2004年2月22日インマヌエル教会聖日メッセージ


 1部/ 敵を愛しなさい
(ルカ6:27〜28)
 
■ 皆様に悩みがありますか? 神様の前で、皆様の良心を持って一度考えてみるように願います。すると、別に悩みではないでしょう。教会の中で、あるいは人ゆえに、地位ゆえに、こういう悩みがあるでしょうか? 今、外では、ほとんど偶像と霊的問題で死んでいっています。そこに対しては悩んでいますか。あなたがたの悩みを変えなければなりません。今現在、青少年を掌握しているあらゆる団体は、全部、偶像宗教でしています。私たちの憂いを変えなければなりません。私たちクリスチャンの憂いはあまりにも肉体的なことで、あまりにも自分のためのことです。皆様の悩みが本当に何でしょうか? 今でも、エホヴァの証人を中心にした異端は、家ごとに訪ね歩いています。皆様は友人、家庭、葛藤で悩んでいるのでしょうか? 良心的に一度考えてみる必要があります。今でも未信者は、全部、お守りと偶像と法事にみな陥っています。ただ一度も悩んでみたことがないでしょう。たぶん力がないからかもしれませんが、悩みを一度くらいはしてみる必要があります。
 
■ 今、私たちは重要な祈りをしています。今現在、外国と国内に、私たちの子ども達を育てることができる共同体を準備しなければなりません。今あちこちで重要なことが多くあります。こういうことをしようということが、一般信者宣教です。私達がバカでないなら、分からなければなりません。昨日、サイ判事が、このような話をされました。今、少年部を1年預かったと言われました。つまり、少年犯罪者です。国家で可能ならば、少年は刑務所に送ろうとしません。なぜならば、盗んで刑務所に行けば、全部、悪い子ども達だけがいるために、10種類くらいもっと悪いことを習って出てきます。ところが、一つの条件だけあれば、刑務所に送らないということです。少年ですから、家庭やある団体でこの子どもを守ってくれる人だけいれば、送らないということです。ある団体でちょっとすれば、国家でお金も与えて、みな与えるのに、本当にないということです。私たちクリスチャンは、未信者よりも足りない悩みを毎日しています。本当にしなければならない悩みをしていないのです。それで、私達がしようということが一般信者宣教です。
 
■ 私たちの教会の中には多くの人々がいます。賛美を良くする人がいます。当然に宣教チームで行かなければなりません。教会の中には美容師の資格がある人がいます。当然に、宣教チームが形成されなければなりません。教会には機能がある人がいます。当然に宣教に用いられなければなりません。それが機能宣教です。理解ができないでしょうか? 私はバカではない以上、理解できると考えます。すると、機能宣教チームを作っておけば、あるチームはお金が要るチーム、あるチームはお金を払うチームがあります。理解が良くできないでしょうか? 文鮮明氏が米国に入っていくやいなや、オペラ団10ケを作って、米国をひっくり返したという事実を見ても理解ができないのでしょうか? 献金する前に、祝福を受ける前に、目から開かれなければなりません。誰が幼い子どもを見て、刀を与え、銃を与えるでしょうか? 誰が子どもに、ものすごいお金のふろ敷包を持って行くでしょうか。見ることができる人が重要なのです。今、文鮮明は中国を完全に全キリスト教を合わせたことより、もっと掌握してしまったのです。それを伝えようということが機能宣教、産業宣教です。ここに先生たちがいます。公教育が崩れていないでしょうか? どのようにすれば、学校を生かせるでしょうか? その集いが機能宣教です。それが何でそんなに理解できないのでしょうか? 本当に不思議です。皆様が今これをしようとするなら、答はひとつしかありません。福音を正しく悟った弟子をあちこちに植えて、地域を生かしましょう。それが地域教会です。その中に今日、地域教会献身礼拝をささげます。
 
■ 私はこの三つのことに牧会の生涯をかけました。これが理解できない人は愚かだと思います。答えを受けることができない人だと思います。自分の機能が宣教に用いられるというが、それが理解できないのでしょうか? 私が地域で、現場で祝福されて他の人を生かさねばならないのに、それが理解できないのでしょうか? 私が前に話をしました。喫茶店に入っていったら、ある女の人が、ある男の人の前で集まって座っていたのですが、手相見ていたのです。ある所に行ったところ、正常な男の人たちが、たましいが抜けたように見ていました。人相をみていたのです。現場には福音がありません。現場には、他のことだけが満ちています。それで、弟子を植えようということです。おかしな人が地域教会をして、おかしく建てていますが、それが目標ではありません。本物の弟子を立てる地域教会をしましょう。理解できないのでしょうか? なぜ理解できないのでしょうか? 本当に不思議です。悩みが違うのです。持っている心配が肉体的なことではないでしょうか? それで、理解ができなくなるはずです。当然に分からなければなりません。当然に祝福を受けなければなりません。当然に祈りの答えを受けなければなりません。地域教会、機能宣教会、一般信者宣教会です。皆様が少しだけ力を合わせれば、相当な事が行われます。
 
■ 国家から私たちに連絡がきました。一年に八百万円ずつ国家補助を与えるから、どこかで青少年に相談する家を作って運営することができないかと言われました。職員がなければならなくて、すこし運営費がなければならないので、そのお金は国家で与えることができると言いました。頼むから、この子ども相談をちょっとしてくれと言われました。青少年だけ集まる裁判する所に一ケ所に五百人、千人が集まっています。それでも、一般信者宣教という話が理解できないのでしょうか? 本当にせつないことです。私たちは当然に分からなければなりません。また当然に感激しなければなりません。機能宣教ということは、私たちの教会の中に楽器を扱う人がたくさん集まりました。声楽を良くする人がたくさん来るようになりました。みなどのようにするのでしょうか? 教会は人を殺す所でしょうか? 全部、専門別に機能宣教チームを作りましょう。なぜそれがキャッチできないのでしょうか? それが本当に不思議です。皆様は神様の祝福を見ることができなければなりません。神様の祝福を受けることができる手があってこそ、受けるのではないでしょうか。そのような中で今、 私たちインマヌエルでは、首都圏にだけ2千カ所に弟子を探さなければなりません。それで、誇るということではなく、答えを受けるということです。何の答えでしょうか?
 
■ 昨日、私がハン・サンベ牧師に話をしました。聖書を詳細に見ると、クリスチャンは問題がある必要はないのです。ヨセフが奴隷へ行ったのに、問題にあったのでしょうか? 口を開けていつも笑って通うことだけが起こりました。主人がとても感動して、あなたはしもべをせずに、今日から私の家の総務をしなさいと言いました。監獄へ行きました。そのなかでとてもびっくりして、飛び上がって通うほどに値することだけが行われました。長官がヨセフの前にひざまずいたのです。どうして、問題になるのでしょうか? そのような弟子を2千カ所に植えましょう。理解が良くできないでしょうか? 私たちは、2千カ所に地域教会をするために、今日のみことばを受けるべきです。それが何でしょうか?信仰生活をよくしようとするなら、何を知っているべきでしょうか? 私たちは、この福音を伝えようとするので、福音の最も重要なことを知っていなければなりません。それが何だと考えますか? 私の話を聞かず、聖書を見ましょう。何となっているでしょうか?
 
■ ある方が私を見て、こう話しました。先生が健康であるように、食べ物に注意しなければならないと言いました。何でしょうか?4つのことは、毒になると言われました。辛いのと、塩辛いのと、甘いのと油気があるもの、この4つは行き過ぎれば、全部、毒になると言われました。今からとても薄味のものを食べなければならないと言いました。可能ならば、砂糖と油があるものは、食べないようにと言われたのです。今まではかまわなかったのですが、これからは、年齢をとっている人は、どんどんそのようにしなければならないと言われました。一理があると思います。しかし、あまり薄味のものを食べてみたら、薄味がまずくて、食べられませんでした。これくらい悪い習慣を、自分も知らないうちに持っているのです。
 
■ ところが、たましいと精神を腐らせる毒があります。それが何でしょうか? それが憎しみです。今日、主が '敵を愛しなさい'と言われました。私達が2千カ所に地域教会、一般信者宣教、そして、機能宣教もみなしなければなりません。しかしまず最初に知っているべきで、イエス様がまず最初になさった教えが何でしょうか? '神様は、イエス・キリストをくださったほどに世を愛された'. 最後の使徒ヨハネは、こういう話をしました。神様の仇名があります。何でしょうか? 愛です。サタンの仇名は何でしょうか? 憎しみです。皆様が夫婦けんかをする時、目を一度見てみましょう。天使のように見えるでしょうか? どんなに二重まぶたにして、色をつけていても、天使のように見えません。神様の仇名は愛です。サタンの仇名は憎しみです。これは皆様のたましい、精神、全部を破壊します。
 
■ それで、私達が最初に記憶しなければならないことが、キリスト教の福音の本質は何でしょうか?ヨハネ3:16 '神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。'. 福音の本質です。神様が私たちを愛されたと言われています。サタンで死ぬしかなくて、罪で死ぬしかない私たちを、愛してくださって救われました。皆様の子どもが、悪いところに落ちているのに、理由を付けるでしょうか? 両親が愛する子どもが、悪いところに落ちて死ぬのに、そこに理由を付けるでしょうか? 死んでいく子どもを見て、なぜそこで遊んでいるのかと叱るでしょうか? 早く救い出さなければとなりません。
 
■ すると、またひとつ考えるべきことがあります。福音に対して。イエス様がこういう比喩をなさいました。 弟子がきてたずねたのです。人を何度まで赦せば良いでしょうか? それは愛でいっぱいで話したのではありません。憎しみをいっぱい持っていて、何度まで赦せば良いのですかと言いました。どのように考えるのでしょうか? その話しは、愛がいっぱいで、何度まで赦せば良いのですかと尋ねたのでしょうか? この胸に憎しみがいっぱいあったので、何度まで赦せば良いのかと言ったのです。七回まででしょうか? ですから、イエス様が七回を七十倍でも赦しなさいと言われました。七回の七十倍は490回ですが、すると、490回だけすれば良いのでしょうか? それで、イエス様がこういう話をなさいました。ある人が借金を一万タラント借りました。一万タラントは、どれくらいか知っているでしょうか? 1タラントが金 34kgです。一万タラントならば、私のような体重の者が、5千名集まったのです。金がその程度ならば、どれくらい多くのお金でしょうか? あなたの子ども、妻、財産をみな売って返しなさいと言われても、返す能力がありませんでした。日は過ぎたのですが、お金は返せないので、この人がひざまずいて助けてくださいと頼みました。永遠に返すことはありえない金額だから、ひざまずいて助けてくださいと言いました。主人が見て、彼をあわれに思ったのです。この人が嘘でなく、返す能力がないということを知っていたからです。その人をそのままにしておくと、死ぬほかなかったのです。そのままなら、家庭もみな滅びるしかありませんでした。それで、主人があなたの借金を返さなくても良いと言いました。ないことにすると。ですから、どれくらい良いでしょうか。どのようにうれしいことでしょうか。ところが、行ってみたら、100デナリを自分に借りた人に会ったのです。これを捕まえて、そのまま置いておかないで困らせたのです。私たちならば、どのようにするでしょうか? 正常な人は、どのようにするでしょうか? あなたは、100デナリは心配しないで、となるでしょう。私は一万タラントを返さなくても良くなった。100デナリは置いておきなさい。そのように話さねばならないでしょう。一万タラントを返さなくても良くなっても、100デナリで人を困らせたのです。いろいろなことで困らせたのです。脅迫をしました。ですから、この人が助けてくださいと言いました。助けられないと言ったのです。あなたがなぜその金を返さないのか? イエス様が言われた比喩です。
 
■ なんの話でしょうか? ものすごい救いと赦しを受けた私達が、小さい兄弟の誤ちを理解することができないのです。なにを話すのでしょうか? 救われた者の証拠。皆様が本当に救いの醍醐味を見た人は、他の味と 比較することができません。釣りの味を本当に知った人は、朝早くに行きます。釣りの味を本当に知った人は、零下 10度にもなるのに、うずくまって座って釣りをしています。救いの味を本当に知った人は、感謝が出てくるのです。他の物を見ても、別にどうでもないのです。どれくらいすごいことでしょうか?
 
■ ここで座って礼拝をささげている私たちの重要なメンバーがいます。事務室にきて、私に会って少しの間と言いながら証しをして行きました。自分の夫が信じないということです。名前は直接話すことができません。ところが、この夫が信じないから、信仰生活を理解できないのです。そして、信じない他の女に会いました。それで、この執事が訪ねたのです。そちらを訪ねたら、ぶるぶる震えたそうです。その人に何の話もしないで、2つのことを話したのです。福音を伝えました。そして、その人の手を取り合って涙で祈りました。それだけをしてきたそうです。その女の人が、衝撃を受けたのです。第一に悪口を言わなかったことが衝撃だったのです。ところが、福音を静かに聞いてみたら、何かがあったのです。その時は福音を受けなかったのですが、その時から不思議に神様が悩みを下さったのです。電話がきました。私は福音を知りたい。本当に福音を知りたいのですか? それなら、他の人を送ると言いました。それで他のメンバーが福音を伝えたのですが、この人が完全に変わったのです。こういう奇跡のような事が起きた証しをしました。福音の力というのは、ものすごいのです。人をどのように変化させるか分かりません。最後の使徒ヨハネが言った言葉です。私たちの信仰生活の本質を言いました。
 
■ 私たちは福音の本質、救われた者の証拠、信仰生活の本質を理解しなければなりません。最後の使徒ヨハネがIヨハネ4:7に '愛する者', '神様に属する者'と言いました。Iヨハネ4:11に、私たちは神様の愛を受けたから、愛すことが当然だと言いました。 4:20には人を憎んで、人を赦すことができないながら、神様を愛すということは、偽りの話だと言われています。イエス様がマタイ5, 6, 7章で、祈りに関して教えられました。そこで3つの話をなさいました。3つをまずしなさいと言われました。マタイ5:24にまず和睦してしまって礼拝しなさい。兄弟をとても憎み、教会の中に敵があって、こういう人々が多いのです。なぜそれで礼拝するのでしょうか? その礼拝は効果がありません。マタイ6:33に 'まず神の国とその義とを求めなさい'. 簡単に話せば、霊的なことは一つも見ることができなくて、肉体的なことだけどんどんくれと言うならば、未信者とそっくりです。だからそのようにして良いでしょうか?
 
■ 私は皆様が病気だとすれば、祈れば良いという気がします。しかし、今回も見たら、慶州に、ある寺を二千億を使って建てるということで胸をつかれました。皆様はそれが何の異常もなく聞こえることがあるでしょう。 'あなたがたは、まず、神の国とその義とを求めなさい'. マタイ7:1〜5に、まずすることが出てきました。兄弟の目にあるちりのような欠点をさがさず、あなたの目にある梁をまず取り除きなさい。梁は見えることもないのです。あまりに大きくて見えることもありません。ちりだけまず取ろうとせずに、梁をまず取り除きなさい。そうしてこそ、祈りの答えを受けるのです。皆様、2000ケ所地域教会をすべきです。それ以前に、皆様の胸の中にひそむ家族、過去、憎しみ、みな取り去りましょう。それを持っている以上、福音はだめです。それでも、私が違うことを話したのでしょうか? ではあの悪い人、泥棒を見て泥棒といわずに赦せということですか? 皆様がおわかりの通り、ソン・ヤンホ牧師の二人の息子が死にました。村にいる共産主義思想に陥った人に打たれて死んだのです。聞くだけでも、歯ぎしりするようなことです。ところが、ソン・ヤンホ牧師はその二人の子どもを息子としたのです。本当にその人々が福音を受けて変化しました。それが韓国のキリスト教福音運動に大きい基礎となって、大きい中心になったのです。
 
■ 今日、敵を愛しなさいと言われました。愛しなさいという程度でなく、敵を愛しなさいと言われたのです。敵をどのように愛すのでしょうか? 理由があります。憎しみは、あらゆる問題、あらゆる病気の原因になるのです。皆様、精神病患者を見れば特徴があります。憎しみ、うらみがぎっしりあります。米国である白人が子どもを育てるのに、黒人の子どもを育てました。養子をとったのです。話をしませんでした。この子どもは、身体的に見ると、病気でもなくて、おしでもないのに、話をしませんでした。何日間か、話をしなかったのです。この子どもが衝撃を受けているのかと思って、よくしてあげたのです。それでも、話をしませんでした。私があなたを愛すと告白しても、話をしないのは、普通の問題ではありません。日がたくさん過ぎたのに、話をしませんでした。話ができないのか、話しをしないのか、とにかく、この子が話しませんでした。ある日、この子どもが口を開けました。フライパンでなにかを焼いていたら、その時、この子どもが大声で叫んだのです。この子どもが過去に家であった事と連想されたのです。その時、その子が初めて言葉の門をあけたのに、初めて述べた言葉が "I hate you"と言ったのです。私はあなたを嫌いだと話したのです。この子どもは、おしではありません。傷ゆえに精神的な問題がきたのです。
 
■ なぜ聖書は、敵を愛せと言われたのでしょうか? 憎しみは、サタンの通路となります。そして、神様の愛、最高を味わった人は勝つことができます。今日の本文を見ましょう。 27節に 'しかし、いま聞いているあなたがたに、わたしはこう言います。あなたの敵を愛しなさい。あなたを憎む者に善を行ないなさい。' 本当に敵を愛しなさいと言われました。私を憎む者に善を行いなさいと言われました。私を呪う者があるならば、祝福しなさい。私を無視して侮辱する者があるならば祈りなさい。はなはだしきは、右のほおを打たれたら、左のほおを出しなさい。上着を奪われたら、下着も与えなさい。なんの話でしょうか。実際に打たれなさいという話ではありません。それほど跳び越える余裕です。あなたがもてなしを受けてみたいでしょうか? では、他人を接待しなさい。あなたが認められたいでしょうか? すると、認めろということです。それとともに、用心することが出てきました。批判しないで。あなたも批判されないでしょう。そして37節を見ると、罪に定めないで、あなたも罪に定められないでしょう。赦しなさい、するとあなたも赦されます。38節に人を量らないで。 するとあなたも量られないでしょう。
 
■ こういう重要な話が出てきました。私は私たちのレムナントに話したいのです。世に行ったら、悪い人がいます。悪い人であるほど、よくしてあげなさい。私たちは敵でも愛しましょう。イエス様がなさったみことばです。どのようにこれが可能でしょうか? これが問題です。愛がキリスト教の本質で、愛が福音の本質なのも知っていて、敵も愛すべきことを知っていますが、どのようにすることができるのでしょうか? 問題は、これで、ものすごく重要なのです。皆様がこの部分を知らなければ、大きいことが起きます。どのように愛すことができるのでしょうか?
 
■ 聖書に現れたギリシヤ語には、愛という単語が4つあります。ひとつはお互い友人間の愛があります。フィレオと言います。家族、父母、息子、孫、おばあさんなどの愛があります。こういう愛をストールゲと言います。男と女、夫婦間の愛があります。それをエロスと言います。それで、そのようなたぐいの映画をエロ映画と言うのです。ところがこの三つの愛には、条件があります。なぜ愛すのでしょうか? 自分の娘であるから。なぜ愛すのでしょうか? わが友人だから。これは全部、条件がついています。ここで良い点もありますが、問題がきます。アガペーの愛が何でしょうか。聖書にはアガペーという単語が出てきます。それは神様の愛です。神様の愛には、条件がつきません。私はIコリント13章を読んでみました。こういう話しが出てきました。愛は寛容で、親切で、ねたまず、自慢せず、高慢にならず、礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、不正を喜ばず、悪いことを考えず、全てのものを信じて、全てのものを願って、全てのものを耐える。間違いないでしょか? アーメンでしょうか? アーメンがよく出てこないでしょうか?
 
■ 皆様の聖書と私の聖書を一度読んでみましょう。愛するから長く耐えることができなくて、愛すからに怒って、前はそうでなかったのに、愛すからねたんで、前は知らなかったのに、私があなたにどれくらいよくしてあげたのかと自慢して、愛すからお前のような人に会って苦労すると言って高慢になり、愛すから無礼を行なうのです。なぜ私にしてくれないのかと無礼を行ないます。愛すから、ただ私だけのことを考えるのです。逆にです。愛すから怒ります。前は癇癪を起こす相手ではなかったのに、愛すから耐えることができません。前は特に考えがなかったのに、愛すから今は悪いことだけを考えます。あの女が回りながらおかしなことをするのではないかと、悪いことだけを考えます。愛すから信じることができないのです。不信仰が生じます。愛すから、異常なことを考えて期待するようになるのです。そうではないでしょうか? この世界がまさにフィレオ、ストールゲ、エロスの愛です。ここに神様の愛がつかないと絶対にだめです。ここに福音の愛がつかないと解決できません。皆様の傷は永遠になくなりません。皆様の過去は、永遠になくなりません。それはサタンの通路となります。
 
■ 2000地域教会できるでしょうか? 機能宣教できるでしょうか? お金を払えば、一般信者宣教ができるでしょうか? これがなんでもないことのようですが、人類の問題です。私はイエス様が単に投げた話しだと思っていたのに、全部、答です。3年の公生涯に間に、忙しいのに、単に投げる話しがどこにあるでしょうか? あまりに老いて長生きしてぼけたので、たわごとを言う場合もあるでしょうが、イエス様は3年の生涯なのに、たわごとを言われるでしょうか? 全部答です。皆様に問題は何でしょうか? とうてい理解できない友人、神様の アガペー、福音の愛で耐えることができます。まったく理解できない夫、福音の目で見る時、寛容な心を持つことができます。まったくおかしな女、福音のなかで見る時、神様の愛で見る時は、ねたみません。本当に神様の愛を受けて見ると、自慢する必要がありません。本当に神様の恵みを受ければ受けるほど、私が何でもないことを知って、高慢になることが出来ないのです。神様の愛と大きい祝福を見るので、相手が理解できない部分も礼儀に反することをしなくなるのです。まさに神様の能力を知っているために、信じて願うことができるのです。皆様の子どもたちに、このようにしましょう。もしかして、失敗したらできると言いましょう。しかし、あなたは大丈夫だと話しましょう。仮りにこのように話せば、大変なことが起きます。本当にあなたは希望がない奴だ、どうして、そんなにあなたは毎日そうなのか?と言うと、その時は大丈夫です。しかし、決定的な瞬間に、私は希望がない奴なのだなと考えて、崩れ始めます。このように崩れると、普通の問題ではありません。あなたはできる、あなたは神様の子どもだ、神様があなたと共におられると話したとするなら、決定的な瞬間に、そうだ、私は神様の子どもだ、となります。だから、全てのものを信じて、全てのものを願って、ものすごく重要な話です。
 
■ 今日、皆様は、全てのものに神様の愛を加えれば解決になり始めます。今日の本文に話されています。自分を愛す者を愛すことは、未信者もできます。私をほめて、私に良くしてくれる人に上手にやることは、未信者もできることです。私に良いことをしてくれる人に善を行うことは、誰ができないでしょうか? 福音を持った私達が簡単に話せば、福音を悟った皆様が、福音を悟ることができなかった家族を理解することができないでしょうか? それより、もっと重要なこと、35節です。 'ただ、自分の敵を愛しなさい。彼らによくしてやり、返してもらうことを考えずに貸しなさい。そうすれば、あなたがたの受ける報いはすばらしく、あなたがたは、いと高き方の子どもになれます。なぜなら、いと高き方は、恩知らずの悪人にも、あわれみ深いからです。'
 
■ 結論です。大きい報いがあなたの前にあります。なんの話でしょうか。ヨセフが自分の兄たちを見た時、どのように見たのでしょうか? 神様の愛で兄たちを見ました。兄たちが分かったのです。父に自分はとても愛されて、父の愛を受けられないので、兄たちが誤解したことが分かりました。国務総理になって、兄たちになんの心配をする必要がないと話しました。サウル王がダビデを殺そうと付いて回ったのに、ダビデはサウル王を知っていました。悪霊が入って苦しんでいることを知っていたのです。神様の愛で見たのです。ダビデは、勝つことができました。ダビデが受けた祝福を知っているはずです。ものすごいのです。ダビデが受けた祝福は、話せないことです。皆様、聖書をよく見ましょう。ほとんどみな、こういう人が答えを受けました。今日、聖書にあなたの報いは大きいとされています。そして、神様の息子を知るようになる祝福がくるはずです。どれくらい私たちに重要な話なのか分かりません。2000 地域教会に向かって、今日重要な答を探し出すように願います。
 
■ 私は神様の恵みで30年以上伝道をしてきました。そのような中で皆様に会いました。伝道運動を続けるはずです。ところが、多くのことがありました。いろいろと話すことはできません。神様の恵みで生きてきました。神様の祝福で生きてきました。それなら、私が理解できない人もいません。それなら、私が赦せない人もいません。それなら、祈ってあげることができない人もいません。なぜでしょうか?この福音があまりに大きくて、あまりに尊いためです。私は確かにこの福音を受けたゆえに、そのようにすることができます。皆様が これがなんでもないことのように見えるでしょうが、このようになる時から、皆様の周囲に霊的な問題が崩れ始めます。医者の方達がここにたくさんいますが、この時から、患者の健康は回復し始めます。この時から、皆様の傷はなくなり始めます。神様の愛と福音を悟らないで、他人に何か話でしようとするならば、他の人により大きい損傷を与えます。私は正確に話せば、相談はそんなに重要な聖書的なことは出来ないと思っています。それで、イザヤには、イエス様に関してどんな仇名がついているかというと、相談者、カウンセラーという仇名がついています。皆様の本物の困難を解決なさる方は誰でしょうか?神様です。皆様の未来を本当に責任を負う方は、誰でしょうか? 神様です。それなら、その神様に祈れば答えがくるはずです。
 
■ 今日の本文に、地域教会運動を開く皆様に敵を愛しなさいと出てきました。信仰の祝福をうけなければならない皆様に、反対の言葉で憎しみをなくせと言われました。皆様の胸中に落ち着いている憎しみをなくしましょう。皆様の家族と仕事をしている方達に対して残っている憎しみをなくしましょう。未信者はなくすこともありません。自分を嫌うことが自殺の原因です。なぜなら、私が本当に誤っていたと考えれば自殺しません。私がなぜそうなのか、私がなぜそのようなことをしたのだろうか、本当に私が憎いと自殺するのです。人を憎む時、殺人をするのです。あの人が憎くて、殺してみたくて、それで殺人をするのです。私達が必ず実際に殺人をしなくても、言葉でも人を殺します。どれくらい重要なのか分かりません。それで福音ととても重要な関係があります。世の中の人々が話す、そのような愛ではありません。神様の愛です。それで、聖書にはアガペーの愛、福音を悟った者の愛です。これが皆様の問題に近づいてこそ、問題が解決します。神様の愛、福音の愛、アガペーの愛が、皆様の家庭に現れてこそ、家庭問題が解決します。神様の愛、福音の愛、アガペーの愛が皆様の問題に現れてこそ、その時、その問題が解決します。それでなければ、絶対に解決できません。無理に耐えることであって、解決はできないのです。神様の愛、福音の愛、アガペーの愛が現れてこそ、正しい解決になります。
 
■ 夫婦が愛すことは当然です。エロスと言います。しかし、それだけで愛せば問題がきます。そこに神様の愛がなければなりません。分かるでしょうか? 友人の間で、信徒の間で愛します。フィレオと言います。当然です。しかし、その愛だけでは問題がきます。父母、息子、血縁の愛も、それだけを持っていれば問題がきます。その中に神様の愛、アガペーの愛、福音の愛が入っていかなければならないのです。それでこそ癒されるのです。今日、この祝福を必ず受けてくださることを願います。私たちの教会は、2000ケ所に弟子を植える時間が、確かにくるはずです。このことゆえに産業するあらゆる方達に、祝福があるのです。地域教会の祝福を味わう皆様となることをイエスの御名でお祈りします。
 
<<契約の祈り>>
神様に感謝申し上げます。真の愛を悟る時間になるようにさせてください。サタンの通路になるあらゆる憎しみが消えるようにさせてください。私を病むようにする憎しみが消えて、神様の愛が現れるようにしてください。霊的混乱に陥るようにする憎しみがなくなって、アガペーの愛が現れるようにさせてください。それで、敵も愛すことができる信仰が回復するようにさせてください。私たちの主イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン
 
 


 2部/ 父母の祈りと子どもの祝福
(詩72:1〜19)
 
■ 英国の有名なスコットという学者がいました。この方が、年をとって、死ぬ時を待っていた時に、息子、娘、孫たちがたくさん集まりました。その時、この方が最後にこう話したのです。私は、これから死ぬようだから、本を持ってきなさいと言いました。そばにいた息子が、本、本ですか? 何の本ですか? とたずねました。本がどれくらい多いでしょうか? その方は学者なので、書斎に本が数万冊あったのですが、本を持ってこいと言ったのです。息子たちが、何の本のことを言ったのかと、お父さんが私たちに紹介する本は何ですか? その 時に、スコットという人はこう話しました。私が今、天国に行く最後の時間に、あなた達に何の本が必要だろうか? 私があなた達に数学の本を話すだろうか? 科学の本を話すだろうか? その時に、息子たちが分かったのです。何の本でなければならないでしょうか? 英語の会話の本でしょうか? 今、最後の時間なのに、父が行く前に、息子、娘、孫たちに話す時間に本を持ってこいというのは、何の本でしょうか? わかって感づいた息子が聖書を父に持ってきました。父が聖書を持って息子、娘、孫たちに話しました。元々バイブルという聖書は、ビブロスからきた言葉です。文、本という意味です。この聖書を一言で、何と最も重要な話を伝達できるでしょうか? その時、この方がこう話したということです。この本の中には、重要なことが入っています。過去、現在、未来がみな入っていると言いました。息子たちが、そうなのですかと最後の時間に恵みを受けた記録が あります。皆様、最も基本、真実に戻ることが福音です。私たちはたましいがあるために、神様が生きておられ、神様の子どもになる祝福が福音です。これを本当に持っていれば、過去、現在、未来の祝福を皆知るようになります。祝福をみるより、皆分かるようになっています。こういう重要な時刻表を知るようになります。皆様が本当に福音を持って、こういう祝福を味わうことを願います。
 
■ 今日、ダビデの息子の話です。ところが、ダビデという人物は生まれる前に、福音のための人物であるゆえに、サムエルとか、重要な先生、両親が祝福しました。私は分かります。皆様が福音の人ならば、過去も祝福されて、未来も祝福となります。私が幼い時、火の中で他の人はみな死んだのに、私だけなぜ生き残ったのでしょうか? それも福音と関係があります。その時、私が福音を受けたということではなく、福音のためです。神様がダビデのような人物のために、サムエルのような人物と、エッサイのような人物を準備されました。困難を受けたことがみな祝福となりました。ダビデを知っているはずです。兄たちがいました。兄たちは、ダビデをたびたびねたみます。なぜあなたは父に認められて、私たちは無視されるのかと、いつも話します。なぜお前は、そのように高慢なのかと言いながら、このようにダビデを難しくさせました。兄たちは、はじめから終わりまで通じませんでした。皆様がおわかりの通り、兄たちがいた時、ゴリヤテに勝とうと戦おうと行った時、兄たちが何と言ったでしょうか? とても気分悪く、お前は小さい時から高慢だったと言って、ここになぜ来たのか、帰れと言いました。そのような記録を見て、ダビデの雰囲気が分かるでしょう。あなたがたが生きていきながら、一番難しいのが、経済でしょうか? 皆様が生きていきながら、父母、兄弟がご飯をたくさん食べることができなくて難しいでしょうか? 幼い子ども達が家を出て行くのは、ひもじくて行くのでしょうか? 両親とあまり話しがなくて、だめで、退屈で生きられないのが、けんかするようになるのです。ダビデが妻をめとったのに、サウル王が悪霊につかれた人でした。このように、ダビデは度々困難にあうようになります。それゆえにダビデは祈るようになって、他の人が知らないものすごい秘密を知るようになりました。
 
■ 皆様がおわかりの通り、実際に、ヨセフは孤児のように生きました。兄たちは、皆、腹違いの兄弟であり、ヨセフをものすごく嫌いました。どれだけ嫌ったかというと、ヨセフを殺そうとしました。しかし、ヨセフはそれゆえに祝福を受けたのです。誰にも話すことができなくて、神様に祈っている途中で、ヨセフは相当なことを見たのです。世界福音化というビジョンを見たのです。だから、とても信仰生活は、簡単です。福音を知っている神様の子どもをよく理解すれば、過去も祝福です。本当にそれがすべての祝福の土台です。ダビデが やられていた現場で受けた答えは、話すことができません。今日の本文を見ると、ダビデ以後の時代にも、すでに働きが起きています。今日の詩72:19には 'とこしえに、ほむべきかな。その栄光の御名。その栄光は地に満ちわたれ。アーメン。アーメン。エッサイの子ダビデの祈りは終わった。'となっています。祈りはダビデが 多くしたのですが、その栄光がソロモンにも臨みました。 '終わった’ということは、答えられたということです。それで、あなたがたが今日、福音の契約を新しく捕まえて、未来の皆様の子どもまで神様の祝福があることを願います。
 
■ 確かに救いは個人の恵みです。信仰生活も個人の秘密です。しかし、父母の祈りは子どもに相当な祝福です。皆様が福音を受けたということは、皆様の子どもに確かに影響が及びます。皆様はほとんどよく知らないのです。皆様の子どもが幼い時、胎児・嬰児部、幼稚園に通うのに、福音がない所に送るなら、家にいるほうがよいのです。皆様はよく知らないのです。私はそこに対して、100% はっきりと言い切る自信があります。皆様が抱いている子どもが皆様の話をわかるのではありません。それよりもっと正確に、霊的に伝達されるようになっています。それなら、これはとても貴重なのです。皆様が福音を持っていれば、皆様の子どもたちに福音の霊的な祝福が途方もなく伝えられるようになっています。ダビデの祈りが終わったとされています。 皆様の両親が霊的に困難を受け、苦しめられれば、子どもたちにその影響が確かに及びます。これを無視することはできません。これは人間の力で、科学でできることではありません。ソロモンが、途方もない答えを受けたのに 'エッサイの子ダビデの祈りは終わった'となっています。ダビデが持った福音の影響のひとつが、過去、現在、未来の途方もない神様の働きと連結したという事実を信じてくださるように望みます。
 
■ それなら今日、皆様が一番目に覚悟しなければならないことは、父母の祈りは必ず子どもに祝福で答えられるために、皆様が祈りを始めるべきです。創世記37:11でヨセフが言う話をヤコブが心に留めていたとなっています。それで、両親の祈りが重要なのです。たぶん皆様は普通に考えるでしょう。福音を知っている父母ならば、子どもに霊的な問題が伝えられません。福音を知っている両親が祈るならば、皆様の子どもにまで霊的な影響がものすごく行くのです。これは、祝福を受けて、よく食べて、良い生活をしようという話ではありません。確かに重要なのは、人生にこれよりもっと重要なことはないのです。それで、皆様がこの祝福を契約で捕まえなさいということです。
 
■ 皆様は、モーセという人物が重要だということを知っています。モーセは何をしたのかよく知っているでしょう。本当に驚くべきことは、モーセについての記録を見れば分かります。私はモーセのお母さんは、普通の人ではないと考えます。なぜならば、モーセを置いておくと死ぬようだから、子どもを助けてくれないから、この子をかごに入れて、瀝青を塗って、ナイル川に流したのです。それだけしても、並大抵のことではないのに、流すのを王女が入浴しようと出てくる場所のそばに流したのです。たぶん出てくる時間があったのでしょう。その時間に合せて流しました。かごに油を塗ったゆえに、すぐには沈まなかったのです。だから、子どもが流される所に、速く行かなくてそろそろ行ったのです。それがちょうど、ぴったりでした。王女が下女を行かせて、あれは何かと見ると、赤ん坊がいました。色々と顔のようすを見たら、ヘブル人、イスラエルの子どものようでした。その時、この王女が小さい子どもを見た時、ふびんに思う心が生じたのです。この子どもを助けてやらなければならないという気がしたのです。それで、その子どもを連れて、王宮に入って行きました。その時に、モーセのお母さんを見ましょう。姉に行かせて、乳母が必要でしょうと尋ねろと言いました。こういう事は簡単なようですが、本当に驚くべきことです。ミリアムという姉が追いかけて行って、王女に子どもの乳を飲ませる乳母が必要ではないですかと尋ねました。王女が必要だと言ったら、すると、乳母を紹介してあげる、この子どもを王宮で育てることができるように紹介してあげる。そのような人がいるのか? そのような人がいますと、モーセのお母さんを紹介したのです。
 
■ 私はこれが小さな知恵ではないと思います。皆様、両親が持った祈りと両親が持ったことがどれくらい霊的に大きいでしょうか? 私たちは、とても重要なことは、ほとんど普通に考えます。そして、重要でないことをとても重要に感じるのです。これが、信仰生活を失敗する理由です。私たちの教会が、多くの伝道運動の中にあります。今、タラッパン運動は、伝道運動としてたくさん起きています。そこに巻きこまれて入って、祝福を受けた人も多いのです。知らなければ大変です。皆様は重要な部分をよく知っていなければなりません。信仰生活は、皆様が福音を正確に知れば、皆様の家庭の霊的問題は、みななくなってしまいます。この部分を牧師、信徒、クリスチャンが重要視しないのです。しかし、聖書ではそれを最も重要視しています。Iサムエル1章を見れば、ハンナの祈りによって息子が産まれたのですが、その息子がサムエルです。詩篇78篇にダビデは幼い時、困難の中で祈りを学んだのです。Iサムエル16:13を見れば、幼い時、聖霊の充満を受けたとなっています。ダビデは、危機の時には神様にどれくらい祈りしたかという証拠があります。ところが、この祈りが子どもに行ったということです。
 
■ ここには今、胎児部、嬰児部、幼稚部の先生がいらっしゃるはずです。あなたがたが持っている福音の秘密が、子ども達と直接関連があります。そして、教会学校、中高等部とレベルは違うけれど、皆様の影響が子ども達にそのまま行くようになっています。皆様の子ども達が、中, 高等学生くらいになれば、自分たちは強がるのですが、一番心と霊的な状態が弱いのです。このような時、周辺に否定的な人がつけば、その子どもはまちがいなく、そこに関係があるようになります。その時、霊的に混乱している人がつけば、まちがいなく、その影響を受けます。ですから、中、高等学生達は、影響がくるようになっているのです。ところが、幼い子ども達は直せない影響が行くのです。だから、後ほど苦闘しても、どうしてもだめなのです。それで、私たちの教育とこの福音がどれくらい重要なのでしょうか? あなたがた、福音の秘密を持った両親の祈りは、子どもに成就されるだけでなく、どんな影響が行くかということを記憶すべきです。もし子どもゆえに悩む方達は、悩まないようにしましょう。多くの霊的な理由があったゆえに, 今からでも悩まず、契約を捕まえなければなりません。モニカという人はこう話しました。祈りの母、涙の子どもは滅びることがない。ひょっとして子どもゆえに悩む方がいらっしゃるならば、神様の契約を捕まえて祈ることを望みます。既に皆様は、福音を持ったゆえに、皆様の子ども達は、勝利が保障されているために、どれくらい感謝か分かりません。
 
■ ダビデひとりゆえに受けた祝福が、ソロモンはどんな祝福を受けたでしょうか? I列王3章を見れば、ソロモンが一千回のいけにえを神様にささげました。全焼のいけにえを千回ささげたら、神様がソロモンに、あなたはわたしに何をして欲しいと願うのかと尋ねられました。この時、ソロモンが驚くことを話したのです。国を豊かに強くしてくださいと言いませんでした。話す言葉が多くないでしょうか? 王がならば、何の話をするでしょうか? 私たちの国家を強固にしてくださいと言うはずです。韓国の経済が豊かになるようにしてくださいと話すべきです。王だから、私たち民が良い生活をするようにしてくれと言わなければならないのです。そのあらゆる話を合わせた核心を言いました。私は子どものようだから、私に知恵を下さい。神様がソロモンに知恵をくださいました。もちろん、ダビデ王から受けた祈りも多かったのです。その恵みが、すでにソロモンに現れ始めたのです。ソロモンに知恵についての話が多くあるでしょう。ほとんどイエスを信じない人々も知っている程、ソロモンの知恵が飛び抜けています。その代表的な例で、子どもについての裁判の話があります。ある共同生活をするところで、なぜかは知りませんが、子どもが死にました。私達が正確な状況は分かりません。聖書で簡単に記録しているためです。この女が死んだ子どもを他人の子どもと変えました。生まれてすぐなので、よく分かりません。子ども達が生まれれば、似たりよったりです。それで変わった子どもゆえに問題が生まれたのです。本当の母親が見ると、まちがいなく、あの子どもは自分の子どもなのに、死んだ子どもを持ってきて置いて自分の子どもを持っていったのです。似ているからけんかになりました。しかし、母親は子どもを変えて行ったことが分かります。だから二人で戦いになったのですが、子どもは一人で、母親は二人なので、だれが本物なのでしょうか? ソロモンのように、すぐ知恵が出てくることはむずかしいのです。私達が、論文を書いて、研究をして話すことは可能ですが、瞬間的に知恵が出てくることは難しいのです。その時、ソロモンは瞬間的な知恵を見せました。ソロモンは、このように話したのです。子どもは一人で、母親が二人であるから簡単だ。切り分けなさい。刀を持って切り分けて持っていきなさい。敢えて王の前で嘘をつくことができないから、二人とも自分の子どもだと主張しなければなりません。そうしたところ、女の一人が自分が間違ったと言いました。この子どもは、私の子どもではないから、殺さずに渡すと言いました。そばの悪い女は、半分でも持っていくと言いました。どちらが本物の母親でしょうか? ソロモンが素早く判断したのです。そのような話が全世界に回って、ソロモンの経済の祝福は話すことができません。I列王記を見ると、ソロモンの知恵が海の砂より多かったということです。皆様、海の砂はどれくらい多いか知っているでしょうか? 海雲台の海に砂がどれだけ多いか知っているでしょうか? 考えてみたことがありますか? 本を見ると、海雲台の海にある砂の数は、垓(がい)だということです。垓(がい)というのがどれくらい大きい数字でしょうか?すれば 1に0が4ケついたのは、万です。垓(がい)は0が 20ケついたことです。それほど多い数字です。海雲台の海でだけそうらしいのです。あなたがたが、たぶん数字の中に最も高い単位はクゴと言います。それは0が 100ケついたことです。敢えて計算ができません。海の砂のような知恵をソロモンが持ちました。エジプト王、あらゆる王たちの知恵をみな合わせたことより、すぐれていたのです。 そして、神殿を建てるのに18万名を動員して、7年間、神殿を建てて完成させました。全世界が驚くようになったのです。どのように、ソロモンに驚くべき祝福と知恵がくることになったのでしょうか?
 
■ 今日、堂々とソロモンは話しました。私が祈ったところ、こういう答えがきたのではなくて、エッサイの子ダビデの祈りが終わった。自信があるように話しました。おじいさん、父を話したのです。簡単に言えば、私のおじいさんエッサイが祈ったことと、私の父ダビデ王の祈りが私に答えになったんだなあという話です。こういうものすごい事をしながら、ソロモンが自信をもって話したのです。皆様の子どもがそのようなことが出来なければなりません。私の父、母の信仰と祈り。まちがいなく、他のことはみなだませても、これはだますことができません。皆様、違ったことは適当にやり過ごすことができます。皆様の家庭の霊的問題は、適当にやり過ごすことはできなくなります。早く福音を正確に握らなければなりません。皆様がもしムダン(霊媒師)の子どもがいれば、今が絶好の機会です。福音を確かに理解しなければなりません。皆様が経験してみたことではないでしょうか? 全世界でメッセージを聞く方達はご存知であるではないでしょうか? 今、私のメッセージを毎月受けるムダン(霊媒師)を知っているではないでしょうか? これは、絶対そのまま過ぎることができないのです。皆様が持っている霊的問題は、子どもにあてはまって、隠して過ごすことはできません。あまりにも驚くべきことです。それで、皆様が福音を正しく知ったということは、あまりにも簡単な話のように見えるのですが、そうではありません。皆様が神様の子どもになって祝福を味わうということは、過去の霊的、あらゆる問題は既に終わるようになったのです。より重要なことは、このようなことが皆様の子どもに伝えられるのです。皆様がした祈りがそのまま答えられるという事実がどれくらい驚くべきことでしょうか。それなら、私と皆様が今晩に出すべき決断があります。
 
■ 私は今回、神学院、宣教師訓練院の卒業式をする時、こういうことを話しました。その日がくる時まで。 そのタイトルを与えたのです。その日とはいつでしょうか? 一千万弟子が起きるその日まで。色々な問題があっても、その契約を捕まえましょう。このことは、今、冗談ではありません。全地域に共同体訓練場が立っています。その日がくる時まで。皆様、今日、私たちは重要な地域教会献身礼拝として集まりました。釜山市内に 700ケ所の地域教会立てておいて、伝道弟子を植えなさいということです。今日の1部はソウルでしました。全国、世界にいる方達は、祈ることを望みます。他の方法はありません。皆様の感情、勇気のようなものは関係ありません。皆様、ここに集まって、天を走る勇気があっても、これはハンカチであって、絶対に木ではないのです。どんなに苦闘して、ぺちゃぺちゃしゃべって話しても、違ったことは違ったことであって、正しいことが正しいことなのです。記憶しなければなりません。皆様が福音を正しく捕まえてこそ、皆様の過去、未来まで解決するのです。それなら、私たちがすべきことは何でしょうか? 祈りの課題を捕まえましょう。釜山市内全域に弟子を植えて、暗闇の勢力をうち破ることが地域教会です。皆様がいる所で祈りの答えを必ず受けることが、地域教会です。皆様、聖書をよく悟るべきです。ヨセフとダビデが、ものすごく苦労を多くしたようですが、行く所ごとに答えを受けました。地域教会です。パウロがこう話しました。四方八方から苦しめられても、私は窮することはありません。そのような人が集まった所が地域教会です。これを優先にして、釜山に700ケ所に弟子を立てましょう。本物の弟子を立てましょう。その時に、復活メッセージが答えになるはずです。福音が本当に事実だということが、私は確認できます。福音は本当に驚くべき事実です。
 
■ それなら、私たちの機能を持って宣教に参加しましょう。皆様、機能が宣教という単語と連結しない以上、絶対に未来の保障はありません。それが機能宣教です。あらゆる一般信者は、暗闇の問題に陥った人々を救うために祈りましょう。それが一般信者宣教です。その中で、私たちの教会なかで伝道運動を最も上手にやることができるのが、地域教会です。この契約を捕まえてくださることを望みます。違ったことは捕まえる必要が ありません。本物の福音を受けたのでしょうか? 問題になる必要がありません。本当に神様の子どもでしょうか? 何ゆえに気落ちするのでしょうか? 神様の子どもではないという証拠ではないでしょうか。本当に神様 の子どもならば、問題に勝つことができるではないでしょうか? 主は確かにおっしゃられていないでしょうか? パウロを通じてあなたがたが、神様の神殿であり、神様の聖霊があなたがたの中にとどまっておられることを知らないのですか。私がなぜだめなのでしょうか? 早く3つのことを悟らなければなりません。私が現場で今、負けているのです。それが地域教会という答です。私が今している仕事で崩れています。それで機能宣教という答を握らなければなりません。
 
■ 私が今、未来と子孫に対する答がありません。それが一般信者宣教です。契約を捕まえる瞬間に、神様は答えてくださり始めるのです。なんにも気落ちする必要はありません。福音を持ったダビデが行く道には、現在だけ答えがあったのではなく、未来まで答えがありました。皆様が適当に捕まえず、本当に捕まえることを願います。もし皆様に本当に難しい事がある場合もあります。しかし、この契約をよく捕まえて祈り始めるならば、それゆえに神様が答えを受ける門が開くようになるはずです。この働きは、どのように全世界に知らせることができるかということが共同体訓練場です。今日、祈りの課題を堅く捕まえて、皆様が答えを受け始める地域教会、一般信者献身礼拝になることを願います。
 
■ 皆様が福音の秘密を持っていない人を見るならば、簡単に分かるはずです。大部分の人々は、学校に行ったり、家に帰ったりするはずです。おとなは、職場に行って家に帰ったり、ご飯を食べて職場に行くことしかありません。実際の現場を見ることができないのです。大部分見ることができないでしょう。現場を本当に見るならば、これで神様が福音を下さったんだなと、すぐ分かるようになるはずです。どれくらい多くの人が苦しんでいるでしょうか? この福音を悟る瞬間、霊的な問題、サタンの力、罪と地獄の力が、皆様の家から永遠に離れてしまうはずです。皆様がこの祝福を本当に味わえば、子どもたちに伝えられます。心配することはありません。これから心配することは、ひとつしかないのです。どのようにすれば、私たち民族を生かすのか? これが地域教会です。本当に正しいならば、皆様に答が出てこなければなりません。皆様が本当に祈りの答えを受ければ、どのようにすれば私たちの周囲を生かすか? もっと正確に言うと、私たちの子どもが行かねばならない所の暗闇の勢力を、どのように破るのか? そのことひとつだけで答です。今、海外で世界へ散在した私たちレムナントを、どのように霊的問題から救い出すのか? 今、一般人はわかることができません。暗闇の力、サタンの力が、全地を占めているのに、どのようにせねばならないのか? そこに参加しようということが、宣教です。私たち一般信者がみな参加することが一般信者宣教です。
 
■ 教会の中には、機能を持った人々が多いのです。全部、宣教チームとして組みましょう。そして、本当に祈ってみましょう。それが機能宣教です。これがものすごく重要なことのようです。なぜならば、どんなに話しても悟ることができない話だからです。非常に重要なことは早くわかってしまってはだめだからです。今、私が何年かかけて機能宣教を編成されることを叫んでいるのに、わからないでいます。静かにきて話すのを見れば、分かっていません。教会の中に音楽する人々も多いのです。力を合わせて、宣教チームを作りましょう。勝手に回ることをせず、登録しましょう。私たちの勝手にせずに、一緒にするとことが機能宣教です。皆様が習った技術があるでしょう。自分の技術を私が好きなようにするのに、あなたがなぜそうなのかと言うと、機能宣教する必要はありません。私達がこれを持って、本当に正しく宣教に賛同すべきです。それが機能宣教です。理解できないことは、他の理由がありません。福音を悟ることができなかったのでもなくて、理解できないことは、考えを正しくできないからです。考えを正しくすれば当然なのです。あらゆる機能を持った人々が、正しく答えを受けなければならないではないでしょうか? それが機能宣教です。それで、暗闇の経済、暗闇、霊的な問題を倒さなければなりません。それで 'あなたがたは、行ってあらゆる国の人々を弟子としなさい。わたしは世の終わりまでいつもあなたがたとともにいます'. それが地域教会です。あなたがたが今は契約を正しく捕まえなければなりません。すると、本物の答えがくるはずです。
 
■ 神様は、皆様に答えをくださろうと呼ばれたゆえに、今、私が見ると、今がものすごく重要な時期だと思います。私たちの教会と皆様個人に、神様が私たちタラッパンに、ものすごく重要な時刻表です。それで、今日、地域教会献身礼拝をささげるようになりました。契約だけ捕まえましょう。すると、答えは神様がなさいます。違うように難しくせず、正しく簡単にすることを望みます。知らない道を違うように通わず、よく知っている道を正しく通えば便利です。それで、今日、全世界の私たちのメンバーに一般信者が生かされる地域教会運動の祝福が臨むようになることをイエスの御名でお祈りします。
 
<<契約の祈り>>
神様に感謝申し上げます。今日、私達に救いを下さった神様に感謝申し上げます。永遠な祝福をくださったことを感謝申し上げます。私たちの子孫に答えを与えられる神様に感謝申し上げます。私たちの過去の霊的問題が解決したことを感謝申し上げます。もうこれ以上、そこに陥らないで、私達に大きい契約を与えてください。釜山を生かす、各地域を生かす地域教会運動がおきることをお祈りします。私たちの機能が宣教に参加することをお祈りします。私たちが真にこの地域ごとに、世界宣教の門が開く宣教に参加になることをお祈りします。それで、この答えをあらゆる信徒が受ける、真の祈りの答えが始まるようにさせてください。私たちの主イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン