(2003年 02月 23日インマヌエル教会/ 柳光洙 牧師)


 1部 / ダビデと キリスト
(マルコ12:35-40)
 
 
 
・一度、集会に行った時に、少し時間があって入口に立っていたら、女の信徒が私になにかを尋ねることがあると言って立っていました。時間がないから早く話しなさいと言ったところ、確認をするので、どうして確認するのですか? と聞いたら、先生がお金2百万円を持ってこいと言ったので、持ってきましたと言いました。私は持ってこいと言ったことはありません。誰がそう言ったのか?と尋ねたら、ある人が、先生がくださいと言ったと言うので、持って来たと言いました。それは誰ですかと尋ねたら、その人の名を話したのですが、持って行こうとした時に、たまたま先生が通り過ぎたので尋ねました。と言いました。執事ですか? と尋ねてみたら、執事だと言うので、「執事、私はそのような話をしたこともなくて、これからもしません。混乱しないで、気を確かにして、お金がたくさんあるならば、教会に行って献金しなさい。私はそのような事が永遠にないから、心配しないで。」と言いました。私はその話を静かに聞きながら、不思議な信徒がたくさんいるのだな。一般信者は、信仰生活をすることが難しいだろうと思いました。この人はこの話をして、あの人はあの話をして、教派は多くて、韓国に教派が200ケを越えてあります。本当にややこしいのです。皆様がどれくらい苦労が多いでしょうか? 変な話ばかりです。むかし、とても牧会者が自由にしていたのですが、それで作ったのが長老教です。その言葉は正しいのですが、正しい言葉ではありません。旧教時代に、司祭があまりにでたらめにしたゆえに、作ったのが長老教です。その話は、簡単に長老中心でせねばならないということです。正しい話です。またある団体は、水に浸からなければなりません。それが浸礼教です。できれば悔い改めて清潔に生きて祈るべきだというのが、聖潔教会です。できれば損害をこうむらねばならないのが、純福音教会です。あなたがたが混乱するようになっています。これを話し、あれを話すので、どのように信仰生活するのでしょうか? 新しくイエスを信じる人々は、もっとそうでしょう。どれが正しいのか? 神様のみことばを本当によく聞いて、福音を知って答えを受けるということは、実に神様の恵みでなくてはむずかしいのです。それで見ると、この地には霊的問題がどんどん来つつあります。神様のみことばをよく聞きながら、本当に神様の祝福を受ける時刻表にならなければなりません。皆様の生涯に、何とも変えることができない神様の祝福を受ける時間にならねばならないのです。聖書のみことばにそのようなことがあるのですが、人々がしばしばこのように話し、あのように話して混乱を与えるので、複雑になるのです。牧師にしたがって説教がまた変わります。全く同じ聖書のみことばなのに、解釈が違うのです。信徒にはどんどん混乱がきます。私は時々、時間がある時ごとにキリスト教放送を聞いてみるのですが、相談する内容や説教を聞いてみれば、本当に‘アーメン'ということよりは、そのようにしてはならないのにというようなことが、あまりも多いのです。この放送を全部国民が聞いているのに、本当に残念です。その方達がみな違って、私が正しいという意味ではありませんが、信仰生活するのが難しいと言いたいのです。あなたがたが信仰生活をするのが、どれくらい難しいでしょうか? これでもだめで、あんな状態でもだめで、祈りの答えを受けることができない状況もあって、そのようなことがあるでしょうが、あまりにも苦痛の中に陥って、良くならない時もあるのです。
 
・今日、とても重要なマルコ福音 12:35-40です。私はここで‘ダビデとキリスト'というタイトルをつけました。あなたがたが今日、このみことばをよく聞きながら祈りの答えを受ける、本当に祝福の日になることを、主の御名によって祝福します。ダビデは、どんな人でしょうか?皆様自身を理解するということが、どれくらい重要なのか分かりません。ソクラテスは、自分自身を知って、とても悲観的な話をしていて、毒薬を入れた杯を飲んで死にました。ソクラテスが言った言葉です。‘あなた自身を知りなさい' 知ってみると、批判的な話をするしかありません。しばしば、そのように言うので、毒杯を飲んで死んでしまったのです。 自分自身をよく知るということは、ものすごく重要です。自分自身を本当に理解するならば、高慢になることもなくて、気落ちすることもありません。救われた私が誰なのか、本当に理解するならば、絶対に高慢になることはありません。そして、気落ちすることもないのです。釈迦という人は、自分自身をあまりによく知って、ずっと悲観に陥っていて、家を出ました。よく知ったのに対策がないのです。 長く話をする必要もなくて、ここに座っているあなたがたが、私が誰か? ここに対する答が出てこなければ、むずかしいのです。皆様がイエスを信じようが信じるまいが、よく信じようが誤って信じようが、私が誰か?に対した答がなければならないのではないでしょうか? それがないから困難なのです。今日、ダビデという人が出てきましたが、ダビデは幸いに、どんな祝福を受けたのかと言うと、自分自身が誰なのかを知っていました。今日、ダビデという人物が紹介されたのですが、ものすごく重要です。マタイの福音書 1:1 イエス様を紹介するのに、アブラハムとダビデの子孫となっています。アブラハムも重要ですが、ダビデがものすごく重要です。このダビデが何を知っていたのでしょうか? 自分自身に対して、ベツレヘムの名もない村で、高官でもない父エッサイの息子ですが、また自分はたとえ羊飼いでしたが、神様の恵みを受けた子どもだということを知っていたのです。それでダビデは謙遜にしました。羊飼いでした。父エッサイは、特別な人ではなくて、羊飼いで羊を飼っていた人です。エルサレムのようにたいした町ではなくて、ベツレヘムで育って、そこで学んだこともそれほどなくて、羊を飼う羊飼いでした。これを知っているダビデは、ものすごく謙遜にしました。ところが、より重要なことは、自分が神様の子どもだという事実と、神様が私とともにおられるという事実を知っていたのです。より重要なことは、後ほどダビデにどんな困難が来ても、王がなるということを知っていたのです。Iサムエル16章を見れば、サムエルから油を注がれました。すると、なぜ私のような者が王になるのかという理由を知っていたのです。そして、より重要なことは、ものすごい地球上で最も重要な秘密がなにか? イエス様をこの地に送られて、救われる事件。皆様が使っている 2003年 2月23日 これはイエス様が来られた日を起点としたのです。肉体を持ってメシヤにくるのに、ダビデの子孫から来るということをダビデは知っていたのです。たいしたものです。皆様自身を理解するということは、救われた皆様が誰なのか知っていれば、絶対に高慢にならず、気落ちしません。
 
