2009年5月23日 核心訓練 ソウルイエウォン教会


RUTC時代の献身と答え(16)
3つの専門家
(コロサイ2:3)



☆☆☆要約資料☆☆☆
◆ 序論
1.神様は全能である (イザヤ40:27-31)
2.神様の計画は完全である (ローマ16:25-27)
3.神様の時刻表は永遠である (イザヤ40:8、ローマ16:27)
◆ 本論 - 三つの専門家になる日、すべては新しく始まります
1.神様のもっとも大きな計画である伝道の専門家
(1) 使2:9-11、使3:1-12、使8:4-8、使17:1、18:4、19:8-10、使19:21
(2) 神様が備えられた門が見える日、伝道者の祝福を味わうようになります (使1:8)
(3) その時に、すべての門が開かれます (コロサイ2:3)
2.神様の方法であるみことばの専門家
(1) 創1:1-3     (2) 創18:17 (3) イザヤ22:23     (4) ヘブル4:16
3.神様のみこころを見る祈りの専門家
(1) 成り立つ祈りの課題 (ローマ16:25)
(2) 成り立つ伝道図表 (ローマ16:26)
(3) 成り立つ献金と経済の祝福 (ローマ16:27)
◆ 結論 (コロサイ2:3)
1.神様の方法は福音です
2.福音の中にすべてがあります
3.そのすべては備えられています
(The end)

☆☆☆録音資料☆☆☆
序論
▲コロサイ2:3には、このように記録されています。このキリストのうちに、知恵と知識との宝がすべて隠されているのです。このキリストのうちにということで、福音の中にあるということです。知恵と知識のすべての宝があると言われています。これを見られない理由が、隠されているのですということです。ところで、隠してあるのでよく見られないのです。それで、確かに全てのものあると記録されています。
(1)伝道(目-道)
▲それでは、皆さんが3つの専門家にならなければなりません。簡単に話せば、神様の最も大きい計画である伝道に対する専門家にならなければならないのです。この専門家になるという言葉は、伝道しに熱心に行くということでもありますが、その話ではありません。専門家とは何でしょうか。そこに対して正しく知るのです。正しく知るのが専門家であって、よく知らなければ専門家になることができません。
▲今、異端がたくさん起きています。ところで、全く気を遣う必要はありません。それはだめになるようになっています。伝道を知らない人は、そんなことに恐れをなすのですが、恐れをなす理由がありません。昔に本当に異端である時は行って話すのです。しきりにキリストは復活しない、そのように言います。それでは行って話します。キリストは復活された。しかし、本人が最後までしなかったと言います。それは、そのまま精神の復活であって、違うと。そのようにすれば、証人を連れて行って、また話さなければなりません。また話すのにも、この人が最後まで違うというというのです。それでは何人かが行って戒めるべきです。そうだでもなくて、それではこの方をまた公会に呼んで行って、確認しなければなりません。それでも公会で絶対にイエスはキリストではない、このように出てくれば、しかたなく、心が痛いのですが、異端だと決定をしなければならないのです。それでも、また行って機会を見て戒めるべきなのです。それにもかかわらず、この人が町中を家ごとに通いながら、イエスはキリストではない。これを継続する場合、くだすことがあります。その時は、この人に会わずに、見たら挨拶もしてはならない。そのように出ています。それを今はどれくらい悪く適用するのかわかりません。ところで、異端が怖くなるのでしょうか。今、どんな団体が起きても、それはなくなるようになっています。
▲ですから伝道を知らないから、とんでもない心配を継続するのです。それでは、伝道を知らないからもがくのです。今回も見たら、アパートに入ってみれば、エレベーター三面に教会の自慢がありました。もちろん、悪いのではありません。伝道しようとするのでしょう。なぜ三面にしていたのでしょうか。一面は、ドアが開かなければならないので、付けられないのです。その時、もし僧侶が乗った場合、どんな考えをするでしょうか。カトリックはあざ笑うでしょう。カトリックは、そのような事をしません。教会堂一つを正しく作って、文化活動を正しくしてしまうのです。とにかくそれが誤っているということではありません。私が心配するのは、伝道をまだ知らずにいるのでないかということです。伝道を分かればできるのです。すべての知識、知恵、宝がかくされています。ですから、教会が、今は、とても攻撃を受けて門を閉め始めるのです。国民に人気投票して、一番人気がない宗教がキリスト教です。それしか仕方がありません。それで、これからイエウォン教会のような場合、作ればすべての市民のために、区民のために、本当に難しい人々もきて、レベルが高い人もきて、このように作らなければなりません。それと共に正確な福音を...
(2)みことば(略図)
▲伝道を知らないから、その次にはるかに遠くなることがあります。みことばを分からなくなっています。千回読んでも分かっていません。それが間違っているということでは絶対にありません。何か、帰納的、演繹的、黙想、QT、いろいろなことがみな出てきています。神様はあざ笑われます。伝道を知らなければ合わないようになっているのです。そうではないでしょうか。これを知らなければ、合わないようになっています。皆さんは伝道者だから、今、精神をよく整えて調べなければなりません。それで、例えばこの教会が伝道する教会ならば終わったのです。教会の信徒はすることが一つしかありません。すべての教会の信徒が心を合わせて、すべての重職者が心をささげて祈りを始めることです。神様が願われるのはそれです。そうではないでしょうか。残りは神様がみな備えておかれました。悪魔が恐れるのが、まさにそれです。例えば、今タラッパンの代表的な教会になって、正しい福音を伝えなければならないのに、動機をすべて捨ててしまい、本当に教会を作れば、悪魔がどれくらい恐れをなすでしょうか。それを知って、重職者やすべての教会信徒がこの福音のなかで祈りを集め始めるのです。
(3)祈り(道具)
▲この2つのことがなってこそ、祈りになるのです。私は伝道が何か、霊的な目が開いたこと。そのように見ます。伝道は何でしょうか。道を見たことです。そのように見ます。それでは、みことばは何でしょうか。この道を行くことが出来る略図です。それで、神様が願われる道を行かない人は、略図をいくら見ても仕方がないのです。昨日出てきたナビゲーションを付けても効果がありません。遊びに通う人が、ナビゲーションが何で必要なのでしょうか。そのまま通えば良いのです。私は昔に遊びに行く時、どうやって行ったでしょうか。最も気楽に、つっかけを履いて、最も気楽な服を着て、そのままどこにでも行きました。車に乗って行くのです。川にも行って、海にも行って、それが休息であって、何かを計画して知恵をしぼって、それで毎日、はやく行って事故を起こして。何をそのように行くのですか。行って詰まれば帰ってきます。それが目標を発見できなかったために、そのままするのに、伝道を見たらこのようにしなければなりません。
▲それでは祈りということは何でしょうか。この道を行くことが出来る道具です。私はそのように見ます。神様が願う道を行こうとすれば、車に乗って行かなければならないでしょう。道具です。例えば、強盗をつかまなければならないとすれば、はやい車に乗るべきで、強盗をつかむのに自転車に乗るでしょうか。ちょっと健康のために運動しなければならない時、自転車に乗るのです。これが道具です。ですから、ここに対する専門性がないから、結局は過ぎたらみな無駄なのです。結局は、過ぎたらみな過ぎ去ったことになって、残るものはただ一つしかありません。神様が最も望まれるいのちの運動、それだけ残るのに、私たちは度々愚かなことをします。
▲レムナント7人、初代教会、パウロ。ところで、この3つを見られないのには理由があります。伝道とみことばと祈りを正しく見ようとすれば、レムナント7人を見てください。伝道、みことば、祈りがやさしい話のように見られるのですが、これがすべてです。これを正しく見ようとするなら、初代教会を見てください。これを正しく見た人が、私は初代教会よりはパウロだと見ています。確かに私たちは、この人たちは、序論にあった通り、神様は全能だと信じる人々です。ところでなぜ見られないかということです。神様は全能だと信じるのに、見られないのです。それでだめなのです。これだめになって、皆さんの弱点がみな出てくるのです。これがだめになれば、結局は、もがかなければなりません。その苦闘がある時見れば、熱心に見られるのですが、ある時見れば、醜く見えます。ある時見れば、真の大変だ、努力するんだな、このように見えますが、ある時、見れば人が未信者と同じように見えます。神様の計画は完全です。信じるのにこれが見られないということです。そして、神様の時刻表と神様は永遠で、それを誰が知らないのでしょうか。私たちはみな信じています。それで、これを詳しく見なければなりません。3つのことが違ったのです。
(1)人生の中心
▲生活が、人生の中心が違っているのです。これが重要です。
1)肉-今すべての人々の話を聞いてみれば、神様にとても感謝です。家を一つ買った。感謝する。そして、私の息子がソウル大学に合格した。感謝する。私たちの娘は就職できた。感謝する。感謝するが悪いことではありません。そして、私たちの事業がこの頃うまくいく。どれくらい感謝するのかわかりません。そして、私たちの夫がこの頃、分別がついた。帰って時ごとに買ってきてプレゼントをくれて、誕生日を忘れてしまったことがなくて。結婚記念日には完全に私を女王のように対してくれて。みな良いことです。問題は、すべてのことが肉中心だということです。それが問題です。その目でこれを見ることができるでしょうか。絶対に違います。まねることであって、見えないのです。すべてのことが、そのままこれでもあんな状態でも気落ちも肉のためにして、気持ちも肉のために良くて、全部肉です。いや聖書に肉を無視しろとは言われていません。私たちの肉を無視しろという話ではなく、すべてのことが肉だということです。復興も肉、伝道も肉、全部、肉です。こういうものも、ああいうこともみな、肉だと。それが違うのです。
2)調和-少し成功した人々は、肉と霊的なことが調和を作り出します。素晴らしいのです。調和を作り出すから。ところで、これでも世界福音化できません。
3)霊的-レムナント7人と初代教会パウロは、完全に肉を無視したということではなくて、中心が霊的中心だったのです。あなたたちが私に献金を集めてくれて感謝するが、それは違う。私がたとえ監獄にいてもキリストにあって、私はどんなことでもできる。それは嘘ではありません。このために私がここに来ている。この時代に、私が最も栄光であることを、私が引き受けたが、どんな配役を引き受けたのか。福音のために法廷に立てる配役を引き受けた。どれくらい霊的な目が開いたのか、これを見てください。こういう人でこそ、これが見えるのです。本当です。私たち人間は、完ぺきになれません。また、私たちの人間は、何の失敗もなくということはできません。少なくとも、私が話すのは基本を言うのです。基本がこちらにすでにみな開けているのです。それを話すのです。すでに私たちがおもなことが、基本のためになるのですが、私が特別にどのようによくできて、それはどうにかしてすることであって、だめなのです。ちょっと夫にもすこし一回ずつ時々霊的であることをしなさい。朝から目を開くやいなや閉じる時まで肉的なことだけするのです。それでは、とても疲れます。この頃、男性が家をたくさん出て行きます。昔には女性が出て行ったのですが、この頃は男性が出て行きます。この頃、女性が出て行かないで、男性が出て行くということで、女性がさらに強くなりました。けんかになると、男が出て行きます。時代がたくさん変わりました。ですから、これからはもっとそうなるでしょう。追い出される心配はありません。人は、一回ずつ一年に一度でも、ちょっと霊的な話もして。神様があなたを祝福されます。あなたは神様がこの時代に本当に福音運動のために呼ばれた方だ。あなたはいつか自分の場所を探すと私は信じる。このように霊的な話を、嘘でも一回ずつしなくては。ところで、パウロはこれが本物でした。そこでみわざが始まるのです。それでこそ、この目が開くのです。
(2)物質-超越
▲二番目に違うことがあります。ほとんど私たちは物質が一番近くにあります。この人たちの特徴がありました。私はレムナントに教えます。物質について行けば、確かに成功者ではありません。物質が付いてくる、それが成功なのですが、それでもありません。皆さんが成功すればきます。くるのも上手でなければなりません。ですから、盧武鉉大統領がくるのを誤って受けて、あのようなようになってしまいました。その場にいればきます。成功した場所にいれば、お金もきて、人もきて、どんどんきます。しかし、それも成功ではありません。未信者が見る時は成功です。物質に付いて回ったら、それは完全に失敗です。この人たちは、付いてきたが物質を超越したのです。超越したということは、神経を使わなかったということではありません。貧しかったということではありません。乞食で暮らしたということではありません。そんなこと程度はちりあくただと感じると言いました。ですから止められないのです。考えてみてください。たとえば、私がソウンを伝道したとします。それでは共に仕事をしていれば、話もするようになって会うようになります。それで、ソウンが私を見る時、何を感じなければならないのでしょうか。この人は本当に祈る方だな、このように感じなければならないでしょう。この人はちりあくたが好きなんだな、このように感じてしまえば、本人は事実、霊的なことがみな閉じられてしまいます。パウロがなぜその話をしたのでしょうか。とても信仰が良いというピリピ教会が、ちりあくたがとても好きだから、私はみなちりあくただと感じると言ったのです。キリストを分かる知識が最もすばらしい知識です。それと共に何と話したかというと、私はキリストに発見されることを望むと言いました。それは何の話でしょうか。あまりにも目をぎらぎらさせながら、何か利益あるのかと思って歩き回るから、パウロが私はキリストに発見されることを望むと言ったのです。何のために失ったのでもなくて、得たのでもなくて、そう言ったのでしょうか。なぜそうだったのでしょうか。失ったことが多いからです。ところで、なぜ失ったのもないと言ったのでしょうか。あまりにも人々がそれを自慢するから。私はこれをして、あれして、度々言うから、私は失ったのもない。キリストの手で捕えられたことなった、それをつかまえに行く。何のために上で呼ばれた召されたことの報いのために走って行くと言ったのでしょうか。あまりにも地のことが好きで、名誉が好きで、ほめられることが好きで、みな好きだから、私は上で召されたことの報いのために...子どもたちもそうです。子どもならば一番近くにいるのですが、百回よくしてあげても、一つだけよくしてあげなければ試みにあいます。9999種類は必要なくて、1種類悪くしたことで試みを受けるのです。それが普通の人間です。そして、この世のことを話して、度々ほめれば、これを喜ぶので、若干霊的なこと話せば嫌います。何かをほめれば、それでも踊ったり変な人になってしまいます。女性はみな滅びます。男がほめる言葉にだまされてはいけません。知っていますか。それはおろかな人がするのです。ですから、パウロが私は上から召された報いに向かって行く。そして、私たちの国籍は天にある。なぜそう言ったのでしょうか。あまりにもローマ市民権がすごいから。それで、これが(伝道、みことば、祈り)が見えるでしょうか。とんでもない話です。全部、見えるように思っていますが、違うのです。これが(伝道、みことば、祈り)見えなければなりません。
(3)人-アガペー
▲そして私たちの人間に一番迫ってくるのが人ではないでしょうか。すべての人は愛を含めて、すべての人は条件があります。ところで本当の成功者は条件がありません。そうではないでしょうか。そして、本当に霊的な目が開かれた人は条件があります。その条件が何でしょうか。アガペーです。神様の愛で。これは止められないのです。
▲それで肉中心、物質中心、人中心なのに、見られるはずがありません。これで、ピケをはって町中を横行するので、町内を騒々しくするのです。本当に皆さんが神様を信じないでも、人は原理を分からなければなりません。神様どうせ信じられないことで、信じられないということではないでしょうか。信じないでも人が早く成熟する原理を分からなければなりません。事実は、未信者の中でも、とても肉中心、物質中心、このようにすれば良いようでも、それがだめなのです。私たちは、まして神様の人です。

1.伝道(目-道)
(1)使徒2:9-11、使徒3:1-12
▲この時から目が開くのですが、どんな目が開かれるのでしょうか。いよいよ重要なのが見られ始めます。これを見れば、人が変わってしまいます。それで私たち各パートを見れば、何かたくさんあります。あるのに方法が問題ではありません。そうではないでしょうか。本当に皆さん子どもを育てたでしょう。母親は子どもが遠くにいようが、近くにいようが、いつも心にあります。それであって、私たちが何かいろいろな方法がみな出てきても、だめになっています。今、外国から来ている私たちのレムナントがさ迷っています。誰が近くにいる人が一人だけその考えがあっても、正しく導きを受けるのに、難しいのです。地球ができて初めてで、最後に来ているこの人たちが、目に見えるのです。方法を持ってするのでしょうか。もちろん方法です。ですから違うように見えるということは、使徒3章の足のきかない者を見てください。コインが必要なのでしょうか。起きて通わなければならないのでしょうか。私にあることをあなたにあげよう。ナザレのイエスの名で起きて歩きなさい。全部、その話です。
(2)門
▲ですから神様が準備された門が見られるから、道がまっすぐ行くのではないでしょうか。
(3)全てのこと
▲この中に全てのことが入っています。全てのことにとても関心を持ってはいけないのですが、全てのことが入っています。全てのことが隠されているのです。

2.みことば(略図)
▲ところでこれができる時から、みことばが生き返ります。いくら恵みを受けても、それは感情であって、事実ではありません。とても聞いて熱が出て、それでもそれは熱であって、事実ではありません。聖書66巻を完ぺきに料理をする必要もないのですが、その当時には、一地域に聖書個所で終えました。黙示録を正しく見ないでいてよいのか。まったく違うことばです。黙示録なしで救われた人が初代教会にいっぱいいました。それでこの目が開かれないから、すっかり聖書は必要ない嘘の本になるのです。これが(1番)なるべき、これが(2番)見られるということです。これを(伝道)のため、これを(みことば)をくださったから。道を行くために略図を与えたところで、道も行かないのに何の略図が必要でしょうか。どこかへ行こうとするからナビゲーションを使うのであって、行くこともせず、歩き回るのに使う必要が何であるのかということです。もっとも、この頃は歩き回る人も使います。それが問題です。遊ぶのにも略図を持っている、それが問題です。
(1)創世記1:1-3(光)
▲このみことばが、どのようにきて迫ってくるのかというと、完全に暗やみ、空虚、混とんの中でいた時、みことばで神様が光を照らされました。これが見られるのです。
(2)創世記18:17
▲それではどうなるのでしょうか。神様は神秘ではなく、正確にみことばを知らせられるようになっています。皆さんが本当に伝道の目が開いて本当に皆さんの中心が正しくなっていれば、このみことばを神様は知らせられるようになっています。
(3)イザヤ22:23に、その上にすべての栄光、祝福がみなかかるようになっています。
(4)ヘブル4:16
▲ヘブル4:16毎日くださる恵みが違います。時にかなって助ける恵みを受けるため、大胆にと言われています。大胆とは何でしょうか。大胆に出て行くのです。お金を借りに来た人が大胆に行くでしょうか。乞食が大胆にきて食べて行くでしょうか。しかし、そうではありません。王がこの実力を認めて呼んだとすれば大胆に行きます。そうではないでしょうか。司法試験に合格して、判事の任命を受けて裁判所で呼ぶのに、その時、裁判所に行くのに大胆に行くでしょう。もちろん、初めてであるから緊張するでしょうが、それは別の話です。大胆に行きます。母親が朝早く起きて、あなたたちはご飯を食べなさい。それでは大胆に起きて、恥ずかしく行くのでしょうか。子どもにあたえる確実なみことばなのに、それを握って大胆に行かなければなりません。

3.祈り(道具)
(1)祈りの課題
▲この二つがなる時、はじめて、なるようになる祈りの課題が出てくるのです。そのまま祈りの課題ではありません。なるようになる祈りの課題が出てきます。
(2)伝道図表
▲はじめて、なるようになる伝道図表が出てきます。
(3)献金(祝福)
▲はじめて、なるようになる経済と献金の祝福を見るようになります。それで、どんなことが重く出てくるかというと、宣教、伝道だ、献金だ、答えからき始めます。これがなるからです。今日、皆さんがよく一度考えてみるように願います。必ず答えがくるようになっています。

4.結論-コロサイ2:3
▲こういう結論が出てきてしまいます。キリストの中にはすべての知恵、知識、宝がかくされているんだな。神様の方法は福音だな。申し訳ないが、福音の中にあるんだな。それもかくされているんだな。このようになる時、くることがあります。
(1)一生
▲このような時、真に一生の祈りの課題と伝道と働きの答えがきます。
(2)キャンプ
▲この時から、キャンプが何かという7つの重要な原理が毎日毎日答えで迫ってきます。
(3)方法
▲この時から、現場に方法が毎日毎日答えで迫ってきます。この祝福を皆さんが受けるように願います。こうすれば、お知らせだけ出てきても、答えが見られます。何かが分かるようになるのです。
▲レムナント大会を何故するのでしょうか。こうすれば、すぐ答えが出てきてしまいます。私は祈りの課題が出てきました。神様、私たちのレムナントを今回、本当に見てください。何でしょうか。現場に行ってみればナビゲーター、CCCチームを見れば、みことば握って勉強する子どもたちがいます。ところで、何か足りないのが残念ということです。その話はできないし、とにかく私たちのレムナントが何か見なければならないのです。それを何と言うのでしょうか。弟子です。これを見なければなりません。今回のレムナント大会にきて、これを見なければなりません。それで個人化をさせるために、ホームステイをしなさいと言うのです。ホームステイに、単に行ったり来たりだけでも、何かが見えるようになります。神様が私とともにおられるのだな。それよりさらに重要なこと、本当に弟子が何かを見るようになります。レムナントは一度だけ見てしまえば終わります。一度だけ見れば。私は本当に1,2人の伝道する一般信徒、祈る一般信徒、みことばを伝える一般信徒を見たのです。やさしいのです。ところで、これが今みなのがしているのです。これを見るレムナントが何人かだけ起きても、ひっくり返します。ところで一度も見られなかった。いろいろな行事をみなしたのに、一度も見られなかった。それではいけないのです。それでレムナント大会をするのです。
▲いったいRUTCはなぜ作るのでしょうか。このように答えを捜し出さなければなりません。私がいる現場に他人が最も重要です。これは、人間中心ではありまえん。本当に正しい成功と人間関係を学ばなければならないのです。こういうことがRUTCです。早く答えを握らなければなりません。
▲重職者-現場、次週は重職写修練会ではないでしょうか。私が最も現場の問題と現場に対することを話してみようと思います。歩き回る現場ではなく、本当に私の現場キャンプが何かを語ってみようと思います。
▲ですから、みなそのまま見られるのです。今日、今、総会のあるニュースが出てきました。なぜ出てきたのでしょうか。度々私が聖歌隊だけ見つめるのに近くて。なぜ出てきたのでしょうか。献金しなさいと。ところで、献金をするために作ったものですが、私はそのように見ませんでした。私たちの総会の未来をどうやって行くのか。今までこのように歩いてきたが、未来はどうやって行くのか。それ置いて献金しなければならないので、それなしですれば、単にすることです。さっきも見るから国土徒歩行進が出てきました。国土徒歩行進とは何でしょうか。いろいろなことをしても効果がありません。私を確認することです。私の健康はどれだけなのか、私の根気はどれだけなのか、私の祈りはどれだけなのかを確認するのです。ですから答えをよく探さなければなりません。
▲これがなれば、もうずっと門が開かれ始めるのです。キリストの中にはすべての知恵、知識、宝が隠されています。この祝福が皆さんのことになることをイエス様の御名で祈ります。祈ります。
(祈り)
神様に感謝します。今日、重要な弟子の日になるようにしてください。生きておられる主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン
(The end)