2003年 04月 06日 インマヌエル 教会 聖日メッセージ


1部 /イエスが守られた過越の祭り
(マルコ14:12-21)
 
 
・皆様がもしツエが必要だという気がした時に、ある路地に行ってみたらツエがあるのを発見したとするなら、どんな考えをするでしょうか。本当に不思議だという考えをするでしょう。私が今、パンが必要だと考えたのに、行ってみたらパンがあるならば、皆様はどのようにするでしょうか。それがずっと続けば、どうなるでしょうか。本当に不思議で驚くべきことだと言うはずです。今日は、インマヌエル教会の信徒達が学習、洗礼を受ける日ですが、わざわざ聖書箇所を合わせたのではありません。過越の祭りが出てきました。私は、皆様の集いと私たちの礼拝と神様のみことばが、とても正確だと考えています。次の週は、聖餐式なのですが、本文の終わり部分で、イエス様の最後の聖餐ということが出てきます。どうして、このようにぴったりを合うのでしょうか。
 
・今日、礼拝をささげるあなたがたが、必ず記憶しなければならないことがあります。それは、過越の祭りです。今日、過越の祭りをイエス様が守ったとなっています。ところが、今日、私たちは学習、洗礼を受ける日です。もちろん釜山でも、全国でも、みないっしょに礼拝をささげますが、本当に重要な日です。過越ということは、越えたということです。私達が北朝鮮に越えた人を見て、北に行ったと言い、南へ越えてきた人を見て、南に来たと言います。垣根を越えた人を越境と言います。何を越えたという話でしょうか。とても重要なイスラエル民族が、エジプトの地で奴隷であった時、イスラエル民族を解放させないから、神様が災いをくだして、エジプトにいたすべての長子を殺す日がありました。それも普通の事件ではありません。この時、羊の血を塗った家だけが死なないで過ぎ越したと言われています。その単語です。すごいことです。それなら、今日、学習を受け、洗礼を受ける方だけでなく、すべての信徒たちが記憶しなければならないことは、過越の祭りの開始と完成です。何でしょうか?とても重要です。皆様の中で、関係ないと考える人々は、大変なことになった人々です。それで、しきりに皆様の家系に困難が来るのです。この問題が重要だと考えていない人々が政治をするために、政治をすればするほどむずかしくなります。良くならないのです。呪っているのではなく、予測しているのです。良くなりません。そのようにうまくしようと準備した方が良くならないのです。そして、これからもそうなのです。なぜでしょうか?この部分を知らないためです。地球は発展すればするほど、どんどん難しくなるはずです。私は、あなたがたがそのような基本的な愚かさに陥らないように願います。
 
・過越の祭り。これがなんの話でしょうか。血を塗った日に、イスラエル民族が滅びなかったという話をバカでない以上、早くキャッチしなければなりません。これは、なんの話でしょうか。うっすら知っていてはだめです。血を塗る日に死なないで生き残ったと言われています。何の話なのかご存知でしょうか。創世記3:15に女の子孫がへびの頭を踏み砕くとされ、へびは女の子孫のかかとをかみつくと言われました。これがお互いの間に、血を流す事が行われるのですが、何で自分と関係があるのでしょうか。皆様の家庭に、皆様個人に創世記3章の問題が解決される祝福があるようになるのです。それが過越の祭りです。大統領もこの祝福を受けなければなりません。大統領も創世記3章の問題が解決する祝福を受けなければなりません。それでこそ、大統領を正しくできるのです。これがものすごく重要なことです。創世記4章には、おもしろい話が出てきます。カインとアベルが礼拝を捧げたのですが、神様がアベルの礼拝は受けて、カインの礼拝は受けられませんでした。カインが腹を立てて、アベルを殺したのです。初めての殺人で、初めの殉教です。ところが、そこを見たら、アベルは血をささげて、カインは穀物をささげたとなっています。しかし、カイン自身は農作業をしているので、当然なことなのに、なぜそうなのでしょうか。そうではありません。羊の血のいけにえをささげる礼拝は、神様が受けられて、残りは受けられなかったとなっています。皆様が違ったことは、神様の前に進む道にならないのです。重要なことを知っていなければなりません。ヘブル11:4に、ささげ物があかししていると確かに書かれています。この話をわかることができないクリスチャンが、大部分です。カインが礼拝したのに、なぜその礼拝を神様が受けられなかったのでしょうか。どれくらい礼拝を善良に上手にしたのに、受けられませんでした。皆様と私が、入浴をして、しっかりして礼拝をしたら、礼拝が受け入れられるのではありません。神様が私たちに救いの門を開けてくださって、幕を裂かれました。絶対に、皆様と私は、神様に会うことができないのに、道を開けてくださったのです。私と皆様は、運命を変えることができないのに、神様が変えてくださいました。これが福音です。ものすごく重要なことです。過越の祭りです。ところが、私が知っていることでは、この話を胸深くわかるクリスチャンがあまりいないのです。それで事がだめなのです。思い切りしてもだめなのです。それで、牧師を思い切りしても、霊的問題が来るのです。遣る瀬ないことです。本当に異常です。大部分がわかることができません。幼い時、何を学ぶかがとても重要です。いっそのこと私のようにメッセージを全く聞かないで生きたほうが、はるかによいのです。私は幼い時、聞いたことがありません。元々聞きませんでした。教会に行っていたずらだけしていました。全く聞かなかったゆえに、福音が簡単に入っていきました。この入っていった人々は、中に入ったものを取り出さなければならないので、問題になるのです。パリサイ人達の中に入っていることを取り出そうとするので、どれくらい難しいか分かりません。半分死ななければなりません。国が滅んでも、取り出すことができません。とても残念なことです。皆様、この部分を存っていなければなりません。
 
・過越の祭りは何でしょうか?神様がアブラハムを試みようと、あなたの息子を捧げなさいと言われました。 これが話になるでしょうか。試みようとされたのです。ところが、イサクが死ぬことになりました。なぜ死ぬことになったのでしょうか。何の誤ちもないのに。それが人間です。皆様の家庭に霊的問題が来て滅んで行くのは、大きい盗みをしたからだと思っていますか。そうではありません。理由がないのです。それが原罪です。子どもが生まれたのに、なぜあのようになるのでしょうか。皆様が強盗をして、そのようになると思っているのでしょうか。そうではありません。これがなぜ、このようになるのでしょうか。それが原罪です。それが元々、人間に入った創世記3章からの呪いです。イサクを捧げようとするので、イサクの代わりに雄羊を。分かりますか。私たちは、大きい誤ちを知ることもできなくて、知らないことも知らない状態で、霊的問題で死ぬようになりました。これが人生です。それでも理解が良くできないのでしょう。一番先進国の日本に、精神病者が最も多いという事実を知っていますか。一番発展した米国に最も霊的問題を持った人が多いということを知っていますか。それがだめなのです。それでも悟れないのです。それで、人間は死ぬようになるのです。あなたの息子の代わりに雄羊を。私と皆様が何か強盗をしたので、私達が今、困難にあっているのではありません。なぜ、私達がこういう困難が私の家の中に来るのでしょうか。これが人間の霊的問題です。それを原罪と言うのです。創世記3章です。その問題をイサクの代りに雄羊を。その主人公が、過越の祭りの血を塗る日。血ということは、普通のことではありません。とても重要です。それでも理解が良くできないのです。聖書の核を見ましょう。エジプトでイスラエル民族が奴隷になっていました。その時、神様が80才になった老人モーセを呼ばれました。その時、何とおっしゃったのでしょうか。‘あなたの力を強くして、イスラエル民族を連れて行きなさい'とおっしゃったでしょうか。‘今、イスラエルがエジプトで苦しんでいるので、やり過ぎる、今は出るべきだ'とおっしゃったのでしょうか。そうではありません。皆様が滅ぼされないと理解できない、今の世界教会の知識人が、絶対に理解できないことを話されました。今、よく信じていると考える方達が、絶対に理解できません。‘イスラエル民族を連れて行って、犠牲のいけにえをささげなさい'と言われました。実力を育てろと言われねばならないでしょう。犠牲のいけにえ。モーセが分かったのです。大きい幸いです。それで、その大きい戦いが出エジプトです。理解が良くできないのです。これが分かったとすれば、終わりです。本当に分かったとすれば、終わりです。応用も早くできます。あるものは譲歩して、あるものはすべきだということがすぐ分かります。これが本当に分かったとすれば、どの時に笑わなければならず、どの時に泣かなければならないのか、すぐ答が出てきます。これが理解できないから、しばしば泣かなくて良い時に泣いて、笑ってはならない時に笑うのです。会議もどうでもよいことが長く、長くすべきことが短くなるのです。簡単な話なのに、これをわかることができないのです。本当に異常です。これがサタンのしわざです。不思議に賢いほど、わかることができないのです。
 
・私たちのキム・ビュンス長老の息子、キム・ヨンギが結婚する日、私が礼拝をしに行きました。司式をしようと入っていったら、きれいなお嬢さんが来て、式の司式者ですかと尋ねるので、そうだと答えました。私に挨拶をして行ったのですが、私がそれまで結婚式の司式をしにいって、そのようにあいさつを良くしたお嬢さんは初めて見ました。そして、時間になったので、私を迎えに来ました。来たのも、私にどのように迎えるか、一つも異常でなく、一つも不都合でなく、とてもあたたかく、私のすその末を少し持って迎えに来たのでした。私はこのようなお嬢さんがいるのかと思いました。気分が別に悪くはありませんでした。どれくらい賢いのか、仕事をするのに、司会者と相談しながら、許可が下りれば早く仕事を処理して、動作もそのように早くしたのでした。またさらには、私が結婚の司式をする時、いつでも副牧師にと結婚当事者に指示することがひとつあります。結婚は礼拝だから、鼻先にまで来ないでと言います。新郎、新婦と私が、鼻をあわせて話していて、それが話になるでしょうか。ちょっと考えてみてください。本当に非科学的です。ちょっと遠く離れて、全体といっしょに礼拝をささげようと言います。この話が理解ができないのです。副牧師にも、私の前まで来ないで、離れて立ってくださいと話したのですが、いつでも上がってきました。上がってきたのを、私は心が弱いので、またおりて行けとは言えません。それで、鼻をあわせてすることになります。私たち韓国の結婚は、本当に異常です。しかめ面をして前にいます。私も汗と涙をぼろぼろ流しながらします。私は復興会をすると、汗は出ないのに、結婚式の司式をすると、汗が出るのです。写真を撮る時もそうです。今回、台湾に行ってみて、新郎、新婦が格好良くしました。新郎、新婦が結婚式をした後、私が司式を見たのですが、終えて行くのに、私を中にはさんで、両側から腕を組んで写真を撮りました。どれくらい進んでいるでしょう。私たちは、新郎新婦は前で、私は後から顔を出して写真を撮ります。その写真が本当に良い姿でなく出てくるのです。何かの幽霊のように後に立っています。このように出てくるので、その写真は、みなおかしな所に持って行くのです。次に結婚する人々は、そばにいっしょに立って撮りましょう。格好良いではないでしょうか。いつも上がって来ないでと、壇の下に立っていなさいと言いました。その日も、キム・ヨンギとグン・オギの前に私が下に立っていなさいと言ったのですが、その話を聞いて、いつのまにか、そのお嬢さんが新郎に話して、上がらずに下に立っていてくださいと言いました。そこまで賢いお嬢さんは初めて見ました。とても不思議に思って、しばしば見ていました。‘'きれいで賢いな。あんな人を教会に置いておかなければならないのに'と考えました。ところが、賢いことが問題でした。私はそのようなことを初めてさせられたのです。結婚式の中で、キム・ヨンギ君が重要だから、キリストを確実に話すべきだと言ったのですが、説明している時に、このお嬢さんがメモをした紙を持って来ました。‘メッセージがあまり長いようだから、短くしてください'と来たのです。しまったと思って、直ちに終えました。これがあまりに賢いからです。これからは、教会堂をよく建てて、結婚は教会ですべきだと考えています。このお嬢さんが、普通司式を人々が上の空でして、約5分程度でする司式だけを見ていたので、私がメッセージをするから、このお嬢さんがあれと思ったようでした。私が知らずに長くしていると考えたようなので、‘申し訳ありませんが、説教があまり長いので、短くして終えてください'と言ったのです。私は自分の生涯で、そのようなことを初めて見ました。
 
・私が見ると、最も重要なことを失敗するのです。みな良くしておいて、最も重要なことを防止するのです。それで、私は頭が悪い人が好きです。理解がよくできるか、どうかしれませんが、これは IQが何段階上の人が分かる話です。皆様が持った基本 IQでは、理解ができない話です。分かっても効果がないのですが、これが只事ではありません。この過越の祭り、この話をわかることができないのです。あの立派な知識人たちが、なぜわからないのでしょうか。サタンのしわざです。皆様がそのようにも信仰生活を長くしているのに、なぜわからないのでしょうか。これがサタンの働きです。そうではないでしょうか。わかることができないのです。教会が良い言葉が多いのに、なぜイエス、イエスと言うのでしょうか。教会は、聖書 66巻で話すべき言葉があまり多いのに、なぜ度々タラッパンは、その話だけをするのでしょうか。分からないのです。ところが、気に入ることもありません。非常に柳牧師が強くメッセージをするから聞いているが、体質に合わなくて、教会を一つずつ、ひとつずつ離れる人も見ました。合いません。どんなに、どんなに苦闘しても、合わないのです。既に体質が違った体質です。私が見たら、だめだという気がします。必ず、人生の最後まで行かないうちに崩れて滅びてしまいます。だめだな。本当に残念です。どうして、あのように分からないのでしょうか。本当に残念です。牧師たちもこれをよくわかることができなければ、対話が良くできません。しばしば大それた話をして、重要でないことを強く話して、重要なことはみな抜いてしまいます。だから、聖書を見ましょう。先週を見ると、女の人がイエス様の頭に油を注いだら、なぜそれを注いだのと言ったでしょう。それを売って、救済をすべきだと話しました。イエス様がおっしゃって、‘そのようなことは言わないで。福音が宣べ伝えられるすべての所に、この女のしたことが宣べ伝えられる'と言われました。わかりにくいのです。過越の祭りということは、普通の話ではありません。羊の血を塗る日、エジプトで羊の血を塗った日、全部、死ぬようになったのに、人間は死ぬ状態になってやっと悟るのです。絶対にパロ王が悟ることができませんでした。人間は死ぬほど苦しくなって、悟るのです。その日にイスラエル民族は解放されて出てきました。羊の血を塗った日です。
 
・絶対にキリスト教は、宗教ではありません。それで私はもう一度、申し上げます。僧侶にお願いします。仏教が違っているのではありません。絶対に霊的問題、サタンの問題、呪い、運命は解決できないということです。神様がそれを解決するために、キリストを呼ばれました。本当に、残念です。天理教が間違っているのではありません。確かに言います。儒教、私が話すことは、この問題は解決できないということです。神様が、この問題の解決のために、宗教を送られたのではなく、キリスト・イエスを送られたのです。確信します。いつでも良いから、僧侶と神父たちは、話しにおいで下さい。いつでも皆様が持っている霊的問題を助けてあげましょう。それは私が助けてあげることではありません。それは聖書にあるのです。確かにあります。本当に残念です。過越の祭りの主人公がいらっしゃいました。過越の祭りの主人公はだれでしょうか。まさにイエス・キリストです。皆様、もう一度確認しなければなりません。創世記3章、6章、文化が発達するほど困難が来る11章の事件、偶像、迷信、占い、各種の宗教によって受ける苦しみ、霊的問題と精神病、これを解決する道は羊の血です。キリストの十字架で、すべての暗闇の勢力のために、みな代わりに十字架を背負われました。必然性です。この主人公がいらっしゃいました。聖書は預言していました。女の子孫です。聖書は確かに預言したのです。イザヤ7:14に、処女がみごもって男の子を生む。その名をインマヌエルと名づける。マタイ1:18-19で成就しました。同じ時代でもなくて、同じ本でもありません。ところが、驚くべきことに処女に子どもが産まれたのです。こういう驚くべき事がありえるのでしょうか。ペテロが悟ったのです。主は生ける神の御子キリストです。イエスがキリストだという証拠で、十字架で死んで復活されました。今でもローマ軍人とユダヤ人は、イエス様が死んで復活したのではなく、あまり死ななくて、気絶したのが目覚めたと、今でも話しています。なぜ人が血をみな流して、槍に突かれて、十字架にかけられて6時間、すべての血をみな流したのに、気絶して目覚めるでしょうか。本当に理解できないことです。この過越の祭りの主人公がいらっしゃったということです。
 
・ところが、今日驚くべきことは、何を理解すべきなのかというと、過越の祭りが何かを理解しなければならず、2番目に過越の祭りの主人公がイエス・キリストです。皆様、きれいに解決します。今日、三番目のことをよく考えなければなりません。過越の祭りを守るのに、14章12-16を見ると、他人のことを借りてしました。過越の祭りする状態にできなくて、それも過越の祭りの主人公が、おかしなことながら、人の家を借りてしたのでした。そして、その時、弟子の中の一名が、離反することをおっしゃって、この時、皆様がおわかりの通り、多くの人々がイエス様が死ぬ時に殆どなると知って、逃げたりしました。ここで今日、あなたがたが三番目の信仰生活を探さなければなりません。教会は、何でもないことのように見えます。そうではありません。皆様、ここで三番目の信仰の感覚を探さなければなりません。福音は何でもないことのように見えます。もし、福音を華麗にしておけば、30名の財閥が出てきたとしても、世界の人々を生かすことはできません。見てみましょう。過越の祭りの主人公がいらっしゃって、他人のものを借りて過越の祭りをされたのです。皆様、この目を即、早く開かれるべきです。いまだに人々が対話ができません。今でも来週に産業宣教大会があるのに、何人かの重要な牧師達に話しました。産業宣教を参加するためにずっと祈りなさい。教会全体が産業宣教に参加するために祈らなければなりません。だから、全部言う話が、産業宣教に行ってみると、賢い人物は一人もいなくて、何が産業宣教か?おばさんが集まっていると話します。それが、まさに霊的な目が暗いのです。今、万一正しく事業する人が、産業宣教に来るならば、産業はできるでしょうが、宣教はできません。それを知っていなければなりません。だから、これが霊的な目が開くということで、これが難しいのです。もし福音をパリサイ人に任せたとするなら、良く伝わるはずだけれど、内容が違っていきます。理解できるでしょうか。もしこの福音を律法学者に与えたとすれば、記録は上手にやるでしょうが、内容は違っていきます。それで、むかしに王宮で最も重要なことを守る宦官は、盲人でした。盲人を選ぶのです。盲人でなければならないということではなくて、あまりに重要なことを守るために、見ないほうがましなのです。それで、むかし、ユダヤ人がタルムードを記録する時、その記録する者は、IQがすこし低い人を記録者として立てられたのです。なぜなら、そのとおりに記録するようにさせるためです。高い人が記録すれば、応用します。いままでキリスト教を滅ぼした人は、全部、頭が良い人がみな壊しました。中世教会をそのようにさせたのも、頭が良い人物が出てきて、そのようになったのです。だから、これがおかしな論理ですが、理解をよくしなければなりません。教会に行ってみれば、何でもないことのように見えます。それが錯覚ということです。
 
・イエス様を見ましょう。借りて過越の祭りをされました。それも過越の祭りの主人公が、世界を征服する主人公が、そのようにされました。どれくらい驚くべきことでしょうか。聖歌隊をしたり、聖日学校の教師をしてみましょう。それが何ですごいのでしょうか。それが錯覚です。ここに副教役者がいます。あなたがたが、教会もよく来ない人、信仰も育たない人、訪問して回ってみましょう。これが価値ある働きなのかという気がします。それが錯覚です。教会に行ってみるならば、大したことがないように見えます。毎度、予算も足りないようで、教会に財閥が列をなすことをするでしょうか。賢い人々が、これで世界福音化ができるのかと考えます。しかし、これが錯覚です。経済は世界を征服できなくても、福音は世界を征服しました。物質で世界を征服しようとしていた共産主義は、70年後に崩れて、教会は世界を征服しました。それが錯覚です。知識人達が集まって金をもうけようと、南米へ行きました。そうではなく、神様のみことばを掴んで教会建てようとしながら北米へ行きました。誰が金持ちになったでしょうか。今ちょっと、ひどくなりましたが、米国が金持ちになりました。今、戦争をしているので申し訳ないけれど、イラクはどんなにしても良くなるはずはありません。皆様、新聞にも出ています。一日攻撃するのにいくらかかるでしょうか。 1千 5百億円。それも攻撃をたくさんしなかった日です。今、正しく攻撃すればいくらかかるでしょうか。3千億円かかります。3千億をやたら注ぐのです。これが米国です。そのような所と戦ってイラクが勝てるでしょうか。早く降参するほうがよいでしょう。勝つことができません。ものすごい祝福を受けたのです。強大です。今、誤って使用していることもありますが、どうしてなったかというと、開始がそうだったからです。
 
・皆様がこの契約をよくご覧にならなければなりません。今日、あなたがたは律法と世の中と宗教が何か早く知って、あなたがたが福音が何かを理解する時、皆様にある霊的問題は、みな解決するようになるはずです。今日、あなたがたが過越の祭りの契約を重要に捕まえる日、神様の大きい祝福の門が開くはずです。私はレムナントに話す時に必ず話します。今日、レムナントに会っても話しました。レムナントに会えば必ず話します。聖霊充満がなにかを理解しなさい。その次に、霊的な世界の精神領域がなければなりません。それが何かを理解しなければならないのです。また肉体の健康も必要です。世界福音化のなかで理解しなさい。私は必ず話します。私が今回、米国へ行ってチョン・ソンミンというゴルフ選手に会いました。その学生と私は、祈って来たのですが、本を送ってあげました。偉人の伝記、信仰の伝記、この頃、世の中で起きている色々な精神運動系の瞑想に関係した本を送ってあげました。それでまず読んでみなさい。次に一度対話しようと言いました。そのような話をしたのです。あなたがたが、聖霊充満が何か?救われた者に起きる、驚くべき祝福です。今日、この契約を必ず捕まえてくださることを願います。今日、学習、洗礼を受ける方達が祝福を受けてくださることを願って、今日ここにおられるあなたがたが、聖日を迎えて説教を聞く時、礼拝をささげる時、必ず祈りの課題を捜し出して、何を実践するのかを捜し出さなければなりません。私がどのように祈らなければならないのかを捜し出さなければならないのです。これがものすごく重要です。すると、皆様に次の週日だけでなく、ずっと答えがくるようになるはずです。実践をいつもすることはむずかしいのです。どのように、どの程度祈るかを捜し出さなければなりません。あなたがたが、礼拝をささげた後、一週間一度でも、このみことばを思い出しながら一度だけ礼拝するならば、大きいみわざが起きます。ナポレオンという人が、幼い時、自分は王になろうという希望を持って、いつも考えたということです。それで、王になるために、兵士が食べるパンを食べたということです。学校に行く時も、兵士が食べるパンを買って食べたのでした。リンカーンという人は、幼い時、奴隷解放をさせるためには法律が必要で、法律を変えようとするなら、指導者が必要で、すると私が大統領にならなければならないと祈りました。結局、大統領になりました。今回の核心の時も話しましたが、スペインでも有名な音楽家パブロという人が、94才まで生きました。94歳まで生きたのですが、80才の誕生日の時、人々がたずねました。あなたがどのようにして健康で、音楽活動と信仰生活をよくできるのかとたずねたのです。パブロが答えて、私は一日もかかさず、朝起きて一時間ピアノに座って、神様に賛美して神様に祈るので、神様が私に多くの恵みをくださって、私はそれで80年間答えを受けたと言いました。
 
・そのようなことです。皆様、過越の祭りの契約を受けた人は、すばらしいのです。皆様の家系のすべての呪いは終わったということです。ところがなぜ、それを掴まなくて、違ったことを捕まえたと言われました。残念です。皆様に起きる霊的問題、暗闇の問題は、皆様が行く所ごとに光が照らすようになっています。みな終わりました。それで重要なことを捕まえましょう。過越の祭りです。これを捕まえなければなりません。 福音の奥義です。これを捕まえて、どのようにしなければならないのでしょうか。少しだけ祈ればよいのです。皆様が、この契約を捕まえて、本当に勝利しなければなりません。なるようになっています。ところが、これをする前に、すでに考えが変わらないのです。私は今でもいつも、神学校でも、協会でも、いつもする事が、度々他の所から良いことを引き込むことを度々引いてこないようにさせる作業をしています。本当にむずかしいのです。‘先生。有名な教授が博士学位を取ってきたので、私たちのタラッパンに引き込みましょう'と言うので、だめだと言いました。だめな説明をしてもむずかしいのです。また学生達が要求して‘有名な博士を呼んでセミナーも多くしよう'と言いましたが、だめだと言いました。だめなことを説明するのが難しかったのです。それで、今回、教団の神学校の学生達に話しました。あなた達は私の弟子で、後輩なので、別の物が入ってはだめだと言いました。この話がわかることができないのです。本当にせつないことです。クリスチャンは、この話だけ悟れば終わるのです。終わります。今日、本当にこの契約をつかむと終わります。過越の祭りの血です。他の見方をすれば、気味が悪い話しです。ある人が思い切り聖書を読んで、肉屋の話しばかりだと言います。知ることができないためです。今日、皆様の家庭、個人に、また学習、洗礼を受ける方達に最高の祝福の日になることを主の名前で祝福します。
 
<<契約の祈り>>
神様に感謝申し上げます。本当に今日、霊的問題が解決する日になるようにしてください。本当に私たちの事業と家庭の暗闇の力が離れる日になるようにしてください。私たちの大韓民国に霊的問題が解決して、すべての暗闇、不信仰が崩れる日になるようにしてください。教会と多くの知識人が早く回復する、霊的な目が開かれる日になるようにしてください。私たちの主イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン
 
 


 2部 / 危機をまぬがれたダビデ
(詩34:1-22)
 
・今日、衛星やインターネットでみことばを受ける方達が、特別な恵みを受けることを望みます。まちがいなく、来週に連絡がくるはずです。次からは、学習、洗礼をする時に、衛星とインターネットでみことばを聞く教会のために、礼拝が終わってからしてくださいというように連絡がくるはずです。そのようにします。 今回はわざわざそうしたのです。なぜなら117人が釜山で学習洗礼式を受けました。釜山のような所は、10年、20年、30年間、教会をしても百名を越えない教会が90%以上です。ところが、私達が6ケ月で117人が学習洗礼を受けるということは、私たちの信徒を通じて伝道運動をしているという証拠です。それで、皆様一名一名が祈ったとするなら、その祝福がそのまま衛星やインターネットで受ける方達が受けるようになるはずです。このことは、単なることではなくて、これから継続的な伝道運動で起きるようになるはずです。今日学習を受ける方、洗礼を受ける方、すべての信徒が必ず記憶せねばならないことは、詩篇で一番たくさん出てくる単語が、賛美という言葉で、その反対語で苦難という言葉です。今日も苦難に対する話を多くしました。それなら、今日、私たちはいくつかの必ずせねばならない事があります。皆様が学習を受け、洗礼を受けたことを忘れてしまうのです。救われたということを忘れてしまうのです。それで、あなたがたが福音を正しく理解して、伝道が何かを理解して、福音を伝えなくても、福音を防止する方向は避けて、福音を伝える道に立つならば、皆様のすべての苦難は解決します。必ず記憶すべきです。ほとんどみなあなたがたは成功して、答えを受けるようになっています。実際に、あなたがたは伝道紙を持って行かなくても構わないのです。役員でもそうです。伝道紙を持って行かなくても、伝道がなる方向にどんどん方向を合せれば、相当な答えを受けることができます。ダビデはサウル王ゆえに、ひとりゆえに苦難を受けました。皆様、政治の病気にかかったら、息子も目に見えなくて、家族も目に見えません。これが政治の病気です。政治の病気にかかって、名誉心に捕われれば、何にも目に見えなくなります。そのために、今、サウル王が狂ったのです。サウル王ゆえにダビデが苦しめられるのですが、実際にダビデにはサウルを殺すことができる機会がたくさん来ました。そして、ダビデに付いて回る人々が、サウル王を殺そうと言いました。あまり深刻で国がだめになるようだ。精神が狂ってしまったのです。王が狂って、占い師を訪ねて吉凶を占うでしょうか? この程度になってしまったので、賢い臣下達が言うのに、これでは国になりません。あの王をなくしてしまわねばなりません。そのままなくすことができないので、攻撃して来たら、逃げずに打たねばなりません。皆様がおわかりの通り、ダビデは戦士です。ところが、ダビデは終わりまで逃げました。今日の本文も逃げている途中で書いた本文です。ずっと逃げました。それとともに、ダビデが毎日言う話が、私が神様が油を注がれたしもべを傷つけても良いだろうか? この話をいつもしました。ダビデの信仰です。それで、ダビデは神様の栄光と福音のために、全てのものを譲歩したと見ることができます。すでに戦って勝つことができました。苦難がくるということは、ほとんど私たちの失敗のようなもので、早く悟れば良いのですが、そうでなくてくることは、神様の計画と祝福があるのです。
 
・私の場合も、私とは関係なく、火災に 3回会って、水に溺れて死ぬ思いをしたことが 2回ありました。また、危険な事故が起きて、ケガをしたこともあって、伝道運動しながら危機もたくさん来ました。ところが、それは私が作ったのでもなくて、避けることができたものでもありません。そのようなこととは関係ない事でした。神様が祝福なさるはずです。このダビデが、ひとりゆえにずっと困難にあったのです。Iサムエル17:34-35 ダビデは幼い時、羊を飼っていた時、獅子や熊がきて羊を襲って行きました。聖書に見れば、出てきます。サウル王に告白する時も出てきます。すると、ダビデはずっと付いていってその獅子と戦って羊を助けました。普通の人物ではありません。そのような部分は、実際には、特に苦痛ではありません。ところが、ダビデがゴリヤテに勝つやいなや、突然に人々がダビデが通り過ぎる時、サウルは千ならば、ダビデは万だと言いました。ここで問題がきたのです。サウル王がねたんで、他の人が立ち上がりました。私もすこし心配になる部分が、そのような部分です。私たち伝道運動ゆえに、講義しにいけばどれだけ働きが起きたかと言うならば、向こう側の老会、総会の集いに行かないでみな集まりました。これだから、この人達が防止しようとするのです。別に大きい問題でもないのに、そのような問題が起きました。ダビデがやられたのは、とても小さな理由でです。女たちが特にサウルは千ならば、ダビデは万だと言いました。このように話すのに、サウルがサタンに捕えられたのです。王なので、途方もない力を発揮できます。Iサムエル19章を見れば、ダビデは音楽を上手にやる人です。賛美の人です。幼い時から賛美をするのに、ダビデは作詞も良くして、作曲も良くしていました。楽器もよく扱える人です。ダビデが立琴という楽器を弾くのに、どれだけよく弾くかというと、悪霊が離れる程でした。楽器を扱う人々が、単に扱うのではありません。そこに精神を集中してするでしょう? バイオリンを弾く人の中で、ある人は目をとじて精神を集中して弾くので、私たちを見つめながらは弾きません。ダビデが立琴をそのように弾いていたその時に、サウル王が槍を投げました。ダビデは動作が早い人です。瞬間的に、槍が飛んでくるので、サウル王も将軍出身です。ダビデを殺そうと心に決めて槍を投げたのに、その槍がどこに刺さったでしょうか? あまりにも瞬間的です。ダビデが素早く避けたので、その槍が壁に刺さりました。ダビデがどれくらい驚くでしょうか? それも自分の義父が。大きい衝撃を受けました。Iサムエル19:11-17 をずっと見れば、サウル王がどのように出てくるかと思えば、サウルが自分の娘を呼びました。ダビデの奥さんです。呼んで今夜に刺客を送ってダビデを殺すから、準備しなさいと言いました。生かしておいたら、自分の家はみな滅びると言ったのです。こういう状況に、その娘の名前はミカルですが、ミカルが悩んで、どのようにせねばならないか? どれを選択せねばならないか? 父がダビデを殺さないとならないと言うけれど、このダビデは夫なのに、どのようにせねばならないか? ミカルが悩んで、決断を下しました。夫に話したのです。今夜、刺客を送ってあなたを殺そうとするから、逃げるのが良いでしょう。そのまま逃げるより、別の所に行くのが良いでしょう。あなたが普通、横になって寝ている所に、人のかたちの人形を作って置くから、あなたは逃げてください。これでダビデが生き延びるようになりました。これ程になるので、ダビデが不安になり始めたのです。刺客まで送るのにどうなるでしょうか? それで、その時からダビデはどのようにしたかとすれば、逃げ始めたのです。いることが出来ません。家にもいることが出来ず、王宮にもいることが出来ません。王が完全に狂ってしまったから、山に逃げたのですが、この王が兵士を集めて捕まえにやって来るので、ダビデが行く時がないから、ほら穴に入って行きました。その穴の名前がエン・ゲディです。
 
・聖書を見ると、そのほら穴がエン・ゲディだとIサムエル22:11-19 記録されています。その穴に隠れているので、ダビデをさがそうと兵士たちが行ったり来たりするので、どうなるでしょうか?兵士が槍や刀を持ってダビデをさがそうと、行ったり来たりして、その穴に入るだろうか? 入らないだろうか? ダビデが洞窟の中に隠れていたその時した祈りが、詩篇 142篇です。ダビデが本当に神様の前に祈りました。私を助ける者がいないから私を本当に助けてください。入りさえすればダビデは死ぬではないでしょうか? どのように、ひとりで多くの兵士を殺すのでしょうか? 聖書に見れば、面白い記録がたくさん出てきます。その兵士たちが洞窟の中に入りませんでした。ある人々が話すのには、兵士達が行ったりきたりしながら、穴を見たら、その時に、ダビデが入っていく間にクモがクモの巣をはったということです。兵士たちが入っていこうとしたのですが、どんなに頭が悪い兵士でも、クモの巣がはっているのを見て、人はいないと言って通り過ぎたということです。このくらい、ダビデはハラハラした危機を免れて、はなはだしきは虫までダビデを手助けする、こういう事が行われたのです。そして、王が探している途中で、見つからないから、王様にあまり暑いから、洞窟の中に入っていって休めと言いました。そこに誰もいないから入っていけと言われて、サウル王が入って行ったのです。ダビデが洞窟の中に隠れて座っているのに、そちらにサウル王が横になりました。どんな気持ちになるでしょうか? ダビデはすごい人物です。その時、刀を抜きました。刀を抜いてサウル王の長いすそを切ったのです。包丁で切って隠れていました。サウル王が思い切り寝て、疲労がなくなって行こうとした時、後から呼んだのです。自分の義父であるから、父よと呼びました。サウル王がどれくらい驚いたでしょうか? それくらいになれば、肝をつぶすでしょう。寝て行こうとしたら、後の真暗な所から呼ばれたのですが、確かにダビデの声でした。その時に、サウル王がすぐ入れば、目に見えなかったでしょうが、真暗な所で寝たゆえに、目が見えたのでしょう。見たらダビデでした。ダビデが刀で切り取ったすそを持っていました。自分のすそでした。すそを見せながら、私が本当にあの敵のように、決心したとすれば、父を殺すことができたと言いました。サウル王が何と言ったでしょう? 本当に神様があなたを祝福なさって、私が本当に間違っていたなあ。神様があなたを祝福なさるだろう。サウル王がどれくらい感動したか、部下に命令すれば殺すことができるチャンスがきたのに、ダビデを置いておいて悔い改めて行きました。行ったのですが、腹を立ててまた捕まえに来ました。霊的問題ということは、こういうことです。また捕まえにきている途中で、あなたがたもおわかりの通り、ハキラという丘の所にダビデがひそんでいるということを知って、兵士全員をハキラの丘にいっぱい置きました。ダビデを捕まえて、今回は必ず殺しなさい。絶好のチャンスだったのに、私が失敗をした。絶好の機会がきたのに、エン・ゲディのほら穴でダビデに会った時、命令だけおろせば、兵士全員が入ってダビデを殺すことができたのに、私が失敗した。あの敵に私がだまされた。ということで、ハキラの丘にいっぱいいました。夜がくるので寝なければならないのですが、王が寝ていて、そのそばに警護員が守っていたのに、この時、ダビデが下に部下を行かせて、あの警護員のそばにある槍と水差しを持ってきなさいと言いました。それで、槍と水差しを持って来たのです。朝に日が昇った時、ダビデは本当に大胆な人です。それを持ってサウル王の前に現れました。これが誰の水差しで、誰の槍でしょうか? 見ると自分の警護員のものでした。その時、サウル王はまた悔い改めました。私が間違っていたと言って、帰って行ったのですが、また狂ってしまいます。
 
・霊的問題がある人が、家族の中にいると、本当にむずかしいのです。ダビデには、どれくらい大きい苦しみになったのか分かりません。結局は、ダビデを殺そうとしたので、国内ではいることが出来ません。どこへ行くかと思えば、国外に逃げて行った所が、ここあそこと決まった所ではなくて、住める所へ行った所がガテ地方へ行きました。ガテ地方には、王の名前はアキシュという人物でしたが、その王の称号をアビメレクだという記録があります。王の称号をアビメレクと言うのですが、アキシュという名前です。ここで問題がきました。ダビデがそちらへ行ったのですが、むかしにガテの将軍ゴリヤテを殺したダビデです。頭の回転が早い将軍が、王に話して、チャンスがきました。まさにあの者が、サウル王に追われて逃げ回るダビデです。まちがいなく、あの者が王になるはずです。あの者をそのまま置いておいてはなりません。簡単に話せば、私たちの穴の中に入ってきたのです。あの者が、まさに私たちの有名な将軍ゴリヤテをおかしな石ころ一つで倒してしまった人です。私たちの手中に入ったのだから、捕らえなければなりません。その話をそばにいる時に、ダビデが聞いたのです。大変なことになったではないでしょうか? 完全に、器の中に入ったネズミになってしまいました。それでも、サウル王は自分を殺そうとしても、家族なのですが、これは完全に他人です。この時、ダビデがどんなことをしたのでしょうか? 芝居をしました。ひげによだれをたらしました。簡単に話せば、気が狂ったまねをしたのです。とにかく、殺されそうになったので、精神が狂ったようにしたのです。これだから、アキシュ王が言う話が "精神が狂った人を殺すことができるだろうか? 今見たら、あの人はあまり逃げ回っている途中で狂ってしまった。ところが、私達が殺すというのは、話にならない。送ってあげよう" これで、ダビデが精神が狂ったようにして抜け出したのです。抜け出して作った詩が詩篇 34篇です。本当に驚くべきことです。私は、ダビデは、賛美だけ良くできるのではなく、ダビデは戦いだけ良くできるのではなく、ダビデは信仰だけが良いのではなく、今日の本文を見ると、ダビデは演技も驚くほどできるのです。どれくらい演技を上手にやれば、相手方が完全に狂ったと思ったでしょう? ガテの王と将軍がだまされたのです。ダビデが精神が狂ったと思って送り出してくれた場面です。私達がこのように見る時、ダビデが難しい苦難をたくさん体験したのですが、これが全部、答えになって祝福になりました。ダビデはどのように、こういう困難に勝つことができたのでしょうか? それを今日、私たちは2番目に考えて、すべての聖徒たちが、この祝福を受けなければならないのです。
 
・一番目です。詩篇 78篇70節 72節にダビデの羊飼いの時期が出てきます。ダビデは、単なる羊飼いだけしたのではなく、祈りの人でした。何かがあったのです。ここに私たちのレムナントがいます。皆様が少しだけ悟れば、成功します。皆様が本当の福音を知って、祈りの秘密が少しだけあるならば、皆様は大成功するようになっています。絶対にこの契約をのがさないように願います。本当に私の証しです。福音を知った後に皆様が一日に少しだけ祈っても答えを受けて、祝福を受けます。今日 1部礼拝の時に話をしました。パブロという音楽家は、朝起きて一時間、伴奏しながら賛美を歌ったのですが、それが自らの生涯を変化させたと言いました。一生の間、答えを受けたのです。ダビデが幼い時に、羊飼いだけしたのではなく、祈りの人でした。ダビデは揺れませんでした。ダビデは、福音を持っているだけでなく、祈りの奥義を持った人でした。2番目です。どのように、ダビデがこういう困難を簡単に勝てるのでしょうか? Iサムエル 16章 13節です。幼い時、サウル王が王だった時、サムエルという祭司長がきて、秘密の話をして頭に油を注ぎました。君は王になるはずだと言ったのです。ダビデはそれを分かったのです。ですから、どんな困難が来ても揺れませんでした。神様が私とともにおられ、神様が私の羊飼いです。私はどんなことがあっても、これからイスラエルの王になるはずです。それで、用心して待ったのです。自分の年齢がまだ幼いから、いまは違うということを知って待ったのでした。私たちインマヌエル教会と、あなたがたが握らねばならない契約は何でしょうか? 後ほど分かるようになるはずですが、まちがいなく世界の福音化、驚くべき契約はなされるはずです。間違いありません。それで、この契約があれば、揺れる理由がありません。誰が何と言っても、すべての民族に福音が宣べ伝えられて、終わりが来ます。皆様が祈ることは、まちがいなく答えになります。ダビデが揺れない理由です。幼い時から、祈りの奥義を持っていて、もっと重要なことは、自分が油を注がれた者だと、未来に対する確信が確かにあったのです。ですから、このダビデは勝利するしかない重要な信仰を持っていたのです。三番目です。Iサムエル 17章 34, 35節を見ると、サウル王の前に立って、ゴリヤテに勝ちにいこうとする時、ダビデが言った言葉です。君が行って将軍と戦うことができるのかと話した時、何と話したでしょうか? 獅子や熊が羊を奪って行けば、私が行ってその獅子と戦って勝って、羊を取り戻したと言いました。熊と戦って勝って羊を取り戻したと言いました。責任感がすごいのです。それなら、神様が神様を侮辱する者から、私を守ってくださらないでしょうかと話しました。ダビデは、責任感がすごいのです。皆様は、動物が羊を持って行ったら、取り戻せるでしょうか? ダビデはそこまで追いかけて行った人物です。それだけでなく、ゴリヤテに会った時のダビデの使命感を見ましょう。こういう信仰を持った人は揺れません。今日、あなたがたが真に勝利する信仰を回復するようになることを希望します。
 
・今日の本文にダビデの信仰告白が出てきます。1節から5節まで賛美です。ダビデが神様を賛美すると言いました。それで生き残りました。自分が戦えないから、自分と戦う者と戦ってください。起きて私を救ってくださいと、ダビデが祈る中に34篇に‘私はあらゆる時に主をほめたたえる。' 賛美を今しています。‘私の口には、いつも、主への賛美がある。私のたましいは主を誇る。貧しい者はそれを聞いて喜ぶ。私とともに主をほめよ。共に、御名をあがめよう。私が主を求めると、主は答えてくださった。私をすべての恐怖から救い出してくださった。彼らが主を仰ぎ見ると、彼らは輝いた。「彼らの顔をはずかしめないでください。」' ダビデが今、自分の信仰を告白するなかで、神様を賛美すると言いました。今ずっと出てくるメッセージです。皆様が賛美を回復して、賛美をしている途中で、神様の大きい恵みを受ける祝福があることを希望します。必ず個人礼拝を回復して、賛美することを希望します。私はいっしょに賛美を歌う時、祈りを多くします。ものすごく恵みとなります。私達が賛美する時‘神様、本当に私たちの礼拝を受けてくださって、今日、私たち聖徒達に癒される力の御手を伸ばしてください' この賛美の中に祈れば本当に良いのです。一緒に賛美を歌うためによく分からないのです。ダビデが自分の信仰を告白する中に、その困難の中でも神様を賛美して、特に34篇 6節から10節にこういうみことばがあります。‘この悩む者が呼ばわったとき、主は聞かれた。こうして、彼らはすべての苦しみから救われた。主の使いは主を恐れる者の回りに陣を張り、彼らを助け出される。主のすばらしさを味わい、これを見つめよ。幸いなことよ。彼に身を避ける者は。主を恐れよ。その聖徒たちよ。彼を恐れる者には乏しいことはないからだ。'主を恐れよと言いました。皆様が神様を恐れ、神様を信じるならば、不足することがないと言われています。神様を恐れなさい。これは恐ろしさの恐怖の恐れではありません。神様の驚くべき威厳を畏れ敬いなさいということです。すると確かに聖書に言われるように、不足することがなくなるはずです。特に 10節を見ましょう。若い獅子も乏しくなって飢える。しかし、主を尋ね求める者は、良いものに何一つ欠けることはない。もし獅子がひもじくて死んでも、主を恐れる者、主を尋ね求める者は、不足することがないのです。ダビデの告白です。本当に信仰がすばらしいのです。12節には、こういうみことばが出てきます。‘いのちを喜びとし、しあわせを見ようと、日数の多いのを愛する人は、だれか。あなたの舌に悪口を言わせず、くちびるに欺きを語らせるな。悪を離れ、善を行なえ。平和を求め、それを追い求めよ。主の目は正しい者に向き、その耳は彼らの叫びに傾けられる。主の御顔は悪をなす者からそむけられ、彼らの記憶を地から消される。'この本文を誰が引用したでしょうか? Iペテロ3章のペテロが引用しました。‘いのちを愛し、幸いな日々を過ごしたいと思う者は、悪い話をやめて、かえって祝福を祈りなさい' 私はこの部分に本当に恵みを受けました。‘祝福を祈りなさい' 私は教会に通いながら、あまりに試みにあうことをたくさん見たゆえに、私は祝福を祈る人にならなければならないと決心をしました。私たちは正しい言葉だと言って、私たちは正しい話しだと言って、あまりにも多くの話を教会でするために、教会では多くのたましいが死んでいくのです。私はそれをたくさん見ました。幼い時から信仰生活をしていました。私が神様の前に確かめたことがあります。どんな場合でも、教会の中の教役者でも、多くの方達に私が避ける試みをしばしば与え、葛藤を作るようにしないでおこう。不足してなるのは止むを得ないけれど、わざわざは避けます。とても重要です。ところが、聖書はこのようにおっしゃっています。これゆえに貴方を呼んだのです。そして、2番目は、祝福を受け継ぐために召されたのだからです。聖書は、そのように言われています。もっと重要なことは、いのちを愛して幸いな日を望む者はと言われました。怖い話です。あなたが本当にいのちを愛して、幸いな日を願うのでしょうか。舌を押えて悪を言わず、くちびるを閉ざして偽りを語らず、そしてかえって祝福を祈りましょう。それとともに、今日、ここにダビデの詩を引用しました。‘主の目は義人の上に注がれ、主の耳は彼らの祈りに傾けられる。しかし主の顔は、悪を行なう者に立ち向かう。'ダビデの告白です。これをペテロが引用しました。全く同じメッセージを引用したのです。私たちは、どんな困難が来ても、福音を理解すべきです。神様の子どもは、困難の中で神様の計画がみなあるのです。神様の大きい祝福を味わうようになることを希望します。
 
・結論を結びます。ダビデのようになればよいのです。第一には、問題がきた時、どうするのでしょうか? この時は、祈りながら神様の祝福の機会を捜し出せばよいのです。祝福された時は、どのようにするのでしょうか? 全部、神様に栄光を帰しましょう。ダビデはそのようにしました。三番目には、全てのものの中で本当に平安を味わって、賛美をできる祈りの内に入っていきましょう。すると、皆様の問題は解決するはずです。今日、聖徒のあなたがたの問題が簡単に解決する道があります。皆様が病気になったならば、その病気を捕まえて祈りの内に入っていけばよいのです。聖霊の中で、驚くべきみわざが起きるようになるはずです。皆様に問題があるならば、一度だけ実験してみましょう。皆様が問題で祈りの内に入っていけば、まちがいなく、あなたがたは証拠を見るようになるはずです。神様が本当に生きておられるのでしょうか? 証拠を見るようになるはずです。それで、この前もお話ししたとおり、皆様が病気にかかったのではなく、病気が皆様に捕えられたのです。問題が来たのでしょうか? 皆様は、問題の中に陥ったのではありません。神様の子どもであるゆえに、問題が皆様の手にかかったのです。間違いありません。それで、ダビデのように苦難が来て、困難がきた時は、神様の大きい祝福を受ける機会です。神様の大きい祝福の門が開いた時は、栄光を帰す機会です。また神様が私たちに相当なことを下さるのは、祈りの内に入っていけということです。すると、解決するようになっています。一度だけ体験してみることを望みます。すると、全てのものが変わってしまいます。皆様の問題は何でしょうか? 本当に、一度祈ってみるように願います。私の場合は、重要な問題が生まれれば、定刻の祈りの他には、その問題をとらえてずっと祈りをします。いつまでするのでしょうか? 終わる時まで続けます。約2,3日程、ずっと祈ればまちがいなく答えがきています。本当に驚くべきことです。それで問題になる必要がありません。主の目は悪人に向けて、主の顔は義人に向けられるのです。未信者がわかることができない話です。それで、地球上に問題がきました。皆様は神様の子どもです。この契約を堅く捕まえて、世の中を行くべきです。祈りをお願いしたのですが、先週に三つ星の将軍に行って、このメッセージを与えました。ダビデの詩です。詩篇23篇。ダビデが幼い時にどのようにしたのでしょうか。ダビデが少年時期には、どのようにしたでしょう。ダビデが王の時期には、どのようにしたでしょう。ダビデが危機がきた時は、どのようにしたでしょう。そのメッセージを将軍にしたのですが、この方は神様のみことばを捕まえました。実際には不安だったと告白をしました。ところが、神様のみことばを聞いたら、力が生じると言いました。そうでしょう。重要な私たちのメンバーで、重要な地位にある方です。その方にダビデの詩を話しました。ダビデを見ましょう。あなたがたにどんな問題があるのでしょうか? 本当に、一回だけ体験しましょう。驚くはずです。クリスチャンが、この体験をできなくてもよいでしょうか? イエスを信じて救われて、皆様の霊的問題のために、イエス様が十字架に釘付けられたのです。サタンはイエス様がみな破ってしまわれました。みななったのですから、一度だけ体験しましょう。ダビデのようにということです。すると、そこに従って門がみな開きます。学生達も気落ちせず、ずっと勉強しながら祈れば、一度だけ目が開けばよいのです。私が前に証しをしたではないでしょうか? あちこち行っている途中で、講道師高試を受けるようになりましたが、この試験はものすごくむずかしいのです。なんでもないけれど、私が経験したことなのでそうです。3分の1ないし、半分は落ちます。前日の夕方まで総動員運動など、伝道の仕事があったので、勉強が一つもできなかったのです。1週間ならばできるだろうと思ったのに、すぐ1週間が過ぎてしまったのです。それで、一日、夕方正しく見るべきだったのに、それを見ることができなくて、試験を受けに行ったのです。前が真暗でした。その時、私が‘異常だ。私がなぜこのようになったのか。私は試験を受けて落ちたことがないのに' 気分が異常になったのです。それで覚悟しました。‘そうしたら、落ちるだろう。なぜか?今まで私ができた場合を見ても、私がこのように勉強をしなかったことがなかったのに、なぜこうなのか? これは落ちろという神様のみこころのようだ' という考えをしました。その日の夜でした。他の人はみな勉強を熱心にしてみな遊びに行ったのですが、どれくらいうらやましかったでしょうか。私はその日の夜に座って字が見えなくなる時まで見ました。夜にずっと祈りながら、字が見えなくなる時まで、ずっと見ていたら、日があけてしまいました。眠って健康で試験を受けるべきなのに、日があけるならばどのようになるでしょうか? ずっと見たのです。ところが、不思議なのです。祈りながらずっと見ていたら、これがあたかも略図を開くようにぱっと開くのでした。その翌日、睡眠を一睡もとらずに試験を受けに行って、試験を受けて試験紙を出して出てくるのに、私が一等でなければ、2番目に出して出てきました。それを見ながら、私が体験したのです。睡眠を一睡もとらずにしたのに、神様が本当に私をあわれんでくださって、祈りに答えてくださったのだと思いました。そのようなものだけではありません。私が危機にたくさん会いました。また、私が失敗をして、危機にたくさん会いました。この時ごとに、契約を捕まえて祈れば答えがきたのです。それで確信があります。この体験を一度だけしてみましょう。福音を受けた神様の子どもであることが明らかであるために、皆様の問題は何でしょうか? 本当に、一度ずっと祈ってみましょう。まちがいなく答えが来ます。今日、ダビデが危機の中で勝利した詩です。皆様にこの祝福があふれ出ることを本当に主の御名でお祈りします。
 
<<契約の祈り>>
神様。私たちの聖徒たちが、今週に神様の真の答えを体験するようにしてくださって、真の平安を体験するようにして、神様の力を体験するようにして、神様の子どもになった祝福を体験して、知らない人々に宣べ伝える生きた証拠を、すべての聖徒達に与えて下さい。すべての役員に与えて下さって、すべての教役者に与えて下さい。主イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン