2003年 05月 25日 インマヌエル教会聖日メッセージ


 1部 /美しい家庭
(マルコ9:23-29)
 
・私が幼い時に読んだ小説ですが、短編小説です。いまだに私が気になって話す時間になれば、人々と話して尋ねることもあります。その短編小説のタイトルは'帰郷'です。ある海辺の静かな村にある光景です。ある女の人が、座って網を縫っていました。そして、幼い子どもが二人いて、すこし大きい娘は子どもを見てやっている場面がありました。ところが、その前の岩におかしな男の人が座っていました。おかしな男の人は、この家をずっとみつめていたのです。どれくらい怖いでしょうか。話はできなくて知らない振りをしているのに、目を一度も離さないで、ずっと見つめています。髭も生えていて、変な人です。この家を一日中見ているのです。どれくらい不安でしょうか。なぜあの男の人が、私の家をずっと見ているのか。他を見つめないで、その家だけ見つめているので、おかしな人なのかと考えたのですが、なぜ一日中いるのでしょうか。そうしていたら、夕方くらいになって夫が帰ってきたので話したのです。あのおかしな男の人が、朝からいままで、私の家だけ見つめているので、不安でいられないと言ったのです。その人が、どんな男の人なのか。皆様ならば、不安ではないでしょうか。それで、その夫がそのおかしな男の人に行って、あなたがずっと座って私の家だけ見つめているので、私たちの家族が不安に思うと話をしました。それで、その男の人をよく追い出して、夫が帰ってくると思ったのに、待っていて見たら、その男の人と夫が一緒に来るのです。夫が妻にこの人が、ご飯を長い間、食べることができなかったから、ご飯をちょっとあげなさいと言いました。そのおかしな男の人がご飯を食べるのに、あまりにお腹が空いていたのか、座って動物のように食べました。
 
・食べているのに、その小説はむかしに遡ります。この女の人が20年前にあったことです。夫婦が赤ん坊を産もうとしていたのですが、夫が船に乗って行って死んだのでした。ところが、死体を探すことができなくて、暴風に会って死んだのですが、どこで死んだのか確認もできなかったのです。ところが、その後、家にとても立派な男の人ががずっときて、結婚しようと話をしました。なぜそうなのかと聞いたら、あなたの夫は死んだから、あなた一人で子どもを育てなければならないのに、苦労するだろう。私があなたと子どもがあまりせつないから、私と結婚しようと言ったのです。それを何と3年話をしました。それでも、この女の人はしなかったのです。死んだのか、死ななかったのか確認もできない状況でした。すると、あなたの夫が死なずに帰って来たなら、私がすぐにしりぞくと言いました。だから、そのように苦労する必要があるかと、このようにして結婚したのですが、子どもが2名か3名産まれたのです。そして、歳月が流れたのに、その家の前に現れて座っていた人が、むかしの夫でした。それで、行ってこの人を話して連れてきたのですが、どのようにしなければならないでしょうか。二人の男の人が行って居酒屋に行って酒を一杯飲んで話をして、このことを知る人が多いから、二人の状況を知るようになったのです。すると、私達が食事もして、おいしい酒も一杯ずつ飲んだから、これから判決をすべきなのに、私たちの聖堂の神父に尋ねよう、神父が判断してくださるままにしようと、神父に二人が歩いて行くのが最後の場面でした。その後は、私は知りません。私は時々、女の人にあなたならば、どのようにするかと聞きます。勇気ある女の人は、その夫に義理があって訪ねて来たのだから、その人と住まなければならないと言う人もあって、子どもが二人いるのだから、その夫を忘れているのに、今、来てどうするのかという人もあって、ある勇気ある人は、二人とも一緒に暮らせば良いと言うこともあります。色々な返事が出てきます。私は、それを見てあい昧だなという気がします。
 
・もう一度は、新聞を見たら、ある夫婦がとても危険な所でもない公園で、家族と話して、子ども達と話して夫婦が対話をしていたのですが、ある人が来て、そのまま見つめていました。そうしたところ、その人々がなぜにらむのかと、その事で議論したのです。その夫婦は、私達はにらまなかったと、若い人々がなぜそうするのかと言いながら、議論になって、けんかになったのです。その議論をふっかけた人々が、チンピラでした。この人達が、この夫婦を殴ったのではなく殺してしまったのです。実際にあったことです。だから、なんの誤ちもなく、公園に座って話していて、死されてしまったのでした。子ども達が、何かあったのに、新聞で見たら、その子ども達は、お姉さんが見てあげていたのですが、この子ども達が両親にどれくらい会いたがったか、自分が住んでいた家がそのままあって、両親の部屋を片づけないでそのまま置いていました。記者が行って見ると、両親が住んでいた家にそのまま住んでいたのです。自分の親戚もそのまま見てあげていました。そして、この子どもがどれくらい涙が出る話をしたかというと、両親に本当に会いたい時は、両親の部屋に入っていって、服のにおいをかぐと言いました。それとともに、あんな子ども達がどれくらい傷になって、どのようにあのようになったのだろうかと思いました。
 
・少し前にも、大邱の惨事で死んだのですが、ある男性が放送に出てきてせつない話をしました。自分の子ども達が隠れてどこかへ、携帯電話をすると言いました。それで、度々どこに電話をするのかと尋ねたら、しなかったと言うのですが、またたずねたら、母親にしていると言いました。母親は死んだのにということです。死んだということを知っていながらも、もしかして母が受けるかと思ってするのだと言いました。それを見ながら、あの子ども達が、どれくらい大きな傷を受けてあのようにするのか。あの子ども達をどのようにすべきか。そのようなことを見ながら、家庭、私達が生きている祝福を新たに考えました。
 
・私が本を一冊読んだのですが、青少年が父母がなくて、青少年が父親の役をする話で、自分が勉強して弟を育てるという本を読みました。本当に今、私たちの教会の青少年が、みな読まなければならないという気がしました。今、これを見ると、現在の私たちの子ども達が読まなければならないという気がしました。青少年が父親の役割をしながら生きてきた話を書いた本があります。そのまま、ありのまま、父母がいず、自分たちのいるそのままを書いてありました。私は、率直にその話を読みながら、どんな小説を読むより、心の感動を受けました。こういう人々もいるのだな。時々TVを見ると、離散家族を見ると、ながい間失って、長い間会えなくて、いろいろなことがあるでしょう。
 
・マルコ9:23-29に出てくる少しの背景です。子どもが、簡単に話せば、話も出来なくて、どうするでしょうか。子どもが悪霊につかれて、てんかんにもなって、今日の聖書を見ると、どこでも倒れるのです。だから、父母が子どもを連れてイエス様の所にきたのに、たまたまイエス様がいらっしゃいませんでした。それで、弟子に直してくださいと言ったのに、弟子が直すことができなかったのです。この時、イエス様がいらっしゃいました。この人が「できたら、私の子どもをいやしてください。」と言ったところ、イエス様が23節におっしゃって'できるものなら、と言うのか。信じる者には、どんなことでもできるのです。' と言われたところ、この子どもがいやされたのです。25節に'イエスは、群衆が駆けつけるのをご覧になると、汚れた霊をしかって言われた。「おしとつんぼの霊。わたしが、おまえに命じる。この子から出て行きなさい。二度と、はいってはいけない。」/ 26 するとその霊は、叫び声をあげ、その子を激しくひきつけさせて、出て行った。するとその子が死人のようになったので、多くの人々は、「この子は死んでしまった。」と言った。/ 27 しかし、イエスは、彼の手を取って起こされた。するとその子は立ち上がった。' この時、弟子がきてたずねました。28節に、どのようにして、このようなことが起きるのでしょうかと尋ねました。 29節に'この種のものは、祈りによらなければ、何によっても追い出せるものではありません。'とおっしゃいました。今日ここで、あなたがたは相当なことを考えなければなりません。どのように、家にこのようなことが起きるのでしょうか。本当に幸いなように見えることもあるはずです。今日ここで、すべての救われていない人々、福音がない、すべての人が悟らなければなりません。どうして、私の家は幸いなのに、あの家の子どもは悪霊につかれて、てんかんもある子どもがいるのかと見ることがあります。また皆様は、このように考えることがあります。どうして、私の家には他の家にはないのに、私の家にだけ子どもに霊的問題があって、てんかんと悪霊につかれているのかと考えることがあります。それが、誤って悟ったことです。
 
・今日、あなたがたが、最初にこの本文を見ながら記憶しなければならない内容は何でしょうか?まちがいありません。救われることができなくて、福音の秘密がないすべての人は、全く同じ問題に陥っているのですが、方向が違うだけで、現れる現場が違うだけで、全てのものが違うだけです。簡単に話せば、からだが弱い人は、鼻が病気であったり、耳が悪かったりします。それは、ある人は耳が病気で、ある人は鼻が病気であるだけで、全く同じなのです。これをわかることができなければ、皆様はそれこそ大きいことが起こります。もう一度言います。福音を正しく知らなくて、救われていない人に起きる問題は、この家にだけ起きることではなく、この模様にだけ現れることではなく、いろいろなもようで現れるということです。ある人は表には見えないで現れたり、そのように現れます。これを悟らなければなりません。ところが、大部分の人々は誤って悟っているのです。代々あの家には霊的問題があって、どのようにあの家は精神病者が多いとか言います。そのように話すその人は、全く問題がないのでしょうか。他の方向に問題があるのです。まちがいなくあるようになっています。ある人は、自分の家はなぜこうなのか。なぜ、他の家は違う、ところが自分の家はなぜこうなのかという考えをしながら気落ちするのです。
 
・とんでもない思い違いです。福音がない人、救われていない人は、みなまったく同じです。私はこれを悟りました。方向が違うだけです。ある人は表に出ていないのですが、内心もっとむずかしいのです。私はそれを知りました。それで、この部分がどこからきたのでしょうか。根本原因はどこでしょうか?人間のはじめから現れました。アダム、エバの家庭から始まって、はじめからあったのです。誰がこのように造ったのでしょうか。誰も知りません。なぜ、人間をこのようにさせたのでしょうか。神様がそのようにさせられたのでしょうか。違います。ただ聖書にだけ明らかにしています。アダムとエバと最も近いへびを誘惑して、人間を押し倒したサタンがすることです。責任はサタンにはありません。私たちにあります。本人にあるのですが、サタンに誘惑されました。皆様がどこかに行って人を殴ったとします。怒るようにした人はいるでしょうが、殴ったことは、皆様の責任です。どんなに怒っても、人を殴ってはだめです。ある人が腹が立って人を殺しました。怒るようにした理由はあるでしょうが、殺したことは、責任を負わなければなりません。このサタンがエバとアダムを誘惑して、完全に滅亡させたのですが、罪は誰が犯したのでしょうか。アダム、エバがしました。この時から来た問題です。根本問題です。こういう問題はずっと起きています。
 
・今日、皆様が聖書のみことばと神様のみことばの中に起きる重要なものをよく見るべきです。どうして私はこうなのかと気落ちします。どうしてあの人はああなのかと高慢になります。福音を悟ることができなければ、まちがいなくあの家に起きる問題、私の家に起きる問題が違うだけであって、人が違うように問題が違うだけです。全く同じく、みなあります。聖書はおっしゃっています。義人はいない、一人もいないと言いました。福音を悟ることができなくて、救われることができなければ、誰でもそうです。すべての人が罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず(ローマ3:23)。罪からの報酬は死です (ローマ 6:23)。だから、私達が正しく悟れば、高慢になる理由もなくて、気落ちする理由もありません。皆様がもし困難に会っている人々に奉仕を多くする人々があります。皆様が、あの人はかわいそうだから、手助けしなければというならば、皆様に霊的問題がきます。人はみな同じです。あの人には霊的問題があのようにきたし、私にはこのように来たなあと明らかに分かります。聖書は確かに話しています。聖書ぐらい正確な答を与える本はありません。すべての人が罪を犯したと言われていて、義人はアダム以後で、だたの一名もいないと言われています。だから、気落ちする理由はありません。
 
・ある家には経済問題がきて、ある家には家庭破綻が来て、ある家は子どもの問題がきて、ある家には病気が来て、まったく同じです。ある家は精神問題がくる、全く一緒です。ある人は成功をしてから腐ります。 結局はまったく同じです。これを区分できないのでしょうか。高慢、気落ちは水準が同じで、根が同じようなものです。よく知らないで高慢になって、よく知らないで気落ちするのです。神様をよく知らずに自分に基準を置くために気落ちします。ちょっとうまくいったと考えて、自分に基準を置くために高慢になります。だから高慢になることも、気落ちすることもありません。すると簡単に他人を判断できません。まったく同じです。ドングリの背比べです。ドングリが身長が高いといって、どれくらい大きいでしょうか。小説家、チョ・スノンが書いた本の中に'小さい子が打ち上げた小さなボール'というのがあります。小さな人がボールを蹴るからといって、どれくらい上がるでしょうか。だから、私たちはそのように生きるのです。その人が人の生活を非難するのです。それで何をしたと騒いでいるのかということです。福音もない方達が、どのように悟ったのか知りません。みなそっくりです。だから気落ちする理由もなくて、高慢になる理由もありません。私は知っています。韓国と世界教会ですみに座ってインターネットを見たり、神様のみことばを受けるなかで霊的問題が深刻になった人もいるでしょう。こういう人々が、この福音を聞こうと苦闘している途中でここに来た人も多いのです。また表には出ずにインターネットで見る人も多いのです。福音を聞こうとしているのです。
 
・私は、今日、解団式をする学生達、政府でこの子ども達に名前を張り付けて代案学校と言いました。代案がないから、代案を立てようとつけた名前です。私は未来指導者訓練院と言いなさいと言いました。代案という言葉は、政府で付けた言葉です。それは名前自体が違います。何が代案でしょうか。同じ主題です。この子ども達は、率直に速く崩れたのであって、他の人は少なく率直に遅く崩れたのです。全く同じです。高い地位に上がって、お金何千百円を盗んで、崩れるのでしょうか。同じようなものです。この子ども達は、そのようなことはしませんでした。みな同じようなものです。未来指導者訓練院です。この子ども達が今、2週間歩いてここに来ました。 KBS放送局から有難いことに訪ねてきて、子ども達を激励して、なぜこのようにするのかと記者がたずねました。そのようにしなければならないのです。この子ども達は、学校も、家庭も、教会もみな離れたように見えるのですが、そうではありません。私達が少しだけ手助けしたのに、この子ども達は、力を得ます。いままでの経験です。少しだけ手助けしたのに、力を得ます。私達が特にしたこともありません。特にしたこともなくて、雰囲気だけあれば、この子ども達はするのです。頭も良い子ども達が多いのです。ここまで 2週間歩いて来たのです。誰でも出来ないことをしたのです。国土を徒歩で歩んできました。
 
・私達がとても重要な部分を今日の本文を見ながら悟らなければなりません。この家に悪霊につかれた子どもがいたと思うなら、悟るのを誤って悟ったのです。この家にはおしがいる家だなと悟れば、誤って悟ったことです。皆様の中で、自分の家はなぜこういうてんかん患者がいるのか。なぜ自分の家には自閉症の子どもがいるのか。本当に恥ずかしい、生きることができないと考える人がいるのですが、それが間違ったのです。もう一度話しますが、それを悟ることができなければ、一生苦労します。あの人はなぜああなのかと言って無視するならば、一生悟ることができなかったのです。すべての人は、まったく同じです。その人の家にはてんかん病で、おしで現れただけで、ある家には他の方向で現れます。他の方向で現れているから知らないだけで、よりひどくやられることもあります。
 
・私が見る時、韓国で霊的問題が一番多い人は誰でしょうか?全く同じですが、表に出ないように一番激しい人が誰でしょうか? キム・ジョンイルです。本当に霊的問題が一番激しいのです。早く扉を開けて手を取合えば良いはずなのに、中で必ず捕まえられています。それで死ぬほど苦労しているのです。表に出ないだけであって、まったく同じです。
 
・今日、皆様が重要なみことばを悟って、そうだとすれば、この問題が解決するのが美しい家庭です。それで、今日のタイトルをそのようにつけました。一般の世の中の人々が知らない内容です。美しい家庭は、何でしょうか?家をよく建てて住むことでしょうか?もちろん、それも含まれます。美しい家庭は何でしょうか?皆様が今日、霊的問題の解決される救われた子どもになっているということです。本当の感謝が出てくるのでしょうか。私は出てきます。感謝することがとても多いのです。私がどのように、これを知るようになったのでしょうか。神様の子どもです。本当に味わわなければなりません。パウロはどうしたのでしょうか。いつも口を広げれば感謝しました。パウロがそのように水準が低い人ではありません。皆様と私よりはるかに勉強を多くした人です。パウロは背景がたいした人です。いつも感謝すると言いました。なんの話でしょうか。味を知ったということです。皆様が本物の救いの恵みを受ければ、感謝が出てきます。出てくるしかありません。誰かが私を見て悪口を言うとしても感謝が出てきます。
 
・私は以前にものすごく神経質な者でした。救いの恵みを知ってからは、全部感謝しました。誰かが私がすることを私を無視してやっていれば、以前にはなぜ無視するのかとたずねたのですが、福音を知った後には、私を助けてくれると言います。そのように考えるのです。どれくらい感謝でしょうか。また誰かが私に悪口を言ったとすれば、以前には、君はなにか私のことを悪口を言うのかと正したのですが、あなたが私にラブコールを送ってくれるのかと考えます。ラブコールです。関心を見せているのです。全部、逆に悟るのです。ご飯がおこげになっても、おかゆになってもかまいません。ある人は、福音を受けた後、妻が朝におかゆを作ったら私はおかゆが好きだと言って、夕方にご飯がこげていたら、私はこげたご飯も好きだと言いました。 話すべき言葉がないのです。福音を受ければ、そのようになります。全てのものが感謝です。知っているからです。味を知ったためです。驚くべき家庭です。
 
・美しい家庭は、どのようなのでしょうか。皆様は今から子孫代々で滅びることができない救われた家庭です。占う必要もなくて、知識人が集まっていくグッ(降霊術)をする必要もなくて、皆様はサタンの子どもではなくて、運命に陥った者ではなくて、神様の子どもです。驚くべきことです。美しい家庭です。私は今日の本文を見て、全部このように生きるのに、では全部、悪霊につかれたということでしょうか?全部てんかんにかかったということでしょうか?全部おしということでしょうか。そうではありません。姿は違うけれど、内容は同じです。間違いありません。それで、皆様が気落ちする理由がないのです。姿が違うだけです。こういう私たちを神様が救ってくださって、どれくらい感謝でしょうか。今日、皆様が本当に回復する祝福があることを願います。
 
・簡単に話せば、美しい家庭は何でしょうか。神様がアダム、エバに創世記3:15を与えられました。これから女の子孫がきてあなたを誘惑したへびの頭をたたき壊すはずだとの話を悟るならば、美しい家庭です。今は滅ぼされることなく、箱舟の中へみな入りなさい、箱舟の中に入った人々は生かされました。美しい家庭です。神様がモーセの家系を選んで、イスラエル民族を連れて行って犠牲のいけにえをささげなさい。すると、全てのものは解放されるはずです。それをわかった家庭です。美しい家庭です。荒野で申6:4-9に、このみことばを心に刻んで、心に彫られるように壁に付けて、額に付けて、手首にも付けなさいと言われました。どれくらい驚くべき祝福でしょうか。主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。全世界のメッセージ聞く使命者、家族の皆様が本当の味を知るように願います。醍醐味を見なければなりません。驚くべきことです。皆様の家庭が絶対に滅びないように神様が救われました。どれくらい美しい家庭でしょうか。それ以上があるでしょうか。世に起きる問題を見ましょう。悟ることができなければ、結局、やられるようになっています。それで今日、私は本当に美しい家庭を作るために皆様、おとなたちが知っていなければならない部分があります。それで、それを今年は主題に捕まえてレムナント共同体訓練場を作って、またそれで夏聖書学校もして、修練会長をして、今回、レムナント集会の主題でもあります。それで本当に美しい家庭では、重要なことを教えるべきですが、何を教えなければならないのでしょうか。聖書を見ればあります。
 
・先ず一番は何でしょうか。ヨセフです。ヨセフを通じて正しいビジョンを持ちましょう。ここに学生達たいます。王の息子として生まれる瞬間、王子というビジョンを与えられました。作り出すのではありません。王の娘に生まれる瞬間、王女というビジョンを与えられました。これが差です。皆様が神様の子どもになる瞬間、神様が皆様にビジョンを別に与えられたのではなく、世界の福音化という大きいビジョンを与えられました。今は成就して行けばよいのです。ヨセフを見ましょう。それでレムナントに先ず一番に教えねばならないこと、皆様の子どもにに先ず一番に教えねばならないこと、皆様の家庭で先ず一番に教えねばならない祝福が何でしょうか?救われる瞬間、神様のビジョンが与えられました。救われなかったら、何かのビジョンを捜し出さなければなりません。しかし、救われた瞬間、これが美しい家庭の一番目です。
 
・皆様がもし信仰生活を遅くなさった方達にお願いします。皆様は、占い、グッ(降霊術) みな必要ありません。する必要がないのです。終わったのです。皆様の霊的暗闇の問題はみな終わりました。それは美しい家庭になったということです。どれくらい驚くべきことでしょうか。イエス様が悪霊を追い出されたら、その家が癒されたように、みな解決したということです。では先ず一番にしなければならないことは何でしょうか?神様の子どもになる瞬間、ビジョンが与えられました。問題を恐れてはなりません。問題は、すべてビジョンを成し遂げることです。神様の子どもになる瞬間、問題を問題として見ないようにしましょう。全部なされていくことです。奴隷へ行ったら、そちらが経済を学ぶ所です。監獄に行ったら、そちらが政治を学ぶ所です。兄たちがねたみました。それが家を出て出世する道です。全てのものが成功です。皆様に問題がきたでしょうか。それが祝福です。今日、捕まえるように願います。だから、福音がない人とは対話が良くできません。何でも問題に見るからです。私たちに福音があれば、何でも問題になる必要がありません。問題になることは、何にもありません。今日、契約を捕まえてくださることを願います。この福音がない人々は問題、問題、不平を言います。もし天国に行っても、遊びに行っても、不平を言うはずです。施設がなぜこうなのかと不平を言うはずです。天国に行っても施設が悪いと話すはずです。習慣になっているからです。私達が本物の福音を受けたなら、ヨセフを見ましょう。手ひとつ動くことまで祝福でした。救われた瞬間、ヴィジョンが与えられました。皆様は滅びない世界福音化のビジョンが与えられたのです。すると、起きる困難と良いものは、どのようになるのでしょうか。全部、成就することです。それを教えなければなりません。学生達は、気落ちしないように。それを学ばなければなりません。皆様は神様の子どもになる瞬間、終わったということです。いままで困難に会ったことは何でしょうか?全部、成就していく過程です。それを知らなくて、度々恨んで、気落ちして、父母を恨みます。成就する過程です。聖書を見ましょう。聖書を見ながら、昔に習った習慣で考えてはだめです。聖書を見ましょう。しばしば未信者であったことを考えてはだめです。聖書を見ましょう。救われた瞬間、神様の子どもとなります。その時から成就して行きます。皆様はこれから悪魔の子どもではありません。
 
・2番目です。モーセを話しましょう。3つの目を開けましょう。可能ならば、勉強を熱心にしましょう。世的な目を開けましょう。モーセが 40年間、王宮で受けた教育がそれです。ミデアンの荒野で祈りました。神様を知る目を開けましょう。それだけ持っていてはなりません。40年間、荒野を行く使命を目覚めなさいということです。私たちがそれを教えることが美しい家庭です。皆様の家庭にもこの祝福があることを希望します。
 
・三番目に私たちのレムナントに教えることは、サムエルを通じて祈りを教えなければなりません。もし福音を持った神様の子どもが、私たちの子ども達が本当に祈りができるならば成功します。ところが驚くべきことに、私たちの間でする話ですが、ほとんどクリスチャン、はなはだしきは牧師、宣教師、長老に祈りができない人が多いのです。祈りをしない人がいっぱいいるのです。祈りは、どれくらい驚くべきことでしょうか。だから、私たちの子ども達に祈りを教えたとするなら成功したのです。皆様の子どもが考えながら祈れれば成功するのです。ところが、これを知る人がほとんどいません。私はむかし、祈りをよく知りませんでした。祈りを知った後、みな味わうようになりました。以前にも話しましたが、食堂に行っても祈ればよいのです。待ちながら祈って、コックのために祈って、壁を作ってみて 祈りすればよいのです。祈りをみなしておいてご飯が出てくれば、すぐに食べます。私は食事時間に祈りをあまり多くしません。よくできないのです。普段に祈りをあまりしない人々が食事時間に祈りをします。もちろん、それをしなければなりません。間違っているということではありません。普段には祈りをせずに、人間中心主義をいつも使っていて、ご飯が出てくれば祈るのです。その程度は信仰が良いことです。ある人は様子をみてそのまま食べます。ある人は顔を洗うように祈って食べます。その程度ならば、信仰が良いのです。愚かな人がいます。食堂に入っていってあらかじめ少なくとも 20-30分待つのに、祈れば良いでしょう。健康回復になるように祈って、コックの手を祝福するように祈って、食べ物に祝福するように祈って、福音化するよう祈りをみなしておけばよいのです。きれいなスプーンが来るように祈るようになります。みなしておいて出てくればすぐに食べれば良いのです。この祈りの祝福がどれくらい重要か分かりません。皆様が祈りらないで、いるといらいらします。なぜでしょうか?いらいらする人があまりに多いのです。祈りながら対話してみれば、いらいらしません。皆様の夫が家に帰る時、祈りしながら待ちましょう。こうすれば良いのです。家に祈らずに待っていて帰ってきたら、いらいらします。それでけんかするのです。皆様、なにをしようが祈りの秘密を悟ったなら、みな悟ったのです。サムエルです。
 
・4番目です。私たちの家庭で、教会でなにを教えなければならないのでしょうか。ダビデを通じて教えなければならないものがあります。神様の子どもは、これから挑戦しましょう。小さい人物にならず、挑戦しましょう。これから私たちのレムナントは何でしょうか?そのままとどまっていずに挑戦しましょう。なぜそのままとどまっているのでしょうか。ダビデのように挑戦しましょう。王になることになっています。既にヴィジョンは持っています。それを教えなければならないのです。ダビデに来たあらゆることは、全部、成功の門になりました。これが救われた神様の子どもにある祝福です。
 
・あなたがたが契約のみことばをつかんで、その次に習うべき人物が 2名あります。旧約の人物と新約の人物です。必ず習うべき人物のエリシャとパウロです。なぜでしょうかか?旧約を見ると、正しくみことば運動をして成功した人物がエリシャです。これが牧師、宣教師のモデルです。新約には誰がいるでしょうか。パウロです。二人を置いて何を習わなければならないのでしょうか。牧師になろうがなるまいが関係ありません。時代的伝道者になりましょう。信徒が誤って考えています。何かの神学校に行ったら使命者になるのかと思っているのです。一般信者として時代的伝道者になりましょう。ミュージシャンとして時代的伝道者になりましょう。政治家として時代的伝道者になりましょう。パウロのようになせば良いのです。その人が習ったことと、救われた秘密と祈りの秘密があります。なるようになっています。モデルにしましょう。絶対に揺れないように。
 
・最後の七番目に教えなければならないことがあります。これらすべての祝福が正常になされる道があるのです。この地には完全なのはないのですが、ひとつだけあります。その単語がまさにキリストです。最後に悟らなければならないことです。この地に完全な単語がひとつあります。皆様の隠された問題を正しく解決する完全な単語ひとつがあります。それがキリストです。皆様が絶対に滅びない一つの単語があります。キリストです。いままで伝道を何年して来たかご存知でしょうか。約30年近くしてきました。タラッパンは、公式的に 15年してきました。ほとんど伝道を理解したり、私を理解する人はほとんどいませんでした。ほとんどみなだめだと話したのです。だめだというその方がだめになりました。私はできたのです。タラッパンがそのような方法でしてはだめだと話した人がいました。その人は、放棄したのです。私はしています。教会をそのようにすればなるはずでないのにと話した人が崩れたのですが、私は崩れませんでした。錯覚です。これから私たちインマヌエルと福音を伝える教会は、時代を生きることは教会、レムナントを生かす歴史に残る教会になるはずです。見ていてください。だめだと言うその方が滅びるはずです。福音は滅びません。福音をどのようにご覧になるでしょうか。福音を知ったということは、永遠に滅びません。福音を知ったなら霊的問題がきてもかまわないのです。福音を理解するということは、問題がきても成功します。 これをレムナントが正しく知っていなければなりません。
 
・福音を理解するということは、どうなのか知っていますか。教会に通う人が福音を軽く見ているのです。どんなことが来てもかまわないのです。'私は私を強くしてくださる方にあって、どんなこともできるのです。' 多くの経験があります。私が福音運動しながら、いろいろな人をたくさん見ました。大丈夫です。一番初めに始めた時から釜山で先生の教会が成長しようとするなら、これこれせねばならないと話されました。正しい話です。ある方がきて地下 35坪の教会でどのように世界の福音化をするのか、教会堂がなければならないと話しました。神様がご存じでされているのであって、見ていて下さい。皆様の時刻表がどのようになるのでしょうか。ただの一度も神様が私たちを失敗させられたことはありません。皆様が福音を受けたということは、どうなのか知っているでしょうか。私は知っています。未信者までもタラッパンで起きるレムナント運動を記憶するようになるはずです。この未来指導者訓練院は、単に始めたことではありません。この子ども達を連れて多くの証拠が起きるはずです。そして、これから反対側に一般学校で多くの証拠が起きるはずです。それで単なることではなく、産業宣教を説得してレムナント共同体訓練場を作るはずです。全世界に作るはずです。そして、正しく神様の証拠を見せるはずです。どんな問題が来てもかまわないのです。神様はなさることができます。
 
・契約を捕まえてくださることを願います。すると何が出てくるのでしょうか。真の感謝が出てきます。私は福音を知って、真の感謝が出てきました。私は福音を知って真の感謝が出てきたのです。元々の私の性格を見て下さい。私は、昔はものすごく批判的で、神経質でした。私が福音を知る前に批判的だったのか、ある人とは遊ぶこともしませんでした。本当に私一人で高慢になっていました。錯覚です。それで私の両親も知っていて、家族は分かっています。私がどれくらい難しいかったでしょうか。私の妹二人は、最悪の境遇でした。兄さんが来るならば、非常事態にになりました。ホコリがなぜあるのかと言いながら、連れて行って殴りました。私は、本箱に本がどのように並んでいて、何があるかということが分かる人間です。悪いことでもありませんが、人が狂うのです。私が福音を悟る前に、どれくらい難しい者であったか分かりません。何となく見過ごすことはありません。一度は家に帰ってきたら、弟が家をめちゃくちゃにしていました。それで出てこいと言って、一旦思い切り殴り倒して、立って兄さんが清掃をする、私がするようにその通り、いつでもしておきなさい、しなければ殴られて死ぬと思えと言いました。このように妹たちがどれくらい難しく不安だったでしょうか。福音を知らない時でした。
 
・結婚した初めの時、結婚して私の家に帰ったら、どうして汚いかと小言も多く言いました。汚いことは事実ですが、それを小言を言って、また問題が起きました。ところが、それではありません。本当に福音を知りながらみな変わります。考えが変わるのです。ところが、何が出てくるでしょうか。感謝が出てきます。どれほど多くの答えの門が開くでしょうか。皆様がこの体験をなさることを願います。「もしおできになるならとは、どういうことなのか。」と言われました。信じる者、誰を信じる者のことでしょうか。神様を信じる者です。信じる者にできない事があるでしょうか。すると、どのようにこのようになるのでしょうか。祈りの他にはありません。一度くらい体験してみなければならなのです。人生一度くらいは、生きているうちに、神様の子どもになったので、祈れば答えが来るということを一度くらいは体験がなければならないでしょう。私達は動物でしょうか。人なのにということです。人生を生きていきながら、大学勉強だけしたから、ほとんどできていくでしょうか。人生は、何でしょうか。神様が生きておられるという体験がなければならないのではないでしょうか。「この種のものは、祈りによらなければ、何によっても追い出せるものではありません。」確かにその体験をした人は違います。福音の体験、祈りの体験をしたことは違うのです。考えが違います。なぜでしょうか?味を知ったからです。一度くらいは体験してみなければならないでしょう。私たちは完壁でしょうか。皆様が神様の能力を体験しなければならないでしょう。どんな問題も神様は解決出来るのです。皆様の家庭のすべての問題は、神様の大きい祝福で変わるようになることを願います。
 
・ここに今、学生達の中に、私のメッセージを聞いているのですが、麻薬ゆえに苦しめられる学生達がいます。 心配しないように。本当に福音を受けて何日かだけ断食祈りをしてみましょう。終わります。単なる祈りとは違います。聖霊充満を受ける断食祈りをしてみなさいということです。学生達の中で、シンナー、ガスで悩む人もいます。その味を知らなければなりません。今しないならばだめなので、今しなければ、脳細胞がみな壊れてしまうので、結局、死にます。おかしな人になります。いっそ死んでしまえばよいのですが、おかしな人になります。方法がひとつあります。本当に祈りましょう。解決します。ただ聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受け、地の果てまで証人になります。今、全世界でインターネットでメッセージを聞く人の中に、霊的問題に苦しめられている人がどれくらい多いでしょうか。心配しないで、完全に福音のなかで本当に祈れば、本当に祈りの他にはこういうことができません。どれくらい深刻な問題を持った人々が多いでしょうか。祈りましょう。それで、この祝福を受けましょう。神様はなさることができます。仮りにその人が恵みを受ければ、より大きい事ができます。皆様が持っている問題は何でしょうか。問題になる必要がありません。
 
・釜山のある方は、朝に目をあけて起きれば、まず焼酎を三瓶飲まなければ精神が正しくならないと言いました。普通の人々は焼酎 3瓶 食べれば精神が回ります。この人は三瓶飲んだら、精神が戻ったのでした。普通の問題ではありません。この人が福音を受けて祈りし始めました。解決したのです。解決したら、まず、誰が驚くでしょうか。それまでの酒飲みが驚いたのです。本当に神様がいらっしゃると言いました。証拠しながら伝道の門が開きました。私が私たちの知っている友人を見たら、そうでした。この人は私と何年か一緒に仕事をしました。一度も夜明けに起きるのを見ることができなかったのです。私はいつでも夜明けに起きて運動に行きます。その人は一度も運動に行くことができませんでした。明け方になれば、起きることができないのです。踏んでも、いろいろなことをしても起きることができないのです。希望がないと言いました。起きて明日の夜明けに連れるために行くと、明日は必ず行くからと言って寝てしまいました。それで翌朝に、起きろといろいろなことをみなするけれど、明日から行くと言いながら、また寝ました。出来なかったのです。一度も一緒に行くことができませんでした。そのような声を何年かしたのに、一度も行くことができませんでした。ところが驚くべきことは、牧師になったのですが、明け方祈りに行ったのです。確実に神様は生きておられると思いました。明け方祈りに行くのは、奇跡だと思ったのです。 信仰でできることで、人間の力ではできないことです。皆様、問題が何でしょうか。福音を悟ったのでしょうか。してみてください。「この種のものは、祈りによらなければ、何によっても追い出せるものではありません。」
 
・全世界に霊的問題を持った人々が苦しめられていれば、人々が皆様をあざ笑います。信徒も家族もあざ笑うのです。皆様を心より知って手助けする人はいません。皆様が霊的問題に苦しめられてさ迷っていれば、本当に祈ってくれる人はいません。ただ見上げるお方は、一人しかないのです。「この種のものは、祈りによらなければ、何によっても追い出せるものではありません。」「信じる者にはどんなことでもできるのです。」なんの話でしょうか?皆様が霊的に苦しめられる時、手助けする人はいません。皆様が本当に問題が来たら、夫も妻も助けになりません。本当に問題が来れば、ある程度の問題が来たら助けますが、本当に問題が来れば、手助けしてくれません。それでダビデが述べた言葉が、父母が私を捨てても、主なる神は私を捨てないと言いました。皆様が主を見上げて体験することを希望します。皆様の家庭に、皆様個人に、この答えが必ずあるようになることを主の御名でお祈りします。
 
<<契約の祈り>>
神様に感謝申し上げます。私に力を与えて下さる方によって、どんなことでもできるのですとパウロは告白しました。「できるものなら、と言うのか。信じる者には、どんなことでもできるのです。」「この種のものは、祈りによらなければ、何によっても追い出せるものではありません。」と約束なさった主が、今日、私たちに恵みを与えてくださることを感謝申し上げて、私達が福音の中にいるのに、すべての問題が解決したのに、これから祈って答えを受ける生き証人の体験をする、驚くべきみわざが起きるようにしてください。あらゆる世界の使命者にこの恵みが臨むようにしてくださり、すべての世界のレムナントに神様の祝福が臨むようにしてくださり、家庭の呪いが終わることを感謝申し上げます。永遠に滅びないように祝福なさった神様に感謝申し上げて、キリストの秘密を持って勝利する神様の人々になるようにさせてください。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン
 
 
 2部 / 美しい家族 / (使徒18:1〜4)
 
・今日、私たち1部礼拝でてんかんにかかってしまってだめな子どもを持った父母が、イエス様にきて癒されて、色々な恵みを受けることを話しました。重要な話です。私の家はそうでないのにと、そのように考える人々が多くて、またなぜ私の家はそうなのかという人々も多くいます。確かにみことばを申し上げました。福音を知らない者は、あれこれかたちが違うだけで、まちがいなく、その問題の中にいます。ある家には表に見えるように精神的な、霊的な問題が来て、ある家には子どもにきたり、確かに来ます。それで神様が人間を見て、救われなさいとおっしゃったのです。そこに対する解決策を持った家庭が、最も幸いで美しい家庭だという話をしました。それならば、ここにいる方達は、既成世代であるゆえに、これから聖書の中にある重要な資料をもって、子どもに教えるべきだという 7つの内容を教えました。そのような家庭にならなければなりません。
 
・今日の2部礼拝のタイトルは、美しい家族です。こういう部分がものすごく重要です。必ずこの契約を捕まえて、答えを受けなければなりません。私が時々、釜山で個人的なことや、家庭で用事があれば、休みたいと思って運転をします。運転をしてみなければ忘れてしまうので、運転を少しずつします。可能ならば、私が自由に運転する時には、必ず行ってみる所があります。どこに行くかというと、むかしに私が住んだ村の方向に行ってみるのです。上に上がって見れば、痕跡がほとんどなくなりました。知らずに住んでいましたが、幼い時私が住んだ村、不思議にそちらを過ぎてみたかったのです。小さい所ですが、その時は本当に大きく見えたのに、寺の後にある運動場とか、そこで子ども達と遊びました。そちらに大きいアカシアの木があって、においがする花も咲いたりして、また、私たちの村に川の水が流してくるのに修正洞からの水でとてもきれいでした。魚も取ったり、山でイナゴをとって焼いて食べたりもしました。私は幼い時、栄養食を多くしました。魚を取って焼いて食べたり、山でイナゴを食べたのです。私たちの村に共同手洗いがあったのですが、後に畑がありました。植えた木も見たいと思ったのですが、ほとんど痕跡がありません。痕跡がなかったのですが、小さいもの等が見えただけでも、私たちがむかしにここで住んだのだな、という心から過ぎたり、その時ごとに感じるのは、私がたくさん変わったんだなあ、こういう時もあったのに、私がたくさん変わったんだなあと思います。
 
・今日もそうですが、行く所ごとにおかしな人々がたくさん私に会おうとします。それゆえに本意と違って、本当に面倒臭いのです。行く所ごとに警護員が付いてまわります。本当に面倒臭いのです。一人で自由に通わねばならないのに、そのようにすることができません。また、そのようにすれば、途中で事が起こるために、仕事が進行できません。だから度々付いてまわらなければならず、電話のようなものも勝手持っていることができません。誰かが電話番号を知ったら、一日に数十回ずつ文字を送って来るのです。確認してみるのもどれくらい大変でしょうか。そのような状況です。私が本当に多く変わったんだなあ。むかし幼い時、住んだ家と村を考えてみれば、疲れているという理由で私が高級車も乗って通って、たくさん通っていることを見ながらたくさん変わったなと思います。
 
・私は電話もあまりできません。知らせることもできなくて、かけることもできなくて、ほとんどいまはそのように変わりました。99% 私を訪ねてくる人々を見れば、助けてくれと言う人々です。可能ならば避けることもできなくて、私が世界福音化のために先生を手助けしますというような人は 1%もなりません。99%きたとすれば、助けてくれという内容です。手助けせざるをえない立場に連結しています。私がそのようにたくさん持っている人でもないのに、私たちのチームでもない、外にいる人達が、私が金持ちであるかのように理解しているのです。たくさん連結してきます。だから、直接電話も受けることができなくて、いつも秘書が受けて表情であらましつかんで、私に会おうと来る人が誰なのか感じ取らなければならず、何をする人なのかあらまし研究もせねばならなくて、なぜ会おうとしているか考えて連結させなければならない立場です。そうしたあと見れば、一週間疲れます。ある時は、頭も使わなければならず、以前はそうでなかったのに、単純に生きたのに、頭を使わなければ大変なために頭を使わなければなりません。このように私がたくさん変わってしまいました。しかし、村をまわりながら本当に感謝したのは、私が教会に通うことができるように、福音があろうがなかろうが、こういう祝福を私の父母から受けるようになったことは、本当に感謝なことです。私がイエス様を知るようになったことは、あまりにも感謝なことです。こういうことを感じながら、今、多くの伝道運動と答えを受けています。
 
・私は皆様に明らかにいくつかのことを話すことができます。使徒の働き18:1-4 よく知っている通り、使徒パウロを最高に助けた一般信者として最高の祝福を受けたプリスキラとアクラ夫婦の記録です。この人達が、 どのようにこのような重要な祝福を受けたのでしょうか? どのように美しい家族として生きたのでしょうか? こういう祝福です。いくつかだけ知っていればよいのです。他の理由ではありません。この人達が違ったことを持ったのではなくて、正しく福音を知っていました。正しく福音を知る人がいないのです。
 
・一番の心配は、新しく信じる人を見れば、その人が友人をよく会わねばならないのですが、その人が誰に会うかに従って変わるのですが、ほとんど見れば福音は、これほど良い福音、そのように完全な福音、私を犠牲にしてもかまわないほどの福音、完全で完壁なこの福音、待つだけでも答えになる福音、これをこのまま伝達する人が多くいないのです。私達がキリストを悟ったというほど大きい祝福はありません。プリスキラとアクラ夫婦が、私たちのようにどのようなことを多くしとか、献金を多くしたとか、こういう考えをしたのです。そうではありません。もちろんしたでしょう。プリスキラ、アクラとパウロがどのように美しい信仰生活をできたかというと、福音を正確によく知っていました。これがものすごく重要です。あなたがたが、単なるキリストとしてはならないのです。
 
・私は、今回、牧師達にみことばを差し上げたのですが、私は歴史を見ながら神様の計画、そして、私が生きてきた人生を見ながら、神様の計画、ヴィジョン、私が今まで教会と多くのことを見ながら、私の胸に願いがあります。それと神様の計画が一致しました。だから、伝道する、しない、そのようなことではありません。私が牧師になったから伝道してみよう、そのような内容ではありません。私は幼い時 6.25(朝鮮戦争)時代を生きながら多くのことを考えたのですが、それとこの福音。私は牧師達に率直に告白したのですが、福音なしで完全に滅びて福音を悟るようになった時、短く生きたのですが、色々な人生、そして、皆様の前にみな証しを出来ないけれど、私の胸中に「切なる痛みのような願い」があります。これゆえに世界福音化せねばならないと思いました。私が一日、二日ドタバタとして、伝道運動をするのではありません。私は第の胸に「痛みのような願い」があるのです。世界福音化すべきです。これだけが道です。私は理由を知っているのです。それで契約を捕まえたので、時間が経てば経つほど、答えになるしかないのです。こういう部分に答えをもらうことができなかった人々を見る時には、しばしば説明をしてあげなければなりません。それが講義ではないでしょうか?
 
・今日までどのように生きてきたかと知りませんが、、単にイエスを信じたのではありません。本当に歴史を勉強してみたでしょうか? 私たち学生達の中に「切なる願い」を植えるということは難しい事です。そうでないでしょうか? この学生達の中には歴史を通じてこういう方法で生きてきて滅びたんだなあ、歴史を通じて正しく見れば、福音を持って歴史を見れば、神様の計画が見えます。そして、本当に私達が過去に生きてきた人生を見ながら、また皆様の胸に深くにある願いがあるでしょう。ちょっと強く話せば「切なる願い」です。ちょっと簡単に話せば願いです。神様の計画と会うべきです。祈るなと言われても、祈りになるのです。伝道しなさい、しないという問題ではなくて、するしかありません。キリストの中にすべての祝福がみなある、これからできなければなりません。
 
・私は残念なことに、これを見たら、多くの知識人と教会が福音を知らせなくさせているのです。それを見る時、本当に残念です。この福音を私たち自ら、そのように知らずに生きています。それで私は、この契約を捕まえたのに、この契約をレムナントに正しく伝えて、私が証拠を見せるしかありません。私は話さなくて意見も出しません。なぜでしょうか? 証拠を見せなければならないからです。教会でもそうで、私たちの集いでもそうです。できれば、話さないで、そのまま OK言います。なぜでしょうか?証拠を持つために。今日、あなたがたがそのまま信仰生活してはなりません。本当に考えがないか、何らの願いもなくて限度がないでしょうか?「切なる願い」とは、未信者が話す「願い」ではありません。どういうことを言うのでしょうか?母が亡くなって、幼い時、祈っていて、神様の大きい恵みを受けました。あなたはどんな場合があっても世界福音化しなさい、そうであるのに世界福音化が何か?分かりません。困難が押し入ってきます。兄達が自分を売り飛ばして死にそうになったヨセフです。そのヨセフがそ「切なる願い」を持って神様の計画を発見しました。簡単なことではありません。「切なる願い」といえば、誤って理解することがあります。私たちの中にある願いということです。単純に教会復興させてみるか、そのような簡単なことではありません。このことならばすこし復興するだろう、こういう軽薄な考えを持ってしたのではありません。しなければならないのです。皆様の人生、嘘をつかないでみましょう。どうなのでしょうか?
 
・五千年間、偶像崇拝している途中で滅びた韓国、長い間、霊的問題に悩まされたが、精神病者が一番多い日本を一度見てみましょう。教会があるとするけれど、福音を確かに話さなくてやられてしまいました。はなはだしくは、知識人は、柳光洙牧師の説教は、あまりに強すぎると言います。これからの時代はより強くなります。みな死ぬからです。より福音を深く話すべきです。あいまいに話しておけば、みな死にます。それであいまいに習った知識人が、一番かわいそうです。はっきりと習わなければならないのですが、あいまいに習いました。何でも中途半端です。信仰もあいまいで、学問も中途半端です。専門性もあいまいで、生活もあいまいです。どれくらいかわいそうでしょうか? いっそ習わなかったほうが良かったので、何でもあいまいに習ってならないのです。 
 
・むかし、おとなが言った言葉が、半分愚かな者が家が全部崩れるということです。いっそしないほうが良いでしょう。みな祝福をのがしています。皆様、何でもそうではないでしょうか? 「わたしがイスラエル民族の苦しみを見た。イスラエルを連れて行きなさい。わたしがイスラエル民族を解放させる」 80才になった老人モーセが聞いたのです。その話は、幼い時、お母さんからお乳を飲ませてもらった時から聞いた話です。モーセの「切なる願い」です。いまや私たち民族が行くんだな、行って犠牲のいけにえをささげなさい、なんの話なのか分かりました。その契約を捕まえてモーセが行ったのです。年齢80を越えたのですが、40年間大きなみわざが起きました。それを話すのです。
 
・福音とは、そのようなことであって、信じても良くて、信じてもかまわない、そのような内容ではありません。宗教間で一緒に手を取り合って何かをしよう、そのような内容ではないのです。だから全世界が失敗するのではないでしょうか? 私たちはこれから悟らねばなりません。私が見る時には、プリスキラとアクラ、パウロがこれを悟りました。事実は、終わったのです。この日から答えがきます。皆様が静かにいても驚くべき事が行われるようになるはずです。皆様が神様の願いと私の願い、この話をわかる日からです。皆様はないでしょうか? 一生の間、偶像崇拝していて、みな老いてしまいました。やっと福音を知ったのです。
 
・金宗正牧師を知っているでしょうか? 皆様で年齢が高い人は知っているでしょう。年齢70才を越えて亡くなりました。ある教団で大きい総会長だった方で、神学院に入学しました。体つきも総会長らしい方でしたが、神学院に入学しました。その方が言うことに、「柳先生。私がこの年齢迎えるようになるまでなぜ知らなかったのか? この福音を伝道も一度もできなくて教会に座っていて引退するようになったのが、残念です。」その年を召した方がすまないと言いながら神学院に入学なさったのです。年をとって亡くなったのに、教会をタラッパン伝道する教会に渡そうと、病院に横たわっていながらも、自分が死ぬことを考えないで正そうと努められたではないでしょうか? それを見たら、何かがある方だなと思いました。
 
・皆様が重要な理由を悟らねばなりません。単なる祈りではないのです。一生、生きてきながら年を取りながらこれが重要な答えです。キリストということを、単にイエス・キリスト、そのままこのように理解するのです。だから祈りもできなくて、現場も見えないのです。いまは精神病者があまりに多いのです。直すこともできない状態まできました。その状態が長くなりました。只事ではありません。私はそれを見たら、胸が痛くなるのですが、そのようなものを見てあざ笑う人もいます。真に残念なことです。タラッパンで重要な牧師達が、そのように話しました。タラッパンにこういう人々がたくさんくると、こういう方法で話をするので、何の話しもしなかったのですが、本当に時代も知らずに、福音も知らずに古くなったのです。教会が光を失ったのが、長くなってしまったということです。すでに精神病者がどれくらい多いかわかりません。行く所がありません。だからどこへ行くか、なにか照らしてくれる教会に来ようとしないのでしょうか。精神的に苦しめられる人が、教会を建てよう、世界福音化しよう、そのようなのに神経が行かないのです。行くことができません。それはすでに苦しめられて死ぬ時なのに、そのような状況です。だから、どれくらい重要でしょうか? キリストを本当に知っているのでしょうか? みな終わったのです。これで神様が私を呼ばれたのだなあ。
 
・パウロは、たくさん学んだ人です。パウロはそれまで福音なく誤っていた自分の人生に対する答を下ろしました。率直に、答えが出たと言ったのです。方法が正しいとか、正しくないとか、なるとか、ならないとかこういう話をします。それがなって、ならなくて、そのようなものがあるのでしょうか? この時から答えがきます。まちがいなく、答えがきます。プリスキラとアクラがそうです。本当に美しい人と美しい働きができる、こういう家庭にならなければなりません。そして、パウロが一番たくさん使った単語を知っているでしょうか。また頼んだ単語、ローマ16章で一回もすればいいのに 人ごとに述べた言葉があります。主にあって。主にある誰、主にある誰、そしてテモテに頼む時も、私の息子よ。主にある恵みの中で強くなりなさいと言いました。パウロが信仰告白する時、心配する人を見て、私に力を与えて下さるかたによって、どんなことでもできるのですと告白します。パウロが一番たくさん告白した言葉です。手紙を送りながらも、主にあって、皆様がキリストという話を本当に悟らなければなりません。この中にあるということは、相当な祝福が来るのですが、出会いの祝福、場所の祝福、産業の祝福がくるようになっています。キリストの中に本当にいるならば、まちがいなく、この答えがくるようになっています。皆様の家庭だけでなくて、多くの人を生かす、それ以前に本当に皆様が答えを受ける祝福があることを望みます。
 
・イエスを信じるということは、難しいことではありません。キリスト教を信じるということが、宗教を持つということではありません。神様の子どもになるのに、そこに対する理由を早く悟って、皆様の人生とすべての歴史と私達が持っている願いと「切なる痛みのような願い」をすぐ悟らねばならないではないでしょうか? そうしてこそ、解決します。私の場合はあまり 6.25(1950年朝鮮戦争)以後に教会が救済品を受ける場所でした。教会が米国の救済品をたくさん与えて、たくさんもらうので、あき缶が丘にたくさんありました。私は不思議に思いました。幼い時、それを見て、恥ずかしいという気がしたのです。幼い時、どうしてもらうのか? と思って、一度も並んでもらったこともありません。その時だけでも貧しい国なので、あき缶に下げて救済品を与えたのです。今の北朝鮮のように与えました。上げる時がなくて、教会を通じてくれたのです。それをもらおうと通った人が教会の半分以上です。すべてがそうだったと見ることができます。もらうって着たのを見れば、米国人の服が私たちに合うでしょうか? すると並んで立っていて、座っていれば格好を見て服を投げ掛けてもらえるのです。それを着ようと服を脱いだ人もいます。最も自分が必要とするという意味です。見ていて、本当に恥ずかしかったのです。
 
・そのようなものを見て、何が生じないのでしょうか? 私はクリスチャンの学生達、青年達がさ迷う姿を見るとそうです。これが今、福音を真っすぐ知らなければならないのに、難しいことでもないのに、皆様の家庭に考えてみなかったのでしょうか? 聖書のみことばを見なかったのでしょうか? 簡単なのです。キリストです。そうだとして、その中にいれば答えがくるようになっています。パウロとプリスキラ夫婦がコリントに到着して会ったのに、誰と会ったのでしょうか、伝道者同士で会ったのです。そして、神様が経済の祝福を注いでくださいました。来るしかありません。皆様、この祝福を本当に受けるように願います。 
 
・三番目です。その祝福を受けたのではなくて、これからは配偶者、子ども、そこに対する神様の計画を発見しました。皆様、信仰生活をよくするように願います。配偶者は私の所有物ではありません。神様の計画を発見すべきです。神様に対する計画を知らなければなりません。今、夫婦問題で追い出されました。なんの話かというと、プリスキラという人はローマ人で、夫はユダヤ人なのに、夫ゆえにユダヤ人という理由でフィラオディア皇帝の時、ローマから出て行けと追放されたのです。私たちはいくらでも誤って考えることができて、恨むことができます。国際結婚をした人です。アクラという人は、ユダヤ人であるゆえに追い出された所がコリントです。ここに神様の驚くべき計画がありました。
 
・二人が、夫婦以前にプリスキラに対する神様の計画とアクラに対する神様の計画をよく捜し出したのです。国際結婚した人達に困難な点も多かったでしょう。これを全部、神様の祝福として、一番に用いられる人になりました。あなたがたが今から家庭に祝福を受けた夫、妻になろうとするなら、必ずそのように考えるべきです。ここに自分の子どもがいるならば、自分の所有物ではありません。これは神様の計画ある贈り物です。そのように考えるべきです。自分のものだと思って、殴ったり、ある人は死ぬ時一緒に死ぬこともありますが、所有物ではないのです。夫が自分の所有物でなくて、妻が自分の所有物ではありません。この考えから変えるべきです。神様の計画がある息子であり、神様の計画がある娘です。それを確かにすべきです。そうしてこそ、正しく答えと祝福を受けることができます。私たち人々は、全部、肉体的な考えの他はしません。全部、肉体的です。霊的に神様に対したことはなくて、全部、肉体的です。ある人は、夫人を全然身動きができないようにします。なぜでしょうか? 自分のものだからです。ある女の人は、夫を動くことができできないようにします。なぜでしょうか? 自分のものなので、どうして自分のものなのでしょうか? 神様のものなのに。ものすごく誤った肉体的な考えを持っているので、世の中はどんどん問題がくるのです。この夫婦の特徴が、自分たちのことよりは、神様の計画を正しく知っていたのです。その程度で終わったのではありません。
 
・4番目に 18:4 パウロは安息日ごとに会堂で論じ、ユダヤ人とギリシヤ人を承服させようとした。私達がどの程度、祝福を受けねばならないでしょうか? 子孫を生かす程に、あなたがたが少なくとも、どの程度祝福されねばならないのでしょうか。会堂を生かす程です。私たち教会と家庭が、どれだけ祝福を受けねばならないでしょうか。会堂を生かす程に。レムナントを生かす程に。今、私が皆様に共同体訓練場を作ろうという話は、単なる話ではありません。これから、何年か過ぎたならば、何カ所にも立つはずです。約10年過ぎたならば、何百箇所にも立つはずです。このようにして、何をするのでしょうか。正しく私たちのレムナントを訓練させよう。そのような内容を 1部の時に話しました。今回の修練会の時も話すはずです。その立場に合うようにしなければなりません。皆様に本当にこの大きい祝福があることを希望します。どの程度にならなければならないか。会堂を生かす程に。プリスキラとアクラ夫婦がパウロと会って、4節を見れば「安息日ごとにパウロが会堂で講論して、ユダヤ人とギリシヤ人を承服させようとした。」今日、必ず記憶するように願います。私がどのように私たちの家庭と家族を生かすことができるでしょうか。簡単です。
 
・それを今、話しています。最初は本当にキリストを信じる重要な契約と理由と歴史を悟らなければなりません。すると、できていくのです。2番目は、キリストのなかで生きれば、皆様は出会いと経済と多くの場所の祝福が来るようになっています。そして、三つ目は、本当にあなたがたが家族を生かそうとすれば、家族は自分のものではありません。神様の子どもであり、贈り物です。それに目を開かれなければなりません。そうしてこそ、正しくなるのです。4番目は、皆様が会堂を生かす程に祝福を受けなければならないのです。ご飯をやっと食べる程度ではだめです。はじめから丹念に祈ることを望みます。私達が今、肉体的な生活がやっとできるような祝福を受けていてはなりません。会堂を生かす程に。レムナントを生かす程に祝福を受けなければならないのです。最後に記憶しなければなりません。重要なことは、この部分は、ローマまで行って死んでローマ福音化、世界福音化を終わりまでしたのです。この話は持続的な神様の祝福を正しく受けたということに間違いありません。今日、皆様が聖書のみことばを必ず記憶しなければなりません。また信徒が正しく理解しなければならないのです。これから、私たちの教会と福音を持った教会は、表に見えることは、霊的な問題を持った人々が来るはずです。こういう人々を私達が正しく癒してあげるべきです。皆様の中で霊的な問題に苦しめられる人がいるならば、本当に祈るように願います。
 
・一番目聖書から'身を慎み、目をさましていなさい。'と言いました。皆様が精神を整えて祈れば答えがきます。神様の子どもであるためです。これが最も重要なのです。まず、しっかりしなければなりません。'身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたけるししのように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。'と言われました。皆様が霊的な問題を持ってさ迷えば、しばしばやられてしまいます。学生達がそのように祈らなければなりません。私たちの父母にあった霊的な問題、韓国にあった霊的な問題が、私にすべてが来たなあ。私がこれで決断を出すはずです。'身を慎み、目をさましていなさい'がその話です。すると、答えられるようになっています。皆様が今から精神を整えて、霊的な戦いをすることを望みます。
 
 まちがいなく、勝利するようになっています。'蛇やさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を授けたのです。'と言われました。皆様これからそのまま越ごすのではなく、契約を捕まえて祈ることを願います。本当に祈れば答えがきます。
 
・1部礼拝の時、話をしたでしょう。「この種のものは、祈りによらなければ、何によっても追い出せるものではありません。」 と言われました。皆様に問題がきた時、少しも心配せずに契約を捕まえて勇気を持って祈れば良いのです。答えがくるようになっています。世の中の人々が出すそのような勇気とは違います。精神を整えて祈れば良いのです。私達がどのように生きていて良いのでしょうか? 神様に私達が正しく栄光を帰さなければならないと、精神を整えれば良いのです。精神を正しく整えれば、何の問題になる必要がありません。
 
・私が学生の時、勉強をしようとしたら、お金がなくて、時間がなくて難しかったのです。この時、人は下手すると崩れます。この時、私が精神を正しく整えました。ないことが正常です。私はこの時、機会をのがしてはならないと考えたのです。どんな機会でしょうか? 伝道現場に入っていって、レムナントを研究して、生かさなければ、この機会をのがしてはならない、と心を決めました。すると、どんなになくてもかまわないのです。なければ歩いて、そのまま通いました。難しいことはありません。'身を慎み、目をさましていなさい'開拓教会は、恐れないで。今回、牧師達に話しました。70ケ所弟子を立てる前に、タラッパンしたと言わないように。初代教会の時、70人を送って始まりました。ところが一度もしてみなくて、したと言っても良いでしょうか? 気落ちする資格もありません。牧師達に、してみたという話をしてはならないと言いました。私が影島に入っていってしっかりしたのです。ここは偶像崇拝が多い所だな。霊的な問題が深刻だな。この地域で私ができることが何でしょうか? 精神を整えて、この地域の図を置いて17ケ所分析をして、私が入っていくことができる所が30ケ所しかありませんでした。それ以上は、時間がありませんでした。それで、30ケ所に行って、本格的なみことば運動を開いたのです。ですから、何年しないうちにぱっとひっくり返ったのです。神様が答えられました。教会が復興せず、だめで、そのようなことは問題ではありません。神様が世界の門を開けられました。恵みです。私たちは出来ないのにもかかわらず、神様はなさいました。
 
・多くの教会が、福音がありませんでした。それで私は精神を整えて講壇で私たちの教会の信徒、子孫が福音に根を正しくおりるようにせねばならないと考えたのです。それで訓練を始めるようになりました。そして、今、霊的な問題を持った人が行く所がありません。これから、たくさん追い込まれてくるはずです。それで、あなたがたが精神を整えて祈るべきです。そして、より重要なことは、皆様個人に問題があるのではないでしょうか? 皆様の家庭、個人に問題があるのではないでしょうか? 戦いましょう! それを静かに置いておかないで。神様が戦いなさいと言われたではないでしょうか? 祈りなさいと言われたでしょう? 難しいという気がすれば、大きいという気がすれば、大きく戦いましょう。けんかでもそうではないでしょうか。少しだけ子どもが戦えば、軽くするので、戦い内容によって戦うのです。
 
・私が今年、大きい祝福を受けることを予想して、神様が私たちに奇跡を与えられることを予想するために、伝道合宿時代が開くために、私がだいぶ緊張しました。なぜなら、重要なことをする時ごとに紛争が起きたからです。それで、そのようなことを見ながら、私は祈りを多くしたのです。伝道合宿は、単なることではありません。いままで受けたあらゆる訓練は、全部、序論です。これから本物の弟子を捜し出します。することが伝道合宿です。ミッションホームを準備して、来月から始めます。神様が正確に答えを下さいました。私たちの教会の一名ずつ、一名ずつ弟子を探して、皆様ゆえに地域も生かされ、家系も生かされる祝福が明確にあるのです。今日、この契約を捕まえてくださることを願います。プリスキラ、アクラ夫婦のように、この契約を捕まえてくださることを願います。キリストに対する秘密とその理由を悟らねばなりません。なぜキリストでなければならないのでしょうか? その理由を悟らねばならないのです。それなら、そのなかで皆様が少しだけ考えて信仰生活すれば答えがきます。場所と産業と出会いの祝福がくるようになっています。 まちがいなく来ます。それならば、皆様の家庭、個人が神様の計画を発見するようになります。それなら成功します。その程度ではなく、これからは会堂を探して入って行くようになります。聖書を読んでみればプリスカ、アクラ夫婦が行く所ごとに驚くべき癒しのみわざが起きました。
 
・皆様、今週に少しの間でも精神を整えて祈っている途中で、皆様の個人、家庭の重要な問題が解決することを望みます。一昨日、ある長老に会ったのですが、その方はたいした人なのに、韓国で政治をしている途中で朴正煕大統領時代に捕まったのですが、その方だけ生きて米国に行きました。それで米国で新聞社をなさったのです。その方が私に会おうと来ました。その方が何年か前に癌にかかって、手術をしたのです。ところが癌になったのに生きたと言いました。私がどのように生きたのかと尋ねたら、自分が癌にかかったと考えないで、精神を真っすぐに整えたら、癌も逃げたと話しました。その人はそのような人です。何度かでも峠を越した人であるためです。
 
・私達が精神を真っすぐ整えるべきです。'身を謹み、目をさましていなさい 'それは、普通の話ではありません。皆様が本当に祈って、霊的な問題を押し倒すことを望みます。皆様が貧困に苦しめられるのでしょうか? なにか祈りで戦いましょう! 神様が答えられます。皆様が病気ゆえに苦しめられるのでしょうか? 戦いましょう! 神様が全てのものを答えてくださるとおっしゃったではないでしょうか?'わたしを呼べ 'と言われたではないでしょうか? そして'求めなさい。そうすれば与えられます''探しなさい。そうすれば見つかります''たたきなさい。そうすれば開かれます'と言われたではないでしょうか? 私はいままで祈ったのにその時であっても、過ぎてからであっても、答えがなかったことがありませんでした。
 
・それで、私たちの教会が祈らねばならない重要な時がきました。'神様、私たちに釜山、慶尚南道、全国を訓練する教会堂を下さい'と祈ることを望みます。神様の前で契約を捕まえて祈ることを望みます。これから私たち教会がチームで本格的に金曜日祈る時が来ました。契約を捕まえた人が祈れば、みわざが起きます。福音を捕まえた人が断食祈りをすれば奇跡がおきます。福音を悟った人が徹夜祈りをすればみわざが起きます。福音を悟った人が一致協力祈りをすれば、暗闇の勢力が崩れるようになっています。この契約を捕まえましょう。皆様一名ゆえに家庭が息をふきかえす祝福があることを主の御名でお祈りします。なんにも恐れず、主の御名で勝利することを主の御名でお祈りします。  
 
<<契約の祈り>>
 神様、多くの人々が家庭問題で心配しているのに、私達が家庭の月を迎えて、今日この方達ゆえに勝利の門が開かれるようにしてください。祈りの門が開くようにしてください。真に精神を整えて、身を慎んで、目をさまして祈っている途中で、霊的に勝利する神様の人になるようにしてください。家庭の問題が今日、崩れる時間になって、すべての霊的な問題が崩れる時間になって、レムナントにある問題が解決する時間になるようにしてください。米国とすべての先進国にある暗闇の勢力が、全部キリストの中で崩れるように、祈りの力を与えて下さい。このしもべ達が行く所ごとに、神様のみわざが起きるように、霊的な力を回復するようにしてください。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン