学院福音化:2007年12月18日  場所:ソウルイエウォン教会


2008年1月-ヘブル人への手紙



(録音資料)
序論
▲今日、初めての講義が(伝道弟子修練会)重職者(役員)、伝道者が何を見なければならないかを話しました。実際に持っている人々の霊的問題を見るようになれば、すべての問題はみな解決されます。70人では、初代教会の3つの伝道内容を話しました。ミッションホームでは、初代教会の治癒3つを話しました。とても重要です。
▲その中で、私たちが捕まえなければならないみことばがヘブル人への手紙に本当に多くあります。ヘブル1章3節に見ると、御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現われであり、その力あるみことばによって万物を保っておられます。また、罪のきよめを成し遂げて、すぐれて高い所の大能者の右の座に着かれました。約30年前にニュースで見ました。フィリピンにいた人ですが、多くの患者に手だけ当てれば直りました。だから、外国からも治療を受けに来ていました。その人が何をする人なのかというと、車の運転手でした。真に良いことでしょう。もし、その人がイエス信じる人ならば神様の力と言ったでしょう。
▲今日、私たちがヘブル人への手紙を学びながら、私たちが記憶すべきことは、私たちがたびたび福音を忘れてしまうということです。魚のIQはどれくらいか知っていますか。私たちがよく忘れてしまう人に、魚のIQだと言います。釣りをしていれば、うまく食いつかず、口が切れて逃げる魚がいます。ところが、魚は少ししたらまた引き返してくるのです。口が切れて血が出ているのに、またきて食いつきます。それで、私が思うのでは、福音のIQは魚のIQです。しばしば忘れてしまうのです。
▲それで記憶しなければならないことは、福音に対して味を知っていないのです。福音を味わえば良いのに、知らないで、いいかげんに行うのです。ところで、福音でなくとも、教会に来ればおもしろいのが多くあります。また、すばらしいこともたくさんあります。そうするうちに、ある時期に見れば、福音を完全にのがしてしまうのです。忘れてしまうのです。完全になくなってしまうのです。それで、パウロがヘブル人への手紙を書きました。ところで、パウロが書いた聖書の中で、一番よく書かれています。パウロが書いたのではないと言う人もいますが、文体や内容を見る時、パウロが書いたと言う人がさらに多くいます。パウロが書いたことは確実です。誰に書いたのでしょうか。ある人は、ヘブル人に書いたと言い、ある人はギリシヤ語で記録されたのを見て、異邦人に書いたと見て、ある人は異邦人の中に行っているヘブル人に書いたと言います。それは何の関係もありません。すべての人に必要なメッセージだから重要なことではありません。ところで、ヘブル人への手紙を見れば、ほとんど説明をしなくて話しています。説明をしなくて話すということは、分かるから説明をしないのです。そのように見ると、ヘブル人へに送ったことは確実です。
▲皆さんが必ず記憶しなければならないことがあります。私たちがこれをしなければならない、あれをしなければならないということは意志といって、そのような考えを意識と言います。ところで、人は、度々していれば潜在意識の中に入るのです。それがほとんど私たち人生を決めます。それよりさらに深い段階が無意識の中に入るのです。ある面では、それが私です。私たちが意識と無意識の中で戦って、無意識の中に入ります。それよりさらに重要なのが、私たちのたましいの中に入るのです。たましいの中に入るのでしょうか。詩119:175節に私のたましいが生きますようにと言われています。ここに席を占めれば、働きが起きるのです。それで、今、私たちのレムナントは、意識の中に、無意識の中に、たましいの中に福音がどんどん入れられるのです。すばらしいことが起きるでしょう。私はレムナントが起きる、その日をながめながら、植えて投資しているのです。すでに私たちのレムナントには、働きがたくさん起きているのですが、これからずっと起きるようになるでしょう。私たちが意識の中に、無意識の中に入ってきているのを変えることはできません。私たちのたましいの中に他のものが入ってきているから、みことばをどんなに聞きもだめなのです。私たちのたましいの中に福音が入ってくれば、その時からなるのです。入ってくる場合があるのですが、私たちが本当に死ぬほどの苦労をすれば、入ってくるようになります。聖書に、イサクのような場合を見て下さい。あなたは今日、死ぬ日だ。神様がそのように今日、死ぬ日と言われたのです。お父さんが山に連れて行くのでした。神様が、今日、あなたを捧げろと言われた。冗談ではないので、どうするのでしょうか。実際に、お父さんが刃物を取り出しました。その時、イサクもどうしようもできないのです。この時、雄羊を準備されていました。では、イサクがバカではない以上、その時、雄羊がなければ、私がどうだったのかと考えるでしょう。雄羊に対する話はイサクが一番よく分かります。私たちが見る雄羊と、イサクが見る雄羊は違います。小羊を送ると聖書に約束されたのですが、それをイサクが知らなかったはずがないでしょう。だから、イサクのたましいの中に、雄羊、キリストがしっかりと入ったのです。ですから、農作業をすれば100年の祝福が来たのです。泉を売ったら、泉の根源を得てしまったのです。それで、旧約の族長の中で一番苦労せずに答えを受けたのがイサクです。遅く決心したのですが、たましい深くに福音が入った人がいます。モーセです。創世記の事件をモーセが記録しました。これをサタンが知って、しばしば忘れさせようとします。モーセを通して起きたみわざは、ものすごく大きかったのです。だから、たましいの中に福音が入らなければなりません。ペテロを見て下さい。イエス様を3年付いて回った人が、イエス様を立たせておいて否認しました。イエス様がおっしゃるのに、ここでだれかがわたしを否認するはずです。その時、鶏が鳴くだろう。ところで、ペテロがイエス様を否認したら、鶏が鳴きました。ところが、イエス様が復活されたのです。イエス様を否認して、ペテロが行ってひどく悔いたのでした。ところで、イエス様が現れてペテロに使命を与えられたのです。それで、私の考えですが、ペテロはそれ以後、鶏の丸焼きを食べなかったでしょう。鶏を見る目が別でしょう。ところで、入る場合があります。私が知っている人が8ケ月間、ガンになって、苦しんで、その時、この人に福音が根をおろしたのです。それでは、皆さんがみなガンになって、福音の根をおろすべきなのでしょうか。ところで、死よりさらに強いものがあります。みことばです。このみことばが私たちの中に入ってくれば、働きが起きます。一ケ月間、試みてください。皆さんに一番必要なみことばを握って、一ケ月間、握って祈ってみてください。
▲私が30年前から、福音、伝道、これが根をおろしたのです。ですから、あちこちで起きる答えは、単なる答えではありません。今日、皆さんヘブル人への手紙を見ながら、皆さんの意識の中に、無意識の中に、たましいの中に根をおろすことを望みます。
▲どんな契約を持って、どんなみことばを握るべきでしょうか。

(1)第1課です−キリストの優越性! 1章から4章までです。
▲タイトルを見ると、イスラエルが知っている天使! とても重要なことがある時ごとに神様は主の天使を送られました。ところで、何とおっしゃったのでしょうか。
1)1章-天使は、神様のお手伝いをするしもべで、イエス様は神様の息子です(1章)。
2)2章-イスラエル民族が、いつも待っていた、神様が受肉されたのですが、その方がイエス キリストです。それが2章です。
3)3章-イスラエル民族が一番尊敬する人物が誰でしょうか。モーセです。モーセより優れた人物がキリストです。それが3章です。このヘブル人への手紙を見れば、ヘブル人に送ったのです。異邦人がモーセをどのように分かるでしょうか。
4)4章-モーセの働きを受け継いで安息の地カナンに入った人物がヨシュアです。それが4章です。それなら、ヨシュアが真の安息を与えたのでしょうか。違うでしょう。キリストは真の安息を与えられました。それが4章です。
(2)第2課-大祭司
1)4章-イスラエルが大祭司をとても重要に思っています。ところで、4章を見れば、大祭司でなく偉大な大祭司が出てきました(ヘブル4:14)文字で話せば、大大祭司です。どうして、あなたがたは偉大な大祭司が来られたのを知らないのですか。それが4章です。
2)5章-そして、祭司はいつも血を捧げたでしょう。ところで、ご自分の血をささげる人が来られました。それが5章です。
3)6章-これまであった祭事は、完全なことではないのです。神様が完全に解決されました。それが6章です。
▲こういうメッセージが皆さんの心、たましいの中に打ち込まれる時、驚くべきみわざが起きます。
(3)第3課-新しい契約の大祭司
▲イエス様は単なる祭司でなく、新しい契約の大祭司です。それが3課です。私達の子どもたちに説明がちょっと必要です。
1)7章-メルキゼデクを分かるでしょうか。イエス様は祭司ですが、アロンの子孫ではありません。アロンの子孫ならば人です。どこからきたか分からないメルキゼデクの位に等しく来られた方がキリストです。これは、聖書を読まなかった方はとうてい知らないみことばです。
2)8章-過去の契約と新しい契約
3)9章-十字架で、たった一度で、祭事を終えてしまったというのが9章です。
4)10章-これを永遠に終わらせたということが10章です。
▲ところで、幕屋を研究する方がいるのですが、それしないように願います。タラッパンをした牧師の教会で集会をしたのですが、後方に幕屋が作ってありました。私が片付けろと言ったのですが、片づけなくて、結局、タラッパンもしなくなりました。まだシナイ山から降りて来ないからです。ずっとシナイ山にいれば、殴られて死にます。
5)11章-そして、11章に、旧約の信仰の英雄をずらっと記録しています。彼らが福音を持っていたのでしょうか。それを羅列したのが11章です。
(4)第4課-正常なのを願ってみなさい。
▲最後の4課が何か?
1)12章-今はみな終わったので、心配せずに、完全なものを見上げなさい。皆さんが本当に一ケ月だけキリストを見上げても、みわざが起きます。だから、みな捨ててしまい、正しい目標を見上げなさい。それが12章です。
2)13章-今は、完全な結論を下しなさい。それが13章です。ここまでがヘブル人への手紙です。
▲ヘブル人への手紙の重要な話をみなしました。これをどのように子どもたちに伝達するのか、レムナントに説明するのでしょうか。これをするためには、皆さんの胸の中に、たましいの深いところに入っただけできるようになります。勘違いしないようにすべきなのは、子どもたちは、メッセージをよくわかります。だから、世界を動かすのです。今日、ヘブル人への手紙を通じて、まず、自分からみことばを深く受ける祝福があることを希望します。

第1課:キリストの優越性
ヘブル1:1〜3│御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現われであり、その力あるみことばによって万物を保っておられます。また、罪のきよめを成し遂げて、すぐれて高い所の大能者の右の座に着かれました。(3)

1.神様は、その御子イエス・キリストを通して、全てを語られます
▲キリスト-全てのもの
キリストは全てのものをみなされました。キリストは神様の栄光の輝きです。全てのものということです。また、神様の本質の完全な現れです。みことばも成し遂げて、罪も解決して、神様の右の座についておられます。私はいくら考えても、パウロが書いたメッセージに違いないと思います。今日、皆さんの家に主の天使が動員されれば、どうなるでしょうか。主の天使よりさらに優れたのがキリストです。キリストが現れる所、その御名が呼ばれる所に、必ず天使が動員されるのです。ある立派な所で勤める外国人が韓国にきて、私たちの教会で礼拝をささげました。私は以前には知らなかったのですが、今は生きるべき理由が分かった。西洋人なのに、私たちと同じように通じるメッセージをしました。奥さんが伝えるのに、冗談を言うのにも聖書で言うらしいのです。ある時は、車に乗って職場から帰りながら家について、今日、ちょっと遅れましたねと言ったところ、車が渋滞して遅れた。今日、神様が天使を動員されたので、車がいっぱいになって、渋滞したと言ったそうです。時空を超越する天使を送ってもみわざが起きるのに、それよりさらに優れているのがキリストです。私は率直に告白するのですが、この事実を信じてみわざが起きました。
(1)イエス・キリストは、旧約と新約の主題です(創世記3:15、出エジプト3:18、イザヤ7:14、マタイ16:16)
(2)イエス・キリストは、神様の栄光の輝きです(ヘブル1:3)
(3)イエス・キリストは神様の本質の現れです(ヘブル1:3).
(4)イエス・キリストは力でみことばを成し遂げて、罪をきよめながら、神様の右の座におられます(ヘブル1:3)
(5)イエス・キリストは天使より優れた方です(ヘブル1:4〜14)
2.大きい救いを成し遂げるおもな働きをキリストが成し遂げられました
▲大きい救い
キリストは単純な救いではなく、大きい救いを成し遂げられました。子どもたちに教えましょう。天使はいつ働くのでしょうか。キリストが共におられて、あなたが神様の子どもになった時から働かれます。私たちが行く前にキリストは天使を先に送っておられます。今でも世界のあちこちに天使を送って働きを成し遂げておられるのです。キリストがこのように大きい救いを成し遂げられたのですが、あなたたちは、これを見ても分からないでしょうか。イエス様が死の勢力を防いだ者、悪魔をなくされたのです。ものすごいメッセージが出てきました。そして、キリストは大祭司で、民のすべての罪から救い出してくださいます。苦しめられる私たちをよく助けてくださいます。私たちが受ける苦難も、キリストは解決することができるのです。静かに置いてもかまいません。放っておけば、最もはやく解決します。キリストは私たちのすべての苦難にあってくださいました。私たちが滅びなければならない罪から救い出してくださったのです。皆さんを最後まで倒そうとする悪魔を滅ぼされました。これを子どもたちに説明しなければならないのです。
(1)ところで、キリストが成し遂げられた大きい救いをないがしろにすれば、当然の処罰を避けることができるでしょうか。(ヘブル2:3)
(2)イエス・キリストは、死を通して死の勢力を持つ者、すなわち悪魔を滅ぼされました(ヘブル2:14)
(3)イエス・キリストは、一生涯死の恐怖につながれて奴隷となっていた人々を解放してくださいました(ヘブル2:15)
(4)これは、天使のためでなく、神様の子孫のためなのです(ヘブル2:16)
(5)イエス・キリストは、大祭司になって民の罪をあがなってくださいました(ヘブル2:17)
(6)苦しまれた主は、苦しんでいる人を助けることができます(ヘブル2:18)
3.真の安息を与えられるためにキリストを送られました
▲真の安息
そして、神様は真の安息をくださるために、この世に送ってくださったのです。想像以上に、子どもたちが押さえられる場合が多いのです。幼い時に説明しなければなりません。神様の最高の働きが大祭司ならば、必ず深く記憶しなければなりません。モーセが家ならば、イエス様は家を建てられた主人です。モーセが幕屋を作ったとすれば、幕屋の主人はキリストです。それで、荒野で落伍した人のようになってはいけないのです。イエス様はヨシュアとは違い真の安息を私たちに与えられました。
(1)神様の最高の約束がキリストならば、大祭司であるイエス様に対して深く考えてみなければなりません(ヘブル3:1)
(2)キリストはイスラエルの最高の指導者モーセより尊いのです。
@モーセはしもべで、イエス様は神様の息子です(ヘブル3:5〜6)
Aモーセは家で、イエス様は家を建てられた方です(ヘブル3:3)
Bモーセ時代の時、荒野で落後した人のようになってはいけません(ヘブル3:15〜18)
(3)信じない人は安息に入ることができません(ヘブル4:1〜2)
(4)ヨシュアがカナンに入ったのは、完全な安息ではありません(ヘブル4:8〜11)

第2課:偉大な大祭司
ヘブル4:14〜15│さて、私たちのためには、もろもろの天を通られた偉大な大祭司である神の子イエスがおられるのですから、私たちの信仰の告白を堅く保とうではありませんか。(14)

1.神様が偉大な大祭司(大大祭司)をこの世に約束のとおり送ってくださいました
▲偉大な大祭司
1年に一度、大祭司が至聖所に入ります。ところで、血をもう一つ持って入ります。一方の手には羊の血、一方の手には牛の血を持って入ります。羊の血は民の罪を、牛の血は自分を罪をなくしてくださいと祈るのです。ここでまだ少し説明すべきことがあります。先祖による偶像崇拝の罪があります。正しく説明しようとするなら、大、大、大、大祭司でしょう。ところで、そのように説明するのが難しいから、子どもたちに説明しましょう。信仰の告白を堅く保とうではありませんか…霊的に苦しんでいる人は、みことばずっと聞きながら待ちましょう。昔には聖所と至聖所がありました。しかし、みな片付けられたのです。ところで、カトリックはまだそのことをしています。しかし、聖書はそうではありません。大胆に、私たちの罪を持って神様の前に進めるのです。
(1)私たちの信仰の告白を堅く保たなければなりません。そうすれば、全てが回復します(ヘブル4:14〜15)
(2)私たちのすべての罪、とが、弱さ、その災いを担ってくださいました(ヘブル4:15)
(3)キリストがすべての問題を解決されたので、恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために御座の前に大胆に進まなければなりません(ヘブル4:16)
2.イエス・キリストは旧約の大祭司と同じ方ではありません
(1)旧約の大祭司は、人の中から選びました。そして、大祭司は罪のために、ささげ物といけにえとをささげる必要がありました(ヘブル5:1)
(2)大祭司自身も弱く、自分のために罪のためのささげ物をささげました(ヘブル5:2〜3)
(3)しかし、イエス様はメルキゼデクの位に等しいキリストです(ヘブル5:5〜10)
3.神様はキリストを通して全てを解決して準備されました
▲解決-準備
私たちはこの部分をよく知っています。少し大人たちが考えなければなりません。今日、教会がまだこういう旧約思想がたくさん残っているのです。今はちょっと良くなったのですが、そのような思想は福音ではなくて、旧約思想です。旧約思想があれば災いが臨みます。旧約時代にいたら死ぬのです。皆さんの後の時代は、完全にこれを切らなければなりません。皆さんの子孫が福音に完全に行くようにさせなければならないのです。
(1)旧約時代の初歩を捨てるべきです(ヘブル6:1).
(2)死んだ行いと儀式、祭りと制度を捨てるべきです(ヘブル6:1〜2)
(3)神様が完全な道である、永遠な大祭司をこの世に送ってくださいました(ヘブル6:20)

第3課:新しい契約の大祭司
ヘブル8:1〜6│以上述べたことの要点はこうです。すなわち、私たちの大祭司は天におられる大能者の御座の右に着座された方であり、(1)
▲イエス様はアロンの子孫ではなくて、メルキゼデクの位に等しい方です。
1.メルキゼデクは、誰でしょうか
(1)メルキゼデクは、サレムの王で、すぐれて高い神の祭司です(ヘブル7:1)
(2)父もなく、母もなく、系図もなく、その生涯の初めもなく、いのちの終わりもなく、神の御子と似た祭司です(ヘブル7:3).
(3)メルキゼデクは、アロンの位に従わない他の祭司です(ヘブル7:11)
2.イエス・キリストは、どなたですか
(1)イエス・キリストはメルキゼデクの位に等しい偉大な祭司です(ヘブル5:5〜10)
(2)イエス様は、毎日、動物のいけにえをささげるのではなく、キリストのからだをくださいました(ヘブル7:27)
(3)時間によって、祭りごとにささげる、いけにではなく、一度のいけにえです(ヘブル7:27)
(4)この世の祭司が仕えるのは、モーセが見た模型です。キリストは完全な契約の仲介者です(ヘブル8:5〜6)
(5)聖書の要点は、極めて偉大な大祭司がおられることを説明することです(ヘブル8:1)
3.神様は完全な幕屋を与えられました
(1)ソロモンの幕屋は影です。垂れ幕、至聖所、金の香壇、契約の箱、すべてみな影です(ヘブル9:3〜6)
(2)大祭司が血のいけにえをささげるのは、契約の儀式です(ヘブル9:6〜7)
(3)キリストは死なれたことによって、完全な新しい契約の仲介者になって、幕屋を完成してくださいました(ヘブル9:11〜28)

第4課: 完成者から目を離さずにいよう
ヘブル12:1〜3│信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。(2)
▲重要なことが出てきました。今は実体を見上げなければならないのです。
1.実体を見続けなければなりません。それが、個人が生きる道です。また、教会を生かして、危機に会った世界教会を生かす道です。
(1)律法は悟るようにさせることです。しかし、福音は解決策です(ヘブル10:1)
(2)動物の血は影です。しかし、キリストは実体です(ヘブル10:4)
(3)キリストが一気にからだをささげて、全てを解決してくださいました(ヘブル10:10)
(4)垂れ幕であるイエスのからだを裂いて、隔ての壁をうち破ってくださったのです(ヘブル10:19〜25)
2.実像と証拠を見て行ってこそ、私自身が生かされるようになって、私たちの子孫が生かされるようになります
(1)キリストは実像で、証拠です(ヘブル11:1)
(2)すべての証人がキリストを知って救われました(ヘブル11:38、ヨハネ8:56)
▲それで、どのようにしなければならないのでしょうか。ヘブル11章の人物は、来られることをながめたのですが、私たちは来られたのではないでしょうか。それで実像を見上げなさい。それで完全な方を見続けるのです。私たちは影をながめるのではなく、実像を見続けるのです。
3.完全なことを見続けてこそ、私たちの全てのことが完全になります
(1)数多くの証人がいます。
@重荷と、まとわりつく罪を捨てるべきです(ヘブル12:1)
A信仰の主を見続けなければなりません(ヘブル12:2)
▲これは単なる話ではありません。特に牧師、重職者(役員)、教会に長く通っている方々は、みな捨ててしまい、主だけを見上げなさい。この言葉が理解できなければ、後ほど難しくなります。この言葉が理解ができなければ、未信者であることもあります。子どもたちには、このように説明しましょう。あなたが道を行く時は、最も近道、最も正しい道に行かなければならないでしょう。あなたが車に乗る時は、最も安全な車に乗らなければならないでしょう。また、私たちが行く時、危険な道に行きますか。安全な道に行かなければならないでしょう。そして、私たちがどこかへ行く時は、正しい目標を見て行かなければならないのではないでしょうか。その全体の目標がキリストなのです。レムナントよ。キリストを見続けなさい。
(2)直すことがあります(ヘブル12:12〜13)
@弱った手を直さなければなりません。
A弱い膝を直さなければなりません。
Bひきずっている足を直さなければなりません。
▲ここを見ると、疲れた手、弱い膝、ひきずっている足と言われています。私はこのように解釈しました。疲れる手とは何でしょうか。弱い膝は何でしょうか。ひきずっている足とは何でしょうか。肉体的な障害者を言うのではありません。私たちが今は主のために生きるべきなのに、その手が疲れているので、それを直しましょう。膝が弱ければ、曲げることができないので、今は祈りの力を得なさい。足を引きずれば、よく通えないので、今は伝道を回復しなさい。そうすれば良いのです。もう私たちは私たちの手に神様のみことばを捕まえて祈って伝道しなさい。私はそのように解釈しました。この部分に対して、いろいろな人が解釈をよくしています。私はこのみことばを見ながら、手が疲れればどうなるのかと考えました。手に力があればどうなるでしょうか。手には神様のみことばを持ちましょう。ひざまずくという言葉は、本当に切なる祈りを回復しなさい。今は足を引きずるのではなくて、思うとおりに通う証人になりましょう。
▲そして、とても重要な話をされました。
(3)アベルの血よりすぐれたとりなしの血を心に大切に留めておかなければなりません(ヘブル12:24)
@世を愛してはいけません(ヘブル13:1〜5)
A他の教訓に心を寄せてはいけません(ヘブル13:6〜9)
B賛美のいけにえを神様にささげなければなりません(ヘブル13:10〜19)
▲私は、皆さんに会って祝福を受けたのですが、伝道運動を始めた時、何か違うこと、物質やそういうことに関心があったら、どうなっていたでしょうか。私たちは神様のしもべで、伝道者です。そんなことを愛さない時、神様が与えられます。真の神様に感謝するのでしょうか。私は、私たちの教会を本当に感謝します。私たちが外で仕事をして、全部、本部側に伝道運動するのにみな出しました。それで、賛美のいけにえを神様にささげましょう。
▲それでは、ヘブル人への手紙全体の結論がどのように出てくるでしょうか。キリストがすべての宗教、儀式、祭事をみな終わらせたから、キリストだけ見続ければ良いのです。これをどのように子どもたちに伝えることができるのでしょうか。ところで、この部分を事実は私たちが知っているでしょう。私たちが人生の中で本当にキリストを少しだけ味わっても働きが起きます。特に2つのことがきた時、私に多くの祝福、答えもきます。反対に問題もきます。この時、キリストを味わえば、ものすごい祝福で跳び越えるようになるのです。特に、レムナントは気をおとさずに、問題がきた時、キリストを捕まえましょう。このような時に、ものすごい答えの段階を跳び越えるようになります。
▲このキリストは、簡単なことではありません。私たちの心、私たちの意識、私たちの無意識、潜在意識、私たちのたましいの中に根を下ろす時から、驚くほどの働きが起きるのです。それで、これは止められません。みことばが根を下ろしてしまえば、働きがどんどん起き始めます。その時から私たちは証人になるのです。それで、主だけを見続けましょう。皆さんがこの話が、どれだけ心にあたるでしょうか。もちろん、神様の恵みでしょう。私と皆さんが伝道してくる中で困難が少しありました。ある時は、見れば全部、不信仰で攻撃するようでした。その時があったでしょう。皆さんが後から祈って下さったのでしょうが、ある時は、霊的に信仰で私に手助けしてくれる人がいないようでした。それで、私は自分の耳に会う話をしてみても、肉体的な話しかしませんでした。隠れて祈っていた人がおられるでしょうが、実際に私が伝道してくる間に肉体的な話だけ私に継続して、本当に霊的な話をしてくれませんでした。ですから、どれくらい大変かわかりません。ところで、ある日、見たら、伝道運動するのに外からとても攻撃してくるので、正常な感覚でなかったのです。私はその時に理解したのです。主を見続けなさい。主だけを見続けなさい! これを以前には理解できませんでした。ある時は、とても疲れて難しかったのですが、この言葉が分かったのです。主だけを見続けなさい! 私たちのレムナントは、うれしい時もあるでしょうが、どれくらい難しい時もあるでしょうか。キリストを見続けなさい! だれも助ける者がない時、キリストを見続けなさい。ひょっとして、時々危険に会ったり、暗やみの中でいる時、キリストを見続けなさい。何のために勉強して、仕事をしなければならないのでしょうか。キリストを見続けながら進みましょう。そうすれば、その後にはものすごい答えで...これが私たちにいる最も大きい祝福です。多分、皆さんも記憶しているでしょう。皆さんが生きてくる中にどれくらい困難が多かったでしょうか。キリストを見続ける者は勝利するようになっています。飛行機を操縦する操縦士が飛行機が方向を失ったら、はやく羅針盤を見なければなりません。ひょっとして、私たちが山で道に迷った時は、下手すると死ぬでしょう。その時、私たちが羅針盤があれば、どれくらい方向をつかめるでしょうか。それを見続けて行くでしょう。私たちがキリストを見続けるということは、神様がくださった全てを回復することができるのです。
▲それで、レムナントにはこのように説明しました。
1課に-レムナントはキリストの優越性を先に発見しなければなりません。
2課に-レムナントは宗教と偉大な大祭司の福音を区別しなければなりません。
3課に-レムナントは律法時代を抜け出した福音時代の新しい契約の主役にならなければなりません。
4課に-レムナントは永遠な道しるべを見ることができなければなりません。
▲キリストを見続けなさいという言葉は、永遠な道しるべです。
(The end)