2003年 04月 13日 インマヌエル教会聖日メッセージ


1部 /生きることが幸いな者
(マルコ14:17-21)
 
・今日、私たちは聖餐式があるために、みことばを簡単に伝えます。元々初代教会は、毎日集まった時ごとに聖餐式をしました。それが原則です。また、初代教会は洗礼を受けた信徒以上が聖餐式に参加しなさいと言ったのではなく、すべての信徒はみな参加しました。なぜそうなのかというと、初代教会は信じたらすぐに洗礼を与えたためです。また、私たち韓国ではイエスを信じないでも、教会に通う人が多いから、洗礼を受けた人以上が参加するようにしたようですし、また毎日聖餐式をすれば、むしろ聖餐の意味をのがすことがあります。それで、私たちは六ケ月に一度ずつするようにしています。そのような中で、今回の聖餐式が一番祝福された聖餐式だという気がするのですが、他の日は聖餐式になれば、聖餐式に関するメッセージを捜し出したのです。ところが、今回の聖書箇所ははずっと読んでいく中でぴったりと合いました。それで一番良い聖餐式だろうと考えたのです。神様のみことばの中心へ行くために、聖書をそのまま読んでいる中に出てきたのです。それで、私たちの聖餐式と合いました。今日あなたがたが、いくつかのことを記憶しなければなりません。
 
・最初に記憶しなければならない理由は、21節に‘確かに、人の子は、自分について書いてあるとおりに、去って行きます。しかし、人の子を裏切るような人間はのろわれます。そういう人は生まれなかったほうがよかったのです。'と言われました。今日最初に、霊的な目が開かれなければなりません。実際に、救われなくて生きることは、生きることが呪いです。これを早く悟らなければなりません。救われた人は、生きていること自体が祝福なのです。この部分をわかる日から、信仰生活が始まるのです。それ以前にはできません。皆様の体質通り、皆様の性質通りに生きるゆえに、この部分が最も貴重です。いったいこれがなんの話でしょうか?例を上げます。この団体がたくさんあるなかで、泥棒の団体があるとします。すると、泥棒がいれば、泥棒の中にも親分があって、部下がいます。すると、この泥棒の下に付いてまわりながら盗みをする部下は、全てが罪です。もし泥棒の下にある部下が、とても善良だとすれば、その善良なので罪人です。いっそ良くできずに、話を聞かないほうが、盗むのに支障になるので、とても忠実だから話をよく聞いて、盗みがとてもうまくいきます。それがより大きい罪です。もし泥棒の下にいる部下が、ものすごく良心的ならば、それはより大きい罪人です。なぜなら、盗んで少しちょろまかさなければならないのに、ちょろまかすことをせず、親分に持って行くために、これがより大きい泥棒になります。泥棒の下にいる泥棒は、寝ることも罪です。なぜでしょうか?寝て起きた後、力を得て盗むはずだからです。泥棒の下にいる泥棒は、食べることも罪です。なぜでしょうか?食べて力を得て盗みをするはずだからです。何の話なのか分かるでしょうか。
 
・ヨハネ福音 8:44(あなたがたは、あなたがたの父である悪魔から出た者であって、あなたがたの父の欲望を成し遂げたいと願っているのです。悪魔は初めから人殺しであり、真理に立ってはいません。彼のうちには真理がないからです。彼が偽りを言うときは、自分にふさわしい話し方をしているのです。なぜなら彼は偽り者であり、また偽りの父であるからです。)に途方もない話をされました。ヨハネ8:44で、イエス様が救われることができなかった人を見て、衝撃的なことをおっしゃったのです。あながたは、悪魔の子どもだと言われたのです。衝撃的な話です。すると、どのようになるのでしょうか。全てのものが悪魔のお手伝いです。悪魔の子どもです。この話を普通の人達がどのようにわかるでしょうか。今日、この貴重な契約を知らなければなりません。それで、どんなに善良な人でも、パリサイ人の教会に通う人は、教会を誤って通ったのでみな滅びて、どんなに善良な人でも中世教会の時代に通った人々は、中世教会ゆえにみな滅びたのです。どんなに皆様の子どもが善良でも、偶像崇拝する父母の下にいれば、いっしょに精神が狂うのです。それが普通の問題ではありません。生まれないことが、よりよかったのにということです。
 
・ 今日 21節にまた見れば‘確かに、人の子は、自分について書いてあるとおりに、去って行きます。しかし、人の子を裏切るような人間はのろわれます。そういう人は生まれなかったほうがよかったのです。'イスカリオテのユダが生まれなかったほうがよかったと言われたと考えることができます。そうではありません。すべての未信者はまったく同じです。イスカリオテのユダは、その中のひとりであるだけです。イスカリオテのユダの罪のために十字架を背負われたのではなくて、すべての罪人のために十字架を背負われました。それで、皆様は早く悟らなければなりません。その最初が何でしょうか?神様の福音の奥義を知らない人は、生きていることが呪いです。努力して大統領になっても関係なくて、出てより悲惨になります。なることが呪いです。国会議員になろうと努力します。そうなれば、より問題がきます。なることが呪いなのです。お金をたくさん儲けたいでしょう。お金をもうけなたならば、家庭問題がみなきます。それが呪いです。普通の人たちはわかることができません。教会が福音を誤って伝えるるせいか、人々がわかることができないのです。多くの人々がいまだに話します。昨日も新聞を見たら、マリリン・モンローの話が出てきました。マリイン・モンローについて書かれた話が出てきていました。あの優秀な女の人が若くして寝ている途中で死にました。病院で調査してみたら、腹の中に睡眠薬がぎっしり入っていたのです。睡眠薬を飲んで死んだのです。眠れなかったから飲んだのか、わざと飲んだのか知りませんが、そのように耐えることができないで死にました。最高の人気があった女の人でした。その女の人が化粧品の広告を出すと、普通女の人が一年働いてもらう分をもらいました。それまでになれば、生きるには問題がなかったのです。行って映画に出演してもらうことは、話す必要もありません。だから、この女の人がどれだけ人気があったかというと、今でも話になっています。しかし、ひとりでは最も悲惨でした。
 
・神様を知らず、福音を正しく知らなければ、生きることが呪いです。ショーペンハウワーが本当によく悟りました。ショーペンハウワーは、このように話しました。‘人間は生まれなかったほうが良くて、生まれたら早く死ぬのがより良い'と言いました。福音がなければ、本当に正しい話です。それで、ショーペンハウワーの本を読んで、全世界の人々が自殺を多くしました。正しいことです。生まれないほうがよくて、生まれたら早く死ぬのが良いのだと自殺をしたのです。それで、私がショーペンハウワーは、何歳で死んだのか知ってみたら、82才で冷水摩擦をしている途中で死にました。長生きしようと冷水摩擦していて、死んだのです。本当におかしな人間だと思いました。終末論を話す人が、お金を一番たくさん集めていたということと同じ話です。とにかく、話は正しかったのです。救われることができなかったならば、生きることが呪いです。私は、結論が確かに出ています。福音をよく知ることができない牧師、信徒は、生きることが苦痛です。どんなに苦闘しても、苦痛です。しかし、福音を理解して、本当に福音を理解するならば、生きていることが祝福です。皆様この祝福を受けてくださることを主の御名でお祈りします。どんなに考えても、気分が良いのです。私は行く所ごとに、私に聖霊が共におられます。その話は、何の話でしょうか。世の中の人々が悪霊の子どもで、私は聖霊がともにおられるということです。私が行く所ごとに、天の祝福が降り注ぎます。神様が、目に見えない主の天使を送ってくださって、行く所ごとに暗闇の勢力が崩れて、行く所ごとに答えを受けます。私はそうです。なぜそうなのでしょうか。聖書にそのようになっていて、私は確認して体験したのです。私は残りの人々を見る時、かわいそうだという気がします。内心、愚かだなという気がします。本当です。明らかな根拠があります。生きることが呪いです。どんなに話しても嘘をつくことです。どんなにつくろっても、みな嘘をついているのです。
 
・芸能人たちが、きれいにしようと努力しても、女の人たちは、老いていく恐れがあるでしょう。女の人たちが大変です。しわが出てきます。女の人は、きれいになるならば何でもするようです。そのようにしても、無駄です。私がむかし、本当にきれいだと思った女の人がいました。ところが、少し前にその女の人がぶさいくだなと思ったのです。その女の人は、同じ女の人です。名前を言うと悪いのですが、キム・ミと言います。この頃、宣伝に出てくるのですが、見たら年を取っていました。むかし若い時、どれくらいきれいだったか、なぜあのようにきれいなのかと思いました。ジョン・ウェインが見て、アジアにもあんな女の人がいるのかと言ったということです。ところが、今は年をとってしわが出てきたのです。画面に出てきたのですが、そうでした。どうしようもありません。化粧品をたくさん塗っても、仕方がないのです。人間は仕方がありません。本当に生きることが呪いになった人です。救われることができなくて、悪魔のコントロールをいつも受けるのに、お金をもうけるならば、何をするのでしょうか。家系の災いがどんどん来るのに、成功して何をするのでしょうか。私はパリサイ人と律法主義者に言いたいのです。霊的問題がきたのに、律法で守れるのでしょうか。私は教会で多くのプログラムをたくさん作り出した人に言いたいのです。霊的問題を持った人々が、教会にたくさんいるのにプログラムが通じるのでしょうか。話にもならないことです。最も呪われた人です。生きることが呪いです。福音を悟ることができない牧師、牧会は、その牧会自体が死ぬ時まで苦労です。この福音の重要な秘密を知らない役員は、死ぬ日まで教会通うほど苦労です。どうすることもできないのです。イエス様が最も極端に、簡単な話されました。生まれなかったら良かったと言われたのです。それは福音を受けることができなかった人です。福音を受けたなら、本当に生きることが、生きていること自体が祝福です。ある方が話されるのに‘私が何をしたら良いのか分からない'と尋ねました。またこの前、マスコミの人々が集まっていて話すのに、私たちマスコミはどうすることもできないと言いました。知らないのです。その方たちに話しました。あなたがたが産業宣教にきて、礼拝をささげて参加する、それが祝福なのですと言ってあげました。知らないからです。これが確認できるその時から、信仰生活はすばらしく始まります。私は確かに確認しました。あなたがたが私を見て理解しようが、するまいが、誰かが私を見て狂ったと言おうが言うまいが、私は確かに確認したのです。救われた者が行く所ごとに、聖霊が働かれるのです。救われた者が行く所ごとに、天の背景のみわざが起きるようになっています。すると、誰でも変化させることができます。間違いありません。答えを受けることができます。問題はこれです。これができなって、違った話しが出てくるのです。これができなくて葛藤します。これができなくて、問題がくるのです。本当に残念なことです。
 
・もし本当に韓国教会と世界教会のためでなくて、私たちの教会自身の内で伝道訓練をさせれば、一ケ月に、一年に献金十億円を作りだす自信があります。今、タラッパンに出てきます。しかし、これを個教会のためでなく、世界教会のために使います。それを静かに見て、教会でお金の話が出てくる時ごとに、ためいきが出て、せつない気がします。今でも私は仮りに欲だけ持つならば、お金を作る自信があります。今、私たちタラッパンは、お金何十億円が回っています。全部、世界宣教に使って、私たちは一つも使いません。私たちの教会は一つも関与しないのです。それを見ながら、他の牧師は欲を出して、全部、個人、個教会にみな持っていってためて置くのです。私は神様はご存知であるはずだという気がしています。世界福音化しようと、そのようにするのです。本当に残念なことです。今、世界でテープを売って、全部、個人の教会に持っていく人がいません。それでも、私たちはそのようにします。私がそれを見る時、神様の前で感謝するのです。私達が私たちの教会に一つも持って来ません。全部、献金します。全部、個教会のためにするのです。全部、自己の教会、自分の教会、このようにします。私たちの教会は、そのようにしません。私たち堂会員たちが、苦労して私たちの教役者が苦労しても、そのようにしません。私たちは共同しながら、全部、団体にするのです。私はそれも感謝だと考えます。時々、お金の話が出る時ごとに、残念だという気がします。私たち個人の名前で教会をすれば、いくらでもできます。しかし、私たちはそのようにしません。なぜでしょうか?個人のものでなくて、私たちの教会のものではありません。世界の福音化をしなければならないのです。神様が満たしてくださるでしょう。
 
・皆様が本当に理解するならば、この救われたこと自体、神様の子どもになったという事実は、生きていることが祝福です。神様を知らないで、成功して、何をするのでしょうか。それがいかに大きい失敗なのかを知らないのです。生きていることが呪いです。私が知っている一人は、ものすごく熱心にする人です。小、中、高を熱心にしました。それで、陸軍士官学校に入っていったのです。陸軍士官学校でも熱心にしました。陸軍士官学校で、将校、星を取るのは600:1と言われています。このようにして、やっと星を付けました。星ひとつを付けて、町中で有名になったのです。そして、すごく苦闘して教会もあまり行かず、もう一つ付けました。すると、付けている期間が少しも成らずに、結局、除隊しました。それで見ると、何もできることがありません。私は星二つくらいつけて除隊すれば、お金がものすごく多いと思っていました。それもありません。この人は、そんなに努力したから、代価がなければならないでしょう。何か残るだろうと思っていたのに、それもありません。今、何をしているかというと、することがなくて、小さいアクセサリーの商売をしています。それでちょっと売れるのかと聞いたら、売れないと言いました。本当にだめになったと思いました。それで今は、食堂でもしてみるかと言いました。食堂もむかしの話です。私が見たら、そのために、あのようにも多くの人生を投資したのかという気がしました。それが悪いという話ではありません。私たちは、1番目に知っていなければならないのです。
 
・あまり時間がないので、短く話します。2番目に知っていなければならないことは、イエス様が 22-25節を見ると、パンを与えながら、わたしのからだですと言われました。今日、私たちに飲む杯を与えながら、わたしの血ですと言われました。これはからだ自体でなくて、血自体ではありません。記念です。そのように思いなさいということです。その話は、忘れてしまうなということです。簡単にお話しします。皆様が3つのことだけをいつも考える習慣があるならば成功します。福音と伝道です。これだけいつも考えれば、成功するようになっています。そして、ある時にはうまく行かないようい思えても、結局は成功するようになっています。間違いありません。私が今回、産業宣教に行って、そのようなお願いをしました。皆様が伝道だけをいつも考える習慣があるならば成功します。私は全てのものを伝道と比較してみます。神様が私たちをなぜスミョン女子高に来るようにさせられたのか。これも伝道と関係があります。神様が私たちに建物を借りて使うようにさせられました。これも伝道と関係があります。なることも伝道と関係があって、だめなことも伝道と関係があります。私は今回、イラク戦争が起きるのを見て、それも伝道と関係あると見ています。もし米国がイラクをよく復興させれば、イスラム教の考えが変わってしまいます。地球の三分の一を難しくさせているイスラムは変わらなければなりません。私が考える時、神様のみこころだと考えます。人々は何も知らずに、度々反対するのですが、私は神様のみこころだと考えます。では多くの人が死ぬのにどうするのかと言われます。どっちみち死ぬのです。死なない人はいるのでしょうか。老いて死んでも死ぬのです。福音が宣べ伝えられべきではないでしょうか。私はそのように考えます。人々が何も知らずに、しばしば反対するのですが、良く考えるべきだと思います。あのイスラム圏を生かさなければなりません。何でも伝道と関連があります。イエス様がこのようにおっしゃいました。‘この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての国民にあかしされ、それから、終わりの日が来ます。'忘れてしまわないように。これを記念しなさいということは、忘れてしまわないようにということです。そして2番目です。救いの奥義を持っていつも祈る習慣があれば、成功します。忘れてしまわないように。今日は、長く話す時間がありません。三番目に、皆様の生活の中にビジョンを下さいました。
 
・すると、最後の三番目にどのようにすべきことでしょうか。Iコリント1:18(十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。)に福音は救いを下さる神様の力だとなっています。皆様の問題を解決する力です。ローマ1:16(私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。)に、福音は力だとなっています。知識人といろいろな人を生かす力だとなっています。それならば、この福音は皆様に最も重要なことを生かす力です。どのようにすれば良いのでしょうか。皆様の考え全体に、この福音の影響が及ぶならば、皆様の思想は最も優秀な思想になるはずです。皆様の生活全体に、この福音が食い込むならば、皆様の生活は最も力ある生活になるはずです。皆様の事業にこの福音の力が入り込むならば、皆様の事業は成功する奇跡の事業になることが明らかです。その話です。覚えなさい。覚えるだけで、何をするのでしょうか。それで、これが重要です。私は今、私が説教していることは解釈ではありません。証拠、証しです。もし皆様に3つの習慣があるならば。私は3つの習慣があります。ひとつは何でしょうか?いつも福音を持って見ます。 伝道で見てみます。これを見れば、真に有益なことが多いのです。私たちのタラッパンの中に、はじめに財閥が集まれば良いと考えたのですが、来ませんでした。それで私が福音でもし財閥が来たら、この福音を変質させるはずだという気がしたのです。米国では、なぜ福音を早く分からないのかと話します。その時、私が悟ったことが、もしこの方達が成功してしまえば、違った方向へ行くはずだという気がしたのです。何でも伝道で解釈すれば、正しくなります。
 
・私は、いつもこれを考える習慣があります。何を見ても、戦争が起きても、伝道と関連して考えます。すると、知恵が出てくるようになっています。皆様の事業も、そのように見れば、知恵が出てくるようになります。そして、私はひとりでいつも祝福を受けたことを祈ります。私の習慣の中のひとつです。そして、私は一人でいながら、いつも世界福音化のために、健康してするので, 準備して健康を考えます。それで、私は世界福音化のなかで、いつも運動をします。今回、産業宣教のメンバーに教えました。運動はこのように、このようにしなさいと言いました。時間があまりなくてもできます。皆様、両手を合わせて、ぐっと押すならば最も大きい運動になります。心臓病もなおして、肩もなおして、両手を合わせて押す、れが相当な運動になるのです。これは誰もすることも知らないのです。いくらでもできます。祈りも正しくする祈りは、することも知らないのです。だから、いくらでもできるのです。ものすごく重要です。
 
・これはわたしのからだです、わたしの血ですという話はなんの話でしょうか。これは 買って来たパンです。簡単に話せば、パン屋で焼いたパンなので、与えながらこれはパン屋で買ってきたパンだと言うべきなのに、これは買ったか、作ったか、釀造場から持ってきた葡萄酒だと言うべきなのに、イエス様が、これはわたしのからだだと言われました。確かに葡萄酒を入れたものを買ったのに、イエス様がこの葡萄酒は、どこで買ったのかと言われず、杯を与えながら、これはわたしの血だと言われたのです。これがイエス様が十字架につけられて死ぬ前の最後に、最後の週になさったことです。しかし、イエス様が驚くべきことをおっしゃられました。このことは、永遠に記念になるだろうとおっしゃったのです。それが今まできました。本当に驚くべきことです。どんなことがあっても、邪魔されませんでした。ところが、これは何でしょうか?確かにパンなのに、なぜわたしのからだだとおっしゃったのでしょうか。確かに葡萄酒なのに、わたしの血だと言われたのでしょうか。その話しは、なんの話でしょうか。忘れてしまうなということです。何を忘れてしまうなということでしょうか。必ず記憶しなければなりません。皆様の考えの中に福音が本当に影響を与えれば、皆様の考えは時代をリードするようになります。皆様の生活の中に福音が影響を与えるようになれば、皆様は確かに力ある者となります。私は約束します。健康も与えられます。皆様の事業の中に福音の力が本当に臨まれれば、皆様の事業は奇跡がおきます。確かです。だれにも本当に自信を持って言えるのです。
 
・私は福音を悟った後に、私たちタラッパンで 20つの戦略を聖書から捜し出したのですが、一個も失敗しなくて、ずっとなっていっています。先週に伝道神学院は13%増えたという報告が上がってきました。原則的には減らなければならないけれど、ずっと増えています。一つも失敗しませんでした。それは何でしょうか?福音の力は、どれくらい大きいのでしょうか。パウロがこう話しました。私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。パウロが言った言葉です。ものすごい知識人のパウロが言った言葉です。時代的な哲学者、時代的な学問をしたパウロが言った言葉です。だまされないようにしましょう。皆様の考えの中に、もし福音がぎっしり詰まっているならば、あなたがたはまちがいなく一時代をリードする知恵が出てきます。何にも知らないのに出てきます。
 
・何日か前にも話しました。先週には、星 4つをつけた将軍の前に、今週には星3つをつけた将軍にメッセージをしました。メッセージをして、何をしたかというならば、聖書に出てきた軍人の話をしました。話したら、答を得て、そうだと言いました。なぜでしょうか?神様のみことばであるためです。それとともに出てきながら、神様に悔い改めました。私は防衛出身でありながら、このように立派な軍人の前で話しました。それで、私はメッセージをする時、絶対に軍隊の話はせずに、聖書のみことばだけを話しました。神様のみことばは、どれくらい偉大でしょうか。この前も見たら、星4つをつけていました。それでも、みことばを受ける時は震えて、今回、この星三つをつけた立派な方でした。この方にみことばを言ったら、参謀長に応対する時もふるえることがないのに、先生がいらっしゃるととても震えたと言われました。そのようなことです。信仰がある人であるためです。神様の人であるためです。神様のみことばを受けるということです。人を見て言ったのではありません。重要です。私が見る時、皆様の福音が本当に皆様を支配するならば、皆様は時代的な知恵者になります。皆様のこの福音、この秘密が、皆様の生活を支配するならば、皆様はまちがいなく、健康も得て、力ある者となります。この福音が皆様の事業を支配するならば、皆様の事業は、時代的な事業になるはずです。確信します。たくさん話してみたいのですが、時間がありません。今日はこの聖餐式に参加しましょう。一年に2度です。皆様、聖餐式に参加する時に、2つのことをしましょう。最も重要な祈りをしましょう。もうひとつ。皆様が長生きしようとするのではなく、健康になければなりません。私たちの長老達、私たち教会の役員等、皆様は世界福音化をするのに健康にならなければなりません。それで、神様の前に健康をくださいと祈りましょう。皆様が聖餐に参加する瞬間に、私たちは知らないけれど、聖霊は皆様とともに働かれるはずです。この祝福が、今日、すべての方達にあるようになることを主の御名でお祈りします。
 
<<契約の祈り>>
神様に感謝申し上げます。今日、聖餐に参加する時間に、すべての聖徒達に、あるいは洗礼受けていない人も礼拝に参加している途中で、今日、大きい恵みを受けるようにして、病んだ部分はイエスの御名で癒されるようにして、私たちの聖徒達に不治病があるならば、聖霊の火で焼いてください。知らずにいる病気があれば、聖霊の力で働いてください。霊的な病気があれば、イエス・キリストの御名でいやされるようにして、悪い霊的問題は、イエスの御名で解決する時間になるようにしてください。私たちの主イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン
 


2部 / 嘘の世の中と真の成功
(詩35:18-28)
 
 
・聖歌隊の賛美に感謝します。聖餐式をせずにずっと賛美すれば良いなと思いました。聖歌隊が賛美する時、釜山からの信徒が参加したのですが、この賛美をする時、涙が出てくるのをやっと耐えたのに、私より耐えることが弱いキム・ヒョンス牧師は泣いていました。私は、私たちの信徒がするので、恵まれたのかと思いましたし、キム・ヒョンス牧師は、私と親戚なので感動したのかと思ったのですが、釜山チームより他のチーム達が水準高い賛美をして、技術も優秀なのに、大部分の人々が、やはり釜山からやってきて賛美するので、とても恵みを受けたと点数は付けることができないけれど、付けるとすれば一等だと、そのような話をしました。特に私は、この賛美をする時、感動することは、私が神学校に通う時、初めての年に私たちの学校の音楽先生が、キム・グックチン氏でした。この賛美は、キム・グックチン氏が作詞作曲したのです。そして、私たち学生達が聖歌隊に座って、キム・グックチン氏が直接指揮をして賛美をしました。それで、特にこの賛美はとても良いのです。たぶん有名な賛美歌の中に入っていっても、少しも遜色がありません。私はそのように考える程です。
 
・今日、聖餐式をするようになりましたが、すこし重要な恵みを受けるべきなのです。信仰生活をしながら、完成ということはありません。私達が天国に行って完成というものがあるので、この地で私の信仰生活が完全だ、そのようには誰も話すことができません。私達が神様の前に行って、これから完全に聖化されるのであって、この地で完全だということはできません。しかし、この程度は信仰生活で正しい、良い、大丈夫だという基準はあります。その基準がどこにあるかというと、皆様が3つのことが発見できなければなりません。第一には、福音の中に全部すべてあるのです。これが本当に発見されなければなりません。私たちに完成ということはないけれど完成です。そして、そのようになれば、伝道の中にすべての時刻表がみなあるということを知るようになります。そして、三番目にくることが、祈りの中で全部味わうことがみなあることを知るようになります。この三つを知るようになれば、信仰生活が正しくなります。もちろん失敗もあって、弱くて間違う事もあり、弱くて倒れることもありますが、失敗になりません。それで、あなたがたが学習洗礼を受けて、聖餐を受けて信仰生活をするあなたがたが、ここにすべて標準を合せるべきです。本当に福音の中に全てのものがみなあるのでしょうか? 伝道は、全てのものの時刻表でしょうか? 祈りとして、この福音を味わうことが最高の祝福でしょうか? ここに対する答が出てこそ、信仰生活になるのです。大部分の牧師、宣教師が、この部分ができずに苦労をするので、大部分の信者がこの部分ができなくて、死ぬまで苦労するのです。だから、早くこの部分を正しくすべきなのです。本当に福音の中にみなあるのでしょうか? これが実際に発見できれば、信仰生活になるのです。パウロがこれを発見しました。どれだけ発見したかとすれば、感動的な話をしたではないでしょうか? いままで自慢したことが恥ずかしい、ちりあくただと言いました。発見した後に、告白した言葉です。だから、伝道を知っていれば、時刻表が皆見えます。暴風の中でも‘恐れてはいけません。パウロ。あなたはカイザルの前に立ちます' 私は分かります。ペテロが刑務所で明日死刑を受ける日なのに寝ていました。理解できます。伝道ということを知っていれば、時刻表が見えるのです。
 
・私は、何名か苦しんでいる人と、死んだ人々の前に申し訳ないのですが、もし私が何カ所かで説教を多くするので、誤解するかもしれないのですが、私はイラクが陥落したということを聞きながら、他のひとつ希望が生じました。それは何でしょうか? イスラム圏にも福音を伝える機会がきたのです。私の一人、内心、本当によくなったと思いました。なぜでしょうか? その国も生かさねばならず、イスラム圏に福音が入っていかなければ、地球上は永遠に戦争がずっと続きます。反対する人は考えを多くして、反対するかも知れませんが、イスラム圏は福音でなければひっくり返すことができません。このイスラムという団体は、非常に強いために、福音でなく、そのたましいをひっくり返すことはありえないのです。ところが、その機会がきました。その機会が来なくては、地球の平和は永遠にありません。もちろん、神様の時刻表が残っているのですが、伝道を知っていれば、すべての時刻表が皆分かります。この時から信仰生活が始まるのです。
 
・今日聖餐に参加するあなたがたが、2つのことを大きく記憶すべきです。この部分がだめになれば、どのようになるのでしょうか? 私たちは救われていないのではないけれど、結局は、嘘の中に生きなければなりません。嘘は大きく2つがあります。人を破ろうとして、他人にだます嘘よりもっと怖い嘘は、自分をだます嘘です。いっそ他人をだますことはかまいません。かまわないという意味で、かまわないということではなくて、人をだますことは、自分をだますほど危険なことではないのです。私ができらないまま、できると言うことは危険なのではないでしょうか? 考えてみましょう。泳げないのに、体面があるからと水に入っていけば死ぬではないでしょうか。このように愚かなことはありません。いっそ泳げないと言うほうが良くて、運転もできないのに、本を見て研究して車に乗って行けば死ぬことではないでしょうか。そういうことはできません。それで、私たちはこの部分がだめになれば、嘘をつきたくてつくのではなくて、つくしかありません。嘘の世の中で勝つことができないのです。どうすることもできません。私がよく生きなければならないのに、それがよくできません。人々というのは、誰でもまったく同じです。この部分を見る瞬間、その時から自信を持ちます。このことは本当です。
 
・すべての世界にいるクリスチャンは、あわれに生きるのではないように。私がどれくらいこの部分に確信があって、堂々としているか知っているでしょうか? 私たちの教会にきた時、老会で手助けしようとする時、 noと言いました。なぜ私達が助けを受けるのでしょうか? 普通、開拓教会は助けを受けるようになっています。私たちの開拓教会は noと言いました。今ここに初期のメンバーがいらっしゃるでしょう。noと言ったのです。そのようなことがどこにあるでしょうか? 私達がかえって老会にしなければという確信があったのです。小さい地下にいながら、大きい土地を探しに回りました。確信があったからです。なぜでしょうか? 明らかなために。福音の中にあらゆることがみなあります。確かにあります。このことが発見できない信徒が、かわいそうな信徒になるのです。だから嘘をつくしかありません。この話あの話しをして、ここに行った、あそこに行った。この話をしたが、あの話をして、ここで倒れた、あそこで倒れた、それしか仕方がありません。考えてみましょう。子どもがうまく歩くことができなければ、ここで倒れて、あそこで倒れて、それしか仕方がありません。無理にできるのでしょうか? 一才にもならない子どもが、大学生と相撲をするでしょうか? 小さい子どもが、どのようにおとなと戦えるでしょうか? 今でも私達の孫は、錯覚しています。会えば相撲しようと言うと、私がわざわざ倒れるのです。今でも、自分の力がものすごく強いのだと思っています。私が相撲したら、私が力を出していて、わざと後に倒れるまねをすれば、どれくらい喜ぶでしょう。また私を倒そうと後足に力を入れます。まだ錯覚しているのです。私はおじいさんと戦って勝つという錯覚をしています。ある日、その錯覚を悟る日がくるはずです。だから、どのように幼稚園児が大学生に勝つのでしょうか? 勝つことはできません。これが発見できる瞬間、幸福になるのです。誰が幸福にしてくれなくても幸福になります。この答を確かに持っていれば、問題も早く答を捜し出します。明らかなことは、それであなたがた全世界の信徒達が受けねばならない祝福が、本当にこれなのです。このことは、イエスを信じて伝道に狂った、そのようなことを話すのではありません。もし私たちの学生達とレムナント達が、本当に私が神様の子どもで、福音の中に全てのものがみなあるということを実際に発見して、私がこれゆえに勉強するとか、伝道の時刻表を本当に発見して、両親が自分のそばにいないけれど、私は神様が私とともにおられるので、両親のために祈らねばならないな。こういうなにか祈りの奥義があるならば、終わるのです。これがだめになれば、その次のことがきます。両親がそばにいないので、孤独ならば、何かで満たさなければならないでしょう? それで、友人と出て遊んで、とても楽しくて、勉強は良くできずに、外で遊ぶのがはるかに良くて、だめなことを知っていながらも、それにはるかに引っ張られるのです。だから、留学生が崩れるのではないでしょうか? だから危機がきて、勉強も良くできなくて、韓国からは登録金を送ってくれるのに、信じて送ってくれるのに、それが嘘をつかなければならない状況で、親も知らないのです。だから麻薬に接するようになるのです。一度接するようになれば、出てくることができません。だから信者には、これが全部です。こういう部分ができれば、相当になるのです。そうでなければ、嘘をつくしかありません。嘘にだまされるほかないのです。
 
・より重要な問題は、今日あなたがたが最初に記憶しなければならない最も重要なことは、ヨハネ福音8:44 あながたがの父である悪魔は、偽り者であって、悪魔の手段は嘘なのです。嘘がどこから出発したかというと、悪魔から出発しました。善悪を知る木の実を取って食べれば神様のようになる、これは嘘でないでしょうか? どのように神様のようになれるでしょう? あなたは、神様のようになるから食べなさい。その話を聞いて、人の心が変わりました。麻薬の味を知ったり、ギャンブルの味を知ったら、人が変わります。持ってみると変わって見えるのです。これを食べて見たら、完全に立ち上がることができなくなりました。悪魔から始まったのです。今日の本文を見れば、1-3節から見れば、主よ。私と争う者と争い、私と戦う者と戦ってください。 その話は何の話でしょうか? 私は戦わないということです。4-8節を見れば、人を陥れようという者は、愚かな者です。サタンの嘘にだまされる者です。こういう者、11節 暴虐な証人ども15-16節 人を難しくさせる者は、結局はだまされる者で、愚かな者なのです。今日、私たちは長く話すことができません。
 
・今日の本文の中でよく記憶せねばならない1番目のことがそれです。本当にこの恵みを知らなければ、だまされないようにしても、だまされます。他人がだまさなくても、自分自身にだまされます。私の目が違うように見えるのです。だから、だまされるほかありません。どうすることもできないのです。皆様が重要なことを見れば、分かるようになります。知らなければ、だまされるほかありません。この人達が全部だまされるのです。嘘の世の中に陥って死ぬのです。本当に残念です。それで、私が米国に行って、とても苦しくて、米国の牧師がたくさん集まっている時、信徒がたくさん集まっている時、このような話をしました。本当にみながだまされることですが、リバイバル師を招かず、シン・シンエという人で、世の中が変だと歌う女の人を招いて練習してみなさい。だまされるしかありません。何かここに、あそこにだまされるのです。乞食は救われれば終わりであって、ここあそこ、どこにいるのでしょうか? 私は理解できません。タラッパンしている途中でする、しない、何をしなくて、するのでしょうか? 私は理解ができません。福音あるものは正しく、正しくないと言うのでしょうか? 理解ができません。私が見る時には、見ることができなかったということです。何をしなかったり、したりするのでしょうか? 福音を伝えたらして、伝えなければしない、そのようなことでしょうか? 例えば、福音の重要な答を持っている人が、ひょっとして話の失敗をすこししたとして、福音が変わるのでしょうか? そのようなことではありません。皆様がすこし失敗したとして、金氏が朴氏になるのでしょうか? そのようなことではありません。どれくらい驚くべきことでしょうか? これを今日から本当に発見する神様の祝福があることを望みます。神様がするようになさるので、私達は出来ません。
 
・2番目に考えなければりません。真の成功者はこれを知っているために 9節に‘こうして私のたましいは、主にあって喜び、御救いの中にあって楽しむことでしょう。' 私が救われたんだなあ。この事実を本当に見ても、価値がない所には、感激が出てこないのです。とても価値があること、私が救われたんだなあ、こういう感激の祝福が皆様に心より残った生涯に起きることを希望します。そうしたあと見ると、何が出てくるのでしょうか? 感謝が出てきます。18節に、私は大きな会衆の中で、あなたに感謝し、強い人々の間で、あなたを賛美します。'大きな会衆の中で、多くの人々が集まった中で困難がきたとしても、神様に感謝、本当にです。皆様の中で、ある人が大きいお金が当たったら、どれくらい感謝するでしょうか? そうではないでしょうか? 私たちに救いの奥義と祝福が確かならば、どれくらい感謝するでしょうか? この時出てくるのが 27-28節です。‘私の義を喜びとする者は、喜びの声をあげ、楽しむようにしてください。彼らにいつも言わせてください。「ご自分のしもべの繁栄を喜ばれる主は、大いなるかな。」と。私の舌はあなたの義とあなたの誉れを日夜、口ずさむことでしょう。'この時、賛美が出てくるのです。それで、救いの秘密を本当に知った時、感謝が出てきます。その時から何が出てくるのでしょうか? 賛美が出てきます。皆様が、この祝福を必ず受けることを希望します。敢えてお話しします。世界教会は、この部分がだめになったと思います。こうして、ものすごいプログラムを開発しようと大騒ぎをしています。皆様、乳飲み子や子どもは、お母さんだけいれば万事OKです。特別なプログラムは必要ありません。しかし、乳飲み子がお乳を飲むことができなければ死ぬのに、お母さんもないのに、良い環境、金指輪、首飾りは必要ありません。生まれたばかりの子どもには、お乳を飲ませなければ、その子どもに重要な宝石が必要でしょうか? 乳飲み子が、ダイアモンドを知っているでしょうか? 必要ありません。その子どもは、お母さんのお乳を飲めば生きるようになっています。それと同じです。私たちには、こういう重要な部分がみなあるようになっています。いまだに科学が超科学で水準高く発展しても、いまだに会社でお母さんのからだの中から出るような粉ミルクを作り出すことができないと言われているでしょう? だから、私達が神様の救いの奥義を本当に理解するならば、感謝が出てくるしかありません。この感謝が出てくる時、ダビデは私の舌はあなたの義とあなたの誉れを日夜、口ずさむことでしょう。
 
・今日は、長く説教をする時間がありません。序論で答をみな得るべきです。それが、私たちの基準で、標準です。もしこれのために祈るならば、その基準を見るならば、答えでくるようになるはずです。それならば、こういう3つの決断が出てきます。神様に最も私が最高の場へ行くことではありません。最高の栄光を帰さねばならない、こういう基準が立てられます。間違いありません。それで、あなたがたが何だと話して、どんな考えを持っていても構わないのです。神様のみことばは、そのまま成就して行くはずで、世界福音化は成し遂げるようになるはずで、この恵みを受けた人は、生かされるようになるはずで、この部分を知らない人は嘘にだまされるようになるはずです。皆様は、この祝福を必ず受けるように願います。一ケ月だけ経験してみることを望みます。1ケ月間だけ、皆様の中で本当に祈りの課題を置いて祈ってみるように願います。皆様は、詐欺師の言うことも聞くのに、薬を1ケ月間飲んで、栄養剤も飲むではないでしょうか? それもするのに、なぜこれができないのでしょうか? 一ケ月だけ、ただしてみてください。皆様が本当に個人祈り、生活の中で味を一度知れば、まちがいなく、その人は持続するようになっています。そして、あなたがたが本当に神様の前で恵みを受けるために、重要な祈りをするようになれば、礼拝も生かされるようになって、現場に行って答えが確かに見えます。私たちクリスチャンは、そのような力がなければ、未信者の中で生きることができません。クリスチャンの中にこういう力がなければ、未信者の事業の中で勝ち抜くことはできません。人自体に勝たねばならないのに、勝つことができないのです。だから、この恵みを受けねばならないのです。1ケ月だけ体験してみましょう。学生達の中で日ごとに不思議だな、こういう考えが 出てくるはずです。答えを与えてもらって感謝ということではなくて、本当に不思議なことが出てくるのです。この味を知らなければなりません。そうすれば、あなたがたがこれから世界福音化のヴィジョンをいだくようになります。使徒の働き2:17-18 若者と老人もみな年を取っていても関係ありません。実際には、福音がない人が年をとっていること、若いことが問題で、福音がある人はなんの問題もありません。福音があれば、年を取っていても、構わないのです。それで若者は預言して、老人は夢を見るはずです。この恵みを受ければ、それで今週にこの契約をつかむように願って、もう一度お話しします。何千年か前に預言され、ものすごいできごとで、キリストを十字架に釘付けられて、次週に私達が話すことができる部分のように、想像することもできない、とうていありえない復活のできごとがおきて、こういうできごとの中に、何を与えられたのでしょうか? 福音を与えてくださいました。それならば、この福音は今まで説明だけを聞いたのです。それが問題です。いままで教会に行って、教理だけ習いました。そうではなく、本当にそうだな! これを発見すべきなのです。私はこれをどのように説明すべきか分かりません。30年伝道してきたのにですが、これを何と説明すべきか分かりません。本当に驚くべきことなのですが、これが発見できなければなりません。すると、それを発見できれば、3つでは実際には一つです。自然に伝道の時刻表が見えます。話すことが時刻表でないでしょうか? これを私達が味わうことが祈りではないでしょうか? この祝福を受けねばなりません。今日、私たちが聖餐式をするときに、皆様は必ず2つのことを祈るように望みます。ひとつは、皆様に最も重要な祈りをささげましょう。そして、肉体の、霊的な問題が癒されるように祈らねばなりません。必ずそのように礼拝に勝利せねばならないのです。
 
<<契約の祈り>>
神様、感謝申し上げます。私達は神様の驚くべき恵みを受けても知らない時が多いのです。神様の子どもながら、未信者よりできない時がもっと多いのです。また、私達は、救いの大きい力を受けたのにもかかわらず、霊的問題を持った救われることができなかった者より、できない時がもっと多いのです。今日、癒しの御手を私たちにさしのべて、あらゆるしもべを今日いやしてください。霊的な問題を癒してくださって、肉体の病気を癒してください。証拠を与えて下さり、その証拠で、信仰が生まれるようにしてください。それで、霊的な目が開かれるようにしてください。ヴィジョンを見るようにさせてください。それで、遠くの世界を見るようにしてくださって、今日の現実を、そのヴィジョンで解釈できる霊的な目を開けてください。今日、聖餐式に参加するなかで、すべての方達が恵みを受けるようにさせてくださって、またまだ洗礼を受けないで、聖餐に直接参加出来ないが、礼拝に参加した方達が、神様の祝福を受ける、驚くべき時間になるようにしてください。私たちの主イエス・キリストの御名でお祈りします。アーメン