えが来るしかありません。こういう結果が来ます。神様の祝福を本当に受ける、そのような日が来ることをイエス様のお名前でお祈りします。
 
・率直に証しするなら、私にどんな時期があったのかというと、神様がおられるのか、そのような時がありました。神様がいるか、人々が愚かです。何で神様、神様、言うのか。そのような時があったのです。あなたがたもそのような時があったでしょう。ここに座っている方達の中で、そのような方達もいるはずです。私は教会にいながらも、私の両親ゆえに出てきていたのですが、自分の胸の中では、神様がいるのかという質問に答が出てこなかったのです。ところが、私の人生を静かに振り返って見ると、とても難しい時期でした。答えを受けることができません。そうしながら、私が神様がいるようだ、こういう時がありました。神様のようだ。 あまり困難に会ってみたら、なにかが生まれないでしょうか? 神様がいるようだ。これがまさに宗教の時期です。神様がいるようだ。そうしながら、どんな結果が出てくるのでしょうか? 教会に通わなければならないので、行ったり来たりする、そのような時がありました。そうしながら、ある日、福音を知るようになったのです。この福音を知りながら答が出てきました。そのあと、霊的な目が開いて、使命を持つようになりました。皆様が今日、何をどれだけせねばならないのかも重要ですが、この祝福を本当に受けねばなりません。それで、心を尽くして、思いを尽くして、力を尽くして愛して、あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい。この部分がものすごく難しい話です。しかし、ひとつを知っていれば、ものすごくやさしい話です。私が持っている最高の価値を発見し始めたとするなら、可能なことです。その時から、皆様にある重要な問題が解決し始めます。今日、全部、解決を受ける開始になることお祈りします。その時から、皆様にある霊的問題は、逃げ始めます。その時から、世の中の人々が知らないサタンの勢力は、縛られ始めるのです。悪霊の勢力は、全部追い出され始めるのです。すると、世にある皆様の霊的な問題は、みな勝つことができます。ですから、最もたいせつな戒め。戒めの中で最もたいせつな戒めです。主なる神様は、お一人で、その神様を心を尽くして、命を尽くして、思いを尽くして、力を尽くして愛す。それしか仕方がありません。あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい。それが最もたいせつな戒めです。最もたいせつな戒めになるしかありません。それより重要なことはないのです。皆様が信仰生活をするなかで、こういう祝福を受けるようになることをお祈りします。
 
・今日、貴重な1部礼拝を捧げながら、あなたがたが少しだけ考えればよいのです。私はこういう場合をあまりたくさん見ました。特に教会の中とか、外国に行った時、人に会ってみれば、実際には違うことではありません。いつも、この部分に引っ掛かります。この人達が、この部分を発見するようになれば、簡単なのに、これが今できません。だから今日、ものすごく重要な質問です。今日、短い時間ですが、大きい答えを受けることができる質問です。そして少しだけ考えればよいのです。この部分にみな引っ掛かっているのです。それで、なにかをどんどんしようとするから、問題がくるのです。する必要もなく、これを置いてしばしば苦闘するので、無駄骨になるのです。皆様が真の答えの秘密と価値を発見するようになったとすれば、神様を愛しなさいとせざるを得ません。そして、命を尽くしてするしかないのです。時間が経つほど、とても重要なのです。私はこれしかないという結論が出てきます。私が自分の生涯にできることは、福音しかありません。こういう結論が出てきました。この答を得た者に、神様が全てのものを皆くださるのです。そうすれば、霊的な問題は解決し始めるのです。今日、この祝福を受けるようになり始めるように。あなたがたも知らない間にあるすべての問題まで解決し始める祝福があることをお祈りします。皆様の周囲を注意深くみることを願って、皆様個人がこの契約を捕まえ始めれば、皆様の個人、家庭の問題まで、全部解決し始めるのです。それで、今日一日の中で少しの間だけ考えてみればよいのです。信仰生活をしながら、特別に断食しながら祈る必要はありません。今日の礼拝の中でだけ考えればよいのです。‘神様、本当に福音の奥義を発見するようにしてください' このように祈るだけでも良いのです。すると、皆様が命を尽くして、力を尽くして愛すほど、皆様の事業に、皆様の仕事場に証拠がくるようになるはずです。
 
・私は直接証しを聞いたのですが、ある社長が神様をどれくらいよく信じるかというと、この人が車に乗れば、その人は聖書を見るのに、そのまま見るのではありません。聖書を読むようになれば、自分には答になって力になります。そのようなことです。この人が行く所ごとに、神様の祝福が現れます。しかし、重要なことは、福音を正しく持っているということです。私は、そのように事業をなさる方をそれほど見たことがありません。この人は、本当に神様を信じる人です。ところがある日、神様が自分に知恵をくれたということです。知恵をくださったので、そのまましたということでした。それで、私たちの韓国で最高の企業になりました。この人が韓国で最高のガラス工場をしました。神様が答えを下さったのです。それとともに証しをするのに、もっとすごいことは、これが問題ではないということです。自分は、これよりもっと大きい祝福を受けたということでした。それで、私がそうだろうと思いました。今回、仁川空港に行ったのに、世界的に作った空港でした。今、米国にある空港よりもっとよく建てられています。仁川空港は、実際に日本よりよりよく建てられました。どれくらいよく建てられたのでしょうか? 2種類で見る時、鉄とガラスで建てたのですが、ガラスが全部、みなその方のガラスがついています。私がこれを持っても、少なくとも何十億円もうけただろうと思いました。空港全部、みなガラスをつけているのに、ガラスマークが全部、その方のものでした。それで考えたのは、神様が祝福なさるならば、事業が問題なのでしょうか? 事業は問題になりません。皆様、本当に職場生活をなさる方達と、社会生活なさる方達が、どのように心を尽くして、命を尽くして神様を愛すというのでしょうか? このように理解することができます。そのように理解すれば、間違った礼拝を捧げるようになります。神様が私を神様の子どもとして呼んで、永遠に呪いから解放させられました。そして、神様が私を事業を通じて、職場を通じて、神様の栄光を表そうとなさる。これを悟れば、命を尽くすしかありません。正しいからです。すると今日、あなたがたは一時間のために、ここにきたのですが、本当に礼拝をよく捧げて行くのです。これがどれくらい重要でしょうか? あなたがたがこの部分を発見できなくて、そのまま行くならば、どれくらい残念な時間でしょうか? 私は、この部分が発見できたのです。それで、自信を持って話すことができます。私達が、心を尽くして、命を尽くして、思いを尽くして力をみな尽くして主なる神様を愛して、隣人を自分のように愛しなさい。可能なのです。なぜでしょうか?相当なことを受けたゆえに、そして、これから来る実を知っているために、私と皆様が行く所ごとに暗闇の勢力が崩れるはずです。今日、この答えが全国、世界にいるメンバーに必ず答えであることをイエス様のお名前でお祈りします。
 