・私は救われた私を知った時、はじめに証しする必要がありませんでした。私は証し集会を上手にしません。 なぜでしょうか?証しする必要がないからです。本当に知っていれば、証しする必要がないのです。私が例を上げる時、率直に誇張されたことが多いのです。例を上げる時見れば、正しい話ですが、証し的に誇張されて、私が例を上げる時にも、数字上で違った時も多いのです。それなのに、どのように証しできるでしょうか? 人が本当に私がなにであるかを理解するならば、そんなにできません。私が誰なのか本当に理解するならば、私が神様の子どもであり、私が誰かを本当に理解するならば、気落ちすることもありません。どんなことがおきても気落ちしません。それがダビデでした。たとえ羊飼いであっても、救われた神様の子どもであることを知っていました。羊飼いをしながら、最高の詩と最高の祈りと最高の賛美が出てきました。その事実をとても感謝して、ところが知ってみたら、ダビデは後に王になるはずだと知ったのです。大祭司長サムエルが話しました。より驚くべき事実、ダビデの血統でメシヤがくるという事実を知ったのです。それで、マタイの福音書1:1 アブラハムとダビデの子孫、イエス・キリストの系図。あなたがたがよく理解しなければなりません。そのように見ると、ダビデは幼い時に最も多くの恵みを受けました。それで、私達がレムナント運動をさせようということです。幼い子どもの時、福音を正しく知って、祈りを正しく知っていれば、みな習ったことです。勝利します。これを習うことができなくて外に行くので、問題が生まれるのです。福音がないから、勉強しても問題がきます。福音がなく、深い段階に入っていけば、問題がくるのです。福音がない人が大統領になったり、王になったり、福音がない人が有名な演奏家になったり、福音がない人が有名なスポーツマンになれば、その時、問題がきます。よく悟らなければなりません。これを学生達が悟れるようにさせてやるべきです。ダビデが幼い時に、これを知ったのです。どれくらい羊をよく守ったかというと、羊一匹なくさないことはもちろん、動物がくるのをみな防止しました。ダビデは、すごいのです。自分が誰かを知っていたゆえに、皆様がおわかりの通り、ゴリヤテに会ったではないでしょうか? 絶好の機会でした。ゴリヤテを一気になくしました。ダビデは、英雄になりました。しかし、ダビデは自分が誰なのかを知っていたのです。いよいよ王になったのです。ダビデは王になって、神様の願いを成し遂げました。神殿を建てる準備を完全に終えました。ダビデの老年の時に失敗した時にも、どのようにしたでしょうか? より信仰を守って勝利しました。ダビデは、自分が誰なのかを知っていました。ダビデを通じてメシヤがくることをダビデは知っていて、一生の間の短い期間だが、王になるということを知っていたのです。それよりもっと重要なことは、自分がいつも羊飼いだということを知っていました。それでも、気落ちしないのは、神様の子どもだということを知っていたからです。ダビデが神様をたとえる時、主は私の羊飼いと言いましたが、羊飼いだったから分かるのです。主は私の羊飼い。私は乏しいことはありません。私が羊を一匹もなくさないように、神様もそのようにされます。ダビデが将軍になった時、何と言ったでしょうか? 主は私の盾であり、私のやぐら、私の避け所です。すごいではないでしょうか? ダビデを見ましょう。ダビデが王になって何と言ったでしょうか? 主は私の王です。ダビデの信仰を話しています。だから、ダビデは、勝利するしかないのです。そうすると、キリストはだれでしょうか? ダビデの子孫を通じてくるキリストはだれでしょうか? 皆様、この部分をよく知らなければならないでしょう? 今でも知識人、科学者が解決出来ない創世記3章の問題が続いているのに、その解決者です。創世記3:15 驚くべき単語が出てきます。女の子孫。相当な話です。
 
・せつないことなのですが、これからこのようなことがおきないように祈るべきです。もちろん、色々なことが後にたくさん出てきました。なぜ電車をそのようにさせたのでしょうか? なぜ運転手は、電車の鍵を持って逃げたのでしょうか? 火事が起こったのを知っていながらも、なぜ電車が入っていって、人をみな死ぬようにさせたのでしょうか? コントロール室では防止することができたのに、なぜ防止しなかったのでしょうか? こういう話がたくさん出てきました。しかし、正確に話せば、そのような心の余裕がなかったのです。火事が起こって、30秒後にみな広がって死ぬようになったのに、たぶん鍵を抜いてやっとのことで逃げたのです。韓国の人々は、列車が正しい時間に到着しなければ、非難を多く言います。火事が起こったか? 起きなかったか? そのような時間に、人々がやられたのです。こういう事があると誰が考えたでしょうか? 瞬間に判断できなくて、やられたのです。そこにいた職員等も判断できなくてやられてしまったのです。コントロール室にいた人々も、判断が正しくできなくて、やられてしまったのです。問題の中で私達が参考にせねばならないことは、創世記3章の事件を理解できずにいるので、これからそのような精神病者がたくさん出てくるはずです。そのようなことがないなら良いでしょうが、そのような人はたくさん出てくるはずです。それで、今日核心の時も話すでしょうが、とても残念なことは、その人が精神病院で火をつけると言ったのですが、福音を持った人一名だけいたならば、イエスを受け入れて、すぐに霊的問題が解決したのに、本当にせつないことです。それで、私たちのタラッパンメンバーは、どこに行っても無礼なくらい福音を伝えるのですが、時には必要です。そのような所でその人に会えば、すぐ解決したでしょうに、キリストが誰でしょうか?本当に創世記 3章の問題の解決者。皆様、創世記3:15 の単語をよく記憶するべきです。キリストが誰でしょうか? 創世記6章に起きる家庭が破壊した偶像文化の解決者。とても重要です。創世記3:15、出エジプト記3:18、イザヤ7:14 がとても重要な単語です。皆様がよく知っていますが、もう一度確認しなければなりません。
 
・キリストという単語の意味は、油を注がれた者という意味です。油を注がれたという話です。王、預言者、祭司長に油を注ぎました。この三つを合わせた単語です。いったいキリストは誰でしょうか?信じようが信じるまいが、知っていなければならないのではないでしょうか? サタンの勢力を打ち破ってしまった王、私たちのすべての罪を解決なさった真の祭司長、私たちは神様に会う道を知らないために、道を開けられた真の預言者、その言葉です。すばらしい言葉です。皆様が知らないならば、詳細に注意深くみましょう。あんな事件が韓国でだけ起きるのではありません。米国とか、日本にずっと起きます。私たちの電車を見て、日本があざ笑いましたが、全世界にどんな事件がおきるか分からないのです。これからずっと起きます。皆様が良心的に考えてみましょう。精神疾患者が多数になります。精神が狂わなくても、精神病に苦しめられた人があまりに多いのです。神様の息子が現れられたのは、悪魔のしわざを滅ぼすためだと言われたのを銘記すべきです。神様がキリストをなぜ送られたのでしょうか? 理由を正す必要がありません。わたしは道であり、真理であり、いのちです。受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになりました。神様がキリストをなぜ送られたのでしょうか? すべての罪と呪いをなくしてしまわれました。皆様、そこで気分が悪いでしょうか? 関係ありません。皆様の気分と関係なく、神様は救いの門をあけられたのです。キリストを確かに知らなければなりません。
 
・すると、今日、イエス様が話された本文の内容は何でしょうか? 想い起こされることはないでしょうか? ダビデの子孫でイエス様がいらっしゃったと言うなら、するとダビデが高いでしょうか? イエス様が高いでしょうか? ダビデの子孫として来たとされていますが、ところが今日の本文にダビデはキリストを主に信じたとなっています。自分の子孫を主に信じるのでしょうか? この話の理解をよくしなければなりません。一時、市中に本が出回っていましたが、どんな本が出回っていたかと言うと‘イエスは釈迦の弟子であった' そのような本がありました。なぜそうでしょうか? その本を見たら、イエスは釈迦の後の人です。そして、イエスが世界旅行するなかで、釈迦のいる所に行ったと書いてありました。この人が研究したのではありません。一理ある話です。イエス様が釈迦に付いてまわれば、またどうなのでしょうか? それで、この話がなんの話でも関係ありません。イエス様が肉体のからだを着ていらっしゃったのが、釈迦の後だという話です。神様が人を救うために人のからだを着て送らねばならなくないでしょう? その事件が、2003年前にあったということです。それと、元々のキリスト自体と違っているのです。これが区分できないのです。肉体のからだでダビデの子孫で来られたのですが、ダビデが誰を信じて救われたのでしょうか。来られるメシヤ、主を信じて救われました。何の話なのか分かるでしょうか? 霊、肉は必ず区分すべきです。今日、皆様がこのみことばを見ながら、必ず記憶せねばならないことがあります。
 
・すると、このみことばを下さった神様の祝福は何でしょうか?皆様、この契約を捕まえて、必ず記憶すべきです。旧約時代のすべての契約は成就されました。それで、イエスを信じないと、旧約にあるあらゆる呪い、災いがみな臨みます。しかし、私たちはここから解放されてしまいました。必ず記憶するべきです。皆様が失敗しないことを主の名前でお祈りします。土曜日、大邱から汽車を乗って帰ります。土曜日には警護する人々が付いて回って疲れています。土曜日は、一人で行くからついてこないでと行ったら、それで警護員が必要だったようです。列車のなかで誰かがぐいと引っ張りました。外に引っ張られたら、落ちたのでしょうが、列車のなかで引っ張りました。見たら "柳光洙牧師ですか?" "そうです" "先生に相談することがあります" "何ですか?" "先生は全国と世界を回っているのでしょう。このことは、必ず言って下さい" "何ですか" "先生に申し上げねばならない使命があるために、神様から使命を受けてきた" "なにか話してみてください" "イエスを信じて救われるけれど、そのようなことはありません" "何かをして救われるのですか" "徹底的に、徹底的に悔い改めるべきです" すべての罪を告白して、徹底的に悔い改めて、イエスを信じてこそ救われるので、単に信じるだけでは救われることができないということでした。それで、私があなたはある所で訓練を受けたのですね。あなたは、賛美を歌ってみたことはないですか? あなたが、どんなに罪を悟って悔い改めても、キリストを知らなければ救われることができないのです。耐えてもできないよ、苦労してもできないよ、泣いてもできないよという賛美を歌ってみなかったですか? そして、あなたから悔い改めしなさい。私に会おうと来るならば、あらかじめ予約をして会えるのかと尋ねて来るべきで、後から服をつかまれて、どれくらい私が驚いたか分かりますか? まだ心臓がドキドキしています。あなたが悔い改めなさい。それから、徹底して悔い改めなさい。罪がなにかも知らない人々が、罪! 罪と通うのです。だから、本当にせつないのです。ソウル大学に伝道しにいった時、ある学生が、「私は先生の話を聞いてみたら信じられるのに、他の人を見ると、罪を罪ではないと言って、罪でないことは罪だと言って狂っている」と言いました。「話してみなさい。何のことですか?」「私達が友達と集まって、花札をして遊びます。家族で集まり酒を飲みました。それが罪になるのでしょうか? 国はみな滅びのに、国のために献身しなくているのが、それが罪ではないでしょうか?」「正しいです。誰が何と言うのか?」「それなのに、イエスを信じる人が、なぜそうなのでしょうか? 」「間違っている人々がそうなのです。あなたの考えが正しい。イエスを信じて救われなければならないのです。」だから、大それたことゆえに間違ったのです。変なことが多いのです。また変にそれで私は警護チームがなければならないのです。集会が終わって裏路地で待っていたら、ある男の人が私を捕まえました。「何ですか?」「先生。これだけは必ず言わなければなりません。」さっきと同じ話でした。大邱に、たぶんそのような団体があるのでしょう。また一時は、誰が付いて回ったかと言うと、「先生。今、使っている聖書は誤っている。今、使っている聖書は、こういう聖書であるゆえに誤っていて、韓国と世界教会が誤ったゆえに、どのように救われるでしょうか? 先生のように、世界福音化する方が、どうして間違った聖書を持って世界福音化ができるでしょうか? 正しい聖書を持って通うべきです。」「すると正しい聖書は何ですか? 」キングジェイムズが翻訳した聖書だけが正しくて、他のものは翻訳上違うと、証拠をぜんぶ聞きました。その人も訓練を受けた人です。このごろは、特に変な訓練をみなします。「正しいことです。私はあなたの話を認めます。私の話を聞きなさい。コリントの人々は聖書 66巻を読んで救われたのではなく、コリント人への手紙だけを読んで救われました。そして、ローマの人々は聖書 66巻をみな読んで理解して救われたのではありません。ローマ人への手紙の中にある福音だけを読んで救われました。間違いないですか? 間違っていますか?」「正しいです。」「すると、翻訳上、ちょっとした間に単語のエラーがあることもあります。それゆえに救われないでしょうか?」変な人がいます。手紙もずっと書いて、後ほどはできないから私に悔い改めなさいと書いてきました。そのようなことだけあるのではありません。また一度は、叫び伝道。家はでたらめにしておいて、教会は妻を合わせて三名しか集まらないのに、背中に何かを背負って叫んで伝道するとどなって通います。イエス天国と叫ぶ時があります。部分的なことを持って全体にしてはなりません。何にもせずに叫んで回ります。それで、学校に通う時そうです。頼むから、そのようにして回ってはなりません。背中に背負って叫んで回るのでしょうか? 家に行って祈りなさい。家に行って信徒を訪問して、伝道しなさい。回りながらなぜそうするのでしょうか? 聖書に書いてあると言います。もちろん聖書にあります。聖書には、その話だけがあるのでしょうか? 不敬もあります。むなしい、むなしいとも書いてあります。それでみなむなしくなるのです。そうなるのではないでしょうか? このように聖書を無理に解釈する精神病者が多いのです。今、普通の問題ではありません。皆様、旧約にすべての呪いが終わったことを信じてくださるように願います。本当に変な団体がみなあります。水に浸かってこそ救われるという浸礼教会。何で水にまた入るのでしょうか? イエスも信じないで、入って何をするのでしょうか? 福音も知らないで入れば、服が濡れるだけです。正確に話せば、洗礼を受けなければ救われないのでしょうか? 話にもならない話をして人々を惑わすので、人々は考えが混乱します。またイという団体は、教会に通いながら何と言いながら通うのか知っているでしょうか? 徹底的に悔い改めるのに、単に悔い改めるのではなくて、告白、告白しなさい。教会にきて告白しろと回ります。告白しなければならないと思って、感動を受けて夫も告白して、妻も告白しました。妻が嫁に行く前に回ってしたこと告白したのです。家に帰って来たら、夫が殴り倒しました。なぜこれまで話すのでしょうか? 聖書にそのような所がどこにあるのでしょうか? あなたがたの罪を告白すれば、神様にまだ旧約から抜け出すことができていないのです。旧約時代には、祭司長が罪人の血を持って入って行きました。なぜカトリックが間違ったと話すかと言うと、まだ直さないでいるからです。なぜ罪を神父に告白するのでしょうか? これが誤っていることです。まだそうなのです。私達がこれゆえに攻撃するので、カトリックで何と答えたかとすれば、告白するのではなくて、相談すると言いました。今でもしています。いまだに旧約から抜け出すことができていません。何ゆえに教会の聖堂に幕屋を作って置くのでしょうか? まだ呪いから抜け出すことができずにいるのです。韓国教会は、本当に大変なことになりました。皆様、イエスを信じれば、旧約のすべての呪いから解放されると信じてくださるように望みます。二度と陥らないで。終わってしまいました。私たちに何をくださったのでしょうか? 新しい契約を下さいました。新しい契約、イエスを信じるということは、並大抵のことではありません。その人々がいう話の中に正しい話もあります。ここに座っているあなたがたが、福音を知らなければ、罪を犯したそのまま災いを受けねばなりません。それが仏教理論です。仏教理論は、間違っていません。正しいのです。神様がなくしてしまわれたを言われているではないでしょうか? それが福音です。皆様が過去に失敗したこと、知らず知らず犯した罪も多いでしょう。こういうこと、すべて報応を受けねばなりません。それが仏教理論です。正しいのですが、知ればあまり途方もなくて多いのです。仏教で誤って錯覚したことです。解決もできなくて、考えることもできません。私は思い出さないのに、誰かは言うのです。それもあります。私は、思い出すこともできないのに、神様が人間の問題を解決できないことをご存知であって、罪を犯しなさいという話ではなくて、過ぎた日の呪いから抜け出していないことをご存知であって、キリストを送って、十字架に釘付けてくださったということです。何の話なのかご存知でしょうか? 私達がどんな祝福を受けたのかご存知でしょうか? 旧約から完全に終わりました。
 
・ある後輩が、先生。私が祈梼院をするようにしました。それで、どこでするようにしたのですか? 京畿道のある名刺を渡したのですが‘シナイ山祈り院' シナイ山から降りて来なさい。カルバリ山へ行きなさい。本当に残念なことです。もちろん名前は良いでしょう‘シナイ山' そこは律法を受けた所です。カルバリ山で、すべての問題を解決なさいました。皆様がサタンを恐れることにだまされてはなりません。ますますだまされるのです。終わりました。何ゆえに私たちの借金をみな返したのに、また返すのでしょうか? すべての呪いをイエス様が十字架でみな解決なさったのに、なぜ私がしばしば暗闇とサタンのお手伝いをするのか ということです。すると、私たち人生を無条件に生きていて良いでしょうか? そのような話ではありません。聖霊の導きを受けることが最も正確です。神様が私たちに新しい契約を下さいました。新しい契約を与えた程度ではなく、Iペテロ2:9 光の子どもとして呼ばれました。皆様が記憶するように望みます。皆様が本当にイエスを信じれば、一名ゆえに家庭が祝福を受けます。光の子ども、皆様は経験ないでしょうか? 本当に一名がイエスを信じれば、家庭が生かされて、本当にイエスを信じれば、会社が生かされます。そうではないでしょうか? 光の子どもです。証拠で主がヨセフのゆえに。Iペテロ2:9 あなたを呼ばれたのは、すばらしいみわざを、あなたがたが宣べ伝えるためです。この話を悟れなければ、皆様が信仰生活したかのように見えるのですが、ある日わなにかかってしまいます。終わったのです。ダビデ、キリストの区分ができないのでしょうか? これが区分できない人が多いのです。そのように見れば、ダビデは何でもありません。子孫でイエス様がきたということは、肉体を着たということです。まだ区分ができないのでしょうか? マリヤから産まれたということは、マリヤの肉体を借りたということです。まだ区分できないのでしょうか? どうして、マリヤが聖母でしょうか? まだ区分ができないのです。人々は考えが本当に愚かです。マリヤに祈らないでしょうか? 考えが愚かです。だから、信仰生活はできなくて、地球は毎日、暗闇の中に陥るのです。 今日、本当に神様の祝福を受けるように願います。今日、たぶん祈る中に礼拝が終れば、一般信者宣教会に加入する紙を渡すはずです。お願いします。今、釜山で一般信者宣教会に加入した人が約30%出てきました。少ししてからおりて行って話すはずですが、インマヌエル・ソウル教会は100% が出てくることを希望します。 100% 出さず 200%で出しましょう。子ども達までみんなです。私が今話すことは、何かを出しなさいと話すのではありません。私たちの教会のためにしようということでもありません。今現在、霊的に苦しめられる学生達があまりに多くて、麻薬に陥る学生達があまりに多いのです。私たちは、今、世界宣教をすべきです。今現在、私たちの教会を見て米国にレムナントが集まっています。彼らを助けるべきです。日本にいる使命者が韓国で訓練を受けてみたいととても感謝するのに、私達がそのような人々を呼ぶべきなのです。皆様、一般信者宣教会に一名ももれなく入るべきです。これで、本当に教会らしい教会を作るべきです。あなたがたが、本当に神様の大きい祝福を、本当に受ける皆様になるように願います。終わったのです。終わったでしょうか。
 
