2004年6月20日インマヌエル教会聖日メッセージ


 1部/ 歴史の前で
(使徒27:24〜25)
       
・衛星で礼拝するあらゆる教会に、今日一日中祈る祝福があることを望みます。私たちタラッパンをする教会は、簡単に話せば福音を伝える教会です。何が違っているかというと、福音運動を本格的にする教会です。だから、私たち副教役者も外国に行ったり、講義をしたりします。しかし、福音運動をしない大部分の教会では、副教役者は息もしてはならない感じです。あらゆる希望をみな断ち切って、押さえています。たぶんほとんど そのようなのです。
 
・私もそのように息をできない状態にいたのですが、1987年でした。今から17年前です。その時は、たぶん9月だったと考えます。私が副牧師だったのですが、私の家に電話がきました。影島にいた方なのですが、私に会ってくださいと言いました。それで釜山駅くらいで会うようにしました。それで、喫茶店に行ったところ、二人がいたのですが、一人がパク・ウォンギュ長老で、もう一人執事が出てこられたのでした。私に言う話しが、三十名程が開拓で始めたということでした。それで私に自分の教会の担任牧師で招きたいということでした。私も押さえられて息も休めずにいたので、良いと言いました。長老がこう話しました。教会堂もなくて、何にもないということでした。それでも良いと言いました。ところが、牧師三十名の履歴書が来ているということでした。私を含めて、三十名もが来たいと言うと言いました。私が教会の雰囲気が分かるので、パク長老にこう話しました。三十名すべてに接触してみて、誰も来ないと言ったら、私に連絡をしてくださいと言いました。三十何名の信徒が牧師の説教を聞いてみて、牧師を決定する背景のようでした。
 
・2番目にこう話しました。説教はする時、本当にうまくいく日もあって、できない日もあると言いました。説教は神様のみことばであるから、人が聞いて良くする、できないとは判断出来ないのです。それで、長老には申し訳ないけれど、お見合いのような説教は出来ないと話しました。私の説教を聞いてみたければ、私が副牧師なので、水曜日に説教をするので、聞いてくださいと言いました。来る時間がないならば、私のテープを 持って行って聞いてくださいと言ったのです。長老が早く感づいたのです。少しすまないというように、テープをくださいと言いました。それで私が副牧師である時、説教したテープ二つを送りました。1週間か、2週間後に連絡がきました。私たち全信徒が集まって、私の説教テープを聞いたということでした。全員一致で可決したということでした。先生に仕えるようにしたということでした。これはお見合いの説教ではなくて、顔を見てみたいと言いました。長老が喫茶店で衝撃を受けてくださったのか、これは見合いする説教ではなくて、顔を知りたいと言うのでした。すると、私が行って説教をすると言いました。その時に、私が仕えていた牧師に申し上げました。その時が、87年 10月の最初でした。その時に来てみたら、12坪になる教会でした。マルコの屋上の間のような教会を借りたのですが、きーきーと音がするのでした。その時、私がきて読んだ本文です。 '恐れてはいけません。パウロ。あなたは必ずカイザルの前に立ちます。' この説教を私がしたのです。17年前の事を思い出して、私が話をしています。
 
・この本文は単なる普通の本文ではありません。福音を伝えているパウロを、ユダヤ人が終わりまで殺そうとしたのです。しかし、それは確かに真理の問題ではありません。ユダヤ教という勢力が崩れるかと思って、パウロを終わりまで殺そうとしたのでした。神様の前で、というものでもありませんでした。歴史の前で、というものでもありません。ただ人数を奪って行くから、組織が崩れることもあるので、あのパウロを殺すべきだということでした。あのパウロを殺さなければならないと、決死隊を組織したのでした。ユダヤ人の中で、パウロが死ぬまでは家にも帰らないという決死隊が出てきたのでした。このように、ものすごくパウロが行く所ごと、付いてまわりながら悪いことをしたのでした。そうしたあと、パウロが捕まったのです。完全に罪をかぶせたのでした。国法を破った者、神を冒とくする者、律法を廃棄する者等、あらゆる嘘を総動員して、パウロを告発したのでした。この時、パウロが囚人として行くしかなくなったのです。その時、パウロがフェストという総督の前に、法廷に立つようになったのです。パウロが総督の前で完壁なメッセージをしたのです。フェストという裁判官が、こう話しました。あなたは、勉強を多くしたので、狂ったと言いました。そのようにパウロに話したのです。パウロはよく分かっていました。私が今、縛られたこと以外は、却下も私のように狂うことを願うと話しました。だからフェストがよくわからなかったのです。あなたが知っていることは、それほど重要なことなのかと尋ねました。そうだと言いました。次に一度、個人的に会おうという話までしたのです。ところが、事実、パウロは世の中で実力がある人で、強大なローマ市民権を持った者です。それで、ユダヤ人から抜け出すために、ローマ皇帝に上告をしたのでした。ユダヤ人たちが、私を殺そうとするので、ローマ皇帝が判断してくれと言ったのです。このようにして、パウロは囚人として裁判を受けるために、ローマへ行ったのでした。アドラミテオという船に乗って行くようになったのです。私が今、名前を言うのは、歴史的な事実を言うのです。船が行く中に、ミラという島に到着したのです。そちらでローマへ行く船に乗り換えたのでした。もちろん、他の裁判を受ける、276名の囚人と一緒に乗り換えたのです。言わば、囚人を護送していく囚人船だったのです。パウロには、何の罪もないけれど、罪人として一緒に裁判を受けに行ったのです。乗り換えた船の名前がアレクサンドリア号だと書いてあります。その船に乗ってパウロ、乗務員、公務員を含んだ 276名の囚人がローマに向かっていったのです。
 
・パウロは、伝道旅行を多くしました。そして、祈りの人です。パウロが話をしました。この船が今、ローマに向かって行けば、行く途中で破船すると言いました。大きな暴風に会うかもしれないと言ったのです。だから、みな死ぬから、この暴風の時期をすぎて、十五日後に行くのが良いと言いました。誰もパウロの話を認めなかったのです。これから百人隊長が、判断しなければならないのでした。百人隊長が船長に尋ねました。そうしたら、暴風に会うことはないと言ったのです。このローマ百人隊長が不安だから、船主を呼んだのです。暴風に会うことがあるか尋ねたら、大丈夫だと言ったのです。経験によれば、そのようなことはないと言いました。他の職員にまたたずねました。元々ローマ人は慎重でないでしょうか? 行ってもかまわないのかと、また尋ねたのです。だから皆、休まず行こうと言ったのでした。
 
・囚人として縛られたパウロに、何の力があるのでしょうか? 囚人でしたから、華やかな人でもありません。その時、百人隊長の名前はユリアスでした。この人が考えて、判断を下したのです。この船が続けて進むようにと命令を下したのです。船がピニクスに向かって行く途中のことでした。行くうちに問題が起きたのです。突然に暴風が来たのですが、ユーラクロンという強風でした。台風が来たら名前があるでしょう? この暴風が一度に吹き寄せたので、船がどうしようもなくなったのです。14日間、一度に吹いたので、夜なのか、昼なのか区分ができないほどでした。波は、とても強かったら、大きい船も壊すことができます。単純な波ではなくて、暴風が14日間、一度に吹きつけたのです。とにかく、船に問題が起こったのです。今はあきらめて、中にある物などを皆、捨てたのでした。約300人程が船に乗っています。暴風に耐えることができなくて、沈みそうになるのでした。船は既に使うことが出来なくなったのです。残っていることは、絶望しかなかったのです。この船はどんどん沈むのでした。その時、パウロが祈りをしたのです。パウロが祈る中に、神様がみことばをくださったのです。この時、パウロが船にいるあらゆる人にしたメッセージです。昨日の夜に、神様の使いが私に語られました。「パウロ。あなたはカイザルの前に立たなければならないから、あなたの共に行く者をあなたに与えたから、安心しなさいと言われた」と言ったのです。確かに神様がおっしゃったゆえに、そのみことばを信じようと言いました。だから、あなたがたは恐れないで神様に祈りなさいと言いました。完壁なメッセージが宣べ伝えられたのです。その後に波が静まり始めて、人がみな生かされたのです。ここにはすばらしいメッセージがたくさん入っています。 '恐れてはいけません。パウロ。あなたは必ずカイザルの前に立ちます。' 今日、この本文は本当に歴史的な事実です。私たちは、単に信仰生活をするのではなくて、歴史の前でするのです。あなたがたが、祈りの答えを受けて、信仰生活を本当に勝利する目が開くようになることを希望します。単に信仰生活をするのではなくて、全部、成功した人々は歴史に目が開かれていました。
 
・ヨセフもこう話しました。お兄さんたちが私を売ったと、恐れる必要はありません。エジプトの国と私たちのあらゆる生命を救うために、私を送られたのですと言いました。ヨセフが一生の間、持ち続けていた信仰です。単純な信仰ではありません。私たちは、歴史を理解することができらなければなりません。あなたがたが、単なる信仰生活をしてはなりません。歴史的な理解をしなければならないのです。パロ王の前に行って、イスラエル民族を出してくれと言う時、モーセは単に話をしたのではありません。すでにイスラエルと信仰の歴史を知っていました。皆様、ダビデが王になって、神殿を建てることを、なぜそんなに祈ったのか知っているでしょうか? すでに、歴史を知っていたからです。契約の箱を入れる家がなければならないのです。エジプトから出てくる時、作られた契約の箱、サムエルに話をたくさん聞いた契約の箱のことです。まさにその話です。だから、単なる信仰ではありません。ダニエルは、成功した位置にいたのですが、偶像の前にある肉と葡萄酒を食べないと言いました。シャデラク、メシャク、アベデネゴは、火の中に入っていっても、偶像にお辞儀をしないと言いました。これは、なにかを正しく知っている信仰をいうのです。イスラエル民族が、なぜ滅びたのか、歴史を知っているのです。パウロが、まさにこの契約を捕まえたのでした。なぜ神様が、私たちを呼ばれたのか? なぜ福音を宣べ伝える人が、迫害を受けるようになさったのか? なぜローマへ行かなければならないか? こういう目が開いたのです。
 
・一度は、朴正煕大統領が生きている時、こういう話しをしました。大統領は、難しい事にあう時、どのように判断をしているかと記者がたずねたのです。最終的に、難しい判断を下す時は、歴史を考えると答えました。過ぎた歴史を考えて判断をすると言いました。私は正しいという気がしました。私達には、歴史に関する教訓がとても重要です。皆様が、信仰生活を正しくするためには、今まで教会史がどのようになってきたのかを知っていなければなりません。皆様が、なんとなく信仰生活をしてはなりません。この教会の福音運動がどのように流れてきたのかを知っていなければならないのです。皆様がどんなに勉強して、努力して、成功しようとしても、それを知らなければ、世の中の困難を理解できません。時代ごとに、なぜ困難と滅亡があったのか? なぜ神様は、その時ごとに福音運動をなさったのか? なぜ神様は福音運動する人々ごとに、異端の汚名をかぶせて難しくさせたのか? すると、福音運動をする団体と次の世代は、どのようになったのか? あなたがたも、歴史を知っていなければなりません。パウロにおきたことは、全部、歴史の前で起きたことです。あなたはカイザルの前に立たなければならないから、恐れるなと言われました。気落ちするなと言われたのです。
 
・あなたがたは、そのまま生まれて死ぬ人生では絶対にありません。気落ちする必要もなくて、恐れる必要もないのです。皆様、本当に神様を信じてくださることを願います。この話には多くの意味があります。多くの意味があるけれど、少なくともいくつかの意味があるのです。信仰を持った神様の人が、カイザルの前に立つべきだという話しは、なんの話でしょうか? 必ず信仰は勝利するので、それに対する開始を話すのです。皆様が、福音を持っていれば、確かに勝利するようになっています。今まで真理でないことが、真理に勝ったことは、一度もありません。まず勝ったように見えるのですが、勝ったことはありません。どんなに世論が強くても、事実に勝ったことはありません。いつでも事実が世論に勝ちました。神様の計画に勝った人はいません。 そのような意味です。今まで、あなたがした事が多いから、良くしてあげようという意味ではありません。このものすごい船が惜しいので、なくなってはいけないからという意味でもありません。このように数多くの人が死んで良いのかという意味でもありません。パウロ、あなたのためという話しでもありません。福音のためです。皆様、歴史的に理解するように願います。絶対に、この契約を捕まえれば、失敗できません。私たち信仰の開始を話すのです。そのような意味で、カイザルの前に立たなければならないと言われました。
 
・カイザルの前に立つべきだという話は、また、何の話でしょうか? あなたが、カイザルの前に行って福音の 内容を言うべきではないか? そのような意味です。あなたがたが、本当にいくつかの内容を持っているでしょう? 皆様が福音を本当に理解する瞬間、皆様の家系、家庭の歴史を変えるのです。皆様が、本当に福音を持って味わえば、私たちの社会、国家の霊的な流れを防止することができるのです。皆様が教会史の最も重要な部分、一時代の主役の祝福を味わうことができるのです。そのような意味で話したのです。今日以後にあらゆる 心配を捨ててしまうように願います。どんな問題がきてもかまわないのです。この契約を捕まえて祈ることを 願います。
 
・'恐れてはいけません。パウロ。あなたは必ずカイザルの前に立ちます。' この話には、もう一つの意味があります。今、未来を意味するのです。この驚くべきことが、必ず後の日に証しされるのではないでしょうか? この契約を捕まえていれば、ある日、重要な事件が生じるはずです。そのような意味です。福音より、もっと重要なことはありません。福音が流れる歴史的なバトンを捕まえなければならないのです。皆様、必ず福音の祝福には、流れがあります。皆様が水も正しく飲むためには、流れがあるでしょう? 皆様がお金をよく儲けるために、どのようにしなければならないでしょうか? お金も流れる道があるでしょう? 神様の祝福も、流れる道があるのです。だから、この契約を捕まえたから、恐れるなということです。必ず、歴史の前に立たなければならないから、恐れるなということです。それで、この話は相当な言葉を含んでいます。これから、ローマは世界福音化する相当な主役になるはずだから、そのような意味をおいてなさった話です。ローマは、世界で最も強い国になって、滅びました。この話は、世界福音化に対する多くの言葉が隠してあるのです。
 
・今日、皆様は多くのことをしなければならないのですが、早く基本に戻って行かなければなりません。あなたがたが、信仰の勇気を得なければなりません。皆様が信仰の勇気を得ることは、相当な差が出ます。心の勇気を得れば、からだの中にある病気がほとんどみな良くなります。気落ちして、信仰が落ちれば、小さなものも大きな病気になります。私たちタラッパンに、医者の方達も多いのですが、医者の方達がしなければならないことが、勇気を与えるべきなのです。大部分の病院に行ってみれば、責任を負わないようにしようと、不安を与えます。いつでも言う話があります。なぜ今まで病院に来なかったのかと話すのです。あなたは愚かだ、なぜ今まで耐えていたのかと話します。難しいけれど、最善を尽くすと言います。事実、そのようにすれば、病気は早く良くなりません。
 
・むかしに、突然にイ・スングン牧師が入院したと言うので、行ってみました。どれくらい不安な話しを多くするか、肺に穴が空いたが、方法がないと言うのでした。なぜそうなのかと尋ねました。だから、肺に穴が空いて、風が入って希望がないと話すのでした。それで、私がお金の心配をせずに、大きな病院に移りなさいと言いました。死なないので、心配するなと言いました。死なずに生きているではないでしょうか? 今日も司会をしているではないでしょうか? 私達が信仰の勇気を持てば、ほとんど大部分の問題がなくなります。パウロがどれくらい事実を正せば不安でしょうか? 今、囚人として行っています。そして、14日間、暴風に会ったので、死にそうになったのです。ところが、主の使いを送ってくださって、恐れるなカイザルの前に立てと言われたのです。皆様が、そのまま死んでも良いのかという意味です。この驚くべき福音を次の世代と他の人に 説明しなければならないのです。ローマに行って話さなければならないでしょう。
 
・皆様、私達が生きていたら、不安になる時があります。あまりに苦しくなる時があります。すると、未信者は自殺してしまいます。しかし、私たちは、そのような必要がありません。わたしがあなたと共にいるので、カイザルの前に立たなければならい。それゆえに、あなたと共に行く者までも、あなたに与えたと言われました。それで、私達の言葉で、列によく並ぶということです。この人たちがパウロと共にいることによって、驚くべき祝福を受けたのです。私たちは、信仰の勇気を持たなければなりません。そして、信仰の挑戦が必要です。私たちは無条件に挑戦するのではありません。神様の契約を堅く捕まえた信仰を言います。
 
・皆様に困難がくる時があります。また私たちは問題が生まれる時もあります。人間関係が難しい時もあります。恐れないように願います。神様が一番たくさん約束されたことがあります。私たちと共におられるということです。そして、私たち自らを見つめながら、とても小さく見える時があります。私があまりにみずぼらしい時もあります。それは、私たちの錯覚です。皆様が大統領と一緒に通うのに、みすぼらしいでしょうか? 大統領よりもっと高い、大統領のいのちを治める聖霊が、あなたがたと共にされるのです。 
・すると、私たちは何ゆえに恐れなくても良いのでしょうか? いくつかの理由があります。神様は確かに生きておられて、私たちの生死、災い祝福を治めておられ、信じる者と共におられるのです。皆様がどんな極限の問題がきても、気落ちせずに、精神を整えるように願います。だから、新しく始めればよいのです。皆様、未信者も勇気を出せば勝利するのに、私たちは神様の人です。鄭周永氏が、そのような告白をしました。事業を始めたのに、火事になって、みな焼けたのです。滅びたのです。立ち上がることができる力がないでしょう? お金持ちの人を訪ねたということです。訪ねて行ってお願いをしたということです。いくらだけ貸してくださいと言いました。そうしたら、お金持ちのおじいさんが鄭周永氏に言った言葉です。私は今まで担保を取ってお金を貸してあげたことがない。自分はいままで信用を見て、人を見てお金を貸してあげたということです。勇気を出しなさいと言いながら貸してあげたのです。それで、また立ち上がったのです。未信者も勇気を出せば良いのに、私たちは神様の人です。この人がどれくらい勇気があるように生きたのでしょうか、病院に行ったら肺の手術をいつしたのかと尋ねたのである。確かに自分はしなかったと言いました。この人がどれくらい勇気を出しながら生きたのか、結核があったことも知らずに、良くなったことも知らなかったのです。それほど強い精神を持ってしたということです。未信者もするのに、神様は確かに私たちと共にいらっしゃいます。
 
・しかも理由があります。カイザルの前に立たなければならないという話は、何の話でしょうか? キリストの福音を言うのです。その話しは、何の話でしょうか? まさにパウロと皆様がキリストの福音を持っているということです。だから恐れる必要がないのです。神様は信じる者が行く所ごとに主の天使を送られて、保護されるのです。昨日の夜に神様の使いが言われたということです。
 
・皆様、そのような記録を知っているのでしょうか? 長老の祈りと牧師の祈りは、普通のことではありません。そのような歴史を知っているでしょう? 突然に聖日に眠っていたのに、北朝鮮が攻めてきたのです。その時が 1950年代ではないでしょうか? みな奪われてしまって、釜山だけ残ったのです。聖日に攻めてきたからやられるしかありませんでした。どれくらい急いだか、大統領が釜山に移ったのです。その時、ソ連が北朝鮮を助けたのでした。私たちは手助けする人がいなかったのです。それで、米国と国連が韓国を支援しなければならないのです。国連で韓国を手助けしようと言えば、戦争がなくなるのでした。それでなければ、私たちは生きることができないのです。その時、米国、フランス、英国、ソ連の四国が常任理事国でした。そのうち、一つだけ反対しても手助けできなかったのです。この戦争をソ連が後から作業をしたのに手助けするでしょうか? 韓国は死にそうになったのです。
 
・その時でした。これは、一般の人々も理解しています。その時、長老と牧師達が集まって、チョランという地域で夜通し祈ったのでした。祈祷会をしたのでした。皆様もおわかりの通り、その翌日、不思議な事が行われたのです。国連事務室で会議に集まるのに、来なければ棄権です。ソ連代表が車で行く中に、エンジンが止まったのでした。神様が主の使いを送ってエンジンを消してしまったようでした。時間を待っていたのに、ソ連代表が来なかったのです。だから韓国を手助けすることに決定したのでした。決定と同時に、国連軍が韓国を手助けするために仁川に入ったのでした。その決定をし終えた後に、ソ連の車のエンジンがかかったのでした。きてみたら、既に遅いのです。普通のことではありません。車一つのエンジンがかかるかどうかで、全世界の運命が変わるのです。それがいたずらなのでしょうか? 偶然でしょうか? 人が何十万、何百万が、生きるか死ぬかすることです。その一つの決定に大韓民国が生きるか、死ぬかということでした。私はそのように考えません。神様が信じる者に主の天使を送ってくださって、確かに手助けしていらっしゃるのです。それで、牧師と長老の祈りが重要なのです。集まって祈りをしたのに、韓国の歴史を変えたのです。
 
・皆様の大部分は、祈りなさいと言うと、普通に考えるはずです。しかし、祈りは科学です。パウロが祈りをしたのでした。この福音でローマも征服するようになったのです。そのような話しが含まれています。恐れる 理由がありません。私たちは状況、立場を見ながら、恐れる時が多いのです。私達が未来を考えれば、恐れる時が多いのです。無条件に私達には問題がないと言うこともだめですが、聖書はパウロよ。恐れてはならないと言われました。信じる者に神様は共におられるためです。
 
・私は今まで皆様に告白することがあります。祈ったことは一つももれなく答えを受けました。私達が福音のなかで世界福音化のために祈ることは、必ず答えられました。私たちは、神様の前で、歴史の前で立たなければなりません。今日、私たち 2部礼拝は、神様の前でということを見るはずです。私たちは明らかな証拠である歴史の前でです。それで、あなたがたは信仰生活に成功するために、歴史を理解して、すこしでも目が開かれることを願います。今まで福音運動がどのようにきたのか、少なくともこういう目が開かれなければなりません。
 
・それなら、皆様が2番目に捕まえなければならない契約が、恐れてはならない理由です。私たちは気落ちする必要がありません。神様は今でも聖霊で目に見えないように一緒にいらっしゃいます。神様は今でも行く所ごとに、祈る時ごとに主の天使を送って、皆様を手助けしておられます。この福音は、防ぐ者がいません。カイザルの前に立つのです。皆様は、キリストの秘密を持っている者なので、恐れる必要がありません。そして、 多くの未来を含んでいるのです。このメッセージをいつ聞いたのかが重要です。もちろん、暴風に会った時です。しかし、そうではありません。パウロが船の下に入っていって祈る時でした。これほど祈りが重要なのです。
 
・皆様は、これから生きていく中に、どんなことにあっても心配する必要がありません。皆様、契約を捕まえて祈れば間違いない証拠が現れます。今日、病気の方達は、聖霊充満を受ける機会になることを希望します。問題に会っている方達は、パウロのように驚くべき神様の祝福を受ける機会になることを願います。神様の子どもは恐れる必要がありません。未信者は恐れるけれど、神様の子どもは信じようが、信じまいが、間違いない事が起きているのです。しかし、信じる者にはこういう証拠が実際に目の前で現れるようになるのです。
 
・ロックフェラーという人が生きていく間に、教会もたくさん建てたのに、癌になったのです。ところが、数十年間、癌ゆえに死なないで生きたということです。やはり普通の人ではありません。この人が祈りで癌に勝ったのです。癌になって、40年いたということです。結局、癌で死んだのではなく、年をとって死んだのです。だから、祈りは癌にも勝つことができるのです。福音を持った者の祈りは、世界も征服できます。どんな場合がきてもかまわないのです。今日、あなたがたが新しい力を得て、新しい勇気で始めることを願います。私たちの周囲には、気落ちすることも多いのです。神様はおっしゃいます。恐れるな。ヨシュアにもそのように話されました。わたしがあなたと共にいる。イザヤには、わたしが新しい事を行なうはずだと言われました。神様は信じる者と共におられ、福音を持った者と共におられます。それで今日、私たちは福音の歴史の前で、契約を捕まえて信仰生活を新しく始めるべきです。今日、皆様に新しい祈りが始まることを望みます。
 
・私が神様の前に心を持って祈ったことがあります。ところが、その祈りが今まで答えられています。本当に驚くべきことです。神様の教会の牧師がご飯を食べるためにしていて良いのでしょうか? 私は背景もなくて、持っていることもないのに、けんかをする教会で暮らしていて良いのでしょうか? 牧師がご飯を食べて生きて、死んで良いのですか? 神様、私を福音を伝える教会に送ってくださいと言いました。その時、そのように祈ったのです。今は皆様がいて、私が強大でしょう? その時は、私には、何にもありませんでした。今は、いのちをかけて祈って手助けする長老たちがいるでしょう? しかし、その当時には、何の力もなかったのです。神様が私の背景であって、私には何の背景もなかったのです。ところが、その祈りが今まで答えられています。いままで、私たちの教会だけが答えを受けるのではなくて、福音を伝える他の教会までも、ずっとみわざが起きるのです。私が困難を受けた時に祈ったことが、今まで答えが来ています。それなら、私たちは気落ち、恐れる理由がありません。皆様の前に、どんな問題がきてもかまわないのです。契約だけ捕まえれば良いのです。祈り始めて、聖霊が働かれれば、完壁な答になるのです。今日、この祝福を受けてくださることをイエスの名前でお祈りします。 '恐れてはいけません。パウロ。あなたは必ずカイザルの前に立ちます。'
 
<<契約の祈り>>
神様に感謝申し上げます。恐れる理由がない神様の人として呼ばれたことを感謝申し上げます。信仰の勇気を 持つようにさせてください。カイザルの前に立つ、信仰の挑戦をするようにさせてください。祈る答えを受ける祝福を味わうようにさせてください。主の聖霊が、この方たちの事業、家庭、あらゆる問題を支配してください。今でも働かれる主の天使を送ってくださって、この方たちのあらゆる背景に神様の働きが起きるようにお祈りします。全世界でメッセージを聞く私たちの家族が、信仰の勇気を得る日になるようにしてください。恐れないで、カイザルの前に勇気を持つ日になるようにしてください。生きておられる主イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン
 


 2部/ 神様の前で
(Uテモテ4:1〜5)
 
・神様の力を今でも本当に体験できるのでしょうか? 本当に私達が今、祈れば答えを受けることができるのでしょうか? 私にある問題や病気、こういう部分は、祈れば解決できるのでしょうか? 聖書に記録されているまま、今でも神様の全く同じみわざが起きているのでしょうか? この部分を知るようになることは、とても重要です。
 
・ある方が、そのような話をしました。私たちの学生達が学校を借りて修練会をしました。夜にある教師が学校で、当直だったのです。それで、私が果物をちょっと持って行きながら、福音を伝えました。ところが、この方はよく信じる方でした。かえって私に証しをしてくださいました。自分は神様がないと考えた。何ゆえにイエスを信じなければならないか? 私達が勉強を熱心にして、正しく生きればいいと考えたのでした。私達が科学をたくさん学んで、どんどん発展させて正しく生きれば良いので、なぜ神様を信じるのか、そのように考えていたということです。ところが、ある日、問題がきたのです。しきりにからだが異常になって、吐き気がしたのでした。大丈夫だろうとがまんしたそうです。ところが、ある日、病院に行ってみたら、肝臓ガンという診断を受けたのでした。医者が難しいと話したそうです。そのようなある日、病院で手術をして、難しくて横になっていたということです。その時、この方が放送を開いていたら、キリスト教放送を開いたのです。よりによって放送を開いたら、説教が出てきたのです。もしかして、あなたは病気の中にいませんか? という話が出てきたのです。私に対して言う話ではないかと思って、それまで聞かなかった説教をよく聞いたということです。この方が放送を聞いて、イエス様を救い主として受け入れました。その後から、この人に変化が起きたのです。それで、その事実を私に証ししました。それで、私が果物をあげながら福音を伝えようとしていたのですが、むしろ恵みを受けて出てきたのです。果して私達が祈りの答えを受けることができているでしょうか? 本当に私たちにある問題は、解決できるのでしょうか? 旧約時代や新約時代に聖書に現れた神様のみわざは、今でも現れるのでしょうか? とても重要です。私は五つだけ知っていれば良いと考えます。
 
・最初です。神様の秘密です。今日 4:1に '神様の前で'と言われています。皆様、神様を理解するという話は、なんの話でしょうか? 神様のみことばを正しく理解することです。今日、皆様はのがさずに契約をよく捕まえなければなりません。皆様、聖書は誰でも分かる部分があります。人を殺すな、盗むな、父母を敬え。全部、誰でも分かる話です。しかし、前に話したように、救われた者だけが分かることがあります。羊の血を塗る、こういう話は他の人は理解できません。過越の日、羊の血を塗った日、抜け出したという話は、救われることができなかった人には、理解できない話です。ところが、この聖書には救われた人でも理解できない部分があるのです。とても難しい部分が多いのです。ヨハン・カルヴィンという人は、ヨハネの黙示録の講義をしませんでした。なぜならば、あまりに難しくて、失敗するかと思ったからだそうです。聖書には、そのような部分もあります。ところが、聖書は一言で何と見れば良いのでしょうか? 約束です。皆様、旧約とは、むかしの約束だと言って、新約は新しい約束ということです。言わばイエス様がいらっしゃる前の約束を旧約と言いました。イエス様が来られた後の約束を新約と言ったのです。英語ではTestamentと言います。このTestamentとは契約です。ところが、これは何の契約でしょうか? 救いを下さる福音中心で聖書は作られたのです。皆様、そのように聖書を理解すれば、神様のみことばを理解するようになります。
 
・私達が手紙がきても "こんにちは。さようなら" というのは、単に読むあいさつです。必ず手紙がきた時は、その話そうとする内容があるのです。それをのがしてはなりません。それはみなのがして "こんにちは。尊敬します." こういうことだけ記憶してはなりません。私に当然に手紙を出せば "尊敬する柳先生" このように来ます。それはそれを話そうとしているのではありません。手紙で書いたのは、なにか話す言葉があるのです。手紙に話す言葉は忘れてしまって、尊敬する、この話だけに感動を受けて震えていてはならないのです。ですから、いったい聖書が何をいうのでしょうか? ある愚かな人は、歴史的にどうだから、科学的にどうだからと言うのですが、聖書はそのような本ではありません。救われねばならない秘密を中心として作られたことが旧約、新約聖書です。この世にどんどん滅亡が入るので、滅びないように作られたのが聖書です。それを一番目に理解しなければなりません。それでこそ神様のみことばが正しく分かります。そうしてこそ、皆様が手紙を送った人、手紙を受けた人が通じるはずです。簡単に話して、聖書は神様が人に与えられた手紙です。その手紙を預言者を通じて送っただけです。すると、手紙の核は何でしょうか? 滅びないで救われなさいということです。その話を中心にして、聖書を見れば正しく神様が分かるのです。今でも答えを受けることができるのでしょうか?
 
・2番目です。今日、ここで '生きている者と死んだ者とを裁かれるキリスト・イエスの前で'と言われています。必ず記憶しなければなりません。私たち人間は、運命を変えることができません。皆様、精神がおかしな人でなくては、神様に会うことはできません。精神がおかしな人は、神様を見たと言うのですが、それは嘘です。見ることはできません。私たち人間は、神様を見ることもできなくて、会うこともできません。それで、神様がいるのか、いないか、そのような話しをするのです。ある面では正常です。それで、神様がキリストを送られたのです。皆様、重要ないくつかだけを理解すればよいのです。キリストを送って、まず最初になさったことが何かというと、目に見えないで、皆様と国を滅ぼす暗闇の勢力を打ち破ってしまったのです。それで、私たちの運命、罪、呪いが解決出来ないために、そこから私たちを救い出されたのです。私たちは、神様に会うことができないために、その時から神様に会う道を開けて、信じる者に聖霊で働かれる祝福を下さいました。それで、イエスを受け入れたら、変わることはなんにもありません。突然にイエス様を受け入れたところ、顔がかわいくなった、そのようなことはありません。私はイエス様を受け入れて、身長が1cm 減りました。なぜならば、あまりに苦労して伝道して回ったので、減ったのです。ところが、何の救いを受けたのでしょうか? 悪霊の反対になる聖霊が皆様の中に永遠にとどまるようになります。それが違うのです。皆様、有名な占い師は、皆様を見ればすぐに理解します。そして、必ず記憶しなければなりません。どのように今でもそのような 答えがおきることができるのでしょうか? ですから、神様の聖書のみことばをどのように理解するかが重要です。それで、2番目に記憶することが、私たちは神様に会うことができません。見ることも出来ないのです。私たちに決まった運命を変えることも出来ません。どんなに熱心に生きても、後ほどにはまた滅びます。解決 できる道を開けてくださったのですが、その道がキリストです。
 
・そして、三番目を記憶しなければなりません。 'その現れと、その御国を思って、おごそかに命じます' と言いました。皆様、この単語がものすごく重要です。その御国、その現れということは、再臨ということで、その御国という言葉が重要です。これから救われた皆様の家に、皆様個人に皆様に神様の国が臨むようになるのです。これはものすごく重要な話です。イエス様がこのようにおっしゃられました。 "サタンの勢力を縛りあげなければ、救われることができない。それを縛って、神様の聖霊が臨めば、神様の国が臨む" まさに新しく市長なられた方と、家庭に神様の国が臨む祝福があることを願います。反対の言葉で、悪魔の国は終わったのです。ものすごく重要な話です。どれだけ重要かというと、イエス様が40日間、神様の国を説明したと言われています。使徒行伝 19章を見れば、パウロが大胆に神様の国に対して説明したとなっています。皆様が 今日、神様の国、この祝福を受けるようになることを主の名前でお祈りします。
 
・私たちの教会の名前を変えました。むかしには東三第一教会としていたのですが、インマヌエル教会に変えたのです。インマヌエル教会に変えたのには、2つの理由があります。これから私たちは教会をたくさん立てるはずです。これから、あの北朝鮮にも立てて、ソ連にも立てて、みな立てるはずなのに、名前をどのように 付けるでしょうか? ここが東三洞です。すると東三第一中国教会とするのでしょうか? それは話にならないために、インマヌエルとつけました。このインマヌエルということは、神様が私たちと共にいらっしゃるという意味です。それがまさに神様の国が臨んだ、その話です。皆様、この話だけ悟れば、本当の答えが起き始めます。皆様、この話を悟れば、本当に霊的問題が解決し始めます。これは私の話ではなくて、神様のみことばです。 '神様の聖霊が臨めば、神様の国が臨みます' マタイ 12:28-30にイエス様がおっしゃられました。必ず記憶しなければなりません。
 
・4番目です。これからこの事実を味わって宣べ伝えるのです。Uテモテ1章に 'あなたのおばあさん、あなたのお母さんにあった信仰が、あなたにもあるんだな.' と言われています。それとともにパウロがテモテに、何といったのでしょうか? '霊的兵士だ。競技する者だ。農夫のようだ.' それとともに何と言ったのでしょうか? '最後の時は、苦しみの時がくる。人が自分を愛して、お金を愛して、高慢になり、みな苦しむ時がくる。それで、ますます苦しむ時がくるために、ここからあなたが救われなさい。その話をして、時が良くても、悪くてもみことばを宣べ伝えなさい.' 簡単に話せば、証人になることです。このような時に、こういう祝福を本当に味わうようになります。今日、皆様が必ず記憶するように願います。
 
・いったい神様とみことば。神様に会う道なるキリスト。救われた者に現れる神様の国。この祝福をそのまま持っていれば良いのではありません。最も味わう方法が、宣べ伝えることです。ですから、今日、伝えなさいと言われています。
 
・最後のひとつがあります。五番目のことが重要です。この四つの重要なことより、もっと重要なことがあります。私が果して救われたのか? これが重要です。Uテモテ3:6-8を見れば、本当におかしな異端、救われることができなかったのに、受けたという人々が多いのです。皆様、必ず記憶するように願います。すると、本当に私が救われたのか? すると、私が本当に神様の子どもか? これが最後に確認されなければなりません。これだけできれば、ずっと答えがくるのです。皆様に今日、本当に貴重な日になることを願います。私はそのように考えます。ここに初めて来られた方達や、外の未信者は理解できない話です。本当に救われたのでしょうか? これが質問になるべきです。これができるならば、あらゆる問題は解決します。何ゆえに教会に問題が多いのでしょうか? ここで問題がくるのです。誰かが言います。 "あの人は教会に通うのに、なぜああなのか? あまりに異常だ." それは教会に通うだけであって、救われなかったのです。私はそのような話をたくさん聞きました。 "私はむかしに教会に通っていた." それは教会堂に通ったことで、救われたのではありません。本当に救われれば、神様の子どもの祝福がきます。市長に当選すれば、市長の祝福を味わうことができるでしょう。当選もしていなかったのに、自分一人でその気になって通っても、味わうことはできません。神様の子どもになるべきで、ならなければだめなのに、やたらどのようにしてもだめです。問題はここで始まります。あらゆる問題はここから来て、答はここにあるのです。
 
・もし牧師の中で救われることができなかった人がいるか、いないか? います。イスカリオテのユダも救われることができませんでした。有名な使徒なのに、救われませんでした。そのような人がいるならば、この人が何をするのでしょうか? まちがいなく、自分の有益のために全てのものをみなするはずです。これが問題です。皆様の教会の中にも、救われることができなかった牧師達が多いのです。ですから、集まって福音とは関係なくて、自分たちの教会が復興するかと思って、しばしば問題を作って嘘をつくのです。私は個人的に思っています。たぶん救われることができなかったのでしょう。あくまでも推測です。天国に行けば分かるでしょうが、推測です。しかし、確実な推測であり、私の心に確信がきます。救われることができなかったと思います。もし私が救われることができなかった牧師ならば、皆様にどのようにするでしょうか? 私がどうすれば、皆様を利用して、どうすればあなたがたを通じて得をするか、それだけを考えるはずです。することはそれしかないのです。私が真に救いの祝福を受ければ変わります。どのようにすれば、福音のために、教会のために、そのようになるしかありません。最も良いことを私が持っているために、どんな問題がきてもかまわないのです。問題は、ここから始まるのです。
 
・ある方は、そのような悩みをします。不思議に信徒何名かが集まっておかしなことをして、教会で教えることは全くせずに、自分たち間で仲間を作る人々が多いのです。多いでしょう。私が知っていることでは、救われることができなかった人です。救われることができなかった人々が、救いのまねをしようとするから、そのようになるのです。これは本当に怖い話ですが、間違いありません。救われることができなかった人が、牧師をしようとするなら、牧師のまねをしなければなりません。ここであらゆる問題がくるのです。救われることができなかった人が、使命者のふりをするので、あらゆる問題がくるのです。救われた人々は、救いの祝福を味わうことはとてもやさしいのです。皆様が私の娘でないのに、娘のようにしようとするなら、どれくらい難しいでしょうか? 私の娘は、一つも努力せずに味わいます。やさしいのです。なぜならば、子どもだからです。私達が救われたという時、これを味わうことは一つも難しくありません。例を今、私が上げているのです。これを受けることができなかった人が、まねをする、そこからあらゆる問題がみなくるのです。考えてみましょう。このものすごい救いの祝福を受けた人が長老であるならば、しやすいのです。事実上、救われることができなかったのに、長老の真似をするから難しいのです。ここであらゆる苦しみが始まるのです。教会に熱心に通います。大変です。事実は、私が違ったことを味わうことは知らずに、ある日、教会に通うのを止めてしまうのです。 "私はたくさん通ってみた。私はむかしに執事もして、何かも、みなしたのに”と言います。ある人は、私は長老もしてみた。私は牧師もしてみた。いくらでもありえるのです。
 
・私が前に話したではないでしょうか。私たち牧師たちが、日本に行ったたら、 韓国人が通り過ぎるので韓国語で来なさいと言われました。可愛い子がいるから、来てちょうだいと言われたのです。どれくらい可愛いか知りませんが、可愛い子がいると言って、来てちょうだいと言ったのです。それで、私たちの牧師たちが、その女の人を捕まえて、メッセージをしたら、聞いている途中で衝撃を受けたのか、座ってわあわあと泣いたのです。話してみたら、この人は牧師夫人でした。泣く理由があったのです。それで泣いたのです。ですから、どのようにそのようなことがあるのでしょうか? そのようなことは、あります。皆様、救われることができなかったので、何でもできます。救われることができなかった人が、救いをまねをすることは、ものすごく難しいのです。皆様、救われた人が、この祝福を味わうことは、とてもやさしいのです。それで、Uテモテ 3:16-17に救いは完全なのに、この祝福を受ければ世界を征服する答えを受けるようになるのです。
 
・すると、逆にしてみましょう。今日、私が五つのことを話しました。すると、逆に見ましょう。私がイエス・キリストを救い主として受け入れた神様の子どもです。それなら、皆様の家、皆様個人に神様の国が臨むはずです。すると、当然に祈りの答えを受けることができます。すると、私が何を味わうことができるのでしょうか? 自然にこのキリストの秘密を味わうようになります。そして、自然に神様のみことばが答えになってくるのです。当然なのです。これを私たちは早く確認しなければなりません。今でも神様は答えられるのでしょうか? なさいます。今でも本当に私が祈れば、答えを受けることができるのでしょうか? 受けることができます。今日、皆様に最高の祝福の日になることを願います。本当に答えの驚くべき門が開かれるようになるはずです。
 
・私は、今はその時のことを考えれば理解できるのですが、その時はとても驚いたのです。私が福音を伝えにいって、最初の衝撃でした。子どもが死にそうなのに、その子を見ないで福音だけを伝えたのです。私はムダン(霊媒師)の家がどういう家なのか、初めて入っていってみたのです。子どもが死にそうになって、病院から家に連れて帰って来ていたのですが、私はそのような自信がなかったので、福音だけを伝えたのです。私が受けた最初の衝撃です。福音を伝えてきたのに、その子どもが、その日の夕方によくなったのです。人がよくなる時は、少しずつ良くなるでしょう。それも死んでいく患者でした。私が先週に説教したのですが、その日の夜に、その子どもが良くなったのです。それで、おかしなことだと、私は衝撃を受けました。衝撃を受けたのですが、その時、私は分からないで、偶然の一致か?どのようになったのか、と考えたのでした。
 
・私が福音を伝えるのに、私に2度目の衝撃がきました。私は幼い時から夢を見たり、不思議なことを見たことはありません。私は、悪霊につかれた、そのようなことがなんの話なのか知りませんでした。私が悪霊につかれた子どもを見たのです。これが、悪霊につかれたんだな。それを見ながら、どのようにすべきか分からなかったのです。子どもがおかしなことをしたのです。顔も異常でした。この子どもに行って、聖書を見て、悪霊につかれた人がどのようによくなったのか、それを読んであげました。私に2度目の衝撃。この子どもがイエスを受け入れて、良くなったのです。それで礼拝堂にきて座っていたのですが、顔も完全に変わっていました。本当に不思議でした。その時、私は知らなかったのです。福音は少しずつ、少しずつ後ほど分かるようになりました。この福音は簡単な話ではないな。使徒パウロのように、祈りを多くしたのによくならない人は、なぜよくならないのか? それも理解できるようになりました。今日、あなたがたが本当にこの霊的な契約を捕まえて、祈りの答えを受けてくださることを願います。
 
・それなら、今日の本文のみことばで話したように、この五つがものすごく重要です。果して神様はみことばで働かれるのですが、みことばの核は何でしょうか? 私達が救われて祈りの答えを受けようとする時、キリストの秘密が何でしょうか? それなら、私たちに臨む、とても重要な神様の国、この秘密は何でしょうか? 私達がこれを宣べ伝えなければならないのですが、証拠を捕まえなければなりません。こういう部分は何でしょうか? 一つも難しくありません。私が救われた神様の子どもならば、この答えを受けるしかないのです。皆様に 今日、新しい答えが始まることを願います。それなら、いくつかの祈りが出てきます。私は普通のことではないと思っています。それなら、最も重要なのが何でしょうか? 皆様、教会でとても重要なこと、息子、娘みな重要だけれど、最も重要なのが牧師です。その話は、皆様が私を重要に思いなさいという話ではありません。牧師一名でたらめに立てば、いつもでたらめになるのです。それで今日、お客さんが外部からたくさんいらっしゃいました。皆様が見て祈ってくださいということです。何の話でしょうか?
 
・皆様、常時祈りをする時ごとに、総会神学校のために祈りましょう。釜山大学で大学生一名誤った人が卒業しても、かまいません。しかし、神学校から誤った学生一人卒業して、牧師になってしまえば、普通の問題ではありません。祈らねばならないでしょうか? しなくても良いでしょうか? 皆様、今から定刻の祈りをする時、神学校のために、いつも祈らなければなりません。その祈りをしてくださいと神学校を担当する方達が、今日、頼みに来たのです。皆様、救いが重要ならば、神学校のためにいつも祈らなければなりません。私は幼い時から、教会に通いました。一度も福音を聞くことができなかったのです。どれくらい神学生が重要でしょうか? 牧師がどれくらい重要でしょうか? 98% のキリスト教を自慢したロシアが、共産化なって完全に滅びました。そのロシアに福音が宣べ伝えられたことがないのです。これくらい牧師が重要だということです。霊的問題は、全部、牧師の責任です。ですから、祈らなければなりません。あなたがたが、神学校のためにいつも祈らなければならないのです。今日から開始するように願います。それから、重要なのはだれでしょうか? 私たち教会の役員です。皆様が役員のために、いつも祈らなければなりません。その次に重要なのが、私たちの育っているレムナントです。これを置いて、いつも祈らなければなりません。
 
・皆様、もし今、心に悩みがあるでしょうか? 神様の力を体験するように願います。今日、この五つを置いて 静かに考えて祈ってみましょう。皆様の家に本当に悩みがないでしょうか? 皆様個人に悩みが本当にないでしょうか? 私の話を聞かず、聖書を見て、祈りながら今日、答えを受けてくださることを願います。神様の国が臨む祝福があることを願います。相当なみことばです。皆様が神様の子どもならば、行く所ごとにこの祝福が 臨むようになるはずです。皆様は救われた神様の子どもであることが間違いないならば、当然に答えを受けるようになるはずです。ところが、最後にひとつ記憶することがあります。皆様がこの救いを受け取っておいても、知らずにのがすことがあるのです。その話は、救いをのがすということではなくて、祝福をのがすということです。神様の子どもとなった祝福を、今日、完全に回復するように願います。
 
・皆様は堂々と神様の子どもです。それで、本当に祈って答えを受けてくださることを願います。ところが、これを受け取っておいても、人々がほとんどのがすのです。だから二つが問題です。救いも知らずに、神様の 子どもではないのに、無条件に熱心にする人も問題ですが、受け取っておいて知らない人もあるのです。当然に皆様は神様の子どもであるために、神様の答えを受けることができます。今でも見れば、全く同じく子どもを育てても違います。私の娘は、必要なことがあればくださいと言います。電話もします。私の息子は絶対に必要なことを電話しても話しません。すると、あげません。あなたがたが神様に祈れば、答えを受けます。皆様は途方もない救いを受けたのに、知らずにしきりにこういう霊的な祝福をのがすのです。そのような失敗をせず、今日から勝利する皆様になるように願います。もし大統領の息子が変に乞食のようにぶるぶる震えて通っても良いでしょうか? 皆様が神様の子どもなのに、これからその祈りをすれば、答えを受けるのです。私達が知らなくみなのがすのであって、この祝福を受けたことをのがすことがあるのです。
 
・今日、結論を結びます。私が果して神様の子どもなのか? ここに対して、皆様が質問してみる必要があります。私が果して救われたのか? その話は、多くの質問になります。ここには重要な答が出てきます。そして、私が真に神様の子どもであることが間違いないのにもかかわらず、この祝福をのがしているのです。確かに二つの中のひとつです。皆様がこの契約を捕まえて祈る時、皆様が今日から聖書にある、そのままの答えがくるようになるはずです。のがさずに握ってくださることを願います。今日、私たちのこの祝福が、私たちのホ・ランシク市長、また家庭にあることを願います。今日から皆様がこの契約を捕まえて祈りの答えを受けるあなたがたになられることを願います。祈ります。
 
<<契約の祈り>>
神様にもう一度感謝申し上げます。今日、私達に重要な答えが始まるようにしてください。神様は今でも確かに答えてくださっているのですが、私達がのがさないように恵みを増し加えてください。私たちにある問題が解決する開始の日になるようにしてください。真に私たちの病気が解決する日になるようにしてください。真に祈りが始まる答えの祝福を味わう週間になるようにしてください。私たちの総会神学校に神様の驚くべき 祝福があることをお祈りします。また祝福なさった神様に感謝申し上げます。福音を持った神学生達が集まり、世界福音化できるように祝福を与えてください。生きておられる主イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン