2004年10月10日インマヌエル教会聖日メッセージ


 1部/ イエス様の感謝の祈り
(ルカ10:21〜24)
 ■ 韓国の最高の神学者で、注釈もたくさん書いた人がいました。その息子が米国で信仰生活をしていたのですが、信仰生活が良くできなかったのです。若くして四十程度しかなっていないのに、福音もなくて、癌で死んでいくのを見ました。私たちも、下手すると、そのようになります。私たちも知らない間に、生きていくうちに、そのようになるのです。それで聖書では、謹んで目を覚ましていなさいと言われました。米国の地域に行ってみれば、そのような人が本当に多いのです。長老一人に会ったのですが、受けた傷があまりに多かったのです。この方は、傷をぎっしり持って宗教生活をしていたのです。未来は失敗することが間違いないのですが、そのような人々が、あまりにも多いのです。ところが、私たちも下手すると、そのようになります。ヨーロッパもそうで、全世界が、これからみなそのようになるはずです。
 
■ 皆様が、青年の時には、美しい夢もみな持っていたでしょうが、下手すると年を取りながら、これもだめで、あれもだめになり、変になることがあります。何の内容もない、おかしな信者になることがあります。下手すると、そのようになるのです。福音を悟ることができなくて、ずっと信仰生活をしているうちに、なにかがだめだ、そのような信仰生活になることがあるのです。
 
■ 初代教会は、どのように信仰生活をしたかというと、教会の中に入れば、一時間ずつ抱き合って泣いたということです。あまりに会えてうれしいからです。このように、困難の中で救いの秘密を知るようになって、神様の子どもになったということが、とても感謝なので、手を取り合って泣いたということです。皆様、2002年のワールドカップを見たでしょう? 私たち韓国が、サッカーをどれくらい良くしたか、ヨーロッパの強豪にみな勝ったのでした。全世界が驚きました。そして、行く所ごとに、私たち韓国の応援チームが付いて回ったのです。特にスペインとの競技では延長戦まで行って、PKをするようになりました。きわどく勝ったので、あまりにうれしくて、観衆と見ている人々が叫び声をあげました。あまりにうれしくて、そばにいた人と抱きあったのですが、知らない男の人だったこともあります。こういう場合があったのです。初代教会でも、会ってあまりに気分が良くて、抱き合って祈って、お互い泣いたが、見ず知らずの人だったことがあったのです。そのようにして、信仰生活をしていました。
 
■ 今日、イエス様がこうおっしゃられました。イエス様が感謝の祈りをされました。知恵ある者に、この福音を隠されたことを感謝すると言われました。父と子を知る者がいないのに、この福音を知るようにされたことを感謝しますと言われました。 23節に 'それからイエスは、弟子たちのほうに向いて、ひそかに言われた。「あなたがたの見ていることを見る目は幸いです。' 24節には、‘多くの預言者や王たちがあなたがたの見ていることを見たいと願ったのに、見られなかったのです’と言われました。これは、何のみことばでしょうか? 今日、私たちはここで、神様の新しい恵みを受けなければなりません。
 
■ 最初は、こういうみことばです。多くの人々が、苦しみ、大きい困難の中で、やっと神様を見上げるのに、あなた達は、どれくらい幸いなのか? 牧師の息子であり、神学の勉強もした世界的な哲学者ニーチェが、神様は死んだと言いました。それで、どれくらい多くの知識人を未信者にしたでしょうか? この人が、後ほど精神が狂ったのです。精神が狂ったニーチェが、精神病院でさ迷いました。この人が正気を失って、地べたを這いながら神様を探したということです。人間は、そんなにも凄絶になり、完全に滅びた状況では、しっかりするのです。人間とは、このように愚鈍です。あなた達が、どれくらい幸いか? 弟子にイエス様がなさったみことばです。そんなに滅びずに福音を悟ったから、どれくらい感謝なことでしょうか? なんの話なのか分かるでしょうか?
 
■ 教会で育った人のモーパッサンは、文字さえ書けば、神様を誹謗する文を書いたのです。よりによって、その人も精神が狂いました。英雄だったナポレオンは、思い切り苦労して、面白いこともあったかもしれないのですが、島流しされました。からだは病気です。からだには皮膚病も広がっていたのです。その時の年齢が、53才だったということです。私の辞書には不可能という言葉がないと話した人です。その人が、最後に道理が分かった言葉を一言、言ったのですが、この海の水は人間が流した涙だと言いました。山で風吹く音は、人間がため息をつく音だ言いました。53年ぶりに悟ったのです。完全に死の瀬戸際で悟ったのです。私は今、座った土地が一坪もならないと言いました。私は生涯、全部投資したのに、一坪も占めることができなかったと告白しました。自分のものにはできなかったと言いました。イエス・キリストは、世界を征服したと話しました。五十三年ぶりに、からだに皮膚癌になって死んでいく直前に言った言葉です。皆様がそのようにならないで悟ったから、どれくらい感謝することでしょうか? 普通の話ではありません。すばらしい王も悟れないのに、あなた達は、本当に幸いだな。皆様、滅びないように願います。また、滅びないようになるはずです。滅んでから悟ることはおそいのです。
 
■ 私たちが幼い時に言う話があるでしょう。物事が分かるようになったら、還暦だという言葉もあります。だから今、正しく悟ることがどれくらい重要なのか分かりません。私は患者の中で、死んでいく癌患者を何名か見たことがあります。共通点があります。まず、以前の人ではありませんでした。ものすごく真摯です。そして、生きようとしています。そして、ひとつの特徴が、神様を見上げようとします。幸いなことです。しかし、遅くないでしょうか? 私達が苦しみの中にいなくて、神様を見上げるということが恵みの中の恵みであり、幸いの中の幸いなのです。聖書を見るように願います。パロ王が徹底的に滅びました。そのような時ごとに、神様を探して、ヤーウェの神を探したのですが、それでも悟ることができなかったのです。
 
■ 皆様、イスラエルが捕虜になっていって、奴隷になるなかでやっと悟った単語ひとつが、福音であったのです。エジプトで400年を全民が投資して悟った単語が、出エジプト3:18です。イスラエルの23代目の王は、文化を全部投資してバビロンで悟ったことがイザヤ7:14です。ところが、この人たちが、大部分、急に神様を見上げたのは、宗教性が生じたのであって、福音を悟ったのではありません。イエス様が知恵ある者に隠して、あなた達に知るようにされたことを感謝すると言われました。
 
■ それには、2番目の理由があります。単純な宗教を持ったのではなく、福音を悟ったということが恵みの中の恵みで、幸いの中の幸いなのです。22節を見れば、子と父を知る者はいないと言われました。24節に、王や預言者が見ることができなかったと言われています。極限の滅びの中でやっと悟った福音を、私達が恵みで知るようになったのです。皆様、聖書を見れば、とても重要な聖書箇所3ケがあります。イスラエルが奴隷になった時の出エジプト3:18です。イスラエルが捕虜になった時のイザヤ7:14です。イスラエルが完全に滅んで、ローマの植民地になった時のマタイ16:16です。人間がどれくらい愚かでしょうか? そのように滅んでやっと悟るのです。そのようにならないで福音を知るようになったあなた達は、本当に祝福された人々で、神様に感謝すると言われました。単純な宗教を持ったのではなくて、神様の前に、福音を持ったことに感謝すると言われました。それで、あなたがたが、この祝福をのがしてはなりません。根本問題は、福音でなくては解決できないのです。
 
■ 皆様、聖書にある単語いくつかを見れば、暗闇という単語があります。サタンという単語があります。未信者が理解できない地獄、呪いという単語があります。それが簡単に話せば、人間の根本問題です。福音でなくては解決する道がないのです。それをそのまま静かに置いておくと、霊的な問題が来ます。皆様が成功するために成功をすれば、それから霊的な問題がくるはずです。お金をたくさんもうけるならば、よくなると思ったのに、家系に霊的な問題が現れるのです。避ける道がありません。それで、神様がこの福音を知るようにされたことを、とても感謝するのです。23節に、見ているあなたの目は幸いだと言われました。どれくらい驚くべきことでしょうか? 皆様、福音を真に悟れば、新しい開始になります。この福音を味わえば、永遠に失敗しません。これをどのように知ることができるのでしょうか? 皆様が一番用心して注意しなければならない部分が、この部分です。
 
■ 金曜日の夜明けに起きました。すこし祈ってTVをつけて見ました。全州にいる人の実際の話を実物の人も出てきて、映画も出てくるプログラムでした。二人男女が結婚をしたのです。男の人が貧しいという理由で女の人の家で反対したのです。ところが、この男の人が、すばらしい男の人でした。お互い好きだったので、結婚をしたのです。とても熱心に生きたのです。生きる楽しさが普通ではないのです。洗濯機も買いませんでした。手で洗って、なぜ買うのか? そして、おかずを食べるのも惜しんで、貯蓄したのです。一生懸命に良い生活をしたのです。通帳にお金もたまりました。いつかは、両親によく暮らしているのを見てあげると思っていたのです。このようにお互いが心を合せたのでした。子ども達も、そのように育てて教えたのでした。ある日、奥さんが道で車にぶつかったのです。植物人間になってしまいました。だから、生きることができる可能性が1%しかなくなったのです。男の人が、1%あるならば、あきらめることができないと思ったのです。今まで貯めたお金を全部、投資したのでした。心を込めて、あらゆる病院に通ったのです。やっと回復して、少し目を開けて、車椅子に乗って、手だけ少し動くようになっていました。そのように作品が紹介されて終わりました。
 
■ それを見て、本当に人間はどうすることもできないという気がしました。知らずに生きたのです。また、そのように生きなければならないのです。一生懸命に生きることが間違っているのではありません。そのように良い生活をしたのに、知らずに生きてきたのです。私が見る時は、その人の残った生涯がより問題です。人がバカのようになったのです。映画でなく、実際の事を紹介していました。この男の人が、女の人のために全てのものを投資したのでした。その番組の主題のポイントは、男子が善良だということです。限りない純情があるかということを見せてくれたのです。私はそれを見ながら、人生は悲惨だという気がしました。普通、そのように生きていくのです。訳が分からなくて、そのように生きて行くのです。神様が退屈で、キリストをこの地に送られたのでしょうか? 神様がちょっとしたことをするために、ものすごいみことばを預言なさって、キリストを十字架に釘づけられ、復活させて、救いを下さったのでしょうか? そのような程度ではありません。私たちに小さな病気でも癒してあげるから、幸福に生きなさいとキリストを送られたのでしょうか? そうならば、教会に来る必要がないのです。簡単な問題ではありません。'あなたがたの見ていることを見る目は幸いです' 皆様が新しく祝福を回復しなければなりません。
 
■ 三番目のみことばです。知恵ある者に隠されたことを感謝しなさいと言われました。これがまたなんの話でしょうか? 福音を多くの人に知るようにしなければならないのに、なぜ知恵がある人に隠すのでしょうか? 福音は権力者が持っていって、権力で乱用出来ないことなのです。福音は、金儲けを良くする人々がお金を与えて奪っていくようなことではないのです。福音は力で持っていく、そのような福音ではないのです。もし、それなら大変なことになります。すると、全部、泥棒だけが座っているでしょう。すると、全部、動機のある者達だけが座っているでしょう。これが最高の祝福であることを知っていたなら、力に出来るならば、力が強い人々だけが座っているでしょう。これが最高の祝福だということが確かだと知っていたなら、詐欺師だけが座っているでしょう。そのようにしないために、知恵があると考えられる者に隠されたことを感謝するのです。
 
■ 成功するために、必死に努力するパリサイ人に知らなくされたことを感謝するのです。民族思想がぎっしりあって、殺して征服しようとするユダヤ人に、福音を知らなくなさったことを感謝するのです。何の話なのか知っているでしょうか? 学校の先生がここにおられるのですが、学校の先生は重要です。知識も多くて、影響も与えます。しかし、すでに小学校に入った時に、子ども達は目に見えない背景を既に持っています。それを知って、教会学校で子ども達を教えるならば、相当なのです。それなら、あなたがたがする働きの価値が、学校の先生とは比較できないのです。それで、教会学校の教師には、何の謝礼も出さないのです。もし教会学校教師に謝礼を与えるならば、問題になります。
 
■ 世の中には良い歌がたくさんあります。どんなに聞いても、霊的な問題は解決しません。今日、家に帰ったら、今週に実験してみてください。一週間、海辺に行って、流行歌を歌ってみましょう。良い曲だけを選んで聞いてみてください。皆様が異常になることを感じるはずです。すると、流行歌ではなく、名曲を聞いてみてください。皆様は確かに肉的に変わっていくでしょう。変に名曲を歌うと、人間が変わっていくのです。皆様が一週間、本当に祈りながら賛美歌を歌ってみましょう。このように差が出ます。
 
■ 私達が神様の前に受けた祝福をどのように敢えて分かるでしょうか? それで、私たち賛美隊員や、重要な賛美をする人には、謝礼を与えません。賛美がどれくらい重要でしょうか? 率直な話で、皆様はマイケル・ジャクソンより重要です。それほどはあげなくても与えなければならないでしょう。どれくらい与えれば良いのでしょうか? 皆様が生活するのに支障がないように与えれば良いのです。神様はいくらでも持っておられる方なので、1人当り50万円ずつ与えるのです。それなら、まずパク・ギボン指揮者は、話をよく聞くので指揮するのがやさしいでしょう。数を決めていたら、競争が起きるはずです。声楽を正しく専攻した人は、ここに入っていきさえすれば、一ケ月に50万円を与えるので、入っていこうとするでしょう。そのことを十年だけしたら、どのようになるでしょうか? ここには、完全に他の人が立っているでしょう。それが滅びる近道です。このことが、どれくらい重要なことでしょうか? 知恵ある者という言葉は、さげすむ言葉です。知恵ある者には、福音を隠したと言われました。私たちは真に感謝しなければなりません。何を感謝しなければならないのでしょうか? 大部分の人々が大きい苦しみの中で神様に会うようになります。私たちは、苦しまなくて、本当に悟りを持って神様に会うようになったのです。ところが、人々が神様に会ったかのように見えても、それが全部、あがきで、宗教なのです。今日、ここに子と父を知るようになったことが感謝なことだと言われました。
 
■ あなたがたが、いくつかのことに、気を確かにして注意せねばなりません。私が本当に福音を知っているのでしょうか? 私がこの福音を本当に味わっているのでしょうか? マタイ25章を見れば、比較3ケが出てきます。娘十人が夜に新郎を待っていたのですが、ともしびをもっていたのです。それはイスラエルの国の風俗です。結婚式をする時、三回します。父母と家族が集まってします。それを定婚式、日本語で言うと婚約式と言います。それから、新婦の家で結婚式をします。それから、新郎の家でするのです。イスラエルでは、そうします。それをイエス様が比喩で言われたのです。定婚式をする時には、日、時間が決まっています。新婦の家で結婚式する時には、新郎が来る時間が決まっていません。イスラエルの風俗です。だから、新婦がどのようにしなければならないのでしょうか? 新郎がくる時まで緊張しなければなりません。新郎がいつ現れるか分からないのです。
 
■ 今ならば、携帯電話でこっそり知らせてくれるのですが、それも、その当時にはないのです。無計画で待つのです。普通、おもに来る時間が夜です。それも遅くに来るのです。なぜでしょうか? そのようにしてこそ、相手が分かるのです。新郎がいつ現れるかもしれないので、新婦の背景、友人、全てのものがわかるのです。だから、新婦の友人十人がともしびを持って待っていたのです。イエス様の比喩が何か分かるでしょうか? 新郎がイエス様で、私達が新婦ならば、待つ聖徒を比喩で言われたのです。ところが、五人は油を準備したのですが、五人は油を準備していなかったのです。遅く新郎がきたのですが、油がなかったのです。その時、愚かな娘たちが油を借してくださいと言うので、貸してあげることができないと言いました。自分も使わなければならないのに、どのように与えることができるでしょうか? すると、愚かな娘たちを外に追い出せと言われました。イエス様がされたお話です。何の話でしょうか? 私たちは、救われて、内容も知って皆知っています。ところが、さて油が準備できていないのです。そのような信者になるなということです。イエス様の話です。皆様が救いの祝福を味わうことは、精神をしっかりと整えなければならないのです。
 
■ もうひとつ比喩を言われました。タラントです。これをもらって、ほとんど地に埋めているのです。皆様がほとんど救いの祝福を味わうことができずにいるのです。その話は、私が知ってはいるけれど、所有できないという意味です。だから、そのように信仰生活をしてはならないのです。また見ると、羊とヤギがいます。全く同じ羊が私たちの中にいるかの様に見えるのですが、知ってみると、羊とヤギです。イエス様が意味ある話をなさいました。皆様が本当に救いの祝福を味わうならば、相当なみわざが起きます。私たちは、この部分でしっかりしなければなりません。またもうひとつは何でしょうか? 本当に祈りに対して精神を整えなければならないのです。皆様、本当に祈らなければなりません。皆様が祈りを本当にずっとしていれば、五つのことが来ます。皆様が本当に祈れば事実が見えます。本当に祈れば、幻想、夢が見えるのではなくて、事実が見えます。これが重要です。皆様が幻想を見たことは、正しいこともあって、間違っていることもあります。それは、サタンが利用することができるのです。事実が見えてこそ成功するのです。
 
■ むかし、母がいる時、聖日礼拝に来る時、私が運転をしました。私の家からこちらまで来るのに5分でした。話す時間は短いのです。会う時間は、その時しかないのに、私の母がいろいろな話をしました。生前に他人の話や自分の話はしません。そのまま聞いた話、気にかかった話をするのでした。まず時間もなくて、習慣的に私は返事をしませんでした。分かったと言って私はおりました。私が自らその話を確認してみれば、ほとんど事実ではなかったのです。その時、私がこのように感じたのです。一日中、座って祈る母ですら、事実でない話を聞くということなら、祈りをしないあなたがたは、どれくらい違った話をたくさん聞くでしょうか?
 
■ ところが、牧師のジレンマは何かというと、信徒が事業をするというときに、祈ってくださいと言うのですが、祈りにいって滅びるという話はできないのです。私が見る時は、確かに事業はだめだろうと思います。ならないことをしているのです。ヴィジョンは何かと、私が見る時には違うのに、それを祈ろうとするので、その時、私が一番困るのです。これからだめになるはずだから、待ちなさいと話すことはできないのです。はじめはたとえ弱くても、後にははなはだ大きくなるだろう、そのようなことを話してくるのです。皆様が祈りをしなければ、事実が見えません。ヨセフが奴隷で売られました。皆様、祈りをしない人は傷となります。ヨセフは祈りの人です。福音を持った祈りの人です。
 
■ 皆様の子ども達が事実に目を開くことができなければ、父母の失敗、間違いが全部、傷で残るようになります。皆様が事実に目を開けてしまえば、理解できるのです。それで、両親のために祈りが出てくるのです。これが違っているのです。皆様が本当に福音を悟って祈れば、事実が見えるはずです。すでに気落ちしたとするなら、事実を見ていないのです。誰かがこう話しました。絶望も本当にすれば、希望がある。いいかげんにするからだめなので、本当にすれば希望がある。私が完全に乞食になったんだなあと、あき缶を持って開始するなら、希望があるのです。人が事実を見る目がなければなりません。皆様が本当に福音を悟って、祈りをずっとすれば、2番目に見えることが時刻表です。この時刻表が見えるから、その時から更新できます。皆様、祈らなければ更新することがものすごく難しいのです。皆様、この福音運動がどこから始まったのでしょうか? 影島の東三洞で始まりました。この東三洞で始まって、今、全国に、世界へ今、弟子がおきています。この更新がどれくらい重要でしょうか。皆様が祈らなければ、更新は絶対にできません。皆様が福音のなかで祈りの秘密がなければ、皆様の水準以上は絶対に行かないようになります。皆様が福音のなかで祈りを続ける、その時から、力も生じて、どこに挑戦せねばならないかも分かります。皆様、福音のなかで本当に祈って、定刻に祈れば、その時から何が出てくるでしょうか? これからは、このようになるよというヴィジョンも見えます。これより貴重な祝福はありません。商売人も詐欺師も、賢い人に見えなくされたことを感謝します。このものすごい祝福を、あなた達が知るようになったから感謝します。王も預言者も見ることができなかったことではないでしょうか。最悪の境遇にきて、イスラエルが滅ぼされたのに悟っていないことではないでしょうか。これを見るようにされた神様に感謝するということです。これを知恵ある者に隠されたことを感謝します。
 
■ もうひとつ皆様が精神を整えるべきことがあります。私たちの教会献身です。皆様が下手すると、そのまま過ぎてしまいます。皆様が下手すると、気がつかないまま、そのまま年をとって終わってしまいます。私は家から教会を見ながら、そのような考えをします。間違ってこのまま行っていては、いつまでもこの状態で行くと思いました。私たち信徒が、精神を整えて祈らなければなりません。教会が、一般の他の教会のようになるのではないか。何か福音を伝える教会、何かこの地域に必要な教会、何か国家に必要な教会、そのようにできるように祈らなければなりません。皆様、だから精神を整えて祈って、皆様の生涯で大切なものを発見してこそ、そこに献身して、献金もするのではないでしょうか。今朝、見ながら静かにこういう気がしました。だめならば、私達が持っている一万坪くらいになる土地を国家に捧げて、国家に青少年センターを建てて、なにか献身することはどうだろうか。あまりにだめなことを捕まえていず、本当に国家のために、私たち影島の人々の憩い場を作るのは、どうなのか。何か国家と社会に必要な教会にならねばならないのではないか。いろいろな考えの中に、そのような考えをしてみました。私たちは下手すると、一般の教会のようになってしまいます。皆様の人生が、下手すると未信者のように生きていくのです。ですから、しっかりしなければなりません。私たち学生達もしっかりして、私たち聖徒たちも、精神を整えて祈りを開始すれば、この福音はそんなに価値がないことではありません。世の中の王たちも悟っていないことです。どれくらい本当に驚くべきことでしょうか。
 
■ 私が知っている軍人一名がいます。私たちと親戚になる方です。この人が成功しようとどれくらい苦闘したのか分かりません。士官学校を出ました。あるお金、ないお金を出して将軍になりました。私はその過程を見たのです。私の自尊心では、そのようなことはしません。どれくらい、いろいろなことをみなしたでしょうか。いろいろと、何か話すことがないほど、とにかくいろいろなことをみなしました。私は、そのようなことをしません。そうしながら、星をつけた将軍になりました。なってみても、何をするのでしょうか。月給も何倍になることもありません。そうかと言って、保障されることが何でしょうか? これで、この方が除隊して、国家である会社の社長に送られました。そこに行ったのですが、業務があまり把握できなくて、会社にとても問題がきたのです。自主引退しました。そのようにして、昨年に亡くなりました。それが人生でしょうか? 私は本当に残念だと思います。私たちは、その程度ではないのです。私達が福音を悟ったということは、相当なことなのです。ですから、この祝福を受けたあなたがたの目が幸いで、これを知るようにされたあなたがたが、本当に幸いです。弟子に向かって、この祝福を知るようになったあなたがたは、本当に幸いであるだけでなく、これを知恵ある者には隠したのです。皆様、今日、この話が分かるでしょうか? それなら、3つのことを確認しましょう。私が本当にこのものすごい福音の祝福を味わっているのか? 私が本当に福音のなかで祈るならば、どんなにだめなこともできます。皆様が福音のなかで本当に祈るならば、事実も見えて、時刻表も見えます。そして、その時からは、更新もできて、挑戦もできて、ヴィジョンも捕まえることができるのです。それを本当にしようということです。それなら、教会は何でしょうか? 私の人生のとても重要な答を出す所です。それなら、私たち教会は、この地域で、この国で、答を出す教会にならなければなりません。それを置いて祈りましょう。どれくらい重要な話でしょうか。牧師たちや、宣教師は話す必要もありません。人生に重要な答を得たのです。
 
■ 私は核心の時こういう話をしたのですが、むかしには、この福音の秘密を知る前には、率直に生きるのが、おもしろくなかったのです。みなしてみてはいないのですが、いろいろなことをしてみたのに、おもしろくありませんでした。どのように面白味がないかというと、私たちが幼い時は、喜劇俳優で、ソ・ヨンチュン、キム・ヒカプ、ク・ポンソのような、皆様がよく知らない人々がいました。その人々が出てきて笑わせるのに、その時はテレビも白黒でした。その人たちが笑わせるのに、みな笑うのにひとりだけ笑わなかったのです。まさに私です。なぜかというと、私が見る時はおもしろくなかったのです。正常なソ・ヨンチュン氏が出てきて、病気のようなことをしたのです。それがおもしろいのでしょうか? それが、なぜおもしろいのでしょうか? ところが、みな笑ったのです。私はむかしから異端でした。みな笑うのに、私は笑わなかったのです。病気のふりというのは申し訳ないです。本人が見たり、両親が見れば、どのようになるのでしょうか? この頃の人達が笑わせることは、ちょっとましです。私の家内は悪いですよと言いながら話で笑わせるのです。それは話が道理に合うのですが、むかしにあったのは、私はおもしろくなかったのです。私はむかしから申し訳ないけれど、私たち子ども達が集まって踊っていても、踊りませんでした。踊る立場にならないのです。チョ・エンテ牧師は、ちょっと踊りました。私がそれを見ると、あなたは勉強しなさいと言っていました。一緒に遊んでも、私は踊りませんでした。恥ずかしいからです。踊るということは、気分が良い時に踊ることです。私は、踊らなかったのです。私はおもしろくなかったのです。ところが、ある日、私は福音を知りました。これが普通のことではなかったのです。どれくらい、多くの深さ、高さを見ながら、世界の人々がなぜ死んでいるか知りました。それで良い、この福音運動して、死のうと思ったのです。それで、教会が復興する、自分の利益だ、皆様の利益だ、こういうことではなく、これをしなければならないと思いました。それで、私たちおとなは、知っているはずです。私は、初期には夜明けに運転しました。教会員全員を連れに回りました。その時は、地域教会という言葉を使っていなかったのですが、自分自ら三十箇所にタラッパン地域教会を作って、昼夜なしに行ってメッセージを伝えたのです。とても心に確実でしなければならないから、三年をし終えたら、私たち教会が霊肉ともに祝福を受けたので、私がそれ以上行くことができませんでした。講義しにいかなければならず、訓練させなければならないからということです。皆様が少しだけ行っても働きが起きます。ですから、一度私が チョ・キボン長老が私にこういう話をしました。自分はむかしに、なぜ医者をせねばならないのか分からなかった。このようにして、金をもうけねばならないのかと、自分もさまよったということです。ところが、福音を知りながら、これゆえに私が医者をすべきだなと分かったそうです。本人が証ししたことがあります。私はその時、説明しなかったのですが、むかしに持った心を思い出しました。私は福音を本当に知って、これがどれくらい良いことかということを、時間が経てば経つほど知るようになったのです。申し訳ないけれど、大統領も王も、これを知らなければ不幸になります。天国に行く、地獄に行くという、それは後ほど話す言葉で、今が不幸になります。時間が経つほど、地球上にはどんどん困難が来ます。防ぐ道がありません。それなら、この福音を本当に味わわなければなりません。私たち学生達、レムナントが、私は福音を持った神様の子どもになった、レムナントだ、最高の祝福を受けた、このプライドが本当に生じなければなりません。それがないまま皆様が世の中に行けば、東西南北、見分けできないのです。そうしながら、片っ端から未信者に付きまって、しっかりできないのです。あなたがたが、今、本当にこの祈りをしなければ、今まで積まれている背景と残っていることが、普通の問題ではありません。すると、この聖書にあることは冗談ではなくて、私たちの生きる死ぬの答を与えることです。それで、教会であなたがたが信仰生活に本当に祝福を捜し出す、こういう信仰生活をしなさいということです。今日から、真実に始まることを願います。こういうことを、私がどのようにするのでしょうか? 心に留めればよいのです。このダビデが、本当にせねばならないと思った時、神様が何と言われたでしょうか? 'あなたの心だけ見ても、わたしが祝福する.' 本当にこの働きをしているうちに死んでも良いとパウロが話しました。神様は、パウロの祈りをお聞きになって、パウロの全てのものを用いられました。今日、あなたがたは、メッセージで聞いたことをみな忘れてしまってもかまいません。しかし、一つだけは留めなければなりません。心に留めなければならないのです。私が福音をうわべで知っているのではなく、本当に知るべきだ。あまりにも感謝することです。そうでなければ、愚かな人のように、相当な困難に行って悟るようになるはずなのに、今、悟るようになって、神様とても感謝します。ほとんどみな、宗教生活をするのに、福音を正しく理解するならば、私がこれからその祝福を知るべきだ。今は、世の中の方法を持って勝利出来ないのに、本当に私が祈り始めるべきだ。このように心に留めれば答えき始めます。まさに今日から答えが始まる祝福があることをイエスの御名でお祈りします。
 
<<契約の祈り>>
神様に感謝申し上げます。今日、このみことばが私たちの中に生きて働かれることを信じます。真実なことを見るようにさせてください。真の力を得るようにさせてください。真の開始がおきるようにさせてください。それで、主のなかであたえられる祝福を味わって、話すしかない証人になるようにさせてください。イエス・キリストのお名前でお祈りします。アーメン
 
 


 2部/ 私たちの日を数える知恵
(詩90:1〜17)
 
■ 少し前に、軍全体の集会がありました。そちらには、将軍たちもいて、高級将校たちも多くいました。私の説教を聞こうと、たくさん集まっていたのです。私は行って、こういう話しをしました。多くの将軍たちがおられたので、私は防衛出身だと言いました。どのように、防衛が将軍にメッセージができるでしょうか。それで、こう話しました。ダビデがゴリヤテを打った時、ダビデは民防衛でした。それで、その勇気で出てきたと言いました。なぜその話をしたのかというと、私が1年間、軍生活をしたのですが、多くの困難がありました。その時、私がいくつかの質問をしたのです。ところが、本当の答えを受けたのでした。私は時々、難しい時、いくつかの質問をします。皆様、家族がいて、親戚がいて、皆いるのですが、皆様が本当に困難にあう時は、解決してくれることができません。
 
■ そして、皆様の中には大きい人物もいて、小さな仕事をする人もいますが、みな他の人の事情を知りません。大きい会社を動かす財閥の会長と、一般職員とは、とても違うはずです。そのように、私のような者は、職場に行って家で寝る者ではなく、全体の多くの方達のためにお手伝いをしなければならない人間です。ところが、人々は大部分の基準が私に対して、自分たちの考え通りにします。ある方が、誤解して私に、先生は下の人になぜこういう指示をして、仕事がこのようになるようにしたのかと尋ねました。そのような指示をする時間が私にはありません。それは、自分の基準で考えたのです。私はそのような時間がありません。また、見れば普通の女の人や、男の人はみな自分の基準です。あなたがたが信仰生活する時や、夫や妻や他の人と生活する時、参考にしなければなりません。ある夫は職場に行って、家に帰ってきて、月給をもらうと奥さんに持って行って、小遣いをもらいます。そのような人もあるかと思えば、大きい企業を持って、世界的に競争をする人もあります。
 
■ 人には、生きていく中に困難が来ます。そのような時、私たちは重要な質問をしなければなりません。私はそのような時ごとに、いくつのかの質問をします。私は誰か? 聖書に見ると 'ヤコブよ。イスラエルよ.' 救われた者は誰なのかと聞かれるのです。ホレブ山で神様が 'モーセ、モーセ.' イエス様がペテロを訪ねて 'ヨハネの子シモン.'と言われました。聖書には、こういうみことばがたくさん出てきます。 'アダム。あなたはどこにいるのか.'という質問が、聖書には多いのです。私たち個人に聞かれるのです。そのような時ごとに、困難を越えることができます。私は神様の子どもで、伝道者だ。それで、どんな困難が来てもかまわない。そうすれば、多くの祈りの答えを受けることができます。私がなぜ? 何のために生きるのでしょうか? とすると、残念なことはなんにもありません。私は、元々それのために生きるのではなく、本当に福音のために、神様の栄光のために生きるのだから、かまわないのです。私はそのようにして、みな乗り越えました。誰かが私をあまりにも難しくさせました。そのような時もありました。元々、私はそのために生きるのではありませんでした。私は福音のために生きるために、かまわないのです。すると、どのように生きるのでしょうか? こういう三番目の質問をしなければなりません。聖書に見ると、神様の子どもは、福音にあってできないことがありません。それとともに、私たちは四番目の質問をしなければなりません。私はどこにいるのか? 皆様が、どこにいるのでしょうか? 今、私はどこにいるのか? そこで、神様の栄光を現しましょう。そして、最後の質問があります。私は何歳なのか? これが、必ず質問しなければならないのです。
 
■ 今日、聖書に日を数える知恵をくださいと言われています。何のことでしょうか? 今日、この本文は、モーセの祈りです。イスラエルの最高の指導者モーセです。イスラエルは、指導者三名を大きく見ます。誰でしょうか? モーセ、エリヤ、ダビデです。その中の人のモーセの詩です。この人たちが福音もよく伝達した重要な人々です。どんな知恵が、私たちに必要なのでしょうか? 神様と人間を知る知恵です。私たちは、世の中だけ知っていてはなりません。神様を知って、世の中を知っていなければならないのです。まず、モーセは、この祝福を受けました。私は、私たちの学生達に必ず頼みたいのです。皆様が、知力だけあるのではだめです。霊的な力もなければならないのです。皆様が、世の中のことだけずっと勉強せねばならないけれど、それだけしていてはならないのです。神様に対する知識がなければなりません。どの程度、しなければならないのでしょうか? 併行しなければなりません。モーセがそうでした。ダビデがそうでした。パウロがそうでした。神様を知る知識と、世の中を知る知識を共にしました。皆様こういう知恵が、本当に必要です。詩篇78篇に '正しい心と英知の手'と言われています。それは信仰と機能のことです。
 
■ それなら、私達がモーセに対して考えてみなければなりません。モーセ時代に、イスラエル民族は、全部奴隷になっていました。それで、エジプト人が頭を使ったのです。イスラエル人は、ほとんど奴隷になったが、いつか敵になることがある。政治をする人たちは、そのような頭を使います。政治をする人たちは、人情、事情を考えません。それで、政治に合うことだけするのです。どんな人の根拠も入っていかないのです。家族の愛も関係ありません。それが、政治ということです。政治の味を知った人は怖いのです。政治の味を知れば、兄弟も殺すことができます。政治に有益ならば。普通の病気ではありません。それで、政治をする人たちは、福音を知らなければ、大変な事になります。ところが、パロ王が後ほど、イスラエルがエジプトの人々を打つことがあると考えたのです。それで、怖いことを考えました。今からエジプトのあらゆる産婆を集めて、ヘブル人、すなわち、イスラエル人の男の子を無条件に殺せと言ったのです。なぜならば、なにぶん女は戦争がよくできないから、男の子は殺せと言ったのです。このように王名を下しました。ところが、産婆がモーセを受ける時、モーセを殺すことができなかったのです。それで、モーセが大きくなって泣くから、泣く声が違うので、男の子であることが目立ちます。この時、モーセのお母さんが重要な決断を下したのです。どっちみち、この子が死ぬようになるのだからと、かごに入れました。今、モーセの上にアロン一名を育てることも難しいので、そのまま殺すよりは、どこかに送り出そうとしたのです。かごに水が入るから、瀝青を塗って、モーセを川の水に浮かしたのです。
 
■ 本当に神様のなさることはすごいのです。このかごに運転手がいるでしょうか。舵があるでしょうか。勝手に流れていくでしょう。かごがコーナーに入って行きました。おりしも入っていったその場は、隠密の所だったのですが、王の家族、簡単に話せば、王女が入浴して顔を洗う所でした。だから、王女が行ってみたら、だいたい姿を見たら、ヘブル人の子どもであることが分かりました。それなら、敵の子どもです。バカでなければ知っているはずです。父が殺そうというのに、殺されずに、男の子が流れ来たのでであると分かりました。その王女は、よりによって子どもがなかったのです。子どもを産もうとしたのですが、産むことができなかったようです。聖書を見れば、子どもを見た瞬間に、かわいそうに思うようになりました。この子どもを私が育てなければ。それも神様が与えられた考えです。モーセの背景は、幼い時、そのようなことが行われたのです。それで、この子モーセを抱いて王女が行くのに、この時、その子の姉が出てきたのです。子どもに乳を飲ませるのに、乳母が必要ではないですか? 乳母が必要だ。乳母を紹介してあげましょうか? それで、モーセのお母さんを紹介したのです。それで、王宮の中にモーセのお母さんが入っていって、乳母として月給をもらって子どもを育てたのです。言わばモーセは、エジプトで一番安全な王宮で、それも最も安らかななお母さんの懐で育ったのでした。歴史の記録を見れば、そちらには、ヘスフェリオという大学があったということです。そこで勉強しました。だから、モーセは王族で、それで名前が上がったのです。王女の息子です。法的にはものすごいパロ王の孫です。このように、モーセが育ったのでした。このモーセは、世の中のものもたくさん勉強して、そこで40年間、生きました。
 
■ 皆様も知っているとおり、モーセがある日、知ったのでした。自分がエジプト人ではなくて、ヘブル人なのだ。自分が養子で来たということを知ったのです。モーセには相当な事が行われ始めました。自分は王宮で裕福に暮らしているけれど、ヘブル人だと知ったのです。それで、皆様がおわかりの通り、ヘブル人を困らせるエジプト人を殺して逃げるようになりました。その荒野で隠れていて40年を送ったのです。モーセは、年齢が八十才になりました。そのようなある日でした。モーセがずっと祈っていたのです。王宮で受けることができなかった恵みを受け始めたのでした。モーセはある日、ホレブ山にいた時に、皆様がおわかりの通り、神様の御声を聞くようになったのでした。その時、モーセは大きい体験をして、神様がモーセにイスラエルの民族を連れて行きなさいと言われたのでした。この使命を受けて、モーセはとても心配になったのです。私は行くことができない。パロ王とは誰か? 私は誰か? 私は逃亡者ではないか? 私は軍隊もない。ヘブル人が私に付いてくるだろうか? 色々なことを話しました。その時、神様が一言で話されたのです。 'わたしは主である。わたしがあなたと共にいて、あなたの民と共にいる。証拠を与える。パロ王に行きなさい.' 初めにはものすごく惑ったのですが、パロ王のところに行ったのですが、そこで奇跡が十個起きました。それで、イスラエル民族を連れて、荒野へ行きながらいろいろな苦労をしたのですが、紅海も分かれて、奇跡がおきました。このイスラエル民族を完全に解放させて、カナンの入口まで連れていった人がモーセです。モーセと神様が通じるメッセージがひとつありました。 'わたしの民を連れて行って、犠牲のいけにえをささげなさい.' 出エジプト3:18です。皆様もこの契約を捕まえれば、モーセのような祝福を受けることができる人です。より簡単に話せば、羊の血を塗るいけにえをささげにいきなさい。説明が必要でなく、この話をモーセが悟ったのです。それなら、皆様が受けるべき祝福が全く同じだということです。私はある日、この契約を捕まえながら、それなら、神様は今でも働いていらっしゃると考えました。奴隷のようになってしまったあらゆる私たちの過去、神様の福音によって解決できるのです。私にその契約がぶつかってきました。モーセと神様が通じる契約が、出エジプト3:18です。皆様がまさに、この契約を捕まえる時、全く同じ祝福を受けることができます。世の中と神様を知る、簡単に話せば、福音を知る知恵ということです。
 
■ 私たちには、どんな知恵が必要でしょうか? 今日、モーセがこのように話しました。日を数える知恵です。皆様は福音を知る知恵も必要ですが、日を数える知恵も必要です。2節、3節を見ると、こういうみことばがあります。 '神様は永遠だが、人間は塵のようだ.' 千年が神様がご覧になる時には一日のようです。' 4節に見ると、 'ひとときのようだ.' 5節、6節を見ると '草と同じだ.' 10節を見ると私達は、七十年くらい生きて、すこやかであったら八十年、生きるのです。それだけ速く過ぎます。この日を数える知恵を与えて下さい。皆様が受けねばならない神様の祝福です。私たちは、福音を正しく知る出エジプト3:18のモーセの祝福を受けねばならず、その知恵が私たちになければなりません。
 
■ 2番目に重要なことは、日を数える知恵を与えて下さい。とても重要な話です。今、私たちレムナントが、ここにいます。ここには私たちおとなもいて、青年達もいます。人が年齢で来る知恵があります。皆様の年齢から来る知恵がなければ、愚かになります。あなたがたが今、何歳でしょうか? みな自らの年齢があります。米国では、年齢を聞くことが失礼です。私たち韓国では、先ず一番に聞くことが年齢です。私もよく知らないのですが、キム長老はよく知っているでしょうが、そのように聞きました。私たちは友人だと言うと、年齢が同じだという概念をおいて話すのですが、アメリカの人々は、よく親しい人を友人だと言います。そのようなことを見る時は、かまわないのに、年齢をよく聞かないで、話さないということです。友人間で交わっても、相手方の年齢をよく知らないということです。誇張した話でしょうが、夫婦間でも、年齢をよく知らないということです。行き過ぎた話ですが、その程度に年齢を知らないのです。それは、知恵がないことです。日を数える知恵。皆様を見て、誰かが若く見えると言うと、気分が良いでしょう。五十になった執事を見て、三十才くらいに見えると言うと喜びます。そのように見えれば、また力を得て、化粧を塗ったり、飾ったりします。良いことです。しかし、より重要なことは、それではありません。私の年齢が四十ならば、すでに私達が五十、六十を準備しなければならないのです。その人が知恵がある人です。
 
■ 皆様が今、二十代は、私がこれから年を取っては出来ないということを知って、準備しなければなりません。なぜ皆様と子ども達に早く起きなさいと言うのでしょうか? いまはうまくできなくても、それが年をとれば、皆様は決定的に落伍者となります。人は日を数える知恵がなければならないのです。ところが、八十才もすぐ過ぎます。ある人がそう言いました。先生、六十になるまですぐになります。すぐになるでしょうが、それが問題ではありません。日を数える知恵です。ある牧師が、私に会うたびに話します。先生を見ると、頭の後が薄い。抜け始めた。しみが多い。取りなさい。一度、私が江南へ行きました。江南に行ったのに、江南に有名な整形外科の病院に私たちのメンバーがいます。私を見たら、先生、来て横になってくださいと言いました。簡単だと言いました。私は何も知らずに横になったら、なぜか針で刺したのです。簡単に話せば、シワをなくす注射をしたということでした。私が出てきながら、二度とこういう所には来ないと考えました。刺してむしろ血が出てきました。老いたら、どうなのでしょうか。それが問題ではありません。日を数える知恵が、私たちに必要です。皆様、ここには今、私たちの十代の子がいます。十代は、あまり外出もしないようにしてください。皆様が祈って、勉強して、事実、運動もしながら実力を育てなければなりません。みな年齢があるのです。あなたがた十代の時、大きいことをするのではありません。みな年齢があります。皆様が今、二十代、三十代には、また皆様の年齢があるのです。もちろん、神様の力では八十でも始められ、五十でも始められるのですが、日を数える知恵が確かに必要です。皆様、既に五十、六十を越えたとするなら、祈って、相当な準備をしなければならないのです。日を数える知恵です。今日、ここ90篇11節を見れば 'だれが御怒りの力を知っているでしょう。だれがあなたの激しい怒りを知っているでしょう。その恐れにふさわしく。' それとともに、12節に 'それゆえ、私たちに自分の日を正しく数えることを教えてください。そうして私たちに知恵の心を得させてください。' 特に9節を見れば 'まことに、私たちのすべての日はあなたの激しい怒りの中に沈み行き、私たちは自分の齢をひと息のように終わらせます。' '私たちの齢は七十年。健やかであっても八十年。しかも、その誇りとするところは労苦とわざわいです。それは早く過ぎ去り、私たちも飛び去るのです。.' このように過ぎてしまいます。皆様が日を数える知恵を持ちましょう。これは年齢に合せて必ずせねばならないという話ではありません。モーセは八十で呼ばれたのですが、それまでに神様の多くの恵みを受けました。私たち若い方達は、職場でどこでも、この知恵がなければなりません。
 
■ たぶん15年くらいになったと思います。私たち教会が向うにあった時です。私が週報に日程を入れるなかで、この地域周囲にタラッパン、私の頭の中で地域教会を約三十箇所を走りました。あの青鶴山にいた牧師が、週報を見て、あなたはこのようにしていては死ぬと言って、このように走ってはならないと言われました。良い意味で言われた言葉ですから、私は有難く考えました。しかし、そうではありません。走るのには、時間があります。私がその時はそのようにしなければならなかったのです。人が、あなたがたがこの時、何をしなければならないのか、早く知らなければならないということであって、年をとった人はだめで、若い人は良いということではありません。それで、聖書にも '恵みの時です。救いの日です。いまは恵みを受ける時です.' この時間があるということです。なぜ皆様が、今、恵みを受けねばならず、なぜみことばを堅く捕まえなければならず、なぜここに集まったのでしょうか? 人は日を数える知恵がなければなりません。皆様、これが今、年齢を話しているのでしょうか? もちろん、年齢も含まれるでしょう。しかし、そこに対する知恵を話すのです。 日を数える知恵を知るようにしてください。どれくらい重要でしょうか。あの三十五坪の地下で賛美して、騒々しくしたので、周囲で騒々しいと言いました。一日は、そばの村の人が来て、あまりに騒々しいと言ったのです。それで、私がその方に言いました。あまりに騒々しければ、引っ越ししてください。これが騒々しいのでなく、教会は小さく人が多く集まっているからです。下に今、三十五坪にしかなりません。小さいのに、人が多いので、騒々しいのではないしょうか。あなたは、すると三十五坪の地下で静かにいたら、どのようになるでしょうか。騒々しくならざるをえないでしょう。騒々しいのではないから耐えてくださいと言いました。その時、私たちでは、それしか仕方がなかったのです。
 
■ いまは、私が全国、世界を回っています。一週間に一日もかかさず、全国と世界へスケジュールを組んでずっと回っています。それも時刻表があります。弟子が立ち上がる時まで。皆様が新しく始めたり、開拓を始めたりする方達は、契約をよく捕まえてくださらなければなりません。皆様が、開拓を始めたならば、いのちをかけましょう。少ししたら神様の働きがおきるはずです。今日、私たちの牧師たちが集まる時、そのような話をしますが、少しだけ献身すればよいのです。少しの時間が重要です。今、私が影島の地域にきた時、はじめからそうでした。いまは皆様が私と会う時間がないのですが、私がその時は、車で連れて通いました。夜明けに人々を連れて通ったのです。そして、明け方祈りを終えて、連れて帰ったのです。そして、運動しようと通いました。まず、体力がなければならないから、運動をしてきて、その時から、三十箇所を回りました。それを三年しました。三年したら、これ以上、出来なくなったのです。三年くらいしたら、根をおろして、私たち教会に信徒を千名送ってくださいました。ですから、そこで木が根をおろして実をずっと結ぶように、その時から今まで、ずっと働きが起きました。だから今、開拓なさる方はそうで、タラッパンもはじめに正しくしなければならないのです。
 
■ ですから、日を数える知恵です。皆様、この話は色々な話を含みます。皆様は、ヨセフ、モーセのように福音を持った人であることが確かです。神様は、今でも答えてくださっているのですが、モーセが受けた答えを皆様も受けることができます。それなら、どんな契約を捕まえねばならないのでしょうか? 日を数える知恵です。今、私たちは何を祈るべきでしょうか? 神様、今、私たちは全世界でレムナントを生かすことができるように、教会が本格的な祈りをするようにさせてくださいと祈るべきです。簡単に話せば、時刻表ということです。日を数える知恵。皆様の中で年齢が七十、八十になった方はいますか? 絶好の機会です。皆様が決めて運動もして、本格的に祈りましょう。人が成功しようとするなら、日を数える知恵がなければなりません。皆様の中で、若い方達はいますか? 事業なさる方達はいますか? 神様、私は真に伝道者の家主になるようにさせてください。その契約を置いて、ずっと祈って走るのです。それが、日を数える知恵です。ですから、なんでもその部分に合せて走るのです。むかしには、そのようにせざるをえなかったし、それが日を数える知恵です。これから、多くの弟子がおきれば、これから弟子だけで巡回するはずです。これから、世界的共同体訓練場がたくさん作られれば、訓練場だけ巡回するはずです。それとともに、一千万弟子を立て起こすはずです。皆様が恵みを受ける祝福の日が、今日から始まることを願います。
 
■ どのようにすれば、祈りの答えを受けるのでしょうか? 出エジプト3:18を悟った人。今の私が、どこにいるかを知っている、日を数える知恵がある人。私は携帯電話がありません。私は電話連絡をしません。時間もなくて、複雑でできないのです。ですから、他の人を通じて連絡がきます。電話がきたら、先生、図書を全部寄贈したというのですが、どこかに引っ越しするのですかと尋ねられました。私が図書を全部、学校に寄贈しました。あっちこっち引っ越しして回りながら、部屋は狭苦しくて、屋上においていたら、半分ほどは、なくしてしまいました。屋上に包んで置いておいたら、誰かが持って行ってしまいました。とても重要な本、むかし良い本をたくさんなくしました。それで、こちらにきても部屋が小さいのです。資料を置いておくことができません。それで、静かに考えてみたのです。人は、時刻表をよく知っていなければなりません。私が今、現場をおいて走って、聖書を見れば良いということで、寄贈したのでした。先生が寄贈したのを見て、これから韓国にいずに、他の所に行くようだと自分たちの間で、そのように話しているそうです。2700地域教会を作ってから行くつもりです。釜山に700ケ所に弟子を立てて、ソウルに2000ケ所。それは一年後になる事もあり、十年後になることができます。そして、米国の中に、ヨーロッパに、日本、こういう所に共同体訓練場がたくさん生じれば、私たちの賛美チームと一緒に巡回するはずです。
 
■ 祈りの答えを受ける2番目の秘密は何でしょうか? 日を数える知恵です。今がいつの時か知っていなければならないのです。私が今、どこにいるのかを知らなければなりません。日を数える知恵です。モーセの重要な祈りの中のひとつです。モーセは、世の中も知って、神様も知っている契約を持った人なので、答え受けるしかないのですが、日を数える知恵がありました。皆様、今日、この知恵を得てくださることを望みます。一人ももれなく、今日、自分の年齢に合う計画を立てましょう。それがまさに祈りの答えを受ける道です。今、私たち役員は、その職分に合う計画を必ず立てましょう。それでこそ、本格的に祈るのです。それが祈りの答えを受ける秘密です。そのまま付いて行ってしてはなりません。私たち学生達は、他の計画を立てなければなりません。未来の責任を負うべきレムナントです。
 
■ 今から何をしなければならないのでしょうか? 基礎を作るのです。準備するのです。それを置いて祈りを準備しなければなりません。それで、走るのです。それが日を数える知恵です。私が年齢が何歳なのに、その 話になりません。自分の立場と自分の年齢と、今現在、神様の計画が何か、それを捕まえてこそ、その時から祈りの答えが始まるのです。この部分を置いて、ずっと祈れば正確に見えるようになります。必ずそのようにするように願います。私が知っている長老一人は、そのように始めました。神様、私が今、年齢が六十です。十年過ぎれば、正しくできないので、神様の前に何をすべきでしょうか? 神様、私がこの祝福を受けて、教会で私たちの子孫が礼拝をささげるようにせねばならないことではないでしょうか? 私はこれのために生きて、死にます。本当に、答えを受けました。皆様、本当に答えを受けてくださることを願います。
 
■ ガイオを見ましょう。私はこれから事業をして、あらゆる伝道者を生かす。それが、その人の年齢に合う祈りです。それが日を数える知恵です。あなたがたが、その契約を捕まえなければなりません。私は大変な事になった。年もとっていて、職業もなくて引退したのにどうしたら良いのか。そうではありません。私は私たちの母の話しをよくしています。私が見た働き人の中では、最高の働き人です。献金をしたのでもありません。なければできないでしょう。かと言って訓練を受けようと通うこともしませんでした。何をしたでしょうか? 一日中、祈っていたのです。教会と主のしもべと伝道のために、一日中、祈っていました。どれくらい重要でしょうか。
 
■ 今日、三番目には、どんな知恵でしょうか? モーセの祈りです。15節にこう話しました。 'あなたが私たちを悩まされた日々と、私たちがわざわいに会った年々に応じて、私たちを楽しませてください。.' 今日、14節には 'どうか、朝には、あなたの恵みで私たちを満ち足らせ、私たちのすべての日に、喜び歌い、楽しむようにしてください。' と言いました。これからモーセの祈りが出てきます。 'あなたが私たちを悩まされた日々と、私たちがわざわいに会った年々に応じて、私たちを楽しませてください。.' それとともに、何の祈りをしたでしょうか? 16節です。 'あなたのみわざをあなたのしもべらに、あなたの威光を彼らの子らに見せてください。' 皆様、重要な祈りをします。あなたがた年をとった方達も重要な祈りができます。主のしもべのために祈って、子孫のために祈りました。17節を見ましょう。 '私たちの神、主のご慈愛が私たちの上にありますように。そして、私たちの手のわざを確かなものにしてください。どうか、私たちの手のわざを確かなものにしてください。' 今日、祈りの課題で握ってくださることを願います。
 
■ あなたがたが形式的にするのですが、今から特別に説教する牧師、主のしもべ、長老達、役員のために、本当に祈ることを望みます。これを知る人が知恵ある人です。よく考えてみましょう。主のしもべのために祈ることが知恵です。皆様、私たちの子孫が堅くなるように祈ることが知恵です。日を数えられることが知恵です。真に自分がどのように生きてきたのであり、何をせねばならないのかを悟ることが知恵です。今日、皆様が、必ず祈りの答えを受ける3つの知恵を探すように願います。どのようにして、神様がモーセを今まで導かれたのでしょうか? 理由があります。出エジプト3:18。それを理解したのです。皆様が、これからどのように正しく用いられるのでしょうか? 宗教ではなく、福音です。用いられるしかありません。一番、この部分がやさしいのですが、知らずにいるのです。皆様が正しく味わうようになることを願います。大きい知恵の2番目です。今、何をしなければならないのでしょうか? 日を数える知恵です。三番目の知恵です。主のしもべと皆様の子孫、とても貴重です。祈らなければなりません。さっと見れば、他の人がしたかのように見えるのですが、ものすごく重要なのです。皆様がこの知恵を学ぶようになることを主の御名で祝福します。祈りの答えが来ます。
 
■ あなたがたが、主のしもべのために祈って、長老達、役員のために祈る時、心より出てきてこそ、正しく知恵を得たことです。ところが大部分の人々が、これをよく知らずにいます。大部分の人々が、教会の中で役員や主のしもべが、どれくらい重要かをよく知らずにいるのです。例をあげてみます。皆様の教会の中に、主のしもべ、役員が誤ってしまえば、あなたがたがものすごく損します。あなたがたが損なのです。教会の中に主のしもべが祈る中にメッセージが充満して、多くの長老たちが聖霊充満すれば、結局、誰の益でしょうか? 私たち韓国が生かされて、皆様が生かされます。私の話しが普通に聞こえるでしょうか? 私たちの母教会が福音がありませんでした。とてもけんかをしました。人が殺されるのです。その時、私は心で考えたのです。教会をあちこち動くことは良いことではないのですが、福音でなければ、離れなければなりません。それで、そこにいる途中で、私が教団自体を移してしまったのです。事実、それで生かされました。これがどれくらい重要でしょうか。
 
■ 私は時々見れば、本当に祈る長老を見ました。そして、本当に祈る牧師を見ました。こういう方達一人ゆえに時代と地域が生かされるのです。人々がそれをよく知りません。静かに人々の話しを聞いてみれば、私たち教会は、そのような人はいませんが、普通の教会では、人々が上の人をあざ笑って悪口を言います。私たち韓国の人々の本性が、ちょっとそうです。あなたがたが盧武鉉大統領の前でそうでしょう? 前では閣下と行って、後では盧武鉉と言います。韓国人の根性がそうです。今日、私たちは詩篇のみことばを読み続ける中で、現場に起きたことです。3つのことを捕まえれば、祈りの答えを受けるということです。何をでしょうか? 神様が今まで私を生きてくるようにされた理由と福音。それが一番目、さっき話したその秘密です。それが出エジプト3:18です。2番目です。私が今、この年齢で何をして、神様が喜ばれるのか? 日を数える知恵です。またもうひとつあります。主のしもべのために祈る知恵です。私たちの子孫のために祈る知恵。これがモーセがしてきた知恵です。だから、神様がモーセを大きく用いられました。この祝福を皆様も受けることができるのです。この祝福を皆様が受けなければなりません。モーセは、どのようにこの祝福を受けたのでしょうか?
 
■ モーセは百二十才まで生きました。モーセの生涯は、40年、40年、40年で分けることができます。良く話ができるのですが、すこし悪く表現すれば、モーセが40年の王宮では、人間中心主義で生きました。どのようにすれば成功できるか? どのようにすれば何をできるか、このようにいつも生きてきたのです。モーセが人生40年を人間中心主義でだけ生きただけでなく、世的なことだけを勉強しました。そのようなある日でした。それがみな水の泡と消えたのです。モーセは真っ暗なミデアンの荒野で40年いました。その40年を簡単に話せば、モーセが神様を見上げることができる時間でした。この時から、モーセが変わり始めたのです。モーセが王宮で成功しようとした時はだめだったのに、荒野でなんにもなく、祈っていたら、この時、神様がモーセに最高のメッセージを与えられたのです。それがミデアン40年でした。その時、モーセの年齢は八十でした。それで終わりませんでした。それで終わってはなりません。モーセの残り40年は、使命です。使命を果たそうとするモーセが持ったものは、ツエひとつしかありませんでした。この使命を悟ったモーセに、ツエひとつしかないのに、驚くべき奇跡がずっと起きたのです。私は、私たちインマヌエルの家族、教会に、神様の奇跡がおきることを確信します。その理由が何でしょうか? それでこそ、私たちの子孫を生かすのではないでしょうか。間違いないモーセのような証拠が、私たちも起きることができます。
 
■ 今日、皆様がこの契約を握ることを願います。皆様があきらめたことを新しく始めましょう。モーセは、八十才で始めました。だからあきらめる必要はないのです。皆様が人によってがっかりしても、今日から新しく始めましょう。神様は新しい、途方もないことを準備しておかれました。その中で何でしょうか? 皆様は祈りを新しく始めましょう。すると、あらゆる答えを神様は開けてくださるのです。全く同じ神様の契約です。モーセと共になさった神様は、今でも皆様と確かにともにおられます。神様はみことばをくださったのですが、このみことばは、今でも変わらないで成就しています。私は確認しました。それで、確信があります。福音を持った者は、今でも神様がその人を通じて働かれます。どんなに弱い人でも、神様は用いられることができます。私が証人です。すると、神様は皆様を用いられるのです。私たちレムナントも神様は用いられます。誰が何と話しても、だまされる必要はありません。福音を変える人はいません。その福音のなかでは、失敗がありません。だから新しく始めましょう。モーセのようにということです。すると、ものすごいみわざが起きるはずです。モーセは、年齢八十までなった時、みな終わったと思っていました。神様の新しい開始でした。この答えを皆様が今日、堅く握ってくださることを願います。モーセの祈りが皆様の祈りになることをイエスの御名でお祈りします。
 
<<契約の祈り>>
神様に感謝申し上げます。モーセの人生と私たちの人生を通じて、福音の秘密を味わうようにさせてください。今、私の環境の中で、日を数える知恵を与えて下さい。これから主のしもべと子孫のために、本格的な祈りが始まるようにさせてください。モーセにくださった恵みを、私たちにくださることを信じます。新しい力を与えて下さい。神様が与えられる力を与えて下さい。ただ聖霊があなたがたの上に臨まれれば、力を受けると言われたので、聖霊充満を与えて下さい。私たちは出来ないのですが、神様はなさることができるので、神様の聖霊で働いてください。あらゆる暗闇と不信仰が崩れる時間になるようにしてください。私たちを悟ることができないようにする闇が退くようにさせてください。私たちの人生を捕らえていたあらゆる鎖が断ち切られるようにしてください。私たちを悟ることができないようにする大きな重荷がのぞかれるようにしてください。私たちを神様の祝福を見られないようにするあらゆる霧が晴れる時間になるようにしてください。神様の真の力を得る貴重な日になることをお祈りします。イエス・キリストのお名前でお祈りします。 アーメン.