[2005年7月9日/ソウル核心要員メッセージ/ソウル・イエウォン教会/柳光洙牧師]


偶像の威力と危険
(:I列王記16:29-34)


聖書みことば(I列王記16:29-34)
29/オムリの子アハブは、ユダの王アサの第三十八年に、イスラエルの王となった。オムリの子アハブはサマリヤで二十二年間、イスラエルの王であった。
30/オムリの子アハブは、彼以前のだれよりも主の目の前に悪を行なった。
31/彼にとっては、ネバテの子ヤロブアムの罪のうちを歩むことは軽いことであった。それどころか彼は、シドン人の王エテバアルの娘イゼベルを妻にめとり、行ってバアルに仕え、それを拝んだ。
32/さらに彼は、サマリヤに建てたバアルの宮に、バアルのために祭壇を築いた。
33/アハブはアシェラ像も造った。こうしてアハブは、彼以前のイスラエルのすべての王たちにまして、ますますイスラエルの神、主の怒りを引き起こすようなことを行なった。
34/彼の時代に、ベテル人ヒエルがエリコを再建した。彼は、その礎を据えるとき、長子アビラムを失い、門を建てるとき、末の子セグブを失った。ヌンの子ヨシュアを通して語られた主のことばのとおりであった。

要約資料
1.偶像の威力と長所
(1)威力(エペソ6:12)
①強大国  ②汎国家的  ③文化を掌握する国民的宗教
(2)長所
①人間に影響を与える内容  ②未来、占い  ③具体的な方法
(3)危険
①ヨハネ8:44  ②マタイ12:43-45  ③出エジプト20:3-5
2.最高の偶像崇拝王アハブの登場
(1)オムリの息子-すべての傷と結果を抱いたアハブ王(I列王16:29)
(2)以前のすべての悪い王が悪を行ったことより悪い王(I列王16:30)
(3)シドン人の王エテバアルの娘イゼベルを妻とすること(I列王16:31)
(4)サマリヤにバアルの祭壇を築くこと(I列王16:32)
(5)アシェラ像をたてること(I列王16:33)
3. 主の怒りを引き起こさせたアハブ王(I列王16:33)
4.結論-教会がそろえられないこと
(1)福音の中にある真の解答
(2)完全福音の中にあるみことばの成就(未来)
(3)具体性が全くない無応答の理論
(The end)

説明資料
→序論
▲一つをのがせば、ずっと問題が来ます。今日、皆さんは契約をとらえて、皆さんのゆえに問題が解決されることを希望します。
▲なぜ福音をしばしば強調するのでしょうか? そのように質問する人は、ひとまず聖書を知らない人です。なぜ福音をタラッパンではしばしば強調するのか? そのような疑問がおこったら、皆さんはまちがいなく歴史の勉強をよくしていないのです。どんどん困難が来ます。皆さんが信仰生活をしながら解決できない問題がずっと来れば、どのようにするでしょうか? なぜタラッパンの柳光洙牧師と他の牧師たちは、福音を強調するのでしょうか? イスラエル歴史を見てください。それで、すぐ答えが出てきます。それでも理解がよくできないのでしょうか? 今、韓国教会の大きい教会の1世代が大きく教会を立てておいても、その終わりを見てください。福音が現れないで、紛争、争い、利権のような問題を未信者が知って、嫌っています。普通、一ケ月に一回程度で一般の週刊誌が扱っています。韓国教会が戦っている代表的なことを一つずつ扱っています。先月に見たら、4-5ページで統合側のある教会がけんかしているのを細かく扱っていました。目に見えないのですが、福音をとても防ぐのです。そして、それが神様に栄光を妨げる悪影響を及ぼすのです。皆さん自身も福音に対する根をおろせないならば、私たちも知らずにそうなります。
▲私たちが福音に根をおろせないならば、大きい影響3つにを勝てません。どんな影響がくるかというと
(1)世の中の文化-世の中の文化に勝つことできません。世の中の文化が大きく迫ってくるのに、これに勝つことができません。
(2)物質文明-そして物質文明が、どれくらい発展しているでしょうか?
私たちがおもに文化は精神的なもので、物質は文明は目に見えることを言います。
(3)偶像文化-さらに深刻なのが今日の本文に出てきました。
偶像文化に勝てません。救われた私たちの個人が偶像に勝つかも知らないのですが、偶像文化には勝てません。
それでこの影響の下にみな置かれるようになっています。タラッパンで20個の戦略を主張する理由が何でしょうか?福音から正しく理解しようということです。そして、福音の根を正しくおろそうということです。その次に復興もしなければなりません。そうした後に、文化も変えられます。この話です。まだ理解できなければ大変です。タラッパンのタラッパン、ミッションホーム、チームの働きなど5つの基礎は、福音を正しく知ろうとするのです。訓練5個は、根をおろそうということです。そして、伝道学校、神学院、宣教師訓練院などのシステムは、その時から正しく復興するのです。福音でないことが復興すれば大変です。福音的なものが復興した後、レムナント運動をはじめとする5個の未来は文化の働きです。これを変えるということです。
▲ところで私たちの個人はどうでしょうか?
(1)問題-こういうものために個人が道を見つけることができないから、私たちにはいつも問題がくるのです。
(2)試み-そして試みがいつもきます。問題は解決することができます。しかし、試みのようなものは静かに置いておけば過ぎ去るのです。
(3)十字架(人)-しかし、絶対に解決しないものもあります。それを私たちは十字架と言います。イエス様も自分の十字架を負って、私について来なさいと言われました。
皆さんは問題がくれば、どのようにするのか考えて、祈りもします。試みがくれば、試みは耐えれば過ぎ去るのです。ところで、十字架はそうではありません。これは解決しません。どんどん深刻な問題が来ます。だから、おかしな夫がいて、妻や子どもが変ならば‘あれは十字架だ’と話します。十字架はおもに人のためにくるのです。そして、家庭に精神病患者がいれば十字架だと言います。不治の病があれば、それは十字架です。こうしたことからは、抜け出せません。病気は大丈夫ですが、人のために来る十字架は難しいのです。人は107才なっても、明日死ぬ人を今日殺せば殺人です。死ぬ時を待つべきで、殺してはいけません。だから十字架です。犬や豚は引っ張っていって取って食べれば良いのですが、人はそうではありません。これのために苦労するのです。
▲このような時、どのようにすべきでしょうか? 世の中は大きくて、私はこのように弱い、これが今日、クリスチャンが受ける問題です。神様のみことばを信じるのですが、世の中に出てみると、世の中がどれくらい大きいでしょうか? 偶像文化がますます起きています。ところで、私たちは世界福音化はおろか、こういう問題にいます。毎日迫ってくる問題に勝てずにいるのです。教会に行って試みを受けます。そして、とうてい解決できない問題もあります。
▲こういう問題を見ながら、聖書66巻を見て、答えを得なければなりません。このような時、どのようにすれば良いのでしょうか? これを勉強して、旧約聖書と新約聖書を通して、私たちは答えを得なければならないのです。道があります。それで、ダビデが何をのがしてソロモンが何をのがしたのでしょうか? このままもう一度、始めましょう。私たちが世の中の大きいことに勝てて、私の問題に勝てて、十字架を祝福に変える道があります。
(1)完全福音-完全福音の中に入りましょう。
それで勝ちます。完全福音に入りましょう。ここに重要なこと三つがあります。
①目-皆さんが福音の目で見れば、その時からは答えが見えます。
②答え-福音の目で見れば、その時から答えが見えます。
③答え-それではまさに、この時から答えが始まるのです。
正しく見られなかったのに、どのように答えが始まるでしょうか? 40日断食祈祷、朝の祈りも重要ですが、正しく見てこそ、答えになるのです。今、問題は人々が正しく見ることができないのです。福音の目で見れば、とても正確に見えるのです。
▲レムナント7人に、この目を開いたのです。遅く開くか、はやく開くかの差はあるのですが、この目を開いたのです。ヨセフが福音の目を開いたら、兄が問題にならないのです。奴隷生活、監獄生活が問題ではないのです。それのために祝福を受けたのです。ダビデが福音の目を開いて見たら、サウル王は十字架でなく、祝福でした。そうでなければ、十字架の中の十字架になるのです。この一つで、残りが解決ができます。完全福音に入りましょう。それで正しく目が開きます。
▲この間にも話したのですが、私が残念なのは、今でも軍で起きたことで、さらに問題を起こしています。その問題によって、気合い(お仕置き)をしたのか、しなかったかという話が出てきます。軍隊で気合いを与えなければどうなるのでしょうか? 軍隊では気合いを与えなければなりません。そんなことで気合い与えないといえば、より大きい問題が起きます。それでは、その人達は、耐えられることもできなく、これからどのようにするのでしょうだろうか? 軍隊で気合いを与えなければ、より大きい問題が起きます。だから、いらない問題で、子どもたちの服を脱がせたのを公開するのです。なぜそうなのでしょうか?軍隊に行ってきた人は分かるでしょう。男はみなそのようにするのです。男の子たちは、集まれば、いろいろなことをみなします。女も隠密な集いをするのですが、男たちは、想像もできないのです。高等学校の男子学生は、山に行って、おしっこ遠く飛ばす大会もします。そんなことは、面白味いからであって、これを公開して、おかしな国を作れば、どのようにしようということなのでしょうか? する行動が福音を知らないから、ずっと問題を起こすのです。残念です。これが問題でなく、その子が事故を起こしたのは、別の問題です。私たちが、すでに40年前に、学校の中の男子学生を見れば、先生は熱心に黒板に書いて説明をするのに、学生たちはどこから持ってきたのか、女性の裸体写真を机の下でみな回すのです。誰のものかもわかりません。ずっと下で回すのです。先生の黒板説明を聞くように見えるのですが、写真を下にみな回しながら恵みを受けるのです。それでも何の問題もありません。本当に問い詰めるなら、一度も見ていない人が問題でしょう。おかしな病気が来ます。それなのに、そんなことを持ってどんどん問題を作るのです。私はより大きい問題がそれではないと思っています。その部隊の中に軍牧はいなかったのでしょうか? 私はそれを尋ねたいのです。軍牧が軍人の相談をしなくて、何をしたのかが気になります。軍牧が足りなかったとしましょう。本当にその部隊の中にイエスを信じる人が1人もいなかったのかが気になります。私はそれが心配になって、気にかかるのです。まちがいなくその子は、小心で優しい子なのに、押さえられたので、軍隊生活に適応できなかったのです。その人が8人だけ殺したのは幸いなことで、もし状況だけ揃ったら、みな殺したかも知れません。それがどのように正常な考えで、気合い与えられたから腹が立ってする行動なのでしょうか? これがサタンに捕えられたのです。
▲福音のほかに解決できることがあるのでしょうか? ところで私たちが完全福音ではないから、相手を生かすことができないのです。私たちが完全福音ならば、すぐに答えが来ます。完全福音ならば、正しい目が開くから、すぐに答え出てきて、答えがくるのです。
(2)完全祈り-この時からなるのが何でしょうか? 祈りになるのです。正しく見たためです。それで、私たちは祈りだけすれば良いという言葉がここから出てきたのです。違うように発見したのに、祈れば良いでしょうか?神様のみこころに本当に合うならば、祈りだけすれば良いのです。これを見て完全祈りと言うのです。
①味わうこと-それで、祈りという言葉は福音を味わうことを言います。
②みこころ-そして、正しい答えが出てきたので、神様のみこころを正しく発見するのです。
③課題-だから、私たちに祈りの課題が正しく出てきたのです。
それで祈りだけすれば良いのです。こういう答が出てくるのです。この2つが合えば、自ずから出てくる答えがあります。何でしょうか?
(3)完全伝道-あのように数多くの軍人、大学生、中・高等学生たちに正しい福音を伝えなければならないな。それで福音が完全だから、伝道だけがこの民族を生かせる道です。教会復興させる伝道でなく、福音を伝える伝道だけが、民族を生かせる道です。私たちは軍に行って福音を伝えなくても良いのです。なぜなら、その軍人が私たちの教会に来ないからです。それでは、これは福音ではありません。それでは、学校に行っても福音を伝える必要がないでしょう? 私たちの教会に来ないはずだからです。だから、これが福音ではないということです。本当に福音が本当に悟れたら、すべての答えの門が開きます。その時から、神様のみこころが確かになるために、祈りはなるしかありません。それで、24時間祈りの祝福だけ味わえば、すべての問題を解決することができるのです。
①証人-それで、神様は私に証拠をくださるでしょう。
②伝達-それで、これで他の人に伝達しなければならないのです。
私が話をしてあげたり、他の人が見るようになったり….これが伝道です。私が持ったものを与えるのは大変ではありません。ペテロがこのように話しました。私にあることをあなたにあげよう。ナザレのイエス・キリストの名前で起きて歩きなさい。
③奉仕-今回、オーストラリアに行って話しました。生まれながら足のきかない者がいました。それで、この人は運命です。それで活動をすることができなくて、職業選択をしたがもの乞いをすることにしたのです。どこでするのでしょうか?神殿の美しの門に座ることにしたのです。場所をよく選びました。それで、入る人にいつもお金をもの乞いしたのです。ところで、幸いにその人を神殿の美しの門に座らせてくれる人がいます。本当に必要です。多分、委員会が形成されたのかも知れません。救済と奉仕委員会が構成されるのですが、これが必要ないということでなく、必要なことです。そして、その人にコインを与えて、食べて生きるようにする人もいます。物質奉仕です。それのために、その人が食べて生きていました。必要です。しかし、私たちが話すのは、それよりさらに重要です。ペテロがヨハネと一緒に注目してみて、何が必要なのかを正しく見たのです。それより、さらに重要なのは足のきかない者の状態と、霊的問題、福音がないことを見たのです。コインを得て、財閥になっても、この人は足のきかない者です。ひょっとして、足が治ったとしても、救われた人ではありません。それでも霊的な問題が解決されるのではないのです。これを見なければならないのです。ペテロとヨハネがこの足のきかない者をよく見たのです。その時、ペテロが何を言ったでしょうか? 私たちを見なさい。ペテロと足のきかない者の目が会ったのです。私たちを見なさい。金銀は私にはない。それはコインが一つもないということでありません。私にあることをあなたにあげよう。ナザレのイエス・キリストの名前で起きて歩きなさい。地球上で初めてナザレのイエス・キリストの名前を言ったのです。これが伝道です。私たちには、どんな奉仕が必要なのでしょうか? 伝道だけが生きる道です。それで、完全福音の答えが出てくれば自ずからなるのです。
(4)完全献身-そして、時間が経つほどこの答が出てこなければなりません。私は何も必要ない。祈りだけすれば良い。私はさらに受けることがない。天と地の祝福を受けた。これ以上受けることがない。行く所ごとに神様がともにおられる。そうでしょう? これ以上受ける必要がない。行く所ごとに天使を送られる。それでは、することが一つしかありません。献身です。単なる献身でない、完全献身です。
①全てのもの-完全献身は、全てのものをすべて持っているのです。この答が確かに出てこなければなりません。
②動機-そして、私は全てのものをすべて持ったので、さびしいこともなくて、要求することもなくて、動機もないのです。ある人が、私を無視して気分が悪い、そのようなことはありません。乞食が財閥を無視すると、その財閥が気分が悪いでしょうか? そんなはずがありません。
私が前に話しました。私は休暇を行く時、何も持っていきません。金で買えば良いので、持って行くことがないのです。普段の時、頭をたくさんとかすので頭とかさないために、帽子をかぶって、足が疲れるので、スリッパを履いて行きます。その町の人が、私に隣から来たと分かります。これが私の休暇の服装です。一度は、光州(クァンジュ)に行って、時間があったので、スリッパを履いて、服も変なのを着て市内に行ったのです。中華料理店にジャジャン麺一杯を食べに入ったら、お嬢さんが私を無視するのです。服もそうで、履き物もそうだから私を無視するのです。私に、どうしてきたかと言うので、ジャジャン麺を食べにきたと言ったので、テーブルに座れと言うのです。それで部屋がないか尋ねたところ、だめだと言いました。このお嬢さんが私を無視するのです。それで、私は中に入るというので、主人が見て、私を中に入れと言ったのです。中に入って、堂々とジャジャン麺一杯を食べました。そして、糖水肉があるのかと尋ねたら、このお嬢さんが高いですよと言うのです。それでいくらかと尋ねたら、一番小さいのが千五百円だと言いました。それで持って来てくださいと言いました。ジャジャン麺はみな食べて、糖水肉は一つだけ食べました。そして、出てきながらお嬢さんにチップを五百円を与えたのです。そうしたら、いらないと言いました。それでも、受け取るようにと言ったら、ありがとうと受けました。そのお嬢さんが私をいくら無視しても気分が悪くありません。私はジャジャン麺100皿を食べるお金を持っています。確実な根拠はないのですが、そのお嬢さんよりは、私がはるかに金持ちです。私よりない人であることが明らかです。何も押さえられることもありません。
▲皆さんがすでに教会に通いながらさびしいという、それ自体が誤っているのです。それは仏像の前で、みな空けたらさびしいのです。考えれば考えるほど、気持ちが良くて、さらに受けることがありません。ある愚かな人は、教会が私のために何かをしてくれるかと言うのですが、教会が何かをしてくれるでしょうか?すでにみな受けたということです。私たちが教会にいつも献身して、いのちをかけて献身もするのです。とても良いためです。だから、命をかける価値があるほどです。時間が経てば、ますます何が出てくるのでしょうか? 2つのことが出てきます。
(5)完全栄光
①感謝-どれくらい感謝するのかわかりません。本当に答えを受けると、このようになるのです。私は世界を見れば見るほど、どれくらい感謝するかわかりません。
②賛美-そして、本当に賛美が出てくるのです。どれくらい感謝するのかわかりません。そして、滅びることもできません。
③永遠-ほとんど永遠な祝福です。
ある人は、心が不安ですが、私たちは滅びることもありません。それで出てきた単語が何でしょうか? すべての栄光を神様に、完全栄光です。言い換えた理由が、完全に私のものにしなければならないためです。ここで一番重要な単語が完全福音です。ここに入れば、完全栄光まで出てくるのです。ダビデとソロモンが残すことができなかったのが、これであるから、ずっと問題が来るのです。

1.偶像の威力と長所
▲偶像です。この偶像は威力がすごいのです。しかし、人々は危険を知らずにいるのです。この偶像がどれくらい威力と長所を持っているのか見てください。
(1)威力-私たちがぱっと見れば偶像がすごいと見えます。強大国が全部、偶像崇拝をします。そして、汎国家的に、すべての国がすべて持っています。そして、偶像が文化を掌握して、すごいと見えます。だまされてはなりません。
(2)長所-そしてこの偶像は長所も多いのです。
ひとまず、私たちの人間にすばらしい影響を多くくれます。先週の説教で話しました。私は、仏教放送講義を聞きながら、レベルが高いということが分かりました。キリスト教放送で説教する牧師は、仏教放送を聞いて悔い改めなければなりません。福音のほかは、他の話をする必要がありません。人生の本当の問題を明らかにしてあげなければなりません。今、未信者が皆、聞いています。仏教放送を聞くので、どれくらいレベルが高いかわかりません。みな捨てろということです。それで、その時から何かが見えるということです。すごいのです。講義内容です。それではキリスト教放送で福音を正しく伝えなければ、仏教よりレベルが低いのです。
▲マタイ2:43-45 私がその僧侶にしたい話が、みな空けてみな捨てたら、見えることは見えるのですが、マタイ2:43-45節のみことばのように、七つの悪霊が七倍で入ってきて、霊的な問題を起こすのです。そして、執事、長老は祈りをするのを知らないのに、偶像崇拝する人々は吉凶を占ってくれます。私たちは正しく祈ることを知らないのに、この人達は行ってお辞儀をして、やさしいのです。こういう良い長所を持っています。人々をまず慰めるには、どれくらい良いかわかりません。
(3)危険,嘘-しかし、危険を知らないのです。ヨハネ8:44にサタンはだます嘘つきです。結局、人間をだまして、滅びの中で陥るようにするのです。マタイ12:43-45に時間が経つほど、霊的問題がずっと積もるのです。出エジプト20:3-5にあるように、子孫まで問題がくるのです。これを知識人が知らないのです。この偶像の危険を科学者と指導者が知らないのです。それで、教会が正しく知らせなければなりません。キリスト教放送では、人の悪口を言わずに、偶像文化が何か、悪霊文化が何か、福音と災いが何かを知らせなければならないのです。神様がそれのためにくださったのです。

2.最高の偶像崇拝王アハブの登場
▲今日の本文を見ましょう。今は、こういう問題が積もって、イスラエルの最高の偶像、最高の問題が来たのです。
(1)傷-オムリの息子が王になったが、その王がアハブ王です。両親、先祖のすべての傷をみな抱きしめた王がアハブ王です。
(2)チャンピオン-一度もない悪人
▲以前のすべての悪い王の悪を合わせたより、さらに悪い王がアハブ王だとなっています。簡単に話せば、悪を行うのにチャンピオンだということです。すべての王よりさらに悪い王ということです。聖書のとおり話せば、一度もない悪い王です。以前になかった最高の悪い王がアハブ王ということです。
(3)イゼベル-そして、妻に会ったのですが、シドン人の王エテパアルの娘イゼベルを妻としたということです。それほどにも似ている者と会うのか、偶像崇拝する娘に会ったのです。
(4)バアルの祭壇-それでバアルの祭壇を築いて
(5)アシェラ-高き所を作って、アシェラ像をたてたのです。こういう問題が起きたのです。

3. 主の怒りを引き起こしたアハブ王(I列王16:33)
▲今日ここに怖い話が出ました。I列王16:33節を見れば、主の怒りを引き起こしたと言いました。何の神様が人間が偶像を崇拝したとノーを発されるのでしょうか?
(1)創世記3章-結論が何でしょうか?
また人間を創世記3章の呪いの中に入るようにしたので、ノーを発されたのです。
(2)サタン-人間をだまして、滅ぼすサタンのしもべになったので、神様がノーを発されたのです。
(3)子孫-これで終わるのではない、全世界と子孫を殺すので、神様がノーを発されたのです。
私たちは何をすべきでしょうか?
▲私たちは、はやく完全福音の中に入って、真の答を全世界に知らせなければなりません。これが、皆さんがすることです。
▲完全福音の中にいれば、みことば成就になるから、吉凶を占わなくても未来が見えるのです。
▲皆さんが、完全福音の中に入れば、神様は皆さんの人生に、具体的な答えを与えられるので、このような偶像に陥りません。
▲今日、私たちは至急なことは何でしょうか? これをとらえて祈らなければなりません。今、私たちに至急なのは宣教ではありません。私が見る時は、一番至急なのは伝道でもありません。伝道ではないというと、どうしたのと尋ねられるのですが、一番至急なのは伝道ではありません。何でしょうか?一番至急なのは宣教でもないのです。
(1)聖徒の彷徨-最も至急なのは、聖徒たちがさまよっているのです。大変です。これが一番至急です。今日、皆さんが問題を持って、完全福音の中に入って、大きい祝福を受ける開始になることを望みます。いくら弱くても、皆さんの問題を持って福音の中に入りましょう。それで、確かに答が出てきて答えが来ます。皆さんが十字架を持って、福音の中に入りましょう。皆さんの試みと問題を持って福音の中に入りましょう。それで、世の中の文化、物質の文化、偶像文化に勝てる力ができます。これが一番緊急です。
(2)福音的,聖書的-これをし終えた後、伝道と宣教が問題ではありません。
福音的、聖書的伝道が至急です。今日、神様が願われる答えをつかんでこそ祈りの答えが来ます。伝道、宣教は二番目です。聖徒たちが今、さ迷っているのです。聖徒たちが、完全福音の中に入るべきなのにできなくなっているのです。だから、こういう問題がくるのです。聖書にはこういう問題がこないように教訓を与えておられるのです。その次に、至急なのが何でしょうか? 伝道、宣教をしないことではなく、聖書的、福音的にしなさいということです。
(3)レムナント-三番目に至急なのは教育なのでしょうか? 私たちの国ぐらい教育の熱意が高いところもありません。それではありません。聖書的レムナント教育がないのです。レムナント教育です。今からいつも祈りましょう。今回、祈りの課題をつかみましょう。宣教師1人を宣教大会に招こうということでなく、これから私たちの家庭が宣教師1人を派遣できる祝福を求めて祈りましょう。そのような祝福のはじめとして、宣教師1人を招くように祈りましょう。そのようにしなければなりません。そして、レムナント共同体訓練場を作るのに、参加するようにして下さい。お金をたくさん儲ける人は、記念館や記念室を置いて祈りましょう。今、ご飯食べるのが難しくて、少し生活する人は、お金を集めて、献金する人もいるのですが、一年に何千万円ずつ儲ける人がじっとしていれば良いのでしょうか? レムナント共同体訓練場を作るために祈りましょう。私たちはもう二度とこうしたことを体験しないように暗闇を砕きましょう。韓国教会第2の危機がこないように暗闇勢力をうち砕きましょう。それのために神様が皆さんを呼ばれたのです。私の話が正しいのか確認してみましょう。深刻です。聖書的な福音的な伝道をしない教会は、大きければ大きいほど問題がきました。ダビデとソロモンがレムナント運動をできないのです。オムリ王の時まで、ずっと問題だけできたのです。そうするうちに完全におかしなアハブ王が出たのです。そして、妻までおかしな人をもらったのです。だから問題がきました。レムナント運動をしましょう。ここに人物が登場します。誰でしょうか? エリヤが登場して、エリシャが登場したのです。この時から、解決し始めたのです。それで、この契約をつかもうというのです。
▲結論を結びます。皆さんが福音の中に完全に入るには、道が一つあります。福音の中に完全に入ろうとするなら、道があるべきなのに、道を探せないでよく入れないのです。米国へ行きたいが、歩いていけるでしょうか? 道がなければなりません。今回、オーストラリア行ってきたのですが、飛行機に乗って行ってきました。してみなかったが、歩いては絶対に行けません。それで、完全福音の中に入る道があります。その道が信仰です。この信仰を捕まえましょう。のがしてはなりません。
(1)決断-皆さんが困難と葛藤がきた時、信仰の決断を下せば、未来は変わるようになっています。この時がとても重要です。皆さんが決断を下す時、信仰の決断を下しましょう。
(2)植える-皆さんに、不信仰が来る時があります。この時、信仰を植える運動をしましょう。
(3)みことば-私たちはどのようにしたら良いのかわからない時が多いのです。この時、信仰のみことばを探して捕まえましょう。
▲私の人生に、いくら教会通って神学勉強をしても答がなかった時がありました。ますます難しかったのです。経済、家庭も困難がきました。ずっと困難がきました。教会に行くと、さらに難しかったのです。教会行くとずっと戦いました。こういう気がしたのですよ。私が、これから牧師を継続しなければならないのか、こういう質問が出てきました。その時でした。私がこの三つの重要な信仰を回復したのです。その時は、神様にこのように祈りました。神様、私は人に頼りません。人を愛して尊重するが、頼りません。私は背景もお金もありません。私に福音を伝えられる教会に導いてくださいと信仰の決断を下したのです。その時、チョ牧師が私に紙を持ってきました。私が人生の葛藤をしばらくしている時でした。何かと言ったら、釜山(プサン)市内の空の教会30ヶ所の名簿です。それと共に、自ら分析をして教会の特徴と長老に対して言ってくれたのです。そして履歴書を書いてみろということでした。履歴書を書けば、自分が手伝いをするということでした。一緒にご飯を食べている時でした。それで分かったと言いました。その時、チョ牧師が有名な話を残しました。今でも忘れることができない言葉です。神様がすることがあって、人がすることがあるということでした。正しいことです。分かったとして別れたのですが、夜明けに神様の前にひざまずきました。昨日の夜には、その言葉がそのように正しかったのですが、夜明けに祈ってみたら、違ったのです。私を殺す、生かすのは、神様ではないのか? 私がどの教会に行くのかは、神様の主権ではないのか? 必要ならば、誰かから連絡がくるはずではないのか? 神様、私を福音だけ伝えられる教会に送って下さい。私が信仰の祈りをし始めたのです。その祈りが答えられたのです。今、私がインマヌエル教会に行くようになったことは、皆さんと共に思いきり世界福音化をしろとの祈りの答えです。羊はどこにありますか?と質問した時、羊は主ご自身が準備されたとアブラハムが答えました。5秒もかからなかったのです。羊は、ご自身が準備されたという返事をするのに5秒もかからなかったのです。ところで5秒後に世界をひっくり返すみわざが起きたのです。
▲絶対に心配してはなりません。失敗しても、足りなくても、心配してはなりません。完全に福音の中に入りましょう。入る道が信仰です。そして、信仰の決断を下しましょう。不信仰が尋ねてくる時、信仰に変えましょう。どのようにするかもわからない時、瞬間、信仰のみことばを捕まえましょう。そうするうちに、大きい困難がきたのです。それで、神様の前に祈り始めました。私は福音だけ伝えます。許してください。本当に福音くださった神様、福音だけを伝えます。その時、何を悔い改めたのでしょうか? 高慢を悔い改めたのです。本当に不思議です。その時、祈ったことがみな答えできました。神様は信仰の通路で、福音の中に入れば、完全に勝利することができます。この祝福を受けることを望みましょう。
メッセージを捕まえて、そばの人を祝福しましょう。完全福音の中に入りましょう。完全勝利しましょう。
(The end)