2006-01-14伝道学校講師団



レムナント伝道学(19)-レムナントの律法理解
出エジプト記20:1-5

 ○要約資料○
1.みことば
(1)創世記1:1-13  (2)イザヤ40:6-8   (3)ヘブル4:12   (4)ヨハネ1:1-11
2.レムナントが必ず理解しなければならない律法
(1)福音を悟るようにするためです。
@ローマ3:10  Aローマ3:23  Bローマ6:23
(2)敬虔を装った律法に気を付けなければなりません。
(3)自由を装った堕落に気を付けなければなりません。
3.福音的なバランス
(1)時刻表
@勉強  A運動  B祈り  
(2)専門性
(3)人間関係
(The end)

○説明資料○
▲レムナントが世の中を直接経験することは難しいでしょう。しかし、間接的に必ず経験しなければならないものがあるのですが、
(1)メッセージが事実的に成就するということと,
(2)歴史を通して現れた教訓は、今でも継続されているということと
(3)現場に対する経験を必ずしなければならないのです。

1.みことば
▲この全てのものを神様のみことばを通してすることが最も正確で実際的です。みことばを事実通り信じて経験することが、はるかに有益なのです。
(1)創世記1:1-13,創造のみことば
▲このみことばは、無から有を創造されたのです。
(2)イザヤ40:6-8,永遠(未来)を分かるみことば
▲神様のみことばが永遠だということを分かれば、未来までついて行けるのです。
(3)ヘブル4:12,今働くみことば
▲このみことばの鍵は、今でもみことばはそのまま生きて働くということです。それで、みことばのとおり生きれば、祝福を味わうのです。
(4)ヨハネ1:1-11,成就するみことば
▲この救いの祝福が、みことばの中で正確に成就するのです。

2.レムナントが必ず理解しなければならない律法
(1)福音を悟るようにするためです。
@ローマ3:10  Aローマ3:23  Bローマ6:23
▲律法の根本用途は、最初が福音を悟って理解するようにするためです。ひとりも例外なく、これのために神様の栄光に至らない人生が結局、死を迎えるようになるのですが、これが原罪です。この原罪の解決は、福音ではなくては、絶対にないのです。
▲柳牧師が米国で,“子供が生まれるやいなや死んだとすれば天国行くのか?地獄に行くのか?”という質問を受けて“人は、100才を生きて死んでも人生で、1年生きて死んでも人生だ。0.1ケ月を生きて死んでも人生なのに、すべての人生で原罪にかからない人はない”と答えたそうです。この人生は、律法をみな守っても罪から解放されることはできません。それで、私たちがいくら立派で正しく生きても運命を変えられないのです。それで、神様が福音をくださったのです。
(2)敬虔を装った律法に気を付けなければなりません。
▲敬虔はとても素晴らしく見られるために、誰も断ったりできず、未信者までも尊敬しながら見るので、区別できないのです。この福音がない敬虔を装った律法は、時間が過ぎるほど、霊的問題がくるようになります。多分、私たち自らも最もだまされやすいことでしょう。
(3)自由を装った堕落に気を付けなければなりません。
▲その次に反対が‘自由を装った堕落’ですが、これはさらに用心しなければなりません。ヨハネ8:32,“真理を知ると、真理があなたがたを自由にします”と言われたのですが、その自由は私の思いのままにしてもかまわないということではありません。自由を間違えて味わえば、堕落になるのです。
▲青年一人が職場に行ったのですが、すべての集いが酒の席で、メッセージが思い出されたのです。仲間はずれになろうが、堕落をしようが、それで“私は酒を飲むのを反対しない。しかし、私は私の体質が合わない。しかし、この席にいる”そして、酒の席で酔っぱらった人々の話を皆聞いてあげて、代理運転をみな解決してあげて、のがしたこと見てあげながら会社で認められるようになったということです。
▲それで、この2つのことをよく分別しなければなりません。神様の前で謙虚に24時間聖霊充満しなければならない理由が、この境界線で倒れて、転ぶことがあるので、よく区分しなければならないのです。

3.福音的なバランス
▲律法ではないのですが、必ず持たなければならないことが‘福音的なバランス’です。
(1)時刻表 
@勉強 A運動 B祈り
▲そのバランスにおいて、最も重要なのが個人の時間管理です。毎日することと、しないことは、違いが生じるのです。毎日勉強、運動する人としない人は、時間が経つほど違いが生じるのです。時間をどこに使うかによって、それが後ほど習慣になって、習慣が人格になって、後ほどこれが自分もどうしてできない運命になるので、レムナントの時、福音的バランスを持っていなければなりません。
(2)専門性
▲この専門性は、勉強から出るのではなく、バランスから出る専門性でなければなりません。この専門性が開始になるのが‘事実を事実通り見ること’です。柳牧師が仕事を決める時、最も重く見るのが‘事実’です。しかし、私たちは自分が良いとおり判断するから、この事実を見る目を育てなければならないのです。それで、レムナントは、物一つを買う時にも専門性を持ってしなければなりません。
(3)人間関係
▲人がみな持っているのに、これができなくて失敗して困難にあう場合があります。時刻表と専門性を持つようになれば、人間関係も大丈夫な人になって、他のものにも祝福が付いてくるのです。私たちの人間は他の人との関係の中で生きるので、その中で霊的問題がみな現れるようになっています(結婚)。結局は、人間関係の答えを受けるためには2つのことがなければならないのです。
▲私の場合も育った時、福音を事実的に体験しないで、律法と人間中心主義を学んだので、これを抜け出す道がみことばを通した聖霊充満の他はないのです。
▲社会の区分
(1)韓国のクリスチャンは、反社会的ではないのですが、非社会的な律法主義であり,
(2)米国は真の社会的律法主義なので、
(3)私たちのレムナントはまことの社会的な福音主義でなければならないのです。
▲私たちが伝道しようとするなら、世を去ってしてもだめで、世の中と同化してもだめなのです。私たちが伝道する時にも、世の中を霊的な目で正しく見ながらしなければなりません。
▲深く考えるほど、本当に私たちの中に福音が体質化される祝福を、私たちのレムナントを通してみるようになることを望みます。
(The end)