[2005年11月26日/核心要員メッセージ/ソウル芸苑教会/イ・サンベ牧師]


レムナント運動を悟った女性
(出エジプト2:1-10)


私たちは経験的に知っています。柳牧師と一緒に働く牧師、一般信者使命者が動く所には、神様のみわざが確かにあります。伝道者が行ったところには、神様が痕跡を残されるのです。偶像をうち砕いて、伝道弟子が起きて、伝道が継続されるしかないシステムが立てられるのです。しかし、肉体的に見れば、だいぶ大変で疲れます。今日も見たら、一緒に行って来られた、チョン・ウンジュ牧師、総会長牧師、キム・ドンゴン牧師、チェ・ジョンウン牧師などがみな来ておられます。私ならば来ないだろうと思ったのに、来ておられます。私たちが祈りを背後で継続しなければなりません。この時間に、私たちがすべての伝道者のために、LA多民族集会のために、私たちが去った後にも、ずっと答えが起きるようにお祈りするように願います。

@序論:レムナント運動を悟った女性ヨケベテについて語られています。聖書をレムナント運動を中心に、ずっと見ています。レムナント共同体訓練場時代に突入しました。私たちが神様みことばをレムナント運動を中心に見ていかなければなりません。なぜレムナント共同体が重要かを深く考えなければなりません。
(1)世界を見れば、共同体でなければならないことを実感しまう。
-全世界の宗教集団を見れば、知ることができます。政治、経済集団を見ても、知ることができます。イスラム教も同じです。世界をますます掌握していっています。カトリックを見れば、もっとそうです。完全に中央集権体制になって、カトリックという名前一つで全世界が通じるのです。仏教徒には、色々な仏教があります。韓国仏教、チベット仏教、中国仏教、ベトナム仏教、皆違います。仏教というもので一つとなるのです。世の中の人々が見る時は、それ一つが力です。むやみにできません。
(2)プロテスタント
①個教会中心
②個教団中心
私たちが民族、世界福音化の単語は分かったが心には入っていません。私もやはり開拓しながらも、そのような心がありませんでした。私の教会が復興すれば、民族福音化、世界福音化になると思っていました。そして、only私の教会です。ソウルで副牧師をしていて、浦項で開拓をしました。ソウルにいたあとで浦項に行ったので、ソウルにいた友人が、浦項の近所で知っている人たちを紹介してくれたのです。誰もいない所で開拓するので、訪ねていって、一緒に働くようにと紹介してくれたのです。しかし、その方に電話して訪ねて行くと、一時間以上かかったのです。私がその方に会いに行く時、それほど感動しませんでした。ソウルは一時間の距離が近いのですが、田舎では半日です。それで、心で私たちの教会には来られないと考えます。それで、その人に会いに行く時は、紹介してもらった人のゆえに行くのです。ところが、電話をしたら、私たちの教会と10分の所にいる人がいました。10分の所にいるという便りだけ聞いても、胸が熱くなるのです。熱心に祈って行きました。来ることができるためです。このように泥棒心でした。考えることが、たましい、世界福音化には関係なかったのです。柳牧師に会って福音を悟りました。たましいを愛することが何かを悟ったのです。世界福音化が中心にぶつかってきました。体質がこれ中心に見るから、これを抜いてしまわなければ、世界福音化を本当にするのが難しいということを悟ったのです。初めてタラッパンの現場に行ったのが、高校でした。わざわざ、来ることができない遠い学校を訪ねて行きました。牧師である私がそうだったから、信徒も同じでした。それで、私たちが伝道するのも、まったく私たちの教会に来ることができない距離に行って伝道しようと言いました。それで、初めから福音を福音として伝えるべきで、私たちの教会に来るようにする心でしてはいけないと考えたのです。それと共に、私の体質を個教会主義、個教団主義から抜け出そうと神様の導きを受けました。歳月が過ぎたら、遠方にいる人が、全部、私たちの教会きたのです。どうしなければならないか分からなかったのですが、時刻表になったので、地域教会メッセージが出てきました。それでひとりいても、遠い所にいる人々のために地域教会をします。教教会主義は、私一人だけいれば良いということです。もし私たちが個教会主義の姿ならば、世界福音化ははるかに遠くて、そうしたら、世の中でもプロテスタントを軽く見るのです。あざけりの対象になります。カトリック、仏教は、そのようにできません。
(3)神様の時代的方向-共同体宣教にあります。この前、釜山(プサン)集会のメッセージの時、柳牧師のメッセージでした。一時代の時代的方向がどこにあるのでしょうか。共同体宣教にあります。一つの神様、三位一体の神様から私たちは救いを受けました。救われた私たちは他人ではないと言われました。‘Oneness’と言われました。分けられない一つです。離れているのですが、分けられない一つです。それでは、私の教会、あなたの教会でなく、共同体です。初代教会は共同体で一つになりました。使徒の働きを見ると‘心と思いが一つになった’という言葉がずっと出てきます。私は主張することが、一つもなくてもかまいません。優れた背景もないのに、共同体のためにできたのです。私たちが受けた訓練で、共同体で一つになったら、神様がなさることはものすごいでしょう。聖書に現れた奇跡が、私たちの時代に現れると信じます。そのような観点で、聖書をレムナント中心にまた読まなければなりません。今日、奇跡のような事が起きました。ほとんど知らずにしたのです。しかし、本当に正しく知ってレムナント運動を始めた女性が出てきました。ヨケベテです。モーセのお母さんヨケベテです。アブラハム家系はものすごい祝福を受けたのですが、レムナント運動の祝福をのがしました。ヨセフ本人は途方もない祝福を受けたのに、レムナント運動の祝福をのがしたのです。その結果、奴隷、植民地、捕虜になりました。その中で、レムナント運動の祝福を知った人が出てきました。まさにヨケベテです。

1.聖書はレムナント運動を中心にして起きた神様の働きが記録されています。
レムナント運動を悟った本人、両親を用いられました。
(1)創世記12:1-9,創世記26:10-24,創世記37:11,創世記45:1-5
△族長時代の時、用いられた家系がアブラハムの家系です。アブラハム、イサク、ヤコブ、ヨセフは、レムナントが理解できなければ正しく人生を理解できません。
(2)出エジプト2:1-10,出エジプト3:1-20,民14:1-10
△出エジプト時代に、ヨケベテ、モーセを神様が用いられました。神様がモーセとともにいたヨシュア、カレブも用いられました。一時代の方向が、レムナントとレムナント共同体という事実を知る人を神様は用いられました。
(3)Iサムエル1:1-11,Iサムエル3:1-18,Iサムエル7:1-15
△士師時代にハンナとサムエルを用いられました。ハンナは自分の息子をくださいと言って、一歩遅れて悟ったのです。私の息子でなく、本当に神様の働きをする男が必要だということを悟ったのです。そのことのために、息子を与えられれば、全生涯を捧げると言いました。神様が願われることが、レムナント運動だということを悟る時、答えを与えられました。そのサムエルが、全民族が神様に立ち返るミツパ運動をしたのです。
(4)Iサムエル16:13,Iサムエル16:23,Iサムエル17:1-47,I歴代29:10-14
△王時代に、サムエルとダビデを用いられました。ダビデが油を注がれました。竪琴を演奏した時、サウル王についた悪霊が離れるようにされました。演奏が上手だから悪霊が離れたのではなく、レムナントのダビデが演奏して悪霊が離れたのです。ゴリヤテを一気に倒しました。神殿を建築して、全てのものが神様からきたと神様に栄光を帰しました。
(5)I列王19:1-20,Ⅱ列王2:1-11,Ⅱ列王6:8-24
△預言者時代に、これを悟る時まで困難きました。これを悟ったエリヤが、レムナントのエリシャを立てたのです。私たちの身分に関係なく、私たちが神様の働きをすれば、天の軍隊を動員させて下さるでしょう。
(6)イザヤ6:13、イザヤ7:14、イザヤ40:6-31、イザヤ43:18-21、イザヤ60:1-22、イザヤ62:6-12
△みな滅びても大丈夫で、神様が残された切り株だけ残っていれば良いと言われました。預言者イザヤを通して、このレムナント運動がずっと広まったのです。インマヌエルを言われました。彼がみことば運動をしたのです。これのために全てのものが回復するだろうとおっしゃられました。起きて光を放つだけで良いと言われたのです。それで、私たちがこのようになるために、祈りの見張り人になれということです。各分野にレムナントが起きて、キリストの光を放つ時まで、私たちが福音の見張り人なれば良いのです。
(7)ピリピ3:1-20,Ⅱテモテ2:1-7
△歴史において最も多くの変革を起こした人がパウロですが、パウロがテモテを立てました。聖書はレムナント中心に書かれました。レムナントが喜んで賛美しているのは、このレムナント運動のために喜んで賛美するのだと信じます。一時代にレムナントを悟ったか、悟ることができなかったかは、一生を左右します。それで、世界史の中心は、レムナント運動になるとおっしゃられました。聖書に見ればそうです。レムナント運動がある所が、世界史の流れを主導しました。

2.神様のみこころを悟った女性を通して、最も重要なことが成し遂げられました。
(1)モーセのお母さんヨケベテ
△ヨケベテは、レムナント運動をする環境ではなかったが、神様の計画を見たのです。いくら絶望の瞬間にも、神様の道はあるのです。これが福音です。みな終わったのに何もないということに道があって、神様は始められるのです。ヨケベテがこれを見たのです。
①エジプトの貴族だったイスラエル(創世記37:28-34)
②奴隷になったイスラエル(出エジプト1:1-14)
③滅びの危機に立ったイスラエル(出エジプト1:15-22)
△急速に多くなったイスラエルを見て、王が恐れを感じました。悪い王が、自分の民族を保存するために、イスラエル男の子を殺すことにしたのです。奴隷程度でなく、民族が抹殺される危機に出会いました。ヨケベテがこの危機の前に決断をしたのです。
④ヨケベテの決断(出エジプト2:1-10)
△単純に息子を生かすべきだという程度ではありません。滅びの危機に立ったイスラエルのために、レムナント運動をしなければならないと決断したのです。若い世代が福音を持って立ち上がらなければ、希望がありません。ヨケベテがこれを見たのです。
(2)ヨケベテのレムナント教育
①王宮で乳母
△それで、王宮の乳母として入りました。幸いなのは、その時、長い間、乳を飲ませたのです。乳離れさせた次にも、両親が要請すれば乳母がついていて、養育することができたそうです。絶望の瞬間に、機会を見出したのです。こういう堪え難い時代にも、レムナント運動をしました。
②モーセ五書を記録したモーセの背景
△乳を飲ませながらずっと伝達したのが、何だったのでしょうか。ヨケベテはレビ族でしたし、レビの女でした。血の奥義を知っていたのです。福音の奥義を知っていました。なぜキリストかという秘密を分かったのです。個人の問題でなく、民族、世界の問題だということが分かりました。単に乳を飲ませたのではありませんでした。すべての人生、未来をおいて乳を飲ませたのです。レムナント運動のためにです。これがモーセ5書の背景です。
③モーセ五書の中の重要な奥義
△モーセ五書には、神様の救いの奥義がみな記録されています。創世記を通してすべての開始と問題、解答をみな話しています。出エジプト記で一つの民族を通してどのように救いの奥義を成し遂げるのかを見せました。奴隷になっても大丈夫だということです。小羊の血を塗る日、神様がみな解放させてしまわれました。私たちが家系の呪い、民族の呪いを持って生まれても関係ないのです。過越の羊の血を塗れば、みな解放されるのです。その民が味わわなければならないことを出エジプト記で話しています。レビ記は血のささげ物を言います。血を流すことがなければ罪の赦しはないと言われました。私たちが二度と血を流す必要なく、イエス・キリストが十字架で一気に永遠に解決されたのです。この救われた奥義を、神様が終わりまで責任を負われるということが民数記です。キリスト・イエスのなかで、神様の愛をどんなものも奪っていくことはできないと言われました。どんな不道徳な者も、私たちを神様の手のなかから奪っていくことはできないと言われたのです。数字をみな記録しました。これがモーセ五書の民数記です。カナンの地に入るようになっているから、入れば一つだけ捕まえなさいと言われました。これがみことばです。申命記を見てみましょう。モーセ五書で救いについてとても明らかに証明しています。これがレムナント教育です。私たちが育ててたレムナントが、一時代にどんな思想によっても倒すことができないということを体験すれば良いのです。聖書は確かに話しています。人間が作った全ての思想を終わらせる力があると話しています。全ての思想は、創世記3、4、5章、サタンが作ったところから出てきたのです。それで深く入るほどさらに苦しみがきます。しかし、これを解決するのが福音だと言われています。福音を体験して根をおろせば、どんな思想にも勝てます。ローマ政治、ギリシヤの哲学に勝ちました。ユダヤ思想に勝ったのです。マルコのタラッパンに集まったガリラヤ出身の人が勝ったのです。これが福音だと信じます。神様がこれを見て、レムナント運動をしなさいと言われるのです。
(3)短い期間(乳を飲む間)に世界福音化を準備
①王宮を捨てる(出エジプト2:11-25)
②出エジプト3:1-20
③出エジプトの奇跡(出エジプト13:17-22)
④荒野の奇跡(出エジプト14:1-13,ヨシュア3:1-13、ヨシュア6:1-20)
△出エジプト記3章を見ると、モーセが神様から召されました。初めにはできないと言ったのですが、神様のみこころを知って完全に従いました。過越の羊の血の秘密を知って出て行ったのです。羊の血をひとりももれなく塗った時、出エジプトの奇跡が起こりました。その契約を持った者が出て行った時、荒野が彼らを防げなかったのです。紅海、ヨルダン、エリコが防止できませんでした。さらに正確に話せば、世界福音化の契約を持って出て行く時、邪魔になるものを神様が防いで開かれるという事実です。聖書は、神様のみことばです。さらに正確に話せば、聖書だけが神様のみことばです。聖書だけが神様みことばだから、今でも生きて働かれます。それで、みことばを捕まえて祈れば、必ず聖霊の働きが起きます。聖霊の働きは、目に見えないけれど、見える実として現れるのです。それで、信仰生活を良くできるのかどうかは、メッセージがあるかないかということです。神様がみことばを与えられました。アブラハムは、みことばを捕まえて一家、親戚、故郷を捨てて進みました。すべての人がみことばを捕まえて出て行かなければなりません。そのみことばを捕まえたら、みことばを捕まえた者に働かれるのです。それで、私たちは宗教、社会団体と違うのです。神様のみことば捕まえれば、神様が働かれます。神様のみことばをみことばのとおりに信じれば良いのです。自由主義者は、神様のみことばを信じません。人間の理性と頭で、神様のみことばと違うことを分け始めたのです。人間の頭で理解できないことは、みな抜いてしまいました。奇跡、復活、処女誕生も抜いて、みな抜いてしまったのです。そして、分かって説明できることだけ残したのです。残ったものが一つしかないということです。これがイエス様の愛だというのです。福音を抜いて、愛だけ残ったと言いました。だから、伝道をすることができないのです。自由主義の出発は不信仰です。信じなかったので、信じるようにしてみようと説明したのです。だから、信じられないことを、みな抜いてしまいました。子どもを入浴させた後、入浴させた水を捨てると言いながら、子どもまで捨てたことと全く同じです。聖書で福音、救い、十字架を抜いてしまえば、何が残るのでしょうか。福音は神様の義が現れて、信仰によって信仰に達するようにすると言われています。それで、私たちは信仰によって生きると言われたのです。それで、私たちがみことばを捕まえれば生きるのです。レムナントは私たちと違って、これをよくわからなければなりません。先週、大邱(テグ)で高校2年の学生が、柳牧師に手紙を書いて先生に渡したいと言っていました。それで、学生になぜ手紙を渡そうとしているのかと尋ねたのです。先生のメッセージを聞いて祈って受けた答えがとても感謝なので、報告したいのだと言いました。レムナントは、話す内容が違います。みことばを捕まえて祈って受けた答えが感謝だと言いました。私たちはみことばを捕まえて祈りません。私の事情、私が要求すること、私の足りないことを捕まえて祈ります。宣言されたみことばを捕まえてあまり祈りません。しかし、レムナントはそのようにします。男子学生なのに、夢がコックだということでした。コックとして福音を伝えることだと言いました。おいしい福音になるでしょう。それで、自分がインターンシップというメッセージを受けて祈っていたら、神様が知恵をくださったということでした。それで、大邱(テグ)で有名なホテルの社長に手紙を書いたということです。親切にも、ホテルの社長が返事を書いてくれたということです。それで、勉強をがんばって、大学に入ったら会おうといって相談できる人まで付けてくれたということです。この学生は、社会を見る目、人材を見る目が変わるでしょう。宣言されたみことばを捕まえて祈るのに、神様はすべての道を開かれるのです。だから、私たちの事情を神様がご存知です。私がどのようにして、どの道に行くべきか、神様がご存知です。私の難しい状態に、神様が無関心おられるのではありません。私たちが、この状態を見て祈るのではなく、神様がくださった身分、権威を捕まえて祈ろうということです。民族が抹殺される危機の中で、神様の計画を捕まえて祈りました。神様がその答えをモーセを通して答えられたのです。

3.神様の契約の祝福には流れがあります。
全てのものには流れがあります。時代、経済にも流れがあります。この流れを知らなければ、淘汰されるようになっています。この流れは、誰も防止できません。
(1)契約の流れ
(2)答えの流れ
▲どこに流れるのでしょうか。‘レムナント’‘共同体’に流れて行きます。モーセが自分のひとりだけ考えていたとすれば、王宮にいるほうが良かったでしょう。ヨセフが自分のひとりだけのことを考えたとすれば、煩わしい兄を招く理由がありませんでした。契約、答えの流れはレムナントに流れるのです。神様は、レムナントを通して神様の働きを主導して行かれます。これしようというのが‘レムナント共同体訓練場’です。レムナント共同体訓練場をおいてずっと祈りを集めるように願います。神様がすべての作業を水が流れるように進行して行っておられます。自分の教会建築の献金をするより、共同体訓練場の献金することを、さらによくされます。これを見て、牧師達が気分を悪くしないのです。神様の導きを確かに受け取ると言われています。牧師がこういう心を持つことは、簡単ではありません。私の教会を作って、私の教会が復興すべきだと考えやすいのです。しかし、一時代の流れを見て牧師達が喜んでいます。なるしかない神様の働きの証拠です。私の教会よりは、共同体訓練場を作ってレムナントを育てて、世界福音化しようというのです。まちがいなく、なるようになっています。献金を決意するのを見たら、レムナントがほとんどもれなくしています。レムナントを育てる大人たちは迷っているのに、レムナントは躊躇することなしでしています。その年齢でお金が怖いかわからないから、とことん行くこともできます。しかし、神様はレムナントのそのような心を信仰としてご覧になっています。お金が怖いのか分かって、しようかやめようか迷うのが何かもご存知です。今、5千名あまりが参加しています。19ケ国で参加しています。30億円以上決意しました。ひょっとして、していない人がいたら、はやくすることを望みます。祈りながらすることを望みます。なぜならば、ずっとメッセージが出てくるでしょう。しなくて座っていれば、真っ青になって生きられないでしょう。どうせすることは、はやくするように願います。後ほどレムナントに突かれてせずに、はやくすることを望みます。私が総神中心になっていく働きをすれば、神様は完ぺきになさるということを見ています。私たちが研究すればすることもできないのに、神様が門をあけられるのです。なるしかない根拠をいくつか持っています。まちがいなく神様のみことば、計画だということです。
@結論:レムナント共同体訓練場
(1)神様のみことばの計画
神様がすると言われたら、なります。神様が止めることもありません。神様は子どもを通してもなさいます。イスラエルの民ができないから、異邦人の王を悟らせてもなさいます。神様の計画に間違いないならば、神様が成し遂げられるでしょう。
(2)一時代の伝道者の唯一の願い
柳牧師に仕えて見ていると、疲れているのに、絶対に譲歩しないことが一つあります。これがレムナントです。レムナントに会うのは、いくら面倒でもされます。自分の子ども以上に愛を持って祈りながらメッセージをされます。この話を聞いて、みな連れて来たら困ります。メッセージを悟って、正しく悟れば一番良いのです。弟子を立てて、伝道運動をするシステム作りましょう。時間が過ぎればできません。一時代の伝道運動がどのように始まって、困難がきても、どのように進行されるのか、こういうマインドを持った弟子が立てられなければならないということです。今、違ってはいけないのです。すべての食べ物も減らそうということです。私たちは高いものを食べることができません。全てのものを子孫のために使おうということです。一時代の伝道者のただ一つ願いがこれならば、神様がなさることを信じます。
(3)共同体意識を持って一つになる時、神様がなさいます。
タラッパンは共同体ですでに一つになりました。国内、世界が別にありません。牧師、一般信者が別にではありません。私たちを通して神様はいくらでもなさると信じます。レムナントために、私たち生涯をささげる祝福があることを希望します。

--メッセージ要約--
<レムナント運動を悟った女性(出エジプト2:1-10) >
1.聖書はレムナント運動を中心にして起きた神様の働きが記録されています。
(1)創世記12:1-9,創世記26:10-24,創世記37:11,創世記45:1-5
(2)出エジプト2:1-10,出エジプト3:1-20,民14:1-10
(3)Iサムエル1:1-11,Iサムエル3:1-18,Iサムエル7:1-15
(4)Iサムエル16:13,Iサムエル16:23,Iサムエル17:1-47,I歴代29:10-14
(5)I列王19:1-20,Ⅱ列王2:1-11,Ⅱ列王6:8-24
(6)イザヤ6:13,イザヤ7:14,イザヤ40:6-31,イザヤ43:18-21,イザヤ60:1-22,イザヤ62:6-12
(7)ピリピ3:1-20,Ⅱテモテ2:1-7
2.神様のみこころを悟った女性を通して最も重要なことが成し遂げられました。
(1)モーセのお母さんヨケベテ
①エジプトの貴族だったイスラエル(創世記37:28-34)
②奴隷になったイスラエル(出エジプト1:1-14)
③滅びの危機に立ったイスラエル(出エジプト1:15-22)
④ヨケベテの決断(出エジプト2:1-10)
(2)ヨケベテのレムナント教育
①王宮で乳母
②モーセ五書を記録したモーセの背景
③モーセ五書の中の重要な秘密
(3)短い期間(乳を飲む間)に世界福音化準備
①王宮を捨てること(出エジプト2:11-25)
②出エジプト3:1-20
③出エジプトの奇跡(出エジプト13:17-22)
④荒野の奇跡(出エジプト14:1-13,ヨシュア3:1-13,ヨシュア6:1-20)
3.神様の契約の祝福には流れがあります。
(1)契約の流れ
(2)答えの流れ