2008年11月29日 伝道学校講師団 場所:イエウォン教会



レムナント伝道学(161)
レムナントの悩みと葛藤(11)
聖書の解釈と適応が異なって強調されるとき
(ヨハネ14:16-17)
(イ・ビョンム牧師)


☆☆☆要約資料☆☆☆
1.根本的なことを先に理解すること
(1) 神学の流れ
(2) 哲学の流れ
(3) 思想(理念)の流れ
2.解釈者(説教者)に対して理解すること
(1) 学問の背景
(2) 神学の背景
(3) 人生観の背景
3.書物に対して理解すること
(1) 著者の背景
(2) 目的
(3) 内容記述の方法
4.真理はただ一つ
(1) すべてを参考にしなければ
(2) すべての人を真実に参考にしなければ
(3) 真理は一つ
① 神様と救い
② みことばとキリスト
③ ヨハネ14:16-17、使1:8 (The end)

☆☆☆録音資料☆☆☆
→序論
▲ヨハネ14:16-17節だ。わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。その方は、真理の御霊です。世はその方を受け入れることができません。世はその方を見もせず、知りもしないからです。しかし、あなたがたはその方を知っています。その方はあなたがたとともに住み、あなたがたのうちにおられるからです。
▲レムナントらの葛藤と苦悩の中に、牧師先生の聖書解釈と適応が違うように強調されているというのです。実は、これはレムナントの問題ではなくて、福音を伝える牧師の問題であるようです。レムナントが見るのに、牧師が聖書解釈と適応が違うということです。事実は、レムナントは初めから柳光洙牧師の福音を聞いて悟ったので正確に知っています。他の見方をすれば、私たちの牧師よりさらに福音的なのです。さらに聖書解釈が福音的で、また神様のみこころに正確なのです。タラッパンで見つけられるという話があります。福音ではない律法、神秘主義をすればみな見つけられるようになっているのです。事実は、私たちの講師団が先に更新しなければならない問題のようです。
▲今、世界教会の問題が聖書解釈と適応が違うところでみな出てくるのです。多分、全世界の神学校の70%以上が、聖書を神様のみことばだと信じていません。その代表的な例がモーセ五書を教える時、文書説で教えるのです。文書説とは何でしょうか。昔の伝説や神話、いろいろな話を収集、編集して作った文書だということです。いろいろな文書を集めたということです。それで創世記3章の問題は伝説だというのです。神話で昔の話だというのです。ところで、韓国も神学校で70%以上が文書説だと教えています。また、新約を読む時も、一つの例をあげて、土着化しようと言います。イエス様がパンとぶどう酒で聖餐式をされたから、韓国に合うようにマッコリともちで聖餐式をする人もいます。非神話化しようと話すのです。イエス様がどのように水の上を歩いていけるか。イエス様が心配になって海辺を散策していたら、船に乗っていた弟子たちが水の上を歩くように見たということです。そのような神学をおおっぴらに神学校で教えています。韓国教会がほとんど律法的な神学を教えて、律法的な聖書解釈をしています。そのようにして、聖書解釈と適応が違うように強調されているのです。タラッパン運動、福音運動しながらも、昔方式のこういう解釈と適応が出てきているのが事実です。それで、多くのレムナントがなぜ私たちの牧師はまだ律法的かと不平を言ったりもするのです。それで、こういう問題を出すレムナントに私たちが何の答えを与えなければならないのでしょうか。

1.根本的理解から先にすべき
▲根本的な理解から先にしなければならないと言われています。
(1)神学の流れ
▲神学の流れがこういう誤った流れがあるということを知らせる必要があります。神学が福音中心、伝道中心、キリスト中心にならなくなっているのが現実です。律法主義が主流をなしています。新神学、解放神学、神様は死んだという使節神学、政治神学、いろいろな神学が多くあるのです。韓国協会の中にまだこういう流れがあって、全世界にこういう流れがあります。
(2)哲学の流れ
▲哲学も神様がいない哲学に流れています。
(3思想(理念)の流れ
▲今、思想、理念の流れはニューエイジ運動、気功、こういう悪霊運動の影響を受けています。
▲それでこういう流れが教会の中にまで食い込んできたことは事実だと話さなければなりません。

2.解釈者(説教者)に対する理解
▲説教者に対しても理解をしなければならないと話さなければなりません。説教者の学問背景と神学背景にしたがってメッセージが聖書解釈と適応が変わるのです。それで、今、ある教団では聖書を神様みことばだと教えないで、聖書には神様のみことばもあると教えています。聖書には悪魔の言葉もあって、ロバの言葉もあって、鶏の声もあって、いろいろある中で神様のみことばもあると話すのです。悪魔が話したから悪魔の言葉ではないかと、そのように言うのです。しかし、悪魔が話したことも、悪魔の話ではありません。神様が悪魔の話を引用しておいてみことばをくださったのです。先生が鐘の音カンカンカンと鳴して、教室に入ってこいと言います。それではカンカンカンは鐘の音も先生のことばです。それで私たちは聖書全体が神様のみことばだと認めなければなりません。こういう不信仰的な、そのような学問的、神学的背景が流れているのをレムナントが理解をしなければなりません。そして、説教者の人生観の背景が問題でもあります。説教する人が律法的に育ったので、自分も知らずに聖書解釈を律法的にしてしまうのです。事実、律法の下にある者は呪い下にある者だとガラテヤ3章に話しています。それでも、その人の人生観が律法的生活を送ったので、自分も知らずに律法的に解釈をしてしまうのは事実です。創世記3章の問題が背景になっているから、自分も知らずに創世記3章の問題が聖書解釈に適応されてしまうのです。自分自身が傷が多いから、その傷を他の人に伝えてしまう場合も本当に多いのです。私たちの中にある傷は生涯続きます。
▲私がメッセージする時もたくさん感じます。今日はなぜこのように礼拝の雰囲気が良くないのか。なぜ人々がこのようにうとうとしているのか。なぜこのように礼拝時間によそ見をしているのか。私が本当にいらいらして、教会の信徒に向かって不平を言う時があります。ところで、後ほど見ればそれが教会の信徒の問題ではなくて、私の問題です。私が聖霊に満たされず、ストレスが積もって腹が立っていれば、ストレスが説教の時、伝えられてしまうのです。だからその言い訳を教会の信徒に向けるのです。
▲柳牧師がおっしゃるのに、霊的問題は3つあるということです。すでにあらわれた問題があります。それは決断を下して、霊的戦いをしなければなりません。私だけ分かるおかしな問題があります。他人に話せない問題が多いのです。使徒パウロも、肉体のトゲ、サタンの使いがありました。パウロにそれでは肉体のトゲが何でしょうか。私たちはわかりません。なぜなら、パウロが話さないから..なぜ話さないのでしょうか。話すことができないから、しないのです。それで、私たちの中にある霊的問題は一生続くのです。使徒パウロにも肉体のトゲ、サタンの使いがありながら、神様の力と神様の恵みがともにありましたそれでそのサタンの使い、肉体のトゲのゆえに、キリストの力が留まって、パウロがさらに強くなることができたのです。説教者が私たちに霊的な問題があることを認めなければなりません。その問題がなくなったり治療されるのではなくて、一生あるというものを認めなければなりません。それで私はキリストが必要だといって福音の根をさらに深くおりなければならないのです。私たちは福音と霊的な問題が共に内在しているのです。それで、私たちは常に福音側に立たなければならないのです。私たちの中に私も知らない霊的問題があります。それのために失敗するのです。私の中に霊的問題、言葉を変えればサタンにつかまった部分です。私の霊的問題が発見できなくて、他の人に言い訳してひっくり返してかぶせるのです。そうすれば、事実、私たちのメッセージにも私の霊的問題がそのままついていく時が多いのです。柳牧師は、祈りの深いところに入れと言われます。霊的問題を発見して決断を下しなさい。福音の根を深くおろすしかありません。
(1)学問背景  (2)神学背景  (3)人生観の背景

3.本に対する理解
▲本に対する理解です。本を理解する時、著者の背景を理解して、目的、内容記述の方法を理解しなければなりません。一般の本を読む時もそうするのですが、本の中の本を聖書を読む時も、こういう姿勢がなければなりません。聖書も著者にしたがってその目的と内容記述の方法が全く違うこともあります。例をあげれば、ヤコブの手紙は、行いを強調します。行いがない信仰は死んだ信仰だと話します。このように、アブラハムも行いによって義と認められたと宣言します。それではヤコブが福音に反対しているのでしょうか。ヤコブは律法主義でしょうか。行いを強調しながら、私たちをキリストに導いているのです。キリストはみことばが成就できるすべての恵みと力をくださるから、行いがなるようにさせてくださるのです。アブラハムが100才時、息子が産まれました。従順にしたのではなく、従順になるように神様が祝福されたのです。ローマ1章16-17節は、ただ義人は信仰によって生きると言われています。それではローマ人の手紙とヤコブの手紙は、互いに反対になって敵対しているのでしょうか。違うようだが聖霊の働きです。違うようですが福音に導いているのです。それで、レムナントに違うようですが、結論は福音なのです。それを理解して受け入れなければならないと教えてなければなりません。
(1)著者の背景  (2)目的  (3)内容記述の方法

4.真理は一つだけ
▲真理は一つだけです。それで全てを参考にしなければならないと柳牧師がおっしゃっています。昔に三人が行けば、その中のひとりは師匠がいると言います。今、タラッパンの人々が韓国教会が律法的で、とても福音がないと判断してしまう時が多いのです。正確に話せば、福音がちょっと薄いでしょう。ところで、その薄い福音を持って韓国教会は日帝時代の時や6.25(朝鮮戦争)の時、いのちを命かけて信仰を守ったのです。現代史において血を流しながら、殉教しながら、信仰を守った国が韓国です。創世記3章の血、過越の血、イエス様の十字架の血に続いて、最後に血を流したところが韓国教会です。ところで、韓国教会に福音がないと私たちが罪に定めてしまって良いのでしょうか。柳牧師の言われるとおり、私たちは韓国教会と一緒に行かなければなりません。その薄い福音を持って血を流しながら、殉教しながら、私たちに福音を伝えてくださった信仰の先輩に私たちは感謝しなければならないのです。彼らの血が流されたその福音の情熱が私たちのタラッパンに伝えられたのです。それで、韓国教会のすべての祝福を私たちのタラッパンがみな受けたのです。それで、適応と解釈が違うと判断してはならないのです。その中にも神様の計画と理由があります。その中にも福音は流れているのです。レムナントが幼い時からこういう否定的な見解を持って教会を見て、説教者を見てはいけないのです。それですべての人を真実に参考にしましょう。真理は一つです。神様と救い、みことばとキリスト、解釈が違って適応が違うようですが、その中でも福音は伝えているのです。私たちが持たなければならないのは、その方たちより確実な福音を悟ったら、その方よりさらに感謝しなければならないのです。
(1)全てのもの参考すべき
(2)すべての人を真実に参考にすべき
(3)真理は一つ
①神様と救い  ②みことばとキリスト  ③ヨハネ14:16-17、使徒1:8
▲17節のみことばのように、世の中は真の福音、キリストを知らないのですが、私たちは知って悟ったとすれば、本当に私たちは特別な恵みを受けた人です。神様、私に福音悟るようにして下さってありがとうございます! 感謝する心を持って教会を見て、感謝する心を持って私たちがメッセージを聞かなければならないのです。レムナントにこういう福音的で肯定的な思想を植え付けなければなりません。祈ります。

(祈り)
神様、レムナントらが正しい聖書解釈と適応を悟るようにしてくださることをありがとうございます。私たちが正しい福音をレムナントに伝えられるようにしてください。イエス・キリストの御名でお祈りします。アーメン
(The end)