:2008年3月15日 伝道学校講師団 場所:イエウォン教会



レムナント伝道学(124)
聞きたいメッセージ(3) タラッパンに関する基本的なこと
(使徒1:12-15)


☆☆☆要約資料☆☆☆
1.個人的な四つ
(1) 人生の答え - キリスト (マタイ16:16)
(2) 神様の恵み (エペソ2:8)
(3) 神様に感謝 (Ⅰテサロニケ5:16-18)
(4) 神様に栄光 (エペソ1:17-19)

2.個人的に見たこと
(1) クリスチャンの姿
(2) 現場の未信者たち
(3) 現場の中のクリスチャンたち
(4) 牧会者と伝道
(5) 重職者と使命
(6) 崩れてゆく次世代たち

3.聖書で見たこと
(1) 使1:1、3、8、11
(2) マルコの屋上の間で見たこと (使2:1-47)
(3) 初代教会の信徒から見たこと (使9:1-43)
(4) 初代教会の宣教戦略を見たこと (使13:1)
(The end)
☆☆☆録音資料☆☆☆
→序論
▲使徒1:15節に、そのころ、百二十名ほどの兄弟たちが集まっていたが、ペテロはその中に立ってこう言った...特に13-14節に見ると、彼らは町にはいると、泊まっている屋上の間に上がった...と言われています。
▲レムナントが、これからタラッパン運動をすべきなのに、タラッパンに関してよく知らないこともあります。それでタラッパンに関する基本的なことを知りたいと質問をしました。それで、私たちのレムナントは、このタラッパンに関する内容をよく把握していなければなりません。今、1世の世代で始められた方々が、どのように始められたのかを理解しなければならないのです。
▲ひとまず私の個人的なことから話をしてみます。

1.個人的な四つ
▲タラッパン運動する前に、私が個人的なこと四つを見つけました。
(1)人生の答え-キリスト(マタイ16:16)
▲私はそんなに大きい問題はなかったのですが、ほとんどみな問題でした。大きな病気になったり、大きな事故が起きたのではなかったのですが、全般的に困難の中で生きてきました。それで、そのままとても貧しくて、難しい環境でした。幼い時は知らなかったのですが、年を取りながら、これがだいぶ問題があるということが分かりました。それで、私が何もできないということを知るようになりました。私たち幼い時は知らなかったのですが、年をちょっととると、人生に対して悟るので、揺れるのです。下手すると、私たちのレムナントがそうなることがあります。両親の下に育っている時は、そのまま育って、社会に出て行けば難しいのです。そうするうちに、完全に困難の中心に陥るようになりました。私はどんなことにも答えを得られませんでした。答えということは、私の心に対する答えなのですが、もちろん...その話(言葉)は他の人は理解できないこともあります。
▲私はキリストを分かって、答えになったのです。これが私には開始でした。
(2)神様の恵み(エペソ2:8)
▲ところでキリストで答えを得たのですが、時間が経てば、ますます、この事実が神様の恵みだということが分かりました。それで、ちょっと恨んで知らなかったのが恥ずかしいほど、みな神様の計画があって、神様の恵みでした。
(3)神様に感謝(Iテサロニケ5:16-18)
▲そうしたら、感謝が出てくるしかありませんでした。神様に感謝して...それで主の働きをすることを感謝して...それで、私が教役者になったのも神様の恵みですが、感謝で...前はそうでなかったのですが、教会の働きをしながら一度も不平がなく感謝しました。そうして、多くの伝道現場に行くから、こういう答えがずっと来るようになったのです。
(4)神様に栄光(エペソ1:17-19)
▲それであまりにも失敗の中にいた私を神様が救い出されたので、他の要求がありません。神様に栄光を帰すことが、私たちの最高の仕事です。
▲こういう私の人生の4つの答えを得ました。この時から私が見たことがあります。

2.個人的に見たこと
▲何を見るようになったのかというと...
(1)信徒の姿です。
▲前には知らなかったのですが、信徒を見たら、1番の反対にしていました。答えがキリストではなくて、信仰生活をがんばっていました。そして、この人たちが、神様の恵みではなくて、ほとんどみなが自分の自慢で証しで、全部、何か仕事、こうしたことだったのです。ですから、感謝と栄光はだめにならざるをえないのです。それで信徒らがほとんど困難を経験していました。
(2)現場の未信者
▲それでは現場に行ってみたら、未信者は成功していたのでしょうか。そうでもありませんでした。未信者を詳しく見たら、さらに深刻だったのですが、彼らに福音を与えることができないのです。
(3)現場の中の信徒
▲それで現場に行ってみたら、信徒が何をしていたでしょうか。未信者よりさらにさ迷っていました。ほとんどみなが現場で答えを与えなければならないのに、与えられなくなっていました。これが私が見た現実でした。
(4)牧師と伝道
▲それで、どんな問題が見えたかというと、牧師が当然、答えを与えるべきなのに、牧師がとても伝道が難しい、こういう状況でした。
(5)重職者と使命
▲上の四つの問題の狭間で、教会の重職者が生じるから、この重職者使命はどうなるでしょうか。こういう状況でした。これが特別な部分にあるのでなく、一般的にこのようでした。
(6)崩れる子孫
▲だから、当然、子孫は崩れるしかありません。
▲これを私が見ながら、この働きを私がお手伝いをしなければならないとしたのが開始でした。それで、現場で私も昔には伝道がとても難しいと思っていたのですが、1番の恵みを受けて見たら、前は見えなかったのが見え始めたのです。

3.聖書で見たこと
▲それで聖書で重要なことを見始めました。聖書にとても重要な答えがあるのを見るようになったのですが、使徒の働きにとても重要な答えがありました。
(1)使徒1:1,3,8,11
▲使徒の働きは何でしょうか。使徒1:1節を説明するのです。使徒の働きは、キリストに対して起きたことを説明するのです。簡単に話せば、前は復活以前のことであったのですが、復活以後に起きた事件を記録したのです。ですから、キリストという、この答がずっと私たちは答えになるしかありません。ところで、この答が2番側に行くようになるのです。
▲ところで、これを悟ったから、祈りも難しいことがありませんでした。使徒1:3、祈る以前に、私がなぜ祈らなければならないかという理由を知るようになったのです。神様の国!です。
▲それでは神様の国が成される方法はなんでしょうか。
▲聖霊充満! イエス様が約束されました。神様の国、これがいつまででしょうか。主が再臨して来られる日まで...
▲これを始めたのがタラッパンです。この契約を(使徒1:1,3,8,11)をもって、一つの場所に集まったのですが、これが初代教会の開始です。同じ方法でずっと起きたのです。それがタラッパン運動です。それで、どのようになったかというと、使徒9:1-43節に見ると、現場にぱっと広がりました。
(2)マルコのタラッパンで見たこと(使徒2:1-47)
▲使徒2:1-47節に、先にこういうみわざが起きました。この(前の(1)番)の契約を持っているから、使徒2章の働きが起きるしかありません。これを私が見て、私たちの牧師が見たのです。ですから、契約を捕まえた現場に働きが起きるしかありません。
(3)初代教会の信徒から見たこと(使徒9:1-43)
▲そして使徒9:1-43節に見るから、現場にぱっと広がっています。
(4)初代教会宣教戦略を見たこと(使徒13:1)
▲これをするために使徒13:1節に見たら、全世界に宣教師が派遣されていきました。それで、世界宣教現場で起きた事が全部、このことが(前の(1)-(4)番)起きたのです。
▲これがタラッパン運動です。これは簡単な運動のように見られるのですが、引続き答えが来るのです。
▲私たちのレムナントが、今はこういう契約を握って周囲を一度よく見てください。レムナントがこの契約を握って周囲をよく見る時、ひょっとしてだめなのは試みにあうことではなくて、答えを得なければなりません。私たちのレムナントは、今、希望があるが皆さん教会に行って、よくないこともあります。またレムナントが、両親を見て、なぜ私たちの両親はだめなのかということもあります。それは、私たちのレムナントが試みにあって気をおとすことではなく、ここで本当に確実な答えを探さなければなりません。私は率直に、教会がだめなのを見て答えをみな得ました。けんかを本格的にする私の母教会を見て、絶対に教会はけんかをしてはいけないことを学びました。
(1)人間主義
▲その次に立派な牧師の下に行ってみたのですが、教会の中を見たら、あまりにも教会の中には、ものすごく人間主義が多くありました。それで私は習ったのです。これはしてはいけないと習いました。
(2)律法主義
▲教会はなぜ戦うのでしょうか。けんかしようとするのではありません。福音ない律法主義のためにそうなのです。律法ではなくて、律法主義のために...ですから~主義という言葉は違った言葉です。これは~ismだから、大きな効果を産み出すのです。律法はみことばなので、みことばが必要ないということではありません。それで、一言で律法主義ということは、私たちにはふさわしい言葉ではないのですが、簡単にこのようになってしまいます。それで福音を知らないほど、律法になります。福音が味わえないだけ、律法主義となります。これが私たちの生活を支配するようになるのです。だから律法主義者ではなくても律法主義となるのです。
▲それで、私たちのレムナントが必ず勉強する中に、福音の味を知らないでいると不信仰するようになります。ところで、この不信仰、心配が私の生活を支配するようになるから、それが人間主義になるのです。ほとんどここで問題があります。
(3)神秘主義
▲ですから、これも、あれもだめだから、どのようにしなければならないのでしょうか。超越したり逃避しようとするのです。これが神秘です。なぜなら、これが(前の(1)-(2)番)みなだめだから、神秘側が懐かしいでしょう。私が神様の力を体験しなければならない、私が祈りの答えを受けなければならない、これが正しいことなのですが、そちら側に行くようになるのです。それで、福音をよく分からなければ、それが神秘主義になるのです。
▲それでレムナントが福音を正しく理解しなければなりません。神様のみことばは知っているのに、福音をよく知らなければ、自分も知らないうちに律法主義となります。私が一生懸命に努力してがんばるのは正しいことなのですが、これが福音をのがす場合は人間主義となります。神様の力があるのがみな良いことなのに、福音をのがしてしまえば、神秘主義となります。このように3つに要約できます。私たちのレムナントは、簡単にはやく理解しなければなりません。ですから、教会はこの三つがあちこちに散在しています。そうしたら、多くの教会が律法主義側にたくさん陥っています。一番健全だと見えるから..そうしたら、してもできないから、実際には人間主義に行くようになります。そうしたら、片方では神秘主義がどんどん生じます。まず力のわざを見せるから...福音と全く関係ないのに、力のわざを見せて...こういうものが多いのです。私たちのレムナントが区分をしっかりとして、知って味わって伝えなければならないのです。ですから、ある放送にも見たら、おかしな牧師が多いのです。放送にも出てきたのですが、歯を全部金にする集会もあって...それは、未信者が見る時は、精神異常者です。それが...歯が金で作られてはいけないのです。それでは三日もご飯を食べられません。ですから、話にもならないことをするのです。ある人は、自分の写真を信徒の家にみな貼っておきました。変なこと強要もして...そこまで行くのです。神秘主義で...この三つをレムナントははやく理解をしなければなりません。ところでさらに解決が難しいのは、この三つを(人間主義、律法主義、神秘主義)を一度にみなする人がいます。これはちょっと対策がありません。人間主義は使うところでみな使い、相手方には律法です。それで、仕事を進行する時は神様の力を信じると言いながらして...この三つがみな合わされば、それこそ完全に失敗をするようになるのです。
▲それでレムナントは、このように結論を出さなければなりません。福音は人間主義を使わないことでしょうか。違います。福音は最も人に対する根本です。福音は律法を無視することでしょうか。違います。この律法を最も完成させたのが福音です。すべての力、神様の力を否定するのでしょうか。違います。神様の力を最も根本的に味わうのが福音です。それで福音を分かれば、最も正常になります。このように、私たちのレムナントが答えをしっかりと下さなければなりません。福音を知っている人が最もエリートです。こういうものであって、やたらど変にすることは絶対に違います。このようにして、私たちのレムナントは、このタラッパン運動、初代教会に起きた運動を全世界にまき散らす主役になるように祈らなければなりません。
(祈り)
神様に感謝します。私たちのレムナントに正しい福音を理解するマルコのタラッパンの働きを見るようにさせてください。初代教会の現場に起きたことを見るようにさせてください。これから全世界の学校に福音を持ったエリートが必要です。私たちのレムナントが、まさにその場に主役になりますように。当然、受ける答えを当然に味わうようにさせてください。イエス・キリストの御名でお祈りします。アーメン
(The end)