2004年8月29日インマヌエル教会聖日メッセージ


 1部/ ペテロの告白
(ルカ9:18〜27)
 
■ 十何年か前に、前にある海洋大学に入っていってみました。もちろん、伝道するために入っていったのです。その時は6月だったと思います。ものすごく暑かったです。入っていって見たら、学生達が運動もして、パーティーもしていました。入っていってみたら、キリスト教の団体が集まっている部屋がありました。予想していたのですが、座っている学生達を見たら、力がなくて、勇気がないように見えました。学生達に、ここに入ったら、老人ホームのようだと冗談を言いました。それで、学生達も笑いました。これくらいクリスチャンに力がありません。世界福音化は不可能なのです。
 
■ いったい、なぜそうなのでしょうか? 私は幼い時から教会に通ったゆえに、細かく見ました。クリスチャンは、未信者よりあらゆる部分に劣っているのです。なぜそうなのでしょうか? 正常な信者でしょうか? その程度ならばかまいません。クリスチャンが、現場でほとんどさまよっています。そして失敗しているのです。その理由は何でしょうか? 私はそれを知らなくて、幼い時、信仰が育ちませんでした。それで幼い時からキリスト教の家庭で、教会に通う子ども達が問題なのです。言わば、私たちの子どもたち、皆様の子どもたちが問題なのです。それで、教会学校はものすごく重要です。私たちの中、高等部と教育機関がものすごく重要です。なぜなら、それが問題になるためです。
 
■ 途中でイエスを信じた人々は、ほとんどすべて、問題が起きて、霊的なことを体験してきたゆえに、説明が簡単です。幼い時から教会に通いながら、重要なことを悟れずにいたら、とても難しくなります。それで、サムエルがエリ祭司長の家に行ってみたら、エリ祭司長の家の子ども達が全部堕落して、滅んでいました。それを見て、サムエルはものすごく祈ったでしょう。サムエルは、立派な指導者になって、イスラエルを生かすこともしました。ところが、歳月がたくさん過ぎて、サムエルの息子たちがまた滅びたのです。こういう理由は、簡単に一つにあります。私達が教会に通いながら、重要なことを悟れなければ、そのようになるのです。むしろ、未信者より難しくなります。それで、胎児、嬰児部から中・高等部と、大学部等、教育機関は大切にすべきです。幼い時から重要なことを見ることができなければ、信仰が育ちません。
 
■ 私の子どもが小学校2、3年の時、成長するのを見ました。ところが、教会学校の先生が何度も変わるのです。だから、この子どもの信仰が育つことができないのです。なにかを見ることができないのです。父は伝道師だとか、牧師ではないでしょうか? これが決定的な問題としてくるのです。この子どもに正しい福音を植え付けなければならないのに、そのようにできないのです。それで心配になって、子どもを見たのですが、ある時には数ヶ月間、先生もいませんでした。だから子どもが、先生もいず、出席チェックもしないから、献金で好きなものを買って食べたりしました。事実は、牧師の子どもと長老の子どもが、それで難しくなるのです。途中から信じた人は、むしろ簡単です。皆様は死ぬほどたたかれてきたゆえに、話しがよく通じます。
 
■ ある人は、お金が多い時は寺に通うのですが、滅びて教会にくるのです。感覚的に、どこへ行けば生かされるかを知っているゆえに、来るのですが、よくきたのです。問題は子ども達です。だから、信仰生活をしながら崩れるのです。その後、信仰生活を正しくしたこともなくて、しても崩れるのです。その後は、世の中に出で行くと、世の中がとても良く見えるのです。まず私は、日曜に教会に行かないことがとても良かったのです。日曜日なのに、教会に行かずに、友達と一緒に回って、列車に乗って遊ぶのが、とてもおもしろかったのです。幼い時から聞いたことがありませんでした。信仰生活を良くしなければならず、そうしないと罰を受けるような話しだけを聞いたためです。日曜に遊び歩く時、バスが揺れれば、ちょっと怖がったりしました。その他にはなんの差もありませんでした。そのようなある日、私は時間が経ちながら完全に滅びたのです。神様の民なのに、そのように通ったので、完全に滅びたのです。それで、私はでたらめでしたが、教会に通うほうがよいという気がしたので、また教会に行ったのでした。たぶん私だけ信仰生活をそのようにしたのではなくて、ほとんどそのように信仰生活をしたでしょう。頭が良い人は、より一層、葛藤があったでしょう。特に幼い時から信仰生活を良くした人もいます。私の友人一名は、幼い時から信仰生活を本当に良くしました。なぜなら、その子は幼い時から腹が痛くて、いつも祈りをするので、信仰がすこし育ったのです。そうでなければ、信仰生活できるようなことはありません。
 
■ すると、私たちレムナントは、その状態で育って世に行けば、世の中が良くて、みな滅びるのではないでしょうか? 何を教えてやって、何をしなければならないのでしょうか? 今日の本文の中に、とても重要なものが出てきました。長く話す時間がありません。今日の本文の中に、とても重要な3つのことが出てきました。一番目が、ルカ9:18-20です。最も重大な問題を質問したのです。イエス様がたずねられました。人々がわたしのことを誰と言っているかを尋ねました。大部分の人々が、エリヤのようだ、バプテスマのヨハネのようだ、預言者のようだと話しました。このように信仰生活をしてきたのです。クリスチャンが、全部揺れて滅びる理由は、このように信仰生活しているからです。イエス様が、エリヤ、バプテスマのヨハネ、預言者のようならば、教会に来る必要がありません。イエス様が、単なる預言者ならば、私達が献金する必要もなくて、そのように通う必要もないのです。この部分がものすごく重要なのです。
 
■ この時、ペテロが告白しました。 '主は生ける神の御子キリストです' 私たちの大学生と中、高等の学生達は記憶しなければなりません。皆様が時間ができ次第、訓練をどんどん受けながら、時間ができ次第、伝道も何か十分に理解しなければなりません。そうでなければ、皆様が現場である日、問題にぶつかる時、だめになります。それに対する答をペテロが告白しました。イエス様は、生ける神の御子キリストですと返事をしたのです。この話は、簡単な話ではありません。この部分を私が知らなかったので、教会に通わなければならない理由がなかったのです。私は簡単に話せば、正しくしていたのです。
 
■ ここに対する答がなく教会に通うということは、とても問題になるのです。それで、胎、嬰児部はそれにふさわしく、教会学校、幼年部はそれにふさわしく、中、高等部もそのように説明をしてやられなければなりません。大学生らしく、おとならしく説明されなければなりません。皆様にキャンプに行きなさいという理由は、おとならしくこれを確認しなさいということです。たぶん、今回、キャンプに行って、正しく誠実にした人は、全部、大きい答えを受けたでしょう。これを知らないので、問題がくるのです。どんなに学者でお金を持っているとしても、この単語を知らなければ、3つの問題は解決しません。人間に来る呪い、運命が解決しません。そして、私たちは知ることもできないサタンと地獄の勢力を解決できないのです。神様がおられるかどうかも、まったくわからないのです。だから解決しないのです。それで、神様がキリストを送られたのです。それで、イエス様が弟子に尋ねられた重要な質問、この人たちはわたしのことを誰だと言いますか、あなたがたはわたしのことを誰だと言いますかです。そのように尋ねたのです。皆様、これが本当に分かったなら、働きが起きます。私はこれ以前には、信仰生活ができませんでした。こういう方法で子ども達が教会に通うならば、大変なことになるのです。そのような意味で、牧師の子ども、執事の子ども、長老の子どもに問題が生まれるのです。なぜなら、この部分に対する本物の答を知らないのです。単に通ってみて、教会に来るのです。親が通うためです。これは普通の危機ではありません。それで、教会学校、各機関をおいてみことば運動をするのです。
 
■ もう一度だけ、確かめるように願います。皆様の家庭と皆様個人と、皆様の家系に入る呪いを見たことないでしょうか? また、これからくるのではないでしょうか? それを解決しなければならないでしょう? それよりもっと重要なことはありません。それで主は生ける神の御子キリストですということです。今、多くの政治家たちが政治もして、教授たちが教えたり重要なことをします。それが価値がないという意味ではありません。しかし、それよりもっと価値があることが何でしょうか? それを知っていなければならないのです。人生の一番重要な単語がこの単語です。マタイ16章を見れば、イエス様がこの話をなさる時に 'バルヨナ・シモン。あなたは幸いです。このことをあなたに明らかに示したのは人間ではなく、天にいますわたしの父です。' それとともに、ものすごい祝福を話されます。 'あなたはペテロです。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。' そして、天国の鍵を与えると言われました。もし今日、教会に初めて来られた方がおられるならば、ここに対する質問を始めなければなりません。キリストが何でしょうか? もし引っ越ししてきて、私たちの教会に登録した方がおられるならば、他のことを見ず、この質問からするように願います。イエス様がこの質問からなさったのです。皆様の人生で、大変疲れることが生じるならば、この質問からするように願います。私とキリストが、どんな関係なのか? これが信仰生活のとても重要な開始になります。この時から答えの門が開くのです。
 
■ 私は、私たち韓国では一番福音をよく伝えた方は、キム・ジュンゴン牧師だと考えています。その方がこういうことを話されました。一度も戦っていないのに、全世界を掌握したキリスト、彼は誰なのか? このように大学生に話をされたのです。一度も文を書かなかったのに、その方に対する文が一番たくさん出ている、いったいその方は誰なのか? あらゆる王、あらゆる将軍、英雄を全部合わせたより大きい影響を与えた、その人は誰なのか? 2004年は、イエス様が来られて2004年になったという意味なのですが、歴史の主人公のこの人は誰なのか? 大学生にそのように説明をしたのです。私はそれを聞きながら、たくさん考えました。本当にその人は誰なのか? 彼はまさにキリストです。どれくらい正確な答でしょうか? 韓国と大学を動かしたのです。私達がこういう部分を重要に理解するということは相当なことなのです。
 
■ そして、2番目のことが出てきました。最も大きい事件です。その人がキリストだという証拠で、苦難を受けて死んで、十字架で復活なさったのです。とうてい信じることはできない事件です。皆様、この部分が信じられないことが正常です。立派な人の中で死んで復活した人はいません。確かに話しますが、あなたがたも死んで、祈ればよみがえるということはありません。どんな場合にも、そのようなことはありませんでした。ところが、聖書に一度預言されています。この世にメシヤ、キリストがくるのに、十字架で死んで復活するはずだと言われました。私はむかしに、その事件は信じませんでした。私は、ある日見て、信じられたのです。それでこそキリストであるのです。私たち人間が、どれだけ危機の中にいるからと、神様がキリストを送られて、このことをなさるでしょうか? 私は信じるというよりは、理由を知るようになったのです。これは信じられるというよりもっと重要なことです。あらゆる呪い、サタン、地獄の問題を解決出来ません。死から復活したキリストだけが、これを解決できるのです。無理にイエスを信じなければならなくて、違ったことは信じてはならないということではありません。この問題を解決なさった方が、キリストだということです。たぶん聖書で一番重要な部分でしょう。マタイ16章にも出てきて、ルカ9章にも出てきました。
 
■ それとともに、三番目の話が出てきたのです。ルカ9:23に、こういうみことばがあります。' イエスは、みなの者に言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。' 24節に '自分のいのちを救おうと思う者は、それを失い、わたしのために自分のいのちを失う者は、それを救うのです。' 25節に '人は、たとい全世界を手に入れても、自分自身を失い、損じたら、何の得がありましょう。' それとともに26節に 'もしだれでも、わたしとわたしのことばとを恥と思うなら、人の子も、自分と父と聖なる御使いとの栄光を帯びて来るときには、そのような人のことを恥とします。' 一言で何を言うのでしょうか? これは信仰生活すべき価値を発見しなければならないということです。自分を捨て、日ごとに自分の十字架を背負って従いなさいと言われました。この話はなんの話でしょうか? 弟子がイエス様に付いて回りながら、この方は奇跡も行われ、病気も癒されたから、自分は得をするだろうと考えたのです。ところが、それではないという意味です。イエス様に付いて回ったら、パン5つと魚二匹で、5千名が食べても余るので、ものすごいことではないか? ところが、そのように信じてはならないということです。
 
■ 十字架を背負って来て、自分を捨てて来なさいと言われました。自分が持っている動機をなくして、捨てて来なさいと言われたのです。これがなんの話でしょうか? 本当に、この秘密の価値を発見しなさいということです。その時から、驚くべきみわざが起きるはずです。全く同じ賛美を歌ったのに、クロスビーのような人は、人を生かしたではないでしょうか? 前は祈ることが、ただ自分が目が見えないので祈ったのですが、今はそれが必要ないと言いました。皆様がこの話をわかるでしょうか? この本文は、今日、皆様が祈りの答えを受けるか、受けないかと関連があるのです。これから、皆様が本当に神様の働きを成し遂げるかは、ここと関連があります。なぜでしょうか? この三つがとても重要な話なのです。今、皆様がだめな問題がキリストと関係があるのです。今まで私たち大韓民国と世界を乱れさせ、皆様の家庭を乱れさせるようにしたのが、罪とサタン、地獄の勢力です。それで '主は生ける神の御子キリストです' この話は普通の話ではありません。そのような意味で、すべての問題が終わるのです。すると、キリストはいったいだれでしょうか?
 
■ 私は釈迦を見て相当な人だと考えます。なぜなら、その方が人間はなぜ生まれて苦労して、死んでいくのかと考えたのです。そのゆえに、家を出て回ったのです。じっとしていても成功する人が、自分の地位をみな捨てて出たのです。人格が皆様と比較できません。王座を捨てて出てきたのでした。多くの牧師たちが、利益になるとタラッパンに入ったのですが、利益がないと戻るのを見れば、釈迦はどれくらいたいした人でしょうか? そのようにしても、この方は道を探すことができなくて、道を探しなさいと言いました。道を自分で見つけなさいと言ったのでした。彼はとても重要なことをしました。しかし、十字架で死んで復活なさってキリストという証拠は、彼にはありません。それで、私は釈迦を尊敬するのですが、信じません。私と水準が同じです。私より人格が良い人であって、キリストではありません。聖書でかなり以前から預言されました。十字架で死んで、十字架からよみがえるはずだと言われていました。こういうことがあるでしょうか? そのようなことはありません。それでキリストです。これがどれくらい重要か分かりません。それなら、この祝福を私が発見をしたでしょうか? 自分を捨て、十字架を背負って付いてきなさいと言われました。
 
■ 皆様、本当に祈りの答えを受けるためには、祈りの課題はないようにすべきです。祈りの課題が必要なのでしょうか? 本当に祈りの答えを受けるためには、一番重要な祈りの課題が、神様の思い通りに生きることです。世界福音化に用いられるようにさせてくださいということです。それ以上のことがあるでしょうか? 私は福音を悟って、祈りの課題がなくなりました。伝道は、どのようにしなければならないのか、ひとつずつ出てきます。神様が私達がご飯を食べて眠ることをご存じでないでしょうか? 私たちのいのちを治める神様が、私たちの全てのものを知っていらっしゃるのです。だから、いらない祈りをする必要がありません。それで、イエス様が最後に与えられた祈りの課題が聖霊充満を受けて証人になれということです。自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしについてきなさいと言われました。それで、むしろ反対のことを言われました。生きようとする者は死ぬようになるはずで、死のうとする者は生きるようになるはずだと言われたのです。もし全世界を手に入れても、いのちを失うならば、何の益があるだろうか? 皆様が全部みな得たのに、いのちをなくせば、なんの益もないでしょう? 肉体的な話でもそうです。
 
■ 私がもしエステルに、このような話をしたとしましょう。私の車に乗って通っても良い。アパートの鍵も与えよう。釜山にいない時は使って良い。そして貯金通帳もひとつ与えた。すると、皆上げたことではないでしょうか? 貯金通帳、家、鍵を与えたのです。その代わりに、お願いがひとつある。命をくれと言います。そうしますか? どんなにみなもらっても、何をするのでしょうか? 死んでしまうでしょう? そのように愚かな人がどこにいるでしょうか? 私が皆上げて、命をくれと言うでしょう? すると、みな奪うことです。何の益があるでしょうか?
 
■ 皆様、ゴリヤテが現れて、40日間、怒鳴りつけた時、イスラエルの人が誰も現れなかったのは、理由があるのです。ゴリヤテと戦えば、確実に死ぬということを知っていたゆえに、出てこなかったのです。それは、勇気がなくて、実力がないことではありません。確かに死ぬということを知っていたために、行かなかったのです。国が危険だということを知らなくて行かなかったのではなく、行けば死ぬということを知っていたためです。サウル王が娘婿にすると言ったのですが、それでも行かなかったのです。永遠に税金を免除して、財産の半分を与えて娘婿とすると言ったのですが、誰も行かなかったのです。なぜ現れなかったのでしょうか? 死ぬということを知っていたためです。死ねば、なんの必要もないのです。ゴリヤテと戦って死ねば、何の財産が必要でしょうか? 全部みな得ても、いのちがないならば、なんの効果もないのです。イエス様がなさったみことばです。この話は、なんの話でしょうか? 私達がいのちを捧げてもかまわないのです。本当に自分を捨てて、十字架を背負ってついて行っても良いくらいの驚くべき祝福です。それで、この三つだけを悟れば、本物の答えがくるはずです。皆様、この部分を少しだけ考えても、働きが起きるはずです。
 
■ 私は聖日説教を書いて、一週間祈って、そのようなものも良いけれど、そのようにする人がそれほどいないと思います。そして、そのようにしなくてもかまいません。職業がない失業者がそのようにするので、いつ常に読んでみることができるでしょうか? 例えば、時間が多いならば、一週間見るでしょうが、正常な男の人ならば、明日からどんどん走らなければならないでしょう? だから、神様のみことばは、悟るだけでも良いのです。今日のみことばも、悟りさえすれば良いのです。これが恵みです。本当に、キリストなしでは人間は生きることが出来ないのです。それが今日、一番目の主題です。
 
■ もし金泳三、金大中大統領が、イエスを信じる方ですが、この答を持っていたとするなら、どれくらいより良かったでしょうか? それで今日、この三つの単語を本当に悟らなければなりません。キリストなしでは、人間の問題は解決できないのです。ここに今日、結論が出て、うなずくことができるなら良いのです。これを持って通って学ぶ必要はありません。そして、2番目のことです。キリストはだれでしょうか? 必ず十字架で死んで復活するのです。なぜなら、キリストがあちこちで主張すれば、どのようにするでしょうか?
 
■ 私たち韓国には、神様が十四名もいます。一名は今回死んで、十三名がいます。自分が神様だと言います。今回、刑務所に行って死んだおじいさんがいるでしょう? 自分が神様だと言いました。聖水大橋が落ちたのは、私を困らせたから落ちたと言いました。そのような方法で出れば、話すべき言葉がありません。だから困難な のです。今日、皆様が出てきて、私がキリストだと言えば、どのようにするでしょうか? パク・キブン執事がハンサムな顔で出てきて、キリストだと言えば困難なのです。自分がキリストだと言うのに、どのようにするのでしょうか? また問題が、その下に従う人が出てくるのです。またおかしな女の人が柳光洙牧師はキリストだと話しながら回ります。私がどのようにするでしょうか? それで、神様がそうだと知っていて証拠を与えられたのです。必ず十字架で苦難を受けて、死んで復活するはずだと言われました。その人がキリストだと言われたのです。皆様、これが理解できなければなりません。みな立派な方ですが、キリストではなかったのですが、イエスがキリストなのです。あらゆる宗教人が立派で良いのですが、キリストではないのです。これが区分にできて、理解できなければなりません。
 
■ すると、三番目に出てくることは何でしょうか? 私が信仰生活をでたらめでしていたということを悟って、十字架を背負って、ついて行けば良いのです。死ぬ覚悟をしてついて行くのです。その話しは、なんの話でしょうか? 価値を発見するということです。本当に発見したということです。皆様が理解だけすれば、答えが来ます。多くすることもなく、理解だけできれば、その時から霊的なみわざが起きるのです。私は心に他のことがあるのではありません。伝道運動をしながら見ると、残念だという気がしました。立派だ、そうではないという話ではありません。タラッパン伝道運動をすれば、人が来るでしょう。そのひとつの理由で、集まって相談して、異端だとしたのでした。本当に、あなた方が神様の前に立ってくださいと言いました。私が今回、最後にそのように話しました。これから、信徒が移動するゆえに、そうだというのに、これから異端でないとされたら、より激しくなるはずなのに、どのようにするのかと尋ねました。本当にせつないことです。
 
■ 私はこの頃、私たちの長老、牧師を見ました。過去には本当に福音のために立つ長老、牧師を見ることができなかったのです。だから、教会で試みにあう程度でなく、レムナントは殺されていたのです。祈りの答えを受けているかは区分することも出来ません。愚かな人は無条件に献身、奉仕をするのです。頭がかしこい人々が教会に通うでしょうか? なんの根拠もなく、無条件に熱心に奉仕すれば祝福を受けると言うのです。こういう方法でなっているのです。それではないでしょう? 自分の十字架を背負って、自分を捨て、わたしについてきなさいと言われました。弟子たちが、何の考えをするでしょうか? 成功するかと思っていたのに、死になさいという話だという考えをするかと思って、イエス様がそれから話されたのです。生きようとする者は死ぬはずで、死のうとする者は生きるはずだと言われました。それとともに、イエス様がみことばで釘を打ち込まれました。あなたがみな得ても、命を失ってしまえば、むなしいことではないか? その後のみことばは、しなくても良いのに、弟子達に言われたのです。皆様が悟るならば答えが来ます。
 
■ 私は信仰生活が、他の見方をすれば、難しくないと考えます。イエスがキリストであることが間違いないという神様の恵みを私は受けました。そして、私たちはキリストなしではだめだという重要な理由を発見したのです。すると、簡単ではないでしょうか? この福音のために生きれば良いではないでしょうか? このように悟っただけでも神様のみわざが起きるのです。皆様が今日、この契約を捕まえれば、祈りの答えを受けるみわざが起きるはずです。皆様、単に教会に通うのではなく、真の価値を発見しなければなりません。私たちの親ゆえに教会通うのではなく、真の答えを受けなければなりません。皆様、この貴重な日に、世には行く所がとても多いのに、こちらに集まったとするなら、最高の答えを受けなければならないのです。
 
■ 今日の2部礼拝の時、出てくるでしょうが、ダビデは王宮に千日いるより、主の家、神殿の門番として一日いるのがより良いと言いました。これくらいに言いました。簡単に話せば、王であることよりは、管理人として教会にいることがより良いということです。皆様なら、そのようにするでしょうか? その話しがなんの話でしょうか?私が神殿にきて礼拝して、祈ることがとても良いという意味です。正しく悟らなければなりません。皆様が今日から、この答えを受ければ、他人が認めなくてもかまわないでしょう。この答えを受けることができなければ、他人が認めてくれなければなりません。皆様が今日から、本当に神様の祝福を受ければ、教会で職分、役職を与えても良くて、与えてなくても良いのです。ところが、こういう祝福を受けることができなければ、それがなければならないのです。このように差が出るのです。皆様、この祝福を本当に受ければ、人の慰めは必要なくなるはずです。ところが、この祝福を受けることができなければ、必ず人の慰めが必要になります。皆様がこの祝福を本当に受けるならば、問題が前にきても心配ないでしょう。しかし、この祝福を受けることができないならば、問題がきたとすれば、それゆえに半殺しの目にあうのです。だから、どれくらい驚くべき祝福でしょうか? これを今日、皆様が堅く捕まえなければなりません。すると、皆様に重要な答えが確かにくるはずです。
 
■ 道を過ぎ行くのに、言葉をやっと話せるくらいの小さい子どもが、私を見て柳先生だと言いました。それで、私が見たら、その子が笑うのでした。それで私が行こうとしたら、その子が驚くべきことを話しました。主は生ける神の御子キリストですと話したのです。その話は、私がそのように言っているということです。それで、私が気分が良かったのです。私は失敗した者ではないという気がしました。私は成功したという心になりました。その子があいさつするのに、そのように話したのです。これがペテロのものすごい告白です。それで、イエス様があなたは絶対に滅びないと言われました。滅びることができるでしょうか? 罪、サタン、地獄の勢力と関係なくなったのです。この祝福を誰にでも与えるのでしょうか? 誰にでも与えることができないのです。神様が、このキリストを送るという預言が旧約聖書です。このキリストを送られたということが、新約聖書の証拠です。だから、どれくらい驚くべきことでしょうか? これを発見したとするなら、当然にパウロのようになるはずです。パウロは何と話したのでしょうか? これゆえに死ぬならば、死ぬこともかまわないと言いました。この程度になれば、すごいのです。皆様、監獄の中にいることは、幸福なことはありません。ある人は、監獄で精神が狂うこともあります。ある人は自殺することもあります。パウロは、福音のためならば、この中にいることもかまわないと言いました。これくらい発見したのでした。そうなら、世界を動かすしかないのです。
 
■ 皆様、無理に感謝することはできないでしょう。私達が真の感謝と、無理にする感謝は他の内容ではないでしょうか? これがものすごく重要なのです。こういう本文の重要なメッセージが出てきました。最後におかしなことを言われました。ルカ9:27です。 'しかし、わたしは真実をあなたがたに告げます。ここに立っている人々の中には、神の国を見るまでは、決して死を味わわない者たちがいます。’ これはなんの話でしょうか? 死ぬ前に、どのように神様の国を見るのでしょうか? これがものすごく重要な話です。皆様、この話を悟ることができれば、その次の段階になります。なんの話でしょうか? 告白して、途方もないメッセージをなさった後に、死ぬ前に神様の国を見る者がいると言われました。それが、まさに次の週のメッセージです。イエス様がペテロを変化の山に連れてあがられたのです。特別に神様の国の光景を見せてくださったのでした。そちらを見ると、エリヤ、モーセ、イエス様がおられました。ペテロはまた混乱して言います。それは来週に出てきます。
 
■ まず、ここでのがしてはならないことがあります。キリストを正しく告白した後に、神様が他の世界を見せられたということです。今日、この三つが本当に認められたら、他の世界を見るのです。このようにしてこそ、成功できるのです。これは私が教会で熱心に働きをする、しないという話ではありません。人々は、そのように思っています。熱心に働きをすれば、神様の恵みを受けて、それでなければ違うと、誤って思っています。これは、そのような話ではありません。
 
■ 私たちにキリストが必要で、預言されたキリストがいらっしゃった、どれくらい価値があるか? 私のことをみな捨ててもかまわない。このようになれば、他の世界を見るのです。山で祈るのに、神様が特殊な恵みを与えられて、変化の山で働きが起きるのです。このようになる時、私たちには全く問題がないことはないのですが、信仰生活ができるのです。皆様の事業、現場で、この祝福を味わう時から、証しが現れるはずです。今日一人ももれなくこの祝福を受けてくださることを願います。なんの話なのか分からない方がいますか? それなら大変です。私たち人間に最も必要なことがキリストだということです。その方がいらっしゃったというみことばが、聖書の話です。それなら、私達がこの価値をどれくらい発見したのかにしたがって、他の世界が見えて、答えが見えるはずです。何にも心配しないように願います。この契約だけを捕まえることを願います。本当に捕まえれば、本物の答えがくるはずです。この祝福を皆様が受ける貴重な週間になることをイエスの名前でお祈りします。
 
<<契約の祈り>>
神様に感謝申し上げます。本当に主は生ける神の御子キリストです。これゆえに神様は、旧約に多くの預言者を送って説明されました。私たちにこの祝福を知るようにされた神様に感謝申し上げます。これから本当に、この契約を捕まえる時間になるようにしてください。それで、新しい答えを受けて、後日に神様の前に証しするしかない驚くべき働きをするようにさせてください。イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン
 
 


 2部/ コラの子
(詩84:1〜12)
 
■ 私たちは、他の人ゆえに試みにあう時がたくさんあります。しかし、皆様の誤解であることもあります。 また誤解ではなくても、ローマ3:10には義人は一人もいないと言われました。また、皆様が皆様自身に失望することもあります。ピリピ1:6には、キリストの日まで成し遂げて行くと言われました。皆様に問題が生じたでしょうか? ピリピ4:6-7には、何にも心配せず、あらゆる事を祈りと願いを持って感謝して神様に知っていただきなさいと言われました。もしかして、自分は滅びるのではないかと考える人があるでしょうか? マタイの福音書16章に 'あなたはペテロです。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。'と言われました。ローマ8:31,39には、誰もあなたを奪い取る者がいないと言われました。あなたがたは誤って考えていることがあります。大きいことではないのに、大変なことになったと考えることがあるのです。問題ではないのに、問題だと見ることがあります。また、皆様は神様のより大きい祝福を知らなくて、現実だけみつめて苦しむこともあります。皆様が信仰と実力だけ揃えているならば、手ぶらで出発しても、勝利できます。皆様が信仰と正しい実力がないならば、多くのことを持って出発しても、むしろ危険なのです。
 
■ 今日、詩篇84篇は、タイトルにはコラの子の詩と言われていますが、著者はダビデです。多くの注釈家がダビデの作品だと見ています。今日、私たちはダビデの作品を見ながら、いくつかのことを正しく理解しなければなりません。私たち学生達もここにいますが、勉強しなければならないのに、五つのことを正しく理解しなければなりません。福音、伝道、祈り、この三つを正しく理解しなければなりません。その次に、皆様がしている学業や事業、職業を正しく理解しなければなりません。そして、あなたがたはうつわと考えを準備していかなければなりません。人は完全ではありえないのですが、この五つは正しく準備しなければなりません。ある知らない方が、なぜタラッパンは集まって動くのかと質問しました。それで、私が集まろうとしているのではなく、単に一緒に動いているのだと言いました。しかし、正確に答えるなら 'あなたは伝道がわからないのだな'でした。もちろん、そのような話はしませんでしたが、そのような考えをしました。ここに座っている皆様が、一年間だけ伝道の話しを聞かないと、皆様は完全に伝道がわからない人になります。
 
■ そして、2番目にしたい話しがあったのですが、あなたは人間をよく知らないなということです。皆様、人間は伝道について一年だけ聞かないと、完全に別人になります。皆様がどんなに立派でも、不信仰な話をずっと聞けば、不信仰な者になります。それで、私たちはずっと集まって訓練を受けようとするのです。世界で伝道運動を一番多くする教会であり、教団です。理由があります。一回だけするような伝道ではないためです。正しく理解しなければなりません。今日の1部に、福音を正しく理解しなければならないと言ったように、皆様が伝道を正しく理解しなければなりません。そして、この祝福を全部自分のものとして味わうことができる祈りが正しく分からなければならないのです。そうすれば、後二つが出てくるべきです。学業、事業、職業が出てくるべきです。その次に出てくることが、この祝福を私がずっと味わうことができるうつわです。うつわを簡単に話せば、考えだと言うことができます。ダビデは考えが違いました。成功するやいなや、契約の箱を移す考えをしました。王になるやいなや、神殿を建てる考えをしました。人間が違います。私が神殿を建てて業績を積もうということではありません。 "私は杉の木の宮殿にとどまっているのに、契約の箱は幕屋の中にある." どれくらい祝福を受ける考えでしょうか。皆様のうつわが本当に重要です。
 
■ それで、勉強はこの五つの中のひとつです。私たちは、訳が分からなくて勉強、勉強だと言いますが、勉強は、五個の中のひとつです。ここに先生もおられますが、私たち韓国で学校の勉強がたくさん変わらなければなりません。米国のような先進国の勉強は、私たちと完全に違います。私がはじめに神学の勉強をするのに、米国人が教授でした。私が驚いたのです。皆様が今まで記録したノートとか本をみな開いておいて、参考にして使いなさいと言われました。私たち韓国の教授は、あらゆる記録と本は机の下にみなおろせと言います。なぜでしょうか? それをあげれば、カンニングをするためです。自分がメモしたものを下ろしなさいと言います。しかも調べて見て回ります。米国式教育は、すべて見るのです。私はちょっと驚きました。それが、先進国の教育です。あるときは、すべて見て、そばの人と相談して書きなさいと言います。それとともに、自らの考え、自らの研究が入っていくようにさせるのです。私たち韓国でそうであるならば、大変なことになります。ここに先生、教授たちがたくさんいますが、私たち韓国の教育が水準があまりに遅れているために、こういう良い人材を全部愚かにしてしまうのです。そして、無条件に点数がたくさん取れるように、試験を受けて、点数が出てこなければ、子ども達が全部、脱落します。それで時々、私たち韓国で勉強ができなかった子どもが米国に行って、勉強が良くできるようになる理由がそこにあるのです。方式が違うためです。私が話したいことは、勉強は重要ですが、この五個の中のひとつです。皆様が正しく福音を理解して、伝道を理解して、祈りを理解することが、人生でどれくらい重要か分かりません。その次に、これのためについてくることが、自分の職業であり、自分の生活だということです。このように分からなければならないのに、私たちは全部、逆に理解しているのです。ある子どもががっかりして、学校に行くのがいやになります。なぜそうなのでしょうか? どんどん点数がさがって行くためです。私たち韓国には、とにかく点数だけ高ければ、ソウル大やどこであっても、皆いきます。ですから、問題になるのです。あなたがたが勉強ができなければだめですが、重要なことをよく理解しなければなりません。
 
■ ダビデは、この五つに答がありました。福音を正しく理解せねばならないということは、何の話でしょうか? ダビデは契約を持っていたのです。正しく知っていました。伝道が正しく分かっていたということは、ダビデの人生全体が、神様の証しだったということです。ダビデは、祈りが正しく分かっていたのですが、ダビデの詩が全部、祈りと賛美です。祈りを多くすれば、そのようになります。皆様、祈りを多くすれば、そこから多くのことが出てきます。ダビデは、羊を飼うとか、他のこともどれくらい良くしたのか分かりません。その次に、ダビデの信仰人格を見れば、祝福を受けるしかありません。私たちのレムナント、特にあなたがたがそのような生き方になることを主の名前で祝福します。私達がどのようなことをせねばならないかも重要ですが、祝福を受けるしかない事があるのです。イテロという長老が皆様、誰なのか知っているはずです。モーセの義父です。ところが、モーセを助けました。それがなんでもないことのように見えます。しかし、旧約の歴史で最も重要な時間に献身をしたのです。なんの話か早く理解しなければなりません。皆様、いろいろと多くのことをして上手にやることも重要ですが、時期をよく見なければなりません。なんでも流れをよくご覧にならなければならないのです。なにが重要か流れをよく見なければなりません。それで、あなたがたは福音、伝道、祈り、これから十分に理解することができるように、時間がありさえすれば訓練を受けましょう。
 
■ 誰かが私に、先生、どのように伝道すれば良いのですかと尋ねました。一言で返事ができなかったのです。なぜでしょうか?伝道はそのようなことではないからです。どのようにしたらできて、どのようにすればできない、そのようなことではありません。私たちの思想、私たちの人格、私たちの経験、私たちの未来、あらゆることがみな入っているのです。それで、時間ができれば、度々訓練を受けましょう。このようになれば、時間が過ぎれば答えが現れ始めます。ダビデがそうでした。ダビデの幼い時を知っているはずです。詩篇 78:71-72に羊を飼っているかのように見えたのですが、神様が王として準備された時間でした。今、皆様がなんでもなくても、皆様がいる場がものすごく重要です。必ず記憶すべきです。インマヌエル教会で皆様が現在 預かっていることが、ものすごく重要です。羊を飼うダビデを、神様はイスラエルの王として選択なさいました。私はとても重要だと思います。皆様が小さい子ども達を教えるのに、そこに未来がかかっています。皆様が集まって賛美しようとする事に、世界の文化がかかっています。それを知らなければなりません。あなたがたの中で伝道師をしているのですが、そこに未来の牧会がかかっているのです。ダビデが羊を飼っていた時、神様がイスラエルの指導者として呼ばれたと記録されています。私と皆様は、インマヌエル教会で今、礼拝しているのですが、神様は世界福音化の準備をみなしていらっしゃるのです。すると、どのようにせねばならないのでしょうか? やさしい答が出てきます。
 
■ ダビデの少年時期です。危機がきました。ゴリヤテが攻めてきました。皆様がよく知っていなければなりません。危機がきた時が最も重要な時です。この危機が最も機会なのですが、私たちは危機が来たら、気落ちします。ダビデは勇敢に出て行ってゴリヤテと戦いました。説明をしなくても、皆知っているでしょう。皆様が神様の祈りの秘密をずーっと持っていれば、そのようになります。ゴリヤテに勝って、ダビデは英雄になりました。ところが、何のことでしょうか。困難がやってきます。今はサウル王が殺そうと追ってきました。青年の時期です。このような時に、ダビデは神様の時刻表の中で全てのものを準備する時刻表だと知って準備しました。ダビデを静かに見ましょう。自分に困難がくることは、準備する機会です。危機がきたということは、今、神様の働きが起きる機会です。サウル王が殺そうとして、ダビデが追い回されたのですが、それは全部、祝福を準備する期間でした。いよいよ王になったのです。これが驚くべき機会です。神殿を建てる準備をしました。私がダビデを見たら、完壁な人です。祝福を完壁に受けたということです。私達がこういう答えを受けて祈れば、神様の時刻表と導きを受けるように出来ています。私たちのレムナントや、私たちの聖徒たちが、この祝福を受けてくださることを主の名前で祝福します。
 
■ 私は先週にそのような話をしたのですが、一番の悩みがひとつあります。なぜならば、皆様が面白いことも色々たくさんあるでしょうが、福音に正しく根がおろせなくて、学生達が成長してしまうことです。それが一番心配です。神様はご存知であるはずです。私はキリスト教放送をほとんど聞きません。聞きながらも、ほとんど消してしまいます。一つの理由のためです。あまりに説教の準備も多くして、はっきりしていて、上手にやるのに、ほとんどみな仏教の教理と全く同じで、福音がありません。しきりに人を福音がなくさせるのです。ある人は、出てきたら笑わせます。それはより悪いです。人々を度々笑わせておいて、福音を聞くことができないようにさせるのです。いっそ説教をしないほうが良いのです。私はそこに対して伝道者としていつも悩む部分です。皆様、後ほどどのようになるのでしょうか? 福音を正しく聞くことができなければ、後ほど成長して、みな滅びます。そして、どんなに苦闘しても、おとなになっても力が一つもありません。大変なことになるはずです。そのようにさせてしまうのはあまりにも間違っているのです。いっそ世の中がよりよくて、未信者が良いのです。しきりにパリサイ人のように福音を知らなくさせます。皆様、こういう話を分かるでしょうか。それで牧師たちが、一番答え受けることができなくて、苦しむ理由がそこにあるのです。牧師たちは、行く所ごとに祝福を受けてこそ当然なのに、行く所ごとにやられてしまいます。皆様、この話を必ず記憶しなければなりません。皆様がある日、おとなになって前後がふさがって苦闘してしまってはできなくなります。やっと救われて、恵みを受けて、乗り越えるのであって、何も出来ません。ダビデの特徴が何でしょうか? 幼い時に福音を理解したのです。契約を知っていました。ダビデの人生自体が、伝道と関係がありました。それとともに、時間さえあれば、祈ったのですが、どれくらい祈ったのでしょうか。詩篇のほとんどがダビデの詩です。今日の84篇にコラの子の詩とありますが、ダビデが書いた詩です。ですから、王になるやいなや、神殿を建てる準備をしたのです。このダビデの詩を今日、詳しく見てみましょう。
 
■ 皆様が今どんな心で、座っているのでしょうか、もう一度見ましょう。1節です。 '万軍の主。あなたのお住まいはなんと、慕わしいことでしょう。' 皆様、本当にそのような気がしているでしょうか? 主のお住まいが、どうしてそんなに慕わしいのでしょうか。これが今、ダビデが言った言葉です。2節を見ると '私のたましいは、主の大庭を恋い慕って絶え入るばかりです。私の心も、身も、生ける神に喜びの歌を歌います。'. 王宮ではなく、主の大庭を慕っています。皆様、さっと見れば霊的問題がある人のようです。皆様が福音を持った正常な人が、この程度になるならば、何かがあるということです。一時代を動かす何かがあるのです。
 
■私は、むかし、証拠をたくさん見る前には土曜日が一番つらかったのです。説教準備をどのようにすべきか? それでどれくらい悩んだのか分かりません。そして、聖日が一番難しかったのです。説教をどうしようかということです。した後で、次には準備をちょっと多くしなければならない、そのように考えました。ところが、福音の祝福を味わってからは、それが変わったのです。聖日に皆様のところにきて、神様のみことばのお手伝いをすることが、とても良いのです。これがどれくらい重要なのか知るようになりました。ダビデがする話が、皆様とどのように違っているのかを見ましょう。次の週から礼拝に成功して、神様の祝福を受けることを願います。主の大庭を恋い慕うのです。3節を見ると '雀さえも、住みかを見つけました。つばめも、ひなを入れる巣、あなたの祭壇を見つけました。万軍の主。私の王、私の神よ。' 4節を見ると 'なんと幸いなことでしょう。あなたの家に住む人たちは。彼らは、いつも、あなたをほめたたえています。.' 一節、一節がどれくらい重要でしょうか。5節には 'なんと幸いなことでしょう。その力が、あなたにあり、その心の中にシオンへの大路のある人は。 特に重要なのが10節です。 'まことに、あなたの大庭にいる一日は千日にまさります。私は悪の天幕に住むよりはむしろ神の宮の門口に立ちたいのです。' この話がなんの話なのかというと、簡単に話して、神様の神殿で祈る一日が、王宮にいる千日よりましだということです。ここに悪の天幕と言われていますが、私が今、王宮にいることより、本当に教会の門番でいるほうが良いということです。理解できないでしょう。皆様、率直にこの部分が分かるでしょうか? 私は本当にこの部分が分かることは、難しいと考えます。
 
■ さる月曜日に一般信者地域教会集会が開かれました。それで私が今は、イエウォン教会の堂会長の部屋を見てから行こうとしたら、堂会長の部屋の中に総会長と牧師たちが、いっぱい集まっていました。それで、何をしているのかと見たら、いよいよ16年ぶりに、私たち韓国の卓球選手ユ・スンミンと中国選手が戦っていたのです。何回戦かをしなければならないのに、私が8時の集会になって行かなければならなかったのですが、一セットが終わったところでした。ユ・スンミン選手が勝っているようでした。私はメッセージをするので行かなければなりませんでした。私がメッセージする時間になったので、早く行こうと言いました。しかし、先生のメッセージをよく聞きながら、テレビを見ますと言いました。それで、私が分かったと言って行ったのです。率直な話で、私もテレビを見たかったのです。それでも、がまんしてメッセージをしに行きました。私がしなければならないからです。行きながら 'あなたの大庭にいる一日は千日にまさります。', この話を思い出しました。私が何としながら行ったか知っているでしょうか? 神様、私はメッセージゆえに、やむをえず、無理に行くと言いました。今、あの人々はメッセージをしないから、安らかに座って見ているのに、私は今、やむをえず行きます。そうして、行ったのです。どうして、私達が教会に行って礼拝をささげるのが、王宮にいるよりましでしょうか? これが理解できるでしょうか?
 
■ 前に一回は、私が釜山にいつもいた時、明け方祈りを導くのに、あまりにタラッパンをたくさん走って、夜明けに起きられなかったのです。私たちの教会が復興している時で、明け方祈りも1部、2部しました。明け方祈りを1部は明け方 5時、2部は6時にして、その後にはぎゅうぎゅうに埋まったのでした。本当に起きて、どれくらい行きたくなかったでしょうか。15分か20分しかありませんでした。それで、ペク・ウンギュ牧師をはじめとして、イ・ソングン牧師、全部電話をかけました。どこもみな寝ているふりをするのか、行ったのか、どこもいませんでした。それで仕方なく起きて、だいだいして、車に乗って行ったのです。どれくらい行くのがいやだったかわかりません。このまま寝ていれば良い、そのような時がありました。これで私が地下の礼拝堂に入っていったら、驚きました。その日、よりによってぎゅっと詰まって、席がなくて後に立っていました。私が信仰も信仰で、説教も説教でしたが、神様に申し訳なかったのです。私ならば、まちがいなく寝ていたでしょうが、この人たちがなぜこのようにたくさんきているのか? 私が神様の前に行って、悔い改めの祈りをしました。このように、聖徒たちが、夜明けにメッセージを聞いて祈ろうと集まったのに、私は今、来るのがいやだったのです。率直な気持ちは、主よ、私が礼拝堂に行って祈ることより、ふとんで寝るのがはるかに幸福で良いと言ったでしょう。私が歳月が過ぎながら、この怠けていた部分が、少しずつ分かるようになりました。
 
■ 地球上でなかったことがおきています。今回、2千名以上が宣教現場に行ってきました。よく見てきた方達は、みな驚いたでしょう。今、地球上でなかったことが行われています。土曜日になれば、イエウォン教会をはじめとして、光州、釜山、大邱で核心にレムナント核心まで起きています。今は日本をはじめとして、米国で学生達が自ら自分たちが組織を作って起き始めました。学生達が自ら共同体訓練場に集まりながら、自分たちが麻薬と戦って、祈って、このように行われています。こういう事がありえるのでしょうか? 驚くべきことです。今、牧師、一般信者が手を結んで、全世界で伝道キャンプに通っています。こういう事がありえるのでしょうか? 私は少しずつ、少しずつ悟れるようになっています。それなら、正しく悟るならば、王宮にいるより神殿で祈る時間がより重要です。私はすこしダビデの言葉が理解できます。皆様、本当に神殿で礼拝をしながら、契約を捕まえて祈ったことが全部、答えられるならば、この話が正しい話です。私はより驚くべき発見をしました。聖書をよく見たら、皆様が礼拝堂でみことばを受けて祈る時ごとに、神様は天の軍隊をあちこちに送られます。詩103:20-22 皆様がこの部分を信じられるでしょうか? 私は信じられるようになり始めました。私達がここで祈っているのに、神様は現場に天の軍隊を送られて、神様の働きを成し遂げておられるのです。聖書の重要な箇所で、一ケ所ももれなく。ヒゼキヤ王が神殿で祈っていたのに、神様は現場に天の軍隊を送られました。使徒の働き12章に、初代教会が祈っているのに、神様は主の使いをヘロデ王に送られて、神様の働きを成し遂げられました。聖書を見ましょう。ですから、驚くべきことです。この話だなと私は少しずつ悟れるようになりました。王宮にいることより主の前で門番としていることが幸せです。私はこれが少しずつ理解できるようになりました。それで今は説教しようとくるのが、私ではないということを知っています。私はお使いだということを知ったのです。私はあなたがたが、私の説教を聞くのではなくて、神様のみことばを聞いて、私はお手伝いをするということを知りました。皆様は、私の説教を聞いて、外に出て信仰生活をするのではなくて、神様のみことばを聞いて、神様の子どもとして勝利するしかないということを知りました。それなら、この礼拝がものすごいのです。これがダビデが回復した信仰です。今日、皆様が回復するように願います。
 
■ これをコラの子が引続き詩を持って賛美したのです。コラの子を知っているはずです。レビ族の子孫です。民数記16章を見れば、荒野でモーセに対抗して死にました。この時、死ななかった息子三名がいました。一名は神殿で門番をして、もう一名は神殿のなかで料理士をしていて、一名は賛美担当をしていました。この子孫です。それで、このコラの子ということが、本来滅んだ子孫です。この人たちが、契約の中で勝利してこういう詩を多くして、賛美したチームです。何を言うのでしょうか? ダビデのような人も答えを受けるのですが、滅んだ家系で福音を受ければ、神様の働きが起きることができるのです。今日、皆様が家系をすべて変える神様の祝福あることを願います。結論を結びます。この三つのことを発見すれば、誰でも祈りの答えを受けることができます。救いに対する価値の発見、そしてさっきお話しした、この福音を味わうことができる、証拠となる伝道の秘密。これをあらゆる現場で祈りを味わうことができる、この価値だけ発見してしまえば、2つはついてきます。その時、皆様の職業、皆様の産業、皆様の学業がみなついてくるようになっています。その時から、皆様の生活は生かされるようになっているのです。この祝福を皆様が受けてくださることを願います。本当にです。他の話をたくさん聞かず、聖書をよく見ましょう。コロサイ2:8-9には、世には色々な言葉がたくさんあるけれど、だまされるなと言われています。皆様に多くの知識もあるけれど、参考にだけして、神様のみことばをよく聞きましょう。それで、詩篇81篇には、主を待ち望む者は新しい力を得ると言われました。イザヤ40:31にも、主を待ち望む者は、新しい力を得ると言われています。このようにして、ダビデのように皆様の人生が神様の祝福の内に入っていくことを願います。
 
■ 先週に1部礼拝の時、そのような説教をしました。同じ結論です。皆様は弱くて、私たちには限界がきます。限界がない神様の祝福の祈りの内に入っていってこそ、限界が来ません。感謝なことに、私たちタラッパン、私たちの教会は、昨年に比べて今年はたくさん復興しました。教会も祝福を受けたのですが、私たちタラッパン訓練本部には、相当な答えが倍に起きました。私は知っています。私たちは、私たちの力でしないために、私たちの限界の中に入っていかないようになります。ところが、少しだけなせば良いのです。私は定刻の祈りを持ってメッセージを維持するのに、答えがみなきます。皆様、この小さなことを回復しないのです。今日からしてみましょう。祈りができる霊的なリズムだけ回復すれば、答えがずっと来ます。こういう話し、あんな話しを聞いて話さず、契約を捕まえましょう。すると、答えが来ます。皆様が今から一日に少しずつでも、この契約を捕まえて祈り始めるならば、神様は答えからくださるはずなのに、メッセージが生かされることを知るようになるはずです。そして、あなたがたがみな捨ててもかまわないのです。それで、今週に新しい答えを受けるようになる皆様になるようにイエスの名前でお祈りします。ダビデが受けた祝福、コラの子が賛美する詩が皆様のものになることを願います。
 
<<契約の祈り>>
一週間に、この祝福を味わうようにさせてください。これから心配も捨てるようにさせてください。私の最も隠れた問題を、神様に頼む祈りの時間が、今週にあるようにさせてください。私の弱い部分を神様の力のなかで解決できるようにさせてください。私たちには、限界がこざるをえないのですが、神様の力のなかで神様の力を味わう今週になるようにさせてください。私自身が、神様のなかで新しい力を得る週になるようにさせてください。主がこの時間に聖霊で私たちインマヌエルの家族と衛星で礼拝して、インターネットでみことばを受ける主のしもべに働いてください。時空を超越する主の聖霊が働いてください。時空を超越する天の軍隊を送ってくださって、神様のみわざが今、なされるようにしてください。イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン