2004年8月8日インマヌエル教会聖日メッセージ


 1部/ 信仰の力
(ルカ8:40〜56)
■今日も神様の祝福が皆様に実際にあるようになることを希望します。一度は、説教をするのに、とても騒ぐのでした。説教をしたら、そのとおりですと話して、一人でアーメンと言うのです。私たちの副教役者が私に 質問しました。あのような人は、入らないようにしたらどうですか? 行く所があるだろうか? 霊的に問題がある人ではないのかと話しました。一度は、あまりに騒いだのです。全体の礼拝ができないほど騒ぐのでした。それで警護する人たちが、連れて行ったのでした。連れて行くときに、すこし力強く引いたようです。それで、その女の子の腕がすこし痛くなったようでした。その次の週、そのお母さんが私を訪ねてきたのでした。警護する執事が私の娘を痛めたから、告訴するということでした。それで、私が告訴しても良いだろうか? しかし、告訴しないように話すことはできないと思って、それで私が告訴するなら告訴してくださいと言いました。私が知っている警察が多いから手助けすると言いました。
 
■ いまはそうではないのですが、何年か前に家を出て、学校も行かなくなった学生達が、私たちの教会に集まったのです。最小限、その子どもの将来を考えたのです。ところが、手助けする人がいなかったのです。それで、いまは学校を建てています。その時、私がソウルにきながら、長老に話をしたところ、手助けすると言いました。下の人に話をしました。そちらにくる学生達半分が会費を出さないのです。それで、運営ができないということでした。それで、両親に電話をしてみなさいと言いました。両親に電話をしたところ、返事がほとんど同じように出てきたのです。そのようなお金がないから、出て行かせたら良いと返事をするのでした。私がその子どもを連れて教えてくださいと言ったかと話すのでした。こういうように出てきたのです。どうすることもできないのです。
 
■ 一度は、私が釜山大学に伝道しに行きました。ある人が、教えてくれたのですが、ある教授が教会は行かないのに、献金を多くするということでした。それで、その方に会いに行ったのです。はじめはよく話をしてもらえなかったのですが、私が福音を話したので、その方が福音を聞いて話をしたのです。大学1年の時だったということです。親があまりに貧しくて、自分が大学に行くことができなくなったということです。それで、教会の中で役員会が開かれて、自分は参加する場ではないのに、偶然に参加するようになったのでした。この 大学に入学した学生を手助けすべきだ、しないとけんかを一時間、したのでした。そして、結論は手助けするようにしたのでした。その学生が家に帰って、夜通し泣いたということです。それとともに、神様に祈ったそうです。ずっと勉強を良くして、一番になって奨学生になるようにさせてくださいと言ったのです。奨学生だけになったのではなくて、その方は教授になったのでした。その時まで教会には行かなかったのです。今でも 出られないということです。それで、教会に献金だけずっとするのです。
 
■ 私たち、7、8月はレムナントの月です。私たちのレムナントが、私に書いた文章の中で一番目のことです。 おとなと両親から来る傷をどのように解決しなければならないのでしょうか? 2番目は、両親と対話があまりできないのに、どのようにしなければならないのでしょうか? 三番目は、教会のなかで葛藤がずっと生じるのに、どのようにしなければならないのでしょうか? そして、私はクリスチャンなのか、そうでないか、そして、どのように世に対処しなければならないのでしょうか? 最後に外に行けば、ものすごい文化の風が吹いているのに、私たちはどのように対処しなければならないのでしょうか? そのように、五つの質問をしました。皆様、傷というものは、解決できなければ怒りとなります。夫婦が単にけんかをするのではありません。怒りがあふれてけんかをするのです。それで、私は学生達に仕上げ段階であるから、お願いをしたいのです。私たちには神様を信じる信仰が必要なのです。ヨセフの怒りは、あまりに多くて話をすることができません。ダビデが困難にあって、それが傷になるならば、話すことができません。皆様に夫婦問題ゆえに傷を受けるならば、全部、話すことができません。家庭、職場、社会に起きる問題は、人間がみな解決できないのです。それで、神様が私たちに信仰を下さったのです。これをレムナント達は知っていました。かと言って、私達が人を無視できません。私に損傷を与える家庭だからといって、家庭が大切でないことはありません。私が葛藤があるとして、教会が必要でないことはありません。どんなに足りない両親でも、私に必要でないことはありません。これだから、私たちに重要な祝福が残っているのです。それが神様の子どもで、レムナントです。
 
■ 私は牧師の子ども達に、こう話しました。あなた達は牧師の子どもである以前に、神様の子どもだと話したのです。レムナントの中のレムナントです。使命者の中の使命者なのです。その理由はレムナントが揺れる時、あなた達が助けるべきなのです。使命者が困難に会う時、あなた達が助けるべきなのです。それで、レムナントの中のレムナントで、使命者の中の使命者なのです。そのような話をしました。私たちは今日、もう一度、信仰を回復しなければなりません。どのようにすれば良いのでしょうか? 少なくとも未信者よりは信仰が良くなければなりません。それでこそ、未信者を生かすことができるのです。より重要なことは、私がその中で生き残ることができるのです。今から私たちは言葉も信仰の話をしなければなりません。何でもないことのようでも、言葉が実を結びます。その言葉がただ出てきたのではなくて、考えの中から出てきたのです。そして、たましいに根をおいて出てきたのです。冗談で言ったことでも、そうです。慶尚道に行けば、冗談で、らい病人と呼ぶことです。会えば美女だと呼ばなければならないのに、らい病人と呼びます。それがあいさつです。久しぶりに会えば、かわいくなったなと話すべきなのに、らい病人が死なずに生きているんだなと話すのです。そうであるせいか、大韓民国で見れば、慶尚道にらい病人が一番たくさん出てくるのです。私達が言葉も用心しなければなりません。歌も悲しい歌を歌う人は、悲しい事が起こるのです。正常だった有名な歌手のエルビス・プレスリーが、落葉について行ってしまう愛を歌って行ってしまったのです。韓国の歌手のチャ・ジョンラク氏がその歌をまたリバイバルして歌ったのですが、その人も行ってしまったのです。本当に不思議に思えることです。私たちは言葉も歌も、気をつけるべきです。
 
■ チョン・ジュヨン氏についての本を読んでみました。私は、このように生きたと書いた本です。その本に、こういう内容がありました。病院に身体検査を受けるために行ったのです。医者が言うのに、肺の手術をいつしたのかと尋ねたのでした。それでチョン会長が、手術はしたことはないと言ったのです。ところが、医者は確かに手術した肺だと話すのです。病院に行ったこともなくて、手術したこともないと話しました。ところが、答が出てきたのです。この方が、どれくらい生きるべきだという強い意志があったのかというと、病気になっていることも知らずに、良くなったのも知らないのです。私がそれを見ながら、私達が未信者より意志が弱くて、信仰が弱いという気がしました。この方がどれくらい意志が強かったか、病気になったのも知らなかったのです。今、ソウル市長をしているイ・ミョンバク市長も、そのような話をしました。一生懸命に走っていて、病気になったのです。病院に行ったら、肝炎だと言われたのです。肝炎は休むことが一番良いと言われました。それで、この方は自分は休めばなんにもできないと話しました。医者は、それでも生きるためには、休まなければならないと話したのです。しかし、市長は、自分は走りながら死んでも、走らなければならないと話したのでした。それで、医者とけんかをしたのでした。そうしたあとイ・ミョンパク市長がこういう理論をだしたのです。どんなに肝臓でも、人は正常な生活をしながら直さなければならないということでした。それで、明け方祈りにも行って、運動もして、みなしたのでした。それで、医者がみてどうしようもないと話しました。ところが、そのようにして病気をみな直したのでした。だから、医者が話すべき言葉がないと言いました。もちろん、この方はクリスチャンですが、多くの世の中の人々と未信者が、そのような信仰と意志を持っているのです。
 
■ 悪霊につかれたニューエイジ運動をする人々が集まって、全世界を掌握したのです。私はそのようなことを見ながら、私たちはできるという気がしました。一度は、ユリ・ゲラーという人がきて、放送を通じて力のわざを行なったのです。皆様、時計が故障したのをみな出してくださいと言って、その時計を動くようにしたのでした。実際、TV上映で、そのように公演をしたのでした。いったいそれがどのようになったのでしょうか? しばらく、韓国でブームになりました。可能なことです。神様が人間に与えられた力と限界は、すごいのです。私たち人間が気落ちして、じっとしているからですが、私達が心をもって祈って信仰を集めれば、相当なことになります。606号という薬は、605回失敗して、606番目に成功したのです。今日、まず私たちは未信者よりは信仰が良くなければなりません。皆様が未信者を生かして、その中で生き残るためには、そうあるべきです。長い話をする時間がありません。今日、聖書が話すもっと重要なことがあります。今日、レムナントとあらゆる聖徒がたちが、みことばを見て、この祝福を受けてくださることを願います。
 
■ 一番目です。何の信仰でしょうか? 今日、ここに出てくることは、そんなに単純なことではありません。人間の力で解決出来ない事を、神様がキリストを通じてなさったのです。会堂管理者のヤイロの娘が死んだのです。死んだ人をどのように生かすのでしょうか? この娘をイエス様が生かされたのです。今日、私達が回復しなければならない重要な信仰は何かというと、世の中で私たちの力ではできないものもあります。ある面では、より一層多いのです。ある面では、重要なことは、私たちの力ですることはできません。私の夫、私の子どもも勝手にすることはできません。より重要なことは、私たちに霊的な問題がきたとすれば、解決できないのです。十二年、長血になった女性がいました。マルコの福音書には、何年かが出てきています。この女性が何歳なのかは出ていません。名前も出ていません。ただし、十二年、長血であったとだけ記録されています。それならいったいこの女性の年齢はいくつでしょうか? もし20才の時から病んだなら、32才でしょう。私の予想では、嫁に行くことができず、ずっとこの病気に苦しめられていたのです。
 
■ 長血という病気を、私は詳しくは知りません。ある人々、血が腐る病気だと話すこともあります。ある人は、血の癌だと話すこともあります。私は、実際、長血の患者を見たことがあります。この人は、自分の弟が歯を抜いた後に死んだのです。知らなかったということです。子ども達が大きくなりながら、歯が抜けるでしょう? それで、そのまま抜いたのに、ずっと出血してきたのです。そして、死んでしまったのです。それで驚いて葬式をして、家族が全部、調査をしたら、兄がまた長血だったのです。その時から、この人が不安で歯を 抜く時も、血が出ないように揺らしてから抜いたのです。これも只事ではないのです。子ども達が運動する所も行ってはならないのです。もし倒れれば、出血するためです。このようにして、この人は年齢30才を越えたのでした。結婚もしたのでした。子どもも産まれました。問題は、この方が三十何歳かになった時、重病になったのです。手術だけすれば助かるのです。しかし、長血の患者ですから、手術が出来ないのです。こういう場合もあります。この人が手術をしなければならないのに、手術自体が出来ないのです。医者が長血の患者であることが明らかだから、手術ゆえに死ぬだろうと話したのでした。だから、そのまま何日か生きて死ぬのがよくないのかと話したのでした。私はこういう人を見たのでした。それで、本人、家族全部、死んでも良いと覚書を書いたのでした。それで手術をしたのですが、教会全体が祈って大騷ぎが起こったのでした。この人が長血の患者であることが明らかなのに、手術をすれば死ぬことが明らかではないでしょうか? それで途方もなく本人が祈って、家族が祈って、相当な事が起きたのでした。この方に奇跡がおきて、手術をして成功をしたのでした。そのような場合の長血の患者を見たことがあります。ところが、マルコの福音書でも今日の本文を見れば、どんな長血なのかというと、苦痛がものすごく激しかったと言われています。医者を訪ねてもよくならなくて、ものすごく苦しんでいたということです。こういう病人が、イエス様にいやされたのでした。これは単純な病気を直す話ではありません。
 
■ 皆様今日、信仰を回復することを願います。皆様の事業を神様は強くさせることができます。皆様の家庭問題を神様は解決なさることができます。皆様の重要な問題を神様は解決なさることができるのです。恐れる必要がありません。信仰を回復することを願います。本当にです。いまは安定したのですが、むかしに伝道運動をしていた時、ものすごく私を困らせる人が多かったのです。あまりにたくさん困らせたのです。だから、想像ができないのです。チュンユン教会で全国に専門性がある七人を呼んだのでした。オ・カヌン牧師等、貴重な方々を呼んだ中に、私を伝道パートで呼んだのでした。そして、国民日報と全新聞にチュンユン教会が出したのでした。この人が夜に寝ないで、電話100通をチュンユン教会にしたのでした。柳光洙牧師の講義をするなと言ったのでした。それで、チュンユン教会が悩んだのでした。役員が集まって悩んで、牧師が悩んだのでした。このように私を困らせた人がいました。米国に行けば、米国で困らせるのです。本当に困難でした。これから私たちから行った人がうまくいけばならないということです。神様がその方を呼んで行かれました。私はその知らせを聞いて、あまり悲しくなかったのです。神様の全能なる御手は、確かにあるのです。
 
■ いまは安定したのですが、私は元々、経済のようなものに欲がなかったのです。釜山で初期に、伝道運動をしていたら、人が駆せ参じて大騷ぎが起こったのです。私の下で事務をする人々がけんかになって、大騷ぎが起こったのです。私はそれを知らなかったのです。お金ゆえにお互いが戦ったのでした。入っても宣教費で、出て行っても宣教費なのに、なぜけんかをするのかと尋ねました。戦う理由も自分たちが、数えるためでした。私は奉仕精神が、そのように強いとは知らなかったのです。私はとても衝撃になって祈りをしました。その人も神様が呼んで行かれました。呼んで行くので、ことは早く解決しました。祈りをしたのです。ソウルに行くので、より一層たくさん集まるのです。いまは、2百教団が私のメッセージを聞くことができないように防止しています。むかしに伝道運動をする時、人々が途方もなくたくさん集まりました。それでまた戦うのです。その時、私が祈りをしました。そして、家もなく生きられないように滅びたのでした。子ども達が学校も行くことができないように滅びたのです。少し前に訪ねて来ました。自分の子どもが学校に行かなければならないので、学費をちょっとサポートしてくださいと言いました。違ったことはNoと言うのですが、それだけはNoと言うことができなくて、考えてみると言いました。私たちは、ほとんど神様の力を信じることができないのです。皆様、聖書を見ることを願います。皆様がくやしい目にあっているようで、困難を受けているかのように見えても、祈れば事件が行われるのです。神様が私たちと共におられるという信仰の力は、無条件に信じるという話ではなくて、科学的です。主の目は義人に向けられ、主の顔は悪を行う者に向けられると言われました。私はそのような体験を多くしました。それで、私たちは信仰回復をしなければなりません。祈ればできないことがあるでしょうか? 皆様、本当に神様の力を体験すれば、事業も家庭も、あらゆる現場が息をふきかえすようになるはずです。この信仰を回復しなければなりません。
 
■ 女の人が、なぜ男の人より長生きするか知っているでしょうか? 子どもを三、四人産んでも、男より長生きするのです。夜明けに早く起きて、食事の仕度をして、どれくらい苦労するでしょうか? 男は回りながら、おいしいことを買って食べるのに、女の人はそのようにしません。ところが、なぜ女の人が長く生きるのでしょうか? むかしに見れば、子どもを十何名産んでも、病院に行かなくても健康です。平均的に女性が十年はより長く生きます。なぜそうなのか知っているでしょうか? 私がハン・スガン博士に尋ねました。ハン・スガン博士は、医療系統で働いているでしょう。とてもおもしろい返事をしました。男性は信仰が弱く、女性は信仰が大きいということです。女性は、信仰がよいのに、男性は、自分の経験、体験をみな取り出して、信仰が生じないのです。そして女性は、TVを見ながら泣いたりします。良いものがあれば、女性は笑って拍手します。ところが、男性は表現をしないのです。男性は、笑いが出てくれば、歯をくいしばって耐えるのです。女性は、表現もして、信仰が良いということです。それでそんなに苦労しても、長生きするということです。これは私が話したことではなくて、ハン・スガン博士の理論です。
 
■ 今日、聖書を見ると何となっているでしょうか? 41節に、足もとにひれ伏して願ったとなっています。46節に、わたしの力が出て行ったとなっています。この話は、私達が信仰を持てば力がくるということです。私達が神様の力を本当に信じればくるということです。イエス様が、力が出ていったと言われました。祈る時、実際に聖霊が働かれるということです。今日、この契約を捕まえて開始することを願います。私の弱い所に、私の事業に、私の家庭に、子どもに、神様は働かれることができるのです。私が本当に信仰を持つ時、暗闇は離れて、聖霊が働かれるのです。
 
■ 2番目です。どんな信仰でしょうか? 噂を聞きました。これがなんの話でしょうか? 証拠とみことばに基づいた信仰です。滅びてしまったイスラエルに、あなたは知らないのか? 聞いていないのか?と話されたではないでしょうか? その話はなんの話でしょうか? 今まであった証拠を知らないのか? そのような意味です。ルカ8章に、軍隊の悪霊につかれた者を直されたことを聞いたのです。風と波を静めるようになったことを聞いたのです。未亡人の死んだ息子を生かしたことも、百人隊長のしもべをみことばで直したことも、手がなえた者、中風病者を直したことも、みな聞いたのです。それで、イエス様がこられたので、その根拠で行ったのでした。今日、私達がどのように神様の力を回復できるのでしょうか? 今まであった科学的な証拠を、聖書の歴史と教会史を見ることを願います。
 
■ 私は信仰を持った人が勝利をして、信仰がない人が失敗した証拠を見ました。この福音運動をする国ごとに時代ごとに生かされたという確実な根拠があります。一時、神様がなぜローマを祝福されたのか? なぜ一時、英国を祝福されたのか? 皆様、ご存知でしょう? なぜドイツを祝福されたのか? その後になぜ、米国を祝福されたのか? だから、私たちは証拠がなければなりません。今日、皆様が契約を捕まえることを願います。神様は、私の問題を解決できるのです。神様は私の弱さを癒すことができるのです。なぜなら、証拠があるでしょう? 確かに証拠があります。それを持ってきたのです。
 
■ 私は今回、レムナントを見ながら、集会に参加すること、メッセージを聞くのを見ながら、1、2つのことを悟ったのではありません。昨日、公演したのは一部で、この子ども達がみことば聞くことが違います。そして、この子ども達が祈りの答えを受け始めたのです。神様に感謝しました。ここに集まったチームたちが、全部、自発的にしたのです。私たちは弱くても、レムナントは弱くありません。それでこれから、私たちのレムナントはずっとしなければならないから、公演をしようとせず、信仰を維持しなければならないのです。これから、この公演をずっと世界的にしなければならないから、本当に恵みを受けなければなりません。裏話をしようとするなら、限りがありません。今回の曲は、チン・ウクがつくりました。恥ずかしいことですが、支援する人がなかったのです。この子は、父母が手助けすることができません。ところが、見たら、信仰があります。この子は高慢になったり、霊的に誤ったりしなければ、まちがいなく成功するはずです。自分でしたと意識しないならば、神様がずっと立てるはずです。最高の大学でいつも一番です。今回踊った子ども達は、米国のプロからも呼ぶ程です。全部、どこかから呼んできたのではなくて、私たちの子ども達です。そして、デボラやサムのような人物は、とても優秀な人物です。それで、英語、韓国語、ダンス、歌など、ほとんどできないことがありません。そして、信仰も良いのです。
 
■ それで、いたずらに私が共同体の話をするのではありません。私は聖書を見て、祈りながら根拠を見ながら、これをしなければならないという考えを持ったのでした。それがすべてではありません。しかし、まずそれからしなければならないのです。まず人が集まると、歌を歌うでしょう? それが全部ではありませんが、それで問題が来るでしょう? 皆様が遊びにいけば、祈祷会をするでしょう? 歌を歌わないでしょうか? 皆様が家に帰ってTVをつけてみるように願います。歌が出てきます。だから、これは簡単な話ではありません。それでこれからまず握らなければならないのです。それで、全世界に共同体を作って、学生達を育てなければなりません。隅々でレムナントを起こさなければならないのです。すると、勉強はいつするのでしょうか? それは、子ども達に尋ねるように願います。夜通し文章を書いて、勉強をします。今回も、一等になったでしょう? この子どもだけでなく、今回参加したあらゆる子ども達が、優秀な子ども達です。私達が神様の力のなかで、できない事があるでしょうか? それで、証拠を持って出てきたのです。なぜイスラエルが失敗をしたのでしょうか? みことばをのがしたのです。
 
■ 歴代の米国大統領は、全部クリスチャンです。一名だけ違いました。ジョン・F・ケネディ大統領です。その人だけカトリック信者でした。この人は、相当な人物なのに、大統領になってから大きい失敗をしました。子ども達に学校で聖書を教えるなと言ったのでした。その話をして、少し後にその人に問題がきたのです。私は、それのためだとは見ませんが、より重要なことは、米国にその時から問題がきたのです。目に見えないように暗闇に覆われるようになったのです。皆様、私達が単にイエスを信じるのでしょうか? 神様のみことばを 信じるのです。
 
■ 私はあらゆる仏教と天理教を理解して認めますが、神様のみことばではありません。それで神様のみことばの根拠で、うわさを聞いて出てきて癒されたのです。より重要なのが、三番目です。最後の節に、こういう ことを話しました。このことを誰にも話すなと言われました。これはなんの話でしょうか? このことを言いなさいとすべきでしょう? このことを誰にも話すなと言われました。死んだ子どもを生かしたから、うわさを立てろと言うべきではないでしょうか? 今、病気がよくなったことが問題ではないのです。死んだ者が息をふきかえしたことが問題ではないのです。みわざが起きれば、他の問題が起きるのです。その話は、なんの話でしょうか? どのようにキャッチできるでしょうか? 本当に、キリストが誰であり、救われる永遠な信仰を捜し出せということです。聖書にこういう話しが出てきます。あなた達が悪霊を追い出した、それが問題ではない。今、みわざが起きたことは問題ではないのです。私たち本物の福音知る人は、多くの答え受けたことが問題ではないのです。反対に問題がきたということも、問題ではないのです。福音はものすごいのです。これを悟らなければならないのです。あなたがたが、必ず記憶しなければなりません。
 
■ 私は見ました。宗教人が熱心に宗教生活をして滅びるのを見ました。私は2番目のことを見ました。クリスチャンが、熱心に信仰生活をして、後ほど失敗するのを見たのです。それで、私は静かに私の胸の中に、神様はいなくて、あらゆる宗教は同じだという気がしたのです。それが私の錯覚でした。私は三番目に、本当に福音を持った人を見ました。ところが、この人が福音は伝えて、多くの人々を変化させたのに崩れるのを見たのです。その時、私は発見できたのです。霊的問題です。それで私がメッセージで、霊的問題を強く話し始めたのです。
 
■ 韓国で有名な伝道者が聞くので、私がその話をしました。メッセージで問題がなにかと、韓国の最高の伝道者が聞いたのです。それで私が霊的メッセージが弱いと返事をしました。私は確かに見たのです。この伝道に対する理解が正しくなる前には、正しく答えを受けることができません。それで今、長血がいやされたことが問題ではありません。子どもが死んで息をふきかえしたことが問題ではないのです。より重要なことは、永遠に滅びない重要なこの契約を正しく悟るべきだということです。聖書66巻と教会史の内容です。その核を悟らなければならないのです。
 
■ 今日、メッセージを終わらせます。私は今日、皆様がメッセージをよく理解をできたか分かりません。すると、今日から答えがくるはずです。皆様がこれから起きることを知っているか分かりません。すると、今日から 祝福の門が開くはずです。私たちはこれから来る重要なことがあります。青少年修練会の仕上げがあります。歴史的な世界宣教大会があります。なぜこんなに献金することが多いのか? 祈りの課題も多いのです。今日、また機能宣教で任命されます。このようにすべきことが多いのです。そのように考える方達があるでしょう。私はそのように考えません。あなたがたが本当にすべきことがないように祈ることを希望するのでしょうか? その時から、大変なことになります。誰かが来なさいといって、私にしなさいと言われることが生きているという証拠です。これから祝福を受けるというサインです。私は見ました。むかし、私の家に常にお客さんが多かったのです。その時は、私の家が裕福に暮らしている時でした。私の家が福音もなく生きて、滅びるサインがきたのに、お客さんが来なくなりました。それがまさに私の家が滅びるサインでした。皆様、違ったことを心配する必要がありません。なぜこのようにすることが多いのでしょうか? 多くないほうが良いでしょうか? 皆様が今なんにもしないことが良いでしょうか? そうではありません。私たちインマヌエル教会は、最高に参加して、最高に祝福を受けて、最高に神様の前に献身することを希望します。
 
■ 今、インターネットで出るので、申し訳ない話ですが、釜山のあの田舎でも、力を合わせて献金をして、目標値より越えました。宣教大会の献金が釜山は考えたより越えたのです。少し話を聞いてみたら、ソウルは 足りないということです。放送で出れば恥ずかしいでしょうが、あなたがたがもしかして知らないのではないでしょうか? こういうことは、話さなくてもできれば、祈りの答えを受けます。キリスト教会史で韓国教会がはじまって千箇所で、現場に2千何名が行って、キャンプが行われるのです。これがどれくらい重要なことなのか分かりません。今、機能宣教が少しずつ起きています。可能ならば、担任牧師は機能宣教チームや多くの宣教チームと1泊して訓練をすれば良いでしょう。何にもメッセージを聞かないよりは、1泊は誰でもできるでしょう? 職場に行って、家に帰らないで来れば良いのです。そして、寝て直接出勤すれば良いのです。訓練を少しずつでもして、本当に知るようにしてあげなければならないのです。
 
■ 私は確かに3つのことを確信しています。神様は目に見えないように、みことばで働いておられます。2番目の確信です。イエス・キリストは、あらゆる暗闇、呪いをみな破って、私たちに救いの門をあけてくださったのです。それが2番目の確信です。三番目の確信があります。信じる者に、祈る時、今でも聖霊で働いておられます。皆様、その祈りをしてみるように願います。この聖霊のみわざが、皆様の家に、事業に、自分個人に臨むようにしてくださいと言うように願います。後ほどどんなことがおきるのか、証しするようになるはずです。この祝福をあらゆるインマヌエルの家族が回復することを希望します。衛星で礼拝するあらゆる教会に、この祝福が臨むことを希望します。今、全世界に5千カ所でメッセージを聞いています。そちらにこの祝福に臨むようになることを希望します。レムナントにこの祝福が臨むことを希望します。
 
<<契約の祈り>>
神様に感謝申し上げます。今日、信仰の力が回復する日になるようにしてください。イエス様に会った者が、あらゆる問題を解決されたように、その日になるようにしてください。真に私たちの問題を、神様はなさることができます。その契約を捕まえる日になるようにしてください。実際に働かれる聖霊が、この方の事業、家庭、個人、あらゆる所に働かれることを信じます。生きておられる主イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン
 
 


 2部/ 主なる神様に聞き従いなさい
(詩81:1〜16)
 
■私たちは、死ぬ時や別れる時、重要なことを話します。キム・ク先生を殺したアン・ドヒ氏が死ぬ時、何の話をするかと期待をしたのに、せずに死にました。だれにさせられたと話すだろうと待っていたのに、何も言わずに死にました。ものすごく重要だと思ったからしなかったのでしょう。私達が重要だと考えることは話します。ナポレオンは死ぬ時、こう話しました。あの海の水は、みな人間が流した涙だな。あの山から吹くことは、人間の溜息だな。ソクラテスは死ぬ時、こう話しました。死刑を受けにいく時に言った言葉です。私は今、死ぬために行く。あなた達は死なないで生きるために行く。誰がより幸福な人であるかは、神が知っているはずだ。ソクラテスが言った言葉です。死刑を受ける直前には、こう話したということです。ちょっと待ってください。私が誰々の家で鶏を一匹買って食べたのに、お金を払わなかった。それを必ず返してくれ。たぶん、良い人であるから、そうだったのでしょう。とにかく、人は最後の別れる時、誰かを送る時は重要なことを話します。
 
■ ダビデはこう話しました。何名か重要な人に対したこと、こういうことはこのように、あのようなことはあのようにと話をしました。その中で悪い人に対する話もしたのですが、サウル王の孫メフィボシェテの面倒を見てやりなさいと話しました。ヨナタンの息子です。自分がものすごく困難にあっていた時、バルジライという老人が手助けした。その息子を覚えなさい。ソロモンに言った言葉です。また、こういう話をしました。必ず神殿を建てなさい。そして、最後にこの話をしました。あなたは力をつくし、男らしくなって、主をおそれなさい。このようにダビデが話しました。私達が良い生活をした方達、立派な方達が、死ぬ時に述べた言葉を集めてみれば、本当に習うことが多いのです。世界で一番良い生活をしたソロモン王は、こういう話しをしました。あなたがたは、みなむなしくなるから、青年の時に創造者を覚えなさい。何かこういうこと等、多くの話を残しました。たぶん、今週に私たちのレムナントは、各々に自分の国で戻るはずです。核心の時も話しました。青年達に私が頼んだのです。皆様が神様の子どもであることが明らかならば、いくつかのことを記憶しなさい。私は地獄に行く民で、神様の子どもではないという人々は、聖書が必要ではありませんが、私は神様の子どもに間違いないと考えるならば、聖書を見なければなりません。私は神様が生きておられ、私達が神様の子どもであるという答が確かにあるために、聖書を詳しく見ます。それで、皆様が神様の子どもであることが間違いないならば、少しだけ良くしても答えを受けます。
 
■ 最初が何でしょうか? 基本を正しくしましょう。基本ができなければ、神様の子どもでも揺れるようになります。私がずーっと教会を六箇所か、七箇所に通いながら習いました。ほとんどみな、困難を受けるのが、福音がなくてやられ、基本がなくてやられるのです。私がどうも私がいた母教会は、いつもけんかをしていたのですが、この人達は、とても無知で基本がなっていなかったのです。そして、福音がありませんでした。だから、貧しくならざるをえなくて、難しくならざるをえないから、せつなかったのです。また、ある教会に行ったところ、あまりに神様を信じなくて、頭を働かせるのです。みなそのようなことゆえにだめになるのです。その次に、ある教会に行ったところ、ここは牧師夫人が役員会も必要なくて、教団も必要なくて、自分勝手にしていました。基本がなっていません。クリスチャンは、基本だけなっていればよいのです。私達が基本がなっていなければ、いつも困難に会います。私達が大きい失敗をしたり、大きい誤ちをすることがあります。それは簡単なことですが、基本的なことはむずかしいのです。私が盗みをしたんだなあ。私がけんかをしたんだなあ。そのようなことは、悟りやすいのです。ところが、基本的なことがだめなのは、悟ることができません。だから、基本という部分がものすごく重要です。
 
■ 私が前に話しました。ずーっと回りながら教会ごとに集会をします。すると、すでに司会者が牧師なのに、賛美を導くのを見れば、この人は牧会をよくするんだな、できないんだな、とすぐ分かります。すでに賛美を導く時に、つまらない言葉を言って、長くして、拍子は完全に違って、音程は自分勝手です。話をしなかったのですが、内心難しいだろうと思いました。ある日見れば、その教会にいることができなくて、どこかへ行ったということです。それが私たち青年達も記憶せねばならなくて、私たち信徒もみな記憶しなければならないことなのですが、基本だけ正しくなっていれば、クリスチャンは、いくらでもできるのです。事実は、夫婦に問題があることは、性格の差ではありません。基本問題がだめだからです。性格の差はいくらでも克服できます。私はある人を見れば、性格の差だと言いますが、そうではないと見るのです。基本部分がならなければ、絶対に対話ができません。何でも基本です。
 
■ ですから、青年達、学生達が、これから勉強をしたり、仕事をしたり、上手にやろうが関係なく、正しくしましょう。聖日学校を預かっても、正しくしましょう。聖歌隊を預かっても、正しくしましょう。これから、職場に行って、お金と関係なく、自尊心をかけて正しくしましょう。ですから、基本ができないから崩れるのです。皆様、基本だけすこしなっていれば、福音を持った人は答えを受けるようになっています。神様の子どもであるからです。ですから、少しだけ基本的なことだけできれば、答えを受けるようになっています。それで、結婚、家庭等の話をしました。特に家庭とは何でしょうか? メッセージです。それを悟ることができなければ、困難に会います。あまりに良くない家庭、良い家庭、関係なくそれがメッセージです。私たちの青年達も記憶しなければならず、おとなも必ず記憶しなければなりません。皆様、今からダビデのように、少しだけ 専門性だけ持って帯びて正しくすれば、神様はそこに答えをすぐになさいます。クリスチャンが、なにをするか、そのような心配をしないで。それは未信者がする心配です。神様の子ども、私たちの副教役者、こういう方達は、これから、私はどのようになるのか、そのような心配をしないで。それは未信者がする心配です。私たちは、そのような心配をする必要がなくて、前にあることを正しくなせば良いのです。
 
■ 一例だけあげます。ダビデが羊を飼ったのですが、羊一匹も失わない最高の羊飼いになりました。普通、羊をなくすようになるらしいのです。このダビデは、獅子が現れて羊をくわえて行けば、獅子をつかまえに行ったのです。普通の子どもではありませんでした。あの遠くから獅子が来たら、石で獅子の頭を殴ったのです。もし失敗したり、のがせば、獅子が羊のおりに入れば、獅子と戦いました。どれくらい、このダビデが正しく したか、獅子に勝ったのです。こういうダビデです。その時、神様はダビデを王に立てて、みななさったのです。ですから、走ってくる獅子の頭を殴ることができる実力ならば、ゴリヤテの頭を殴ることはやさしいのです。皆様、難しくありません。今から福音を持ったあなたがたは、基本だけ正しくすれば、あらゆる答えがみな来ます。皆様、重要なことは、たくさんあるでしょうが、それだけ捕まえても答えが来ます。どんな職業を持っても心配ありません。私はこのような部分に対して説明する時間がたくさんありません。あなたがたが、今は神様の子どもであることが間違いないならば、持っている現在のことを正しくだけすれば、そこにあらゆる連結、答えがみなくるようになっています。青年達にしたお願いです。
 
■ 私が2番目の話をしました。ヴィジョンです。これが問題です。今、未信者はヴィジョンをいだきなさいと教えます。クラークという人は、少年よ大志を抱けと言いました。その話は、ヴィジョンを作りだせということではありません。今日、あなたがた青年達が、必ず記憶しなければならないことは、既に世界福音化というヴィジョンが与えられたということです。ここで、すこしの差のようですが、相当な差が行われます。皆様の機能、皆様の賛美、皆様の職業が、全部、ヴィジョンを成し遂げる道具になるということです。ですから、起きた事件がヴィジョンを成し遂げる計画になるのです。そうすれば、ものすごく変わります。それで、神様のなかで本当に基本だけ正しく揃えれば、私たちは答えを受けるようになっています。私たち学生達が戻ったら、今は一等でも、二等でも、びりでもかまいません。正しく勉強しましょう。皆様、これから職場に帰ったら、契約を捕まえて正しく仕事をしましょう。クリスチャンが、あまりに仕事ができないのです。そこに礼拝堂まで行きます。そこに訓練を受けようと、また抜けるのです。しかも合宿まで行きます。これで、世の中でクリスチャンが、首が飛ぶことだけが残ったのです。このようになればこまります。本当にです。何も難しいことはありません。私たちの男性や働き人は、メモ紙を持って通いながら、必要なことを書いて、祈りましょう。信仰生活が何でそんなに難しいでしょうか?
 
■ 昨日もそのような話しをしました。行く時ごとにストレスを受けるのです。食堂をしている方がいるでしょう? 私たちは普通、10人、20人で食事をしにいきます。ところが、行く時ごとに感じます。食堂も頭が回る人がしなければなりません。食堂で仕事をする方達はいるでしょうか? その人々は、行けば隈から座りなさいと言います。大きい食堂が、おもにそうです。食べ物も隈から置きます。そのように順序通り隈から座りなさいと言います。ほとんどの食堂がみなそうです。これには理由があります。早く整えて、早く食べて、早く行きなさいということです。それでこそ仕事ができるためです。ところが、食堂に10人、20人食事をしにいく時は違います。その中には、必ずオーナーがいます。すると、その人をすみに座らせないで、中に座らせるのです。それで、私は食事する時ごとに見れば、いつでも私たちメンバーと、ご飯を運ぶおばさんとがけんかをします。私が中に座っているから、中から食べ物を置きなさいと言うのです。おばさんが、また持って端のほうに置きます。すると、私たちのメンバーは、こちらに置きなさいと言うのです。それとともに、毎日けんかをします。そのことを見れば、私は内心笑います。この程度は、分かってから、食堂をすべきなのです。ところが、江南の高級食堂に行けば違います。この人たちは理解しています。お客さんに仕えて来る方は誰、応対した方は誰であることまでみな把握します。そして、行けば私の席を特別に用意しておいています。これが差異点です。何でも少しだけ専門性があるならば、仕事ができるのです。その食堂でご飯を食べる時は、ものすごく気分が良いのです。この人たちが、すでに私たちを知っているかのように、よく待遇します。何でも少しだけ上手にやればできるようになっています。あまりにできないから、その上にだまして、詐欺を働くことまでするからだめなのです。そして、私たちは既にヴィジョンが与えられています。それで、私たちの青年達、レムナントは、帰って三番目のことを捕まえるように願います。
 
■ 今は挑戦しましょう! 最高に向かって挑戦しましょう! そして、方法は最善を尽くしましょう! そして、時刻表を見て最適に合せるようにしましょう! これは未信者とは違う話です。戦って勝てということではありません。神様に最高の栄光を帰しましょう。知っているでしょう? シーバーという人が、清掃夫で就職して、そのような祈りをしたのです。神様、私は世界で一番清掃を上手にやる、清掃によって神様に栄光を帰す人になるようにさせてください。歳月が長く過ぎて、後ほどその会社で社長になりました。世界を驚かせた社長になりました。それが信仰生活をする方法です。これから、皆様は静かにいないで、挑戦しましょう。最高に向かって挑戦しましょう。
 
■ そして4番目です。今は姿勢、バランスを揃えましょう。必ず祈りを回復しましょう。そして、皆様、する事に対してはご飯を食べようとせずに、勉強を続けましょう。その話は、学校に行きなさいという話ではなく、そのことをずっと研究しなさいということです。皆様が伝道するほどには、成功しなければなりません。どれだけ私がお金をもうけるべきでしょうか? 伝道するほどには、お金をもうけなければなりません。それが私達が生きるバランスです。世界宣教するほどの大きさは成功しましょう。そして、最後にするお願いがあります。何で幸福なのでしょうか? 何ゆえに生きるのでしょうか? それが重要です。パウロの告白を見ましょう。何ゆえに生きるのでしょうか? その部分に対する話をしました。私たちは動物と違って、一般の人と違う部分がそこにあります。私は見たのです。どんなに立派で成功した人も、実際には死んでいくということを私は見ました。私は過去に何度か国会議員をした有名な人の家に行ってみたのです。学校を十個持っていて、国会議員をしていました。国会議員を五回していました。しかし、その方の家を知るようになって、行ってみるようになったら、学校はみな無くなっていました。そして、息子二人がいるのに、二人とも精神病患者です。ですから、幸福なのではありません。複雑な話をする必要なく、私は福音でなければならないと確認できました。それで伝道するために生きるべきだという確信がきたのです。それで、祈れば答えがくるという証拠がきたのです。それゆえに生きて、それゆえに幸福なのです。その話しが、まさに今日の本文にあるように、主を見上げなさい。これが成功する者の最後のメッセージです。主に聞き従いなさい。私達が成功もせねばならず、みなせねばならないけれど、本当に私の幸福はどこにあるのでしょうか? レムナントのあなたがたが基本も揃えて、成功もして、みななったが何で幸福で、何を見上げるのでしょうか?
 
■ 今日の詩篇81篇とちょうど合うようになりました。 'わが民がわたしに聞き従い、イスラエルが、わたしの道を歩いたのだったら。わたしはただちに、彼らの敵を征服し、彼らの仇に、わたしの手を向けたのに。' もしこの席にあなたがたの中で、初めて来た方がおられるならば、あなたがたが少しだけ祈ればよいのです。神様を知るようにさせてくださいと祈ればよいのです。私達が何を見上げれば良いのかが、ものすごく重要です。子ども達がおかしな道に行けば、父母が捕まえます。子ども達が危険な道に行けば、両親が殴ります。母親をよく見て、ついてこいと言います。なぜそうでしょうか? それは私だけ見上げなさいということではなく、それが最も安全に行く道だからです。主を見上げなさい。皆様、隠していないでしょうか。難しいことがあれば、簡単です。主を見上げなさい。すると、ただちに、わたしの手を向けて事を解決すると言われました。
 
■ 私は何度か祈りの答えを経験しました。伝道師になったのに、どれくらい難しかったか分かりません。勉強することも難しく、経済も難しく、家庭も難しく、みな難しかったのです。教会の働きも難しく、どれくらい難しいか分かりません。どこにも話すこともできなくて、あまりに難しかったのです。しかし、人が変に変わるのです。その時、私が神様にした質問です。神様、本当に神様が生きておられるならば、私に答えをください。誰かが見たら、笑うことでしょう。伝道師の時、そうでした。すると、私がそれ以前にはどうだったかということです。私はその祈りだけしたのに、神様が答えをたくさんくださいました。私が副牧師だった時、ものすごく困難がきたのです。福音を知らずに信仰生活をすることは地獄です。私は副牧師の時、教会に行ってみると地獄でした。人は感情が高まると、教会が戦う教会となります。教会員の間で感情が傷つくと、後には戦うようになります。これがますます大きくなって、信徒も派に分れるようになりました。信徒がとても戦うのです。これが地獄であって、何の教会でしょうか。
 
■ その時、私が神様に祈ったのです。神様、私を助けてください。私は本当に道がありません。私は神様の前で率直な真実の祈りを何度かしたのですが、それをみな答えられました。神様、私を助けてください。その時は、神様がいるか、いないかそのような質問はしなくて、神様、助けてくださいと言いました。本当に私は道もなくて、背景もなくて、何にもありませんでした。違った所は、そのような話をしてはなりませんが、神様の前では何でも言えるから。副牧師で月給をもらうことができなければ、私の子ども達が幼稚園に行くことができません。私の娘も育てることができないと、どのようにするのでしょうか。私はこれゆえに、ここにいる理由がありません。私はどのようにするのでしょうか? 本当に、明け方ごとに、そのように祈ったのです。私を助けてください。福音を伝える道を開けてください。本当に伝道できる教会に導いてください。海でも良くて、山でも良くて、農村でも良くて、開拓教会でも良くて、どこでも良いから私を送ってください。この祈りに神様が答えてくださったのです。出てきながら、心の底から、それでも田舎はだめだと思いました。私は田舎には行ったことがなかったからです。それで、今、釜山インマヌエルで皆様に会っているのです。今、釜山に、ソウルに今、力をつくして伝道運動を推しています。これが単に起きたことではありません。あなたがたは、単に神様の恵みでするでしょうが、私は祈りの答えです。私が開拓を始めるやいなや、また重要な困難がきました。私は本当に神様に祈りました。神様、本当に私に恵みを与えて下さい。ところが、その後に降り注ぐ伝道とこの答えを下さいました。私は理解できます。主を見上げなさい。あなたがたは、主に聞き従いなさい。皆様、理解がうまくできないでしょうが、主に聞き従いなさい。皆様このように分かってはなりません。極限の人生になって神様をさがしてはならないのです。ある方が、癌になっていろいろな方法で努力しました。どんなにしてもだめなので、最後に神様を探したのです。勉強もよくやった人、お金も多い人、神様が必要でしょうか? 全国、世界でしてみなかったことがなかったのです。この人が良いと言われることは、全部みなしてみたのです。それでもだめでした。その時になって、神様。それも幸いです。しかし、今日、聖書のみことばは、そのような言葉の意味ではありません。今、主を見上げなさい。それが生きる道だということです。もちろん、その時もそうでなければなりませんが、今、主を見上げましょう。すると生きるということです。皆様、事故がおきて、深刻な状態でも主を見上げることができます。
 
■ 私の友人の一人は、釜山で見れば、いつも信仰生活をする途中でやめるのでした。伝道師をしても、止めて、神学院を卒業できません。している途中で放棄するからです。神様が信じられないということでした。そのような人が、伝道師をするので、伝道して止めてしまいます。以前に紹介したことがあります。瞬間的に、しまったと思ったそうです。自分が感じたことは、しまった、この瞬間しかありません。あっという瞬間なのですが、道でそのようになったのです。自分は行くのに、相手方のトラックが入ってきてぶつかったのです。これは仕方がありません。何か私が滑り落ちたり、失敗をしたりするのはまだ良いのですが、行くのに相手方の車がぶつかってきたのです。江原道から降りてくるトラックと、この小さい車がぶつかったから、どのようになるでしょうか? その瞬間が、しまったということです。カーブを曲がろうとしたら、車がぶつかってきた、それが自らの最後の記憶だということです。だから、大騷ぎが起きたのです。病院に運ばれました。腕、足のようなものは治療することもできなくて、重要な部分をまず治療したのです。夫人、家族がみな集まって話をしたのですが、医者がだめだと言いました。呼吸器だけはずせば、死ぬだろうと言いました。このようにずっと生きているより、気楽に死ぬほうがよりよいと言われました。最後の同意は、両親と夫人がしなければならなかったのです。ところが、その奥さんは苦労するよりは、はずすのがよいと言いました。そのお母さんは、だめだと言いました。それで、私は妻より母が良いなと思いました。ところが、これを捕まえてお母さんが祈ったら、息をふきかえしたのです。それをするのに3ケ月かかりました。この人が意識が戻るのに、3ケ月がかかったのです。目を開いてみたら、腕、足は話す必要がなく、めちゃくちゃでした。腕、足は折れて直すということは病気でもなくて、この人は重要な部分をみなケガをしたのです。しかし、この人が息をふきかえしたのです。意識も正常に戻ってきました。その時になって、神様を求めたのです。神様、ありがとうございます。自分は感謝して泣いたのは初めてだということでした。涙を流しながらありがとうございます。足をひきずっても感謝ですと言いました。これで回復しました。それで牧師になったのですが、今でも足を引きずっています。空港で会ったのに、空港でもたくさんおじぎをします。それで、私がその方にそのような話をしました。神様があなたを本当に愛しておられるようだと言いました。そうしたら、自分もそうだと言いました。話さないけれど、その中にはみな含まれているのです。
 
■ 今日の本文は、そのような本文ではありません。皆様が列車にぶつかって、200M はねられて、主よと呼ぶことも良いのですが、今すぐに見上げようということです。なんの話なのか分かるでしょうか? 私たちの人生が、そのような極限状況に行って、分別なく主よと言うより、今、主よと言いましょう。今、主を見上げようということです。それとともに重要な話をします。8節に '聞け。わが民よ。わたしは、あなたをたしなめよう。イスラエルよ。よくわたしの言うことを聞け。' 10節に 'わたしが、あなたの神、主である。わたしはあなたをエジプトの地から連れ上った。' 14節に 'わたしはただちに、彼らの敵を征服し、彼らの仇に、わたしの手を向けたのに。' 本当に不思議なことです。皆様は、今日、この話を悟らなければなりません。主を見上げましょう。
 
■ それとともに、今日、2番目にどんな証拠を持ってということでしょうか? 1〜4節を見ると 'ヤコブの神に喜び叫べ。' それがなんの話でしょうか? むかしに、神様がヤコブに与えられた恵み、それを持って今話すということです。これは、イスラエル民族の祭りの歌です。これは、忘れてしまうなということです。今日、確かに5節にヨセフに与えられた証拠。5, 10節に、エジプトの地から出てくる時、7節を見ると荒野での神様のみわざ。特に3節を見ると、過越しの祭り、仮庵の祭り、証拠を話しています。忘れてしまってはならないのです。皆様、今日、この祝福を受けてくださることを願います。ところが、イスラエル民族が、三番目のことを記憶できなかったのです。どのように主を見上げるのでしょうか? 皆様、大部分がそのようなことです。主を見上げるのに、どのように見上げるのでしょうか? 単に祈るのでしょうか? 神様が見えないのに、どのように見上げるのでしょうか? この簡単なことを、大部分の人々が知らず、イスラエルの人々が知らなかったのです。
 
■ それで、聖書箇所三個が、まさに道になるのです。ヨハネ14:6 'わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。' 皆様が神様を信じられないことが正常です。神様は見ることができません。それで、受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。皆様がキリストがなんの話かと知って、受け入れれば、すぐに聖霊のみわざが起き始めます。すると、どのようになるでしょうか? 聖霊の働き。皆様に答えがあるはずです。私たちのレムナントに答えがあるはずです。そのようになってこそ、主を見上げることができるのです。この部分をイスラエル民族がのがしたのです。それで、旧約の話が、全部、福音の話しなのに、それをのがしたのです。聖書をすこし詳しく見る方達は知っているはずです。なぜエジプトに奴隷になっていた時、羊の血を塗って、血の捧げものをささげなさいと言われたのでしょうか? その話しが、この話です。道を知らなかったのです。なぜ、あのバビロン捕囚になった時、処女がみごもって男の子を産むと言われたのでしょうか? その話しは、なんの話でしょうか? イスラエルが道を知らなかったのです。今、私達が道を知らないでいます。皆様、簡単です。キリストを知って受け入れる時、聖霊の名前で働かれます。マルコ10:45 皆様がこの事実を知って信じる時、皆様の運命、呪い、災いが、すっかりみな変わってしまいます。
 
■ 今日も見ると、韓国でとても有名な易、シャーマニズムの人が、教会に出て来ました。今日、礼拝をよくささげて行きました。私たちは記憶しなければなりません。皆様がイエス・キリストを知る瞬間、道を知る瞬間に、運命、呪いからすっかりみな抜け出します。少しも心配に浸る必要がありません。皆様の家系に流れたあらゆる呪いが終わります。罪と死の原理からあなたがたを解放した。それで、今から少しだけ基本だけ揃えればよいのです。これからは、あなたがたが少しだけ姿勢だけ揃えればよいのです。これからは、少しだけ皆様が祈れば、答えがおきるようになっています。道を知っているためです。Iヨハネ3:8に、悪魔のしわざを滅ぼしてしまわれました。もしむかしに悪霊に仕えた方達は、心配する必要がありません。それでも、先生、夜にしばしば苦しめられるという方達、何にも関係ありません。誰かが私にたずねました。先生、私がムダン(霊媒師)を40年しました。夜に寝れば、悪霊が現れて困らせると言いました。具体的に話してくれと言ったところ、お前はなぜイエスを信じるのかと言うと言いました。どのようにすれば良いでしょうかとたずねたのです。私は答を知らないと言いました。悪い霊が夢に出て話すことが、正しい話か、間違った話かとたずねました。それが利益を与える話か、損害をあたえる話か。本人が皆知っているのです。すると、心配する必要はありません。幼い子どもが困難にあえば、両親が知って、まず手助けします。当分、そのような問題があるでしょうか?心配しないで。神様があなたを特別に手助けされるのです。たぶん、大部分の人は知らないでしょうが、ここに易、シャーマニズムをしていて帰ってこられた方達は、私の話を分かるでしょう。心配する必要がありません。神様が息子を送られたのは、悪魔のしわざを滅ぼすためです。これはすでに旧約の時、証拠されたことであったのに、イスラエルの人々が知らなかったのです。創世記3:15に預言されました。 '女の子孫がへびの頭を踏み砕く.' それなら、私達がする最後の仕事は何でしょうか? あなたの口を大きく開けよ。私達が神様の子どもであることは間違いないでしょうか。皆様、小さい問題で戦わず、あなたの口を大きくあけよ。わたしが、それを満たそう。もう一度、お話しします。私たちの賛美する方達、こういう方達が祈りながら口を大きく開けましょう。
 
■ 今回も、中央アジアに500坪になる建物を私達が買いました。今回、宣教大会をしても、可能なかぎりお金を減らせと言いました。可能ならば、ご飯も弁当を食べなさい。可能ならば、ホテルも一番良くない所に連れていって泊まりなさい。そして、余ったお金は集めて共同体訓練場を作るのです。そこで先ず一番にすることが賛美です。ですから、皆様が準備しなければなりません。これから、インターネットで殆どできるようになるから、これから放送は問題ではありません。皆様、知っているでしょう? 新聞社、放送局が存在するのかということに対して質問が出てきています。これからは、個人の放送局が出てくるはずです。そこでインターネット個人放送が最高のデータで出てきます。今朝、ニュースに少し出てきました。新聞購読がどんどん落ちています。それしか仕方がありません。時代をそのように読めませんか? これから、なくなることもあります。その話がわからないでしょうか? 世宗大王に、これから人々が全部、携帯電話を持って通うと言うと、全部、狂ったと言うはずです。今、みな持って通っているでしょう? どんどん変わります。仕事がなくなるということではなく、変わるのです。そして、景気がちょっとむずかしいのですが、当然なことではないでしょうか。変化して、投資して、変わる過程です。なぜ私がこの話をするのでしょうか? これから、宣教戦略も変わります。教会だけ知らずにいて、他の団体はみな先んじています。
 
■ あなたの口を大きくあけよ。わたしが、それを満たそう。ただ条件があります。 'わたしが、あなたの神、主である。わたしはあなたをエジプトの地から連れ上った。'と言われました。それがなんの話でしょうか? 皆様をサタンと暗闇の力から救い出されたのです。すこし良い生活をして、滅びる未信者ではありません。歌をすこし歌って、ご飯も食べることができなくて死ぬ、そのような未信者ではありません。世の仕事をちょっとして、ご飯だけ食べて死ぬ、そのような存在ではないのです。エジプトの地から救い出されました。あなたの口を大きくあけよ。わたしが、それを満たそう。こういうメッセージを与えたのです。主を見上げましょう。皆様、一度してみるように願います。主を見上げるということが、理解できないのでしょうか? 飛行機が羅針盤をのがせば、大変な事になります。船が行くのに、羅針盤を見て行かなければならないのに、それをのがせば、どの岩に当たるか分かりません。私たちの人生に最も確実な羅針盤が何でしょうか? 福音のなかで主を見上げましょう。信仰生活を長くした人も、理解がよくできないようです。特に、牧師の子どもは注意しなければなりません。そして、最高に用いられる音楽する人々が、注意しなければならないのです。万が一下手すると、一番祝福受ける人と知って、悟ることができないようになります。
 
■ 皆様、既に知っているはずです。賛美した天使が堕落して悪魔になりました。よく考えてみましょう。すると、あらゆる解釈がみな出てくるようになります。なぜ音楽する人が重要でしょうか。なぜどんどん問題に合うのか、皆分かるようになります。今はエジプトからあなたを救いだした。それで皆様が基本だけ揃えれば、答えを受けるようになっています。あなたの口を大きくあけよ。わたしが、それを満たそう。釜山で初めて行った影島に入るのに、一番前に見えるのが天理教でした。しかし、教会は小さかったのです。私が天理教に行って見回しました。2000坪ほどありました。それと何の関係もないけれど、私は2000坪以下の教会はしないと考えました。真理とは何の関係もありません。しかし、私の胸の中に、私達が天理教信者より信仰がなくて 良いだろうか? と思ったのです。すると私達が持っていることがあるのでしょうか? ありません。それは、私と何の関係もない話です。それで3500坪の土地を買う時も、私たちにはお金がありませんでした。なんの関係ない話です。元々、私は計算がよくできません。それと関係なく、私は神様の働きを知っています。
 
■ 私たちは周辺に土地をみな買いました。とても重要な方が、絶対に一カ所を売らないでいます。それだけ買うようになれば、私たちは始めます。心配する必要がありません。私が影島に行って、大きい土地を買うためにみな尋ねたのです。あの方はものすごくお金が多いとうわさが立ちました。私がある土地を尋ねました。6億円になると言われました。売るのかと尋ねたら、売らないと言われました。何かを建てることに計画されていると言いました。土地が良かったのです。それで私がいくらくらいになるのかと尋ねたら、6億円くらいなると言いました。出てきながら、そんなに高くないな.. と言ったのです。といったところ、その人が私をお金がものすごく多いと思ったのです。お金6億が、高くないと言うから、この人がどれくらいお金が多いかと思ったのでした。一時、うわさが立ちました。東三第一教会に身長が小さな牧師が、お金が多いと町で噂されたのです。私は、神様の子どもなので、それを心配する必要があるでしょうか? 必要ならば買うのです。はじめに行って見たら、影島に空いた土地は一箇所しかなかったのです。国会議員の土地という真ん中に、大きい緑地がありました。その時、私が失敗したのです。買おうと言ったのです。ところが、その町で一番長生きした人が、私に話しました。この土地は使うことができない土地だと、買ったらお金を捨てることだと言われたのです。それでも、私が見たら違ったのです。このまま捨てられるはずがない土地であったのに、今、そちらにはアパートが入っています。そして、10倍以上、値段が上がっています。その時、私達がその土地を買っていたなら、教会を建てて、お金も儲けたでしょう。
 
■ あなたの口を大きくあけよ。私たちは神様の子どもではないでしょうか。私達がむやみに走り込んではならないでしょうが、今は力を合わせて祈って、口を大きくあけましょう。私達が未信者より信仰がなくてはだめです。影島に行けば、鳳凰マンションというのがあります。この未信者が、お金一つもなく、土地の主人に行って話して、建築業者を付けてアパートを建てたのです。みな建ててしまって、話を聞いてみると、その未信者が約10億円を儲けたということです。アパートを建てるのに1年もかからなかったのです。それで、静かに見て、未信者もあのようによく儲けるのに、私達が本当に祈るべきだと見えました。今回、ある牧師がそのような話しをしました。ソウルで一番良いゴルフ場ができたのですが、会員券が5千万円だということです。 100億円つかって建てている中に、会員が入ったのに150億円にもなるらしいのです。お手洗も完全に宮殿のように立てています。みな建てて、お金一つも入れなくて、その人は30億円を儲けたということです。しばしばお金を話して、そうでなくても頭が痛いのに申し訳ないけれど、未信者がこのようによく儲けます。私たちクリスチャンは、今は心の門を大きく開かなければなりません。皆様、広告をよく聞いて、教会の働きに力を合わせて祈って、口を大きくあけましょう。主を見上げなさい。完壁ではないでしょうか? エジプトから出てきたから、主を見上げなさい。そして、あなたの口を大きくあけよ。わたしが、それを満たそう。一度だけしかない私たち人生に、恐れる必要があるでしょうか? わたしが、満たそう。祈りの答えがこなければ、しなければ良いので、祈りの答えが来れば、すれば良いのです。何の問題にもなりません。それで皆様が今日、この契約を捕まえなければなりません。整理をします。
 
■ 私たちのレムナントは記憶しましょう。これから正しく、いくつかの基本だけ揃えましょう。すると、あなたがたは成功するようになっています。そして、これから神様の子どもだから、心配せず、主を見上げましょう。なんの話でしょうか? 祈りましょう。今は、小さくせず、口を大きくあけましょう。するとわたしが、それを満たそう。この契約を捕まえて、米国に、ヨーロッパに、戻って行くべきです。私たちの聖徒は、この契約を捕まえて、現場に戻るべきです。それでも、先生、私に問題があるのに、どのようにするのでしょうか? 1秒後に終わることができます。私は主を見上げます。そして、主に任せるのです。普通の人は知らない話です。未信者がどのように知っているでしょうか? 霊的な目が暗い者が、どのように知っているでしょうか? 私は主を見上げます。私の最も重要なことを主に任せます。すると、答えがきます。この祝福をあらゆる聖徒と レムナントが受けて味わうようになることをイエスの御名でお祈りします。
 
<<契約の祈り>>
神様に感謝申し上げます。主を見上げる祈りの門が開かれるようにさせてください。救われた者の祝福を知る霊的な目が開かれるようにしてください。これから私たちは気落ちしていないで、口を大きくあけるようにさせてください。不信仰の場にいないで、大きく開くようにさせてください。私たちは、絶望と色々な不満の中にいないで、私たちの口を大きく開くようにさせてください。特に私たちのレムナントに力を与えて下さい。私たちの役員に大きい力を増しくわえてください。私たちの教役者に驚くべき霊的な力を増しくわえてください。私たちの聖歌隊と、これから賛美の働きをする者に、驚くべき知恵を与えて下さい。世界共同体が起きる時代的な働きがあることを感謝申し上げます。この働きに賛同するあらゆるしもべに、答えてください。イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン