2004年5月30日インマヌエル教会聖日メッセージ


 1部/ 夫婦問題と家庭の祝福
(エペソ5:22〜33)
     
■ 蔚山にくると、若い都市だという気がします。ものすごく活気に満ちていて、美しいと感じるのです。今、あなたがたの顔が全世界にインターネットで送られています。釜山から指揮者も来て、聖歌隊、按手執事も来て、長老たちも来ているから、家族のような心になります。先週に続いて、家庭の祝福が臨む日になることを望みます。
 
■ だれかが冗談だと、こういうことを話しました。あくまでも冗談です。冗談ですが、考えるべき冗談です。天国に行ったということです。長老が天国に行って見たら、一名ずつ天国に上がってくるのを見たということです。そうしたら、神様が審判をしていらっしゃるのですが、牧師が来たら立ち上がられるのでした。その上に、ざぶとんも与えられるのです。それで、長老が考えるのに、やりすぎだと思ったのです。地上でももてなされて、天国にきてももてなされるのかという気がしたのです。それで、神様に質問をしたということです。神様、地上でも牧師はもてなされるのに、天国にきても接待を受けるのかと質問しました。そうしたら、あまり来ないのに、一名が来たから、うれしくてそうしたと返事されたそうです。色々な意味があると思います。福音がないという話です。多くあるけれど、福音を正しく伝えなかったということです。この福音がないために、皆様は福音だけ捕まえれば、時代的な答えを受けます。受けるしかないのです。そして、蔚山を絶対に生かすべきだと決心するならば、代表的な祝福を受けるようになるはずです。私達が本当に次の世代を生かすべきだと悟るならば、記念碑的な祝福を受けるようになります。
 
■ 既に大学は深刻になりました。既に大学は学校ではなくて、資格証明を取る所に変わってしまうほどになってしまいました。それでも卒業して出てくれば、30%しか就職できません。その風が中、高等学校に吹いて、中、高等学生も学校を変に見て、先生を先生だと見ません。こういう時代がきました。小学生まで先生に反抗するようになりました。なにかをみななくしたということです。それで、私たちは考えるほど次の世代を正しく育てるべきです。本当にそうならば、神様は記念碑的な祝福を下さるはずです。
 
■ 私は外国に通いながら、私が立派でよくするからではなくて、レムナントを生かすべきだという心を持つようになりました。その時から神様は正確な答えを下さったのです。それで、あなたがたも、そのような答えを受けることができます。理由がひとつあります。キリストを知っているためです。一般の立派な人も知らずにいるキリストの秘密を知っているためです。皆様の中に、自分は教会に通ってキリストを理解するという人がいるでしょう。イエスを信じない人々は、キリストがすべてなのか話すことがあります。教会に初めて来られた方は、キリストが何かと質問することがあります。そのひとつを説明するために、イスラエルを立てたり、倒すこともされました。人間に絶対に必要なこのひとつを説明するために、神様は入っていく国ごとに強大国にされました。これひとつを終わりまで拒否したイスラエルを、神様はとても難しくさせました。これくらい重要な福音です。
 
■ それで、皆様が福音をどの程度まで味わえば良いのでしょうか? 私がキリストをどれだけ知っていれば、良いのでしょうか? 説明をよく聞けば良いのでしょうか? もちろんそのようなことがあります。しかし、私は皆様に3つの基準を言います。どんなに良くない夫、どんなに良くない妻に会ったとしても、最高の祝福を味わうことができることがキリストです。皆様がどんなに良くない現場にいても勝利できることがキリストです。どんなに教会の環境が良くてなくて、迫害にあっても、恵みを受けることができるのがキリストです。この三つが基準です。それで、この基準を捕まえなければなりません。
 
■ 皆様があまり良くない夫に会ったのでしょうか? 最高の祝福を味わうように願います。それがどのように可能なのでしょうか? キリストの秘密の中にあれば可能です。ここにはレムナントがたくさんいます。皆様がどんな場所にあろうが、恵みを受けることができる秘密がなければなりません。その程度になれば、キリストをよく知っていることです。どこでも勝利できます。ヨセフがそうであって、パウロがそうです。その程度になれば、キリストを知っていることです。この程度の祝福を味わうことを願います。私は家庭、家系、家族が良くないことがあります。そちらで最高の祝福を味わうべきです。それがキリストの秘密です。
 
■ 私が前にも話をしたでしょう? 集会を終えて出てくるのに、路地に誰かが立っているのでした。私は警護するチームが付いてまわることが恥ずかしいのですが、こういうことゆえに、やむを得ず付いてまわっています。外国には精神がおかしな人が多くいるために、突然に現れるのです。その人は、終わった後に立っていたのです。この人は、精神異常の人ではありませんでした。目を見たら、正常な人でした。先生に相談があるということでした。1分で良いと言いました。自分は神学生だと言ったのです。私は伝道師なのですが、先生の集会に参加して、最後の話を聞いて終わりを下ろそうとしているということでした。自分はとてもおかしな夫人に会ったということでした。自分自身にしばしば牧師をするなと言ったのです。牧師をせず、お金を儲けるべきで、牧師をしてどのようにお金を儲けるのかと言いました。そして舅、姑も来ることができないようにするということでした。その人の話しではそうでした。そして、自分をあまりに困らせるということでした。伝道師なので、生活が難しくないでしょうか? それを持って困らせるということでした。それで、こういう女性とどのように暮らすことができるでしょうか? 先生の最後の講義を聞いて、相談して終わりを出すべきだと考えてきたということでした。1分で言うと言ったのに、5分になりました。
 
■ 簡単に説明をして上げました。神様があなたを大きいうつわとして、用いられようとしているのだと言いました。今までソクラテスをはじめとして、あらゆる力ある人物は、女の人が異常でしたと言いました。あなたが、たぶん大きい人物になるだろうと言いました。ソン・ヤンウォン牧師を見てくださいと言いました。だから、この人が話を悟ったのか、うなずいていました。キリストのなかでは、みなできると言いました。もしできないならば、神様があなたを祝福されるでしょうと言いました。 '私を強くしてくださる方にあって、どんなことでもできるのです' 今日、皆様とインマヌエルの家族と全世界の私たち使命者は、必ず3つのことを記憶しなければなりません。
 
■ 一番目です。なぜしばしば社会問題がくるのでしょうか? どのように考えるでしょうか? これは、どこでも教えることではありません。答を出すことができないのです。なぜ大統領になって、指導者になれば、変になるのでしょうか? そのように良くする人が、大統領になれば下の人々と不正をするのでしょうか? 人々は成功すれば、なぜ変になるのでしょうか? そして、成功した国であるほど、おかしな問題がくるのですが、なぜそうなのでしょうか? 先進国であるほど、麻薬患者がより多いのですが、それはどのようになったのでしょうか? 一言で、なぜどんどん難しくなるのでしょうか? 聖書でだけ答を知ることができます。その程度ではありません。こういう問題が、どこから開始したのでしょうか? よく見分けることもできません。それで、何にも知らずに結婚するのです。大部分の人々が、知らずにするのです。単にするのです。どのように生きなければならないかも知らずに、困難がきた時は、どうすべきかも知らずに、やられてしまうのです。
 
■ ある人は結婚して、子どもを産んだのに、子どもに障害がありました。これが、なぜそうなのでしょうか? それで、次は怖がって子どもを産まなかったのです。それで多くの心配をします。健康な子どもを産むべきだということで、また子どもを産みました。今回はより一層激しい子どもを産んだのです。これが、なぜこうなのでしょうか? そのような程度はかまいません。不思議に子どもが精神が異常なのです。こういう問題が地球上に、あまりにたくさん起きています。ほとんど知らずにいるのです。それが原罪で、人間に来る根本問題です。こういうものが現れる所が家庭です。正確に話せば、家庭問題ではありません。元々あった問題が家庭に現れるのです。なぜなら、私たちが生活を最も根本的にする所が家庭だからです。だから現れるしかありません。
 
■ あの男性が本当に心が狭いという時、教会では分かりません。家庭では分かります。あの女性が、本当に異常です。外では分かりません。しかし、家庭では知ることができるのです。家庭問題ではなくて、それしか仕方がないのです。こういう困難が、家庭の内に入るので、今、よく生きている、いないかではなくて、深刻な困難がくるのです。それで一番たくさんくるのが離婚です。やむを得ず暮らす人もありますが、離婚するのです。そうしたあと見ると、ついてくる問題があります。子どもの問題です。次の世代が家を出て、回って、大騷ぎになっています。これが全世界に起きる問題です。皆様、家庭の困難にあえば、誰でも勝ち抜くことができません。こういう問題が、なぜ起きるのでしょうか? 学校では教えてくれることができません。これは、どんな所でも教えることができないのです。唯一、聖書だけで教えています。私はそれで、自信をもって僧侶、神父に福音を伝えることができるのです。これを必ず記憶しなければなりません。この答が聖書にだけあります。皆様が知らない間に問題が起きたのですが、これを原罪と言います。皆様の習慣、失敗から起きることは罪過で、皆様と関係なく起きることが原罪です。
 
■ ところが、この原罪は3つのことがついてくるのです。私と関係なく、災いがずっとついてくるのです。私と関係なく、霊的なサタンの問題がついてくるのです。そして、何かも分からないのに、暗闇の方向にどんどん陥るのです。これが原罪の特徴です。それで、神様がキリストを送られたのです。簡単な答えです。これは千回、万回聞いてもかまわないのです。神様がキリストを送った理由は、皆様に何かを多くしなさいと送られたのではありません。皆様にものすごいことを作り出せとキリストを送られたのではありません。皆様が多くすべきですが、それのためではありません。時間が経つほど異常になる霊的な問題を解決するために、神様がキリストを送られたのです。運命を解決するためにキリストを送られたのです。どんな場合にも勝つことができません。それでヨハネ14:6に 'わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。' マルコ10:45には、あらゆる罪をあながうための、あがないの代価としていらっしゃったと言われています。それでIヨハネ 3:8には、悪魔のしわざを打ち壊すために来られたと言われています。それで '受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった' たくさん聞いた言葉ですが、ものすごい言葉です。本当に信じれば、死からいのちに移っているのです。罪と死からあなたがたを解放するのです。これが一番目です。それでキリストという単語を知っていなければならないのです。ここから家庭が出発するのです。今日の本文に出てきました。妻は夫にどのようにすれば良いのでしょうか? キリストにするようになせば良いのです。それはキリストを知っている時に言う話です。キリストがわからないのに、どのようにキリストにするようにできるでしょうか? そして、夫にどうするように言われたでしょうか? キリストが十字架で死んでくださったように、妻のために 死ななければならないと言われました。すると終わりです。キリストを知る時、可能なのです。キリストがわからないのに、どのようにキリストのように死ぬことができるのでしょうか? キリストがわからないのに、どのようにキリストにするようにできるのでしょうか? ここで家庭問題が全部、解決します。
 
■ 若い方達は、全部、結婚をしなければならないでしょう。私たちは誤った多くの夫婦観を持っています。そして、誤った家族観を持っているのです。誤った結婚観を持っています。まず最も誤って考えていることが、自分のものだと考えることです。結婚すれば、自分のものだと言います。だから自身勝手にするのです。考えも自分勝手にします。夫人も同じです。夫が自分のものだと考えるのです。正しい話しですが、それで、あらゆる問題がみな起きます。だから多くの問題が起きるのです。妻は自分のものではありません。神様のものです。救われた者は違うのです。それは未信者が言う話です。私の妻で、息子で、夫が自分のものだということは未信者が言う話です。神様のものです。私の子どもが神様の贈り物で、私の夫が神様の子どもで、私の妻は神様の娘です。これが違うので、しばしば問題がくるのです。必ず記憶しなければなりません。
 
■ それで、神様が皆様に使命3つを与えられました。皆様を通じて、家系のあらゆる霊的な問題が解決するはずです。祭司長的使命です。皆様ゆえに、家族、子孫まで福音を理解するようになるはずです。預言者的使命です。皆様ゆえに偶像、迷信、悪霊が全部関係なくなりました。王的使命です。キリストがこの三つのことを完成なさったのです。そして、あなたとともにいると言われました。Iペテロ2:9に、そのような使命を下さったのです。必ず記憶しなければなりません。これを記憶できなければ、家庭、夫婦、何の意味もありません。未信者と全く同じことです。
 
■ 今、クリスチャンが考えることが、未信者と全く同じです。救われることができなかった者と全く同じ考えをするのです。だから、やられてしまうのです。私たちは神様の子どもです。皆様が今から妻をみつめる時、未信者のように考えないように願います。神様の娘です。そのような目で見なければなりません。この神様の 娘を私の妻にくださったのです。夫を見る時、神様の息子です。子どもを見つめる時、神様の贈り物です。このように見なければならないのに、未信者のように見るのです。自殺する時、子ども達とみないっしょにします。だから、だめなのです。あなたがたは、必ず捕まえなければなりません。あなたがたが、家庭を作る時、使命3つを必ず捕まえなければならないのです。Iペテロ2:9 聖書箇所を記憶することを願います。
 
■ 前にも私が話をしたのですが、説教をしてくれと言われたら、苦しいことはありません。ところが、名前をつけてくれと言われたら、つらいのです。どのようにつけるべきか分からないのです。他人の名前をつけてあげることは、只事ではありません。誤ってつけたら、一生、どれくらい難しいでしょうか? 本当に、皆様が電話帳を見てみてください。本当におかしな名前が多くあります。チョン・チャンニュ(遊女)というように、本当におかしな名前が多いのです。そのような名前をなぜつけたのか分かりません。名前を見れば、その親の水準がわかります。それほど名前は重要です。それで、私はIペテロ2:9 を捕まえて祈ります。そこから出てきた答を捕まえて名前をつけるのです。そうでなければ、イザヤ60章やイザヤ43章を見ながら、子どもの名前を考えます。なぜなら、私たちに使命が大きいためです。
 
■ 2番目に記憶しなければならないことがあります。本当に夫婦にある問題は、どのようにするのでしょうか? あなたがたが、まず考えるべきことがあります。必ず、夫、妻、他の人を理解する時、背景の理解からしなければなりません。それを弱点と見るのではなくて、背景を理解しなければならないのです。ずっとムダン(霊媒師)の下で育った息子が、イエスを信じるようになったのです。皆様がその背景を理解しなければなりません。そして、神様なく霊的に困難にあうしかないでしょう? 背景を理解してこそ、その人の霊的な問題を 理解することができます。それでこそ、アガペーの愛がなにかを理解することができるのです。このように、夫婦が理解しなければなりません。これができなければ、大変なことになります。それで、私がこの前、何度か話したではないでしょうか?
 
■ 女と男は、違います。そのようなものも理解しなければなりません。男は女と反対になる体質もあります。そうでない男性もいますが、ある男性は夜に寝ないで、釣りをしようと通います。家に帰ってきて疲れていると言っているのに、人の家で友達にあえば夜を明かしてします。変に山に登ったりします。神様がそのように男を作られました。男同士で集まって、花札も打つようにさせられたのです。女性がしばしば干渉して、付いてまわって、文句を言うのは、可能ならば夫が早く天国に行けという意味です。女の人は、細やかです。女性は、男性に大きいことを要求することがありません。小さなことを要求します。ところが、男性は、これをまた理解できないのです。また男性が理解できないことが多いのです。女性は、手紙を小さく書いても喜びます。女性は、花を持って行けば感動を受けるのです。一度は、家内が言いました。ある執事は、何かが起きたら、あやまる意味で花を持ってくるということです。それで、私が簡単に返事をしました。花が何で必要なのかか? 私が花だと言いました。ろうそくのあかりをつけることで、感動を受けます。男性は、そのようなことに感動を受けません。男性は、創造的で、躍進するので、細やかではありません。こういう部分をお互いに理解しなければなりません。それは、霊的問題ではなくて、お互いを理解することです。女と男が戦うのを見れば、おもにささいなことでけんかするのです。
 
■ ある牧師夫人が、牧師夫人達が集まった所で、夫とのジレンマをいくつか書きました。自分を無視すると書きました。無視するのではなくて、最も気楽だからそのようにするしかないのです。だから、お互いに理解 しなければならないのに、理解が良くできないのです。まずどこかに行こうとしたら、女性は、複雑です。私たちは出てくる時、顔を洗ってローションを塗れば良いのですが、女性は、下から上へ付けるのです。私たちはポケットが多くて、どこにでも入れれば良いのですが、女性は、ポケットがなくて他の所に入れなければならず、なにか複雑です。引っ越ししているようです。こういう部分が理解ができないので、ささいな部分を持ってけんかするのです。こういうことはかまいません。しかし、霊的な背景は理解していなければなりません。
 
■ 夫がしばしば家を出るのです。悪いことをするのではないのに、しばしば家を出ます。それで、奥さんが理解できなくて、しばしば何かを言うのです。だから奥さんをきらうのです。この人を知ってみたら、幼い時、父母なく多くの困難にあったのでした。皆様、子ども達が育つ時、親がどのように教育したのかが重要です。皆様の子どもが育ちながら、正常な子どもならば友人と交わるべきです。正常な子どもならば、友人とか交わって、父母に隠れて酒も飲みます。男の子は、それが良いのか、悪いかも知らずに接するのです。子ども達と好奇心でタバコも吸います。中、高等学生達が、そのようにします。父母がどうなのかにしたがって、問題がくるのです。むかしの父母は、理由もなくしてはならないと言いました。だから、子ども達がしないか、崩れるか、なにか問題がくるのです。ところが、これを正しく理解させる父母がいないのです。だから、父母がいやなのではなくて、そのようなことがいやなのです。
 
■ 皆様、友人と遊べば、どれくらいおもしろいでしょうか? 家に帰ってきたら、父、母が小言を言うのに、友人と遊べばおもしろいでしょう? このような時、おもしろさを感じれば、霊的な問題がくるのです。こういうものは、私達がほとんど理解できずにいます。皆様が妻、夫、その部分が理解することが、一番目です。すると、正しく祈るようになります。もし夫と妻がいやされなければ、どのようにするのでしょうか? そのようなこともあります。そのようになれば、どうなるのでしょうか? すると、神様は最高の答えと祝福をされるのです。例を上げます。ヨセフの場合には、自分の家族があまりに異常でした。ダビデの場合は、あまりに追われて、おかしな義父に会ったのです。ところが、ダビデがその背景を理解したのです。ヨセフが背景を理解したのです。それで、彼らのために祈ったのです。ところが、彼らは変わりませんでした。しかし、神様は彼らを本当に祝福なさいました。
 
■ 皆様に、本当に神様の真の祝福が始まることをイエスの名前で祝福します。必ず記憶しなければなりません。霊的問題がある夫婦をどのようにするのでしょうか? まず皆様が理解するように願います。背景を理解しなければなりません。すると、見る目が変わります。以前はおかしかったのに、そのように見えないのです。以前は変に対話できなかったのに、そのようになりません。なにか違うように見えるのです。それとともに、本当の祈りが出てきます。この時、神様は答えをなさるだけでなくて、相当な祝福をなさるはずです。
 
■ 最後の三番目を記憶しなければなりません。根です。根を必ず記憶しなければならないのです。皆様、普通、この部分を普通の人々は、重要でなく考えます。私の家の庭に、おかしな草がはえて、庭が変になりました。根を抜かなければならないのです。ところが、根を抜かないとどんどん生えてきます。皆様、もし家に雑草があるならば、根を抜いてなくさなければなりません。上だけ抜けば、また出てくるのです。また出てくるだけでなく、深刻化するのです。霊的な問題もそっくりです。
 
■ 皆様の信仰生活に家庭を考える時、必ず記憶しなければならない部分があります。本当に不思議です。熊が死ぬ時、自分が生まれた穴へ行くらしいのです。人も本当に不思議です。皆様が根を変えないと、信仰生活をそのようにしたのに、どんどんその問題へ行くようになるのです。これが三番目に必ず記憶しなければならないことです。ほとんど、みな人々はそのような方向へ行きます。それで、皆様の個人、子ども、教会、家庭が根を変わらなければなりません。こういう準備をしなければならないのです。家庭でこの三つのことが記憶できなければ、大変なことになります。どんなに皆様が勉強しても関係ありません。皆様が外で、どんなによく遊んでも、この三つに落ち込みます。
 
■ 整理をすれば、元々人間が持っていた霊的な問題、2番目は皆様の夫、妻、家族が持っている霊的な問題、三番目はとても重要な根です。この部分を変えなければなりません。それで、死からいのちに移ったのです。皆様、私達がこういう部分をよく知らずにいるので、年を取りながら、元々の部分に陥るのです。
 
■ 私は6.25(朝鮮戦争)の時の大学を見ました。そして、韓国の多くのことを見ました。両親で見て、教会でも見ました。見れば、根深い問題が簡単なことではないということが感じられました。それで、それに対して、多くの考えをしてみたのです。それで、私が一番目に得た答があります。信徒にこの根をおろすようにすることができなければ、私は信徒を滅びるようにすることです。それで、礼拝をささげる時ごとに、メッセージ、福音をしばしば与えて、根をおろすようにさせようと決心したのです。そして、訓練をどんどんして、根をおろすようにすべきだと考えたのです。そして、集いを作って根本的に勝つようにすべきだと考えました。そうでなければ、結局、そのようになって行くのです。本当におかしなことです。皆様が少しだけでも悟っても、働きが起きるはずです。それで、皆様がこの部分を認めるだけでも答えがくるはずです。神様が与えられたこれは、簡単な話ではありません。聖書の他には、こういう答が出てくることができないのです。神様が私を家系と夫、妻、息子とよく食べてよく生きるという、話にならないとのことを思うようになるはずです。相当な使命で霊的な部分と関係しているのです。たぶん皆様が不思議に思うことが起きるはずです。この契約を悟るだけでも、みわざが起きるはずです。答えがくるはずです。契約を捕まえるその瞬間から、神様は働かれるはずです。全世界、米国をはじめとして、海外にいる私たち使命者は考えてみるように願います。今、皆様はどんな立場にあるのでしょうか? 一つも難しいことはありません。皆様がこの契約を捕まえる瞬間、答えがくるはずです。
 
■ 私は教会に行って見て、これではないという気がしたのです。私達が集まって、夏の聖書学校のようなものを多くするでしょう? それを見て、これは違うと、その考えだけしたのに、答えがきました。私が先週、説教をしながら、そのような話をしたでしょう? 小さいことを持っても、私たちは答えを受けることができます。私が伝道運動をするようになったことは、夏の聖書学校の時です。私が喉はすごく強いのですが、夏の聖書学校をし終えれば、喉がかれました。そして何にも残ることがなかったのです。その時、これではないという気がしたのです。子ども達にみことばが入っていくように、どのようにしなければならないか? 教室のなかで一度にするので、どのようにみことばが入っていくでしょうか? どれくらい簡単な考えか? すると、子ども達がみことばを聞くようにするために分けなければならないのです。分けるためには部屋が必要です。私たちは、考えが固まっているので、教会が大きくなければならないと考えます。その時、私の頭の中にかすめたことがありました。信徒の家が全部、部屋ではないか? こういう気がしたのです。それで、子ども達を地域に分けたのです。午前には集まって、午後には散在して聖書勉強をしたのに、それが大ヒットしたのです。子ども達がみことばをわかり始めたのです。ところが、聖書を見ると、毎日神殿で、毎日家でとなっていました。ルデヤの家、プリスカの家だとなっています。難しいことではありません。今日、皆様が新しい目だけ開かれれば、本当の新しい答えを受けるようになるはずです。私たちは、訳が分からなくて、家庭を作って結婚して暮らしていたのに、こういうことがあるのです。こういう使命があるのです。これを知っていれば、皆様の最後は、どのように終わるでしょうか? 答がすぐ出てきます。必ず終る時、皆様が一番始まりのところで終わるのです。
 
■ ある人が田舎で貧しく暮らしていて、都市で信仰生活して教会生活をしながら、祝福を受けたのです。結局、年をとったら、変わって、むかしそのままになって亡くなるのです。私たちは、そのような部分をほとんどよく知らずにいます。悟りさえすれば、働きが起きます。今日、皆様の使命がどれくらい大きいのかを、聖書では明らかにしています。それで最後に、必ずその切なる思いを抱くように願います。神様は皆様を通じて、皆様の家系のあらゆる災い、運命、呪いをみな変えようとされます。神様は皆様を通じて、子どもだけでなく、家系の福音の光を伝えようとされるのです。神様の目的は、その程度ではなくて、あらゆる偶像、霊的な問題、呪いがあります。それから全部切られるのです。今までこういう問題がくるしかありませんでした。この契約を捕まえる瞬間から、答えが始まります。一人ももれなく、この祝福を受けるようになることを主の名前で祝福します。蔚山を生かす大きい神様の証人になることをイエスの御名でお祈りします。悟りさえすればよいので、祝福があるのです。代表的、真の記念碑的、時代的な答えを受ける、蔚山インマヌエルになることをイエスの御名でお祈りします。
 
<<契約の祈り>>
神様に感謝申し上げます。今日、私達が家庭に対して重要なことを悟りました。なぜ家庭が崩れて、なぜ家庭が重要かを私達が悟りました。夫婦の霊的な問題が、私たちの使命で、祝福であることを悟りました。ここに 座っている方、メッセージを聞く方達ゆえに家系の根が変わる神様のみわざが始まるようにしてください。生きておられる主イエス・キリストの御名でお祈りします。アーメン
 
 


 2部/ 家庭経済
(詩127:1〜5)
 
■ 私がこういうことを考えました。これから米国に行けば、私の息子に会って、何時間ずつ話をすべきだという話です。私より、私たちより、とても経済に優れた方達が多くいます。ところが、私が見ると経済をよく知らないようです。特に聖書にあることを、よく知らないようです。すると、私の息子が習う所がないために、私が聖書にあることを持って話をしてやらなければならないという気がしたのです。私と外で仕事をする人との契約があります。すると、その契約を守ってくれれば、ハンカチを一枚与えるとすれば、ハンカチが重要です。私がその人のために仕事を多くすれば、ハンカチを2枚与えるとすれば、ハンカチがとても重要です。ところが、そのようにすれば煩わしいから、金を与えるようにするのです。そのようにすれば、煩わしいから字で作ったお金を与えます。そのようなものであって、お金はそれ以上でも、それ以下の意味でも、絶対にありません。ところが、ある人はお金が最高だと話します。そのようになれば、本当に困ります。私達が水を飲むために、水の流れを探すことは重要ですが、水は重要なのではありません。すると、もし私達が仕事の代価で 花を与えるならば、皆様は花が最高だと言うはずです。私の話を理解したでしょうか? (通訳する人が理解できませんでしたが。)どうしてお金が最高でしょうか? 仕事の代価で与えるのです。すると、お金が最高ならば強盗でもするはずです。そのように悟れば霊的問題がきます。
 
■ それで、ユダヤ人たちは、このように教えます。お金、神様。それが誤っているのです。それでユダヤ人に問題がくるのです。お金は、すなわち神様だとユダヤ人たちは教えます。幼い時、子どもが言葉を理解するようになったら、山に連れて行って、絶壁で木を捕まえるようにして、手を離しなさいと言います。すると、離せば死ぬから、子どもが離すでしょうか? この父が子どもに離しなさいと命令します。子どもは、父は離せと言うけれど、離せば死ぬだろうから泣きます。あまりに怖がるから、何か間違ったのか思って、父に赦してくれと言います。その時、父が話すのです。「赦してあげるから私の話を記憶しなさい。あなたが握っている片手が神様だ。あなたが握っているもう片手はお金だ。」このように教えるのです。ですから問題がくるのです。片方を見る時は、本当に正しいのに、もう片方を見る時は違うのです。普通、そのように教えます。
 
■ 中国の人々は、ものすごく忠実で、誠実でお金を儲けると教えます。おもに見れば、日本の人々は、ものすごく実利的に教えます。米国人は、お金を原則的に、法的に教えます。それで、原則を守ることができない人は米国に行けば、すぐに乞食になります。後進国であればあるほど、お金が神です。私たち韓国のおとなは、お金ならばすべてできると考えます。あまりにも経済を知らないのです。そのように私達が教えるならば、私たちの子ども達は、まちがいなく滅びるはずです。私が持っているポジションに従って、経済がきます。私が流す水にしたがって経済がくるのです。それが仮りにお金でなくて、ハンカチならば、ハンカチが来るということです。これを見て最高だと話してはならないのです。私達がなにかを誤って教えて、習っているのです。
 
■ それで今日、私達は私たちの子どもに、この部分を正しく教えなければなりません。もちろん、私の話ではありません。聖書にある話ですから、私たちは家庭の月を話しながら、この部分を見なければならないのです。レムナントは習うべきです。そして、私たちの子どもに教えなければならないのです。それで、私が私たちの息子に教えねばなりません。そして、本を一冊ずつ渡して、読んだ後、次に会えばフォーラムをすべきだという気がしました。あのような式で米国に置けば、まちがいなく失敗します。あそこで食べていきるため、苦闘すれば、信仰もならなくて、これもならなくて、あれもならなくて、何にもなりません。ずっとそのような考えになります。それで会って話すべきです。皆様が子どもに話して、教えなければならないのです。何を教えるのでしょうか?
 
■ 最初です。経済観を正しく教えましょう。経済ではなく、経済観を正しく教えましょう。経済観ということは何でしょうか? これは、未信者は知らない話です。3つのことを教えなければなりません。未信者に与えられる経済と、信者に与えられる経済と、使命者や伝道者に与えられる経済が違うということを知っていなければなりません。それをまず悟らなければならないのです。未信者にも経済を与えられます。神様がくださらないでしょうか? なぜくださるのでしょうか? 社会が維持されなければならないからです。鄭周永氏にお金を与えたので良かったのですが、私に対して与えていたなら、私は福音を伝えることができません。なぜならば、その方がいてこそ、社会が維持できるのです。その方たちがいてこそ、私が飛行機に乗って、ここに来ることができるのです。ですから、未信者に経済を与えられることは、社会維持の次元で神様が与えられるのです。その部分ができなくなれば、その人も滅びるのです。ところが、それも知らずに、ものすごく迷信的に私が以前には良い生活をしたのに、いまは滅びたという式で話すのです。
■ 過去に私たちの前の時代は、熱心にして、無条件にして、忠実にしました。今はそのようにしてはなりません。今は、雑貨屋もそのようにすれば滅びます。今は既に人々に必要なことをまず分析して、この頃はメガマートを作って売らないとなるようになりません。以前には、銀行が座ってそのまま貯蓄して貸したのですが、いまはそのようにすれば銀行が滅びます。今は顧客とのことを自分が分析しなければならないのです。それでこそ生き残れます。変わっているということです。それで、私たち学生達がまず知っていなければならないことは、未信者に経済を与えられる理由も、私たちは知っていなければならないのです。
 
■ しかし、信者にだけ与える理由がまたあるのです。そして、伝道者にくださる理由がまたあります。この部分を明確にしないと、いつか皆様の信仰は揺れるようになります。お金を儲ける前に経済観をまず知っていなければなりません。これを知らなくて学生達が外に行けば、世の中がすごいと見ます。教会はなんでもなくて、世の中はものすごいと錯覚するようになります。後ほどながめれば、なんでもないのに崩れるのです。それで、神様が時代ごとに伝道の使命を果たすことができる国に与えられる祝福は、また違うということを知っていなければなりません。
 
■ この三つのことを知っていてこそ、学生達が目が正しく開かれなければならないのです。それで米国が経済祝福を受けたんだなあ, すると米国はいつかは門を閉じるんだな。それで、ヨーロッパが祝福されたのだなあ。それでヨーロッパがこれから困難がくるのだな。このように総合的な分析する感覚がなければなりません。これで未信者も良い生活をするのだな。その人はいつ崩れるのか、そのような時刻表が出てきます。その時代と神様の目的に必要なくなれば、それから崩れるのです。合わなかったら、神様が容赦なく倒してしまわれます。それも知らずに私達が縁起が良いとか、悪いとか、運命がどうだと言うのです。そうするとだめです。皆様、学生達をそのように育てるのでしょうか? 私たちの子どもをそのように暗い目で育てて置けば、外に行けば大変なことになります。
 
■ 2番目です。私たちの子どもに献金観を正しく植えてあげなければなりません。そうするならば、詩篇127篇に確かに物質は神様がくださったのです。それを前提にしなければなりません。今日、詩篇127篇には'あなたがたが早く起きるのも、おそく休むのも、辛苦の糧を食べるのも、それはむなしい。.' 早く起きること、遅く横になれば、お金を儲けるならば、道で清掃する人々がみな儲けるはずです。 '主が町を守るのでなければ、守る者の見張りはむなしい。' その話は経済とこの重要な祝福が、神様の御手にあるということです。それなら、どのようにせねばならないのでしょうか? 私たちは確かにここでのがすのです。私が献金、献身からどのようにするかを決定しなければなりません。言わば "私が、一生、神様にどのように仕えるか." これから決定しなければなりません。よく見ましょう。それが聖書で答えを受けた人々の答えです。
 
■ 全く同じ人々が南米へ行って、北米へ行きました。全く同じ時代にです。北米へ行った人々は、"自分達がどのようにすれば神様によく仕えるか?" "私達がどのようにすれば、宣教師を多く送り出せるか?" こういう 考えをして行ったのです。しかし、南米へ行った人々は "どのようにすれば、私たち家族がご飯をよく食べるか?" としたのです。皆様がおわかりの通り、今、北米は金持ちになって、南米はまだ貧しいのです。皆様、これはそのまま聞き過ごすことができる話です。ある面では知らなくても良い話です。ある面では、後ほど発見してもかまわないことです。しかし、本当に答えを受けようとするなら、これから発見しなければなりません。私が何をするために、どのように神様の前で献金するか? その時から、それを置いて勉強して祈らなければならないのです。このように献金観から正しく持たなければなりません。聖書全体です。
 
■ これを悟ることができなかったアブラハムは、衣食住問題で苦労しました。ところが、ある日、知るようになったのです。神様が私を呼び出して、国々を生かすためのモデルで呼ばれたのだな。それなら "私はこの 福音のために神様が呼ばれたので、このようにせねばならない”という答を得たのです。その孫の孫ヨセフは、はじめからしっかりと悟りました。これがなんでもないことのようでも、ものすごく結果が違うように現れます。大部分の牧師たちが、自分が牧師になって福音を伝えなければと思っています。ですから、答えが来ても、来なくても、よく知らないのです。ところが、少しだけ "私がこのように福音運動して、このように訓練して、このようにせねばならない" と握ったのに、その時からは、全部答えで連結するのです。このように差が出ます。それで私たちの学生達が、今から祈らなければなりません。私たちは先輩やおとなを尊敬して、習うことも多いけれど、皆様が今、契約を必ず捕まえなければなりません。そのようにして、仕事をしなければならないのです。 "私はこのように神様に仕える" "神様は私をこのように仕えることを希望される." これができれば、その後から経済が正しく解かれていくのです。
 
■ 大部分がそうではありません。そのまま教会が何か順位があって、私達が恵まれれば献金して、信仰生活するのではないかと言います。レムナントが、皆様の子どもが、そのように習ってしまえば、皆様の子どもはそのような人になります。これがはじめには計画のように見えるのですが、時間が過ぎながら、ますます明らかになります。それで、これは簡単なことではありません。それなら "私の子どもと本当に話さねばならない."という気がしたのです。それでとても飢え渇くようになったのです。皆様の子どもは、どのようにするでしょうか? 私達がずっと祈っていて、どの程度になるべきでしょうか? ヨセフのように "そうだ。私が世界福音化のために、神様が私を呼ばれた."という明らかな答がなければなりません。私を王になるように、このようなことをするようにされたと、ダビデに明らかな答があったようになければならないのです。ここから正しい経済、正しい答がみな出てくるようになっています。
 
■ そして、私たちは私たちのレムナントと子どもたちに、何を教えるべきでしょうか? 少なくとも、経済学を体験させなければなりません。さっき話したように、そのような経済観と献金観を持っているならば、経済が何かを体験させなければなりません。私が見るには、家庭と社会、教会の三個がものすごく重要だから、この三つを体験させるべきだと思います。皆様がよく聞きながら、祈らなければなりません。誤って聞けば、ほとんど貧しく生きるようになります。家庭で経済学を体験させなければなりません。これがあまり父母がけちだったり、あまりにも浪費すれば大変な事になります。まちがいなく、皆様の子どもをおかしな子どもに作るようになるのです。簡単に話せば、皆様の子ども達が見る時 "私たちの父は素晴らしい" このように感じられるのに "私たちの父はものすごくけちだな" と感じればこまります。それが申し訳ないけれど、一番目に体験する経済学です。"私の父、母は、お金をたくさん儲けてきて、たくさん使うんだな."と感じられるならば、皆様の子どもは大変な事になります。 "私の父が守銭奴だな."と感じられてしまえばこまります。皆様の子どもたちが見て "私の父、母は、お金をこのように使うんだ."としながら習うのです。これが家庭で始まる経済学の体験です。
 
■ そして、私たちは、世の中で実際にお金を儲ける人々、実際にこういう部分を福音にあって体験しなければならないのです。必ずそのような実際的な勉強をしなければなりません。そして、私たちの子どもに教えてやらなければならないのです。そして重要なのは教会です。教会はこの二つが含まれているのですが、この二 つだけを教えては絶対にだめです。教会の経済は神様の力です。このように皆様の子どもが習うならば、間違いありません。家庭では事実を学んで、社会では専門性を学んで、教会では信仰を学ぶのです。もし、私達が社会で学ぶ事実性、専門性を持って教会の中に入っていって、信仰だけ抜いてしまうならば、皆様の子どもは信仰を失敗します。信仰は教えたのに、家庭で事実的なことと、外で専門的なものを学ばないならば、それは社会生活が失敗です。ここで役員と多くの職分者が注意しなければならない部分です。
 
■ 例えば、私たちは、こういう人材にどのように教えなければならないのでしょうか? 皆様の息子だと見た 時、どのように体験させなければならないのでしょうか? 父母が子どもたちに、経済の事実的なことを知っているようにしてやらなければなりません。すると、この子どもは外に行って、先生や教授を通じて専門的なものを見なければなりません。それで良いのでしょうか? そのようにだけすれば、信仰生活がだめです。教会経済の中には、神様の力というものすごいことが入っています。それを学ばなければなりません。これが重要です。私たちの学生達は、両親がそのようにしてやることが難しいのです。皆様が自らしなければなりません。今からそのようにしましょう。
 
■ 遠くから歩んできた私たち未来指導者訓練院の重要な学生達は、必ず記憶しなければなりません。まちがいなく、この学生達の父母は、そのように教えません。反対に教えるはずです。「貧しい。お金がない。」あればそれだけ食べることを教えるはずです。これから、それが頭に入っています。外に出てみると、全部、専門性があるか、まぐれでどのようにお金を儲けることができるかを教えます。教会に来たら、どのように教えるのか? 教会では、正しく信仰を習うことができません。それで滅びるのです。だから、皆様の子ども達に確かにしなければなりません。絶対に私の話ではありません。私は長い間、聖書を見て、現場を見ながら、私達がこの部分がだめだということを知りました。本当に良かったと思います。
 
■ 全く同じく私の家とお隣りが暮らしているのに、長老の家で、執事の家がありました。市場に行って見れば、私の母はいつでも少しだけ買います。そして、私たちの執事は、いつでも3袋、4袋ずつ買ってきます。どれくらい、裕福だったか分かりません。あの方たちは、よく食べて生きているのだと思っていました。その時は、太ったのが良いことなのかと思っていたのです。問題だけ生じれば、その家はお金を借りようと行きました。しかし、問題だけ生じれば、私の母は、どこに置いておいたのかお金を出しました。本当に幸いでした。私が受けた祝福の中で最も大きい祝福といえば、私は私の母から福音は習うことができませんでした。教会に通うようにはしてくれたのですが、福音は私が私の母に教えました。それは何年か前に私の母が告白しました。私は前に知らなかったのに、ずっと説教を聞いていたら、それで福音が分かったと言いました。ところが、一度も私の家に電話がきたり、手紙がきたり、人が訪ねてお金をくれと話したことはありません。
 
■ 本当に私の母はすごかったのです。それでとても良い母に会ったことに対して、私は今でも感謝します。お金を受け取りに来る人はいましたが、それは毎月、とりに来る新聞代でした。その他にはありません。たったの一度もありません。どれだけ正確に生きたかというと、一度も、十一献金ができない事がありませんでした。いつでも月給をもらったら、私たちが見る前でしました。全く同じお金なのに、新しいお金だけを選んで、十一献金をとりました。皆様、月給をもらったものがいくらもならないのに、十一献金を分ければ、どれくらい惜しいでしょうか? それでも分けました。私が今、考えれば驚くことです。教会の中に献金の種類が多いのですが、その種類通りみな分けました。先ず一番に分けたのです。十一献金、主日献金、女性宣教会、感謝献金等、一ケ月のものをあらかじめみな取り分けて、封筒に入れることを毎月、もらってきたらするのです。すると、私が夜に数えてみたのです。いくら余るのか? それで暮らさなければなりません。ところが、私の母の姿はものすごく堂々としていました。ですから、稼ぐことより、教会に出すことがより多いのです。いくらも儲けられないから、出せばいくらかしかなりません。それを私は毎月見て育ちました。本当に幸いです。それで今でも私が幼い時、貧しくて大きくなったのですが、お金に手が震える例は一度もありませんでした。お金を見て、おかしな心になったり、そのようなことはただの一度もありません。それがどれくらい家庭の教育が重要かということが分かります。お金に窮して、けちになったことは一度もありません。大きい幸いです。
 
■ それなら普通、そうでないから、あなたがたがここに対して考えなければならないのです。本当に経済は、事実です。そして、経済は専門性がある人にだけつきます。それを確かに記憶しなければなりません。そして、知っているべきで、本物の経済は、神様の御手にあるために、私たちは本当に神様の力を知る者に働きが起きるのです。このように、家庭、教会、社会で三個を必ず教えなければなりません。子ども達に教えましょう。教会で神様の力を教えましょう。必ず重要です。私たちは無条件に教会で得て、使おうと教えてはなりません。子ども達が、私達が力をつくして祈って答えを受けて、神様に仕えよう、このように教えなければならないのです。これが教育を誤ってさせるので、子ども達が成長して、大人になって異常なのです。だから、私達が教育をどのようにするか?によって、この人が生きるか死ぬかなのです。
 
■ 皆様が祝福を受けるべきではないでしょうか? だから、この信仰生活をしながら、神様の力を学ばなければなりません。皆様が信仰生活をしながら、色々ぶつかることもあるでしょう。そこで神様の力を学ばなければなりません。皆様がとても恵みを受けて、献金して、パートで使っても余らなければならないのです。こういうことを教えなければなりません。教会にきて私が益を見ようとするのではなく、教会に私が献身するように教えなければなりません。子ども達を私が教会を通じて何を得て味わうということではなく "私が教会にいのちをかけて献身すべきなのだな."と教えなければなりません。なにか教会が教育を間違っているのです。それで、いまはそのような時間がないのですが、むかしに子ども達が休暇に行く、どこに行くと言えば、私はほとんど取り消させます。あなた達が最善を尽くして、祈って集めなさい。それなら残るもの、足りないことは私が責任を負う。あなたがそのようにしないで、いいかげんに教会にきて、丸々出してくれという式で習っているのではないでしょうか。それは誤っているのです。私たちの教会が本物ならば、レムナントを育てることができる建築の予算が、原則的には残して積まれていなければなりません。ですから、幼い時、それを教えなければならないのです。私たちは、このように経済学を体験するようにしなければなりません。
 
■ 4番目です。なぜ、するとお金が多い人が滅ぶるのでしょうか? 皆様、お金がないからお金、お金と言うのですが、お金が多い人々はほとんどみな滅びます。なぜそうなのでしょうか? ここで世界観が開かなければならないのです。暗闇の経済。この暗闇の経済の中にいるために滅びるしかありません。それで、創世記1:27-28 を回復しなければならないのです。2番目です。家系に、家庭に流れる経済問題、家系と家庭に流れきた暗闇の問題、これが既に私の個人に形成されました。こういう問題が来るので、教会の中に迫っている経済問題、こういう部分の回復を知っていなければなりません。簡単に話して、暗闇の経済を知っていてこそ、霊的問題にやられないのです。これを私たちの子どもに教えましょう。私たちのレムナントは習いましょう。
 
■ 最後の五番目です。私たちレムナントが、家庭を通じて習わなければならないこと、基礎を回復しましょう。ものすごく事実的に、ものすごく誠実に、ものすごく機能的な、こういうことの基礎を学ばなければなりません。そして、あなたがたは、これからは、福音に対する答えと、祈りに対する秘密と基礎を家庭で確認しなければなりません。それとともに、2番目に習うことは何でしょうか?唯一性に対する答が出てくるのです。そして、本当に科学的に、子ども達が神様の子どもになったことが最高だなと確認しなければなりません。レムナント7人を見ましょう。それが確認できたのです。絶対に崩れません。皆様が必ず、それをしなければなりません。皆様が基礎を家庭で回復できなかったとするなら、皆様が回復させましょう。既に家庭で出来ないと考える学生達は、教会でしましょう。それで、各パートを作って置いた理由は、それを回復させてあげるために作ったのです。
 
■ それから、三番目についてくることが社会性です。使徒行伝 9章を見れば、全地域に伝道者が広がったのではないでしょうか? 学生達にお願いします。本当に祈って、福音に根をおろして、皆様が勝利せねばならないのです。しかし、休みの時、時間ができたら必ず読まねばならない本があります。ここに来た私たちの未来指導者訓練院の学生達は必ず読みましょう。私が見る時は、こういうものは必ず読まねばならないことです。もちろん、福音の手紙も必ず読まなければならないのですが、皆様が本当に読まねばならない本は、こういう ことです。まず中国人、ユダヤ人、日本人、こういう勝利した人、商人に対する本を早く読んでみましょう。そして、この頃は時代が良くて、よく作ってあります。米国で金持ちになった人々、韓国で金持ちになった人々、みな記録があります。そのようなことを、できるだけ早く読んでみましょう。そのような本を皆様の手から逃してはなりません。こういうことは間接でも体験しなければならないのです。これからあなたがたは、家庭を通じて、そのようなことを学んで、体験しなければなりません。
 
■ 基礎を確立しましょう。さっき話しました。この福音を正しく知っていれば、皆様に唯一の答えがき始めるはずです。家庭は社会の基礎であるために、社会勉強をしましょう。時間があるかぎり、この重要な本をずっと読みましょう。この頃は、記者がいて、本当によく書いています。単純な本でも、そのようなことをずっと読みましょう。私は今日も来ながら、本を一冊買いました。土地を買って金持ちになった人々の記録だけ読んでみました。読むことが多いのです。この人たちが、このように生きたのだなと、どれくらい習うことが多いかわかりません。そのような事実的なことを増えてみなければならない. それとともに、今は家庭では社会が始まるけれど、あなたがたが外に行って文化、こういう部分を家庭で習うようになります。
 
■ それで、家庭主婦に話すのです。家庭で目が丸くなるほど物が広まっていて、いる場がないなら、その人は絶対に人物を育てることができません。既に、他人が見れば、習った人、習うことができなかった人は、すぐ目立つようになります。私がこういう話をたくさんしないけれど、皆様が福音で勝利して、子どもたちが勝利するために言う話です。皆様が正しくできた人々を見れば、家を見れば分かります。これは金持ち、貧しいこと違います。私は米国で米国がなぜこのように汚いのかと軽んじたのですが、そうではありませんでした。皆様、ニューヨークで最高級の人物が集まった家に行ってみたことがありますがか? 完全に芸術です。皆様、L.A.で弁護士のビルディングに行ってみたことがありますか? 私たちとは比較できません。弁護士ビルディングに入っていくこともできないのです。ビルディングに入っていくのに、からだを検査して、名札をつけて入っていきます。どれくらい、この人たちが、正確かというと、入っていくのに、その程度ではなくて、中見て驚きました。これで先進国だなと思いました。驚きます。
 
■ 私のローレックス時計がゴルフを打っている途中で落として秒針がとれたのです。それをドイツに直そうと送ったのです。驚きました。3ケ月間、検査をします。最初に連絡がきました。まずこの時計のふたを一度開けたので、そのことを了承してください。自分たちが、今まで開かなかったのを、初めてふたを開けたということです。どのように知っているのか分かりませんが、それまで通報がきました。それから、連絡がきました。「この時計を香港で買った。保証書を送ってくれ。そうでなければ、直すことができない」と言ってきました。私は驚いたのです。それで保証書をまた送りました。この時計の番号が女性の時計番号です。それで男性の時計番号ではないために、「私たちはこの時計に手をつけることができまい。また持ってきなさい。4ケ月後に持ってきました。」持ってきながら気分が悪くありませんでした。これが先進国だな、韓国ならば十回異常は開けて閉じるるのですが、一度開けることまで記録してチェックするのです。これを誰がどこで販売してきたということまで皆知っています。これがどれくらい差が出るでしょうか? これが私たち韓国とドイツの 差です。どれくらいこの人たちが、先んじているか分かりません。正確です。社会を私たちの学生達は、そのように習わなければなりません。これは特別にしなさいということではありません。正確に知っているということです。
 
■ しかし、それだけ持っていれば、ヨーロッパのように滅びます。神様の力。なぜならば、私たちは文化を征服しなければならないためです。私はおとなにこういう話をしません。可能性がないためです。学生達を見て言う話です。これを持って、今は最後の重要なのが献金回復です。大きい目標を置いて、毎週フォーラムをしなければなりません。私が私の息子と会って、一番目に話すことが、あなたが何をして成功するか、それを置いて祈りなさい。あなたは、祈りの答えを受けたか? 祈りの答えも受けてないのに、何をするのか?あなたが男か?今、何の祈りの答えを受けるのか? それなら、あなたは神様の前にどのように献金して、献身するか? 何を持ってするか? そこに対するスケジュールは何か? それを置いて話すのです。そして、会う時ごとにフォーラムしながら確認するのです。難しくさせるのとは違い、正しく生きるようにさせてやるのです。今、私たちタラッパン運動は、単にするのではありません。これが緻密なスケジュールを置いて、私達がひとつずつ、ひとつずつ行くのです。その中のひとつが共同体です。共同体、これはこれから、どんな宗教でも、誰でも止めることができない作業をみなしておくことです。それで、あなたがたが今日、祈るように願います。
 
■ 明日、私たちは私たち韓国で一番大きい教団の合同側の総会役員と会います。この方たちが、率直に、あなた方は異端ではないから入りなさいという立場です。しかし、問題がいくつかあります。それをちょっと祈らなければならないのです。大部分、他のチームたちが、私達が正しくなることを願いません。柳光洙牧師と このタラッパンをする信徒が、いつも誤った道に行くことを待っているために、私たちがくることを嫌います。もちろん私が誤って感じているのかもしれません。私が見る時は、この人たちが、異端になってはならない、異端に仕えてはならないという、本当に神様の前でする心情ではなくて、柳光洙牧師は異端になれば良い、なってたわごとをちょっと言ってみれば良いと、このようにいつも待っているような感じを受けました。まるで、「私があの敵を殺すべきだ。あの敵を探して銃を持って付いてまわる。あの敵は必ず殺すべきだ。ところが、あの敵が死なないように白旗を持ち出した。白旗を持ち出すなと頼む。持ち出せば殺せないから。」まずそのような雰囲気です。そして、私たちタラッパンメンバーがそうです。何をしに行こうとするのか? 復興になってうまくいくのに、食べるものも多くて良いのに、することも多いのに、なにをしようと行くのかという雰囲気です。こういう重荷を担って明日、私が行くようになりました。今晩からそれを置いて祈って準備するはずです。
 
■ 私達がこういう信仰、教会の中で、私たちの子どもをどのように教えるのでしょうか? レムナントは、必ず記憶するように願います。これからは、時代的な決断を下しておいて、毎週フォーラムをしなければなりません。フォーラムとは何でしょうか? それをフォーラムしなければなりません。今日、皆様、契約を捕まえる 瞬間に、経済祝福の門がぱーっと開かれるようになることを主の名前でお祈りします。だいたい私達が聖書を 通じて確認してみて、話を聞いてみるとどうなのでしょうか? 私達が実際、経済祝福を受けることができなく なっています。私たちの信者が本当に祈らなければなりません。要約するなら、だいたいという話ではなく、事実的にしなければなりまえん。そして、専門性がなければなりません。そして、神様の力を信じなければならないのです。そして、献金を正しくしなければなりません。こういう答が出てこないでしょうか? 私がこれをいのちをかけて、神様の前に仕えるべきだ。そのようになるべきです。だから私たちは、いくらでもこの契約を捕まえれば、答えを下さる神様、働かれる神様が皆様に正しく答え始めてくださるのです。
 
■ レムナントは習いましょう。レムナントはこのように習わないで、皆様が社会に行くならば、まちがいなく困難がきます。これは教会によく仕えて、あなたがたの信仰生活を良くしなさい、そのような話しでも良いのですが、皆様が自分らのための話です。話を変えてするなら、あなたがたが今、大きい答えを受けて、教会と世界に向かった答を持っているということです。あなたがたが、神様の祝福を受けて、専門性と仕事が正しくなっているということです。皆様、これから家庭で本当に福音と経済に対する事実を学んだという話です。これが今までできなかったから、今はしようということです。なぜそのように努力するのにもだめなのでしょうか? だから暗闇が問題だから、私たちは勝つことができる答を皆いっているのです。それで今日、私が タイトル '家庭経済'と言いました。この家庭で始まるためです。それで、こういう部分を私たちレムナント、のがした人々は教会を通じて回復しなければなりません。皆様の子どもに、この祝福が必ず伝えられることをイエスの御名でお祈りします。
 
■ 皆様これを持って祈りながら整理しましょう。私が今、前後見境なく話したこともあります。もし皆様の胸中に理解がうまくできないかもしれません。しかし、結論を別の言い方でしようとするなら、これは真実です。皆様の子どもが正しい経済観を持っていなければならないのです。2番目に皆様の子どもがなぜ生きべきなのかという正しい献金観を持っていなければなりません。皆様の子どもが正しい経済学を体験しなければならないのです。4番目に言わばなぜ、世界経済人が死ぬのでしょうか? 正しい世界観を知っていなければならないのです。そして最後に、これらすべての祝福を家庭から回復しなければなりません。ところが、家庭で回復することができないために、私たち教会がこれを知って回復させて行きましょう。それがレムナント運動です。あなたがたが今日、この契約を握って大きい答えが始まる夜になることをイエスの御名でお祈りします。祈ります。
 
<<契約の祈り>>
神様、今日、真に難しいけれど、重要な話を私達が交わしました。私たちのレムナントを祝福してください。 正しい経済観があるようにしてください。神様を正しく仕える、正しい献金観を持つようにさせてください。世の中の人々をリードすることができる正しい経済学を体験するようにさせてください。全てのものみな持っても滅びる暗闇に陥った人々を生かす世界観を持つようにさせてください。この祝福を今から私たちの家庭で、教会で回復するようにさせてください。それで正しい栄光を神様に帰す私達になるようにしてください。私たちの主イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン