2003年 09月 7日 インマヌエル教会聖日メッセージ


1部 /バプテスマのヨハネの出生
 (ルカ1:57〜66)
 
 
・一つだけ良く理解すれば、全てのものが分かります。私がいつか一週間、ロシアを旅行したことがあります。もちろん、伝道集会をして回りました。一ケ所で続ければ良かったのですが、あちこちを回りました。一ケ所もみことばを正しくすることができなかったのですが、どんどん回りました。どうしようもなく祈りながら付いて回ったのです。ところが、私が感じたのは、この人々が私の説教を聞かないのです。この人々が、なぜ説教を聞かなかったのでしょうか。三日が過ぎたのに、説教を実際には聞かなかったのです。もちろん、通訳は間違うようにしていなかったのですが、通訳がどうでも説教を聞かなかったのです。聞くかのように集まるのに、実際には聞きませんでした。それで、私がなぜそうなのかと考えたのですが、三、四日過ぎながら分かりました。そこの韓国の人々がロシア語をより良くして、韓国語はできませんでした。たまに韓国語が良くできる人々がいます。自分たちの間で韓国語で話すことを聞きました。私たちを歓迎していませんでした。なぜそうなのかと思ったのですが、後ほど分かって、メッセージを変えたのです。来る団体ごとに、ロシアにくれば贈り物と色々な食べ物をトラックに積んで来るのに、この団体は持ってこないのです。なにか待っているのに、もらえないのです。私が大変な事になったなあと思いました。宣教をするのではなく、連れて回るのです。特に、私たち韓国人が伝道するのではなくて、連れて回っていました。いっそしないほうが良いくらい、異常にして回るのです。
 
・以前、北朝鮮から脱北して越えてきた人がいました。私達がその人に福音を伝えたのです。その人が福音をわかるか、わからないかもしれないという状況でした。その次の週に私たちを訪ねて来ました。すまないと言いながら、教会には通うことができないと言いました。なぜ教会に通えないのかとたずねたのです。その前の週に福音を聞いて良いと言ったのに、なぜそうなのかと尋ねたのです。他の教会に行くことになったと言いました。なぜそうなのかと尋ねたら、ある教会からきて、自分の家にたんすもくれ、うつわもくれたので、申し訳なくて、行かざるを得なくなったと言いました。分かりましたと言いました。そちらへ行きなさいと言ったのです。
 
・私がここで宣教をする時、ロシア宣教をしました。私が総務を選んだのではなくて、その総務が私を選択したのです。私たちの教会は小さかったのに、私たちを選択して、会長をしくださいと言いました。ロシアの人々を並べて、韓国に来たら、各教会を訪問します。教会訪問すれば、100人がきます。200人が来たら、石鹸、歯磨き粉、ストッキング、くつしたなどを準備するのです。もちろん、そのようにすれば、次の日の新聞に出ます。ロシアの人々をこのように見れば、船に乗って来た人々なのに、どの教会に行けば何をもらえるかにものすごく関心が多かったのです。それで、総務を話しました。「これをやめたらどうですか。平日に何をするか、こういうことを買うためにお手伝いせずに、平日に船に入っていって福音を伝えましょう。」どんなに説明をしてもだめでした。この人は、ロシアの人々の中に福音を植えるのではなくて、石鹸やストッキングを植えるのです。私たち韓国の人々は、回りながら福音をみな壊すのです。それで、私がどれくらい苦しかったか、その人にやめると言いました。ロシア宣教の会長をしないと言ったのです。なぜやめるのかとたずねられたのですが、とにかく、私はしないと言いました。そのようなことが初期にありました。
 
・来週が過ぎれば、宣教師を招きます。聖霊が働かれて、私の胸にある話しが彼らに伝達されることを希望します。そのように宣教するために助けるべきなのに、宣教にならないことをずっと助けるのです。すると、神様はそれをふさがれます。だから神様が金づるを防止されるのです。それで皆様に祝福をなさらないのです。皆様の目を大きく開いて見ましょう。泥棒をずっと助けるならば、泥棒はしないでも、泥棒とまったく同じです。皆様が北朝鮮から越えてきた金正日が送ったスパイをずっと助けるならば、スパイと全く同じことです。皆様が人を殺さなくても、人を殺した人をずっと手助けすれば、全く同じ人になります。じっとしていれば良いのですが、可能ならば、福音が伝えられないように努力するのです。もちろん、本人は知らずにいます。ところが、韓国教会はそのコンパニオンの役割をしているのです。神様が韓国教会を祝福されるはずがありません。それで、まず皆様の経済をふせがれるのです。悟れるでしょうか。それが次の聖日に宣教師を集めて、三日間、伝道訓練をしようと思います。どこから後援をしているか、誰が後援するのかをみな忘れてしまいましょう。だれに挨拶しにいくかをみな忘れてしまいましょう。神様の前に立ちましょう。本当に宣教地域を生かしましょう。そのような大会です。だから、祈らなければなりません。私が見るのには、死ぬか、生きるかという問題です。これゆえに神様は世界史をひっくり返したり、正すこともされるのです。皆様が本当に悟らなければなりません。それでこそ、聖書も正しく見えて、信仰生活も正しくなります。そうでなければ見せかけだけを続けるのです。
 
・はじめに報告があって、チャンシル体育館で一度集まろうと言われた時、簡単に話せば、何かを見せようということですが、必ずそのようにする必要があるだろうかと言いました。言わば、私達がすごいんだ。一度見なさい。こういうことなのですが、必ずそれをしなければならないかと思いました。私は可能なかぎり、下から持ってくることはOKします。それを置いてずっと祈ってみました。私がするなと言うならば、しないから祈ってみたのです。こういう考えをしました。聖書を見れば、イスラエルの民族が全部、みな集まって祈った時毎に、重要なことが行われました。過越の祭りにもそうで、紅海、エリコ、ヨルダン、事件の時ごとにみな集まったのです。サムエルもミツパで全部、集めておいて祈りました。ダビデもアラウナの打ち場に民を集めておいて祈りました。マルコのタラッパンにすべての信徒が集まって祈った時、神様が働かれたのです。そのような意味で見る時、かまわないと思いました。神様のみこころなのかも知れません。それで、すこしそのような心を持って集まらなければなりません。場所は一万何千名も入っていくことはできないけれど、何万名かは入るだろうと思います。私達が本当にこういう機会に心を集めて本当に祈らなければならないのです。
 
・皆様個人にも相当な答えの日になることを願います。それならば、今日、癒されて、病気がある人は病気もよくなって、霊的に大きい恵みを受ける、そのような日になることを願います。すべての宣教師、クリスチャンが信仰生活しながら、一番最初に目が開かれるべきことが何でしょうか。最初に目が開かなければならないことがあります。本当にこの世にある霊的問題がなにか。それが見えなければならないのです。それでこそ信仰しなければならない理由があって、ここに来る理由があるのです。うわべだけを見れば分かりません。現場に本当に入っていって見ると、サタンが存在していることを知るようになります。どんなに見ても、霊的にとても深刻になっていきつつあるのに、だからこのようなことがあると知るようになりました。それでなぜ福音でなければならず、福音の祝福がどれくらい大きいかを知るようになりました。それで、私は伝道をなぜすべきで、この祝福がどれくらい大きいかを知るようになったのです。本当にわかるならば、じっとしていてもみわざが起きます。これを本当にわかるならば、動く全てのものが祈りの答えになるはずです。私はそのような確信がきました。それなら、私が多くの牧師と全世界の教会に証拠を見せて、証人として立つはずです。福音の証拠程度ではありません。福音がどれくらい偉大なのかを証拠しなければなりません。それが私の使命です。それが私たちインマヌエル教会の使命です。今、全世界に散在したしもべの使命です。これから開かれなければなりません。これが開かれなかった人があまりに多いのです。だから、どんどんいろいろな問題の中に陥るのです。私達が正しく伝道をするのか、お金を儲けるのか、それもなくて口だけなのです。話だけで実行が伴なわないのです。ある人が言うのには、天国に行けば口だけがあるらしいのです。救われた条件で話だけで実行が伴なわないのです。そのような冗談を言いました。未信者が話すのに、クリスチャンが水に溺れて死ねば、何が浮かんでいるか知っているかとたずねました。何かと尋ねたら、口だと言いました。話しだけであって、何かすることがあるのでしょうか。福音を知っていれば、何かが変わるようになるはずです。じっとしていても答えを受けます。
 
・この福音は単なるものではありません。皆様が少しずつ少しずつ体験するはずです。神様がこのように私の人生を全体的に導かれたということを知るようになるはずです。この内容を知っていれば、そのようになるしかありません。それで初代教会を神様は祝福せざるをえなかったのです。なぜなら、パリサイ人は熱心に福音を防止していました。本人は知りませんでした。神様が福音のために、ユダヤ人のために、パリサイ人を裁かれるしかなかったのです。それでパリサイ人が滅びたのです。なぜ滅びたのかを知らずにいます。クリスチャンは、これを知っていなければなりません。皆様は祝福を受けざるをえない理由を知っていなければならないのです。それで私は、皆様に本当に証ししたい話があるならば、本当に伝道者を助けたことがあります。本当に伝道者を助けたら、神様はものすごく喜ばれたようです。あなたがたが、この伝道の祝福がどれくらい大きいかを知っていなければならないのです。
 
・全世界に霊的問題がきたのに、私達が話しだけで知らないのです。私達が伝道しながら見れば、このようなものだということを知るようになります。この目が開けば、その次の目が開きます。福音中心にすべての世界史が回ることを知るようになります。この目が開かれるのです。福音中心に世界史は回るんだな。神様が一時、なぜイスラエルを祝福なさったのか、神様がなぜマケドニアを祝福なさったのか、なぜギリシヤを祝福なさったのか、このギリシヤ語で翻訳された聖書が 4000種を越えます。ところが、神様がローマをあらかじめ祝福なさいました。ローマの人々は、自分たちがものすごいのだと思っていました。神様があらかじめ祝福なさったのでした。ローマの道を通じて、世界福音化の門をあけられました。だから、動かなかったら、戦争も起こされました。敵が侵犯したのが、ヨーロッパの福音化の門になりました。神様が一時、英国を祝福なさいました。詳細に見てみましょう。その後に福音の門が開いたのです。神様がドイツを祝福なさいました。詳細に見てみましょう。神様が米国を祝福なさいました。20世紀に宣教師を最もたくさん送った国が米国です。米国の人々は、今たいそう自信がありますが、神様が米国を通じて世界福音化をすることを捕まえたのです。20世紀を動かした経済人100人を選んだのですが、98人が米国から出てきました。すごいことではないでしょうか。そのようになるしかありません。皆様がよく見てくださるように願います。神様が韓国と少数民族の中にいる人を呼んで、福音運動を進行されています。この目が開く日、教会と教会史を見る目が開かれるのです。なぜ教会がしばしば困難にあったのでしょうか。すると、教会はいつ立ち上がるようになるのでしょうか。こういうことを簡単に理解するようになります。こういう部分が理解できれば、あなたがたの信仰生活を上手にやることができます。これができれば、その次の目が開くのです。それからは、時刻表を見る目が開かれます。では、このように、このようにせねばならないということです。聖書 66巻で成功した人々は、時刻表をよく見ました。無理に見たのではなく、目が開くのです。インマヌエル教会の聖徒たちは、バカでも知っているはずです。福音がないな、これから、どのようにしなければならないのかという目が開くはずです。この目を正しく開けて見た人がエリサベツとザカリヤ夫婦です。この時刻表に合せて誕生した人物がヨハネです。
 
・今日は、ヨハネの出生に対する簡単な記録です。この簡単な記録ですが、途方もない背景を持っています。それで、イエス様を見て '世の罪をとりのぞく神の小羊'だと一番最初に話をした人がヨハネです。したがう群衆が多いから、ついてくるなとイエスは盛んになり、私は衰えると言いました。その人がヨハネです。すこし生きて去って行きました。しかし、途方もない影響を与えたのです。今日の本文で、どのようにこの夫婦がこういう恵みを分かったのか、どうしてこういう大きい祝福を与えたのだろうかを見ましょう。これは、私たちとも関係があり、私たちの未来とも関係があります。簡単な2つのことを記憶しましょう。最初が恵みです。神様の恵みではないでしょうか。どのようにこれを知ったのでしょうか。皆様が実力で福音を理解したのでしょうか。そうではありません。ある人は、教会に熱心に通ったのですが、福音を知りません。ある人は、イエスを信じてみたいけれど信じることができません。なぜでしょうか?北朝鮮の金正日党書記の下にいるためです。私たちは自由国家ではないでしょうか。これも恵みです。ある人は、神様は異常だ。ある人は救されて、ある人は救われないのかと質問します。その話は、正しい話です。しかし、それが事実を変えることはできません。今、まちがいなくイスラム圏の人々は、救われずにいます。それは公平だ、そうではないと言うこと以前に、事実です。むかし、スターリンの下や金日成主席の下にいた人は、救われることができませんでした。それを見て、神様はなぜ不公平なのかと話すことはできません。私達が救われたことは恵みです。皆様、なぜ救いの福音を悟ったのでしょうか。これが恵みです。すべて悪霊文化にみな陥っているのに、それを教えない教会が多いのです。私達が恵みです。ところが、ここで信仰生活を長くした人がいます。
 
・こういう方達は分かるのです。今まで私が信仰生活をしてきたので、律法と福音が何だと区分しています。恐らく今、初めてイエスを信じる人は知らないでしょう。律法にやられたことがなくて知らないのです。とにかく恵みです。皆様が生まれたのに、偶像崇拝する家に生まれた子ども達がどれくらい多いでしょうか。子ども達の中で90%以上が偶像崇拝する家庭から生まれています。皆様の子どもが福音を持った教会に、福音を持った両親の下で育っているということが、どれくらい大きい恵みでしょうか。今、学生達の頭の中に入っていっていることは、絶対に抜けないのですが、この学生達の頭の中に福音がどんどん入っていっています。これがいかに恵みでしょうか。だから、これを恵みだと言うのです。そして、私達が行いで救われるのではなくて、信仰で救われたことでもなくて、恵みによって救われたのです。信仰によって、ザカリヤとエリサベツ夫婦が、こういう祝福を受けるようになったということは恵みです。それで私達が感謝するのです。なんの話なのか分かるでしょうか。知るほど感謝が深くなります。ある人は、献金しながら切実な心でします。ある人は献金をしながら涙を流しながらします。それは知っているからです。恵みを知っているほど、なにかが現れます。どれくらい大きい恵みでしょうか。ところが、もうひとつ知っていなければならないことは、この人たちは、これから福音を受けて味わって伝えることができる人だからです。今でも同じ意味です。
 
・やさしい例を話しましょう。エステルは、福音を伝える人に間違いありません。それで、過去の祝福を受けました。これからも、祝福を受けるはずです。それが基準です。私が福音を伝える人であることが確かならば、祝福なさるはずです。私が35坪の地下にいた時にしたお話です。役員の中で参加した人もいます。私がその方たちを見てメッセージではなく、個人的に座ってしたお話です。私が福音を伝える人であることが間違いないならば、神様は私たちの教会を祝福なさるはずで、あなたがたを祝福なさるはずです。正しいでしょう。福音を伝える人であることが間違いないならば。エリサベツとザカリヤ夫婦は、この福音を受けて理解して味わって伝達する人であったため、神様が最も貴重な祝福を下さったのです。
 
・もちろん最初は恵みです。今日以後に、皆様のすべての心配は完全に捨ててしまうように願います。捨てても良いのです。すると、「私の息子、私の夫がこのようにして良いだろうか。ある人は長老がそのようにして良いだろうか。」と思うでしょう。しかし、それは神様がなさるです。必要なければ神様がなさいます。なぜ神様の業務を遂行しようとするのでしょうか。いつその代理人を預かったのでしょうか。その権威をだれに受けたのでしょうか。私が見るには、この人が足りなく見えても、神様は必要なので置いておられるのです。皆様が見るのには、年をとった人を見て、なぜ亡くならないのかと思うでしょうけれど、神様が必要なので置いておかれるのです。私たちの親戚の中に、そのような人がいました。90才を越えたのに、死ななかったのです。私達が考えるのに、大してすることもないのになぜ生きているのかと思いました。より笑わせたことは、盲腸炎になったのですが、病院に行って見たら、手術ができないと言われました。90才を越えたゆえに、手術はできなくて、盲腸炎になったのです。このまま行って葬式を準備するほうがよいと言われました。連れて行ったのに、死にませんでした。それは神様の責任であって、私達がどのようにできるでしょうか。かと言って私達が殺すのでしょうか。それも神様の計画があるのです。
 
・なにがそんなに心配になるのでしょうか。あなたがたは神様の子どもであることが確かならば、心配もしないように。では、努力もするなという話かと尋ねるのですが、神様が努力するようにされます。あなたがたが、そのような部分は心配する必要もありません。誰が神様の計画を変えることができるのでしょうか。神様より強い者は誰でしょうか?いません。だから心配しないで。皆様を神様が伝道する人として呼ばれたことは確かです。私は他の心配をしています。神様が私たちの教会と教団を世界福音化に用いられるのですが、どのようにすれば、過程をよく踏んで行くことができるか。どのようにすれば、教理的に、神学的に無理なく進行して行くか。今、なくしたことを回復させられたのに、他の話しだと理解するのです。これをどのように説明を良くすることができるか。いままで神学者が現場に全く行かずに、現場の単語がわかることができないのです。これをどのように理解させるのか。それを心配しています。なぜでしょうか。まちがいなくなっていくためです。
 
・時々、私がここで始また時、大きい土地があれば訪ねて行きました。それは他の理由はありません。神様の計画ならば、ヨルダンに入る時に分かれました。紅海に入る時に分かれました。すると、神様のみこころならば、始まる時に神様が働かれるはずです。来たとたんワゴン車に乗って回りながら土地を訪ねて回るので、お金が多いとうわさが立ちました。何でお金が多いでしょうか。私がこの建物を見に行って、私たちの会計に私たちの教会の予算がどれくらいあるのかとたずねたのです。その時、マイナス30万円だと言われました。今、初めてする告白ですが、契約しておいて始めたのです。なぜなら、教会で話しすればできないからです。教会で話した時は、すでに話が終わっていた状態でした。私は必ずできるはずだという気がしていました。私は、私たちのものになるはずだという確信を持っていました。土地を耕す人は、尻に火がついたゆえに掘らざるをえなくて、私たちはここで 10年間、力を育てています。ここで多くの弟子を捜し出しました。また、機会が来れば攻撃します。エリコを回った時に崩れました。心配する必要はありません。私達が救われたことは神様の恵みです。しかし、私達が福音を伝える者であることが間違いないならば、心配する必要はありません。
 
・今日、バプテスマのヨハネ、ザカリヤ、エリサベツを見てそのように解釈できなければなりません。この人たちが、この大きい祝福を受けたことは恵みです。より重要なことは、この人たちが、福音を全世界に伝える人です。今でもまったく同じです。今から何の心配もする必要がありません。皆様の心配が神様のみことばを変えることはできません。どんなに皆様が話を良くしても、神様の計画を変えることはできないのです。律法と宗教が福音を変えることができないということです。この契約を捕まえる瞬間、皆様の事業には暗闇の勢力が崩れるはずです。考えてみましょう。サタンは確かに生きている存在なのに、皆様が揺れれば、後から目に見えないように皆様を揺さぶるのです。今まで統計で出てきました。交通事故を起こした人の統計を出したのです。帽子をかぶっている人、サングラスをかけた人が事故を多く起こすという統計が出てきました。なにを話すのでしょうか。旅行に行く時、浮かれていたということです。それで死ぬのです。おもに水泳に行って、水に溺れて死ぬ人は、遠くから来た人です。心が浮かれて死ぬのです。私達が信仰生活をする時、浮かれてする必要はありません。神様は変わりません。皆様の救いも変わらないのです。ただ注意すべきことがあるのです。目に見えないで生きている暗闇の存在は、皆様をどんどん触ります。利用される必要はありません。皆様が神様の子どもならば、まちがいなく救われます。皆様が神様の子どもで、福音を伝える者であるならば、まちがいできるようになります。私たちの教会が福音を伝える教会であることが間違いないならば、どんなに無能な人が集まっても大丈夫です。失敗者だけ総動員してもできるでしょう。そこに対する確信がないでしょうか。私は確信します。
 
・私は、教会史の勉強をしてみました。聖書を見たのです。私は福音に対する多くのことを研究しました。何ゆえに問題がきたのでしょうか。当然に、イスラエルに問題が来ざるをえなかったのです。それが発見できなければなりません。中世教会は当然に崩れざるをえなかったのです。こんにちの世界教会は、困難に会わざるをえなかったのです。それを早く悟らなければなりません。私はそれを識別しました。足りないのですが、福音運動をすべきです。今は開始にすぎません。今、皆様も開始するように願います。長老たちも、開始するように願います。私が全てのものを始めたのです。万歩計。なぜでしょうか?一万歩を一日に歩かなければならないからです。あらゆる新しい開始です。mp3。英語勉強の開始です。これを付けているので、チョン・ウンジュ総会長がなにかと尋ねました。私が年をとった人は知らないとおとなしく話しました。みな新世代は使っていると言いました。それは何かとたずねられました。総会長は欲が多くて、私がすることをみな同じようにします。英語の勉強をするのだと言いました。第2の開始です。テープなしで、数十個のファイルが入っていくのです。静かに耳に入れて通いさえすればよいのです。この人の性質がどれくらい急でしょうか。前にいる秘書になぜ私にこういうことあるがあると話さなかったのかと言いました。秘書がうろたえていました。こういうものがあるならば、話さなければと言うので、私が一つ買ってあげると話しました。いまは昼夜なく聞いて通っています。皆様も第 2の開始をしましょう。神様がなされないことがあるでしょうか。私は皆様を見る時、福音ゆえに集まった人であることが確かです。ある人が見ると、霊的問題を持った人が多くいると言います。力もないのにできるだろうかと言います。知らないのです。神様は、福音ゆえに皆様を呼ばれたことは確かです。
 
・皆様は、考えをすこし良くしてみましょう。タラントが100%確実な人々だけ役員にしたら、どのようになるでしょうか。教会はできても福音はだめです。皆様はよく知っていなければなりません。それで、神様がひとつずつ、ひとつずつして行かれるのです。正確にひとつずつ、ひとつずつ導いて行かれます。重要なことは隠して行かれるのです。この福音があまりに重要で、神様がバカみたいな私を呼んで、させられるのです。なぜでしょうか? 賢い人にさせれば、確かに違ったことをするからです。私は違ったことをする能力がありません。この働きだけをしなければならないのです。神様がさせられるのです。
 
・福音をどれくらい重要に考えているか知っているでしょうか。私はビビンパも食べません。混ぜてしまうと、何の味で食べるのでしょうか。私はご飯も別に、全部別に食べます。私は魚も塩を漬け込んで食べません。バカみたいな人々が、刺身を食べに行って、先に出てくる前菜料理をたくさん食べます。本物の魚は食べることができなくて行くのです。一度、私たちのメンバーと群山に行きました。その家で生きがよいと自信がある刺身を持って来なさいと言いました。ちょっと高いと言われました。金額を正さず、この家で自信を持っている料理で持って来なさいと言ったのです。そして、前菜は持ってくるなと言いました。刺身だけを持ってこいと言ったところ、こういう人は初めて見たと言いました。人々は、前菜をたくさん与えれば、とても喜ぶと言いました。田舎ではそうで、女性がそのようなことだと言ったら、そうだと言いました。女の人たちは、食べることも出来ず、たくさん与えれば喜ぶのです。その前に出した前菜はみなにせ物です。それを思い切り食べて、本物が出てくれば食べることができないのです。食べてもまずいのです。福音がどうなのでしょうか。本物の味を知らなければなりません。私は魚も醤油で味つけをします。正しい味を見なければなりません。先週、全羅道に行って話しました。全羅道に行くと、何でも美味いのです。どこに入っていっても良い程、美味いのです。ところが、問題は、なんでもよく混ぜておくことです。釜山ではチューオータンは、ドジョウの汁だけします。全羅道に行けば、チューオータンが美味いのです。ところがいろいろなものをみな入れています。
 
・しかし、福音はそのようにしてはなりません。混ざった福音にしてはなりません。あらましの福音にしてはならないのです。福音は確実で正確にしましょう。これが使命です。他のことは知らなくても、福音ひとつは正しく伝えられて行かなければならないではないでしょうか。私たちのレムナントに、福音ひとつだけ正しく伝えて、滅びないようにして行かなければならないのです。良いということをみな持って、福音だけ補充するのです。分かるでしょうか。祝福を受けてくださるように願います。あなたがたが、本当に悟るならば、あらゆることが解釈できるようになります。本当にわかって、教役者、長老達を見ましょう。違うように見えるはずです。大切に見えるはずです。私は集会に行って牧師が座っているのを見れば、知らずに座っているのを見れば、すごいように見えて、どのようにあのように祝福を受けたのだろうかと言いたいのです。大部分は知らずに座っています。メッセージが良い、聖書的だ、この程度でだけ理解するのです。
 
・皆様、このエリサベツ、ザカリヤ夫婦が誰なのか知っているでしょうか。単純に子どもを産んだのではありません。バプテスマのヨハネが誰なのか知っているでしょうか。皆様がこれをわかる瞬間に、他の部分まで答えが始まるはずです。私は主の名をかけて約束できます。皆様がこの契約を捕まえてくださることを主の御名で祝福します。インマヌエル・ソウル、蔚山、多くの地域教会、衛星で礼拝する教会に、この祝福があふれ出ることをイエスのお名前でお祈りします。
 
<<契約の祈り>>
 神様に感謝申し上げます。貴重な神様の人々を呼んでくださって感謝申し上げます。貴重なしもべを立てられた皆様に感謝申し上げます。世界福音化は誰も変えることができないことを感謝申し上げます。この隊列に立った神様の人々に、当然に祝福してくださることを信じます。残った生涯、だまされないように恵みを与えて下さい。残った生涯に、人前に立たないで、神様の前に立つように、恵みを増し加えてください。残った生涯、霊的に目覚めて世の中を見て、福音を持って行く主のしもべになるようにしてください。それで当然に肉体的な祝福を受ける主のしもべになるようにしてください。イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン 
 
 


2部 / 急な危機に処した時
 (詩52:1〜9)
 
 
・今日、この席には、私たちの学生の中で、韓国のテストで受賞した学生達が来ています。この学生達は、ほとんどみな学校でもそうで、私たちの訓練院でも人材です。この学生達が質問をいくつかしました。全体の学生達に必要だと思って、簡単にお話ししていきます。
 
・カン・ナヨンという学生がこういう質問をしました。この学生は順天女子高 2学年で、今回、最優秀賞を受けました。「福音を伝える機会がきて、この人に福音を伝えなければという気がするのに、また相手がこの話を受け入れない時、どのようにすべきでしょうか?」それで、私たちの聖書には、道端でする伝道もあるけれど、タラッパンで家で着実に集まりました。なぜなら、人々にはみな時刻表があるためです。そして、聞かないでいるから分からないのではありません。ある人は拒否しているようでも、むしろ受け入れているかもしれないのです。こういう部分は、心配を全くしないでも良いと思います。
 
・ユク・ヨンギという学生は富川という地域にいるのですが、この学生は囲碁がよくできます。たぶんプロの囲碁棋士になる希望があります。この学生がこういう質問をしました。「囲碁の現場で福音を宣べ伝えたいのですが、実際に良くできません。さて伝えようとすると、適用が良くできません。どのようにすれば良いのでしょうか?」と助言を頼みました。こういう部分は、本当に心配しないでも良いのです。碁を打つ時、緊張した状態で福音を伝えることはできません。ユク・ヨンギ学生が囲碁棋士として成功すれば、伝道の門がたくさん開くはずです。そして、少しだけ時間が過ぎるならば、他の人がこの学生には何か違ったものがあるということを知るようになります。学生であるゆえに、こういう心配はしないでも良いのです。
 
・釜山から来た学生イ・タハという学生が、留学に対する質問をしました。ここに対しては与えるみことばがあります。留学する学生は、ものすごく慎重にすべきです。私が知っていることでは、半分以上の学生が留学して失敗して帰ってくるのです。自分自身に対する正確な答を探し出さなければならないのですが、それが重要です。まず、学生達を紹介する商売人とか、学校側で勤める人とか、留学現場の教会でする話を聞いてはだめです。その人々は、あなたがたを学校に誘致するために、無条件で来なさいと言うはずです。またその人々は、皆様が来れば教会に有益のために、牧師は無条件で来なさいと言うはずです。皆様が一名行くことによって、お手伝いする商売人はお金を儲けるために、無条件に行きなさいと言うでしょう。さっき私たちキム・イルコン牧師に言ったのですが、1.5世、2世で留学に行く学生達を集めて、一ケ月に一度程度は合宿をするべきだと言いました。やさしく話すと、このような人々の話を聞くことが一番正確です。この人たちは、商売人ではなくて、米国で勉強した学生です。ある場合には、留学に早く行くことも、ゆっくり行くことも利益があります。例えば私たちのキム・イルコン牧師や、シン・ナンホ牧師は、基盤を堅くしておいて行かなければならないのです。それが学科によってまた違います。そのようなことゆえに、皆様がものすごく重要にしなければならないのです。私たち本部では、早くこれを試みなければなりません。今、1.5世、2世たちが、私たちの韓国にたくさんきています。これから継続してくるでしょう。こういう学生達を集めて、恵みを受けるようにさせなければなりません。そして、これから私たちの留学する学生達もどうせ行かなければならないので、この学生達がどうやって行くのが良いのか知るようにさせなければならないのです。良い質問をしたと思います。
 
・富川から来たチェ・アルンという学生が、絶対に環境にだまされてはならないと言われましたが、ここに対する答えをくださいと言いました。話す言葉が多いのですが、学生達は早く判断せず、良く見るのが良いのです。これは、学生達にだけ該当する話ではありません。現場も、言葉も、仕事も詳細に見ることが本当に重要です。詳細に見なさいということは、深く見なさいということではありません。ほとんどみなそうではないのに、早く判断して、早く倒れて、早く誤解するのです。私たち学生達は、そのような部分に気を付けなければならないのです。
 
・キム・セワンという学生がこういう質問をしました。学業がむずかしいです。祈りが良くできません。不信仰がなくなりません。こういう質問をしました。私は、この学生がこういう質問をしたということ自体が、成功している学生だと思います。大部分の学生達は、こういう質問をしません。知らずにいるのです。自分が不信仰に陥っているのも知らずにいます。この学生は、こういう質問をしたということ自体が、これが祈りであるゆえに、神様が答えを下さるはずです。
 
・蔚山のシン・ウンイは、先生がレムナント七人を説明なさったのに、なぜ女性はいないのですか? 私もそう思って、エステルを入れてみようかと考えました。ところが捕虜になった時代に最も大きい人物といえば、エステルではありません。エステルが最も大きい人物でないのに、その時代にわざわざ女性として入れることは、性差別なので入れませんでした。公正にしたためです。その当時の最高の人物だけを選びました。その当時の最高の人物が、女性がいたならば入れたのです。残念に考えず、これから重要な女性のレムナントになることを望みます。カン・ウングという学生は質問がないと言いました。すると私も言うことはありません。
 
・今日、学生達が質問した内容を今日の聖書本文から答をさがせば良いでしょう。ダビデが急な状況で言った内容です。どの程度、急な状況かというと、ダビデの生涯の中で一番困難であったのです。その時、記録しました。聖徒たちが、こういう貴重な時間に参加しましたが、まず理解すべきことがあります。なぜ人々が悪くなって、良いダビデを殺そうとするのでしょうか? それから理解しなければなりません。結論は、それしか仕方がないのです。神様を知らない人、福音を知らない人々を生かそうと苦闘するのに、敵が現れて殺そうとするのです。私たち学生達や聖徒たちは、世に出て生きながら気落ちしてはだめです。それから違っているのです。なぜそのように占いをたくさんするのでしょうか? 悪魔の子どもが占うのに、どうすべきでしょうか? 占うしかありません。仮りに、この場の皆様で救われていなかったなら、運命にそのまま引っ掛かります。当然の話です。止むを得ないことです。それで、私達がどれくらい大きい祝福を受けたのか知っていなければなりません。今日、皆様は神様のみことばを見ながら、ダビデが困難にあっているのですが、どんな困難に会ったのでしょうか? を見ましょう。
 
・これを知る前にまず知らなければならない最初が何でしょうか? この悪い者の仕業は、それしか仕方がないということです。イエス様がこのように診断なさいました。未信者を見て、あなたがたの父である悪魔、あなたは悪魔に属していると言われました。もし皆様に理解できなくても、それは止むを得ないのです。この世に最も解答であるキリストが、そのようにおっしゃられたのです。ヨハネの福音書8章 44節に、正確にそのようにおっしゃられたのです。あなたは悪魔に属している。悪魔はうそつき、嘘の父です。そこにだまされているのです。それで2番目についてくることが、偶像崇拝です。三番目についてくることは、精神的な問題です。心の病気、精神病がきます。それからついてくることが、肉体的な問題です。その次についてくることが、家庭が破壊することです。最後には、来世に地獄へ行くのです。聖書にそのように説明されています。止むを得ません。それで、神様が私たちを救いだしたと言われました。'私達がまだ罪人であった時、キリストが十字架で死んでくださることによって、神様が私たちに対する自らの愛を明らかにされました' それでできないことを知って、誰でも主の名を呼ぶ者は救われるのです。誰でもイエスの名前を呼ぶ者は、恥にあいません。なぜそうなのでしょうか? できないために。これが人間です。皆様、これから知っていなければなりません。
 
・驚くべき事が行われました。ゴリヤテが攻めてきました。イスラエル全体がぶるぶる震えていたのです。それを知って、ダビデが行って打ち破ったのです。皆様、よく知っているでしょう。ダビデは自信がありました。石をよく投げるので、ゴリヤテに勝つ自信があったのです。ところが、想像外の事が起きたのです。幼いダビデが、いきなりゴリヤテを打ち破ってしまいました。だから世の中がひっくり返ったのでした。世界で最高のゴリヤテ将軍が死にました。誰が殺したのでしょうか? 少年ダビデが殺したのです。エッサイの息子なのですが、その人はベツレヘムの少年です。この頃の話で言えば、スターになったのです。この時から問題がきました。行く所ごとにダビデを見て、サウルは千ならば、ダビデは万だと言われました。本人も知らずに、ダビデは英雄になったのでした。この時、聖書のIサムエル18章を見ると、サウル王の心に悪霊が入っていきました。突然にダビデを見て、槍を投げつけたのです。サウル王は、元々将軍です。ところが、ダビデも元々、からだがとても素早い青年です。連続して槍が2度飛んできたのに、みな避けました。その時、ダビデがおかしいと思ったのです。その時、ダビデは既にサウルの娘婿でした。王がなぜそうなのか? だいたい感づいたのですが、その時からダビデは困難を迎えたのです。Iサムエル19章にダビデが賛美を良くして、サウル王のために王宮で琴を弾いていたのに、その時、またサウルが槍を投げました。ダビデが果してからだは早かったのです。獅子とともに戦って勝ったから、それを避けました。この時からダビデは極度の困難を迎えたのです。ある日、サウル王が自分の娘を呼んで、「あなたの夫が生きている以上、我家の王孫は途絶える。あなたの兄さんのヨナタンが王になるべきなのに、ダビデがいればダビデが王になる。ダビデを殺さなければならない。」とサウル王が話しました。実際にあったことです。娘に殺そうと説得しました。今夜に刺客を送る。そのように思っていなさい。その日の夜にダビデが寝ているのに、軍人が入ってきました。ところが、ダビデの奥さんが悩んだのです。父を生かすか? 夫を生かすか? 父の言葉通り夫が死ぬようにしなければならないか? でなければ、父の話を拒んで夫に話をせねばならないか? 人一名が不信仰者になって、悪霊が入っていくと、このように難しい事がたくさん生じます。皆様、世の中を見て、あまり良くても見ず、気落ちもしないようにしましょう。世の中は、みなそのようなことです。人々はほとんどみなそうです。娘は、どのようにしたでしょうか? 夫側を選んだのです。今夜に刺客が来るはずだから逃げて下さいと。その程度ではなくて、ダビデのような人形を作って、寝台に横にしておきました。夜に刺客が入って刺して殺したら、ダビデではありませんでした。サウル王は、より狂いました。ダビデを殺そうとするのに、その時、ヨナタンがダビデを手助けしました。「私が入っていって父に話す。」ヨナタンは、本当にたいした人です。自分の父サウル王に話しました。「ダビデを殺してはだめです。ダビデは私よりはるかに立派です。我が国を生かそうとするなら、ダビデが王にならなければならない。ダビデを育てるべきです。」それが通じませんでした。それで、二人でサインをしました。「私が父を説得してみて出来なければ、矢を遠く射つ。すると、あなたは遠くに逃げなさい。私が仮りに矢を近くに射てば、父を説得したことだと思って来なさい」ヨナタンがダビデと約束したのです。ところが、話しが通じませんでした。それで、ヨナタンは矢を遠くに射ちました。「今速く逃げなさい。父の精神が異常で、あなたを殺そうとするので、速く逃げなさい。」林の中でダビデとヨナタンが最後に抱き合って、挨拶して別れました。ダビデがこのようにして逃げる所がありませんでした。国全体に王名で手配されたのです。それで、どこに逃亡したでしょうか? 神殿に逃げました。言わばその時は、神殿が完全ではないから、大祭司長がいる所に逃げたのです。そこに行ってダビデが話をしたのです。「私がとてもおなかが空いています。食べるものをちょっとください。」だから祭司長アヒメレクが、元々、祭司長だけ食べなければならない聖別されたパンを、あなたが食べてはだめだけれど食べなさいと与えました。その後にダビデが、手に持っているものがないから、武器がありませんでした。誰かが私を害しようとすれば避けねばならないから、武器を一つくださいと言いました。よりによって、その時、むかしにあなたがゴリヤテに勝って奪い取った刀、それが神殿に保管されているので持って行きなさいと与えました。これを王が知ったのです。これを告発して至った人が誰かというと、ドメクという人です。本当に世の中は怖いではないでしょうか? サウル王が命令を出して、預言者 85人を殺しました。その事件のためにです。祭司長がダビデにパンを与えたという理由で、彼を生かして刀を与えたという理由で、祭司長 80何人を殺したのでした。
 
・こういう事が連続して迫りました。ダビデがその時、また逃亡しました。行く所がありませんでした。国内には住む所がありませんでした。こういう困難をダビデが受けたのです。皆様が困難にあっても、どれだけやられたでしょうか? 私たち学生達が困難を受けなさいということではありません。覚悟しなければなりません。世の中は良いことはないけれど、すごいのです。逃げる所がなければ、どのようにすべきでしょうか? 逃げる所がなければ天に上がったり、地におりて行かなければならないのに、どこに行かなければならないでしょうか? これでダビデが国境を越えました。国境を越えて行ったのが、皆様がおわかりの通り、ゴリヤテが住んでいたペリシテ、ゴリヤテの故郷へ行きました。その時、王の名がアキシュでした。ところが感づいたのです。このペリシテの人々がじっとしているでしょうか? 「ダビデがきた。今、サウル王から逃げてきた。このダビデは、イスラエル王になるはずなのに、それを知ってサウル王が殺そうとしている。ところが、むかしにわが国で最高のゴリヤテを殺した将軍だ。」日本の言葉でやさしく言うならば、飛んで火にいる夏の虫になったのです。「これを生かしておいてはだめです。チャンスがきた」このようになりました。ダビデが逃げたのに、またそのようになってしまったのです。ところがその話をダビデが聞きました。皆様がおわかりの通り、その時、どのようにしたでしょうか?
 
・ダビデが瞬間的に頭を使いました。ひげによだれを垂らして、目を異常にさせました。そして、おかしな話をしました。それが簡単なことではないのに、ダビデは演技がとても上手でした。だから、アキシュ王が、ダビデは気違いになったと考えたのです。この狂った人に何の価値があるか、連れてくる必要はないから追い出せと言いました。精神が狂ったと思ってダビデを送ってしまいました。このようにして、ダビデは抜け出てきました。その本文の記録です。詩篇 52篇です。本当に驚くべきことです。このように困難にずっと会ったのです。
 
・エンゲディの洞穴に隠れていたら、サウル王が軍隊を連れて捕まえに来たのでした。ダビデがこれから行く所がありませんでした。洞窟の中に隠れていたら、王は何千名でも連れてダビデを捕まえに来たのでした。レムナントは、記憶するように願います。神様の人はどんなに困難にあってもかまわないのです。それを説明することです。伝道者は、どんなに困難にあってもかまいません。今、それを説明しています。ダビデぐらい困難にあった人は、それほどいないでしょう。この洞窟の中に隠れていたら、王がまた捕まえに来たのでした。そのような、ある瞬間にサウル王が洞窟の中に入って来たのでした。なぜ入っていったのでしょうか? 色々な説が多くあります。ある人は休もうと入ったと言いますし、ある人は眠りにいった、おしっこをしに行ったなど、色々な説があります。私が考える時のには、寝るために入っていったと思います。明るい所にいて穴に入っていけば、中があまり良く見えません。それが幸いです。もし目に見えたとするなら、軍人がみな入ってダビデを殺したでしょう。明るい所にいて洞窟の中に入っていくと、見えなくて王がそちらに横になったのでした。その時、ダビデが刀を抜いたのです。そして、どのようにしたでしょうか? 王が着ていた特別な服を切ったのでした。そして、待ちながら祈っていました。睡眠をとってサウル王が行こうとしました。ダビデがどれくらい大胆かというと、サウル王が行けば静かにいなければならないのに、サウル王を呼んだのでした。王様と呼ばないで、父よと呼びました。洞窟の中で寝て出てくるのに、ダビデが父よと呼べばどうでしょうか? サウルが、誰か? ダビデでないかといって話しました。父よ。これは誰の服ですか?と話しました。私は父を殺すことができます。ところが、私がどのように父を殺しますか? なぜ父は私を殺そうとしますか? とダビデが話しました。だからサウル王が感動して、泣きながら、あなたは本当に立派だなといって称賛しました。神様が君に祝福するはずだと話しました。そして、サウル王は帰りました。戻ってから、また悪霊が入って、心がまた変わったのです。本当にダビデは苦労を多くしました。
 
・ハキラという山でダビデを殺そうとサウル王が軍隊を連れてきました。夜にサウル王が寝ていたのですが、そばに警護員が守っていました。ところが、ダビデがどのようにしたでしょうか? うとうとしている警護員の槍と水桶と奪ってきたのでした。朝起きて、サウル王が行こうとするのに、ダビデがまた呼んだでしょう? これが誰の槍と水桶ですかと尋ねました。それをなぜあなたが持っているかと聞きます。このようにまで努力したのに、サウル王は変わりませんでした。ところが、皆様がよく記憶しなければなりません。
 
・2番目に知っていなければならないことがあります。神様の民は確かに失敗しません。ダビデは確信があったのです。神様が自分の中に片手には技術を、片手には信仰を下さったと話しました。ダビデが幼い時に持った悟りでした。今日質問したレムナントが悟ることを望みます。片手には信仰を、片手には機能を持つように願います。それが 詩篇 78篇71-72節です。私たちレムナントは、記憶することを願います。片手には福音を、片手には学業を捕まえるように願います。片手には霊的な知識を、片手には世の中の知識を準備するように願います。ダビデがこれを揃えたのでした。だから、どれくらい驚くべきことでしょうか?
 
・ダビデは既に幼い時に王になることを知っていました。ダビデの確信です。ゴリヤテに会った時、何と話したでしょうか? お前は刀、槍、投げやりを持って出てきたが、私は万軍の主の御名を持って出てきたと話しました。全世界に主なる神様が真の神様であることを証しすると話しました。人間の命は、刀にあるのではなく、神様の御手にあることを証しすると話しました。どれくらい確信があれば、こう話すでしょうか? 実際にあったことです。作り出したことではありません。ダビデが追われて死ぬ危機に会った時に、何だと話したでしょうか? それが詩篇 23篇です。主は私の羊飼い。私は乏しいことはありません。私はなんの問題もないのです。
 
・この信仰がどれくらいすごいでしょうか? 私が死の陰の谷を歩いても、災いを恐れません。主が私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖。それが私の慰めです。今日、一人ももれなく、この信仰と確信を持って行くように願います。なぜなら、間違いない事実であるためです。もしかして、信じない人々がここにいるでしょうか? 皆様の命も神様の御手にあります。これがダビデの確信です。
 
・皆様、これから終わりの時代に信仰が揺れれば大変なことになります。米国や世界にいる私たちレムナントが、信仰が揺れれば大変なことになります。これからの時代は大変なことになります。なぜ米国に、ヨーロッパに家庭がみな崩れて精神病者が多いのか知っているでしょうか? これから大変なことになるでしょう。だから、ダビデは揺れませんでした。これを見れば、どのように、このようなことがあるのかという気がします。実際にいた人物なのに、神様を知っていれば、驚くべき事だなという気がします。神様は皆様が危機に会う時に力を与えられるのです。絶対にだまされないように願います。
 
・来週に出てきます。愚かな者はその心に神様がいないと言う。ところが、ダビデは王になっても、どのようにしたでしょうか? 私たちを大きいようにするのは主なる神。私たちを小さくするのも主なる神さまです。私達が力を尽くして神殿を建てようと話しました。これがダビデの願いでした。サウル王とは質が違ったのです。サウル王は、どのようにすれば私が王を長くできるだろうか? ダビデは、どのようにすれば王が問題ではなくて、神様に栄光を帰すことができるかでした。韓国にこういう政治家が出てくれば、本当に良いでしょう。皆様の人生は、そのようにやさしいものではありません。
 
・ダビデが年を取りました。臣下の関心は、次の王は誰にするかでした。私達が神様に栄光を帰して、ダビデ王のためにどのように献身をするかではなくて、次の王はだれかにするかだけに関心がありました。このように、悪い臣下が起こったのでした。それで、悪い息子アブシャロムを説得しました。ダビデ王が寝ている時に、軍隊が攻めてきたのでした。ダビデ王を殺して王宮を占領したのが、ダビデの息子でした。驚いたのです。しかし、ダビデは全くうろたえませんでした。下の人々と共に裸足で逃げました。ギデオン川を裸足で歩いて、山に逃げたのです。そばに警護員何名かを連れて行きました。ところが、このダビデがたいした人物でした。自分の息子を殺さないで、逃げ続けたのです。息子と戦えば殺さなければならないでしょう? それで、息子を殺さないように逃げて回ったのです。行く時に、シムイという人がダビデを呪いました。ダビデはこれで終わりだと思ったのでした。王を見て呪いました。そばにいた警護員がすぐに殺そうと刀を抜いたのですが、ダビデが止めました。神様がさせることではないだろうかと話しました。ダビデが言った言葉です。私の息子も私に敵対するのに、ましてシムイがしないだろうか? 神様が私たちをご存知であって、恵みをくださるだろう。ダビデの信仰を見ながら、この人は本当に神様を信じる人だなという気がしました。
 
・戦争は終わりました。父に敵対したアブシャロムは、どのように死んだでしょうか? むかしには、王族は髪の毛を長くしたでしょう。馬に乗って行って行くときに、アブシャロムの髪の毛が木に引っ掛かったのでした。髪の毛が引っ掛かって、からまって引っ掛かったのである. 釣りする方達は知っているはずです。釣りひもが妙に引っ掛かります。アブシャロムの髪の毛が木に引っ掛かって、馬だけ行ってアブシャロムの頭は木に引っ掛かったのです。だから軍人がアブシャロムの頭を切ったのでした。ダビデはまた王宮に帰ってくるようになりました。アブシャロムゆえにダビデが号泣して、とても胸を痛めたという記録が聖書にあります。ダビデの確信です。
 
・レムナントの皆様と聖徒の皆様は、揺れないように願います。福音を持った者、神様の子どもは滅びません。とても簡単です。教会に通う人達の中に滅びる人が多いではないと言うでしょう。福音がないからです。 神様の子どもは絶対に崩れません。
 
・三番目に記憶せねばならないことが、ダビデがこの時、祝福をみな受けたのです。少なくとも、この時、3つのことが準備されました。祈るようになりました。皆様が一生を生きていく間に、一日だけ正しく祈るとしても答えを受けます。ダビデが本当に祈るようになりました。その間に、本物の正しい臣下は、全部ダビデに集まるようになりました。その間に、すべての民の心がダビデに向かうようになったのです。ダビデが王になるやいなや、政治をするのがとても簡単になりました。全てのものは、神様が準備されたのでした。
 
・詩篇 52篇8節を見てください。「しかし、この私は、神の家にあるおい茂るオリーブの木のようだ。私は、世々限りなく、神の恵みに拠り頼む。」オリーブの木を知っていますか? 多くの所に使われますが、3つの用途で使用されます。食用で使うオリーブ油が最高です。ある人々は、それを食べれば癌にならないと言う程です。また、オリーブ油はそれだけ使用するのではなくて、明かりをつける時も使用します。その程度ではなくて、病気になった時に傷にも塗ります。
 
・あなたがたが世の中に行く前に必ずいくつかを持って行かなければなりません。この世の開始と終わりが 何かを知っていなければなりません。気落ちする必要もなくて、うらやましがる必要もありません。皆様は詳細に見ればよいのです。私たちは、2番目に救いの祝福と神様の計画が何かを知っていなければなりません。分かってから世の中に行かなければなりません。そして三番目に祈りの秘密を持って行かなければならないのです。聖徒達にお願いします。3つのことを知って行くように願います。世の人たちが、なぜあのように苦労して生きて死ぬのか? 神様が人間に与えられた福音は何か? それなら、私がこの世の中で生きなければならないのに、どのように祈りの答えを受けるのか? ダビデのようにすれば良いのです。すると、皆様は答えの門がずっと開くはずです。あなたがたが、いまだに悟りがないならば、聖書をよく見るように願います。そして、世の中のそとをよく見るように願います。何にも心配する必要がないのです。
 
・私は今日、国会議員のすべての方達と会ったことより、この席にきたことがより一層祝福であることだと確信します。その方も大切だけれど、その方と私がそれほど重要なことはありません。今日、あなたがたが霊的な秘密を理解するならば、今日この席で礼拝することは、私が途方もないお金を儲けたより貴重な1時間です。私たちの町で小さな教会ができました。みな教会に通ったのですが、止めました。いままで教会に通っていた家が我家です。神様が我家を祝福なさいました。本当に驚くべきことです。
 
・私は福音を知る前には、私の特技がけんかでした。福音を知ってからは、けんかをする必要がありません。祈ればよいからです。私の昔の特技がけんかだったのです。私を見てけんかを仕掛けた人がいるのですが、私の特技がけんかでした。けんかする方法を知らないなら、けんかを仕掛けないように。私はけんかをふっかけることが特技だったのです。私のためにチョ・エンテ牧師は死ぬほどの苦労をしました。けんかをすることを止めなさいと言ったのです。私はむかし、けんかする所がないだろうかと訪ね歩きました。イエスを信じたら、けんかすることがありません。何ゆえにけんかをするのでしょうか。ところが、信仰生活をしていると、本当におかしな人々が多いのです。サウル王のような人があまりに多いのです。信仰生活するのに、見るとこのような人がとても多いのです。祈りました。神様がみな解決してくださいました。もしかしたら、自慢になって人に害を与えるかと思って口に出して言えません。
 
・大きく3つだけ悟れば良いのです。この世を本当に知っているでしょうか。悟れば簡単です。行く所ごとにかばんがあります。あまりに多くて持って通うことが大変なので、置いています。かばんの中には、必ず必需品が入っています。そこにはローションもあって、ドライヤーもあります。私が光州に行くときに、ドライヤーをひとつ買いに行ったのですが、金海の前のみずぼらしい町で行きました。ドライヤーをひとつくださいと言いました。出したドライヤーが、110, 220V用を買わなければならないのに、110Vにだけさすようになっていました。私が 220/110V 共用をくださいと言いました。この女の人が顔色ひとつ変えずに、この頃はそのようなものは出ないと言いました。正確に話さなければなりません。うちの店にはそれがないと言うべきでしょう。全く顔も赤らめずに、この頃はそのようなものは出ていないと言いました。商売人がそうなのです。すべてではありませんが、そのような方法です。それを話そうということではなくて、これが世の中です。世の中がそうなのです。私たち学生達がこういうことを信じて大きな事をしようとするならば大変です。世の中をよく見ましょう。占おうと通って、霊的問題がこざるをえません。サタンの力の下にいるためです。正確に知っていなければなりません。世の中を恐れる必要もなくて、かと言って見くびる必要もありません。ダビデのように見ましょう。すると良いのです。すると事実的に真剣に見ればよいのです。それで私が何の話しもせずに出てきました。話す必要はないのです。
 
・あなたがたが2番目に見るべきことが、本当に福音の中にある驚くべき祝福です。皆様は知らずにいるのです。皆様が行く所ごとに暗闇の勢力が崩れるという事実です。皆様が行く所ごとに天の軍隊が動員されるという事実です。それなら、今日、礼拝をささげるこのみことばが答えでくるという事実です。それが祈りです。それで他の人はみな遊びに行ったのに、皆様はここにきたのです。悟った人がきたのです。そうでなければ、非常に傷を受けた人がきています。今、悩みです。私たちは大丈夫なのですが、週5日になれば、外側にみな行くはずです。だから遊んで、こういう業者はうれしくて、教会はみなしかめ面をして心配していると新聞に出ていました。私たちの教会は、そのような心配をする必要はありません。私たちタラッパンは、そのような心配をする必要はありません。たぶんここにいる人は山へ行けば、そちらへ訪ねてくるはずです。なぜでしょうか?なにかを知っている人であるためです。聞いて伝えなければだめなことを知っている人です。聖書のみことばでは、この話は聞かなければできないからです。
 
・皆様がいつ信仰生活になるのでしょうか。神様が私にみことばを下さって、答えが来るのだな。このようになってこそ、信仰生活になります。そうでなければ、未信者と同じです。世の中が何う、福音が何か、簡単に理解できなければなりません。すると、聖日にささげる礼拝が何でしょうか。ものすごいのです。ある時は、集会に通うのが嫌いなことがあります。皆様、私の夢は素朴です。大きいことではありません。私の夢が何か知っているでしょうか。二日間ほど、なんの考えもなしで海辺に座っていれば良いのです。私の夢は、それくらいです。みなあるのに必要なことがあるでしょうか。やりたくなくなります。土曜日なればいやになります。土曜日の明け方から夜まで。そうかと言って、日曜に休むでしょうか。だから、するのがいやな心になります。このような時は、大邱に行かず、海辺に行って休めばどれくらい良いかと思います。すべての敵をみな捨てて行くということです。人も必要なくて、すべての敵もみな置いて行くということです。こういう考えにしばしばなります。その時ごとに、違うと思います。これがどのようなことでしょうか?霊的戦いではないか。伝道者が待っている。今、私たちのレムナントが待っていないか。行く所ごとに暗闇の勢力が崩れているではないか。その時ごとに、答えを受けます。本当に理解するならば、驚くべきことです。本当に理解するならば、職場、現場、すべての所に答えがき始めます。簡単に話せば、ダビデがこれを知っていたのです。それで勝ったのです。今日、あなたがたが、この祝福をそのまま回復することを希望します。私たちレムナントが、全部、回復する日になることを願います。全世界のレムナントに神様の祝福があることをイエスの御名でお祈りします。
 
<<契約の祈り>>
 神様に感謝申し上げます。神様のみことば、そのまま成就する恵みを与えて下さい。世の中を生かす答えを与えて下さい。霊的問題を解決する恵みを与えて下さい。福音の秘密を味わうようにさせてください。イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン