2004年9月26日インマヌエル教会聖日メッセージ


 1部/ 神様の国にふさわしい者
(ルカ9:57〜62)
 
■大邱のソンヒョン教会で、むかしに日本宣教を多くしました。牧師と教会員がこう言われました。日本宣教をするのは嫌いだということでした。実が一つもないということでした。そして、問題だけどんどん起きるということでした。他の地域より、数倍にお金が要るということでした。私が見る時は、一理がある話しのようでした。それでも、後ほど実が起きるのではないかと話しました。先週、日本の集会を行ってきました。今、日本にいる方達の99%に、多くの韓国のお金が投資されています。ところが、全く実を結ぶことができずにいるのです。ところが、行って福音を持った方達が実を結ぶのを見ながら、多くの恵みを受けました。
 
■ 東京のカン・ミョンジュ牧師、シン・ギプス牧師の教会に復興運動がおきています。名古屋に相当な復興運動がおきています。また、沼津にも相当な運動がおきています。大きい建物も買って伝道運動がおきているのです。周囲で迫害しないのかと尋ねました。それで、イ・ジョンウ宣教師が言う話が、迫害することができないということでした。学校に行かずにもめ事を起こした子どもが、福音を聞いて癒されたということです。その子どもが恵みを受けて信仰生活をして、他の人を生かしているということです。誰が文句を言うでしょうか? そのような子ども達が、1,2名ではないということです。女学生が、言葉も聞かなくて回ったのに、福音を聞いて恵みを受けて、大学に入っていくようになったのです。韓国に行って訓練を受けると、今、インマヌエル・ソウル教会に来ているということです。こういう人が、1,2名ではありません。迫害することができないということです。それとともに、宣教師が私にこう話しました。柳先生が来て集会をしたけれど、その時ごとに起きた答えを話されたのです。
 
■ 私たちは礼拝する時ごとに、神様が祝福していらっしゃるという事実をよく知らずにいるのです。私たちの聖歌隊員が賛美する時、皆様に相当な霊的なみわざが起きるということを知らずにいます。長老たちが、代表祈りをする時、神様が答えられるという事実を、本人もそうで、あなたがたもよく知らずにいます。全く同じ宣教師なのに、その人々はなぜ、みわざが起きるのでしょうか? まさに、その差異点があるのです。集会を一度すれば、みことばをどれくらい重要に考えているか分かりません。あなたがたが見ないで私の話を聞いているのですが、直接、行って見れば驚く程です。がっかりした者が力を得て祈りし始めて、答えを受けようとするのです。
 
■ 今日、私たちはこのみことばを見ながら、神様の国にふさわしい者というタイトルをつけました。ルカ9:62を見れば 'するとイエスは彼に言われた。「だれでも、手を鋤につけてから、うしろを見る者は、神の国にふさわしくありません。」' すると、神様の国にふさわしい者はだれでしょうか? 今日、私たちはこの本文を見ながら、重要な答えを見なければなりません。神様の国にふさわしくない者ということは、救われることができなかった者を指しているのではありません。救われた者と弟子を置いて言われた話です。
 
■ すると、私たちは今日一番目に考えることは、神様の国にふさわしくない者は誰のことを話しているのか知っていなければなりません。今日の短い箇所の中に多くの話が出てきました。イエス様が働きを起こされました。だから、ある弟子がこう話します。私はどこでも、イエス様について行くと言いました。ところが、イエス様がその中心を見られたのです。このように返事をなさいました。狐には穴があり、空の鳥には巣があるが、人の子には枕する所もないのに、ついて来るかと話されました。これは何を言うのでしょうか? イエス様が答えを与えられて、病気もよくなって、食べるものもできて、すごいから付いて回れば良いという考えをしたのでした。すると、わたしは寝る家もないのに、付いて来るかと尋ねられました。
 
■ またもうひとりに尋ねたら、このように話しました。父親が亡くなったので、葬ってからついて行くと話したのです。ところが、イエス様があまりにも理屈に合わない返事をなさいました。死人たちに彼らの中の死人たちを葬らせて、付いてきなさいとおっしゃいました。しかも一名がこのように話しました。行って家族に別れを告げて、イエス様に付いて行くと話してくると話しました。だから、イエス様が手を鋤につけてから、うしろを見る者は、神の国にふさわしくありませんとおっしゃったのでした。これが何のみことばなのか、契約をよく捕まえなければなりません。未信者にした話ではありません。未信者が問題でなく、私たちにされた話です。
 
■ 私は幼い時から、多くの牧師と宣教師を見てきました。世の中のものでもなくて、神様のものでもなくて、信仰生活することも、しないことでもない、あいまいなことをたくさん見ました。それで、教会が試みにあって難しくなることを、私はとてもたくさん見たのです。私は長い間、信仰生活をしながら、多くの役員を見ながら、あれではないという気がしました。毎日心配して、いろいろな心配をして、試みに会っていることを私はたくさん見たのです。だから、私たちの多くの子孫を見ることを願います。今、牧師、長老、役員、職分者の子ども達が信仰生活を正しくできなくて揺れるのです。イエス様が、今、それについておっしゃっているのです。家族を捨てて、環境を捨てろという話ではありません。正しく悟っていない出発を話されているのです。私達がほとんど信仰生活をそのようにしています。正しい福音を持った者が、どれくらい祝福を受けたのかを知らずにいるのです。だから、5つのパンと2匹の魚で食べるものを作りだすので、感動して、付いて行くと話すのでした。世界を福音化しなければならない弟子が、自分は今、家に行って話して、仕事をみなしておいて、ついて行くと話をしました。 内容上で見る時は、一つも違った話ではありません。イエス様は揚げ足を取られたのではありません。私たち人間は、話の揚げ足を取るけれど、イエス様は今、揚げ足を取られたのではありません。おもに友人、夫婦がけんかをする時、揚げ足を取るけれど、イエス様は今、揚げ足を取られたのではありません。弟子と従う人々の心にある中心を話されたのです。
 
■ 鋤を持っている人は、まっすぐに見て行くべきで、あまりに後を見れば、鋤が正しくできるでしょうか? それとともに、ものすごいことをおっしゃられました。神様の国にふさわしくないと言われたのです。この話は、普通の話ではありません。私達が信仰生活をするために、今、座っているのですが、神様の国にふさわしくないと言われるならば、どのようになるでしょうか? 私たちは、信仰生活をするなら、少なくともこの部分からは抜け出さなければなりません。私は、ロシア、中国、フィリピンなどの国に行ってみて、あのようにしてはならないという気がしました。他の人の助けを受けなければならない国は、私が見る時には、一ケ所しかありません。難民です。私たちの長老たちが行くカレン族がそうです。その人々だけが、助けを受けなければなりません。なぜなら、その人々は国家がないからです。それで貨幣がありません。自分たちの国籍がないのです。だから、この人達が逃げてきて、難民として暮らしているのです。すると、当然に助けを受けなければならないのです。その他には、ほとんどみな助けを受けなくても良いのです。今、私が言う話を記憶しなければなりません。
 
■ 神様をどのように信じるのでしょうか? いったい信仰生活をどのようにしなければならないのでしょうか? 神様の国にふさわしくないので、いつも祈りの答えが来ないのです。今日、あなたがたは、信仰生活をしながら、この契約を捕まえることができなければ、祈りの答えが来ません。ダビデはこう話しました。私が礼拝をしにいくのは、王に会おうと宮廷に入っていくことだと言いました。この程度、発見すれば、すごいことではないでしょうか? だから、ダビデは祈りの答えを受けるしかなかったのです。何を見て知っていたから、そのようにしたのでしょうか? それに、コラの詩となっていますが、ダビデの詩です。ダビデがこういう話をしました。私が王宮に千日いるより、主の家の門番でいることがより良いと話しました。この話は何の話かというと、私に教会に行かず、一生、王宮にいなさいと言うならば、私はそれしなくて門番をするほうが良いという意味です。理由は礼拝をささげることができるためです。ダビデの信仰です。これが今、単に言った話しではありません。何かを発見したのです。
 
■ いまだに知らずにいる人々が多いのです。医者が解決できない霊的な問題をみことばを聞いて解決したのです。どれくらい価値ある内容でしょうか? この祝福をのがしても良いのでしょうか? 皆様の家系にやってくる霊的な問題を誰も防止できないのに、この福音で防止することができるのです。ところが、これを知らなくて、弟子たちが無条件に付いてこようとするので、イエス様が自分は家もないのに付いてくるのかと尋ねられたのです。反対に葬りに家に帰って話してくると言うので、死者は置いてこいと言われたのです。この話を誤って理解することがあります。家もみな捨てて、神経を使わずに伝道だけしなさいということではありません。
 
■ それで、信仰生活をしながら、最も重要なことは何でしょうか? 価値の発見です。皆様がどれだけ価値がある人でしょうか? 血の値で買われた神様の人です。教会とは何でしょうか? キリストの血の値で買われた者の集いです。どんな迷信や宗教とも比較出来ない福音を私たちは持ったのです。このようになる時、2つの反応はありません。私にすこし益になればするという話になりません。私が世の中で生きるのに忙しいのに、信仰生活は適当にして、世の中のことをしようとすることではないのです。私はあなたがたに明らかな結論をお話しすることができます。
 
■ 私は、大統領になる方にも明らかな結論を言うことができます。信仰生活をするあらゆる方に、明らかな結論をお話しすることができます。私達が神様を信じて、救いの秘密を味わうことが最高だという事実を知らなければ、ずっと困難がくるのです。どんなに立派な指導者でも、神様の祝福を受けることができなければ、ずっと困難がくるのです。九十何歳まで生きる人もいます。しかし、子どもをみな育てないで死ぬ人もいます。誰の御手にあるのでしょうか? 神様の御手にあるのです。どうすることもできないことなのです。もちろん、私達が用心しなければならないけれど、用心しても早く死ぬ人がいます。
 
■ 私たちの友人の父一名はおしゃれな人でした。私が朝に見れば、運動服を着て、帽子をかぶって、子ども達と一緒に野球をしていました。近所でその人をおしゃれと言いました。その方はイエスを信じないのに、お酒も飲まなくて、正しく生きていました。私達が尋ねたら、健康管理を良くしなければならないと言いました。本当に見習うべきだという気がしたのです。ところが、比較的、早く死にました。だから、それでもだめなのです。私が知っている信徒一名は、漢方薬を飲んで死にました。それも職業が医者でした。今でも残念です。自分は医者で、奥さんは薬剤師でした。からだを健康にするために、漢方薬を飲んだのに死んだのでした。それで、その薬を調べて大騷ぎが起きたのですが、どんなに調査しても、薬には問題がなかったのです。だから、死ぬ人には、漢方薬も毒薬になるのでした。私たちのいのちは、どこにあるのでしょうか? 神様の御手の中にあるのです。それなら、今日、皆様の心配は神様に任せて祈ることを願います。
 
■ 信仰生活は、どのようにしなければならないのでしょうか? 今日、ここに見ると、弟子たちのように、私に益になるのでついて行って、損になるのでどのようにしようとする、適当に信仰生活をすることではありません。信仰生活を適当なようにするならば、答えも適当に来て、正しく来ることもありません。信仰生活を重要にして、命をかけることを望みます。その話です。私が、この前に話したではないでしょうか? 私が日本で今回、ある人に伝道しました。ゴルフを一時間、打ったのですが、ゴルフクラブを持って歩くキャディーが女の方でしたが、韓国人でした。その人をだいたい見たら、準備ができていたのです。単にイエスを信じるのではなく、この人が準備ができていたのです。本人がまず、自分の子どもにどんどん困難が来て、自分は心を寄せる所はどこでしょうかと尋ねたのです。それで、この方に福音を伝えて、イエスを受け入れました。単に受け入れをしたのではなく、この方はよく信じるという確信を持ちました。それで、私が私の母の話をしたのです。私の母が、このように信仰生活をしたと話しました。いのちをかけて、信仰生活をしたと話したのです。それは、熱心にしたということではなく、価値観を発見したのでした。
 
■ 私の母は、ただ教会だけ、ただ祈りだけ、ただ神様だけに仕え続けました。一度も抜けないで十分の一献金をするのを私は見ました。私は心の底から信仰がないから、もったいないという気がしたのです。月給がいくらもならないのに、それで私達が暮らさなければならなかったのです。だから、どれくらい難しかったでしょうか? お金を持っていれば使うしかないのです。それで、月給をもらってきた日、私の母を見ると、いつでも封筒を十個持ってきて、1ケ月の間、献金しなければならない十分の一献金などを、あらかじめ封筒に入れておくのでした。私は心の底から、私にはお小遣もくれないので、どれくらいもったいないか、狂ったことをするという気がしていました。一度もかかさず、そのようにしたのです。それで私が尋ねました。その時に行って献金すれば良いので、なぜあらかじめ封筒に入れているのかと尋ねたのです。あらかじめしておかないと、使ってしまうためだと簡単に返事をしました。その話を分かったのです。なぜなら、私の家はお金がないから、あらかじめしておかなければ使うためです。私は内心、本当に純真で善良でバカだという気がしました。私はその時、神様がいるのか、いないのか分からなかったので、そのようなことをするので、本当に理解ができませんでした。明け方祈りを一度も抜けたことがありませんでした。からだが病気でも行きました。病気だからこそ、祈らなければならないからと行くのでした。私は話すべき言葉がありませんでした。
 
■ 一度は、私たちの親戚がきました。実家から数十年ぶりに初めてきたのでした。この人が10時頃に到着をしたのでした。簡単に話せば、私たちのおじさんの奥さんが来たのです。それも田舎からきたので、三十年ぶりに来たのでした。だから、私の母が教会に行かなければならないので、少しだけ待ってくれと話したのでした。そして、私たちは教会に行きました。教会に行って帰ってきたら、誰もいませんでした。誤解をして帰ったのでした。日曜日は、毎週あるのに、私を無視したと話したのです。私の母が次のお盆に訪ねて行って、謝罪しました。贈り物を渡しながら、絶対に無視したのではないと話しました。次にも聖日に来るならば、またそのようにすると言いました。無視したのではないから、土曜日に来てくださいと言いました。その時、私の母が重要な話をしました。自分が四十才で一人になって、子ども3人を育てるのに、神様の恵みで、今まで生きてきたと言いました。誰も私を手助けする人、支援する人もなくて、何の力もないのに、私は神様を信じて、子ども達を育てて、今まで生きてきたと話しました。それとともに誤解しないでと話したのです。だから、そのおばさんが言ったことが、信じるなら、そのように信じなければならないと話しました。奇跡が1・2個ではありません。
 
■ 最初の奇跡は、一度も病気になったことがありません。私は聖書にある、神様にささげるとこのように祝福されるということが、なんの話なのかを体験しました。皆様、一度も病気にならないということは、ありえないことです。本当に私の家のような家ばかりであれば、医者は乞食になるはずです。神様が完全に保護されたのです。病院に行くような病気にはなりませんでした。それは、病気の人は信仰がないという話ではありません。神様が私の母の祈りを聞かれて、意味ある答えをなさったのです。そして、その時から今まで、神様がまたどんな答えをなさったでしょうか? 一度も、私の家に他の人が借りたお金を返してくれと言って来る話しを聞いたことがありません。私の家は、そのようなことがありませんでした。それで、私は私の周囲の親戚が、お金を借りて返さないことを見れば、ものすごく私が責めます。このように、神様が私の家を祝福なさったのでした。そして、この福音運動がどれくらい起きているでしょうか? 皆様、気落ちせず、心配もせずに、神様を正しく信じるように願います。本当にこれは誰にでも該当することです。大統領にも申し上げたい話です。神様を知らなくて、福音を知らなければ困難から抜け出て来ることはできません。
 
■ 愛国とは何でしょうか? 国旗だけを振ることが愛国ではありません。国中に起きる霊的問題を防止することができてこそ、本当に真の愛国です。私達が庭そうじをして、新しい村運動だけをすることが愛国ではありません。青少年が霊的にみな死んでいくので、霊的に生かすことが愛国です。公務員、軍人が訓練を確かに受け取ることが愛国ではなくて、その人々の霊的な状態を正しくしてあげることが愛国です。それで、私達が死ぬ必要はないのですが、いのちをかけて信じる価値があるのです。私はこの部分を見ました。
 
■ それで、釜山にいる人々は知っているでしょうが、開拓を始めながらいのちをかけました。私のためではなく、価値ある事ではないでしょうか? ワゴン車ひとつを買って、夜明けに信徒を連れて通いました。むかしに私がそのようなことをしました。いまは、あなたがたと食事する時間もない程ですが、その時は、私が明け方祈りをみな連れて回ったのです。誰かが夜明けに疲れているのに、なぜ運転しているのかと尋ねました。事情がそうなので、運転すれば良いでしょうと言いました。信徒のために牧師がちょっと運転すればどうなのでしょうか。それで、明け方祈りを終えて連れて帰ったのです。このように、うちの町内を隅々通いながら、うちの町内で福音を聞くことができなかった人が無いようにすると決心しました。復興するのは当然です。福音を聞くことができなかった人があってはならないと思いました。この福音は、公務員も聞かなければならず、学生も聞かなければならず、大統領も聞かなければなりません。それで、これだけ価値あることなのです。それで、イエス様が言われたみことばです。鋤を持って後ろを振り返る者が、ここにふさわしいでしょうか。皆様、信仰生活を新しく始めることを望みます。私たちの教会に外国の人たちがたくさんきて訓練を受けています。考えを変えるように願います。皆様、国に帰ったら、世界宣教に派遣する国になると祈りましょう。それほど価値があることです。礼拝堂に通ってみるか? そのような方法で、どのように答えを受けるのでしょうか。宗教がたくさんあるのが、イエスを信じてみようか? として、どのように答えを受けるでしょうかということです。サタンの勢力、暗闇の勢力が確かにあるのに、私達がどのように勝ち抜くことができるでしょうか。皆様、この一つだけ回復しても、みわざが起きます。
 
■2番目です。神様の国にふさわしくない者だと言われました。すると、神様の国とは何でしょうか。これを知っていなければなりません。神様の国とは何でしょうか。誰も解決できない創世記 1章2節の'暗闇、混とん、空虚'をなくすことが、神様の国です。不思議に皆様の家系に、民族、社会の中にやってくる霊的な問題、すなわち、創世記3章5節を解決することが、神様の国です。これほどすごいことなのです。ネフィリム時代が、むかしから今まできて、すべての霊的問題を乱れるようにさせるのに、創世記6章14節の箱舟を作ることが神様の国です。
 
■年を取るほど、恵みを受けなければなりません。それでこそ、バベルの塔が崩れたようになりません。年をとるほど、祈らなければなりません。年をとれば、他の人が嫌います。孫も初めには、何も知らずに皆様を好みますが、後ほど大きくなると、嫌います。年をとるほど、恵みを受けて、年を取るほど、神様の祝福を受けなければなりません。だから、バベルの塔のように崩れない神様の国。どれくらい重要でしょうか。それで、父、御子、御霊の三位一体の神様の秘密、それを神様の国と言います。この祝福を皆様が受けることを願います。どれくらい貴重でしょうか。それで '神様の国' この話は、根本が変わる祝福を言います。教会、家庭、社会でこの神様の祝福が現れるならば '神様の国'がなんの話なのか理解できるようになって、他の人も生かすようになっています。
 
■3番目です。この福音を持った者の祝福のモデルになりましょう。パン何個かゆえにイエス様について行く者にならず、モデルになりましょう。環境を見て、世の中を見つめて、鋤を持って後ろを振り返る者にならず、祝福のモデルになりましょう。その話です。皆様、今日、この祝福を必ず捕まえて受けることを願います。本当に福音を持っていれば、3つの祝福を受けます。本当に福音が価値あるということを理解するならば、3つの祝福を受けるようになっています。それで皆様がモデルになるのです。
 
■その最初が、代表的祝福です。代表的祝福とは、難しい話ではなくて、皆様がこの祝福を受けてこそ、他の人が受けるということです。その次にくることが、時代的祝福です。その話は、この時代が福音がないから、皆様が時代的祝福をまず受けるということです。よく見てください。これから皆様の次の世代が生かされるようになるはずです。それを記念碑的祝福というのです。私たちの教会で、レムナント核心が始まったのですが、普通の話ではありません。記念碑的な祝福。この祝福を受けるモデルになろうということです。どのように始めれば良いのでしょうか。皆様が信仰を持って出発すればよいのです。どんな信仰を言うのでしょうか。皆様がますます明かになるはずです。 '救われたことは、最高の祝福だな' ということを発見するようになるはずです。その時から、モデル的な祝福が来ます。それを置いて、訓練も受けて、祈るように望みます。救われたことが最高の祝福だな。これが発見できる日から、答えが始まります。伝道運動も、この時から始まるのです。本当に、この目は必ず開かれなければなりません。この信仰を言うのです。これで霊的な戦いをするのだな。 これで神様が神様の力で私たちを救われたのだな。これが悟れる日から出発できます。その時から教会も答えがき始めるのです。
 
■より重要なことは、この信仰を持って世の中に出て行く時だけ、世の中に勝てるのです。神様の子ども、神様の国、この秘密なく世の中に行くので、難しいのではないでしょうか。簡単に悟れば、皆様が世の中に行って、難しい問題がきても勝つことができます。それで、神様の国という話を知って、学校も行って、職場も行って、世の中に行かなければならないのです。
 
■神様の国が何でしょうか。すこし前に話したように、創世記3章5節の問題がなくなることが神様の国です。皆様は救われた神様の子どもであるゆえに、父、御子、御霊のみわざが起きるのを見て神様の国。皆様が祈れば、暗闇の勢力はなくなって、神様の国が臨み、天の軍隊が動員されるのですが、それを見て神様の国。理解できるでしょうか。それなら何をしても変えることができません。この契約を捕まえて、少しだけ祈ったのに、大きい答えがき始めました。皆様はこの祝福を受けなければなりません。そのような意味で、手を鋤につけてから、うしろを見る者は、神の国にふさわしくありません。そのような人があまりに多いのです。今日、あなたがたは、神様が与えられる祝福、この契約が何か、堅く捕まえて、本当に祈り始める答えの日になることを願います。
 
■私は見ました。聖書の中でこれを見たのです。そんなにも困難がきたのに、ヨセフは神様の国がなにかを知って行ったのです。聖書を見ると、主がヨセフと共におられたと言われています。だから、何でしょうか。ヨセフが奴隷へ行ったのに、みわざが起きて勝利できたのです。ヨセフが監獄に行ったのに、みわざが起きました。勝つことができたのです。幼いころからダビデは、この契約を持って行ったゆえに、その困難の中でもみな勝ったのです。この契約を皆様が持って行くのです。皆様の家に、職場に最も必要なことが何でしょうか。神様の国です。皆様、会社の中に、信仰生活、社会生活の中に最も必要なことが何でしょうか。神様の国です。これを持って出発しましょう。すると、答えが来るしかありません。行く所ごとに、みわざが起きるしかありません。ほとんどみんなが、この価値を知らないのです。
 
■絶対に、日本、米国、こういう国は世界福音化するのが難しいのです。私が静かに見ると、私たち韓国の人々が世界福音化する性格を持っていると思います。なぜなら、世界で自分の家を売って献金する人は韓国人だけです。そして、お金がないのに、神様の前に献金する人は韓国人だけです。献金封筒に献金を入れて、神様に捧げ物をささげる国は、韓国しかありません。日本に行って献金する時間を見たら、小銭を出して献金を出すのに、それも震えながら出すのです。米国にも行ってみました。図体が大きい方達が1ドルをやっと献金しています。封筒に入れて、名前を書いておいて心から献金する人々は韓国だけです。私が献金を持って話そうとするのではありません。神様をどのように信じるかが重要なのです。 'わたしを尊ぶ者をわたしも尊び、わたし蔑視する者はわたしも蔑視する.' だから今日、この本文がどれくらい重要な本文でしょうか。私たちは、適当に仕えるのではなくて、正しく知って信仰生活をしなければならないのです。何を知っていれば良いのでしょうか。神様の国。なぜでしょうか? ここにふさわしい者になるべきです。すると、どんな祝福を受けなければならないのでしょうか。ここにふさわしいモデルの祝福を受けましょう。
 
■それで、私はこの契約をはじめから捕まえたのです。始めながら熱心に伝道しました。貧しい時期がありました。貧しくてもかまいません。熱心に福音を伝えたのに、それが全部、今は答えで来ました。それでインマヌエル釜山を始めながら、こういう覚悟を持ったのです。神様は嘘をつかれません。聖書は今でも働かれます。そして、福音がなくては人間問題は解決できません。どんなに立派な人が何と言っても、福音なしでは解決できないのです。私はそこに確信があります。始めながら、私たちは助けてもらいませんでした。私たちは、宣教費を出す。私たちは、宣教師を派遣する。開拓教会を始めながら、そのようにしました。始めた時、教団から助けを受けませんでした。なぜでしょうか? 私は神様の力を信じるからです。そのように始めたのに、私たち教会は益々復興しました。それで、いまは世界福音化する場にまできたし、あなたがたと世界福音化をしています。私たちの聖徒達が土地を買おうと回って、小さい土地を選んだのですが、私はそこに教会を建てませんでした。なぜでしょうか? 私は神様の計画を知っていたからです。訓練できる教会堂を建てなければ、そうでない所に教会を建てて良いでしょうか。この建物をよく使っているのですが、この程度で世界福音化できないのです。それで、神様が訓練できる所を下さいました。一度もかかさず、答えてくださいました。お金があるのでしょうか。しかし、待ったのです。私達が始めた時、会計簿に30万円の赤字でした。私は、はじめから大きい土地を尋ね歩いたのです。だから、お金が多いと思われて、うわさが立ちました。ある人が見るのには、そうでなく見えても、私がお金が多いとうわさを立てて通ったのです。お金がどこにあったでしょうか。30万円赤字だったのに。何を信じて、そのように通ったのでしょうか。神様の約束、神様の力、福音の力を信じていたのです。私は幼い時から見たのです。絶対に違いません。私は聖書で見たし、教会史で見たのです。今日、福音を持ったあなたがたが、困難が来ても、心配する必要はありません。全能なる神様に任せて、新しく開始することを願います。まちがいなく答えが来ます。
 
■今日3つだけ記憶すればよいのです。神様の国にふさわしい者。それだけ解決すれば答えが来ます。すると、神様の国とは何でしょうか。それを理解すればよいのです。それなら、私が他の目的でなく、その祝福のモデルとして神様が私を呼ばれたのだな。皆様ゆえに、皆様の家系が答えを受けるために、モデルとして呼ばれたのです。ほとんどすべてが死んでいくのに、彼らを生かさなければならないので、神様がモデルとして私たちを呼ばれたのです。 '先生、この人が教会に通ってから困難がきた'と言われますが、それは何かを知らずに言う話です。教会堂に通っているからです。皆様が福音を悟って教会に通えば、皆様ゆえに皆様の家系に光が照らされます。人々が何かを知らずに、嫁が教会に通って、家系に困難がくると言うのですが、それは嫁が教会堂に通っているからです。嫁が福音を悟れば、その福音ゆえに家系に驚くべきみわざが起きます。それで呼ばれたと言われました。代表的祝福。弟子たちがそれも知らずに、弟子が私たちは家に仕事が多くて... こういう理由を上げているのです。私は確かに知っています。皆様一名ゆえに会社に祝福が臨むはずです。その理由は祝福のためではなくて、皆様ゆえに神様の国が臨むようになるはずです。主がヨセフのゆえに。まさにその 話です。皆様ゆえに会社も生かされるみわざが起きるようになるはずです。私が知っている福音を持っている長老がいます。この方が、代表的祝福を受けるのを見ました。以前にも話したでしょう。この方が、北朝鮮に ずっといたら、成功する方でした。金日成主席と家族でした。信仰生活をしようと、その方が釜山に降りてきたのです。この方の証しを一度、聞いたのですが、試みにあうほどに祝福を受けたと言いました。他の所から長老に電話がかかってきたそうです。いろいろな物を持っていくので、お金を準備してくださいという話を英語でするので、長老は英語がよくできないから、正しくわからなかったそうです。米軍の部隊から物を持ってくるということでした。長老がトラック一台分の代金を準備したのに、実際に物がきたのは、三台分の量の物でした。長老が相手側の話を正しくわからなくて、一台分の代金しか準備出来なかったと言ったら、物は三台分のトラックを皆くれて、代金は一台トラック分だけを受け取ったということです。たぶん、その物は、正常なルートできたのでなかったのではないかと思ったそうです。試みに会いそうなほどだったということは、たぶんその話のことのようでした。英語ができないことも、その方には恵みだったのです。そのような方法で、あちこちで経済の祝福を受けたのです。誰かが釜山の名地に位置した、使うことができない土地を買ってくれと言ったので買ったのですが、それが後ほどはすごく栄える土地になったということです。その長老が証しをしました。この福音ひとつ守ろうときて、自分は良くしたことが一つもないのに、神様はずっと祝福を下さいました。 そのようなしかないでしょう。それで、教会の働きも多くして、多くの主の働きをするのを見ました。ある長老一人は、入社したのに、ものすごく偶像に仕える会社でした。長老一人が偶像を仕えないのに、そのようになれば、会社内で目立ちます。そのような時、皆様が揺れてはだめです。この方は、仕事を良くしながら、祈って、別にすることもなく、福音だけ持っていたのです。ところが、この方ゆえに仕事の門がみな開くのでした。話すべき言葉がないのです。これが信じる者が受けた祝福です。私は軍人も知っています。私は本当に福音を持った軍人を知っています。この方達に、どのようにみわざが起きているか私は見ています。正確に見ることを望みます。うわべで見ず、福音を持っていれば、本当のみわざが起きるようになっています。私がこの福音を本当に持って、契約を味わうならば、皆様が滅びていても、明日から働きは始まるはずです。私は確信します。 250年間、ローマがキリスト教を押さえたのですが、キリスト教に勝つことができませんでした。福音に勝つ者はいません。私はこの契約を持った人を確かに見ました。今回、釜山のエステルが、韓国の中で世界から集まった軍人に通訳をしに行ったのです。その中にも、ねたみや嫉妬があります。それで、エステルが行った時、通訳ができなくなったのです。エステルが英語をより良くするのに、内部にいる人々がお互い自分がするとして、できなくなったのです。そうしながら、あいさつをしに行ったのです。長官をした、イ・ジュン長老がいらっしゃいます。その方に挨拶をしたということです。柳光洙牧師の教会からきたと言ったら、エステルだとわかって、通訳にエステルを立てたということです。それで、通訳をし終えたら、人々がみな驚いたということです。韓国語と英語の両方を良くできる人は多くいません。博士と言ってもそうです。ところが、所々に福音を持った人々が隠されているのです。所々、この福音を知っている人々が、実際に答えを受けているのです。だから、この価値を悟ることができないから、神様の国にふさわしいのでしょうか。私は皆様に大胆に一つ提示することがあります。皆様が、本当に数ヶ月間だけ、この福音に対して深く研究してみるように望みます。たぶん先ず一番に皆様にある霊的問題が解決するはずです。そして、皆様ゆえに答えがくるという事実を知るようになるはずです。今日、この契約を堅く捕まえることを願います。神様の国にふさわしい者。神様の国がなにかを知っている代表的秘密を持った人々。この契約を持って一週間もずっと勝利することをイエスの御名でお祈りします。
 
<契約の祈り>
神様に感謝申し上げます。真にこの契約を捕まえる時間になるようにしてください。手を鋤につけてから、うしろを見る者ではなく、神の国にふさわしい者になるようにさせてください。今、この世には福音がなくて死んでいきます。今日、礼拝に参加した方達に、福音を持った方達に、代表的な祝福を下さいますことを信じます。気落ちしたり、他の物を捕まえたりしないで、今日、福音を捕まえる時間になるようにさせてください。今、多くの大きい教会が揺れています。福音に根をおろすことができなくて、世界教会が揺れています。今日、福音を持った方達を祝福なさって、記念碑的な、時代的な祝福を与えて下さい。今日、この契約を真に捕まえる重要な日になることをお祈りします。それで新しい神様の祝福を味わう開始の日になるようにさせてください。イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン
 
 


 2部/ 昼も夜も主の御前で叫ぶ者
(詩88:1〜18)
 
■ 30年前に、オサンニ祈梼院に行ってみたことがあります。そこで祈っていたのですが、それほど恵みになりませんでした。牧師たちが、この方もあの方も、出てきて説教をされるのに、あまりに全く同じくチョウ・ヨンギ先生の声を出していました。チョウ・ヨンギ先生は、舌足らずなようで、慶尚道の人なので、それしか仕方がないのですが、ソウル人々は舌も長いのに、同じようにするのです。もちろん、尊敬する人の説教をずっと聞くならば、同じようになって行くことがあると考えます。しかし、あまりに全く同じなので、耳障りになって、恵みを受けられませんでした。私が最後の日に恵みを受けたのです。ある名前も知らない執事が、一人出てきました。礼拝の説教が終わって、執事が出てきたのです。サキソホンを持ち出して 'あの高い所に向けて'を演奏しました。どれくらい恵みになったか分かりませんでした。私だけがそうなのではなく、他の人も恵みを受けているようでした。その時、私が感じたのは、音楽の力ということを感じました。説教も恵みにならなかったのに、音楽が影響を与えるのだなと思いました。特に今日は連合聖歌隊献身礼拝をささげます。
 
■ ところが、信仰に成功した方は、ほとんどすべて見ると賛美の人でした。皆様がおわかりの通り、旧約の最高の人物はダビデです。賛美の話を多くして、直接、作詞、作曲をしました。新約の最高の人物といえば、やはりパウロです。パウロが賛美に対する話を多くしました。エペソ1:3を見れば '賛美します'と言いました。賛美のいけにえという言葉を書きました。ピリピの監獄でもパウロがその日の夜、賛美する中に奇跡がおきた.だけでなく、宗教改革者マルティン・ルターのような人が、作曲、作詞をする程に賛美の人でした。私達が歌う '神はわがやぐら、わが強きたて' という曲がルターの賛美です。福音運動をたくさん起こしたヨハン・ウエスレイという人も専門の賛美チームを連れて通う程でした。一時、世界を動かしたムーディーのような人も、とても賛美チームを連れて通いました。このように見れば、ほとんどみな賛美を正しくしたということです。それで、あなたがたは、今日、単なる献身礼拝でなく、少しの間ですが、私達が考えをよくする礼拝になるべきです。
 
■ まず、賛美は私たち個人の賛美もですが、先ず一番に礼拝を回復する賛美が必要です。私たちが一緒に恵みを受けることができることの中で、最も重要なのが賛美です。聖歌隊がよりたくさん祈って、礼拝に大きく恵みを受けて、こういう重要な役割をしなければならないと期待します。なぜなら、聖書を見れば、ダビデが賛美する時、王宮の悪霊が離れました。
 
■ むかし、15年前のことです。私と長老たち、何人かが、サンヘウォン教会という、馬山の仮設の建物を見に行きました。普段には小さな部屋だったのですが、聖日にみな開けたら、大礼拝堂になるのでした。その時、私たちの教会が復興していた時だったので、私達がそれを見に行ったのです。行ってきて私たちの信徒に話をしました。その話ゆえに、釜山の教団で異端関連説を言われたのです。なぜその教会に行ったのかと尋ねてらえたので、答えました。寺の見物に行けば、僧侶になるのかと尋ねたのです。なぜ行ってはいけないのか。なぜ建物を見ることができないのかと言いました。そうしたところ、悔い改めないと懲戒されました。その時から始まって、今まで付いてまわっています。
 
■ ところが、その話をしようということではなくて、実際にはその時、礼拝に参加したのです。いまは合同側の教会です。その教会の礼拝に参加したのですが、私だけでなく、私たちの長老たちも驚きました。聖歌隊を見て驚いたのです。普通ではないなと思いました。礼拝の雰囲気を完全に生かしていました。何と表現すれば良いのか分からないのですが、騒々しくなくて、雄壮でした。最初から出てきたのですが、私たち礼拝をささ上げる者をつかんでしまいます。私はとても驚きました。声はものすごく大きいのに、騒々しくなくて、相当でした。賛美する時間だけでなく、賛美特別活動する時、私達はとても驚いたのです。私が帰ってきて称賛せざるをえなかったのです。その教会の聖歌隊を見て驚いたと説教の中で話したところ、賛美奨励罪になりました。釜山の人々は知っているではないでしょうか? 説教をみな聞くので、聖歌隊がすばらしいと話したところ、異端賛美奨励罪で、宣告されました。それほどに、聖歌隊の役割がとても重要だということです。
 
■ 私が一度、クリスタル・チャーチ(crystal church)に参加してみました。やはり予想したとおりでした。建築のあらゆる予算を聖歌隊に投資したのではないかと思いました。ほとんどすべて共通して、音楽、そうでなければ賛美でつかみます。だから、どれくらい賛美が重要でしょうか。賛美を通じて礼拝が生かされるようにしなければなりません。もちろん説教も重要ですが、賛美を通じて礼拝が生かされなければなりません。そのように祈らなければならないのです。確かに聖書を見ると、賛美する中に病気がよくなったと言われています。確かに賛美する中に奇跡がおきたとされて、悪霊が離れたと言われています。
 
■ いまは亡くなったのですが、金海に金海祈梼院というのが山中にありました。勧士一人が祈梼院をしていたのでした。そこは条件がありました。祈ろうとチームが上がってくるのは良いのですが、集会はしないのでした。何でそのような祈梼院があるのかと思いました。車も上がることができなくて、車からおりて歩いて上がらなければなりません。ところが、私が何を知ったかというと、精神病患者がそこで治療を受けるということです。それで行ってみたのです。このおばあさんは、精神病患者一名以上を受け入れません。それで、私が精神病患者をどのように直すのかと尋ねました。そうしたところ '私が直すのではなくて、神様が直される'と言いました。それは正しい話しですが、なにかがあるのではないかと、またたずねました。何もしないと答えました。ところが、そこで癒されて行った人々が多かったのです。後ほど分かりました。この勧士が集会も何もしなくて、ずっと賛美して祈りだけするということでした。この精神病患者が本当に、約三日間、賛美すれば耐えることができないということでした。勧士がそのまま置いておいても癒されるということでした。それで、自分がすることではないと言いました。賛美だけするのでした。二人で一緒に祈って賛美したのでした。後ほど聞いてそうだろうと考えました。聖書にもあることです。
 
■ 聖歌隊を通じて礼拝が生かされて、もう一つの祈りの課題を持つべきです。私たちの賛美を通じて、全部、共同体ができて、ひとつになって、連合できる、こういう祝福を味わうべきです。救われた者には可能です。私が参考に考えてみると、インターネットをする人が一番 'インター(inter)'がだめです。 'インター’というのは、通じるということです。 'インターナショナル(international)'は '国家間'ということです。インターネットは、netが通じるということなのですが、今まで見た人の中では、インターネットをする人々が最もインターができません。そして、不思議に最も共通の言葉が歌なのに、音楽をする人々が、ひとつになれません。音楽が世界の言語なのに、曲だけ出てくればみな通じるのにです。本当に異常だと考えます。
 
■ 私たちは違います。神様を賛美する人々です。それで、私達がお互い一つとなって、赦して理解して手を取合って、このようにしながら、世界福音化をして、神様の恵み受けることができるべきです。そうでないならば、未信者と全く同じです。私たちは神様を賛美する聖歌隊です。個人の考えですが、2部礼拝をする時は、全員が賛美するのはどうでしょうか? どれだけ礼拝が生かされなければならないかというと、詩150篇を見ると、あらゆる楽器を持って出て来なさいと言われています。詩150:6を見ると、あらゆる呼吸ある者は、主を賛美しよう'と言いました。1部礼拝の時は、少し敬虔にして、2部の時は祝祭式ですることができないでしょうか? すべての教会員がハーモニカを吹く人はハーモニカで出てきて、楽器ができる人は楽器を持ってきて、みな賛美してはだめでしょうか? むかし、僧侶だった人々は木魚を打って出てはだめでしょうか? 伝統的な楽器をした人々は、たたきながら賛美して、不可能でしょうか? 固定観念を持ってしなければならないでしょうか? 一緒に賛美することが良いことではないでしょうか? 誤った考えなのか分かりませんが、私はそのような気がしました。
 
■ むかし、私たちの教会の初期の時、酒場でラッパを吹いていた人がいました。その人がサキソホンを吹いたのです。聞けば釜山の人々は知っているはずです。その人がオサンニ祈梼院で吹くのを見て、恵みを受けたのですが、この人が現れたのです。それで、酒場でラッパを吹かず、教会でしてくださいと言いました。奥さんの話を聞いたら、聖日に来るのに、土曜日に寝ないで練習をするということでした。聖日に一緒に礼拝をささげながら、共にラッパを吹きました。私の考えでは、音楽に無知でそうだったのか、ラッパを吹くとみんなが生かされるようでした。結局、賛美専門担当者が、この人を押し出したのでした。その人は、結局、止めました。賛美がどうなのでしょうか? 昔のクラシックが賛美なのでしょうか、この頃の音楽が賛美なのでしょうか、何がどうなのでしょうか? 私達が子ども達に賛美を何だと説明しなければならないのか、混乱しています。クラシックが福音なのでしょうか? それも福音ではありません。中世時代に現れた音楽であって、事実福音ではありません。何でどのようにしなければならないのでしょうか?
 
■ より問題は、三番目のことです。私たちレムナントに賛美文化を正しく植えるべきではないでしょうか? 今回、レムナント集会の時、ミュージカルの内容も良くて、曲も良かったのです。しかし、単純に子ども達が踊ることで、それがレムナント文化ということなのだろうかという気がしました。私たちの子ども達がすることを静かに見れば、みな専門性はあるでしょうが、レムナント文化として自慢して植えることができるのか、疑問になりました。なにか私達が専門担当者が力を合せて、教会のなかで礼拝も生かして、何かレムナント文化を作ってみましょう。それが不可能でしょうか? 私たちの子ども達が踊ろうとすることが、果してレムナント文化として定着しても良いのでしょうか? こういうことをおいて私達が祈らなければなりません。
 
■ 賛美献身礼拝であるから、単なることではなく、使命を持つべきです。少しでも使命を持たなければならない理由は、ほとんど歌で人に影響を与えているからです。レムナント、青少年は、音楽に入ってしまいます。そのように見るとき、私たちはなにかをしなければなりません。ワシントンにフェローシップ教会という最もたくさん集まる教会があります。私が行ってみていないのですが、何でそのように集まっているかを尋ねました。説教は簡単にして、歌うことをたくさんするということでした。ある方の表現によれば、ナイトクラブなのか、教会なのか分からないほどにするようです。問題は、そこにワシントンでは最も人々がたくさん集まるということです。より驚くべきことは、フィリピンで毎週、数十万名が集まる所があります。公園で集まるのです。約束しなかったのに、ずっと集まるということです。そこで何をするのでしょうか? そこで歌を歌うのです。青少年が数十万名が集まるそうです。日本にも行ってみると、アメリカン・ストリートがあるのですが、米国について学ぶということなのに、全部、青少年が集まっています。全部、歌、音楽をします。このように流れるのに、私たちはついて行くことができません。多くのことをどのようにするかというよりは、使命を持って祈らなければならない部分です。私たちの教会の聖歌隊も正しく賛美すれば良いことではないでしょうか? それで、祈りの課題を献身礼拝の時、差し上げているのです。
 
■ ダビデみたいな賛美の人々が一番よくしたことは何でしたでしょうか? これから私と皆様がすることがひとつあります。賛美もして、事業もすべきですが、福音を受けたゆえに、しなければならないことがひとつあります。それが何でしょうか。それが今日の本文です。皆様の子どもが外に行くのに、福音を既に受けたから、何を持って行かなければならないのでしょうか? 一つだけ習えばよいのです。それがまさに祈りです。
 
■ 今日のタイトルにあるそのまま '昼も夜も御前に叫びます’というメッセージが出てきます。それで、今日、可能ならば簡単にお話しします。あなたがたは、神様の子どもであるから、何の心配もする必要がなくて、一つだけ習えばよいのです。祈りです。祈りを知らない人は、祈りだけして良いのか、実践をしなければと話します。実践より、もっと重要なのが祈りです。それは未信者、知らない人が言う話しで、違った実践は、どんなにしても効果がありません。私はむしろ勤勉な人よりは、福音ないなら、なまける人がよりよいと考えます。あちこち動いて、みな滅ぼすのです。だから皆様が祈りを学ぶということは、とても重要です。それで、私たちは祈らなければならない理由から知っているべきです。もしヨセフ、ダビデが祈りの秘密がなかったならば、自分の限界を越えられなかったでしょう。皆様が祈りの秘密だけ習うならば、いくらでも勝利できます。今日、ここ3節に '私のいのちは、よみに触れていますから。'として、 4節には '私は穴に下る者とともに数えられ', 5節には '殺された者のようになっています', 6節には '私を最も深い穴に置いておられます', 7節には 'あなたのすべての波であなたは私を悩ましておられます', 9節には '目は悩みによって衰えています', 12節には 'やみの中で知られるでしょうか',
 
■ それでも勝つ方法があります。それが祈りの秘密です。昼も夜も御前で叫びます。今日、あなたがたが祈りの秘密を学ぶならば、どんな困難も越えることができます。皆様が少しだけしてもかまいません。今日からこの契約を捕まえてみるように望みます。祈れば起きる事を知っているはずです。祈れば目に見えない聖霊のみわざが起きるようになっています。聖書を良く見れば、祈る時、神様が主の天使を送ってくださって、今でも作業されるようになっています。それで私と皆様が、ここに座っているのに、本当に信仰で祈るならば、この時間、神様は職場、現場に、主の天使を送ってくださるとなっています。一度ももれなく。皆様、いろいろ話すことが多いけれど、聖書に一度ももれなく祈る時ごとに神様が主の天使を送ってくださったとされています。
 
■ ガリラヤの人々、あなた達は何を見つめているのかと再臨の話をされました。誰が話をしたのでしょうか? その時、その重要なメッセージを主の天使が与えたのです。複雑なことをみな抜いても、使徒ヨハネが滅びると思っていたのです。パトモスに島流しになって、祈っていました。その時、使徒ヨハネに相当な目を開けてくださったのです。ものすごい天使が動員され、祈る時ごとにあちこちに働くのを見たのでした。心配する必要がありません。皆様が祈る時、聖霊が働かれます。祈る時、天使を動員させられます。皆様が祈る時、暗闇の勢力が崩れます。皆様が祈る時、サタンの勢力が縛られるようになっています。皆様が祈る時、悪霊が追い出されるようになっています。率直に私はこれを知って祈りを始めました。そうしたら、答えがきたのです。皆様が福音を受けた人々であることが確かならば、祈ればよいのです。皆様が福音を悟った人であることが確かならば、祈りだけ正しくすれば、全てのものが終わるのです。すると、ある日迫ってくる事で、試みにあったり、つまずいたりすることがありません。どのように祈らなければならないのでしょうか?
 
■ 1節に '主、私の救いの神'と言いました。救いの秘密を持って祈りましょう。救われた皆様ならば、創世記3章の事件が行く所ごとになくなるはずです。だから、これだけ祈ればよいのです。創世記6章の秘密がなくなるはずです。救いの秘密を持って祈りましょう。捕虜になった時、イザヤ7:14を悟ったイザヤが祈る時、みわざが起きました。
 
■ 2番目です。13節に '朝明けに、私の祈りはあなたのところに届きます。'. 必ずこのまましてみることを願います。朝に祈ったということは、時間を定めてすこし祈ったということです。皆様、今から時間を決めて祈ってみるように願います。福音を持ったあなたがたは、少しだけ時間を定めて祈れば、その時からあらゆる答えの門が開かれます。これは大変なことでもありません。お金がかかることでもありません。これは一つだけあれば良いのです。信仰だけあれば良いのです。だから朝に祈ったということです。可能ならば朝の祈りが良いのです。皆様が可能ならば、明け方祈りをすれば良いでしょう。
 
■ 私たちのレムナントにお願いします。学生、青年達は記憶しなければなりません。夜に遊んで回るならば、朝によく起きることができません。もちろん、それも一つの若さであるゆえに、無視することはできません。しかし、皆様が本当に大きい人物になろうとするなら、朝の人にならなければなりません。遅く寝ても、朝に早く起きる力だけあれば良いのですが、そのようにできないなら、早く寝ましょう。夜通し寝ないでも、聖日にうとうとしなくて、礼拝をささげる力だけあればよいのです。レムナントは記憶しましょう。朝の人になりましょう。外国に留学生活しているレムナントも記憶しましょう。朝の人になりましょう。これから、大きい人物になるなら、朝の人になりましょう。他の人より早く起きましょう。他の人より早く起きて、運動もして、そうじもして、勉強もしましょう。早くしてしまいましょう。それが何でもないようでも、年齢が40、50になれば天と地の差になっています。そして健康もそのように体質を変えなければ、年を取れば、力がなくなって、なにもできません。そして遅く寝て、遅く起きている人々が成功したことがありません。未信者の話しで、運が良くて成功しても、一般的に少し味わって終わります。それで朝の人です。ダビデは朝の人でした。皆様、職場に早く行って、余裕を持って本を見て、祈って準備する人がよいのか、きわどく来て、うとうとしている人がよいでしょうか。朝に早く起きて、祈って運動して本を見て勉強して、余裕をもって職場に行く人が成功するのでしょうか。忙しく走っていく人が成功するのでしょうか。道で静かに一度見てみましょう。朝に出勤する人々を見れば怖いのです。ほとんど庶民、よい暮らしでない人々は、職場に行くのを見れば、共通点があります。遅く起きて、きわどく走って行きます。ある人は、ハンカチも落として、携帯電話も落とすこともしらずに走って行きます。そのように職場に行って成功できるでしょうか? シーバーという鋼鉄会社の社長は、他の人より1時間前に出勤しました。1時間前に行って、準備してみなしたのです。掃除夫として入っていって、後ほど社長になりました。難しいことが何でしょうか。ちょっとの差なのに、相当な差が出るようになりました。
 
■ より重要なことは、祈りの人になりましょう。物を忘れてしまうことはあります。こういうことは、祈ればみな解決にすることなのに、少しだけ準備しても成功します。今日、皆様が見た1節にこういう言葉があります。. '主、私の救いの神。私は昼は、叫び、夜は、あなたの御前にいます。'. このようにするだけでも成功します。皆様が福音を持った人に間違いないのでしょうか? 何にも心配しないでも良いのです。祈りだけすれば良いのです。福音を持った人ではないのでしょうか? どんなに努力してもむずかしいのです。皆様の中にいのちがありますか? 少しだけ祈れば働きが起きます。神様は私たちの祈りをお聞きになります。創世記39に主がヨセフとともにおられたので。主がモーセと共にいると言われました。旧約で祈る人は、全部、答えを受けました。本当に不思議です。ヒゼキヤ王がその日の夜に祈ったのに、アッシリヤ軍18万 5千人に勝ったのです。
 
■ 聖書は何と話しているでしょうか。U列王19:35に 'その日の夜に主の使いが'となっています。おかしな事が行われます。皆様が信じて祈ってみましょう。皆様は救われた神様の子どもです。これを味わうことができなければ、いつも何かをもらうために付いて回らなければなりません。今、タラッパンにいる人々が、味わうことができないのです。なぜならば、この良い祈りをしないからです。ところが、逃げて行くこともできません。なぜでしょうか。答えがくるためです。今、タラッパンで共同体までものすごい答えが来ています。ずっと答えがくるために逃げることもできません。ただ時刻表が合わないのです。味わわなければならないのに、毎日付いて回らなければなりません。そのようにして、信仰生活が面白いでしょうか? 時刻表が合わなければならないのです。いつもタイムが合いません。いつも感じるのです。逃げる道もありません。いつも答えが来るから。福音を持った伝道者ならば、答えがくるようになっています。それなら、この契約を少しだけ回復すれば、あらゆる門がみな開くはずです。そうでなければ、礼拝することも疲れて、仕事をすることも疲れるようになります。祈りの力を得れば、想像もできない力が生じます。皆様は福音を持ったゆえに、祈れば想像できない霊的な力が会社の中に現れるようになるのです。
 
■ それなら、こういう結論を下すことができます。私はこの本文が私の信仰告白です。それなら、昼も夜も御前で叫びましょう。すると、昼も夜も働きが起きるのではないでしょうか? 私はこの部分が気に入っています。明け方祈りも重要で、定刻の祈りも重要ですが、昼も夜も祈りましょう。すると、皆様が大きい力を得るようになります。皆様が昼も夜も祈れば、行ってみると答えがきています。皆様、昼も夜も祈れば、皆様に健康も回復するみわざが起きます。聖霊は皆様のからだのなかで共にいつでも働かれることを私は信じます。一般の医者が知らないことがあります。私達が聖霊充満を受ければ、神経も生かされます。今から昼も夜も叫んで祈りましょう。
 
■ 話を結びます。連合聖歌隊献身礼拝を迎えて、私たちの聖歌隊チームが記憶すべきです。もう一度、使命を捕まえるべきです。前に話したように、天使が堕落して、サタンになったのです。黙示録12:1〜9です。賛美を担当した天使が堕落しました。それなら、皆様はご存知でしょうが、ほとんどみな隠しているのですが、音楽専門担当者は、霊的な問題が深刻です。それを無理に慰めようとするのです。音楽をすれば、元々そうらしいのです。本来そのようなことまでは良いのですが、後ほどは完全に問題がきます。これを救わなければならない使命があります。
 
■ 私が見るのに、霊的な次元で見る時、音楽をする人に最も福音が至急です。この世を暗くさせた張本人が、サタンなのですが、そのサタンが音楽担当の天使でした。そのように見る時、私たち使命はものすごいのです。皆様が月給を受けることもなくて、聖歌隊員の使命がどれくらい重要かを知っていなければなりません。ですから、単にするのではなく、本当に感激、感謝、使命を持って賛美しましょう。あなたがたが苦労することは当然の話です。それより祝福はもっと大きいのです。ただ賛美するのではなく、賛美する時ごとに霊的な大きなみわざが起きるように賛美しましょう。皆様が賛美ゆえに礼拝堂に礼拝しようと入った人の霊的な問題が癒されるように賛美しましょう。まちがいなくそうです。聖書にそのようになっていて、私は証拠を見ました。
 
■ 私が外で伝道しながら見れば、大学でも音楽をする教授、学生達がものすごく苦しめられています。このうちに福音を正しく持った人、1,名だけいれば、影響をものすごく与えるでしょう。そのような意味で見る時、私たちの聖歌隊員がとても重要で、指揮者がとても重要です。特に私たち教会は、自慢するのではなくて、使命がよりたくさんあります。これから、レムナント共同体訓練場を開けば、巡回しながら働かなければならないのですが、正しい賛美、正しい救いの秘密、祈りの秘密を持っていなければなりません。
 
■ より重要なことは、歌が出てくるところで人をみな滅ぼしています。ミュージシャンが霊的な問題があるということは置いておいても、歌が出てくるところでみな壊すのです。だから音楽が出てくるナイトクラブで、全部人々をみな壊しています。ナイトクラブが悪いということではなく、霊的な背景を知ろうということです。だから音楽するそこで人々がみな崩れるのに、どんなに不景気であっても、そこはうまくいくらしいのです。私はとても驚きました。私たちは行く時間もなくて、必要もないのですが、そのような所に行く人は、使命を持って行くらしいのです。男の人たちは、狂った性格があって狂うと思っていましたが、この頃は女の人がよりするらしいのです。確認はまだしていないのですが、女の人がきては男の人を付けてくれと頼むらしいのです。ある場合は、ウェイターにお金を与えながら男の人を付けてくれとお願いするらしいのです。一箇所だけがそうなのではなく、大韓民国全体で、そのようなことがあるということです。確認ができていないのですが、夜に地球が滅んで行っているのです。
 
■ それだけでしょうか? 音楽で青少年をみな捕らえています。学生達が音楽が良いという程度ではなく、放送局の前で、学校に行かずに列を並んでいます。何日か前に見ても、学校も行かずに場所をとっています。この程度になりました。外国も、韓国も、まったく同じです。なにか知らなく、音楽で押し倒すのです。そのように見る時、賛美、礼拝する時、聖歌隊がどれくらい重要でしょうか。この説教を終えて賛美するはずなのですが、皆様が本当にダビデの賛美のようにしましょう。パウロの賛美のようにしましょう。それで皆様が知らない病気までみな癒されることを願います。皆様の事業の場にまず聖霊が働かれる事が起きることを願います。皆様の家庭に神様の働きが起きることをお祈りします。
 
<契約の祈り>
神様に感謝申し上げます。賛美する時、癒される時間になるようにしてください。聖霊が臨む時間になるようにしてください。主イエス・キリストのお名前でお祈りします。