<<契約の祈り>>
神様に感謝申し上げます。今日、真の発見の日になるようにさせてください。心と思いと力を尽くして愛す程、重要な祝福を受けるようにしてください。今日短い時間ですが、一生の答えを受ける重要な日になるようにしてくださって、霊的な目が開く日になるようにしてください。答えを受ける重要な日になるようにしてください。神様の子どもの祝福を回復する重要な日になるようにしてください。私たちの主イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン
 
 


 2部 / 恐れる理由がない
(詩27:1-14)
 
 
・ダビデが告白した信仰です。恐れる必要がないと言いました。私の子どもが幼い時、外に行って家に帰ってきて見たら、誰もいないから、ママとパパを探して誰もいないから、怖くて泣きました。家の中で、何も怖いことがないのに、誰もいないと考えて泣いたのです。米国に行って、飛行場におりて私達の孫を抱いて車に乗ったのですが、この子どもが車のなかでやたら不安に思ったのです。しばしば見回していたのですが、母親が乗っているのを見て安心しました。それを見ながら、小さい子ども達が皆知っているのだな。母親がいるかいないか、父親がいるかいないかを皆知っています。
 
・そうです。今日、私たちは神様のみことばも同じです。あなたがたが万一、神様の民ではないという気がするならば、あなたがたは確かに数種類を心配しなければなりません。それは、人々が吉凶を占おうとするのですが、全く根拠がないことではありません。運命の中に陥っているために、どうしようもないのです。皆様が持っている未来と運命を変えることができません。神様の民ではないなら、ということです。ものすごく心配しなければなりません。万一、神様の民でないなら、あなたがたにまちがいなく迫ってくる霊的問題があります。いつか必ずきます。待って準備しなければなりません。間違いないのです。
 
・さっき1部礼拝の時、話しました。今回、2週間米国でニュースがずっと出てきました。有名な歌手、マイケルジャクソンについてずっと出てきたのです。この人がどれくらい葛藤が多いのか、あまりに多くの手術をして、今は鼻も顔もみな崩れました。これがニュースに出てきていました。TVで顔を見たら、白人でした。漂白をあまりに多くして、どれくらい白い人になってみたかったのか、顔が白かったのです。精神がどれだけ狂ったかというと、幼い子どもを立てて高い建物から落とす真似をずっとしたのです。それで、警察がきて制裁をしました。どのように考えますか? その人が皆様だとすれば、私が仮りにそのようにするならば、どんな考えになりますか。マイケルジャクソンが狂ったのです。今でもその人に専属で付いて回るムダン(霊媒師)がいます。深刻です。いつか来るのです。だから皆様が神様の民か、そうではないかという話は簡単な話ですが、相当な差があるのです。
 
・あなたがたが普通に思っていますが、相当な差が出ます。皆様は神様の子どもではないというならば、考えもしなかったサタンの攻撃を受けるようになるはずです。聖書は、サタンがいることを説明しています。地球上で唯一聖書にだけ、サタンの戦略を説明しているのです。だから、確かに攻撃を受けるようになるはずです。また、神様のみことば、預言者に与えられた神様のみことば、聖書には地獄があるとなっています。それならば、神様の民でないなら行かなければなりません。まちがいなく行くので、考えなければなりません。そして、皆様が神様の民でないなら、確かに生き方も違うようにしなければなりません。君主論のようなものを読んで、けんかしなければなりません。そのようにするしかありません。今、政治家たちがいつもけんかをします。国が損しようがしないでおこうが、けんかするのです。なぜでしょうか?そのように習って、そのように生きざるをえないからです。そうではないでしょうか。神様の民でないなら、そのような方法で生きなければなりません。君主論などを勉強して、とにかく戦って勝って、韓非子理論を勉強して、とにかく強者は押さえて、私に後ほど敵になりそうな人はあらかじめ切って、これが韓非子理論です。相手と戦って、どのようにすれば勝つのか、孫子兵法を勉強しなければなりません。どうしようもないのです。皆様が神様の民でないなら、人生をそのように生きざるをえなくて、実際に恐れの中に生きるほかはありません。肉体的に恐ろしいこともあります。私の健康がどうなるのか、私の経済はどうなるのか、恐れざるをえません。神様の民でないならということです。そして、そのような程度ではありません。今、社会的に不安でむずかしいのです。それより重要なことは、霊的にものすごくむずかしいのです。恐れざるをえません。神様の民でないならということです。
 
・私はこういう考えをしてみました。万一、神様がないならば、私達が錯覚して神様、神様と言うならば、私と皆様がここに座っている必要がありません。天下のバカであるのです。それならば、殺人者や詐欺師が賢い人々です。神様もないのにということです。それがそうではありません。それで、全世界はどんどん困難がくるのです。万一、皆様が神様の民ならば、今日の本文のみことばにあるとおりに、恐れる理由がありません。このような差が出るのです。神様の民ならば、恐れる必要がありません。私が以前にもお話ししたことを思い出すのですが、私が幼い時6.25(1950年朝鮮戦争) 以後、私たちの村にだけ孤児院がいくつかありました。今ならよく理解ができないでしょう。孤児院です。父母がない子ども達が暮らす家が目に見える所に、何ケ所かありました。4ケ所程でした。だから、どれくらい孤児が多かったか分かるでしょう。この子ども達が孤児院でご飯をあまりもらえないから、ご飯をもらうために回りました。私が思い出すのに、私の母がかわいそうだと、この子ども達が過ぎれば呼んでご飯を与えました。この子ども達がご飯をもらったら、ご飯を食べないでポケットに入れました。あらかじめ、ポケットに入れるためにビニールを準備してきていました。理解できないで、私の母が暖かい時に食べなさいとあげるのに、この子どもがポケットに入れたのです。なぜそのようにするのかというと、簡単にもらったからチャンスであるから、これは置いておいて他の所にもらいに行くのです。私の母がしばしば食べなさいと言うので、昼に食べると言って、また朝食をもらいに行きました。朝も食べないで昼食の心配をするのです。私はそのような心配をしませんでした。時間になれば私の母がご飯をくれました。これが孤児です。孤児は、そのようになるしかありません。私達がもし父母があるならば、そのような必要がないのです。
 
・神様の子どもであることが間違いないならば、心配する必要もありません。準備するなということではなくて、心配するなということです。皆様が今日、完全に変わってしまうことを願います。簡単です。私達が神様の民でないなら、万一、神様がないならば、心配もして恐れてなければなりません。心配もものすごく多くしなければなりません。私は確かに医者の話を尊重するけれど、その医者と私の生命を神様が治めておられることを確信するために、死も恐れる必要がありません。それならば、私達が最善を尽くすだけであって、未来も恐れる必要がないのです。必ず記憶しなければなりません。皆様が何でもない小さい考えによって失敗する人を見れば、失敗せざるを得ないことに巻き込まれています。心配して、恐れて、憂えて、このように陥らざるをえないのです。しかし、神様の民はそのような必要がありません。私と皆様がどんなに足りなくても、神様の民であることが確かです。それならば、恐れる必要がないのです。今日、ここに恐れる理由がないと書いてあります。
 
・今日の1節を見れば, "主は、私の光、私の救い。だれを私は恐れよう。主は、私のいのちのとりで。だれを私はこわがろう。"と言っています。2節を見れば "悪を行なう者が私の肉を食らおうと、私に襲いかかったとき、私の仇、私の敵、彼らはつまずき、倒れた。" 3節に "たとい、私に向かって陣営が張られても、私の心は恐れない。たとい、戦いが私に向かって起こっても、それにも、私は動じない。" とされています。どれくらい確実だったか、10節にはこういうみことばがあります。 "私の父、私の母が、私を見捨てるときは、主が私を取り上げてくださる。"万一私を父母が捨てても、神様は私を捨てないというダビデの信仰です。確かです。だからダビデは成功した人物になったのです。
 
・皆様、証拠がどれくらい多いでしょうか。共産主義は、神様がいないと開始して、民主主義は神様がいると始めました。結果はあまりにも明らかではないでしょうか。神様がないと始めた代表的な国がソ連で、神様があると始めた国が米国です。今、どのようになったでしょうか。これからはどうなるかは知らないのですが、明らかな証拠が出てきました。だから、父母が私を捨てるとしても、主は私を捨てられないというダビデの信仰です。恐れる理由がありません。それで今日、あなたがたがもし、いろいろ心配でここにいらっしゃったか、またあるいはいろいろな病気や問題でいらっしゃったならば、今日いやされる祝福の日になることを希望します。私が神様の子どもであることが間違いないならば、恐れる必要がありません。ほとんど恐れるのです。
 
・皆様、やくざが力が強いと考えているでしょうか。それは知らないからです。皆様が刑務所に行って伝道してみましょう。刑務所に行って伝道してみれば、やくざでない人々に福音を伝えれば、この人達は福音を普通に受けます。刑務所に行ってやくざに福音を伝えてみれば、ほとんど泣きながら受けます。そして、ものすごく弱いのです。やくざは、強い人ではありません。ものすごく弱くて、恐れが多い人です。どれだけ恐れが多いかというと、誰かが何かの話をすることに耐えることができません。はなはだしきは、父がいう話にも耐えることができなくて、父を殴るのです。それがやくざです。しかし、知らない人々は、やくざは強い人だと考えます。この人達は、強い人々ではありません。弱くて臆病です。牧師達で、教会の権力主義をしようとする人々は、恐れが多い人々です。なぜなら、もしできなければと思ってそのようにするのです。恐れる必要はありません。ある方達は、過度に教会の仕事を熱心にします。もしかしてだめかと思って、そのようにするのです。誰かが見れば熱心ですが、解かってみれば、恐れてそのようにするのです。そのような必要もありません。神様の民であることが間違いないならば。皆様ひとつの主題が重要です。神様が本当に生きておられ、私が神様の子どもであることが間違いないならば、みな変えなければなりません。心配する必要もなくて、恐れる必要もありません。今日、皆様が恐れ、心配をみな捨てて行くように願います。教会がこれで良いのでしょうか? 神様はご存知です。皆様がそのようにして良いのでしょうか? 神様はご存知です。皆様の事業がどうなるのでしょうか? 神様はご存知です。これから私と皆様が対話ができないならば、その差です。私は神様を信じます。すると、皆様は信じないならば、私と対話ができないのであって、私が間違いではありません。そうではないでしょうか。ひょっとして、皆様が私の話が理解できないならば、皆様と私が考えが違うだけであって、実際には他のことではありません。私は神様が生きておられて、皆様と私のいのちを治めておられるということを確実に信じます。それなら確かでなければなりません。なんにも恐れる必要がないのです。死も恐れる必要がありません。アン・イスク女史の言葉通り、水の中に行くこともでき、火の中にも行くことができます。なぜでしょうか?そこにも神様がいらっしゃるからです。その人は癌になったのに、手術する必要もないと言いました。なぜでしょうか? 死ぬ時がみなあって、いかなければならないではないか、神様が来なさいという信号なのに、私が何のために粘るのかと言いました。その程度です。たいしたものです。私が見るとき、信仰がすごいです。何にも恐れる必要がないと言いました。
 
・皆様がおわかりの通り‘太陽のように輝く'という本で読んだのですが、日本が神社参拝を強要した時、しない人々を捕まえて行きました。だからシュ・ナンスンという牧師が捕えられて入ったのですが、日本の神社にお辞儀をしないという理由で捕えられて入っていったのです。入れば死にます。解放されなかったならば、みな死んだのです。ほとんどみな死にます。なぜなら、日本国家に対する反対であるゆえに、そのまま置いておかないのです。政治犯として追い込まれます。だから生きることができません。それでシュ・ナンスン牧師が神社参拝を拒否して捕えられて入ったのです。監獄所にいたのですが、明日かあさってくらいに死ぬこともある立場でした。とても大きい罪で入ったためです。すこしいたら、伝道師一名が捕まってきました。その伝道師は、その本に見れば祈って異言の祈りをしていました。シュ・ナンスン牧師が寝ていたら、祈りの声が騒々しかったのです。この伝道師が聞いて、誰かと言ったところ私は牧師だとシュ・ナンスン牧師が答えたら、牧師がなぜ祈らずに寝るのかと話しました。おもしろい話です。牧師が "伝道師、何がそんなに怖いですか。私達が神社参拝、悪霊に仕えることをせずに捕まったとするならば、どれくらいすばらしく、堂々として祝福されたことでしょうか。死ぬならそれで良いのであって、何がそんなに恐ろしいのですか"と言いました。その伝道師が静かに聞いていて、確かにそうだから、知ってみれば、その方がシュ・ナンスン牧師でした。
 
・私たちは信仰が良いように見えます。祈りをたくさんして、異言の祈りをすることが信仰が良いように見えるのです。それがそんなに良い信仰ではありません。何も恐れることがないのです。シュ・ナンスン牧師が、何がそんなに恐いのですかと話しました。使徒の働き 12章、明日にならば死刑になるペテロが、どのようにしたのでしょうか。寝ていました。天使が目をさまさせる、そのような記録が出てきます。監獄から出てきた記録が出てきます。寝ていたのです。昔のペテロは小さい少女がたずねてもおじけづいていました。あなたがイエスを信じる人かとたずねたら、違うと答えたペテロです。そのようにしたペテロが、明日になれば、死ぬのに寝ていたのです。信仰が良くなったことです。本当に信じるようになったのです。なんにも恐れる必要がないと言いました。恐れてはだめでしょうか。そのようなことではありません。Iヨハネ4章 18, 19節を見れば "愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。なぜなら恐れには刑罰が伴っているからです。恐れる者の愛は、全きものとなっていないのです。/ 私たちは愛しています。神がまず私たちを愛してくださったからです。"Iペテロ5章 7, 8節に あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。/ 身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたけるししのように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。"ヨハネ 福音 8章 44節にも "あなたがたは、あなたがたの父である悪魔から出た者であって、あなたがたの父の欲望を成し遂げたいと願っているのです。悪魔は初めから人殺しであり、真理に立ってはいません。彼のうちには真理がないからです。彼が偽りを言うときは、自分にふさわしい話し方をしているのです。なぜなら彼は偽り者であり、また偽りの父であるからです。" と言われています。だから何にも恐れる必要がないのです。神様の民であることが間違いないならば。
 
・今日、たぶん1500-1600人がここに座っておられ、釜山インマヌエル教会で何千名が座って一緒に礼拝を捧げており、蔚山でたくさん復興して、約 200か300人がみことばを聞いています。またホ牧師の教会をはじめとして、100個余りの教会が衛星で一緒に礼拝していて、今、インターネットで礼拝する方達も多くいます。皆様がいろいろ複雑な話は聞く必要がありません。今日、一言で簡単です。本当に私が神様の子どもならば、なんにも心配する必要がありません。間違いないでしょう。神様を信じる者には、何にも心配する必要がないのです。私が開拓を始めて15年になったのに、私を15年間見た人がいます。タラッパンに入って私を15年間見た人がいます。私は何をしたでしょうか。何にもしませんでした。たぶん長老達や私たちの信徒が見るとき、苦しい面が本当に多いでしょう。私はなんにもしたことがありません。しないのです。信じるのです。じっとしていてもかまいません。釜山市内で、どの教会よりも復興率が高かったのです。私は知っています。神様の子どもは、そのようなものではありません。これから、私たちインマヌエル教会は、最も多くの証拠を見せることを私は確信しています。なぜでしょうか?神様は確かに生きておられるためです。聖霊は今でも、この場に働かれます。神様がいるか、いないか。尋ねなければならないことではないでしょうか。すると、私が神様の子どもであることが間違いないのか、どうか。それに答が出たとするなら、変えなければなりません。何にも心配する必要がありません。問題がきたでしょうか。それも神様の機会です。失敗したのでしょうか。それも神様の機会です。家庭に問題がきたでしょうか。それも神様の機会です。子どもに問題が起きたでしょうか。それも神様の機会です。14歳になった息子が、悪いことばかりをして通うのに、その母がずっと祈っていました。そばの人々が信じたかの様に見えるけれど不信仰者で、あなたの息子そのようにして良いのか、祈るなと言いました。ところが、アンプロスという牧師が信仰がある人で、涙の子どもは滅びることがない、祈りなさいと言いました。その話を聞いて勇気を得てより一層祈ったら、ある日、みわざが起きました。その14歳になった息子がそんなに放蕩していた息子が帰ってきたのです。完全に変化したのです。その人物がまさにアウグスティヌスです。アウグスティヌスは、その母の祈りを通した人です。どれくらい私たちの周囲に不信仰な人が多いかわかりません。今日あなたがたが詩篇 27篇を見ながら、決断を下さなければなりません。やさしい話のように見えますが、最も難しい話であることかも知れません。皆様がよく知っているかの様に見えるけれど、あまりにも知らずにいたかも知れません。本当にこれは人生の根本的な質問です。神様が生きておられることが間違いなくて、私が神様の子どもであることが間違いないならば、変えなければなりません。何にも心配しないで。恐れる必要がありません。ダビデはその話をしたのです。ひょっとして、父母が私を捨てるとしても、ひょっとして父母が私を捨てても、神様は私を捨てないのです。神様がないという者は愚かな者になるはずです。神様がないと主張した人が共産主義者です。信仰生活をする者を、信仰細胞が多いからだと言いました。何んでも物質で見る共産主義者でした。病人だと見たのです。皆様、中国とロシアに行ってみたでしょう。これから福音が入っていってものすごく発展し始めます。ロシアの門が開くやいなや行ってみたのに、はっと驚きました。これが共産主義の最後だなと思って驚きました。ガタガタと鳴る200年前に作ったエスカレーター。200年前に作ったということです。あまりに古くなって、ガタガタ鳴っていました。どれくらい発展した国なのか分かりません。それがみな崩れていました。行く道に電話があったのですが、ほとんど半分が故障していました。小銭を入れなければならないのに、故障していました。女の人一名が履き物を一足で一日中立っていて、あの人は何をしているのかとたずねました。履き物を売ろうと立っているということでした。履き物の商売かとたずねたら、そうではなくて拾ったものを売ろうと立っているのだということでした。パンをもらうために限りなく並んで立っていました。愚かな者は、その心に神様がいないと言うと書かれています。
 
・ある重要な先生が、自分の両親はイエスを信じるのに、この人はどれだけ学んで堂々としていたのか、一流校で良い学科を出ました。この人が先生になったのです。神様がどこにいるのかと、この人は、変にクリスチャンをあざ笑う人でした。神様がどこにいるのか。ところが、この人にある日、重要なことが起きました。あまりに疲れて自分が学校の先生をできない程に疲れて、病院に行ってみたら、肝臓ガンでした。それもあまりにたくさん広まっていたのです。この人がすることができなく、学校を放棄するようになりました。病院に横になりながら、人の顔色をうかがうと、なにぶん自分が重要な病気のようで、率直に話してくれと医者に話しました。その人の話です。横になって、生涯一度も聞かなかったキリスト教放送を開いたのです。開いていたら、説教放送で出てくるのが、あなたは今、病気と苦しみの中で今悩んでいませんかという話を聞いたのです。自分に聞く話だと、あまりに驚いてその話を約15分聞いたということでした。聞いてその場でイエス様を受け入れたのです。本当におかしなことです。その方が私に証しをする時は、その場所は学校に復職して、学校で話しました。私はその日、学校を借りて、私たちの子ども達の修練会した時、宿直していた先生に果物をあげながら福音を話したのです。私が果物をあげながら福音を伝えたら、この方がイエスを信じるという証しをしたのです。本当に驚くべきことでした。とても教会で小さい事に葛藤して、それがますます大きくなるのです。教会がぶつかる程にけんかになったのです。そのけんかの中にまきこまれる教会があまりに多いのです。だからこの人がとても良い人でしたが、あまりに教会でけんかばかりしたので、みな終わった後に病気になって死にそうになったのでした。私が訪ねて行ってみたら、病んで死にそうになっていました。それでその方の手をつかんで祈ったのですが、どれくらい涙を流しながら切実に祈ったか分かりません。出てきて遅かったと思いました。あなたが生きている時、そのようにすべきで、あまりに遅かったと思いました。もちろん内心で思ったのです。どれくらい切実に祈っていたか分かりません。人間がそのようになります。だから見て下さい。神様が確かに生きておられ、神様の子どもであることが間違いないならば、今日、変えなければなりません。何を変えなければならないのでしょうか。心配する必要がないのです。恐れる必要がありません。私が失敗してもかまいません。神様はなさることができると言われています。これで契約を捕まえなければならないのです。詩篇には重要な主題3つが出てきます。私が何を持っているのかを知る時、私はだれか、詩篇の2番目の隠れた主題は、私が何を見るか?に従って何をするかが出てくるのです。詩篇で三番目の主題が何なのかというと、どのように生きるべきかを話す時、神様の前でと話すことができます。今日、皆様が礼拝する中に一人ももれなくこの前にお話しした通り、神様の前で一度祈ってみましょう。それが最も重要です。
 
・今回、牧師達を集めて説教に対して、祈りに対して、賛美に対して、献金に対して話しました。重要です。この賛美がどれくらい重要でしょうか。この献金がどれくらい重要でしょうか。祈り、説教がどれくらい重要でしょうか。今回、米国で牧師達博士コースを集めて話しました。多くの説教者が本を開きながら、説教しようとしないで。それは詐欺です。神様が望まれるみことばを聞いて、主の民に神様のみことばを言いましょう。繰り返してもかまわなくて、無知でもかまいません。そうしてこそ、みわざが起きるのです。だまされてはなりません。牧師達が、ほとんどみなだまされています。ものすごく多くのことを準備して、ギリシヤ語、ヘブライ語を使えば良いのかと理解しています。信徒はわかることができません。ギリシヤ語、ヘブライ語がわかりません。読む牧師も知らないのです。卒業すると同時にみな忘れてしまうのです。説教する時、たどたどしくそれを知っているようにしますが、特別に専攻した人でないと知らないのです。私もヘブライ語、ギリシヤ語をよくしたのですが、卒業すると同時にみな忘れてしまいました。今どの程度知っているかというと、やっと読むことだけできます。意味は分かりません。ヘブライ語がどうであれ、ギリシヤ語がどうであれと、詐欺を働くのです。そのようなことをする必要はありません。私が今回、牧師達を集めてそのようなことをしないで。祈り、長老達が講壇に上がってきて祈る時、最も答えられる時間です。それで、牧師達をみて長老の祈りが長い、短い、そのような話をする必要がありません。祈りが長ければ、説教を短くしなさい。それも神様の働きです。祈る方達も注意すべきです。祈りは絶対に誰の前で、神様の前で。ところがある人は祈るのに、メッセージをする人がいます。誰を見てするのでしょうか? 神様を見てメッセージするのでしょうか? 神様、あなたが聞きなさい、それとともにメッセージをするのでしょうか? そのような必要はありません。そのようなことは、信徒に教えてあげましょう。私たちの牧師達を集めて、祈りは神様の前ですることなので、皆様が講壇に立つ時や、代表祈りをする時、神様の前ですると言葉が自然に出てくるようになっています。それでこそ、真実な祈りができます。人を意識すれば、それは祈りではありません。まちがいなく、神様の前で祈れば答えられます。
 
・賛美、私達が賛美する時、一番いらない考えが起こることができます。今日、賛美を良くするな、それもいらない考えです。今日の指揮者の姿はすばらしいな。今日、聖歌隊員がたくさん座っているな。楽器がすごいな。それがみな賛美をのがすことです。一緒に神様の前に賛美しましょう。釜山インマヌエル教会の賛美を導くイ・ソンフン牧師です。イ・ソンフン牧師は賛美の導きだけしなさいと連れてくる牧師です。なぜでしょうか?あの人が幼い時、むかしにディスクジョッキーの所に入って行って、ごほんごほんとしている途中で肺病にかかった人です。ところが、あの人が私たちの教会にきたのに、せきの音ゆえにどれくらい騒々しいか、しかし、私たちの教会の伝道師にさせました。あなたは賛美をしなさい。賛美をするのに、礼拝がみな終って10分賛美をしなさい。する時、絶対に前に出てきて無駄話を言わないで。賛美を導く人が前に出てきてあれこれしなさいと言わないで。賛美を誰にするのでしょうか? 神様の前に主の民が神様の前で賛美できるように、門だけ開きなさい。あなたが立っていることを他の人が見ることがない程にしなさい。それが賛美です。それが賛美を導く人です。今回、牧師達を集めてそう言いました。 学生達がどれだけ賛美を知らないかというと、福音ソングだけいつも歌うのですが、賛美歌をほとんど知りません。賛美がすごいことなのに、中高等部の修練会に行ったことがないでしょうか? 入っていけば、賛美の熱気がすごいのです。私が講壇に上がって司会者が賛美 204番を歌うと、雰囲気がみな死んでしまいます。204番と言うと、歌うこともできません。ラップ側にする事もでき、クラシック側に出来るけれど、この賛美は神様にすることです。相当なことです。
 
・私がある日、神様の前に考えました。必ず記憶すべきです。私はむかし貧しかったのです。やむを得ず貧しかったのです。何か問題が生まれて貧しくなります。すこしご飯が食べられるようになれば、事故が起きて貧しくなるのです。貧困が自分のものように生きていたのですが、人生をこのように生きても良いのでしょうか? 貧しく生きることが神様のみこころでしょうか? そうではありません。ある日、私が悟りました。それも約20年前に何を悟ったのかというと、私が神様の前に少ないお金でも多くのお金でも、本当に私が人の前に立つ時は色々なことをみなするのに、神様の前ではあまりに献金していないのではないか? あなたは献金がないのか? 十分の一献金を計算して、必ず合せてそのようなことを話すことではありません。あなたが神様の前に献金する時がないのではないか? あなたが人の前に立つ時にはして、神様の前で立つ時としないのではないか? 私はそれを悟ったのです。それとともに、そうだ。神様、私は牧師ですが、神様の前に献金するようにさせてください。私が今どれだけ献金を多くしているかご存知でしょうか? イ・スドン長老を見て、言いました。今現在、冊子を作って、テープを作って販売する中に私のものが一番たくさん販売されています。私がはじめから話しました。今、大韓民国や世界のあらゆる人々は、本を作って、テープを作れば著作権を持ってします。私は、はじめから受けませんでした。これは全部、宣教するために、それでタラッパンする伝道運動を進行するために使いました。小さな献金ではありません。神様が経済祝福を下さったのです。行く所ごとにあれこれで祝福を下さいます。もし必要なことが生じれば、神様が人を通じてまた満たしてくださるのです.
 
・どれくらい礼拝が重要か分かりません。神様が生きておられることが確実で、私が神様の子どもであることが間違いないならば、変えましょう。何にも心配する必要がありません。私は誰であり、私は何をしなければならなくて、私はどのようにすべきでしょうか? 皆様が短くても神様の前で祈れば、祈りの答えになります。今までそのようにしていたでしょうが、本当に神様の前で賛美すると考えてみましょう。皆様の病気が良くなります。長老や執事が代表祈りをする時、人を全く意識しなくて、本当に神様の前に祈るならば、皆様のその祈りが、本当に答えられてくるはずです。全国、世界の牧師達が説教する時、説教準備は何でしょうか?神様が願うことは何か? 本文からそれを探すのです。お話しする時には、神様が伝達なさるという確信を持っていて、そこに聖霊が働かれるようになっています。すると、教会は復興するようになっています。静かに置いておいてもです。皆様が本当に神様の前で献金をすれば、経済祝福を下さるはずです。間違いありません。それで、私達が予算が足りないことは、恥ずかしい話です。私が今回見たら、本当に残念だなという考えを多くすることが、外国に行ってみると、今回ニュージャージーというきれいな自然の園にユダヤ人が学生のための青少年の空間を建てたのです。私が見る時、なぜ私たちはできないのか? 全世界にみなすべきです。
 
・今回、産業宣教の集いに行って、そのような話をしました。産業宣教大会をする時、充実にして、使うのは節約して、これからはレムナントのためにあちこちに共同体会館を立てるのです。私たちの青少年が行く所がありません。私が光州に行ったのに、休む時はそのようにするのに スリッパを履いて、食事をどこでするかさがしていたら、女学生 3人が私に向かって来ました。 "おじさん、映画をご覧になりませんか"これなにかと思いましたが、とにかく人は格好を良くして通うべきです。それで私が "何の映画", "映画をご覧になりませんか?" 女学生 3人がそう言いました。 "映画をなぜ" 私が前を見たら、食堂を見ていたのですが、ビデオ店の前でした。ビデオ店に行って映画を見ようということでした。それで私は、その時まで意味が分かりませんでした。 "なぜ、映画を私のような者と一緒に見るのか?" その時まで知らなかったのです。その子達がいう話が、自分たちでは行くことができないと言うことでした。私は、察しが早かったのです。若手いました。保護者が連れて入っていったり、先生が連れて入っていけば見ることができるということです。この4人は悪い子ども達ではなくて、純粋な子どもでした。すごいことです。それでも、過ぎ行く人を捕まえて、私が善良に見えたようです。連れて入っていったところ、私がこの学生達の一言で保護者でした。4人が入っていこうとするなら、部屋が大きくなければならないのに、600円をくれと言われました。分かりました。私が保護者ですから、私が出しました。しかし、子ども達が映画を見るのに、何の映画を見るかと思ったら‘猟奇的な彼女' それを見るというので、私がそれゆえに‘猟奇的な彼女'を一緒に見ました。面白味もありました。子どもたちがどのようにするのか? 研究もするのを兼ねて一緒に見たのです。2名は見ていたのですが、一名は携帯電話でずっと文字飛ばしていました。君は、はじめから終わりまで見ないのではないか? 自分は2回見たと言いました。この子は、友人について入ってきたきたのでした。この二人が、悲しい場面が出てくれば一緒に泣いて見終ったら "有難うございます"と静かに消えました。なにか大人が間違っています。映画も見ることができなければならないのではないか? 学生達は入っていくことができなかったようです。なにか誤っているのではないか? こういう考えもしてみました。学生達が、今、通いながらお金を使う時も多くて、習う必要がありません。あまりにそうです。私達が所々に私たちの青少年が対話して集まる所を作るべきです。それで私達が本当に神様の前で祈るべきです。
 
・私は誰であり、何をせねばならなく、どのようにせねばならないか? ダビデを見ましょう。両親が私を捨てても、主は私を捨てない。確かです。ダビデは王の中の王になって、イスラエルを生かす王になったのです。それで終わったのではありません。恐れを持つ必要がない、その程度ではなくて、ダビデという信仰人は、すべての恐れ、困難をすべて機会にしました。必ず必要です。皆様が勝利することを望みます。私たちは、神様の子どもであることが間違いありません。私たちは全部、完全に機会にしましょう。私は率直にお話しします。聖書で戦略 20種類を発見しました。20種類を発見したのに、神様のみこころであるという証拠。 20種類がみな行われているのです。先ず一番に発見したタラッパン、そこからレムナント運動まで、タラッパンからレムナント運動まで 20種類を発見しました。それで20種類がずっとなっています。続いているのですが、この20種類をどのように発見したかというと、聖書の中から発見したのですが、いつ発見したかと言うと、全部、問題がきて発見するようになりました。率直な話で、伝道をどんなにしてもだめだったのです。伝道がなったかの様に見えてもだめでした。その時、聖書には、伝道がどのようになっているかを知りました。あちこちにみことば運動を開いたということを知ったのです。タラッパンです。信者が集まって伝道して、イエスを信じても変わらないということを知って、祈りの答えを受けていることができないということを知りました。ほとんどのクリスチャンが、祈ることができないと知りました。その時、悩んで悟ったのがアンテオケ教会、チームの働きです。弟子訓練です。そうなのだな。結局は、私たちの信者が自分の家庭、家系の問題にかかって抜け出せませんでした。それで、そこでもらった答が、ミッションホームです。結局は、私達が生活で崩れます。それで専門の働きです。偶像文化に勝てないところに地域教会。こういう方法で20種類が全部問題がきた時に悟ったのです。
 
・ダビデは、羊を飼っている時を最高の機会としました。皆様、学生達はよく記憶すべきです。父の手伝いで羊を飼っていた時、ダビデは人生最高の計画を作ったのですが、2種類を良くしたのです。本当に祈って賛美したのでした。ダビデが羊を飼いながら賛美しました。これがダビデの人生に最高の計画になった時期です。何でも機会にしましょう。家で羊を守ることが良い職業にはなることができません。兄達は軍隊にも行って、みなするのに、この時ダビデは何をしたかと言うと、祈りと賛美でした。ところが驚くべき事が行われたのです。あなたがたも知っている通り、イスラエルにゴリヤテという将軍が攻めてきて、イスラエルをなくそうとしました。機会です。ダビデがどのようにしたのでしょうか? 絶好のチャンスがきたのです。なぜでしょうか?主なる神様を信じる信仰とダビデに技術があったのですが、獣を捕まえるために石を投げる技術があったのです。これを持ってゴリヤテに投げたのでした。機会です。ところが想像できない事が行われたのでした。ダビデが成功して、敵がとてもたくさん生じました。ダビデを殺そうとする人、それも義父でした。ダビデを殺そうとしたのです。これが全部、機会でした。詩篇の2/3がダビデの詩ですが、ダビデが苦しみに会った時出てきた詩です。ダビデが立派に成功する機会でした。神様の民であることが確かならば、何にも恐れる必要がありません。そして、私は誰であり、何をせねばならず、どのようにせねばならないかを知っています。より重要なこと、問題がきたとすると、機会になるのです。
 
・核心の時、話を少ししました。ここに学生達がいますが、私が今回、米国に行って私たちのレムナントの学生達に話をしました。1部の時、話したではないでしょうか? 学生達が記憶しなさい。あなたがたは今から成功する人々の本をたくさん読みなさい。簡単、簡単になっています。あなたがたが読んでみるよう願います。最近は、本が良くて、本屋に行けばひとりに対して簡単になっています。あまり短ければ、情報が短くて、あまり多ければ時間がかかります。中間くらいになるように、良い本が多いのです。本一冊の中にほとんどの人物がみな出ています。ひとつずつ、ひとつずつ読んでみれば良いでしょう。お手洗にも持って行って、皆様の家にも持って行って読んで見るのが良いのです。若い時に読んでこそ、考えが変わります。今、あなたがたは知らないかもしれません。今、全世界はニューエイジ運動とともに気功が、全世界を掌握しています。それを凌駕する祈りを学びなさい。レムナントを見てそう言いました。三番目、話したことがあります。マイケルジャクソンを見なさい。麻薬で倒れたバスケットボール選手を見なさい。成功したならば、必ず問題がきます。福音がなければ、あなたが幼い時、福音が入っていかねばならないのです。その話は本当に正しい話なのですが、どれだけわかっているか分かりません。私がこの学生の目を見たら、良く理解できないようでした。もう一度強調します。重要です。私が神様の民であることが間違いないならば、恐れる必要がありません。皆様が神様の民であることが間違いないならば、皆様の身分は明らかです。皆様が神様の民であることが間違いないならば、皆様の仕事に困難が来ても、それを成功にするはずです。皆様が成功できる祝福を持つように願います。私は成功するために苦闘する人に誤っていると思います。しかし、クリスチャンが福音ならば良くて、何で成功か?と言う人もいます。それも誤っています。そうではありません。神様は私達が成功することを希望されます。成功概念を持っているべきです。ダビデを見ましょう。それを持っているべきです。私たちは、成功すべきです。成功は神様のみこころです。失敗は、神様のみこころではありません。私達が滅んで、いつも苦労するのは、神様のみこころではありません。それがどうして神様のみこころでしょうか? 私達が、いつも貧しくさ迷って、悔い改めているのでしょうか? そうではありません。私たちは成功すべきです。ダビデは成功した王です。ダビデがどのように成功したのでしょうか? 成功の概念を持っていました。何かがあったのです。どんな困難が来ても、機会にしました。より重要なことは、掘り下げてみれば、ダビデはだれでしょうか? 神様の子どもに対する、自分が誰なのか、なぜ生きなければならないのか、どのように生きるべきかを明確に知っていたのです。それ以前に、神様が確かに生きておられて、神様の子どもであるならば、恐れる必要がありません。ダビデの信仰です。私たちのあらゆる聖徒達、そして、役員が特別に神様の恵みを受けることを祈ります。
 
・今、私が単なる運動をしているのではなくて、2003年度には全世界タラッパンを祈りし始めました。まず、ニュージャージー、ニューヨーク、フィラデルフィアの間にレムナントを生かすことができる共同体を作りましょう。こういう祈りの課題が出てきました。私が全国にみなするはずです。全世界にみなするはずです。神様が健康を下さるかぎりするはずです。確かに神様は働かれるはずです。これは普通のことではありません。レムナントが行く所がないのです。今あまりに暗闇の勢力に覆われているために、それで神様が契約を捕まえて祈る長老と産業する方達と役員に、神様は答えを確かにされます。間違いありません。何にも心配する必要がありません。何が心配になるのでしょうか。皆様がもしメッセージを聞いて、皆様の家族に葛藤があればなくしましょう。みななくしなさい。何で葛藤があるのでしょうか。神様の子どもなのに。譲歩すれば、どうなのでしょうか。皆様がもしみことばを聞きながら、教会員同士や教役者の間に葛藤があるのでしょうか。みななくしなさい。何ゆえに人間中心主義を使うのでしょうか。使う必要がありません。神様が亡くなったのでしょうか。する必要がないのです。見てください。それは愚かなことです。過ぎてみたら、確かに答えが変わります。それで、おかしな論理ですが、どのようにして世界の福音化を大きくできるのでしょうか。今まですこししかしなかったのですが、どのようにしたでしょうか。簡単です。何にも心配する必要がありません。神様は確かにされます。この契約を捕まえて、重要な働きをする役員と全世界のメンバーに神様は答えられるはずです。私の話が理解できませんか。あなたがたは、大学で、中高等学校で、皆様も知らないで君主論、韓非子論を学んだためです。あなたがたは、大学の勉強、世の中の勉強をしながら、たくさん習って上がってきたゆえに、よく分からないのでしょう。しかし、少しだけ考えてみれば、皆様は神様の子どもです。何にも恐れる必要がありません。それで、重要なことだけ記憶すれば、答えがきます。私は誰であり、なぜ生きているのか、どのようにしなければならないのか。あなたがたが神様の前に立つことです。まちがいなく答えを受けます。
 
・私はいままで1秒祈ったことも答えを受けました。1秒祈ったのに、断食しながら祈ったことは答えを受けることができなくても、1秒祈ったことは答えを受けました。なぜそうでしょうか。話を分かったからです。私は三日断食祈りをしても答えを受けることができなかったのが多いのです。三日断食するのに、お腹がどれくらい空腹か分かりません。神様の前でこの断食が早く終わるべきだと。誰かがそばでラーメンを作って食べることがうらやましかったのです。どれくらい笑わせる人間でしょうか?というと、三日断食を終わっているか時計を見ていました。そばにご飯をおいてです。律法です。そのまま食べれば良いのに、12時になれば食べたのです。これが祈りでしょうか。ある日、率直に祈りました。1秒しました。神様。なぜ建物がかくも多いのですか? 釜山に、ソウルには信仰が生じてそのような祈りはしないのに、釜山に行く時ごとになぜ建物がこのように多いのですか? このようにマッチ箱のようなビルディングが多いのですか? それなのに私はなぜ教会がないのですか? 教会堂がどうしてないのですか? 私は家もなくて、教会堂もなくて、いったいこういう奇跡がどこにありますか? 神様の前に率直に、神様がその祈りに答えられました。予備軍の訓練を受けている途中でm予備軍訓練を受ければ水準が異常になります。全部裏に行って、おしっこをして来るのですが、私は後から建物を見ていて、私たちの教会にすれば良いなと祈ったのですが、その建物が私たちの教会になりました。本当に不思議です。三日お腹をおさえていれば、断食祈りしたことは答えがなくて、神様の前で1秒ずつ、2秒ずつ祈ったことは答えられました。皆様、祈ってみましょう。神様、私は妻に付いてきたのですが、私は祈りの答えを受けることができません。このように祈りるだけでも答えられます。もし家族ゆえに来た人々もいるでしょう。家族ゆえにやむを得ず福音もなく教会にきたのでしょうか。奇跡です。どれくらい行く所が多いのに。神様に少しだけ祈れば働きが起きます。神様の前で。だから礼拝がどれくらい重要でしょうか? 私はダビデを考えれば、そうだと思います。本当に信仰も良いけれど、賢い人です。この人が立派ですが、とても知恵がある人です。私が誰を恐れるのでしょうか。父母は私を捨てても、神様は私を捨てないのに、私が誰を恐れるのでしょうか。最高の答えを受けた人物がだれでしょうか? ダビデです。どれくらい立派な人が多いでしょうか? 最高の答えを受けた人がダビデということです。皆様がこの答えを受けるように願います。今日、大きい祝福の日になることを主イエスのお名前でお祈りします。
 
<<契約の祈り>>
神様に感謝申し上げます。本当に私たちの人生の根本へ帰る日になるようにしてください。私たちのいのちを治めておられる神様であり、私たちは神様の子どもであることを確認する時間にしてくださり、成功する者になるようにしてください。未信者のように欲で成功している途中で失敗するのではなく、真の成功者になるようにさせてください。私たちの主イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン