2004年 2月 15日 インマヌエル教会聖日メッセージ


 1部/ 災いと幸い
(ルカ6:20〜26)
 
・百年前、1900年度に韓国に有名なやくざ一名がいました。皆様がご存じの通り、キム・イクドゥという人でした。人々が道を行く時、キム・イクドゥに会わないようにしてくれと、石におじぎして祈ったということです。その人が、後ほど私たち韓国の最高のリバイバル伝道師になりました。一日、二日したのではなくて、一生、そのようにしたということは、この人が真の福音を知っていたということです。少しの間、人気を呼んでいて、去って行ったのではなくて、韓国に変化を与えました。本当に福音の力だと見ることができます。TVに少しの間、出ることは可能ですが、一生するということは、やさしいことではありません。それで、真の福音は本当にすごいということを感じるようになります。
 
・むかし、カーター大統領が大統領になった時に、ジャーナリストの人々と対話しながら、こういう話をしました。「私は大統領になったことが本職ではない。これは臨時職だ。」あなたの本職は何かと尋ねられたら、「子ども達を教えることだ。」何の子ども達を教えるのですか? 「ピーナッツ畑のそばにある教会の私たちの子ども達を教えることが、私の本職だ」と言いました。「私たち民族と世界が福音を知るようになること、それが本職だ」と言ったのです。それをするために、少しの間、大統領をすると言いました。国民が立てたためにすると言ったのです。それが嘘でないようです。その人が引退した後にも、良いことを多くしています。今でも全世界を平和にさせる重要な役割をカーターがしています。今の現職米国大統領が米国の最も解くことができない部分にカーターを送ります。むかし、金日成主席が非常に話を聞かないから、カーターを送ったことがあります。国家間で難しい事が生じれば、その間に彼を送ることもしました。果して、その人をそのようにさせる知恵がどこから出てきたのでしょうか? 福音です。私たちは、福音のものすごい力をあれこれ知っています。福音の力は簡単に説明できない程、すごいのです。
 
・今でも米国には、有名な大統領としてリンカーン大統領がいます。たぶん、米国で最も選挙費を少なく使った人だと言われています。今でもワシントンに行けば、リンカーン像があります。人々がきてみつめて、黒人はそれにキスもします。それを見ると、ぴかぴかしています。それほどリンカーンを尊敬するということです。今でも国会議事堂を見るように銅像を作ってあります。その人が奴隷を解放させる偉大な働きをしました。単純な大統領ではなかったと考えられます。本当に福音を持った大統領でした。ですから、すでに人が違います。普通、韓国の政治家たちがTVで討論することを聞いてみれば、話が同じです。おもに見ると、韓国の大統領をしようとするなら、適格者はあの人でなくて私だという式でします。私が見る時、はじめからその人はちょっと足りないと思います。ですから、あんな人は大統領になれば大変だと思うのですが、止むを得ないことです。ところが、リンカーンはそのように出て来ませんでした。「あの方が私よりはるかに立派で、皆様がおわかりの通り、私より学閥もよい、経歴もよい、人格も私よりよくて、私より劣る点は一つもない。ところが、なぜ私が大統領に出馬したのか? 幼い時、私の父が言った言葉がある。法律で黒人を解放させることだ。法律を持ってしなければ、話を持ってできることではない。それで、父にたずねたら、法律を動かすことができる人になれば良いと言われた」 それでリンカーンが大統領になることを祈ったのでした。「もし皆様が私を大統領に立てれば、それをする」と言いました。ガラテヤ3:28 持ち出しました。キリストの中では、ギリシヤ人もユダヤ人も自由人、しもべもみなひとつです。そのようにすれば、黒人にだけ人気があるかと思ったのに、全部すべてがその人を尊敬しました。遊説をしに行けば、遊説を聞きに来る支持者がご飯を買ってくれて、支えてくれ、お金が余ったということでした。私が見る時は、この人が福音を知っている人でないかと思います。福音ということはものすごいのです。
 
・使徒13:1を見ると、ヘロデの乳兄弟マナエン、福音を一番さまたげたヘロデの弟が宣教師として出てきています。それが福音の力でなくて、どのように可能でしょうか? 初代教会は、貧しい人々がいつも押さえられました。いつから押さえられなくなったかというと、テオピロ、ガイオのような人物が出てきて、押さえられなくなったのです。ローマの人々やユダヤ人が無視することができない人物です。この人は、教会に会員で通ったのではなくて、福音を伝えようとしたのです。ですから、世界教会に相当なパワーを与えたのです。ローマ16章を見れば、ナルキソの家族と言われていますが、ナルキソは王族です。こういう人々が、福音を知ったということです。皆様がご存じの通り、福音の秘密は言葉で話すことはできません。わかることができない人もいるでしょうが、わかる人もいるでしょう。
 
・30年間、耳に声が聞こえて、夜に寝れば幻が見えるのに、どのようにすれば良いでしょうか? ところが、福音を悟った後に、これがなくなったので、これをどのように説明できるでしょうか? それが、その方には特別な経験ということができるでしょうが、事実なのに、どうするでしょうか? 福音は、どの角度で説明をしなければならないのかわかりません。米国で、キム・スンジン博士が私にこう話しました。自分はタラッパンをする教会に、教会を移したと言いました。大きい教会から移したということでした。それとともに、こういう話をしたのです。私が米国の地まできたことは、福音を伝えるためにきたのです。福音がでないなら、私が何ゆえに米国まで来るでしょうか? それとともに、とても面白い話をしました。私は大きい教会にいた時、世界福音化という話を知らなかったのに、小さい教会にきて世界福音化がなんの話なのか分かりましたと言いました。私達が福音の秘密ということは、どのように説明しなければならないのか分からないほどです。それほど大きいのです。それで、ヨハン・カルヴィンという人はキリスト教綱要という本を書きました。それがどれくらい大きい作品かというと、皆様が一生、みな読むこともできない程多いのです。その人がキリスト教綱要という本を書いて、一番最後にこう話しました。「神様と福音が信じられます。しかし、説明することは難しいのです。」それが最後に書いた言葉です。そして、「この部分を分かってとても感謝です。ところが全部を説明することはむずかしいのです。」最後にそのような話をしました。私はそうだと思います。
 
・今日、イエス様がこういう主題で出て来られました。貧しい者、飢えている者、泣いている者、非難され捨てられた者は幸いです。これを誤解してはなりません。食べるものがなければむずかしいのです。ところが、福音を悟ったから、恐ろしいことではない、ということです。このものすごい福音を、あなたが押さえられて迫害を受けながら悟ったのは、どれくらいすごいことでしょうか。それがイエス様が与えられた初めてのメッセージです。貧しくなければならないということではありません。貧しかったのにもかかわらず悟ったのです。押さえられて、迫害されて、困難にあいながらも、失望せずに福音を悟ったのです。どれくらい幸いでしょうか? 人は、あまりに貧しければ、福音を悟ることはできません。ところが悟ったのです。
 
・私が中国を行ったり、ロシアに行ってみました。みんなが駆せ参じました。私が見る時は、これではないという気がしたのです。それを見て、多くの方達が感動を受けたのですが、私は違うという気がしたのです。それで、私が宣教師にお願いをしました。何も与えないで。ただみことばを聞く人だけ呼び集めてください。たったの10人しか来なくても良いから、みことばを聞く人を呼んでください。劇場に何千人を集める必要はありません。何でこういうことをするのですか? 宣教師に葛藤が生じたのです。私が講師なのに、そのように話すから、自分の心がむずかしいのです。今までみなそのようにしたと言いました。そのようにしたとしても、今回のだけそのようにしないでください。一切、食べ物は与えないで。なぜあの人々に交通費を与えるのですか? 交通費がなければきてはならず、交通費を求めて来ることは、なくならなければなりません。これが理解できなかったのです。それで私が頼みました。絶対、明日はパンを与えることはしないで。だから、この方が悩んだようでした。それで、私が他の人に尋ねてみました。あの人が広告を出す時、パンをあげないと言ったかどうかと尋ねたのです。これから明日、ロシア人は一人もこないということは、ロシアを誤って見たのです。その次にあまりにもたくさんきて、ガラスが割れたそうです。私も、夜に寝ながら心配になりました。もしかして来ないかなと思ったからです。人があまりに貧しければ、福音を悟ることができないのです。何かをもらいに来たのに、どのように福音を聞くでしょうか。ところが、福音を悟ったなら、どれくらい幸いでしょうか。
 
・全世界を回りながら見て、なんの話なのか理解できました。飢えて、貧しくて押さえられたゆえに、幸いだということではありません。それにもかかわらず、福音を悟ったのです。それなら、本当に悟ったなら、これからどのようになるでしょうか? 皆様の子どもが、両親、先生を怖がって勉強することと、勉強せねばならないと言うこととは、違うことでしょう。人があまり貧しくて、あまりに飢えて押さえられれば、おかしくなります。そのような状態で、どのように福音を伝えるのでしょうか? それでも福音を悟ったのです。皆様がからだが痛ければ苦しくなります。ある面では、苦しくなるから祈るのです。真の祈りをしません。苦しいからです。私達が本当に真の祈りをするということは、実際にどれくらい難しいでしょうか。今日、イエス様が与えられた初めてのメッセージです。
 
・2番目は何でしょうか? '哀れな者'. 食べ飽きている者、ほめられる者は、災いなのです。これをまた誤って理解することができます。食べ飽きているなら、災いを受けるのでしょうか? 力があって、お金をたくさん儲けるのに、なぜ災いを受けるのでしょうか? そのような話ではありません。それゆえに福音を悟ることがなければ、どれくらい災いでしょうか。それゆえに問題がずっと来るから、どれくらい災いでしょうか? そして、最も重要なことは、これからが災いなのです。その話です。はじめには、これがなんの話なのか理解を間違ったのです。
 
・釜山で、あるお金が多い財閥を見て、分かるようになりました。なんの話なのか分かりました。この話だなと分かったのです。私はそれを実際に見て、聞きながら、ぞっとしました。父が多くのお金を残して死んだのです。私がその人々には、名誉があるために、内容は明らかにしません。ものすごくお金が多かったのです。そして、不動産も途方もなく多かったのです。お互い取り合って、売り飛ばして、大騷ぎが起きました。どれくらい兄弟間で血が出るような喧嘩をしたでしょうか。兄弟間で告発して、こういうことは常識でとても激しく戦ったのです。そうしながら、中の息子がもらったのです。長男は押されてしまい、下の息子は幼いから、中の息子が占めたのです。ですから、ともするとだまされます。こういう不正が多いと問題を持ってきて助けてくれと言いました。この人がなぜ私にこれを助けてくれと言うのかと静かに考えてみたら、なにかを誤解をしたようでした。大統領夫人も私たちの教会にきたから、よく通じるのかと思われて、助けてくれと言ったようでした。後ほど知ってみたら、みな嘘でした。それで、私はできないと言いました。私たちの教会は、そのようなことをする所ではないと言いました。後ほど知ってみたら、自分の弟を殺す計画まで立てていました。怖かったのです。空いている時間に一人でいる時、いつ殺せば可能かまでみな立てていました。もちろん想像とシナリオは自由ですが、もしかして行動する可能性もあります。福音がなく、お金があるということは、普通の問題ではありません。私は何ゆえにイエス様が災いだと言われたのか分かりました。政治家を詳細に一度見てください。その末路を見ましょう。学生達が政治家になりたいと言いますが、考えてみるべきです。私が皆様が私たちの息子ならば、今しているような政治はするなと言うはずです。普通の問題ではありません。芸能人の末路を見てください。芸能人が自分の実力を持ってするだけですが、政治は話にもなりません。何がどうなのか話がみなできない程に問題が多いのです。悲惨なほどです。
 
・最も良いものを持っていたユダヤ人が、なぜ失敗したのでしょうか? それゆえに福音を知らなかったからです。あまりに持っていて、あまりに忙しくて福音を知らないのです。人があまりに苦しめられて、葛藤があって、福音を悟る時間があるでしょうか? 人があまり持っているものがあっても悟ることができません。持っていればすごいのに、どのようにそうなのでしょうか? それでも悟ったのです。ですから幸いなのです。この難しい中で、どのようにこの福音を悟ったのかということです。イエス様がおっしゃったみことばです。
 
・今日の三つ目は、イエス様が弟子を見ておっしゃったみことばです。弟子がいかに大きい祝福を受けたかということを説明なさいました。私たちもこの部分をよく知らずにいるのです。私たちは、福音の秘密より、すぐに風邪にかかるために、鼻がふさがるためにむずかしいのです。福音が何か、鼻がふさがるのに、と言うのです。大邱で祈りを多くするイ・イルヤン牧師がそのようなことを話されました。痛くて突然に病院に行ったのに、あまりに痛くて、死ぬ程だったということです。あまりに痛いから、神様に何一つも考えが起こらないと言いました。痛いことしか考えが起こらないということでした。そうでしょう。それが人間ではないでしょうか? どうしても、人間は祝福を悟ることが出来ません。弟子がどれくらい大きい祝福を受けたでしょうか。ペテロがこういう告白をしました。 '主は生ける神の御子キリストです'. これはものすごい告白です。まだ十字架を背負うこともしなかったのに、まだ復活もしなかったのに、まだ事件も起こらなかったのに、一つだけ知っていたのです。皆様は聖書がどれくらい科学的か知っているでしょうか? '女の子孫がへびの頭を踏み砕く'. '処女が身ごもって男の子を産む'. これがどれくらい科学的かといえば、聖書がもしイエスという人がきて、世の中を救うはずだと言われれば、問題がきます。するとイ牧師のような人々は、息子が産まれたら、イエスだと名付けるはずです。入り乱れてしまいます。皆様が子どもを産んでイエスという名前をつけようと、誰も何も言うことができません。赤ん坊が産まれて、キム・イエスと言われたら、どうするでしょうか? そのような可能性がないと思いますか?
 
・それで、正確な答を下さったのです。 '処女が身ごもって男の子を産む'. その方がキリストでイエスです。ですから '女の子孫がへびの頭を踏み砕く'. この話をペテロが分かったのです。それで '主は生ける神の御子キリストです'. マリアが尊敬をすこし受けるに値します。自分が産んだイエスがキリストだということを、マリアだけ知っているのです。絶対にマリアは男の人に近づいたことがありません。誰が知っているでしょうか? 本人が知っています。マリア自身が理解しています。それで、イエスが最もキリストだということをマリアが理解しているのです。尊敬を受けるだけのことはあります。しかし、カトリックでいうような祈り対象でもなくて、祈りの答えができる対象でもありません。
 
・この話をペテロが分かりました。奇跡のような話です。ペテロがした告白です。地球ができて一番初めて '主は生ける神の御子キリストです'. イエス様があまりに驚いて 'バルヨナ・シモン。あなたは幸いです。このことをあなたに明らかに示したのは人間ではなく、天にいますわたしの父です。’と言われながら、ものすごい祝福を下さいました。それで天と地のあらゆる権威を持って、あなたと共にいますという復活メッセージを 彼らにくださいました。
 
・このペテロは、普通の人ではありません。一番最初に、ペテロがしたことが、神殿の美しの門で座っている人を見て 'ナザレのイエス名前で歩け'. ペテロが言った言葉です。無知な人としては、あまりにすごいことです。ですから、無知が幸いであるということは無知だからではありません。どのようにこの事実を信じたのでしょうか? 法廷に立って証言するなかで、ペテロが世界中でこの御名の他に救われるべき名としてはどのような名も人間に与えられていないのですという話をしたのです。こういうものすごい告白をペテロがしました。その後にペテロが受けた答えと祝福は、ここに話すことができません。これくらいイエス様が弟子に向かって受けた祝福を話されたのです。
 
・正確に、いままで地球上で最も大きい影響力を与えた人々がだれでしょうか? いままで地球上で最も影響を与えている国はどこでしょうか? 今現在、米国です。歴史を遡ってみましょう。私たちが、自分の側だとか違うとか、正しいとか違うとか、そのようなことは関係なく、最も影響を与えた国はみな福音を持った国でした。私達が否認して解決することもなくて、感情を持っても解決することもありません。確かにヨーロッパから渡っていった人々が、米国の原住民ではありません。そこをアメリカとして一番初めて建てたのが教会です。その次には学校です。その次に、各々自分たちの家を建てました。韓国人と反対です。皆様ならば、まちがいなく、家から建てるでしょう。神様は後の日でしょう。この人たちが主張したのが、聖書通りにしようということでした。それでいままで、統計的に宣教師を一番たくさん派遣した所が米国です。韓国では長老教が大きいのです。これが米国から派遣した宣教師がきて立てた教団です。あの有名なアンダーウッドのような宣教師がいます。医者の中では、皆様がおわかりの通り、重要なチームがみな米国からきました。さっと見れば分かります。それで、たとえ貧しくても、福音を悟ったあなたがたが幸いなのです。あなたの持っていることゆえに福音をあまり悟ることができないならば、それが災いになるはずです。今、それをおっしゃるのです。私たちは早くみことばを理解しなければなりません。
 
・私たちのレムナントは、これから学生達が、福音がどれくらい重要か、時間が経つほど分かるようになるはずです。今回、大学生が集会をしました。大学生に重要な話をしました。私たちは、福音を悟っても、味わうことができません。私たちは、福音を知っていながらも、またのがすのです。これが私たち弱い人間です。学生達を見て、多くの話の中に重要な話をしました。福音と直接的には関係がない7つのことを話ました。それが 何でしょうか? あなたがたが、今まで生きてきた目の高さです。これが普通の問題ではありません。あなたがたは、今までどのように生きてきたのでしょうか? この目の高さがこれから問題です。夫婦に問題が生まれます。あなたがどうだと言いながら 普通、夫婦が喧嘩をする時があります。あなたが見ると、他の女が生まれたようだと離婚してしまいます。そのような場合が本当に多いのです。それは、とても水準が低いのです。問題は、目の高さです。学生達に、あなたがたが持っている過去の傷をそのまま置いておけば、必ず問題を起こすようになると言いました。
 
・私が知っている執事ひとりが、私に相談しました。私が伝道師だった時です。伝道師と相談してみて、離婚すると言ったので、それは何かと尋ねました。これ以上は、一緒に住むことができないと言うので、どうしてですかと尋ねました。毎日のように酒を飲んで家に帰ってくる。それも早く帰ってくれば良いけれど、2時, 3時になって帰ってくる。子ども達にも恥ずかしくてならない。これ以上、生きられない。それで、離婚することにして、子ども達とも話したと言いました。理解してくれるということでした。理解できます。誰が見ても、その女の人の話が正しいのです。その男の人は、口が千個あるといっても、話す言葉がありません。毎日、酒を飲んで2時, 3時に家に帰ってくるということです。これは、私だけしてあげることができる話です。執事が間違っていると言ったので、その方が衝撃を受けました。私が何を間違っているのか、私の子ども達にも、これから父と離婚することで合意したと言いました。
 
・執事が問題です。問題は目の高さです。外で話すならば、誰が見ても夫が間違っているのです。毎日のように酒を飲んで2時, 3時に帰ってきても良いでしょうか? しかし、私が見た時はそうではありません。執事の夫は、何かさ迷っていると考えませんか? なにか、自分の渇きが満たされなくてさ迷っていると考えないのですか? 私が見る時は、執事がより問題です。執事は、あまりによく信じて、隙間もなくて、あまりに問題です。福音はないけれど、律法が充満して、完全にみことば通りに生きることが問題です。どれくらい熱心に信じているか、それが問題です。失敗もしなければならないのに、失敗も全くしません。それが問題です。この人が学がある人なので分かりました。執事が酒場の女より出来ないという事実を知っているのでしょうか? 水準が酒場の女より高いのです。しかし、酒場の女より気楽でないと言う事実を知っているでしょうか? 賢い女の人だったので知り尽くしました。人は、このように話が分からなければなりません。この人が間違いないということを知って、祈りし始めたのです。その後から解決し始めました。人間が生きていくのに、単にご飯だけ食べて生きる、そのようなことではありません。それでも、私たちのおばあさんは、とても水準が高いこともわかるけれど、年をとった人はわかることもできないのです。こういう過去が、みな残っているので、人ごとに目の高さに引っかかるのです。
 
・そのまま言うならば、男の人が、公務員が、毎日のように酒を飲んで2時, 3時に帰って寝るのは間違っているから、目をさまさせて、これが話になるでしょうか? そのように見るならば、永遠に解決できません。道はひとつしかありません。理解することです。私が見た時は、その執事が問題です。ですから、このようなことを見ることができる目がなければならないのです。学生達に目を開けなさいと言いました。事実を見る目です。私たちは、あまりに肯定的でもだめで、否定的でもだめです。私たちの学生達に、これから世界福音化しなければならないから、事実を見る目を開けなさいと言いました。
 
・ダビデの父がお手伝いをさせながら、戦地に息子を送りだしながら、しるしを持ってきなさい。この話が普通の話ではありません。皆様の人々は、ほとんど事実を見ることができないのです。ある人は、私は教会に行くのがいやだと言います。なぜかとたずねました。教会に通っていたが、通わない。なぜですかと、たずねました。長老たちを見たくなくて通わないと言いました。この人が普通の問題ではないなと考えました。事実を見ることができなかったのです。長老がなぜ問題でしょうか? とたずねました。月給をくれとも言わず、外で苦労して教会献金する、教会が難しい問題が生じれば責任を負おうとする、牧師を助けようとする、なにが問題ですか? 簡単に話せば、とんでもないことを見て、試みにあったということです。
 
・私達が事実を正しく見れば、試みにあうこともありません。事業を上手にやろうとするなら、事実を見なければなりません。そうではないでしょうか? 何でもそうです。伝道を上手にやろうとしても、事実をよく見なければなりません。今、未信者がなぜ死ぬのか、正確な事実を見るべきで、それを見ることができなければ、どうするのでしょうか? 医者が患者を治療しようとするなら、事実を見なければなりません。それで金海で牧師一人が死にました。胃に癌ができたのですが、外からできたのです。中でできなければならないのに、外からできたので、分からなかったのです。どんなに内視鏡で見ても、見えません。なぜならば、外からできたためです。それで、そのまま死んでしまいました。ですから、事実を見ることができなければならないのです。事実をずーっと見れば、信仰生活をする人々がするのを見れば、そうではないのにと言いたいことが本当に多いのです。そうしながら、毎日、失敗して、ある日、また金を借りて事業を始めるのを私が見る時は、またそれは違うのです。牧師の悩みがそれです。行って率直な話ができません。私が見る時は、それは違うようです。だから、滅びる時を待っているという話を、どのようにできるでしょうか? やむを得ず、確かに私が見た時には、そうではないのに、ないことをないということができないのです。事実、それが悩みです。やむえず、はじめは弱いけれど、後には大きくなるだろうというような話をしてあげて帰ってきます。
 
・学生達は習わなければなりません。人々は、他人の話をそのまま信じてはなりません。事実を確認しなければならないのです。これは疑問でなくて、事実の確認です。習慣にならなければなりません。何でも事実を見なければならないのです。事実も事実主体です。これを見る目がなければなりません。それで、私たち学生達に話します。なにか今は、地位に合う合理性を持たなければなりません。なにか広さ、深さを正しく知っている論理性を持たなければなりません。そして、全てのものを受け入れることができるようにしましょう。そして、飛び越えましょう。これが包容力です。こういう話を学生達としました。それがなければ成功できないのです。キリストを知ってもまた崩れます。他の人を理解することができる客観性を持ちましょう。それとともに、自分のものもなければなりません。それが主観性です。
 
・裁判をする時、判事が単に裁判しません。検事の話を聞きます。検事はできれば罪を話します。そうしてこそ、起訴となるのです。弁護士は、また反対を話します。可能ならば、この人には罪がない、それしか方法がなかったという話をします。両側の話を聞いて、判事が判決をするのです。人々がどれだけ愚かでしょうか。検事が罪の話だけ度々するから、検事が良くないと、終始悪いことだけ話すらしいのです。弁護士は人が本当に良いようだとしながら、良いことだけ話すらしいのです。それほど論理性がない人々が多いのです。本来、検事は罪を作り出すようになっています。反対に、弁護士はそこに対する弁護をするようになっているのです。それでこそ、合理性があるのです。その二つをみな聞いてみて、判事は判決をするのです。世の中もそうではないでしょうか?
 
・私達が福音を受け取っても崩れやすいのです。ヨブは、神様を信じるのにも、いつも心配が生まれて、そのままなってしまいました。私たちは、この福音を受けて、今から福音の秘密を味わい始めなければなりません。聖書にある重要ないくつかのことを発見できなければ、なるようになりません。この前、話したのですが、これからも度々するはずです。創世記1:2に、暗闇、空虚、混とん、これが何の話でしょうか? これを知ることが福音です。創世記3:5に、目に見えないようにアダムとエバを破ってしまいました。原罪とは何でしょうか? 創世記4:4-5に、カインが礼拝するのに、神様に礼拝ができませんでした。なぜできないのでしょうか? 創世記6:14に、ネフィリム時代がきたのに、これが何の話でしょうか? 創世記11章に、そんなにも成功しようと、バベルの塔を積んだのに崩れてしまったのです。なぜイスラエル民族は、奴隷に、捕虜に行くのでしょうか? どうして、イエス様がいらっしゃったのに、イエス様が '主は生ける神の御子キリストです' と話したのに、そんなにも驚くべき祝福をなさったのでしょうか? ここに対する発見です。
 
・信じる者には、確信が与えられ、答えがきます。皆様にこれからは、時代的な答えが来る日があるのです。この祝福をそのまま終えるのではなく、皆様の子どもたちに遺産として残すようになるのです。今日、イエス様がなさったみことばを皆様は記憶しながら、真の福音を味わい始めるべきです。神様の子どもとなった祝福を本当に味わうべきです。少しだけ事実で入っていっても答えを受けます。皆様が祈りを多くする必要もありません。神様、私にも祈りの答えを与えてくださいと言っても答えを受けます。
 
・私は以前に祈ることがなくて、山に行って断食祈り3日しても、そのまま横になっていました。祈ることがなくて、そのまま横になっていたのです。その時は祈ると手をあげる人を狂った人だと考えたゆえに、そのような時は、そばで静かに見るだけでした。ところが、私は神様にこの祈りをしたのです。私は神様が生きておられることも知らないし、祈りの答えもありません。私に祈りの答えをくださいと言ったのです。その祈りだけしたのに、答えがきました。ところが、時間が過ぎながら、いままで答えがきました。それとともに、その祈りだけしたのに、だんだん門が開き始めたのです。それで、私は人々にうわべ伝道をするなと言うのです。人のうわべだけ見ず、本物の中をみつめれば、本物の霊的問題が何か分かります。ここには医者もいらっしゃいます。肉体の病気も重要ですが、その人が病気になるようになった霊的問題がより重要です。背景、環境が問題ではありません。その人が持っている霊的な状態がより重要です。知らずに人々と未信者がギャンブル中毒という言葉を使うのですが、ギャンブル中毒ということはありません。ギャンブルをしている途中で、霊的問題がきたのです。そのようなことであって、アルコール中毒というものもありません。アルコールをたくさん飲めば死ぬので、アルコール中毒があるのではありません。酒を飲んでいる途中で霊的問題がきたのです。こういうことを世の中の人々が知りません。ですから、福音を知れば、人々が霊的問題に苦しめられるということが分かります。その時だけ、どんな答が出てくるかというと、キリストがそれで必要だということを知るようになるのです。そのようにするならば、少しずつ味わえば、難しくありません。本当に味わってみるならば、時代的な答えがきます。それなら、私たちはこの祝福を私たちの子ども達に、子孫に、遺産として残して行くのです。今日、皆様がイエス様との対話を見ながら、本当に祝福を受ける出発が今日からあることを願います。皆様がこの席に座ったことが、大きい祝福になることをイエスの御名でお祈りします。
 
<<契約の祈り>>
神様に感謝申し上げます。福音がわかるように祝福してくださったことを有難うございます。この席に座った 理由を私達に知るようにさせてくださって、信仰生活をせねばならない理由を知るようにしてくださったことを感謝申し上げます。今日、この席がまさに恵みの席、人前に説明出来ない驚くべき祝福を味わう席になるようにさせてください。私たち自身が力を得る祝福の日になるようにさせてください。イエス・キリストの御名でお祈りします。アーメン
 
 


 2部/神様が共にされる者
(創世記39:1〜6)
ハン・サンベ牧師
 
・ハレルヤ。がっかりしないように願います。この場は最も祝福された場なのですが、柳牧師の他には最も負担になる場でもあります。主が十字架事件を目前に控えて、こういう祈りの内容がありました。できるならば、この杯をわたしから取り除いてください。柳先生が私にこれをおっしゃった時に、教団の他の牧師にしてくださいと話しました。その時に言われた言葉が、全国と全世界の前に祈りを頼む心で、ハン牧師が説教をしなさいと言われたのです。皆様は今まで、本当においしいごちそうのみことばを聞いてきました。今日は、麦のご飯を食べる時間になるでしょう。イエス様の弟子ペテロが、イエス様を否認して、鶏の鳴き声でみことばを悟りました。もちろん、聖霊が働いたことです。今日、皆様が鶏の鳴き声だと理解しながら、今日も神様のみことばがあなたがたに伝えられる時間になることを希望します。通訳する姉妹とも一番も対話を交わすことができませんでした。こういう時間は、私の生涯で初めてです。そのような意味で、祈りながらみことばを受けるように願います。皆様だけでなく、衛星礼拝をささげる方達にも大きい恵みがあるようになることを希望します。インターネットの前でみことば受ける弟子にも、大きい恵みがあるようになることを希望します。インターネットを消さず、大きい恵みがあるようになることを希望します。
 
・今日、神様が共にする者という題目でみことばをお分かちします。実際に、神様が共にされるならば、信仰生活は大きい問題はありません。神様が共にされるという確信だけ持てば、事実、大きい問題はないのです。これが私たちの頭では分かるのに、事実は、私たちの生活の現場でよくできません。私たちは、今日、そのような部分に対して信仰を回復する時間になることを願います。神様は今でも生きておられます。誰が何と言っても神様は生きておられます。万人が反対しても、神様は今でも生きておられるのです。今日も信じる者の中に聖霊で働かれることを信じます。今日、その神様の働きが皆様の個人と家庭と現場の中に、そのまま臨むことを希望します。
 
・神様と共にする者という題目をお話します。最初は、いつ神様が共になさるかです。他の話で、どのように神様が共になさるかということです。事実、人間という存在は、神様が共にされる存在として作られました。人間だけ、神様が神様のかたちで人間を作られたのです。私たち人間が神様と共にする時、最も幸福な人生を生きていくことができます。ところが、そこまで人間が神様を離れるようになったのです。その時から、あらゆる問題がやってきました。あらゆる幸福が消えたのです。神様の中にあるあらゆる祝福が消えたのです。それで、神様が私たち人間を愛されて、神様ご自身が、この地上に肉体を着ていらっしゃったのです。それを私たちは福音と言います。神様が私たちに十字架の愛を見せられました。誰でもそのイエス・キリストだけ信じさえすれば、救われます。そのイエス・キリストだけ受け入れれば、神様の子どもになります。救われる道は 簡単です。聖書は複雑に話しません。神様は私たちを愛されました。その神様が、私たちに訪ねて来られました。その方がイエス・キリストです。その方が十字架を背負われたのです。私と皆様のあらゆる罪を、その方が十字架で全部担ってくださいました。今でもその方を信じさえすれば、救われます。私たちの人格を聞かれません。私たちの知識の程度を聞かれません。私達が何を持っているのか? それを聞かれません。誰でもその イエス・キリストを信じれば、救われます。今日、この福音が私と皆様に伝達されました。それで、イエス様は神様に会う道として、この世にいらっしゃったのです。私たちのあらゆる罪と呪いと災いの問題を十字架で 全部担われました。私たちを神様を離れるようにさせた暗闇の勢力を十字架で破ってくださいました。Iコリント 3:16 でおっしゃっています。 "あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか。" イエス様に仕えた者の中に聖霊が共におられます。その聖霊が、私たちにみことばを解きあかしてくださるはずです。信仰生活を勝利することは簡単です。聖霊がおられることを知って、その聖霊の導きを確かに受け取れば良いのです。神様が私と共になさるという事実を信じて、信仰の中で進めばよいのです。信仰が私たち皆にあるようになることを望みます。助け主聖霊で、私たちの中に訪ねてこられました。私たちを助けるためにいらっしゃったのです。私たちを導くためにいらっしゃいました。私たちに働かれるためにいらっしゃいました。今日もその聖霊と共にする信仰が私たちに充満することを希望します。
 
・2番目に神様が共にされた旧約の4人の人物を注意深くみます。旧約を見れば、4名の族長の名前が出てきます。創世記を見れば、この四人の族長の話が詳細に出てきます。アブラハムの姿を見ます。神様が創世記12章でアブラハムを呼ばれました。偶像の地カルデヤ・ウルから呼ばれました。偶像の家系からアブラハムを呼ばれたのです。神様の恵みでアブラハムが神様の前に招かれたのです。神様がアブラハムの義を見られたのではありません。彼の行為を見られたのでもありません。彼の人格を見られたのでもありません。彼の美しい姿を見たのでもありません。全的な神様の恵みでアブラハムを呼ばれたのです。私たちはそれを救いと言います。それが救いです。したがって、救いは全的な神様の恵みです。アブラハムのように、私と皆様を神様が呼ばれました。恵みで呼ばれたのです。私たちの人間的な条件を見ないで呼ばれました。今日、この席に座っていることが、神様の全的な恵みです。神様の前に出てくる時ごとに、その恵みを感謝できなければなりません。私たちのいのちを皆尽くすその日まで、私たちは神様の前にこの恵みを感謝しなければなりません。神様がアブラハムに約束されました。創世記 12章 1節以下のみことばです。「アブラハム。わたしがあなたに示す地へ行きなさい。わたしがあなたによって大きい民族を成し遂げるようにする。わたしがあなたに祝福し、あなたの名を大きくなるようにする。あなたは祝福の根源になる。あなたを祝福する者にはわたしが祝福する。あなたを呪う者があるならば、わたしが呪う。わたしはあなたを離れず、あなたと共にいる。すべての国民が、あなたによって祝福される。」 神様がアブラハムに与えられた約束はものすごい約束です。一言で話せば、わたしがあなたと共にするということです。わたしがあなたを通じて、あらゆる民族が祝福を受けるようにするということです。世界福音化の祝福を約束なさったのです。神様はアブラハムを祝福の根源として呼ばれました。問題児として呼ばれたのではありません。地球上で最高の祝福になった存在で呼ばれたのです。あたかも私と皆様がそのようなことです。神様が私たちを祝福の根源として呼ばれました。問題がひょっとしてあるとしても、神様は私と皆様を祝福の根源として呼ばれたのです。なぜなら、私と皆様を通じて神様は世界福音化の祝福を味わうことを希望されるためです。そのようなアブラハムですが、創世記 12章10節以下を見れば、アブラハムの弱い姿が出てきます。衣食住の問題によって、アブラハムが人間中心主義を使う姿が出てきます。少しの間、生活の問題によって、アブラハムが神様の約束のみことばをのがす姿が出てきます。アブラハムがエジプトに逃げて身を守りに行きます。それとともに、そちらで失敗する姿が聖書にそのまま記録されています。
 
・神様が共にする者にも問題がくることがあるのでしょうか? 皆様は、どのように考えるでしょうか? 問題がくることがあるでしょうか? ないでしょうか? 問題がくることがあるのです。今日、ひょっとして問題があると考える方は、今日、このみことばをよく記憶することを願います。神様が共にされる者にも問題がくることがあります。しかし、本当に福音の秘密がその中にあるならば、問題が事実ありません。問題がきたのですが、神様が共にするという事実を信じるだけで、問題ではないのです。なぜなら、あらゆる問題の解答者の神様、 キリストが、私たちの中にいらっしゃるためです。私達がその問題ゆえに地獄に行くのではありません。今日、私達が問題だと思うその問題は、事実、何らの問題ではないのです。聖書はおっしゃっています。救われた者には、何の問題もないとおっしゃっています。イエス様が十字架で皆、担われたとおっしゃっています。問題がないと話しているのです。それでも問題を問題に感じて、問題があると話すその人が問題です。これが通訳 できるのを見ると、普通の通訳ではありません。感謝します。事実は問題ではありません。今日、皆様が問題 の中でさ迷っている方がいるならば、その問題を問題として感じないように願います。
 
・事実、アブラハムにそのような問題がきた時、問題ではありませんでした。その現場で生きておられる神様を体験できる機会でした。神様は、アブラハムにわざわざ問題を問題として感じるように、そのようにくださいませんでした。神様はむしろアブラハムに、その問題を通じて生きておられる神様を見上げることができる 信仰を得ることを希望されたのです。その現場で、神様だけ見上げればよいのです。問題があると感じる、その問題の中で、神様の働きを期待すればよいのです。事実的な神様の働きを体験すればよいのです。今日、私と皆様に、こういう信仰が回復することを希望します。これから神様がアブラハムに多くの事件を通じて問題を通じて、アブラハムを訓練されました。アブラハムは、多くの事件を通じて、神様が事実的に自分と共におられるということを悟るようになりました。今日、私と皆様の生活の現場の中に、この部分がこのように悟れることを希望します。
 
・創世記 21章 22節を一緒に見てみましょう。 "そのころ、アビメレクとその将軍ピコルとがアブラハムに告げて言った。「あなたが何をしても、神はあなたとともにおられる。」" 今日、ここを見ると、未信者アビメレクとその軍隊の長官ピコルが、アブラハムに話しました。あなたがどのようなことをしようが、神様があなたと共にいらっしゃると話しました。今日、この話は、普通のアブラハムの生き方を通じて見た部分です。未信者の告白です。アブラハムを見ると、神様が共になさるということを見るようになったのです。今日、私と皆様をアブラハムのように神様が共にされることを証しする証人として、私たちを呼ばれたのです。私達が一生、主の前に行くその日まで、私たちの姿を通じて、神様が共にされたことを見せてあげることができることを希望します。今日、私と皆様が生活の現場で、この部分が回復しなければなりません。未信者が私たちを見て、イエスを信じる心が生まれなければなりません。見たら本当に、神様がいらっしゃるようだという気がしなければなりません。アブラハムが、はじめからそのようになったのではありません。数多くの問題と事件の中で、アブラハムがそのような者に変わったのです。今日、皆様が持っている問題が、まさにそのようなことです。その問題と事件を通じて、神様が今でも私たちをそのような者に変化させて行っておられるのです。今日、この信仰だけ皆様が回復することを願います。この恵みがあるようになることを希望します。
 
・2番目、イサクを見ます。イサクは、幼い時から神様が共にされる秘密を持って成長しました。父アブラハムが霊的に成長する、そのような姿をイサクが見て大きくなったのです。イサクの姿を見れば、母胎信仰で大きくなりました。イサクを見れば、消極的な性格の所有者でした。なにか積極的なことよりは、消極的な性格の所有者だと聖書は表現しています。皆様、性格が消極的な者であっても、神様が共にされれば、この秘密を持っていれば、生活の現場で勝利するようになっています。創世記 26章12節を見ます。こういう消極的なイサクが、飢謹と凶年になりました。その年に農作業をしたのです。神様を見上げながら農作業をしました。神様はそのようなイサクに、百倍の祝福を与えられました。となり、そばにある国の人々がきて井戸を奪い始めました。イサクがそれを譲って、また逃げます。それをまた譲るようになります。結局は、イサクが泉の根源を得るようになりました。神様と共にするイサクでした。彼がいろいろな多くの問題に会いました。神様と共にする秘密を持って行って勝利したのです。結局、イサクは祝福のくぼみの内に入っていくようになったのです。創世記 26章28節を見れば、主があなたとともにおられることを私達が確かに見ましたと周辺の人々が話しました。アブラハムもそうです。その息子イサクもそうです。神様が共にされた人生を、彼らが生きたのです。今日、この恵みが私と皆様にそのまま臨むようになることを希望します。性格がどうであれ、それが問題ではありません。問題がどんな問題でも、それが問題ではありません。本当に神様が共にされる秘密があるかないか、それが問題です。今日、この霊的な秘密が皆様にそのまま胸の中に臨むようになることを願います。
 
・三番目、ヤコブを見ます。彼はとても積極的な性格の所有者です。兄のかかとをつかんで生まれてきました。頭を使うことにはとても優れた人です。ヤコブを見ながら、私たちは大きい慰めを受けます。こんにちの私たちの姿を見ているようだからです。今日、この席にも生活の現場で頭を使う私たちの同労者は、このヤコブを見ながら教訓にすることを希望します。長子の祝福を父を欺いてまでして、彼が横取りしました。兄の目を避けて逃げています。ベエルシェバからハランに向かって逃げました。日が暮れました。行った荒野で石をまくらにして寝ました。その時、夢に神様が現れたのです。天から地まで主のはしごが置かれるようになりました。主の天使が昇りおりしていました。その時、神様がヤコブにおっしゃいました。それが創世記28:15のみことばです。神様の約束のみことばがヤコブに臨んだのです。 '見よ。わたしはあなたとともにあり、あなたがどこへ行っても、あなたを守り、あなたをこの地に連れ戻そう。わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない。' 神様がヤコブにされた約束もひとつでした。 'わたしがあなたと共にする、手助けするはずだ。あなたを導くはずだ。結局、あなたを勝利者にするはずだ' 今日、約束がヤコブに臨んだのです。ヤコブの性格上、人間中心主義を使う人です。彼の気質は積極的な人です。ヤコブがそのように人間中心主義を使わなくても、神様の約束通り祝福を受けざるをえない人です。今日、私と皆様が、ここでよく悟ることを希望します。私達がそのように人間中心主義を使わなくても、私たちは神様の子どもならば、神様が共にされる祝福を味わう人々です。頭を使わず、祈りながら聖霊の導きを受けることを希望します。今日、私たちにこういう信仰が回復する時間になることを願います。神様の人が人間中心主義を使えば使うほど、結局は、それゆえに苦労するようになります。神様はヤコブを、そういうヤコブを壊すために多くの時間をかけられました。多くの事件を通じて、結局、ヤコブが全的に神様だけ見上げる人に、神様がヤコブをそのようにさせられたのです。重要なことは、神様と共にする秘密だけ持っていれば勝利するのです。皆様、神様と共に神様の導きを受けて勝利する人生になることを願います。
 
・ヨセフを見ます。ヨセフは幼い時から無数の試練を体験しました。ヨセフは、不遇な環境の中で育ったのです。自分の弟ベニヤミンが産まれる時、自分のお母さんが亡くなりました。腹違いだった十人の兄達から事実は虐待を受けて成長しました。腹違いであったお母さんの下で成長するようになりました。もしヨセフが傷つく事があるならば、多くの傷を受けざるをえない環境でした。しかし、ヨセフにはこの環境が、ヨセフをヨセフとなるようにする祝福の機会でした。ヨセフは幼い時から彼の環境を見れば、祈らなくては耐えることができない環境でした。むしろ、その環境ゆえに幼い時から神様だけ見上げたのです。今日、皆様がこのように考える方がいらっしゃるでしょうか? 私はなぜこのように環境が悪いのか? 私はなぜこのように困難が多いのか? 他の人々のように良い環境に育てば良かったのに。今日、そのような考えを捨ててしまうように願います。環境が良くなれば、私が信仰生活を上手にやるはずだという考えは錯覚です。環境が良くなれば幸せだというものも錯覚です。どんな環境にあっても、そこで神様が私と共にする秘密を持てば、そこで勝利できます。ヨセフがそうでした。七名のレムナントがみなそうでした。聖書の無数の多くの人々がそうです。神様が私たちに与えられた教訓を、私たちの胸の中に確かに受け取ることができることを希望します。どんな環境の中でも、その環境ゆえに、むしろ福音の根が下されるならば祝福です。私たちには、そのような信仰が回復しなければなりません。
 
・今日、創世記39:2〜3が、そのようなみことばを記録しています。主がヨセフと共になさったと聖書は記録しています。することをすべて成功する者になったと聖書は記録しています。くやしい寃罪をこうむって、また監獄に行きました。創世記39:23にあります。主がヨセフと共にされました。彼が何をしても成功する者になりました。どこに行っても、どのようなことをしても、神様がヨセフと共にされました。今日、私と皆様が記憶しなければならない部分が、まさにこの部分です。事実、信仰生活ぐらいやさしいことはありません。宗教生活することはむずかしいのです。私がなにかをしようと努力するために、宗教生活は難しいのです。しかし、信仰生活はやさしいのです。神様が私と共にされた事実を信じて、神様と共に導きを受けて行けばよいのです。それとともに、ヨセフは彼の生涯が終わるその日まで、共にされた神様の名前を全世界に証しする証人になりました。それが創世記45:5〜7のみことばです。
 
・三番目に申し上げます。神様と共にする秘密を持続的に味わう道は何でしょうか? 本当に神様が共になさるならば、この秘密を持続的に味わうことができなければなりません。少しの間味わっていて、終わってはだめです。私たちは、持続して味わうことができなければなりません。そのためには、3つの根をおろせば良いのです。根をおろせばおろすほど、それが私たちに体質になります。根が下されれば下されるほど、それが私たちに完全な思想になります。今日、そのような意味で、3つの体質に根を下ろすことを申し上げます。
 
・その中のひとつが福音体質です。もう一度、申し上げます。福音体質です。私達が根をおろさなければならない体質が何でしょうか? 福音体質です。仮りに私と皆様が福音体質に根をおろさないならば、私たちはささいなことにあたって崩れ落ちてしまいます。序論的な問題にいつも時間を浪費します。どんなに訓練を受けて、どんなに熱心にしても、結局は崩れる姿を見せるのです。福音の体質にならなければそうなります。今日、そのような意味で、本当に私と皆様の祈りの中に、私たちの体質が福音的な体質になるよう、祈りの課題を持つことを願います。私はどんなに福音を聞いても、福音体質に良くならないという方はいらっしゃるでしょうか? だめなのではなく、今、なっていっている過程の中にあるのです。元々、大きいうつわは時間がかかります。そのように理解すれば良いでしょう。私が大きいうつわなのか、それで時間がかかるのか、そのように考えて、絶えず福音で体質が変化するように願います。
 
・その次には伝道体質に私たちの体質が根をおろさなければなりません。伝道体質にならなければ、真の答えを受けることができません。伝道は神様と方向が合うことです。私たちは、神様と時刻表が合わなければなりません。神様と私の人生の目標が合わなければなりません。それが伝道であり、宣教です。私達が思い切り苦労して無駄骨になるならば、どれくらいせつないでしょうか? 私がそのように教会と機関のために奉仕して、献身したのに無駄骨だったらどうするでしょうか。どこに根をおろさないとそうなるのでしょうか? 伝道と宣教に根をおろさないと、結局、そのようになります。真の答えを受ける道があります。私達が伝道と宣教に根をおろす道です。伝道を正しく理解する道です。伝道と宣教のために私たちの生涯を神様の前にささげる道です。それが私たちの人生が神様と方向が合うのです。それが私の人生と神様の時刻表が合うことです。今日、この祝福が皆様にあることを希望します。
 
・もう一つは祈りの体質です。この祈りの体質になれば、自らの限界を克服できます。皆様が祈りの体質にならなければ、自分の限界を飛び越えることはありえません。私たちは誰でも限界がある人間です。その限界を 跳び越えることができる力が、私たちにはないのです。それで、神様が私たちに与えられた秘密が、祈りの秘密です。私の限界を跳び越えて、私のあらゆる問題を跳び越える道が何でしょうか? それが祈りの秘密です。聖書は約束します。大きな秘密のことを私の生涯の中で見せてくださると約束しています。私達が神様の前に祈る時、神様は大きな秘密のことを私たちに見せながら成就させられるのです。
 
・今日、この三つを私たちの生活で根をおろすように願います。福音体質に根をおろすことを願います。伝道体質に根を下ろすことを願います。祈りの体質に根が下されることを願います。前に4人の族長を見ました。この四人が、こういう結局、根をおろした体質に変わって、神様の前に時代を生かした証人になりました。私たちはこういう人を弟子と言うのです。今日、私と皆様がこういう弟子になることを願います。
 
・みことばの結論を結びます。私たちは、神様が共にする一千万伝道弟子時代の主人公です。私たちはそのような力はありませんが、神様が私たちと共になさるので、神様が私たちをそのような者に呼ばれたのです。この時代を生かすために、神様が私を呼ばれたと考えるように願います。どれくらい、この時代にこういう働き人が必要なので、私のような者を神様が呼ばれたのか! このように考えるように願います。今日、その事に対していつも感謝することができることを希望します。どんな問題があっても、その問題が問題でないことを記憶するように願います。その問題の中で生きておられる神様を事実的に確認する機会になることを願います。世の中は簡単ではありませんが、世の中を恐れる理由がありません。神様が私たちと共にされるゆえにです。神様が私たちを世の中で勝利する者に呼ばれたからです。私と皆様は世に縛られて生きる者ではありません。私たちは、世の中のリーダとして、神様が私たちを呼ばれたのです。世の中を救う者として私たちを呼ばれました。私と皆様を通じて、生きておられる神様の名前が万国に宣べ伝えられる祝福があることを希望します。この働きに私と皆様が証人となった人生で、最高の栄光を神様に帰すことを願います。
 
・一千万伝道弟子時代を迎えました。私と皆様の生涯最高の目的があります。福音のために、神様の前に用いられる弟子になることです。神様が共にされる秘密を持って、皆様の現場で勝利することを主の御名で祝福します。
 
<<契約の祈り>>
主の恵みを感謝申し上げます。私たちを貴重な者として呼ばれたことを感謝申し上げます。私たちに福音の 秘密を下さいましたことを、有難うございます。地球上最高の祝福された者に呼ばれたことを有難うございます。神様が共にされる秘密を持って生きるようにされたことを有難うございます。この秘密を持って、一時代 を生かす証人の人生になるようにさせてください。主イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン