2004年 6月 ミッションホーム修練会 柳光洙牧師



ミッションホームの力
(使徒16:15)

 使徒16:15です。よく知っている本文です。今月の主題です。ミッションホームの力です。
福音(ピリピ1:6)
皆様が経験をしたでしょう。福音を持ったということは、私たちは事実はピリピ1:6の答えが始まっているのです。継続して完成されて行きます。こういう中で、今日、私達がルデヤのように、少しだけ私達が心より祈れば、神様はその祈りをみな聞いてくださって、答えてくださいます。
(1) ピリピ4:6-7(心、考え)
何も思い煩わないで祈れば、神様が、あなたの心と思いを守ってくださいます。あなたの心で、考えで祈ったことを守られ、また、心と思いに悟りを下さるはずなので、少しだけ祈ればよいのです。それで、神様の前に
(2) みこころ-主の祈り
神様のみこころにしたがって、みこころが何かを質問するだけでも祝福されます。今晩に、私がこの話をするけれど、神様のみこころが何かを質問だけしても、答えを受けます。こういう祈りは、一つものがされませんでした。
(3) 問題-悔い改め
また、偶像に陥って霊的問題に陥った、こういう人々を生かすために、祈る時ごとに悔い改める時ごとに、神様はいつでも時代的な答えを下さいました。ルデヤの話を聞いてみましょう。私を主に忠実な者だと思われたら、私の家に来てくださいと言いました。普通の話ではありません。信仰告白です。その一言が、短い話のようですが、神様はルデヤの祈りをお聞きになって、ピリピ教会を立てて、ピリピ教会が、パウロが世界福音化をするように後押しして、事実上、世界宣教に率先する教会になりました。パウロが監獄から送った手紙の中にピリピ 4章がその話です。経済問題、宣教費を殆どしてくれるから、そこに対する感謝です。もちろん、ローマ16章の重要な働き人がたくさんいたのですが、非常にパウロが仕事を多くしなければならないから、そのような物質が多くいったのです。必ず祈りの答えを受けるようになります。
 それで、神様のみこころに従って祈りましょう。それで、主の祈りの内容が、そのような内容です。神様のみこころに従って、みこころが天で成し遂げたように、地でもなされますように。少しだけ祈れば、副教役者の時期に福音を伝え、伝道するようになったのですが、初期には実際には、私が福音のためではなく、教会ゆえに私が変に人をたくさん意識しました。以前には、復興させようとしたのですが、そのことを悔い改めた時に、神様がどれくらい答えを下さいましたか分かりません。副教役者生活をするのに、どれくらい難しいでしょうか? 教会の事情は明らかなのに、神様の前に少しだけ真実に祈ったのに、それが答えになりました。神様、 真にこれは私が誤って見たのではなくて、高慢なことでもなくて、また異常なことでもなくて、あまりに福音に関心がないから、私が福音を伝えることができるようにしてくださいと祈ったのに答えられました。
どれくらい教会が話しが多いでしょうか? つまらない言葉、正しい言葉、こういう言葉、ああいう言葉、神様に祈りました。神様、私が伝道できるように、伝道を思いきりする牧師にさせてください。その祈りに答えてくださいました。それで、私を伝道できる教会にだけ送ってくださって、伝道できる人々に会うようにしてくださって、この福音運動をできる力を与えて下さいと祈ってのに答えられました。本当に驚くべきことです。良くしたのではありません。何にも良くしたこともないのに、福音を受けたという理由で、福音も神様が恵みでくださったのに、神様に祈りのにずっと力を与えられました。
皆様がこういう心を持って、今日からミッションホームを始めましょう。
 
1. 初代教会の力(新しい恵み)
初代教会の力はミッションホームでした。今からまた新しくはじめましょう。いつも聖書を通じて新しく始めましょう。
トクピョン神学校に行って見れば、食堂がたくさんあります。食堂がたくさんあるのですが、その中にある食堂があります。いつも人が多くいます。行くと、韓国式食べ物、野菜などがあります。簡単に話せば、むかしに食べた食べ物が清潔にして出てくるのです。どれくらい準備を良くしているか、座れば1つの部屋の中に持って出てきます。準備をみなしていて、速く持って出てくるのです。そして見れば、人々がご飯もおかわりできて、庶民に合う食べ物です。本当に良くしています。この食堂は、いつもお客さんが多いのです。他の食堂は、お客さんがいないのに商売が良くできて、お客さんが多くいるので、より熱心にしているのです。壁を見たら、何かひとつ付けてありました。ご覧になったでしょうか? はじめと同じ心からと書いてあります。自分たちが、そのように商売するということです。皆様がメッセージを受ける時ごとに、いつも新しい恵みを受けなければなりません。ヘブル4:13を見れば、皆様がいつも新しく始める心からしなければなりません。すると、あなたがたは問題もなくて、困難に会うこともなくなります。
今晩には、私たちを点検しなければならないのですが、点検しなければ事故がおきます。反対に、点検すれば事故は起きません。神様は時々、私たちに点検することを希望されます。それで、こういう部分を握らなければなりません。いつも聖日、教会に行く時ごとに、礼拝をささげる時ごとに、いつも新しく始めましょう。タラッパンに一番初めにきた時、その心でしなければなりません。私が福音を初めて受けた時、その心でしなければならないのです。そのようにミッションホームを始めて、信仰生活をそのように始めましょう。メッセージを聞く時ごとに、献金する時ごとに、賛美する時ごとに、はじめに恵まれ、それも重要ですが、より重要なのは、新しく始めなければならないのです。そのようにすれば、まちがいなく勝利します。
(1) 使徒1:12-15(教会)
そのような心を持った人々が、マルコの家に集まりました。これが初代教会です。
(2) 使徒2:46-47(家)
こういう心を持った人が、あらゆる自分たちの家でみことばを受けたことを、そのまま成就させたのです。毎日神殿で、毎日家で、確かにそのように記録されています。このようになれば、信仰生活になります。皆様が信仰生活を難しく、違うようにせずに、正しく簡単に、心安らかにしなければなりません。礼拝をささげる時ごとに、一番初めに始めた心ですれば良いのに、そこにもう一つ、なければなりません。初めてはじめた心ですれば、私達が違った道に行くこともあります。なぜなら、私がむかしに福音を悟ることができなかったこと、むかしのものが思いつくのです。違ったことであったのに、私はむかしに教会に行って、クリスマスに歌を歌ったこと、それを思い出します。それは、ノスタルジックになるので、正しいものではありません。それで、後のことが重要です。いつも新しく始める心でしましょう。いつも新しい恵みを受けなければならないのです。ノスタルジックになってはだめです。経験がないためです。私たち人間は、ノスタルジックになることが少しあります。米国の食堂に行ったところ、全部、むかしに別れた釜山停留所、こういうことが出てきました。なぜでしょうか?ノスタルジック、むかしを思い出そうということですが、それでは成功できません。新しく始めなさいということです。新しい恵みを受けるために、この人たちが、マルコのタラッパンに集まったのですが、その教会で受けたみことばを、そのまま家へ帰って反復して祈っていました。これがミッションホームです。どれくらい力が強いでしょうか?
(3) 使徒6:7(反対者)
反対者にも、教会には連れて来なくても、私達がその人々によくしてあげて、福音を伝えるべきです。これが、ミッションホームの力です。反対者に、私たちの教会にきなさいと言うならば、来ません。タラッパンの悪口を言う人々、教会に来なさいと言うならば来ません。その人個人によくしてあげて、彼らに福音を伝えなければならないのです。祭司長にみことばの大きなみわざが起きました。こういう状況の中でも、今よりはるかに難しい状況なのに、今よりもっとみわざが起きるようになったのです。できるという話に間違いありません。できるという程度ではなく、神様はこの部分に、より働きを多くされるのです。
(4) 使徒9:1-43(地域)
聖書をよく見れば、この全く同じ心から、大変だというように思わず、神様が今日も新しい恵みを与えて下さいと、それで今日も新しく始める心で、こういう決心した人々が、あらゆる地域で、こういうことをしています。そうすれば良いのです。大きいみわざがあるのも良いけれど、このようにすればよいのです。これが初代教会の力でした。私達が聖書にある、そのままを回復しようということです。
(5) 使徒13:4-12(総督の家を訪問)
すこし大きい事が行われました。総督の家で、それもミッションホームです。この人を呼ぶことは、不可能なことです。この人を礼拝堂に呼んで、総督を悔い改めさせるということは、その次の話であって、総督の家を訪問したのです。そうでなければ、自宅で総督に会うようにしたのか、とにかく教会ではなく、ミッションホームで起きたことです。こういう重要なことが起きました。
(6) 使徒16:15, 17:6, 18:3(家)
こういう全く同じ心を持って、今日も神様が与えられる福音が、日が過ぎれば成就していきます。それなら、私達が主のみこころに向けて、私達が福音を伝えることができなくて、神様の証拠を見せていないことを悔い改め、本当に私が生きていく現場で、福音を伝えよう、このようになったのです。私を主に忠実な者だと思われたら、私の家に来てください。私が福音を受けたということは、完壁な答えを受け、これからずっと受けるはずなので、それなら、私が主のみこころに従って、この福音のために生きる、こういう人々の家がミッションホームです。これを心に決めた人の家ルデヤとプリスカの家です。何も難しいことはありません。
(7) コロサイ4,Iコリント16,ローマ16
福音はなくなりません。福音の根をおろせば、継続して働きが起きます。それで、自宅で今日も神様の新しい恵みと福音化運動、聞くことができない人々のせつない心を考えて、集まったのでした。
(8) 使徒28:30-31
ここにいる人たちが、パウロがいる監獄を訪問して、行ったり来たりしながら、祈って全家を福音化したのです。誰も防止することができなかった方法です。初代教会の力はミッションホームから出てきました。
 
2. ミッションホームの力
すると、この力はどのように育てられたのでしょうか? このミッションホームの力が、どのようにして出てきたのでしょうか? 私たちはよく知っているのですが、契約で捕まえて、聖書箇所をいくつか捕まえなければなりません。
(1) 個人のたましいを生かす働き(たましい)
働きをする時に、個人のたましいを生かす働きをしました。これは小さなことのようでも、ものすごく大きいのです。他のうわべは効果がありません。個人のたましいを生かすのです。ミッションホームです。ずっと 行われました。神様の国です。
 @ 使徒1:3
神様の国
 A 使徒1:8
聖霊の働き
 B 使徒1:12-15
私の家に聖霊の働き
 C 使徒2:1-13
これは、教会に集まった聖徒に聖霊の働き
初代教会は、このようにみわざが起きたのです。個人のたましいを生かすことです。
私たち個人には、神様の国です。私たちのあらゆる個人には、聖霊が働かれて、教会に、そして自宅に、教会に、同じ教会ですが、次元が家から教会が誕生したのです。このように個人のたましいを生かす働きがおきました。全部、ミッションホームで起きたのです。
(2) 生き方を助ける働き(機能)
ミッションホームでは生き方を助ける働きをしました。彼らの機能を助けたのです。前のことは、たましいを生かしたとすれば、後のことは機能を助けたのです。
 @ 使徒2:43-45
あまりに貧しい人々が集まったから、まず彼らに助けを与えました。目的ではないのですが、助けを与えたのです。
 A 使徒2:46-47
本物の答えを受けなければならないから、家庭、家庭に神様のみことばが入っていくようにしました。ミッションホームのはじめから開始が正しくできたのです。
B 使徒1:1
テオピロという人に、ルカがその人の持った機能を正しく使うように、生き方を手助けしたのです。
 C 使徒18:3-4
自分の事業、タラントを持って、神様の前に栄光をささげて、正しく答えを受けるように生き方を手助けしたのです。これがミッションホームです。この力が、どれくらい大きいか、神様がどれくらい喜ばれるでしょうか。本当に多くの答えを下さるのです。
(3) 家庭を生かす働き(家族)
ミッションホームでは、家庭を生かす働きをしました。すなわち、家族を生かす働きをしました。
 @ 使徒16:14-15
ルデヤとその家がみな洗礼を受けて、ルデヤが言う話が、私を主に忠実な者と思われたら、私の家に来てください。これがまさにミッションホームなのですが、家族をみな生かす神様のみわざが起きました。
 A 使徒16:31
主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたとあなたの家族は救われます。
 B 使徒17:3-4
ヤソンだけ生かされたのではなく、家族がみな生かされるようになりました。こういう証拠がずーっと出てくるのです。
 C 使徒19:10
家に食い込んで、アジアに住む人々は、ひとりももれなくみことばをみな聞きました。すなわち、私だけ救われるのではなく、家族を生かすのです。これがミッションホームですることです。
教会で集まっては出来ないのですが、ミッションホームでは可能です。
(4) 家をミッションホームに(経済の答え)
初代教会のミッションホームの力は、自宅を結局はミッションホームにする祝福がおきたのです。この時から、経済の答えがき始めました。
 @ 使徒18:3-4
神様が、プリスカ、アクラの家を祝福されて、会堂を福音化するようにさせられました。これがミッションホームになるのです。家庭に食い込むんだのですが、ミッションホームの働きを果たすようになりました。
 A 使徒9:1-15
アナニヤの家がミッションホームに変わるようになりました。タビタの家がそうであって、
 B 使徒10:1-6
皮なめしシモンの家がミッションホームになりました。皆様の家が経済の祝福を受けて、ミッションホームの祝福を受けることを望みます。
釜山のある執事は、自宅をわざわざ得て、宣教師が住むようにしています。良いのです。とても良くしています。神様が経済を祝福なさるはずです。
(5) 職場と現場をミッションホームに
いよいよ、私たちの職場と現場をミッションホームにするのです。これが聖書の目標です。必ず記憶しなければなりません。
素晴しい福音を持った人(ローマ16)
素晴しい福音を持った人にならなければなりません。必ずクリスチャンがのがしてはだめです。良い姿だけ あってはだめで、素晴しい福音を持った人として、現場を生かさなければならないのです。
分別
ある方に福音を伝えたのに、その方が言うのに、自分の一生で、自分の心を深く傷つけた人が三人いるのに、三人みなクリスチャンだ。信じないと言うのです。大変なことです。その人の錯覚であるのですが、分かります。そのようなことをしないでください。素晴しい福音を持った人になりましょう。これがミッションホームの目標です。個人からここまでです。ミッションホームのスケジュールです。たましいを生かすミッションホーム、そして、その人の生き方と機能を正しく生かすミッションホーム、そして家族を生かすミッションホーム、そして、それで終わるのではなく、その家がミッションホームに変わる働き、それで終わるのではなく、職場と事業現場に神様の働きが起きる、それで素晴しい福音を持った人がならなければなりません。必ずタラッパンで変えてあげなければなりません。皆様、記憶しなければなりません。とてもうるさいのは、クリスチャンだという話しを聞くようではだめです。あまりにおしゃべりでだ。クリスチャンだ。そのような話しを言わせてはだめです。あまりにうるさい。クリスチャンだ。そのような話しを聞くようになってはだめです。とてもけちだ。クリスチャンだ。そのような話しを聞くようではだめです。あまりに嘘をつく。クリスチャンだ。そのような話しを聞かないように、素敵だと、タラッパンで変えなければなりません。ミッションホームのキャンペーンです。人が本当に素晴らしい。交わるほど素晴らしい。誰か?クリスチャンだ。クリスチャンの中にあんな人がいるのか? こういうことで、話しが変わるのです。クリスチャンなのでそうなのだ! このように ならなければなりません。今おかしな人を見れば、何と言うかとすれば、信徒だからだと言います。今、こういうようになっています。これくらいキリスト教をおかしくしてしまったので、後ほどは皆様ゆえにクリスチャンの中には、あんな人もいるんだな! そうしながら、後ほどは多くの祝福を受けて答えが福音を証拠するようになば、クリスチャンなのでそうだな、当然にそうだよ! このようにならなければならないのです。速く変えてあげるべきです。今、外側では教会がけんかして、こういうことをして、それで外で問題を起こしています。素晴らしい福音を持った人にならなければなりません。
ポティファルがヨセフを見ると、どれくらい素晴しいでしょうか! 本当に素晴しい人だな、使って自分の息子になれば良い。いっそのこと奴隷はしないで。知ってみたら、神が共におられる。それが感じられなければならないのです。少しの間、会って話してみてパロ王が何と話したでしょうか? 私が今まで出会った人の中で神の霊があなたほど宿った人を見たことがない。本当にあなたは素晴しい人だな! この国の総理を引き受けなさい! ただ、権力があなたにはないから、すべての権力をあなたに与える。エジプトのあらゆる公務員の手足をあなたの勝手に動かしなさい。私があなたより優れたことは、王座に座っていることだけだ。簡単に話せば、パロ王がヨセフに完全に参ってしまったのです。この程度にならなければなりません。皆様を見つめて、未信者らが参ってしまわなければなりません。本当に素晴らしいと言わなければならないのに、見れば見るほどいやで鳥肌が立つとなれば、ミッションホームが何でもみな終わりです。教会復興も、みな終わりです。そして、できれば牧師達にも頼みます。信徒が頭上に座っています。頭を使えば、信徒が内心笑います。この頃、賢いな。この頃、知らないようでも賢くて、賢いながらも知らないな。信徒の特徴を知っていますか? 茫然と知らないようで、皆知っています。いろいろなことを知っているようで、本物は知らないのです。これが信徒です。それを知らないでしょうか? だまされないで。今は、牧師たちもちょっと格好良いようにしましょう。信徒が牧師は、本当に最高だと言えば、そうではないと言うべきで、私がすごいのだと言ってはだめです。素晴しい 人にならなければなりません。教会が復興なれば、私は不足しているけれど、信徒の祈りゆえに、長老達ゆえに、このように言わなければなりません。そうすれば、この人たちが、胸の中で謙遜になるのです。上手にやったのでもないのに、私たち牧師があのようになさるから、祈らなければならない、こういう気がするのです。みな私がよくしたと言って、長老に気を引き締めろと言うと、大変な事になります。ですから素晴しい人にならなければなりません。みなしておいても、しなかったと言わなければならないのです。素晴しい人にならなければなりません。そして小さい開拓教会で問題が起こることは、良い姿から出ることです。必ず記憶しなければなりません。なぜできないかというと、時刻表もあって、うつわがとても大きくてだめな場合もあります。しかし、それではないと思います。良い姿です。この部分に引っかかっているのです。牧師を見つめたら、すてきでなければなりません。魅力があって、近くに行きたくて、手助けしたくて、こうなるべきで、変に力が抜けて、気分が悪くて、教会に通うのがいやで、礼拝に行けばいらいらしていては、天下のタラッパンでなく、大タラッパンをしてもだめになります。素晴しい福音を持った人にならなければなりません。
悪いやつらにねたまれて、死ぬことになって、死刑を受けるダニエルを見て、王がどれくらい惜しんだでしょうか? 私が失敗した。私がだまされた。そこに印鑑を押した。私があなたを殺すようにしてしまった。王が あまりにせつなくて、神様があなたを救われるだろう。夜明けに訪ねて、いと高い神様のしもべ、ダニエル。あなたがいつも仕える神様が、あなたを救われたか? この程度にならなければなりません。事実は、それが原則です。王さま。永遠に生きられますように。私の神は御使いを送り、獅子の口をふさいでくださったので、獅子は私に何の害も加えませんでした。王がみな知るようになったのです。ダニエルに陰謀を企てた人々を獅子の穴にみな入れました。こういう事が行われたのです。素晴しい福音を持った人にならなければなりません。これがミッションホームの力の源泉の目標と方向です。必ず記憶しなければなりません。個人、たましいを正しく生かす人、無条件に人を捕まえて、教会に連れて行くのではなく、個人のたましいを正しく生かす人、教会に連れてきて、あまり干渉しようとせず、その人が正しく生活を送るように手助けする福音、そして、家族、このようにできれば、その家がミッションホームで、その時から経済の祝福を受けて、ここで終わるのではなく、職場と事業現場にミッションホームのみわざが起きるまでなれば、うまくいったのです。聖書にあるそのままです。
ここに集まった人々が、ローマ16章の人々です。本当にすばらしいです。必ず記憶するように望みます。まず多くの指導者がパウロを見て、パウロにほれました。このようにならなければなりません。それは、何でも娘婿のようだということではありません。今ある精神異常な人が、私達が柳光洙牧師が福音を伝えるのに助けて、福音を伝えるからといって、娘婿のようだと言います。精神疾患者一名がいるのに娘婿のようだと言います。先生に良くしてあげることは、娘婿のようだということではありません。神学の勉強を新しくしなければなりません。皆様がいのちをかけて牧師に仕えなさい。それは娘婿のようだということではありません。神様、父、御子、御霊、次に牧師が崇めなければなりません。それでこそ、牧師が主の働きをするのではないでしょうか? 聖書に、パウロに人がほれて、自分のいのちも出したと言いました。パウロを見て、本当に格好良いと言ったのです。近くに行ってみたら、本当に素晴しい人です。知っていることは多いのに、ちりあくただと話します。ものすごい背景を持っているのに、それをみな きらめて、何かつぎはぎのようなものを持って、福音を伝え、監獄のなかでいつも感謝するとメッセージを送るのですが、そこで福音ゆえに格好良かったのです。私は生きてもかまわなくて、死んでもかまわない。事実は死ぬのがより良いけれど、生きていることが福音ゆえに益ならば、それで生きる。パウロが心から言った言葉です。ですから素晴しい人です。ですから、弟子がたくさんついたのです。  
それで、これは一気に成ることではないにせよ、職場の中に入っていけば、クリスチャンは格好良くなければなりません。話すことも格好良くて、必ず人をつねって、気に障るようにさせて、永遠に忘れてしまわないようにさせれば、次に他の人が福音を伝えるならば、受けないのです。そのように私が誤っていたのにも、私を慰めてくれる人があった。分かってみれば、その人がクリスチャンだった。涙が出ると言うのです。みな私を罪に定めて嫌うのに、誰かが私を心より慰めてくれる人があったが、その人がクリスチャンだとならなければなりません。素晴しい人です。
少しだけ準備すればよいのです。外形も格好良くならなければならないのですが、内容が、人が、格好良くなければなりません。ですから言葉もちょっと格好良くして、他の人をちょっと高めてあげて、自分をちょっと低くしなければなりません。すると素敵です。そのように見ればそうです。会社で何かが正しくできても、他の人がしたようにして、自分は低くすれば、職場の人々が喜びます。あの人は、素敵だ。一度、二度すれば良いのです。どこでも現れようと割り込んですれば、ことはよくできないながら、そうなれば嫌われます。やぼな人になります。実力がありながら、素晴しいクリスチャン! それとともに見ると、福音を持っていれば、静かに人が集まるようになって、教会も成長するようになっています。
未信者も福音がなくても、素晴しい人々が多いのです。本当に多いのです。
一度、釜山で一番身分が高い将軍が、私に会おうといったので、行きました。行ったところ、本当に格好良かったのです。先生、私は信徒なのに、神様の前に、私が隊長である間に教会堂がない部隊のなかでは、教会を作ることが神様のみこころではないかと思って、行く先ごとに教会を建てたのに、10何ケを建てたが、釜山に来てみたら、この部隊に教会がないので、先生、助けてくださいと言いました。そのようにすると言いました。それで、下の人を呼んだのです。下の人は星が一個です。この人は星が三個です。下の人を呼んで、星一つの人を高めるのです。これは手助けすべきだと言いながら、自分は力が足りない、このように出てくるのです。格別な人がぶるぶる震えるのに、そのように出てくるから、執事を呼び出したのです。それで私がスヨンロ教会に話して、その時、私が開拓する時にスヨンロ教会で、ほとんどお金を出して、教会堂をよく建てました。私が見たら、よく建てておいて、チョン牧師と皆様を招いたのです。私は集会があって行くことができなかったのです。仕事を良くする人は違います。私がその人を見ながら、何を感じたかというと、素敵だと感じました。ですから、その人はずっと成功しました。そのようになるしかありません。
私たちは、職場現場のなかで福音を持った素晴しい人にならなければなりません。言葉もそうで、考えもそうで、考えが格好良くなければなりません。皆様と対話をしながら、考えが違うんだな! 素敵だな。このようにならなければ、思いつけば、できないなとなればだめになるのです。
なぜ私達が先進国を福音化することができないかというと、私たちの頭が先進国の人々よりできないということです。良い姿がないということです。するとできないのです。死んでもだめなのです。台湾みたいな所に行けば、水準が高いのです。台湾の人々は、元々流れてくる中国の水準、良いことを持っています。私は台湾に最高のアジアの大金持リ・チャンチョンという人の本を読みながら、台湾人がすごいように見えました。米国人もたずねています。日本の人々も訪ねています。良い姿がなければ、彼らに福音を伝えられないのです。
ですから、タラッパンでは準備しなければなりません。格好良くいやして、しばしば自分を自慢することがなく、他の人をちょっと高めてあげて、自分は謙遜にできないと言って、能力もある人がそのような話せば、絶対に面目が傷つくことはありません。能力もない人がしたら知りませんが、面目は傷つきません。職場に行って、そのようにして、格好良く人を生かして、他の人をちょっと手助けして、困難を受ける人を後から手助けして、傷ついた人々を慰め、職場のなかでとても危機にあっている人々は、後から手を取合ってあげれば、福音の門が開きます。あらゆる人を生かせば、素晴しい人になるのです。必ず記憶しなければなりません。なぜ私がこの話をするかというと、会社のなかで一番非難される人が、クリスチャンです。ですから、それではだめなのです。会社のなかで一番素晴しい人が、クリスチャンにならなければ、会社のなかで一番非難されて 異常な言葉、独断的でがんこだと言われたら、どのようになるのでしょうか? これを伝えることができないのです。すると、これも良くて、あれも良くてという話でしょうか? そうではありません。それで、聖書は判断せず区別しなさいと言われました。判断することと、区別することは違います。私たちは差別しません。区別するのです。これはこうで、あれはああだということです。聖書は判断せず、区別しろとなっています。分別しろとなっています。分別できないでしょうか? しかし、判断はしてはなりません。さらには、批判してはなりません。私たちは、このように素晴しいミッションホームの祝福を受けなければならないのです。
 
3. 源泉
このミッションホームの力の源泉は、どこから出てきたのでしょうか? さっき70人メンバーは、イエス様が教えたそれを見た人々です。このミッションホームの人々は、そのような人々ではありません。この人たちは、
(1) いのちの味わい
この力がどこから出てきたかというと、いのちを味わうことから出てきました。
ヨハネ14:6
わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。
人生の源泉
人生の最も源泉がいのちです。
いのちの源泉
私たちの霊肉の命の源泉がいのちです。
イエスいのち
私たちのあらゆるたましいの中で最も重要ないのち、イエスいのち
私たちは死ぬしかなかったのに、神様がイエスいのちを植えられたのです。私たちは正確に話せば、悪魔の 子どもなのに、私たちの中にイエスいのちを植えられたのです。私たちは偶像に仕えるしかない子どもなのに、滅びざるをえないのに、イエスいのちを植えられました。ここから力の源泉が出てきたのです。
(2) 聖霊の味わい
そして、ミッションホームの2番目の力の源泉は、聖霊の働きを味わったのです。
 @ 導き
それで、この聖霊が私の中におられるので、聖霊の導きを受けて
 A 充満
聖霊が内にいらっしゃるので、聖霊充満を受けて
 B 働き
行く所に聖霊のみわざが起きるのです。
聖霊と聖霊の働きは違う言葉です。同じ方でも、聖霊は聖霊で、聖霊の働きという言葉は、違うのです。食事の仕度をすることと、ご飯を食べたという言葉は違う言葉です。ご飯はご飯ですが、食べてもご飯であって、ご飯ですが食べることとは違うのです。聖霊のみわざが起きたということです。これが初代教会のミッションホームの力の源泉です。
(3) 霊的勝利
100%の人々が偶像に陥ったために、ミッションホームの力の源泉は霊的勝利でした。ここで力が出てきたのです。
 @ 霊権(ヨハネ1:12)
なぜなら、事実上、主が救いと共に霊権を下さったのです。救いと共に、なぜならヨハネ1:12に神様の子どもになる特権を与えられたのです。
 A ルカ10:19
それで、ルカ10:19にこれに勝つことができる権威を与えられました。霊的勝利が力の源泉に対してずっと 出てきたのです。ミッションホームで出てきたことです。
重要な秘密は、個人と家庭と社会に、この部分は隠されているために、この部分があれば、これが源泉になって継続的なみわざが起きるようになっているのです。
 
結論
使徒16:15
この話はなんの話かというと
(1) 福音の意味
福音の意味を悟った決断です。簡単な話ではなく、私を主に忠実な者と思われたら、私の家に来てください。こういう決断です。
(2) 伝道-使命
これは単なる決断ではなく、伝道と使命に対する決断です。ミッションホームをする方達は、こういう決断がなければなりません。これは単なる決断ではないのです。
(3) 聖霊-命令
聖霊の導きと主が何と命令なさったのか? そこに対する決断です。私を主に忠実な者だと思われたら、私の家に来て下さいと言いました。
(4) 未来
未来を見通した決断です。主が地の果てまで証人になると言われました。ルデヤが分かったのです。神様の 祝福です。
(5) パン種作戦 
聖書はパン種作戦です。これからも全世界福音化は、パン種作戦で確実な戦略です。聖霊が悟りを下さいました。単なる決断ではありません。
イエス
私を主に忠実な者だと思われたら、主はイエス様ではないでしょうか? その方を信じたと思われたら、私の家に来てください。今日、重要な決断を下して、より確実な答え、素晴しい福音を持った牧師、役員、人になることをイエスの御名でお祈りします。