[2005年8月20日/ソウル核心要員メッセージ/ソウルイエウォン教会/柳光洙牧師]


伝道者とレムナントは主だけを見上げなさい
(Ⅱ列王7:1-8)


@序論:今、アラム軍隊が攻め込んできて、国民が飢え死にそうになる状況になりました。すると、王もつぶやいて、国民、長官も不信仰をしています。真に呆れ返ることが起きました。それで、伝道者とレムナントは何をすべきなのでしょうか? 皆さんは伝道者であることが明らかなので、レムナントは何をすべきでしょうか? 主だけを見上げましょう。
* 失望:私たちは失望することが本当に多くあります。それで主を見上げましょう。一時ものがしてはなりません。皆さんに失望することが起これば、試みにあえば損です。
(1)ローマ3:10,23,7:24-25:ローマ3:10節に、すべての人は義人は一つもいず、みな罪人だと言いました。そして、23節を見ればすべての人が罪を犯したので、神様の栄誉を受けることができないと言われています。ローマ7:24-25節を見れば、救われても揺れるのです。重要なのは皆さんが失望されることが周囲にできたりきたり見たりもするのです。ひとまず、こうしたことで気をおとせば、その次のことができません。
(2)利-自分:なぜそうであるかというと、私を含めてすべての人は、ほとんど自分自身の利益のためにするためです。ほとんどみな他人の利益でなく、自分の利益のためにします。自分が損すれば嫌いで、利益が出れば喜びます。今年は格別に暑いのです。しかし、このように暑いのに、この席になぜきたのでしょうか? 皆さんが勘が良くて、ここがすばらしい席だと知って、利益になるから来ています。当然のことです。ここが損になるなら、なぜ来るでしょうか? 人は利益について動きます。ある時は、親も子どもに利益を求めます。とても損をあたえる子どもがいれば、嫌いです。子どもを同じように愛するといいますが、利益なる子どもがはるかに良いのです。こういうもので集団を成し遂げているので、失望することが生まれないでしょうか?
(3)現実:そして人々は少しも遠くを見なくて、ほとんど現実の目の前のことを見ます。こういう人がさらに多いのです。だから、こういう人たちが集まるので、私たちがどれくらい失望されられることがたくさんあるでしょうか?
(4)雰囲気:そして、人々はほとんどみな雰囲気によって動きます。ほとんど世論よって動くのです。ほとんど目に見えることによって動きます。
(5)偏見、体質:そして人々は、ほとんど偏見を持っています。そして、自分の考え、自分の体質のとおりするしかないのです。私たちの周囲にはあまりにも試みにあう事が多いのです。
(6)律法、体質:また人々がさらに深刻なのは、ほとんど福音なのかと思うのですが、律法です。変に真の救いを味わうことができずに、どんどん宗教を味わうのです。そして、神様の恵みを重要だと思うべきなのに、ほとんど自分自身の努力にするのだと思って生きています。これだから、失望することが起こるのです。神様の恵みを受けてナアマンが癒され、アラム軍隊に帰って、ナアマンを直したイスラエルを攻撃してきたのです。このようなことができるのでしょうか? イスラエル民族を殺すために、完全に囲んだので、想像できない事、お腹がすいたので、子どもを取って食べたという記録があるのです。皆さんが、どれくらいお腹がすいていれば、子どもを取って食べるでしょうか? お腹がとてもすいていれば、理性を失うのが事実でしょう。雰囲気がそのようになったようです。そして、王が話にもならなくエリシャを恨んだのです。ただ、あなたのために、アラムの国がこのようにすると言ったのです。他の見方をすれば正しい言葉ですが、話にならない話をするのです。それで、今日読んだ本文のとおり、神様がこのサマリヤに粉をくださって、私たちを食べるようにされるだろうと言ったのに、誰も信じる人がいないのです。それよりさらに笑わせることは、中東でらい病患者が良くなるでしょうか? 私たちがこのような時、祈ろうといっても不十分ですが、私達がアラム軍に降参しようと言ったのです。それで行ってみたら、人がいなくて金と銀があったので、それも盗んで隠したのです。私たちの周囲には、このように失望することが本当に多いのです。
* 受け入れ、超越:伝道者の皆さんは、主を見上げるべきですが、主を見上げる前にすべきことがあります。伝道者とレムナントは、ただ二つのことを記憶しましょう。失望して気をおとせば、皆さんは絶対だめなので、全てのものを受け入れましょう。みな違ったものを受け入れるべきでしょうか? そして超越しましょう。主だけを見上げましょう。この話は普通の話ではありません。皆さんの中で、時間があれば失望して、倒れて、すねるのですが、絶対大きい働きは出来ません。そして、すでに救われたのですが、この世でずっと失敗します。私たちが5分だけ話をしてみれば、その人が答えを受ける人なのかどうか、すぐ知ることが出来ます。答えを受けられないのは、すでに目立ちます。話をしてみれば、すごくオーバーですが、オーバーならば、答えを受けられません。人々の中には、大げさに言う人がいるのですが、絶対に答えを受けられません。膨らませて人間中心主義を使うのに、これが答えになるでしょうか?残念です。そして、反対に何か見れば、傷ついて、気落ちがする人が多いのです。これを持っていれば、皆さんを一生付いて回りながら押し倒します。伝道者とレムナントは、全てのものを受け入れて超越しなさい。どのように受け入れるのでしょうか?福音ならば受け入れられます。どのように超越することができるのでしょうか? 主の力、主を見上げれば超越することができます。答えです。これをエリシャが上手なのです。そのように恵みと力を与えられても、すぐに問題がきます。教会の働きを熱心にして、このように試みあえばどうするのでしょうか?

1.主:全てのものは受け入れて超越して、主を見上げましょう。必ず記憶しましょう。主を見上げるというのは、何もしなくてじっとしていることだと思う人々がいるのですが、それではありません。それで、神様の計画を探すことで、ここで重要な神様の祝福を味わおうということです。
(1)恵み:創世記6:1-8節を見るのと、その当時に神様とともにいる完全な者で、神様の恵みを味わったと言われています。ノアです。どれくらい世の中が変なのか、このノアは主を見上げたのです。
(2)祭壇:アブラハムがいくらもがいても、答えが来なかったのです。ある日、悟ったのです。創世記13:18節に全てのものを譲歩して、祭壇を築いたということは、主を見上げたのです。主を見上げるというのは、全てのものを捨てて、主を見上げるということではなく、全てのものを理解して受け入れて、単に受け入れれば死ぬので、超越して、主を見上げよということです。
(3)創世記45:5:ヨセフを見ましょう。ヨセフが何といったのでしょうか? 創世記45章を見ましょう。その困難をどのように勝ったかというと、神様がこのようにされたということです。兄がぶるぶる震えるので、憂えて恐れないで下さい。お兄さんが私を売ったのではなく、神様が私を先に送られたのだ。と言いました。すごいでしょう。私たちもできるのです。私たちが本当に主を見上げたら可能です。私たちが本当に福音で、すべての問題が解決されるから、受け入れることができるのです。その次に、より大きい祝福が、主の恵みを受けるので、主を見上げようということです。
(4)出エジプト3:1-20:出エジプト3章を見ましょう。40年の間、祈っても答えが来ませんでした。出エジプト3章を見ると、モーセがいよいよ主の恵みを受けて、見上げ始めたのです。
(5)詩23:1-6:難しいことをダビデがどのように勝ったのでしょうか? 詩23篇を見ると、主は私の羊飼い、私は乏しいことがありませんと言いました。その話は、主を見上げたということです。レムナントは、必ず記憶しなければなりません。皆さんに起きる失望と傷に陥れば、絶対にだめです。時々、牧師の中にも、傷を持った人が多いのですが、ここに陥っていれば、どの場合にも牧会に成功できません。もし役員が傷の中に陥っていれば、その余波で、両側で傷を受ける人が多くいるということです。いかなる試みがきても大丈夫です。理解できます。そして、超越することができるのです。どのようにでしょうか? 主を見上げれば良いのです。
犬らは頭が良いのです。走っていって、止まれ、座れ、みなできます。一つは絶対できません。主を見上げるのはできません。霊がないから、見上げることができません。私たち人間だけが、主を見上げれば生きるのです。私たちの人間だけ霊を持っています。人間は永遠に生きる動物です。それで、主を見上げましょう。どのように、その問題を超越して受け入れるのでしょうか? 主を見上げましょう。
(6)詩81:詩81篇を見ると、主を見上げれば、力ある御手であなた達を助ける。あなたの敵がいれば、力ある御手で解決する。これからを見ましょう。皆さんを迫害して、難しくして、伝道を防ぐ人がどうなるのか見ましょう。
(7)力:ただ主を待ち望む者は新しい力を得る。力を得ることを望みます。わたしを呼べ。単純な話ではありません。祈れということでなく、叫びなさいです。主を見上げよということです。あなたの知らない、理解を越えた大いなる事を、あなたに告げよう。よく記憶しましょう。

2.理由:今日の本文を見ると、主を見上げなければならない理由が出てきました。
(1)裏切り-エリシャ:アラムの王と軍隊がこのようなことができるのでしょうか? イスラエルが自分を手助けしたのに裏切ったのです。このように人は不道徳なのです。事実は、エリシャのためということが正しいのです。未信者がどれくらいできなかったかというと、能力のある者を見て、助けを受ければ有難いのではなく、この人のために私がだめだと思うのです。こんにちの世の中と同じです。だから、エリシャがナアマンを直して、アラム軍隊の目を暗くもしたのですが、これを違うように考えたのです。私たちが間違ったと思うべきなのに、将軍も直して有難いというべきなのに、逆に考えたのです。エリシャがいる以上は、何もだめだと思ったのです。エリシャがいる以上は、イスラエルを滅ぼすことができないと思って、攻撃してきたのです。
(2)民:イスラエル民族が飢え死にしそうになって、どれくらい国民が醜くなったかというと、子どもたちを煮たと記録しています。
(3)王:王がエリシャを恨むのです。
(4)長官:この時、エリシャが神様が食べ物をくれるので、心配しないでと言ったので、この話しを聞いた長官が、とんでもないことを言うなと言って、不信仰して恨むのです。
(5)患者:この時、4名のらい病人がもがいていたのです。率直に、戦争が起きて病気になれば死ねば良いのに、生きるために、アラム軍隊に行って降参しようと言ったのです。中東で戦争が起きて、らい病にかかれば、死ぬのが明らかなのです。私たちが祈って死のうといっても良いくらいなのに、アラム軍隊に行って降参して食べようと言ったのです。80,90才になって癌にかかれば感づきましょう。90才まで生きれば十分なのに、それに手術して薬を飲んで生きようと地団駄を踏まないように。今、国がほろびて、民が死んで、病気にかかったのに、どこに降参をすることのでしょうか? ところで行ってみたら、人がいなくて、金銀があるので、これも盗んできたのです。その中のひとりが‘違う。今、食べ物が人々がいないので、はやく行って知らせよう’と言ったのです。
(6)不信仰:臣下、長官、王まで全部、神様に不信仰したのです。しかし、主を見上げる者、待ち望む者を通して、神様は確かに奇跡を起こされるのです。エリシャが祈ったでしょう。その日の夜に不思議なことが行われたのです。アラム軍隊の耳に途方もない話と、軍隊が捕まえに来る音が聞こえたのです。その日の夜に、アラム軍隊が逃げたのです。どの程度かというと、ある物をおいて行くほどです。皆さんの家に火事が起これば、服をもって出てくるでしょうか? みな置いてきたのです。神様がなさるのです。実際に迫害したメアリ女王がそのような話をしました。ジョン・ナックスを殺そうとした時、メアリ女王の耳に百万の軍隊が馬に乗って行く音が聞こえたのです。神様が答えられれば、想像もできないことが行われます。

3.何を?
:成功する伝道者とレムナントは、何を堅くつかまなければならないのでしょうか?
(1)計画:試みと迫害がきた時、どのようにするのでしょうか? 何をすべきでしょうか? このような時、神様の計画を発見しなければなりません。お兄さんが売ったのではなく、神様が送られたのだ。この話は、ヨセフが困難をくる時ごとに、神様がなさることとして見たのです。困難がくる時ごとに、神様の計画を正確に見つけなければなりません。モーセを見ましょう。恐れないで。今日、主が私たちのために戦われる。さらに重要な計画を言いました。今日、あなた達が見たエジプトの人は、もう二度と見ることができない。何の話なのでしょうか? 神様がエジプトを一度に倒されるのです。重要なことを発見しました。主は私の羊飼い。私は乏しいことがありません。たとえ死の陰の谷を歩くときも大丈夫だ。主のむちとツエが、私を慰められます。ダビデが言った言葉です。死ぬかと思ったのですが、7千人弟子を残した。これを発見した日、エリシャとエリヤは生き返ったのです。パウロ、恐れてはなりません。暴風の中でも、神様の計画が伝えられたのです。神様の計画がある以上、皆さんは揺れる必要がありません。ある重要な使命者が、自分が病気になって、病院に行きながら電話をしたのです。簡単に話しました。今、深刻だから祈ってくださいと言いながら、自分が死ぬかも知れないからと言うので、簡単に話しました。まだ死なないから心配するな。パウロ、恐れてはなりません。神様は皆さんに行われることをみなした後に、呼んで行かれるので、まだ中間に仕損じられることがないと言いました。当然、呼んで行かれる時刻表になれば、呼んで行かれるので、私たちが抵抗するでしょうか?
(2)未来:皆さんに勝利がくればどのようにするのでしょうか? 初代教会以後、中世教会がどうなったのでしょうか? そのような問題が来てはなりません。改革教会以後の現代教会を見ましょう。私たちは答えきた時、それをとらえて、喜んでいないで、未来を見なければなりません。タラッパンの戦いは200ケの教団と戦う戦いではありません。申し訳ない話でうが、絶対に付いて来ることはできません。タラッパン運動は、異端と不信仰する悪い団体との戦いではありません。すでに終わったのです。勝利するようになっているのです。私たちが正しい福音を伝えれば勝利するようになっています。私がする祈りは別にあります。どのように、この福音をレムナントや子孫が落とさないで持って行くのか? これが私の祈りで、私たちの祈りにならなければなりません。私たちが、これから大きい復興が起きるのに、どのように、その中で福音を維持していくのでしょうか? 牧師と多くのタラッパンメンバーにお願いします。私が全能だということでなく、これを置いてずっと祈って、システムと方法をいえば、はやく追いついてくれなければなりません。私たちは未来を置いてするのです。これからレムナント集会は、数万名が集まるのに、どのようにするのでしょうか? これから、精神を正しく整えた人ならば、すべての専門担当者とレムナントが来るのに、どのようにするのでしょうか? これから共同体訓練場を通して、エリート、一流が起きるのに、どのようにするのでしょうか? その後にも、福音を維持しなければなりません。わかるでしょうか? 昨日の夜に疲れたのですが、パク・ジュヨン選手のマネジャーを捕まえて2時間話をしました。とても良い人です。そして、祝福の祈りをしました。マネジャーがどれくらい重要でしょうか? これが何の運動で、あなたが誰なのか分かるのか? この選手が誰なのか分かるのか? この話をしました。私たちは答えがくるのは当然、くるようになっています。祈りが違わなければなりません。
(3)開始、最後、常に:伝道者とレムナントは、全てのものを受け入れながら、どのように始めるべきでしょうか? 主の前でしなければなりません。分かるでしょうか? 下の上も知って、すべての人も知って、礼儀もそろえなければならないのですが、一番最後に立つのが、どこなのか分かるでしょうか? 主の前です。私たちは、こうしたこと、ああしたことが常に起きるのですが、私がどこに立たなければならないのか分かるでしょうか? 主の前です。これがエリシャを通してあらわれるメッセージです。神様の大きい祝福を受けることを望みます。私はずっと走るから2つのことに気を付けます。食べ物と病気に気を付けています。可能ならば、忙しく通う時は、簡単な味噌チゲで食べ物の代わりをします。米国では、食べ物をこのように食べてもかまわないかと言われるのですが、違います。風邪になれば、私は休まないので2-3週がかかって、1ケ月もかかります。一度は、外国に行こうとしたら、家内がインフルエンザがかかったのです。静かに見たら、移われそうだったのです。私は移されてはいけないので、離れた所に行きなさいと言いました。しかし、この言葉を理解できなくて、さびしいと涙を流すのです。結局、私が風邪を引きました。風邪は、空気に乗って、事実は、車の中に一緒にいるだけでもかかるのです。このように風邪をひいたのですが、集会は継続しなければならないから、どれくらい大変なのかわかりません。だから、良くならずに続いたのです。それで、この話をする理由が、風邪を引いて米国に行ったら、ある人が、メッセージを聞いて風邪がひいたと知ってそれに合う薬を準備していたのです。しかし、薬でない食べ物なのに、本当に効果があったのです。それで、要請をしてそれを買ってきました。今でもそれだけ飲めば、私に合うのです。それが何でしょうか? 言いません。その話をしようとしたのでなく、私のメッセージを聞いて‘風邪を引いたんだなあ’と準備する人がいるかと思えば、思い切り電話で話して‘牧師先生、風邪を引きましたね’と言う人がいます。このように違いが生じます。なぜそうでしょうか? 私に電話を通話をして、風邪を引いたのを発見した人は、絶対に私のメッセージを聞かない人です。内心、あなたは核心も聞かないんだな、大変なことになるだろう思いました。このメッセージをいつも聞く人は、風邪を引いたことも、メッセージが何かも分かります。メッセージがいつも生きていなければならないのです。もう一度話します。牧師にも話しました。可能ならば、わかる時までするでしょう。レムナント大会は祭りで、その後の中・高等部修練会が本当に重要です。ここで、レムナントに祈りの答えを受けられる5つの原則、祈りの答えを受けられる5つの原理を講義しました。今、話を簡単にするから、皆さんの子ども達とフォーラムをしなければなりません。
①真の願い-全能者、みこころ:最初の原理です。私が真の願いを持ったのか? 本当に真の願いが私にあるのか?この時、神様が答えられるのではなく、その時だけ神様の全能であることを使われるのです。神様はいつも皆さんとともにおられるので、答えるのですが、全能という言葉とは違うのです。私が真の願いを持つ時、神様の全能なことを使われるのです。真の願いではないので忘れてしまうのです。真の願いを持っていれば、忘れることもありません。真の願いを持つ時、神様のみこころと合うのか、違うのかも分かるのです。ここで奇跡が始まるのです。ここで答えが始まるのです。真の願いです。神様、私は本当に勉強をよくすべき理由があります。神様は創造の力で働かれるでしょう。私は本当に親のためにこれをしなければなりません。そのような願いがあるならば、神様はその時から全能者として働かれるのです。これが最初の原理です。単なる願いでなく、本当の願いです。多くてもかまわなくて、小さくてもかまわなくて、一つでも百個でもかまいません。
②祈りの課題:二番目です。私たちは祈りの課題という言葉を勝手に使います。これが問題です。二番目の祈り答えを受ける原理が祈りの課題です。祈りの課題を記録してみましょう。多くてもかまわなくて、少なくてもかまいません。よく聞かなければなりません。この祈りの課題を、いつも見るようになってこそ、正しい祈りの課題です。私が真の願いを持って作った祈りの課題ならば、定刻の祈りの時もするようになっています。私が真の願いの祈りの課題ならば、常時祈りのでもするのです。正しいでしょうか? これを学生たちが悟らなければなりません。祈りの課題を読んでみるのも祈りです。祈りの課題を置いて思うのも祈りです。これがより良い祈りです。長老が目をとじてするのも祈りですが、書いて出てきて読むのも祈りです。これはよくわからなければなりません。祈るとは思わない人が、書くことがありますが、祈りをよくする人書くことができます。祈りの課題が本当に決定されていれば、どんどん修正されます。この祈りの課題をいつも持っていれば、補われます。それで祈りの手帳を活用しようというのです。この話をわかれなければ、祈りの手帳を一度読むと終わりですが、この話を理解すれば、祈りの手帳をいつも見るようになるのです。時代を動かす祈りの課題を持っていつも見ましょう。さらに正確に話せば、いつも見るようになります。これが祈りの課題の定義です。定刻、常時祈りになるしかありません。あまりにも衝撃を受ければ思い出すでしょうか、出さないでしょうか? 事実通り見れば、思い出すでしょうか、出さないでしょうか? お腹が痛ければ、胃腸薬が思い出されるのか、出さないでしょうか? 出すしかありません。ここで全てのものが決定されるのです。聖書で答えを受けた人は、みなこのようでした。アブラハムは名前を変えたのです。祈りの課題を変えました。サラも名前自体が祈りの課題です。ヤコブもイスラエルに名前を変えたのです。常に人と神様がともに勝利する。これが祈りの課題です。タラッパンメッセージがここから出てくるのです。常に持っている祈りの課題の中から出てくるのです。タラッパンの戦略もここから出てきます。ひょっとして、私が説教する時、誰かを例にあげて比喩をする時、誤解してはいけません。そのような事件が何個かある場合、例えば話をするのに、親しい人と知っている人を例にあげるのです。これは数人によって問題がきそうだったから、家族と友人、教会を例にあげるのです。これを部分的に理解して、誤解をしてはいけません。私たちが誤解もあるのですが、祈りの課題も誤解が多いのです。祈りが良くできないというのは、何の話なのでしょうか? 祈りの課題を読んでみようとすれば、目がくらんで見られないということなのでしょうか? 突然、ハングルを忘れてしまって、読めないということなのでしょうか? その話になりません。その話は、とても違った言葉です。例をあげれば、小学校を中退したおばさんたちがする、そのような祈りではないのです。そのような形で信仰生活をすれば、皆さんの子ども達が祈りを学ぶでしょうか? 皆さんの子ども達が、いつも祈りが目に見えなければなりません。それが難しいことでなく、真の願いを集めれば自然になるのです。あなたと私の真の神様の願いとあなたの願いが何でしょうか? それで、祈りの課題は、どんどん変更されるようになっています。それは完成されるようになっています。ここでタラッパンから20個の戦略がみな出てきたのです。昨年、中高等部修練会の現場チームで祈りの手帳に対するメッセージが出てきて、今年は活用法です。1ケ月祈りの手帳が新しく出てくれば、祈りの課題を書いて見ましょう。必ず変更されるようになっています。祈りでなく、書き写すことは変更されません。まったく祈らなくて、書き写すので、全く変更しないのです。わかるでしょうか? これが全部です。それで、今、他の団体で私たちに従ってくることができないのです。私たちが100年先んじています。私たちが集会に行けば、広告を出さなくても、組織がみな動くのです。集会に行く前に、すでにチームの働きが入って、キャンプチームが入っているのです。集会後にも継続的に講師団が入ります。これは一般団体で100年訓練を受けてもだめなのです。祈りの課題です。定刻の祈りになるほど確実でなければなりません。
③みことば-定刻:三番目の原理です。祈りの課題を活用するのを静かに見れば、何と連結しなければならないかというと、みことばと連結しなければなりません。この時から、みことばが何か分かるのです。タラッパンメンバーは、ある時、見ると、みことばを占いのようにあっちこっちに合わせるのですが、みことばに恵まれなければならないのです。その中で、神様の深い恵みがくるのです。その中で、神様が与えられる大きい力がくるのです。これを定刻の祈りと言います。聖日礼拝も定刻の祈りです。一人ですることも定刻の祈りです。これが3番目の原理です。学生たちがよくわかったのか分からないが今回、話したのです。
④現場-常時:四番目の原理です。今は問題があろうがなくても、関係がありません。全部、答えです。現場を見る祈りです。それで不信仰で見ずに、祈りで見ろということが常時祈りです。これが四番目の原理です。ここに座ったのに、新しい恵みと新しい祝福がないと考えれば、四番目の原理をのがしたのです。ヨセフのように、良くないことが起きます。それも答えです。
⑤7つの祝福:五番目の原理です。私たちはこの四つだけしていれば、霊的な問題を持った人は何もしないで退屈だと感じます。昔、グッ(降霊術)して来た人は退屈です。神秘主義した人はつまらないのです。すでに病気にかかっているのです。運動して、起きてご飯食べることで健康が維持されるべきなのに、これにならなければ、他のことをしなければならないのです。それで七つの祝福を味わいながらしなさいと言うのです。グッ(降霊術)としたい人は、グッ(降霊術)せずに聖霊充満を受けなさいというのです。七つの祝福なかで、七つの祝福を持ってしろということです。このようにすれば終わりです。レムナントが、世界征服しながら祈りの答えを受ける5つの原理です。これを大人たちが知らないのに、子どもたちはどうでしょうか? 皆さんが広告を聞く方法も分からなければなりません。広告を聞くとは思わないから、祈りの答えを受けられないのです。世界宣教大会という時、どんな契約をつかんだのでしょうか? 私はこのようにつかみました。神様、私の子ども達が、私の孫、子孫が生きていきながら、宣教師一家庭程度は派遣できる力を下さい。何の話なのか分かるでしょうか? この程度でなければ、虫のようにご飯を食べようとするのですか?私たちが虫でしょうか? 私はこの契約を持って宣教師大会に参加します。私の孫達が大きくなって、宣教師一家庭を派遣できる力を受けなければなりません。毎日、ご飯も食べられないで、もがいても良いでしょうか? この契約を持って宣教師大会に参加しましょう。
* 流れ:二番目レムナント共同体、どんな契約をつかんだのでしょうか? 私は神様が祝福される流れを見ました。全てのものには流れがあります。神様の祝福の流れはレムナントです。ここに献身するのは共同体です。絶対のがしてはなりません。祈れる、祈れないと話さないで。ただ一ヶ月だけしてみましょう。皆さんがあまりにもしなかったので、1ケ月だけでも働きが起きるでしょう。一年だけしてみましょう。その時からは、私と皆さんが通じるでしょう。‘その話だったのだな’必ずこの祝福を子ども達に伝えることを望みます。
-要約-
<伝道者とレムナントは主だけを見上げなさい(Ⅱ列王7:1-8) >
1.主を見上げる者
(1)創世記6:1-8  (2)創世記13:18  (3)創世記45:1-5  
(4)出エジプト3:18-20  (5)詩23:1-6  (6)詩81:1-12   (7)イザヤ40:31,エレミヤ33:3
2.主だけを見上げる理由
(1)悪いアラム王と軍隊(Ⅱ列王6:24-27)  (2)醜いイスラエルの民(Ⅱ列王6:28-29)
(3)無知で悪いイスラエル王(Ⅱ列王6:30-33)  (4)不信仰する長官(Ⅱ列王7:1-2)
(5)衣食住でもがくらい病人(Ⅱ列王7:3-9)  (6)神様の働きを信じない臣下、長官、王(Ⅱ列王7:10-20)
3.成功する伝道者とレムナントは何を堅くつかまなければならないのでしょうか?
(1)試み、迫害がきた時
①創世記45:5  ②出エジプト14:1-13  ③詩23:1-6  ④I列王19:1-20  ⑤使徒27:24-25
(2)勝利、答えがきた時
①初代教会以後-中世教会  ②改革教会以後-現代教会
(3)伝道者、レムナントの人生
①開始(イザヤ6:1-12)  ②終わり(イザヤ40:31)  ③常に(Iテサロニケ5:16-18)