[ 2006年6月3日/核心要員メッセージ/ソウルイエウォン教会/金ドンゴン牧師]


共同体的信仰生活
(ローマ16:20-27)


全国の南伝道会サッカー大会がありました。クァンジュデ教会チームと東部教会が戦うようになったのですが、朴イソク牧師が祈っていると言われました。私たちが2対0で負けてしまいました。祈りの力は、すごいと感じました。ワールドカップに出場する朴ジュヨン選手のために祈る時、神様が働かれることを信じます。共同体時代ですが、単純な話ではありません。私は幸いに、柳先生に会って、私個人と家庭と教会に多くの変化と証拠がきました。私が朝、ジョギングをするのに15年間、粘り強く柳先生に付いて回りながら福音も聞いて、訓練を受けるのですが、いったいここに対して、明らかに描く絵がないかと考えてみました。神様は福音と訓練の中で、私と私たちの教会と私たちのタラッパンとレムナントを、どのように立てて行かれるのか? 自ら考えを深くしながら来ました。私自ら三つの部分に対しての絵を描くことができました。私は、私たち人間を3つの部分で考えることができました。これは、あくまで私が15年間、付いて回りながら得た結論です。

1.霊的部分:私たちの人間は、霊的部分に問題がきたので、霊的部分が一番重要であることを悟りました。ある意味では、この部分が全部だと考えられます。
(1)恵み:私が柳先生に会う前に、事実は放蕩者であって、神様の恵みを受けたのです。
(2)祈り:私が断食祈祷して、神様の恵みを受けたので、祈りがどれくらい重要なのかを知って祈ったので、すばらしい恵みを与えられました。
(3)福音:初信者だった私が、イエスを1年信じて執事なった後に、区域長を引き受けたのですが、私が恵みの中で区域員を置いて祈ったら、区域が復興しました。私がイエスを2年3ケ月信じて単独牧会に入ったのです。私は神学校にも通わず、副教役者になりました。ところで不思議に、私が恵みの中で神様を見上げて祈ると、教会が復興したのです。老会の牧師が不思議に思うと言いました。牧会は、普通のことではないでしょう? 自ら恵みの中で牧会をして、私自ら過ごしました。ところが、時間が経つほど、自分と私の家庭と働きが大変だということが分かったのです。私が恵みを受けたとすれば、ずっと恵みの中にいなければならないでしょう? ある日、試みにあったのです。不信仰に陥りました。うまくいっていた教会が試みにあったのです。率直に、家庭が大変でした。別の見方をすれば、私がこのように主だけ見上げて祈って、恵みだけ受けるのに、恵みがどれくらい大きくて、力がどれくらいすごいでしょう、しかし、どうして、この部分が私が持続にできないのかと思ったのです。ずっと牧師にもなって東部教会をしながらも、答えがないのかと考えました。このように牧会して、神様の国に行くのかと思ったのです。霊的指導者になって、私に答えがないならば、この羊の群れはどのようにするのかと思いました。ところで、私が15年前に柳牧師先生に会って、福音を聞きました。福音を聞いて、初めての時間に衝撃を受けました。‘そうか、開始が誤っていたのだなあ、福音で始まるべきなのに、祈りで始まったんだなあ’と後悔して、神様に問いました。ある伝道者を通して福音を回復する働きを見たのです。その時から、私は、この福音を聞く側に心が傾いて、他の見方をすれば、どっぷり浸かってしまったのです。福音だけを聞かなければならないと思いました。この時までの私のノウハウは必要なくなったのです。それからは、初心でしようと思ったのです。ずっと福音を7、8年、聞いたら、私にある変化が起きました。福音を聞く、それ自体が幸せでした。この福音を聞くほどうれしくて、福音が良くなったのです。良くなるから、時間さえあれば福音を聞きました。柳先生がチームの働きへ移る時、他の人たちは、チームの働きにみな過ぎていきました。しかし、私は違いました。福音の中に深く入らなければならないと思ったのです。福音を味わえば、チームの働きはなるようになっているのではないかと思ったのです。ミッションホームへ移った時、もう働き人を育てれば良いと、ミッションホーム側にたくさん傾いていきました。私が福音を味わえば、事実の人を立てて、弟子化できないのかという考えで、どんどん福音側に行きました。しかし、私がチームの働きとミッションホームを無視したのでは、絶対に違います。私がある日、福音の中で味わえば、当然、チームの働きとミッションホームの答えを受けるために、分からなければならないと思ったのです。その次に起きた証拠があります。祈りはやさしいことではありません。聖霊充満の中に入る時、祈りは本当に気軽です。祈りが幸せになります。ところで、もし私が不信仰に陥れば、祈りになりません。もがくのです。ところで、福音をずっと聞くから、祈りが簡単になって、負担がなくなったのでした。
(4)訓練:ある日、訓練がとても良くなりました。もちろん、ある時は、負担にもなってしんどくなりました。しかし、福音に深く入るから、訓練の必要性を感じたのです。訓練を通して現場がさらにはっきりと見えるから、生かさなければならないと思いました。はやく弟子を探して、育てなければならないと思ったのです。事実は、福音の中で恵みを受ければ、霊的な目が開かれます。とても重要な訓練をしました。私たちは、牧会現場で、直接、訓練を受けて、キャンプ訓練を受けたのです。

2.現場の部分:私たちは、タラッパンに入ってきて、現場が重要で全部だということを悟りました。
(1)自分自身:現場の部分で、特に自分自身の部分がどれくらい重要なのかを悟りました。私が創世記3章で生まれ、家系、家庭の霊的問題、自分自身のすべての問題がありました。自分自身が先に崩れました。私は柳先生のメッセージを聞いて、私が先に回復しなければならないと思ったのです。
(2)家庭:自分自身も重要ですが、家庭がどれくらい重要かわかりません。私が平安でも、家庭に問題があれば不思議に大変です。私が福音を味わえば越えることもできるのですが、残念に思う心は仕方ありません。
(3)働き:私たちには、神様がくださった働きがあります。事業する人は事業の現場、私の場合は牧会現場がうまくいかなければなりません。福音が良くなったから、自分自身に変化が起きました。私は霊的問題が激しかったのです。嫁にきた私の妻を敵だと思って、自殺まで考えていました。幼かった時、母親が早く死んだので、傷が多かったのです。先祖代々で偶像に仕えて、霊的問題が途方もなく多かったのです。不思議に、こちらにずっと行くから人が変わったのです。確かに試みにあうはずなのに、試みにならず、笑って過ぎ去りました。さらに恐ろしいのは、私が見る時も本当にうれしくて、感謝で、これが聖霊充満が持続していることなのです。こういう期間が過ぎながら、家庭を見たら、家庭がエデンになっていました。事実、すばらしく家庭が重要で、エデンだなと思いました。神様が働かれていることが、自分自身で感じられました。ところで、私が働きをしている東部教会で、働きがなるのを見ました。働きに負担がなくなったのです。福音の中で、私も味わって、家庭も味わうのに、働きを味わわないでしょうか? キリストが主人になって、私の人生も生かされて、家庭も生かされるのに、働きだけ無視するでしょうか? この2つのことが本当に重要だということを感じました。今日も多くの人は働きを良くするためにしています。うまくいっても問題です。ところで、この3つのことが正しくなされてこそ、人生の価値があって、人生の理由があるのです。

3.肉体の部分:私たちの人間は土で作られた肉体です。この肉体の部分がうまくいかなければならないと思います。血管一つだけでも、爆発すれば終わるのです。人が死ぬと瞬間に終わります。神様が私たちに、私たちのからだを自由に使えるように与えられました。それで、持っている私たちのからだを尊く思わなければならず、健康にしなければなりません。
(1)食べ物:私が見る時、肉体が健康になりえるのが、食べ物の影響が非常に多いのです。この頃の成人病を見てください。食べ物のためにきます。とても高い地帯で長く生きる人々は、良い空気と良い水を飲んで、結局は100才以上生きます。
(2)運動:年齢60才になれば、運動しない人は、ほとんど崩れます。普段の運動が重要です。私はずっと毎朝テープを聞きながら運動します。とてもからだに活力を与えるのです。山に登るのですが、上がるほど力が出ます。
(3)精神の健康:精神が崩れれば、そのまま崩れてしまいます。ガンの患者に、ガンになったと言えば、直ちに人が変になります。うつ病患者や、精神病患者を見れば、食べ物も思いのままに食べて、運動もしなくて崩れてしまうのです。

4.味わうこと:この力は、霊的な部分からくるのです。運動する人は、余裕がある人がするのです。これが味わうことではないでしょうか? 個人で見ては、これを幸福と言うのではないでしょうか?
(1)個人-幸福
(2)家庭-エデンの家庭
(3)働き-なるのです。
(4)実-実がなるようになっています。
(5)弟子-子孫を生かす大きいことが起きるでしょう。
(6)訓練-私はこれから東部教会の副教役者を働きが良くできるのではなく、福音の中に入るように訓練させるつもりです。私たちの子孫や家庭を、福音の中に入るようにするつもりです。いくら祈れと怒鳴りつけても、祈りはできません。福音の中に入るならば、ある日、癒されて祈りができ、訓練の価値を悟って訓練を受けるようになることを信じます。ある面で見ると、このようなことは、そのまま置いておいてもかまいません。それで、ある日、私たちの信徒、家族、子孫が、事実的な答えを味わうようになります。私たちは、時代の要請の中で呼ばれました。長く生きなければなりません。これが、私が15年間、得た結論です。まだ足りなくて不足していることが多いのです。それで、私はこれから15年もっとしようと思っています。私が65才なのですが、これから15年すれば80です。モーセのように、その時から本ゲームをしようと思っています。絶対にあせらないことを望みます。あせるとなるのではなく、もがくとなるのではありません。それでは、皆さんがしたことになります。神様がなさるように静かにしなければなりません。

@序論
今日は、共同体的信仰生活です。教会で牧師一人ではだめです。教役者だけでもだめです。家庭で牧師一人でもだめです。私と神様が共同体にならなければならず、私たちの働きも、全体が共同体になる時、大きいことができるのです。ところで、私たちがここに心を開いて、共同体の意味をはやく発見して、必要性を感じなければなりません。度々、人々は一人でしようとします。一人でして成ることではありません。
.* 救い-導き:救われた者は、神様の導きを受けます。
* 子ども-祝福:神様の子どもは、神様の祝福を受けます。私たちは、受け入れれば神様の子どもになるから、神様の創造の祝福を受けるようになっています。身分自体が、恵みを受ける存在です。子どもががんばるからと、私が神様に何かを良くしたからと、恵みを受けるということは、昔のレベルです。率直に、皆さんが神様の前に良くできることが、何かあるのでしょうか? 神様、私は聖日礼拝をよくささげていますという人は、それさえも神様が恵みをくださらないでは、できなくなっています。私は十分の一を良くしていますという人も、神様が恵みをくださらなければ、できなくなっています。無条件に子どもは、祝福を受けることを信じるように願います。
* 神様の導きと祝福の最も重要な部分は‘共同体’です。牧会をしてみて、家庭を持ってみて、会社で職場生活をしてみれば分かります。絶対に共同体になりません。今はできるところが福音です。タラッパンは一つにならなければなりません。ただ福音で、ただ世界福音化です。
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1.サタンの戦略
(1)共同体を誤解させること:絶対に共同体がならないようにしようとします。
①バベルの塔(創世記11:1-8)被造物が生意気に、神様は必要ないということが、どれくらい生意気なことでしょうか? “私は神様が必要ない。私も自分でできる”というのは、サタンがあたえる心です。
②栄える(創世記6:1-5):ノア時代は、とても栄えて生きるのに良かったのです。ネフィリムが押し寄せるのに、だめでした。
③創世記3章の事件(創世記3:1-5):サタンは、神様との間を分けます。神様を離れて自分自身と共同体を成し遂げようとさせます。怖い存在です。
(2)共同体を崩す
①神様との関係:神様との関係を切りました。絶対に人間は、神様を離れれば、生活できなくなっています。魚が水を離れれば、死ぬこと以上です。被造物の中で、私たち人間は、霊的な存在で、神様とともにいる時、神様の恵みと祝福で生きて征服する存在なのです。私が神様に会えて、恵みの中に入ってみると、本当に一瞬も恵みがなければ私が存在できないということを知るようになりました。私が神様と一緒にいなければ、世の中に勝つことができないということを知るようになりました。それで、サタンは神様と私が共同体にならないようにするのです。
②人間の間:人間の間を分けます。悪魔は歯ぎしりをしている者です。私が教会に行って驚いたのが、私は教会に通う人のようになれば良いと考えたのです。ところで、信仰生活をすればするほど失望したのです。教会をさらに長く通って、役員が人の間をさらに分けて、他の人の話をしたのです。サタンにだまされるのです。サタンが一番遊びやすいところが、教会ということは間違いありません。これが全部、分離させる言葉です。
③教会妨害:特に教会を邪魔します。簡単です。牧師と長老だけ分離させておけば、教会は破られるのです。教役者が一つにならないようにします。それぞれ、自らの心と考えを持っています。しかし、私たちが福音の中に入れば、全部一つになることを信じます。福音は偉大です。教会は優秀な人、醜い人、いろいろな人がみなきます。それでも、福音だけ入れば、一つになることを信じます。
(3)サタンの共同体形成
①ノア時代(創世記6:4-5)
②バベルの塔(創世記11:1-8):人間が、神様に敵対して、神様が必要ないと言うのです。今、人間のバベルの塔がどれほど多いでしょうか?
③強大国の偶像、宗教(エペソ6:12):米国のような強大国を通してニューエイジが全世界に広がっています。
④誤った思想(共産主義)
⑤犯罪集団:サタンは初めから殺人者です。
⑥易、シャーマニズム、偶像、占い(使徒13:1-12,使徒16:16-18,使徒19:8-20):全部、サタン共同体です。私たちが福音を深く味わいながら、サタンとの戦いを戦わなければなりません。サタンが私たちの共同体を押し倒して、自分たちの共同体を形成して、世の中を偶像の町に、世の中の文化を偶像文化に変えてしまったのです。時代的要請の中に呼ばれた私たちが、どれくらい重要なのかを悟りました。教会に通うからなるのではありません。こういうものに対処するために、私たちは福音共同体をたてるのです。

2.共同体的信仰生活回復-全ての回復
(1)教会(牧会、教会生活が難しい理由-共同体的コミュニケーションと害)特に教会は、共同体的信仰が回復しなければ希望がありません。牧師は牧師のとおり別に遊んで、聖徒は聖徒のとおり別に遊んではいけないようになっています。他の見方をすれば、教会全体が対話できなくなっています。共同体にならなくなっているのです。
①エペソ4:11-12 -確かに神様は互いに助けなさいとおっしゃいました。
②Iコリント12:12 -私たちは一つのからだだと言われました。からだが別に遊んでいても良いでしょうか?一体が連合して、神様の働きを成し遂げるべきなのに、別に遊んでいるのです。聖徒たちにはやく伝道しろというのが問題ではなくて、はやく私たちの教会が福音の中にどっぷり浸かって先に一つになる共同体を成し遂げなければなりません。それが急務です。
③使徒2:43-47 -初代教会が事実は難しかったが分けてあげました。これが事実は共同体です。そのような共同体を成し遂げたので、一時代を生かしたのです。世界をひっくり返せる唯一の道は共同体です。教会は、教会のとおり共同体が形成されて、地域は地域のとおりタラッパン教会が形成されて、共同体を成し遂げて、国、民族、世界が共同体を成し遂げたら、サタンは終わったのです。いくら文鮮明が大きな共同体を作っておいても、みな虚像です。ある時は、私が静かに通道寺に入って静かに祈りながら、暗闇をうち砕いたら、通道寺が正しくなされるだろうか?と思いました。文鮮明が作った共同体に静かに入って暗闇をうち砕けば、良いでしょうか?キム先生一人だけでしょう?と言わないでください。そうではありません。私が祈れば、主の御座にいる天使が動員されることを信じます。ゲームにもなりません。皆さん、絶対に震える必要がありません。先に私たちが福音の中にたてなければならないのです。はやく私たちの家庭共同体、地域共同体が形成されなければならないと信じます。
(2)弟子:弟子が共同体的信仰生活の中で、一つにならなければなりません。
①3000人弟子(使徒2:41):福音と伝道に命をかけた人々です。私はこれから15年間、粘り強く訓練を受けるでしょう。絶対にたわごとではありません。私はこの位置に立って、柳先生のメッセージの中で整えられて得た証拠を言うのです。決して皆さんの苦労が無駄になることはないでしょう。時になれば、できるようになっています。私たちの教会はだめそうですが、時になれば時代的な教会にみな変わるでしょう。なぜなら、皆さんのように福音を悟って、皆さんのようにこの時代を生かそうと呼ばれた者はいません。アブラハムがすごいのでしょうか? 神様がアブラハムを呼ばれたように、この時代に私たちを呼ばれることを信じるように願います。
②ペテロ(使徒4:12)
③あちこち-弟子(使徒9:1-43)
④散った者(使徒11:19-30):アンテオケの散った者が役員で福音にいのちをかけた人々です。事実、この人たちのために、アンテオケ教会が立てられました。私はこれから地域、地域に、一般信徒を中心に役員中心に、この福音運動が起きれば、一時代的な教会がそちらに起きることを信じます。
(3)共同体(ローマ16:1-27) -ローマ福音化:こういう共同体を通して世界を生かされるのです。

3.聖霊の導きを正確に受ける道
(1)神様の共同体:正確に受ける道の中で最高のことが神様と私が共同体になることです。私は恐ろしいことを発見しました。昔には、この恵みの中にでいたあとで試みにあったら、神様との共同体がこわれて、恵み受ければ共同体になっていたのですが、私がこの福音の中にずっと入りながら、ある日から神様と私が共同体になっていたのです。神様と私が共同体になっているから、私は怖い人です。これは普通の事件ではありません。ある日、私が一番難しいのが家庭でした。私が、神様の恵みを受けてから、もう家庭の妻をがまんして理解してあげて、子どもたちも祈るのに、とても苦しかったのです。夫が変わって新しい人になれば、良くなければならないのに、私に傷をあまりにもたくさん受けていたので、顔を見れば怖くなったのでした。恵みを受けたのですが、ある日は家に帰ると、それとなく試みにあっていました。私がこの福音の中にずっといたら、ある日、家庭が一つになっていました。私の家庭が先にOnenessにならなければなりません。私が家庭の共同体を祈ることもしなかったのに、福音の中に入っていたら、ある日これがなされていたのです。それで、今は全く気を遣いません。
(2)聖徒の共同体:聖徒との共同体を神様は喜ばれます。聖徒どうし一つになって、いのちをかけたとすれば、神様がどれくらい喜ばれるでしょうか?
(3)働きの共同体:神様は働きを通して、神様の栄光を表わすことを希望されるのに、ここに心を合わせないで、どのようにこの事がなるでしょうか? 律法で打って、祝福の条件をかけるのにできるでしょうか? 福音を味わってみたら、私は幸せで、私はこれ以上、要求する必要がないから、私にくださった神様の献身の仕事を味わいながらできる共同体が形成されなければなりません。私たちの家庭の十分の一だけでも、教会が維持される祝福があることを希望します。十分の一も出せないのに、何をするということでしょうか? 十分の一を捧げなければ“私は神様のことは必要ありません”と言うことなのです。私たちは当然、祝福の根源として恵みを受けるようになっているのではないでしょうか? 使える理由がなければなりません。私が自慢ではなくて、1ケ月に共同体献金を28万円出します。3年間、私が一千万円を出すのに、一ケ月に28万円です。自分の謝礼費がまだ50万円になりません。私が私の奥様にお願いをしました。自分と相談しなかったと、信仰のとおりしなさいと言われました。‘あなたたちの家庭で宣教師ひとりを派遣すべきではないか’という心を与えられたのです。それで、年初に心を決めて、私たちの家庭で22万円を宣教費で出すことにしました。私たちの家庭で捧げる宣教献金であるから、一緒にしてくださいと言いました。私は22万円で、半分は手助けしてもらうと思ったのですが、2万円以上は出さないと言われました。それで、私が一ケ月に宣教献金を20万円出します。そして、孫のレムナント共同体献金を1万4千円を出します。今、私が1ケ月に神様の前にささげるお金が、49万4千円です。それでも東部教会ではくれません。しかし、神様が1ケ月目からくださるのですが、正確にくださいます。お金が銀行から出るのです。それで、今、自分の胸の中で、建築献金を出さなければならないと思っています。私たちの教会の土地を買いながら1千万円を決意しました。それで、土地を買うのに私が500万円を現金で出すと、ほとんどみな出しました。もう教会建築をするために3年間で、一ケ月の間14万円を出さなければならないと思ったのです。そのようにしたら、おもしろかったのです。私の心にまた出したい心ができました。それでは、65万円くらいになります。これを出す時はそうです。“神様、私が祈る時に、名前を出してなさった方も神様だから、神様が責任を負って下さい。度々、私の心に感動させて宣教献金をしなさいと言われたので、これも出して下さい”と祈りました。私は柳先生のメッセージを通して答えを受けたのです。RUTC献金、宣教献金、建築献金、私たちの家庭の十分の一は、はっきりとします。私は“みなしているんだな”と思っていました。皆さん、そのまま使わなくなっていれば、くださいません。まだRUTC献金をしないでいる人は損をします。自分の心に確信が与えられ、このようになれば私はこれから100年は問題でなく、ずっと使おうとしています。味わわなければならないのではないでしょうか? 今でも遅くありません。ずっと共同体の働きが行われています。
◆結論:結果は、世界を変化させること
(1)過越しの祭り:すべての民が血を塗った時、パロが破れました。その呪いから解放されたのです。結局は、神様が願われる道を行っています。血を塗った民に、火と雲柱で導かれます。創造の力で導いておられるのです。
(2)ハガイ(ハガイ2:4-9):神殿回復のために心を集めた時、土地が揺り動かされ、すべての国が揺り動かされました。すべての国が揺り動かされると言われました。
(3)初代教会(使徒1:12-14,使徒2:1-47)思わしくないと見られるのでしょうか? そうではありません。福音で一つになって、伝道と宣教のために命をかけたのです。神様が働かれなければなりませんでした。アンテオケ教会のようなところは世界をひっくり返したのです。
(4)ローマ16:20-27“サタンを足で踏む”と言われました。共同体の働きのゆえに、神様がそのようにされるでしょう。一人ではだめです。タラッパン全体と世界全体と、全てのものに共同体を成し遂げることを信じます。その時、私たちのレムナントが生かされることを信じます。

-要約-
<共同体的信仰生活(ローマ16:20-27) >
救われた者は神様の導きを受けます。神様の子どもは神様の祝福を受けます。神様の導きと祝福の最も重要な部分は‘共同体’です。
1.サタンの戦略
(1)共同体を誤解させる
①創世記11:1-8  ②創世記6:1-5  ③創世記3:1-5
(2)共同体を崩す
①神様との関係  ②人間の間  ③教会妨害
(3)サタンの共同体形成
①創世記6:4-5  ②創世記11:1-8  ③強大国の偶像,宗教(エペソ6:12)
④誤った思想(共産主義)  ⑤犯罪集団  ⑥使徒13:1-12,使徒16:16-18,使徒19:8-20
2.共同体的信仰生活の回復-全ての回復
(1)教会(牧会、教会生活が難しい理由-共同体的コミュニケーションと害)
①エペソ4:11-12  ②Iコリント12:12  ③使徒2:43-47
(2)弟子
①使徒2:41  ②使徒4:12  ③使徒9:1-43  ④使徒11:19-30
(3)共同体(ローマ16:1-27)
3.聖霊の導きを正確に受ける道
(1)神様の共同体   (2)聖徒の共同体   (3)働きの共同体
結論:結果は世界を変化させること
(1)過越しの祭り   (2)ハガイ2:4-9
(3)使徒1:12-14,使徒2:1-47  
(4)ローマ16:20-27