・福音を知る前、私の説教を聞く人の中で、私と私の家を知る人が多いでしょう。私の父がどれだけ確実で勤勉な人なのか、事業を4個しました。福音もなく 6.25 戦争が起きて、電気をあまり使えませんでした。 それで、私の父がすべての難しい避難民のために、石油事業をしたのです。戦争が起きて、盛んな家がありませんでした。私の父が明け方早く出て、すべての近所に醤油を供給するようなことしました。 むかしは、小屋に住んで難しかったのです。虫も多かったのです。それで、私の父が近所全体を防疫する仕事もしました。家に帰ってきては、あいている時間に私たちの村で良い店をしました。私の父が、このような人でした。 話にもならない程でした。福音がなければ遊んでいる(何もしていない)人達、貧しい人々がむしろ私の家をあざ笑う程に、私の父が早く亡くなりました。とても苦労を多くして、福音がなければ、むしろ遊ぶほうがよいのに、あまりに熱心にして亡くなったのです。そのような次に、私の家がとても難しくなりました。私が信仰生活をしながら、この福音をあまりに知らなく、せねばならない価値を悟ることができなかったのです。これが信じられませんでした。なにか知らないで、どんどん困難が来ながら、困難がくることさえ良いのですが、正しく理解できませんでした。ある日、私が福音を理解するようになりました。福音を理解してしまって、目が開きました。どんな目が開いたかと言うと、今、全世界の人々は、知識人でも無知な人でも、金持ちでも貧しい人であろうと、霊的な問題に苦しめられているんだな。これを解決する道は福音しかないな。それで、私が立ち上がったのです。‘神様、人々が話すことができないように、私が教会を見ることができなくても、教会を祝福してくださって、私が子どもを見ることができなくても、子どもを 祝福してください' と祈りました。私は福音、この働きをせねばなりません。釜山から出発する時も、私たちの役員を見て話しました。私は世界福音化のために無条件に走るから、一つ一つ話さなくても理解して欲しい。もちろん、そのようにしてはなりません。しかし、私はそのようにするので、助けてください。今、大邱で起きたことは、簡単な事件にしかならないけれど、これからあんな霊的問題は、ずっと起きます。私が昨日、大邱に行ってそのように話したではないでしょうか? なぜ大邱は、そのような事件がたくさん起きるのでしょうか? 何か爆発して、首が飛んで行ったり、子どもがカエルを捕まえに行く途中で死んだ事件など、まだ犯人を探すことができていません。どうして、大邱がそうなのでしょうか。世界で一番大きい偶像があって、それで、なぜそうなのかということです。霊的問題が、とても深刻です。それは、大邱だけそのようなことではありません。世界的な現場です。皆様、今日、答えを受けるように願います。悟らなければなりません。早く旧約から出てきましょう。何ゆえに、そこに座っているのでしょうか? 早く出てこなければなりません。救われた子どもです。皆様、運命と呪いの中に陥っていてはなりません。福音で出るように願います。終わったのです。すると、することは何でしょうか?光を放つことです。今日、新しく教会に来られた方達、皆様が生涯最高の祝福になることを願います。皆様の事業に神様の光が照らすことを希望します。前回、水曜日の一般信者説教を記憶することを願って、皆様の事業と現場に神様の証拠がずっとあることをイエス様のお名前でお祈りします。
 
<<契約の祈り>>
神様に感謝申し上げます。人々が知らないで、どんなに熱心に勉強して、どんなに熱心に政治をして、科学が発展しても、霊的な問題ひとつ解決できなくて、地球全体と世の中は難しくなっています。聖書のみことばを悟る教会になるようにさせてください。福音を悟る教会になるようにさせてくださって、まさに旧約のすべての呪いに陥る人々を救い出す、福音の人になるようにさせてください。霊的問題に勝利できるように、今日、礼拝に参加したすべての人々に祝福を与えて下さり、メッセージをともに聞く、すべての方達に働いてください。今日、貴重な答えの日が始まることを信じます。生きておられる主イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン
 
 


 2部 / 率直な祈り
(詩28:1-9)
 
 
・キリスト教徒の失敗は、旧約の倫理そのままいるためです。福音でないことを捕まえているからです。2部礼拝では、私が祈りの答えを受けることができるか? 受けることができるならば、すごいことなのです。学生達がたくさんいますが、救われた神様の子どもであり、祈りの答えに秘密があるならば、殆どそれでなっていきます。今日、どのようにすれば、祈りの答えを受けることができるのかに対して話します。
 
・約1500年がすぎたのですが、全世界を動かした国の中にアラムという国がありました。とても強い国で、アラビア語を世界が言葉として使わせる程でした。この大きい国に有名な将軍がいたのですが、その将軍がナアマン将軍で、アラムの国の将軍で、事実上、世界を統治した将軍でした。この国の王がナアマン将軍を特別に考えて、彼の話を拒否出来なかった程、偉い将軍でした。しかし、この将軍は他の人に話せない悩みがあったのです。それも単なる悩みではなく、死ぬほどの悩みがあったのですが、全身が腐っていく「らい病」を持っていたのです。表面では相当な将軍でしたが、実際には腐っていくので、外ではすごかったのですが、家では悲惨でした。この将軍の力は強大で、名声はすごかったのに、死ぬ日はいつ死ぬのか分からないのでした。絶望の中にいたのですが、この状況がどうかといえば、こんにちの人生なのかも知れません。ところが、自分の主人であるナアマン将軍が死んで行くことを、家政婦の中にいたイスラエル人の家政婦が知ったのです。それで、人を通じて話したのは、イスラエルに行けば、エリシャという預言者がいるのに、この人に祈ってもらいさえすればよくなるという話をしました。それで、ナアマン将軍は、その預言者がどんな人なのかイスラエルという国に対してもたずねてみようと、死んでいく中にも病気を直すようにイスラエルに王の文書を書いてくださいと頼んだら、この王はナアマンを惜しんで文書を書いてくれました。そして、ナアマン将軍は、死んでいく中でもイスラエルの王の前に行って、アラムの王が書いてくれた文書を出したのです。イスラエルの王が文書を見て、これは戦争を起こすために是非をかけてきたと考えたのですが、エリシャは既にその事を知っていて、ナアマン将軍を自分に送りなさいと言いました。それで、イスラエル王は、エリシャに送ったのでした。ナアマンは馬車に乗ってエリシャの所に行ったのです。アラムの国の最高の英雄ナアマン将軍が、エリシャにきたのですが、当然に想像していたのは、大歓迎で祭りをするということだったのですが、エリシャは出てくることもしませんでした。ただ召使いが出てきて、預言者エリシャは、ヨルダン川に行って入浴を7回すればよくなると、入浴を 7回しなさいと言ったと告げました。この話に、ナアマン将軍は腹が立ったのです。病気が良くなる方法を教えてくれたことに対して腹が立ったのではなく、預言者の指示に腹が立ったことでもなく、召使いの話に腹が立ったのでもなく、自分が来たのに出てくることもしないことに対して腹が立ったので、ナアマンは行って軍隊をつれてくると話したのですが、ナアマンの副官が賢い人でした。副官は、預言者が話したのは、入浴しろと言ったことは可能な事だと冷静に話したのです。入浴したのですが、6回までは良くならなかったのですが、7回が終わったら良くなったのです。完全に子どもの皮膚のようによくなったのでした。衝撃を受けたナアマンは、またエリシャの家を訪ねて、家の前にひざまずいて、自らの挨拶を受けることを希望して、革の衣と銀と金を出しました。その時になって、エリシャは出てきて、受けることはないと話して、ナアマンが国に帰って神様をそのように崇めなさいと話しました。ナアマンは、イスラエルの地の土を持って帰って、自分が仕える王が偶像崇拝をする時に、主に祈れば良いのかと尋ねたら、エリシャがそのようにすれば良いと言いました。このように話をして、ナアマンは、自らの国に帰って行ったのです。神様が、ナアマン将軍に要求したことがひとつでした。入浴しようとするなら、服を脱がなければなりません。エリシャが出てきて按手をしても良いでしょうし、でなければ一緒に礼拝を捧げに教会に行って祈っても良いのに、よりによってヨルダン川に行って入浴しなさいと言ったのです。入浴する時は、服をすべて脱ぐのですが、これは霊的な意味が大きいことで、自尊心をすべて脱いで、神様の前に出てこいということでした。
 
・救われた神様の民は、祈りの答えを受ける重要な道がいくつかあります。ひとつは、本当に福音を悟った人が福音を味わう祈りをすれば、答えを受けて霊的問題が解決するのです。すべての宗教は、すべて祈りがあるのですが、後ほどは失敗します。福音を味わう祈りをするようになれば、まちがいなく、答えを受けるようになり、家庭に霊的問題が解決する本格的な開始にならなければならないのです。また子どもに霊的問題がきた時は、確かに父母にまず理由があるので、これを知って契約を堅く握らなければなりません。入浴して行けということに、自尊心がどこにかあれば恥ずかしいでしょう。神様の祈りの答えを受けなければならないのに、自尊心がどこか他にあって、神様の恵みを受ける事に対しては自尊心がないのです。本当の福音を捕まえなければならないのです。その時、祈りの答えを受けるのです。人の話を聞かず、神様のみことばを聞かなければならないのです。盲人もイエス様が行かれるという話に‘ダビデの子、イエス様。私をあわれんでください'と大声を出して話したのですが、自尊心が必要なかったのです。今回、大邱の地下鉄惨事で見るように、こういう事故を起こす人は、霊的な問題を持った人で、そのようなことがないことを祈りますが、そのような人が多いし、より大きい事故を起こす人も多くいるのです。医者や教授や先生、検事や裁判官などは、こういう霊的な問題に対して知っていなければなりません。もし医者がこの事実を知っているなら、大邱地下鉄惨事を起こした人の治療の途中で、他の相談をしたでしょうが、治療の途中に他の発作がおきたのです。私たちは重要なことに対して自尊心がないのです。ナアマン将軍も死ぬ病気だったのに、他の自尊心を前面に押し出したのでした。私たちは福音的な祈りに答えを受けて、それから神様の前に祈れば答えを受けるのです。
 
 詩篇 142篇、ダビデの祈りです。死ということを前に置いて祈ったのです。外ではダビデを殺そうとするなかで、ダビデはほら穴に隠れて祈ることが真実の祈りでした。ほら穴の前に数多くの兵士達が見ることができなくて過ぎる時にした、本当にした祈りです。福音を持った福音の祈り、本当にする祈り、率直な祈りは答えを受けるのです。本当に福音的な祈り、本当にする祈り、率直な祈りは答えを受けるのです。自尊心と体面は必要ありません。家系の霊的な問題を解決しなければならないことに自尊心はないのです。家庭の両親が正しい人々ですが福音がなければ、滅びるのです。40歳を越えれば、表に見えるようになり始めて、50才を越えれば、みな分かるようになるのです。隠しているだけなのです。福音がない大統領がうまくいかないし、福音がない歌手が有名になると、気楽なこともありません。答えを受ける祈りの条件 3つがあるのですが、福音的な祈り、本当にする祈り、内容が率直な祈り、これが正直に答えを受けることができるのです。正直な祈りをした人が聖書にいますが、自分自身の能力が無いことを率直に認めたのです。‘主よ。私はあなたに呼ばわります。私の岩よ。どうか私に耳を閉じないでください。私に口をつぐまれて、私が、穴に下る者と同じにされないように。'ダビデは‘今回の機会を乗り越えれば、必ず勝利するでしょう'と言わなかったし、この機会を乗り越えれば、イスラエルを生かす王となれますようにと言うこともありませんでした。‘神様が私を放置すれば、墓におりて行く者のようです' という率直な祈りでした。自分に対する率直な祈りでした。私は神様の恵みでなければ、本当にできることがないことを知っていなければなりません。福音が理解できないことは、嘘をついていることです。まだ理解ができないのでしょうか? 皆様が知っているにしても、知らないにしても、罪悪がどれくらい多いでしょうか? サタンの存在がわからないでしょうか? 世の中を知らないのでしょうか? まだ福音の理解ができないということは、とても嘘をついていることです。率直になれば、福音が分かります。悪霊に仕える偶像の寺で答えを受けると考えるのでしょうか? 嘘をつくことです。皆様が本当に率直になれば、救いの秘密を知るようになります。それならば、率直な祈りに答えを受けます。ダビデが今‘神様、今回私を助けてくれれば、私がこれからイスラエルの大きい王になって、すべての悪い連中を解決します' こういう祈りではありません。‘神様が私を捨てれば、私は墓におりて行く者のようです' ダビデの率直な祈りです。それで見ましょう。3節に、悪い者に対する率直な祈りです。3節にこういうみことばが出てきました。‘どうか、悪者どもや不法を行なう者どもといっしょに、私をかたづけないでください。彼らは隣人と平和を語りながら、その心には悪があるのです。' 口では平和を語るけれど、悪い心がぎっしりあると言いました。5節に‘彼らは、主のなさることもその御手のわざをも悟らないので、主は、彼らを打ちこわし、建て直さない。'皆様、一番怖い人が、神様に関する考えがない人が一番怖いのです。それは能力があって怖いのではなく、本当に何をするかも分からないから怖いのです。神様を信じないということです。特に未信者が神様を信じないこととは違います。未信者は神様がないと思います。信者が神様を信じないことが怖いのです。それほど怖いことはありません。こういう者のためにダビデが神様に祈りました。そして、特に神様の力を知っている祈りをしたのです。2節、6節、8節、9節を見れば、2節にこのように出てきました。‘私の願いの声を聞いてください。私があなたに助けを叫び求めるとき。私の手をあなたの聖所の奥に向けて上げるとき。' 6節に‘ほむべきかな。主。まことに主は私の願いの声を聞かれた。'8節に‘主は、彼らの力。主は、その油そそがれた者の、救いのとりで。どうか、御民を救ってください。あなたのものである民を祝福してください。どうか彼らの羊飼いとなって、いつまでも、彼らを携えて行ってください。'力であり、とりで、羊飼いの主なる神様の力を知っている率直な祈りを神様にささげたのです。
 
・今日、皆様が祈りの答えを必ず受けるように願います。‘わたしを呼べ。そうすれば、わたしは、あなたに答え、あなたの知らない、理解を越えた大いなる事を、あなたに告げよう。'私たち人間は、人に害を与えるために嘘を上手につく人があって、人を見れば嘘を上手につく人々がいます。嘘ということは、どんな嘘でしょうか?つまらなく嘘をつく人々がいます。例えばどこかに行くのに、誰かがどこに行くのかと尋ねる時、別のところ行くと言います。それは実際には嘘ではありません。話をしないことです。皆様が例えばどこか困難な所に行ってきたならば、どこに行ってきたかと聞かれた時、嘘をつきます。それは嘘ではなく、話をしないことです。今それを言うのではありません。となりに害を与える偽りの証拠を言うなということです。そして、人々は本能的に嘘を上手につきます。あなたがたは、こういう部分をよく悟らねばなりません。ある人は、そのようです。結婚前からずっと能力がなかったのに、こう言います。 "私が間違って結婚したからだ" 嘘です。ものすごい嘘です。人々が嘘を上手につきます。結婚前からいつも良くなかったのに "結婚した相手が良くなくて、子どもを何人か産んだらからだの調子が良くない" 結婚前にいつも調子が良くなかった人の話です。人々が嘘をそのように上手につきます。これが何でもないことのようでも、体質的に嘘を上手につく人々がいます。ある面で自分に困難なことを尋ねられる時、嘘を言ったことは嘘ではありません。聖書で話す嘘は、そのような嘘ではないのです。ヨシュアとカレブを隠しておいたのに、ヨシュアとカレブを殺すために誰かが刀を持ってきたのです。 "ここに今、男二人がきたことを知らないか?" 隠していたのに、そのように尋ねられました。本当に嘘をついたのです。"あちらへ行きました。すぐに行ってみなさい"と言いました。私が神様の前に嘘をつくことができるかと "ここに今隠しています"と言えば死ぬのです。皆様、 嘘とはどのようなことを話すのでしょうか? 人々が本能的に自分の立場で話します。嘘をついて、そのような方法で祈ります。祈りになるでしょうか? 皆様が祈りの答えを受ける方法は、とても簡単です。率直に祈ることです。‘神様、私は無知だけれど、神様の子どもです。私に力を与えてください。私は持っていることがないけれど、神様の子どもです。私に力を与えてください' この祈りをダビデがしているのです。‘神様、神様が私を捨てれば、私は墓の中におりて行く者のようです。そして、あの悪い者を一度見て下さい。神様を恐れません。しかし、神様は私の盾であり、力です。私の救いのやぐらです。' 正しく祈ったのです。この祈りに答えられたのです。本当にです。神様の前の祈りの答えには、必ず条件があります。最初、福音的な祈り。そのあとはちょっと前に話したように、本当に祈りながら内容は率直でなければなりません。するとまちがいなく、答えの門が開きます。今日、皆様が答えを受けるように願います。ダビデがどれくらい率直だったでしょうか? ‘神様、私がむかしに獅子を捕まえて、ゴリヤテに勝って、ペリシテを破りました。神様! 一度、私を見て下さい。私を手助けしてください。あの悪い者に勝つようにしてください' こういう祈りをしたのではありません。‘神様が私を捨てれば、私は墓におりて行く者のようです' ダビデが自分自身をよく知る率直な祈りをしました。‘あの人々は、神様を恐れません。神様、私を彼らから救って下さい。神様は本当に力であり、盾であり、救いのやぐらです。神様は私の羊飼いです。私を救ってください' この祈りです。これが何でもないようでも相当な祈りなのです。
 
・今日、全世界にいる福音を持ったあなたがたが、1部礼拝のメッセージをよく捕まえて、霊的問題が解決することを希望して、本当に祈りの答えを受けるように願います。いろいろな人々、条件を見ないで、神様のみことばをしっかりと捕まえてくださるように望みます。私が今まで祈ったことを振り返って見ればそうです。断食をしにいったのに、特別祈りをして答えを受けに行きました。祈りをどのようにせねばならないのか知りませんでした。初めて行ったので、祈りを知らないから、まずご飯を食べないで横になっていました。横になっていて、山に上がりました。そのまま考えたのです。‘神様、私が今ここにきて何日か断食していますが、神様、私に神様が生きておられる証拠を与えて下さって、私に伝道できるようにしてください' どれくらい率直な祈りでしょうか? それで、自ら祈りの課題として思い出せることを書いてみたのです。そのように3日を送って降りてきたら、それも答えられました。私達が初期の頃、私たちの教会がどうだったでしょうか?影島に土地もなくて、お金もありませんでした。私たちの信徒がどのようにしたでしょうか? ここに昔の信徒がいるでしょう? 月曜日には誰、火曜日には誰... 水曜日は誰、一日ずつ回りながら断食して、祈りました。神様が私たちに答えを下さったのです。私達が祈る所がなくて、祈梼院を借りたら、祈梼院でもできなくなって、山に登って祈りました。その時、どれくらい寒かったか、山で祈ったので寒かったのですが、そこで福音を伝えることができるように建物をくださいと祈りました。祈ると、あるものは少しだけ祈っても答えられることがあります。私が副牧師の時でした。‘神様。このように信徒は多くの葛藤ゆえに時間を送らねばならないのですか? このように多くの役員、教役者が、なぜこのようにけんかをしているのですか? 本当に異常です。私はすぐに教会を放棄して行って伝道したいけれど、率直に私の息子が一人いて、娘が一人いて学校に送らねばならないので、神様、私がこれゆえに通っているのに、どうすることもできません。神様、私を福音を思いきり伝えることができる教会に送ってくだされば、田舎でも良くて、都市でも良くて、ソウルでも釜山でも関係なく行って福音を伝えます' この祈りをしたのです。それで答えが開いて、来た教会がこの教会です。本当に驚くべきことです。率直な祈りです。私たちはしばしば嘘をつきます。祈りながら嘘をつくのです。嘘をつくのも知らずに、嘘に熟練しています。率直な祈りに答えられました。開拓当時に家もなくて土地もない時、どれくらい難しかったでしょうか? ソウルに行ったのですが、飛行機に乗って降りてくるのに、飛行機がすぐ到着しなくておりようとぐるぐる回るのです。飛行機が回るので上から静かに見下ろしました。マッチ箱のような家がたくさんあるので‘家が多いな' 上から見下ろせば、マッチ箱のようです。‘本当に不思議に思います。神様' そこで主よ、ハレルヤと、断食して騒いだのでもありません。窓を見下ろしながら、正直に‘神様、本当に不思議に思うことがあります。このようにアパートが多くて、建物が多くてマッチ箱のようなもの物がこのように多いのに、どうして福音を伝える私は家もなくて、教会もなくて、土地もなくて、これは奇跡でしょう。神様、私に下さい。私がこれは欲で話すことではありません。本当に神様がご存知ではないでしょうか?' 答えがきました。こういう率直な祈りに答えがくるのです。ある時は、そのまま行き過ぎながらした祈りも、ものすごく答えがくるのです。この上に行けば、予備軍訓練場があります。恥ずかしい話ですが、予備軍は、その時、あの上で訓練を受けて、ここで小便をしたのです。私はそれも知らずについてきました。ここにきて見たら、崩れた大門がありました。その時、静かにみつめながら‘神様、この所が教会ならば本当に良いです。私は今、教会堂がないので、こういう建物が教会ならば本当に良いです。神様、私に教会を下さい'と祈ったのです。私も知らなかったのに、何年も過ぎないうちに、この建物を買いました。神様のみこころだと知って、教会を立てたのです。そのような場合が本当に多かったのです。すこしした祈りでしたが、率直な祈りでした。ソウルに上京したら、300人、250人私たちの希望がある未来、私たちの弟子、総会神学学生達が勉強をするのに、神学校の建物がなくて勉強をするのに全くそのような建物は初めて見ました。建物が手に入ったということなので、来てみたのです。新しく手に入れた家があるから、それで良いですかと言ったので、良いですと言いました。そして行ってみたら、おりるやいなや城南裏路地の旅館路地でした。‘ここで神学生が何の勉強をするのか? ここで何の恵みを受けられるのか?'と思うほど、完全に旅館路地、看板が全部旅館、カラオケ、こういうものがぱっと立っていたのです。そして、私たちの神学校に入っていくと、外で騒げば私まで聞こえました。そこで私たちの神学生達が勉強をしていたのです。旅館路地を出てきながら‘神様、ここで何の神学生を育てますか? 神様がご存知でないでしょうか? 静かな所。私たちの神学生達が思いきり祈れる所。もちろん、こういう所でも祈るけれど、あの人々が水準が低くて祈りができないので、静かな所を下さい' このように祈ったら、神様が私たちに学校の建物を下さいました。今あまりに良くて祈りができないくらいです。それが少し悩みです。少しだけ話したこともあまりにも答えがたくさん来ました。ソウルを私達がきたり行ったりするのに、ソウルでの仕事が多いのです。ソウルの事務室でテープも供給して、資料も作って、することが多いのです。建物を私達がすこし投資をしたのですが、出て行きなさいと言われました。できません。一度出ると、お金がかかります。出て行けば、部屋をみな作らねばならず、部屋を作るのにインテリアにもお金がかなりかかります。私達が今、働く人が多いためにかかるお金が少なくありません。高いけれど、お金を出して作ったのに、すこしすれば出て行きなさいと言われます。神様に、私達がすこし祈ったのです。もちろん、多くした人は多くしたのですが、私は少しでした。‘神様、本当に私達が行政を心安らかにすることができて、世界の福音化に安らかにお手伝いできる建物を下さい。このように建物が多いのに、神様がなされば可能なことではないですか?' 江西地域に一番良い地域、皆様がご存知ではないでしょうか? 以前に、その道にすべての高位の官職がみな通った道です。空港路のすぐそばです。盲人でなければみな見ることができるように‘大韓イエス教長老会'の看板が付けられています。そのそばに‘世界福音化伝道協会'の看板を付けました。神様がそのようにされたのです。皆様、本当に祈りの答えを受けるように願います。
 
・聖書を見れば、危機に会ったり、重要なことがある時ごとに主のしもべが祈ったのに、どのように祈りをしたでしょうか? 契約がある福音の祈りをしたのです。神様の前の率直な、本当にする祈り。‘わたしを呼べ。そうすれば、わたしは、あなたに答え、あなたの知らない、理解を越えた大いなる事を、あなたに告げよう'間違いありません。だまされないで、他人の話を聞かず、今日の契約を捕まえましょう。間違いありません。福音的な祈りです。それでこそ、霊的問題が解決します。本当にする祈りです。‘わたしを呼べ。'また‘あなたの口を大きくあけよ。わたしが、それを満たそう。'‘求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。'‘主を待ち望む者は新しく力を得'
 
・皆様がおわかりの通り、マルチン・ルターという人が改革をしようとしたのではありませんでした。神様のみことばを話している途中で、大きくひっくり返したのです。どれくらいカトリックの力が強かったか、マルチン・ルターに死刑宣告が下されました。マルチン・ルターが、本当に祈ったのです。‘神様、私は何の力もありません' ところが、神様がその人の祈りをお聞きになりました。皆様がおわかりの通り、突然に韓国に 6・25(朝鮮戦争)が起きて、釜山だけ残されて、みな奪われてしまった時、初めて組織に関係なく、牧師、長老が集まって祈りをしたのです。本物の祈りをしたのです。初めて、神様の前に。神様が奇跡を起こされて、韓国を回復させられたのです。祈りに答えられる神様です。よく知らないでしょうか? のがしてはなりません。単なる祈りではありません。必ず霊的問題、家系の問題を解決すべきです。福音的な祈りです。そして、本当にする祈り。その次に率直な真実の祈り。これを神様がそのまま答えられます。この答えが今日、あなたがたに始まることをお祈りします。何にも恐れる必要がありません。本当に祈る答えの門が開かれることを主の御名でお祈りします。
 
<< 契約の祈り >>
神様に感謝申し上げます。今日、率直なダビデの祈りを私達が見て、祈りの答えの秘密を下さいました神様の前に感謝申し上げます。神様の驚くべきみわざが開始するようにしてください。神様が私たちと共におられれば、できないことがありません。神様はとりで、神様は救いの真の岩であることを信じます。主の民たちに新しい祈りの力を与えて下さい。イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン.