2004年 1月 18日インマヌエル教会聖日メッセージ


 1部/ 新しい葡萄酒は新しい革袋に
(ルカ5:33〜38)
 
・時々、未信者も新しい葡萄酒は新しい革袋に、こういう話を使うこともあります。これはなんの話かというと、イスラエルは暑い国です。葡萄酒を革袋に入れるのか? その話ではなくて、葡萄酒を入れるガラスのうつわをそのまま持って通えば割れるために、そのガラスのうつわを革袋の中に入れて通うのです。すると、万一、袋が古い袋ならば、中にある葡萄酒のうつわが飛び出すはずです。すると割れるではないでしょうか? だから、どんなに愚かでも新しく葡萄酒を新しいうつわに入れた時は、革袋も新しい袋に入れるということです。今日は、パリサイ人、律法学者がイエス様に質問した時、出てきた話です。こういう質問をしました。むかしにヨハネの弟子も断食して、私たちパリサイ人も断食するのに、なぜあなたは断食しないのか? 祈りを多くしなければならず、祈りをすべきではないか? 本当に正しい言葉です。そのようなことを質問したのです。もちろん良い意味で言ったのではなくて、非難するためです。先週にも、なぜ取税人のような人を呼んで、取税人のような人といっしょに食事をするのか?その時、イエス様が 'わたしは罪人を救うためにきた' と言いながら説明なさいました。事実、罪人といわれる人は誰もいないのに、わたしは罪人を救うためにきたと言われて、パリサイ人が答えることができない答えをイエス様がおっしゃられたのです。
 
・今日、また質問をしました。祈りをしなければならないのに、あなた方の弟子は祈らないのか? 断食もして、祈らなければならないのに、なぜしないのか? 本当に良い質問です。今日の質問の目的は非難するためです。イエス様がこのようにおっしゃられました。比喩をつかって、パーティをしている家で断食しても良いのか? いや家に新郎が来て、新郎、新婦が結婚するのに、そこで断食をしているからとご飯を食べないでも良いのか? 後ほど結婚式がみな終わって、新郎が行ってしまってから、その時に断食しなさい。こういう意味深長なことを言われました。もちろん、分からない人もいるでしょう。それとともに、イエス様が比喩を二つを言われました。古着に穴が空きました。すると、穴があいた服を縫うために、他の布が必要なはずです。それで、新しい服の布を切って縫うだろうか? 簡単に話せば、リヤカーを作るために飛行機の車輪を取ってくるだろうか? そして、新しい葡萄酒は古い革袋に入れるか? こういう、すごいことをおっしゃられたのです。
 
・ここで私達が相当なことを想像できます。普通、人はそのように考えます。熱心に祈って断食して献金して、信仰生活を上手にやれば、信仰が良いように見えます。知識人と、ちょっと葛藤がある人が見れば、理解ができません。そして、若い学生達も理解できません。私たちのおばあさんは、あのように熱心にするので、私は何か? 過去に私の母があのように熱心に祈ったけれど、私は何を祈ることがあるのか? 私の妻も熱心に祈るけれど、私は事業して忙しいのに祈ることが何でできるのか? こういう気がします。私の母やおとなを見れば、祈りを熱心にすれば、信仰が良いみたいだ。あの人は断食祈りをしているので、信仰が良いな、こういう方法で話します。一般的に見れば、間違った話ではありません。私も断食祈りをしながら、多くの恵みを受けたゆえに、間違った話ではないのです。ところが、その話ではありません。今の信仰は、ほとんど人々がそのように思っています。もちろん、断食してもかまわなくて、しなくてもかまいません。それではありません。今、私たちは重大なことを知っていなければなりません。
 
・私が率直に、重大なことを知らないから、信仰に葛藤が生じました。一度は、学生の時、学生卒業礼拝をささげるのに、「神様の恵みで。このつまらない者が」という賛美を歌ったのです。ところが、私が学生の時なのに、ものすごく気分が悪かったのです。何の神様の恵みで、私がなぜつまらないのか? と気分が悪かったのです。言わば、私に信仰がなかったのです。ところが、そのようにする私が、よく成功もできず、何かに私が 押さえられたのでした。今日、礼拝をささげて歌った賛美歌「主を考えるだけでも良いのに、会えばどれくらい良いか?」というのがありますが、狂ったのかと言いたいかもしれません。私達が見ることもできない主に会うのか... こういう気がします。私は事実そうでした。それとともに、私たちの周囲と多くの人を注意深く見たのですが、何かないようで、答が出てこなかったのです。皆様、率直にそうではないでしょうか? 私が世界福音化に走って入っていく前までは、答が出てこなかったのです。答が出てこそ、走って行けるので、礼拝堂に座っているということだけでも、私にはものすごく難しいことでした。私は聖日になって、礼拝をささげにいくことがどれくらい大変なのか分かりませんでした。雰囲気上、行かないこともできませんでした。私の家の人が皆いくのに、私一人、行かないわけにいきませんでした。やむを得ず行くのですが、本当にしんどかったのです。そして、私は感情が豊富ではなくて、それほど感動しない事に感動することができません。他の人が賛美を歌う時、私は賛美を歌わずに静かに待っていました。むかしには、賛美歌が 5節 6節もあって、ものすごく時間がたくさんかかったのです。こういう信仰生活をしていたので、率直に信仰生活ができませんでした。ところが、うそをつけないことがひとつありました。何か、私がうまくいかなくて、気楽ではありませんでした。理由はよく分からないのですが、そうでした。何か分からないのですが、時間が経つほど、よくなりませんでした。そして、何か自分自身が押さえられていました。どこに押さえられているのか分からないのですが、とにかくそうでした。私がそのように知能が低かったり、人の勘が鈍かったり、そのようなことではなかったのに、何かよくならなかったのです。ところが、私がだめだという理由で、よくなるようにしようと信仰生活をするという自尊心はありませんでした。だめならば、だめなまま行くべきで、それゆえに私が神様の前に出て祈るというのか? それが話にならなかったのです。それで、私は二十何歳かまで、ずっとさまよったのでした。だめで、霊的問題、それは話す必要もなくて、考える必要もなくそのようになりました。
 
・私はある日、聖書を見ながら神様の恵みですが、理解でき始めたのです。創世記 1章1節を開きながら、分かり始めたのです。創世記1:1〜2を見れば、神様が創造なさる時に、重要な話が出てきます。まず 'はじめに神が天と地を創造された' このように出てきました。それはそうとして、その後の話がとても意味深長です。単に創造なさったのではなくて、'暗闇と空虚と混とんの中で創造なさった'と出てきます。すると、神様が人間を創造なさる以前に、暗闇があったということです。そして、混とんがあったということです。そして、空虚があったということです。空虚というのは、どんな意味なのか正確に分析はできないけれど、私達が理解する話で、何か空っぽで、何もないということです。それで、無秩序だったということです。それで、暗闇に包まれていたということです。創世前に。私はそれが分かり始めました。私が生まれる前に、皆様が生まれる前に、アダムとエバが創られる前に暗闇の勢力があったのです。私はそこで、福音の理由を知るようになったのです。私はそれひとつで他のことが分かり始めました。創世前にあなたを呼んだという話が分かり始めたのです。神様が救いを創世前に準備なさったということです。聖書にそのような話があるではないでしょうか? それが分かり始めました。
 
・神様が私たち人間と天使にだけ、人格を下さいました。言わば、皆様が礼拝堂にきても良くて、来なくても良い選択権があるのです。このマイクや椅子には、そのような選択権はありません。人にだけあるのです。そして、天使にあります。天使と人には選択できる人格を下さいました。ですから、この多くの天使の中で、天使が堕落して悪魔になったのです。この時から、暗闇の勢力が作られ始めたのです。それがサタンで、サタンにたくさん従ったのが悪霊です。それで、地球上にはものすごいことが行われ始めたのです。ところが、神様がそれをご存知であって、暗闇の勢力の中に創造を始められました。そして、この人間がもしかしたら崩れるかということをご存知であって、救いをあらかじめ話されたのです。それで人間が滅びた時、即刻、女の子孫。このメッセージ、福音を下さったのです。簡単に話すとこのようなものが原罪です。私はそれが分かり始めました。私は本当に分かり始めたのです。それなら、私がこれを信じて話さねばならない。その時から、みな解釈できるようになりました。それで賛美するのです。それで献金もするのです。それで熱心にメッセージを聞くのです。ところが、この暗闇の勢力の存在は簡単ではありません。それで、ずっと祈るのです。それで、聖霊充満を受けるのだな。それで世界福音化しろとおっしゃったのだな。私は全部分かり始めたのです。ところがおかしな事が起きました。驚くべき事が行われたのです。そのまま私に変化が起き始めたのです。私は皆様がおわかりの通り(すべてはよくご存知ではないでしょうが)私の人格は、何かどんどん変化できる人格になることはできません。私は着実にすることができない性格です。そして、何かをすごいことを作り出そうとする性格になることができないのです。ところが、ある日、神様が知らない、説明するのが難しい変化をくださいました。それで、本当に話で表現するのが難しい、そのような神様の証拠をくださったのです。
 
・私は僧侶に対してはよく知りません。有名な僧侶一人が、この前、亡くなりました。ソンチョル僧侶が亡くなったのです。それで、私が礼儀上、私たち韓国の最高の僧侶であったから、その方についての本を一冊読んでみるべきだと思って、その方が直接書いた本をひとつ読みました。私は読んでみて本当に驚きました。最初のページから驚きました。最初のページを開くと、序文が出てきて、その時から驚きました。ソンチョル僧侶が書いた内容です。本人が直接書いた内容です。仏教には救いがない。このように書いていました。私はあまりに驚いて、この人が書いた文章をずっと読んでみたのですが、ずっと驚くべき話が出てきました。幼い時、自分の友人が水で遊んでいて死んだのですが、この友人がどこに行ったのだろうか? その時から自分は思索し始めた。それで僧になることにした。それで韓国の有名な僧侶になった。ところが、その方が何だと書いたでしょうか? 私がなぜ仏教を信じているのか? まだ道を探すことができないためだ。もし私が道を探せたら、仏教を離れる。ソンチョル僧侶が書いた文の内容です。仏教には真理はありません。道はないのです。ただ、私が道を探せなかったゆえに、ここにいるだけだと確かに書いていました。もし道があるならば、私はこれを捨てて行くはずだと、最初のページからそのように出てきました。それで、私はこの人が本当に普通の人ではないことを知りました。ずっと読んでみたら、ずっと驚くべきメッセージが出てきました。サタンの話を読んでみてください。サタンは、私たち人間が勝つこともできなくて、避けることもできない存在だ。それで釈迦はサタンのしもべであった。避けられないために止むを得ない。その人の自叙伝に出てきた話です。今まで多くの文章を読んだ中で、ソンチョル僧侶は本当にすごい方です。平凡な話のようなのに、水は水で、山は山だとあります。それが平凡な話のようなのに、どれくらい真理でしょうか? その時からこういう考えをしました。僧侶に会えば、福音を伝えるべきだ。その時、そのような考えを強くしました。私がこの本を早く読んでいたなら、この方を訪ねて福音を伝えたのにということです。その方が生きていた時に書いた文章です。それで、本当に驚くべきことです。非常に本当に仏教にも深く入っていくから、この方が悟ったのでした。
 
・皆様、新しい葡萄酒は新しい革袋に入れねばならず、古着を縫うのになぜ新しい服を縫いつけるでしょうか? 神様が私たち人間が止むを得ない、その状況から救おうと福音を下さいました。それで、これから皆様に確実な証拠3つががくるのです。
 
・最初です。新しい葡萄酒、これは葡萄酒の話ではありません。皆様にこれから3つの祝福が確かにくるはずです。その最初は何でしょうか?皆様が福音を悟って、神様の子どもになる瞬間、皆様のすべての身分は変化します。すぐに占う必要がなくなります。運命は変わってしまうのです。私はそれを知るようになりました。 '死からいのちに移っているのです'. '罪と死の原理からあなたがたを解放したからです'. 明らかです。私達が揺れようが、揺れまいが明らかです。皆様がこれから、時間が経てば分かるようになるはずです。それで、私たち福音を持った人は、堂々と吉凶を占いません。私たちは危険なところに行って、他の人がグッ(降霊術)をしても参加しません。私たちはお祓いのようなものをしません。
 
・一度はどこかに人が引っ越して行くと死にました。家がとても良いのに、引っ越して行くと死ぬのです。それで怖がるので、誰が行くでしょうか? なぜ一度、二度ではなく、引っ越して行くと死ぬのです。私はむかし、その話がなんの話なのか分かりませんでした。今は私は霊的な問題と、霊的な深刻さを知っています。その時、ペク・ウンギュ牧師に、私が引っ越すから家を買いなさいと言いました。その話はなんの話でしょうか? 皆様、終わってしまったのです。皆様が福音を知ったということは、ものすごいのです。これをこれから知るようになるはずです。これから時間が経てば確認できるようになるはずです。未信者状態6つを知っているでしょう。未信者がグッ(降霊術)をして占って、とても困難に遭っているでしょう? 悪口を言う必要がないのは、それしか仕方がないのです。未信者があまり難しくなければじっとしていて、本当に難しければ、異常なのに訪ねます。道がそれしかないからです。聖書に、イエス様が 'あなたがたの父である悪魔'. それで、未信者がわざわざそうしようというのはなくて、やむを得ず、なにかを作って置いてお辞儀をして、それしか仕方がありません。解決ができないからです。木で作って置いて、それしか方法がないのです。人間の本性がそれしか方法がないのです。ですから、山に行って世話してお辞儀をして、それしか方法がありません。ところが、それが本質ではなくて、誤っているからということです。ですから、霊的問題がくるのです。私の話が正しいか、正しくないのか、ムダン(霊媒師)の子どもを見ましょう。ほとんど精神がみな狂っています。今でもずっとムダン(霊媒師)にメッセージを送っています。早く帰って来なさいと。ですから、不思議に自分も知らず、生活の中で何かが押さえられる問題がどんどん出てくるのです。そのように生きて、死んで行きます。そのように生きて、死んで行くのが人生でしょうか?
 
・ところが、2つの問題が残ります。自分の子どもと自分のたましいです。止むを得ないことです。しかし、私はこれを見ながら、驚くべきことだと思いました。 '死からいのちに移っているのです'. ところが今、パリサイ人が持っているその考えとは別の話です。新しい葡萄酒は新しい革袋に入れることを知らないのですか? 今、キリストがきたのに、あなたが今、宗教、これを知らないか? 皆様、私は約束します。時間が経てば分かるようになるはずです。皆様が時間が経てば経つほど、何を感じるでしょうか? 神様の息子が悪魔のしわざを滅ぼすためにいらっしゃったことが、そうだと分かるようになるはずです。言わば、罪、地獄、サタンの権威から完全に解放なさったのです。分かるようになるはずです。私はその部分を知りながら、神様がなぜエデンの園を作られて、なぜその警告をくださって、なぜ善悪を知る木の実は食べるなとおっしゃったのか理解できるようになりました。なぜこの悪魔がきて、善悪を知る木の実を食べるように誘惑したのか、分かるようになったのです。すると罰を下さなければならないのに、神様が即刻、福音をくださったではないでしょうか。女の子孫がへびの頭を踏みくだく。人間を滅ぼすべきなのに、神様は救いの門を開けてくださいました。私は理解できたのです。 'わたしは道であり、いのちであるから' この話が分かりました。もっと理解できなかった話, 'わたしによらなければ、だれ一人、父のみもとに来ることはありません' その話が理解できなかったのに、分かり始めたのです。私は創世以前の事件を知って、使徒4:12が分かりました。 '世界中で、この御名の他に救われるべき名としては、どのような名も人間に与えられていないのです' この話は、宗教が悪いということではありません。あらゆる宗教は同じで良いことです。しかし、創世記3章の事件とその以前の事件は同じようなものです。それは解決できません。それで、宗教生活はすればするほど難しくなります。それで、何も知らずに断食して、これが宗教生活です。こういう困難が来るしかないのです。
 
・この下にある僧侶は、行ったり来たりしている途中でイエスを受け入れました。私は理解できます。あらゆる宗教は同じだと見るために、きて祈って聞いたりします。台湾ではどのようなことがおきたでしょうか? 私たちのメンバーが、道を誤って行って、大きい門に入っていったら、寺の中へ入っていってしまったのです。大きい寺です。そこの僧侶がなぜ来たのかとたずねました。知らずに入ったと言いました。どこへ行くのか? どこどこへ行きたいと言いました。すると、あなたは牧師だな。そうだ。私は僧侶だ。そこで二人で話を始めました。ところが、この方がメッセージを伝達したのです。ところが、驚くべき告白を僧侶がしました。私は信徒が千名を越える寺を大きく建てたのに、自分の悩みが解決できない。私は夜ごと押さえられて、頭が痛いのに、これはなぜこうなのか? 病院に行って原因を探すことができなかった。驚くべきことです。だから、この方が僧侶を連れて中へ入れと言いました。説明したのです。この福音が何かを説明したのです。福音を受けねばならない理由を説明しました。ですから、より驚くことに、この僧侶が福音を受けると行ったのです。そこでイエス・キリストを救い主として信じる告白をして、受け入れる祈りをしました。より驚くべきことは、その後に起きたことです。この僧侶がそのように押さえられたことがなくなったのです。救いは天国へ行くということは、その次の話で、まずずっと解決できなかった問題が解決したのです。より大きい問題は、その後に行われました。この僧侶が、以前は木魚を打って、後では今ずっとタラッパンをしているのです。より大きい問題は、その後に起きました。寺に来る信徒がどうも自分の僧侶が後に入っていって聖書勉強をしているようなので、なぜそうなのかと尋ねたのです。この僧侶が実際に告白はできなくて、苦しいのです。ですから、仏教信徒が今はデモを起こしました。私たちの僧侶がなぜあのようになったのかということです。その人が持っている困難を知らないのです。本当に驚くべきことです。皆様は、運命が完全に解放されました。罪と死の原理から解放されてしまったのです。ところが、イエス様が表現をわかるようにされたのですが、今、この話が '新しい葡萄酒は新しい革袋に' この程度ではありません。
 
・そして、あなたがたに2番目の祝福がくるはずです。私は皆様に約束します。いまはよく知らなくても、これから分かるようになるはずです。皆様に新しい第2の開始が起きたことを知るようになるはずです。皆様、創世記3:15, 出エジプト3:18 これが福音の新しい開始です。皆様はご存知でしょうが、とても有名なやくざが、その町中を荒らしていました。町の人々がその人に会わないように、逃げていたのです。私たちの韓国の有名な噂されたやくざです。その時がむかしですから、今のように組織的なやくざはいなくて、単なるやくざでした。この人が昼に眠くて、他人の畑の小屋に入って寝たのです。昼に仕事を終えて小屋の主人がきて見たら、その有名な噂されたやくざが寝ていました。この小屋の主人が福音を持った長老でした。ですから、普通の人ならば、なぜこのように寝ているのかと言うはずなのに、目をさまさせて、一緒にご飯を食べました。そして、果物も与えました。本当に心から親切に暖かくしたのです。このやくざの心の門をあけたのです。それでも、私を人として扱う人もあるんだな。自分が自分を知っていたのでした。私が人間のようなこともしないのに、私をこのように扱ってくれる人もあるんだな。分かってみたら、この方がクリスチャンで、長老でした。その長老が薦める福音を聞いて、その人がイエス様を受け入れて、救われたのです。その時から、この方には変化が起き始めました。徐々に徐々に変化し始めたのです。1907年代に私たち韓国を揺るがす復興師キム・イクドゥ牧師です。この人が変化して、韓国を揺るがしたのです。
 
・福音はそのように大きいこともありますが、第2の開始です。皆様ご存知でしょうか? どれくらいこの福音の秘密はあまりに大きいために、私たちはすべて理解することはできないのです。サンダーソンという人を知っていますか。どれくらいこの人が、心が苦しかったか、死ぬ覚悟をしました。そのまま列車が過ぎ行くところで死のうと横になっていたのです。横になっていている途中で寝入ってしまえば、列車が通り過ぎて死ぬだろうと思っていたのです。ところが、列車がすぐくるのではなく、ちょっと待たなければなりませんでした。ところが、列車はこなくて、何かが風に運ばれてきて顔にくっついたのです。何かがついたから、何かと思って見たのです。死のうとする人が、横になっているのに、何もすることがないでしょう? 退屈だったので、読んでみたのです。多くの字はありませんでした。この人に衝撃を与える字が簡単な1行でした。 'すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのところに来なさい。わたしが休ませてあげよう'. 特別なことはないでしょう。私達が普通読んでいる聖書です。今日、死を選択しようと横になっているその人には、相当なメッセージでした。ところが、この人の心に感動がきたのです。私のように苦労して重荷を持った者がいるだろうか? 何か仕事をする荷物でなく、罪の荷物、心の荷物、こういうものすごいことを私が持っているではないか。わたしのところに来なさいと言われているが、わたしとは誰か?キリストということを知るようになったのです。この人が変わって、後ほどものすごい世界福音化をする宣教師に変わったのです。
 
・皆様は知るようになるはずです。福音は第2の人生を生きるようにします。それで終わることがありません。あなたがたは、3番目の祝福をこれから体験するようになるはずです。第3の人生が始まるはずです。皆様は、証人で立つようになるはずで、子孫に証拠で残すようになるはずです。何か断食して、祈って、宗教生活する、この程度ではありません。 '新しい葡萄酒は新しい革袋に' 完全に変わってしまった、ということです。誰が古着を縫うために、新しい服を切るでしょうか? 誰が新しい葡萄酒を古い革袋に入れるでしょうか? キリストがきて、神様が救いの門を下さって人生が変わったのに、何で昔のことに捕えられていて良いのでしょうか? 難しくありません。
 
・私は、むかしいつも高慢になっていて福音を知らなかったのに、少しだけ謙遜になって、福音がなにかと質問だけしたのに分かるようになりました。率直に、私はむかし高慢でした。牧師たちが説教するのを見れば、なにを説教をこんなに言うのかと聞くことも嫌いでした。執事達、長老達を見れば、とても苦しく見えて、私はなぜそうなのかと高慢になりました。祈りを多くする私の母や、そのおばさんを見れば、哀れに見えたのです。あのように味わうこともできなくて、遊ぶこともせず、毎日祈るのかと哀れに見たのです。それは今でもそのように考えるけれど、過去には本当に変に見えたのです。私がちょっと高慢な性質があったのです。なんでも自信がありました。ところが過ぎて見れば、何にもできませんでした。そして、私と会った人々を見れば、ただ愚かに感じられたのです。神学校に行ってもそれが残っていました。神学校に行っても、この人達が牧師になるのか、頭が痛いよと思っていました。こういうものが、これから牧師になれば、これから頭が痛いのにという気がしたのです。ですから、何か誤った判断をしたのではありません。その人々が大きくなって私を難しくさせたのです。誤った判断ではなかったのですが、まず神様の前に高慢でした。足りない人々も口を広げれば世論になるということを知らなければならないのに、私は高慢だったので、知らなかったのです。足りない人がより多くて、力を合わせればそれが力になるということを私は知らなかったのです。これが高慢で、目をくらませられたのです。今でも人が私に高慢だと言う人がいます。今回、その証拠で、重要な人に会うのに会う時刻表を作って、案内する人がいるでしょう。その方が私と親しい方だから耳打ちをしてくれました。柳先生、その人に会ったらあまり堅くせずに、ちょっとかがんでください。静かにその話を聞いてみたら、私が普段に堅くて、かがまなかったということではないでしょうか。静かに考えてみて、これが見解の違いなのか、水準なのかは分かりませんが、目の高さとはというものはあるので、私はそのようにしたことがなかったのだなという気がしました。ただおべっかを使わなかっただけで、どこかに行って自分の益になるように、しばしばぺこぺこしないだけなのに、そのように考えるんだなという気がしました。私は今でもそうで、むかしもそうで、自分の益のために、ちょっとぺこぺこすることはできません。今でもそのような話を聞くのを見ると、私がちょっとまだ高慢なのかと思います。むかしには、いつも教会をおかしく考えました。
 
・ところがある日、すこし神様が生きておられて、神様が人間を救われると少しだけ考えたのに、働きが起き始めたのです。ですから、じわじわと悟り始めたのです。それで皆様がどんな職業、状況にいても、私は皆様に3つの約束ができます。皆様は悪魔の子ども、罪の子どもではありません。皆様は罪の権威の下のしもべではなくて、神様の子どもに変わりました。今、皆様の人生が、後ほど第2の人生で始まるということを知っていなければなりません。皆様の人生と子孫が第3の人生に証人で立つようになるはずです。それで、私はこういう結論が出ました。パウロが話したとおり、いのちをかけてもかまわないな。ここにはいのちをかけてもかまわないという程に発見できました。たくさん変わりました。むかし牧師、長老をあざ笑った私が、ここにいのちをかけてもかまわないと変わったのです。それで、信徒と教役者、長老達を見れば、私はものすごく胸中の心より尊く見えてこのように変わりました。そして、私は説教準備をすこした後には、いつでも最後に考えることがあります。福音を聞くことができなくてここに初めて座っている人もいます。私のように無理に座っている人もいるでしょう。いつも考えます。私がむかしそうでした。神様の驚くべき祝福が本当に皆様に新しく始まる証拠が確かにくるようになるはずです。この祝福を味わうことをイエスの御名でお祈りします。
 
<<契約の祈り>>
神様に心より感謝申し上げます。神様の貴重な民を呼んでくださって、この新しい開始をするようにさせてくださったことを感謝申し上げます。時間が経つほど、この祝福を悟って味わうようになることを信じます。それで、世界を生かす証人として立つようにさせてください。この方の子孫の中に世界を生かす証人がおきるようにしてください。各分野に福音を持ったエリートが起きるようにさせてください。イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン
 
 


 2部/ 自分の民を見て回る主
(詩68:1〜6)
 
・私達が試験を受ける時、問題を見て答を書きます。ある場合は、4個中のひとつを選んで書く答もあります。そうでなければ、自分が意味を解いて書く答もあります。大切なのは、問題を把握することが重要です。問題が何かわからないのに、答を書くことはできません。むかし運転免許の試験を受けに行って、私がとても伝道していた時で、日になったのに時間がなかったのです。まず行けば、筆記から試験をします。不思議にあまりに時間がなかったので、行くのにだいたい見て行きました。試験場に入っていったら、答を書く紙をくれます。ところが、読んでいなかったので、問題が何なのか分からなかったのです。問題が何の話なのか分からないから、答は4個の中にはあるのでしょうが、検索が難しかったのです。いいかげんに見たゆえに答を知らないから、一番長いものを答で表示しました。見たら、だいたい長く説明したのが答のようでした。幸いに試験は合格しました。その日、私がとても苦労しました。
 
・私たちの人生の問題は何でしょうか?それを知らないのに、どのように答が分かるでしょうか? 困難が来たらうろたえて、信仰生活もよくできなくなります。なぜでしょうか?問題を知らないから、答も分からないのです。そして、開始を知らなければ、終わりも知らないのです。これがどこから始まったかを知ってこそ、終わりが分かります。問題が何かを知っていてこそ、答が分かるはずです。そして、今、問題と答、開始と終わりを知っていてこそ、過程も正確になります。だから問題と答を知らなくて、開始と終わりを知らないから、クリスチャンの信仰生活が大変なのです。恵みを受ける所があるのかと思って苦闘するけれど、事実がだめなのです。どこかで力を受けるのですが、実際にはだめなのです。なぜでしょうか?開始をよく知らなくて、それに対する問題を知らないゆえに、答もさがすことができなくて、解決できる終わりを知らないのです。
 
・今、牧師は牧会することがどれくらい難しいか分かりません。そして、長老たちや役員が、どれくらい難しいか分かりません。やさしくて良い信仰生活が、あまりにも大変です。教会に行って仕事をすれば、試みも多くなります。10年、20年、信仰生活をすれば、驚くべき祝福が来るべきなのに、そうでもありません。普通の問題ではありません。それを感づいた信徒が、今、自分の娘が牧師になる人に嫁に行こうと言うと止めます。どれくらい隠れた苦労をしているか知っているから、行かせることができないのです。勉強が良くできる息子が突然に神学校に行くと言うと、父母が反対します。梨花女子大で、どんな男性が良いかという職業を選択したのですが、牧師が24位に出てきました。とても難しいということです。
 
・以前に話をしました。信仰生活をとても良くする勧士が、釜山でお金が多い方です。私もその方に助けをたくさん受けました。この方が手助けしない人はなくて、福音といって、主の働きならば、なんでも熱心にする方です。ところが、娘が可愛くて、勉強もよくできるのに、伝道師と恋愛したのです。はじめには信仰が良いので、教会で会わないようにしていました。後ほど静かに見ていると、会うだけではなく、結婚したいという程になりました。これだから、勧士がどれくらい反対をしたでしょうか。ものすごく反対しました。娘に悪口も多く言いました。いのちをかけて言うのです。なぜなら、この家は金持ちの家で、財産も多くてたいした家です。いつも夢見たことが、そのようなことではなかったのです。とてもたいした娘婿をいつも夢見ていたのに、この娘が狂って、おかしなことをするように見えたのです。その家には、大きいビルディングもあって、教会のそばに自分の家があります。私が一緒にする仕事があって、その家に頻繁に行くようになりました。入っていったら、けんかする声が聞こえました。娘は家を出て行くと言って、母親は行けとけんかしているところでした。私が門をあけて入って行こうとした瞬間でした。ところが、けんかをしながら、悪口を言うのです。勧士が悪く言うのですが、娘を愛してそのようにしているのかは知りませんが、娘に悪口を言うのに、その時言う話が 'なぜ、わざわざ乞食のような牧師に嫁ぐのか'と言いました。私が門を開かずにいれば聞かなかったのに門が開いたのです。やむを得ず、門が開いて乞食のような者が一人入っていくようになりました。私が入って行ったから、その勧士がどうするでしょうか? 結局は、二人で結婚しました。二人がするというのにどうするだろうか? 二人が愛して、良いというのに止めることができるでしょうか? 勧士は、これから会わないと言ったということです。
 
・私はそれを見ながら、たくさん考えました。勧士がよく見たのではないでしょうか? その勧士が、教会と牧師と現実を正確に把握したのではないかと思います。本当に悲しいことです。話になるでしょうか。これがどのように開始したかを知らないから、そのようにならざるをえないのです。今日、私と皆様がそのような信仰生活をすれば、私たち信仰生活の未来はどのようになるでしょうか ?
 
・私は今日の1部の時も話したのですが、重要な創世以前に5つの存在がありました。創世以前に。アダムと エバが創造される以前に5つの存在がありました。神様は自ら存在する神様で、天国が存在したということです。そこに神様の被造物の中で天使がまず存在していました。それが最初の存在です。人より天使をまず作られたのです。この天使が堕落してサタンになったのです。それで音楽をする人が福音を受けなければだめなのが、賛美を担当した天使が堕落したのです。この事件ゆえに3つがついてきました。それが暗闇、混とん、空虚です。それをなくすために、神様は創造されてアダムとエバをお作りになったのですが、アダムとエバが創世記3章の事件におちて崩れたのです。確かにアダム、エバが生きていた時、サタンはまずいたことが明らかです。ある日なかったサタンが生じたのではありません。天使が堕落してサタンになった証拠は、黙示録12章にあります。それなら天使がまずいたということです。それが妥当な理由は、神様がまずいらっしゃったから天国がまずあったのです。これゆえにきたことが暗闇、空虚、混とんということです。
 
・この事件が人間より先にあって、事件がおきたのは創世記3章で再現しただけです。天使が堕落してサタンになって、暗闇の中にとどまるようになりました。事件がアダム、エバの家に再現したのです。今でもずっとなっています。これが問題の開始です。これが問題です。普通の問題ではなく、ものすごい問題になったのです。人がこれを知らないから、どのように信仰生活をしなければならないのか、なぜしなければならないかを知らないのです。敢えて神様がおられるのかと出てきます。はなはだしきは、ニーチェは神様はいない、神様は死んだと言いました。ところが、おかしな事が行われました。ニーチェには霊的な問題が迫ったのです。前回に話したように、ニーチェは精神病院で死にました。若い年齢で昼に精神病院の庭で死んだのです。記録されたことを調査してみたら、大声で叫びながら、もだえながら死にました。驚くべきことです。その程度ならかまわないのです。
 
・共産主義は、元々神様はないと言いました。精神が狂った人々が作りだしたと言いました。だまされるなと 言ったのです。たいした話です。ところが、共産主義はどのようになったでしょうか? 私はロシアに行ってみて驚きました。100年前に作ったエスカレーターを見たのです。100年前に、私たちはわらじを履いて通っていました。ロシアには、100年前に作ったエスカレーターが今も動いていました。200年、300年前に建てられたアパートを見ました。驚きました。ところが、徹底的に、徹底的に滅びたのです。うわべだけ残っていて、中に行けばみな腐っていました。ネズミがうようよしていました。15年前に共産主義が崩れて、門が開いたとたんに行ってみたら、道にある電話機は半分が故障していました。エスカレーターが降りるのに、止まったり、踏めばまた行ったりしました。それがロシアです。なぜこのようになったのでしょうか? いまだにロシアに行けば、用心しなければなりません。乱暴なやくざがとても多いのです。神様がないと話した共産主義の結果です。詩篇14篇には '愚かな者は心の中で神はないと言う'と書いてあります。
 
・人間の問題がどこから始まったのか、どのように終わりになるかを知らないからです。開始がどうなのかを知らないために、信仰生活が正しくできないのです。そうしたあと見ると、過程もよく知らないのです。どの部分にポイントを置くかを知らないのです。どの部分でポイントを置いてはならないかを知らないのです。話もそうで、ポイントを置く部分があります。オ・チャンホ執事が指揮するのを見れば、ある部分では余裕あるようにして、ある部分では強くします。むかしに私たちの教会で指揮者が突然に来なくなったので、私にしろと言われました。私は無条件に振ったのです。失敗でした。私は無条件に4分の3拍子だけしたのです。ポイントがなかったのです。1節、2節と歌うのに、ものすごく長く感じられました。
 
・下手すると、私たちの信仰生活をそのようにするようになります。ポイントがないのです。どこにリズムを与えなければならないのか、どのようなことをしなければならなくないのか、どのようなことをしてはならないのか区分ができないのです。だからけんかしてはならないことでけんかして、しないでもよいことを話すようになるのです。こういう部分を知っていれば、調整できます。ある時は、ずっと沈黙する事もでき、ある時はいのちをかけて言う時もあるのです。ジョン・バンヤンは監獄で16年間沈黙しました。ペテロは死の前で世界中でこの御名の他に救われるべき名としては、どのような名も与えられていないと言いました。これを知らないから、ある人は狂信的に信じて、ある人は迷信に仕えるように仕えます。ある人は、何でも神様、神様 と言いながら、汎神論者となるのです。なんの話なのか分かるでしょうか?
 
・神様が私たち人間をなぜこのように罪に陥るようになさったのか、陥らないようにできるではないか? 今日、重要な鍵があります。神様が天使と人間だけ、人格的存在としてお作りになったのです。今でもそうです。私たちを人格的存在にお作りになりました。このハンカチは、ここに静かに置いておけば絶対に動きません。人格がない死んだ存在です。そして、動物はたくさんいても、その動物は人格がありません。人間だけ、人格的存在として作られました。だから、サタンの話を聞くこともできて、聞かないこともできるように作られたのです。人間を人格的に作ったという、ここにあらゆる答があります。だから機械でなく、滅びる事もでき、神様を賛美することができるのです。天使が堕落して、悪魔になりました。ここで人間が悪魔の誘惑を受けて崩れたのです。
 
・その最初の事件が創世記3章の事件です。皆様が生まれる前に、地球が生まれる前に、人間が作られる前に 暗闇というものすごい勢力があったのです。それで、神様が救いをあらかじめ備えられました。私たちに救われることができる道を、前もって開けてくださったのです。よく考えてみましょう。人間がものすごく成功したように見えるけれど、霊的問題にどんどん陥ります。使徒27章を見ると、暴風の中で人間が死んでいく、やむを得ない状況になりました。熱心に勉強して努力したのですが、ある日、そのようになったのです。今日、あなたがたが重要な部分を知って、勉強して事業して仕事をすべきです。これを知っていれば、皆様は間違いなく答えが来ます。私はある日、この部分が聖書の中で見えながら、聖書全体でそうだという答が出てきました。率直に話して、答えが祈っていないのにきました。私は元々祈りの体質ではないので、しなかったのです。ところが答えがきたのです。答えがとてもたくさん来るのを見るので、区分をしようと祈りができるようになりました。本当に驚くべきことです。あなたがたは、よく知らずに、個々人をみな分かりませんが、私個人的にあまりにも神様の恵みが、時間が経つほど重要だということを感じました。
 
・今日、あなたがたの問題は、どこから始まったのか? 問題が何か?なぜこの土地に霊的な問題がどんどん来るのか? いつ開始したのか? それを正確に知っていれば、なぜキリストを送ってくださったのか分かるようになります。
 
・この時から皆様に2番目の目が開きます。今でも神様は救いの働きをしていらっしゃいます。これのために事業も必要で、これのために学校も必要で、みなあるということを知るようになります。今でも神様のおもな業務は人を救うということにあるのです。そこに対する証拠が見え始めます。神様がなぜ米国を祝福なさったのでしょうか? 米国は、相当な祝福を受けました。米国の経済はものすごいのです。ヨーロッパをみな合わせたより多いのです。なぜそうなのでしょうか? 理由があります。この救いの働きを成し遂げることができた国でした。神様が一時、なぜドイツを祝福なさったのでしょうか? 救いの働きを成し遂げて行くだけの宗教改革がおきた国です。神様はなぜ英国、ローマを祝福なさったのでしょうか? この救いの働きがなされる土台が敷かれた国でした。神様がなぜロシアと15ケ国家を滅亡させたのでしょうか? 救いの働きにものすごく邪魔になる鉄壁みたいな国だったからです。簡単に答を得てくださることを願います。問題がどこから始まったのかを知っていれば、答は簡単に出てきます。ところが、今でもその事件はずっと続いているのです。
 
・今日、皆様が三番目に記憶しなければならないことは、救われた者、ここから救われた者は絶対に滅びません。今でも神様は、創世記1:1〜13に現れたその光を照らすことを望まれます。今でも神様は、創世記3:15が動く通りあらゆる歴史がみな回ります。今でも創世記6:14、箱舟の中に入っていけば生かされます。それに従って、世界が動くのです。今日、ハン牧師と私は大韓航空便で米国に行くつもりです。私は大韓航空に乗る時ごとに感じます。神様がチョウ・ジュンウォン氏のような人を祝福して、こういう飛行機をたくさん準備して、私が安らかに世界福音化をしに行くのだなと考えます。もし私が飛行機を作って乗って行かなければならないならば、私が永遠に行けません。その飛行機に乗って行って世界福音化をして帰ってきます。それとともに、私がいつでも感じられることがあります。神様の目的は大統領府ではありません。神様の目的は、ホワイトハウスではないのです。大統領府があって、ホワイトハウスがある理由が何でしょうか? 人を救い出すことです。その部分に対する答が確かに出てきました。この答が出てくれば、皆様の勉強も事業も改まる驚くべき働きが起きます。私は日が昇ることも伝道者のために昇り、日が沈むのも救いの働きのために沈むと考えます。主が再臨してこられる日はいつでしょうか?救いの働きが終わる日です。
 
・ある友人が私を訪ねてきて深刻な話をしました。'先生。今、すごい問題です'と言いました。それも列車の中で訪ねて話しました。何の話かと思って尋ねたのです。質問して '主の再臨を信じますか?'と言いました。信じると言いました。いつなのか知っていますかと尋ねるので、知らないと言いました。それを知らないながら、どのように信仰生活をするのかと言いました。このように力を入れながら、それも知らないのに、世界福音化をしようと通うのかと言いました。聖書に分からないとなっていると話したところ、聖書を出して、愛する者には知らせてくださると書いているという一節を開けてくれました。それは、その話ではないと言ったのに、話をしても話になりませんでした。その友人に話しました。 'イエス様があらゆる民族に福音が宣べ伝えられてから終わりがくると言われました。まだ地球は2/3が福音を聞くことができていません。つまらない話をしていず、早く行って福音を伝えなさい'と言いました。主が来られる日がいつかとたずねたら、10月28日と言いました。そのように話して、精神をしっかりとしなさいと言いました。そのような話を聞いて考えたのですが、どんな考えがしたかというと、10月28日には絶対にいらっしゃらないと言う保障もない、いつなのか分からないと言われたためです。しかし、今、福音を聞くことができなかった人があまりに多くて、死んでいく人がどれくらい多いでしょうか。マタイ24章に、こういうこと、ああいうこと、みな起きてもかまわない、あらゆる民族に福音が宣べ伝えられた後に終わりが来るとされています。
 
・皆様は、救いがなんの話なのか知っていますか。さっき話した人間に現れるものすごい霊的問題の解決を受けたことが救いです。伝道がなにか知っていますか。ここに死んでいく者を救い出すことです。これを本当に悟れば、全てのものをあなたがたに増し加えて与えると言われました。私は確信します。皆様と福音運動をなさる方達に、神様は時刻表によって驚くべき、正確な答えを下さるはずです。それに対する確信がないでしょうか? 皆様は、信仰生活はなぜして、なぜここに座っているのでしょうか? 知らなければ、大きいことが起きます。皆様が車に乗って行けば、運転免許証もなく車に乗って行くと、大変なことになります。皆様、技術もない人が飛行機に乗って行けば、大変なことになります。皆様、泳ぎの練習もせず、海に入っていって水泳をすれば死にます。知っていなければなりません。
 
・私達が生まれる前に皆様が、問題を知る前に、すでに重要な問題5つがありました。そこから人間を救おうと備えられたのが福音です。皆様がその部分を知って、キリストを受け入れて信じることが、救われた状態です。それなら、人間はしらずにみな死んでいきます。言ってあげなければなりません。正確な福音を話してあげなければなりません。すると、全てのものを増し加えてくださると言われました。このように、救われた民を神様は絶対に保護されます。
 
・この前にもお話ししたのですが、ヨハン・カルヴィンという聖書をたくさん読んだ神学者がいます。一生の間、聖書を読んで五つを話しました。人間は救われることができない。よく見ました。人間は絶対に霊的な問題を解決出来ません。それが、カルヴィンが最初に話したのです。人間はどんな場合も、全的にみな滅びてしまいました。どんなに苦闘しても、人間は結局滅びます。ヨハン・カルヴィンが見たのです。よく見たのです。そして、それから何でしょうか? それで、神様が人間を救おうとされる時は、条件がない。カルヴィンがよく悟ったのです。皆様が条件をつけるならば、よく悟れるでしょうか? ここにいらっしゃった皆様に条件をつけて、試験をすれば、救われるでしょうか? それを神様がご存知でした。ヨハン・カルヴィンはよく見たのです。それで神様が無条件に救われるのではなくて、信じる者だけ救われるのです。それが、カルヴィンが見た三番目のことです。四番目には何を見たのでしょうか? 救われた者に臨む神様の恵みは、誰も防止できない。これが、ヨハン・カルヴィンが四番目に見たことです。 五番目は何と言ったのか知っているでしょうか? 信徒は絶対に滅びません。それしか仕方がないのです。皆様がこれを理解するならば、そのようになるしかありません。皆様がこの驚くべき祝福を本当に回復して、人生の祝福を回復する驚くべき働きが起きるようになることを主の名前で祝福します。
 
・だから、これを知れば、聖書 66巻がその話です。アブラハム、イサク、ヤコブ、ヨセフ四名の話が創世記です。モーセの話が出エジプト記です。なんの話でしょうか? 神様の民は、奴隷へ行っても死なないのです。神様の民は捕虜になっても死にません。ヨハネの黙示録の話が何でしょうか? どんな問題がきても滅びない のです。その意味がレムナントです。この契約がどれくらい驚くべきことでしょうか? 詩68:1に '神よ。立ち上がってください。神の敵は、散りうせよ。神を憎む者どもは御前から逃げ去れ。' 19節に 'ほむべきかな。日々、私たちのために、重荷をになわれる主。私たちの救いであられる神。' 神様が特に23節を見ると 'それは、あなたが、足を血に染めて、彼らを打ち砕くために。あなたの犬の舌が敵からその分け前を得るために。' 28節に '神よ。御力を奮い起こしてください。私たちのために、事を行なわれた神よ。御力を示してください。' ダビデが告白した内容です。ダビデが言った、救われた者は神様が保護なさるという内容です。
 
・率直に私はダビデの信仰の中で、ダビデがこれを知っていたのか、そうでないのかはよく知りません。今、ダビデが創世記以前にアダムとエバがいる以前の霊的な問題と、アダムとエバがやられたことをどれだけ内容を正確に知っていていたか、私はよく知りません。しかし、ダビデがこういう言葉を使ったことを見れば、知っていたことは明らかなようです。私がパウロに会って尋ねていませんが、パウロが霊的な状態のような問題をどれだけ知っていたのかは知りませんが、聖書を見れば、この人が多く知っていたようです。
 
・私は30年間伝道しながら、この驚くべき祝福を確認するようになったのです。私が作り出したのではなくて、確認したのです。どうにかして作り出したのではなくて、聖書にあることを発見したのです。だから、この三つを発見した人は祈りの答えを受けるようになります。すでに創世前にアダムとエバ以前に、暗闇、混とん、空虚の存在がありました。私と皆様が世に来る前に、すでに天使が堕落してサタンなった存在は、暗闇勢力を成し遂げていました。これがアダムとエバを押し倒して、今でもそのまま働いているのです。今でも終末の時により一層強く働くのです。私はこれを悟るようになりました。それで問題が来るのだと悟ったのです。 それで成功した歌手やお金をよく儲けるマイケル・ジャクソンが、精神が異常になったということを悟るようになりました。残念になりました。クリスチャンが、この部分を知らなくて、ほとんど滅びるという事実を知るようになりました。それで、この事実を話さなければならないと悟るようになりました。この部分を語ってあげることが伝道です。その中には、あらゆる祝福がみなあるということを知りました。神様が一度救われた者は、なぜ捨てないかを、この内容を見て知りました。捨てることができないのです。どうして、水に溺れて死んでいく子どもにひもを投げ掛けたのに、その子どもを救い出しておいて、どうして、その父母が話を聞かないからと、投げ入れるでしょうか? 私は救われた者は、永遠に滅びないという話を理解するようになりました。いっそのこと、滅びないように聖霊ではんこを押してくださったとなっています。私はその話がなんの話なのかいよいよ分かったのです。そうでなくては、暗闇の勢力に勝つことができません。もっと驚くことは、Iコリント3:16が理解できたのです。聖霊があなたがたの中におられるのです。私はなぜ中にいらっしゃるべきなのかを知るようになりました。そうしてこそ、霊的な問題が解決するのです。そして、家庭の問題がみな解決します。天国と地獄は、後の日の問題で、今の問題が解決するのです。それで、救われた者は滅びないという事実を知るようになりました。これで救われた者は、救いが変わることがないな。既に暗闇、悪魔の子どもから神様の子どもに移ったのです。この三つのことを知ったのに、どんなことが行われるのでしょうか? これから、たくさん残っていますが、想像することもできないことが行われるはずです。
 
・すこし前に長老がきて、教会建築に関する話をしました。神様は恐ろしく働かれるはずです。ある方は、大田、天安に良いものがあると言いました。それも祈ってみるだけのことはあります。私たちの教会の長老たちや役員が本当に貴重な方です。世界福音化のための準備をこの方たちが祈りしながら多くするということを 感じることができました。そのようないろいろな言葉を聞きながら、私がいつも持っている心があります。確かに神様の時刻表があるのです。私がハン牧師にもそのように話しました。すこし苦労しても、理解してくださいと言いました。私達は、全部、開始であるゆえに、信徒だけ多くても、何にも準備したことがないために、私たち教役者が困ることもあるでしょう。それで、何年かのうちに私たち教会では、こういう事が起きるでしょう。それを私たちのハン牧師に話しました。一度、よく見てみることを望みます。神様は正確です。どれくらい細かくて正確でしょうか?
 
・むかし、幼い時に生きたことまで、すべて神様が祝福にされました。私の家が火事のゆえに山へ行ったのに、私は一日に何度かずつ登山をしました。今でも私の脚がどれくらい丈夫か分かりません。私が速く走ることは 自信がなくても、長く走ることは自信があります。私達が行く所がなくて、どれくらい苦労したか知っているでしょうか? それも祝福でした。私たちは、山に登って葛を取って食べ、イナゴを焼いて食べ、カエルをはがして食べたことが全部、栄養食でした。私がなぜずっと幼い時の話をするのでしょうか? 一番悲惨な時期だったからです。この三つのことを知ったら、それも祝福でした。本当に驚くべきことです。
 
・私は、人間が滅びるしかない理由を聖書から探しました。それで、何ゆえに救いを下さって、この働きをする者は、どのようになさるのかを私は知るようになりました。それで、救われた皆様を暗闇の勢力が勝てないのです。今朝、私は聖書のみことばを見ながら約束をしました。皆様は、この三つの答えがこれからずっとくるはずです。私が神様の子どもで、ものすごい身分に変わったんだなあという事実を、これからずっと確認するはずです。
 
・初代教会と今、世界教会の違う点が何か知っているでしょうか? 初代教会は、これがずっと確認できたゆえに、それを持ってずっと話をしたゆえに、毎日、講壇が生きて動いたのです。今、全世界の教会の牧師たちが、これが確認できないので、自分のことを言おうとするので、土曜日になれば本をみな置いて説教準備をします。ある人は、壁を見て練習もします。どれくらい学んで、線を引いて、どれくらい苦労しているか分かりません。これが世界教会が死ぬことです。
 
・皆様が本当に福音を持ったとするなら、3つのことが一生の間ずっと確認できるはずです。何のことでしょうか? 私が第 2の人生が始まったんだなあ。時間が経つほど分かるようになるはずです。今朝に話した三番目は何でしょうか? 子孫と未来の証人です。確かに出てきます。この三つがずっと答えでくるはずです。皆様、人々がどれくらいおしゃべりでしょうか? 今、メンバーがほとんど現場に行ってみて口を閉じてしまいました。
 
・今回も中高等部の修練会に行ってみて驚きました。子どもたちが、神様のみことばを本当にそのままみな受けました。数字も数字ですが、どれくらいみことばを確かに受け取っているか分かりません。そして、希望があることが、前の席に座るために、一日前にきた子ども達もいます。子どもたちがみことばを受けるのを見て、驚くべきだという気がしました。また昨年より千名多く来ました。私は現場でこの三つの祝福をいつも味わいます。神様が私を滅びの子どもから神様の子どもに変えてくださったのだな。私のあらゆる身分を変えてくださったのだな。私はいつも感じられます。どんどん感じることができます。そして、私の人生と私たちの人生を第2の開始をするよう、神様が準備なさいました。それなら、証人で生きて行かねばならないという事実を悟るようになりました。この三つが答えでずっとくるのです。皆様にも、ずっと答えでくるようになるはずです。私たちの長老達の事業にずっとくるようになるはずです。ダビデがこれを感じたのです。パウロがこれを 感じたのです。聖書で祈りの答えを受けた人は、みなこれを感じたのです。正しく信仰生活する人は、全部、これを感じたのです。これがだめになれば、どれくらい大変疲れる人生になるか分かりません。
 
・今、他の教団で私の説教をたくさん聞いているのでしょうが、牧師がどれくらい大変疲れているか分かりません。明らかです。説教しながら、名言をさがすはずです。注釈も探すはずです。仕上げに教会の仕事や倫理を強調するはずです。それが死ぬことです。この福音のものすごい秘密が、すぐ表に出なくても、徐々に徐々になくなれば死んでしまいます。それで、私は本当に幸いです。私たちの子どもたちが米国で勉強しています。福音を正確に伝える教会に通っているという事実に対して、とても感謝します。皆様は、どのように考えるのでしょうか?
 
・朝に行って、一日中仕事をして、家に帰ってきてからだを洗わなければ、どのようになるでしょうか? かまわないでしょう。その翌日、また洗わなければ、どうなるでしょう? かまわないでしょう。1ケ月間、洗わなければ、どのようになるでしょうか? 人が汚いでしょうが、それでもかまわないでしょう。数ヶ月、洗わなければ、どのようになるでしょうか? ある日、皆様は病院に運ばれて行くようになるはずです。直せないでしょう。手を数ヶ月も洗わなかったためです。
 
・皆様が外でいつも悩まされていて、教会にきて一週間に一時間礼拝をささげて行くのに、福音を聞くことができなかったら、はじめはかまわないでしょう。一年、二年、三年が過ぎながら、完全に崩れるはずです。本当に幸いにも、皆様の子ども、私たちの子どもが福音をずっと聞いているという事実です。もっと感謝なことは、インターネットでもずっと出てきているという事実です。それをしなさいと神様が私と皆様に健康を下さって、全世界を回るようにされているという事実です。本当に驚くべきことです。皆様がただこの祝福を思って行けば、だんだん受けるようになるはずです。
 
・だから聖書は簡単に要約できるのです。この暗闇から救われることが救いです。この事実を他の人に知らせてあげることが私たちの信仰生活です。この祝福を味わう人は、時間が経てば経つほど、答えが正確にくるはずです。ダビデがそれを悟ったのです。これを悟って感謝して歌うことが賛美です。これを悟って献身することが、礼拝であり、献金です。あらゆる面で新しく学ばなければなりません。私たちの長老とインマヌエルの家族と全世界インターネットで礼拝する方達は、今年はすこし覚悟するように願います。何の覚悟でしょうか? 神様の驚くべき祝福がくるはずです。うろたえていず、覚悟するように願います。私は話はしませんが、全世界の教会のために挑戦しようということがひとつあります。ただ福音だけを話したのに生き残ったという証拠です。福音をずっと伝えたのに生き残ったという証拠です。多くのことをして、滅びる教会が多いのに、福音だけ伝えたのに生き残ったという証拠です。それを見せるための牧師です。それを見せるための皆様が信徒で、証人です。
 
・もう一度お話しします。皆様の身分が変わったのです。皆様の過去は、第2の開始のための踏み台です。皆様の人生は、子孫と未来を生かすものすごい証人になるはずです。この祝福が、日が経つにつれ、明らかになるはずです。この答えが皆様が年を取れば取るほど、明らかになるはずです。私はそれを皆様に約束します。 私が聖書で見た核心です。教会史で見た伝道者の歩みです。それで今日一人ももれなく、この祝福を確認する 重要な日になることをイエスのお名前でお祈りします。
 
<<契約の祈り>>
神様に感謝申し上げます。ひとりももれなく、この恵みを体験するようにされたことを感謝申し上げます。時間が経つほど知るようにしてくださることを感謝申し上げます。何も心配しなくても良い身分に変わった者にしてくださったことを感謝申し上げます。これから、この方たちの過去とあらゆる踏み台が第 2の開始であることを知るようにしてくださることを信じます。あまりにも困難に会っている世界の中に、霊的な証人で呼ばれた事実を知るようにしてくださったことを信じます。今日、ダビデが告白したことが、まさに私たちの 告白になるようにしてくださることを感謝申し上げます。2004年度には、正確な答えをより大きく受ける覚悟ある1年になるようにしてください。イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン